今日のテーマトークは、アイアンクローです。
はい、ではここから内容に触れる話は言っていきますので、ネタバレ気にされる方は是非見てから聞いていただけたらと思います。
では座りの感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、前回のオープニングトークの時にもちょっと話はしたんですけど、
大傑作が来たなっていうことをですね、もう本当に、見ながら本当にちょっとマジで苦しくて、
本当にもう、やめてこのまま進まないでって思いながら、見ながら見てましたし、
本当にまず第一に、こうマッチョさ、男性性のっていうのが本当に嫌に思えるっていう感じなのが、
僕もそういうのは分かるなっていうのはめちゃくちゃ思いましたし、
どんどん自分で自分を追い詰めにいってる感が本当に見てて辛かったですね、本当に。
1個の目標に向かって、それがもう家族の、なんていうかもう悲願だからみたいな感じで進んでいくのが、
本当になんか辛い辛い辛い辛い辛い辛いって思いながら見てしまいましたし、
なんていうか、マッチョさのなんか怖さともだし、
あとやっぱなんか人間ってなんかそういう、自分で自分に呪いを課していくような生き方をしている不死ってやっぱあるよなっていうのはちょっと考えたりもしました。
なんか本当プロレスラーって職業がマジもうなんかいろんな因果というかなんかものを背負って、
目の前で戦いが繰り広げられてるんだなっていうのをなんかめちゃくちゃ感じましたね。
僕そんなプロレス詳しいわけじゃない、何にも知らないのであまり詳しくない、何も言えることはほとんどないんですけど、
でもちょっとそういったちょっと一種の因果とか呪いみたいなものにもちょっとこうゾワッとさせられるような映画でしたね。
もうちょっと最後はちょっと僕もちょっと同じように泣きそうになりましたね、最後みたいに。
はい、大井さんいかがでした?
そうですね、僕も本当大傑作だなと思います。
僕自身はそれこそプロレスにあまり触れたことがない人生ですし、
オーエル・ウィリック家の今回の事件、元になった事件自体も完全に初めて知ったっていう感じなんですけど、
日本のプロレスファンの間では結構有名なお話だったらしいですけどね。
そうですね、見ててやっぱりちょっともう神話の域に入ってるというか、
シェイクスペアの何かを見てるとか、ギリシャ神話の何かの話を見てるのかみたいな、ちょっと高校生さすらあるような悲劇だなと思って見ていて。
で、前回のオープニングで呪いにするっていうワードを確か言ったと思うんですけど、
これは呪いだって気が付くって結構やっぱり人生において難しいことだと思うんですよね。
前回のパストライブスの時も、ヘソンにとって実は呪いにもなり得るって話があったと思うんですけど、
これを本当に真正面から父親だったり家族っていうものを愛するがよいね、その呪いをなかったことにし続けたケビンという男の話でもあるし、
なんかちょっと固いというんですかね、
マイクパフォーマンスが苦手なという部分とかからもちょっと感じたりとかしたり。
せめたなんですよね。
そう、なんか本当に結構そうなんだよね。
その性格はすごい親近感湧くなというか、
なんか僕とケビンを分けるのはもうマッチョかマッチョでないか
体格の問題だけではないかみたいなぐらい。
結構ちょっと親近感は湧くんですよね、なんかね。
そうですね、だからこうアメリカの強き男性像みたいな、
黙って我慢してやるみたいな、
家族と責任を背負って黙ってやるみたいな男性像ってやっぱり
ケビンが当てはまってると思うんですね。
本人もそうあろうとしたし、
耐えられなくなるまでは自分の人生はそうであるっていうものに
前向きに立ち向かってたとは思うんですけど、
ただこのプロレスという産業が持ってる構造、
あるいはアメリカっていう国のもう一つの側面、
資本主義っていう側面での中でのパフォーマンスっていう力、
セルフプロモーションっていう側面から見たときにやっぱり
ガンナンのデイビッドの方が向いてる?
本来以上に自分をよく見せるっていうものが求められてるっていうのも
またアメリカではあるっていう。
そうですね。パンフレットとかね、読んでて思ったんですけど、
どんなにスキルがあっても自分をよく見せられないやつは
やっぱり売れてかないみたいな感じのことはよく書かれてますよね。
やっぱプロモーションというかパフォーマンスっていうのが結構書かれて、
難しい世界だなって思いますよね、見てて。
どうしてもプロレスという競技というか一種の興行と言ってしまっていい、
劇中でも打ち合わせるシーンが最初の方で挟まれて、
ああ、そうかそうか、プロレスだって感じになると思うんですけど、
興行という側面からしたらそれはもうプロモーションなわけですよねっていう。
だから、きっとケビンは純粋にスポーツとかをやったら
もしかしたら向いていたかもしれないわけですけど、
努力とか何か物理的にデータを残すみたいなところだったら、
彼はもしかしたら優れていたかもしれないけど、
やっぱそこはある種の家族の呪いというか祝福というか、
家族に仕入れる、ある種取られた道を進むってことを選んだがゆえに、
結構苦労した人だったんだろうなっていうのは見ててすごい思いました。
いかんせん、今いる兄弟の中では年長であるがゆえに背負ってしまってるっていうのはあるし、
それの悪しき側面に兄弟みんなが呑まれていく話でもあるんですけど、
これね、僕あんまり否定しきれない気持ちがあって、
人間誰しもやりたくないことをやって、
何か背負いたくないものを背負って生きてるじゃないですかっていう気持ちがあるんですよ。
本当にちょっとそれは兄弟で何とかしろって何回も言われるとき本当にもうてめえって思いましたからね。
てめえこの野郎っていうか。
どういう思いであれを言ってたのかは僕はちょっとわからないんですけど正直。
何都合のいい時だけ父親っていう概念が逃げてんだこいつみたいなふうにすら僕は思っちゃいましたけどね正直。
強く会ってほしいからそこで突き放してるのかなっていう気はなりの思いとかももしかしてあるのかもしれないですけど、
僕は結構何こいつ逃げとんねんってずっと思いながら見ちゃいましたし、
お母さんもそういうこと言うでしょ。
あれもきっついなって思って。
だから家族にいる限り逃げ場ないんですよね。
だってそれこそケリー、オリンピック目指してた彼、拳銃一冊しちゃいますけど劇中、
その時に残していた衣装がもうまんまもうここにいるよがマシだって言わされてる時点でもうダメでしょっていうことなんですけど、
本当にあれが辛くって、家族って大切な場所だったはずなんですよね彼らにとって。
それが結局ここダメじゃんってきついわみたいに思うってそれはもうちょっともうしんどいですよそれは。
次のお題で行きましょうか。
僕でいいですかね。
はい、今原さんからいただきました。
船長メンバーの皆様こんばんは。
また山口さん先日はちょっと映画の話でもの開催お疲れ様でした。
私も参加させていただきましたが楽しい時間を過ごせました。
ありがとうございます。
さてテーマ映画ですが個人的には上半期上位の作品です。
幸せの絶頂から一点、地獄へ落とされる展開はエリック家の悲劇を知っていてもきついものがありました。
親子、兄弟、夫婦の話と様々な切り口で語られるであろう本作ですが、プロレス映画としても良い出来でした。
特に良かったのがケビンと妻のパムが交際前に飲食店で交わすプロレスは偉そうじゃないの?という話。
あれはプロレスファンなら一度はされてみたい質問で監督わかってるなぁと感心させられました。
プロレスシーンも見応え十分でしたし、登場するレスラーたちも本物そっくりでプロレスファンとしても楽しく見られました。
本作に対する皆様の感想を楽しみにしております。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
今田さん、平日に大阪に来ていただいたりして、ちょっと僕は心配してます。
本当に凄いですね。
僕も心配ですね。ちょっと嬉しいんですけど。
本当にありがたいです。ありがたいですけど、ご無理なきようまた来ていただけたらなとは思っているんですけども、
今田さんはこれまでお話ししていた限りだと、結構プロレスを詳しそうな感じではあったので、
その辺りの文脈も拾ってご覧になられていたのかなとは思うんですけど、
ファムとの会話に現れていたような、プロレスを外部から見てやらせる必要があるみたいに聞かれたことに対して、
いやプロレスっていうのは命をかけてね、みたいな感じで返すっていうのはプロレスものあるあるだと思います。
この辺りはプロレスというものを抑えとく意味で重要なポイントなのかなっていうのはあるんですけど、
登場するレスラーも本物そっくり。僕詳しくないですけど、昔のプロレス漫画でプロレススーパースター列伝っていう漫画があって、
実際にいたプロレスラーの逸話を漫画にまとめたという名の勝手に書いたフィクションの漫画があって、
そこもプロレスっぽいなって感じしますけどね、フィクションの漫画っていうところを含めて。
そもそも原作のカジュアル一揆は勝手に考えた話とかが入ってる漫画なんですけど、
でもそれこそがプロレスとも言えるんですけどね。
でもそこに出てたレスラーとかも結構出てたりはしてたんですよね。
僕ちょっとだけプロレススーパースター列伝は読んでたんで、
ブルーザーブロディーだとか、そのあたり、この人、アメリカで直ってた人が日本のプロレス界に来てたんだなとかっていうね、
その程度の見方はしてたんですけど、たぶん今原さんはもうちょっと深いところまでご覧になってたのかなっていう感じですね。
プロレスシーンに関してちょっと思ったのが、ボクシング映画とかもそうだと思うんですけど、
結構主人公の内面内面にグーッと入っていくような絵って多いと思うんですよ。
まさにリングの中で臨場感をさらに重視してっていうか。
この映画って最初こそそういう雰囲気というか、すごいカメラが近くリングの中から撮ってるんですけど、
だんだんそのカメラがリングを遠距離撮っていくような画角が増えていくじゃないですか。
あれすごいちょっと、さっき神話的って話してましたけど、なんかこう世界そのものがここの会場そのものみたいになってるというか、
なんかそういう彼らの世界の狭さ、彼らにとって世界イコールプロレスになってしまっている状態みたいなものをすごい端的に表していて、
あれもすごい絵としてすごい高豪しいなって思って見てたんですけど。
確かに。冒頭結構誰もいない会場みたいなところ映るじゃないですか。
あれめちゃめちゃ格好良かったなっていうのがありましたよね。
ありましたありました。
その1シーン目、1発目でもうすでに引き込まれる感はすごい僕も感じましたね。
あとこの監督僕、ショーン・ダーキンでしたっけ?名前。
僕1作だけ見てるんですけど、確かにその1作でもなんかめちゃくちゃ俯瞰で、神の視点みたいな感じで遠くから撮ってたりするんですよ、なんか。
家族のことを。
そういうとこからもなんかすごい通じるなっていうか、その人らしさなのかなっていうのはめちゃくちゃ今話を聞いてるのでちょっと思い出しましたね。
あと僕見てて思ったのが、さっきおっしゃってたボクシング映画っぽいなって思う瞬間はあったんですけど、
ボクシングってすごい孤独な競技ですよね。
リングにいるのは味方は自分しかいないし。
練習シーンがやっぱり孤独なんですよね、ボクシングって。
ロードワークしてる時とか減量してるとか本当に孤独に一人でやってるっていうのがあって、
プロレスってボクシングと全然競技性違うんですけど、プロレスはプロレスってめちゃめちゃ孤独やなと思って出て、
要は見せることが大事な競技なわけじゃないですか。
そこで耐えがたい苦痛であるとか恐怖っていうものは飲み込むしかないわけですよね。
今から自分はマットに叩きつけられるのだっていうのを分かりながらそれを受けないといけないわけですし、
それを受けた後でも立ち上がって反撃しないといけないわけじゃないですか。
その表面上現れてる事故っていうものと自分の内側に乖離が存在してるわけですよね。
観客が見てる競技者とその競技者が主観として見てる自分っていうものはもう絶対的に違うものになってて、
そこで自分を支えるものって実は自分しかいないんだなって。
あんなに観客が見てるのに自分しかいないんだなっていうのがすっげえ孤独なんじゃないかなと思って、
もちろんその観客の歓声に応援されるっていうことはあると思うんですけど、
観客が応援してるのはプロレスラーとしての自分でしかないので、
プロレスラーでない自分は誰も見てないんですよね。そもそも見せない。
プロレスラーでない自分はないことにするのがプロレスじゃないですか。
めちゃめちゃ孤独やんと思って。
本当にプロレスラーって職業すげえなってちょっと思いますね。
職業としていろいろ背負いすぎててちょっとすごいなってちょっと思いました。
レスラーとか、ラーレン・アロノフスキーのレスラーとか見てもそれは思ったことではあるんですけど、
よりそれを改めて感じるというかっていう映画でしたね、今回。
アイアン・クローンに関しては。
次のお便りいきます。
光幸太郎さんから頂きました。
プロレス映画を取り上げると聞き、いてもたってもいられずメールしました。
漫画、プロレススーパースター列伝や映画レスラーのような話かと思いきや、
A24らしさ全開のプロレス版WAVESな大傑作でした。
皆が憧れるマチズモとしてのプロレススターを客にも家族にも演じ続けた父親。
マチズモ的期待に応えようとするものの、耐えきれず壊れていく息子たち。
その中でもっとも家族を愛し、期待に応えようと体を鍛え、
不器用ながらも優しさを持ち続けたケビンの物語に引きこもられずにはいられませんでした。
プロレスを題材にしてはいるものの物語的な派手さはなく、
むしろビジュアル的に盛り上がる場面を切ってさりげなく見せていくので地味な印象は強いですが、
だからこそ簡単な逃げ道のないドラマへ搬入することができました。
今年別途に食い込む傑作だったと思います。
編長メンバーの方々の感想を楽しみにしています。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ヒカリ光太郎さん、プロレス好きなんですかね?
そうですよね。プロレススーパースター列伝のことを書いているくらいなので、
やっぱり読んだことあるんだろうなってちょっと思って、すごいなって思って。
あと本作、確かに近井のウェイブス近井だっていうのを。
そうですよね。確かに言われてて本当にそうだわってか、
あれはスポーツとしてのレスリングでしたけど、ほぼ一緒ですよね。
そうですね。
もろそういう話ですもんね。
直接手を出してるとか、鬼の仕事をしてるとかじゃないじゃないですか。
はい。
ただ、機体の書き方がしんどいっていう。
そうだね。
兄弟にいちいちランク付けして、今日と明日でまたランクが違うみたいな。
しんどいって。
毎日家でもし受けてるみたいな感じで。
そうそう。
そりゃしんどいっすよみたいな。
なんだろうな。身内としてのプレッシャーの書き方じゃあんまりないですよね、それって。
うん。
厳しく育ってるけど一緒に寄り添ってるとかじゃなくて、
第三者のシビアな視点を父親から与えてるような感じがあるなというか、
いちいち兄弟同士で競わせるようなことをするって、
戦国武将みたいなことしてるなって思っちゃいますし。
まあ発想の置き所近いかもしれないですけどね。
まあそうですよね。
兄弟の中の誰かが覇権を取ればいいっていう、
そうすればこの家が何かを成したことを証明できるって発想って、
すごい中世の武将みたいな発想やなっていう。
確かに。
でもお便りの中でちょっと書かれたんですけど、
みなが憧れる町妻としてのプロレススターを客にも家族にも演じ続けた父親っていうのが、
あ、そっか、そういうことかっていうのはちょっと思いましたね。
父親としてこいつ何なんだろうって思ってたんですけど、
そっか、ずっとプロレスラーやってたんだなっていうのに、
このお便りの文章を読んでて、
そっかって今ちょっとすごい納得がいきましたけどね。
確かに確かに。
もともと結構彼って悪役レスラーとして出てきたんですよね、文脈上。
僕もパンフレット読んで知ったんですけど、
あるそのドイツ系、なんならちょっとナチスに傾倒していたみたいな背景を背負って、
悪役として出てきたっていう。
ギミックとしてね。
そうそう、あくまでギミックだし、
なんならそれはすごい遡ればそうでもあるんだけど、
でもそれは本当ではないっていう、あくまでストーリーとしてですよね。
ただなんかそれをある種その事故と、
プロレスラーとしての事故と父親としての事故っていうのがやっぱり彼の中で分けきれなくなって、
いったのかなとか。
あるいは分けれてたんだけど、それは息子たちの前で見せてなかっただけなのかなとか。
なんかいろいろやっぱ考えてしまうところはありますね。
本作ってすごい主人公のケビンの視点だけを切り取られてるように見えていて、
さっき山口さんが、
マチズモの悪いところはあんまりこの中で描かれてないっておっしゃってたんですけど、
多分それケビンの視点だからそうなんじゃないかなっていうのはちょっと思ってるところで、
この映画の外側にはそういうマチズモの嫌なところもあったんじゃないかっていう気が僕はしてるんですよ。
そこはある意味ケビンの目には見えてなかったところ。
その視点であくまでカメラが追っていくために、
観客的にもそうは見えてないんだけど、見えてない裏側ではきっとそういうものが行われている。
さすがにいわゆるホモソーシャルみたいなことが行われてるとは思わないですけど、
過剰なプレッシャーが与えられたりとかっていうのは全然あるんじゃないかなと思っていて。
そうですね。
その意味でも父親のプロレスラー的な視点はケビンの前では一番もしかしたら見せ続けてたのかもしれないなと思いました。
そうですね。
プロレスラーを演じてたっていうのはそうだろうなっていうのもあるし、
父親も演じるもんなんですよね。
なるほど。
そして息子も演じるもんなんですよ。
で、プリッツはやっぱりプロレスラーとしての父を演じることに徹しすぎている。
で、兄弟たちはプロレスラーの息子であることを演じようとしてそれに耐えられなくなるっていう感じだと思うんですよね。
でもここも難しいとこなんですけど、演じるっていうことは目指すっていうことも意味してると思うんですよ。
何かを目指すっていうのは今ある自分よりも遠いところをわざとやるというか、ある種嘘をつくことだと思うんですよね。
今自分が持ってるキャパシティ以上の負荷をかけて、いつの間にかそれになってるっていうことを繰り返すことが何かを目指すっていうことだと思うので。
息子たちにとってそれがプロレスのチャンピオンになるっていうこと、あるいは父のようなプロレスラーになるっていうこと、あるいは父を超えるってことだと思うんですけど。
めちゃくちゃドラマとしてうわーってなったりすることが多かったりとかはしましたね、確かに。
意外とスポコンではないというか。
試合そのものと試合の結果で物語が動いていくのがやっぱりスポコンのものというか側面があると思うんですけど、
もう試合シーンは結論を出すための場でしかなくて、それまででもう結論は出てるっていう。
その合間、それこそさっきおっしゃられてたように控室の方がドラマの中心ですよね。
この結果を経て、じゃあどうするの?とかっていう部分が描かれてるのがやっぱ控室だったりするから、
あくまでプロレスラーの一家の家族ドラマの映画だなっていう感じですよね。
プロレス映画っていう側面というよりは家族映画の側面ですよね、まさに。
確かにそうですね。
ちょっとそういう、あえて試合に重きを置かないっていう作りというか、あえてというか置いてない作りですけど、
けどめちゃくちゃ試合シーンめちゃくちゃ頑張ってるじゃないですかみたいな。
なんなんだこれはっていうぐらいの迫力をやっぱり絵としても見せてくれるし、
あと結構いいなって思ったのが当時のテレビの画面みたいな感じの演出とか入ってくるじゃないですか。
あれもすごく丁寧でいいなって思いましたよ、やっぱり。
そういうところに見ていておーってなる部分はあるんですけど、
物語の画からあえて試合を外してるっていうのは確かになって思いました、本当に。
はい、じゃあ次のあたりいきましょうか。
8さんからです。
アイアンクロー。肉弾戦の迫力とその裏の凸欠、薬物、銃の無誤差は最上限に留める。この目に張りが良かったです。
さらにスポーツと人生の関係性への解像度が高く、勝たないと終始が合わない人生設計は、
たとえ勝っても幸せになれないという不変の氷が描かれていて、スポーツ好きとしては大変頷けました。
作中、ケビンが決定的に救われたのも試合は全力、終わればノーサイドで飲みに行こうという相手のスタンスが大きいんですよね。
ただ本作を語る上で外せないのがBBCフィルム製作だという点です。
最初から徹底して父親による支配束縛からの地獄があまりに一本道、理路整然と描かれており、そこには絶対あったであろう良義性がオミットされすぎではとも、
人には高罪良命あって男性性の呪いみたいなキャッチーさで処理できない複雑さをもっと浴びたかったのです。
他国の孤島を題材にする時の英国の手際の良さには本当に絶望。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
父親による支配束縛からの地獄があまりに一本道っていうのは確かにそうだなっていうのがあって、
また人生のほんの半分ぐらいでしか食えない職業に打ち込まなきゃいけないって、
結構なんかすげえなって思うというか。
ちょっとスポーツ、僕は本当にスポーツ好きじゃないというか、
僕は自分が運動が嫌いなので、そういうとこから縁が遠い人ではあるんですけど、
本当にスポーツで食べていこうとか、
極めていこうとする人すげえなってちょっと思いますよね、本当に。
そうですね。
大きく成功しないと割には合ってないですよね、絶対に。
そういう孫徳環状で見たら絶対そうだと思うんですけど、
厳しいですね。
本当に成功しないと収支が合わない、
成功しないと収支が合わないって恐ろしいことだなって思いますね、本当に。
これすごい乱暴な例えだなって思うんですけど、
プロレスラーってあれだなって思ったんですよね、
魔法少女みたいだなって思ったんですよね。
主に窓マギのせいなんですけどそれは。
窓マギ世界における魔法少女とプロレスラーってほぼ一緒じゃねって思っちゃいましたけどね。
めちゃくちゃ面白いな、それ。
でもそんな感じしません?
呪いを背負う職業だなっていうのをめちゃくちゃ思ってしまって。
あれもやっぱり勝ち続けないとダメだし、スポーツみたいなもんだし、あれも。
で、なったからといってそれが幸せであるかっていうわけでもなく、それは実は呪いだったみたいなふうにわかるっていうのもすごいなんか、
今回のアイアンクローとちょっと通じる話だなっていうのをすごいちょっと思ってしまって。
割とショービジネス全般そうな気がせんでもないんじゃないんですけど。
そうですけどね。
何でも似てるものというか通じるものはあると思うんですけど、
なんか僕はちょっと窓まぎのことを思い出してしまいましたねっていう。
そうですね、特にプロレスはスポーツの中でもショービジネスとしての側面が強いですし、
やっぱりパフォーマンスをいかに発揮するかの重要性以上に、いかに物語を背負うかっていう。
いかに背負わされた期待に応えるかっていう側面があると思うので、
そういうファンタジックな存在になぞらえるのも割としっくりくるっちゃくるんですよね。
そうですね。
面白いですね。
あとちょっと話で言うんですけど、スポーツの世界の残酷さで言うと、
モスクワオリンピックのボイコットってやはり恐ろしいことですよね。
スポーツの話とか見てると、たまにこのオリンピックのボイコットって題材として出てくるんですけど、
昔読んでたノンフィクションとかでも、オリンピックに出るたびに1年発起してスポーツに取り組んだけど、
モスクワオリンピックでボイコットで出れませんでしたみたいなのがあって、
すごい人生の絶望だなと思って。
プロスポーツとはまた違う厳しさがある世界だなって思うんですよね、アマチュアスポーツのそういう部分で。
そうですね。やっぱり期間が限られている職業だから、余計に時間との勝負になりますよね。
だから本当に今最高の状態なのにボイコットで出れませんとか、本当勘弁してくれよみたいな気持ちになったりする人は、
そういう思いを味わった人は多分当時めちゃくちゃいたんだろうし、
最近でもやっぱりボイコットとは違いますけど、東京オリンピックとかも1年延期したじゃないですか。
あれの時もまた1年やるのかよみたいな気持ちにならないのかなって思いましたもんね。
僕はちょっと活躍している方はそんなことでくじけたりしないとは思うんですけど、
僕だったらなんか1年また1年みたいに整えてきたの?みたいな気持ちになるよなとか思ったりはしたので、
いやなんかあれはちょっと残酷っすね。
人生のピークをそこに合わせて調整している方もたくさんいるわけですからね、あの世界は。
あと本作注目したいポイントで、
ケビンがやりすぎて反則負けする試合のチャンピオンね。
ロッカールームでお前ちょっとやりすぎたやん、今度は負けねえぜみたいな感じで飲みに行こうやっていうのを、
あれすごいいいシーンだし、すごい残酷なシーンでもあると思うんですけど、
あくまで工業だしあくまでスポーツなので、そこで別に人生が終わるわけじゃないっていう。
あと同じ業界の人ってライバルであると同時に同業者なんで、
同じ思いを抱えている仲間でもあるわけじゃないですか。
だから飲みに行こうっていうのが自然に行われてしかるべき関係性でもある中で、
やっぱあの時のケビンって本当に殺してやるって思いでやってたけど、
プロレスにおいて殺してやるはあくまでパフォーマンスなんで、
パフォーマンスとしての殺意でなければならないところで、本気で殺しにかかってどうすんだよっていう。
そういう意味でもプロレスに向いてないなっていう。
いや確かにな。もう対戦間のひょうひょうとしたお疲れっすみたいな感じからの、
あの家族の重々しい空気。
いやもうプロレスとは聖戦なりみたいな感じの重々しい空気漂わせてるのが、
それやっていいんだみたいな。
もうそれ言われたらグーの音も出ねえって感じで。
僕、本当はもう一人兄弟がいてってカットしてるっていう話を見終わった後にそれを知ったのがありまして。
わかります。
確かに見る前に知ってたら、
でもここでカットされたやつのことも浮かばれねえなみたいな気持ちにはなりますよね。
それはあるよなと思います。どうしても。
それは本当におっしゃる通りだと思います。
それできるんだったらもう、始めっからフィクションでいいのでは?って思っちゃうというか。
そう、だからホーエルリック系にする必要あったかってところですよね。
まあね。
もちろんあくまでモデルとしてその題材にするのはいいけど、
お名前まで完全にそれに名乗られてるわけじゃないですか。
までやるんだったら徹底的に最後までいこうよっていう気持ちも確かにわかる。
そうですね、まあ確かにね。
実話に基づくとはね、まあ確かに最初に出てなかったからな。
インスパイアされましたよって書いてましたけど。
とはいえね。
ただ、物語として見てたときに兄弟3人亡くなってるわけじゃないですか。
はい。
4人目になるとちょっと天文で感じ始めちゃいそうやなと思って。
実際の人が亡くなるってなったらどんな形でも深刻なものだけど、
映画で1時間ぐらいの間に4人ぐらい一気に亡くなるってなると、
え、なんかちょっともう逆にしらけるみたいになりかねない気もちょっとするというか。
3人に収めたっていうのは判断としてはわかるっちゃわかるんですけど、
まあにしてもね、ちょっと実際の人物をモデルにしてる上での経緯とは
っていう気持ちにはなっちゃうところがあるかなと思いました。
あと何でしょうね。
ちょっと巨人の星の話したいんですけど。
はい、待ってました。
巨人の星は最後破滅まで行くんですよね。
ほう。
で、まず巨人の星は父親に対しても、あるいは野球っていう競技に対しても愛憎が入り混じってるんですよ。
愛してるけど憎んでるっていうのが常に入り混じってて、
それに対して自分を直的な挑戦を挑み続けるって話になってて、
最後はこの乗りかかった巨人の星を目指すという呪いに、
もう毒を喰らわばさらうまでと言わんばかりに破滅するまで突っ込んでいくんですよね。
で、アイアンクローは兄弟が破滅していく中で、
ケビンは破滅する手前でその呪いを手放すことができたように見える話になってたかなと思って、