1. 映画の話したすぎるラジオ
  2. 第163回(2)『アイアンクロー』..
2024-04-23 1:15:47

第163回(2)『アイアンクロー』僕と契約してプロレスラーになってよ

『アイアンクロー』の話をしました。

父親から息子たちに課せられた世界最高のプロレスラーになる夢が呪いへと相転移していく一家の物語を、男性性の呪い・人に何かを課す事/自らに何かを課す事の呪い性などの視点からひも解いて話しています。

■メンバー

・山口 https://twitter.com/awajicinema     https://bsky.app/profile/bunkai00.bsky.social ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke ・オーイシ https://twitter.com/pteryx_joe

■山口の単独Podcast

山口が単独でPodcastを始めました。ぜひフォロー/登録ください。

https://chottoeigabanashi.virtualeigabar.com/podcast

■月2バー「ちょっと映画の話でも」オープンのお知らせ

山口が店長の映画の話をするバーをオープンします。

毎月第2/第4火曜日

次回オープン:2024年4月23日(火)

場所:Osaka Metro「長堀橋」駅 徒歩2分「CAFE&BAR DC心斎橋」

詳細:https://chottoeigabanashi.virtualeigabar.com

■リスナーさんのお住まいアンケート

リスナーさんのお住まいの都道府県を教えていただくアンケートを行っております。

https://forms.gle/vUMrAEjg8AKzFe6h7

期限:4/30(火)

■映画の話したすぎるBARのお知らせ

日時:2024年4月27日(土)

場所:『週間マガリ』大阪府大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com

詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar

■映画の話したすぎるBAR東京のお知らせ

日時:2024年5月25日(土)

場所:『イベントバーエデン日暮里』東京都文京区千駄木3-44-9パレ・ドール千駄木B102 https://eventbareden.com/bar-list/nippori

詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar_2024-5_in_tokyo

■お便り

https://virtualeigabar.com/contact

■告知用X(Twitter)アカウント

https://twitter.com/virtualeigabar

■番組グッズ販売

https://suzuri.jp/virtualeigabar

The post 第163回(2)『アイアンクロー』僕と契約してプロレスラーになってよ first appeared on 映画の話したすぎるBAR&ラジオ.

Copyright © 2025 映画の話したすぎるBAR&ラジオ All Rights Reserved.

00:00
今日のテーマトークは、アイアンクローです。
はい、ではここから内容に触れる話は言っていきますので、ネタバレ気にされる方は是非見てから聞いていただけたらと思います。
では座りの感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、前回のオープニングトークの時にもちょっと話はしたんですけど、
大傑作が来たなっていうことをですね、もう本当に、見ながら本当にちょっとマジで苦しくて、
本当にもう、やめてこのまま進まないでって思いながら、見ながら見てましたし、
本当にまず第一に、こうマッチョさ、男性性のっていうのが本当に嫌に思えるっていう感じなのが、
僕もそういうのは分かるなっていうのはめちゃくちゃ思いましたし、
どんどん自分で自分を追い詰めにいってる感が本当に見てて辛かったですね、本当に。
1個の目標に向かって、それがもう家族の、なんていうかもう悲願だからみたいな感じで進んでいくのが、
本当になんか辛い辛い辛い辛い辛い辛いって思いながら見てしまいましたし、
なんていうか、マッチョさのなんか怖さともだし、
あとやっぱなんか人間ってなんかそういう、自分で自分に呪いを課していくような生き方をしている不死ってやっぱあるよなっていうのはちょっと考えたりもしました。
なんか本当プロレスラーって職業がマジもうなんかいろんな因果というかなんかものを背負って、
目の前で戦いが繰り広げられてるんだなっていうのをなんかめちゃくちゃ感じましたね。
僕そんなプロレス詳しいわけじゃない、何にも知らないのであまり詳しくない、何も言えることはほとんどないんですけど、
でもちょっとそういったちょっと一種の因果とか呪いみたいなものにもちょっとこうゾワッとさせられるような映画でしたね。
もうちょっと最後はちょっと僕もちょっと同じように泣きそうになりましたね、最後みたいに。
はい、大井さんいかがでした?
そうですね、僕も本当大傑作だなと思います。
僕自身はそれこそプロレスにあまり触れたことがない人生ですし、
オーエル・ウィリック家の今回の事件、元になった事件自体も完全に初めて知ったっていう感じなんですけど、
日本のプロレスファンの間では結構有名なお話だったらしいですけどね。
そうですね、見ててやっぱりちょっともう神話の域に入ってるというか、
シェイクスペアの何かを見てるとか、ギリシャ神話の何かの話を見てるのかみたいな、ちょっと高校生さすらあるような悲劇だなと思って見ていて。
で、前回のオープニングで呪いにするっていうワードを確か言ったと思うんですけど、
これは呪いだって気が付くって結構やっぱり人生において難しいことだと思うんですよね。
前回のパストライブスの時も、ヘソンにとって実は呪いにもなり得るって話があったと思うんですけど、
これを本当に真正面から父親だったり家族っていうものを愛するがよいね、その呪いをなかったことにし続けたケビンという男の話でもあるし、
03:05
それを最後の最後にこれは呪いだったんだってようやく自分に聞かせられた人の話でもあるなと思って。
ただその呪いはある時期においてはケビンっていう主人公の視点におけば生きる理由でもあったわけで、
その表裏一体の複雑さみたいなものがすごくやっぱ痺れるというか、自分自身もそういうとこがいくつか思い当たる節はあるので、
ああそうだよね、わかるよって思いながらずっと見てしまいました。
こんな感じですかね。
僕はですね、僕もプロレス詳しいわけではないですけど、
フリッツ・ホン・エルクは昔のプロレス漫画とかに名前がよく出てくるので知ってたっていう感じですね。
で、前回お題決める時に言った巨人の星要素にめちゃめちゃ期待して見に行ったんですけど、
巨人の星ではなかったなぁとは思って、もっと言うなら僕の好みのタイプの話ではなかったなとは思ったんですね。
呪いを自覚してそこから離れることを選んで終わるっていう話は、
僕は物語としてはそんなに好きではないなとは思ったんですよ。
僕はフィクションには自分の代わりに破滅してほしいと思ってて、
破滅手前で止まれる話だったので、
ああそうか止まれるんだって思ったんですよ。
ただそれは少なくとも実際の人をモデルした話に破滅を求めるのはちょっとなっていう思いがあるので、
僕はもう完全なフィクションにそういうのを求めていくべきだなっていうのを自覚しました。
ノンフィクションって言えないというか、だいぶ実際とは違うっぽいので、
そこは分かった上でいいとダメというか、ノンフィクションというか結構フィクションだなっていう感じはある。
実際のコンエリック家の忌まわしい出来事というよりも、
マチズモに関する神話になっているので、
そこは結構分けて考えてもいいのかなっていう気持ちもあります。
ではお便り紹介していきたいと思いますので、
マネさん3つ目お願いします。
トゥイさんからです。
実話を扱っている点、撮影、編集、俳優さんたちの演技、どれもとても好みでした。
この映画が大好きですごく良かった。
とは物語があまりに悲しすぎて言えないけれど、
私にとって痛いほど心に残る作品でした。
兄弟の結末が分かっているから幸せなシーンでも、
ただただ悲しくて寂しくて久しぶりに映画館でオイツが出るほど泣きました。
06:03
これは果たして解放の物語なのでしょうか。
決して悪い意味ではなく、私にはケビンがラストで解放されたようには見えなかったです。
少なくとも彼が愛する兄弟を失った悲しみから解放される時は、
死ぬまでないと思います。
それにケビンもその悲しみから解放されることを望んではいないと思います。
ただ、優しいケビンの周りには、
そばにいてくれる彼の家族がいるというラストだと思いました。
皆さんの感想を楽しみにしています。
PS オイツさん単歌、素敵でした。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
うーん、そうですね。
解放の物語。
うーん。
まあ、完全には解放されきってないというか、
家族というものには縛られ続けるだろうなっていうのはあるんですけど、
まず、めちゃめちゃ家族好きですよね。
出てくる人全員。
うんうんうんうん。
ちょっと家族っていうもの、そのものに対する疑念は、
全くない話だなと思って見てたんですよ。
うんうんうん。
で、まあそのテキサスのプロレスをやってて、
家族と信仰と、そして自由を愛する。
アメリカの一つの鏡のような一家だなって。
家族そのものに家族って嫌だなって表明してる瞬間自体は、
一個もなかったと思うんですよ。
父親もやり方は、
てめえのせいでさ、みたいになってましたけど、
でも家族っていうものを疑った瞬間なかったなと思って、
なんかそこが僕ちょっとすごい、ある意味特殊な話に見てたんですけど、
最近ってそういう有害な男性性を批評するような映画って増えたなって思ってるんですけど、
ただ外部から批判してるっていう感じではないんですよね、本作って。
うんうんうんうん。
その価値観に合わない立場から、それを批判する視点の人は出てこなくって、
あくまでその内部にいる人が、
その当事者として自分のことも家族のことも傷つけていくっていう話を見てて、
批判はしてない。
あくまでそこに前列とした人たちが傷ついていくのを見てるっていう感じだなと思って。
それこそウーマントーキングとかもそうですけど、
まさにその外部の視点っておそらく現代の映画において女性だと思うんですよ。
女性が男性性って良くないよねっていう批判、それがバービーとかもそうですけどね。
っていう風にこれまで男性性っていうのが批判されてきた中で、
本作って男性地点の男性性の批判だなと思うんですよね。
そこはすごく新しいわけではないけど、
でも結構あんまり見ないタイプの映画になっている気がして。
09:00
そうですね、確かに。
男しかほぼ出てこない映画で、そのマッチョさってどうなんみたいな映画って、
思いつくのは何個かあるんですけど、
意外と例えばなんですけど、マイケル・ベイは意外とそういうのを描くのが上手かったりするとか、
あったりするんですけど、
そういったのにはないめちゃくちゃ切実というか、
恐ろしさが宿ってるっていうのが今作なのかなっていう感じがすごいするんですよね。
プロレスという題材自体からも生じることではあるんですけど、
めちゃくちゃ痛そうっていう、
その痛さが肉体的にもだし精神的にもすごい痛いっていうのが必死と伝わってくるのが、
やっぱりこれがなんかちょっとあんまりない感じというか、
ちょっと震えざるを得ないなっていう風に思う理由かなっていう風には思いますね。
あと、ホモソーシャルのヤダメみたいなのは別に描かれてなかったなって、
僕は思ったんですよね。
例えばこう男同士で釣るんで、
あの女の子も声かけてこいよみたいな、
わーってなる感じはないというか、
兄弟の関係性自体がすっげえ爽やかだなって思ったんですよね。
そういう、いわゆるホモソーシャルの嫌さはない。
もう何だったら、兄弟の関係性も何だったら父親を含めても、
少年漫画的な爽やかさがあるなって思って見てたんですよね。
途中でね、セックスのシーンが出てきますけど、
あくまで真っ当な恋愛として出てきてるし、
男性社会の中での性に対する嫌なモテ遊び方みたいなのはない話。
父親もちゃんと妻を愛してるし、
そういう男同士の嫌さみたいな部分はないと思うんです。
本作の中にあるのって、
何だったら、男の良さと言われてるものを突き詰めすぎて、
過剰になりすぎて、もう耐えれなくなってる。
そして崩壊するっていう感じかなと思って。
例えば、我慢するであるとか、文句言わないであるとか、
家族を守るであるとか、
こういうのって男性性の良さと一般的に言われてるものかなと思うんですけど、
男性性の悪さと言われるもの。
本作にも子供に押しつけてる感じはないことはないけど、
一応尊重してるんですよね。
息子たちのやりたいことって。
円盤投げやらせたりとか、バンドやらせてたりとか、
お前たちにはレスリングしかないのだみたいな、
そこまで縛りきってない。
12:00
ただ肝心な時には、
お前は無理にとは言わないけど、
やっぱお前はプロレスやった方がいいと思うんだけど、
そうだね、父さんって。
そういう自主性があるふりして、
実は同調圧力バリバリみたいな感じにはなってるけど、
強制そのものはないし、
男同士で性をもてあそぶような感じもないしで、
なんて言ったらいいのかな。
ザ・悪しき男性性が描かれてるわけではない。
男性性を見つめすぎて、
もはや悪くなってるみたいな感じになってるなって、
僕は見てたんですよね。
それこそ少年漫画性を濃縮していったら、
もはや暴力になるみたいな感じのものとして見てて。
なるほどなと思いつつも、
でもやっぱりお前にはプロレスしかないと思うな、
みたいな時でも、
本当あれきついなと思ったんですけどね。
マイクにプロレスやらされた時に、
それはさすがにって思いながら見ちゃう。
自主性とかってあったのかもしれないですけど、
僕はあまり感じ取れなかったというか、
無言の圧力って一番立ち悪いなって思うっていうか、
直接言ってこないでプレッシャーだけ与えて、
その道に差し向ける感じっていうのをめちゃくちゃ僕は感じたので、
すっごい嫌だなって思いましたね。
たぶんこの3人の中で、
そういう少年漫画的文脈に対するロマンチシズムを、
一番強く感じているのは僕だと思うんですよ。
なので、そこは僕飲み込めちゃうんですよね。
兄弟たちも父親から強いられてるけど、
でもそれを飲み込むのが男だみたいな、
別にその嫌々というよりも、
これをやるのが男だから俺はやるのだっていう、
運命に立ち向かう俺っていう感じで、
自身を捉えてこぶして、
それに乗っかっていくみたいな感じって、
少年漫画的だなと思うんですよね。
その試練に対して立ち向かうというものは、
それは自身の決意から生まれてるのか、
それとも強いられてるのかって結構微妙だなと思うんですよ。
そうですね、その辺はもはや曖昧と化して、
ただ僕はもうこの道に行くしかないんだっていう風に、
立ち向かっていくっていうことが多いですよね。
あとに本作主人公、多分次男のケビンですけど、
が主人公でいいと思うんですけど、
彼なんかは本当にあなたは内側からプロレスラーになりたいと思ってたの?
っていうのを多分結構見てると思っちゃうんですよね。
そうですね、結構なんというか、
すごい真面目で優しい奴なんだなっていう感じって言ったらいいんだろうかな。
15:01
なんかちょっと固いというんですかね、
マイクパフォーマンスが苦手なという部分とかからもちょっと感じたりとかしたり。
せめたなんですよね。
そう、なんか本当に結構そうなんだよね。
その性格はすごい親近感湧くなというか、
なんか僕とケビンを分けるのはもうマッチョかマッチョでないか
体格の問題だけではないかみたいなぐらい。
結構ちょっと親近感は湧くんですよね、なんかね。
そうですね、だからこうアメリカの強き男性像みたいな、
黙って我慢してやるみたいな、
家族と責任を背負って黙ってやるみたいな男性像ってやっぱり
ケビンが当てはまってると思うんですね。
本人もそうあろうとしたし、
耐えられなくなるまでは自分の人生はそうであるっていうものに
前向きに立ち向かってたとは思うんですけど、
ただこのプロレスという産業が持ってる構造、
あるいはアメリカっていう国のもう一つの側面、
資本主義っていう側面での中でのパフォーマンスっていう力、
セルフプロモーションっていう側面から見たときにやっぱり
ガンナンのデイビッドの方が向いてる?
本来以上に自分をよく見せるっていうものが求められてるっていうのも
またアメリカではあるっていう。
そうですね。パンフレットとかね、読んでて思ったんですけど、
どんなにスキルがあっても自分をよく見せられないやつは
やっぱり売れてかないみたいな感じのことはよく書かれてますよね。
やっぱプロモーションというかパフォーマンスっていうのが結構書かれて、
難しい世界だなって思いますよね、見てて。
どうしてもプロレスという競技というか一種の興行と言ってしまっていい、
劇中でも打ち合わせるシーンが最初の方で挟まれて、
ああ、そうかそうか、プロレスだって感じになると思うんですけど、
興行という側面からしたらそれはもうプロモーションなわけですよねっていう。
だから、きっとケビンは純粋にスポーツとかをやったら
もしかしたら向いていたかもしれないわけですけど、
努力とか何か物理的にデータを残すみたいなところだったら、
彼はもしかしたら優れていたかもしれないけど、
やっぱそこはある種の家族の呪いというか祝福というか、
家族に仕入れる、ある種取られた道を進むってことを選んだがゆえに、
結構苦労した人だったんだろうなっていうのは見ててすごい思いました。
いかんせん、今いる兄弟の中では年長であるがゆえに背負ってしまってるっていうのはあるし、
それの悪しき側面に兄弟みんなが呑まれていく話でもあるんですけど、
これね、僕あんまり否定しきれない気持ちがあって、
人間誰しもやりたくないことをやって、
何か背負いたくないものを背負って生きてるじゃないですかっていう気持ちがあるんですよ。
18:04
で、それが社会から押し付けられてるものだから、
そういうのに抗うのが人間だっていう、
良い分は分かるんですよ。
ただ、今働いてるのも別に、
これ初めからやりたかったわけじゃねえよっていうことだと思うので、
それはやっぱり飲み込みたくないものを飲み込んでここにいるのは間違いないと思うんですよ。
その境界線って分かんないなって僕は正直思っちゃうんですよ。
もちろん彼らが背負わされたものは、
あまりに過剰に重かったと思うんですけど、
やりたくないことをやるのはみんな一緒だよなって思って、
その境界線どこなのかなって思ってはいて。
まあ、そうです。
明確にここみたいなのっていうのが、
人によるとしか言えない部分はあるかなと思うんですよね。
っていうのは分かりますけどね。
やっぱり何か自分に貸すというか、
やりたくないようなことだったりするかもしれないですけど、
夢だったりとか呪いなのか分からないものを貸していくっていう時に、
人ってそこで原動力にはなったりするんですよね。
生きていく上での原動力になったりするので。
確かにその一概に否定はしたくはないんですけど、
でもなんかやっぱりなあみたいな気持ちにはなるんですよね。
特に本作においてはケイビーン以外が、
結局それによって最後死を選んでしまうっていうところがあるわけですよね。
そう。
まあ、フィクションだったらいくらでもそういう話僕見たい方だなって思うんですけど、
何かを極めた果てにもうそれが死であってもいいみたいな、
ブラックスワンみたいな話ですけど、
ただ一応これ実話ベースの話でそれをやられると、
何か偉大な芸術家は死んでなんぼだみたいな感じになられると、
僕はちょっとそれ困るっていうか、楽しめないっていう言い方もあれですけど、
もっと大切にしてもいいじゃん自分のことみたいなふうにやっぱすごい思ってしまうっていう感じですかね。
そうですね。
とにかくケアする人がいなかったっていうのはだいぶでかいなとは思って、
兄弟もずっと父親に対してケアの側面を求めてたんですよね。
でもそこでそれは自分たちでやるっていうふうに何度も突き返すシーンがあったと思うんですけど、
どうしても世界に厳しさがあってしまうのは多分そうなのかなって気はするんですけど、
そこでケアもまた自分でやれっていうのは違うんだろうなっていうふうには思って、
突き放すだけやと死んで終わっちゃうっていうのはそうだなって思って見てたって感じですかね。
21:03
本当にちょっとそれは兄弟で何とかしろって何回も言われるとき本当にもうてめえって思いましたからね。
てめえこの野郎っていうか。
どういう思いであれを言ってたのかは僕はちょっとわからないんですけど正直。
何都合のいい時だけ父親っていう概念が逃げてんだこいつみたいなふうにすら僕は思っちゃいましたけどね正直。
強く会ってほしいからそこで突き放してるのかなっていう気はなりの思いとかももしかしてあるのかもしれないですけど、
僕は結構何こいつ逃げとんねんってずっと思いながら見ちゃいましたし、
お母さんもそういうこと言うでしょ。
あれもきっついなって思って。
だから家族にいる限り逃げ場ないんですよね。
だってそれこそケリー、オリンピック目指してた彼、拳銃一冊しちゃいますけど劇中、
その時に残していた衣装がもうまんまもうここにいるよがマシだって言わされてる時点でもうダメでしょっていうことなんですけど、
本当にあれが辛くって、家族って大切な場所だったはずなんですよね彼らにとって。
それが結局ここダメじゃんってきついわみたいに思うってそれはもうちょっともうしんどいですよそれは。
次のお題で行きましょうか。
僕でいいですかね。
はい、今原さんからいただきました。
船長メンバーの皆様こんばんは。
また山口さん先日はちょっと映画の話でもの開催お疲れ様でした。
私も参加させていただきましたが楽しい時間を過ごせました。
ありがとうございます。
さてテーマ映画ですが個人的には上半期上位の作品です。
幸せの絶頂から一点、地獄へ落とされる展開はエリック家の悲劇を知っていてもきついものがありました。
親子、兄弟、夫婦の話と様々な切り口で語られるであろう本作ですが、プロレス映画としても良い出来でした。
特に良かったのがケビンと妻のパムが交際前に飲食店で交わすプロレスは偉そうじゃないの?という話。
あれはプロレスファンなら一度はされてみたい質問で監督わかってるなぁと感心させられました。
プロレスシーンも見応え十分でしたし、登場するレスラーたちも本物そっくりでプロレスファンとしても楽しく見られました。
本作に対する皆様の感想を楽しみにしております。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
今田さん、平日に大阪に来ていただいたりして、ちょっと僕は心配してます。
本当に凄いですね。
僕も心配ですね。ちょっと嬉しいんですけど。
本当にありがたいです。ありがたいですけど、ご無理なきようまた来ていただけたらなとは思っているんですけども、
今田さんはこれまでお話ししていた限りだと、結構プロレスを詳しそうな感じではあったので、
その辺りの文脈も拾ってご覧になられていたのかなとは思うんですけど、
24:05
ファムとの会話に現れていたような、プロレスを外部から見てやらせる必要があるみたいに聞かれたことに対して、
いやプロレスっていうのは命をかけてね、みたいな感じで返すっていうのはプロレスものあるあるだと思います。
この辺りはプロレスというものを抑えとく意味で重要なポイントなのかなっていうのはあるんですけど、
登場するレスラーも本物そっくり。僕詳しくないですけど、昔のプロレス漫画でプロレススーパースター列伝っていう漫画があって、
実際にいたプロレスラーの逸話を漫画にまとめたという名の勝手に書いたフィクションの漫画があって、
そこもプロレスっぽいなって感じしますけどね、フィクションの漫画っていうところを含めて。
そもそも原作のカジュアル一揆は勝手に考えた話とかが入ってる漫画なんですけど、
でもそれこそがプロレスとも言えるんですけどね。
でもそこに出てたレスラーとかも結構出てたりはしてたんですよね。
僕ちょっとだけプロレススーパースター列伝は読んでたんで、
ブルーザーブロディーだとか、そのあたり、この人、アメリカで直ってた人が日本のプロレス界に来てたんだなとかっていうね、
その程度の見方はしてたんですけど、たぶん今原さんはもうちょっと深いところまでご覧になってたのかなっていう感じですね。
プロレスシーンに関してちょっと思ったのが、ボクシング映画とかもそうだと思うんですけど、
結構主人公の内面内面にグーッと入っていくような絵って多いと思うんですよ。
まさにリングの中で臨場感をさらに重視してっていうか。
この映画って最初こそそういう雰囲気というか、すごいカメラが近くリングの中から撮ってるんですけど、
だんだんそのカメラがリングを遠距離撮っていくような画角が増えていくじゃないですか。
あれすごいちょっと、さっき神話的って話してましたけど、なんかこう世界そのものがここの会場そのものみたいになってるというか、
なんかそういう彼らの世界の狭さ、彼らにとって世界イコールプロレスになってしまっている状態みたいなものをすごい端的に表していて、
あれもすごい絵としてすごい高豪しいなって思って見てたんですけど。
確かに。冒頭結構誰もいない会場みたいなところ映るじゃないですか。
あれめちゃめちゃ格好良かったなっていうのがありましたよね。
ありましたありました。
その1シーン目、1発目でもうすでに引き込まれる感はすごい僕も感じましたね。
あとこの監督僕、ショーン・ダーキンでしたっけ?名前。
僕1作だけ見てるんですけど、確かにその1作でもなんかめちゃくちゃ俯瞰で、神の視点みたいな感じで遠くから撮ってたりするんですよ、なんか。
27:00
家族のことを。
そういうとこからもなんかすごい通じるなっていうか、その人らしさなのかなっていうのはめちゃくちゃ今話を聞いてるのでちょっと思い出しましたね。
あと僕見てて思ったのが、さっきおっしゃってたボクシング映画っぽいなって思う瞬間はあったんですけど、
ボクシングってすごい孤独な競技ですよね。
リングにいるのは味方は自分しかいないし。
練習シーンがやっぱり孤独なんですよね、ボクシングって。
ロードワークしてる時とか減量してるとか本当に孤独に一人でやってるっていうのがあって、
プロレスってボクシングと全然競技性違うんですけど、プロレスはプロレスってめちゃめちゃ孤独やなと思って出て、
要は見せることが大事な競技なわけじゃないですか。
そこで耐えがたい苦痛であるとか恐怖っていうものは飲み込むしかないわけですよね。
今から自分はマットに叩きつけられるのだっていうのを分かりながらそれを受けないといけないわけですし、
それを受けた後でも立ち上がって反撃しないといけないわけじゃないですか。
その表面上現れてる事故っていうものと自分の内側に乖離が存在してるわけですよね。
観客が見てる競技者とその競技者が主観として見てる自分っていうものはもう絶対的に違うものになってて、
そこで自分を支えるものって実は自分しかいないんだなって。
あんなに観客が見てるのに自分しかいないんだなっていうのがすっげえ孤独なんじゃないかなと思って、
もちろんその観客の歓声に応援されるっていうことはあると思うんですけど、
観客が応援してるのはプロレスラーとしての自分でしかないので、
プロレスラーでない自分は誰も見てないんですよね。そもそも見せない。
プロレスラーでない自分はないことにするのがプロレスじゃないですか。
めちゃめちゃ孤独やんと思って。
本当にプロレスラーって職業すげえなってちょっと思いますね。
職業としていろいろ背負いすぎててちょっとすごいなってちょっと思いました。
レスラーとか、ラーレン・アロノフスキーのレスラーとか見てもそれは思ったことではあるんですけど、
よりそれを改めて感じるというかっていう映画でしたね、今回。
アイアン・クローンに関しては。
次のお便りいきます。
光幸太郎さんから頂きました。
プロレス映画を取り上げると聞き、いてもたってもいられずメールしました。
漫画、プロレススーパースター列伝や映画レスラーのような話かと思いきや、
A24らしさ全開のプロレス版WAVESな大傑作でした。
皆が憧れるマチズモとしてのプロレススターを客にも家族にも演じ続けた父親。
30:03
マチズモ的期待に応えようとするものの、耐えきれず壊れていく息子たち。
その中でもっとも家族を愛し、期待に応えようと体を鍛え、
不器用ながらも優しさを持ち続けたケビンの物語に引きこもられずにはいられませんでした。
プロレスを題材にしてはいるものの物語的な派手さはなく、
むしろビジュアル的に盛り上がる場面を切ってさりげなく見せていくので地味な印象は強いですが、
だからこそ簡単な逃げ道のないドラマへ搬入することができました。
今年別途に食い込む傑作だったと思います。
編長メンバーの方々の感想を楽しみにしています。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ヒカリ光太郎さん、プロレス好きなんですかね?
そうですよね。プロレススーパースター列伝のことを書いているくらいなので、
やっぱり読んだことあるんだろうなってちょっと思って、すごいなって思って。
あと本作、確かに近井のウェイブス近井だっていうのを。
そうですよね。確かに言われてて本当にそうだわってか、
あれはスポーツとしてのレスリングでしたけど、ほぼ一緒ですよね。
そうですね。
もろそういう話ですもんね。
直接手を出してるとか、鬼の仕事をしてるとかじゃないじゃないですか。
はい。
ただ、機体の書き方がしんどいっていう。
そうだね。
兄弟にいちいちランク付けして、今日と明日でまたランクが違うみたいな。
しんどいって。
毎日家でもし受けてるみたいな感じで。
そうそう。
そりゃしんどいっすよみたいな。
なんだろうな。身内としてのプレッシャーの書き方じゃあんまりないですよね、それって。
うん。
厳しく育ってるけど一緒に寄り添ってるとかじゃなくて、
第三者のシビアな視点を父親から与えてるような感じがあるなというか、
いちいち兄弟同士で競わせるようなことをするって、
戦国武将みたいなことしてるなって思っちゃいますし。
まあ発想の置き所近いかもしれないですけどね。
まあそうですよね。
兄弟の中の誰かが覇権を取ればいいっていう、
そうすればこの家が何かを成したことを証明できるって発想って、
すごい中世の武将みたいな発想やなっていう。
確かに。
でもお便りの中でちょっと書かれたんですけど、
みなが憧れる町妻としてのプロレススターを客にも家族にも演じ続けた父親っていうのが、
あ、そっか、そういうことかっていうのはちょっと思いましたね。
父親としてこいつ何なんだろうって思ってたんですけど、
そっか、ずっとプロレスラーやってたんだなっていうのに、
33:01
このお便りの文章を読んでて、
そっかって今ちょっとすごい納得がいきましたけどね。
確かに確かに。
もともと結構彼って悪役レスラーとして出てきたんですよね、文脈上。
僕もパンフレット読んで知ったんですけど、
あるそのドイツ系、なんならちょっとナチスに傾倒していたみたいな背景を背負って、
悪役として出てきたっていう。
ギミックとしてね。
そうそう、あくまでギミックだし、
なんならそれはすごい遡ればそうでもあるんだけど、
でもそれは本当ではないっていう、あくまでストーリーとしてですよね。
ただなんかそれをある種その事故と、
プロレスラーとしての事故と父親としての事故っていうのがやっぱり彼の中で分けきれなくなって、
いったのかなとか。
あるいは分けれてたんだけど、それは息子たちの前で見せてなかっただけなのかなとか。
なんかいろいろやっぱ考えてしまうところはありますね。
本作ってすごい主人公のケビンの視点だけを切り取られてるように見えていて、
さっき山口さんが、
マチズモの悪いところはあんまりこの中で描かれてないっておっしゃってたんですけど、
多分それケビンの視点だからそうなんじゃないかなっていうのはちょっと思ってるところで、
この映画の外側にはそういうマチズモの嫌なところもあったんじゃないかっていう気が僕はしてるんですよ。
そこはある意味ケビンの目には見えてなかったところ。
その視点であくまでカメラが追っていくために、
観客的にもそうは見えてないんだけど、見えてない裏側ではきっとそういうものが行われている。
さすがにいわゆるホモソーシャルみたいなことが行われてるとは思わないですけど、
過剰なプレッシャーが与えられたりとかっていうのは全然あるんじゃないかなと思っていて。
そうですね。
その意味でも父親のプロレスラー的な視点はケビンの前では一番もしかしたら見せ続けてたのかもしれないなと思いました。
そうですね。
プロレスラーを演じてたっていうのはそうだろうなっていうのもあるし、
父親も演じるもんなんですよね。
なるほど。
そして息子も演じるもんなんですよ。
で、プリッツはやっぱりプロレスラーとしての父を演じることに徹しすぎている。
で、兄弟たちはプロレスラーの息子であることを演じようとしてそれに耐えられなくなるっていう感じだと思うんですよね。
でもここも難しいとこなんですけど、演じるっていうことは目指すっていうことも意味してると思うんですよ。
何かを目指すっていうのは今ある自分よりも遠いところをわざとやるというか、ある種嘘をつくことだと思うんですよね。
今自分が持ってるキャパシティ以上の負荷をかけて、いつの間にかそれになってるっていうことを繰り返すことが何かを目指すっていうことだと思うので。
息子たちにとってそれがプロレスのチャンピオンになるっていうこと、あるいは父のようなプロレスラーになるっていうこと、あるいは父を超えるってことだと思うんですけど。
36:06
ただ人生まるごとプロレスを演じることをできた父のようには全員が慣れたわけではないっていうのが厳しいところというか。
フリッツはフリッツで、プロレスラーとしての父を演じることしかできなかったっていうのもあるんだろうなと思うんですよね。他がないというか、他をしないのがプロレスラーっていう。
そうですね。だからある意味彼もまたちょっと悲劇的ではあるよなとは思う感じというか。
この映画の中でめちゃくちゃ断罪されるみたいな人はこの中いないんですけど、やっぱりみんな背負ったものがあまりにもでかかったなというか、
そして残ったものがもうほんのわずかなものしかなかったなみたいな感じに囚われてしまうっていうのは、やっぱりちょっと物悲しさというか、何とも言えない気持ちにはやっぱりなるなっていうのは見ながら思いましたね。
そうですね。
でもそうですよね。光小太郎さんおっしゃってるように、プロレスを大体にはしてるんですけど、物語としては結構一般的なというか、もうちょっと広く綴る話だなと思うので。
そうだそうだ。結構僕も地味な映画だなと思ったんですけど、何でかなと思ったんですけど、試合シーンがドラマと繋がってないなと思って。
例えばロッキーだったらドラマの頂点って試合じゃないですか。
でも本作においてプロレスの試合シーンはあくまで仕事をしてるシーンというか、他のシーンでドラマが完結してるもののあくまで転換って言ったらいいのかな。
そこまでの積み重ねがこの試合でこういう風に現れましたっていう結論だけ与えられる場みたいな感じで試合シーンがあって、
試合シーンの中でドラマが転換していくみたいなことがあんまりなかったような気がしたんですよ。
それこそロッキーなんて試合シーンの中でどれだけドラマが動くかっていう話じゃないですか。
そこがなんかすごいドライだし、あとその試合そのもので盛り上げないんですよね、映画を。
ここで勝てば何かを成し遂げられるんだみたいな感じがなくて、もう初めからどう見ても負けるって決まってるというか、
破滅していくだけの試合シーンみたいな感じだったりとか、あくまで試合をしました以上みたいな感じで一瞬で終わったりとか、
プロレスそのものに映画の面白さが別にないっていう感じ?
確かに言われてみればそうですね、むしろ物語の核というか動機を捉えてるのってどっちかっていうと控室の話とかの方が、
39:02
めちゃくちゃドラマとしてうわーってなったりすることが多かったりとかはしましたね、確かに。
意外とスポコンではないというか。
試合そのものと試合の結果で物語が動いていくのがやっぱりスポコンのものというか側面があると思うんですけど、
もう試合シーンは結論を出すための場でしかなくて、それまででもう結論は出てるっていう。
その合間、それこそさっきおっしゃられてたように控室の方がドラマの中心ですよね。
この結果を経て、じゃあどうするの?とかっていう部分が描かれてるのがやっぱ控室だったりするから、
あくまでプロレスラーの一家の家族ドラマの映画だなっていう感じですよね。
プロレス映画っていう側面というよりは家族映画の側面ですよね、まさに。
確かにそうですね。
ちょっとそういう、あえて試合に重きを置かないっていう作りというか、あえてというか置いてない作りですけど、
けどめちゃくちゃ試合シーンめちゃくちゃ頑張ってるじゃないですかみたいな。
なんなんだこれはっていうぐらいの迫力をやっぱり絵としても見せてくれるし、
あと結構いいなって思ったのが当時のテレビの画面みたいな感じの演出とか入ってくるじゃないですか。
あれもすごく丁寧でいいなって思いましたよ、やっぱり。
そういうところに見ていておーってなる部分はあるんですけど、
物語の画からあえて試合を外してるっていうのは確かになって思いました、本当に。
はい、じゃあ次のあたりいきましょうか。
8さんからです。
アイアンクロー。肉弾戦の迫力とその裏の凸欠、薬物、銃の無誤差は最上限に留める。この目に張りが良かったです。
さらにスポーツと人生の関係性への解像度が高く、勝たないと終始が合わない人生設計は、
たとえ勝っても幸せになれないという不変の氷が描かれていて、スポーツ好きとしては大変頷けました。
作中、ケビンが決定的に救われたのも試合は全力、終わればノーサイドで飲みに行こうという相手のスタンスが大きいんですよね。
ただ本作を語る上で外せないのがBBCフィルム製作だという点です。
最初から徹底して父親による支配束縛からの地獄があまりに一本道、理路整然と描かれており、そこには絶対あったであろう良義性がオミットされすぎではとも、
人には高罪良命あって男性性の呪いみたいなキャッチーさで処理できない複雑さをもっと浴びたかったのです。
他国の孤島を題材にする時の英国の手際の良さには本当に絶望。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
父親による支配束縛からの地獄があまりに一本道っていうのは確かにそうだなっていうのがあって、
42:01
兄弟が亡くなっていくのって全部父親のせいっていう感じの見え方になってたと思うんですけど、
僕も詳しくないなりに調べてみた範囲だともうちょっと複雑な感じだと思うんですよね。
あの兄弟が亡くなっていく経緯って。
それが全部父親の行いの結果そうなってるように見えるし、
あと時間的にもむっちゃ圧縮されてるというか、
もうちょっといろいろスパン広い感じなんですよね。
一家の悲劇って。
それがもうあっという間に崩れ落ちるように不幸に見舞われていくような感じって。
本作が父親からの呪いっていう側面を強調するために要因としても集約してるし、
時間的にも圧縮してるんだろうなっていうのはあって、
そこには複雑さは現実ているっていうのは確かにあるのかなっていうふうには思いました。
ある種その前半、彼らが生きる理由としての父親の男性性っていうのがあるので、
確かに後半は本当に呪い一本道って感じ。
特に三男のデビットが亡くなってからっていうのも本当にそういうふうに描かれていたように見えるんですけど、
前半部見てるとやっぱり父親あるいは家族の存在自体が希望のように映るっていうのはすごい不思議なところで、
本作見終わった後に僕は割と呪いだけではなくて、
その功罪両方とも感じるなというか、最後に残るものがそれだなと思って。
映画の結論はそうなんですけど、振り返ってみると、
でもじゃああの時から呪いだったのかって言ったらそうじゃないよなと思えるというか。
何でしょうね、なんか頑張ってたはずのものがいつの間にか呪いになってたなっていうのを、
結果が出てからわかるみたいな感じだと思うんですよ。
そうですね、まさに。
兄弟がみんなチャンピオンになってたらあれって、
良き父親の一家のサクセスストーリーとして見えてたと思うんですよね。
でもいつの間にかそうじゃなくなってたっていうのが、
この物語の肝なのかなっていうのはありますね。
だからある種ハッチさんが書かれてるように、
スポーツ的に勝たないと趣旨が合わないというか、
勝てればきっとこれは幸せな話だった。
ただ勝てなかったから呪いになったというか。
その勝つっていうのは試合に勝つだけではなく、
親の意思に勝つとかそういうところも多分含めて勝つだと思うんですけど。
本当に人生って結果論だなというか。
そうですね。
そうですね、本当に結果論だし。
そもそもスポーツってやっぱり長くは続けられないじゃないですか、やっぱり。
僕そういうのとか考えちゃうと、
人生、若い頃に引退をして、そっから別の道でみたいなのよくありますけど、
45:01
また人生のほんの半分ぐらいでしか食えない職業に打ち込まなきゃいけないって、
結構なんかすげえなって思うというか。
ちょっとスポーツ、僕は本当にスポーツ好きじゃないというか、
僕は自分が運動が嫌いなので、そういうとこから縁が遠い人ではあるんですけど、
本当にスポーツで食べていこうとか、
極めていこうとする人すげえなってちょっと思いますよね、本当に。
そうですね。
大きく成功しないと割には合ってないですよね、絶対に。
そういう孫徳環状で見たら絶対そうだと思うんですけど、
厳しいですね。
本当に成功しないと収支が合わない、
成功しないと収支が合わないって恐ろしいことだなって思いますね、本当に。
これすごい乱暴な例えだなって思うんですけど、
プロレスラーってあれだなって思ったんですよね、
魔法少女みたいだなって思ったんですよね。
主に窓マギのせいなんですけどそれは。
窓マギ世界における魔法少女とプロレスラーってほぼ一緒じゃねって思っちゃいましたけどね。
めちゃくちゃ面白いな、それ。
でもそんな感じしません?
呪いを背負う職業だなっていうのをめちゃくちゃ思ってしまって。
あれもやっぱり勝ち続けないとダメだし、スポーツみたいなもんだし、あれも。
で、なったからといってそれが幸せであるかっていうわけでもなく、それは実は呪いだったみたいなふうにわかるっていうのもすごいなんか、
今回のアイアンクローとちょっと通じる話だなっていうのをすごいちょっと思ってしまって。
割とショービジネス全般そうな気がせんでもないんじゃないんですけど。
そうですけどね。
何でも似てるものというか通じるものはあると思うんですけど、
なんか僕はちょっと窓まぎのことを思い出してしまいましたねっていう。
そうですね、特にプロレスはスポーツの中でもショービジネスとしての側面が強いですし、
やっぱりパフォーマンスをいかに発揮するかの重要性以上に、いかに物語を背負うかっていう。
いかに背負わされた期待に応えるかっていう側面があると思うので、
そういうファンタジックな存在になぞらえるのも割としっくりくるっちゃくるんですよね。
そうですね。
面白いですね。
あとちょっと話で言うんですけど、スポーツの世界の残酷さで言うと、
モスクワオリンピックのボイコットってやはり恐ろしいことですよね。
スポーツの話とか見てると、たまにこのオリンピックのボイコットって題材として出てくるんですけど、
48:08
昔読んでたノンフィクションとかでも、オリンピックに出るたびに1年発起してスポーツに取り組んだけど、
モスクワオリンピックでボイコットで出れませんでしたみたいなのがあって、
すごい人生の絶望だなと思って。
プロスポーツとはまた違う厳しさがある世界だなって思うんですよね、アマチュアスポーツのそういう部分で。
そうですね。やっぱり期間が限られている職業だから、余計に時間との勝負になりますよね。
だから本当に今最高の状態なのにボイコットで出れませんとか、本当勘弁してくれよみたいな気持ちになったりする人は、
そういう思いを味わった人は多分当時めちゃくちゃいたんだろうし、
最近でもやっぱりボイコットとは違いますけど、東京オリンピックとかも1年延期したじゃないですか。
あれの時もまた1年やるのかよみたいな気持ちにならないのかなって思いましたもんね。
僕はちょっと活躍している方はそんなことでくじけたりしないとは思うんですけど、
僕だったらなんか1年また1年みたいに整えてきたの?みたいな気持ちになるよなとか思ったりはしたので、
いやなんかあれはちょっと残酷っすね。
人生のピークをそこに合わせて調整している方もたくさんいるわけですからね、あの世界は。
あと本作注目したいポイントで、
ケビンがやりすぎて反則負けする試合のチャンピオンね。
ロッカールームでお前ちょっとやりすぎたやん、今度は負けねえぜみたいな感じで飲みに行こうやっていうのを、
あれすごいいいシーンだし、すごい残酷なシーンでもあると思うんですけど、
あくまで工業だしあくまでスポーツなので、そこで別に人生が終わるわけじゃないっていう。
あと同じ業界の人ってライバルであると同時に同業者なんで、
同じ思いを抱えている仲間でもあるわけじゃないですか。
だから飲みに行こうっていうのが自然に行われてしかるべき関係性でもある中で、
やっぱあの時のケビンって本当に殺してやるって思いでやってたけど、
プロレスにおいて殺してやるはあくまでパフォーマンスなんで、
パフォーマンスとしての殺意でなければならないところで、本気で殺しにかかってどうすんだよっていう。
そういう意味でもプロレスに向いてないなっていう。
いや確かにな。もう対戦間のひょうひょうとしたお疲れっすみたいな感じからの、
あの家族の重々しい空気。
いやもうプロレスとは聖戦なりみたいな感じの重々しい空気漂わせてるのが、
51:05
本当にちょっともうギャップがすごすぎて、
あの空気感、ジバーはちょっとやばいなっていう。
楽さがすごすぎてちょっとあれはやばかったですね。
もうちょっとね、業界の空気みたいなのも教育できてたら全然違ったと思うんですけどね。
そうですよね。
それ全くないんですよね。
横のつながりも大事にしろみたいなこともちゃんと教えてたらね。
そうですよね。
プロレスラーとしてはこういう人付き合いも大切なんだみたいなとかを教えてるようではなさそうな感じでしたよね。
本当にね、劇中の感じは。
もううちの家族で全部を天下を取るぞみたいな。
そう。
あいつらだけなんかすごいなんか聖戦に向かってるみたいな戦い方が違うぞみたいな感じになってるから、
ヘビー級チャンピオンとかそれに向けて立ち向かうっていうのはいいんですけど、
そもそも僕ちょっとあんまりチャンピオンになる仕組みがあんまりよくわからないとこがあるんですけど。
それはちょっと思いました。
別にトーナメント戦があるわけじゃないじゃないですか、あれって。
なんかもうあれはもう何なんですかっていうのがよくわからない。
わかんないですけど。
ちょっとわからないんですけど。
まあとりあえず今強いやつに勝ったら一番だっていう理論だと思うんですけどとりあえず。
けど別にそこになんかじゃあその一番強い奴にこう挑むチャンスというか、
試合を企画してもらえるかどうかに限ってるみたいな感じではあるので、
なんか別にトーナメントじゃないからちょっと不思議ではあるんですけど、
まあわかりやすいってわかりやすいかみたいなっていうか。
いやここ迂闊に喋れない人でしたね。
ちょっとね危ない気がするんですよここ。
危ない、あの今の一連の流れ僕カットしてもいいですっていう。
カットしてください。
ここまでは大丈夫だと思うんですけど、
ここから先奥底で喋るとやばい気がするんですよ。
だいぶ奥底で僕喋ってしまった気がしたけどやばいかなと思って。
映画自体も前半でプロレスはある程度その打ち合わせがありますよみたいなのを描きながら、
後半だんだんそれを描かなくなってくるじゃないですか。
そこもまあなんていうのかな、
LINEというか一個のプロレスを見るっていうのはこういうことだっていうのを示しているのかなとも思いながら見てましたけど、
多分これ以上は話さない方がいいです。
不滑に触れたなーだった。
今自分なりに想像したことを喋ろうと思ったんですけど、
これは多分触れない方がいいなと思って。
奥が深い世界だなって。
奥が深いですよ。
本当に?
そうですね。
やめとこ。
やめとこ。
はい、じゃあまあそんな感じでお便りの紹介はここまでにさせてもらって、
54:05
じゃあ我々からトピック出していこうと思うんですけど、
これ触れとくべきだと思うんですけど、
ザック・エフロンの体。
すごかったですよね。
おかしくないですか?
ちょっとね、おかしいですよあれは。
鍛え方が異常っていうか。
あれって鍛えてなるんですか?あの体って。
僕いつも不思議でしょうかないんですけど、
あんな体って鍛えたらなるもんなんですかねって。
限界まで鍛えた人って腹筋がはち切れそうになってるじゃないですか。
あれね、なんのって。
しかもそれを、スクラフトのザック・エフロンは役者ですからね。
プロレスラーになったわけじゃない。
そうなんですよね。
だからすごいなって思いましたし、
これショーをノミネートさせてあげたかったなーみたいな、これ見れたらみたいな。
そういう気持ちにもなりますよね。
兄弟の中でも体の仕上がり方圧倒的でしたね、本当に。
山口さんが前回バストライブスの時に体型とその人の内面の話されてましたけど、
まさにケビンってストイックっていうところがすごい体に現れてるじゃないですか。
兄弟の中でもそこまでやっちゃう、要はプロレスといわれる工業に対して、
見せるって意味ではいいんだけど、正直必要のないところまでやりすぎてる人だと思うんですよ。
それも体に現れてるというか、
そのぐらい内に内にこもって、どんどんどんどん、
必要のないところまでやっちゃう人っていうのはすごい見てて思ってしまったというか、
そこもすごい体付きに現れてるなと思いました。
あの体の仕上がり方がやっぱり本作の説得力を段違いに上げてると思うんですよね。
あそこまでやった人がここにいるっていう画面になってるから、
同じ話やっても全然違うと思うんですよね、本当に。
あれだけ仕上がってる人がおいおいと辛そうっていうのが本当に、
見ててこっちもおそらくくじけるよみたいな気持ちになるんですよね。
こんなに強そうな人でもこんなに辛そうなんだけどっていうことにも、
僕は見ながら愕然とするしかないっていう感じでしたけど。
そうですね、プロレスっていう競技そのものでのしんどさってないんですよね、あんまり。
そこがやっぱりスポコンものじゃない部分かなと思うんですけど、
僕はスポコン的な文脈ある程度好きな人間なんで、
特訓シーンみたいなのを見たかったりするんですけど、
ケビンの特訓シーンありましたけど、
57:00
特訓そのもののドラマはあそこまでなかったのかなっていうか、
こんな特訓するんだみたいな面白さってスポコンっていう視点から見たらあると思うんですよね。
ロッキーが生卵飲むとか、
ロッキー4でソ連の戦闘マシーンドラゴンと戦うために、
自分は雪山で原始的なトレーニングを積んでるみたいな、
そこの面白さってあるけど、やっぱそこに軸がないし、
試合そのものでの戦いに苦痛もないんですよね、あんまり。
ここで立ち上がるのだみたいなのはそんなに重視されてない。
相手の技食らったらいい角度で入っちゃってすぐに立ち上がれなかったみたいな感じで、
そこにあんまり精神性がないというか、精神的に強いから立ち上がれるしっていう感じの描き方ではなかったと思うので、
そういう意味でもスポコンではないなっていう感じなんですよね。
それこそ冒頭でマリオさんが痛いっておっしゃったんですけど、
むしろ強調されてるのは痛みな気がして、
トレーニングシーンも僕からすると痛みつけてるようにしか見えないというか、
それは僕も感じましたね。
めっちゃタイムを上げてるなっていう時にめちゃくちゃ苦しそうに上げるじゃないですか。
ああいうのとかも追い込みかける上で必要なことだろうと思いつつも、
そこにはやっぱり僕は痛さの方が強く出るなっていうのは確かに感じますね。
訓練というより自罰っていう感じ?
そうそうそうそう。
あるいは逃避ですね。
もっと辛いことがあるからそれから逃れるために、
肉体的な痛みに逃れているっていう感じもするし、
だから全体的に痛しいんですよね本当に。
もちろんザック・エフルを演じるケビンもそうですけど、
他の兄弟の体つきもちょっと個性というか、
プロレスラーとしてのアイデンティティがみんな違う体つきをしていて、
それもすごい見てて面白かったんですけど、
例えばデビットとかめちゃくちゃ背が高くて、
スラッとしている上にすごい映えるというか、
おそらくこの人舞台映えするんだろうなっていう体つきであったりとか、
ケリーもケリーで同じく、
多分ケビンに比べたらケリーはスリムなんですけど、
だけどそのとある筋肉の部分とかがちょこちょここの人はっていう、
デビットだったら背筋とかがすごく良かったりとか、
なんかそういうそれぞれの見せ場みたいなのも体つきでみんなあって、
なんかその個性の違いとかもあったからこそ、
マイクが出た時に彼はやらせないでくれってすごく。
いや本当に。
マイクやらせないでくれって思った。
絶対違う、絶対何か起こるっていう体で来るじゃないですか。
で案の定大変なことになってしまうっていう。
1:00:01
そうですね。
あと兄弟が川の向こうで会うシーンどうですか?
いやーちょっとある意味ベタっちゃベタ?
なんかなって思いつつも、
でも僕はあそこでおいおい結構泣いちゃいました。
泣きました。
いやあれは、
なんかせめてそうやって欲しいもんみたいな気持ちで買っちゃってるっていうか自分の中で。
兄弟の仲はすごくいいっていうのはずっと描かれてきてたと思うんですけど、
それは向こうにいても変わらないっていうことでももちろんあるし、
でもすごく仲のいい兄弟の絆っていうのがこの世界では保てなかったっていうか、
それは家族のかからずも呪いとなってしまった部分っていうのに、
みんながそれぞれ破滅の道をたどってしまったっていうことになってしまったっていうだけなんですけど、
せめてやっぱり仲良くあそこで楽しく過ごしててほしいなという気持ちは、
あそこにやっぱ乗っかっているような気がすごくしていて、
ちょっとあれはいいシーンだなと僕はめちゃくちゃ思いましたね。
もちろん実際にあの世に行って彼らに会ってるっていうような描写にも見えるし、
ある種ケビンがそう願っているシーンというか、
ケビンがそうで会ってくれと祈っているシーンのようにも見えるというか、
もちろんどちらでもいいし、どちらも多分ある種両方成り立ち得る解釈だなって思って見てたんですけど、
やっぱりあそこはもう楽にせざるを得なかったというか、
もうケビンと同じように祈りながら見てしまう自分がいました。
そうですね。それはケビンもいつかそこに行けるっていう思いもあるわけですもんね。
幼い長男がいるのいいじゃないですか。
そうですね。
ただね、あそこ一個すっげえ引っかかったとこがあって、
実際には兄弟ってもう一人いるんですよね。
そうなんですよ。おっしゃる通りで。
そうですね。あまりにも辛すぎるんでカットしたっていう話ですよね。
話をシンプルにするのにそれって英談なのかもしれないんですけど、
仮にも実際の人たちをモデルにしている話で、
兄弟の一人カットするってありなの?って思ったし、
映画側の都合で兄弟をカットできるんだったら、
あの兄弟がもう一度出会うシーン、わりとしらけるなって気持ちがあって。
それはまあわかると思います。
確かに言われてそうです。
1:03:00
それやっていいんだみたいな。
もうそれ言われたらグーの音も出ねえって感じで。
僕、本当はもう一人兄弟がいてってカットしてるっていう話を見終わった後にそれを知ったのがありまして。
わかります。
確かに見る前に知ってたら、
でもここでカットされたやつのことも浮かばれねえなみたいな気持ちにはなりますよね。
それはあるよなと思います。どうしても。
それは本当におっしゃる通りだと思います。
それできるんだったらもう、始めっからフィクションでいいのでは?って思っちゃうというか。
そう、だからホーエルリック系にする必要あったかってところですよね。
まあね。
もちろんあくまでモデルとしてその題材にするのはいいけど、
お名前まで完全にそれに名乗られてるわけじゃないですか。
までやるんだったら徹底的に最後までいこうよっていう気持ちも確かにわかる。
そうですね、まあ確かにね。
実話に基づくとはね、まあ確かに最初に出てなかったからな。
インスパイアされましたよって書いてましたけど。
とはいえね。
ただ、物語として見てたときに兄弟3人亡くなってるわけじゃないですか。
はい。
4人目になるとちょっと天文で感じ始めちゃいそうやなと思って。
実際の人が亡くなるってなったらどんな形でも深刻なものだけど、
映画で1時間ぐらいの間に4人ぐらい一気に亡くなるってなると、
え、なんかちょっともう逆にしらけるみたいになりかねない気もちょっとするというか。
3人に収めたっていうのは判断としてはわかるっちゃわかるんですけど、
まあにしてもね、ちょっと実際の人物をモデルにしてる上での経緯とは
っていう気持ちにはなっちゃうところがあるかなと思いました。
あと何でしょうね。
ちょっと巨人の星の話したいんですけど。
はい、待ってました。
巨人の星は最後破滅まで行くんですよね。
ほう。
で、まず巨人の星は父親に対しても、あるいは野球っていう競技に対しても愛憎が入り混じってるんですよ。
愛してるけど憎んでるっていうのが常に入り混じってて、
それに対して自分を直的な挑戦を挑み続けるって話になってて、
最後はこの乗りかかった巨人の星を目指すという呪いに、
もう毒を喰らわばさらうまでと言わんばかりに破滅するまで突っ込んでいくんですよね。
で、アイアンクローは兄弟が破滅していく中で、
ケビンは破滅する手前でその呪いを手放すことができたように見える話になってたかなと思って、
1:06:04
で、実際にいる人物をモテルにした話としてそれはすごくいいなと思うんですよ。
破滅が答えになってないっていうのは。
ただ僕やっぱりね、フィクションには破滅を求めたい。
僕の代わりに物語には死んでほしいなって思ってて。
分かりますけどね。
僕、ハッピーエンドってあんまりいらないと思ってて。
なかなか極論言いますよね。
極論だな、それは。それはそれで極論すぎる。
いや、楽しんではいるんですけど、
僕が好きなのって基本的に破滅的な映画というか、破滅でもないんだよな。
映画と一緒に人生が終わるんですよ。
僕もちょっとさっきタイトル挙げましたけど、
ブラックスワンとかはまさに映画で人生が終わってもいいやみたいな人の話じゃないですか。
レスラーもそうでしたけど。
確かにそういうの僕も好きなんですけどね。
分かるんですけどね。
だから僕は、実際の人物をモデルにしたらダメなのかなって思いました。
僕は純粋なフィクションを求めるべきだなって自分がね。
実際の人物の破滅を喜ぶのはちょっと無理だなって思ったんで、
なんというか、代わりに死んでくれるよりしろを映画に求めたいなと思うんです。
僕はやっぱり破滅するほど何かに挑む勇気はないけど、
それをする人の物語は摂取したいなっていう思いがあるなって思って。
例えば僕、漫画だったら巨人の星は本当に破滅の美学の作品として僕は究極だと思ってるんですけど、
映画だと僕はバニッシングポイントがめちゃくちゃ好きなんですけど、
これも破滅の話で、あと例えば、ネタバレになるからな。
ネタバレになる。
テルマ&ルイズとかね。
はいはいはい。
アメリカニューシーマーとかやっぱり破滅エンド多くて、それが好きで、
別に不幸になってほしいわけじゃないんですよ。
映画が終わると同時に、その主人公の人生が終わるぐらいそこにぶっ込んだ、
全裂とした人の物語を見たいんだなって思って。
結果それが不幸かどうかわかんないと思うんですよね。
だから僕はやっぱり実在の人物をモデルにした作品を楽しんではいけないんだなって思いました。
もちろん実在の人物の中でそういう人生を歩んだ方もおそらくいらっしゃると思うので、
そういう方をモデルにした話だったら全然見れるのかなって思ったんですけど、
山口さんはある意味理想を映画に求めてるというか、
理想の人生観を映画には貫いてほしいって思ってる一方で、
1:09:01
僕はそこの夢が継いだ先を映画に求めてるんだなって話聞いてると思いました。
なるほどね。
だからその先に死ねないじゃん人生って。
その先どうするのよっていうのを今はすごい映画に対して求めてるなと思って。
それもあります。
死ねないまま人生は続くっていうのの答えを求めてるっていうのもありますね。
僕は結構本作はその視点で見てたというか、
兄弟たちはある種燃え尽きていったわけですけど、
燃え尽きれなかった人が、キビンっていう一人の男が、
じゃあどう生きていくかってことを決断する話として見てたので、
その文脈でああそうだよねってすごい共感というか、
そういう人生の生き方を一個教えてもらったなって気はします。
あと本作の良かった部分かなって思ってるのが、
実話ベースのこういうスポーツ、
特に親が厳しく子供を育ててスポーツの世界で成功する実話ベースの話って、
あんまり美談に寄せられると、これいい話かって思っちゃうことが多くて。
分かります。
ただの虐待だろうって思っちゃうんですよ、実話ベースだと。
なんか思い当たる絵があるなって。
本作は虐待ではないにしろ、
かなり悪質な、悪辣な父子関係を描いてたと思うので、
その寺井の無さはいいなと思って、そこはすんなり飲み込めました。
美談になってないから。
美談にもなってないし、断罪もしてないしっていうところが、
すごい良いバランスだなって思うというか、
やっぱり何かかせられたものに打ち込むとか、
それが呪い的なものであってもみたいなのって、
誰が悪いとかっていう話じゃないところがあったりもするなって思って、
打ち込んでて、飲み込んで、破滅していくまでっていうのって。
それは窓まぎのようにキューベンみたいな絶対役がいたら、
そいつに向かってこの野郎って言えばいいんでしょうけど、
現実そうじゃないなっていうのがあるので、
そういったのはしっかりこの映画では描かれてて、
そういう部分に対して何とも言えない気持ちにもないですもん、
でもそれもまた人間かっていうふうに思えるみたいな。
単純にそのマッチョさの恐ろしさというか、
有害さというか、そういったところだけじゃなくて、
そういった部分にもすごく裾野が広いような映画になってて、
見応えがあるなって思いましたね。
そうですね。断罪してないっていうのは本当に本作の注目すべきポイントだなと思いますね。
じゃあそんな感じでアイアンクローの話は終わっておきましょうか。
1:12:04
次回どうします?
美人たちは気になりますけど、さすがにこういう感じの映画ちょっと多すぎます最近。
確かにな。ファストライバスもやったばっかりだもんね、アイアンクロー。
ファストライバスはわかる。
めっちゃいい映画なんだろうなと思ってめちゃくちゃ期待してるんですけど。
わかります。めちゃくちゃ期待はしてます。
そうですね。
マンティコア。
ちょっと気になってました、それ。
マジカルガールの監督の新作なんですよね。
そうですね。
それも気になってますね。
カルロス・ベルームトさんでしたっけ?スペインの。
そうね。前のスペインからいたらオーメン・ザ・ファーストの話が聞きたかったけどなって。
それいいらしいですよね。まだ見れてないですが。
オープニングで喋らなかったですけどめちゃくちゃ良かったですよ。
本当ですか。
良かった。
評判いいですよね。
何も僕オーメン知らんでいったけどめちゃくちゃ面白かったです。
知らずに見て面白いタイプの。
面白かったです。
確かになでも前田さんいてほしい気もちょっとするなそれは。
オーメン・ザ・ファーストかマンティコア候補にしてちょっと前田さんが参加聞いてみますか。
ありかもしれないです。
もしそれなかったらイノセンスどうですか。
そうですねイノセンスもね。
行きます?
いやそれはちょっと気になりますよ。
ゴーストイン・ザ・シロの話の時にバトーが行き過ぎちゃうって話したら何なのかって僕はずっと気になってますよ。
イノセンス見てないので。
いやもうねイノセンスのバトーめちゃくちゃエモエモおじさんになってますよ本当に。
そうそうそうそう。
イノセンスの方が気になるな。
今上がった新作よりもイノセンスが気になるっていう。
あの時のイノセンスのバトーだって過去を生きてますからね。
なんだよ。
犬飼ったりクラシックカー乗ったりね。
そう。
完全にあれ?僕らの話ですか?僕の話ですか?みたいな。
ちょっとじゃあ密定で置いておきましょうか。
はいはい。分かりました。
じゃあそんな感じで今回もいきましょう。
ではお知らせになります。
映画が出たスキルバー、次回は4月27日土曜日開催予定です。
場所は大阪の南森町週刊回り、18時オープン、23時クローズです。
そして映画が出たスキルバー、次回東京開催は5月25日土曜日の予定です。
場所はイベントバー愛天日暮里、18時オープン、23時クローズです。
東京開催が結構近づいてきましたね本当に。
そうですね。気がついちゃった。
あと4ですね。
あと大阪震災橋で毎月第2、第4回曜日に僕が店長やってるスキルバーちょっと映画の話デモも併せてお願いします。
1:15:01
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体で次回テーマに向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報、番組次回テーマはXにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の足立スキルラジオ第163回アイアンクローの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
01:15:47

コメント

スクロール