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始まりました映画の話したすぎるラジオ第186回になります。この番組は大阪で映画トークバイベント映画の話したすぎるBARを開催している店長メンバーラビオル映画トーク番組です。私映画の話したすぎるBAR店長の山口です。
マリオンです。
大石です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
はい、じゃあ近況の話から入っていこうかと思います。マリオンさんいかがされていました?
そうですね。今週はお題の映画以外を新作とかは見てないんですけど、最近極悪女王を見始めました。
きっかけがよく番組にお便りくれるM原さんがめっちゃ激推ししてきてたっていうので、そりゃあ気になってたし見てみるかというふうに見てみたら、まだ2話なんですけどめっちゃ面白いですね。
というか、1話で時系列の最後の方をちょっと見せてから物語が始まるんですよね。なぜ我々がこうなったのかを見せて、時間を戻ってそこから進行を始めるみたいな感じになってるんですけど、その時点でこのただならぬ関係性がどうやって上層されていくのかがめちゃくちゃ気になってしまうみたいな感じになってて。
でも本当に女子プロレスラーっていう茨の道をなんとか乗し上がろうと努力し合うみたいな彼女たちの絆みたいなのも全然垣間見えるし、本当に2話のタイミングとかでもすごい後々、主人公のダンプ松本さんと私立なバトルみたいなのを繰り広げることになるクラッシュギャルズの2人みたいなのが結成、誕生秘話みたいなところが描かれてくるんですけど、
そういった感じで、1個1個の関係性が濃密で濃いみたいな世界で、これは確かに当時日記をするのもわかるなというのがすごい。僕は実際にあったものをさらにドラマにしたものを見て感じとってはいますけど、実際にリンクの目の前でそういったことが繰り広げられるみたいなの、それは見たら釘付けになっちゃうよなっていうのはすごく感じられましたね。
2話までの感想なので踏み切ったことはなんとも言えないというか、結末どうなるかわかりませんけど、でもすんごい2話までの十分面白いドラマだなというふうに思いながら見てました。
僕も今原さんから直接激推しされてて、どう考えても僕好きなんですよ。
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分かります。そうなんだろうなっていうのはすごい感じられますし、僕も特に有利文脈的な意味でもちょっと良いのではみたいなというか、もう強い関係性しかないじゃないですかみたいなところに見てる側としてはすごい感情が盛り上がっていくみたいなのが感じられますよね。
そうなんですよね。しばしばよく言われることで、プロレスは有利であるっていうのはよく言われることとしてあるんですけど、要は関係性のものなんですよね、プロレスって。それをリングの上で表現するっていうのがやっぱり煮詰まってていいなっていうのは。
そうですよね。もう絆が濃い、濃い、濃いみたいな。それがやっぱり見るものを心ぐっと掴んでくるというか。これからどうなるのかなっていうのも含めて気になっているので、これからも僕は見続けていきたいなというふうに思っております。
僕も追いつきます。マリオンさんと合格状の話したいんで追いつきます。
是非2人とも見て、リングの上でっていう感じで話したいですね。
エムアハラさんが乱入してきますけどね。
おいどないなっとんねんって言ってね、チェーンとか持っていってきますよね。やばいやばいやばいみたいな。
今年あれですね、プロレスを扱った映画というか作品でいいの多いですね。
確かに、アイアンクローとかありましたしね。
フィクションとはどういうものかとか、あるいはエンターテインメントとは何かみたいなのを掘り下げていくのに、プロレスってものすごい良い題材なんですよね。
これちょっとまだ言語化しきってないんで、合格状を見てからもうちょっと整理しようと思ってるんですけど、
フィクションとはエンターテインメントとはみたいなね、その辺りをプロレスの中に見出していきたいなと思ってて、
そういうのももし話せる機会があったら話したいなと思ってるんですけど。
今週はこんな感じです。
おいさんいかがされてました?
今週僕もですね、新作をちょっと劇場で見れてないんですよ。
どうしようかなと思ったんですけど、ちょうど今週末から関西で、10月25日から関西で公開の作品をちょっと試写で見させてもらって、
ちょっと感想とかも書いたりしてるので、ちょっとこれ触れられたらなと思ったんですけど、
Human Positionっていう映画なんですが、主人公はアスタっていう名前の女性なんですけど、
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舞台がノルウェーだったかな。舞台がノルウェーですね。
ノルウェーのある港町なんですよ。フィールドに囲まれてるような。
この映画、配給の宣伝でも優しさに満ちたスローシネマっていうふうに書かれてるんですけど、
すごく距離感の優しい映画だなという感じがしていて、
主人公が何らかの原因でお仕事を休んでるんですね。
その休んでるところから復帰しようとする話なんですよ。
ある意味、心とかあるいは体、何か傷を負った人っていうのが回復していくまでの話というか、
回復し始める話って言ったほうが正確な気がするんですけど、
そういったような映画で、基本もうずっとカメラはフィックスですし、
被写体は全然近づかないというか、すごい遠くから撮るんですよね。
その距離感がめちゃくちゃ優しいなと思って、
自分が疲れてたりとか孤独な時ってあんまり近寄ってほしくないというか、
近寄ったら逆に人傷つけちゃうというか、そういう感覚ってあるなと思うんですよ。
この映画ってカメラもそうだし、登場人物もそうなんですけど、
みんなある一定の距離を置いてるんですよね。
主人公に親しい人もそうでない人も。
それがすごくその距離を保って、ただただ回復を待ってくれてるっていう状態。
焦らずというか、頑張れっていう形でもなく、
ただただそこの状態で自由にその人のあるがままに回復していく姿を受け入れていくっていう姿が、
めちゃくちゃちょっと自分の中ではエモーショナルに響いてきていて、
すごいいいなっていう気がするんですよね。
あともう一個劇場もすごい優しくて、音の演出なんですけど、
生活音とか自然音とか街の音とかも基本劇場ほぼ音楽流れないというか、
ほんと淡々と街の音が流れてくるんですけど、
それも傷ついた人というかケアを必要としてる人にとってすごい優しい作りになってるなという感じもするし、
あと普通に生きてる僕らであっても、日常の中の音ってなかなか気づけないんじゃないですか。
普段イヤホンをしていたりとか、あるいは何か音楽が街の中で流れてたりとか、
そっちの方に気を取られてしまっていて、
あんまり街のただの音というか自然の音とか生活の音とかってあんま聞こえないなって思うんですけど、
そういうのも徐々に自分の感覚みたいなのがどんどんカビになっていく感覚というか、
研ぎ澄まされていく感覚みたいなものがすごくあって、
そのタイトルの通りヒューマンポジション、自分の居場所、人間の居場所っていう意味合いですけど、
その居場所ってどこだっけっていう自分の座標軸を正しく戻す映画だなっていうのをすごい感じて、
結構自分の中で好きな、今年公開された中でも好きな作品だなというふうに思ったので、
今回紹介させてもらおうかなと思いました。
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予告とかは見てて、だいぶエンタメじゃない、いわゆるソフトストーリーなんだろうなとは思ってたんですけど、
結構それが極まってそうだなっていう、そういうソフトな中でも一応ストーリーがあるみたいなのも結構気迫なのかなっていうふうには聞いてる限り、
感じたんですけど、気迫って言うと言葉あれですけど、そこが重要じゃないというか、環境とかに預けてる映画なのかなっていうふうには聞いてる限り思いましたけど。
そうなんですよ、見ててちょっと連想したのが、ちょっとオズ・ヤスジロー映画っぽさみたいなのはあるなと思って見てたら、
オズ・ヤスジローのお茶漬けの味を二人で見るっていうシーンが出てきて、直接的に言うなと思って、そこちょっと笑っちゃったんですけど。
でも確かにそういう意図を持って描かれた作品だし、監督の前作も結構ケアについての話だったりするんですよね。
今年結構そういった映画も、そろそろ夜明けのすべてだとか、あるいは時々私は考えるなんかも結構その類作に近いかなと思うんですけど、
そういう日常の場所をもう一回捉え直すような作品というか、本当に僕はこれらケアっていう一つの文脈で置きたいからんで、ケアの作品っていうふうに言っちゃいますけど、
そういう映画の作品群が今年いくつかいいのがあるなって中でも、割と一番ある意味その文脈の中では尖ってるっちゃ尖ってる。
完全にドラマを捨て去っているって言ってもいいぐらいなので。
でもその心地よさはあるななんです。本当好き嫌いは全然あると思うんですけど、そういった作品がもしお好きかなって思われる方だったら刺さるんじゃないかなっていう気はしますね。
めちゃくちゃ気になってはいたんですけど、話聞いてて本当に僕もちょっと時々私は考えるっぽいのかなって思ったので、多分これ好きなやつだろうなと思いましたね。
好きじゃないにしても一回見てみてもいいのかなっていう気がしてて、それを自分がいけるのかどうかみたいな、それがいけるんだったら結構世界広がりそうだなっていう思える映画だなと興味あるんですよね。
そうですね、なんかそれこそ君の色なんかも実は結構これに近いアプローチをちょっとエンタメよりにしてるぐらいの感じなのかなって気持ちとして。
いやそうだと思います。
なんかそのドラマじゃなくて存在で撮る映画みたいな。
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なんか類型は今年すごいあるなーっていうのはすごい見入ってて思いましたね。
なるほどなー。
今年はそんな感じです。
はい、では僕はですね、ちょっと今日熱量高めの作品起きてタイトに喋れるかどうかちょっと怖いんですけど、まずボルテスファイブレガシーを見ました。
ボルテスファイブって日本で50年ぐらい前にやってたロボットアニメがフィリピンでむちゃくちゃ人気があって、実写ドラマ化したのを劇場版にしたものを日本に逆輸入したっていう結構経緯がかなり壮大な作品なんですけど、
フィリピンの人むちゃくちゃボルテスファイブ好きなんですよね、本当に。
で、その熱量が日本にも伝わって今回日本でも公開されたってことでちょっと見に行ってきたんですけども、熱量が高いところと緩いところの差がとんでもない映画で、
そのボルテスファイブ自体をかっこいいと信じてみるとすごいいけるんですけど、話を追うとなんかだるくて疲れちゃうみたいな感じの作品になっている側面があって、
テレビシリーズの多分序盤2話ぐらいを90分強の映画に引き伸ばしているような構成なんですけど、むちゃくちゃだれるんですよ間が。
本来その熱量が足りてない話を時間枠だけ伸ばしているので、間々の間延びがすごくて、
例えば敵のダメージ受けるたびに5人で乗るロボットなんですけど、5人分がいちいち苦しむ描写が一個一個カットが挟まるみたいな感じで、それが繰り返されるんですけど、すっごいだれるんですよ、それが。
それがすごいしんどいのと、あと音響がすごいあんまりな感じで、敵のロボットとこっちのボルテスファイブが格闘してお互いの拳がぶつかるみたいなシーンがあるんですけど、とんでもない轟音が流れそうじゃないですか。
なんか怪異みたいな感じで、あれなんかぶつからなかったのかなっていうぐらい音がね、厚みがないって言ったらいいんですかね、迫力のある音がないんですよね。
これがどこが由来でこうなったのかわかんないんですけど、元がテレビシリーズで撮ったものだから、映画用の音響設計がなされてないのか、あるいは日本に持ち込まれた時にその音響設計が反映されてないのかわかんないんですけど、
ちょっとその巨大ロボットが戦うものとしては音響があまりに迫力ないなと思いました。そこは非常に残念だったんですけど、ただそのボルテスファイブそのものに対する熱量は異常な作品で、5台のメーカーが合体して1つの巨大ロボになるんですけど、その合体シークエンスの熱量はもう異常なんですよね。
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本当に異常な熱量の合体シーンで、あと僕がボルテスファイブで大好きなのが天空剣っていう必殺技なんですけど、ボルテスファイブは日本のロボットアニメの中で剣を必殺技に使った元祖のアニメって言われてて、それまでも剣そのものを武器として使ったロボットはいたんですけど、
グレートマジンガーとかが使ってたんですけど、いわゆる最後の決め技が剣っていうのは確かボルテスファイブが初のはずなんですよ。そのボルテスファイブが自分のVの字をモチーフにして、敵を消さできた後にねじり返して斜めに切り上げて相手をVの字に両断するっていう必殺技があるんですけど、これがねむちゃくちゃかっこいいんですよボルテスファイブって。
で、バシッバシッて綺麗に切るんじゃなくって、本来切れるはずがない高度の複雑な機械をヘッシー切っていくようなゴリゴリゴリゴリっていう風な手応えがあるような切り方をするんですよねボルテスファイブって。
それをVの字の頂点で手首を返してねじってVの字の返しをやるんですけど、その手首を返すシーンをわざわざカット入れてるんですよ。
これって時代劇とかの敵に止めを刺すシーンの撮り方やと思うんですけど、本当にここで敵の命を断つんだっていう重みがあるシーンで、なんかそのボルテスファイブの表現そのものはすごい熱量があっていいんですけど、それ以外がねっていうのでちょっと僕はスッキリ部分とあんまりな部分が両断されてる作品だなとは感じました。
あと、霜妻物語のリバイバルを見てきまして、ちょうど2周年ぐらいですかね。2004年の映画なんで。
深田教皇がロリータファッションの少女で、土屋アンナがヤンキーをやってて、その2人の関係の話なんですけど、まず映画全体から平成中期の匂いがプンプンしてくるんですよね。
もうそれがたまらなくて、映像の質感もね、2000年代前半の映像のちょっと赤焼けた感じって言葉で伝わるかどうかわかんないんですけど、
あと、劇中のカルチャーとかもそうなんですけど、2000年代前半だな、平成中期だなみたいな感じがあって、すごい良いのと、あと中島哲也監督で、彼特有のすごい苦労演出の数々が本作もほとば知ってるんですけど、本作のノリにはあってて、すごく良いんですよね。
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あと結構そのテーマ的にもすごい重みのある作品かなと思ってて、茨城県の下妻っていうすっげー田舎で、1人ロリータファッションに準じる個々の女の子が主人公で、深田京子が演じてるんですけど、そこに地元のヤンキーやってる土屋アンナと出会ってっていう話なんですけど、
これって、周囲に自分と共感できる人がいないし、自分を評価してくれる人もいない、そういう価値観そのものが存在してない土地でここに生きるっていう、その姿を描いてる話なんですよね。
その、東京で自分が着る服を買うために大観山まで行くのに片道何時間もかけて電車で行かなければならないみたいな、その土地で生きるっていうね、なんか覚悟がある話だなと思って、そこがすごい良いんですけど、本作見に行った時にすごい劇場混んでて、やっぱ人気なんだなって思ってたんですけど、
ロリータファッションの方、見に来ていらっしゃって、もちろんファッションが好きだからこの映画をご覧になってるっていうのはあると思うんですけど、その人が若い方で、多分この映画が公開された当時、まだ物心ついてないぐらいの年か、あるいは生まれてないんじゃないかなぐらいの年の感じの方だったんですけど、
それでもこの映画を見に来てて、なんかそこに預けてる思いにちょっと感動しちゃったというか、単に劇中のファッションが好きなだけかもしれないんですけど、もしかしたらその進行が、私はロリータファッションで生きるっていうその覚悟の姿に何か自分を重ねたりとか、あるいはそれを拠り所にしてとかっていうこともあるかもしれないなとか、
もちろんそれはもう僕の勝手な想像なんで、単にファッション好きってだけかもしれないんですけど、なんかすごい良いなと思いました、その劇場体験がっていうのがありました。すごい良かったですね。
すみません、ベラベラ喋っといて、一番推したいのはこの次の映画の花海はどこへっていう映画なんですけど、これね、むちゃくちゃ傑作なんですよ、本当に。
見たいんですよね、これ。
話としては、2000年代前半のあるインドの地方で結婚式があるんですけど、結婚は基本的に家が決めた相手と結婚して、女性の方が嫁入りするっていう行動なんですけど、
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嫁入りする時にベイルをかぶってるんですよ、結婚式の間も、そしてその嫁入りする相手の実家に行くまでの移動中もずっと深くベイルをかぶってて、顔見えないんですよね。
そうしてる間に、花嫁を取り違えちゃうっていう話なんですよ。で、相手の家に着いてみたら、あれ花嫁違うんですけどみたいになって大騒ぎになるっていう話なんですけど、
これ、表面上すごいコミカルなんですけど、実際起こってることはインドにおける結婚制度であるとか、女性の地位の低さがこの問題を生じさせてる根本原因にありますよねっていうのが、コミディタッチの中にしっかり描かれていくんですよね。
たとえば、女性は人前で顔出せない、ベイルを深くかぶってないといけないっていうことがやりすぎてたせいで、そもそも相手を間違っちゃってるっていうのもあるし、とりあえず相手の家に行ってしまえばいいっていうことしかないから、細かい相手のこと知らないせいで、一体本来の結婚相手の実家が何村にあるとかっていう情報も知らされてないからいけないみたいな。
その状況そのものが、この事態をどんどんややこしくしているっていうのが描かれてるんですよね。
花嫁が取り違えられてるんですけど、片方は本当に昔ながらの花嫁修行をしてきて私お嫁さんになるのっていう感じの比較的幼めの女性が一人と、もう一人はしっかり学問とかもして自立思考の強い、本来的には結婚なんてしたくないと思ってた女性。
とが取り違えられてるっていうことで、それぞれがそれぞれの場所でちょっとトラブルを起こしながら、さあどうなるのかなっていう話になっていくんですけど。
それぞれの立場が問題を浮き彫りにしつつ、それぞれしっかり状況に対処しながら、だんだん物語が進んでいくんですけど、もちろん現代的な価値観で言うと、独立心の強い女性って、やっぱりこの事態を解決してほしいって思いながらこっちとしても気持ち、感情移入しながら見てるんですけど、
本作のそれだけじゃないかなっていう部分が、昔片木の花嫁になろうっていう思いを持ってる側の主人公の方も、あんまり否定的じゃないというか、花嫁になりたいと思って生きてきたその価値観そのものは全然否定されないんですよね。
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私は花嫁になりたかったんだっていうことそのものは肯定するし、ちゃんと勉強して何者かになりたい女性のことも肯定するし、古い慣習の中でどっぷり疲れ切ってた女性、それぞれの実家の母親とかおばさんとかのそこで生きてきた女の人たちも、それぞれのことも改めて肯定するみたいな話になってて。
別にその新しい価値観が新しいです、じゃあ古い人たちって良くないですよねじゃなくて、それぞれの人たちはそれぞれの人たちでしっかり生きてきたっていうことも描いてるんです。
その上で、でも現状不幸になる人がいるんだったら良くなっていった方がいいよねっていうのをそこに重ねてるっていうのが本作のすっごいいいとこなんですよね。
ちょっとこれはね、今年の中でもずのけた一作だと僕は思ってます。めちゃくちゃ見てほしいです。
お話を伺ってて、僕ちょっと虎に翼を思い出したんですけど。
そうなんです。
ですよね。
そうなんです。虎に翼も古い家制度の中で女の人のことそのものは否定しないからあれ。
そうなんですよね。そこが虎に翼が2時間くらい収まってるみたいな感じで見るかもしれないですよね。
それは見たいかもな、確かに。
決して注目度が高い作品ではないと思うので、だからこそぜひこの作品は推したいです。今挙げた3本の中ではこれが一番推しです、僕の。
ぜひぜひ見ていただきたいです。
見たいなと思ってたんでちょっとこれは見に行きます。
ぜひぜひ。
はい、てな感じですいません時間を押しちゃったんですけれどもお便り募集テーマ入っていきたいと思います。
今回が子供映画っていうことで募集させていただきました。
はい、ではマリオンさん1つ目お願いできますか。
はい、フリッパーさんからいただいてます。
作品はウミモチダイナリーを挙げていただいてます。
広瀬鈴さん演じる鈴ちゃんは最初わがままや甘えることができない境遇から始まります。
おそらくヤンクキャラだったと思います。
3姉妹と共に暮らすことになり、頼れる家族、食堂のおばちゃんをはじめとする頼れる大人たちに見守られることで子供らしさが出てきたなって記憶があります。
見たのだいぶ昔なので記憶違いでしたらごめんなさい。
子供がある期間、何かを乗り越えて成長して少し大人になっていく作品をいっぱい頭に思い浮かびますが、その逆ってあまりないよなって思い、こちらを選んでみました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
いいですよね、ウミモチダイナリー。
それこそフリッパーさんおっしゃってて、確かに子供時代を取り戻す話だったんだな、これっていうのを。
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おっしゃられてることを改めて咀嚼して気づいたというか。
大人らしくあらねばならない人が子供であることを許される話だったよな、確かにそういう意味で子供映画としてはすごい当てはまるなっていうのはちょっと思いましたね。
そうですね、確かに。
彼女がまた新たな居場所を見つけていくまでの話ですね、これって。
確かに、場所がきちんと安心ができる、いつでも帰ってこれる場所なんだっていうことに気づき始めてからどんどん心を許せるようになっていくっていうのとかは確かにその通りですよね。
これらさんって基本的には子供映画を撮ってる名手というイメージがある。子供親家族映画と言ってもいいかもしれないですけど。
そうですね。
なんかその中でも広瀬すずさんって正直子供というにはちょっと年齢は高めじゃないですか。
だけどもこの作においては確かにそれは子供を描いてるというか、広瀬すずさんの内側にある子供らしさというか、子供性みたいなものを描いてるって考えると、なんか割となるほどなって感じがしてきて。
確かそういえば、小枝監督って確か子供には脚本渡さないみたいな話ありましたよね。
その場でこうセリフを言って演じてもらうっていう。
もらうってやつでしたよね。
確かこの時の広瀬すずもそうだったのではなかったっけ。
えー。
まあもうそれなりにいい年、いい年ってのはおかしいですけど、どちらも選べるよみたいな感じだったのを、なんか結局脚本じゃなく、小枝さんが子役を演出する時のメソッドの上やっていただいたってようなことを確か言っていたような気がしますねそういえば。
なるほど。
違ったかな。
いや結構もう既にちょっと仕上がってる感あるというか、広瀬すずさんってこの時点で、もうなんかだいぶもう完成されてる感、割とあるなっていう気はしてたんですけど、
でもそれはもしかしたら、それ含めてなんかそういう演出意図がなされてたのかもしれないなとは、まあ思ったりはしたんですけど、今の聞いてて。
うんうんうんうん。なるほどな。
はい、じゃあ次行きましょうか。
はい、えまはらさんからいただきました作品名、ホームアローンです。
おそらく自分が幼少期に最も多く見た映画かもしれません。説明不要の超有名作品ではありますが、今見ても面白く大好きな作品です。
お話としてもよくできているなと思いますが、何と言っても好きなのは冒頭の旅行前日、一族が家に集まって生じるあれこれの場面。子供たちも実にウザくて魅力的です。
特に好きなのは、長兄のバズと主人公ケビンの描写。自分よりちょっと年上のお兄さんのやっていることに憧れるのは万国共通でしょうか。私には兄はいませんでしたが、ケビンの気持ちはよくわかります。
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はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
文句なしの有名作ですけど、やっぱり面白いですしいいですよね。クリスマスって感じするなと思って。
ホムアローンもワンもツーも僕どっちも好きなんですけど、この作品が単にコメディ映画だけで終わってないなと思うのが、街のはみ出し者みたいな人とふりあっていく話になるっていうのが好きなんですよね。ワンもツーも。
ずっと家族の中で生きてきたやんちゃ坊主が家族から切り離されてちょっと外の世界を知るっていう、それは泥棒二人組っていう恐ろしい世界を知ることでもあるんですけど、同時に今まで詐欺すまれてたり排除されてた人が実は人間だったって気づくっていう、その奇跡が起こるってことがすごいクリスマスだなって思うなと。
たしかに。なんかまあ、ケビン自身もある意味その瞬間だけはなんてか社会に放り出された存在として描かれるからこそそこに近接できるというか。なんか本当にそうですよね、子供が社会と初めて関わる話としても読めるし。
あと単純にいたずらというか泥棒の撃退方法毎回すげーなケビンって思うんですけど。
なんかの動画でいろいろ食らわされるじゃないですか、泥棒二人組。あれでどういう怪我が実際に診断されるかみたいなのを国民に追いかけていくみたいな動画があって、その中で劇中何回も死ぬんですよ実際にこれ受けたらみたいな。
もうそんぐらい容赦ないことやってて、だってめちゃくちゃ笑っちゃったんですけど。もう火傷とかね、大変落下とかね、あよたかいとか落下したりとかしますもんね、あれね、実際。
ドアノブ熱々になってるシーンとかめっちゃ覚えてますけどね。
そう、死ぬんじゃんかみたいなことが、けどまあガハハハってこっちはみんな笑いますけどね。
今気づいたんですけど、これってトムとジェリーの実写化ですよね。
そうですよね。
ですよね。
あるし、バスターキーとのハチャメチャ感とかそういうの近いわけですもんね。
そうですね。
子供の頃はホームアロン見てて、愉快な泥棒たちだなっていうのは思ってたんですけど、ある程度大きくなってからグッドフェリオとか見たときに、ジョー・ペッシー死ぬほど怖いぞって。
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ジョー・ペッシーは怖い。
そうですよね。
ジョー・ペッシーは存在がやばい怖いってことがありますよね、まあまあね。
確かにな。
はい、じゃあ我々から作品挙げていこうと思うんですけども、マリオさんお願いできますか。
はい、僕はもうベタなやつですけども、6歳の僕が大人になるまでですね、やっぱり。
ちなみにお二人ってご覧になられてますか?
見てます。
僕は見てないんです。
リチャード・リンクレーター監督が実際に12年間の歳月をかけて、同じ人が同じ家族を演じる4人を、時間の経年変化とともには物語を紡ぎ出していくみたいな。
まあちょっと、やろうと思ってもなかなかできないよねみたいな作品として、まあもう有名ですけど。
やっぱりまあ、ちょっとなかなかこれを超える映画ってなかなかないでしょうみたいな、まあ撮り方含めてですけどね。
なんか本当にその、見てたら自然と、なんていうんですかね、主人公家族の親戚みたいな気持ちになっていくわけですよ。
それがやっぱりすごいことだし、でやっぱりその、一個一個映画の中で描かれてる内容がもう本当になんか、なんて言うんでしょうね、本当にめちゃくちゃドラマチックっていうわけでもなくって、本当に普通のことしか描かれてなくって。
で、しかもそれがなんかめちゃくちゃこう、シームレスになんか物語こう、この人の人生にこう繋がってみたいなのが、あんまりしっかりは説明されないっていうところも、なんかすごいリアルというか。
なんか別に今の自分となんかめちゃくちゃこれが人生に大きく関わっててってことじゃなくても、めっちゃ覚えてることとかあるじゃないですか。
なんかそういったことをやっぱ自分の実人生とかさんでそういうのを見ることだってできるし、あとやっぱりなんかあの時なんか会ったことある人とか、もうでもそれ以降全く会わない人みたいなってたくさんいると思うんですけど、なんかそういったのもすごい出てきたりとか。
なんか本当にそのある家族のその無編的なというか、ドラマになんかすごくなんかちょっとしたところにこういろんなものを重ねてしまう、その子供の、主人公の子供からの成長もそうですし、そこになんかもう人生の長さ、圧縮されてるけどめちゃくちゃ長く感じるっていう体験って、まさにああもうなんか1年あっという間だったなって思うかんけどそれと一緒っていうか。
そんな感じをやっぱりそういう映画からもすごい感じ取れるっていう意味でやっぱりちょっとまあ大傑作ですよねっていう感じで今回挙げさせてもらいました。
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いやーこれを超えるコンセプトってちょっと思いつかないですよね。
そうですよね。
取り方の実際勝ちっていうね、とこありますよね。
本当にこう、人生って繋がってないんだなって思いますね。
本当になんか、主人公のお母さんが結構男がない人で、結構あの何回かいろんな男性付き合ったり結婚したり離婚したりみたいなのを結構繰り返すんですよね。
その中であるお父さん、父親と結婚して、その父親のところにも子供が2人いて、しばらく子供4人で暮らすみたいな時期があるんですけど、そのお父さんめっちゃ酒癖が荒くって、結局主人公と主人公のお姉ちゃんと母親はなんか逃げるんですけど、その後父側の子供たちのこと全く出てこなくなっちゃう。
ああ、そうだった。
めちゃくちゃどうなっちゃうんだろうってなるけど、描かれないっていうことになんか、人生だなってやっぱすごい思っちゃうし、でもめちゃくちゃやっぱその子たちのことがめちゃくちゃ気になっちゃったりもするしみたいな、なんか本当にうまいなってやっぱ思いますよね。
それありましたわ。
ありましたよね。
見たのは本当に公開当時ぐらいだけで、僕見返してないんですけど、それだけめちゃくちゃ覚えてて、やっぱそんぐらいなんかちょっとなんかそういうの人生で普通にあるなっていうのもあるし、あの時の別れがちょっと唐突だった分余計にそのことを覚えちゃうみたいなのはやっぱあるなーって思いましたね。
へー、そうなんですね。
いやちょっとこれ、普通にこれお題として取り上げてもう一回深く話し合ってもいいぐらいの映画ですよね。
あー、確かに。
話すことたくさんありますよね、たぶんね、今見たら。
いやー、ちょっとね深すぎて、本当に。
マジで深いって、僕もなんか見たのほんと大学生の時とかなんで、またこうそっからもう何年も経って改めて見たらどう思うのかなっていうのはやっぱすごいあるんで。
大石さん見てないってことだったので、ぜひマジでおすすめです、これはマジで。
見ます。
はい、見ます。
はい、では大石さんお願いしますか。
はい、僕の子供映画はですね、たぶんこのラジオでも山口さんが一回紹介されてて、僕もたぶんオープニングで喋ったかもしれないですけど、窓際のトットちゃんですね。
はー。
まあ、もちろん主人公は蔵根哲子さんの子供時代を描くお話なので、子供っていうところもあるんですけど、僕この映画見た時のなんか劇場の印象がちょっと忘れられなくてですね。
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ちょうど僕がこの窓際のトットちゃんを見た時、年末とかだったんですけど、隣に本当にたぶんトットちゃんと同い年ぐらい、11歳か10歳ぐらいの女の子がお父さんと一緒に見に来てたんですよ。
うん。
でですね、例のある意味トットちゃんが世界と触れるシーンがあるじゃないですか、ある衝撃的な真実を知り、そこから走っていって、世界っていつの間にかこんなことになっていったんだっていう、山口さんが地獄を知るっておっしゃってたと思うんですけど。
そのシーンの時に隣の女の子がめちゃくちゃ泣いてて、なんかすごいなって思ったんですよね、それを見てて。
もちろん僕らはその当時の文脈だとか時代性みたいなものを加味して悲惨さみたいなものだったり、その悲しさみたいなものを享受している、要は外側の視点から見てるわけじゃないですか。
でも少なくとも隣の女の子にとってはこれすごい当時的な視点で見てたんじゃないかなって気がするんですよ。
で、自分の子供の頃振り返ってみると、そんなに物語を見て泣くとかってそんななかったなっていう印象があって、やっぱり自分自身の人生経験も少ないですし、その共感みたいなところまでなかなか持っていけなかったなっていうのはすごいあったんですよね、映画だったりあるいは物語を読んでる中で。
そういう子供時代において、隣の女の子がこのトットちゃんを見たっていうのは、多分人生の中に残るぐらいすごいことだったんじゃなかろうかっていうふうに思って、その時節にちょっと泣きそうになるというか。
なんか今すごい良い瞬間を見ているとか一緒に見れているのかもしれないっていうのを含めて、結構思い出に残ってる子供映画。子供映画でいいのかな。でも子供と映画という意味ではすごい印象に残ってるエピソードなんですよね。
そういう映画を見ているお子さんのエピソードみたいなので、僕もちょっとあるんですけど、びっくりしたんですけど、メッセージってあるじゃないですか。あれを小さい女の子ってお母さんが見に行ってて、むずくないかって思ったんですよ。むずくないかって思うじゃないですか。
むずかしいと思う。絶対たぶん理解してないと思う。どのぐらい理解できたかわかりませんけど、でも文字通りまさに2人のための映画だったので、他人のお子さんですけど、心のどこかにメッセージのことの記憶に残ってくれてたらいいなってめっちゃ思ったっていうエピソードがあるんですけど、それにも似たような。
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確かに確かに。
すごい良いエピソードだなってちょっと思いました。
メッセージに関してはあれ、原作のタイトルはあなたの人生の物語ですからね。
そうそうそうなんですよね。確かにお母さんが娘に向けて見てほしい。なんでその2人が見に行ってたかもちろんわかりませんけど、でも絶対お母さんがお金払って出してるわけなんで、なんか思うとかって見に行ってるんじゃないかなって思うんで、すごいなってその時ちょっと思ったんですけど、それにも似た良いエピソードだなってちょっと思いましたね。
窓際のポットちゃんっていう元の作品そのものの子供を描いてることに対する純度の高さみたいなのが多分映画を通じてその方向にも伝わったのかなみたいな気はするんですけど、いや強いエピソードですね。
はい、では僕はですね、ブリグズ・ビー・ベアーをあげたいと思います。
2017年の映画だったと思うんですけど、小さい頃に誘拐されてしまった子供が誘拐された先でブリグズ・ビー・ベアーという教育テレビ番組だけを見せられ続けて育ったところにすっかり青年になった頃に見つかって元の親のところに戻ってさあどうするみたいな話なんですけれども、
まあこれ公開当時非常に高い評価を得た映画だったんですけど、一方でこの映画無理っていう声も結構あってやっぱりその児童誘拐っていうテーマが重すぎてやっぱり許容できない人がどうしても許容できない話ではあるんですよね。
しかも、誘拐犯はそんなに悪として描かないっていう結構悪の強い設定でもあって、たぶん許せない人は本当に許せない話だと思うんですけど。この映画の公開当時、もうすでに僕子供、1人目の子供生まれてた時期だったんでそうなってもおかしくなかったんですけど、僕は本作許容できました。
なんでかなーっていうのはちょっと不思議だなと思うんですけど、もちろんその誘拐っていう題材を描いた直接的な話でもあるんですけど、その失った人生を元の親のところでどうやって取り戻していくかみたいな話なんですけど、
僕ちょっと違う見方も感じてて、この誘拐犯、夫婦で誘拐犯なんですけど、その夫側がマーク・ハミルなんですね。スターウォーズのルーク・スカイウォーカーなんですけど、このルーク・スカイウォーカーたるマーク・ハミルによって誘拐された意味何なのかなって僕ちょっと考えちゃって、
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僕これって子供がゴリゴリのスターウォーズマニアになったらどうするかっていう話なんじゃないかなって受け取ったんですよ。
で、スターウォーズのマニアに限らないですけども、親がこういうふうに子供に育ってほしいなって思って育てた子供が、親の期待に沿わずに超オタクになりましたみたいな。もうそれは親が望んだ子供像ではなくなってますっていう、その子供と向き合うみたいな話なんじゃないかなって思ったんですよね。
なるほど。
で、実際劇中で帰ってきた子供に対して、いや、うちの子あんなんじゃないと思うみたいな、両親がなっちゃってるみたいな展開もあるんですよ。
で、その自分が誘拐犯によって見せられ続けたブリグズベアの続きを自分が作るってなっていくんですよ。
それ本来の親からしたらもう許せないことじゃないですか。
自分が子供に欠けた期待を全て奪い取った奴らによって子供の人生がそっちに向かっちゃってるってこんな辛いことあるかなっていうのはあるんですけど、でもこの主人公はブリグズベアを取るんですよ。
それはもしかしたらスター・フォーツにがっぷりはまって、スウェーワ博士か大臣かみたいな感じで育てられた子供がスターマニアになってSFAが取りますみたいな。
いきなりこの新学校からいきなり退学して、俺映画監督になるからとか言い出したら、てめえこの野郎ってなると思うんですけど。
でもそれでも子供なんですよね、自分の。自分の望み通りにならなくても自分の子供なんで、それと向き合っていくんですよ。
なんかそういう話なんじゃないかなと思って。
しかもこの誘拐犯親子との関係もちょっと続くんですよね。
なんかそれもすごいなと思って。本来こうあってほしくなかったみたいな人生になったとしても、それでもそこで出会ったものはその人にとって大事なものだったりするんだろうなと思って。
それを全否定することって多分できなくって、その正しさとか正しくなさ全部ひっくるめて、それを踏まえた自分として後の人生を生きていくしかないんだなっていう。
親もそれを受け入れるしかないんだなっていう話だなと思ったんですね。
結構すげー映画だなと思ってる感じです。
これ話題になってたけど見逃したんですよね。そんな話だったんだっていう。
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なんか僕見てるんですけど、そのブリグズPBRの舞台が宇宙なのもマーク・ハミルだなっていうか、めちゃくちゃその話の中のジャーゴンみたいなものがすごい出てくるあたりもすっげースターウォーズっぽいんですよ。
やってることが本当にね、スターウォーズの拙い二次創作をやってるみたいな感じなんですよね、劇中では。
でもその伝わらなくても正しくなくても憧れてしまったらもうやるしかないっていうのが、親はそれを見守るしかないっていうのがね、なんか切ないけどいいんですよねって思いました。
どこまでこのマーク・ハミルっていう敗役を狙ってやってるかちょっとわかんないなと思ったんですけど。
そうです。でも多分狙ってるんじゃないかなって僕見ててしましたけどね、なんか実際その映画公開時のインタビューとかで結構マーク・ハミル自身がスターウォーズの話に言及してるんですよ、やっぱり。
そうなんですね。
やっぱ物語についての話でもあるじゃないですか、フィクションについての話というか。
まあまあね。
意味でもすごい意図的な敗役だろうなっていうのは見てて思いましたし。
あとなんかこれ僕じゃないですか、歌人の植栄さんがおっしゃってたんですけど、なんかこの作品についてその作り手と創作物が別の話だっていう話をしてて。
作り手が例えば誘拐犯だったり犯罪者だったりしても、その作品自体の素晴らしさはそこと切り離して話すべきだっていう作品として捉えられるよねっていうふうにおっしゃってて。
実際まあ世界でも結構あるじゃないですか、創作者の例えばパワハラが起こったことでこの作品もちょっと好きになれなくなってしまったみたいなこと。
もちろんその裏に構造としてそういうものがあるのは許しがたいことではあるんですけど、とはいえそこでその作品で感じたものみたいなことはどうしたって否定はできないっていう。
だからこそその創作者と作品っていうのをあえて切り離して見るべきだっていう例えとしてブリグズ・ビベアーをお話しされてるのは結構印象に残ってて。
そういう作品としても見れるなと僕は思いますね。
そうっすよね。
その正しくNASAを内包している物語を許容することあるいは語ることみたいな映画だなっていうのは本当にそうだなと思います。
本当にスターウォーズって世界中の数多の子供たちの将来を狂わせた作品だと思うんでね。
ちなみにそういえば6歳の僕が大人になるまででもイーサン・ホーケンジの父親と男の子がスターウォーズの話をするっていうシーンありましたよそういえば。
やっぱスターウォーズなんだなみたいな感じというか。
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っていうのはありましたよ。
ピープル・バーサス・ジョージ・ルーカスっていうドキュメンタリー映画があって。
ありましたよね。
スターウォーズ好きすぎる人たちの愛憎入り混じりすぎたスターウォーズ愛のドキュメンタリー映画なんですけど。
やっぱ好きすぎるもののことってちょっと憎んでるよなっていう。
これがなければ俺の人生はさあみたいなのって絶対あるよなっていうのはね。
まあまあ。
ちょっとごめんなさい。長くなっちゃってるんでまあまあっていう感じでした。
では今日のテーマと帰っていきたいと思います。