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2024-09-07 51:35

第180回(2)『きみの色』音、色、心、確かすぎず波として

『きみの色』の話をしました。

目に見えない登場人物たちの心を、言葉で語りすぎず音や色彩によって描き出す本作を、言葉で語るのが難しすぎておっかなびっくり話しています。

■メンバー

・山口 https://twitter.com/awajicinema ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke ・オーイシ https://twitter.com/pteryx_joe

■ルクア大阪「映画紹介屋さん」開催のお知らせ

お客さんからお話をうかがって、そのお話に沿った映画をレコメンドするイベントです。

日時:2024年9月21日(土)・22日(日) -

場所:大阪・梅田『ルクア イーレ』 3F入口

詳細・予約:https://www.lucua.jp/topics/p-1458105.html

『平日!映画の話したすぎるBAR』in週間マガリ

「映画の話したすぎるBAR」番外として、山口個人が店長にて平日開催いたします。

日時:2024年9月30日(月)

詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar

場所:『週間マガリ』大阪市北区 天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com

■月1バー「映画の話したすぎるBARシンサイバシ」

山口が店長の映画の話をするバーがリニューアルしました。

毎月第3木曜日

場所:「心斎橋」駅徒歩6分「BAR アメ村SHELTER」

詳細:https://chottoeigabanashi.virtualeigabar.com

単独でのPodcast:https://chottoeigabanashi.virtualeigabar.com/podcast

■お便り

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00:00
今日のテーマトークは、『きみの色』です。はい、では、解説お願いできますか。
はい、映画ドットコムから解説を読ませていただきます。
映画、声の形、平家物語などの山田尚子監督が、
思春期の少女たちが向き合う技律と葛藤、恋模様を絵画のような美しい映像で綴ったオリジナルアニメーション映画、
全寮生のミッションスクールに通うトツコは、嬉しい色、楽しい色、穏やかな色など、幼い頃から人が色として見える。
そんなトツコは、同じ学校に通っていた美しい色を放つ少女、きみ。
街の片隅にある古書店で出会った音楽好きの少年、ルイの3人でバンドを組むことになる。
離島の古い教会を練習場所に、それぞれ悩みを抱える3人は、音楽によって心を通わせていき、
いつしか友情とほのかな恋のような感情が芽生え始める。
トツコ、きみ、ルイの声はそれぞれ、鈴川沙優、高石あかり、木戸大成と注目の若手俳優たちが担当。
3人を導くシスターひよこ役を荒垣ゆいが務めた。
バイオレットエバーガーデンシリーズの吉田玲子が脚本、
チェーンソーマンの牛尾健介が音楽、
平家物語、犬王のサイエンス猿がアニメーション制作を手掛けた。
はい。
はい。ではここから内容を触れる話が入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいたらぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
ではアサヒの感想をマリオンさんお願いできますか。
そうですね。いやむずいよ、これ言葉にするの。
いやこれ言葉にしたら負けない映画じゃないですかみたいなことをやってきてますよね、すごく。
ちょっとびっくりしました。この規模感でこんな映画ありなんだっていうこともだし、びびりましたね。
本当にお話とか本当に描きたいこととかすごくなんかシンプルで、いろんな物語とかで触れてきたようなことではあるんですけど、
けどそれとは全然違う映画にやっぱなってるっていうのは本当にすごいなって思いました。
いやむずいなーって感じですけど。
でも僕の中でこんな音楽…そうですね、音楽映画としても結構だいぶ尖ってますよね。
音楽映画としてもだし、普通のそういう青春ドラマとしても、そこどんどん進んでいくんだとか。
でもわかるなそれ、みたいなところがちゃんとすんなり飲み込める。
でなんかそれを…すごいなってしか言えてないんですけど。
あとなんか僕この映画に一個テーマというかなんかちょっとキーワードとしてあるのかなって思ったのは、
見えないものを見ようとすることなのかなとかはちょっと思ったりしていたりします。
03:03
まあそれがこううまく説明できるかはちょっと別としてなんですけど。
いやでもちょっとビビりました本当に。こんな映画すごいわ。もう大傑作でした。
はい、大西さんいかがでしょうか。
ほとんどマリオさんと感想同じでむずい。めちゃくちゃむずいんですけど。
ただ一つ教えてあげるとしたら、トツコめっちゃ可愛くなかったですか。
いいですね。
トツコがすごく良くて、画面端でヒョコヒョコヒョコって動いてる姿だけ見てるだけで幸せというか。
しかももうなんていうかな、体格というかフォルムも含めてめちゃくちゃいいんですよね。
はい。
いわゆるアニメーションがこれまで描いてきたような女の子の体型ではあんまりないと思うんですよ。
ちょっとこう福岡な肉付きだったりとか。でもそれがなんかより質感を持ってあの子らしさを出してるというか。
なんかもう説得力しかないというか。それがもう見ててとにかく幸せだなっていう他ないというか。
そういう感じでした。
映画自体ももちろんリズと青い鳥の山田尚子監督でもあるので。
映画に自然派って言葉がつけられるのかどうかわかんないんですけどとにかくこうなんていうかな。
何か演出をそこに持とうというよりもただただその子たちがそのように振る舞っている様を撮っているというか。
そこにカメラがあるだけというか。
なんかそういうふうにだんだん見えてくるんですよね。
アニメーションなのに不思議なことに。
なんかそのリアリズムと、でもそこにあるそのキャラクターたちの言葉にしない思いというか。
何ですかね。さっき岡田マリーさんの名前が出たのでちょっとあえて比較すると。
岡田マリーさんが言葉っていうところをすごく重点を置いてやってる作家なのであれば。
山田尚監督は言葉じゃないコミュニケーションをずっとやってきてる人なんだろうなっていうのをやっぱり見れば見るほど思えてきて。
今回でも音楽もそうですし。あるいはその動きもそうかもしれないですし。
何かそういう非ノンバーバルなというか非言語的なコミュニケーションっていうところがいかに彼らの間で繰り広げられてそれを僕らがただただ眺めてるというか。
静かに見守ってるというかそういう作品になっていたなと思って。
めちゃくちゃ大傑作だなって思いました。
僕としてはですね、傑作だと思うんですけどよくわかんないんですよね。
よくわからないんですよね正直。
なんとなく僕が見た限り感じたことを言語化しようとしてみた限りだと。
揺らぎに関する映画なのかなとは思ってて。
物事の色が決まってるわけじゃなかったりとか。
06:00
あるいは境界線が決まってるわけじゃなかったりとか。
音も別に音階で区切られたものじゃなかったりとか。
全て開こうって決まってるわけじゃなくて。
曖昧な境界線の中の揺らぎの中で世界が作られてるっていう風な感覚を覚えながら見てたんですよね。
それは水地彩画町の色彩の画面になったりであるとか。
僕が印象的に思ったのはテルミンっていう楽器なんですけど。
あれって設定された音階を鳴らすんじゃなくて。
物理的な距離で音の波の波長を変えてるわけじゃないですか。
だから音階の間があるんですよね。
音階の間の音が存在してるじゃないですか。テルミンって絶対に。
だから電子楽器だけど実はアナログというか物事として。
それは水彩画風の画面であることもそうだと思うんですけど。
色っていうものがそこに定まってるんじゃなくて、そこに絵の具が塗られていることでそこに色を我々が感じているっていう。
それはそこに音の波があったりとか、色彩を持った物質がそこにあるみたいなものとして世界設計がされてる感じがしたんですよ。
だから音ありき、色ありきじゃなくて、まず世界があってそこから音とか色が生まれてきているっていう感じ。
それを我々が捉えるのが多分進行なのかなと思ったんですよね。
やっぱり本作進行ってすごい大事なテーマだと思うので、そこから先は何も言えないです。
頑張って言葉にすることに努めたけど、それが何かを言えてるかどうかもよく分からないです。
ぐらいよく分からない、正直。見た時の感覚によっている作品だとは思ったので、言葉にこの後できるのかもしれないし、できないのかもしれないですけど、話していけたらいいかなとは思います。
ではお便りを紹介していきたいと思うんですけれども、例によって一部抜粋した形になっちゃうかもしれないですがご了承ください。
はい、ではマリオさんからお願いできますか。
はい、けんけんぴんぴんさんからです。
本作、悪く言えばご都合主義的にも見える平坦な展開です。しかしライブで3人が奏でた音とトツコが見つけた自分の色等に号泣。
衝突することでは描けない、相手を理解し包み込む温かさとほろ苦いイラストも心地よかったです。
中性的で子供っぽいところや音楽の素揚の高さに反して自身の進路に悩んでいるルイくんのキャラクターが良かったです。
あのライブ衣装が似合う高校生なかなかいませんよね。
09:02
圧巻のライブシーンはお見事でした。
ジャンルのチョイスはオルタナティブなものからバラード、電気グルーヴを思い出すサイケデリックなものまで幅広くて飽きません。
最近地下木ドッテン川面って反則でしょ。すっかり白猫堂のファンになりました。
映像面に関しても大満足です。
犬の出見られた水彩画を彷彿とさせる描写とか、ダンスパーティーと化すライブシーンなんかは夜明け告げるルーの歌を思い出したい。
サイエンス猿の味が出ててそこも良かったです。
主題歌にミスチルってもう文句のつけようがない婦人で逆に腹が立ってくるくらいでした。
リスナーの皆さんと店長メンバーの皆さんの感想を楽しみにしています。
長文失礼いたしました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
そうですね。
どこを拾うかってなりますね。
結構全体的に拾っていただいた。
そうですね。
ライブシーンとか触れてもいいのかなって。
ちょっとつきやすいところでした。
本当に曲のジャンルがお便りにもありましたけど、すごいバラエティー豊かで。
本当にお前ら素人か。
3人とも曲作ろうぜとか言って、あんな曲ができるのかやべえなって思いますけど。
本当にどれも素敵な曲ばかりで。
特にやっぱりセイキンチカドコクドッテンアーメンっていうフレーズ勝ちじゃないですかみたいなところはありますよね。
あれキラーチューンですよね。
キラーチューンすぎる、あれは。
とんでもねえキラーチューンきたなって感じでビビり散らしましたね。
なんか僕はあの曲聞いてちょっとその電気グルーヴってけんけんぴみさんが書かれてて、なんか他の歌では多分坂中さんとかも書かれてたと思うんですけど、
僕ちょっとあの相対性理論を思い出してたんですよ。
ですよね。相対性理論って言ってる人もいたな。
いたいたいた。
で、よくよくそのいろいろ読んでみたら、実際参加されてるんですよね、吉田さん。
あの相対性理論のギターの吉田誠一さん今回参加されてるらしくて。
あーでもギター。
なるほどって。
なんか言わんとすることわかるっていうか、似てるってなる。
あのシーン割と声含めて薬師丸越子感あって、
歌詞も相対性理論っぽいんですよね。
そうなんですよ。
あとやっぱりちょっと歌ってるのが君役の赤石あかりさん。
そうなんですよね。
やっぱああいう声出せる人なんだっていうイメージがなかったんですよね、やっぱり。
やっぱね、ベイビーワールド9年とかのイメージ。
そうそうそうそう。ちょっとそのイメージしか僕はやっぱなかったもんだから、
なんかすっごいなんかこう、今にも消えそうな声と言ったらいいのかな。
12:05
それがすごく良いんですよね。
そんなになんか、その本人の歌唱というか、その役に入っての歌唱なのかもしれないですけど、
なんか全然こう、イメージと違う歌声だなーってすごい思って。
でしかもあのね、セイキン、しかも僕ドッテンアーメンの曲歌うとき、
あの最後のほうのサビちょっと声ぶれるじゃないですか。
もうあそこいいんですよねっていうか。
もうあれ、ああいう瞬間こそなんか見たいじゃないですか。
アニメにこそそういう揺らぎというか。
そういう瞬間がフッと入ってくるんで、きっとね。
ああもういいわーってやっぱりなっちゃいましたね、そこは。
いやー、その揺らぎめっちゃ良くって。
ちょっと違う作品の話に飛ばすんですけど、
アイドルマスターシンデレラガールズってゲームあるじゃないですか。
あれのアニメが10年ぐらい前にやってたんですよ。
でちょっとだけ見てたんですけど、オープニングでアイドルの話なんで、
歌とダンスのオープニングなんですけど、アイドルがいっぱいいて踊ってるんですけど、
揃ってないんですよ。
だから各々の振付がずれてるんですよね。
ニュアンスが違うんですよ。これだよと思って。
本作でもそれあるなと思って、
マリオさんがおっしゃられたとこもそうだし、ライブシーンの、
ギターを持ってちょっと後ろを向いた時に、
このギターから伸びてるコードがどういう風に動くかとか、
そういう部分。
壇上でギター持って動いたらこういう風な振る舞いになるよねみたいな、
この身体性のリアリズムですね。
あとあのライブシーンね、僕音悪いと思ってるんですよ。
いい意味で。だから学生のライブなんて音響がいいはずないっていう。
確かに。
歌詞聞き取れないんですよ。
何歌ってるかわかんないんですよ。
でもそれでいいんです。なぜなら学生のライブだから。
なんなら体育館ですからね。
でもその揺らぎというか歪みみたいなのが、音ありきではない。
まずあの世界があって、そこで楽器を奏でて歌を歌ってるから、
その音が流れてくる必然性があると思うんですよ。
だから聞こえにくい。
別にそのライブやる場所でもないし、体育館だから。
そんないい機材使ってるわけでもないし、
そもそも技術があるわけでもない半無素人みたいな学生3人でやってるわけじゃないですか。
15:01
音がいいはずがないんですよ。
確かにな。
そこがね良いんですよね。
あと観客のちょっとしらけた感じもいいんですけどね。
1曲目2曲目あたりの、なんか突然知らん曲やりだしたら、
お前ら誰やねんっていう空気ですよね。
あの感じ、分かる分かる。
僕の時の高校の文化祭でも訳わからん曲やって、だいぶしらけたムードでやってたバンドあったわって思いました。
そうちょっと思い出しましたね。
あそこで盛り上がってんのって大人だけ。
だからそこで頑張って盛り上げようとできる人が全力で盛り上がってて、
学生たちはそれに後からついていってる立場っていう。
そのリアリティ。
いやでもそうなんですよね。
アノライドシーン本当にいい、デフォルメもしてるしリアルだなっていうか。
トツコの親友の一人がね、
トツコーって言ってくれるのもすごい勇気いるだろうし、
ああいうのに励まされるよねとかいうのがサラッと入ってきたりとか。
いいですよね、ああいうライドシーン。
すごい良かったですね。
あとけんけんけんけんさんちょっと追加のお便りいただいてるみたいで、
ちょっと読ませていただくと、
2点気になったところがあったので皆さんの意見を聞きたいです。
1つ目が、作中でルイくんだけがガラケーを使っていたように記憶しているのですが、その描写の意図です。
2つ目が、教会で祈りを捧げるシーンでの手の組み方です。
キリスト教で合唱はしないと思うのですが、
今作では十字を切った後に合唱していました。
その描写についても気になりました。
まずガラケーに関しては、どこまで意味があるかわからないけど、
多分そんなに友達がいないのかなっていうツールになってるかなとは思って。
トツコのルームメイトがいるじゃないですか。
はいはいはい。
スマホで遊んでるんですよね。
ウォッドの画像を描こうか何かして遊んでて。
あの年代って今だったら絶対スマホがあらゆるコミュニケーションのメインツールのはずだから、
スマホがないと多分友人関係がちょっと奥になるというか不便があると思うんですよ。
あそこでガラケー使ってるっていうのは、
多分そんなに友達いないだろうなっていう感じはするというか、
自分の世界を強く持ってるタイプの子なんだろうなっていうのは何となく感じられたかなっていうのは思いましたかね。
もしかしたらなんですけど、
あの島に学生でそんなにいないとかってこともあり得ません。
あ、そうか。そもそもね。
18:00
そうそうそうそう。だからそもそもスマホがいらないかどうかわからないにしても、
それで繋がれるほどそんなに人が多くないというか。
なんなら学年彼だけだったりするのかなとかって思いながら見てましたけど。
あと家庭環境的にもあんまり負担かけたくないからガラケーでいいやみたいな感じとかあったりするのかなとかちょっと思ったりしましたけど。
確かに。
あんまりそこは別に語られてないので、あくまでも完全憶測ですけど。
あんまり語らないですしね。
そうなんですよね。そもそもいろんなところに空白というか余白がある作品ですよね。
そうですね。だからこそいろいろちゃんと何というか、わからないから見なきゃいけないって感覚にすごいなるんですよね。見ていたら本当に。
あれは何だったんだろうなみたいなのを想像するみたいなのをしっかり観客に求めてくるっていうのが、
この機関でやってくれるのすげえなって思いましたけどね。
あとキリスト教のお祈りの手に関しては、多分ああいう手を揃えて合わせるお祈りの仕方はあると思うので、そこはまあまあまあ。
ある意味日本のキリスト教文化の中で築かれてきたものだったりもするのかなとかっていうのはちょっと、まさに舞台が長崎だってこともあるんで。
僕もキリスト教でそういう手を合わせるのか合わせるのかあんまりよくわからないのですけど、
祈り方は自由じゃないかなっていうのもちょっとあるんですよね。
いろいろスタイルあるかなって思うので、その人その人にとっての世界を見え方、信じ方みたいなものにもつながるのかなって思って。
まさにシスターヒヨコがバンドも一種の聖火隊って言ったのと同じようにってことですよね。
そうそうそうそうそう、そういうことかなみたいな。本当に実際どうなのかわかりませんけど。
ちょっと前にエックスで流れてきたので、カソリックが指を伸ばして揃えてお祈りして、プロセスタントが指を交互に組んで祈るみたいなのが流れてきて、
そうなんかなって言って調べてみたら、別に必ずしもそうではないみたいではあって。
僕が見てたキリスト教の解説してるYouTube、その人牧師さんなんですけど、
その人の最終結論は、祈りたいように祈ったらいいって言ってました。
やっぱそういうことですかね。
現象のキリスト教はそもそも手を挙げてのがお祈りみたいです。
両手を掲げるのがそもそものお祈りみたいです。
いろいろ変わってきてるんですね、そもそもね。
時代によって変わるものだし、その時代といかに共存していくかってことですもんね、たぶん。
21:03
いろいろ形を変えていくものだと思う。
次行きましょうか。
じゃあ、牧師さんお願いします。
はい、えむはらさんからいただきました。
面白かったと同時に、めちゃくちゃ尖った映画だというのが正直な感想です。
山田尚子監督のアニメ監督デビュー作である慶恩そっくりの展開ですが、
キャラクターの行動は緩やかな日常を描いた慶恩とは真逆。
保護者に拘束を破って男女交際はするわ、何も言わずに自主退学はするわ、
部外医者を女子寮に連れ込んで宿泊させるわ、はっきり言って不良ですよ、この人たち。
バンドの楽器構成もかなり前衛的ですし、最後はゴリゴリのテクノやっているのも尖りすぎている。
どんな作品が出てくるかは身構えていましたが、期待にたがわずとても尖った作品で満足しています。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
尖ってますよね、特にキミーは勝手に学校を辞めるってなかなかの尖りっくりですし、
別に音楽やっていくっていう強い思いで辞めたわけもなさそうというか、
てっきりプロのミュージシャン目指そうとしているのかなと思っていたら、
そういうわけでもなく、むしろ今始めたぐらいの感じだったから、すごいですよね。
特に彼女が辞める理由ってあんまりはっきりと描かれないですよね。
でも保護者のサインとかいらんかったのかなと思ったりもしたんですけど、辞めるとき。
それはちょっと思ったりはしました。
でもちょっと思ったのが、このアニメ作品の公開が8月28日かな。
要は8月の最終週じゃないですか、最終週の土日というか、金土日で。
この時期って10代がすごい学校に行きたくないとか、
結構ネガティブなワードの検索が一気に上がる時期なんですって。
聞いたことあります。
でもそのネガティブなワードのネガティブさって、たぶん10代にとっては言語ができてないというか、
なんでそうなのかすらたぶんわからない状態の子のほうが多いんじゃないかな、最近ではしているんですよ。
だからこそ、この作品のキミちゃんって結構そこと通じるとこがあるのかなって気はしていて。
この時期に公開した意味みたいなもの。
例えば夏休みの東方アニメ映画だったらもっとど真ん中にやってもいいわけじゃないですか。
でもあえてこの時期にやるっていうのはやっぱそういう子たちというか、
そういうような人たちへのメッセージにもなりうるキャラクターとして描いているのかなってのはちょっと想像はしました。
そうですね。
キミが学校を辞める理由って、僕は説明なくていいなとは思ったんですよね。
そんな漠然としたものの話であってもいいかなとは思ってて。
24:07
そこの理由をそんな求めてないところは結構僕は好ましく見てはいたんですけど。
あと、おばあちゃんのお家で住んでるのもなんか経緯複雑そうな感じあったと思うんですよね。話聞く限り。
そこも掘り下げないし。
その距離感は僕結構好きなんですよね。
トツコがバレーを辞めたきっかけとかもそんなに明言されないし。
想像する限りだと、たぶんあの対角ってバレーやるのは結構難しい対角だったりすると思うので。
そういう想像することはできるけど、別にそこを掘り下げてないからあくまでジャスリンの息を出ない。
ルイの思いも家業の医者を継がないといけないっていうこととか、あるいは母親に対する思いもそんなに掘り下げないとは思うんですよ。
あくまで彼が口にした限りでしかわからないというか。
本当の根っこの根っこの部分全然語ってない映画だと思うんですよね。
彼ら彼女らが口で説明している範囲でしか描写もないというか。
僕は全然それがありだなぁとは思いました。
その範囲で触れ合ってお互いを知ったという範囲の物語だなと思ったので。
そこに彼女たちのどういう因果でそうなったとかっていう。
そしてどこへ向かうかっていうのも別になくていいのかなっていう。
今ここにあるその世界だけで描いていいって感じはしたので。
ありかなって思いましたね。
だから僕ちょっと感じたことというか、
やっぱり距離感がすごいいいというか、話はしたと思うんですけど。
それとあとやっぱり青春映画らしい、ノスタルティックさがないなって思ったんですよ。
すごくいい意味で。
今この瞬間の話しかしてないなって思ったんですよ、ずっと。
過去のことって別に深くは語ろうとしないし。
この子たちは別に過去にとらわれてもいないし、
作り手側もそういうところを描きたい感じでもない。
今その瞬間見えている世界みたいなものをどれだけ愛おしく思えるかっていうことにすごく意識向けてるんだなってすごく思って。
だからこの映画で唯一ちょっと過去をある種、青春を振り返るようなことをしてくれてるのは
スターシルドへの曲ぐらいのものかなっていう。
確かに。
劇中はすごく本当に一瞬、その時一瞬一瞬の気持ちの発露というか交わりとかそういったところを繋げてるので、
27:10
それが別に繋がっていってもいないし、繋がっていってないっていうのもちょっと違うんですけど、
一個一個が点と点と点と点とみたいな感じで、そっから波及した色みたいなのが重なって何とか繋がって見えるみたいなイメージなんですよね、僕はこの映画に対して思っている。
だからすごくまずその描いてるバランスみたいなのからしてすごく面白いなって思ったし、
僕はちょっとなかなか見たことないよこれってすごく思ったんですよね。
はい、次行きましょうか。
飯倉さんからいただきました。
恋とか将来とかまだはっきりする前の、でも確かにもやもやと存在する悩みを抱える淡いひとときと、そこに鮮烈な音楽が加わる映画で、改めて山田尚子監督すごいなと思わされました。
別に大事件が起こるわけでもなく、3人が抱えるのは大人から見れば些細な悩みですが、彼らにとっては目のしかかる変えることのできないものです。
好きと秘密を持ち寄り片時だけ人生が交差し、少しずつ前に進む彼らの多好感と優しさに満ちた物語に浸れる2時間はとても尊かったです。
悪意のある人間が登場しなかったり、長崎の街の異国感だったりも含めて良かったです。
トツコにとって君は太陽のような存在で、ラッサではその太陽に透かして自分の色に気づくわけですが、見ている側からすれば繊細でありながらも明るく、時にみんなを引っ張っていくトツコこそ太陽みたいな人だと思いました。
油断ですが、スイキン・チカモク・ドッテン・アーメンの楽曲のテクノ感はすごくサカナクションっぽさを感じました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
そうですね、悪意のある人間が登場しない、山田博監督の作品、そういうの多い気はするんですけど、声の形はちょっと例外として、そういうものを描いている傾向はあるのかなって気はしますけど。
なんかそれこそ、今回その主人公たち大人に結構いろいろ隠し事をするじゃないですか。
で、その隠し事って別に大人を怒らせるようなことじゃないというか、言えない理由は彼らの中に勝手にあるだけという感じはすごいなんかいいバランスだなってなかなかないなこのバランスって思ったんですよね。
だいたいそれで大人を気遣ったりとか、これを言ったら怒るんじゃないかみたいなところで言えなかったりすることも、もちろんそれもあると思うんですけど、言ったらああ、そんなことっていうか、そうなのねってみんなすんなりと受け止めるっていうぐらいの話にはなってるなと思って。
でもなんか渋滞の頃ってその不安というか、秘密を持つだけで罪悪感って確かパンフレットの中でも書かれたと思うんですけど、みたいな感覚なんかあった気はするなっていう。
30:01
そうっすね。これちょっと整理できてなくて感覚的な物言いになっちゃうんですけど、彼女たちの感覚があんまりそのさっきマリアさんが言ってたノスタルジーがあんまりないっていう部分とも近いと思うんですけど、
なんか大人から見て子供ってこういう風な悩みだよねっていうのにあんまりのっとった言い方してないっていう感覚があったんですよね。
これ全然感覚的だし反論できる言い方を僕今してると思うんですけど、なんて言ったらいいのかな。子供時代はこういう悩みがあってね、でこうこうでみたいな、今思うとそういうもんだよねって大人からして既に理路整然とストーリー立てられた若い時の悩みのところまで至ってないというか、曖昧なんですよ。
だからそれがどこまで深い悩みなのかもよくわかんないですよね、こっちから見てて。そこがストーリー立てられたら深刻な悩みに見えるじゃないですか。
たとえば君の両親がどうだったっていうストーリーを掘り下げていくと、じゃあ君がなぜ学校を辞めるっていう選択肢を選んだとか、音楽をなぜ始めたとかっていうストーリーがどんどん筋満ちたっていって、そこの深刻さとかが大きな大和谷っていう物語の躍動感になっていくと思うんですけど、そうなってないと思うんですよ。
なんかすべてが今思うとああだよねみたいなストーリーの形に当てはめられてない、ふわっとしたよくわからない言語化されてない、でも本人の中にはあるよねっていう悩み、もしかしたら悩みっていう形ですらないかもしれない何かがそれぞれの中にあって、それぞれの行動につながっていくっていう感覚、ほんと感覚なんですけどこれ。
でもその何かねそこが嫌いじゃないんですよね。
確かに。僕も同じぐらいの年の時に自分の悩みってこんなに理路整然に言語ができるかって言ったらできない気がするなって思うんですよね。なんとなく漠然とこうしなきゃいけないんだろうなみたいなこととかはあるけど、
でもそれがじゃあ自分にとってどう辛いのかみたいなのをじゃあ説明できるかっていうと、大人になった今だったらこうだったのかなっていうのは説明とかは多分多少できると思うんですけど、僕は多分できなかったなっていうその同じ年だった時っていうのはすごくあるので、
なんかその今山口さんが言ってたことはすごくなんかわかるなっていう感じはすごくしましたね。本当にお互いにも書いてましたけど、やっぱりすごく淡いんですよね。いろいろなものが自分の考えていることだったりとか、その時の感情だったりとかっていうのが、
33:14
本当その時の一応こう本当に点がポンと放たれるだけっていう感じで、そこからどうなのかっていうのは僕たちがしっかり目を開いて映画を見なきゃいけないことがすごく効いてくるのかなーっていうのはすごく思いましたね。
なんかそれをやっぱり大人の視点から、こうだよって答えを言わない小さひよこことひよこ先生はめちゃくちゃいいなと思っていて、ああいう大人になりたいというか。
そうですね、なんか悪意のない人間が登場しないっていうのはその通りなんですけど、やっぱりその変に干渉する大人がいないっていうことが一番なのかもなっていう感じですよね。
あと僕は、悪意のある人間が出てこないとかっていうのに対して、ユートピアを描いているとかっていうわけでもないなっていうふうな感覚があるんですけど、
優しい世界で優しい人だけが出てくる物語であればあるほど、その裏にある世界って残酷なんだなっていうのがより際立って見えるんですよね。
なんかこの枠組みから出た瞬間、世界って残酷なんじゃないかみたいなのがすごいより強調されて見えるぐらいなんですよ。
だから僕、そういうものをない世界を描いてるんじゃなくて、描かないようにすればするほど、わざとどけてる、描かないようにしてる何かの存在は強調されるなっていう感覚なんですよ。
だから多分大変なんです、彼女たちの。これまでの人生もそうだし、これからの人生も大変なんですよ、きっと。
あと周りの大人たちも大変だったし、今も大変だし、これからも大変だと思うんですけど、でもそこに世界があって、そのことを丁寧に信じられるように作ってるっていうのがわずかな救いになってるというか、
多分それって祈りってことだと思うんでしょうね。平穏無事な世界の話だと思うんですよ、この話自体は。
それだけで満ちた世界を描くっていうこと自体が、これからも世界がそうであってほしいっていう祈りだと思うんです。信仰だと思うんですよ。
でもそれは、多分そうじゃなくなる瞬間は絶対来る。でも、だからって祈りを止めるわけじゃないんですよね、多分。
なんかそれをね、僕は感じるんですよね。だから、ふわふわした世界の話が別に、なんというか、世界の残酷さから目を向けてるわけでもないのかなっていう感覚なんですよ。
36:12
それは祈るためにやってる。祈るためにその世界を描いてるんじゃないかなっていう。それは作品にはよります、絶対に。ただ、山田監督の作品、慶恩とかもそうなんですけど、この瞬間の彼女たちと彼女たちがいるこの世界に祝福あれって思いながら作ってそうだなって思うんですよ。
それは絶対あるな。動画やな、本当に。多分誰よりもこの映画の中で、誰よりもこの登場人物たちのことの幸せを願ってるのは間違いなく監督だなって感じですよね、本当に。
あとやっぱりちょっと、今作とちょっとやっぱり連想したのはちょっと夜明けの全てだったりもした。
そうなんですよね。てか、似たことを確か三宅昌監督も言ってたんですよ。映画ぐらいそういうものがない世界を描いたっていいじゃないかっていうのは確か夜明けの全てのインタビューで。
そう、多分。夜明けの全ても同じような願いのもとを作られているはずだなっていうのはね、すごく思いましたよね。
劇中のその人との距離感の心地よさも含めて本当に通じるものがすごくあるし、そこにちょっと宇宙というモチーフが入るところまで進行にしても感じちゃったりするし、
なんかすごく、今年ってこういう年だったのかなって思えるような年だったなっていう、振り返りそうな気がしますけどね。
なるほど、確かに言われてみたら通じるものはありますね、夜明けの全てと。
そうだ。
次、では行きましょうか。
はい、きよべーさんからです。
山田尚子監督の久しぶりの劇場長編が見れるということで、どんな作品になっているか大変期待して風切り日に劇場に足を運びました。
劇についてはとても素晴らしい劇だと思いました。
一本の作品の鑑賞としては大変満足しましたが、いざ感想を書こうと思ってもなかなかと言葉が出てきません。
うーん、なんでだろう。
例えば、作中で主人公たちはバンドを結成しますが、始めたばかりというギターかっこ立憲バッカー、あまり上手ではないというピアノかっこキーボード、
そしてなぜかテルミンという初めてやるバンドにしてはいささか前衛的な編成のバンドが奏でる音楽が流れますが、でもちゃんと成立している。
エンドロールではきっちり大御所のミスチュリが流れるなどのなんというか楽さ、
同家とティンダー、また繰り返し描写されるリンゴ、ニュートンの振り子、花といったイメージの反復やメタファー、
それぞれの楽器や楽曲、演奏にも意図があるでしょうし、原稿外の表現の豊穣さは山田演出の特徴でもあると思いますが、
なんというかテーマとしては少年少女の心の葛藤と開放、そしてささやかな成長という極めて普遍的なテーマを描いていると思います。
39:02
つまりテーマは普通だが、描き方が先鋭的すぎて、自分の語彙力でうまくこの映画を表現できない、そんな印象です。
感想がうまく描けないことのエクスキューズのようになってしまい大変恐縮ですが、
そのあたり皆様はどう受け取られているのか、ご感想をお聞かせ願いいただければ幸いです。
ありがとうございます。
リンゴとニュートンの振りっ子が差し込まれているっていうのを僕、言われて気づいたんですけど、確かにそうだったなぁとは思ったんですけど、
どこまで直接的なメタファーとして入れ込んでいるか、あんまりわかんないかなって気はしてるんですよね、僕的には。
リズと青い鳥は、僕はあれ、メタファーの塊映画だと思ってて、
めちゃくちゃ好きなんですよ、あれはああいう意味でってずっと考えながら見てるんでね、リズと青い鳥に関しては。
それはそれで面白いんですけど、リズと青い鳥って意味でガチガチの世界なんですよね、あそこ。
結構息苦しくはあるとは思ってて、
もう全部がこういう意味でっていう、道々って意味によって世界が作られているぐらいやなって思うんですよ。
本当にあの映画全部意味の塊だなと思ってるんですけど、本作ってそこまで意味つむい込んでないように僕は感じてるんですよね。
意味っていうのは、わかりやすさというか答えだと思うんですよ。
それはわかりやすさでもあって、でもそんな世界はわかりやすいものじゃないと思うんですよね。
さっきもちょっと話してたんですけど、この色とか音っていうものも確かなものがあるわけじゃなくって、
まず世界があって、そこから我々がその音とか色を感じてるだけで、そこの意味は別にあるわけじゃないと思うんですよ。
だから世界はメタファーの塊じゃないんですよ、特に本作においては。
そこで世界に意味を与えているのが信仰だと思うんですよね。
そのなぜ君が青色で男の子の名前忘れた。
ルイン・ルイク。
ルイクは緑色でしたよね。
そして自分が赤いっていうのも別にそれはそう感じてただけだと思うんです。
でもそこに自分にとっての意味を、そこにある世界の意味を付け足していくのが信仰だと思うので、
世界の側に意味を与えられてないっていう感じを僕はしたんですよ、本作においては。
だからあんまりいろんなものを散りばめられてるけど、あんまりメタファー的においてないような感覚を僕は覚えました。
42:03
何というか、単価読むときにとりあえず5文字の言葉を上に置いてみるみたいな、そういう感じだと思うんですよね。
リズム感というか。
分かる分かる分かる。
その代表作が水金近く.アーメンという、とんでもないキラーフレーズっていう感じですかね。
それを映像でやってる感じというか、リンゴといえばニュートンみたいな。
連想ゲームみたいな。
リンゴっていうあの形で赤いものがあそこにあると、映像としてのリズムがいいみたいな。
ふりこの玉が連なっているのが画面にあると、映像としてのリズムがいいみたいな。
意味じゃないところに意図を持って置かれてる感じはするとしますかね。
本当にどういうつもりで置いてるか分からないですよね。
監督本人がね。
確かに、あのふりこ使わないでなんでメトロノーム使わないんだろうって思っちゃいましたし、
気持ちいいからっていう理由なのかもしれないなっていう。
でもこういう意味でつなげてみたくなる映画でもあったけどな、僕的には。
見えない概念を見ようとする話って感じが僕はすごいしたんですよね。
色にしても音にしても見えない波じゃないですかっていうところとか、
あとルイくんが扱うテレビっていうのも文字通り見えない、何かを触っているように見えるし、
あと船の時に電波が届いてないやっていうのも見えてないから気づかないよね、その波みたいなところを耳に感じたりとかはしたんですよね。
映像としては僕たちちゃんと見えるようにしてくれてるんだけど、
実際に本当にはきちんと目の前に広がっているもの以上のことが見えなくて、
でもそれを本人たちの気持ちだったりとか淡い感情だったりみたいなことですけど、
それをやっぱり映画の構造としてもすごく見ていかなきゃいけないっていうことにすごく意識的に取り組んでらっしゃるみたいな感じを僕はすごくしたので、
だから僕は見えないものを見ようとするっていうふうなキーワードをこの映画に持ち込んだって感じなんですよね。
声の形が聞こえない声を聞こうとする話だったので、それを今度は視覚的にやったって感じなのかなと個人的にはすごく思いました。
マリオさんのお話にも踏まえて僕なりの言い方にすると、意味よりまず世界があるっていうことを描こうとしている作品っていう感覚なんですよね。
45:02
音とか色とかもそうなんですけど、かっことあるものがそこにそれぞれ音っていうものがある、色っていうものがあるんじゃなくて、まず世界があってそれが我々が感じているっていうものを描こうとしている。
これ繰り返し言っちゃってるんですけど、アニメーションってめちゃめちゃデジタルなものだと思うんです。
だから、描こうとしたものだけがあるし、描こうとしなかったものはないんですよね、あの世界には。
それはこの意図によって作られたものになってしまうっていう、それは実写映画と違ってっていう部分なんですけど、アニメーション作品はもう意図によってのみ作られているもので、
でもそれでガチガチにしてしまわないように作ってる作品だなと思うんです。
意図によってのみ作られている世界がアニメーションなんだけれども、でもそうじゃないものがあるって感じてほしいって思いながら作ってる感じがするんですよね、本作は。
なんかね、それはすごい僕、本作の好きなところだなと思ってて。
確かに。
確かに言われてみたら、そっか。
そもそも山田監督の演出って、そもそもちょっとやっぱり実写的なところも含めて、
アニメでその意味しかないアニメになんかそうでないものを持ち込もうとしてる感っていうのは、ずっとやられてる方っちゃそうだなっていうのは聞いて思いました。
はい、では次のお便り行きたいんですけども、すいません、野良さんからお便りをいただいてるんですけども、すいません、すごい熱量のお便りをいただいてまして。
すごかったですね。
びっくりしましたね。
論文みたいなお便りをいただいてるんですけど、我々目を通してるんですけど、すいません、ちょっと紹介する時間がなくてですね、すいません本当に。
あと、かいつまんで取り上げるってことができないっていうか。
そうなんです。
一連の論なんですよね。
なので、すいません、読ませてはいただいたんですがごめんなさい、ちょっとご紹介できないっていう形になってしまうんですけども、ご了承ください、すいません。
なんかもう、もしブログとかNOZOとかもしご自身でやられてるんだったらそちらで発表された方が絶対いいんじゃないかなっていう。
何かしらのコメントで世に出した方がいいとは思います。
ちょうどお便り読み終わったところで、タイムリミットなんですけど。
48:01
ですよね。
もうちょっとだけ話したいことあったんですけど、トツコの体型もう少し掘り下げて僕はしゃべりたかったんですけど。
そこちょっと触れたかったです。
そうだな。
トツコが自分の色を見えた瞬間の感じとか。
そうだよね。
自分の色的なものって自分の中と他人から生まれてくるよなってすごい思ったっていう話とかすごいしたかったんですけど。
話足りませんですね。
いやでも思ってたより喋れたかもしれない。ムズってずっと思ってたんだよね。
そうですね。
もう本当に好きでしょうがないんですけど、マジで喋れる気がしないなって思って。
実は2回も見てるんですけど。
そうなんですね。
2回も見てこの体たらくかって感じなんですよ。自分の中で本当に。ダメだなっていう。
とんでもない作品だなっていう。でも見た時の胸がめちゃくちゃザワザワしちゃって。
なんだろうこの感覚っていう。
張り裂けそうなこの感情の波がみたいな感じで本当にすごかったんで。
我々語り足りないので、もし直接会うことがあったら皆さん、君の色の話しましょうねっていうことで。
しゃべりましょう。
終わっておこうかなと思います。
ではお知らせになります。
9月21日、22日の2日間、我々3人と大阪の映画館シネマート震災橋のシャエニン・ヨウコさんの4人で、
お客さんに映画をお勧めするイベント、映画紹介屋さんをオープンします。
場所は大阪梅田のファッションビル、六羽大阪公式サイトから予約を取ってぜひお越しください。
映画南下スギルバー9月は通常の月末曜日開催はお休みとなります。
その変わりといっては何なんですけど、平日にちょっと僕、店長で映画テーマのバーを週間回りでやらせてもらいたいなと思ってます。
日曜日、9月30日月曜日です。熟字オープン23時クローズです。
大阪震災橋で第3木曜日に山口山店長をする映画南下スギルバー震災橋も営業中です。
場所は震災橋駅から徒歩6分のバー雨村シェルハッターという場所。
ちょっとめっちゃ難しい場所なんで地図見ていただけたらと思います。
こちらも熟字オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体や次回お便り募集テーマトークテーマ作品に向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報を次回テーマXにて告知しております。
各ご案内は番組説明動画をご確認くださいませ。
51:03
それでは映画南下スギルラジオ第180回黄緑色の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
51:35

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