2026-03-14 37:22

#16|ヒロコの起業ストーリーとWebメディアGlolea!を立ち上げた理由

『FIKA日和』へようこそ。
今回は、ヒロコが起業し「ちょっとグローバル志向なママのための情報サイト」Glolea![グローリア]を起ち上げるライフヒストリーをほんの少しご紹介。

大学では微生物を学びつつ、独学でHTML、ホームページ制作にハマった学生時代。
卒業後は単身アメリカへ渡り、地域唯一の日本人として日本文化を伝える仕事に。
帰国後はリクルート×米国アバウトドット・コムのジョイントベンチャーでWebプロデューサー・編集者として働きながら、世界中から集まった人たちとの“40人暮らし”を経験。

転職サイト、ライフスタイルメディアの編集長を経て、出産を機に一度キャリアは中断。
3年間子育てに専念するなかで味わった「楽しさ」と「孤独感」、そしてTwitterに救われた日々。
そこから『子育てTwitter入門』の出版や、ポップコーンブランド日本上陸プロジェクトなどを通じて、「言葉」と「文化背景」の翻訳の難しさとおもしろさを痛感します。

英語力そのものよりも、文化の違いを理解し橋渡しする「カルチュラルインテリジェンス」が大事なのでは?
そんな問いから生まれたのが、幼少期から子どもたちが多様な文化にふれ、ママ自身も世界中のママ友や子育てスタイルに出会える“プチ親子留学”市場をひらくメディア、Glolea![グローリア]でした。
https://www.glolea.com/

40代・50代で「自分の仕事を自分で起ち上げたい」と思っている方への、小さなエールとヒントになればうれしいです。

感想

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サマリー

このエピソードでは、起業家ヒロコさんが自身のキャリアパスと、多文化理解を促進するWebメディア「Glolea!」を立ち上げた経緯について語っています。大学で微生物学を学びながら独学でウェブ制作に没頭した学生時代から、アメリカで日本文化を伝える仕事、リクルートでのWebプロデューサー経験、そして出産によるキャリアの一時中断を経て、子育て中の孤独感からTwitterに救われた経験が語られます。特に、ポップコーンブランドの日本上陸プロジェクトでの翻訳の難しさを痛感した経験から、「言葉」だけでなく「文化背景」を理解する「カルチュラル・インテリジェンス」の重要性に気づき、それが「Glolea!」創設の原動力となりました。このメディアは、子供たちが多様な文化に触れ、母親自身も世界中の子育てスタイルに出会える「プチ親子留学」市場を開拓することを目指しています。ヒロコさんは、40代・50代で自身のキャリアを再構築したいと考えている人々へのエールとして、自身の経験を共有しています。

AIとテクノロジー、そしてキャリアの始まり
フィーカとは、北欧スウェーデンの日常に溶け込んでいる、コーヒーを囲みほっと一息語り合う大切な習慣。
このポッドキャストでも、そんなフィーカのように東京世田谷から宇都宮ヒロコが、
そして、スウェーデン浮腐羅から長谷川優子が、
暮らし心と体、子育てのことなど、緩やかにお話しする、約25分間のトーク番組です。
今日もあなたの日常をちょっと心地よくするヒントが見つかりますように。
今日は先ほどは、AIとか、テック協会とか、教育とか、
ウプサラ大学でのAI研究さんか、あとはあれですね、スウェーデンのスポーツの日、週間?
そうそう、スポーツ週間。週間はね、weekのね。話してみましたが、いかがでしたか?
楽しい。私もちょこちょこAIの情報はアップデートするようにはしてるけれども、
実際仕事で使う、何かAIで何か変化があるかって言えば、まだ医療業界では個人情報のこともすごく大事だから、
守られた方がいいっていう領域なので、難しいんだけれども、
でもどんどん、例えば患者さんのある程度の情報があるとリスク、
例えばね、どんな病気のリスクがあるのかとか、そういう使い方でできていくのかなって思うから、興味ある。
あと創薬は多分相当変わっていくんじゃないかな、創薬系のなんか友人がいるんだけど、
創薬は相当変わっていくんじゃないかなって、スピードとかがね、やっぱり人間がやるトライアルとは全然比べ物ならない。
規模がね。
違うからね。やっぱりそうすると救われる人たちも少し今よりも増える可能性とかもね、あるかもしれない。
大いに時間の短縮がね。
すごい楽しみでもあり、ドキドキしつつでもあり、みたいな感じですよね。
でもなんとかしがみついて理解して使えるようになっていきたいな。
そうだね。でもだんだん、去年とか一昨年とかのAIの状態、状況よりは全然使いやすい方向になんとなくなっている感じはするから、
一般化、チャットJPTだけでも触ってなんとなくこういうことができるんだなとか、
だんだんチャットJPTもできることとかさ、バカ度がさ、ちょっと賢度になってきてるっていうかさ、
2,3年前のチャットJPTなんか多いみたいな感じだったけどさ、今かなり賢いなって多分実感してる人多いと思うから、
なんかそういう変化だけでもキャッチアップしておくと、なんか本当に大きな変化が出たときにサッと入りやすいっていうか、
AIで何ができているのかだけでも知っていると、ちょっといいのかなとは思ったりします。
そうだね、試してみないとね。
そうそう、何事も怖がらずにちょっと触ってみるっていうのは、なんか危なくない範囲でね、やってみるといいんじゃないかなっていうふうに思います。
起業家ヒロコの独立ストーリー:微生物学からメディアへ
そうですね。
では、今日のメインテーマ。
ドキドキ。
ひろこちゃんの、いやまずね、メインテーマとしては、ひろこちゃんがどのように独立して今の仕事を始めたのかっていうあたりを、
どういう背景があってとか、どういうことがきっかけで夢があってっていうことから、
ひろこちゃんが具体的にどんなことをしていったのかを聞きたいなと思うんだけども、
いやそれには、結構40代50代って仕事を、今までやってきた仕事をどうにかもうちょっと自分らしい形に変えていきたいって思ってる人多いと思うんだよね。
そうかもしれないね。
ひろこちゃんちょっと2、3歩早く始めてる感が。
私の独立したのは27歳なんだよね。
そんな前なの?
なんかこの話をし始めると、もう全然うちのサービスの話にはたぶん到達しないので、ちょっとどこまで話すかなんだけど、
そもそも27歳の時に実は独立をしてて、
20代なんだね。
アメリカの学校の先生をやった後に、とはいえね、アメリカの学校で学校の先生をやった年って9.11の年だったんだよね。
もともと私大学卒業するタイミングでアメリカに行くことが決まっていて、
でもアメリカのスクールイヤーって9月から始まるでしょ。
そうだね、間があるんですね。
新学期がね。
その間にたまたま拾ってもらったオールアバウトっていうね、リクルートっていう会社とアメリカのアバウトドットコムっていう会社があって、
そこがジョイントでベンチャーを作って、そこに本当にインターンみたいな形でたまたま拾ってもらったみたいな。
ありがとうっていう感じで拾ってもらって、猫の手も借りたいベンチャーだったから。
大学でやってた勉強は生物、微生物学じゃない?
そこからマスコミっていうかメディア?
メディアだね、でも当時は本当にインターネットの命も誰もあんまりよくわかってないっていう時代だったから、
本当に当時のリクルートのすごくキラキラな人たちが集まって作った会社だったんだよ。
私の上司、当時というか一番初めの会社員になってから、アメリカから帰ってきてからの会社員の上司は、
ゼクシーの元編集長だったりとか、会社の中でもイサイズの元編集長とか、ジャランの人だったりとか。
すごいよね、あの時代の神媒体も。
神媒体の早々たるメンバーが。
イケイケだし、キラキラだし。
社長もキーマンズネットっていう業界とかでは結構有名なメディアというかサービスをやってた方が社長としてやってたりとか、
リクルートの精鋭みたいな人たちが集まって、謎に私がそこにピョコッと入るみたいな感じで入れてもらっちゃった。
でも学生のタイミングでバイトに入らせてもらったみたいなところからだから、たまたま、いろんなたまたま。
バイトなんだ、しかも。
一番初め、猫の手も借りて、紙のさ、こうさ、いろんな所に郵送物を送らなきゃいけないけど、みんなそんなの折るのとかできない、時間ないからみたいなので、
ひろこやって、はい!みたいなところから。
で、私がどうやらhtmlを触れるらしいみたいなところで、あ、ひろこ書けるんだみたいな感じで、やります!みたいな。
そういうので、だんだんなんか。
それは、頼む方としては使い勝手がいい新しい新人に。
そう、やる気あったしね、常にね。
変なのにさ、仕事一回してる人で紙媒体で仕事してる人とかだと、教え直しが大変だったりとか。
真っさらなんだけど、かつ紙の人たちはまだある意味htmlとか書けなかった時代なんだよ。
で、私書けたのよ!みたいな感じで。
謎な現象がちょっと起こって、それでアメリカで学校の先生をやった後に、もうオールアバウト以外に私が帰りたいと思う場所がないなって思って、帰りたいですっていう。
社員として戻りたいっていう連絡をしたら、
公式社員1号じゃなくて、非公式社員1号みたいな感じで。
新卒採用当時してなかったから。
ヒロリンだったらいいんじゃんっていうツルの一声を社長が言ってくれたらしくて。
大変じゃん、新人教育って。
別の会社で新人をまだベンチャーだから入れる余裕ないよっていう反対もあったらしいんだけど、ヒロリンだったらいいんじゃんって言ってくださって入れた。
それでインターネットの事業に関わることになったみたいな。
ちょっとごめんね、そこで大学の時に考えていた将来像と結構違う。
ズレズレだよ。
そもそも高校の時には絶対に微生物の勉強しようって思ってたんだけど、大学時代に実際に研究室で微生物を扱ってみたら、この細かなことができないことできないこと。
ピコズラムとかさ、測らなきゃいけないとかもうつらくてつらくて。
自分で主役とかも作んなきゃいけないから、私この細かな世界一生できないなっていうことに気がついて。
どっちかというと私は微生物は大好きだけど、微生物とコミュニケーションするより人とコミュニケーションしたいっていう気持ちが。
好きなことと得意なことはまた別だったよね。
そうっていうのと、あと超就職氷河期だったから、実際問題もうそれこそ100社とかやってもガンガン落ちるわけですよ。
結構自己肯定感もガンガン下がりみたいな。
いけるのにね。
あーもう大変でしたよ本当に。
それで最終面接まで行ってもうここの会社だなっていうふうに思ったところとかも普通にサクッと落としていくからさ。
あ、もう社会がこういうふうに私のことを一回思い出してくれるのであれば、
私がやり残した、人生でやり残したというふうに思うことをやってみようっていうのが元々アメリカに行ったきっかけで。
で、私がやり残したことなんだろうと思ったときに、まずはこのまま日本人とだけコミュニケーションを取る人生で私はいいのかと。
当時英語全然喋れなかったから。
なのでまずそこが一つ。
で、当時私ジャズを歌ってたんですよ。
歌で。
で、もうジャズやっぱり英語がちゃんと入ってこない。
やっぱり一回母国語じゃないから、一回頭の中できちんと翻訳をしないと歌詞が入ってこないっていう状態で歌っているのがとても気持ち悪いと。
気持ち悪いよね。
気持ち悪い。
慣れない、消化できないよね歌っててもね。
うん、そうなの。それがなんかすごくあんまり好きじゃない感覚で、こんなに歌が好きでこんなにジャズが好きで英語で歌っているのすっごい気持ちいいのに、なんか歌詞が腹の中に入ってこない状態で歌っていることが非常に気持ち悪いと思っていたのと、
あと学校の先生にちっちゃい時からなりたかったっていうのは、
あ、そうなんだ。
元々夢の中の一つとして持っていて、たまたまこれが叶えられるプログラムがあって、で、面接受けたらサクッと受かっちゃったんですよ。
試験とあの引きとね。
あんなに足りなかったし、圧が。
こっちだなみたいな。
そう思うよね。それくらいみんな出してたんだよね。
出してた出してた。もうサクサクサクサク落とされるもんだからもうなんなんだろうなと思って。
まあなんかあと御社に入りたいですって御社のこと3日前にしたんですけどねみたいなさ、でもキラキラって顔して、なんかその後嘘ついてる感じもちょっと嫌だったんだよね。
だからもうここらへんで一回ちょっとあの就職、日本での就職活動みたいのはあの引き上げて、自分が本当に何をやりたいのかっていうジャーニーに出ようみたいな感じから、
たまたま本当にアメリカに御縁があって、行くことになってっていうところで、あのどいなかのアメリカに赴任されて勤務毎日してたっていうところがあったんだけど、
本当はまあそのままアメリカに残れればよかったんだけど、行くのがねその9.11の年の10月だったんだよね。
なのでまだ誰がその飛行機を9.11をやったかもまだわからない時期だったから、やっぱりこう外国人を雇うような余裕が、それこそ国内の状況があんまり良くなかったのでアメリカも。
なのであのいろいろこう残る方法とかもいろいろやってみたんだけどちょっと難しくて、じゃあこのタイミングで私が働きたい場所ってどこなんだろうと思った時に、
もうオールアバウトしか考えられないみたいな感じで戻りたいです。それもなんか当時は私営業のアシスタントみたいなことをやってたから、営業アシスタントの枠で戻りたいっていう風に。
今営業のアシスタントの枠はないんだけど、「ヒロリン、プロデューサーやってみる?」って言われて、「プロデューサー?」みたいな。プロデューサーってなんだろうって、私ツンクしかプロデューサー知らないんだけど。
プロデューサーといえば小室かツンク。
そうそう、小室かツンク。私小室上哲也とかツンクの仕事するのかなぐらいな気持ちで、本当に編集者の辺の字も1ミリも人生の中で考えたことなかったところで、たまたま本当に渡された仕事が編集者で、たまたま渡された仕事がライフスタイルだったりとかの分野、
医療系の分野だったりとか、旅行系の分野、留学だったりとか、今の本当にベースを作っていただいた、本当にオールアバウトには初先輩方々には足を向けて眠れない、日々感謝っていう感じで、ちょうど上場の直前ぐらいまでいました。
アメリカでの経験と帰国後の多様な暮らし
友達がやってる会社に次はちょっと入らせてもらったりとかしたんだけれども、たまたまその時期、私日本に帰ってきてから自分の実家に帰ることはせずに、ゲストハウスっていうところに、いわゆる外人ハウスと当時言われてた、本当日本人あまり住んでません、外国人ばっかりですみたいな、40人暮らしをし始めたんですよ。帰って翌々日ぐらい。
いろんな文化が混じりあって。
日本人もそういうところに住む人たちなので、基本的にはやっぱりいろんな国での経験を持ってたりとかする人たちばっかりの変わり者みたいな、私と同じようなノリみたいな。
つまり変わり者?
そしてボロボロなお家だったから、本当にいろんな愉快なことがいっぱいあって、すごく情緒のある、私は大好きな場所で、もうなくなっちゃったんだけどそこはね、本当に老朽化でボロボロだったからなくなっちゃったんだけど、そこで本当に世界中の人たちと5年ぐらい暮らさせてもらったっていう元々はベースがあって、
そんなこんなして、一人暮らしもちょっと経験しつつ結婚しました。
子育ての孤独とTwitter、そして新たな挑戦
子育ては、うちの実家の母が3歳自身は信者だったので、3歳まで子供は本当2人の濃密だけどちょっと孤独な時間みたいなものを過ごして、その間に孤独な子育てみたいな。
今分断されていて、1世の世でみんな子供産まないでさ、みんなバラバラでしょ。だから今のこの私の悩みって誰に相談すればいいんだろう?働いている友達にはこの悩みは相談できないし、同じように子育てしててもちょっと年齢が違うだけで、やっぱりもう全然違うフェーズにいっちゃってたりとか。
そう結構なんか難しいなと思ったタイミングで、たまたまツイッターっていうのが始まったわけでサービスが。このツイッターがすごく子育てにいいなっていうふうに思う。ちょっとね140文字でちょちょちょって書くだけで、なんか同じ教群の人と共感し合えるって文字上だけでもね。
それがものすごく私には救いだったので、子育てツイッター入門という本を書かせてもらって、本を出したというのがその流れで一応あって。そんな中でちょっとずつ仕事の復帰をしていきました。
そしたらたまたまね私の友人がとある某大手の食料食品メーカーお菓子メーカーに勤めていて、そこの子会社と一緒にアメリカから老舗のポップコーン屋さんを持ってきますよっていうプロジェクトがあって、ちょうどひろこみたいな人がターゲットだからプロジェクトに入ってっていうふうに言われて。
すごいね。食品業界だもんね。まあでも営業というか広告とかは得意だったのかな。処刑することが得意だといろいろなことができるね。
完全に独立している状態だったので、業務委託契約みたいな形でウェブの制作、SNSのマーケティングとかプロモーションみたいなところで入らせてもらったんだけど、そこで起きた事件が私が今編集長としてやっているグローリアを立ち上げた理由なんですよ。
何が起きたかというと、当時ツイッターとかのお店がローンチする前に原宿にね。原宿の駅前に行列がもうできてたんだけど。
日本に来た?みたいな。
メディアの担当とかもあったんだけど、私日本に帰ってきました。担当者とやりとりします。その担当者はアメリカ生まれアメリカ育ちの担当者。
ツイッターのここから100本出すツイートを全部翻訳しろって言われて、日本語で書いたものをね。AIとかないから全部自分で翻訳するんだよ。
一応Google翻訳ぐらいは使って、ペッペッペッって貼って送ったんでしょう。
一応ネイティブチェックとかもしてもらって送ったんだけど、これじゃダメだと帰ってくるわけですよ。
それは日本語の言葉の語感と英語そのままって直訳するとおかしなことになるじゃないですか。
そうだね。理想というか。
だからこうしろって帰ってくるものが非常にポイントがあってないんだけど、100本書き直しみたいなのが。
3ヶ月ぐらい問答がありまして。
日本は言訳しないとこのままの言葉を書いちゃうとおかしなことになる。何度何度言っても全然向こうのマーケティング部の人はわかってくれないっていう。
ちょいと困りましたねっていうことが起こったわけですよ。
言語と文化のね。言語と文化。
カルチュラル・インテリジェンスの重要性とGlolea!の誕生
たまたまその向こうに行ってた時に会っていた中華系アメリカ人の人がちゃんと変わってくれたんだよね。
その瞬間からもう一瞬で全てが変わって。
要は中華系だから英語そのまま中国語に変えれないっていうのは彼女は肌で感覚でわかってる。
だから違約しなきゃいけないんだねっていうのを。
わかったこれ違約してるんだねOKっていうのでもう3ヶ月かかったものが一瞬で終わったみたいな。
やっぱりわかる人はねその何というかベースをね。
そうだからなんか私があの時にすごく強く強烈に感じたのはカルチャーをきちんと英語がしゃべれるイコールグローバルじゃないっていうのはもともと学校の先生やってた時からもちろん思ってたんだけれども
仕事でこんなにやっぱり大変なことになると。
相手にも違う文化があってそこを理解する気持ちっていうのがすごく多分大事でっていうところはとても大事だなと。
そこが多分原体験で子供時代からやっぱりそれをやっていくちょこちっちゃくちっちゃくやっていく違う文化があって違う言語があって
そこにはそういう違う文化のしずる感があったりとか艶っぽさがあったりとかっていうのって肌感覚でしかやっぱりわからないところとかあるのかなって。
アメリカの私が少なくともいたアメリカその方がどうかちょっとわからないんだけれども
少なくとも私が住んでたアメリカっていうのはどいなかだったから本当に自分の町から出たことありませんみたいな本当にいっぱいいて
それはやっぱり英語しゃべってても全然グローバルじゃないっていうね。
だから私グローバル担当としてアメリカの学校に入って日本文化を教えるっていう
なので彼らにとって初めての外国文化みたいな感じの異文化体験の担当として入ったっていうところがずっとつながって
これをちっちゃい時からどうしたら日本ってやっぱりでもとは言えモノカルチャーだから
逆転現象でアメリカの彼女みたいなことが日本でもものすごくたくさん起こってるんじゃないかなっていうふうに思った時に
ちっちゃくちっちゃくでもいいからちっちゃい時からそういう経験を積むってどうしたらいいんだろうっていうのと
プラスやっぱり子育てって母親の影響かなり受けるので
母親自身も本当はやり直し英語みたいなことをやりたいって思ってる人がすごく多いっていうのは
オールアバウト時代にやり直し英語の担当してたのよ
英語の教育のトイックだったりとかフルだったりとか留学だったりとかビジネス英語だったり
そこら辺の担当もさせてもらってたのでそこのニーズがあるっていうのもすごくよく分かってたから
子供とお母さんと一世の世で英語やってみる
まずは英語が一番便利だからね英語って世界中の人たちが喋って
どこ行っても使える
どこの言語でもいいんだけどまずは英語っていうのが一番つかみになるかなみたいなところで
そういう子育て経験を一緒に外国
どこでもいいんだけど親子留学みたいな
それも一週間プチみたいな形から始めてみると
多分家庭での会話が変わるんじゃないかな
そうしたら子どもたちも変わって
そういう経験をする子どもたちが増えれば
日本が少し変わっていくんじゃないかなみたいなところの流れで
お店の店舗の開発が終わったタイミングで
実際に私と子どもでその仮説はどうなんだろうっていう
N1だけれどもやってみようっていうので
試してみたんだ
そうハワイに行ってみました1ヶ月子育て
それからはじめはもうちっちゃい年齢ってやっぱりすごくて
4歳ぐらいとかもうね言語関係なくどんどん仲良くなっていく
繋がり力が本当にすごいなーっていう
全然置いていけば
育てて親が守ってあげたりとか導いてあげるとか思ってたのが
全く逆転現象起こるよね
もうねなんてたくましいのみたいな
なんか私とかよりも起こさずにどんどん気が付いたら
子どもの方が快感していくっていうのを見て
逆にやっぱりこうある意味日本にいると
日本語の言語ではこっちが優勢なのよ
なので子どもはどうしてもフォロワーになってしまうんだけれども
海外に行くと子どものたくましさがすごく
特にちっちゃい年齢は感じやすいんだなーってことに
とても感動したのね
でその後にたまたまご縁があって
フィリピンの大学でプリスクールがあって
そんなことやったことないけど親子留学
君たちしていいよって言ってもらえて
第1号としてそこにも行かせてもらって
またそこもなんか1ヶ月ぐらい行ってたのかな
そうしたらまたまたすごくびっくり現象
すごく楽しそうにしてるわけですよ
フィリピンのいろんな場所を一緒に見て
親子だからこそすごく素直になれる感覚みたいなとか
大人だけで行く場所とは全然違う場所に
子どもと一緒だと行ったりとか
こういう時間ですごくいいなというのと
あとフィリピンに行った時に
マニラだったんだけど
たまたま工場見学みたいな日に
たまたま期間が当たったから
何の工場?
鉛筆?
鉛筆工場
鉛筆工場にフィリピンのママたちと一緒に行ったりとかして
私の子育てとフィリピン人のママたちの子育てを比べた時に
むっちゃ豪華だったのよ向こうの人たちが
でもそれに私ちょっとかなり感動してしまって
私の子育て相当頭でっかちだったなっていうふうに思って
子どもにもやっぱりすごくテンスな状態っていうのが
たぶん伝わっていただろうなっていうふうに思うと
こういうふうな子育て
マザリングを勉強する場所でもあるなっていうふうに
親子留学の可能性をものすごく感じて
誰も親子留学なんて言っても
は?みたいな感じっていうか
当時の私自分の文章読み返したんだけど
8、9割誰も知らないって書いてて
そうだね
親子留学っていうことと
何かを学ぶっていうこと自体が新しいし
新しかったすごくね
どこか行ってっていうのも
2人で新しい挑戦をするっていうこと自体も
そう新しくて
かつ
だいたい親子留学って言うと
1年とか3年ですねみたいな
当時はそういう感じだったね
そうじゃなくてプチなんです
1週間から行けるんです
っていう世界観もちょっと作りたくて
それで一生懸命いろんな国の
協力してくださる方々と
そういう行く先を作っていったっていうところなんだよね
ムーブメントの創出と起業へのアドバイス
個々のつながりからそういう
一緒に協力してくれる人を探していくってこと
でもねちょうどその当時
原発問題もちょっとあって
日本からある意味
ちょっと日本ではない場所で子育てをしてみたい
みたいな人たちだったりとかっていうのが
それなりにいて
その方々がある意味もう
現地に定住するみたいな形で
だけれども日本に貢献したいっていうところで
一緒にやろうみたいなことを
言ってくださる方々もすごく
当時はいらっしゃって
そういうところから一個一個本当に
開拓をしていったっていうところで
多分今すごく親子留学でも一般化して
かなり多くの人が
私がちょっと感動したのが
中学校の保護者参加みたいなのあるでしょ
あれの時に保護者と喋るじゃない
どんなお仕事してるんですかみたいな
でもそんなに仲良くないから
いろんなことは喋れないんだけど
たまたまいろんなことを話した時に
なんか私将来親子留学してみたいんですよね
って聞いた時
自然にその言葉が
ここまで来た
うちの地元まで来たかと思って
ちょっとあれは
月をぐらっと回ってみたいな気持ちになるよね
かなりね
って思った
これが
簡単に言うと
カルチャーに対しての
インテリジェンスを上げていこう
みたいなことをやりたいっていうのが
一番に私が実現したいことだけど
相当でもね
当時のサイトを立ち上げたのが
12年前とかなんだよね
相当やっぱり状況が変わってきたな
っていうところは思うので
すごく
親子留学を一般化するっていうのが
もともとの私の中での
目標だったから
目標というか夢だったから
それは私たちだけではなくて
いろんな人たちが
そこに共感したりとか
そこにビジネスチャンスをたぶん感じたりとかして
ムーブメントって
自分だけでは作れないんだよね
ちょっと飛ばしちゃったけど
朝時間JPっていうサイトを独立後に
元オールアバウトの先輩と一緒に
やらせていただいて
会社の事業主
お相手の方は
そこの会社の代表の方なんだけれども
と一緒に作らせていただいた時に
朝時間って
毎日毎日訪れる時間なんだけれども
そこの時間をちょっと切り取って
フォーカスをして
この時間こんな風に豊かに過ごせますよ
みたいな提案をね
ライフスタイル提案をするようなサイトを
今でもあるんだけどやってたんだけれども
その時にやっぱり
自分たちだけが叫んでるだけでは
本当にムーブメントには
行かなくて
そこからいろいろ共感してくださる方がいて
じゃあちょっと一緒に
イベントをやってみましょうかとか
こういうフードのやつ
一緒にやってみましょうかとか
ホテルでこういうのの提案したいから
一緒にやってみましょうかとかっていう
いろんなところに派生的に
バーッと広がっていくっていう
ムーブメントなんだなっていう風に思ってて
食べ物のやつもそうなんだけど
いろんな人たちが
面白いねいいねって取り上げて
やっぱりくれたりとか
一番初めに始めた人たちのことなんて
忘れているとかも
全然気が付かないで
全然違う形で展開していくって
波紋がバーッと広がっていくっていうのが
ムーブメントなのかなっていう風に
感じているっていう
それが私の企業ストーリーです
じゃあ今何か新しいことを始めたいなっていう
我々の年代の人に何かアドバイスするとしたら
ある?
やっぱり企業ってとはいえ
初期は相当持ち出しが多いと思うのよ
ほとんどの場合がね
なので本当に好きなことをやるのがいいと思う
っていうのが一番
これはお金もらってももらわなくても
やり続けたいっていうテーマがあったら
やったらいいと思う
そこに今までのビジネス感覚だったりとかを
上手に掛け合わせて
人との出会いだったりを掛け合わせて
つながっていく人はつながっていくし
やっぱ去っていく人ももちろんいるから
それはそれでやっぱり力不足だったんだな
ごめんなさいっていう風に思いながら
やっていくしかないので
そういう形でやってみたらいいのかなっていうのと
やっぱり今はちょっとインターネットが
すべての入り口になっていると思うのね
昔はほら雑誌とか
多分そういう感じだったと思うんだけど
いろいろやっぱり発信をしてみるっていうのは
やってみたらいいのかな
自分の好きなものを発信してみるっていうのは
すごく多分大事なのかなっていう
ポッドキャストとかでもいいしね
ブログでもいいしね
なんでもいいから
とにかくあと今ね
この前のエピソードでも話した
コンテキストっていうのが本当に
AIの時代はむちゃくちゃ重要で
なんであなたがやらなきゃいけないかっていう
たぶん理由をみんなたぶん通っていくと思うんだよね
そう言語化すごく大事だから
言語化ってやっぱりそんなに簡単にできない人も
すごく多いんだとは思うから
とはいえ積み重ねていくと
言葉と言葉のつながりでね
なんか自分自身が自分の言葉にこう
支えられるところもたぶんあったりとか
すると思うから
私はずっとねもう20年以上
日記書いてるんだけど
日記書くのもすっごいおすすめで
自分になんか人に発表しない
自分だけの場所を持って
本当に自分が何をやりたいのかっていうのを
ずっとずっと書き続けるとか
私はこういう時に喜ぶよね
こういう時嬉しいよね悲しいよね
みたいなものを
自分自身がやっぱり知ってることが
むちゃくちゃ大事なんじゃないかな
っていう気がする
だってこのホットキャスターってさ
誰からもお金ももらわずにやってるじゃん
誰か知らんけどみたいな
そうそうそうそう
なんか好きでやっぱりやって
続けられるっていう
のがすごく大事な気がする
でも上手にやっぱりバランスを取って
食べていくのはすごくやっぱり大事だから
そこを度返しはしないように
上手なバランス
いい船乗りになるっていうか
船長になると思うのよ
で大海原に出ていくじゃない
たぶん小舟なのよはっきり言って
例えば大企業にいたら
突然そこからスピンアウトして
超小舟になるわけですよ
で大舟に乗ってる時は
その船乗りは
ちょっとした波でも
なんともないわけだけど
ちょっとした波がうわーって
やっぱ小舟はさ
影響するよね
だからAIやばいと思って
もう一生懸命勉強してるんだけど
そうそうそうそう
なんか勉強は本当にしなきゃいけないよね
っていうところもあるし
外とつながっていかなきゃいけないよね
っていうのもあるけど
それはやっぱり好きであれば
なんかやってみたらいいんじゃないかな
っていう風に思います私
AIのおかげで
たぶん挑戦しやすくなると思うよ
今までよりも
いろんなものが本当に簡単に作りやすくなるし
今までこれはちょっと技術的に
ハードルが無理って思ってたものだったりとか
なんかプランニングも
一緒に壁打ちでできたりとかね
するしね
一人で頭の中でもんもんもん考えてるよりは
AIだけでもいいから
話し相手になってもらう
24時間話し相手になってくれるからさ
私今こういうアイデア持ってるんだけど
どうしたらいいとか言うと
高度の精度の高いものとか
自分の中にはない高いものを出してきてくれて
そことの壁打ちをやると
また全然違うものになっていくと思うから
AI上手に使ったらいいんじゃないかな
新しい視点を
うん思います
エピソードの振り返りと今後の展望
はいありがとうございました
すごくワクワクする話だったな
本当に良かったです
なんか長いライフストーリーを
なんかなかなかゆっくりね
聞くことってないけども
でもこうやって聞いてみると
これもまた一つ
そっか私は
ひろこちゃんの
仕事してる話をちょこちょこ聞いてたけど
やっぱりここの深い部分の
やりたいっていう
こうしたいっていう情熱を
いろんなところでずっと持ち続けてる
っていうのがね
形になってるんだなって
いろいろなこと
まだでもねいろんなこと考えて
他にもやりたいことがいっぱいあります
まだまだこれから
我々には時間がある
そうそうそう
やりたいなって思いながら
でもポッドキャストは去年
本当になんかちょっと
ずっと興味を持ってて
やりたいことの一つで
たまたまこういうふうにご縁をいただいて
なんかタイミングがあって
一緒にやることになって
嬉しいです
私も嬉しいです
なんかね前に言ってもらってね
結構昔ね
コロナ禍前だもんね
コロナだった
はい
では今日のフィーカービューティーはここまで
今を生きる私たちの日々の
小さな発見や気づきが
皆さまにとっての
今日の暮らしをほんの少し
軽やかにするヒントになれば嬉しいです
今日のエピソードのご感想やリクエストは
スタンドFMやスポットファイのコメント欄から
いいね、フォローもお待ちしています
東京から宇住寛子
スウェーデンから長谷川優子でした
また次回もコーヒー片手にほっと一息
フィーカーの時間を
ありがとう
また次回お会いしましょう
37:22

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