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今日のテーマトークは、LOVE LIFEです。 では、解説を原口さんお願いできますか。
映画トットコムより拝借します。 新卒でカンナ国際映画祭、ある視点部門の審査委員賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得ている
深田浩二監督が、木村文乃を主演に迎えて描く人間ドラマ。 ミュージシャンの矢野明子が、1991年に発表したアルバム
LOVE LIFEに収録された同名楽曲をモチーフに、愛と人生に向き合う夫婦の物語を描いた。 再婚した夫、二郎と愛する息子の桂太と、日々の小さな問題を抱えながらも、書きがいのない時間を過ごしていた太子。
しかし、再婚して一年が経とうとしたある日、夫婦は悲しい出来事に襲われる。 そして、悲しみに沈む太子の前に、失踪した前の夫であり、桂太の父親でもあるパクが戻ってくる。
再会を機に、老舎であるパクの身の回りの世話をするようになる太子。 一方の二郎も、以前付き合っていた女性の山崎と会っていた。 悲しみの先で、太子はある選択をする。
幸せを手にしたはずが、突然の悲しい出来事によって、本当の気持ちや人生の選択に揺れる太子を木村が体現。
夫の二郎役に、長山健人。 元夫のパク役に、老舎の俳優で、主役表現モデルとしても活躍する砂川敦。 第79回ベンチャー国際映画祭コンペティション部門に出品されました。
はい、ではここからネタバレ込みの話が入っていきますので、見てから聞きたいという方がいらっしゃったら、一旦聞くのを止めていただけたらと思います。
はい、ではさらに感想を伺っていこうかと思います。 原口さんいかがでしたか?
私、福田康二監督作品は、長編作品は一応全部見ておりまして、かなり思い入れ強く、福田監督にも今回含め、直近4作品でインタビューとかさせてもらったので、かなり思い入れが強くて、今回リクエストして選んでいただいたんですけども、
1個前の本気の印劇場版で初めて原作もので、ドラマとかもやっている作品を経た後のオリジナル作品でね、やっぱりちょっと本気の印をしまったおかげで、
悲しい出来事ありながらも最後、ある意味ちょっと明るい感じで終われた良い作品かなと思っています。
ちょっと深掘りまたこの後見直ししましょうということで、一旦待つここまで。
はい、前田さんいかがでした?
私、この作品を見る前、全然どんな映画か知らずに見始めて、最初はこういう日常のちょっと嫌な感じを拾っていく系の映画かと思いながら見てたんですけど、
その嫌さがどんどん動向してきて、この話何?って思って、もうどこに連れて行かれるのかわからないままずっと見てたんですけど、
でも見終わった後はなんか無茶苦茶なのに、いやこういうことってなんか人生にあるぞって思うような、そういう身近さもなんか感じるちょっと不思議な作品でした。
はい、丸井さんいかがでした?
そうですね、見終わった直後はこれもうめっちゃドライブマイカーやんかみたいな風に思ったというか、
多言語が出てくることとか、あとテーマ的にもすごく人と人とは分かり合うことができないという前提のもとで、
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じゃあその先どう生きていくのかみたいなテーマを扱っているところとかも含めてすごくなんか似てるなと思いながら見てたんですけど、
まあでもなんかドライブマイカーがまだ優しく見えるぐらい、今回のラブライフっていうのはめちゃくちゃどぎついというか静かにどぎついものがずっと続いていくみたいな映画で、
まあなかなかちょっと痺れましたね、本当に。
もうちょっと大傑作やなと思いながら見てました。
はい、僕はですね、深田浩二監督作品初めてだったんですよ。
で、見てみてですけどむちゃくちゃ面白かったですね、本当に。
今年でもトップクラスに面白い映画だったなっていうのがあって、
あと見てて思い出したのが浜口隆介監督作品で、ドライブマイカーはもちろん思い出したんですけど、
あと寝ても覚めてもちょっと思い出したんですよね。
ただ結構似たようなことを描いてるけど、質感が違う監督なのかなっていうふうにも思って、
まあ深田浩二監督作品これしか見てないのに作家性とかわかんないですけど、
なんか浜口隆介作品の方がニヒリズムが背景にあるような気がするんですけど、
深田浩二監督の作品はシニカルだなっていうふうに見てました。
その皮肉な中でどう生きるかみたいなものかなっていうふうには思いましたかね。
正直喋るのむちゃくちゃ難しい作品だなと思ってます。
こんなと何喋るかもあんま決めてないって感じですね。
では深掘りした話入っていきたいと思います。
原田さん何かトピックありますか?
じゃあ、それこそね、浜口隆介監督作品との比較で、
ちょっと興味深い視点の話がありまして、
これは元ネタはですね、TBSラジオアフターシックスジャンクションの特集からなんですけれども、
この番組でいわゆる映画と老舎特集っていうのがあったんですね。
コーダーとかがあった後に。
で、東京国際老英雅祭の主催の方が出たんですけど、
その方々はですね、ドライブマイカーについて老舎の表現とか手話が全然なってないと。
結局それってね、普通の俳優の方をちゃんと老舎として演じてもらうには6ヶ月ぐらいいるようで、
なかなかそんな時間かけれないから、
いわゆる監獄手話とかも実はちゃんと表現できてなかったらしい。
割と結構この辺は国標なんですけども。
で、今回深田監督は東京国際老英雅祭のワークショップに呼ばれて参加して、
老舎の方相手にワークショップとかもしてて、
手話っていう言語がどれだけ大事であるかと気づいたと。
で、そこで今回の作品に老舎の俳優の方は東尺キャスティングをしていると。
で、もちろん老舎の方にも細かく取材していて、
この作品の中で使われている手話は全部韓国手話と。
という風にね、かなりその映画祭のスタッフの方も協力を得ながら、
手話の表現は徹底して丁寧に描いているっていうところはちょっと違いとしてはあるかなという。
で、手話をするっていうことで、いわゆる現聴者やと声が聞こえる分、
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顔を見ないでも喋るけども、手話で話すってことはお互いの顔を見ないと会話できない。
だから映画の中でもね、こっち向いてっていう表現が結構大事なところではあるかなっていうのが。
手話の表現とか結構こだわった作品であるのかなというところをちょっと色々解説してみました。
まあ確かにドライブマイカーって手話ってテーマを語るための手段の一つでしかないというか、
もうパーツなんですよね。
手話が適当、もしかしたらそうなのかもしれないです。僕わかんないですけど。
ただ浜口監督別に手話に限らず、発声して表現されるセリフとかも別にそんなに演技指導をガッツリつけてる感じじゃないですよね。
台本そのまま読ませるようなワークショップしてる感じじゃないですか。
はい、そうです。あえて棒読みで。
なんかここは手話してますとか、ここはセリフを喋ってますっていうことを伝えれたら、
それでいいっていう演出をしてるんじゃないかなと思うので。
まあもちろんその手話できる方からしたら、祝福しかねる演出だと思うんですけど、
そもそも全てのコミュニケーション手段に関してあんまり入れ込んでないような演出をつけてるような気はするんですよね、浜口監督は。
うん、そうですね。
ただラブライフは手話がテーマの根幹にあるから、そこをちゃんとしてるっていうのはすごい好ましいですね。
だからまあ、見ないといけないっていう、見ないと伝えられない、相手の目を見て、相手の行動を見ないと言葉としてやり取りができないものっていうので、
声によるコミュニケーションより、より密なものとして表現されてるっていう。
ただそれもまやかしっていう方に行く話だと僕は思ってはいるんですけどね、ラブライフは。
手話だったら言葉による会話よりも本当に心が通じ合えるよねっていうのも、
幻想でしかなかったっていう結論に至るっていうのは、僕えいげつないなと思いました、本当にあれは。
そうですね、これ見終わったと結局みんな孤独やんってなるんですよね、これって。
なんかもう子供を不良の事故でなくすっていう超重たい事件があった後に、その事件というか事故に向き合うために、みんな迷走をし始めるというか、
愛を求めたり、突き放したり、逃げたりとかいろいろやり方はあると思うんですけど、
そのやり取りのあやふやさな部分っていうのがすごく今作の魅力というか、
結局求め合ったり突き放したりして、結局やっぱり分かり合えないんだなっていうのが改めて分かってしまう。
もうそれはなんか主人公が結局ね、韓国まで行って、実はこうでしたみたいな言われた後、それはなんか変な踊りを踊りたくもなりますよね。
あそこはもうあれですよね、ポンジノの母なる照明みたいでしたよ、本当に。
この状況どうしたらいいのって、もう分かんなすぎてどうすることもできなくて、もう体だけは揺れているみたいなもんだと思うので、すごくなんか連想しました。
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前の夫の生活保護というか、面倒を見ないといけなくなって、2人が韓国手話で会話をするシーンがあるじゃないですか。
そこに今の夫も立ち会っているシーンがあって、あそこで手話で会話している同士はすごく密に心がやり取りされているように見える。
で、一方で今の夫はその手話が分からなくて、完全に置いてけぼりを食らってるっていう状態。
その分かり合える人がいるということの心の結びつきの強さみたいなものがそこで描かれて、その後で韓国行った時に、
韓国の結婚式で周り全員韓国語なわけですよね。
で、一応主人公もちょっと韓国語喋れるけど、ただ本当に込み入った感じのコミュニケーションとかは分からなくて、置いてけぼり食らうんですよね。
自分が理解してたと思ってた相手、自分だからこの人を助けられる、この人と繋がれると思ってた相手は、もう実は全然別の繋がり方を持ってたっていう。
で、その繋がり方をしている世界の中では、自分は完全に孤立した存在でしかないっていう、さっきまで見てた幻が全部消え去るっていう、ひどいことするなぁと思ってあそこ。
しかも、今の夫を捨ててきてる状態で、あれですよ。
そうですね。
すごい、あれは。
ほんと容赦ないなって思いましたよ、ほんと。
また結局、前の夫がタラシでしかないっていう感じがしてくるんですよね。
はい。
前の妻からは打滑のごとく嫌われてて、結婚式なんか来んなってボコボコにされますけど、
前の妻との息子には好かれてるんですよね。
その、何だろう、差し迫った生活を送らないといけないパートナーじゃない人からは好かれるんですよ、あの人は。
そこがね、罠というか、また前半でその韓国手話による、この人の本当が自分はわかるみたいなのが描かれた後で、
いや、実はそれ、みんなにええ顔できるだけなんですよね、みたいなことを出してくるから、いやいやいや、ひどいわと思って。
そうですね。なんか、主人公が元旦那に向ける感情って結構複雑じゃないですか、やっぱり。
その、助けてあげたいもあるし、なんかある種の償いみたいなものもあるじゃないですか、やっぱり。
なんか息子を亡くしてしまったみたいな償いとかもあるし、山口さんが言ってた部分もあるし、みたいなすごく複雑な感情が入り混じって、
で、最終的にはなんか、いや、全然そんな感じでもないわ、みたいな感じで、元旦那からはフラッとなんか距離を置かれてしまっているみたいなのって、
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なかなかこれがきついなというか、なんとなくなんですけど、あの元旦那さんすごく猫っぽい人だなって思いながら見てたんですけど、
猫連れてましたけど、すごく猫っぽいなって思いながら。
だんだんね、元夫もそうだし、太鼓も結構ずれてんなって感じが出てくるんですよね。
ギリのお父さんとお母さんが引っ越した後の部屋に、前の夫住まわせて面倒見てたシーンの後、今の夫に見つかって、今の夫が部屋に乗り込んでくるシーン。
いやもう、この世の地獄の始まりやぞと思ったら、だから太鼓帰ってきたら、あ、いたんだねみたいなぐらいのノリで行くじゃないですか。
で、そのままの流れで、猫逃げた?とか言って、猫追っかけよう?みたいな感じになって、え?って、そんなノリで解決していい現場なんですかね、これみたいな感じでなるから、
いや、なんか結構ずれてんなっていうのがわかってくるし、太鼓が、あの人は私が助けないといけないみたいなことを言い出すところで、ちょっと雲行きが変わるんですよね。
いや、太鼓は子供を亡くして、その悲しみに打ちひしがれている人。で、その償いのようなもの、あるいは逃げ場のようなものとして、前の夫の面倒を見るみたいな感じにも見えるけど、なんかそれ以上の何かを感じちゃうんですよね。
あの言動から。全部ひっくるめて、この人には私しかいないみたいな、何か脅迫観念児みたいなものを抱えてしまっている、ただの悲劇の人じゃなくて、なんか太鼓の感情の根っこには、どこか後ろ暗さのようなものを感じてしまうようなところがあったりとか、太鼓の内面の不穏さっていうのもね、すごく面白いなとは思いながら見てましたね。
うん、そうですね。
私、結構この映画見て、なんかあんまり孤独、孤独っていうよりも、なんかむしろ結構逆の感情があって、なんか人と人が深く変わるというか、人に深く付き合っていくことって、なんかこういろんな理不尽に付き合ったり付き合わされたりすることだよなって思うんですね、すごく。
だからもう、やってることとか言ってることすごいむちゃくちゃだけど、太鼓の夫が部屋に住まわせることを見つけたときに、意外と怒ったりしないじゃないですか、怒鳴ったりとか感情的に怒ったりするってことを意外としなくて、なんかすごくお金貸したり結局、港まで連れて行ったりとか、なんかあの感じもちょっとすごいわかるというか、もうむちゃくちゃなんだけど、なんかもう最後まで付き合ってしまうというか、
なんか許すとか許さないとか、怒ってるとかを超えたところにあるような関係というか、そういう感情って結構、孤独と私は結構反対なものに感じるというか、なんかそれはいいなとはちょっと正直あんま思わないんですけど、でも人生にこういうことってたまにあるよなって思うんですよね。
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あれ何やったんやろあの時の自分とか、あの時のあの人何やったんやろみたいなことって、なんかあるなと思いながら、だからなんかあんまりこの映画がすごい突拍子もない感じにも思えず、なんかこうちょっとどっかでしっくりきてしまったっていうのはそこなのかなと思います。
でもあれ、さっきの乗り込んでいったシーンで怒るというか、もっとパックさんの背中に向けて、ある種の怒ってるというか、独白をしてますよね。聞こえないの言うことに。ちょっと大きいかなと思うんだけども、あれ怒りというかなんというかなんだけども。
でもそういう理不尽な状況でも、結局なんかどんなにこんな理不尽なことがあったとかしても、結局人と人って関わり合って生きていくことしかできないっていうことの表れだと思うんですよね。前田さんがさっき言ってたことって。
なんでこんなことに自分って貸してるんやろうとか巻き込まれてるんやろうみたいなことにあっても、けどなんだかんだどんなにも人付き合いが嫌だなって思っても関わり合いはやめることはできないしっていう。それは孤独じゃないっていうか、僕なりに言うんだったら孤独であることを前提としてそれでも関わってるっていう僕は思ってるんですけどそれはね。
本質的には孤独で、でもそれでも関わり合うことはやめられないっていうか、そういうふうに僕はやっぱりなんか浜口龍介にしても岡田浩二にしても思うっていう感じですね。
本作、僕、罪悪感っていうのが結構大きいなと思いながら見てたんですよね。全員がそれぞれちょっとずつ罪悪感を抱えてるなって思いながら見てて、今の夫は職場の山崎さんと浮気してたというか、元カノっていうので、そこにちょっとひけ目があるから怒りにくいみたいなのがあるかなと思ってて。
僕、怒るのすごい下手な人間なんですよ。よし、怒るぞっていうモードにスイッチ入れないと怒れなくって、不機嫌な気持ちだけ残ったりするんですよね。で、なんで怒れないかっていうと、ちょっとでも自分に火があったらスイッチ入れられないんですよ。
100ゼロじゃないとスイッチ入れれなくて、5050だったらもちろん無理だし、1対9でもスイッチ入れれないんですよ。
なんかわかる。わかるな、なんかそれ。
いや、私100ゼロでも入れられますわ、スイッチ。
強いな。
100ゼロでも入れられます。
強いな。
本作、人を咎めるシーンがすっごい少ないなと思いながら見てたんですよね。例えば子供が亡くなったとか、
いや、あんたがちゃんと見てないから死んだんだぞみたいなことを言われてもおかしくないけど、僕あのシーンって、例えばギリの父親があの下手くそなカラオケでっかい声で歌ってなかったら溺れた音気づいたかもねとか、
そもそも飛行機のおもちゃ買ってきたからはしゃいで溺れちゃったんですよねとか、
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ギリの父もギリの母も、ちょっと悲じゃないけど要因があるんですよね、あの悲劇の。
そのせいで人を咎めきれないみたいなのがあるかなと思うし、もちろんその太鼓と今の夫に関してはお互いに相手じゃない人に気持ちがいってるっていうのがあるから、
そこで怒りっていう形で表現できないみたいなのがあるかなと思って、そこで何か互いをおもんぱかってるようなフリをしながらみんなが行動してるなと思うんですよね。
なるほどな。
で、それがすごい気持ち悪いんですよ、どうするに。
そうですね。で、取り繕ってるけどチクリと本音みたいなのが出ちゃうんですよね、そういう時って大体。
だから余計にグサって、チクッとしたものがグサグサくるっていうのが今作めちゃくちゃ多かったなと思うんですけど。
その罪悪感に限らず、全力で相手を攻撃することはできないっていう気持ちをみんながちょっとずつ持ってることで変な調和が生まれてるんですよね。
で、その調和はすごく気持ちの悪い、居心地の悪い空気なんですよね。
で、そこでそれを壊してくれる前の夫っていうのがちょっと救いになっちゃうみたいなのもあるなと思って。
いや、確かに。
だから怒ってくれたっていうので、この人っていうふうに気持ちが行っちゃうみたいなのもあるなと思ったんですよね。
いや、ほんとそこに関しては赤い子の夫のさっき言ってた独白のシーンというか、
あの時に私も結局亡くなった息子が太子の連れ子だったっていうことで、
夫側の家族からしたら、ある意味血はつながってない、本当の家族じゃないっていう思いがどっかにあるというか。
で、お葬式とかで人が亡くなったりした時って、どの人が自分と一番近い感情なのかっていうのがすごいわかるタイミングだったりするんですよね。
例えば、同じ家族であったとしても、私はそのお母さんが亡くなった時にすごい思ったんですけど、
同じように悲しんでても、お父さんからしたら妻だし、おばあちゃんからしたら娘やし、違う誰かからしたら友達。
それぞれ実は悲しみ方も違うし、その時に私自分と唯一同じ感情で悲しんでるのって、もう弟だけやなって思ったんですよね。
わかる。
その感じをすごい今回お葬式のシーンで、すごいわかるなと思って。
だから、本当に悲しんで花を手向けてくれる人の中には、同じように小さなお子さんがいて悲しんでくれてる人ももちろんいるんだけど、
自分と同じように同じ気持ちで悲しんでくれる人って、この人しかいないんだなってすごい感じたのがすごい伝わってきて、
それが怒るっていう表現で表してたんだと思うんですけど。
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だから、あそこは結構ね、なんかすごいグッときましたね。あのシーン。
葬式って、距離遠い人の方がめっちゃ泣いたりするんですよね。
本作でも息子のお友達の保護者の人が、花を棺に入れる時にめっちゃくちゃ泣いてて、
あれって自分の子供が死んだっていう風な想像を働かせてるから、むっちゃ泣くけど、
身近な人だと、自分の息子っていう捉え方はしてないんですよね。
連れ子っていう感じで見てたりとかしてるから、そういう風にならないんですよね、やっぱり。
確かにな。近いとやっぱり、近いからこそいろいろ思うことがあって、やっぱ泣けなかったりとかってするなっていうのは、なんか分かるなというか、
葬式自体も忙しいのもあるけど、確かに。
自分も父方の祖父と母方の祖母が亡くなってるんですけど、
祖父の方はあんまなんか泣けないんですけど、祖母の方は結構なんか泣けるとか、泣いちゃったとか、
結構やっぱ同じこの親族同士の中でも結構やっぱ自分の中でこの感情の思い出みたいなのが違うんだなっていうのは、そこで結構感じたことがあったんですよね。
なんかそういうのにも近いのかなって、今ちょっと思いました。
その分かり合ってるというか、忖度し合ってるみたいなもの。
本作におけるコミュニケーションってその忖度と、あと勝手な思い込みの2つで成り立ってるような気がしてて、本作のコミュニケーションって。
ちょっと浜口隆介監督作品を見たときとの違いを感じた部分に関して話したいんですけど、
僕は浜口隆介監督ってコミュニケーションをものすごい神聖なものとして捉えてるなと思って、
ものすごく行為のものであって、人間の手にはその本質に届かないような神聖なるもの、でもそれを追い求めるのが人間なんだみたいな感じでコミュニケーションを描いてるなと思うんですね。
だからなんかセリフとかが棒読みっぽく演出するのかなと思って。
コミュニケーションそのものにあんまり血肉が与えられてないというか、その言葉とか伝えようとするってことは神のものだからみたいな感じがあるのかなと思って。
だからこそドライブマイカーでの手話をやってる人がちょっとまあ人間っぽくないというか、ものすごいなんかあの典型を与えるみたいな人みたいな感じがするんですよね。
自分が知ってる言語とは違う言葉を駆使できる人は、その分かり合えないけれども分かり合おうとする存在としての象徴みたいな感じでいて、
だからこそすごい神聖なものみたいな役割を持ってるように見えたんですよね、ドライブマイカーは。
でもラブライフってその韓国手話を使う人が実はむちゃくちゃ俗っぽい存在として判明するじゃないですか。
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そもそもコミュニケーションにそういう神聖さみたいなのないよって言ってるように僕は見えたんですよね。
非常に俗っぽい、勝手にお互いの都合を押し付け合ってるし、なんやったら自分が傷つかないように優しさのフリして防御してるみたいな、
そういうドロッとした粘り良い粘液みたいなものがコミュニケーションですみたいなものに見えて、
それは確かに手の届くところにはあるけど、別にそれそのものは救いにはならないみたいな、そういう言い訳方のような気がしてるんですね。
そこに結構違いを感じたんですよ。
いや、確かにな。
それは僕、浜口監督の作家性としてすごい魅力的なとこだけど、ちょっと鼻につくなっていうところでもあるんですよね。
コミュニケーションってそんな崇高なものじゃなくないっていう気持ちもちょっとあって、
今回のラブライフ見たときの俗っぽさ、もう俗な、低俗で非禁な感情をぶつけ合いがコミュニケーションだみたいな感じは、そっちの方が僕はしっくりきたとこはあったんですね。
確かにな。やっぱその浜口監督がコミュニケーションを神聖化してるような描き方してるっていうのはすごく腑に落ちるなというか、
僕なんかちょっと話ずれますけど、そもそもやっぱドライブマイカーとかって村上春樹じゃないですか。
なんかすごくやっぱ世界系とも結構近い位置にある映画だと個人的には思っているので、
世界系って何かを過度に理想化するみたいなモチーフがどうしても入ってくるので、それってすごく近いものがあるなっていうのを話を聞いてちょっと思って。
で、一方やっぱラブライフって作品ではあんまりそこを言うところっていうのはあんまり感じられないというか、
演出として面白いコミュニケーションのやり取りしてるところがスリリングだったりみたいなするんだけど、
なんか過度に高度なことをやってるみたいなふうにはやっぱ見えないというか。
普遍的ななんか生活の流れでの会話がどうもギクシャクしてたりとかよそゆきだったりとかっていうのがすごくわかりやすく描かれてるのかなっていうふうには思いました。
モチーフに関してちょっといろいろと語ってもいいでしょうか。
福田監督の作品って作品ごとに悲しい出来事が描かれていくんですね。
過去作で海を駆けるっていう作品がディーン・フジオカが謎の人間を演じてて、魔法とか手伝うごとく人間を殺していくんですね。
で、あと父に立つっていう作品はアッサーのタダーノブを演じる人間がね、
ともにひどいことをするっていう悲しい出来事があって、そのひどい出来事のまま数年後が描かれていくっていう、見てると非常に苦しい作品とか撮ってるんですけれども。
結局監督は映画を作るときは普遍的なことをモチーフにして描いていると。
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で、監督にとって普遍的なことは何かっていうと、監督自身が信じられる揺るぎない事実と。
で、その揺るぎない事実っていうのは家族ではないと。家族は不確かなものだと。
結局人はいつか死んでしまうし、それぞれがごとくを抱えていると。
で、人生は何が起こるかわからないと。
で、いわゆる生きることの予測不可能性と。
それから人間はいつ何が起こるかわからないと。
いきなり明日交通事故で死んでしまうかもしれないと。
地震が起きて建物が潰れて死んでしまうかもしれないと。
っていう予測不可能性みたいなことが普遍的なことであり、それを作品のモチーフとか世界観へと昇華していると。
で、さっき会話とか意味とかの話をされてたんですけど、結局この死に向き合うっていうことが将来的にあるからでも、
人間の死っていうのは意味があるから起きるんでもないと。
で、結局本質的には意味もないけども、それが辛いから何かを生み出そうとして作品の中で表現しているっていう。
うーん、死に対する恐怖っていうのはギリが母の口にしてたと思うんですね。
で、それは根っこにあるテーマみたいなものを口で説明してるみたいな感じのシーンだったと思うんですよ。
で、ちょっとやぼったいシーンだなと思ったんですけど、ただ多分必要なシーンだったなと思ったんですけど、
うーんと、何だろうな、まあ端的なこと言うと、全部の物語って死ぬのが怖いから作られてるもんだと思うんですよね。
それは正直僕はそんなもん当たり前だろっていうぐらいには思ってはいますけど、
ただやっぱりそれを端的に描きたい人だとは思ったんですよね、あのセリフがあることで。
で、本作コミュニケーション自体は取れる話だと思うんですよ。
でも孤独っていう。
なんでかって言ったら、相手に描いてる思いっていうのはこっちが勝手に作ったものですっていう。
しかもそれは非常に賊っぽい欲望に根差してて都合の良いものでしかなくて、
それが明らかになったらもう人間は孤独に死ぬんですよねっていうことに気づいちゃうみたいな話だとは思うんですけど、
それでも生きるっていうラストだったなと思うんですね。
罪悪感もお互い抱えてるし、わだかんまりもあるんですよね。
で、過去も消えないし、お互いの罪も消えないわけですよ。
こんな人とどうやって今後一緒にいたらいいのって、お互いもう破局してるじゃんみたいな。
でもその人と一緒に生きていくしかないみたいな感じでラストを迎えるわけですよね。
で、僕本作のラスト本当に素晴らしいなと思ったんですけど、まずラブライフっていうタイトルの出方。
むちゃくちゃ良い。もう本当に。
あの散歩でも行くみたいな感じのタイミングでしたっけ?
で、ラブライフっていう。
このある種の惰性感。何も清廉潔白には行きません。
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お互いちゃんと別れ合うこともできないですけど、
散歩行きますかって言って。
それがラブライフってボンって切れ味よく出るんですよね。
もう最高って思ったんですけど、その後がまたすごいなと思って。
そこで終わんないんですよね、切れ味よく。
切れ味よく終わったら気持ちよくなれるのに、だらだらだらだらと散歩シーンが。
しかもその2人が画面に入ってくるまでにむちゃくちゃ時間がかかるんですよ。
ベランダから撮ってるカメラでね。
広場に出てくるまで2人どんだけ時間かかってんねんってくらい遅いんですよ。
その間、あの2人が何会話してるんだろうとか考えたら気持ち悪くなってくるんですよね。
もう空気持たせるためになんか喋るわけじゃないですか。
あるいはもう喋りようがなくて黙ってるかもしれないですけど、
あの時間もずっと2人は一緒に並んで歩いてるんですよね。
それがこれからの人生ですって言って見せつけてくるんですよね。
あれ、すごいラストだと思います。
この居心地の悪い時間終われよって思ってもう終わんないんですよね。
そこに矢野明子さんのライブライフが流れて、
冒頭の一節がどんなに離れていても愛することはできるっていう響くんだけども。
これがこの作で物語ってるなと思ったけど、
矢野明子さんはそのセリフがシニカルに聞こえたかどうかと思って、一節が。
まず、その歌詞からよくこの話連想したなっていうのは思いました。
そうですね。
それは思いました。
そんな話の歌詞じゃないでしょって僕は思いましたけど。
すげえ想像を働かせてるなって思いました。
結局シニカルだと思いますよ。
だってどんだけ離れていてもとか言ってても、
いやむしろ離れていた方が楽なわけじゃないですか。
お互い本当の相手なんて気づかなくて済むわけだから。
隣にいる相手は自分の理想なんて全く付き合ってくれない生の存在なわけですよね。
でもそれと一緒に生きていくんだよっていう。
それは非常にシニカルな現実だと思います。
でもそのシニカルさを飲み込みながら生きていくしかないっていうことだと思うんですよ。
そこでいやシニカルじゃないです。
真っ当に美しい物語ですとは僕は思わないです。
非常に歪んでいるし皮肉に満ちてるけど、
でもその皮肉を飲み込まなければ生きていけないってことを言ってると思うので、
僕はこうとしかならないと思いますけどね。
愛とか人生とか語る映画ってたくさんありますけど、
あそこまで端的に表されたらグーの音も出ないというか、
あのラストは本当にすげえなって思いました。
それがある意味シニカルだけど人間の普遍的なものであることは間違いないかなと思うんだけど。
それはそうだと思います。
生憐潔白だけでは奇跡ないよなっていうのが誰しも思うよねやっぱり。
そもそも自分のこと生憐潔白だと思っている奴がいるんですかっていうのがちょっとあるんですけど、
そんな奴いるのかっていう。
いや私そういう意味では最古の音が電話してるシーンで、
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隣に後輩の女の子がいたときにうわーって思ったんですけど、
でもいやなんか正直あれすごいリアルだなと思って。
リアルリアルありそうって思った。
あそこでキスする感じとかもう全部がリアルすぎてやばいと思ったんですけど、
一方でその太鼓はなんて言うんだろう、
私変な言い方するとそれこそ誰しも何かしらあると思うんですけど、
それでもそれを隠すというか見せないようにするのってマナーだと思うんですよね。
でも太鼓にとってはそのマナーをぶち壊しに来てるから、
もうさらになんかもう心に負荷がめちゃくちゃかかってきて。
いやなんかあれ、私が追ってやったらちょっと自分の罪悪感とか吹き飛ぶレベルで、
は?って言う。
なんかあそこで、さっき話また戻っちゃいますけど、
部屋入ってなんかあーってこう慌て隠すような素振りを見せられたりしたら、
それこそちょっと自分のことも思い出して罪悪感が出てくるかもしれないですけど、
あそこまでなんかこう開き直るというか堂々とされたら、
もう困惑するしかないですね。
この人はもう自分との関係を続ける意思を放棄したのかなって思っちゃって、
すごい焦りません?
もう隠すこともしないんだっていう。
あれ結構見ててこっちがなんかちょっとくらいましたもんね。
あのシーンね、太鼓が自分が悪いっていう態度をちょっとも見せたら怒れたと思うんですよ。
でもその素振りを見せないから、
今日疲れて怒れないっていうのもあるし、
さっき言ったどっちに火があるメーターの針を振ることができなくなっちゃうんですよね。
あれ?お前が悪いんじゃなかったっけ?
怒っていいタイミングじゃなかったのかな?みたいになっちゃうっていうのがあって、
すごい何か混ぜ替えされるというか、
もうすごい混乱しちゃうシーンだなと思って。
あれむちゃくちゃ面白いんですよね。
あとラストの韓国から帰ってきたところも、
お前何かさっき言うことあるやろって思うじゃないですか、あそこ。
なんか本当に思った。
でもあそこでただいまって言われたら、
おかえりってなっちゃうなと思って。
どっちが悪いとかの話じゃなかったんやっけ?みたいな。
そこも私も寝ても覚めてもすごい思い出したんですよ。
最後、猫飼っちゃってるっていう。
残された側が猫を知らないし、ちゃんと飼うっていう感じが、
面白かったですけど。
わかるな。寝ても覚めても感わかるな。
さっきの地震のシーン、もうちょっと語っていいですか?
地震の時に心配する電話かけてくるじゃないですか。
あれね。ものすごい後ろめたいわけですよ。
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俺今、あかんことしてるわってなって。
これちょっと数日も合わせたいなみたいな気持ちがあるわけじゃないですか。
あの瞬間にね。その時に地震があるわけですよ。
もうその気が来たって感じじゃないですか。
もうこっちが気を使ってる電話かけれるぞっていうチャンスが来たって感じだと思うんですよ。
やった!もうお前のこと思ってるからなって。
大丈夫か?怪我しないか?みたいな電話かけて、
よし、ちょっと倫理観のバランス取れたぞみたいな感じのシーンだと思うんですけど、
うわ、すごいこと描くなと思いました、あそこ。
いや、確かに。しかも仮にあのタイミングで何かあったとしたら、
もう最悪じゃないですか。
そこの不安を真っ先に解消したいっていうような。
いや、人間やわ。
あれはね、タイミングなんですよ、本当にこの映画って。
そういうことを全体的に描いてる映画って分かってても、
このタイミングでそれぶち込んでくるんやっていうのを、すごい連続でさせてくるんで。
結構心臓に悪い映画でしたね。
山崎さんが太鼓を憎んでるみたいな話を今の夫にするシーンがあるじゃないですか。
で、不幸になってほしいと思ったみたいなことを言って、
で、その時にお子さんが亡くなっちゃうから、ものすごい傷ついてしまう、
罪悪感を覚えてしまうっていう。
それもタイミングだなと思って。
自分が非があることをしてる、あるいは考えてる時に一方で不幸があると、
それは自分のせいになるんですよね。
自分の中でだけ。
それは避けなければならないことなんですよ。
うわき中に万が一妻が怪我でもしようものなら、
倫理的には俺が悪いってなるんですよね。
その可能性を潰さなければならない。
俺は悪くないぞってお前のこと思ってるからな、みたいな感じの電話だから。
いやーもうこの電話最高やわと思ってあそこ。
最悪で最高と。
確かにな。
罪悪感か。
山崎さんにキスするじゃないですか。
それの繰り返しじゃないですか。
僕が慰めてあげるよ的な意味合いじゃないですか。
しかもその後に、こんな時にもあなたは目を合わせられないのって言われた時も、
はーって思いました。
その一言つらい。
秒速5センチメートルのメール級につらい。
一生あれ。
あそこで目を合わせられるような人間だったら、
あんなことにはなってないですからね。
そうなんですよ。
もうお子さん亡くなってからの展開はもう絶対浮気するやつやと思ってました。
いやーもう私最近山崎さん怖いぞほんま。
だってもうあれ父親としての役割がなくなったから、
うわーもう余ったエネルギー浮気に向かうわみたいな感じの一連の流れだと思うんですけど。
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ほんま山崎さん怖いぞほんまにもうね。
男の人の悪い部分をね知りすぎてる。
すごいだって。
いやーこの映画確かに見終わった後、すごい映画見たなと思って、
確かにこれ何話そうかなって意外となんか何を話したらいいかわからへんっていうのがあったんですけど、
なんか話してみると楽しいですね。
なんかこう共感を得ながら語るような、
描いてることは結構俗っぽいですからね。
そうか。
子供死んだ後に浮気する話ですからね。
いや、お互いね確かに。
この罪悪感っていうのが、
見てる人の罪悪感もくすぐってるから、
こんだけこうハマっちゃうのかなってのは結構思いましたね聞いて。
なんか凹んできた。
こんな話を面白がってる人がいるかもしれないですね。
いやいや君たちもやってるでしょそういうこと多かれ少なかれみたいなことをね、
言ってくるようだね。
でも大丈夫、ラブライフだからみたいなね。
そうそう。
そもそもはラブライフを聞いて三角関係の話を作ろうって、
悲しい出来事が起こるまでは考えたけど、
なかなか次が思いつかなかったらしいんですけど、
これがね、
大事な話だったらいいなって思いましたね。
悲しい出来事が起こるまでは考えたけど、
なかなか次が思いつかなかったらしいんですけど。
原口さんに三角関係の話みたいなのをチラッと聞いたから、
三角関係の話なんやって純粋に受け取ってて、
三角関係がどうとか。
そもそもはそこやね。
どの三角関係やねんって思いました。
4人いるけどみたいな。
そんな簡単な三角関係の話はねえぞって思いました確かに。
そんなシンプルな話じゃないって。
そういう意味で、
老舗の方を登場させたのが非常に大きいっていう話やね。
あの、今原口さんの言ってたことが、
あんまりよくわからなかったっていう話をしてるのに、
そうそうって言われるとすごい混乱するんですけど、
なんか今話噛み合ってますかこれは。
一応なんかちょっとごめん。
俺なんかよく、
監督のインタビューをした経験を踏まえて言ってるもんやって。
今ラブライフって出ましたねタイトル。
出た出た出た。
僕ら、そうですよ。僕らあれですよ。
ディスコードの画面の真ん中に。
この4人の画面にラブライフって出ましたね。
見えましたわ一瞬。
出てる出てる。
もう僕ら取り繕えてもいないっていう。
いろいろ取り繕えてないっていう。
もう僕らおしまいかもしれない。
あの2人散歩してる時こんな空気感やったんやって思いましたね。
こんないたたまれない気持ちやったっていう。
俺の通り君らしいんやけど。
あとちょっと触れたいことがあって。
子供が死ぬ話じゃないですか。
一応人も親なのでその視点もちょっと見ちゃったりするんですよね。
42:00
正直本作、子供が死んだことに関する話じゃないと思ったんですよ。
子供が死んでからの話だなと思って。
あんまり子供が死ぬことの話じゃないなとは思ったんですね。
映画に限らずかもしれないですけど、
こういう物語って親とか大人がそういう実存の悩みを持ってるってことを語るために
子供を不幸にするとかありがちだなってちょっと思ったんですよ。
僕、そして父になるとかもね、あれ見てて思ってたんですけど。
あれって子供の取り違い事件がモチーフになってるじゃないですか。
でも子供の取り違い自体の深刻さそのものはテーマではなくて、
今まで父親になれてなかった男が父親になるっていう話なんですよね。
男が父親としてのアイデンティティを獲得するっていう実存の話なんですよね。
子供の取り違いっていう深刻な事件を手前勝手な実存の話に取り込んでるのは
結構身勝手な話だなっていうふうにも見えるんですよ。
僕、そして父になるむちゃくちゃ好きな映画なんですけどね。
で、本作子供が死ぬ話ですけど、
子供が死ぬことを大人同士の関係性の意味を語るための道具に使ってる部分あるなとは思うんですね。
で、子供死ぬってそんな甘くねーぞと思うんですよ。
ただ、結局誰しもがこれって人生の不幸ですよねって間違いなく確信できることって子供の不幸なんですよね。
だから普遍的な物語足りえてると思うんですけど、
子供が死ぬっていう展開をやっておいて描くことは、
大人の人生の向き合い方みたいな話って、
結構グロテスクにも思える部分はあるなと思いました。
そうですね、確かに。
それは本作画とかというより、物語がそういう傾向があるなっていうのを気づいたっていうのはありましたね。
だからね、福田監督の他の作品でさっき言ったふついにたつやと、
子供は死なないんだけど、ひどい目にあって重い障害を得たまま生きづけるっていうのも絵が描いたりするね。
それよりもっとエグかったりします。ふついにたつの方が。
で、それで描くのは大人の心なわけですよね。
子供のことじゃなくて。
子供が傷ついたことで自分が傷ついた大人がその自分の傷と向き合う話になるわけじゃないですか。
そうです。ふついにたつもそうなんです。
別にそれが悪いって言いたいわけじゃなくて、それを気持ちよく見れない人は絶対いますよねっていうのはちょっと思いました。
監督自身はまだそれを描ききれてないらしいので、今後もそういう描き方はしていくようです。
こういうことを描くしかないとは思います。大人の人生を描くって。
ただ、その構造は結構良くないものに根を出しているようなっていうのは、自覚はしておきたいなとは思っています。
45:06
ちなみに監督は次の作品では、登場する人物はアイドルにしてまた似たようなことを描くようです。
面白そうですけどね。
本気の印めちゃくちゃ見たかったんですけどね。
232分という時間の暴力に負けました。
これ連続ドラマを特別編集版として映画にしたので。でもひたすら面白いので。
めっちゃ面白いって聞くんで見たいんですけどね。しかもこれ今見れないですよね。どっかで。
確かにユーネクストか何か。
ネットフリックスで今やってますよ。テレビドラマ版。
10話の連続ドラマとして今配信されてます。ネットフリックスで。
内容は一緒で。
というか劇場版がテレビドラマシリーズをまとめたバージョンなので見れるはず。
なるほど。それは朗報です。
そうなんですよ。僕もちょっと見たいんですよね。
登場する女性が何を強化してくるかわからないゾクゾクっとした怖さがある作品でのめり込んでしまいます。
それを森崎ウィンがひたすら振り回され続けるっていう話なんですよ。
ラブライフ以上にジェットコースタームービーというか、全員ブレーキ踏まないでどんどん崖に進んでいっちゃうような人たちしか出てこない映画なんで。
めっちゃ面白いですね。
見てる方はめっちゃ面白い。もっとすげーもの見せてくれってなるね。
でもそういえば森崎ウィンのクレジットありましたよね。
あ、そう。それ。今回ちょこっと出てるんだよ。
どこにいた?
声。声ですよね。
どこにいた?
声の出演って書いてませんでした?
どこ?
声です。そうです。そう。
なんかの声だけってことですよね?
はい。
え?どこ?
いやー、あのー、本気の印で監督気に入ったんよなーって。
いや森崎ウィンめっちゃいいですもんね。
そうそうそうそう。
書いてますか?何に登場してたか。
あれ多分、試合オフィションの人たち関連の中におると思うんだけど。
あ、そこなんですか?なんか声の出演っぽかったような気がしたんですけど。
うん、確か。じゃなかったかな。
多分ゼロのね、主役者の人らが韓国行ったシーンなのかなと思ってんけど。
出そうなところは。これもなかなか気づかなかったんだけど。
なんか声だけで登場したなんかあったかな。ニュースとかそんなシーンありましたっけ?
ん?韓国行くフェリーの中になんかあったかな。どうやったかな。
公式サイトにもないんですよね。
うん。森崎さんインタビューとかでも詳しくは書いてなかったはず。
うん。
ラブライフ森崎ウィン。関係ないですけど水戸なつめ可愛かったですね。
ああ、いい後輩役というか。
結構同僚のみなさんがね、注目の俳優さん多いので。
よくわかんないですね。
うん。
うん。
木村文乃さんむちゃくちゃ良くないですか?
むっちゃいい。
うん。
むっちゃいいですよね。
うん。
むちゃくちゃ本作の感じを表現できてるなと思って。
うん。
むっちゃ良かったですね。
うん。
まあこんな感じですかね。
うん。
はい。じゃあラブライフの話は終わっとこうかなと思います。
48:03
はい。次回どうしましょう?
次回ね。
次回ね。
次回か。
前田さんが見たがってるミソジーにどうする?
でもなんかあの高橋監督の作品って基本難解じゃないですか。
はい、難解です。
私はあの好きですけど、なんて言ったらいいんかな。
ちょっと言葉を選ばずに言うと全く意味わからへん時とかも全然あるんで。
全然おもんないなみたいな時とかも。
結構なんかイチカバチカ感ありますね。
僕は魚のコアをしたい気持ちはあります。
あとちょっと沈黙のパレードありかなと思ってるんですけど、
ガリレオシリーズ僕結構好きで。
多いですよ。
だから俺も映画の方はちゃんと見てる。ドラマは全部じゃないけども。
僕も映画だけですけど、まあコテコテっちゃコテコテですけど、
やっぱコテコテなりの面白さがある映画シリーズだなと思ってて。
多分10年ぶりぐらいですかね。真夏の法廷式から。
9年ぶり。
9年ぶり。
そっか。
まあ僕はありかなっていうか、どっちでもいいです。
一回も見たことないんですけど、なんかあれですよね。
ガリレオシリーズ見てるけど。
実に興味深いみたいなやつですね。
そうです。
めっちゃ懐かしい。
実に面白いですかね。
あんまり強くは押さないです。ありってだけです。
ガリレオさんなんかありますか?
そうですね。
アニメですけど、雨を告げる漂流団地とかですかね。
ジューブナイルモノ。
これもそうですね。
ペンギンハイウェイのスタジオコロリドの新作なので、
ちょっと試写で先に見せてもらってるんですけど、これ実は。
面白かったですよ。
団地モノですよね。
そうですね。2週連続団地。
確かに。
なるほど。
僕ね、団地ジューブナイルってむちゃくちゃ好きで。
団地ジューブナイル。
何かあったっけ?わからない。
好きな児童文学で団地舞台のやつがあるんですけど、
僕それ見てずっと団地に憧れがあったんですよね。
農家なんで一軒家なんで。
うん、わかるわかる。
団地エモいなと思いながら、
小学校1年生の僕はエモいなんて言葉知らなかったですけど、
団地いいなと思いながら見てました。
団地憧れがあったんですね。
俺が引っ越したやんか一応小さくても団地なんでね。
なかなかわかるよそれは改めて。
それ言ってみようか。どうでしょう?
僕はアリですね。
うん、アリですね。
いろいろ聞いてまして、前田さんどうでしょう?
もう一回タイトル言ってもらっていいですか?
雨を告げる漂流団地。
あとこれ、映画館とネットフリックスで同時公開なので、
ああ、そうなんですね。
映画館に行けないっていう人でも見やすいっていうのもありますけどね。
あー。
感想も続きやすいかな?
全然大丈夫です。
夏へのトンネル、さよならの出口でも僕はいいですよ。
あ、僕それでもいいです。
51:01
あ、僕そっちがいいかもしれない。
いや。
これは新海誠マロソン番外第一弾扱いでやってもいいですか?
いやいやいやいや。
ははははは。
新海誠じゃないのに。
いやでもね、それっぽい作品続くんですよ。
そうなんですよ。
たまたまなんですけど、続くんですよ。
どうしましょう?前田さんがしっくりくるやつでいいんじゃないですか?
え、何がありましたっけ?
いや、雨を告げる漂流団地でも全然いいです。
あ、にしましょうか。
じゃあ、雨を告げる漂流団地いきますか。
はい。
いいんじゃないですかね。
なんか、ちょっとこの番組で取り扱ったことない方向性ですよね、これ。
まあ多分私のせいで。
まあ確かにね。
十分なアイディア持ってる。
まあ、そもそもあんまりアニメが取り扱わないですもんね、っていうのもありますけどね。
一個前、細田さん以来ないか?
龍と蕎麦角姫。
じゃないですかね。
以来ですかね、アニメ。
新作でいくんだったらね。
新作でいくんだったらそうじゃないですか。
まさに一年ぶりぐらいか。
新海誠マラソンはやってますけど。
新作っていう意味だと。
いいっすね、それも。
じゃあ、いきますか。
では、次回は雨を告げる漂流団地でいきたいと思います。
ちょっとこれ楽しみだな、新鮮だな。
前田さんがどう語るのかが今までない切り口だと思うんで。
今までないですよね。
いや、本当に見ないんで、こういう系。
ピュアな気持ちで受け止めます。
楽しみにしてます。
でも私、いまだに新海誠監督、なんでしたっけ、君の名は。
いまだに君の名はの手描くシーンのこと思い出せたらめっちゃはしゃぎるんで。
結構ピュアな気持ちで見れるかもしれない。
そうか。
手に名前書くところ、何回思い出してもいいなって思えるんで。
じゃあ、次回、雨を告げる漂流団地でいきたいと思います。
では、お知らせになります。
9月前の話、たすぎるバーを開催する予定です。
場所は大阪の南森町にあり、日替わりイベント型カフェバー週間もあり、
1時は9月24日土曜日オープンが19時、クローズが23時となっております。
今回3連休の中日となっております。
もしかしたら来やすかったりするかもしれないので、よかったら遊びに来てください。
また、この番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想、次回テーマ作品の感想など、ご自由にお送りいただけると幸いです。
また、次回バー開催情報、ポッドキャスト、次回テーマ作品の告知も行っておりますので、
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あと、この番組のイメージキャラクター、映画の話、たすぎる猫、
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それでは、映画の話、たすぎるラジオリニューアル第82回
ラブライフの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
54:00
さよなら。