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今日のテーマトークは、ラムです。
はい、では、解説読ませていただきます。
映画.comより拝借します。
アイスランドの田舎で暮らす羊飼いの夫婦が、羊から生まれた羊ではない何かを育て、
やがて破滅へと導かれていく様を描いたスリラ、ローグワン、スターウォーズストーリーなどの特殊効果を担当した、
ワルディミール・ヨハンソンの長編監督デビュー作。
山下に住む羊飼いの夫婦イング・バルとマリアが羊の出産に立ち合うと、羊ではない何かが生まれてくる。
子供を亡くしていた二人は、その何かにアダと名付け育てることにする。
アダとの生活は幸せな時間だったが、やがてアダは二人を破滅へと導いていく。
プロメテウス・ミリニアムシリーズのナオミ・ラパスが、主人公マリアを演じ、制作方式も努めた。
アイフランドの作家、主人として知られ、ダンサー・イン・ザ・ダークの過激脚本を手掛けたショーンが、ヨハンソンと共に共同脚本を担当と。
では、ここからネタバレ込めの話に入っていきたいと思いますので、ネタバレを避けたいという方は、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
では、最新の感想、原口さんいかがですか?
ラムだから予告見るだけやと、羊の子みたいなのが出てくるのかなと思いながら見てたんですけど、
今の解説の中での、破滅の展開で、え?という展開だなと思いながら、結構圧倒驚き、衝撃とともに見終わったという作品ではありましたかね。
僕はですね、実は今年ベスト級に面白かったんですよ。
で、まず正直この映画ってどういうふうに見てもいいなと僕は思ってはいて、
なんか好きなように見てくれって感じかなと思ったんですよね。
なんで今日は僕好きなように語ります。
割とそれを聞く側に回りたいな。
喋りたいことは結構あるかなって感じですね。
はい、じゃあ掘り下げて喋っていこうかなと思うんですけども、
はるふさん、掘り下げポイントありますか?
変な映画っちゃ変な映画ですけど。
変な映画で、見た場合前回から正直最後にパンフレットによると名前、ラムマンが出てきたのが衝撃的すぎて、
あれね、ラムマンね。
え?ってなって、そういう味やったの?みたいな。
え?ってなって本当に。
あいつね。
あの衝撃がすごかったけども。
あいつ出てくるの結構な冒険的な展開だと思うんですけど。
ですよね。
あれ、まかれ間違ったらバカ映画になるじゃないですか。
そうそうそうそう。
あそこで一気に。
いやでもね、僕はあれ、ある種のジャンル映画的にも面白いし、
ちゃんと何だろう、文学的なテーマとしてもあいつが出てきたのって結構大事やなって思ってはいるんですけど、
まあまあ、そのあたりは僕、いろいろ喋りたいことがあった後では多分あいつには触れると思うんで、また後で置いておくとして。
まあね、まずね、あだかわいいっていうのは結構大きいんですよね、この映画。
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ああ、はいはいはい。
かわいいですよね。
なんかね、素直にかわいいっていうか、異形の存在ではあるんですけど、でも素直な子供としてのかわいさ、あるんですよね。
だからいわゆる設定としては、人見知りの女の子ではあるので。
そうですね。で、僕本作、一番面白いと思って見てたのって、基本的に子供が危ない映画だと思うんですよ。
はいはいはい。
子供が危ない映画っていうのは、子供が何か怖いことをするんじゃないかみたいな意味じゃなくて、
子供が危ない目にあいそうっていうのが常にある映画だなと思ってて、
本作って背景、ものすごい自然あるじゃないですか。岩場もあるし、丘流の川もあるし。
で、結構危ないなって思いながら見てて。
まあほんとね、浮いたアイスランドは大自然やからね。
で、そこによちよちしたあだが出ていっちゃうみたいなシーンが結構あって、危ない危ないみたいなのをそういう感じで見ちゃったんですよね。
まあそうやね、子供おるとやっぱそう見ちゃうよね。
で、そのスリルが常に画面から漂ってるなと思ってて。
で、ちょうどラブライフ見たじゃないですか、この番組でも取り上げましたけど。
そうですね、あちらもね。
ラブライフってちょっと子供にトラブルがある映画なんですけど、
でもそこが主題ではないんですよね、ラブライフは。
そうですね。
でも、このラムは割とそれが主題だなとは僕は思いながら見てて、
で、この手の家族崩壊物というか、子供が危ない目にあって親が喧嘩するみたいな映画ってたまにあるじゃないですか。
ありますね。
で、本作も結構それっぽいシーンあるんですよね。
例えば、夫の弟、ペートルやっけ。
はい、ペートルですね。ペートルかな。
ペートル。ペートルが妻のマリアに粉かけてくるじゃないですか。
で、なんか良からぬ情事が起こるのかな、その間に子供が酷い目にあって、
妻の意識に悩まされる話なのかな、みたいな感じで見てたりとか。
ああ、なるほど。
あと、ハンドボールの試合を大人3人で見て夢中になって、その間にアダがどっか行っちゃってるみたいなシーンがあったじゃないですか。
で、あそこも親が気を抜いた間に子供が危ない目にあって、家族が崩壊しますみたいな話かなと思ったら、
実はそうはないみたいなのがあるんですけど、
でもそうなってないだけで常に子供が怪我したり、子供がいなくなったり、あるいは子供が死んだりっていう雰囲気がずっと画面の中にあるんですよね。
はい。
そう、ずっと不穏ですよね。もう見ててしんどくなるぐらい。
で、子供が今酷い目には合わなかったけど、その可能性は常にばらまかれていますみたいな、
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ヒアリーハットが常にあるって言ったらいいですかね。
そう、ヒアリーハットね。うん、そういうところの。
どっかで大変なことが起きちゃうぞみたいな。
でもまだそれは、なんだっけ、299の残りみたいな、あるじゃないですか。
1回の重大な事故のうち、残り29の直前で築けた危機があって、その背景には300の実は不注意があったみたいな、ヒアリーハットの法則みたいなのがあるじゃないですか。
はい、あります。
あのヒアリーハットが常に画面の中に漂ってるなぁと思ってて、で、そのヒアリーハットの果ての重大事故、いわゆるとして、
元の死んでしまった子供、死んでしまった方のアダっていう存在がその重大事故として、この物語の背景にはあるなって思うんですよね。
そうですね。
その死の雰囲気、危険の雰囲気みたいなのが常にその画面の中にあって、じゃあ今回のこの羊のアダだって危ないんじゃないかみたいなのが見ててヒヤヒヤずっとするんですよね。
で、僕も子供がいるので、そこも感情移入しながら見てたら、結構気が休まるところがなくって、むちゃくちゃスリリーな映画だったんですよね、本当に。
なるほど。
で、僕も適当な親なんで、気抜いたりしてる時とかあるから、
まあまあまあ、抜けるところもね、必要ね。
あーこれ自分がやってた不注意と同じシチュエーションだなみたいな、似たようなシチュエーションだなみたいなのをちょっと思うんですよ。
なるほど。
あ、なんか一瞬目に話した時に見失った瞬間あったぞみたいなのがあったりとか、
うん、それはわかる。俺もある。
それがあるから、すごい感情移入しながら見てたりはしてて、そこがね、すごい怖いんですよね。
僕、本当気が休まらない映画で、そういう風に見てて、
あと、羊っていう部分なんですけど、前ちょっと収録外で、次回ラムの収録だねって話した時に、
まあ多分宗教モチーフなのかなみたいなのはちょっと話してたんですよね。
言ってましたね。
はい。
で、まあ多分そうなのかなっていう風に最終的に見たんですよ。
で、羊っていわゆる、軽健なキリスト教徒の象徴として扱われるものだと思うんですよね。
おお。
で、神様が羊飼いで、それに付き従う従順な動物としての羊っていうのが、軽健なキリスト教徒としての象徴があって、
で、そこに重ねられてるような気はしたんですよ。
で、一応まあアイスランドはキリスト教の国ではあるので、
まあその見方は間違ってはないのかなと思うんですけど、
ただまあアイスランドってその北欧圏のルーツもあるから、
その多分キリスト教ど真ん中でもないのかなと思って、
いわゆる僕らが想像するキリスト教ど真ん中の価値観でもないのかなっていうのがあるので、
ちょっとそこはね、あくまで僕が知ってる範囲になっちゃうんですけど、
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その軽健なキリスト教徒の象徴としての羊っていうのがあって、
で、それは人間と羊っていうのは明確に階層が分かれている存在っていう意味かなと思うんですよ。
人間が羊であって、神はその羊飼いであるっていう。
でも今回、主人公の一家が羊飼いであるから、
羊飼いにとっての羊っていうのは完全に仮想の存在であるっていう、
その三階層がある話かなと思って。
神で人間と羊の三階層。
人間にとっての羊飼いである神様と羊にとっての羊飼いである人間っていう三階層が分かれていて、
それらの間には絶対的な上位と下位の関係性がある話かなと思ってて。
主従関係が。
本作、自然の雄大さってむちゃくちゃ強調されてたと思うんですよ。
僕はあれってすごい神性を帯びてるというか、神の性質を帯びてるものなのかなと思って。
性域やね。
一番初めの子供を亡くしたのって、
神とか運命とか上位のものに子供を生まれたっていうことなのかなと思ったんですね。
ある種の現在的な話かなと思うけど、宗教的な罪的な。
上位の存在によって子供を奪われた主人公マリアが、
じゃあカイの存在の羊から子供を奪う話っていう風に見てたんですよ。
すごい傲慢な話なんですよね。
上から奪われたからじゃあ下から奪おうみたいな話として見てて。
アイスランドって別にあの羊って羊毛を取ってるとかじゃなくて、
食肉用のはずなんですよ。
冒頭でも夫のイングバルが、
羊肉をフライパンで焼いて調理してるシーンがあって、
だから完全に搾取する側ですっていう意味を帯びてるなとは思うんですね。
人間にとって羊は搾取する側です。
なぜなら神にとって人間が羊であるように、
人間にとって羊は飼われる存在でしかない。
カイの存在だから奪います。
肉としても奪うし子供も奪いますっていうことなのかなとは思うんですけど。
だからそこに羊だからシープじゃなくてラムっていうのが象徴的かなと思ってて。
なるほどね。
言葉のニュアンスって結構違うんですか?
あんまり理解してなくて。
でもどうやらシープの方が動物的な意味が強くない。
ラムってやっぱり肉の方に思うんだけど。
確かに。
現代も同じくラムなんで、この作品は。
それかも2000年だとブラックシープって映画はあったりはしたかなと思いながら羊関係だと。
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ブラックシープなのではあれば。
羊たちの沈黙もサイレンスオブラムでしたっけ確か。
そうか。
あーなるほど。
羊たちの沈黙は宗教的な意味での羊を使ってるからラムなのかな。
そっか。宗教的な意味はやっぱあるのかな。
結構僕ら二人ともアホっすね今。
ちょっと調べなきゃって話で。
ちょっと下調べ足りないアホ二人で申し訳ないんですけど。
そういう話かなって思いながら見てて。
ただそれって人間のルールなんですよね。羊から奪っていいっていうのは。
人間の神様がいて。
神と人間っていう上下関係があるから同時に人間と羊っていう上下関係も神が保障してますみたいな。
それって人間のルールですよねみたいな。
ものに対するカウンターパンチだと思うんですよ本作のラストって。
お前それお前のルールじゃんけって言って。
人間じゃないルールの側からしたら子供奪われただけなんですけどみたいなので。
そうなるよね。
感じかなっていうふうには見てて。
なんですよね。
中盤でおそらくお父さんと思われる人物が広い水地みたいなところでアダアダって子供を探してるシーンがあって。
あそこって実は前後のシーン繋がってないんですよね。
あの後ってペイトルおじさんとアダが遊びに行くシーンなので、ああいう水地に行ってるシーンじゃないんですよね。
だからあれって昔の自分の元の子供が死んだ時の光景っぽいんですよね。
ああそうかね。
おそらくは。
そこで自然あるいは運命とか神みたいなものに子供が奪われたみたいな想像させるようなシーンが挟まってたかなというふうには思って。
神がいるからじゃあ自分は羊から奪っていいみたいな何かその三層構造のものをすごく印象付けられるような話だったようには思ってたんですよね。
そうだからこの三層だけであっても何かいわゆる重層的な作りだと思ってて聞きながら改めて。
あと信仰一家マリアとイングバルのある種の傲慢さ。
自分たちは粛々と日々を送っている仕事を真面目にしているっていう。
だから羊を子供として奪うのもいいみたいなのがある気はするんですよ。
結局羊が肉になるけども所有物ではない。だから好き放題してもいいと思っている。
羊界に従順に従うのが羊であるのだから私自身が神という羊界に従順に従う人間なのだからじゃあ羊も人間の都合に従順に合わせてくれよみたいな傲慢さを感じるんですよね。
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この話はすごい閉じた価値観の話だなと思って。
登場人物はほぼ3人なんですよね。
そうそう。他に出てこない。こっちに仲良いからな。
ペートルを道に放り出して去る車に乗ってた人ぐらいなんですよね。他に出てくる人間って。
だからある種の閉鎖空間での話なんですよね。ものすごい背景が広く広がってるけど、実はものすごい閉じた中で煮詰まった価値観で動いてる人たち、すごい独善的な人たちの話だなと思って。
だからペートルが実家に戻ってきたタイミングだと、何やってるの?みたいになるじゃないですか。
あんたたちおかしいよね?みたいなのを言われても、俺たちの幸せを壊すのか?みたいな。いやいやいやいやみたいな。
なんかその独善性とか傲慢さみたいなのが、すごい閉じた人間関係の中で醸成されてる夫婦の話なのかなとは思いながら見てたりはして。
なんかね、すごい広がってるのに狭いんですよね、話が。
で、ラムマンの存在が僕すごい好きで、最終的にアダは連れ去られてイグバルは殺されるんですよね。
で、妻のマリアは一人取り残されると。すごい絶望的なラストだなとは思ったんですけど。
たとえばこの話をね、僕がさっきまで言ってたような、神と人と羊の三相構造で、そういう自分の価値観にのっとって自分より下のものを搾取するメタファーの話だな、みたいな読み方ができるわけじゃないですか、本作。
多分僕が見た限りだとそういう見方ができるかなと思うんですけど、どこからどこまでが本当かわからない幻想的な神秘主義的な、いわゆるメタファー話みたいな話にできたと思うんですよ。
アダの正体が何かわかんないです。子供が半身が羊の存在ですみたいな、それは人間のメタファーを語るための神秘的な道具ですみたいな感じじゃなくて、
いや、いるんですみたいなのが、僕メタファー話になってないのってすごい誠実だなと思って。メタファー話ってある意味すごい勝手な話じゃないですか。
自分が語りたいもののために現実をねじ曲げて、なんか不思議なことが起きてるけど、これはメタファーなんで理由は問わないでくださいみたいな映画ってあるじゃないですか。
いわゆるアート映画的なものはね。
そうじゃなくて、これはいるんですよね。羊と人間が混ざっているような生き物がいるっていうのが、お前らの都合でメタファーとか語ってんじゃねーよみたいな。
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だから本作でイングバルはラムワンに打ち殺されますけど、僕みたいな人間は一番先に打ち殺されるんですよ。
いや、お前が語りたいもののために俺たちをメタファーに利用すんじゃねーよみたいな。バーンみたいなね。
俺たちはいるの。お前らの都合を語るために空想されたもんじゃなくて、俺たちはいるんですよみたいな。
なんかね、そこがすごい好きで、あ、そうですよね、いますよねって。
僕たちが語りたいもののために存在していることにされたとかじゃなくて、実際にいるんですよねみたいな。
そういう非のためだけに設定されるものって、ある種の創作者の傲慢さみたいなのって帯びてると思うんですよね。
エゴ。
俺が言いたいのはこういうことなんですと。それを語るためにこういう現実を作り出しましたみたいな。
でもそれはなぜっていう理由は説明しませんみたいなのってあると思うんですよね。
説明しないからこれはメタファーです。読み取ってくださいみたいな。
読む人が勝手にこれはこういう意味だっていう、自分の都合を預けることができてしまうっていうのがあると思うんですね、メタファー話って。
でも少なくとも本作において、ラムマン、そしてアダはメタファーではないっていう、いるんです。
誰かなんです。自分ではない誰かとして存在してて、それは敬意を持って接さなければならないものなんですよね。
なんかね、それってすごい誠実なことだなと思って。
正直僕、ラムマン初めに出てきた時、あ、やばい、ギャグみたいになるぞって焦ったんですよ。
馬鹿映画になるぞみたいな焦りがあったんですけど。
なんかドラえもん出てきたらやったからな、俺を見て。
でもよく考えたらこれって誠実だなって。
なぜならアダが存在したのは羊とラムマンが交配したからなんですみたいな。
ちゃんと原因と結果が存在してて、
アダが生まれたのは自分じゃない誰かが子供を作ろうとしたから生まれたからなのであって、
神が自分に子供を授けてくれたなんてものではないんですよね。
はい、そうやね。ある種の現実というか。
でもそういうことって現実でもあると思うんですよ。
これって神様が私に恵んでくれたものだ。
いやいや違うんです。それは神様が恵んだとかじゃなく、
その人、そのものとしてこれまであなたとは違う物語をここまで送ってきたものとしてそこにあるんです。
あなたのために存在してるんではないんですみたいな。
でもそれを自分の物語に取り込んじゃうんですよね。
失くした子を神がまた与えてくれたみたいな。
いやいや神様もお前のために俺のこと利用しないでって言うと思うんですよ。
お前が勝手言ってるだけやからねみたいな。
でもそこで人間は神を利用することで自分の物語を作り出す。
でもその物語はお前のものじゃなくて、
それそのものが生きて紡いできた物語ですよみたいなね。
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すっごいいい話だなと思って。
だから宗教的なメタファーに思わしておいて、
実は非宗教的な超現実で終わらせたというか。
今の聞きながらなんか自己分を温めようとしたんだけど。
超現実というかも現実だったっていう言い方が正しいかもしれないですね。
その言い方でいうと。
なんかその都合の良くなさ。
だからやっぱり他者に対して不誠実なことをしたマリアはトガを受けるわけじゃないですか。
子供と思っていたアダは連れ去られ夫は亡くしみたいな。
全てを失ってもう絶望のまま映画はラストを迎えるっていう。
僕はあの終わり方もすごい良いなと思って。
救いなんて何もないですよみたいな。
だってあなたは他人に酷いことしたじゃないですかみたいな。
そうだねっていう。
本当にもうあそこからマリア立ち直れないかもしれないですけど。
でもそういうものかなと思うんですよ。
結局言ったらもうね、子供を完全なくしてもうたわけやからさ。
絶望しかないっていうか。
あんな場所で一人取り残されたから。
この映画はマリアのあそこから先の人生は映画化ないんですよね。
もしかしたら立ち直るかもしれないし立ち直らないかもしれないですけど。
この映画はあくまで一人の自分の傲慢さによって他者に酷いことをした人間が
知って返しをくらって絶望して終わる話ですか。
だからそこを通期書く意味がないよなって思う。
そうなんですよね。だって終わるしかないじゃんみたいな感じかなと思って。
送るべくして怒ったというか。
なんかね、すっごい良かったですね。面白かったですね。
子供を危ない映画としては面白いし、
メタファーじゃねえぞって言ってくるメタファー映画みたいな感じが
ちょっと僕半分殴られながらですけど、
いつもメタファーとか言いやがってみたいな。
映画版お前らすぐメタファーとか言うけどさみたいな。
お前の物語じゃねえぞみたいなボコボコにされながら
いやでも面白いなみたいな感じで見てて。
矛盾というか、複製としてはリアリズムというかなんやろな。
そうなんですよね。もしかしたら本当にファンタジーの話じゃないかもしれないんですよね。
ああいうラムマンってやつがいたら、いるとしたらこういう話じゃないですか。
こうなるよね。こうなるしかないよね。
ラムナオンが自分のことを思われて取り返して復讐やから。
自分が知らなかったし、想像しなかっただけでこういう現実の話ですみたいな。
じゃあ今自分が知らなかったり想像してない、見ようとしてない現実っていうのも
見た方が他人に優しくなれるかもしれないですよねみたいな話かなとかって思いながら見てて。
ある意味それは他人の象徴としての羊側の視点かな。
そうかなって思ったりはしてましたね。
なるほどなあ。深まった。なるほどなあ。
またね、アダが喋らないのもいいなと思って。
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結局アダが懐いてるかどうかもよくわかんないなって思うんですよ。
赤子だね。竹はあるけども。
でもそれって実際の人間の子供もそうちゃそうなんですよね。
最初はわからないよね。
コミュニケーション取れてるかどうかもよくわかんないんですよ。
こっちが言ってることも意味伝わってるかどうかもわかんないし。
僕、フィクションでも大人の都合で動いてる子供って結構苦手なんですよね。
これって大人がこう言ってほしいっていう子供だよねとか、
大人が考えた子供だよねっていうのって結構苦手で、
子供ってそんなもんじゃないですよね。そういうふうな動き方しないですよねって思うんですよ。
大人のルールで動かない他者なので、子供って。
他者の意味では、アダもやっぱりそういう意味ではすごい子供的なもの。
喋らないし意思疎通もどこまで取れてるかわかんないなみたいなもの。
それはそもそもラグマン自体が人間の範疇で動いてない種族としての他者っていうことかもしれないし、
そもそも人間の子供だって大人から見たら理解できない他者ですよねっていうことも同時に語ってると思うんですよ。
アダの描き方は本当に好きで、すっげえいいバランスで描いてたなとは思ったんですよね。
見るとしたら、例えばアダを病気のある子供とか障害のある子供が生まれてきたときの話として見ることもできるかなとは思ったりはして。
それはそうだよね。
片手が羊の足なんですよね。前足なんですよね。
あれって例えばレッシュって言われる整形不良、指の数が5本じゃないとかっていう身体的な障害の話として見れることもないなと思って。
そこで弟が来たときにえっってなっちゃうとかって現実でもあり得ることだと思うんですよ。
そういう話として見ることもできるなと思って。
アダをどういうふうに見るかっていうのは割と見た人が感じたように見れそうなぐらい。
割と何も言ってないから正直。
親御さんが見たらいろんな考え方しますよね。
それはあるなと思って。
あとアダが来てから羊の背はちょっと下ろす感じになってるような感じなかったですか?
確かに逆にアダにちょっと行くよね。
それまで飼い場を餌として与えて羊が食べに来るみたいなシーンがあったところで、
今まで飼い場を置いてたところに飼い場が置かれなくって羊がキョロキョロしてるみたいなシーンがあって、
餌もらえてないぞみたいなのがあったんですよね。
今まで真面目な羊飼いだったのに下ろす感じになってるじゃないですかみたいな。
そういうところも描写が細かいなとか思ったりがしましたね。
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夜に羊の目が光ってるっていうのが結構象徴的かなと思いながらあれも不穏な感じもあって。
あれ怖かったですね。
なんか来るぞっていう感じやっぱね。
細かいところですけど、
ナヤにベビーベッドずっと置いてるとかもね、
この夫婦、亡くした子供の年数えるようなことしてるみたいなやっぱね刺さりますね。
あるよなそれは。
あーそれ手放せないよなーみたいなのは見てて思ったりはしたりとか。
あとやっぱ本作ね、このアダが可愛いのがテーマ的にもすごい大事だと思うんですよ。
あーもう可愛い可愛い私の子供やーみたいな感じになるっていう。
アダが可愛いことで奪いたいみたいな。
そういう感情に繋がるなっていう感覚。
それって奪われる側からしたら暴力だよねって。
実際に奪われた母羊は暴力によって殺されるっていう。
なんかそういうのもあるのかなとか思いながら見てて。
いや可愛いよねいいよね私のものにしたいみたいな。
いやそれってすごい傲慢なこと言ってますよねみたいな。
一般的には何かを可愛いって思う感情っていいものとされてると思うんですよね。
でもそれって簡単に暴力的なものに転化されますよねみたいな。
その感情がいいものって言ってるのって人間都合ですよねみたいな。
なんかそういうところにいやそれって人間の傲慢さならですよねみたいなのを描こうとしてるのかなとは思ったりはしてみてましたね。
本当にめっちゃ面白くて何やったら今年ベストかなって思ってるぐらいなんですよね。
今の聞きながら結構解像度が上がったというかなるほど思いながら。
正直僕が子供いるからっていうのは結構大きいなと思ったんですよ。
俺もだから追い込み越える感じだからたまにあってちょっといろいろと走り回るか越えないこともあるんだけども。
実際ペーテルからしたらメインなわけですからね。
ペーテルも補助されますからね。初め殺そうとしてたのに。
いや怖いなあそっちは。
でも外部から来た人間からしたら殺したくなるというか別のルールじゃないですかあれって。
別のルールの存在で。
あの夫婦はそのルールを自分たち用にネジ曲げて解釈して運用し始めてたけど
いやいやいやいやあんたらもおかしいしそもそもこいつもおかしいでしょっていう。
異物に移るよねそれは。
やっぱ異物は排除しないとダメだみたいな。
差別とか排除に対する感情の働きみたいなものにも見えたんですよね。
そこはあのシーンは。
こいつがいたら世の中のことわりが壊れちゃうから殺そうみたいな。
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生態系が謎になるからなもうごちゃごちゃの。
そのルールがあると世の中が壊れちゃうよみたいなのって理解はできるじゃないですか。
受け入れないとしてもねその考えを。
新しいルールが生まれることで全体のルールの調和が崩れちゃうみたいなのに
危機感がある種の嫌悪感として働いて差別とか排除に働くって
まあそういうものがあるって想像はつくかなと思って。
それは全然うん。
それは今世の中起きてることもあるからな。
それは言ったら。
他の国の人とか他の人種の人とかやったら
僕らそういうのを受け入れないとダメだよねって思ってるけど
じゃあラムマン来た時にどうできるかなって言われたら
結構どこまでいけるかなってなるかなと思って。
なかなか難しいぞ。
そうですね。
なんかこの感じはねチタン見た時にも思った感情で
チタンの主人公って本当に意味わかんないものになるじゃないですか。
いやでも男か女かもわかんないみたいな感じになっていくと思うんですけど
そもそも人間なのかみたいな。
でもこれ受け入れないといけないのかなみたいな話になって
本作でいうとチタンがラムマンが急に現れた時に
どこまでいろいろなことを受け入れたいのかみたいなって
混乱はすると思うんですね。
なぜ?
それを結構考えちゃったかなというか
自分はラムマンに銃を向けないのだろうか
あるいはラムマンの子供を自分のものとして奪おうとするのか
あるいはラムマンを他者として受け入れられるのかみたいなのは
結構ラストなと考えてて
うーんすぐは無理かなっていろいろ思って
でも考えましたね
いや結構本当に本作8終わって
いろいろ楽しんで考えてました
すげー
ちょっと面白い映画だったかなとは思いますね
面白くて褒め言葉で変な映画ということで
そういえば本作ってA24配給で良かったんですか?
そうです。A24ですよ
ロゴが入らなくなかったですか?映像の中に
良かったな。でも一応A24も見売りの話もいろいろあって
ごちゃごちゃしてたからね。どうなってるんだかわからないけど
一応パンフレットとか見売りちゃんとロゴが入ったりしてるので
あーなるほど
だから映像部分は完全に買い付けてきたって感じなんですかね
かな
世界的な配給権はA24が持ってるけど
そうそうそう
そういうの結構あるある
A28はそういうことは結構よくしはるから
一時的な制作段階から絡んでたらA24ロゴ入れれると思うけど
完全に買い付けてきたとかなったら
元の映像にそりゃA24ロゴ入らないとか
そういうことなのかなと思って
一応作品としてはアイスランド・スウェーデン・ポーランド合作っていう体ではあるので
僕A24映画見るときっていつもA24ロゴ出てくるのを楽しみにしながら見てたので
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うん。たまにパターンが違うからね
パターンですね。線が入るのも見るの好きだし
フィルム感のある映像でシューってA24みたいな感じで合体していくの僕好きだし
そうそうそう。あれは見てて
その映画用のA24映像とかあるじゃないですか
そうそう。カラーリングも書いたりとかしててね
僕が覚えてるんだとミッドナインティーズのスキボーでA24って書いてて
そこでスケーターが乗っかってスケートボードがガーって動いちゃうみたいなのがあって
あ、面白いなみたいなのがあったから
そういうの今回もあるのかなと思ってたら
完全にもう制作は外部って感じですよね
まあそんな感じですかね
じゃあそんな感じでRAMの話は終わっておこうかなと思います
次回はまあマリオンさんとDゲームやり取りして決めれたと思いますけど
だからまあ四畳半対マシンブルースかマイブロークンマリコか
どっちかかなとは思いますかね
マリオンさんがたぶん四畳半神話体系とかを今から見たりするのは難しいっていうのもあるから
マイブロークンマリコかなっていうとこですかね
その感じで詳細はまたツイッターで告知させていただきます
それではお知らせになります
本日も映画の話したスリルバーを開催する予定です
場所は大阪の南森町にある日帰りイベント型カフェバー
週間曲がり1時は10月29日土曜日
オープンが19時クローズが23時となっております
今回ハロウィン企画として映画プチ仮装みたいな感じで
よかったらお越しいただけたらと思ってます
プチ仮装っていうのは別に行儀惜しい仮装をしていただきたいとかって感じじゃなくて
例えば映画Tシャツであるとか缶バッジであるとか帽子であるとか
あるいは本当にワンポイントだけ映画要素が入っている
装いで来ていただく
あるいはそのネイルが映画テーマであるとか
なんだったら映画でなくてもいいかなと思ってます
皆さんのお好きなものをテーマに取り込んだ装いでお越しいただいて
それをきっかけでいろいろお話できたらなとも思ってますので
よかったらその感じでお越しください
マスクではないので
もしよかったらお願いいたします
店長メンバーも何がしかのTシャツ着たりして参加する予定です
原口さん何か考えてます?
俺がちょっと都合良いTシャツつらいので
パーカーで音楽ドキュメンタリーのパーカーいつも着てるやつがあるなって
自分なんか思い出して
原口さん目の修復でちょっと
首を通すタイプの服装に
ちょっと大変なので
Tシャツは避けてるんでしたね
36:02
ないかしらの衣装部屋から頑張って探してきます
僕もちょっと考え始めてます
皆さんもよかったら準備していただけたら嬉しいです
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています
番組の感想、次回テーマ作品の感想など
ご自由にお送りいただけると幸いです
また次回バー開催情報、ポッドキャスト、次回テーマ作品の告知も行っておりますので
ツイッターのフォローもよろしくお願いいたします
あとこの番組のイメージキャラクター、映画の話しさすぎる猫
かっこかりをあしらったグッズを販売していますので
よろしければご購入くださいませ
お便り受付先、ツイッターアカウント、グッズ販売サイト
いずれも番組説明文に記載しております
あとよろしければリニューアル第100回記念の企画も募集しますので
よろしければお送りください
特に今のところ我々としてはネタは何も出てないです
ではそんな感じで
映画の話ししたすぎラジオリニューアル第84回
ラムと半分以上フリートークの回を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら
さよなら