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どうもこんにちは、呟ききれない話です。
この番組は、何かといろんなことを考えすぎてしまう私、ソウイチが、考えすぎてしまったことを吐き出すためのポッドキャストプログラムでございます。
番組では、あなたの呟ききれない話を募集しています。
あなたが考えすぎてしまったことが、もしありましたら、ぜひ番組までお寄せください。
先週の週末にですね、ちょっと宇都宮の方に行ってきました。
何をしに行ったかと言いますと、宇都宮の宇都宮美術館というところでやっている、
来世から見るフランス美術、信仰の光と理性の光、という展覧会を見に行ってきました。
大学でキリスト教の勉強をしていたんですけれども、中でも特にこの来世っていうのにちょっと興味があって、
色々と勉強したり授業を取ったりしてたんですね。
この展覧会の学術監修をしている先生が、私が大学で教わっていた先生だったので、
これはぜひ行かなければと思って行ってきました。
来世というのは、フランスの政教分離、政治と宗教を分けて考えましょうねっていう考え方のものなんですけれども、
フランスではこの来世という考え方が国世としてとても重要視されています。
そういう来世という文脈の中でフランスの美術がどういうふうに発展してきたのかということに注目した展覧会でとても面白かったです。
しかもその教わっていた先生がですね、ちょうどその日宇都宮にいらっしゃっていまして、
結局会うことはできなかったんですけど、すごい先生とニヤミスしてしまうっていうね、ちょっと嬉しいハプニングもありました。
全然会うことはできていないので関係ないんですけど。
宇都宮に中学校と高校の同級生が住んでいて、同級生同士で結婚してね、今子供もいらっしゃるんですけど、
そのご夫妻に連絡したら、なんと泊まっていってはどうかっていうご提案をいただきまして、
なので土日かけて宇都宮に行って一泊して美術館に行ってきました。
とっても楽しく充実した週末を過ごすことができました。
さて、今日はちょっと真面目な話をしようと思います。
本当は別の話をしようと思ってたんですけど、ちょっとうまく収録できなかったので、
それこそその宇都宮に行っている間に話題になっていた県について話してみようと思います。
ここ数日、今これを収録しているのが12月16日火曜日なんですけど、
フィンランドの人種差別問題
この週末のちょっと前ぐらいからフィンランドの関係のことがとっても取り沙汰されております。
ニュースやソーシャルメディアで見た方もいらっしゃるかもしれません。
フィンランドのね、ちょっと人種差別をめぐるいろいろなことが取り沙汰されています。
今日はちょっとその話をしてみようかなと思います。
まず、ことの経緯を簡単に順を追って説明しようかなと思います。
ことの補担は、先月11月の末頃のことですね、ミスフィンランド、
世界中でやっているミスユニバースのフィンランド代表の方ですね、
のサラ・ザフチェさんという方がインスタのストーリーを投稿しまして、
目尻をギュッと押さえて釣り上げた、目を釣り上げて写った写真に、
中華料理というコメントをつけて投稿しました。
このことが大変な物議を醸し、そしてこれが全ての始まりです。
しばらくしてから徐々にどうなのこれっていう話になり始めて、
数日後にこのザフチェさんは、この時は私頭が痛くて頭痛で
米紙の周辺をちょっと揉んだりしてたんですよ。
その時に写真を友達に撮られて、それがコメントをつけたのも実は友達で、
それが載ったんですっていうような釈明をしたんですね。
それでは全然意味がなく、12月8日になって、
結局このことは差別的な意図はなかったんです、すいませんって言って謝罪をしました。
12月10日になってミス・フィンランドの称号が剥奪されるに至りました。
議員の反応と謝罪
これを受けて12月12日頃ですかね、フィンランドの国会議員のユホ・エイロラさんという議員の方が、
このサラ・ザフチェさんに連帯するっていうつもりで、
自分のフェイスブックに釣り目の写真を投稿しました。
この時にコメントとしてね、コメントというか自分のキャプションで、
フランス語でJe suis Sarah、私はサラっていうコメントをつけて投稿しました。
これも瞬く間に炎上しまして、結局彼はテレビのインタビューで謝罪をするに至っています。
その番組でのインタビューの中で、彼は言ったことには
この投稿は決してアジア人を揶揄するつもりではなく、
このミス・フィンランドの委員会を嘲笑するためのものであったというふうに釈明しています。
彼自身はこのサラ・ザフチェのこの画像自体に別に差別的な意味はないと思う。
自分の投稿した画像によって議論を起こしたかったんだ、というようなことを放送の中で言ったようです。
これはフィンランド語の記事しか見つからなかったので、
本当はどういうことをどういう意味で言ってたのか、ちょっとあんまりはっきりしないところもあるんですけど、
だいたいそんなようなやり取りが番組の中であったみたいですね。
他にも何人か同じような釣り目の写真を投稿した議員だったりとか、
フィンランドの有名な人たちがいたみたいです。
議論の必要性
で、ツイッターでも大変な話題になりまして、フェルシンキの司会議員の方かな、
オッド・メリという方がこの投稿を擁護して、
この投稿は幼稚な振る舞いではあるけれども、人種差別ではない、というようなことを投稿しております。
それに続けて、フィンランド人は東味が好きなんです、私たちは寿司が好きだし、
中国の人はフィンランドに観光でたくさん来てくれるのでお金を払ってくれます、みたいなことを呟いていますね。
それからフィンランドの人権大使であるカティア・ペールマンさんという方もちょっと話題になりましたね。
日本人からこの件に関して質問をされて、そのユーザーをブロックしたんですよ。
そのことについて、別のフィンランドの県議会議員の方から指摘をされて、
もちろん議論を続けましょう、ただしトロールたちとの競争ごっこには付き合いません、というようなことを発言しました。
このトロールたちっていうのはね、東アジアの人たちのことを指していると思われて、
まあなんかこう、人推しでトロールとは何事だと、またこれもまた思えました。
こうやって結構ね、政府関係の人なんかが最初のサラ・ザフチェさんの投稿を擁護して、いろいろと発言したりとかして、
そのことがいよいよ日本でも話題になりだし、で、迎えた月曜日ですね。
で、週明けになってからようやくフィンランド政府もこのことを取り上げて、発言をした議員を処分するということになったみたいです。
これがあの今日までの流れ、大体の流れなんですけど、なかなかフィンランドから人種差別問題が出るっていうのは、ちょっと僕の中では割と予想外というかびっくりしたことだったので、
フィンランド人に私を含む東アジア人が怒っているというよりは、なんかフィンランドからこういう話が出たことに驚いているっていう感じなんですよね。
別にこのことについて何とも思ってないんですけど、ただことの経緯をすごく興味深く眺めているみたいな感じなんですね。
そういう視点からちょっとね、この件ちょっと掘り下げてみようかなと思います。
一連のこのフィンランドの議員であったり有名な人たちの対応が、やっぱりすべてどれもこれもが悪種、よくない手であったなという印象があります。
例えば、日本でもうっかり意図せずこういう差別的な発言とかしてしまって問題になるケースって時々ありますけど、
あの絶対にやっちゃいけないなって私が思っているのが、これは悪意はなかったんですって言って許してもらおうとするケースですよね。
悪意がないっていうことは、この場合それを理由に許されることにはならないと思うんですよ。
悪意がないのはそりゃそうなんでしょうけど、でも悪意がないからすべてが許されるとはならないですよね。
そういう弁護が成功したケースは僕は一度も見たことがありません。
このフェイスブックとかに釣り目の写真を投稿した人たちは、自分はこれは差別だとは思わないんですって言って釣り目の写真をあげてるんですよ。
でもこれって差別になり得るよねっていうことを既に指摘されているにも関わらず、
いや僕はこれは差別だとは思いませんって言って、その差別的と指摘されたことの行動をまた繰り返すっていうのは、
その1回目はもしかしたらそういう差別的な意図はなかったのかもしれないけれども、
そうやって指摘された上で2回目にやるのは明らかに悪意があるとしか言いようがないと僕は思うんですよね。
その差別的な意図があったかどうかっていうことをそもそも問題にするっていうことができないですよね。
だって人の心は見えないから外からは。
例えば一般的に中指を立てる仕草っていうのは、良くないこと、人を侮辱する行為であるっていう風にされますよね。
例えば中指を立てることがタブーであるっていうことを知らない人、そういう文化にいなかった人がうっかり人に中指を立ててしまったと。
そのことを、それは良くないことだよとか他の人に言われたとして、
それに対して、あ、すいません、知らなかったんです、はまだわかるにしても、
いや、僕はそういう価値観では生きてないので、って言ってさらにその人に中指を立て続けてたら、
それはもう悪意があるとみなされても仕方がないですよね。
中指を立てるっていうことが私は何を意味するかは知っているけれども、
でも侮辱する意図はないので私はあなたに中指を立てますっていうのは、それはもうなんか侮辱では?ってなりますよね。
だからその知らなかったんですっていうのはやっぱり通らないし、侮辱する意図はなかったんですっていうのはやっぱり通らないと思うんですよ。
それからイホエイロラ議員がこのことによってね、議論が起きたっていうことのようなことも発言しているんですけども、
それもねなんか議論が起きたことが良かったかもしれないですけど、
でもこの投稿でなくてももっと差別について建設的な議論ができるような投稿っていくらでもあったはずなんですよ。
なんであえてこういう形でその議論を起こしてしまうのかっていうのが僕らちょっとやっぱり理解ができないなぁと思います。
フィンランドの差別問題
さらにこのヘルシンキの司会議員のオットーメリさんが言っていた、私たちは寿司が好きだし東アジアの人が好きですみたいなことも、
別にあなたがある民族を差別するかどうかとあなたがその国の人が好きかどうかは別に関係ないというか別軸の問題じゃないですか。
その行為が差別的であるかどうかとあなたがその国を好きかどうかっていうのは関係がない話であって、
別にフランス料理が好きでもフランス人を侮辱する人はいるわけですよね。
何でしたっけこういうの、隣の黒人みたいな言い方ありましたよね。
なんか僕の親友には黒人がいてって言いながら黒人差別をするタイプの人っていますよね。
そういうのの典型的な言い方なんじゃないかなと思います。
そういう感じでフィンランドってかなり人権先進国みたいなイメージがあったんですけど、
それでもこう差別当事者差別下側の当事者として名指しされた時にこんなになんかテンプレみたいな握手ばっかり取るもんなんだなと思って、
そこにとってもとっても驚いています。
日本のツイッターでこの件について怒ってる人たちってのは別にミスフィンランドだか国会議員だかが釣り目の投稿したっていうことそのものではなくて、
あのフィンランドの人が人権意識も高くその差別とか撤廃しようねみたいなことを常日頃言ってるあのフィンランドの人たちが、
それも公職にある人たちがまさかアジア人差別を平気でしてそれが大したことじゃないとか、
ちょっと幼稚だったとかそういうこう歪症化して済まそうとしているということにみんな驚いてびっくりしてるんですよね。
シャルリエブド事件と自己反省
まあなんかそういうような風にちょっと見ていますね。
それからちょっと話はずれるんですけど、
ユホエーロラさんの議員の写真につけられていたキャプションの受水佐賀っていうのは私はサラという意味で、
これはあの最初のサラさんに連帯してそういうキャプションをつけてるんですけど、
これフランスのシャルリエブド襲撃事件の時に起こったスローガンのジュースイッシャーリーを文字ったものなんです。
このシャルリエブド事件覚えてる方いらっしゃるかわからないですけど、
2015年にパリにある週刊の風刺新聞ですかね雑誌のシャルリエブドという雑誌があるんですけど、
そこの編集部をイスラム教の過激派が襲って何人か社員が殺されたという事件がありました。
シャルリエブドという会社はもともと風刺を得意とする新聞社で、
この事件の少し前にムハンマドを揶揄するような絵を載せてそれでイスラム過激派に狙われたという経緯がありました。
この時フランスはすごく大変なショックを受けまして、
これを機にその表現の自由って何だったのかとか、信仰の自由って何だったのかとか、
そういうようなことを社会的にすごくすごく議論された時だったんですね。
この時に使われた殺されたシャルリエブドの社員たちに連帯しますという意味のこのシュースイシャーリーのスローガンを文字ったものなので、
なんか引用もとも引用の仕方がすごく下品だなと思いました。
ここでそれ使うんだみたいな感じがありました。
シャルリエブドの方はね人が殺されているので、そういうところがねどうなんでしょうねって思いましたね。
引用が適切でないと感じました。
これあの自分のことに照らし合わせて考えてみますと、
自分もねそういうつもりでなく誰かを差別するような言動や行動をとってしまうことってきっとあると思うんですよ。
そういう時にやっぱどういうふうに振る舞うべきなのかなっていうのをこの事件はとっても考えさせられました。
まあやっぱ一つ僕が普段からちょっと意識していることが一つだけあって、
それはあの自分は絶対に人を差別なんかしないぞって思うのではなくて、
自分はいつか知らず知らずの間に誰かを差別しているかもしれないっていう意識ですよね。
僕は自分がすごく弱くてずるくて汚い人間だと思っているので、
時々自分の心の中にある人を差別する気持ちとか人を見下す気持ちとかをすごく意識する時があるんですよね。
あ、私はこういう人たちのことをすごく見下しているみたいに思う時があるんですよ。
そういう自分の気持ちと向き合う時間を作っていると、人に対して私はなんか誰も差別しませんなんて言えないんですよね。
ちょっと前の何かのエピソードでも、僕が一番ゲイの人たちを差別しているのかもしれないみたいなことをちらっと言ったと思うんですけど、
僕は結構心の中にいろんな人を差別する気持ちを持っているんですね。
っていうことを結構強く意識する時があります。
でもそれをあえてその人に言ったりとかはしないようにできるだけしようと思っています。
だから自分の口から出てくるものに対して、これは誰かを気づけてはいないかっていうことは結構気をつけるし、
わりと強めの検閲をかけているつもりではあります。
で、もし自分がなんかそういうようなことをね、意識してか無意識かわかんないけど言ってしまったっていう時には、
もうやっぱ謝るしかないんですよね、きっとね。
その時もきっとその自分の中のそういう人を差別する気持ちっていうのとちゃんと向き合って、
その時こそちゃんと向き合って、こういうふうに思ってました、すみませんでしたってもう言うしかないし、
変にこういうそんなつもりはなかっただとか、別の意図があったんだとか、
そういう言い訳するよりは多分全部認めて謝っちゃった方が楽なような気はしますよね。
でも実際それがその場になった時に自分がそれがちゃんとできるかどうかはちょっとわからないですけどね。
フィンランドのこの一見でちょっとそんなようなことを考えてしまいました。
というわけで今日はこのあたりで終わりにしようと思います。
番組ではあなたのつぶやききれない話を募集しております。
こんなことをツイッターにはちょっと書けないよなーとか、こんな話はちょっとツイッターには適してないんじゃないかとか、
そんな話がもしありましたら是非番組までお便りをお寄せください。
というわけで今日はこの辺でありがとうございました。