上杉周作の紹介とVercelの役割
日本最大級のエンジニアコミュニティQiita、プロダクトマネージャーのQiuaの豊文です。
この番組では、業界で活躍するエンジニアをゲストに迎え、キャリアやモチベーションの話を深掘りしながら、エンジニアをみなさんに役立つ話題を発信していきます。
ということで、今回からのゲストは、Vercel社のエンジニアで、Factfulness共訳者の上杉周作さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。Vercelの上杉と申します。
よろしくお願いします。
もともとは上杉さん、普段は海外で暮らしていらっしゃると思うので、オンラインでお話しすることになるかなと思っていたんですが、
タイミングがいい感じに重なって、今回オフラインで収録をさせていただいています。
ということで、今は上杉さんがいらっしゃるというような形で収録させていただいています。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
上杉さんとお送りする1回目のテーマは、アメリカでの学生時代からAppleでのインターン、Vercel入社までのキャリアです。
まずはじめに、上杉さんが何者なのかというところでいろいろお伺いをできたらなと思っています。
最初にまずお伺いしたいのが、今の仕事についてというところですね。
まず今されていることについてお伺いさせてください。
アメリカ在住で、Vercelという会社でフルスタックエンジニアをやっています。
Vercelの本社はサンフランシスコにあって、もともとシリコンバレーに10年以上住んでいたんですけど、
コロナ禍中に引っ越して、今はアメリカの某省から非公開なんですけど、リモートで働いています。
Vercelについてはまた後ほど詳しく話すんですけど、
Next.jsというウェブ開発者向けのフレームワークだったり、
Vercelというウェブ開発者向けのクラウドプラットフォームだったり、
そしてV0というウェブ開発者向けの生成AIなどを開発している会社です。
もともと2020年のコロナ禍の直前にVercelに入社しまして、
その時はNext.jsのドキュメンテーションとかを担当する、
Next.jsはオープンソースのフレームワークなんですけど、
それのドキュメンテーションを担当するものとして入社して、
その後様々な部署を点々としながら、
今はVercel上で開発者が使うダッシュボードとかそういうのの開発にかかっています。
それとは別に、Vercelに入る前にですね、書籍の翻訳を少しやって、
ファクトフルネスという日本でも結構たくさんの方にお読みいただいた本の翻訳とかもやってました。
そんな感じですかね。
はい、ありがとうございます。
もう本当にVercel社が作られている、Next.jsもそうですし、
V0も僕は普段すごい触らせていただいて、
ありがとうございます。
本当に今日お話できるのに光栄だなと思っているんですが、
ということで結構今はVercel社でいろいろやっていらっしゃるかなと思うんですが、
ちょっとここまでのキャリアというか、ルーツみたいなところもいろいろお伺いしていきたいなと思っています。
ここから一気に遡って、まず最初にお伺いしたいのが学生時代のお話ですね。
あんまり学生時代のお話みたいなのを直接お伺いする機会、
コンピュータサイエンスの専攻と興味の原点
今まで探したりしてもあんまり見かけなかったので、ぜひこの機会にお伺いできたらなと思います。
ブログとかに昔書いてたんですけど、
ちょうどVercel社に入社した直後ぐらいに過去のブログとかツイートを全部消して黒歴史を削除したので、
そういうのがあまりネットに結構書いてたんですけど残ってないので、すみません申し訳ございません。
いろいろ炎上対策としていろいろ消しちゃったんで、
そして僕88年生まれで今37歳なんで、学生時代ってなるともう20年ぐらい前なんで、
大丈夫かみたいな感じのことがちょっと、今37なんで、
一時帰国してる際とかに毎回健康診断とか日本で、アメリカだと医療費が高いので、
人間ドックとかそういうのを日本で行ったりする感じなんで、
ちょっとかなり前の話になっちゃうんですけど、
一応自分のバックグラウンドとしては、小学校までは日本で普通に暮らしてたんですけど、
中学から親の仕事の都合でアメリカの被害者会館に引っ越しまして、
中学からだったんだ。
そうですね、中1ぐらいでちょうど卒業式の翌日、小学校の卒業式の翌日とかにアメリカに引っ越して、
それ以来日本にはもちろん何度も来てるんですけど、一度も本帰国をしたことがなくて、
そうだったんですね。
そうなんですね。
そこはずっともうアメリカで暮らしてらっしゃると。
なんで余談なんですけど、この話をした時点で、
自分のキャリアが他の人の参考になるのかっていう葛藤があって、
フィギュアカンファレンスオータム2024の招待いただいて、
ありがとうございます。
その時に講演させていただいて、その時に最初の講演のオファーとしては、
アメリカとか海外で働くことについて語ってくださいみたいな話だったんですけど、
といっても自分は20年以上アメリカに住んでるので、
そういった自分と日本でずっと働かれてる方がアメリカに行くっていうのは話が全然違って、
嫌味とかでもなんでもなくて、やっぱり事実としてバックグラウンドがかなり違うので、
参考になるのかなっていうふうな思いがあって、
聞いたカンファレンスとかでもあえてその点にはなかなか触れず、
ちょっと違ったトピックとか話させていただいたんですけど、
一応話を戻すと、中学からアメリカにいまして、
そのままアメリカの大学に進学して、
木野さんと同じでアメリカのカーネギーメロン大学、
アメリカでコンピューターサイエンスを勉強したんですけど、
その時にカーネギーメロン大学という大学に行って、
そこは結構コンピューターサイエンスが全米でもトップクラスに有名な大学で、
そこでコンピューターサイエンスを専攻してたんですけど、
この話をするとすごいんですねみたいな感じで言われるんですけど、
実際にその時の時代背景とかを見るとあまりそうでもなくて、
僕が進学したのは2006年で、
その時はリーマンショックが起きる2年前ぐらいで、
フェイスブックがまだ一般公開されなかったんですよね。
ちょうど自分が大学に入った2006年1ヶ月後とかにフェイスブックが一般公開されていて、
ドットコムバブルの要因があって、
なかなかIT業界とかシリコンバレー自体があまり盛り上がっていなくて、
フェイスブックもなかったし、
あとiPhoneはまだ登場していなかったんですよね。
iPhoneは2007年だったので、その1年後だったので、
あまりIT業界自体が全然儲かっていなくて、
どういうことが起きるかというと、
コンピュータサイエンス学部に進学する学生の数がそもそもすごく少なかったんですよ。
グラフとかを見ると、
ちょうど自分が進学した頃が一番底みたいな感じで、
コンピュータサイエンスを専攻する学生の数が一番少なかったんですよね。
それが復活するのは、
また2010年半ばぐらいまで数が復活しなかったので、
入りやすかったんですよね。
ぶっちゃけて言うと偏差値的に入れたのが底だったという感じで、
僕が住んでたエリアがワシントンDCの首都圏だったんですけど、
人口500万人ぐらいいて、
そこのトップ10ぐらいに入る高校の中で、
学年500人のうち、成績的には上位100人ぐらいっていうので、
日本で言うと偏差値的には60とか60の後半ぐらいとかそんな感じだったんですよね。
なので、優秀な方々はハーバードとかスタンフォードとかに進学してたんですけど、
自分は行けるところが底だったみたいな感じで、
特にコンピュータサイエンスとかに特に興味があったわけでもなくて、
滑り止めとか物理学とか全然違うところを受けてたりしたので、
でも入れるのが底だったって感じですかね。
そうなんですね。
プログラミングも授業で育ったことがあるぐらいで、
趣味でやることとか全くなくて、
全然興味なかったんですよ。
なので、この話をやっぱりすると、
言いたいことは、例えば若い方でこれを聞いてる方がいらっしゃったら、
時代背景だったりとかを知ることによって、
誰かのキャリアについての話とかを聞いたときに、
時代の背景を知らずに、
例えばカンネギーメロン大学のコンピュータサイエンスを出ましたって言っても、
コンテキストを知らないと、実際はどうなのかっていうのはやっぱ違うじゃないですか。
僕らはそこまで優秀だったわけでもなく、
そこまでプログラミングとかやってたわけでもなく、
入れたか入れたかっていう感じだったんですね。
なるほど。ありがとうございます。
今のお話だと、まさにバブルが終わって、
どっちかというとソフトウェアとかコンピュータサイエンス周りがちょっと盛り下がってるタイミングだったわけじゃないですか。
その中で興味ないといえど、
コンピュータサイエンス系を先行してやってらっしゃったのって、
きっかけとか理由みたいなところもぜひお伺いしたいなと思うんですけど。
もともとプログラミングが好きというか興味なかったんですけど、
UIとかUXには興味があって、
その頃の2000年代前半とかに自分でコンピュータを買ってもらって、
自分のコンピュータをこういうふうに買ってもらって、
プログラミングとかしてなかったんですけど、
いろんなフリーソフトとかをWindowsのコンピュータに入れるのがとても好きで、
当時例えばブラウザーだけでも日本だと結構いろいろタブブラウザーっていうのが盛り上がっていて、
今はブラウザーとかにタブが当たり前ですけど、
昔当たり前じゃなくてインターネットエクスプローラーというものがありまして、
それにはタブがなくてそれにタブをくっつけたみたいなブラウザーがたくさん出てて、
日本でもスレープニルとかルナスケープとかそういったブラウザーがたくさん出てたりして、
それぞれそういうのを片っ端からコンピュータにインストールして、
これ使いやすいんだとかこれ使いにくいんだとか、
そういうUIとかUXにとても興味があったんですよね。
アメリカの大学生活とインターン
コンピュータサイエンスはあんまり興味ないけど、
将来的にUIとかUXのことの仕事につけたりするんだったら、
じゃあ勉強してもいいかなみたいな感じで、
大学でコンピュータサイエンスを専攻したって感じですかね。
そっから今実際やられてることで言うと、
UIとかもちろんやってらっしゃると思うんですけど、
ソフトエンジニアとして仕事もされてるわけじゃないですか。
実際入ってコンピュータサイエンスよりもUIとかのほうが好きっていう中で、
コンピュータサイエンスを学んでいく中で、
そこら辺の考え方とかも変わったっていうようなイメージなんですか。
そうですね、実はあんまり変わらないように今は卒業しちゃったんですよ。
プログラミングもそんなに興味がないまま卒業しちゃって、
特に大学に入ったんですけど、
自分プログラミングが嫌いすぎて、
大学の2年生の時にちょっとお金がなかったからバイトをしようと思って、
PHPとか書く仕事があったんで応募したんですけど、
ほんと一瞬でクビになっちゃって、
ほんとコートかけなさすぎて。
クビになって一気承知した時に、
当時付き合っていたパートナーの方と出会って、
そのパートナーの方は1年年下の同じ学部の女性の方だったんですけど、
その方が自分よりはるかにPHPができて、
めちゃめちゃ落ち込んで、
自分なんでこんなプログラミングに興味なかったり、好きじゃないんだろうって落ち込んでたんですよね。
それでどうやったら好きになれるのかみたいな感じで色々試行錯誤したんですが、
あまりそれでも好きになれなくて、
とはいえ大学は時代は成績とかに結構こだわってたので、
コンピューターサイエンスはプログラミングもあるんですけど、
数学の部分も結構あるんですよね。
数学だけはちょっとできたので、
優秀なプログラマーの人たちはずっとプログラミングとかしてるので、
テスト勉強とかあんまりしないんですよね。
僕はプログラミングせずにテスト勉強しまくって、
プログラミングができなかったけど成績だけはいいっていうちょっと矛盾みたいなのが発生して、
結構アメリカの大学だと成績って重視されるんですよね。
日本はちょっと分からないんですけど。
成績だとトップに近い成績を取ってたので、
それでいい企業とかに入ることができて、
アメリカは秋留学なので、
1年終わった後に夏が3ヶ月くらい空くんですよね。
その時に2年生の時の次の夏休み、
2年生と3年生の間の夏休みにシリコンバレーにあるAppleで3ヶ月のインターンをして、
その時はちょうどリーマンショックの直前だったんですよ。
ゴールドマンサックスからもオファーもらってて、
どっちに行こうかみたいな感じで、
Appleは給料が低いことで有名だったので、
日本より高かったですけど給料がそんなに高くなくて、
ゴールドマンサックスに行ってたら多分3ヶ月なんですけど、
かなりいい給料をインターンでももらえてて、
結構迷ったんですけど最終的にAppleとかスティーブジョブズとかとても好きだったので、
Appleを選んでたんですけど、
その夏の後にリーマンショックが起きて、今度は金融業界の先が悪くなって、
いかんくてよかったみたいな感じを個人的に思ったんですけど、
そんな感じでAppleでインターンさせていただいて、
3年生と4年生の間にはFacebookも同じくシリコンバレーのオフィスでインターンさせていただいて、
卒業までに6ヶ月間シリコンバレーに住んでたんで、
卒業後も慣れてきたからシリコンバレーで働こうかってなって、
大学卒業後はシリコンバレーのベンチャーに行ったんですよ。
そこも一応エンジニアポジションとかで、
AppleもFacebookも卒業後に行ったところ、パランティアって会社なんですけど、
そちらもエンジニアのポジションだったんですけど、
やっぱりどうしてもプログラミングが得意じゃなかったっていうので、
結局キャリアを変えようと思ってそこで転職して、
クォラっていうQ&Aサービスがあるんですけど、
そこのデザイナーの給食があったので、
デザイナーとしてそこでUIデザイナーになって働きだしたみたいな感じです。
なんで結局ご質問に戻ると、
あまりプログラミングがそこまで好きじゃないまま、
ズルズルといって最終的に脱落したというか、
脱落じゃないですよ。
デザイナーが好きだったので、
UIがデザインが好きだったのでUIデザイナーになったという感じでした。
日本での職探しとキャリアの転機
ありがとうございます。
本当に大学で数学でコンピューターサイエンスを勉強しつつ、
いろいろインターンもエンジニアとしてやって、
いわゆる新卒って呼ばれるような最初のファーストキャリアとしてもエンジニアやっていたけど、
そこから1回デザイナーになっているってことなんですね。
そうですね。
なるほど。ありがとうございます。
でも今またエンジニアをやられているわけじゃないですか。
そこからまた変わってくるんですかねキャリアが。
そうなんですよね。
キャリアの転機としては、
クォーラーに入ったのが2011年にクォーラーに入ったんですが、
その時に母が病気になって、長く生きられないということになって、
母は日本にいたので、僕はシリコンバにいたんですけど、
日本で近くに母の近くにいるべきかって考えて、
結局クォーラーで1年ぐらい働いたんですが仕事を辞めて、
日本でキャリアを積もうかなと思って一時帰国して、
日本のIT業界の方々といろいろ話して、
僕に仕事ありませんかねみたいな感じのことをものすごいたくさんの人と会って、
その時にスマートニュースの創業者の方々がいる、
当時いたオフィスのところに居候させてもらったりとかして、
いろんな方々にお会いしたりして、
当時のコネクションがやっぱりそれだけじゃなくて、
様々なIT業界の方々とお会いしたこととのコネクションが今でも生きてるかなと思いますね。
結局日本で仕事が見つからなくて、アメリカに戻って、
でも働かないとやばいよねみたいなことになって、
できる仕事はないかって考えた時にデザイナーとか言ってられなかったので、
とりあえずまたそこでエンジニア的な仕事を選んで、
イケテルベンチャーとかでは仕事が見つからなかったので、
小さい教育系のメディア企業、エドサージっていう会社が、
今なくなっちゃったんですけどあったんですが、
そこで4年半ぐらい働きましたね。
それがちょうど2012年、2016年ぐらいでしたね。
という感じになります。
ありがとうございます。
じゃあ一旦日本で新しい職を探そうとして、
というところでまたある意味で転機というかキャリアがまた変わったってことですね。
それまで日本に真面目に職探しとかしたことがなかったので、
とっても新鮮でしたね。すごい良い思い出がたくさんあります。
ちなみに差し支えない入りなんですけど、
その時に日本で職が見つからなかった理由ってあったりするんですか。
そうですね。一応オファーとか、正式なオファーじゃないですけど、
来てもいいよみたいなのがあったんですけど、
どれもとても魅力的ではあったんですけれども、
自分の強みが全然活かせないというか、
特に例えば英語ができるとか、
それぐらいしか正直自分のメリットではなかった気がするんですよね。
プログラミングが特に得意なわけでもなく、
デザインが特に好きでしたけど、得意なわけでもなかったので、
英語ができて海外志向であるってことぐらいしかメリットがなかったんですが、
当時日本2012年でスタートアップブームだったとはいえ、
日本から海外を目指す的な意味と比べると弱かったのかなとは思うんですよね。
自分が出せるバリューがあんまりないというか、
また入ってもクビになってしまうんじゃないかという恐怖があったりして、
なかなかうまく仕事は見つからなかったって感じですかね。
アメリカの経済格差と未来への考え
そうなんですね。先ほど日本でのいわゆる転職活動が新鮮だったってお話だったと思うんですけど、
実際普段はアメリカで暮らしている中で新鮮だったポイントってどういうところですか。
そうですね。転職活動だけじゃなくて東京っていう街に長く行ったことがなかったので、
東京がとても素敵な街なんだなってことは改めて感じましたね。
今もそう思ってますけど、どちらかというと日本の暮らしがとても新鮮だったというか、
電車に乗るっていうこともほとんど経験しないまま大人になっちゃったので。
日本の暮らしの方が良かったのか、アメリカの方がやっぱり自分にはスタイルとして合ってるなみたいなところでいうと、どういう感覚でした。
そうですね。どっちも合うところもあるし合わないところもあるかなと思ったんですけど、
将来を考えた時にアメリカ、自分はどちらかというと自分一人で生きていくというか、自分の一人の力で道を切り開いていくっていうタイプではないので、
どちらかというと長いものに巻かれるタイプなんですよね。将来のことを考えた時にやはりアメリカの方が経済的な面では未来があるというか、そういうふうに思ったんですよね。
僕がアメリカに最初に引っ越したのが2000年で、その時はアメリカのGDPは日本の倍ぐらいだったんですよね。当時は2000年の時で倍ぐらいで、
2010年の時に大学卒業してシリコンバーレンに来た2010年の時は3倍弱ぐらい、アメリカのGDPは日本の3倍弱ぐらいで、今はアメリカのGDPって日本の6倍以上あるんですよね。
なので、僕がずっとアメリカにいられる間に一面の経済格差ってどんどん開いていっていって、その流れが2010年の時点でも見えてたんですよね。
ってなった時に、将来的にアメリカにいられるんだったらいた方がいいのかなっていうふうな考えに落ち着いて戻ったって感じですかね。
アメリカ留学とキャリアの始まり
なるほど。ありがとうございます。まさに今のお話聞いていて、僕も多分同じような立場だったらアメリカに続けることを選ぶだろうなっていうふうにお話聞いてて感じました。
でも、それはちょっと母には申し訳なかったかなっていうふうに思いますね。母は結局その後、ちょっとその数年後に亡くなったんですけど、できるだけ時間を、アメリカに戻った後もスタートアップ小さい会社だったとはいえ、
メディア企業だったので、そこまで激務ではなかったので、たくさん休みを取って、2012年から2016年の間働いたんですけど、たくさん休みを取って一時帰国して、その時は家族に会いに行くみたいなことをやってました。
なかなか今ほどリモートワークみたいなのがまだ浸透してない時期ですもんね。
そうですね。でも日本でリモートワーク的なこともやらせていただいたので、その会社は感謝しています。
なるほど。ありがとうございます。ちょっとまた話戻っちゃうんですが、そこで2016年でしたっけ。
そうですね。
メディア系のところでやられて、そこからバーセルさんに入ってらっしゃるんですかね。
聞いたカンパニスの時にお話ししたんですけど、母が亡くなって、しばらくして仕事をするのにちょっと疲れちゃって、どうしようかなってなった時に、母が生きてた時はできなかったことをやろうと思って、
ずっと世界一周じゃないですけど、世界旅することがとても憧れだったので、仕事を辞めてニートになって、35カ国、75都市ですかね、バックパッカー的な感じで1年ぐらいかけて旅行してました。
そうですね。その時にいろいろ経験をして、その後もニート期間みたいなのがいろいろありまして、最終的に運良く2020年にバーセルに入社したって感じです。
その当時の入社されたきっかけみたいなところもお伺いしてもいいですか。
そうですね。先ほど少しお話ししたファクトフルネスという本の書籍の翻訳に携わって、やりたかったプロジェクトみたいなのがあって、それをやってプロダクトというかウェブサイトみたいなのを作りたかったものがあったので、それを作って公開したんですけど、
その時にそれをバーセルのエンジニアの方が見てくださって、うちに入ってみないかみたいな声をかけていただいて、一時帰国した時にたまたまバーセルの代表のギシェル・モラウチも日本に一時的にいて、その時に東京でお会いして、バーセルに入らないかみたいな。
キャリア選択の哲学
当時はバーセルじゃなくてZaitoという会社の名前だったんですけど、誘われて、正式な面接とかもなくそのまま入社したって感じですかね。
なるほど。そこからもうずっとバーセル社で今お仕事はされてるってことですね。
そうですね。ちょうど今月入社して5年になりました。
そうなんですね。ここまでお話聞いていて、先ほど長いものに巻かれるみたいな話があったと思うんですけど、その一方でお話聞いている限りすごいチャレンジはされてらっしゃるなと思っていて、単純に一つの業界にずっと居続けるでもなく、いろんなことをされてここまでキャリアを築いてらっしゃると思うんですけど、その中でのいろんな判断とかアクションを取っていく中で大切にしていることみたいなところをお話してもいいですか。
ミッションが大事だというか、その会社がやろうとしていることに共感できるかどうかっていうのをとても大事に思っていて、当時やりたかったこととしては、ウェブの開発をもっと簡単にして、さらに作ったサイトをさらに高速だったり、落ちないサイトを作ったりだとか、ウェブの開発をどんどんレベルを上げようみたいな感じのところで、それはとても自分的には共感できるテーマで、
プログラミングとかそこまで当時もそんなに得意なわけではなかったんですけども、唯一UIをやっていたので、フロントエンドとかにたくさん触れるようになって、その時にJavaScriptをよく書くようになって、その時にJavaScriptの業界の中では、バッセルが作っているNext.jsがとても良いプロダクターだったので、それの理念というかに共感して入ったって感じですかね。
その前のメディア企業で働いた時も、自分はやっぱり教育がとても大事だと思っていて、教育のメディアに入ったんですけど、教育をITの力で良くしようというミッションがあったので、それにとっても共感したっていう感じですかね。
はい。じゃあ、やっぱり会社としてのミッションだったりとか、やっていこうとしていることに対して、どれだけ自分が共感できるかっていうところで、いろんなキャリアだったり入る会社ってところを選んでらっしゃるってことですね。
そうですね。
なるほど。ありがとうございます。
上杉さん、今日はありがとうございました。
まだまだお話ししたりないので、次回も上杉さんとお送りします。
ということで、今回は上杉さんのキャリアについていろいろお伺いをしてきました。
結構、そんなにプログラミング得意じゃなくてみたいなお話をしている一方で、出てくる企業の名前とかサービスの名前が聞いたことあるものばっかりで、まさにシリコンバネの過渡期の世界でキャリアを築いてきていらっしゃったんだなっていうのは、すごいお話を聞いていて感じました。
僕も聞いているだけですごいワクワクしたので、本当にここまでいろんな挑戦をされている上杉さんのこれからの挑戦というところも僕もせんずながら応援させていただきたいなと思っております。
この番組では、感想や次回ゲストの質問、リクエストなどお待ちしております。
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