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2024-04-18 1:23:54

第162回(2)『パスト ライブス/再会』恋は遠い日の花火…ってコト!?

『パスト ライブス/再会』の話をしました。

サブテキストとして「秒速5センチメートル」を頻繁に引用しながら、2人の人物の気持ちが過去と現在の断絶の中でどう描かれていくかについて話しながら、映画と関係ない個人的な過去の話などをしています。

■メンバー

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00:00
今日のテーマトークは、『パストライブス・再会』です。
はい、では、ここから内容に触れる話していきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思うんですけれども。
はい、では、さわりの感想を僕から聞かせてもらいます。
はい、えーと、まあ、いい映画だなっていう感じです。
ただ、僕、わりと進行の男性の視点には、あんまり入り込まなかったんですよね。
わりと僕、過去を忘れて生きていける人間なんですよ。
本当、僕は今のところ、人生で後悔していることは1個もないんですよ。
どうせこうしかならないっていう感覚で生きているので、ああいう風に引きずることがあんまなくて。
僕が過去を引っ張ったことがあるのは、大学時代ぐらいなんですよ。
それを、こう、ちょっと距離を置いて見てたって感じ。
そういう、自分から少し離れたところにある偶和として見たっていう感じで、それは、秒速5センチメートルとかも、わりと僕、そうなんですよね。
ど真ん中には入り込んでないんですよ。
相対化している、相対化した物語として摂取してて。
なので、ちょっと僕は今日、熱量低めかもしれないです。
まあ、なので、ちょっとそのスタンスで喋らせてもらったらと思うんですけど、
ただ1個だけすごい、僕に刺さったことがあって、主人公の体型が僕に見過ぎてるんですよね。
おー、体型?
体型が、僕、今まで映画で見た登場人物の中で一番僕の体型に似てるなと思って、そこだけ感情移入しました。
すっごい狭い領域ですね、そこって。
いやでも、体型って大事ですよ。感性以外のすべて、要は入り込めたってことなんで。
まあまあまあ、確かに。
主人公の体型の話は、僕多分この後、もうちょっと掘り下げてするんで、1回起きます。
では、マリオさんいかがでした?
はい、そうですね。
まつねずね私、秒速5センチメートルガードしております人間でございますが、
パストライブス、そりゃもう大傑作でしょ!って感じですよね。
もう、いや素晴らしかったですよ。
僕は逆にどっぷりで張り込んでしまいましたけども、
やっぱりすごい秒速5センチメートルみたいな話なんですけど、
秒速5センチメートルがたどり着けなかった豊かさだったりとかにすごく届いた作品なんじゃないかなというふうにはすごく思いました。
すごい乱暴に言ってしまえば、視野の広い秒速5センチメートルがパストライブスであるっていうことじゃないかなというふうには思うんですけど、
03:01
その豊かさみたいなものに、それが多分多くの人により広く親しまれる映画になってるんじゃないかなっていう気はすごくしましたし、
それが本当に素晴らしいことだなっていうふうに、それがしかも監督のセリーヌソン監督の自分のパーソナルな物語に着想を得た話だっていうことも含めて、
やっぱり個人の物語が世界に訴えかけるものを作るなっていうのは、
私時々レッサーパンダの時にそんな話した気がするんですけど、なんか今作もそういう映画だったなっていうふうにはすごい思いました。
本当に秒速5センチメートルみたいなんだよな。共通点多いと思うんだなっていうか、話もだし、風景とか。
劇中に映り込んでいるものに何かすごく何かが託されてるなっていう感覚は、すごい秒速5センチメートルだなっていう感じがすごくしました。
もうベストです。
秒速はリメイクと言ってもいいんじゃないかっていうぐらいなぞらえてるって言ったら違うんだけど、そういう時点は多いと思います。
ただやっぱり視野が広いっていうのは、相手の視点があるっていうのは秒速にはない要素ですよね。
そうですね。本当にそこはやっぱり違いでもあるし、似てたりするけど違いもあるから、そこがまたこの映画の良さだなっていうのはすごい思いましたね。
なんかちょっと僕あんま調べてないんでわかんないんですけど、新海誠コメント出してないんですか?この映画。
出してないんですか?見てないんですか?ちょっと気になってますよっていう。
それコメントいりますね。確かに。
いるでしょ。絶対いる。いるでしょ。欲しいですよ。
調べた限り多分ない。ないと思うけどな確か。
なかったですよね。僕も見てないなと思って。
ちょっと日本のIQ会社ちょっと不足がある気がしますね、プロモーション上。
いや、わかんないですよ。出したんだけど、コメントもらえなかったとかいうパターンだってあると思うんで、わからないですけど。
出したかどうかもわかりませんしね。でもまあ一番今聞きたい感想っていうか、この人に感想聞きたいっていうのはやっぱり新海誠ですよねっていう感じですね。
わかります。
いやー、もしこの映画見たらコメントは絶対するでしょ?
うん、絶対する。絶対してくれると僕は信じてますよ。
なんなら上英語ティーチンとかやってくんねえかなって思ってますからね。
やってくんねえかなって。いや、ほんとですよ。ほんとほんと。
では大石さんいかがでしょうか?
そうですね。もうなんかマリオンさんがだいぶ厚い感想を言ったので、僕もほぼ同意でいいって感じなんですけど。
そうですね。やっぱりその、僕2回目なんですね。今回が試写から見て。で、2回目なんでよりこうちょっとこう距離を空けてというか見てたんですけど、
06:02
やっぱりその恋愛よりもより大きな射程にある映画だなと思って。
一見すると確かに恋愛、ロマンス的な線の方が結構濃いように見えるんですけど、どちらかというとやっぱり大人になる話だなっていうのをすごい今回見てて思って。
うんうん。
主人公のグレタリーさん演じてるノラーが、それまでのある種のパストライブ前世だった韓国での自分、ある種少女時代ですよね、彼女にとってのと、
一個区切りをつけるための話だなって思ったときに、すごいこう恋愛なんだけど大人だし、でもかつ初恋の話でもあるわけじゃないですか、その平息的なところで言うと。
その初恋を否定せずに、でも受け止めた上で切り離すというか、そこの手際がめちゃくちゃいいなって思いました。
うん。
初恋のことをもう切り飛ばして前に進む方がかっこよくも映ると思うんですけど、なんかそういう感じではないというか、過去も含めて人生として肯定していくっていうのがすごい心強くていいなって思いました。
あと、アーサーがめちゃくちゃ良くて、もう2回目めちゃくちゃ僕はアーサーに感情輸入しながら見てたんですけど。
なるほど。
ファーストカウでも主演に張られてたジョンマガロさん、いい顔するなーって思っていろんなところで、帰ってくるまでゲームしてて、帰ってきたらちょっと笑顔頑張って作ってみたいなそういう細かーい表情がめちゃくちゃ味わい深くて、それもすごく好きでした。
あともう1個、さっきマリオさん風景の話されてましたけど、たぶん1個この映画の特徴ってニューヨーク映画だなっていう風に思って、このニューヨーク、この映画を見てから観光したくなるというか、この映画のロケ地回りたくなる感じというか、ちょっと自由の女神の後ろが見たくなってないですか。
なんかそういうとこ含めて、すごいこういろんな角度から見れるし、ある種ずっと愛されうる映画だなっていう感じもしました。
なのでそういうところをちょっと話せていけたらなって思ってます。
はい、ではお便りいただいてますので紹介させていただきます。
まずは1通目、マリオさんお願いします。
はい、えっと、エムハラさんからです。
店長メンバーの皆様こんばんは。
登場人物、誰の目線で見るかで印象が異なる作品かと思いますが、私はジョン・マガロ演じる夫アーサーの視点で本作を見ていたので、終盤のバーの場面は浮き地獄に感じられました。
言う手を演じるヘソン、とても魅力的ですが、アーサーからしたらいくらなんでも過ぎますね。
楽しく鑑賞できましたが、直近に見た映画が秒速5cmだったこともあり、かなり引きずられてしまいました。
前回の映画バーで秒速について他のお客様と語り合う機会があり、そこで話にも上がりましたが、秒速は主人公2人が再開しなかったから良かったのだと改めて思いました。
09:08
皆様の感想を楽しみにしています。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょっとここで言っておくべきだと思うんですけど、今回パストライブスの話をしますけど、明確にサブテキストとして秒速5cmの話をしますんで。
はい、はい、はい。
そうしますよね。せざるを得ない。
秒速5cmのネタバレも入ります。
なので、秒速5cmを見ていただいている方が何を言っているかというのが分かりやすくなるかもしれないです。
もう今までに何回秒速5cmっていう単語が出たかっていう。
もうすでにいっぱい出したぞって言ったんですけどね。
はい。
まあちょっとそれは言っといてもいいんじゃないかなと思ったんですけど。
はい。
今原さんもオッドワーサーのこと言及されてますね。
うんうんうん。
終盤のバーの場面は生き地獄に感じる。あれひどくないですか?韓国語で話し出すの。
ちょっとね。
普通って。
結構気が気じゃないですよね。なんか普通に考えてしまったら。
うんうんうん。
別にそんな、なんていうんですか。
今彼じゃないですけど、今彼としての矜持って強くあればいいのかもしれないですけど。
あそこで案内されたらちょっと不安にもなりますよねみたいな。
不安になる。不安になる。
しかも同心に帰って会話をしてるとかじゃなくて、会話の内容もちゃんといやましい話してるんですよねあそこ。
まあまあそうそうですよね。
それって多分オーラで伝わってるから、めっちゃ嫌ですよねあそこ。
でも彼嫌な顔ひとつしないんですよねそこで。
そこが本当なんかね、素敵、いや本当なんか素敵な旦那さんなんだなって本当思いますよね。
あの僕、野良が席外して二人きりになってる場面むちゃくちゃ好きで。
わかります。大好きさのシーン。
すごい会話ですよね。
どってことない会話してるんだけど、あの手探り感、私たちの関係はどこに着地させたらいいんだろうっていうのをお互い探って会話してる感じすごい良かったですね。
なんかだからオープニングがあの三人ってどういう関係だと思うっていう、バーの旗から見てるシーンから始まりますけど、
あのままあの二人だけ、あ、二人残ったぞっていう。どこまで見てるかのようなというか。
そうですね。
でもやっぱあそこでこうやっぱお互いにこう別になんかこう憎み合うとかではなくて、やっぱそこで相互理解に立とうとやっぱあそこでしてるっていうのがやっぱすごくいい場面だなっていうか。
そこがやっぱりなんかこの映画の良さだよなってすごい思うんですよね。
誰かの人生のたどってきた輪立ちを見ているような感じというか、
12:00
あなたってどういう人生歩んできたのっていうのをなんかあそこでちょっとずつ確かめ合ってるみたいな感じがすごくああいうところからも出ててすごくいいなって思いました。
そうですね。
さっきオープニングで僕500日のサマーあげたんですけど、
さっき言った時は2000年代っぽい話の作り方っていうのに対して、本作2020年代の恋愛の映画としてちょっと年代的なことじゃないのかもしれないんですけど、
やっぱりちょっと昔の恋愛に関する捉え方だったら、
嫉妬っていうものはが表明されて当然みたいな感じで描かれてたんじゃないかなって気がして、
そこで理解しようとしないというか、
多分それ時代性のことじゃないかもしれないね。
ただやっぱり500日のサマーの価値観で作られてたら夫のアーサーの頭おかしくなってたと思うんですよね。
もう気が気じゃないだけになりますし、
普通なりますよ。気が気がなくなりますよ。
もうどうどうってなりますけど。
やっぱり男と女は分かり合えないっていう恋愛観に基づいて作られてる。
500日のサマーは。
でも本作ファストライブスにおいては別に男と女が分かり合えないとかではなくて、
あくまでそれぞれの人生ってずれたよねっていう。
別にそれが分かり合えないとかっていうことには至ってないと思うんです。
だからヘソンとノラも理解はし合う。
それぞれの人生は外れていくけど。
ヘソンとアーサーも分かり合う。
っていうのが結構時代性じゃないのかもしれないけど、
僕はすごい今日的な恋愛の捉え方なんじゃないかなって気はして。
元彼とか今彼的なことも引きずらないとか、
別に男と女みたいなのを断絶したものとして恋愛いくんじゃなくて、
あくまで断絶したのはそれぞれの人生。
男と女が断絶してるんじゃなくてっていうのは、
割と僕は今日的な気はしたんですよね。
それこそきっと24歳のタイミングでこのシーンが訪れたら、
きっと嫉妬で萌え狂ったと思うんですよ。
どちらも。
そうですね。
多分36歳っていう時間がやっぱりすごく大事だったんだろうな。
特に彼らの人生においてはっていうのはすごい思っていて。
やっぱり初恋の話、恋愛の焦点の話でもあるんですけど、
ノラは今日は現実と理想というか、もしかしたらそうだったかもしれない未来と比べるわけじゃないですか、そこで。
それってだからララランドのラストとかにも僕は近いと思ってるんですけど。
そう思い出しました、それは。
もしかしたらあったかもしれない今と、
でもここまで歩んできた今っていうのの両方があって、
そこに多分その象徴としてのアーサーだと思うんですよ。
15:01
ある意味そのグリーンカードを取るっていうことのきっかけにもなってますし、
すごくそのリアリズムに基づいて彼と結婚してるじゃないですか。
だからその今のリアルを肯定しながらも、
でも過去をどう受け止めるか、折り合いをつけるかって話だとすると、
すごくその36歳だからこそできた選択。
しかし、あの空気感はそれだからできるのかなっていうのはちょっと思ったりしました。
確かにね、なるほど。
そうだなぁ。
次のお題でいきましょうか。
次ですね。
きまともまやさんからいただきました。
店長メンバーの皆様こんにちは。
パストライブ再開見てきました。
別だけど情熱的な関係。
私にも幼少期の途中で転校してしまった好きだった大人なじみがいたので、
そのことをふと思い出したりしていました。
さて、本作の魅力は何よりも絵にあると思いました。
舞台でもあるニューヨーク。
ニューヨーク派写真の父であるソウルライターを報復させるカットが
節々で見られて、絵としての美しさがとても強くて好きでした。
また、今までに見た作品の中で一番と言っていいほどに
終始エキストラの組ませ方がいい塩梅に感じました。
24年ぶりに出会ってまず訪れる場所、
2カ所は観光地だからカップルしかおらず、
過去、野良は意図してそれらを選んだ。
でも、どのペアも心地よい距離感で、
絵として全く悪さをしていなかったのは好印象でした。
ありがとうございます。
すごい良い視点ですね。
エキストラ使い徹底。
僕も確かにちょっとそこは気づいてたというか、
なんか写ってるのカップルしかいないなって思ったんですよね。
だからなんか冒頭で2人が、
まさに僕らエキストラとしてあの3人を見るわけですけど、
一番最初。
後ろに映ってる彼らにも多分彼らなりの
そのイニョンがあるんだなっていうのが分かるじゃないですか。
そうそうですね。
なんかそれもすごくいいですし、
あとメリーゴーランドのシーンって気づかれました?
メリーゴーランドで2人が話すシーンあるじゃないですか。
あそこで客席ほぼ誰もいないんですけど、
2人だけ乗ってるんですよ。
乗ってる人までは見てないかもね。
そうなんですよ。
あれよくよく見ると黄色いレインコードと青いレインコードを着てる男の子と女の子なんですよ。
あれだから冒頭の彼ら、
子供時代の12歳の彼らを象徴してる2人が乗ってるんですよ。
あそこのメリーゴーランドに。
マジかそれ。
ちょっと僕メリーゴーランドの話はしたかったんですけど、
そこまでは気づいてなかったですね。
てかちょっと話したいんで話しますけど、
メリーゴーランドがまずガラス張りのケースの中にあるってもう過去じゃんって思いました。
上手いって思いましたけどね。
こんな場所ないよ、いい場所ないよって思いましたけど、
綺麗に箱にとって置かれた尊い過去そのものじゃないかメリーゴーランドって思いましたし、
しかもこれ言われて気づきましたけど、
メリーゴーランドの回転半時計回りですよね。
18:01
もう過去に回っていく時計じゃんっていう感じもすごいしましたし、
あの場所ヤバって思いましたけど、
あの場所でこう佇んでる2人ヤバって、
絵としてヤバいって思いました。
エキストラが完全な背景とかさない、
でも別に話の邪魔をしないってすごいですね、
バランスとして。
でもすごい大事なことだなと思います。
本作のテーマでもあるし。
いいですね。
なんかすごいいいところ見てるなって感じました。
じゃあ次のお便りいきます。
グッドウォッチメンズ大ちゃんさんからいただきました。
今回初めてお便りを送らせていただきます。
トークテーマのパストライブス再開を鑑賞しました。
初恋の人と24年ぶりに再会するという、
こじんまりとしたラブストーリーがここまで面白くなるのかと、
今でも感動画を引いています。
ノラが移住したことによるアイデンティティの変化と、
物理的な距離からくる些細かな二人のドラマに、
ノラの音が入ってくることによって、
とてつもない切なさが込み上げてきました。
特にバーのシーンはフレームに誰と誰を収めるべきかを
考え尽くした映画的にも素晴らしいシーンだと思います。
その他にもメリーゴーランドや韓国の不思議なオブジェ、
窓の使い方など映画のテーマを裏付けるモチーフが秀逸で、
シンプルなストーリーも細部の味付けで
ここまで豊かになるのかと感心させられました。
長々と失礼しました。
皆さんのご感想もぜひ聞いてみたいです。
今後の配信も楽しみにしております。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ポッドキャストされてる方ですよね?
そうですよね。
ですよね。
お名前聞いたことあるなと思って。
お便りいただけると嬉しいなって。
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
それこそ物理的な距離とアイデンティティの変化って、
すごい深海のポッド的じゃないですか。
そうですね、それはすごい感じますね。
本当にこれ、時間と物理的な距離の話、
主人公、もう一人の主人公でもあるなっていう感じがすごいしますし、
そこがしかもやっぱりアメリカが舞台になるっていうことで、
移民としてどうかっていう話がそこにしっかり絡んでくるなっていうのがすごいありますよね。
だんだんやっぱりノーランの人格として、
やっぱり韓国にいた頃の人格というか感性っていうのかなっていうのが、
だんだんこうやっぱり希薄にはなっていくんだけど、
けどやっぱりふとした時にそういったのは出てきたりもするしみたいな感じで、
溶け合ってはいるんだけど、
比率がちょっと違っていくみたいな感じなのかな。
人の中の感性とか時間の中っていう感じが、
すごくうまく機能してるなっていうのはすごく感じました。
細かい描写なんですけど、
ヘソンと再会、ニューヨークで再会36歳のノラーが、
もう何の躊躇もなくハグするじゃないですか。
あそこはもう完全に文化の違いっていうのがわかりますよね。
21:00
あそこのヘソンの戸惑い方、
僕らもきっとそれで戸惑うと思いますから、同じ目にあったら。
絶対戸惑うよ。
あそことかもうまいなと思いまして、
その一方でノラーが寝言で言うのは韓国語だけっていうアーサーのセリフとかも、
その逆というか、
その両方が彼女の中でアイデンティティの揺らぎみたいなものになってるのが、
すごいうまいなと思いました。
アイデンティティの変化って割と本作のすごい大事な部分ですよね。
結構目につくところはいろいろあるんですけど、
まず12歳の時にアメリカに、
初めカナダか、カナダでしたっけ移住先は。
最初カナダでした。
トロントでしたよね。
トロントだったはずです。
私ドキドキレッサーパンダと同じですよね。
移住する時にヨーロッパ系の名前をつけるじゃないですか。
ありましたね。名前変えましたね。
僕あれ結構嫌なんですよ。
アジアの人がアメリカとかに出る時に、
そっちの名前つけるのってすごい残酷だなって思ってるんですけど、いつも。
本人たちは結構楽しんで名前選んでましたけど、
そこでアイデンティティの帰りって生まれますよね、一旦。
その後、移住してから韓国時代の名前をもう呼ばなくなってて、
ノラっていう名前で呼ぶようになってて、
もともとの名前ももう使わなくなってるっていうので、
さらにアイデンティティが介入してて、
今の36歳のところかな。
アーサーに対して、ヘソンがあの人はもう韓国の人だっていう
いう風に評するところがあるじゃないですか。
韓国的なっていう言い方してましたね。
韓国的な男性だっていう。
ずっと実家に住んでてみたいな。
あそこめちゃめちゃ残酷やなと思って。
交わらないし、すごい他人行為に突き放してるとこだなと思って。
結構、ゾワッとして、ああいう感覚を覚えること、
人生でも実際結構あるんですよね。
学生自体、一緒にいた友人が、最近だったら、
その時とは違う人間になっているわけですよね。
それは、勝手に学生自体のメンタリティのまま、
その人が継続しているっていうことを期待してた、
こっちが悪いんですけど、
ただやっぱりちょっと悲しいなって思っちゃう部分もあって、
やっぱそこのアメリカ人になったのらっていう存在は、
僕結構ゾワッてなったし、
逆にその変わらないっていうことを評価されてるヘソンも辛いなって思って。
24:02
そうですね。
学生時代の友達だったら、昔と全然変わってたみたいなのが、
本当に身近な、いい例だなって思うんですけど、
僕もそれは本当に、同じようなことを僕も見ながら連想してましたね。
同窓会だったりとか、結婚式とかで会うと、
お互い今何してるみたいな話とかになるじゃないですか。
そういったところに、全然違うところに、
みんなそれぞれ行ってるんだなっていう感じをすごく感じますよね。
もちろん学生時代の時に知り合って、
その時の面影とか変わってない部分ももちろんあるんですけど、
やっぱりみんなそれぞれ長い年月を経て、
いろいろ状況も変わってってなっていくと、
やっぱりちょっと変わっても変化があったりしてっていうのを感じると、
全てが全くうまく交わるってわけでも、
やっぱなくなるなみたいな感じっていうのはすごく感じましたね、そういう時。
でもなんか、それこそ、
秒速ってすごく一人の主人公の内面的なところが中心になって、
彼がある種変わるまでの話じゃないですか。
本作はその後の話をしてるなっていう気がするんですよね。
彼がある種過去と一回区切りをつけるというか、
境界線を引くまでの話が秒速だとすれば、
引いた後の二人がどう合うかというか、
多分ヘソンはまだ引けてない気がするんですけど。
僕はノラも意外と引けてないとこある気がするけどなって思うんですけど。
ていうか、僕もこの映画が終わったことで、
ノラが線を引いたなって思ってるんですけどね。
そうそうそう。
だから引く、引き方として自分の中で引くか、
もう一回会ってみてそれでもないなってしてしっかり引くかというか。
そこの最後に対話を持ってきたあたりとかは、
すごい秒速とは違う結論なんだけど、
でも近いところあるかなっていう。
でも少なくともこの二人によって、
その線を引くって絶対大事なことだったと思うんですよね。
多分それはそれこそ、
さっきおっしゃってた大学時代と学生時代に会ってた友人が、
次に会ったら変わってて、
多分彼らは何らかのタイミングで何かの線を引いてるはずなんですよ。
だからそれがもちろん寂しい反面でも、
彼らにとっては必要だったんだろうなって最近は思うようになってきました。
多分それは自分が線を引いたからでもあると思うんですけど。
意外と自覚的にその線を引くって、
全員が減ってるわけじゃないと思うんですよ。
みんながそれぞれちょっとずつ変わりながらいつの間にか、
全然違う人間になってるんだけど、
それを線を引いたっていう境界線となるタイミングを経ずに、
ただ変わったっていうふうなことを、
無自覚に許容していってるっていうことも全然あると思うんです。
27:01
それは確かにあるかもしれない。
一つ一つのちょっとした変化が線になっていって、
それが境界線になるみたいな感じですよね。
グラデーションっていう感覚ですかね。
グラデーションだとこのタイミングで変わったっていうのがあんまりないと思うんです。
そこで別に線を引かずに来てる人もいるんじゃないかなと思って。
線を引くって相手の変化に対してもそうだし、
自分の変化に対しても一つの霧をつけるというか。
それを経て双方を許容するための儀式だと思うんですけど、
そうじゃなくて、あんまりその線を引くことを自覚せずに、
あいつ変わっちゃったねってつまんない奴になったなの一言で片付けるみたいなことも
往々にしてよくあると思うんですよ。
相手の人生がどういうものを経たかとかっていうところに想像を及ばせることなく、
ただあいつが変わったっていうことだけを結論付けて、
でもそれは僕あんま線じゃない気がして。
というかその線を引くという儀式になってないというか、
単に切り捨てただけっていう感じ。
その別れるための儀式を経てないというか、
あ、なんか重なくなったっぽいってしちゃうようなものを
してる人もいるんじゃないかなと思うんです。
本作の二人は違いましたけどね。
そうですね。
線を引いたのか捨てたのか難しいなぁ。
両方ありますよね。人生の中でそういうタイミング。
多分いろんな人に対して。
こっちが何かの期待を勝手に抱いてた人に対しては、
ダメージを受けたりしちゃうじゃないですか。勝手にこっちが。
その後会う頻度が低かったりするとやっぱりどちらかっていうと
ジャッジの方に入っちゃうというか、
僕の人生からもういいかなって本に入っちゃいがちですよね。
そこで本作は互いに尊重し合ってたわけだから、
そこの線をちゃんと引こうっていうのをお互いに思えたっていうのが
本作の良さなのかなって気はするんですよね。
はい、では次のお便りいきましょうか。
げこぽんさんからです。
店長メンバーの皆様、パストライブス見てまいりました。
まず伝えたいのが、もうずっと絵がゴージャスでしたね。
二人が再会した後の、おしゃれ植物がわさわさ生えてる協客から
メニーゴーランドまで歩くあの場面。うっとりしながら見つめちゃいました。
反面ストーリーは結構困惑しながらラスト直前までいってました。
彼女が移住して名前を変えるのがまさに輪廻転生で、
ソウルという前世からエソン君が会いに来るという構図は理解しながら見ていたのですが、
今の夫との関係が感性しすぎていて、
エソン君がムクサを喪失したことを自覚させられて失望するという展開しか予測できなかったのです。
30:06
そして実際そうなったと言えると思うんですが、
最後の彼女の涙を見ながら感じたことは、
失ったものに再会できること、それがかけがえのないものだったと際に
再確認できる意念があること自体、すごく幸福だということでした。
初テーマ投稿、拙い文章をご用意してください。
はい、ありがとうございます。
そうですね、先ほど線を引くという儀式で言っていたことって、
今書いていただいていた、失ったものに再会できること、それがかけがえのないものだったと再確認できるっていう、
そのことなんだろうなと思って、再確認するというか、
その上でもう別だよねっていうのを許容するっていうことなのかなと思って、
ラストの野良の家からウーバーまでへそんを送るシーンあるじゃないですか。
あのシーンなんか凄まじくないですか。
いやー、すごい緊張感ですよね。
そう。
2分とは思えなかったですね。
すっごいあっという間でした、僕の中で。
でも気持ち的にはすごい長かったですけどみたいな感じ。
あの道のりね、お互いどういう気持ちで歩いているのかって考えるとね、
ちょっと僕怖くなってくるんですよね。
早く終わってくれとも思うし、ずっと続いてくれとも思うなって思って。
そうですね。
あと最後の見送るシーンね。
何するんだろうと思ってもう怖くて。
本当ですよね。
何出せやら、何押し出せやらと思ったらもう怖くて、すごく多かったですね、なんかあの緊張感。
ほぼほぼセリフもなく音楽もなく、たらたら煮詰まった2人が抜き差しならない関係で歩いてるっていう、あの映画本当に大好きですし。
一番最後結局マラーが自分の家に帰ってきたら夫が待ってるっていうところ。
そこで彼女が泣き崩れるわけですけど、僕はそこの解釈、もちろん失ったものに再会っていうところも同意なんですけど、
その失ったものって何だろうなってすごい考えてて。
自分の中ではその劇中のシーンでもノラがその少女時代の私をあなたの中に置いてきたっていう風にいうシーンあると思うんですけど、
あれ、だから彼女はもちろんへそんと、まあ多分根性の別れですよね、あれ確実に。
あなた絶対会うこともないと思うんですよ。
だけど、そのへそんと根性の別れであることだけじゃなくて、少女時代の彼女自身とももう会えないっていうことをあそこで自覚したんだろうなって思って。
それはなんかすごい思いますね。
しかも一瞬、子供時代の。
そう。
すごい一瞬だけ映るじゃないですか。
33:02
あの一瞬で涙持ってかれますよね、本当に。
もともとの絵がいいっていうのももちろんありますけど、あそこ一瞬フラッシュバックするだけでももうちょっと泣けてきてしまいますよね。
あそこできちんと別れ言わないままだったなみたいなところから、この不思議な時間の連なりと縁が始まったようにも思えるので、やっぱり。
本当に僕も大石さんの言う通り、自分の少女時代と何か本当に別れを告げたことができたんだなーみたいな感じはすごく感じましたね。
別れを告げられてようやくなんか、過去としてそれは残るんだけど、すごくなんか適切な距離感で自分の中で消費できるようになったというか、それこそ本当に窓に映る景色のように思えるようになったって感じがするのかなっていうふうにはすごく思いました。
だから多分なんですけど、あの後のらって寝言英語になったと思ってるんですよ。
面白いですね、面白いよね。
そこまでわかりやすいのかな、人間って。
ちょっと僕はそこは、どうだろう。
その真相真理と表層のものはまた違うような気もして、そこまでこう、自覚が感性全てを司っているってこともないと思うんですよね。
だから自分の主観と、自覚できる主観としては、少女時代に分かりを告げてると思うんですけど、真相真理はやっぱり韓国にまだあるんじゃないかなって気はするんですけどね。
いやちょっと上手に言語化できてないです、今。
言われてもそこは変わんないのかもしれないですね。
寝言は韓国語のままっていうと、結局それは自分の積み重なってきた層の一番下のほうにあるもんだから、それは残り続けるみたいな感覚なのかもなっていうのは確かにちょっと話を聞くと思いますけど。
ウォイスさんの解釈もめっちゃなんか面白い。綺麗さっぱりなくなっちゃうじゃないけど、ちょっと何て言うんでしょうね、解が取れたじゃないですけどね、なるっていう解釈もすごくなんか面白いなって思います。
すごいロマンチックな解釈ですよね、それ。
わかる。
そのロマンチックな解釈をしたのが夫のアーサーだったんですけど、妻の寝言が韓国語でしか寝言を言わないっていうことで不安になるっていうのは、あ、彼女のアイデンティティがやっぱり韓国にあるんだなっていうのに不安を覚えてるっていう、でも別にそれってそんなに意味ないかもしれないじゃないですか。
その意味があると思ってるのはアーサーらしい。
それは言われたからこっちもギクってなるけど、よくよく考えたら別にそこまでのことかなってなるような気もするなと思って。
36:00
気にすることかって言われたら気にすることじゃないのかもしれないんですけど、別にどんな人間関係でもそうですけど、やっぱり全部が見えてるわけじゃないっていうところに、みんな誰しもちょっとは不安を覚えるじゃないですかっていう。
たぶん自分は違うよとか言ってる人もしかしたらいるかもしれないですけど、絶対どっかでそういった不安ってちょっとは絶対持ってるし、あとこういうファストライブスとか秒速5センチメートルでもいいですけど、いわゆるこういうノスタルジーに引っ張られちゃう映画とかって、過去に引きずられる感じって苦手だみたいな。
全くないわけじゃないでしょ、でもあなたもみたいな感じで思っちゃうんですよね。そこまで言い切るの?みたいな感じが、僕はちょっと毎回しちゃうんですよ、そういう言われる時って。おー、1ミリも過去引きずらんのやなみたいな。
そこまで言い切るんやな、みたいな気持ちになる時があって。そんなつもりはないんでしょうけども、引きずると思っていてもそこが嫌だって思ってるだけだと思うんですけど、そういうとちょっと変なところでカチンと来ちゃうよね。
過去に期待してる顔としてはね。そうですね、なんか1ミリもなんか自分は過去引きずられませんけど、みたいな感じで言ってくるのなんなんすか、みたいな。こっちはいっぱい引っ張られてますけども、みたいなっていう風にちょっと思う時があって。だからあの辺の不安とか、何の話してたんだっけ。自分でも途中で言いたいことがわからなくなっちゃうんですけど。
ちょっとだんだんとっちゅらかってきましたね。自分の言いたいことがダラダラと聞いてしまいました。すみません。いやでも、表層心理と真相心理の差はすごく感じることあるというか、僕さっき人生で公開したことが基本的にはないって言い方したんですけど、ただトラウマはいっぱいあるんですよ。
例えば僕、いまだに大学時代に退院を落として留年する夢、まだ見るんですよ。それはちょっと僕もありますけど、僕も留年しそうになったんで。あと、妻がよく言ってるんですけど、僕寝言いう時、電話で取引先に謝ってる寝言が多いらしくて。
仕事の電話をしてることが多いらしいんですよ。あと、僕最近見て、やべって思ったのが、初めて入った会社にもう一回入って、その頃の先輩がその頃と同じ姿で僕を許容してくるって夢を見て、これやばいなと思って。
何というか、体内回帰願望が形を変えたもののような気がして。自分が守られてた場所に帰りたいっていう真相の願望が現れたものだなと思って。それが僕にとっては初めて入った会社の先輩だったんだなっていうのが、やべって。
39:07
とんでもないことに気づいてしまったぞってなったんですけど、それを夢を見た時。だから、なんかそういうのは、今の自分がどんだけ割り切って生きれてても、消えない気がするんですよ。トラウマは。
人はやっぱなんか、これは言い過ぎですけど、過去に生きてるなって感じがする。
それは、ちょっと言い過ぎかもしれない。
何より、俺は未来を生きてるんだって人もいると思うんですけど、やっぱ過去とは全く切り離してっていうのは無理だなとは思うって感じですかね。
そうですね。
野良は思いっきり未来を生きようと、頑張ってるっていう感じだったなと思ってて、ちょっとここでへその体型の話に入りたいんですけど、
36歳の男性の体型として完璧だと思うんですよ。
骨格も太いし、筋肉もついてるけど、しっかり脂肪もついてるじゃないですか、あの体型。
シャツをズボンに入れたら、結構ポテってなってる感じの体型で、ハンサムだし、いい男と言って差し支えはないんだけど、
でもまあ、しっかりスマートって感じじゃないよねっていう、36歳の男性の体型だなと思って。
で、僕はあの体型そのものが人生だと思うんですよ、本当に。
で、僕、その役にあった体型の登場人物が映画に出てくるの、むちゃくちゃ好きなんですよ、本当に。
もうこの人が何も喋らなくても、体型から伝わってくるものがあるなっていう感じ。
で、そのヘソンの体型、まあ24歳の時は結構いい大学も行ってて、なんかエリートコース乗ってるっぽいけど、
36歳の時点でちょっと伸び悩んでるというか、あんまりうまくいってない感じ出てったと思うんですよ、発言にもあったし。
で、いまだに実家にも住んでて、するんでるのは学生時代の友達じゃないですか。
彼の人生から停滞の匂いがするんですよね。
で、その停滞が死亡として体についてる感じがするんですよ。
で、一方で野良の体型の本当にシェイプアップされた。
あれは本当にニューヨークのショービジネスの厳しい世界で必死の思いで自己検査してる人の体型だと思うんですよね。
で、その二人が出会った時に、もうこの二人の人生は離れてるんだなってわかると思うんです、僕。
42:02
それは別にどっちの体型がいいとかじゃなくて、もうそれぞれに圧倒的に積み重ねた24年分の人生が体に現れてる。
その二人が画面に入ってるだけで別に話なんかしなくてもわかると思うんです。
どういう風に生きてきたかというか、言葉にはしなくてもそこに人生があったっていう。
それはもう絶対に自分からはタッチできない領域をこの人は積み重ねて今ここにいるのだっていうのが体から伝わってくる。
いやもうそこがね、いいんですよね。だからあの二人が一緒に画面に映ってると分かり合おうとしてるけどやっぱり届かない。
24年間一緒にいないことには交わすことができない情報量をお互いが叩いてる。
でもそれを可能な限り分かち合いたいけども、やっぱりその距離ってめちゃめちゃ遠いからそこに対する手を伸ばすことへの怯えも見え隠れするんですよね。
特にヘソンの側から。
彼女の人生に手を伸ばしていいのだろうかっていう怯えが節々に見える。
そこがね、いいんですよね。本当に。
それこそ僕の勝手な持論じゃないけど、自分の人生経験ですけど、初恋とか12歳とか中学生とかそのぐらいの頃の恋愛って憧れに近いような感情もあったと思うんですよ。
恋愛、この人好きだなっていうその手前にこの人すごいなかっこいいなとかこの人素敵だなみたいな憧れみたいな感情が先立ってからのもしかしてこんなに気になっちゃうのは恋なのかなって思うみたいなことって結構あるんじゃないかなって思ってて。
だからこそ多分ヘソンにとってノラってずっと憧れの存在だったんだろうなっていうのがまさに多分山口さんおっしゃった通りでわかるし。
彼女って上昇志向で次は何の賞を目指すのみたいな会話もどころどころでありましたけど、多分ヘソンも多分本人のアイデンティティ的にはそういうふうな上昇志向ではない人だと思うんですよね。
競争もそんなに好きじゃなさそうだし、特にその中盤の24歳のところで平気に彼が連れてこられて、男性社会の中でめっちゃ浮いてるっていう。
そもそも韓国社会って受験戦争とか激しいとかってあるじゃないですか、壮絶な多分すでに競争社会家中にいてもすごく大変だったんだろうなっていうのがすごい感じられたりもするんですよね。
彼女自身はなんか学年1位2位を二人で重なってたみたいな感じでしたけど、やっぱどこかなんかちょっとなんかそこにちょっと疲れを感じていて、何とかギリ大学にも入ったけどなんかもうそこでちょっと一種の燃え尽きがもうすでに始まりつつあるみたいな感じはちょっと感じられたかなーっていうのはありましたね。
45:05
そうですね。一方で野良は目指すものを変えながら常に全力疾走しようとしてる感じ。彼女なりの挫折があるっていうことも見え隠れしてるんですよね。でも私はこの人生を生きてるんだって言い切るじゃないですか。
で、パートナーにもアーサーを選んだっていうことを伝えるし、これが私の人生だって言い切って前を向いて生きようとしてる。別に挫折がないわけでもないけどっていう。そこを改めて野良であるっていうことを再確認するために少女時代を遠くにやらないといけなかったのかもしれないなとちょっと今思いましたね。
ですしあと、へそんとしても野良っていう目標を捨てないと多分自分らしくは生きれないと思うんですよね。
彼が結婚をずっと拒んでる理由は自分がふさわしくないからっていう理由だったじゃないですか。それはやっぱり競争社会で勝っていかなきゃいけないっていう主眼に置いた時に自分はそれにふさわしくないってどっかで思っちゃってるっていう。
でもたぶん野良を目的に目標に置く限りずっと登り続けていかなきゃいけなくなっちゃうんですよ。それはたぶんへそにとっても苦しいと思うんですよね。だからこそ今回のパスタライブスの最後でニューヨークを見ながら彼がエンディング迎えてきますけど、やっぱり彼の中で野良が過去になったっていうのはすごい大事なことだったんじゃないかなと思います。
本当にそうですよね。だから大人になる話になって。こういうの好きなんですよね。僕はあんまり純粋な恋愛だけのラブストーリーってあんま好きじゃなくて、フィクションで恋愛を摂取するってこと自体がそんなに得意じゃないんですよね。
なんか手でもあるかなって気はするんですけど。ただこう、人生を含んでる恋愛物ってあるじゃないですか。本作もそうですし、500日のサマーもそういう話だったし、アバウトタイムとかもそうだと思うんですけど、そういう出会いとかっていうものの一例として恋愛があって、でもその出会いと別れの集合体が人生っていうことを描いている話ってやっぱ好きなんですよね。
それの一つの新たな代表作として本作があるのかなって思うし、それを36歳でやってるっていうのが僕すごい嫌なって気はして。もういい歳ですよ、36。それなりの大人になってないとダメって言われる歳ですけど、でもまだ引きずってたりしてっていうところで、
48:02
いやでもまだ、何だろう、節目を経てまだ大人になることができるっていうのは結構救いだなと思って。20代でこの話やるのはあんまり違和感ないんですけど、36でしょ。もう本来的には一つ、こう形を落ち着けてその方向性で生きていこうとしてないとダメって言われる歳だと思うんですけど。
そうっすね。いや、そうっすね。嫌でしょ?
嫌です。
嫌でしょそれ。
嫌なんすよ。
いやー、ちょっと私ね、もしかしたら大井さんもかもしれないですけど、僕まだあの、私は最悪のユリアみたいな少年がまだ残ってるような人間なんで、肩にはまってやるかみたいなとことか、なんか定義されたくねーぞ俺みたいなとこあるけど、でもぶっちゃけ定義されてくるよなーみたいなね、とこはね、とにかく向き合いつつ生きてるなーっていうのはあるんですけど。
マリオンさんも僕もあと5、6年でその歳になりますからね。
僕はもうすぐだなって思いますけど。
僕はもう36、4年過ぎちゃってるんで、僕はもう不悪ですから不悪。
確かに。
始終にして惑わずですよ。もうこっから人生ブレちゃダメだよって、昔の格言が言ってくるんですよ。
そうっすね、確かに。
いやーねー、いやーもう、いやーねーって感じ。いやーねーって気持ちになった気もしますけど。
でもなんかちょっと、そろそろチックチックブーンの話とかしたときに、山口さんが30歳の壁でそんな別に大したことないよみたいなこと言ってたかと思うんですよ。
あれ結構僕にとって確かにあの言葉すごく今でも残ってるというか、多分過ぎたら大したことないんじゃないかなみたいな気持ちになってるんですけど。
30歳の節目なんて、10進法が生み出した幻ですよ、ただの。
いやいいなーって。確かに。
いかんせん数字が大きくなってしまうから何かがあるような気がするだけで、あんなもんただの数字ですよ。
29歳の自分と30歳の自分に違うのは、1日長く生きたかどうかの差でしかないですよ、それは。
そういうのもね、あったので。別になんか不枠であらんでもならんっていう知りも問われあってもそこはいいんじゃないかなみたいなところはあるんですけど、
まあわかんないですね。ちゃんと定まれよっていうのはあるかもしれないですけど。
いやだから本作が、36歳でもグダグダでいいって言ってくれてるから。
いや本当にそう。本当にそう。
そういうとこあってもいいよっていうか、そうですね。
グダグダとはいえ野良はしっかり仕事してますしね。
野良はめちゃめちゃしっかりしてると思います。
へそんも一応社会人としてはたぶんサラリーマンとしては仕事はしっかりしてそうだしねっていう。
51:00
普通にはたぶんしてると思うんですよ。肩から見たらって感じなのかもしれないですけど。
内面的にはなんかちょっと自分なんかちょっと、まあ僕正直あのへそん見ながら、
聞こえないけどたぶんきっと君は深海誠みたいなモノローグを言っているんじゃないかっていう質問なんですけど。
たぶん絶対言ってる?
絶対言ってるって言ってたんですけど、まあでもそれは別にいいじゃないですか。
それは僕もわかるしって思ってたんで、それでも別に前向きに生きてはいけると思うし、
それも僕はいいと思ってるんで、やっぱり今を肯定するための話だなって本当にそれは思います。
なんかやっぱりああそれは良かったねみたいなのかって誰しも思ったりしますけど、
けどやっぱり今いる場所もすごく良かったって言いたいっていうか、まあいいと思えてるしっていうのもあると思う。
そうですね。僕何より自分の人生で出会った人を否定したくないから自分の人生を否定したくないんですよ。
例えばこうやってマリオさんとか大石さんとかに会ってるわけじゃないですか。
それはもともとあった僕の持ってた理想の人生を辿ってたら出会ってないわけですよ。
僕は自分の人生が突っ転んだと思って、なんか知らんけど映画でなんかするっていうところにベッドして今生きてるんですけど、
そうしないと二人には出会ってないわけですけど、ここで僕が自分の人生全然ダメでねって言い続けてたら
二人のこと否定してることになるじゃないですか。それはやっぱ嫌ですよ。それは嫌。
だから僕が否定するのは大学時代だけです。
大学時代だけ。そこはね。
そこはもう、僕の大学時代はもう錆びてるのでもうそこは揺るぎないんですけど、それ以外は基本的には否定してこない。
なんかちょっと今の話聞いてると思ったのは、僕は先日多分オープニングで仙台に行ったって話をしたと思うんですけど、
山口さんよろしく仙台では僕の黒黒としたものがまだ残ってはいるんですが、
ただなんかあの時に、もし自分が思った通りに仙台でうまく過ごせてたら、多分大阪とか関西に来ることもなかったですし、
おそらくだからここで話すこともなかったし、なんなら映画に出会うことすらおそらくなかったんじゃないかって思ってきて、
で、それを思った時に初めてあの時の呪いみたいなものを許せるなって思ったのはちょっと覚えてます。
なんか因果応報じゃないですけど、この映画で言えばイニョンなのかもしれないですけど、
なんか、これはちょっとロマンチックすぎると自分で思いつつ言いますけど、
なんか全ての物事に、結局後から意味がついてくるんだなと思って。
その時はただの苦しみだったり苦悩だったり、等身大の悩みだったりはするんですけど、
でもそれが後々何かその人生の中で意味を持つことってあるんだっていうのはこの前言って初めて思いましたね。
54:06
わかるな。
僕、さっきも言ったけど、僕の大学時代はサビってるんですけど、
そのサビだらけの自分もお前生きてたよって言ってあげたいんですよね。
それはあの頃の自分は僕の中にはもういないけど、外部にはいるんです。
それはこうなんだろうな、一つの指針としてあるんですよ。
お前も生きてたよって言ってあげたいんですよね。
その感覚はあって、それはなんだろう、やっぱり自分、かつての自分と同じような人に優しくなりたいというか、
ちょっとこれ言語化しきれてない部分なんですけど、
そこを強要するために僕は今生きているところもあるなと思います。
あの頃の自分のサビを落とすんじゃなくて、サビたまま生きてたっていうことを肯定するために僕は今何やかんや生きてる気がちょっとするんですよ本当に。
本当に僕ギリギリやったんで。
確かに僕も大学時代、ある一時期はすごい暗黒みたいな時代があった。
ゴーストワールドの会員の時もちょっと言いましたけど、ニコ生に世界を作っていたことがあるっていう。
ニコニコ動画に自分の世界を作っていた時期があるので、大学行かずにみたいな。
そういう時期とかは確かにすごい孤独だなって、自分はどこにも多分馴染めないんだなみたいな気持ちではあったんですけど。
でもなんか僕、その大学、でもトータル結局大学時代の生活は結局プラスにはなってるというか、
終わりが良かったからなんですけど、友達とワイワイできて楽しく卒業できたっていう思い出があるので、
終わり良ければ全て良しって感じで、慣れたのであまりちょっと引きずってないところはあるんですけど。
でも確実に暗黒な時期だったなっていうのはあるし、
でもそのニコニコ動画とか生放送とかで知り合ってた時とかに今のツイッターアカウントを作っているので、
それをずーっと今も使ってるんですよ、これって。
なので、やっぱなんかちょっと意味を見出して今言っているのかなって感じはする分はあるんですけど、
決してやっぱそれは今思うと確かに結局あんまり思い出したくないほど暗いなとは思いますけど、
意味はあったかなっていうかっていう風にはそれは僕もちょっと思います。
マリオさん大学時代と地続きなんですね、じゃあ。
そうですね。
ああ、なるほど。
だし、まあ、ビオソコセンチメントを見たのも大学時代だったので、
その時期とかですね、暗黒な時代にそれと出会って、
僕は本当に誰ともなんか深く交わることもできないような人間なのかなって思ったみたいなというか。
うん。
いうことをやっぱりすごく苦悩していたような時代だったなっていうのはありますね。
57:04
うんうん。
なるほど。
いや僕結構そういうアカウント消しちゃうんですよ。
ああ。
過去の連絡先とか発作的に消しちゃうタイプで。
だから大学時代に映画ブログとか一瞬だけやってたのもあっという間に消しちゃったりとか、
ツイッターアカウントも一番初めのやつ消したしとか、
割と僕自分の過去が嫌で消しちゃうとこあるんですよね。
だから僕の過去、僕の記憶の中にしかないことがすごい量あって。
いやでもすごいですね、マリオさんは地続きなんですね、こう。
いたるところに残ってるじゃんっていうのは怖くなったぐらいですけど。
大学時代に始めた映画ブログとか残ってるわとか思って消そうと思って残ってます。
すごい。
残ってるし、だからこれほんとしてほしくないんですけど、
それは遡ろうと思えば僕の大学時代にしょうもないことを言ってるツイートだって見つけることはできると思いますし。
なるほど。
あれですよね、草生やしてると思いますよ。
ダブルがいっぱいある。
草生えてるんですね。
ツイートがたくさん出てくるんじゃないかなって思うので、見ないでくださいねって感じですけど。
消そうかな。
いや、残しときましょう。もったいないです。
こっから今こんな真人間みたいな、サム正しいですよみたいな感じで映画を喋ってますけど、
大したこと言ってない、マジで言ってないし、分かってないなってことを書いてると恥ずかしいですよね。
残ってますよ。
ちょっと話膨らみすぎたんで次のお便り行きましょうか。
全然パストライブスの話じゃなかった気がするけど、おもろかったし。
次のお便り行きますね。
続っぽい感想になりますが、
はい、ありがとうございます。
次のお便りですが、
続物的な感想ですいません。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
俗物的な感想こそ素敵だと思います
1:00:04
この世界の片隅に言われて
なるほどなと思いました
確かにそういう要素はあったなと思って
この世界のさらにいくつものの方って
ご覧になられました?
はい見てました
なんかあっちだと
よりあそこのダイヤのシーンって
意味合い変わるじゃないですか
ちょっと前過ぎて覚えてないな
原作も読んでるんで
一応原作がまさにそうだと思うんですけど
要は夫がおそらく幼い頃なのかな
でも結構深い関係のあった方との関係ってのが
あってのダイヤじゃないですか
確かにさらにいくつものも含めて
考えるとより確かにそういう話をねって
ちょっと思うところはあります
特にアーサー側の視点に立ってみたら
もちろんアーサーは
じゃあ自分はどうなんだって感じになりますけど
そうか
テーマ一緒ですね
そう考えたらこの世界の片隅にと
選んだこの人生を生きていくっていうことですもんね
まさにまさに
そうですね
実際にあって
そこであった上でそれに至らないというか
しっかりそこであなたは過去の人っていう風に言うっていうのも
何か含めてすごい似てるところありますよね
急に過去の側から凝られてもっていう
まあまあね確かにね
本作ねその要素もしっかりあるなと思って
単に過去を懐かしむとかだけじゃなくって
過去に繋がるのって結構大変なことだな
なんだったら面倒くさいことだなっていう要素もあるなと思って
ノラーがねヘゾンとやり取りする中で
あやべこの人まだ私のことめちゃくちゃ好きやぞっていう
焦りの表情をするとこがあって
すごい
本当になんか表情豊かすよね
みんなすっげえ気まずい表情するような
結構ちゃんと映ってたりするじゃないですか
本当にメリーゴーランドのシーンとかの
喋ってない時の時間っていう表情とか
目が合いそうで合わない感じとか
なんだこの時間はっていうすごい思ったりとかしましたし
そういうのにあふれてますよね
それこそ中間の24歳のオンライン
スカイプの音でもうすでに僕は懐かしかったんですけど
すごいわかりますスカイプが懐かしい
使ってるんですかね誰かね
しかもあの頃の音声ツアーなんて
今僕らが今やってるようやってるほどは
発達してなかったじゃないですか
もうカクカクであんまり良くなかったよね
僕自身もちょっと遠距離恋愛したことがあったので
1:03:02
わかるのはお互いのその近況とか
あるいは今の状況とか言葉で通じ合えるところってのは
ある程度あるんですけど
もうある程度以上行くと
どっちが会いに行くかの話になるんですよ
もうそこしかないっていう
でもそれこそ20歳前後で
その当時僕大学生だったんですけど
まさに2人と同じ状況ですよ
学生時代で自分の目標に向かって進んでるから
そんな余裕もないしお金もないと
どっちが組んだっていう
そのパワーゲームみたいのが始まって
それでより辛くなって
ごめん無理だわってなるっていう
あれもあるあるだなと思って
距離ならではある程度行くと
男女は会いに行くしかなくなるんですよね
なんか今わかってきたその感覚
そうかもそうかもしれない
だから遠距離恋愛がうまくいかないの
心理はそこにあるんですよ
うまくいってる場合は
あれ会いに行ってるんですよどっちかが
ちゃんと会いに行ってる時間をとってるんだな
とってるし会いに行ける距離なんですよ
さすがにそれがソウルとニューヨークとなると
もうちょっと難しいっていう
その感覚とかめちゃくちゃわかりましたね
やっぱり時間と物理的な距離って
人を引き裂いてしまうよな
瞬間のことだ
あと24歳のところで良かった要素もう一つ
フェイスブックはい
まず12年前のカルチャーとしての
フェイスブックっていうのがめちゃくちゃいいんですよ
この久しぶりの人に繋がるっていうやつ
ありましたよね
懐かしいフェイスブックって
そういうのだったわと思って
もうすっかりは片手間でしかやってないから
あれですけど
こうまさにあれですね
過去がやってくるもんじゃないですか
まさにまさに
確かに僕もフェイスブックで
初恋だった人の名前を検索して
友達になるわって思い出して
そこから特にやり取りしたわけじゃないんですけど
でもやっぱり片っ端から小学校の友達とか
クラスメイトとか名前は一通り検索とか入れましたよね
申請とかしたわと思って
あったなあそういうの
あの人今どこいるんかなみたいなので
あれそういえばどこ生まれとか言ってたなあ
で検索したら
あここの住所言ってた場所だ
もしかしてみたいなのやったことある?
あるある
いやーなんかあの感じ
12年前カルチャーでの人の繋がりをやってるの
なんかすごい生々しいなと思いました
1:06:01
いいですね
確かに
なんかやっぱり病息の頃とも
やっぱりツールの進化という意味でも
なんか時代を感じててすごくいいですね
そうですね確かに
いやちょっとそういうなんかちょっといわゆる
なんていうんだろう
やっぱツールの進化とやっぱり人の繋がりって
やっぱ密接に関わってるなっていうのが
やっぱり伝達手段としてのものですねツールって
やっぱそこがちゃんとなんか
その時代のものが封じ込められてるっていうのは
すごく重要なポイントかなと思うので
やっぱり病息もパストライドですね
そこはめちゃくちゃ自覚的にやってるところだな
っていうのはやっぱ思います
はいじゃあお便りこんなとこにしておきましょうか
そんなにもう時間ないんですけど
まあだいぶ喋りましたからね
だいぶ喋りましたね
関係あること関係ないこと
はい関係ないことも含めていろいろ
ほんと関係ないこと含めて喋ってます
あのここは絶対触れときたかったところがあって
はいはいはい
冒頭バーの入りのところ
あれ最高じゃないですか
いや最高です
あの第三者が3人の関係を勝手に推察して
喋ってるので
最後にノアだけがこっちをキュッと見て
パストライブって出る
あの入りめちゃくちゃいいです
もう絵として決まってるっていうのがあるし
あと僕はねあの
パストとライブスっていう単語が分かれてるのも
むちゃくちゃいいなと思って
あーそう
言われて気づいたんですけど
いや分かるわーって言われたらと思いました
こうね映画の公開情報とか見る限りだと
パストライブスっていうワンフレーズとして見てるから
あーなるほどパストライブスねって
まあなんだろう
まあそういう言葉なのかなって見てて
実際作中では前世っていう意味で使われてますよね
でもオープニングタイトルのとこでは
パストとライブスは別の単語として置かれてる
過去と今の人生は断絶しているのだっていうのが
もうタイトルで表示されてるっていう
今言われて思い
てかそうだなって思ったんですけど
パスト側にヘソンがいて
ライブス側にアーサーがいるんですよね
本当ですね
本当だ
本当ですね
で真ん中に彼女がいる
ノラがいるっていう
人生というか暮らしですね
そうそうそうそう
アーサーは暮らしの側ですね
いやすごい
ちょっと映画として上手すぎませんかね
そうこれ監督初長編ってねっていう
そういやなんというかその上手いですよね
上手いことに本当になんかちょっと感銘を受けているなっていうか
シンプルにいっぱいある
ちょっと僕もあとこれ触れてないな
っていうところであれがあったんですけど
あの子供時代のワイジロ
1:09:01
あの場所素晴らしくないですか
すごい
素晴らしいですよっていう話も含めてですね
いやまあこれまでの人生で
ああいう別れ道の絵を何度見てきたかっていうとこではあるんです
本当に何回も見てきたし
特に我々はああいうのが出てくる映画見がちじゃないですか
はいおっしゃる通りです
それはあって何回も見てるけど
正直今までで一番絵がいいと思いました
分かります
別れ道で
分かります
情報量の居高さで
ソウルのガチャガチャした街並みっていうものが
表現されてるっていう良さもあるんだけど
まず高低差ですよね
そう
単に同じ高さで分かれるんじゃなくて
上と下に分かれていくっていう
もうこう
なんて言ってんのかな
レイヤーが変わるって言ったらいいんですかね
うんそうですね
単に距離が離れる以上の断熱が
あそこに生まれるっていうのがあるし
あそここう分かれた真ん中に建物
めっちゃ混み合って立ってるから
分かれた瞬間相手のこと見えなくなるんですよね
あそこ
もう分かれたらそこで
相手のことを伺い知ることもできなくなる
分かれた後の相手のことは
自分の人生と離れたものになるっていう
すごいですよねあれ
よくあんなの見つけたなって思います本当に
そうですね
僕はなんか
あのY字路を選んだことがやっぱなんか
秒速5センチメートルで
勝ち得なかった豊かさが
そこにあるんじゃないかなって勝手に思ってて
なんかまぁ僕
これも僕の感覚的な話ではなるんですけど
秒速5センチメートルの場合だったら
その人の縁とその断絶っていうのを
線路と踏切でやってると思うんですよ
踏切ってすごく断絶を切るみたいな印象が
すごくニュアンスとして乗るなっていうふうに思って
線を切るというか
そこに重なっている道路を切るみたいなイメージがあって
今回のY字路って
別れはするんだけど
その先が繋がることも可能性もあるよねっていうことが
すごくもちろん繋がらない場合もあるんですけど
縁にも離れていく場合もあるんですけど
けど繋がる余地もあるっていうニュアンスが
そこに乗るなって思って
なんかこれが本当にちょっと人のなんか
縁の捉え方として
すごい豊かだなというふうにすごく思って
なんかこれが本当にこの映画の魅力というか
秒速5センチメートルとの違いっていう感じが
僕はすごくしました
それこそあの線路だったら
乗っていたら離れていくじゃないですか
その電車に
しかも自分の意思
まあもちろん乗ってるのは自分の意思だけど
ある種自分の自由性とは
ちょっと関係のない離れ方をするけど
道って歩いていくから
自分の意思で歩かざるを得ないというか
進んでいくのはそれぞれの自分の意思だから
1:12:01
っていうところも含めてすごいこう
あと道だから戻ることもできるっていう
そうそうそうそうそうですね
あとやっぱり舞台がニューヨークなのもあって
橋がよく映るっていうのも
やっぱ人を繋ぐというイメージが乗るなって
すごく思ったんですよ
そこがやっぱりなんかすごく景色を大事にした
2作ではあるけど
意味の乗せ方がちょっとやっぱ違っていて
それゆえに違った味合いがあったり
豊かさが生まれてるなっていうのをすごく感じました
そうですね
あの秒速5センチメートルとの本作の違い
まああのサーリーでも言いましたけど
やっぱり視野の広さをどう設定しているかって
違いはすごく大きいなっていうのはあって
やっぱり秒速5センチメートルは
主人公の高木の視野だけで作られた話
まあ2章は違うんですけど
1章と3章は高木の視点だけで作られてる話
でその視野の狭さが
秒速5センチメートルの魅力なんですよね
そこは
ただパストライブスはやっぱり視野が広いことが
魅力になってるというか
さっきもあったエキストラの人々の存在も
適度に示されてるっていうところに
自分たち以外がいるっていう雰囲気
まあそれは秒速にもちゃんとあるとは思うんですけど
より明確に示されてるかなっていうところとしてあって
あとやっぱり相手である野良の視点があるっていうところですよね
だから一方からの思いだけが凝り固まった話ではなくて
双方からの視点があって
それぞれの思いがあるっていうのを描いてるっていうのが
やっぱり本作の特徴であり良さだとは思うんですよ
本当に
でそれに関してちょっと僕が感じたことであったのが
ラストなんですけど
ヘストンと別れた後
野良が歩いて帰る後で泣くわけですよね
あそこで泣くのちょっと
僕的にあんまりだなって思ったんですよ
はじめはね
僕は基本的に男を甘えかしてほしくないんですよ
なので別れた後相手が泣いてくれたみたいな
そういう甘えを残してほしくないなと思ったんです
もっと突き放してほしいと思ったんですよ
はじめはね
ただこれってよく考えたら
結局女性側の視点を
ないがしろにしてる見方でもあるんですよ
甘えかしてほしいと突き放してほしいは
結局相手に求めてるものが
一方的って意味では一緒だなと思って
結局僕も何らかんだ言って
男性側の目線でしか見てなかったんだなって
そこで気づいたんですよね
あそこで野良が泣くっていうことは
1:15:01
野良の側にも感情があったっていうふうに
描かれるわけじゃないですか
そこで僕は女性は過去を割り切れるもの
男性は引きずるものみたいな
割とステレオタイプ的なものの
延長にある物語を求めてたんだなっていうことに
気づいてそこで
それ良くないなと思って
結局男性視点の物語としてだけ
キャッチしかけてたなって気づいて
だからそこで
野良が泣くことには意味があったんだなって
当然相手にも思いがあるっていうことを
描いてるっていうのが
ちょっと僕カウンターアップだったんですよね
あそこで
男を突き放してほしいは
男を甘えかしてほしいのを
逆バリッジでしかないから
そこには女性がいないんですよね
その見方してる限りは
僕ちゃんと反省しました
それに気づいて
あ!良くない奴や!ってなって
なんか僕はさっき言った通り
野良がヘソン
ある種ヘソンと会ってる間は
ある種気情に振る舞ってもいるので
それこそヘソンが別れ際に
すごいこと言いじゃないですか
来世があったら
君とまた会えるかなみたいな
凄まじいこと言ってくるわけじゃないですか
それに対して分かんないわって言い切るわけですよ
あれ結構野良的に
めちゃくちゃ頑張ってるなと思って
だからこそなんか結構冷たさというか
なんて言うんですかね
でも適切な距離の言い方もないですよっていう
根性の別れですよっていうのは
お互いが分かってるし
なんなら野良はそれを言い放った気がして
エモいんだけどしっかりと
なんだろう
別れはしたというか
さよならは言えたというか
冷たさも温かさもない
フラットなさよならだったなと思って
僕はあれ凄く好きなんですよね
あのバランスが
純粋なさよならですよね
そうそうそうそう
それ上に言う側にはダメージはありますけどね
だからこそ
あそこで泣き崩れるほどなわけですよ
そうですね
ずっと異音の話をしてきてたわけじゃないですか
縁の話を
あのバーでもその縁の話を続けてるけど
あれ結構ねあの話怖いというか
本当にあの回は呪いになる
そう思うんですよ
確かにそうですね
本当ヘソンマジであれ
持って帰るからあの会話を
そうだなー
ヘソンは持って帰るタイプだよなー
持って帰りそうだな
僕やったら持って帰ってるな
本当に大事に持って帰って
ずっと箱の中入れかねないから
1:18:00
いやーあそこで切ったのは偉いなって
異音を切ったのは偉いなって思います本当に
ちょっとあの会話したのよくなかったなって
お前やったのかもしれないと思って
確かにね
その間アーサーほっとかれてましたからね
あのラストでちょっと思い出したのが
ララランドのラストも
さっき一瞬言いましたけど思い出して
ララランドの場合は
山ストーンを演じる主人公が
セブのバーに行って
セブと会ったかもしれない未来を思い描いて
でも今を生きるわって言って
結局去るじゃないですか
ララランドすげー意地悪なのが
あの後エンドロールで
セブの歌をたぶん
子守唄で鼻歌で歌ってんすよ
あれすげー意地悪
意地悪というか
ちょっとなんかすごいびっくりしてて
自分の中でまだ
髪砕けていない感じもあるんですけど
過去なんだけど
彼女の中ではなんだろう
もうだから恋愛とか
その時の恋とか全部乗っからずに
あの歌歌えるんだな
ようなってんだなと思って
しかもそれを子守唄に自分とは違う
その時のセブとは違う夫の息子
娘に対して子守唄歌ってるっていうのを見て
あれもあれで一個の割り切りというか
その根性ではもうセブとの可能性はない
した上での過去にあったセブの歌
でもあれはセブの歌でもないんですよ
ただの自分の中にあった思い浮かんだ
というか過去にあった思い出としての歌を
ただ聞かせてるっていう
もう彼女の中にはセブとの可能性が
ミリもないっていうのが
あそこのエンドロールで示されてる気がして
気にしてたら歌いにくいですね
そうそう割り切ったから
あれやってんだなぁと思って
いやまぁやっぱそうだろうな
ララランドも僕秒速5センチメートル
みたいな話になって思ってたので
今日このパストライブズの話をする上で
ララランドの話が出たのも
本当にその通りだなって思いましたけど
話本当にいろんなとこ飛んだんですけど
良かったなぁとは思って
イニョンですよ
これもイニョン
同じテーブルを囲ってますからね今ね
本当に確かに旗から見たら
なんでこの人たち集まったんやろう
なりますよね
よくだってバーでも聞かれませんか
どういう経緯でこれ集まったんですか
聞かれますし
それは本当に聞かれますね
割と偶然性もあるのかな
僕とマリオンさんはある程度必然というか
映画の話をする活動の中での繋がりだから
ある程度必然的ではあったし
僕はマリオンさんに近しいものを感じて誘ったから
1:21:01
ある程度必然なんですけど
オイさんがここにいるのは
割と偶然性は高いかな
間違いなく
ただ波長があったから聞いてもらえたし
なんだかんだと参加もしてもらえてるんだろう
かなっていうのはあるんですけど
前田さんだけは完全な偶然なんです
前田さんはもう完全な偶然
だし交わる可能性の非常に低い
人生かもしれないですよね
僕らの意図を持った行動の中では
出会わなかった人ですね
絶対に
それはあれですもんね
曲がりっていう場所で映画バーを開いたから
できたイニョンですもんね
そうですね
前田さんが偶然曲がりのお客さんだったから
できたイニョンなんですよね
これこそイニョンですよね
6戦争のね
だから前世で何か繋がりがあったのかもしれない
かもしれないしないかもしれないです
ないかもしれないね
ただあればならない
まあまあこんな感じで続けていけたらなっていうところですかね
無理矢理してましたけど
ではそんな感じで
パストライブ再開の話は終わっとこうかなと思います
で次回はアイアンクローでも決定でいいですね
はい
ではお知らせになります
映画の半したすぎるバー次回は
4月27日土曜日開催予定です
場所は大阪の南森町週刊回り
19時オープン23時クローズです
そして映画の半したすぎるバー
次回東京開催は5月25日土曜日の予定です
場所はイベントバーエデン
日暮里18時オープン23時クローズです
大阪震災橋で毎月第2第4火曜日に
山口が店長をする月2バー
ちょっと映画の話でもも
合わせてお願いいたします
またこの番組ではお対応募集しております
番組全体は次回テーマに向けて
ご自由にお送りくださいませ
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それでは映画の話したすぎラジオ第161回
アストライブス再開の回を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら
さよなら
01:23:54

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