言語化の難しさ
こんばんは、えりむすです。この番組では、自分らしく幸せに生きるための学びについて発信しています。
さて、先日ですね、言語化が苦手なんですっていうライブ配信をしたんですけれども、
そのアーカイブにですね、スタンドFMのお友達の福田さんが、とっても興味深いコメントをくださっていて、ちょっと読みますね。
日本人は、よくも悪くも言い切ることへの責任を持ちたくないが多いので、言い切ることが難しいんだと思います。
他者評価やうまく言えるかどうかというレイヤーが入ってしまうと、途端にリズムを失いますよね。
あとは話しながら、これは語弊があるかもと感じた瞬間に、気欠に訂正を入れたりと考えながら話しながら客観視して訂正しながらやっています。
このスタンドFMでも、自分の言葉で話している人とそうでない人はすぐに分かりますから、人前で話す勉強になるなぁと思っています。
自信というよりは覚悟や責任だと思っています。というコメントをいただきました。
福田さんありがとうございます。
いや、これ読んで、もうすごいずっとグサグサ心に来てて、確かにって思ってたんですけど、
福田さん日本人はっていう表現をしてくださったんですが、
私この言い切ることへの責任を持ちたくないので、言い切ることが難しいんだと思いますっていうのを読んで、
わぁこれ、もしかしたら私の言語化の苦手さって職業病かもしれないっていう風にちょっと感じました。
っていうのがですね、心理職ってカウンセリングをしたりすることもあるんですけれども、
心理検査をですね、することがあるんです。
検査って何をするかっていうと、主にはですね、その知能検査であったりとか発達検査っていうのをするんですが、
検査をする目的として、大体多くはですね、その人に発達的な何か問題がないかとか、
そういうことを調べて、何か問題があった際にはよりよく生きられるようにですね、
支援の参考にするために、そういった検査を取ることが多いんですが、
何かその問題があった際にですね、多くは発達障害という診断を出すんですね。
発達障害の診断を下す中で、心理検査というのはとても一つ重要な手がかりにはなるんです。
ただですね、この診断という行為は、医者しかしちゃダメなんですよ。
これも決まりがあってですね、実際は心理職と医者と話し合ったりとか、
そういった中で診断というのは出していくことが多いんですけれども、断定するのは医師なんですね。
なので、検査を取ってですね、所見を書くんですけれども、断定はできないんですよ、全部。
こういうふうに感じられるということしか言えないんですね。
明らかにそうだろうというのがあってもですね、
なので私たちは所見にですね、推察されるとか、示唆されるとか、伺えるとかですね、
そんな言葉をですね、たくさんいろんな表現で織り混ぜながら、
とにかくぼやかすっていうのが仕事の一環としてあるんですよね。
記録に残るものだからですね、やっぱり心理師が断定しちゃダメなんですよ。
で、多分そういう癖づけもあるんじゃないかなって思ってました。
だから、何にしてもそういう、
私が自分自身が日頃ご意見を言うにしても、
そういうふうに思うんですけどね、みたいな感じになっちゃってるかもしれないと思って。
それが一つですね。だからカウンセリングも、
カウンセリング取った後に、見立てを立てるんですね。
この人が抱えてる問題は、どういう背景があって、
そういう問題が生じてるからこういうシーンがあったらいいんじゃないか、みたいな見立てを書くんですけど、
それもやっぱり見立てなので、絶対そうだよねっていうふうには書かないので、
やっぱりこういうふうに思われる、推察されるっていうふうに書くんですよね。
だからそういう表現の仕方が結構染み付いてることはあるかもしれないって思いました。
あとやっぱり聞くのがメインというか、傾聴するのがメインの仕事ですので、
心理師がカウンセリングの場面で自分のことを話すっていうのはほぼないですので、
その2つ、結構自分の考えは断定しない。
責任を取りたくないっていうわけではないんですけど、通れないっていうこと。
もう一つは聞き手に徹しているっていうこと。
こういうことが仕事では当たり前にあるので、
だからこそそれが染み付いちゃってるのかなっていうのを持って、
なのでそれを踏まえて解決策としては、やっぱり私生活、プライベートの中で
自己表現の促進
自己表現をしっかりやっていくっていうのはすごい大事だなって思いました。
結局そこに帰ってくるんですけど。
福田さんのコメントで最後が、自信というよりは覚悟や責任だと思っていますっていうふうに書いてて、
自信ベースで考えるよりも、そっちで考えた方が楽だなと思って。
やっぱり自分の意見に自信を持つっていうのは、物事によっては自信が持てることがあったり、
物事によってはどれだけ触れても自信が持てないものもあるかもしれないなと思っていて、
そういう中で、自分の覚悟とか責任っていうふうに考えたら発信しやすいなって、
これは私の一意見ですけれども、感じました。
このね、いちいち私の一意見とか入れちゃうところはまだまだあるんですが、
それでもね、発信しないよりはいいかなと思っています。
でも自分の考えを、気持ちを外に送って、やっぱりとても大事だと思うんですよね。
やっぱり自分の言葉で話していくっていう機会を、
意図的にでも作った方がいいなーっていうふうに思ったので、
スタンドFMの配信、発信は今後も続けていきたいなというふうに思いました。
心理職って結構その伝統的な色合いが強かったりとか、結構内部での反発とかも多かったりするので、
SNSとかで発信している方ってとても少ないんですよね。
今言ったみたいな理由もあると思うんですけど、
でもそれだけじゃなくて、やっぱり発信、
自分が前に出て発信するっていうことに対して、
苦手さを抱えている方は多いのかもしれないなーっていうふうに思いました。
福田さん、素晴らしい気づきをありがとうございました。
先日ですね、七夕の日に上げた放送があるんですけど、
そこにAIが作ったショートストーリーをですね、
載せてたんです、概要欄に。
そしたらそれを読んだスタンドFMお友達の秋根さんが、
そのショートストーリーを朗読してくださってですね、
とっても素敵で、概要欄に貼っておきますので、ぜひ聞かれてみてください。
あの物語、読まれて気づいた方がいらっしゃるかもしれないですけど、
60秒以内の物語なんですね。
なんか織姫が、あと60秒で、あと1分で、
7月8日だったよ、みたいなとこから始まるんですよ。
っていうことはもう23時59分なわけじゃないですか。
その時にまず思ったんですけど、7月7日しか会えないのに、
最後の1分に来るとかあり得なくないですか。
もし私が織姫だったとしたらですよ。
7月7日しか会えないんだったら、
7月7日の0時00分から会いたいじゃないですか。
それがもう23時59分に来るとか、
なんなのって、それで多分めっちゃ怒るんですけど、
そんなことはなくですね、穏やかに話は進んでいくんですが、
その後、最後にですね、
時計の針は23時59分を探しているみたいな感じで終わるんですよ。
じゃあもう全然時間経ってないやん、みたいな。
さすが星の話だなと思って。
高速、光の速さですよね。
星らしいなと思うストーリーだなと思いました。
そこまでAIが考えてやってるかどうかわかんないですけどね。
一説によると、ベガとアルタイルですよね。
七夕の星、彦星と織姫の星って。
星の寿命を人間の寿命に例えた場合に、
1年に1回しか会えないとしたら、
織姫と彦星は3秒に1度は会っているっていう計算をしている人とかもいらっしゃっていて、
忙しいな、みたいな。
じゃあもうずっと会えてた方がいいよねっていう感じなんですけど、
それぐらい早い感じで会っている2人だからこそ、
23時59分の間の60秒の間でも濃密な時間が過ごせるのかなっていうふうに解釈しました。
何の話?考察です、考察。
今回の朗読をしてくれた彦音さんとの1年の流れを踏まえて、
スタンドFAも面白いなと思って。
日常生活はですね、
ここ最近は孤独な戦いがずっと知られているような状況でもありますので、
息抜きに使わせていただいてます。
ありがとうございます。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
エリムスでした。