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今日のテーマトークは、『あのこと』です。はい、では原口さん、解説お願いできますか。
映画道徳無理拝借します。2022年度のノーベル文学賞を受賞した作家、ハニー・エルノーが若き日の実体験をもとにつつった短編小説、事件を映画化。
ナチス第三の男などの脚本を手書きた、オドレイディワンが監督を務め、2021年の第78回ヴィネチュア国際映画祭で金銀賞を受賞した。
法律で中絶が禁止されていた1960年代フランスを舞台に、望まぬ妊娠をした大学生の12週間にわたる戦いを、主人公アンヌの目線から印象感たっぷり描く。
労働者階級に生まれたアンヌは貧しいながらも持ち前の知性と努力で大学に進学。未来を掴むための学位にも手が届こうとしていたが、大切な試験を前に自分が妊娠していることに気づく。
中絶が違法とされる中、解決策を見出すべく奔走するアンヌだったが、ビョーレッタのアナマリア・バルトロメイが主演を務め、シタティアの恋のサンドリーヌ・ボネール、燃える女を肖像のヘルアナ・バイラミが共演となっております。
はい、ではここから内容に触れる話をしていきたいと思いますので、ネタバレを気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらなと思います。
はい、ではサーリーの感想を伺っていこうかと思うんですけども、原口さんいかがでした?
今回は今のところ、この作品に対して男3人だけで喋る状態になっているので、言葉は慎重に選びたいんですけど、あとそういうのもちょっと予期してて、
先週ね、TBSラジオのセッションという番組、オイゲゲチキさんがパーソナリティという番組で、あのことを用いて監督インタビュー含め、中絶を特集したコーナーがあって、それをちょっと繰り返し聞いている中でちょっと今回挑むんですけれども、
まず今回の作品としては、主人公の痛み、身体的な痛みと精神的な痛みを字形列順に丁寧に描いた作品であるなという印象をまずは持っております。
それではここからまずは、はい。
マリオさんいかがでしょう?
そうですね。なんてすごい映画なんだろうなっていうのが、率直な感想ですかね。
中絶をテーマにした作品って実は最近すごく多いなとは思ってるんですけど、そういった作品の中でもものすごくなんかもう映画と観客の距離が近いというか、
映画の中の主人公に没入するような形でこの映画が紡がれているっていうのが、やっぱり今これを世界はもっと強くこれを見ていかなきゃいけないし、これをもっと描いていかなきゃいけないという制作時の覚悟みたいなのもすごくやっぱり現れているような、すごい作品だなというふうに思いましたね。
ある種の大観型映画と言ってしまうのは乱暴ですけども、そういった思い向きのある映画でもあるのかなというふうには思いました。
僕はですね、まず先に謝っておこうかなと思うんですけど、今日僕が本作について喋るにあたって、妊娠とか中絶について理解の足りないことを言ってしまうんじゃないかなって気がしてるんですよ。
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それは特に女性の方にとって、当事者になり得る方にとって、あまりに資料の足りないことを僕が言ってしまう可能性があります。
それは僕は今日頑張って言葉にしたいとは思ってるんですけど、至らないかもしれないです。
そこは当事者になり得ない立場として頑張って喋ろうとは思うので、男って頑張ってもこれぐらいなんだなっていうふうに聞いてもらいたいし、理解しようとしてるっていうふうにも思ってもらいたいなと思ってて、
ちょっと今日はね、僕ほんまにだいぶ頑張って喋らんとダメだなと思ってるんですけど、すごい作品ですよ。
別れよって、当事者になれよっていうような映画で、もうね、普段のシーンは僕悲鳴上げてましたよ、本当に。
うわーってね、普通に劇場で声出してました。そうじゃないと耐えれないから。
すごい映画です、本当に。
サワリそんな感じでいきたいなと思うんですが、じゃあ掘り下げていこうかと思うんですけども、原口さんじゃあ、唇切ってもらっていいですか?
まずは言い口的なところ。タイトルこれ、あのことっていうのが上手い放題の付け方をしてて、
上手い。
現代がね、フランスちゃんと文教してないんだけども、ベンヌーマンっていう現代やって、これは出来事とか事件っていう意味を持ってますと。
出版された小説は放題、日本語まで事件って書かれてるんだけども、あのことっていうのが結構この内容を象徴してて、
結局1960年代のフランスでは中絶が禁じられたってことなんだけども、
中絶をすることも禁じられていたし、中絶について語ることすら禁じられていたっていう、法律で。
だから、あのことっていうことしか言えない。
なんかそのタイトルの付け方がまず上手いなぁと思ってまして。
そうですね。むちゃくちゃ上手いんですよね、本当に。
本当に上手いし、作中でみんながその単語を言わないようにするじゃないですか。
もうそれ自体、口にするのも危険だしおざましいからってことで、明言しないようにしているっていうところで、
現代も上手いなと思うし、放題もめちゃくちゃ上手いなっていう。
で、これは劇中でみんながみんな触れないようにしていることの意味でもあるし、
今この現時点、現在の視点からしても外部からわからないもの、特に男性からはわからないものっていうニュアンスも含んでるなと思うんですよ。
あのことについての話って、あのことって何のことみたいに男の側は思ってしまうような感じがする。
でも女性にとってもこの上なく深刻で重要なことであるっていう、
女性同士の中でだけ共有されている危機感であるとか、ある種の対処法みたいなもののクローズドな物事の表現として見事なタイトルだと思うんですよね、本当に。
いや、素晴らしいなと思いました。
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そうですね。
実際にやっぱり忠実が犯罪行為だっていう風な扱いを受けてるっていうのが、まあまあちょっとあり得ないでしょって今では僕たち言えますけど、
当時はこれが当たり前だったんだなっていうのが、しかもほんの数十年前の話っていうのが、まあ恐ろしいですよねっていうのはすごく思って。
男性がそもそも忠実に対して何も理解してないというか、無理解だったりとかっていうのもそうですけど、
同じ女性の中でも忠実ダメでしょ?みたいな感じな扱いを受けるじゃないですか、友達から。
あの場面とかめちゃくちゃ辛いなと思って。
あそこヤバいですよね。絶望が深すぎるなと思って。
そうなんですよね。まあもうそれ犯罪だからっていう法律がそうなってるのかしょうがないじゃないかってもうそういう言い分だと思うんですけど、
そういう風に言う人はいるでしょうしそれはその時絶対。
まあそれで友達と思ってた人にそう言われた時のまあ絶望は本当に計り知れないなというか、
どんどんこの映画で主人公は孤独になっていきますけど、あそこが結構僕の中で一番辛かったなっていうのは思いになりましたね。
いやあそこヤバいです。
またその友達の中でもね、一番ドンキにそのセックスに憧れ持ってる子がいざ忠実の話しようとしたら、
その法的にダメというよりもっと根本的な倫理観、宗教観的な部分でもう忌避してる感じ。
発想することさえおぞましいみたいな感じで拒絶するから、いやもう取り尽くしまもないなっていう絶望が深くて、めっちゃしんどいシーンなんですよね。
そうなんですよね。
でまた一方のその友人の子はちょっとまあおとなし目の子は逆にちょっとそこに、最初はちょっといや私もちょっとどうかと思うみたいな感じのニュアンスかなって思ったら、
いや実は私も、私は幸い妊娠はしなかったけどっていう風なニュアンスの話をするじゃないですか。
やっぱあのシーンでやっぱりなんか、初めてなんか似たようなことを思って、それがちょっと今の置かれている状況がまずいんじゃないかって思えたみたいな風に。
あそこでちょっと、まあなんというかシスターフットではないですけども似たようなものというのがやっぱそこで描かれたのはちょっと救いではあったのはあったんですけど、まあでもまあ辛い本当に辛かったんですよね。
いやキツーと思う。ほんまキツかったですねあそこ。
で、当時だから60年だから何年前だ?それこそ60年か。
まあそれなりに現代ではあるけど倫理観も法律も離れてるってところで、そこまでではないでしょみたいな感覚になる部分もあるっちゃあるんですけど、
まあ今別にその日本で中絶自体はできるっちゃできますみたいなのはあるけど、じゃあその社会的な制裁がないかって言われたらまあ全然そんなことないじゃないですか。
そうですねもう全然遅れてますからね本当に。
えっとね厳密に言うと法律では中絶するっていうのは罪ではあるんだけども保護する方法が別にあるっていうので成り立ってんね。
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そうなんだ。
厳密に言うとそういうことらしい。
いや無知さらしてしまった。
結局そういうのは法律でグレーゾーンってあるんですよ。
まあでもそもそも中絶に対するイメージがだいぶネガティブなものっていう時点でまあまずもう遅いでしょっていうことだと思うんですよね多分。そもそも。
今回改めて中絶問題ってどういうことだったっけって日本のおかげで状況とかで改めてちょっと自分で調べたりもしましたけど、やっぱりよくないなあこれっていう問題たくさんあるなあっていうふうに思いましたし、
やっぱりちょっとそもそもやっぱり有無主体がある女性にその中絶の権利を自由に選ぶことができないっていうのがどんだけ恐ろしいことなのかっていうのがまあ今作を見ても思いますし調べてなお思いました。
最近あったのがアメリカで憲法で見てもらえてるけれども国の最高裁がそれを覆す判決をしてしまったっていう。
ありましたね。
ありました。
あとあのこれ僕最近知ったし厳密に正確なものじゃないかもしれないんですけど、その中絶と打体の違いって何なんだろうって思ってちょっと調べて。
だから中絶自体はまあその言葉の使い方がちょっとうまくわかんないんですけど、まあその方法自体のことを指すみたいなことで、その打体っていうのはその法的な罪としての言い方っていうことみたいなんですよ。
これ本当に理解浅かったら申し訳ないんでごめんなさいなんですけど。
いわゆる打体罪っていうワードですよね。
だから言葉としての深刻さにも違いが現れてると思うんですよ。
だから中絶って言葉は途中で止めるみたいな意味合いに見えると思うんですけど、打体ってもうその胎児を下ろすっていうそれの罪性を咎めるニュアンスがすごい強い言葉だなと思うんですよ。
そうかと思って、僕この程度の理解なんでね本当にごめんなさいね。
僕もそんな変わらないと思うんですよねやっぱり。
見てて本作怖いなって思うのが、女学生たちもやっぱりそのなんというか夜遊び自体は楽しんでるじゃないですか。
そこで男性と交流もって遊んだりとかしててってなって、その中ででも妊娠した子にだけは一気に冷たくなるって。
なんかどういう構造なんだろうみたいなことを思ってて。
もう一人の方の友達の子が言ってたように私は妊娠しなかっただけっていうことを言ってたじゃないですか。
全くその通りだなと思うしもっと言うなら同じように男性も女性もそういう性的な交流を誰かと持つ中で男の側が妊娠しないっていうのはそういう偶然そういう仕組みだっただけじゃないですかって思うんですけど。
男は初めからそのリスクは放棄してる。で女性の中でも同じことをしててでもその妊娠をした人にだけ全てのトガが振るってどういうことなんだろうと思って。
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いやでもなんかそういう倫理感がこの間に存在していることはわかるんですよ。
ただいやもうなんか一緒でしょっていうその責任の程度は。
ただトガだけが一極集中してますよねっていうところは普通にアンフェアじゃんっていうのは本当に思うところで。
どこまで協力していいかっていうのは僕も厳密に言い切れないところではありますけど。
忠実はできんとダメでしょっていうのは本当に思うところではあります。
そうですね本当に。
もうあとなんか途中お医者さん出てくるじゃないですか2人くらい出てきますけどなんかもう一人の医者さんですか。
なんか処方しときますねって言っといてなんか全然忠実とは関係ない。
いやむしろその安定させるための薬でしたみたいなのを処方してたとかって本当いやもうダメでしょそれみたいな。
おい嘘じゃねえかってなるところとかもうあそこもかなりゾッとしましたね。
それ現実なんやろうなあ。
現実でもありましたからね割と最近。
妊娠に関する薬ではなかったですけど関係のないものを投薬してたみたいなのはありましたからね。
いや怖って。
本当ですよ。
いやもうちょっと全然話ずれますけどグッドナースとか最近見た時に思いましたけどね。
天的にもうまずい薬混ぜられて患者がどんどん死んでいくみたいなのとか。
いやもうそれに近いようなことではないですかそれってっていうふうには思いましたけどねやっぱり。
患者に勝手に伝えたものと違うものを飲ませてたってそれだけでまずどうかと思うって感じでしたし。
男性意志は基本的に忠誠には加担しないっていうところでもうこっちを騙してでも忠誠させないようにしてくる意思もあれば
いやもう諦めてくれとどうしようもないからっていう消極的な忠誠反対というかまあ立場的にしゃあないと思うんですけどね法律でダメって言われてるんだったら
まあそういう人もいるっていう中で実際に忠誠に協力する人というか実際にあの何て言ったらいいんだ行為を行うというか
なんて言ったらいいんだろう適切なことがわからない。実際にやる人は女性じゃないですか。
なんかまあそこを見ててやっぱり女性同士の中で直接その言葉を使わずにやりとりしてで最終的にそのことを行う人も女性っていうのはやっぱり
その妊娠してそれらの社会的なあるいは肉体的なリスクを負うのが女性でしかないっていうところでやっぱりその女性同士の
クローズなコミュニティでそれを行っていくっていうものが面々と作られたんだろうなと思うんですよね。
だって男どもお前ら責任とんねーじゃんっていうリスクを負ってんのこっちなんだよっていうところでその法的なものにあるいはその倫理的なものに
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背いてでも女性同士でご助というか相互に何とかサポートするっていうのが社会の目に見えないところの裏側に存在しててそこで救われるというか
救いでもないんだよな。そうするしかないからそうしてるっていう感じだと思うんですよね。
ちょっとあの言葉選びが本当に難しい。ボキャブラリーがないのもそうなんですけどなんかニュアンスが
そうですね。
それ見てて思ったのは燃える女の肖像を思い出したんですよ。
あれもやっぱり女性同士であれ夜が集まってなんか女性だけ歌歌ったりしてたじゃないですか。
そうですね。
で女性同士で中絶手術をするみたいなシーンもあって。
そうですね。中絶シーンありました。
結局その男性社会の中でそういう特に弱い立場の女性の妊娠とかっていうものに対して救いの手も差し伸べないし責任も取らない。
じゃあもう女同士でコミュニティ作ってそこでご助をするしかないっていうのが描かれてたと思うんですよね。燃える女もそうだし今今回もそうだと思うんですよ。
結構な代金は取ってますけどやっぱりその大きなリスクを背負ってやってることなので金は取るよと責任取ってやるけどねっていう。
そうでないとあそこまでやばいことはやれないと思うので。
そうですね。当時はやっぱ犯罪だったっていう状況下でああするしかなかったっていうことですよね。
そういうことでしかセーフティーネットとしては成立しなかったっていうのが本当に辛いことでもあるし。
そういう人がいるっていうのがもう公にはなってないというか本当にことづてみたいな感じでしか広まっていってないわけじゃないですか。
もう本当に秘密裏にやってることなんだろうなっていうことなのでやっぱり知らない人は知らないわけじゃないですか。
同じ女性の中でも同じ状況になったんだけど裏でそういうことをやってくれてる人がいるって存在を知らないまま結局産んでしまうとかっていうことになったりする女性もいたんだろうなって思うと
余計にちょっと心が痛むというか。主人公は幸いにも忠実できたけどできなかった人が何人いるんだろうって考えたらすごく辛いなと思って。
一応当時作品で描かれてるような闇忠実っていうのは実際は数十万人レベルで行われてたらしい。
だから結局明らかにできなかったからだけど今になって実際は数十万人当時していたっていうのがわかってるっていうのは事実であると。
あと見ててちょっとあれって思ってるけどでも結局主人公は友人といたけど結局はもう作品が進むにつれてひたすら孤独に精神的な痛みをどんどん伴っていくかなって追い込まれていくっていうのがあって。
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ちょっと映画の演出的な話でこの作品の作りがすごいっていうのが数字がカウントされていきますよねこの作品。何週目っていうのが。
それがカウントアップされていくほどにどんどん追い込まれていくと。
この作品言っても実際映画撮るので順撮りではなくてやっぱりスケジュールに合わせて撮っているので逆に何週目っていうのに合わせて監督と主演のアナマリア・バルトロメイさんが役を何週目に合わせて作り上げていくっていうのが凄ましいなぁと思いながら見てております。
そうですね。一応僕子供いるので妻が妊娠してたこともあったしそれにつき添ってたわけなんですけど、じゃあ妊娠何週目ってどれぐらいの体調みたいなのって正直僕あんま言えないんですよね。これが。
だからあのカウントアップもこれぐらいの時期だったらこれぐらいの体調だなぁみたいなのが直感でわからなくて、あーそっか僕背負ってなかったんやなーってめっちゃ思ったんですよあれ見て。
もっと深刻に感じると思うんですよあの数字って。だってもう死の宣告じゃないですか。社会的な意味でも死の宣告じゃないですか。あの数字が積み上がっていくっていうのは。ここまで来たらお腹が大きくなるとかあるわけですよね。そこが感覚的にわからない。
だからまあ数字増えるとまずいよねっていうぐらいの感覚にしかならなくて、あーそっかーって僕そういう距離感やったんやーってめっちゃ思っちゃって。もっとその切実な意味を持っている数字だと思うんですよ。ただ増えるからとかじゃなくてこのタイミングはこういうことですよねみたいなのがあるんじゃないかなっていうのを考えたら結構きつかったですね。
現実問題として結局何周目が進んでいくほど中絶中絶は困難になるし、中絶することでその女性自身が亡くなってしまうことも実際あるわけなので非常に危険なわけですよ。
中絶できるタイムリミットみたいな意味合いの方が強いのかなと思うんですけど、やっぱり山口さん言われたように妊娠何周目でどういう体調の変化があってみたいなのって本当に確かにわからない。男性からは全然わからないというかことって本当に多いだろうなって思うと、あの妊娠史のテロップがさらに重いものに感じられるなっていうのは本当に思いますね。
ヤミの中絶手術がいっぱい行われてたっていうので、民間流法みたいなものもいっぱいあるわけじゃないですか。作中でも漂白剤使って亡くなった女性いっぱいいるみたいな話してたし、それに限らずですよ。日本でも割とつい最近までコーラで洗ったら大丈夫みたいなことも言われてたわけですよね。
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もうバカたれと思いますけど、結局その社会はそれを助けない。身内も別にそれを助けない。ってなったら、そういう民間伝承あるいはそういう安全がどこまで確かかもわからないような病み者みたいなのに耐えることになるっていう。
それは経済的にもそうだし、肉体的にもそうだし、それらのリスク基本性をの女性ですよねっていうのがあるわけですけど、そこで男の側が何してるかって言ったら、やることしか考えてないわけじゃないですか。
そうですよね。本当にひでえなって思いましたよ。おい!おい!って思いましたよ。見ながら本当に。
バーで誘ってくる消防署のやつとか。
勘弁してくれって思いましたけど。
これ言うのも嫌なんですけど、男の側の理屈というか願望として貧にしない方がいいみたいなのもあったりするわけですよ。
口に出すのも嫌や。
作品の中では本当に女性に対して理解のない男性ばかりが描かれてるんでね。
貧にしない方が気持ちいいんだとか思ってるとか、当時の批認の精度とかもそんなに高いものではもちろんないんだろうしねっていうのも含めてですけど、
どちらにしてももうちょっと考えたくもないですよね。本当にそういうこと本当にっていう気持ちになりますけど。
またそれを加速させるのがいわゆるホモソーシャルだと思うんですよ。
もうあの女言っとけやみたいなので、もうなんだろうな、その場のノリじゃないですか。
あとはちょっとね、そういう女性の扱いを、そういうのの方が男らしいみたいな文脈もあるしみたいなので。
いやはやもう。
もうちょっと今溜息しか出ないんですけども。
あとさっき紹介した番組でも監督がインタビュー行ったり、
あとこの映画ドットコムのインタビューでも載ってるんだけども、監督自身も合法的な妊娠中絶を経験してて、
それをきっかけにアニエロニオの小説を読んでこの作を作ってるっていう。
監督もどんな苦しいものか分かっておいて作ってるっていうのがこの作品の意味として大きいかなって思ってて。
そうですね。いやちょっとこれは迂闊に触れてはいけない題材というか、
ちゃんと分かった人に撮ってほしいっていうのはあるし、それをやってるっていうのは良かったなって思いますね。
そうじゃないとやっぱり中絶シーンとかもあそこまで描けないですよね。
すごい、あの、ここ数年見た映画の中で最強のノーカットのクライマックスやなと思ってあそこ。
そうなんですよね。
飛ばさないっていう。鴨目してみよっていう感じじゃないですか。
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もっとあれ、描き方一歩間違えたら、ただの映像の衝撃さだけを切り取られてアダコダ言われちゃうようなことになると思うんですよ。
やっぱり描き方本当に間違えてしまったら。
けどやっぱり今作がそこをちゃんと考えられてるというか、これ見せないと、分かってない人たくさんいますよねっていうところがやっぱり、
小説、原作の小説からしてそういう物語だからっていうのを踏まえた上でちゃんとあれをちゃんと映画として描いてるっていうのが本当に偉い。
素晴らしいと思ったっていう感じですね。
思惑通り僕は悲鳴を上げてました。本当に。
僕もマジかと。ここまで描きますかと。
去年ですか、これがベネチアの最高賞を取ってるっていう話ですけど、同じ年のカンヌはチタンですよ。
すごいなこの日本画。
あれもね。
あれもそうじゃないですか。
金属の棒を刺すとかみたいなのとか。
同じ年に同じように妊娠を扱ったある種のちょっと痛々しいところまで描いた映画が最高賞を取ってるっていうのはすごい偶然なのかなんだのかって感じはしますよね。
燃える女の肖像も女性コミュニティ内での中絶を行うってことを描いてる映画でしたけど、くしくも全部フランス映画なんですよね。
確かにそうですよね。
これむずいよ。
映画見てしゃべっていいことではなかったのではないかっていう記載してくるというか。
本当にでもやっぱ何もわかってないなって本当に見て思いましたよ。
本当に中絶のこととか権利、中絶の自由が女性に与えられてないことに対しての重大性みたいなのって知ってはいたような気はするけど、
ここまで切実なものかっていうのまでわかってる人ってやっぱ男性でいるかっていうとそんなにいないような気がするので、
本当にやっぱこういう映画を通していろいろ知ることって本当にたくさんあるなっていうのは本当に思いますよね。
だって僕あれですもんね、蛍光中絶薬の存在とかスワローを見て初めて知ったりとかしましたしね。
本当そんぐらい何も知らないんだなぁ僕はっていうふうに思ったことがありますけど。
ちょっとその男性の扱いっていうところで本作の中における、一人だけ一応協力してくれる男子学生がいるじゃないですか。
ちょっと女性遊びがなかなか人よりも経験が多いので、そのあたりのことも知ってるっていうことで食べられる男子がいたと思うんですけど、
あいつも結構カッセやなとは思ったんですよね。
まあそうですね。
妊娠してるからできるやろみたいな。
お前さ!みたいな。
あれほんとおいおいって思いました。
ひどい。
お前さ!みたいにね。
思いました。
あれ断れないからなっていう。
でもまあ一応そのあたりの義理か何かで一応紹介はしてくれるっていう。
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ちょっとあんまり肯定はしたくないけど、義理の人やなっていうにはちょっと思ったんですけど。
まあその義理もな、クソみたいな経緯で作られた義理やからな。
あんまり褒めたくないなあいつのこと。
そうなんですかね。
いいことはしたけど、だからって前にやったことチャラにはさせんぞって思いましたけど。
チャラにはできんよっていうね。
うちにはなりますよね。あれはね。
あとあのちょっと僕印象的やったのが、学校内でいじめてくるというか、嫌味を言ってくる女子?
嫌がらせをしてくる女子がいるじゃないですか。
あれ二人組で良かったんですかね?確か。
一番主犯の女学生ともう一人それの付き添いというか、横についている女性みたいなのが二人ぐらいで、
人の教科書になんかポルノ写真貼っ付けてくるみたいなのをしてましたけど、
まあ嫌な奴やなと思いつつ、実際に流山するシーンで助けてくれたのはその片割れの子だったじゃないですか。
そうでしたね。確かそうだったよなっていう風に。
そういうアイディアだったと思うんですけど、あれお前ってなって、お前助けてくれんのやっていうので、
あそこはねもうその仲良いとか悪いとかを超えて、女性としてここはさっていうところでやっぱ手は差し伸べられるっていうのがね、むっちゃ良くってあそこ。
もうそうですねやっぱ目の前で、いやちょっともしかしたらちょっと命の危険があるかもしれないぞみたいな、
ちゃんとなんか助けてあげられるってやっぱりすごいなって素晴らしいことだなって思います。
またここ最近の彼女の成績が悪いのとかも一発でわかると思うんですよ。あれを見てしまったら。
でもやっぱそれをオリビア飲み下してくれたような感じがあって、そこはねやっぱなんというかその線は守ってくれる線っていうのがやっぱあるなっていうところで、
ちょっと救われた感じはあったんですけど、ただあれ着る役目させるのむっちゃ嫌やなとは思いましたけどね。
多分僕パニックになりますよね。え?え?え?ってなる人もいると思うんですけどもしかしたら。
あれすごいなと思ったんですけど、ただやっぱりアンヌ本人もやっぱり自分は妊娠したくなかったし、
中絶するつもりではあるけど、宿ってた命そのものをなんか直接同行するっていうのに抵抗というか危機感があるっていうのも、
なんていうかすごい大事なことだなと思って、その中絶する女性が全員命を何とも思わん鬼みたいなっていうことじゃなくって命は大切にしたいんだと。
ただ自分の人生とか諸々の事情を含めてどうしてもやっぱり中絶するしかないんだと。
だからどんな恥辱にも耐えるし、肉体的な痛みにも耐えるけど、命そのものに触れるっていうことはやっぱり抵抗があるっていう。
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だからこんな形での妊娠でさえなければ、もしかしたら実際に自分の家族として今後生きたかもしれないものじゃないですか。
それを自らの決断で同行しなければならないってむちゃくちゃ残酷なことですよね。
それは残酷なことだし、できたら中絶が行われない世の中になったらいいなとは思います本当に。
でも実際問題、中絶を必要とされるような社会状況があって、それはやっぱり必要だなと思うんですよ。
でも中絶は必要だし、もっと言うならもっと手前だろうと思うんですよね。
女性だけが自分に宿った命を自分の決断で切り離すようなことを、決断させるようなことを起こさない社会にしないとダメじゃんっていうことだと思うんですよ。
そこでやっぱりあそこの描写ってむちゃくちゃ刺さるんですよね。
またいつか母親にはなりたい、子供欲しいみたいな言ってるじゃないですか。
この時でさえなければっていうことですよね。
そこを女性だけがそんな決断をしなければならないような社会ではいけないっていうこと。
それが中絶ができるような社会っていうことであるし、もっと言うならそういう望まない妊娠が起こらないような社会にしようっていう話だとは思うんですよね。
中絶っていう権利が社会の中でもある種のセーフティーネットになってて、でも結局その権利が売るってことは責任も伴うぞっていうことではあると思うんですけども。
その責任は男性を追わないじゃないですか。本作でもね。
そうそうにアンヌが切り離すじゃないですか。彼を。あこいつダメやって。
自分の人生がかかっているような状況でもやっぱり彼を頼らないじゃないですか。
それは自分のこの決断を預けるに値しない人間って判断されたってことだなと思うんですね。
自分の命の危険とか諸々のあらゆるリスク含めてもこいつと一緒に決断するのは無理っていうこと。
多分結構あるとは思って、実際に現実でも妊娠した女性が一人で出産して生まれた子供を放棄したりとか殺してしまったりみたいなニュースあると思うんですけど、男性出てこないですよね。
そうですね。毎回問われるのって女性にしか責任が問われないですよね。その非対称性はどうなんみたいなところですけど。
それはまああの事情はいろいろあると思います。そもそも父親が誰かわからないっていうこともあるかもしれないし、頼れないあるいはもう頼りようがないみたいなのもあるだろうし。
で、諸々様々な事情含めてもやっぱり総合的に男性が責任を取らない構造にはなってるっていう風には思って、もっと手前なんだなって思うんですよ本当に。
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社会がまずそういう風にできてないですよね。もっとそういう女性が責任を負わなきゃいけないっていう状況にさせるのも良くないし、
さらには何かいざどうしようってなった時にそれを全く助けにならないような制度しかないっていう状態っていうのは本当に良くないっていう。
本当にこれを見て、いやお前らこれ他人事じゃねえぞって言われてるって思わないとこれダメだぞっていうことだなって本当に思いましたし。
アンヌって本当にお母さんがレストランか何かしてるんですかね。食堂か何か。
ブルーカラーじゃないですか。肉体労働とか決して収入が多くない。
さっきの解説でも貧しいでっていう風にありましたけど、やっぱそこから這い出てきた彼女。
自らの才能と学力で持ってそこから這い出してきた彼女が、でも女性だから追ってるリスクで簡単にその崖からこぼれ落ちちゃうっていうアンヘアがあるっていうのはやっぱりむちゃくちゃ残酷なことだなってすごい思ったんですよね。
だから母親にも言い出せないのはむっちゃ辛いなと思ってあそこ。
そうですね。母親にも言えないのがやっぱ一番なんというか。
期待してるからっていうのもあるし、もしかしたら母親も理解してくれないかもしれないっていう恐怖もあるかもしれないし、ちょっとどこまでのものかは僕はわからないですけどやっぱり母親には言えなくてむしろ母親に当たっちゃう。
試験受けたことないくせにって。きっつーってなるでしょあそこ。
確かにな。
これ結局その後の主人公の人生がどうなるかっていうのは描かれないんですけど、果たして母親はこの事実を知る機会はあるのかなって思うとどうなんだろうとか思っちゃいますけど。
一応最後はテストをしてペンを取って終わるっていうラストにしてますけど、あれがすごく救いというか原作者の兄Lの自身と重ねたようなラストっていう風にしてるのはすごくうまいなと思ったんですけど。
そういう表現として母親は知ることになるのかなとか思ったりはしたんですけど、直接あの時言ってもらえなかったんだみたいなとかって思うと母親も母親でつらいなって思うんだろうなとかいろいろな想像が働きますよね。
作家目指してるってところでやっぱ兄Lの方がいろいろ預けてる作品なんでしょうね。
そもそも原作者の人がそういう自分の経験をベースにしたけど、主人公はフィクションみたいな、話自体はフィクションみたいな話を作り続けてる人みたいなことらしいので、そういう意味もあるんだろうなぁと思います。
一応兄Lさん自身は大学を出た後は、いわゆる高等教育、大学とか専門学校そういったところを従事しながら34歳から作家デビューして長年描いているっていう方ではある。
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割と自己の性愛体験を偏った作品は結構あったりはするんですけども。
さっき原口さんも言ってましたけど、妊娠集のテロップの話とか、僕も最初の感想で言った、ある意味体感型の映画みたいなところで、やっぱりすごく演出の力がすごいからこそなせる技なんだろうなーっていうのは思ったんですよね。
原口さんが言った妊娠集のテロップもある意味のタイムリミットサスペンス的な要素みたいな意味で、やっぱりすごくどんどん切迫した状況感とかを感じたりするし、
あと画面サイズがスタンダードサイズですか?小っちゃめのサイズで。
カメラも主人公のほんと周りしか映らないみたいな撮影とかって、余計にそこに入り込んでくださいねっていう意味だと思うし、
あと絶妙に音楽とかも、すごくメロディーとかがあるわけじゃないんだけど、すごく嫌なスリルだけが心拍数みたいな感じで響いてくるというか、すごくスリリングさを煽るような感じもするし、
音楽だけじゃなくて息遣いだったりとか、一種の沈黙とかも含めて、なんかそういうゼログラビティとかも沈黙を含めて音楽の一つだなって思えた作品とかみたいなのにちょっと近いようなやり方をしてるんじゃないかなっていうふうに思って、
本当にこの物語の、この映画としての意義ももちろん素晴らしいけど、演出も当然すごいねっていうふうに思いましたね。
だからこの作品のカメラワークがやっぱり上手いというか、カメラの動きとアンヌの動きを一致させようとしていると。
だからカメラはアンヌを見ている存在にはならないようにしている。あくまでアンヌの視点っていう。
うん、そうですね。
で、彼女が前進するほどに漂ってるところは霧がかたよ、おぼるげーなって言ってるタイプがするんですね。ちょっと病にぼやかしていってるっていう。
あー。
あれは結構スリリングというか、ある種の没入感のある演出って言えますよね。
そうですね。
アンヌの主観を大事にした作品でありますよね。
まあその、体感しろっていうか、やっぱ主観として別れっていうのが本作の強いテーマとしてあるなっていうのはありますよね、やっぱり。
客観的事実としてとかじゃなくてさ、こうなったら孤独になるじゃないですかっていう。
人に耐えれなくなるじゃないですかって、そうなったら自分で突っ込んでどうこうしないとダメになるじゃないですか。
それがどういうことがわかりますかみたいなのを見せつけられるっていう。
そこがすごく強い強調されている映画だなっていうのは確かに思いましたね。
うんうん。
ちょっと、この1960年当時って、アンヌは学問を通じて自己実現を成し遂げようとしてる人っていう風に考えられるかなと思うんですけど、
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それの妨げになるものとして妊娠があるっていう風に描かれてると。
で、教授に言う言葉で、主婦にならないといけない病気っていう言い方をしてて。
すごい、その周り事言い方じゃないと言えないんだなっていうのはあるし、それで教授もあって刺すっていうね。
その言い方があって、やっぱり妊娠するっていうことは家庭に入りなさいと、主婦になりなさいっていう社会的な要請がむちゃくちゃ強い。
今もそうだし、当時はより強いっていうのはあったと思うんですよね。
だから、アンヌは学問を通じて職業としてもそうだし、その学問を続けられる人生を送りたいっていう思いでやっぱり必死に勉強していったっていうのがあると思うんですよ。
その役割をすべて捨てさせられる立場になるっていう。
単に学校を辞めることになるとか、目指してた職業に就けなくなる、あるいは将来的な収入が低くなるとかっていうこともあると思うんですけど、
今まで自分が信じてたものを捨てないといけなくなるっていうことやなって思ったんですね。
だからやっぱり必死にそこから逃れようとするっていうのがあるんだなと思って。
これはやっぱり女性の方がより強いものだと思うんですよね。
例えば男性で付き合ってた彼女が妊娠しましたと。
じゃあもう結婚しないとダメですねって頑張って稼がないといけないんですよねってなっても、
それって自分が今手に持っているものの延長で仕事するとか望まない仕事ではあるにしても、
やっぱりある程度今自分ができることが職業になると思うんですね基本的に。
それが力自慢でもいいと思うんですよ。力自慢だから肉体労働してますとかでいいと思うんですけど、
やっぱ主婦になるってリセットボタンじゃないですか。
今までのものって基本的に残らないですよね。
少なくとも学問とかしてきたらほぼリセットボタンだと思うんですよ。
みんながみんなそう分かってるから女性には花嫁修行ってさせるわけじゃないですか。
だったらリセットボタンじゃないから。
こんな社会の中で学問なんか女性がやったって辛い目見るだけだからじゃあ花嫁修行させよっていう。
結果的にあらゆる父親母親とかあらゆる家族があらゆるコミュニティがその女性に家庭に入れっていう圧をかけていく構造になるっていう物事。
だからこそ妊娠は主婦になる病気っていう風に言われてるんだろうなと思うんですよね。
それってむちゃくちゃ辛いことだと思うんですよ。今まで自分が積み重ねてきたことを全部せないといけないって許容しがたいことだと思うんです。
例えばそれで子供生まれてみたら変わるよみたいなそれはそうだと思うんです。
命ってそれぐらいパワーの強いもんだから人間って命を前にしたら変わるもんだと思うんですけど、
それって変わってからの結果論ですよね。
だから本作でもアンヌが子供を産んでたらもしかしたら受け入れてたかもしれないですよ。
それはねそうかもしらんけど子供を産む前のアンヌのことはやっぱり否定することになるから簡単に許容してはいけない結論だなとは思うんですね。
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今まで自分が培ってきたものそれは学問もそうだし価値観とか信念とか全部そうですけど全部含めてですけど、
それらを捨てるっていうことへの恐怖があるなと思うんです。
そのリスクはやっぱり男性より女性の方が圧倒的に背負ってる。
それは今もそうだと思うんですね。
これは作中で描かれてたようなことに限らずですけど、
例えばね本当にちょっと浅めの例え話をするんですけど、
映画っていう趣味一つ撮ってみても年間500本見てましたみたいな。
配信ドラマむちゃくちゃ見てますみたいな人。
今生きてる私はそれがアイデンティティーですみたいな人がいたとして、
その人が例えば妊娠して子供が生まれましたってなったらそれって実現不可能になると思うんですよ。
少なくともかつてのように年間数百本映画見るとか、
配信ドラマ1日中見てますみたいな、
この何シリーズもあるドラマのことをいくらでもしゃべれますみたいなことができなくなるんですよね。
それはある意味今まで培ってきたものの放棄につながると思ってて、
結婚とか妊娠に対する危機感がある人ってそれあるんじゃないかなって僕思ってるんですよ。
オタク趣味に限らずですけど、持ってるものを捨てないといけない。
特に今やっぱり家庭を作るとか子供がいるみたいなことだけが人生の目標じゃないから、
自分自身の人生をどう彩るかみたいなのが目標になってる中で、
じゃあ映画見れなくなりますねとか、ドラマ見れなくなりますねとか、
絵描けなくなりますねとか、スポーツやれなくなりますねとか、
そんなことがいっぱい出てくるわけですよ。
それらを捨てないといけなくなるんですよね。
今までの自分じゃなくなるんですよ。
それらのことって。
例えばね、今鎌倉殿の13人ってむちゃくちゃ人気あるじゃないですか。
子供いるとね、1時間ドラマ見るのも不可能なんです。
それは1時間じゃなくても、例えば30分のアニメでさえ難しいんですよ。
でも世の中的に流行ってるじゃないですか。
もう鎌倉殿の13人はもうなんか必見ですみたいなの言われても、
いや私これまでの人生ずっとタイガードラマずっと見てきましたけど、
子供生まれてから一切見てないですよねとか、
あるわけですよね。
むちゃくちゃ怖いことなんですよね、これって。
捨ててみたら大丈夫ってなるかもしれないですけど、
捨てる前までは恐怖ですよ、これは。
いやそうだと思いますね。
人生のライフステージが変わるって、そういうことだなと思って、
その恐怖はやっぱ女性の方が強い。
なぜなら出産とかに対する、
追ってるものが今のところこの社会では女性の方が遥かに大きいからっていうのがあって、
家庭を持って子供を作ればいいと言われてる時代ではなくなった中で、
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生きていく人間がどうしても背負ってしまってる怖さだなと思うんですね。
ただ生きていく以上の意味を人生に付与できるようになったからこそ、
そこの大部分を捨てないといけなくなるっていう怖さがあって、
ちょっとこれ多分今僕喋ってることは、
映画の本題からずれてるんですけどね、
そういうのがあるなと思うんですよ。
やっぱそれは、なんて言ったらいいのかな、
もはやこの映画と関係ない話を今僕してると思うんですけどね。
いやでもまあ、
まあ自己実現とかもあるよね。
でもやっぱその妊娠というものが追ってるもの、
女性が追ってるものっていうのがやっぱ大きいってことに
端を足してることに関してはやっぱ一緒だと思うので、
そこは外れてるとは僕は思わないですけど。
ちょっとね僕今まとまりきってないことを喋ってて、
えーとね難しいな、なんて言ったらいいのかな、
今の現代人って生きていくモチベーションに
承認欲求って絶対にいると思ってて、
趣味とかってその承認欲求を満たしてくれるものだと思うんですね。
趣味を分かち合えるみたいな、
自分はそれで生きていけるみたいなものがあって、
それは結婚したり、
どっちかというと子供が生まれたらですね、
子供が生まれたら、
さっきまで言ってた通り結構削れちゃうものではあるんですけど、
やっぱ男性の方がその削れ方は甘いんですよ。
男性の方が仕事をしやすいからです。
今の社会においては男性の方が
子供が生まれても仕事をしやすいようになってるからだと思うんですけど、
仕事ってね承認欲求満たしてくれるんですよ。
お金を掲げてるっていうことが社会に価値があるって言われてるけど、
でもね子育てってね承認欲求あんま満たされないんですよね。
そうか。
なんかそういう承認欲求を満たしてくれる場にはならないんですね。
その家庭というか子育ては。
その家庭内のことって完全なるクローズドなんですよ。
社会じゃないんですよね。
だってそれを見てるのは、
それを探えても感謝もしないし褒めもしない子供なんですよ。
それがね子育ての振動さだなと思って、
もちろんその時間関係なく泣くとかね。
もうそもそも満足にコミュニケーションも取れない。
こっちと言うことも聞いてくれないってなるんですけど、
承認欲求が満たされないっていうむちゃくちゃしんどいことで、
モチベーションがあればしんどさってこれるけど、
そのモチベーションを言いするのめちゃくちゃ大変なんですよ。
褒められもしないし認められもしないっていう。
だってそれをしないものが対象だからっていうところで、
その趣味とかで満たされてた承認欲求が、
満たされないところに行くことになるっていうのがあるとは思ってて。
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むしろ当たり前でしょみたいなことすら言われるようなことを、
ずっとそのモチベーションで待ち続けるって難しいというか、
すごすぎるでしょそんなこと日々やってる人達っていうのは。
そうなんですよね。
女性が何をモチベーションにしてるかって言われると、
母は偉大であるという神話しかないんじゃないかなと思ってて。
母性?
母性神話しか残されてない。
偉大だよねっていうことですよね。
それを自分に言い聞かせるしかないじゃんっていう。
だって子供は褒めてくれないし周りもやって当たり前だよねって言うんだったら、
いやもうこれをやってる私は偉大っていう神話しかないと思うんですよね。
でそれをね自分で自分を褒め続けるみたいなことですもんねそれってね。
無茶じゃんって承認欲求満たしたいよっていう。
だいぶ話されたんですけど、
その今まで培った人生の物事を捨てるっていうことは無茶苦茶怖いことですよっていう。
人生において子供が生まれるっていうことはそれの最も大きな要因だし、
そのしんどさは女性の方が遥かに巨大に背負ってるよなっていうことを言いたかったんですけど、
だいぶ遠回りしましたわ。
いやでもすごく大事な話というか、
そうだよねそういうことが今現実に起こっていて、
でまあ本当多くの男性自分も含めてですけど何もわかってないことたくさんあって、
もう本当に無知を晒し続けてるっていうのが本当に良くないことだなというか、
今までそういうわかってなかったよねっていうことを、
ちゃんと今盛んに映画とかになったなって言ってるってことは、
一つ救いの一個にはなるのかもしれないですけど、
そこから本当に変わっていかなきゃいけないよねっていうのが条件ですけどね。
僕嫌ですもん。社会のどこかで人に言えなくてしょうがないから金櫛自分の子宮に突っ込んでどうこうしてる女性がいる社会嫌ですもん。
何とかしてくれって思いますもん。何とかしたいなって思うし何とかしようぜって思いますもんそれは。
そんなアンフェアダメですよ。
ダメだし。本当にダメやだって思います本当に。
怖い。今回僕が自分で喋ったことが怖いです。世の中に出ることが。
本当、今日本当プロミシングヤングウーマンの回以上にちゃんと喋ってること僕大丈夫かなっていうのが心配ですよね。
まだね、プロミシングヤングウーマンは性暴力っていう切り口で、明らかそれが悪って咎められるものが劇中にあるから、まだ我々の立ち位置みたいなのが安全地帯にできるとこあると思うんですけど、
妊娠というものに対する当事者意識とか危機感みたいなのって言われたら、まあ気迫ですねってなって、じゃあお前そうじゃんってなるから、僕多分今喋ってること全部お前に刺さってますけどみたいなことを喋ってたんじゃないかなと思って。
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それは僕も同じですけど、それはそれ言っちゃうんだったら、所詮お前分かったふりしてるだけやろって言われたら、いやそうかもしれませんってことはたくさんまだたぶんいっぱいあるんだろうなって思うので。
中絶っていうテーマで、本当に最近多いなぁと思うんですよね。今年もやっぱシェイント・フランシスって映画見た時にも、本当に中絶する女性の話ですしそれも。
そういった中でパートナーがいるんですけど、そのパートナーと話し合った上でちゃんと中絶をして、その後のケアもちゃんと2人でやっていくっていう、ちゃんとそういう形を映画内でちゃんと描いてるっていう、すごい素晴らしい作品があるんですけど。
やっぱそういう社会というか、そういうのが当たり前になればいいよねっていうことを改めて。
理想を見せることも一個だし、今のこういう状況がいかにアンフェアであるかっていうのをちゃんと見せるっていうのもすごく大事なことだしっていうのは、改めてこの2本今年見たのっていうのは結構印象的だったなっていうふうに改めて思いますね。
もうちょっと性教育社会としてちゃんとやっていこうぜって思いますけどね、本当に。
これも映画を見せたらいいのではと言ってしまってもいいんですけど。
いやでもなんかこんなショッキングなものをとか言われそうで、いやそのスケベの話してないですよって思いますけどね。
そうそうそうそう、そういう話してませんけどっていうね。
はい、まあどうでしょう。なんかあります?
一応さ、前提として聞きたかったんやけど、俺と山口くん同じ高校行ってたからやけど、
ちゃんと家庭科の時に一応妊娠の何週目とかの計算っていうのはちゃんと勉強した覚えがあるんですけど、ここはちゃんとOKかな。
僕はちゃんと勉強してなかったんでしょうね。
僕はちゃんとそれ、なんか定期テストにもちゃんと問題出たなって覚えてて、授業でやって。
いやでも肝心必めの部分は否認と整理のことでしょう。
そういうへんはね。
そこをちゃんとやってきたかっていうとやってないですよね。
まあいわゆる中学ぐらいからの保健体育ではやるよね。
いやでも男子は別の教室行っていいみたいな感じでしたけどね。
そうやったらうちちゃんとやってたけどね。
それはあれちゃう?
数学旅行の前とかに少しだけ集まってうぬんはそういうのかなって思ってたけども。
数学旅行は厄介なことが起こりそうな気配あるからなそれは。
一番大事なのは否認ですよね。
否認のやり方とまでは言わないにしても、なぜ必要かっていう部分じゃないですか。
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結局そこって闇に隠されるからな。そこのこと。
だからこんな地獄みたいな言い方作られるんですけど。
全然深刻に思ってないままだでしょうしね。
多分ね。学んでる当時とかって。
まあそんなことが問題になるのは不自在な女だけですよねみたいな社会通念があるとは思うんですよね。
うちの娘には関係ない話ですねみたいな感じで。
だからそんな教育は必要ないですよねみたいな感じがあるなと思って。
だから触れないってうちには関係ないからっていう。
いわゆる保健師さんがやってきて、模型で布をかぶせるって形で、
そういうのは何かちゃんと講習みたいなの起きた覚えはあんねんけど。
マジですか?
体育館でみんな集まって。うん、あったよ。
じゃあもう僕は勉強してないってことがバレるじゃないですかそれ。
あったっけ?
そうちゃんとおぼろげには説明が起きた覚えはあって。体育館で。
全然模型やからピンとこんかったけどね。正直。
まあ、形外化すると意味がないんですよね。だから深刻なものにしないといけなくって。
結局その社会とか法律はそれを保障してくれないから、
女性同士のコミュニティの中でだけ脈々とそういうものに対する対処法が、
民間伝承的なもののレベルで伝わったりしちゃうわけだと思うんですよね。
それだとやっぱり危険だし、一番肝心なところは男も別れっていう部分だなと思って。
まあ、学校の授業でされても男子は聞かんでしょうね。俺関係ないしっていうのはなるだろうな。
そういうスタンスにはなってるでしょうしね。
むずい。むずいけど。でもやらんとダメやなとは思います。
不幸になる人が多いし、そんな不幸が世の中にあるっていうことが嫌ですもん、僕は。
そんなアンフェアがまかり通っているのはやっぱり嫌ですもん。
まあ、そんな感じですかね。今回はちょっと編集頑張ります。
はい。いつもいつもすみません。本当に。
ちなみに、情報としては、今回ここで撮ったオドレイドワン監督の次回作は、レアセリューを主演にエマニュエル夫人のリメイクだそうです。
なるほどね。エマニュエル夫人も表面上は単にエロとして消費されちゃうところはあるからな。結構繊細なものにありそうやけど。
小学校の時の僕は、エマニュエル夫人、ポルノ映画やと思ってましたからね。エッチなやつやと思ってましたから。
エッチなやつではあるけど、もうちょっと踏み込んでるんだろうな。見たことないから、ちょっとあんま分かんないんですけどね。
僕もちゃんと見たことないしな。
なんか深夜にやってるの一回見たことがあって、意味が分からなかったけどね。ストーリーがあるのかこれっていう感じがあって。
ひたすらそういう映像ばっかり見せられてる感じがあってんけどな。チラッと見たとき。
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だからアート映画になるのかな?ドラマ映画になるのかよく分からないけどね。
女性のせいがただありますよっていうことを描けばいい話だとは思うんですよね。
今あえてリメイクするには、それなりに意味定義を出すんかなと思うねんけどね。
今作もね、あのことに関してもちゃんと女性の欲望をありのまま描いてましたからね。
女性だって性欲ありますけど、いいでしょ?別に。
それか普通になんか悪いことでもなんでも当たり前のことですけど、みたいな感じでやっぱり描いてるの。
今作にも通じてますけどね、それはね。
はい、じゃあそんな感じであのことの話は終わっておこうかなと思います。
編集頑張ろう、今回は。
お願いします。
次回はじゃあどうでしょう?THE FIRST SLAM DUNKでいかがでしょうか?
もうなんかそういう雰囲気が出来上がってるわ。そうですよね。
他の検討できそうなのあります?ちょっと何かあったっけな。
いや別に、ここまで言われたら見ますよって感じですけど、なんかもう何て言うんですかね。
ハードルがめちゃくちゃ上がってるんですよね。見るハードルがなんか。
期待値がもうどんどん上がってくるので、ちょっとね、どうなんだろうっていう。
本当にまだ見てへんねん。ツイッター見ててすげー気になってんねんけど、いつ見るやろうって思ってて。
まあだってね、どうせロングランヒットするから後でいいかって思ってたんですけど、正直。
同じような感じで僕は鬼滅の刃を映画館で見に行きましたけど、そういう感じのスタンスだったんですよね、正直。
まあでももうここまでもう熱い、いや見ろよっていうリクエストと言いますか、見た方がいいっていう、なんかそういうお勧めをいただいたりとかしてたので、
まあもうこれはもうこれを機に見なきゃダメでしょっていう感じがしますね。
ちなみに前回の収録時に、自治会のテーマはアバターですっていう話をしてたんですけど、
そうしましたね。
前田さんがびっくりするほどアバターに乗っからなかったんで、アバターはなくなりました。
なんかね。
そうでしたね。アバターはなくなりました。
で、アバターは明日公開日前日にドールEBCMまで完成披露したら見ていきます。
あ、そうなんですね。なるほど。
はい。
まあ。
3時間12分。
アバターは僕も行きます。
まあ見にはいきますけど、アバターについてはもうオープニングトークぐらいでしか触れないってことですよね、このまま行くとね。
そうなりますね。
まあでもそういう意味ではあれですけどね、稽古を目を澄ませてとか喋りたいなって思うんですけどね。
いいよ。いい作品ですよ。
ねえ。
ボクシング映画なんで、ソニー絡めてロッキーの話とかもできますしね、いろいろね、とかって。知らんけどっていう。
いやーもう、これはもうスラムダンクモードだと思います。
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いやもう大丈夫です。スラムダンク見に行きます。ここまで割とは見ますよ、ちゃんと。
あとちなみに、次の収録は配信日の都合で年始一発目になる予定なんですよ。
なので、次回収録時は我々、秋ましておめでとうございますから挨拶入ろうと思ってるので。
はいはいはい。わかりました。そういうことですね。
まあ年始一発目っていうのもあって、スラムダンク一番いいんじゃないかなっていう。
確かに年始一発って考えたらスラムダンクでいいな。稽古じゃないなってなりますね。
それはスラムダンクだな。
じゃあもういいですか、スラムダンクで。いいでしょうか。
はい、大丈夫です。
じゃあ次回、配信日としては来年1月一発目が、ザ・ファーストスラムダンクとなります。
はい、ではお知らせになります。この番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想、次回テーマ作品の感想など、ご自由にお送りいただけると幸いです。
また次回は開催情報、ポッドキャスト、次回テーマ作品の告知も行っておりますので、
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はい、それでは映画の話し助けラジオリニュー第95回、あのことの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。