今日のテーマトークは、LOVE LIFEです。 では、解説を原口さんお願いできますか。
映画トットコムより拝借します。 新卒でカンナ国際映画祭、ある視点部門の審査委員賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得ている
深田浩二監督が、木村文乃を主演に迎えて描く人間ドラマ。 ミュージシャンの矢野明子が、1991年に発表したアルバム
LOVE LIFEに収録された同名楽曲をモチーフに、愛と人生に向き合う夫婦の物語を描いた。 再婚した夫、二郎と愛する息子の桂太と、日々の小さな問題を抱えながらも、書きがいのない時間を過ごしていた太子。
しかし、再婚して一年が経とうとしたある日、夫婦は悲しい出来事に襲われる。 そして、悲しみに沈む太子の前に、失踪した前の夫であり、桂太の父親でもあるパクが戻ってくる。
再会を機に、老舎であるパクの身の回りの世話をするようになる太子。 一方の二郎も、以前付き合っていた女性の山崎と会っていた。 悲しみの先で、太子はある選択をする。
幸せを手にしたはずが、突然の悲しい出来事によって、本当の気持ちや人生の選択に揺れる太子を木村が体現。
夫の二郎役に、長山健人。 元夫のパク役に、老舎の俳優で、主役表現モデルとしても活躍する砂川敦。 第79回ベンチャー国際映画祭コンペティション部門に出品されました。
はい、ではここからネタバレ込みの話が入っていきますので、見てから聞きたいという方がいらっしゃったら、一旦聞くのを止めていただけたらと思います。
はい、ではさらに感想を伺っていこうかと思います。 原口さんいかがでしたか?
私、福田康二監督作品は、長編作品は一応全部見ておりまして、かなり思い入れ強く、福田監督にも今回含め、直近4作品でインタビューとかさせてもらったので、かなり思い入れが強くて、今回リクエストして選んでいただいたんですけども、
1個前の本気の印劇場版で初めて原作もので、ドラマとかもやっている作品を経た後のオリジナル作品でね、やっぱりちょっと本気の印をしまったおかげで、
悲しい出来事ありながらも最後、ある意味ちょっと明るい感じで終われた良い作品かなと思っています。
ちょっと深掘りまたこの後見直ししましょうということで、一旦待つここまで。
はい、前田さんいかがでした?
私、この作品を見る前、全然どんな映画か知らずに見始めて、最初はこういう日常のちょっと嫌な感じを拾っていく系の映画かと思いながら見てたんですけど、
その嫌さがどんどん動向してきて、この話何?って思って、もうどこに連れて行かれるのかわからないままずっと見てたんですけど、
でも見終わった後はなんか無茶苦茶なのに、いやこういうことってなんか人生にあるぞって思うような、そういう身近さもなんか感じるちょっと不思議な作品でした。
はい、丸井さんいかがでした?
そうですね、見終わった直後はこれもうめっちゃドライブマイカーやんかみたいな風に思ったというか、
多言語が出てくることとか、あとテーマ的にもすごく人と人とは分かり合うことができないという前提のもとで、
じゃあその先どう生きていくのかみたいなテーマを扱っているところとかも含めてすごくなんか似てるなと思いながら見てたんですけど、
まあでもなんかドライブマイカーがまだ優しく見えるぐらい、今回のラブライフっていうのはめちゃくちゃどぎついというか静かにどぎついものがずっと続いていくみたいな映画で、
まあなかなかちょっと痺れましたね、本当に。
もうちょっと大傑作やなと思いながら見てました。
はい、僕はですね、深田浩二監督作品初めてだったんですよ。
で、見てみてですけどむちゃくちゃ面白かったですね、本当に。
今年でもトップクラスに面白い映画だったなっていうのがあって、
あと見てて思い出したのが浜口隆介監督作品で、ドライブマイカーはもちろん思い出したんですけど、
あと寝ても覚めてもちょっと思い出したんですよね。
ただ結構似たようなことを描いてるけど、質感が違う監督なのかなっていうふうにも思って、
まあ深田浩二監督作品これしか見てないのに作家性とかわかんないですけど、
なんか浜口隆介作品の方がニヒリズムが背景にあるような気がするんですけど、
深田浩二監督の作品はシニカルだなっていうふうに見てました。
その皮肉な中でどう生きるかみたいなものかなっていうふうには思いましたかね。
正直喋るのむちゃくちゃ難しい作品だなと思ってます。
こんなと何喋るかもあんま決めてないって感じですね。
では深掘りした話入っていきたいと思います。
原田さん何かトピックありますか?
じゃあ、それこそね、浜口隆介監督作品との比較で、
ちょっと興味深い視点の話がありまして、
これは元ネタはですね、TBSラジオアフターシックスジャンクションの特集からなんですけれども、
この番組でいわゆる映画と老舎特集っていうのがあったんですね。
コーダーとかがあった後に。
で、東京国際老英雅祭の主催の方が出たんですけど、
その方々はですね、ドライブマイカーについて老舎の表現とか手話が全然なってないと。
結局それってね、普通の俳優の方をちゃんと老舎として演じてもらうには6ヶ月ぐらいいるようで、
なかなかそんな時間かけれないから、
いわゆる監獄手話とかも実はちゃんと表現できてなかったらしい。
割と結構この辺は国標なんですけども。
で、今回深田監督は東京国際老英雅祭のワークショップに呼ばれて参加して、
老舎の方相手にワークショップとかもしてて、
手話っていう言語がどれだけ大事であるかと気づいたと。
で、そこで今回の作品に老舎の俳優の方は東尺キャスティングをしていると。
で、もちろん老舎の方にも細かく取材していて、
この作品の中で使われている手話は全部韓国手話と。
という風にね、かなりその映画祭のスタッフの方も協力を得ながら、
手話の表現は徹底して丁寧に描いているっていうところはちょっと違いとしてはあるかなという。
で、手話をするっていうことで、いわゆる現聴者やと声が聞こえる分、
顔を見ないでも喋るけども、手話で話すってことはお互いの顔を見ないと会話できない。
だから映画の中でもね、こっち向いてっていう表現が結構大事なところではあるかなっていうのが。
手話の表現とか結構こだわった作品であるのかなというところをちょっと色々解説してみました。
まあ確かにドライブマイカーって手話ってテーマを語るための手段の一つでしかないというか、
もうパーツなんですよね。
手話が適当、もしかしたらそうなのかもしれないです。僕わかんないですけど。
ただ浜口監督別に手話に限らず、発声して表現されるセリフとかも別にそんなに演技指導をガッツリつけてる感じじゃないですよね。
台本そのまま読ませるようなワークショップしてる感じじゃないですか。
はい、そうです。あえて棒読みで。
なんかここは手話してますとか、ここはセリフを喋ってますっていうことを伝えれたら、
それでいいっていう演出をしてるんじゃないかなと思うので。
まあもちろんその手話できる方からしたら、祝福しかねる演出だと思うんですけど、
そもそも全てのコミュニケーション手段に関してあんまり入れ込んでないような演出をつけてるような気はするんですよね、浜口監督は。
うん、そうですね。
ただラブライフは手話がテーマの根幹にあるから、そこをちゃんとしてるっていうのはすごい好ましいですね。
だからまあ、見ないといけないっていう、見ないと伝えられない、相手の目を見て、相手の行動を見ないと言葉としてやり取りができないものっていうので、
声によるコミュニケーションより、より密なものとして表現されてるっていう。
ただそれもまやかしっていう方に行く話だと僕は思ってはいるんですけどね、ラブライフは。
手話だったら言葉による会話よりも本当に心が通じ合えるよねっていうのも、
幻想でしかなかったっていう結論に至るっていうのは、僕えいげつないなと思いました、本当にあれは。
そうですね、これ見終わったと結局みんな孤独やんってなるんですよね、これって。
なんかもう子供を不良の事故でなくすっていう超重たい事件があった後に、その事件というか事故に向き合うために、みんな迷走をし始めるというか、
愛を求めたり、突き放したり、逃げたりとかいろいろやり方はあると思うんですけど、
そのやり取りのあやふやさな部分っていうのがすごく今作の魅力というか、
結局求め合ったり突き放したりして、結局やっぱり分かり合えないんだなっていうのが改めて分かってしまう。
もうそれはなんか主人公が結局ね、韓国まで行って、実はこうでしたみたいな言われた後、それはなんか変な踊りを踊りたくもなりますよね。
あそこはもうあれですよね、ポンジノの母なる照明みたいでしたよ、本当に。
この状況どうしたらいいのって、もう分かんなすぎてどうすることもできなくて、もう体だけは揺れているみたいなもんだと思うので、すごくなんか連想しました。
ギリの父もギリの母も、ちょっと悲じゃないけど要因があるんですよね、あの悲劇の。
そのせいで人を咎めきれないみたいなのがあるかなと思うし、もちろんその太鼓と今の夫に関してはお互いに相手じゃない人に気持ちがいってるっていうのがあるから、
そこで怒りっていう形で表現できないみたいなのがあるかなと思って、そこで何か互いをおもんぱかってるようなフリをしながらみんなが行動してるなと思うんですよね。
なるほどな。
で、それがすごい気持ち悪いんですよ、どうするに。
そうですね。で、取り繕ってるけどチクリと本音みたいなのが出ちゃうんですよね、そういう時って大体。
だから余計にグサって、チクッとしたものがグサグサくるっていうのが今作めちゃくちゃ多かったなと思うんですけど。
その罪悪感に限らず、全力で相手を攻撃することはできないっていう気持ちをみんながちょっとずつ持ってることで変な調和が生まれてるんですよね。
で、その調和はすごく気持ちの悪い、居心地の悪い空気なんですよね。
で、そこでそれを壊してくれる前の夫っていうのがちょっと救いになっちゃうみたいなのもあるなと思って。
いや、確かに。
だから怒ってくれたっていうので、この人っていうふうに気持ちが行っちゃうみたいなのもあるなと思ったんですよね。
いや、ほんとそこに関しては赤い子の夫のさっき言ってた独白のシーンというか、
あの時に私も結局亡くなった息子が太子の連れ子だったっていうことで、
夫側の家族からしたら、ある意味血はつながってない、本当の家族じゃないっていう思いがどっかにあるというか。
で、お葬式とかで人が亡くなったりした時って、どの人が自分と一番近い感情なのかっていうのがすごいわかるタイミングだったりするんですよね。
例えば、同じ家族であったとしても、私はそのお母さんが亡くなった時にすごい思ったんですけど、
同じように悲しんでても、お父さんからしたら妻だし、おばあちゃんからしたら娘やし、違う誰かからしたら友達。
それぞれ実は悲しみ方も違うし、その時に私自分と唯一同じ感情で悲しんでるのって、もう弟だけやなって思ったんですよね。
わかる。
その感じをすごい今回お葬式のシーンで、すごいわかるなと思って。
だから、本当に悲しんで花を手向けてくれる人の中には、同じように小さなお子さんがいて悲しんでくれてる人ももちろんいるんだけど、
自分と同じように同じ気持ちで悲しんでくれる人って、この人しかいないんだなってすごい感じたのがすごい伝わってきて、
それが怒るっていう表現で表してたんだと思うんですけど。
だから、あそこは結構ね、なんかすごいグッときましたね。あのシーン。
葬式って、距離遠い人の方がめっちゃ泣いたりするんですよね。
本作でも息子のお友達の保護者の人が、花を棺に入れる時にめっちゃくちゃ泣いてて、
あれって自分の子供が死んだっていう風な想像を働かせてるから、むっちゃ泣くけど、
身近な人だと、自分の息子っていう捉え方はしてないんですよね。
連れ子っていう感じで見てたりとかしてるから、そういう風にならないんですよね、やっぱり。
確かにな。近いとやっぱり、近いからこそいろいろ思うことがあって、やっぱ泣けなかったりとかってするなっていうのは、なんか分かるなというか、
葬式自体も忙しいのもあるけど、確かに。
自分も父方の祖父と母方の祖母が亡くなってるんですけど、
祖父の方はあんまなんか泣けないんですけど、祖母の方は結構なんか泣けるとか、泣いちゃったとか、
結構やっぱ同じこの親族同士の中でも結構やっぱ自分の中でこの感情の思い出みたいなのが違うんだなっていうのは、そこで結構感じたことがあったんですよね。
なんかそういうのにも近いのかなって、今ちょっと思いました。
その分かり合ってるというか、忖度し合ってるみたいなもの。
本作におけるコミュニケーションってその忖度と、あと勝手な思い込みの2つで成り立ってるような気がしてて、本作のコミュニケーションって。
ちょっと浜口隆介監督作品を見たときとの違いを感じた部分に関して話したいんですけど、
僕は浜口隆介監督ってコミュニケーションをものすごい神聖なものとして捉えてるなと思って、
ものすごく行為のものであって、人間の手にはその本質に届かないような神聖なるもの、でもそれを追い求めるのが人間なんだみたいな感じでコミュニケーションを描いてるなと思うんですね。
だからなんかセリフとかが棒読みっぽく演出するのかなと思って。
コミュニケーションそのものにあんまり血肉が与えられてないというか、その言葉とか伝えようとするってことは神のものだからみたいな感じがあるのかなと思って。
だからこそドライブマイカーでの手話をやってる人がちょっとまあ人間っぽくないというか、ものすごいなんかあの典型を与えるみたいな人みたいな感じがするんですよね。
自分が知ってる言語とは違う言葉を駆使できる人は、その分かり合えないけれども分かり合おうとする存在としての象徴みたいな感じでいて、
だからこそすごい神聖なものみたいな役割を持ってるように見えたんですよね、ドライブマイカーは。
でもラブライフってその韓国手話を使う人が実はむちゃくちゃ俗っぽい存在として判明するじゃないですか。
そもそもコミュニケーションにそういう神聖さみたいなのないよって言ってるように僕は見えたんですよね。
非常に俗っぽい、勝手にお互いの都合を押し付け合ってるし、なんやったら自分が傷つかないように優しさのフリして防御してるみたいな、
そういうドロッとした粘り良い粘液みたいなものがコミュニケーションですみたいなものに見えて、
それは確かに手の届くところにはあるけど、別にそれそのものは救いにはならないみたいな、そういう言い訳方のような気がしてるんですね。
そこに結構違いを感じたんですよ。
いや、確かにな。
それは僕、浜口監督の作家性としてすごい魅力的なとこだけど、ちょっと鼻につくなっていうところでもあるんですよね。
コミュニケーションってそんな崇高なものじゃなくないっていう気持ちもちょっとあって、
今回のラブライフ見たときの俗っぽさ、もう俗な、低俗で非禁な感情をぶつけ合いがコミュニケーションだみたいな感じは、そっちの方が僕はしっくりきたとこはあったんですね。
確かにな。やっぱその浜口監督がコミュニケーションを神聖化してるような描き方してるっていうのはすごく腑に落ちるなというか、
僕なんかちょっと話ずれますけど、そもそもやっぱドライブマイカーとかって村上春樹じゃないですか。
なんかすごくやっぱ世界系とも結構近い位置にある映画だと個人的には思っているので、
世界系って何かを過度に理想化するみたいなモチーフがどうしても入ってくるので、それってすごく近いものがあるなっていうのを話を聞いてちょっと思って。
で、一方やっぱラブライフって作品ではあんまりそこを言うところっていうのはあんまり感じられないというか、
演出として面白いコミュニケーションのやり取りしてるところがスリリングだったりみたいなするんだけど、
なんか過度に高度なことをやってるみたいなふうにはやっぱ見えないというか。
普遍的ななんか生活の流れでの会話がどうもギクシャクしてたりとかよそゆきだったりとかっていうのがすごくわかりやすく描かれてるのかなっていうふうには思いました。
モチーフに関してちょっといろいろと語ってもいいでしょうか。
福田監督の作品って作品ごとに悲しい出来事が描かれていくんですね。
過去作で海を駆けるっていう作品がディーン・フジオカが謎の人間を演じてて、魔法とか手伝うごとく人間を殺していくんですね。
で、あと父に立つっていう作品はアッサーのタダーノブを演じる人間がね、
ともにひどいことをするっていう悲しい出来事があって、そのひどい出来事のまま数年後が描かれていくっていう、見てると非常に苦しい作品とか撮ってるんですけれども。
結局監督は映画を作るときは普遍的なことをモチーフにして描いていると。
で、監督にとって普遍的なことは何かっていうと、監督自身が信じられる揺るぎない事実と。
で、その揺るぎない事実っていうのは家族ではないと。家族は不確かなものだと。
結局人はいつか死んでしまうし、それぞれがごとくを抱えていると。
で、人生は何が起こるかわからないと。
で、いわゆる生きることの予測不可能性と。
それから人間はいつ何が起こるかわからないと。
いきなり明日交通事故で死んでしまうかもしれないと。
地震が起きて建物が潰れて死んでしまうかもしれないと。
っていう予測不可能性みたいなことが普遍的なことであり、それを作品のモチーフとか世界観へと昇華していると。
で、さっき会話とか意味とかの話をされてたんですけど、結局この死に向き合うっていうことが将来的にあるからでも、
人間の死っていうのは意味があるから起きるんでもないと。
で、結局本質的には意味もないけども、それが辛いから何かを生み出そうとして作品の中で表現しているっていう。
うーん、死に対する恐怖っていうのはギリが母の口にしてたと思うんですね。
で、それは根っこにあるテーマみたいなものを口で説明してるみたいな感じのシーンだったと思うんですよ。
で、ちょっとやぼったいシーンだなと思ったんですけど、ただ多分必要なシーンだったなと思ったんですけど、
うーんと、何だろうな、まあ端的なこと言うと、全部の物語って死ぬのが怖いから作られてるもんだと思うんですよね。
それは正直僕はそんなもん当たり前だろっていうぐらいには思ってはいますけど、
ただやっぱりそれを端的に描きたい人だとは思ったんですよね、あのセリフがあることで。
で、本作コミュニケーション自体は取れる話だと思うんですよ。
でも孤独っていう。
なんでかって言ったら、相手に描いてる思いっていうのはこっちが勝手に作ったものですっていう。
しかもそれは非常に賊っぽい欲望に根差してて都合の良いものでしかなくて、
それが明らかになったらもう人間は孤独に死ぬんですよねっていうことに気づいちゃうみたいな話だとは思うんですけど、
それでも生きるっていうラストだったなと思うんですね。
罪悪感もお互い抱えてるし、わだかんまりもあるんですよね。
で、過去も消えないし、お互いの罪も消えないわけですよ。
こんな人とどうやって今後一緒にいたらいいのって、お互いもう破局してるじゃんみたいな。
でもその人と一緒に生きていくしかないみたいな感じでラストを迎えるわけですよね。
で、僕本作のラスト本当に素晴らしいなと思ったんですけど、まずラブライフっていうタイトルの出方。
むちゃくちゃ良い。もう本当に。
あの散歩でも行くみたいな感じのタイミングでしたっけ?
で、ラブライフっていう。
このある種の惰性感。何も清廉潔白には行きません。
お互いちゃんと別れ合うこともできないですけど、
散歩行きますかって言って。
それがラブライフってボンって切れ味よく出るんですよね。
もう最高って思ったんですけど、その後がまたすごいなと思って。
そこで終わんないんですよね、切れ味よく。
切れ味よく終わったら気持ちよくなれるのに、だらだらだらだらと散歩シーンが。
しかもその2人が画面に入ってくるまでにむちゃくちゃ時間がかかるんですよ。
ベランダから撮ってるカメラでね。
広場に出てくるまで2人どんだけ時間かかってんねんってくらい遅いんですよ。
その間、あの2人が何会話してるんだろうとか考えたら気持ち悪くなってくるんですよね。
もう空気持たせるためになんか喋るわけじゃないですか。
あるいはもう喋りようがなくて黙ってるかもしれないですけど、
あの時間もずっと2人は一緒に並んで歩いてるんですよね。
それがこれからの人生ですって言って見せつけてくるんですよね。
あれ、すごいラストだと思います。
この居心地の悪い時間終われよって思ってもう終わんないんですよね。
そこに矢野明子さんのライブライフが流れて、
冒頭の一節がどんなに離れていても愛することはできるっていう響くんだけども。
これがこの作で物語ってるなと思ったけど、
矢野明子さんはそのセリフがシニカルに聞こえたかどうかと思って、一節が。
まず、その歌詞からよくこの話連想したなっていうのは思いました。
そうですね。
それは思いました。
そんな話の歌詞じゃないでしょって僕は思いましたけど。
すげえ想像を働かせてるなって思いました。
結局シニカルだと思いますよ。
だってどんだけ離れていてもとか言ってても、
いやむしろ離れていた方が楽なわけじゃないですか。
お互い本当の相手なんて気づかなくて済むわけだから。
隣にいる相手は自分の理想なんて全く付き合ってくれない生の存在なわけですよね。
でもそれと一緒に生きていくんだよっていう。
それは非常にシニカルな現実だと思います。
でもそのシニカルさを飲み込みながら生きていくしかないっていうことだと思うんですよ。
そこでいやシニカルじゃないです。
真っ当に美しい物語ですとは僕は思わないです。
非常に歪んでいるし皮肉に満ちてるけど、
でもその皮肉を飲み込まなければ生きていけないってことを言ってると思うので、
僕はこうとしかならないと思いますけどね。
愛とか人生とか語る映画ってたくさんありますけど、
あそこまで端的に表されたらグーの音も出ないというか、
あのラストは本当にすげえなって思いました。
それがある意味シニカルだけど人間の普遍的なものであることは間違いないかなと思うんだけど。
それはそうだと思います。
生憐潔白だけでは奇跡ないよなっていうのが誰しも思うよねやっぱり。
そもそも自分のこと生憐潔白だと思っている奴がいるんですかっていうのがちょっとあるんですけど、
そんな奴いるのかっていう。
いや私そういう意味では最古の音が電話してるシーンで、
正直本作、子供が死んだことに関する話じゃないと思ったんですよ。
子供が死んでからの話だなと思って。
あんまり子供が死ぬことの話じゃないなとは思ったんですね。
映画に限らずかもしれないですけど、
こういう物語って親とか大人がそういう実存の悩みを持ってるってことを語るために
子供を不幸にするとかありがちだなってちょっと思ったんですよ。
僕、そして父になるとかもね、あれ見てて思ってたんですけど。
あれって子供の取り違い事件がモチーフになってるじゃないですか。
でも子供の取り違い自体の深刻さそのものはテーマではなくて、
今まで父親になれてなかった男が父親になるっていう話なんですよね。
男が父親としてのアイデンティティを獲得するっていう実存の話なんですよね。
子供の取り違いっていう深刻な事件を手前勝手な実存の話に取り込んでるのは
結構身勝手な話だなっていうふうにも見えるんですよ。
僕、そして父になるむちゃくちゃ好きな映画なんですけどね。
で、本作子供が死ぬ話ですけど、
子供が死ぬことを大人同士の関係性の意味を語るための道具に使ってる部分あるなとは思うんですね。
で、子供死ぬってそんな甘くねーぞと思うんですよ。
ただ、結局誰しもがこれって人生の不幸ですよねって間違いなく確信できることって子供の不幸なんですよね。
だから普遍的な物語足りえてると思うんですけど、
子供が死ぬっていう展開をやっておいて描くことは、
大人の人生の向き合い方みたいな話って、
結構グロテスクにも思える部分はあるなと思いました。
そうですね、確かに。
それは本作画とかというより、物語がそういう傾向があるなっていうのを気づいたっていうのはありましたね。
だからね、福田監督の他の作品でさっき言ったふついにたつやと、
子供は死なないんだけど、ひどい目にあって重い障害を得たまま生きづけるっていうのも絵が描いたりするね。
それよりもっとエグかったりします。ふついにたつの方が。
で、それで描くのは大人の心なわけですよね。
子供のことじゃなくて。
子供が傷ついたことで自分が傷ついた大人がその自分の傷と向き合う話になるわけじゃないですか。
そうです。ふついにたつもそうなんです。
別にそれが悪いって言いたいわけじゃなくて、それを気持ちよく見れない人は絶対いますよねっていうのはちょっと思いました。
監督自身はまだそれを描ききれてないらしいので、今後もそういう描き方はしていくようです。
こういうことを描くしかないとは思います。大人の人生を描くって。
ただ、その構造は結構良くないものに根を出しているようなっていうのは、自覚はしておきたいなとは思っています。