今日のテーマは、英雄の証明ですね。
ハラルさん、解説をお願いできますか。
エディカード.comから拝借させていただきます。
別履セールスマンでアカデミー外国語映画賞を2度受賞するなど、世界的に高い評価を受けるイランの名将アスガファルファディが、
手書き2021年の第74回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したHuman Suspense。
SNSやメディアの歪んだ正義と不条理によって人生を根底から揺るがす事態に巻き込まれていく男の姿を描く。
イランのことを知らず、ラヒムは借金の罪で投獄され、服役している。
そんなある日、婚約者が偶然17枚の金貨を拾う。
借金を返済すれば、その日でも出所できるラヒムにとって、それはまさに神からの贈り物のように思えた。
しかし、罪悪感にさえ悩まれたラヒムは金貨を落とし主に返すことを決意する。
そのささやかな善行がメディアに報じられると、大きな反響を呼び、
ラヒムは正直者を囚人という美男とともに祭り上げられていく。
ところが、SNSを介して広まったある噂をきっかけに状況は一転。
罪のない筆音症の幼い息子を巻き込んだ大きな事件へと発展していく。
というようなものになっております。
はい、じゃあここからネタバレ込みで話し入っていこうと思いますので、
もしご覧になってから聞きたいという方がいらっしゃったら是非ご覧になってから、
ここから先はお聞きいただけたらなと思います。
はい、じゃあサーリンの感想を伺っていこうかと思うんですけれども、
ハルさんいかがでした?
一応ハルファディはセールスマンを見ていて、結構色々と人間の苦しいところを描いてて好きなんですけど、
今回も何とも言えなーっていうところが結構色々と考えさせられた話ではあるかなという感じでしょうか。
なるほど。マリオンさんいかがでした?
そうですね。僕アスガワハルファディって初めて今回見たんですけど、
すごくイランの監督でっていうとちょっと身構えてしまうんですけど、
これ全然イランとかに関わらず、今全世界的に起こっている出来事を見事に捉えた映画だなっていう風にやっぱ思っちゃいましたね。
本当に何かある小さな些細な親切が、本当に英雄譚のように祭り上げられ、
ちょっとしたボタンの掛け違いというか、一気に信頼とかがすごく失墜してしまうみたいな流れ。
しかもそれがやっぱり今のSNS時代の集団心理っていうのを見事に捉えてて、すごく面白いなと思いましたね。
しかもSNS自体っていうのが出てこないで、人間模様だけでそれを描いてるっていうのはこれやっぱすごいなというか、
やっぱね、SNSの映画って言ったらそれそのものが出るってことが当然かなっていう風に思ってたんですけど、
本当にそういったものが出ないで、その人間模様だけでそういった今の事象っていうのを日々SNSで感じるような、
なんか嫌だなって思うような空気感みたいなのとかを全部こうひっくるめて映画の中にパッケージして見せるっていうのは本当すごく見事で、
なんかちょっと他の作品のもちゃんと見てみたいなと思いましたね。
僕はですね、僕もファルハリー監督は初めてだったんですけど、まずシンプルに面白いですよね。
シンプルに面白い本当に。
なんか変に誇張しすぎることもなく、淡々としながらも話をうまく組み合わせてめちゃくちゃ面白くなってるなと思って。
単純な面白さがまず驚きだったっていうのと、あとマリオさんもおっしゃられてたとこですけど、
予告とか宣伝から伝わってくるほどSNS映画じゃないなと思ったんですよね。
なんかそこが今話題にするとしたらどうしてもピックアップしやすいとこだとは思うんですけど、
SNSは常に影にしかないっていうところのバランス感覚というか、そこがすごいいいなと思って。
あとまぁ怖いなと思ったのがやっぱりその美談を求める気持ちと終文を求める気持ちって本当表裏一体なんだなと思ったんですよね。
現実よりよりプラ走行に面白みを求めるときに美談を世の中が生み出しちゃう。
逆にマイナス方向に持った話が欲しいときに終文を生み出してしまうっていう構造があるなぁと思って。
むっちゃ怖いなぁと思ったし、全然自分心当たりがあるなぁと思ったんですよ。
この話っていい話だなぁ、誰かに言いたいなぁみたいな、この話許せないよなぁ、誰かに言いたいよなぁみたいなのってむちゃくちゃ心当たりあるなぁと思って。
どっちもやばいなぁと思ったんですよ。
終文の方だけ悪いって言われがちだと思うんですよね。
デマを開けてとか、スキャンダルばっかり注目してて。
でもなんかそういういい話みたいなのって、いい話は広めたいじゃんみたいなのがちょっと肯定されがちだと思うんですけど、全然そんなことないなと思ったんですよ。
プラスだろうが、マイナスだろうが、もったらダメ。
虚飾したらダメっていうのが思いましたね、本当に。
面白かったです、本当。
そんな感じで、じゃあ具体的な話をここからしていこうかと思うんですけれども。
以前シェアしたとき、冒頭のコーナーで話したんやけど、映画オーナーから詳しく説明されてたイランの法律をちゃんと説明しておきたいなと思ってて。
はい、お願いします。
一つは借金の保証人制度というもので、イランでは多額のお金を借りるときには保証人が必要になります。
もし債務者、借金した人が返済できなくなった場合は、保証人が代わりに返済を行う。
最終的には、債務者、借金した人が借入金の全額と保証人が負担した利息を返済しなければならないけども、
もし債務者、借金した人が返済しない場合、保証人は債務者を法廷で訴えることができて、その結果懲役刑が課せられた場合は、債務者は刑務所に行かなければならない。
というわけで、冒頭、主人公ラヒムは収監されていた。
もう一つの制度が刑務所の休暇システムというのがあって、今回主人公ラヒムは刑犯罪で収監されることになった。
刑犯罪の囚人は、休暇を取得して刑務所の外に出ることができる。
休暇をある程度貯めてまとめて使うこともできて、家族の祝いごとや身内に病気や不幸があった時には利用したり、年末年始とかの時に取得して家族との時間を過ごしているというのがイランでは普通に多くある。
今回、主人公はそういった状況の中で出所して返済する手立てでいろいろ始まっていくわけです。
なるほどね。なんとなくはそんな感じなんかなーみたいな想像はつくぐらいの感じには描かれてた気はしますね。
外国の人が見ても多分こうかなーぐらいにはある程度。
ちょっとした仮出所システム的なものやろうなという感じなのはなんとなくは分かりましたね。
仮出所というのは休暇って思われますね。結構それは独特だよね。知らないとちょっと面食らっちゃうかもね。
そうですね。休暇って扱えたのは確かにそうですよね。独特ですよね。
ある意味ね、刑務所の中で労働してるわけやから休暇かーっていうね。
だから有給休暇的な。多分給料ないんでしょうけど。的な感じなんですね。無給休暇的なことになるんですかね。
結構面白いなーと思ったのが、背景で起こっていることをあんまり説明しないですよね。
多分そういうことかなーみたいなのが常に見終わされるけど説明されるほどまでは行かないみたいなこと多かったと思うんですよね。
主人公の元妻との関係性のこととか、あと刑務所内での自殺者の話とか、その辺りがどうかってあんまり話にならないじゃないですか。
存在は見終わされるけど、そこのバランスすげーいいなーとは思って。
あくまで今この起きている、休暇中の囚人が金貨をお年主と呼ばれる人に渡したっていうことにまつわる範囲で話が進んでいく。
その後ろにいろいろあるよねって。人生だからっていう。そこを掘り下げないけど、みんないろいろあるし世の中、性格合わせもっていろいろ動いちゃってるんですよねっていうのをそのまま説明せずに進めていくっていうのがいいなーと思って。
あれでね、その刑務所の自殺の件とか掘り下げてたら、この刑務所の奴ら悪だなーみたいな感じになってたと思うんですけどね。
隠蔽しやがってーみたいな感じになってたと思うんですけど、あくまで自殺者が出ちゃったぐらいの感じ?
自殺者が出る時点で大問題なんですけど、虐待があったとかでは多分ないのかなっていう。
そこまでそれを揉み消したい。風化させたいっていうのが刑務所側の思惑としてどうやらあると。
そのせいでその主人公の美談を盛りたがるし、主人公が逆にマイナス方向になったら揉み消したがるんですよね。
あとチャリティ団体の人たちも、まあ志自体が基本いいことだと思うんですけど、やっぱり自分たちの実績を作りたいし、
逆に自分たちがやってることが信頼性の低いってことになると、団体の存続自体が怪しくなるかっていうことで、
やっぱりその美談は盛るし、主文は揉み消そうとするんですよね。
言いたいことわかるけど行きどおり溜まっていくよねっていうのが。
ほんのちょっとボタンが掛け違いみたいなのが起きちゃったがゆえに、どんどん全部の思惑とか目論みがドミノ倒しのように倒れていっちゃうみたいな感じ。
しかもまた広がり方がじわりじわりと広がっていく感じの描き方が上手いし。
金庫を拾った人は婚約者で、守りたいがために、みたいなね。
一応美談というか、やったこととしてはかなり正しいことというかしたっていですけど、
前後の順序を入れ替えてしまったがゆえに、いろいろな問題が起きてしまうみたいなのが、まあややこしいというか。
で、他のいろいろ刑務所内で自殺が起こったとか、そういった事件とかも、あくまで主人公が見聞きしたぐらいの感じの情報なんだと思うんですよね。
それが後々本当に痛いぐらいのブロードとして効いてくるみたいな。
もうなんでそんなことあったん?っていうふうになっていくっていうのが上手いというか、本当にいやらしい映画と言いますか、本当に。
冷静に考えると、主人公はそこを背負わないといけないんだけど、背負わざるを得なくなって。
他人の思惑に乗っかっていきますからね、主人公を見るから。
彼もやっぱりそこに乗っていってしまう。乗ったらいいことがあると思うし、確かにそう僕も思うと思うし。
やるでしょ、だって。その情報は言わない方がいいよねって。ちょっと言い回し変えよっかみたいなのって。
そうっすねって。僕もそう思いますってなりますもんね。
そうそうそう。これ細かく説明しちゃうとややこしいなっていう時は、ちょっとあえて端折るというか、オミットするみたいなことするし。
まあまあ、仕事できる奴はそこを上手いことかわしていくやんか。
そうなんですよ。あれ普通に諸星術なんですよ。あれって。
そうそうそう。
そうですよね。
恋人も。
恋人は初めからできたら金貨使って、釈放されてっていう思いはあったけど、
あなたがそっちを選ぶんだったらそれについていきますけど、みたいな感じやったけど、どんどん加担していくし、
何やったら最後まで主人公に寄り添ってるの恋人ぐらいだったんですよね。
そうやね。
あのあたりね、ある程度いいこと、きれいごとって言うとちょっと言葉皮肉じみちゃいますけど、
こうした方が正しいことだよねって、そうすべきだよねって言ってる人も事情に絡めとられていった後だと、
どうしてもそっちに寄っていっちゃうんだなって見てて思ったんですよ、特にお姉さんの立ち振る舞いがね。
確かにそうですね。
あとたぶんお姉さん、そこ自覚大と思うんですよね。
この時にはこうすべきっていう、すごい直接的な視野で見てると思うんで、
金貨は届けないといけないよねっていうのと、お父主の不利して証言してもらうっていう、
嘘をつくっていうこと、たぶんそこに矛盾がある、嘘があるっていう、
たぶん自覚なしにやってるんじゃないかなと思って。
そうやった方がいいからやってるだけっていう。
その時の最善はそれでしょっていう感じのやり方っていうんですかね。
そうやればしちゃうよっていう。
あとそれがね、燃え上がっていっちゃうっていうのがね、この話の怖さというか。
結局なんかそういう集団心理的な部分が怖いよね、人間のっていう風に見てて落ち着くんですよね、そういう風に。
本当SNSが前面に出てこないっていうのは本当いいなって思うんですよね。
だからこれは別にSNSだからこうなったとかではなくっていうことですよね。
だからそもそも人間とは良い方にも悪い方にも話を持って、自分の信じたいことを信じて、
勝手に裏切られたと感じると、そういう生き物ですよっていうことを言いたいから、
あそこでそのSNSが前面に出ちゃうと、SNSがあるからこそこうなりましたみたいな話に見えかねないと思うんですよね。
でもそうじゃなくて、もう人の差がみたいなものとして、
その美談も修文ももう感情で消費するために求めてるだけなんですみたいな。
人そのものを描いてるからこそSNSに焦点が当たってないなと思いましたね。
本当にどんどん物事が単純化されていくのが本当に怖いというか見てて。
この時の実はこういうことがあってみたいなのがやっぱりすっぽり抜け落ちて、
結果だけみんな見て、だからこいつダメなんだとか、こいつは悪だとか、
こいつは英雄だみたいな風になっていくみたいなのは、
自分すごく身に覚えあるというか、自分もそういうことやってるだろうし。
そういう事象をSNSとかで目撃して、
ああなんて人間は愚かなんだって思うみたいなことって本当にたくさんあるから、
本当にやっぱり見ててすごく身に覚えがありすぎて、結構ヘビーでしたよね。
いろんなところ絶妙なんですよね。
テレビ出た時も、何でしたっけ、妻の義理の兄に当たるんですかね。
そもそも借金してる相手って。
義理の兄?父?義理の父でしたっけ?
家族関係あんまり見打ちだろうなぐらいな感じ。
金の貸主である別れた妻の兄バーラムと。
お兄さん。
別れた妻の兄と。
テレビで出た時に、借金の貸主が偏狂だから僕は刑務所に入っちゃいましたみたいな言い方するじゃないですか。
その言い方したら、あえて悪に貶めてない、大丈夫って思ったら、ちゃんと後で出てくるんですよね。
名誉を傷つけた、兄の名誉を傷つけただろうみたいな。
父の名誉を傷つけたか、だろうみたいな。
いや、そりゃそうだよって。
そもそもあの人、間違ったこと一回も言ってないですからね。
お金が返済滞ってるからダメでしょ?入れられちゃった。
だから入れましたよって形だし。
また娘さんの怒りもごもっともというか、父親の名誉を傷つけられたっていうのもだし。
たぶんお金って娘さんに関わるお金でしたよね、確かね。
娘さんの結婚する時に使うようなためてたお金とかでしたよね。
自分に使うはずだったお金がなくなってしまったら、それは怒るし、ごもっともですよっていう。
復讐したいですよね、そりゃ。
動画上げたくなりますよね。
あの映画の中で一番怒ってたのは、あの人じゃないぐらいの勢いで怒ってたと思いますよ。
見てて怖いなと思ったのは、やっぱり刑務所の人たちが、美男が生まれた時にはむちゃくちゃ親切なんですよね。
むっちゃ親切や良い人たちやんと思ったら、スキャンダルに事情が転じていった後、むちゃくちゃ冷たいから怖いと思って。
やっぱりこの人たち自分たちの都合で動いてるんやなっていうのは。
まあそれはチャリティ団体の人たちもそうなんですよね。
自分たちの団体をいかに維持するかっていうのが判断基準になってるから、
自分たちの関わってる相手が善となるのであればそれをアピールするし、
悪として捉えられるようなものに見えかねないのだとしたら、切り捨てたいってなるっていう判断だった方だと思うし、
それってまあこの話で言うと、例えばその家ですよね。組織っていう意味で言うと。
家としてその恥を受け入れれるのかみたいな話にもなってくると思うんですよ。
結局まあ恥の話じゃないですか。この恥がマイナスに働くからこのスキャンダルを揉み消したいし、
この恥をすすぐためだったらその美男を持って持って持ってでも名誉挽回したい、お名返上したいってなる。
それはもう刑務所もチャリティ団体もそれぞれの家庭っていうのも同じかなってちょっと思って。
やっぱどこの家もすごいね家父調整が強いんですよね。
イランだから当たり前なんですけど。
主人公が名乗る時も何々の息子でみたいなね。
誰それの息子であるっていうことがすごい存在証明として働くし、
何かを証言する時に誰それに誓ってっていうので家族の名前を出すとかっていうので。
そうですね。多かったですね。そういう場面。
だから他人の名誉に自分自身が紐づいてるって意識がむちゃくちゃあるんだなと思うんですよね。
基本的にはそれは家族であり恋人だったらその相手に紐づいてるとって将来的には家族になるからって意味は含んでると思うんですけど、
やっぱりそのそういう自分が所属している団体の名誉みたいな意識がすごくあるのかなと思いましたし。
あと恋人の家に挨拶行く時ですよね。
まず食べ物をお土産に持って行った後、
家の長、今回だとお兄さん、恋人のお兄さんのうかがいを立ててから家にも入らないんですよね。
お兄さんが外に出てきて外で挨拶するみたいな。
やっぱり家の中にいるって意味として特別すぎるからやっぱり外に行くみたいな感じなのかなって僕は見てて。
やっぱそのイラン社会そのものの過剰性の強さもあってやっぱりそういう団体、組織の名誉っていうのを重んじるっていう感じはありましたけど、
まあそこは日本も一緒ですからね。そこは。恥の文化なのは。
そうですね。でまたなんかその集団のお目を注がなきゃいけないみたいな時に、
なんかもうその集団が持てるものすべてをさらけ出さなきゃいけないみたいなことになるじゃないですか。
例えばですけどあの最後の方であの喫煙症の少年にビデオを撮らせるみたいなところ。
なんかああいう場面見ると本当なんか辛いというか、別にその集団の恥を注ぐためとかにも関わらずですけど、
ありとあらゆるものがエンタメ化していく流れに、もう諸に直結してるなと思ってあの場面見ながら。
もうなんかリアリティーショーが流行ってるのとかももうなんかそういう流れの一個だと思うし、
なんかもうそうやっていかないといけないみたいな流れがもうすでに結構見てて辛いですよねっていうのはやっぱり見ながら思いました。
息子さんね、出てきついですよね。
全員がその息子さんの喫煙がこの話のキーだっていうのはわかっていくじゃないですか。
息子の喫煙をいかにうまく使って状況を肯定させるかっていうことを考え出すから全員が。
ああ、やだ。
もうそういうことしか考えないのみんなみたいな。
まあしょうがないというか、まあそういうもんだと言われればそうなんですけど、
できればそういうのから離れたいですっていう気持ちになりますよ。
そりゃやっぱ主人公も動画消せよっていうのもおもっとるんですよ。
そこはね、本当に最終的に主人公が自分は何を成すべきかっていうのをようやく見つけたところだなと思ったんですよね。
でも俺がすべきことは息子を守ることだわっていうので、
あれをしていれば、もしかしたら刑務所に入る期間が厳禁されたりするかもしれなかったと思うんですよね。
あの動画を出してたら。
でもやっぱり息子を晒し者にするよりは、
いったんこういう状況になってしまった自分の状態っていうのを受け入れようというのを決意するっていうのは、
やっぱあそこはすごくいいシーンだなぁとは思いましたね。
その決意するタイミングで、
明が刑務所ってしんどいみたいなこと聞いてくるのがまたね、
葛藤が。
すごいですよね、あそこであんなこと聞いてくるの。
わかんねぇ。
でもその頭丸刈りにしたところもすごい爽やかでしたよね。
その髭も、口髭だけ残して顎髭棒棒になってたのを剃って髪もカッて、
すごい爽やかで月物が落ちたような顔してたし、
ずっともう深刻な顔してるじゃないですか、作中ずっと。
これどうしようみたいな顔をしてたけど、
あそこでやっぱもう俺はもうとりあえず現状を最優先すべきことが何かっていうことがわかったら、
自分はもうこれ受け入れようとっていうのが見えて、
すごい爽やかでいいシーンでしたね、最後のところが。
ラストカットの刑務所に入っていく側と刑務所に出ていく側のドアが開きっぱなしのカットめっちゃいいですよね、あそこ。
いやもう、あそこね、ほんと良かったですよね。
単純にこの脚本が面白いっていう話は結構、話が面白いみたいな話しましたけど、
やっぱそういうショット、映画的な構図もめちゃくちゃバキバキに決まってる映画だったなっていうのはほんとやっぱ思いますよ。
映画見てるわーってなりました、あそこ。
単純にもう話が面白すぎて、話の方が結構熱中してたけど、
ちゃんと見てたら、あ、ここのショットめちゃくちゃ意味あるんじゃんみたいなのとか、
もっと多分気づけるところが多分あったんだろうなっていうのはちょっと思って、
ちょっとね、もう1回見たらなんかそういう部分でもうちょっと冷静になってみて、
あ、これこういう意味かもとかって見れたのかなっていうのはちょっと思いましたね。
いや、そうなんですよ。むっちゃ面白いんですよ。
むっちゃ面白いんですよね、ほんとに。
なんかね、その、いやここがこうですごいんだよみたいなのじゃなくて、
面白えって思いながら見てたから、
そこがすごかったですね。
あの、初ファルハリー監督でしたけど。
そう、なんかどうしてもなんか見る前のイメージとしては、
あ、なんか重たいんだろうなーみたいなイメージがあって、
結構敬遠してたんですよ、どっちかって。
まああの、でもやっぱね、名称やし、アカデミー賞とかもね、
でも罪悪感が働いて、いやもう持ち主に届けたいって、
宗教的な側面、宗教的な善の観念がすごい絡んでることじゃないですか。
だからやっぱり神様がいるからその善をなされたっていうふうにみんなが解釈したい話じゃないですか。
そういうことですよね。
神様がいるからこの人はこの善を成し遂げたんです。
みんなも神の力を信じましょうっていうふうに活かされていく話ですよね。
だからテレビメディアはそこを持ち上げたよね。
そうですね。だからこの話があっという間にテレビ局まで話が上っていっていくのむちゃくちゃテンポ早いなって見ててね。
やっぱりそこがあるんでしょうね。
神の御業であるということをアピールしたい。
みんなそれ見たいから、やっぱ神すげえ、やっぱアラーはすげえよって思いたいからこの話を盛るし、
その当人がこの話の中に偽りが含んでたとしたら、アラーの御業に何してくれとんねんと許せん!ってなる。
亀が拾わせたまわしこの金貨みたいな感じだよな。
そうですね。確かにこれ日本で同じようなことがあってもツイッターでバズるとかぐらいじゃないですか。
バズったねツイッターでみたいな感じになるぐらいですけど、
確かにテレビにまで取り上げられるみたいになるとね。
やっぱ単に過剰な期待をするのって良くないなと改めて思いました。
そうあって欲しいっていう思いが乗っかっちゃうっていうのがすごいあるなと思うんですよね。
現実と期待の差分が大きすぎるほどおかしくなっちゃう。
そうですね。
今回で言うとやっぱり大衆が神の御業が降りてくるのを待ち望んでるからさ、その話ってものすごい勢いでバズっていくっていうのがあると思うんですけど、
全然国民性とか国柄とかで同じようなことって全然あり得るとは思うんですよね。
日本だったらなんだろうな。
ちょっとこれぞっていうのはパッとは出ないですけど、やっぱりその日本人の国民性が望んでる美談、
あるいはその日本人が望んでいる物語を裏切る存在が現れた時の修文っていうものを求めてるっていうところはものすごいあると思うんですよね。
この話、もっと盛りたい、もっと盛って、俺が言ったことにしたいみたいなことで、
自分が100の情報を聞いたのに自分なりのエッセンスを加えて101にして10人に広めるみたいなのがいつの間にか200になり1000になりみたいなのって起こりうると思うんですよ。
いろいろ思い当たる節があるすぎてなんかはーって気が。
そこに自分を開在させたいって思いがあるからこそだと思うんですよね。
思います。
もう一体これは何についてこれはみんな盛り上がって話してるんだろうかみたいな。
なんかどんどん本質からずれていっちゃってとかってなってるのを見ると本当にもうなんかこれ前の時にも話した気がするけどそういうの本当見ててなんかもう本当何て言うんですかね。
何もないじゃないかそこにはみたいな風になるし。
人間はそもそも本質に興味ないっていうことをあらわにしてしまってるツールだと思うんですよね。
それ怖いよなぁ。それ考えると。
むちゃくちゃ怖いですよ本当に。
怖いしあの本当ツイッターで議論とか絶対できないなって思うんですけど本当に。
本当なんかツイッターで何か喜ばれるというかの何というか威勢を張れるのって論点ずらしの人だけなんですよねっていう。
本当にあのツイッターってもはやもう観戦道路だと思うんですよね。
万人が通る道路。ちょっとその所々に路地はありますけどほぼ観戦道路だと思うんですけど。
観戦道路にみんなが便所の落書きみたいなことを書いていくんですよ。
ここ目抜き通りですけどそれでいいんですかそんな。
公女両族に反してますよねみたいなことをみんな書いてるんですよね。
なんだったらそのツイッターの機能としてその公女両族に反することを一番でっかい看板に表示したりするんですよね。
お前さあみたいにいくらなんでもさあみたいなことを思うことはよくありますね。
なんかこうやってやっぱSNSの話になっちゃうんですけど。
なんか本当にこの話にSNSが表だって出てなくてよかったなと思います。
SNSの話みたいになって。
なんだったらそのよくあるダメなSNS映画みたいになりかねない。
やっぱ本当なんかSNSを描いた映画みたいなのよりもちゃんとSNSの話がちゃんとできる映画だなっていう風にやっぱ思いますよね。
ちゃんとみんなが自分なりの思惑で状況を加味しながら最善の行動をしようとしても何かがどんどん食い違って良くない結果が生まれてしまうっていうとこまで描けてようやくちゃんとそういうことを描けたってことだと思うんですけど。
その後もSNSやれてるやつが承認欲求がパンパンでさあみたいな。
もうお前100億回言われとるわそんなことみたいなことを映画によると。
もうそんなことは分かった前提でみんなやってるんだよっていう。
もうそんなこと言ってなんか言った気になってるのは本当ダサいぞっていう。
まあね何の映画かとも思いませんけどあえて。
いろいろありますけどね。
本当に抑制効いてるし本質的なことをついてる映画だと思うんですよね。
どうも何より面白いっていうね。これがたまんないですよね。
あとちょっとこれ触れてなかったんですけどこの映画でもう一個いいなと思うところが結局金貨の落とし物を持って行った人が本当なのかどうかも描かないっていうのがいいですよね。
ああそうですね。
あれ怪しいよね。
怪しいですけど結局判断材料がないんですよね。
そうですね本当に悪意があったのか善意なのかも分からないっていう。
なんか勝手に名乗り出た人っぽいぞっていう。
でもそこに対する判断材料って我々持ってないし
それってその劇中の他の人たちから見た主人公の立場でもあると思うんですよね。
こいつどう考えても怪しいぞって本当って言ってるけどさみたいなのって
主人公そのまま金貨取りに来た女の人と主人公ってほぼ一緒だと思います。
だから劇中の人たちにとっての主人公が我々にとっての金貨持って行った女の人だと思うんですよ。
あの人に対しての真実を判断しようがないっていう。
真実は本当その人しか分からないけど赤の谷にはそれをやれ真実だ嘘だと言って盛り上がってるだけっていう。
まあよくあることですけど。僕もやってるだろうしそれは。
あそこもやっちゃうとどうしようもないっていう。またそこに気取りがあると。
本当にねなんかその見た後本当にいろいろと思うとこがあって
全然自分が過端してるものの話なんですよね。
そうですね。
例えばですけどこの映画自体がその盗作騒動があったわけじゃないですか。
で初めニュース出たとき英雄の証明盗作みたいな形で
まさかファルワディ何やってんねんみたいなのは思ったとこはあったんですよ。
でもよくよく状況を見てみるとどうもそうでもなさそうっていうのはある。
おそらく実際にそういう事実があってそれにインスピレーションを受けていると。
そこで同じ実際の事柄をモチーフにした映画が別であったとして
それが盗作なのかっていったときに多分盗作じゃないっていう風に
判断はされるかなっていうところではありますけど
初め聞いたときはファルワディ何やってんねんみたいなのが
先端してるわけじゃないですか。それでツイートとかしたわけですよ。
ファルワディがっかりしたみたいなことをツイートしかねないなと我ながらね。
だから映画と同じことが起きてるやん。
そうなんですよ。これそのものなんですよ。
そうですよ。
自分のツイートとしてファルファディもそんななんか結構残念やなっていうのはツイートしませんでしたけど
ニュースのことはリツイートしてたりするので全然僕も加担してるわって思うし。
あくまでこういうような美談はいらんではよくあって
それについてオシオがドキュメンタリーで撮ってみましたよっていうところからの運命やから。
そうですね。あと結構僕このラジオの中でもね喋ってることで心当たりあって
例えばそのブルーバイユーの話したときに結構その
韓国からアメリカに用心に取られた人たちで国籍がなくて
韓国に送還される人たちの当事者からその映画に対して
クレームというか問題の告発があったみたいなのがあったんですけど
僕も一応このラジオで喋れるんだってある程度調べてから喋ったんですけど
100%確信を持って喋れるほど調べた方言われると分かんないなと思ったんですよね。
一応これちょっと調べてから喋った方がいいなってことは
ちょっと調べてから収録を始めてるんですけど
ちゃんとした確証を持てるほどの労力は避けてないなと思って
あと神戸から小島行きのフェリーの件とかも
一応調べたけど調べ足りてなかった。見つけられなかったんですよ。
よくよく調べたら小島にフェリー出てるわっていうのがあって
この分かってるつもり、調べたつもりっていうのが一番危険
自分はこの状況を分かってるから発言する資格があるとか
自分の発言には妥当性があるみたいなものを
生ハンカーに判断して言っちゃうみたいなのは
むちゃくちゃ当事者です。本当に我ながら。
どこまで一時情報にたどり着けてエビデンスとなるかだからね
その能力というのはなかなか難しくて
できる限りそういう間違ったことは僕も言いたくないので
やっぱりそういう情報を見ますけど、見ようとしますけど、努力はしますけど
やっぱり終えてないこととか、理解したつもりぐらいの手で
喋ってるりすることは結構多いので
そういう言葉ってやっぱり自分の身になってない言葉というか
分かってない言葉やなっていうふうにやっぱりなるし
僕もね、トルコの人間間違えて言ってたとかあるし
本当にはいっていう感じなんですけどね
一応収録上で結構これ事実関係曖昧やなっていうのを
切ったりはしてるんですよね、僕
9割僕の発言なんですけど
これ曖昧なこと言っていくなっていうのは切ってたりするんですよ
それは言う限りは人に伝えなければ
基本的にはある程度はいいかなとは思ってて
やっぱり判断がつく限りはそういう情報は切りたいなと思うんですけど
じゃあその事実を100%確認しながら
一個ネイルのこと喋れるかと言われるとそうでもなかったりはしちゃうので
そこはもう本当に良識が問われているなと
そうですね
これはどこまで事実として言っていいのか
あるいはもうあくまで主観なのかみたいなのを
どう使い分けて発言の中に入れていけるかっていうのは