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2023-08-10 1:13:45

第128回(2)『イノセンツ』団地キッズは童のための夢を見るか?

『イノセンツ』について話しました。

周囲の大人(母親)からは見えない、子どもたちの中だけで共有される力と価値観、それらを取り囲む団地というモチーフなどについて話しています。

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00:00
今日のテーマトークは、イノセンツです。
では、まえなさん、解説をお願いできますか。
映画.comより、退屈な夏休みに不思議な力に目覚めた子供たちの遊びが、次第に狂気へと変わっていく姿を、美しくも不気味に描いたノルウェー製のサイキックスリラー
ノルウェー郊外の住宅団地
夏休みに友人同士になった4人の子供たちが、親の目の届かないところで隠れた力に目覚める
子供たちは、近所の庭や遊び場で新しい力を試すが、やがてその無邪気な遊びが影を落とし、奇妙なことが起こり始める。
監督は、私は最悪でアカデミー脚本賞にノミネートされたエスキル・フォクト
ヨアキム・トリアー監督の右腕として、同監督の母の残像、テルマ
私は最悪で共同脚本を務めてきたフォクトにとって、自身の監督作はこれが2作目となる。
撮影をアナザーラウンド、ハートストーンなど、北欧映画の話題作を多数手掛ける、シュツラ・ブラント・グローブレンが担当。
はい、ありがとうございます。
では、ここから内容に触れる話が入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では、サーリーの感想、前田さんいかがでした?
私は大好きな映画でした。
年間ベスト入るだろうなっていうぐらい良かったです。
結構地味な作品だと思うんですけど、絵的にもそんなに派手な絵ってなかったかなと思うんですけど、
それなのにずっと面白いなと思って、ずっと続く緊張感というか不安な感じと、ずっと怖いなっていう気持ちで見れました。
はい、マリオさんいかがでした?
そうですね、めちゃくちゃ面白かったですね。
子供たちの無垢ゆえにすごく残酷なこともしてしまうみたいな、まだ道徳とか善悪の概念がちょっとまだはっきり固まってない時期の無垢さがもたらす何か怖いものみたいなのが前面に出てて、
ちょっとそれがいつ良くない方向に振り切ってしまうのかみたいな緊張感がずっと続く映画で、ちょっと見ててすごく本当に緊張感があってすごく良かったですし、
まあ、あと結構子供たちが遠くを見ているだけすごく怖いんですよね。
なんかそれはもう本当に彼らにしか見えてない世界なんだなぁみたいな感じがすごいするし、
僕たちは本当に何かそこに何が起こっているのか本当はわからないんだけど、それをちょっと見させてもらってるみたいな感じっていうのがすごくなんか映画から出てるなというふうに思って、
なんかそういう意味でも素晴らしいなと思いましたね。
あとなんかやたらとドームだドームだってみんな言ってるので、すごいドームが読みたくなりました。
読んだことないので、すごい読みたくなりました。
おじさんいかがでした?
良かったですね。
えっとそうだな、やっぱりちょっと見てて自分のなんか子供時代を思い出すかのような体験ができたのがすごく良かったなと思っていて、
子供の頃ってこのぐらい友達同士だけでちょっと何か対立があったりするときに、
あ、やばい明日俺死ぬかもみたいなことを考えてたなっていう。
あいつにやられるかもしれないみたいなことを考えてたことあったなみたいなことをちょっと思い出して、
03:01
なんかあの恐怖感というか大人には相談できない。
多分自分でしかそれを解決できない。
なんとか自分がやらなきゃみたいなあの感じってちょっと久しぶりに味わったなと思っていて、
なんかそういう意味ですごく子供を描いた作品として僕はすごいこう背丈が同じというか、
子供というものを交渉にも見てないし、下にも見てないというか。
それがすごく良かったなと思います。
はい。えっと僕はですね、めちゃくちゃ好きです本当に。
めちゃくちゃ好きで、全体に伝わっている雰囲気が好きっていうのがあるんですけど、
僕が好きなタイプのジューナイルであり、あとあの、団地ものとしてめちゃめちゃ好きなんですよ。
で、僕団地に対して憧れと恐怖があるんですよ。
団地っていうものに対して。
自分が田舎の一軒家に住んでたので、ああいう集合した場所。
で、そこで友達とかもすぐ近くに住んでるけど、同時にその友達の輪から抜けられない。
なんかこの団地しか世界にないんじゃないかっていうクローズドな感じがめっちゃ怖いなと思って、
楽しいと同時にとんでもない化け物がここから生まれてきそうだぞってずっと思ってたんですよ、子供の頃から。
で、それがまあ見事に出てたなと思って。
で、大井さんもおっしゃってたんですけど、大人に相談できない何かっていう感じ。
で、やっぱり子供って特にあの、4年期ぐらい。
物心ついて言葉も喋れるんだけど、
そういう大人の方言みたいな言い回しはできないぐらいに、
その本当に言いたいことはあるんだけど、どうせそれが大人には伝わらないなっていうふうに思ってしまってる何かってあると思うんですけど、
それによって子供だけの世界が生まれている感じっていうのが、
あ、これ言いたいんだけど言っても伝わらない。
もう自分たちにしか見えてない世界なんだなっていう感じが本当にむちゃくちゃ良くって、
もうね、ジムナイル兼団地物として最高の映画だったなと思います。
あとよく言われるドームに関しては、僕ドーム読んでて、大友和弘の漫画の中では、
アキラより好きなんですけど、いい感じに忘れてて、今回もう読んだの20年ぐらい前なんで、
いい感じに忘れてたので、もうここ似てるなとかそういうこと思わずに、もうめちゃめちゃこの映画だけを楽しめました。
はい、ていう感じです。
はい、あとお便り1ついただいてますので、紹介させていただきます。
レッドジャケットさんからいただいてます。
今回初めてメールいたします。レッドジャケットです。
先日大阪でのバーに東京からお邪魔いたしました。
店長方に初めてお会いしていろいろな話をさせていただき、
短い間でしたが楽しい時間を過ごすことができましたことを感謝いたします。
しかしながらラジオ収録前にも関わらず、特にマリオンさんに私の勝手な一部ネタバレ的なわがまま解説をしてしまい、
ミスリードしてしまったのではないかと大変反省しております。
06:00
以下私の作品に対する感想です。
今回のテーマ作品イノセンスですが、とても面白く拝見いたしました。
北欧の団地を舞台にした子供たちのサイキックバトル、
徐々に闇に落ちていく子供、能力が開花していく子供たちの演技に驚かされましたし、
初めて目にするノルゲイの団地の美しい形状の舞台も目を見張るものでした。
また本作は公式サイトに大友和弘のドームへと完全帰結するとあり、
パンフレットにも監督がドームへのオマージュインスパイアされた作品であることは明らかにされていました。
その中で私が気になったのは、よく取りざたされるオマージュインスパイアなのかパクリなのか問題でした。
個人的にはある作品に対するオマージュは全然あることだし、
他作品に影響されていないものなんてないと考えますので、
基本的にはとにかく言うことではないものと考えております。
しかしながら本作はインスパイアと言いながらもパクリとは言いたくないにしても、
個人的にはちょっとオマージュなレベルを超えてしまっているのではないかと感じてしまう場面が設定が多々ありました。
特に大友和弘のドームが愛読書であった私にとってはそれを事前に聞かされていたがゆいに、
ある設定やあるシーンを見るたびにこれドームやんと思ってしまうことが次々に出てきて、
途中から半ばドーム探しのような感傷状況になってしまっていました。
特に最後の場面のアナとベンのサイキック対決は、
ドームの最後のシーンのエツコとチョウさんの対決とほぼ同じ構図、シチュエーション、場面展開で、
ブランコの柱がねじ曲がる、ランチのベランダからたくさんの子供たちが覗いている、
そして決着のつき方など何から何までドームそのままであり、
マジでここまで一緒なの?と口ぽかん状態になりました。
ですのでドームを読んでいる人と読んでいない人とでは感想印象がかなり変わってくると思いますが、
作品自体が古いこともあり私のような感想を抱くのは圧倒的に少数派だと思います。
しかし超能力を持つ者が自閉症、移民系、肉体的家庭的に問題を抱えている子供たちという社会的弱者であったり、
それまで自閉症の穴を明らかに見下していた妹のイイダが、
穴の隠された本当の力を知り、心から頼るようになり、
それによる姉妹の絆が物語の解決の鍵になる点など素晴らしい展開もたくさんあり、
特にイイダのお生意気でこさかしい立ち振る舞いから、
自分なりにして考えて知説としか言いようのない解決方法を導き出す過程はたまらなく愛おしい流れでした。
そうしたオリジナリティ溢れるところも多くあっただけに、もう少しドームを馬鹿した表現にできなかったのかなと思いました。
どうせそこまでドームをオマージュするなら、いっそのこと世界中の漫画家が驚いたあの伝説の名シーン、
壁が衝撃派で丸く凹むシーンも描いてくれと思ってしまいました。
通称ズン壁と言うらしいです。
以上は映画の感想というよりはおっさんによるあら探しといった感じの取り留めのない文章になりましたが、
これからも店長方の楽しい映画の話を楽しみにしております。
チャンスがあれば大阪にも伺えればと思いますし、東京開催も期待しております。
またお話しできることを期待しております。
ありがとうございます。
言われてみると確かにドームってこんなんやったなっていうのが思い出されてくるんですよ。
09:03
確かにそうやったわと思って。
ちなみに皆さんってドーム読んでます?
読んでないです。
私読んでるんですけど、私も山口さんと私がだいぶ前で、今手元にあるんですけど、
映画見終わった後に久しぶりに読もうと思いつつちょっとまだ読めてなかったです。
確かにラストバトルのシークエンスこんなにやったなっていうのがあって、
かぶりすぎるかもって感じちゃうのあるような気がするんですけど、
このドームがめっちゃいいので、ああするほうが締まるなっていうのは正直思っちゃうんですよね。
変えるよりいっそそのままやったほうがいいなっていう。
レッドジャケットさんと確かにめっちゃお話ししたいって、ちょうど漫画は持ってこられてたんですよ。
実際にちょっと超能力で壁が凹んでるみたいな、
実はドームからが初めてなんだっていうのを教えてもらって、すごい僕も知らないことがあって、
ドラゴンボールとかでよく見るやつやけどここ初めてなんやみたいな気持ちとかだったりとか、
しかもその時のシーンとかもちょっと漫画チラッと見せてもらったんですけど、
めっちゃ描き込みやばいなみたいなの言って、
ちゃんとゴートマカズヒロの漫画読んだことないな、
アキラとかアニメとか見てるんですけど、映画として見たりとか、
カップヌードルのフリーダムでしたっけ、アニメシリーズみたいなのあったじゃないですか、
ああいうのとか見たことありましたけど、
ちゃんとなんか漫画読まなきゃなっていうふうな時思いました。
あと壁図にやらなかったのは僕良かったなと思って、
そこまで派手な超能力バトルは、
ちょっと実写でやると話のフェーズ変わるなって感が強いので、
本作のテイストとしてはなくて良かったなと思いましたね。
そうですね。
派手なそういうシーンがないからこそのリアルさというか、
ギリギリ子供の時に信じてた、本当にあったんじゃないかって思えてたような、
不思議なこととか、何かの力っていう感じがすごい良かったなと思って。
それこそ水の軌道を曲げるとか、石の軌道を曲げるとか、そういうとこから始まりっていうのが、
しかもその息をそんなに出ないというか、
大きくはそこを出ていかないっていうところが、
すごい僕も好きだなと思いましたね。
なんかちょっと話変わっちゃうんですけど、
水道で水流してて風船近づけたら、
水の軌道が曲がるっていうのやってましたよね。
せでんきですよね。
そのレベルでわーってなったから。
結構水の軌道が曲がるって結構オーポイントやなと思いました。
本当にさっき山口さんも言ってましたけど、ギリ信じられる。
子供において不思議のラインを超えない感じが、
12:03
彼らにとっては実際にある世界だし、
自分が子供だったら多分信じてたなっていうラインに
しっかりとどまってるあたりも含めて、
だからより最後のバトルというか、
彼女のときに危機感みたいなものっていうのはすごくわかるというか、
乗っかれる部分があるなと思いながら見てましたね。
やっぱ派手な超能力描写が出ると、
大人にバレるじゃないですか、そこまで。
確かにそういう問題もある。
だから同じところで起こってるのに、大人だけは気づかないっていうものである必要がある。
やっぱりラストバトルの温度感ってちょうどいいんですよね。
モスキートーンが子供にだけ聞こえるのと同じような感じで、
子供だけ感知できる超能力があって大人はもうわからない。
でも子供にとってはそれって本当にこの世界のすべてに
等しいようなパワーが秘められている何かだったりして、
それは本当に狭い団地の中でだけ成立している何かっていうバランスが本当にめっちゃちょうどいいし、
あと本作の中で起こる事件っていうのもすごい異常なことというか、
あくまで現実である事件の範疇なんですよね。
だから大人が見たらそういう精神を病んだ異常な人による子供を殺す事件が起きたっていうだけなんだけど、
子供が見た時にそれって超能力だっていう風に思うっていうのも結構心当たりあって、
小学校の時とかって学校の七不思議めっちゃ流行ったんですよ。
それって学校の中で子供が死んだ話とかがよくあるわけじゃないですか。
だからトイレの花子さんみたいなね、
花子さんって人が死んだからトイレに花子さんってお化けが出るんだみたいな、
自分たち、子供が死ぬような事態がこの世界にはあって、
その残酷な事態に対して何か解釈したいってなった時に、
自分たちに理解できるルールでそれが起きているっていう風に想像するんじゃないかなと思って、
それが大人の精神が病んでとかじゃなくて、
やっぱり子供には大人の精神が病むっていうのは分からないけど、
超能力があってそれによって大人が子供を殺すんだみたいな、
それって子供の想像力の範疇で想像できる何かだと思うんですよ。
それは子供自身が死というものに対して感じている恐怖と、
その裏側の好奇心を解釈するための方法論なのかなっていう、
それは怪談とか超能力とかっていう、
それの現れが彼らの世界、子供の世界として描かれてるんじゃないかなと思って、
そういうのがめちゃくちゃワクワクするんです、僕本当に。
めっちゃ好きだなっていう感じなんですけども、
15:04
レッドジャケットさんまたよかったら、実家が関西の方っておっしゃられてたので、
また機会があればお越しいただけたらと思いますし、
将来的な2回目のバーの東京開催っていうのも企画できたらなと思いますので、
またその際はぜひ遊びに来てください。ありがとうございました。
ありがとうございました。
じゃあ我々で話していこうと思うんですけども、さあどっからいきましょうかね。
まず思ったんですけど、ノルウェーの団地、あの場所めっちゃ最高じゃないですか、まず。
これだけでこの絵が勝ってるって思いました。
なんか日本の団地と違いますよね。
なんかすごく団地としては狭い感じもあるんだけど、
でもちゃんときれいに整ってる感みたいなのもあって、
あと自然と結構身近な感じというか、
すぐ近くに子供が秘密基地を作って遊んでそうな野山みたいなのがいっぱいあるみたいな感じの、
あの場所がすごくいいなっていう感じがめっちゃしましたね。
結構あの感じ、団地であること以外が僕の子供の頃をめっちゃ思い出しましたね。
山行って遊ぶとかは。
だからね、なんかすっげえリアルに感じて、
子供が山で遊ぶってめっちゃ危ないんですよ、本当に。
もう簡単に怪我とか死ぬ物事がいっぱいあるんですよ、山って。
で、その超能力っていうのはあくまでそれの端的な表現でしかなくって、
乱暴な子供がいてそいつのせいで他の子がひどい目に遭うって、
めちゃめちゃ現実なんですよ、本当にあれって。
木の棒で殴るのが、それが超能力っていうだけで、
ああいうのめっちゃリアルやなと思って。
確かにそういう、僕の子供の時の遊び場、
そういう野山とかああいう場所はなかったんですけど、
けどよく遊び場にしてるのは確かにこの団地の、
僕団地に住んでたわけじゃないんですけどすぐ近くに団地があって、
その団地のところにすっごいもっこり土が積まれた山みたいな場所があって、
そこに1本高い木があって、ちょうど木登りするのがちょうどいいぐらいの木が1本あるみたいな、
そこがやたらとみんな集うみたいな場所みたいなのがあって、
でもそこでめっちゃ鬼ごっことかしてめっちゃこけたりとか、
木登りして落ちたみたいなとか、
よくああいうこといっぱいやってたなみたいな感じをすごく思い出したりとかもしましたね。
そろそろ僕幼少期団地に住んでいて、団地で18年間過ごしたんですけど、
団地描写リアルだなっていうのは、
コミュニティーがいくつかあるじゃないですか、子どもたちの。
年上のスポーツが好きな人たちのコミュニティーと、そこに入れない子たちのコミュニティーみたいな。
あれもう完全に僕スポーツに入れない側というか、
ヒエラルキー下側の集団で生きてたんで、
あのあいつらめってなる感じ超わかるなと思って。
18:03
そりゃ力手に入れたら骨も折れたくなるわなって思う。
めちゃくちゃわかるというか。
団地って結構、学校ともちょっと違ってて、狭い空間で、
かつ結構団地で住んでる子って団地の中を出ないで遊ぶことが多いんですよ。
自分も結構そうでしたし、親の目がかかるし、
あと安全でもあるってことはあると思うんですけど、
そうなるが故に遊ぶリソースが限られるんですよね、トータルの。
そうなると結局そこのパワーバランスで取り合いが起こるんですよ。
なので当時は自分はどちらかといえばいじりめられ側に属してたので、
どけよって言われたらどかなきゃいけないしみたいな。
あの嫌な感じは久しぶりに思い出しましたね、団地描写の中で。
だから本作でメインの子供たちが山で遊ぶのって、
あれ一等値は取られてるからってことですよね多分。
いやーそうだと思います。
まさにまさに。
なるほど。
もうその隙間を探すしかないっていう感じだと思うんですよね、あれ。
あと大品もおっしゃられてましたけど、団地から出ていかないっていうのが、
発想としては団地から出ていけないにつながると思うんです、やっぱり子供の発想としては。
その例えば自分と同じ階層の友達ができてその子と遊びますと。
だってその子しか遊ぶ友達がいないから。
でもあれこいつやべえぞってなるのって、僕あったわと思って。
あった。
あった。
なんか普通には遊べるし、相手もこっちのこと好いてるんだけど、
絶対に怒らせてはいけない友達っていたわって思い出して。
でそいつが本当にむちゃくちゃやばいって分かっても、
じゃあ他の友達と遊べるわけでもないんですよね。
それにそこから出ていけるわけでもなくって、
自分にはここしかないし、自分にはその相手しかいないから、
そこをサバイブするしかないっていう感覚ね、めっちゃ思い出して。
そうやったわってなって。
大人になったらそんなことないよって言えると思うんですよ。
団地の外にも友達いるし、やばい友達となんて遊ばなければいいってなると思うんですけど、
そうならないんですね。そういう発想にはいたらないし、
それは不可能。子供の能力、あるいは子供の視野ではそれを実現することが難しくって、
やっぱり今ある繋がりの中でよりよく生きるしかないっていうのが、
主人公イーダーの大人からはちょっと不合理に見える行動原理。
でも子供にとってむちゃくちゃ筋が通ってて、
そして切実な理屈で動いてるっていうのはね、
大人のロジックで動いてない子供を描いたジューブナイルって僕むちゃくちゃ好きで、
これ大人用の大人が考えた大人が動かしてる子供だぞってなったら、
21:02
僕めちゃめちゃしらけるんですよね。
それがなかったのが良かったなと思って。
本当に本作めちゃめちゃ残酷な話だしダークな話だと思うんですけど、
子供が子供だけでいろんなことを発想したときに、
基本的に危ない方に行くとは思うんです。
悪くて楽しいというよりは危なくてひどいことになるっていうのも、
僕そういうもんだなとは思って、
子供のときに、近所の子供が遊んでたときに、
池でカエルを捕まえて、
カエルに爆竹をくわえさせて爆発させてたんですよ、近所の友達が。
それ流行ってたらしいですね。
よくやってたみたいですね。
でも僕それ全然乗れなくて本当に嫌で、
参加したくなかったんですけど、
僕が虫も殺さなかったかというよりそういうわけじゃなくて、
多分虫は殺してたんです。
カエルも殺さなかっただけで。
虫めっちゃ殺してたなって思い出しましたよ。
飯田がミミズ踏んづけるところとか、
やったわミミズ踏んづけたわって思いましたし、
団子虫丸めてすっげー豪速機みたいな感じで
ぶん投げたりとか踏み潰したりとかしてたなって思い出しましたよ。
僕周り田んぼだったんで稲子とかいるんですよ。
で稲子を捕まえてきて同じカゴの中に入れて、
食べ物がないからこいつらを友食いする品種回流しようと思って。
そうしたら無農薬の田んぼができるぞっていう。
小麦稲子を作れば無農薬の田んぼが作れるぞって思って、
しばらくしたら全員餓死してたんですよ。
なんか研究者や。
基本的に自分より弱いものを持って遊びたいっていうのが、
子供には基本的にあるとは思ってて、
本作のイーダとベンの関係も、
イーダはミミズは踏み潰せるんですよね。
でもベンみたいに猫を殺すことはできないし、
ましてや人間を殺すことなんてできないっていう境界線はあって、
それはどっちも子供の残酷さがあるんですけど、
やっぱりそこには境界線はあるっちゃあるっていうのも描かれてて、
やっぱ猫は殺せばいいなみたいなところに、
極端な言い方すると善良なものと悪との境界線になるっていうのが、
なんかちょっと面白いなと思って見てました。
そうですね。
せんびきっていつできるんだろうな、子供ってっていうのって、
ちょっと考えながら見てたんですけど、
やっぱり大人からというか親から、
これはダメなんだよって教わって、
考えっていうのができていくと思うんですけど、
一方で親からダメだよって言われたことに、
24:01
めっちゃ興味持つじゃないですか。
ダメって言われたら余計やりたくなるみたいな、
こともやっぱある中で、
その辺のバランスって、
僕たちは大人になってしまっているから、
その時の感情とかどう形成されたかとか覚えてないけど、
どういうふうに作られていったんだろうなっていうのは、
ちょっと考えてみたくなってしまいましたね。
今回のイノセンツとかを見ながら。
LINEに関してとか、
特に弁に関してになってくるかもしれないですけど、
彼がある意味一線越えていくっていうのは、
もちろん彼の素性みたいなのもあるかもしれないなと思いつつ、
全体的に彼自身が、
ネグロフト気味な親の元で育ってるっていうのもあって、
何か命というものに対しての疑念みたいなものを、
ずっと持ってる人なのかなっていうことを思いながら見てたんですよね。
だからもちろん子供って意味で、
彼の悪性みたいなものって、
必ずしもサイコパスみたいな形では断定ができないなっていう気が見ながらしていて、
彼自身の例えば暴力性の裏にある愛を受けてない感じとか、
そういったものを含めてそのバランスがすごく人間的だなって思って、
自分は見てたんですよ今回。
なんかその辺の描き方がすごい偏ってなくて上手いなと思いました。
弁の性格というか、
正直観客としてどんどん弁のことが嫌悪感を覚えてくるところがあって、
とにかく感情的、感触持ちだし、
感情のフレーバーは大きいし、
プライドも高いっていう非常に扱いづらい子供。
ああいう子供って正直よくいると思うんですよ。
大人になって割と落とし所を見つける人もいれば、
そうじゃない人もいますけど、
全然いるんですよね。弁ぐらいの子供って。
それは例えば棒を振り回して周りの子供に怪我させるとかっていうのも、
現実にはよくあると思いますし、
それぐらいのレベルで落ち着くっていうのが実際によくあるところだと思うんですけど、
やっぱり彼は持った力でそのラインを超えちゃったっていう。
自分をいじめてくる自分より年上の子供はいるし、
将軍として小動物を殺すこともなんとも思ってない子供。
でも現実にいるけどその子供が超能力を持ったら、
周りの人間殺すかもねっていうのは別にそういうもんだなと思って。
子供が人を殺さないのは殺す力がないからっていうだけっていうのは、
本当にそうだと思うんですよね。
だから彼見てて嫌だなって思うのって、
そもそも子供は扱いづらいの?っていうのがあって、
本当に敵とか向き出しにしてくるし、言うことは聞かないし、
こっちの質問に対して答えないしみたいな。
本当に腹立つ存在なんですよ子供って。
でもそういうもんなんですよねやっぱり。
なんかねそのベンのバランスは本当にかなり繊細だと思います。
27:03
あとメインの子供4人っていうと、
アイシャー。
まさか死ぬとかっていうのは。
子供死ぬ映画って結構ね、来るもんあるんですよね本当に。
しかもお母さんが、お母さんもかわいそうやし。
めっちゃ嫌ですよ本当にあれ。
考えうる最大の地獄ですよ。
自分が自分の子供を殺してそれを自覚あるってもう、
想像しうる最大の地獄やと思います本当に。
本当びっくりしたなーっていう。
でもなんか、なぜお母さんだったのかなっていうのも、
ベンのことを思っちゃうとその裏返しなのかなとか思ったりとかもして。
彼自身は母を殺すわけですけど、
アイシャーに対してやっぱお前は持ってんじゃんってずっと思ってたのかなとか。
なんかそういうことを思うと、
確かに彼が一番考えうる恐ろしさだし、
かつやっぱり親って子供にとって絶対的に、
もちろん関係性が良ければって前提ですけど、
信頼するというか、一番頼らざるを得ないというか、
そこにとりあえずまずは頼るっていう存在じゃないですか。
そこから心理的安全性が消える瞬間の怖さたるやっていう。
しかもあれがアイシャー目線じゃなくて、
母目線なのがまた良かったなと思って。
なんかその、彼の能力で、
その人の怖いと思ってるものを幻覚で見せるみたいな。
のもちょっと面白いなと思って。
それってもうそれ以上、
もう彼が何もしなくても、
無限にその人の想像力で恐怖が生まれていくっていうのも、
すごい嫌だなと思って。
アイシャーのお母さんって何が怖かったんでしたっけ?
アイシャーが何か怪物的なものに見えてたっていう感じで、
それ今は前田さんがおっしゃってたので思ったんですけど、
そのお母さんめちゃめちゃ追い詰められてたじゃないですか。
シングルマザーでかなり苦労もしてそうな雰囲気。
アイシャーのことを愛してたと同時に、
やっぱりアイシャーのことがめっちゃ重荷だったと思うんですよ。
そういう、親にとって子供って愛する対象でもあるんですけど、
やっぱりめちゃめちゃしんどいものでもあって、
それって二面性あるものだと思って、
ただ愛せるものでもないし、ただしんどいものでもないんですけど、
ただ自分の人生の重しになるしんどいものとしてだけの子供っていうものだけを具現化されたら、
それを殺してしまうんだなっていうのを思って。
それってめちゃめちゃ現実でよくあるんですよ。
しょっちゅうニュースで流れてくるんですけど、
親が子供を殺したとか、あるいは死んじるとかっていうのは、
30:03
やっぱり愛してるんだけど、それを超えて憎くなるっていう瞬間があるんですよね。
それを発露させてさえしまえば、勝手に親が子供を殺すっていう風になってるっていうのは、
今言われて気づきました。前田さんが言ってたの。
そっか。だからアイシャーのお母さんはずっとしんどかったわけじゃないですか。
そのしんどさの部分だけを煮詰めたら、子供を殺しちゃうんですよね。
なんかめっちゃ怖くなってきた。
でも殺してからめっちゃ後悔するんですよ。本当に。
自分の中にあるもの、気持ちというか、プレッシャーだったり、
手放せないって思うこと自体がいいとか悪いとかじゃなくて、
やっぱり人にとってはストレスになる部分もあると思うんで。
それを少しでも自覚するものがあったとしたら、その後の罪悪感も過ごそうだから、
そう考えたら修学ですね。
ベンの修学さが引き立ってきました。
あいつ結果的にめちゃめちゃひどいんですよ。
ひどい。
本当に。
そうなんだよな。ひどいことやってるけど、なかなか同情しにくいやつになるんだよな、ベンっていうのは思うんですよね。
彼はお母さんを殺したくはなかったと思うんですよね。本当は。
でも結果として死んでしまった時に、
彼にとっては猫じゃなくて、それが一線だったと思うんですよね。
お母さんを殺してしまったこと。
私、猫を殺した時は、もしかしたら苦しむよりとどめを刺してやった方がいいんじゃないかみたいな、
ちょっとそういう行き過ぎた考えなのかなっていう部分もあったんですけど、
彼の中でお母さんを殺してしまった時に、自分が一線を越えてしまったんだっていう自覚があったと思うんですよ。
人ってそういうことしてしまうと戻れなくなるというか、
自己否定をしたくないから進むしかないっていう状態にもなっちゃうと思うし、
一線を越えたら後は一緒だっていう気持ちにもなると思うんで、
その時点でそれまではさすがに殺すとかないのかなと思ったんですけど、
一線を越えたら同じになってしまうのかなっていう。
レンのお母さんもいいお母さんではないと思うんですけど、めちゃくちゃ悪いお母さんでもないと思って。
そうなんですよ、そこまでも。
感情を子供にぶつけちゃうとこはあるけど、正直しつけの範囲と言われたらそういうふうにも見えるし、
完全に逆対価と言われるとそこまでじゃないような感じがするんですよね。
ただ、レンがお母さん殺すとこの場面って、あんまりレン側に葛藤がないというか、
ただババァブッ殺してやるって感じじゃないですか。
33:03
ほんと衝動的って感じだと思うんですね。
お母さんに怒られてめっちゃムカつくみたいな感じの勢いでフライパンをバンってやっちゃったみたいな感じだと思うんですけど。
本当にババァぶっ殺してやる自体はよくある感情じゃないですか。子供にとっては。
子供にとっては、うるせーって気持ちね。
彼はそれが実現できるパワーがあってしまっただけであって、
親って子供にとって一番大事な存在というか、愛情の対象だし、唯一耐える存在でもあると同時に、
この世で一番嫌いな大人でもあると思うんですよ。
お前のせいでやりたいことができてねえんだっていうのが、一心に集めてるのが親じゃないですか。子供にとって。
むしろ一番攻撃的感情が向かう対象でもあると思うんですよね。
だからまあ、やっちゃうっていうのもすごいわかるというか。
親から見て子供も、子供から見て親も、ある側面だけを取り出したらこの世で一番憎い存在になりうるっていうのが、
2つの親子関係の中で描かれてて、そこがねなんか結構本作知るってやってるのがね、
なんかすごい本作の嫌な気長感に上手いこと寄与してるなあと思って。
家族愛とか簡単にぶっ壊れるんだっていうのが全体的に頼ってる。
それはあの飯田から見たアナもそうなんですけど、
自閉症で自分が面倒を見ないといけないアネで、めっちゃ憎んでるじゃないですか。飯田、アナのこと。
あの感じめっちゃわかるなあというか。
アナの方がいいな妹になりますけど、役割としては完全にアネの振る舞いをしなくちゃいけないというか、
お姉ちゃんでしょって大人から言われるじゃないですか。
なんやねんって思ってたんですけど、僕の兄なので。
はあって、なんで先に産まれたからってさ、みたいな。
妹はこんな甘えてんだ、みたいな気持ちになるじゃないですか、子供ながらにして。
ああいうのの発露として、むすっとした感じ、みたいな。
アナに対してのなんとも言えない感情みたいなのってあるよねっていう。
絶対誰しもが通ってくるなっていう。姉妹とか兄弟とかでもいいですけど。
ああいう関係性はすごいよくわかるっていう感じで。
喧嘩とかバリバリしちゃいますからね、そういうのでね。
してたなっていうふうにめっちゃ思い出しましたね。
一番きつかったの、飯田がアナの面倒を見てるところに、
近所の子供が通って話しかけてくるとこなんですけど、
あそこむっちゃ家やろなって思って、飯田からしたら。
つねったりしたくなるし、なんやったら靴の中にガラスも入れたくなるんだろうなっていうのは理解はできるなと思って。
36:05
なかなかね、お前なかなか悪やなみたいな、今でもやるやろなみたいな気持ちもわかるので。
僕も妹と喧嘩したときに、寝てる妹の口の中に七味を入れたことがあって。
で、その後妹が飛び起きて、もうカンカンに怒られたんですけど。
怒られますよね。
それも僕できればバレないつもりでやって、まさか飛び起きると思ってなかったので。
飛び起きる、それは。
大人に見つからないさせやかな復讐みたいなのって子供やるよなっていうのもあって。
特にアナは自分で訴えることができないから、いいやからしてたらやりたい放題なわけじゃないですか。
てめえ子なやろって言って。
最終的にというか、でもちゃんとなんかちょっとずつ自覚が芽生えてくるような風に見えてくるというか、
関係がね、ちゃんと改善されてくっていう風なラストになっていってるのはすごく良かったなっていう風にすごく僕は思ってて。
それはいずれ成長するとそういうちょっと自覚みたいなのって確かに生まれてくるんだよなみたいなのはあるんですよね。
いつの間にか僕もちゃんとそういうのできるようになってるしみたいなのとか。
ワンダー、君は太陽とかに出てくるお姉ちゃんとかのこととか思い出しましたけど、
なんかすごくしっかりしたところみたいなのが出てくるみたいなところとかも、
それも子供の側面として正しいよなっていう風にすごく思って。
あれはすごく姉妹と話としても結構僕イノセンス好きなところですね。
あとあのイーダの残酷な部分って本作の話として面白いところにものすごい寄与してると思って、
冒頭のミミズ踏み潰すところとか穴詰めるところとか、あるいはそのポスターアート自体もそうなんですけど、
あ、こいつがやべえ子供なんだなっていうミスリードになってるじゃないですか。
あ、こいつがやべえことしていくんだなっていうので、ミミズ踏むしな、穴詰めるしなみたいなので追っかけていったら、
だんだんそうじゃなくなっていくというか、結構中盤まで誰がやばくなるのかちょっと曖昧な気がしてて、
愛者もちょっと超越的というか、なんかあの、マセすぎやぞみたいな感じで見てて、
しっかりしすぎやぞみたいな感じに見えてたので、逆に怖いなと思って。
なんかどうなるのかなっていうので、だんだんその弁の中にあった凶暴性みたいなのが露骨になっていくので、弁がやばくなる話なんだなっていうのは分かってくるんですけど、
やっぱ序盤はもうイーダのやばさに目が行くというか。
なんかイーダは、私あんまりその残酷な部分とかは感じなかったんですけど、
39:04
イーダにとっての一戦ってすごいわかりやすくて、
相手が何も表現しない相手に対しての想像力が多分ないと思うんですよね。
だからお姉ちゃんをつねったり、ガラスを靴に入れるのとかはちょっとやりすぎだなと思うんですけど、
あの辺も憎い気持ちもあるんでしょうけど、なんか全然反応しないなっていうことに対する不思議というか、
この人何考えてるのかな、考えてないのかなとか、耳ずとかもそうだと思うんですよ。
耳ずって表現しないから痛みを。でも猫は表現するじゃないですか。
そこが彼女にとっての一戦だと思うし、愛者の存在によって自分のお姉ちゃんが何かを考えている。
自分と同じように感情があって、それを普段は表現できないけど、ちゃんとそれを持ってるんだってわかったときに、
姉に対する思いが変わっていったなって思っていて、そこが結構一つの基準なのかなっていうのは。
なんか自分自身もちょっとそういうとこがあるので、そういうとこがあるというか、わからないことに対する想像力。
相手がそれを表現しないときに、それを想像できないっていう感覚は子供のときにはすごいあったなと思って。
だから子供は虫殺せるっていうのもそこかなっていうのは思うんですよね。
そうですね。
確かに。だから最初ちょっと思ってたのが、イーダの最初に出てくる悪意っていうのと、ベンの悪意みたいなものが両方語られることによって、
結構シームレスにベンだったり、イーダだったり、あるいは子供の悪みたいなもの、悪性みたいなものっていうのを飲み込める段階があるからかなとかっていうのも思ってたんですけど、
前田さんおっしゃるように結構そこにも彼らのキャラクターがしっかり反映されていて、っていうのは確かに改めて気づいたかもしれないですね。
その悪というか好奇心というか。
そう、好奇心なんですよね。
好奇心っていうのがより残酷な方に向いてしまうものだっていう特性があるというか、こうしたらどうなるのかなっていうことを単純にしたくなる。
確かに。親からしつけというか、これはダメだよって言われるときって、教わり方としてなんか、自分がされたらどう思うみたいなことめっちゃ言われたりしませんでした。
やっぱそれってさっき言ってた想像力がどう感じてるかわからないからそうしてしまうみたいな話にもすごくつながるなって今ちょっと話を聞いてて気づかされたんですけど。
確かにそうですね。本当に。その想像力というか、姉が何を考えてるかとか彼女にもしっかりとして自我があるんだっていうのがわかっていって初めてようやく姉妹としての絆みたいなのがちゃんと生まれたのみたいなのが描かれてたのかなって思うとすごくよくできてるなっていうふうに思いましたね。
42:06
自分がされて嫌なことってなったときに自分がされて嫌なことを相手にしちゃうっていう問題もありますよね。
そうですね。
自分が耐えれる痛みに対してやっぱ鈍感になっちゃうのはすごいあるから。
でも他人と自分が違うっていうことをやっぱり学ぶ期間でもある。
だから結構その飯田のキャラは本当に良い子とか悪い子っていう描かれ方じゃないのがやっぱりすごい良いですよね。
そうなんです。そこがめちゃくちゃ良くて。
本当にリアルというか良いとか悪いとかじゃなくてこうやって人は学んでいったり変わっていったり。
それで言ったら愛車が死んじゃってお姉ちゃんとテレパシーできるというか一卒できる人がいなくなっちゃって大人にも危ないから外出るなとか言われてお姉ちゃん連れていかれへんしってなって。
自分一人で何とかしようってついに思うときのあの勇気、あの時の彼女の勇気と恐怖がすごい伝わってきて。
しかも結構賢いなと思いましたよね。あの誘い出し方。
そうです。彼女なりにちゃんと考えて、しかもちゃんと概ね上手くいってましたからね。思惑通りにはね。
めっちゃ嫌な相手の家に遊びに行かないといけないっていうのがなんか記憶の底に眠ってるんですよ。
これは本当に大人に相談しても絶対どうことかじゃないっていうのもなんとなく覚えてて。
ただ自分はここに行かないといけないんだみたいな。これをクリアしないといけないんだみたいな。
なんていうか本当に一世一代の戦場に移動みたいな感じで誰かと遊ぶみたいなのがなんかあった気がするんですよ。
あれがね、めっちゃいいんですよ。やってるのは遊びに行くって遊びに誘い出すっていうだけで、
そのね、やっつける方法も高いとこから突き落とすって本当にささやかで素朴な方法なんですけど、
なんかその子供の世界にとってすごいリアルな何かに見えて、それがすごい良いんですよね。複雑じゃないからこそ。
で、そのなんかベンもその時ちょっと嬉しそうじゃないですか。あれがなんかまたしょうがないんだけど胸を痛んでくるし。
なんでこうなっちゃったのかなっていう。なんかこうこの子たちにとってお互いしか遊ぶ相手がいなくてみんな楽しくやってたのに
なんでこんなことになったのかなとか思いながら。だからそのベンの嬉しそうな表情と裏切られたんだって気づく時の感じとかも、
その辺もすごい嫌な感動の連続というか。
すごいですね。だからちょっとやっぱなんか思い出したのが、クロニクルって映画あったじゃないですか。
45:01
この主人公とかちょっと思い出してしまうんですよね。ちょっと似てるかなぐらいだと思うんですけど。
クロニクルの主人公は別のまたこう、まあでも彼もちょっと家庭関係悪かったし、みたいなとかあるし。
ちょっと近いところは感じます。あれももろにアキラオマージュみたいな映画でしたけど。
僕もクロニクル思い出してたんですよ。ただクロニクルってやっぱ思春期以降というか、大人に近い段階の自意識。
だから子供と大人の間の自意識の話。その自意識が暴走するって話だったと思うんですけど。
本作って本当に子供が子供になろうとしてるみたいな段階。
子供としてはまだ子供的なものにはなりきってなくて、本能に根差した生き物から、
だんだんそういう社会的な生き物になる前段階の子供になろうとしてる段階。
やっぱりそのむき出しの感情、本当に本能に近いようなむき出しの感情がちょっとだけ社会性でコーティングされ始めてるぐらいの段階。
でもそのコーティングが間に合ってないからめちゃめちゃ暴力が溢れ出したりしちゃう段階の子供の話っていうのが、
クルーに来るとした時にすごい分かりやすいなとは思って。
自意識とかそういう段階じゃないんですよね。
寂しいとか嬉しいとか裏切られた怒ったぞとかそういうシンプルな感情なんですね。
それが溢れ出してバーンってなっちゃうっていうのがそこが本作の良さというか。
なんかすごい本当にいろんなことを思い出します。子供の時の。
そうですね。なんか結構こういう子供怖い系ホラーみたいなのって結構一人の子供がすごい大人の前ではいい子なんだけどみたいな。
それこそエスターみたいな感じが多かったりとか。
あと子供全体が大人に対して敵とか悪意があるみたいなのが多いと思うんですけど。
そういう意味で今作って本当に大人を一方的に憎んでるとかそういうことでもなくて。
大人がそもそもあんまり出てこないですね。自分の親以外の。
なんかそういう子供の世界には子供の世界のルールがあるっていうのがすごい。
その中の嫌さっていうのをすごい救い出してていいなっていう。
まさに前田さんおっしゃったところを引き継ぐと。
大人のためのホラーになってないのがいいなって思ったんですよすごく。
多分子供怖い系ホラーって大人から見た大人が思う理想の子供に当てはめられない子供を怖いって思うと思うんですよね。
それに対して今回は子供同士の相手での怖さでしかないから。
48:01
だから僕らはこの映画を見ると必然と自分の子供時代を思い出すんですよ。
だんだん子供時代に帰っていくような体験をするんですよね。
それって多分本作独特の多分味わいだと思っていて。
大人に対して悪意を向けるわけではない。もちろん悪意が向くこともあるんですけど。
それは大人の社会を壊そうとか大人に恨みを持ってるとかではなくて。
子供ならではの現象的な浄土みたいなものから生まれる子供同士でのものなので。
だから僕らは自然と視線を子供に合わせるし。
自分のその頃を思い出しながらあんなことあったこんなことあったって思い出しちゃうっていう体験になるように映画が作られていて。
やっぱそこは本当にちょっと稀有な作品だと思いますね僕も。
さっき前田さんがおっしゃられた言い方すごい整理されているなと思ったんですけど。
子供怖いホラー。
一人だけ恐るべき子供がいる。あるいは子供全体が大人に対して牙を剥いていく。
じゃなくて子供時代は本当に素直に子供としてあって。
ただパワーだけがそこに落とされた状態。
素直な子供にパワーを与えたらこうなるよねっていう範疇でしか描いてないっていうのが。
本作のすごい子供の描き方に対してすっげー誠実やなって思うんですよね。
そこが本当にいいなと思いますね。
本作って出てくる大人は身内だと4人。
イイダとアナの両親とレンの母親とアイシャの母親。
基本的にほぼ母親メインで話が進んでると思うんですよね。
どの家庭も結構苦労してる家庭にはなってて。
まずは団地に住んでる時点で決して所得は高くないっていうのはなんとなく察せられるっていうのがあって。
さらにあの団地の中でも所得が高くないかあるいはより苦労してるんだろうなっていうのはなんとなく分かって。
それは休みの間他の家庭って旅行行ったりしていないんですよね。
そうやそうや。
主人公たちメインの家庭とかだけが残ってる。
それは何らかの事情で出かけたりできない家庭が残ってる状態になってるっていう。
なんかそれがまずなんかいいんですよね雰囲気として。
さらにそこからちょっと段階があって
アナとイーダの家庭はアナが自閉症であることでお父さんが仕事変わって引っ越してきたりとか
何らかのちょっといろいろ大変なこともあったっぽいけど
両親自体は仲良さそうだしちゃんとアナのこと考えるし
イーダには厳しいけど決して悪い親じゃないというかいい親です。
いい親だと思うんですよ。
アイシャの家庭はお母さんはアイシャのことも愛してるんだけどめっちゃしんどい。
51:03
もう夜泣いちゃうっていうぐらいしんどいっていうので
ただ我慢はしてる。
ベンの家庭はお母さんがもうしんどさを我慢しなくなってる。
ベンに感情をぶつけてきちゃうっていうので
アイシャはお父さんが写ってる写真をちらっと見るんですよね。
なんかそのやっぱり子供たちの中でもお互いが完全に対等と思ってるわけじゃなくて
相手の方が恵まれてるよなってちょっと思っちゃってて
ベンはそこをむき出しにしてくるけど
アイシャは結構そこを飲み込めるんですよね。
ただ僕アイシャの中の感情って何だったんだって
すげー考えてて本作。
イーダの本当に無邪気な子供としての残酷さとか
あるいはベンの本当にむき出しの暴力的な感情とかじゃなくて
アイシャの感情結構大人びてるし
よくあろうとしているけど
感情の中にもたぶん子供の残酷さってあるはずだなとは思って
それが何なんだろうって考えてたんですよ。
アイシャだけが良き子供としてたぶん描かないと思うんですよ本作。
この作風なんだったら。
でちょっと思ってたんですけど
アナをちょっとお人形遊びしてたんじゃないかなと思ってアナで。
僕はアナってアイシャとつながってる時しか
あんまり喋ったりできないし
感情がそもそも表すこともうまくできない。
アイシャがいなくなったら
元の状態に戻ってしまったりしてて
あれアナが考えてると思ってること
実は全部アイシャがやってるんじゃないって
途中思ってたんですよね。
だからアイシャが悪い奴になる展開もちょっと想像しながら見てたんですよ。
全部操るんじゃねみたいな感じの可能性も見てて
その前にアイシャは死んじゃうんですけど
やっぱそのアナ自身がそういうテレパシーで操れるからこそアナと遊ぶ
それはアナで遊ぶって意味も含んでるんじゃないかなっていう風に見てて
ただラストでね
アイシャがいなくなってからも
アナはまだ能力を使うから
やっぱりそのアナ自身の意思の存在っていうものも
ちゃんと描かれてはいて
単にアナはアイシャがいないと
ああいうことができるわけじゃない
っていう風にだけ描かれてたわけではないと思うんですけど
途中までは結構アイシャがアナで遊んでるなっていう風に
僕はちょっと見えてたんですよね。
なんかそのアイシャは結構やっぱり寂しかったのかなと思うんですよね
なんかそのお人形遊びっていうのが
良くも悪くも寂しさの現れにもやっぱり見えるというか
54:01
だからなんか
アイシャとベンのお父さんって
アイシャのお父さん死んじゃったっていう感じなんですかね
なぜか一緒にはいないって感じじゃないですかね
わかんないけど
特にそこ深掘りはされてはないんですよ
とりあえずいないということだけしかわからない
何があったかはないんですよ
僕そこも結構本作クールやなと思ってて
なんでお父さんがいないとか
別にそれって何かその理由があったりとか
その理由が説明されるとかじゃなくて
そういう過程もありますっていうぐらいの感じ
特に子供にとってそこってあんま関係ないというか
それを噂したがるのって大人じゃないですか
あそこってこういうのがあって
お父さんいなくてみたいなのを言うのって大人だから
子供にとっては子供しか興味ないし
何やったら親いない方が自由にできるから
ラッキーぐらいなのかもしれないなっていう
だから子供が興味ないことを本作描く必要がないっていう
だから子供を殺した大人出てきますけど本作
彼らがどうなるかも描かないですよね
そうなんですよね
確かにあの人なんか殺しちゃう男性とかのこととかって
特にしれっと触れないで終わりますけど
それ子供の視点だからってことかっていうのは
確かに言われてみればそうですし
逆にそういう子供の視点で描かれてることしか描かないからこそ
大人たちが見ている余計なステレオタイプみたいなものが
そぎ落とされて
かえってとてもいい映画になってるんだなっていうのは
改めて本当思います
ベンの母親とかも
あれベンがどんどん暴走していっちゃうみたいな展開にするんだったら
全然なんかものすごい悪い母親とかに
描くこと全然できたと思うんですけどこの映画って
別にそういう感じでもないっていうあたりが
あくまで特別な話じゃ別にないんですよっていう
ところの描き方でもあるし
そういう人の描き方として
やっぱすごく本当に誠実なんだろうなっていう風に
改めて思います
本作の中で起こったこととかって
ステレオタイプ的に捉えると
ああこういうことがあるんだなとか
あの過程はこうなんだろうなとかっていう
そういう門切りで結構解釈できていっちゃうとこがあるなと思って
不良というか意地悪な年上の男の子を殺した男性も
多分一人暮らしで決して収入も高くないだろうし
なんか社会に対する憤怒を子供にぶつけたのかな
みたいな解釈はできるじゃないですか多分
でも別に本作はそこを掘り下げないですけど
ただ大人視点で見ると
そういう風に解釈できるように作ってあるってところも
なかなか来にくいなと思ってて
愛者のお母さんもそういう精神的なストレスから
子供を殺したなとか
57:01
想像することは絶えやすいんですけど
そうじゃないかもしれないよねっていうのが
子供の視点の中にあるっていうのが
本作のすごい巧めなところかなとは思うんですよね
確かにそれこそ団地に住んでた頃とか
親とかで例えば名字が変わる子とかも結構いたんですけど
そこら辺の親の話
親戚どうでもいいなって思ってた記憶が
確かにそうかも
確かに僕も学校で急に名字が変わったことが確かにいたんですけど
どうでもいいなって思ってましたね確かに
その人の親がどうこうとか
その話全く興味なかったんですよ子供の頃
そんな話全然したことないですね
普通に接してるのも変わんないです
なんだろう名字変わったんだみたいな
よかったねこれ出席番号ちょっと前になるねみたいなそんな感じの
やっぱり本作を見てて
単純に全然お父さん出てこないなっていう印象はやっぱあったんですよ
リーダーの両親もお父さんいるんだけど
そんなに存在感が濃くないから
なんかその辺はちょっと何か意図があるのかなとか思ってしまいましたね
やっぱ男って子供にとって遠い存在ではありますからねこうしても
もちろんそれはおそらく男というか男性を恐れて
なかなか関わりづらいっていう社会背景とかも
おそらくあるのかなとは思うんですけど
関わりづらいってのは関わっていない方らしいかもしれないですけどね
それ結構監督は自覚的に描いてたりするんですかね
しかもさ私は最悪の脚本の人やから
なんか余計なんかちょっと考えてることあるのかなとか
そういう深読みはしてしまいました
なんとなく前作のテルマは結構父と娘の話だったなって僕は思ってました
そうですねテルマはそうです
だからある意味今回は父と娘の話から
もう少しこう視点を変えてみたっていう見方もできなくはないし
ある意味でもあそこで描かれてた父性で
ちょっとやっぱ独特のものだったなって思ってはいて
テルマで描かれてたものって
そうですね
なるほどね
父が不在な物語っていうのって
全員がシングルマザーやと多分逆に描けないなって思って
だからイーダとアナの家庭は
お父さんがいるけどあんまり家にはいないというか
仕事行ってるからいないからこそ
父が不在な物語っていうのが
意図的にそうしてるっていうのが分かると思うんですよね
いるけどいないんです
子供の世界にとって父親はいないんですっていう
やっぱ父親って遠いものになるっていう
だから倒れるのも母親だし
自分を束縛してくるのも母親になるっていう
それは子育てのしんどさを担うのも
母親ばっかりっていうのも意味してますよねそこは
1:00:02
その辺のことを本当に自然とというか
別にわざとらしくもなくあるいは意識的でもなく
結構さらっとこうやってきて
後から見とこうとすると
そういえばそういうことかってなってくるっていう
あたりとか含めてやっぱり本当上手いというか
品がいいなって感じはすごいやっぱりしますね脚本が
そうですね
しかもどれも結構ジャンル違うじゃないですか
やっぱテルマにしろ私は最悪にしろ
イノセントにしろ
確かに
なんかそれでなんかこう
全部上手いこときれいにちゃんと考えられた物語とかが
作れるっていうこの人をエスクルー
ボクトさんっていう人ですか
すげえなって思いますよね
ヨアキム・トリワーもですけど
2人のすげえなってやっぱちょっと思いますよね
本作監督としてはデビュー作になるんですかね
2本目じゃない
2本目か
はいはいはい2本目なんだ
あ、だから
え?
ブラインド 視線のエロスが多分監督デビュー作
えー
これもちょっとタイトルで気にはなってるんですけどね
なんかなんていうのかな
やっぱ女性が撮るのが上手いのかなっていう感覚もちょっとあって
あー
上手いって言い方がちょっと難しいんですけど
どういう意味なのかっていうのが
なんか面白い撮り方をするなっていうのをいつも
確かに
母って意味でも女性だしってことですよね
出てるままでも女性主人公だし
今回も一応女の子って意味では
いいな女性とも撮れるしっていう
海外の映画とか見ると
なんかちっちゃい子でも絶対一人で出てるから
怖くないんかなって思ってしまう
怖いし寂しくないんかなって思ってしまう
絶対怖かったもん
中学生くらいまで正直怖かった一人で寝る
本当ですか
確かに
あの年俺一人で寝られんかったな
すごいな
しかも絶対自分の部屋があって
一人で寝るから
あとあの
ラストなんですけど
めっちゃ好きで僕
結局ベンをやっつけて
一旦平和を取り戻したと思うんですけど
多分アナはもう
この劇中で描かれてたみたいに
超能力を使っていろんなことをできて
意思疎通もできるようには
ならないと思うんですよね多分
元に戻ってしまうっていう
それはもしかしたらこの
本作が始まる冒頭のところぐらいまで
状況は戻ってる
アイシャもベンももういなくなって
本当にあの姉妹二人だけに戻って
でアナも元に戻ってると
でももしかしたら
イーダは成長してるかもねぐらいで終わるのって
確かに
めっちゃ好きで
1:03:00
僕が好きなジグナイルなんですよね
そうですね
いいですね
ものすごい不思議なことが起こったり
大冒険をして
でも日常に戻るから
大人目線では大きな成長はしてないんですよ
あくまで子供の中の世界だけで何かがあって
それは大人からは観測できないほど
ささやかな変化なんだけれども
子供にとっては何かが変わってるかもねで
日常に戻って終わるっていうの
もしかしたらイーダはアナに
優しくできるようになってるかもしれないし
もしかしたら元に戻って
またアナに意地悪する妹に戻ってるかもしれないけど
っていう感じ
めっちゃ好きで本当に
すっごい好みなんですよね
ラストのところで本当に
アナが結局ずっと何かを描いてる
あるいは何かを見てるわけですけど
そこで何か彼女が見てるものみたいなものが
何か提示されるわけではないけど
結局も彼女が描いてるものの中に何か意思があるのかもしれない
って目で見るじゃないですか
それがすごいいいなと僕も思っていて
そこをめちゃくちゃ何か明示的に提示しなくても
この物語を経った上でのアナの全ての行動には
きっと彼女なりの意味があるんじゃないかっていう
彼女の意識みたいなものが存在するんじゃないか
っていう形で見れるようにも作られている気がして
それは多分イーダの視点そのものでもあると思うんですけど
なんか最後そのアナのショットで終わるっていうのは
すごいやっぱりそれもまた
同じ言葉しか使ってないけど品がいいと思って
なんか最後のボールの描き方までオシャレかよって思いながら
めっちゃいいっすよね本当に
すごくいい
ちょっと時間ないので最後に話したいんですけど
本作の超能力描写めちゃくちゃかっこよくないですか
超よかった
めっちゃかっこいいと思って
まず一番初めに
ベンとアナが超能力を代々的に使われて
山の雑木林みたいなところで
足元の枯葉みたいなのがザワザワザワザワって
めっちゃかっこいいなと思った
今までめっちゃ軽いものの軌道がヒュッて曲がるとか
そういうささやかなことやったじゃないですか
あそこで明確な頂上現象が起きてるぞっていうのが
描かれてるのも
めっちゃ強いパワーじゃないんだけど
何かがザワザワザワと動いてる感じめっちゃ良かったし
ラストバトルがかっこよすぎる
ちょっと見えるか見えないぐらいのザワめきみたいなね
なんか波紋かね水の波紋とかがうずってるぞとか
空気が震えてるような感じするぞみたいなのがすごくいいんですよ
水辺を挟んで相対して姉妹とベンが
1:06:03
その何かザワめきのようなものに子供だけが気づいてそっち見ちゃうっていう
しかも気づいてない子もいて何人かの子が気づいてるっていう
あの映し方もかっこよかったですね
かっこよかった
シャギですあれ
タイトル通りイノセンスなものだけが気づける力っていうのが
良かったですよね
ベンがやられた後
潮が引くようにみんな戻っていくじゃないですか
あー終わった終わった
あれは何か本当に気づいててでももう終わったから
じゃあ自分の日常に戻るってことなのか
あれはもう本当にあれが終わったらもう覚えてないのかもしれないんですけど
ただあの瞬間何かあそこにいる子供だけが気づいてる
あの空間の意味みたいなものがそこにあったっていうのがね
いいんですよね本当に
本当に結構今年でも上位というか
僕はトップクラスに好きです
今年見た映画の中で
はいいや正直そこまで期待してなかったんで
見れて良かったなとは思いました
はいまあじゃあそんな感じでイノセンスの話を終わっとこうかなと思います
次回なんですけど
メプシーもの全然ない気がしてるんですけど
そうですね次回確かにな
渋いやつだとインスペクションとかはあるってありますけど
全然わからへん
A24のね中心作ではあったりしますが
ちょっとまあ中休み的にフリートークしてもいいかなってちょっと思ってて
おいさん加入して2ヶ月
早っ
なんかそれ含めて本当に特にノンテーマで喋ってみてもいいかなとはちょっと思ってて
いや全然いいと思います
あとちょっとだけテーマ的なものでありかなって少し思ってたのが
今回のバーで話題に上がって
やっぱこれ映画ファンにとってめちゃめちゃ大きな命題なんだなってことがあって
トイストーリー4の話は今のでどうかなってちょっと
荒れるぞ
荒れるぞこれは
めんどくせえぞーっていう
まあわかりますけどね
なんかこれある意味みんな好きやなと思ってトイストーリー4
いやだってまだその話してるのっていうぐらい好き
1:09:00
するねーみたいなことありますよ
私が一番たぶんこの中では最近に見てるんで
僕たぶん前田さんに言われてから見てるんで僕の方がたぶん最近ですよ
ほんまですか
だから珍しく3,4連続で見てる人っていう
確かにねトイストーリー4の話は結構その近年のいろんな作品に関わってくるような感じもします
そうなんですよ
ちょっと新作これっていうものがないのであれば
劇場作品じゃなくて旧作からっていうのもありかなって思ったのと
フリートークありかなっていう大石さん加入2ヶ月で
なんか大石さんの自己紹介会じゃないけどみたいなので
会ってもいいんじゃないかなっていうのはちょっと思ったんです
僕サメ会でそれをしたつもりになってたんですけど
あれにしたつもりになって
ブラックデーモン
ブラックデーモン大石
すごいなんかプロレスラーみたいな
確かに
しかもあの映画嫌いなのに
でもなんかここに来てトイストーリー4か
なんかフリーテーマがあったらトイストーリー4の話に持ってくれたら結構良さそうな気がしますよね
そうですね
フルじゃなくてちょっとその一部使ってでもいいかもしれないですね
いやもうバチバチに行きますけどね
フリーストーリーして
ちなみに今週ピクサーの新作があるんですけど
マイエレメント誤解されるんですけど
ああそっかマイエレメントもあるのか
ある意味マイエレメント差し置いてトイストーリー4の話を
なんだここみたいな
差し置いてピクサーの別の映画舐めするっていう
面白い時代になりますけどね
それはそれで
マイエレメントはあるなんですけど
前田さんそんなに興味ないかなってちょっと思って
そんなに興味ないです
今週はイビルアイを見に行きます
さすがですね
だからフリートークなのかトイストーリー4の話なのか
どっちもなのか
フリートークでじゃあ
ついででトイストーリー4の話しますか
はい
じゃあそんな感じでいきましょうか
すいません
ちょっとエンディングお任せしていいですか
僕ちょっとやばくて
了解です了解です
すいませんじゃあちょっと
私はもう一度ここでリタッチさせていただきます
はいではお知らせになります
1:12:02
8月も映画の話したすぎるバーを開催する予定です
場所は大阪の南森町にある日帰り弁当型カフェバー
週間ばかり
日時は8月の26日の土曜日
オープンが19時クローズが23時となっております
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています
番組の感想次回テーマ作品の感想など
ご自由にお送りいただけると幸いです
また次回は開催情報
ポッドキャスト次回テーマ作品の告知も行っておりますので
ツイッターでいいんですかね
Xですか
フォローもよろしくお願いします
あとこの番組のイメージキャラクター
映画の話したすぎる猫
仮をあしらったグッズを販売していますので
よろしければご購入くださいませ
お便り受付先
ツイッターXアカウント
グッズ販売サイトいずれも
番組説明文に記載しております
未だにツイッターのことXっていうこと慣れないので
本当勘弁してほしいんですけどね
鳥がいないのちょっと寂しいんですよね
カタクナにこれからツイッターって言っていきたいなって
個人的に思ってるんですけど
話が逸れました
それでは映画の話したすぎるラジオ
第28回かな
イノセンスの話を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら
さよなら
ご視聴ありがとうございました
01:13:45

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