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  2. 第190回(2) 『グラディエータ..
2024-11-26 1:15:11

第190回(2) 『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』英雄を求められるのは荷が重すぎる

『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』の話をしました。

前作の神話性に対し今作が新たに現代的な政治性を得たことや、将軍アカシウスがあまりドラマに絡めていないこと、それによってルシウスが英雄をやる根拠が希薄になっているように見える点などについて話しています。

※古代ローマに関する知識はあまりないのでご容赦ください。

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はい、今日のテーマトークは、グラディエーターII 英雄を呼ぶ声です。
では、解説、大井さんお願いできますか。
はい、EGA.comより読ませていただきます。
古代ローマ舞台に皇帝の後継者争いの陰謀に巻き込まれ、グラディエーターとして可烈な戦いに身を投じる男の姿を描いたスペクタクルアクション、グラディエーター。
巨匠リドリー・スコットが監督を手掛け、アカデミー賞で作品賞や主演代表賞など5部門を受賞した同作の、24年ぶりとなる続編。
将軍アカシウス率いるローマ帝国軍の侵攻により、愛せる妻を殺された男、ルシアス。
全てを失い、アカシウスへの復讐を胸に誓う彼は、マクリヌスという謎の男と出会う。
ルシアスの心の中で燃え盛る怒りに目をつけたマクリヌスの導きによって、ルシアスはローマへを向き、マクリヌスが所有する剣刀士、グラディエーターとなり、
力のみが物を言うコロッセウムで待ち受ける戦いへ踏み出していく。
今作の主人公となるルシアスは、ラッセル・クローが演じた前作の主人公、マキシマスの息子という設定。
そのルシアスの役をアフターサンデーアカデミー賞にノミネートされたポール・メスカルが演じた。
その他、デンゼル・ワシントン、ベドル・パスカル、前作からの俗党、コニーニール・センらが共演。
ドリー・スコットが前作に続いて監督を務め、脚本はナポレオン・ゲティー家のミノシロキンのデビッド・スカルパーが担当。
はい、それでは第4に触れる話を入っていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただきたいと思います。
はい、では座りの感想、大石さんいかがでした?
いやー面白かったっすね。っていうのと、あと前作を映画館で見れなかったので、今作を映画館で見れたことの喜びがとにかくすごくあって。
いやー映画館向きの映画をしっかり映画館で見れたなっていう感覚がすごくありました。
ちょうどその前作のグラディエーターっていうのはもう英雄が空っぽの英雄というか、みんなの願いを注がれていく英雄として描かれてたじゃないですか。
それに対して今作は自我を持った一人の若者がそこを器にされていくまでの話だなっていう感覚を受けて、ある意味ほんとドゥーンパート2とすごい似たテーマ性を受けましたし、なんか最近それがハリウッド映画として求められてるのはなんかちょっと不思議だなっていうのをすごい感じたりもしました。
あと単純にコロッセウムでの戦闘のアイデアの数々というか、これと戦わせるんだっていう、そのアイデアが一個一個新鮮で、リドリー・スコットすげえなっていう。
いやー結構豪快に映画的な嘘つくじゃないですか。
そうなんですよ。そのなんか豪快さがちょっともう痺れましたね、今回は。
いやーやっぱね、ちょっとその現代の作家のバランス感覚じゃないなと思って、やっぱその伝説をくぐり抜けてきた人の豪快さありますよね。
03:03
ありましたあります。
コロッセウムにサメ払ったかとか、あとヒヒとかもね、何この怖い動物みたいな。
あんな形のヒヒ僕見たことないんですけど。
本当に、何これっていう。いやーすごかったですよね、っていうのもありました。
あとキャラクターとしても、その今回やっぱりデンゼル・ワシントンがめちゃくちゃ魅力的かつ超怖くて、なんかそこも含めて、いやもうなんか本当にお腹いっぱい楽しめたなっていう感じの映画でしたね。
僕はですね、まず面白かったですよね。面白かったっていうのがあって、基本的な大まかな構造はほぼ前作グラディエーターと一緒っちゃ一緒なんですけど、やっぱディティールが違うんですよね。
オイスさんもおっしゃってましたけど、前作のマキシマスがひたすら英雄全都したキャラクターで、映画自体もあくまで神話的な話、圧勝をしくぼうくんを倒そう、民衆の力でみたいな話になってて、大まかにはそれは一緒なんですけど、やっぱりそこに対してその前作へのカウンターというか相対化みたいなことはしている。
具体的に言うと、やっぱりローマの最盛期の時代が終わりを迎える時代でもあって、やっぱりそのローマの闇の部分もちゃんと描いている。やってたことって侵略戦争ですよねとか、あるいは元老院って腐敗してましたよねとか、やっぱり前作になかった部分を見せてて、やっぱその闇が跳ね返ってきてるなっていう感じを描いてたと思うんですよ。
あとこれもオイスさんおっしゃってた通り、主人公ルシアスの内面の複雑さがやっぱりポール・メスカルによってすごい増してたと思うんですよ。
前作マキシマスの悩みっていうものはシンプル。家族を失った喪失感と暴君に対する怒りっていうシンプルさだったんですけど、やっぱりもっと複雑ですよね。そこは複雑さを増しているところだなぁとは思って。
前作の神話性に対して、今作がローマを相対化することによってちょっと現代的な政治的な内容にもなってたかなとは思いましたね。ちょっとそれによって勢いがめべりしたなって思った部分はあって、僕は結構神話をやりきってほしかった気持ちもあってというか、
これもっと神話でやりきったら、僕はスターウォーズ帝国の逆襲とジェダイの帰還を一歩の中でやれた作品になり得たんじゃないかって思ってて、それの材料になり得たのがアカシウスの存在なんですけど、アカシウスの扱いもったいなくないって思って。
06:10
わかりますわかります。もうちょっとなっていう。
めちゃめちゃ複雑やと思うんですけど、惜しいなぁと思って、徹底的に2つの父。不在となった、理想化された父、マキシマスと、実在する、越えるべき壁としての父、アカシウスっていう。僕これスターウォーズ帝国の逆襲とジェダイの帰還だと思うんですけど。
確かに確かに。
スターウォーズはそれを一人がやってるんですよ。不在の理想の父と、実在する、越えるべき壁としての父を一人がやってるっていう面白さがあるんですけど、それをやれたんじゃねーみたいな、前作でうまいこと言ってたことが実は全然うまいこと言ってませんでしたっていう意味でもやっぱり帝国の逆襲だと思うんでね。
いやーなんかねー、スターウォーズ見たかったっていうのは、単に僕がスターウォーズ見たかっただけの話なんで。
でもなんか確かにスターウォーズっぽさめちゃくちゃありましたよね、今作。前作よりも増してというか、騎士リュウリタンとしてめちゃくちゃスターウォーズっぽいなっていうのは途中から思ったりはしてましたね。
ちゃんと騎士リュウリタンですよね。前作もっぽさはあるけど、別にマキシマス自体すっげー尊い生まれっていうわけじゃないから、あくまで地方から出てきて成功した軍人っていう感じでしたけど、今回明確に皇帝の血ですから、騎士リュウリタンですよね。
ちょっと掘り下げて後々話せたらなと思います。じゃあ、具体的に掘り下げた話していこうと思うんですけど、ちょっとオープニングから話したいなと思っているのが、海戦から入るっていうのが良かったですね。
いやーすごかったですね、まずね。 この時代、ギリシャローマ時代を描くにあたって海戦って見たいと思うんですよ。ただ前作はなかった。前作はあくまで地上戦のみと、あるいは殺せよ、闘技場の中での戦いのみだったんで、今回それをローマといえば海戦でしょうと言わんばかりに豪快な海戦をやるし、
さらにはせっかくだから殺せよの中でも海戦やっちゃおうって。 あのオバンブルバよ、ほんと何なんすか。 やっぱりリドリー・スコットすごいですよね、懐深いというか、映画なんてこういうのでいいんだよっていう急に雑な球投げる勇気を持ってる。
ほんとそうなんすよね。全然歴史的にあるわけないんですけどあんな。当てたまるかよって思うけど。いやでももう映画だからやってほしいよなっていう。
09:03
ジョージ・ルーカスがどうして宇宙で爆発音が鳴るんですかっていうのに対して、俺の宇宙では鳴るんだよって言ったっていう伝説がありますけど、それと一緒というか、映画は一番面白い嘘をついていいっていうのを確信している世代ですよね、あの辺りって。
そうなんすよね。なんかそれがもう清々しいですよね、今作は本当に。 いやもうなんか歴史改ざんだとか勇気なくなりますからね。 もう全くないです、もう。こんなの見せてくれるならいくらでも買えてくれよって思いましたもん。
ちなみにちょっとあそこのコロセオでの海戦描写で、あのサメについてちょっと言いたいんですけど、そこもちょっと嘘ついてるんですよ一個。あそこで放ったサメって多分普通ならホウジルサメ放つと思うんですけど、あそこシロワニ放ってるんですよ。
シロワニってめちゃくちゃ魚食なんで普通人食わないんですけど、ただ静岡とかでよく展示されてるのを見てわかる通りめちゃくちゃ顔怖いんですよ。だから一番顔映えするやつを選んでるなっていう。そこもいい映画の嘘だなって思って僕は見てました。
青井さん的にそれできる嘘ですか? もう全然全然。だってもうコロセオに水放てるって言ってる時点で嘘だってことはわかったじゃないですか。じゃあもういかにそれをよくというか、より怖くというか、よりこうわかりやすく怖く残酷に見せるかって言った時にシロワニというチョイスはわかってんねって思いながら見てました。
そうなのか。いやあの凶暴さとサイズ感的に僕イタチサメとかそのあたりなんかなーって思ってて。なんか地中海にイタチサメっていそうだなっていう完全イメージなんですけど、違うんですね。 そうなんですよ。あれ多分一瞬映ったのを見る限りは多分シロワニなんですよ。
本来的には別に人を害するような性質は持ってないけど、ビジュアルだけで選ばれたっていう。 そうそう。 めちゃめちゃヒール、ヒールして。 本当に。しかも体格も確かに結構でかいんで、あー確かにこれ近くに来たら怖いもんなっていう感じがすごいして、僕はそこすごい好感持てましたねっていうちょっとサメ描写を少し触れたかったという。
そうですね。冒頭の海戦のところに戻ると、まず船とか、下の海藻で漕ぎ手が漕いでるとか、これこれって感じですけど、陸側から投石機で攻撃してとかね、古代の海戦のみたいやつだなっていう感じだなと思ってたんですけど、
あれ場所ヌミディアって言ってましたかね、確か。 確かそうですね。 あれですよね、ハンニバルが率いてた部族ですよね、ヌミディアって。 そうかそうですね、そうかそうか。
ハンニバルが率いて、共和制ローマの頃のローマをボコボコにしてた、めちゃめちゃ騎兵が強いので有名なヌミディアだったと思うんですけど、その後ヌミディアはローマ側について、ハンニバルがいたカルタゴを滅ぼして、今度はヌミディアがローマによって征服されるっていうね、そこのチョイスはそういう風にしてやってるのかなっていう。
12:23
まぁちょっとあんま僕詳しくないんだよね、この時代。 ハンニバルとかぐらいしか知らないから、有名なとこだけで選んでいってるんですけど。 でも確かに何かこう強者感は最初出てきた時からありましたよね。
あ、この人たち強いんだろうなっていうのがもう、軽装備でその挑もうとしてるとこからもう分かるというか。 ローマ兵の重装備ですね、めちゃくちゃ軽装備で挑んでいくじゃないですか、彼ら。それ見ても戦闘にすごく自信のある人たちなんだろうなっていうのがなんか、そこも結構大器にはなってるなと思って見てて。
そこでこう鍛えられてきたのが主人公っていうのもなんかその後に通じていくというか、っていうのはなんか見てて思いましたね。 そうですね。
あとオープニング、本当のオープニングの話してますけど、最初のアニメーションめちゃくちゃかっこよくなかったですか? あれむちゃくちゃいいですよね。 めっちゃ良くなかったですかね。 めちゃくちゃ良かった、あれ。
あれだけで僕結構テンション上がったんですけど。 すっげえテンション上がりました、僕も。 確かになんかあれがあることで、あ、前作見てきて良かったなっていう。あれ見るだけでもう前作のいろんなシーンがバーってよぎりますし、確かあれあれですよね、いつもリドリー・スコットの制作会社のスコットなんだっけ、なんとかっていうの。 スコットフリーかな。 スコットフリーを描かれてる方が確かあれも描かれてる。
あ、そうなんですか。スコットフリーの人間が鳥になって飛んでいくやつを描いてる人。え、すご!すごすぎる! そう、あの方がまさに一作目のグラディエーターのマキシマスのある神話みたいな神話をアニメーションとして最初に出すっていう。
なるほどな。いや、ちょっとあのオープニング良すぎて本当に。何なら本作で一番良かったかもしれない。 いや、あれすごい見てて、うわーってなんかテンション上がったんですよね。 神話表現としてすごくいいですよね。
やっぱりまさに一作目の神話に対して本作がそこに挑んでいく話だし、そこのカウンターにもなるっていうのもすごい象徴的に見ることができるなと思って。まさに本作におけるマキシマスってもう本当に神様の一人じゃないですか、ローマ人にとっての。
そこを実の息子であるルシアスが実際それをどう受け止めていけばいいんだよっていうのを多分やってる話でもあるなと思うので、その拡張高さみたいなものをすごい冒頭だけでこっちに全部分からせてくれるじゃんと思って。あれすごいなと思いましたね。
15:06
マキシマスの神格化されっぷりやばくて。だから本作、前作のキャスト結構出てるじゃないですか。出てるんですけど、ラッセル・クロウ出れないのは、前作で死んでるっていうのもあるんですけど、やっぱ今のラッセル・クロウ出れないよなっていうのがすごいしっくりきて。
だからやっぱ死んで美化されたっていうのが、今のラッセル・クロウがああであることによって非常に明確になってるというか。もし今のラッセル・クロウがマキシマスの十何年後として出るみたいな続編だとしたら、これあれですね、前作のヒーローが日常続いてたら堕落してましたみたいな系の続編になるじゃないですか。
そうなっちゃいますよね。
それがマキシマスが不在になることによって美化された神話化されたマキシマスっていうものに全員が縛られてる話になってて、それをマキシマスの不在によって成し遂げてる話だなっていうのはすごい思いましたね。ラッセル・クロウの不在とも言えますけど。
そうなんですよね。だからルシアス自身もまさに縛られていく人の一人にはなっていくんですけど、ペトロパスカル演じるアカシウスもやはりこうマキシマスを追いかけたいみたいなところが見えてきたりするじゃないですか。
全員の理想としてのマキシマスではあるんだけど、結局そこに行けない人たちの話でもあるっていうところがすごい切なくて、すごいそこも本作好きだなというか、人間の話をしてるなって感じがあるんですよね。
ペトロパスカル そうですね。マキシマスはデミゴッドですからね。 そうなんですよ。あいつやっぱり一回こう家族を失ってある種の死を迎えてから帰ってきてから本当神様に近いような存在になってますからね、もうあの時点で。
ペトロパスカル そうですよね。前作は本当に圧心デミゴッドの話だったと思うんですけど、やっぱ本作全体的に人間くさいんですよね。それはやっぱり主人公ルシアスの単に傷ついた悲しんでいるっていうだけじゃなくて、コンプレックスがあるというところ。
ペトロパスカル 特に父親と母親ですよね。あの複雑さは前作にあったとしたら、それは皇帝のあいつですよね。 そうなんですよ。コモドスにあったそのコンプレックスだったり複雑さみたいなものを抱えながら、とはいえ英雄として演じなきゃいけないってところがすごい見ながら共感してみれたというか、やっぱり重ねてしまうところはあったし。
ペトロパスカル そうなんですよね。基本ルシアス怒ってますからね、常に。 そうですね。めっちゃ怒りに対して評価されてましたからね。 ペトロパスカル そうそうそう。ずっとデンゼル・ワシントンがそうだ、お前のアイデンティティはそこだって言い続けるみたいな。それをたぎらせてきてみたいなことを言うっていう。
18:15
不在になって理想化された父に立ち向かっていくというか、追っかけていくみたいな話って、僕ちょっと思い出したのがクリードだったんですよ。 ペトロパスカル はいはいはい、なるほどなるほど。
あれもアポロ・クリードっていう偉大なボクシングの世界チャンピオンの、ちょっと表に出せない子供として生まれたアドニスが、父の影を追ってボクシングをやっていくっていう話でしたけど、なんかその精神性。
やっぱりもう世界に神話が残ってない若者の話っていう感じがクリードもあったし、やっぱ本作もあったと思うんですよ。だからもう偉大なローマの時代は終わったっていう。もう一度偉大なローマを取り戻すんだっていう神話の続きの物語ももう残ってなくなった時代というか。
まあ取り戻したいなって思ってはいるけど、そうはできない人たちの話だなって思って見てて、なんかそのクリードは思い出しましたね。 ペトロパスカル 確かにそこでこう別の父が彼を鍛えていく、まあクリードの場合はそこでロッキーがついてくるわけですけど、そこもすごい類似しているというか共通しているように見えますよね。
結構アポロもね、生きてたら結構ろくでもない人間やったと思いますよ。 ペトロパスカル それはそうでと思います確かに。 そもそもアドニスが生まれた経緯がさ、みたいなのもちょっとあるし。
ペトロパスカル ちょっとびっくりしましたけどね、そのルシアウスマキシマスの息子なんだって言われて、え、その説ってあったっけっていうのが最初ちょっと思ったとこではあって。 なんかあれ見てて僕うまく飲み込みきれなかったんですけど、事実として確定するシーンってありましたっけ?
ペトロパスカル いやー、なんか母いわくぐらいな感じでしたよね。 なんかそれも確証あんまりなさそうに僕は感じてたんですけど、そうなのかもしれないぐらいの温度感で感じてたのがいつの間にか確定事実というか。
ペトロパスカル いやーそうなんですよね。だからそもそもグラディエーターの中ではそこって、まあ多分ない設定なんじゃないかなって思ってたんですけど、そもそも。最後にルシアウスは無事かって言って安心して確かにマキシマス死にますけど、あれそういう意味やったん?って思ってちょっと。
ペトロパスカル 意味そういう風な意味で受け取ってなかったですからね。 そうそうそう。あれ?って思って。 ペトロパスカル あくまでその魂の話をしてたから、実際に血が繋がってるとかそういう認識じゃなかったから、え?なんか事実変わった?みたいな。
21:09
ペトロパスカル そうなんですよ。台詞一つも変わってないのに、あれ?その解釈やったっけ?ってちょっとなんか自分の記憶を遡りましたもん一回。 振って湧いた設定みたいな感じはありますよね。 ペトロパスカル うんそうなんですよね。でもまあ確かにそれで筋は通るからいいやっていう感じがしますけど。
まあそうですね。実は身内でしたってなっていくのは、なんだろうな。続編あるあるっちゃあるあるかなって気はしますけど。 ペトロパスカル まあ確かに。かっこいいスターウォーズもシークレットもそんな感じありましたからね。 話つくのにめちゃめちゃ都合いいんですよね。血が繋がってたって。自動的に作られる因縁になるから。
まあ盛り上がるっちゃ盛り上がるんですよ。そんな話やったっけ?ってなるし、どっかの家庭で倫理的な問題が生じてますよねみたいなことは思っちゃうもんですけど。 ペトロパスカル そうなんですよね。そうなんですよね。 結構マキシマス奥さんに一途やったけどなぁみたいな。
ペトロパスカル 奥さん子供一人だったから、あの後一回仮の死みたいな感じに僕らは受け取ってましたけどってちょっと思いながら。 ちょっとね複雑になるというか、やっぱクリードもちょっとアポロすげえ偉大なフリしてるけど、この時浮気してるんだよなみたいに言っちゃいますからね。クリードがあるせいでも。
ペトロパスカル そうなんだよな。あそこだけちょっと飲み込んでいいんだっけって思いながら見てましたけどね。あとその前作と比較するとキャラクターが全体的に多様になっていっているところが面白くて、やっぱりもうエンゼル・ワシントン、クリンスか、大エンゼル・デンゼル・ワシントンのもうなんていうか、彼イキイキと今回演じてたなって思うんですけど。
ペトロパスカル いや、むちゃくちゃいいですよね。 めっちゃいい。ほんとずっと良かったんですけど。
ペトロパスカル 前作のあの検討誌をプロモートしてる人が、結構その善悪の淡いをずっと言ったまま最終的にローマの誇りのために死ぬっていうすごい良いキャラで、よくあるっちゃよくあるというか、いわゆる半ソロ現象だと僕は思うんですけど。
グレーのやつが最後来てくれたらめっちゃ嬉しいっていう、半ソロと同じエモーションが生まれるタイプのキャラで。
で、エンゼル・ワシントンも今回かなーみたいな感じで、やっぱグラディエーターが執事だから、ルシアスに寄り添える行動も取ったりするし、それはそれとしてグラディエーターのプロモーターとしてビジネスパーソンでもあるっていう油断のならなさみたいなのが魅力のキャラではあったんですけど、
24:00
最終的にそいつがラスボスっていうのが、あ、前作のカウンターですねーってまず思って。そこがまあすごい良かったですね。
だからなんかそれこそ本当、興業主と興業というか、ほんとちょっとだけ極悪女王とかも思い出しましたし。
殺すよというプロレスみたいな、果たしてそこでやられてるその構造、それを楽しんでる構造みたいなもの、一作目でもそもそもそこに対するある種の疑問感というか、観客を見せることでそこにこれでいいんだっけっていうのってありましたけど、今作それがより際立って見えるなと思って。
それをウル側も含めてこの構造どうなんって見せてくるあたりが、いやーリトリー・スコットさんいじわるですわーと思って。
そうですね。だから本作やっぱりその帝政ローマの腐敗というか、ローマそのもののそもそもの負の構造みたいなのはかなり意図的に描いてたと思うんですよね。
前作の殺せよの監修とかも、あくまで盛り上がってる人たちだったと思うんですけど、やっぱりこのちょっと邪悪なエンタティングを楽しんでる人たちっていう側面に強調されてたとは思ってて。
マクリヌスがルシアスにかける言葉で、怒りがお前の魅力だみたいなことを言ってましたけど、エンターテイメントが怒りを内包するのって結構やばいと思うんですよ。
結構それに乗っかってしまえると思うので、それが生み出す構造って危ういというか、それ自体が支配構造の一部になっちゃうものだと思うんですよ。
よく物語とかでもディストピアもので、邪悪なエンターテイメントだけがよりどころになってるディストピアみたいなのってよくあると思うんですよね。
それになってたと思うんですよ、本作より。
そうですね、なんかより大敗感がそこで出てくるというか。
だから不満とか怒りとかっていうものを吐き出して、その支配態勢を維持させるためのエンターテイメントっていう形。だから怒りがいる。
お前が監修の仮に怒るんだっていうのをやってて、その感じは結構このマクリヌスの悪立ちさの表現としても良かったというか、
単にお前は怒るべきものに怒っていいんだって声をかけてるある種のメンターにも見えんことはないんですよね、あの段階で。
一番初めの段階だと。お前は叩くべきものと戦えっていうのはメンターが言うこと。
だけども、実はマクリヌスは違う意図も持ってるというか。
27:00
ただマクリヌスもそんな一面的な上昇思考とか支配欲、権力欲だけを持ってる人物じゃないというか、
複数の側面を常に持ち続けてて、グラディエーターのプロモーターでもあるけど元グラディエーターっていう、
元気のグラディエーターたちに感情移入する年代というのを持ち合わせてるし、
ローマの貴族たちに取り入って政治を上手いことやるっていう老快さも持ち合わせててっていう。
だからこれをやるんだっていうのは常に種としてばら撒いてて、
その目が出るのを待ち続けてる感じやなっていう、もちろん執念深くもあって、
最終的にローマの頂点を目指すっていう野望はもちろん持ってるんですけど、
それだけに全部振ってないというか、ふとした瞬間にルシアスの背中を押してやるみたいなことも気まぐれでやって、
それも割と人生の中で楽しんでそうな複雑さがあるんですよね。
なんかほんと一面的な悪役というかローマの上に立とうとしてる陰謀を巡らせる人って感じには見えないんですよね。
確かにもちろん陰謀は結局巡らせていることにはなるんですが、
でもなんかその陰謀もそんなにこう計画的にやってるっていうよりも、
その場その場で多分一番の最適化はこれだって思いついてやってる感じというか、
そういう意味ですごい人間的魅力みたいなものもめちゃくちゃこのキャラクターにあって、
あともう30分くらいこの2人、
ポール・メスカルとデンゼル・ワシントンのやりとり見たかったなぐらいな感じもあったりもしましたけど。
そうですよね。
だからその歴史において支配者となった人が、
初めからその支配者となることを目指してたのかっていう、
というよりはその時々のサバイバルをしていったら、
結果的にその頂点を目指すことがサバイバルの最適化だったからそこにいたみたいなのって、
まあ歴史でしばしばあることかと思うんですけど、
もちろんローマ相撲に対する復讐心みたいなのもちろん彼は持ってたらしい。
多分それはルシアスに近いものだと思うんですよ。
ただそれも別に成し遂げられなかったとしても、
彼プロモーターとしてノーノーとやり続けてた気もするんですよね。
そこがすごい良いというか、権力に座につけるタイミングが来たら絶対に逃がさないけど、
別にそれのために全身全霊をかけてるわけじゃなさそうっていうのがすごく魅力的だし、
非常に怖い。
そうなんです。
やっぱりそこはすごい現実のいろいろな政治に、
こう政治をされる方々をちょっと連想したりもしてしまって、
いやでもそういうことよなってちょっと思うというか、
ビジネスパーソンが政治家として適してるわけではないがっていう、
30:03
でも多分結果としてそこに飾るを得ない人いるんだろうなっていうのをすごい見てて思ったりもしました。
そうそう。マクリヌス、ビジネスパーソンなんですよ。
そう。
そこがね、やっぱ本作の結構強烈なエッジの部分だと思うんですけど。
そうなんですよね。だからあくまで自分が設けられるというか、
ある意味賭けに勝てるかどうかっていうところで全てをジャッジしてる感じがある。
それで結局ビジネスをやってる社会、ビジネスパーソンであれば大体は経験してることで、
もちろんだから前もちょっと言いましたけど、英雄には多分誰もなりたくないわけですよ。
基本的には。結果的になってしまうマキシマスみたいな人もいるかもしれないんですけど、
それに比べたらデンゼル・ワシントンがやってるやり方の方が割と身近にやってるなって感じがするというか、
その自覚もあるからなんかこのキャラ嫌いにはなれないんですよね。
そう、自分が皇帝になるんじゃなくてあくまでそのナンバー2のコンスルなんですよね。
で、あのすっげー象徴的だなと思ったシーンが、皇帝の名前忘れちゃったんですけど。
カラカラ帝とゲタ帝かな?
はい、そうですね。だからカラカラの方の刃を持ってる手を持ってゲタの喉を切り裂くっていう、
あれってめちゃめちゃメタファーというか、現実の陰謀劇ってそうやってやるもんじゃないと思うんですけど。
ただ、陰謀とはどういうことかっていうのは、人の手を持ってそいつの手で実行させるっていうことの映画的な要領だなと思ってあそこ。
そんな直でやらんみたいなことは映画はやるんですよね、やっぱあそこで。
そうそう、そうですね。
で、俺ナンバー2ですよって言ってるけど、実質そいつが考えてること通りに物語が進むっていうのが、やっぱりずるくて悪ですよねあそこが。
いやーそうなんですよ。その後のゲタ帝の首を持ってるのプレゼンテーション?
何あれって思いましたけど。
でも確かにプレゼンターとしてはちょっとやっぱ引かれちゃうとかあんなって思いながら見てましたけどね。
まるでアップルの新製品を紹介するからように。
あれ絶対賛成するしかない場になりますからね。
あんなにしたらそりゃそうなるでしょっていう。
いやーだからね、めちゃめちゃ示唆的だなと思って。
今回のラスボスがビジネスパーソンってめちゃめちゃ暗示的だなと僕は思ってるんですけど。
勝てる確率があってより利益を得られるんだったら最悪の選択肢を選べるもんでしょビジネスってっていうことを
やれなかったらやれないけどやれるんだったらやりますよねビジネスってっていうことを言ってると思って。
実際結構ビジネスパーソンの視点が今なんか世の中を嫌な方向を持ってきてるなっていう感覚は僕は結構あるんで。
33:09
はいはいわかります。非常によくわかります。
いやーだからすごい非常に現代的な前作みたいな親と子の因縁みたいなものに根差した悪の肯定みたいな感じじゃなくて
その悪の肯定っていうわかりやすさは今回ゲタとカラカラに分離させて
本当にゲタとカラカラやばいくらい空っぽの悪役だったと思うんですよ本当に。
すごかったっすよねちょっと。
本当にコムズスの表面だけ剥がしてペタって貼ったくらいの感じで
やっぱコムズスは複雑だったんでね内面が。
そうなんですよね。
でもそういうわかりやすくて軽薄な悪徳さみたいなものは今回クリニスは持たずに
あくまでその利益の最大化と確率論によってベタを目指したら最悪の選択肢を選ぶっていう
そのビジネス的な悪として描かれているのがなんか良かったんじゃないかなっていう
その前作よりも複雑になってた部分かなとは思ってて。
だから最後の対決も早速ちょっと触れちゃいますけど
なんかもう資本主義と正しさの戦いみたいな感じに見えてきちゃいますもんね。
そうですよね。
あんなわかりやすく対決できたらどんなにいいんだろうって思います現実を見てると。
そうなんですよね。だからアルシュルシアスがあるべき民主主義の権限みたいになっていて
それに対してクリニスが資本主義の権限みたいになっているから
すごい現代とはこの2つになりたってるじゃないですか。
多くの社会において。
その2つの戦闘というかパワーバランスを図ろうとしているようにも見えたなと思って。
そうですね。
最後はもう現代劇と言ってもいいというか
今の話してるなっていうのはすごい見ながら思ってました。
そうなんですよね。
だから前作の神話祭に比べてめちゃめちゃ現代的なポリティカルな話になったなっていうのはすごいありましたね。
なんか一方でなんですけどキャラクターでいうと
ペトロパスカルが意外とあっさり退場したのがちょっとびっくりして。
そうなんですよ。もったいない。
もっとポール・ミスカルとやり合うシーン見たかったなと思ったら
本当に瞬間的に消えていくんでちょっとびっくりしたんですよね。
本作のアカシウスの役割むちゃくちゃいい役なんですよ。
そうそうそうそう。
というか完全にこれマキシマスの写し身なんですよね。
そうなんですよ。
冒頭でヌミディアを侵攻してたのってやっぱマキシマスがやってたことじゃないですか。
36:04
そうまさにそうなんですよね。
そこにいる人たちの生活って破壊されてますよねっていうことを描いてて
でもそれマキシマスもやってたんですよね。
だから完全にマキシマスの写し身で
マキシマスの思い人だった皇帝の娘を埋めとって守ってあげてる。
あれは妻にしたというよりやっぱ守ってあげてるって意味が強いというか。
そうですよね。もちろん夫婦ではあるとはいえ。
っていうのがあって本当にマキシマスが不在となった代わりに現れた人っていう感じで
ルシアスはやっぱり彼に対する感情ってめちゃめちゃ複雑なはずなんですよね。
冒頭で自分の今の故郷であったルミニアを滅ぼされて
滅ぼされてというか侵略されてかつ自分の母を妻にしている人じゃないですか。
しかもなんならルシアスの妻の敵でもあるっていう。
めちゃめちゃ複雑な相手なのに
なんだろうあんまり掘り下げないですよねそこ。
そこはやっぱりちょっとリドリー・スコットっぽいなと思ったんですけど
あそこをもっと多分普通だったら深掘ることで
さっきおっしゃってた2つの父性のマキシマスが持っていた英雄性みたいなものを
明らかに勝者できるじゃないですか。
2人の父との対決って話にもできるじゃないですか。
そこをより深掘ることで。あんまりそこはやらないんだなと思って。
そうなんですよ。とっとと退場しちゃうんですよね。終わり切って。
俺死にますって言って死ぬから。
なんでって思って。
ルシアスとアカウシウス、互いの感情をやばいぐらいにぶつけ合って
その上で死なんといろんな感情が解決しないままなかったことになってるから
もったいねえと思ってあそこ。
そうなんだよな。ルシアスってその後結局ローマ側に立っていくじゃないですか。
その転換点に彼が行って成り立つ物語の気はしていて
あんまりそういうふうには見えなかったんですよね。
ルシアスがローマ側に思想を転換していく経緯があんまりよく自分は掴めてなくて。
ほんまにそう。アカシウスってルシアスがマキシマスの子供ってこと気づいてました?
なんかでも言ってたんじゃなかったでしたっけ?
言ってたような。言ってたんですよね多分。
彼を生かしてくれみたいなことを言われてたから彼は気づいてたはずなんですよアカシウスは。
僕あれ対決中に気づくべきじゃないですか。対決直前に気づくべきじゃないですか。
39:05
分かります分かります。それで複雑な感情を持ったまま言ってほしいというか。
対決した上でこのローマを引っ張るのは俺じゃなくてマキシマスの実施であるルシアスなんだ。
だから彼にローマを託すんだって言って死なないとダメだと思うんですよ。
戦いの中でそれに気づいてそれに気づくことでルシアスに倒されないといけないと思うんですよ。
だからルシアスこそがマキシマスを都合にふさわしいんだっていうことを
ルシアス自身が証明しないといけないしアカシウス自身もそれを受け入れるっていう過程がいると思うんですよ。
その儀式がいると思うんですけどその儀式がないんですよ。
そうなんすよね。まさかの後ろから矢を打たれて死ぬっていう。
勝手にアカシウスが納得して終わるだけで。
それでいいんだっけと思ってちょっと。
僕はやっぱりルシアスもそれをわかった上でアカシウスを斬るっていうことにしないと
そうしないと妻に対する仇っていう意味でも取れてないし
そうなんすよ。
妻の仇を取った上でアカシウスとかお母さんとかローマの思いも引き継ぐっていうのを
あの決闘の中でやらんとダメだと思うんですけど
ふわっとするでしょ。
もったいない。
そうなんだよな。
だから場面としてというかストーリーの大きな流れとしては完璧なんですよ。
そのタイミングでアカシウスとルシアスの対決があることは100%完璧なんですよ。
それ故にルシアスの今後の行動原理が変わっていくまでが
ストーリー展開はプロットは絶対合ってるはずなのに
何だろうこのカタルシスの無さはっていう。
本当にもったいないっていうのはあって
ちょっと僕が最後の感想で言った
スターウォーズ帝国の逆襲からジェダイの帰還だって
なり得たっていう話をちょっとしたいんですけど
まず帝国の逆襲はエピソード4新たなる希望で
反乱軍側がデススターを破壊しましたと
やった帝国に一撃食らわしたぞ
これから明るい未来が待ってるんだってなったと思ったら
エピソード5の冒頭で
反乱軍帝国にボコボコにされてるんですよね。
そうでしたね。
実は全然状況は改善してなかったっていうのが
スターウォーズ新たなる希望エピソード4から
帝国の逆襲にかけての話で
僕グラディエーター1から2にかけてがそれだったなと思って
おっしゃる通りですねそれは。
マキシマスがコモドゥスを打ち倒したと
これでローマは良くなるんだ
42:02
なりませんでした。
そもそもローマはダメになってて
次の暴君が出てきましたってなるっていう
1の希望は達成されませんでしたっていうのが
この続編2になってると。
その構造自体が面白いなって僕はちょっと思って
前グラディエーター1の話した時もしたんですけど
1の後検定の時代の時点で
後々のローマの崩壊に向けての
兆しはあると。
そもそもローマ良くならないじゃんっていうのがあって
それがちゃんと爆発した2にはなってて
それをちゃんと話に落とし込めてると思うんですけど
ただ帝国の逆襲になぞらえるんだとしたら
もう1つ僕がやってほしかったことは
やっぱりルーク・スカイウォーカーとダース・ベイダーの話を
やってほしかったわけです。
僕今からスターウォーズのネタバレをしますけど
ダース・ベイダーってルークのお父さんなんですよ
皆さん実は。
そうなんですよね。実は。
それを帝国の逆襲のラストでルークが
ダース・ベイダーに腕を切られた後
I'm your fatherって言って
終わるのが帝国の逆襲なわけじゃないですか。
その父によって一度打ち倒されるっていう
経験をするっていう帝国の逆襲があって
この時点でワンの時点だと
ルークのお父さんはジェダイをやってて
死んじゃったみたいな話
でも不在になってて
でも立派なお父さんだったみたいな
理想化した父親像
正しいジェダイの騎士としての父っていう像があって
それと別で帝国側で
おじさんおばさんを殺してくる奴のトップに
ダース・ベイダーがいるわけで
明確に敵としていて
それが交錯するっていうのが
エピソード5
帝国の逆襲のラストですよね
エピソード6
ジェダイの帰還で
そのダース・ベイダーから
もう一度理想としての父を取り出すってことをするんですよね
そうですよね
だから不在の理想の父と
倒すべき目の前の父っていうものを
一人の人間で同時にやってるのが
スター・ウォーズ・ジェダイの帰還だと思ってて
今回のグラディエーター2は
それをアカシウス
ダース・ベイダーとしてのアカシウスがいて
それとは別で
不在の理想化された
美化されきった父としてのマキシマスがいて
それぞれと対峙するみたいに
アカシウスと対決することが
45:01
結果的にマキシマスと対峙することになるみたいな
話できたんですよ
そうなんですよ
アカシウスの中からマキシマスを
見出すことができたはずなんです
僕はずっとそうなると期待してみてました
それまでは
そう見ますよね冒頭から
そう見ますよ
見ますよね
2人のコロッセオに向かった瞬間に
これは見たいもの見れるぞって
期待してたんですよすごく
びっくりしてあそこ
やってほしかったんですよ本当に
スターウォーズのそこのルークと
チチ・アナキの関係性
めちゃくちゃ好きなんで
僕父親の生き方って
どっちかになることがめちゃくちゃ多いと思ってて
はいはいはいはいはい
理想化された不在の父と
実在する倒すべき父っていうのは
物語のモチーフでめちゃめちゃよくある
そうですね
ですよね
僕は結構思い出すのが
日本の漫画なんですけど
倒すべき父は
例えば巨人の星とか
おいしんぼとか
あとグラップラー・バキとかね
確かに確かに
強大でかつ悪辣な
倒すべき父
超えるべき父とっていうのがあって
一方で
不在となった理想化された父っていうのも
漫画のモチーフとしてよくあって
僕思いつく限りだと
サンデーのスポーツ漫画に何か多いんです
お父さんが死んでて
そのお父さんの影を追うっていう
スポーツ漫画が
昔のサンデーに多いっていう認識があって
多分おいさんはご存じないと思うんですけど
がんばれ元気とか
武蔵の拳とか
あと最近やったらメジャーとかも
それちょっとメジャーは思い浮かべてました
メジャーは多分サンデー文脈
お父さんがいなくなって
それを追うっていうのを
含んでるんですけど
どっちかが多いと僕は思ってて
でスターウォーズの素敵なところは
どっちもやれるんです
どっちもやってるんですよ
そこが最高なんです
スターウォーズは
どちらかじゃないっていう
どっちも父なんです
実際にいるとうざったいけど
いないと背中を追うっていうのが
父の二面性だと僕は思ってるんで
父親というものの二面性だと思ってるんで
それをどっちもやれるっていう
スターウォーズの構造自体が
僕むちゃくちゃ好きなんで
本作やれるやんというか
冒頭からやってるやんと思って
むちゃくちゃワクワクしてたんですよ
もうあの回戦で彼ら登場するシーンから
もう期待感しかないですよねこっちは
なんかね
それを多分やってくれないのが
たぶんリドリー・スコットなんだよな
本当に
そこで片透かし食らうとは思ってなかったんで
びっくりしたんですよ本当
そんなサプライズあるかいって思って
もったいないっすよね
48:03
でもなんならちょっと狙ってやってんじゃねえかな
みたいなところまである気がしますけどねそれは
期待させておいた上で
あそこまで描いたら絶対重ね合わせるように
もう見るじゃないですか観客が
それをもう逆バレ的に
いやそっちは今回やりませんって
言い切ってる感じというか
なんていうんだろう
こっちが逆に手のひらの上で
転がされてたんだっていう
なんならデンゼル・ワシントンはリドリー・スコットなんじゃないか
っていうか
そうなんですよね
いやーあれは
びっくりしましたね本当に
ワシントンがパルパティになるんですよね
そうなんですよ
まさにそうなんですけどね
そこもったいなさすげえあるなと思ってるんですけど
どっちかというと
ルシアスの
コンプレックスの対象って
母親になっていくんですよね
その後そっちに行くのが
ちょっと意外なんですよね
だからこそやっぱり
一つローマにつく
明確な理由としては
自分の決闘を受け入れるというところにはある
かなと思うんですけど
もう一つアカシウスが
ローマ兵に撃たれた時に
英雄を撃つのかローマは
っていう風に批判するじゃないですか
あれもだからちょっとうまく飲み込めなくて
わかりますわかります
なんか突然こいつローマ側の意見
始めたなっていう
そうなんですよね
ルシアスのスタンスよくわかんないんですよ
そうなんですよ
だからやっぱり
それによって
ルシアスのキャラクターが描けてる
ものって彼自身もやっぱり
英雄にはなりたい人じゃなかったんじゃないかな
っていうのをブックはむしろ
感じて
個人としての人生を生きるか
ローマの英雄として生きるかという
天秤にかけられた時に英雄として
生きざるを得ない運命を
受け入れた人のように見えるんですよね
それがまさにデューンパート2の
主人公ポールにも
すごい通じるなと思っているんですよ
最近の英雄を
描くというか神話を描く作品は
なぜかそういう風に描くよな
っていう
時代が必要としている英雄になる
っていうのは自分の意思ではなくて
もう何かのもっと大いなる
意思によってそうならざるを得ないように
追い込められていく話という
そうでもしないと人は英雄にならない
っていうのをすごいなんか最近
よく描くようになったなっていうのを
ちょっと感じてはいるんですよね
そうですね
何なんだろうなそこは
なんかそれがもしかしたら
現代に
おける英雄の
描き方というかもちろん英雄を
必要とすることって果たして健全なのか
って問いはあると思うんですよ
例えばそれを過剰にやりすぎると
ナチスみたいなものを
生んでしまう危険性もあるわけじゃないですか
その一方でとはいえ
やっぱり英雄というかシンボルは
人間である以上欲しい
わけですよまさに
51:00
アメリカの今回の選挙でも
トランプっていう
一つのシンボルとハリスっていう
二つのシンボルが戦ってるようにしか
僕見てなかったんですけど
結局そこに重ねてるのって
この人が英雄になってくれっていう願いでしかないな
っていうのを見て思ってたんですよね
お互いの
そこってなんだろう
でもその二人が
進んで英雄になろうと
トランプはちょっとわからないとこはあると思うんですけど
カマラハリス見てて
今回のポール・メスカルっぽさというか
結局祭り上げられてしまった人感が
すごくあるし
それに結局
勝ちきれないさみたいなところも
あったんじゃないかなっていうのは
すごい感じたりはしていて
結構今の現実における
人が
何かの代表というかシンボルになっていくのって
本当にいいんだっけ
っていうのをすごい描こうとしてる作品が
すごい自分の中で
結びつくなと思って
見たりはするんですけどね
そこ触れますか
ちょっと僕
触れようかどうか迷ってたんですけど
僕マクリヌスは
トランプやと思うんですよ
ただ
マクリヌスと違うのは
俺はマキシマスだっていう
マクリヌスなんですよ
っていうのがあるなとは思って
なんかね
それは
シンボルを求めちゃうのは
あるなっていう
現代政治の
目玉ですよ
そうなんですよ
本当にそうなんですよ
なんかシビルウォーよりも
むしろ現代劇やってるのはこっちだと
思いながら見てたというか
だから
アメリカ政治っぽさっていうのも
すごい感じたし
だからこそラストに
結局ルシアスがマキシマスに
勝負って形で終わるじゃないですか
どうすればいい俺はこれかなっていう
いやーなんていうか
英雄になるって
きついなーっていうのを描いて
最後終わるんだと思って
なんすんすかねやっぱ
そこの解体が今必要
なんだっていうのをすごい
作品の中で
リドリー・スコットが語りかけてるのかなとか
思いながら見ちゃったりはしましたけど
そうですね
すごい主査的なシーンがあるな
と思って見てたのが
クロスチャーで戦った
党史たちの名前刻んでるところで
マキシマスの名前
削られてるんですよね
ヒーローの名前は
剥奪されるというか
歴史上から
皇帝の名前は残るんですけど
ヒーローの名前が
消えるっていうのは
すごい主査的だなと思って
マキシマスが使ってた
ブグってこっそりと
保管されてる
名前のない者たちのなんとかみたいな感じで
こっそり保管されてて
だからなんだろうな
マキシマス個人が
どこまで正しい人間かっていうのは
置いといて
54:00
シンボルとしてのマキシマスは
正しさの象徴としてあって
その正しさっていうものは
名前のあるなしっていうものに
紐づいてないっていう
だから名もなき人たちが
主導権を取り戻さないといけないんだ
ってことは多分言いたいんだな
とは思ったんですよね
うんうんうんうんうん
確かにラストのお互いに
向かい合ったローマ全軍が
ある種のポルメスカルの伝説によって
一致団結していくっていう流れとかは
まさにそれを象徴してますよね
そうですね
あれはやっぱり
なんて言ったらいいのかな
欧米の歴史とか
メンタリズムの根幹に
ローマって絶対的に
あるとは思ってて
欧米はやっぱり
近代以降
列強として悪辣なことを
してきたわけじゃないですか
もうめちゃくちゃ悪辣なことを
してきて、それはローマも一緒で
うんうん
ローマはパクスロマーナ
っていうローマの最盛期を
経験していて
最もヨーロッパが良かった
時代というかって言われてる
ものがあって、でもそれって
その間も他国侵略してましたよね
みたいな
内部の腐敗も起きてましたよねみたいな
その絶対的な
負の側面はあると
でもそれでも
俺たち正しくない歴史を
持ってたとしても
みんながもう一度理想を取り戻したら
国ってもう一度
よくできるかもしれないんですよねみたいな
みんなが信じることが
できればっていう
そういうラスト
ワンの時だとそれは
メッセージとして出ないと思うんですよ
そこまでローマの腐敗とか
って描かれてないから
ツーで徹底的に
ローマの風を描いたからこそ
それでもまだ
もう一回取り戻すんだっていう感じ
みんながそれを願うなら
っていうのはやっぱり
ツーでだからこそ成し遂げられてる
かなとは思ったんですけど
同時に思っちゃうのが
みんなが同じ方向を向くことって
ほぼないよなっていう絶望感があって
分かりますよ
てかそれが
理想なのかってのもちょっと思いますしね
果たして
ラストはなぜ
マクリヌスにルシアスが勝てたか
っていうと
ローマのミナがローマのために
あるんだっていうのを
掲げることができたから勝てるわけじゃないですか
あそこは
そんなことできるのかな
っていう
そうなんだよな
それめちゃくちゃむずい
いやそうなんですよ
だからまさに
一作目のマキシマスの行動原理も
それじゃないですかローマをいい国に
したいというかローマ人として
良き人でいたいというか
そこなんだけど今それって
愛国心というのにひも付けても
果たしていいのかっていうのもあるし
もちろん自分のアイデンティティとして
57:00
その国の出身であるってことを誇ることは
いいことだと思うんですが
果たして何が正解なんだっけっていうのが
やっぱり分からないよなって
気がしてだからローマ人として
誇り高き民であれ
っていうところで民は一応
それでそうだってなっていくんですけど
やっぱりそれを言ったポール・メスカルっていうか
ルシアス自身は良かったんだっけって
なるわけじゃないですか
これで本当にいいのかしかも俺は
自身はそのローマに対してしっかり恨みも怒りも
多分持ってるわけですよまだ
そんな自分だがいいのかっていう
いやーなんかすごい
現代の人間っていうか
僕らの話という風に僕も捉えちゃいましたし
ルシアスの悩みに対しては
理想を
分かりやすい理想として掲げられなくなった
現代において
果たして英雄とは何なのかっていう
だから副題
英雄呼ぶ声ってなってますけど
英雄の話じゃないですよ呼ぶ声の話をしてるんだなと思って
なるほどね
なるほどなるほど
声の話か
外側からの声にどうすりゃいいんだよ
っていう
そうなんですよね
結局そのルシアスが選ばれてるのって
皇帝の地位だから
だから
選ばれてるだけっていうのが
あってみんなからしたら
それってもうツールとして使ってる
状態
あなたをシンボルにしたローマっていうものが
形作られるのでだからこの場では
シンボルになってくださいって
みんなが言ってて
そうですね
なんかそこまで
ルシアスにローマを背負える動機って
あったっけみたいなの
すごい迷っちゃうんですよね
そうなんですよだからさっき
アカシウスに対してルシアスの
カタルシスがなかったって話をしたんです
対決の
そこで多分カタルシスを持たせなかったせいで
ルシアスのその動機っていうのが
すごく曖昧になるじゃないですか
まさにそこで多分カタルシスを持たせて
そのために動くっていうふうにしたら
もうすごい主体的な人物に
見えてくると思うんですよルシアスが
主体的に英雄になろうとしてる人に見えてくると思うんですよ
ただそこがうまく省かれてるというか
流れは完璧なのに
うまく省かれてるから周りの人は
その流れだけで彼に正当性を
持たせられるわけですよ
でも彼本人はその正当性は
非常に疑問を持ってるっていう
キャラクターが生まれてるなと思って
なんかそれがより
その一作目にあった運命感
というか主体的にそもそも
人間が動いてるのではなく時代に
必要とされて勝手に
周りの人がその人を祭り上げていくんだ
っていうのとそのモチーフは共通してる
気がするんですよね
いや確かにそれは
そうかもしれない
結局アカシウスを倒すべき父として
倒さなかったことで
結局ルシアスは
英雄の自覚っていうものを
内面化できないまま
外部から英雄で
なってほしいってことだけが
彼の英雄たるゆえん
だから
内面化できないっていう
その苦しさはすげーあるなと思って
1:00:00
あそこでアカシウスが
父として死んでくれてたら
こうはならなかったんだけど
そうなんですよ
勝手に死ぬから
結局ルシアスは
自己認識としての英雄ではない
客観視した時に
英雄をやる理由付けが
一番強い人ではあるんだけど
自分が英雄になるっていうのは
本当に気迫で
だから
あんまり強い動機として
英雄にならなければならない
っていうのがない状態で
自分の体を動かすたびに
マキシマス成分を無理やり摂取してる
みたいな
株主体としての
マキシマスメンタルを注射してる
みたいな状態
これで無理やり心臓を動かすな
みたいな感じで
俺はマキシマスの子だ!って注射を打つことで
無理やり心身を高ぶらせている
みたいな
それしか自分の中に
英雄をやるっていう理由はないから
そうだから
それがちょっとね
アフターさんの父親っぽくもあるなと思って
父親であるっていう
ロールを演じざるを得ないんだけど
自分の中に父親の自覚がない
っていうか大人の自覚がない人
じゃないですかアフターさんの父親って
その不一致に苦しむわけですけど
この後ルシアス絶対アフターさんの父親くらい
苦しむぞと思って
いやー
だからポール・ネスカルの配役
めちゃくちゃいいですねやっぱり
そうなんですよ
ぴったしっていう
めちゃくちゃ合ってましたからね
素晴らしかったですねもちろん体
作りもめっちゃすげえなと思いましたけど
その上でね
ナイーブなヒーロー像を描けた
っていうのは
良かったなと思いましたね
あと僕すごい良かったところ
ラストのラストですね
ルシアスが
麦畑なのかな
撫でるシーン
あれって
前作ラストの
マキシマスの故郷のイメージ映像
だと思うんですけど
あの解釈って
結構いろいろできるとは
思うんですけど
あそこで
僕は感じたのは英雄マキシマス
じゃなくて
個人マキシマスに触れるシーンだな
と思ったんですね
見方によってはね
戦い終わった戦士が
帰る場所に行くんだみたいな
国王神話のバルハラみたいなとこに行く
みたいな感じにも見えるんですよね
なんですけど
どっちかというと僕は
ヒーローっていう仮面を外した
個人としてのマキシマスを
理解した
父を理解できた
そしてマキシマスも個人としてのマキシマスを
時空を越えて理解してもらえた
っていうシーンにも見えるかなとは思って
なるほど
あまりにそのマキシマスが
英雄をやるためだけの存在だったんで
結局マキシマスの個人っていうもの
結局彼はローマに向くいる
1:03:00
っていうのはもちろん思いとしては
ローマの中心ではあるけれども
それ以上にやっぱり僕
父であり夫であった
っていうことの方が
マキシマスっていう本来の個人に
とって強いという風に見てたんで
ワンとかの
でもそれってやっぱりみんな
そこは重要視してないというか
やっぱりマキシマスの
ローマに対する因縁とか
怒りみたいなものをみんなが利用していっちゃう
ですけど
あるいはその立場とかね将軍としての
立場とかはみんなが利用していくけど
そうじゃなくてマキシマスって
単なる個人なんですよねみたいなものを
特に2の時代には
徹底的にマキシマスの
個人性っていうものを剥奪されてるんで
徹底的に
美化されて深刻化された英雄
マキシマスしか残ってないときに
唯一個人としてのマキシマスを
授業できたのが
ルシアスっていう風には見たんですよね
確かになるほどなるほど
そうですねまあこの映画の冒頭がある意味
その麦を掴むところから
ルシアスが麦を掴んでるところから
始まるところもすごい
結果的に麦を持つ麦を掴む
麦を触るものっていうのが
そこに通じるもの
しかも麦ってある種生活のメタファーでもあるなと
思っていてもちろん
お金とか食料とかって意味でもありますけど
でもやっぱ生活に一番ひも付いてる
ものだと思うんですよローマ市内において
やっぱり結局はそこに
最後回帰していくというか
なんか登場人物の生活つまり
ごくごく個人的な
社会的なロールを超えたっていうか
そこのではないところに
やっぱり回帰していくっていうのは
なんかすごい納得感というか
むしろいろいろ
悩んだ末にそこを最後
提示して終わるのは確かに
英雄を演じないっていう
その先にでも個人として
人生としてどうあれべきかっていうのを
ひとつ問いかけるっていう意味ですごい
なんだろうな
すごい筋の通ったメッセージのようにも感じますね
とりあえず生活をやれっていう
うーん
そうですね
結構テーマ的なところを
すごい掘り下げてたんで
若干ちょっと表面的なところに戻ろうかな
と思うんですけど
コロッセイムのバトルの順番というか
あれなんかしっかり段階踏んでて
ちょっとゲームっぽくてよかったなと思ってて
はいはいはい
一番最初ヒヒから始まって
ファーストステージヒヒじゃないですか
でセカンドステージサイ
でサードステージになって回戦になって
アカシウスと一応対決をし
でフィフツはもうコロッセイムを超えて
マクリヌスとやり合うっていう
なんかめっちゃゲームの
ステージ感あるなと思って
確かに
そこを一個ずつ踏んでいくところが
めちゃくちゃ話をより分かりやすくしているな
とも思ったんですよね
一つずつ敵が強くなっていってるぞみたいな
いやちょっと僕そこ思うとこ
あるんですけど
正直ヒヒが一番ヤバいんじゃないかな
って気がしてる
まあまあまあ
言わんとしてることは分かりますよ
そのサイは
めちゃめちゃ強いですけど
1:06:00
その集団で武器を持ってたら
戦えると思うんですよ
1個体のサイだったらね
ただあの数の
ヒヒを1対1で
勝つのだいぶ厳しいと思うんですよね
いやそうですよねだから
別にだってあれ
ルシアスが威嚇してる時に
後ろからバーって襲われたら終わりですからね
そうなんですよね
しかもあのヒヒ
ルイジンエンというよりは魔獣ですからね
そうなんですよね
リドリー・スコットが
アフリカか何かのニュースを見て
閃いたらしいんですけど
ヒヒに襲われてっていうニュースがあったらしくて
今度ヒヒ使おうって思ったらしいんですけど
でもあれヒヒじゃないもん
そうなんですよ
悪魔だよなっていう
すごい良いですよね
あの嘘のつき方本当に
いや本当に
あんなちょうどいい大きさのヒヒ
いるかっていうのもあるし
あのシーン
そうなんだよな
意外と確かにファーストステージにしたらちょっと難易度高すぎねえかっていう
あとでマクリーヌスの
妖人棒みたいなやつと
対決して合格
みたいな感じになるけど
いやこいつよりヒヒの方が強いぞ
絶対こいつよりヒヒの方が強いからなみたいな
こいつヒヒの猛攻生き残ってるからな
しかもテカセありでっていう
今更そんなの確認する必要あるかなみたいな
そうっすよね
それ本当マクリーヌスの
遊びなのかなって思うよ
しかもあそこも地味に手にミリキンサックつけずにやるっていう
しかもトゲトゲの
めちゃくちゃ痛そうだ
えげつない武器つけんなと思って
あったんかなミリキンサックなんて思いながら見てましたけど
ちょっとだけ僕好きだったの
船漕ぐ訓練シーン
ボート競技の話ちょうどこの前したとこやったんで
しかもちゃんとした機械とかじゃなくて
ただ重いものを
自動のもので動かすっていう
地獄のような作業
あれきっついっすよね本当に
実際のボート訓練でも
あれに近い機械ってあって
エルゴメーターっていう
ドラム状のものから
チェーンでつながってるのを引っ張って
そのドラムが引っ張った後
チェーンを引き寄せるような
ものになってて
引くときはすごい力がいるけど
戻すときは自然と戻るっていう
ボートに漕ぐのに近い
力の持ち方をするような機械なんですけど
ただ前に後ろに
重いものを動かしてるだけっていう
そうっすよね
あれボートの練習なのかこれはっていう
実際にああしか来たようがなかったのかもしれないですけど
ただあんなの一人で動かせるはずないしなみたいな
1:09:00
しかもどれぐらいの時間やってたんでしょうね
途中日がなんていうか
お昼ぐらいから夕暮れぐらいまでずっと漕いでましたけどね
結構筋肉の最大負荷に近い力をかけてたと思うんですけど
そんなもの長時間すること不可能ですからね
それを半日間続けられるうしらその体力よっていう
十分超人的とは言えません
化け物みたいな体力持ってるなと思いましたけどね
周りの人たちも
しんどいことさせられて大変だねみたいな感じだし
あとひひと戦った後も
ひひに噛みついたやつだぜみたいな感じで
受け切って茶化してるじゃないですか
お前らそのレベルじゃないだろ
絶対に怒らせてはいけない存在ですよルシアス
ルシアスが怒んなかったからよかったもんね
君ら息ができてんだよ今っていう
怒ったら肉片ですよ肉片
本当に
イコライザーですよ
イコライザーでちょっと触れますけど
レーセル・ワシントンちょっと
マッコールさんの演技ちょっと活かしてる感じしました
ちょっとありますよね
マッコールさんの一面もあれば
ある種すごいゲセバな瞬間もあったりとかして
そこがすごいいいんですけど
その対比なんだよな
ルシアスはルシアスで
あれだけ煽られてもなんだかんだ
全部受け入れるというか
すごく男性的にそこを受け入れられる人って感じがしたんですけど
男性的ノリをなんだかんだちょっと
煽られるとかいじられに対して
許容できるぐらいの器の広さがあるやつっていう
感じの見え方をしたんですけど
レーセル・ワシントンのマッコール的なところもあれば
元老院の昔からの知り合いの家をどんどん奪っていくっていう
うちの流れありますけど
あの瞬間とかめちゃくちゃなんか
ゲセバな感じがして
すげーいいんですよねあそこ
あの二面性がやっぱり今回のマクリニスの魅力だなっていう
二面性というか何面性でもあるんですけどね
めちゃくちゃ魅力的ですよね
正義の人っぽくも見えるし
全然悪にも見えるし
でも人間らしくも見えるし
ある方向からはめちゃくちゃ満足度高いんですけど
ある方向からはめちゃくちゃもったいないみたいな
思いがあったりとか
結構ね複雑な映画で
総合的な満足度が高いんですけど
グラディエーターっていう伝説でもあるわけで
映画史における
それの続きを映画館で見れたっていう喜びもありますし
ちょっと現代的な政治性も取り入れつつ
一方で神話的な乳戸の対決がスポイルされるじゃないか
1:12:01
みたいな思いもあるし
アンビバレントですね本作に対する思いは
そうなんですよね
そのことを役者で言ったらもう役者陣みんな良かったし
配役はもう最高
最高完璧ですよ本当に
フォールディスカルにペドパスカルに
レンゼルワシントンにとかね
すごい良いですね
スター制とかだけではなくて
しっかりと意味のある配役をしてるなっていうところも
めちゃくちゃ良かったですし
ストーリーのプロットだけ見たらすごく意味もあるし
なんですかね
なんだろうすごく偏愛というか
リドリー・スコットの最近の中では
一番好きって言っていいぐらいかなとは思うんですけど
自分の真ん中に起きるタイプの作品家っていうのは
そうじゃないってところが
ちょっと前作のグラディエーターを
豊富させるなとは思ったりはしました
結構要素は一作目の組み替えだけなのに
ここまで違う意外になるかみたいなのもありますしね
そうなんですよねそこがやっぱりリドリー・スコット
やっぱり絵が上手いんだなっていう
でもなんか総合して
満足度の方がちょっと上回るぐらいな
それぐらいです
じゃあそんなところで
グラディエーター2の話は終わっていこうかなと思います
お知らせになります
絵画面下セキュリティバー
次回は12月21日開催予定です
場所は大阪南小井松週刊まぐり
19時オープン23時クローズです
はい今回大井さんが店長として参加していただく予定なので
店長メンバー3人でお迎えさせていただけたらと思っております
よろしくお願いします
そして映画の話し下すぎるバー
名古屋開催が決定しました
場所は弁当バーエデン名古屋
2時は1月18日土曜日18時オープン22時クローズです
さらに大阪神斎橋で第3木曜日に山口が店長する
映画の話し下すぎるバー神斎橋も営業中です
場所は神斎橋駅徒歩6分バー
雨村シェルター内19時オープン23時クローズです
またこの番組ではお便りを募集しております
番組全体や特定作品へ向けて
ご自由にお送りくださいませ
バーの最新情報次回テーマは
エックスおよびインスタグラムにて告知しております
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ
それでは映画の話し下すぎるラジオ第190回
グラディエーター2英雄を呼ぶ声を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら
さよなら
01:15:11

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