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じゃあ、映画ドットコムより解説読ませていただきます。
1992年製作のカルトホラー、キャンディマンをゲットアウト、明日のジョーダンピール製作、脚本で新たに映画化。
シカゴの公営住宅、カブリーニグリーン地区には、鏡に向かって5回その名を唱えると、右手が鋭利な鍵詰めになった殺人鬼に体を切り裂かれるという都市伝説があった。
老朽化した公営住宅が取り壊されてから10年後、恋人と共に町の高級コンドミニアムに引っ越してきたビジュアルアーティストのアンソニーは、創作活動の一環としてキャンディマンの謎を探っていた。
やがて公営住宅の元住人だという老人と出会ったアンソニーは、都市伝説の裏に隠された悲惨な物語を聞かされる。
主人公アンソニー役は、アクアマンで強敵ブラックマンタを演じて注目されたヤーヤ・アブドゥル・マティーン2世。
アンソニーを支えるブリアンナ役で、ワンダービジョンのテヨナ・パリスが共演。
監督はキャプテン・マーベル続編のザ・マーベルズに抜擢されたニア・ダコスタと。
はい、えーと、ではまず沢里の感想を伺っていこうと思うんですけれども、ハラグさんいかがでしたでしょうか。
この後、二方見てるかあれなんだけど、元々の92のキャンディーマンは見れてなかったんだけど、
あの作品って、その当時アメリカの主要なホラー映画で初めてアフリカ系アメリカ人を主人公とは敵役に回したっていう。
よくね、その当時の差別を気づいたのかよくやったなっていう。
で、今2020年代入って、ブラックフライムス、また運動もある中で、これ作った意義の大きいよなと思いながら。
で、あとニューヨークの下町も土地代が上がってるっていうもんでもちゃんと入ってるなぁと思いながら。
で、見ながらなんかこう、冗談ピール脚本やからさ、単純なホラー映画じゃないし、なんかアート映画見てるような感じもあって、
でもしっかりキャンディーマンやなぁっていうのがやっぱ最後まで面白かったなぁと思っております。
はい。前田さんいかがでした?
私はそのオリジナル版のキャンディーマンも結構小さい時に見てて、最近もたまたま見直してたんですけど、
なんかあの鏡の前で5回名前を唱えたら殺しに来るっていう、都市伝説としてすごい秀逸やな、ついやってしまいたくなるっていう。
子供の時すごい怖くて。でもオリジナル版最近見返した時は、結構内容忘れて見てたんですけど、都市伝説っていうと結構こう、なんていうんですかね、幽霊というか、
どっちかというとそういうデイ的な、なんかぼんやりしたイメージのものが出てくるっていうイメージの方が強いと思うんですけど、
キャンディーマン、なんかすごいブレードみたいな人出てくるやんと思って。それがちょっと見直した時面白くて、
なんか新しいな、なんかめちゃくちゃ強そうな人出てくるし、こんなん絶対やられるやんっていう、なんか都市伝説とそこの組み合わせが面白いなって思って、
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あのオリジナル版を見てたんですけど、今回そのジョーダンピールが制作するって知って、なんかすごいいいとこに目つけたなぁと思いましたね。
なんか最近そのホラー映画ってリメイクブームというか、リメイクとかリブートとか、ほぼなんていうんですかね、すべての作品され尽くしてるんじゃないかっていうぐらいされてるんですけど、
個人的にはその流れが嬉しくもあり、なんかちょっとこう、新しいものを作ってよっていう気持ちもあるんですけど、
この今回のリメイクというか続編というか、この今回のキャンディーマンに関しては、すごいオリジナルに対する視点も増やしてくれるような、いい続編だったなと思います。
マリオンさんいかがでしたか?
僕はとりあえずまず今回の2021年版のを見て、その後にオリジナル版の方を見たって感じなんですけど、
まず今回のキャンディーマンは、いやすっげえよくできてるじゃんっていう、すごいびっくりしたんですけど、
椎茸られた黒人たちの歴史っていうテーマ、社会的なテーマを踏まえつつ、ちゃんと都市伝説っていうところにもちゃんと重きを置いて、
そこがうまいことミックスしながら、なおかつすごくアイコニックなキャンディーマンという存在とホラー描写で持っていくっていう、
もうめちゃくちゃうまいじゃんっていうのにまずめちゃくちゃ驚いて、もうなんか最後のクライマックスとかも本当、いやもうそうだよね、そうしかないよねっていうか、
なぜ今キャンディーマンが蘇るのかっていうところに対する問いっていうのがめちゃくちゃこう、ものすごくうまく描かれてて、もうちょっと痺れましたね正直。
もうなんか、あとちょっと舞台が、アート業界がちょっと関わってるっていうのもあって、ちょっとアートのまつわるホラーみたいなのもなかなかこう、
個人的にちょっと好きな映画があるので、なんかそれとも似てるなっていうのがあって、ちょっとすごく、なんか自分の好きなポイントも指してくるし、めちゃくちゃ映画としてのクオリティも高くてちょっと、
すごくこれ大傑作じゃねってくらい大好きでしたね。でその後にまぁちょっとオリジナル版を見たので、まぁちょっとオリジナル版はちょっとなんだかなぁみたいな、ちょっとネジが緩いなぁみたいな感じにはちょっとなってしまったんですけど、
ただめちゃくちゃリスペクトがある作品になってたんだなっていうのが改めてわかったし、
いやほんとなんか、よくこれをこういう形で新しくキャンディーマンを蘇らせたなっていうところにものすごく驚きというか、すごいとしか言えないなって思いました。
はい、えっと僕はですね、新しいキャンディーマンを見てから92年版のオリジナルの方を見たんですね。
で、オリジナルの方だとまぁやりきれなかったのか、それとも当時としてはそこまでしかやれなかったのかっていうのはまぁちょっとわかんないですけども、見つめきれなかったのかなっていう部分を今回あのめちゃくちゃ掘り下げてたなと思いました。
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で、あの、まあそのジョーダンピールが制作に関わってるっていうことで、僕このジョーダンピール各作としてはゲットアウトとアスを見てるんですけど、過去2作はジョーダンピールが自分を振り返る2作だったのかなって思ってるんですけど、今回は自分が何をやるべきかっていうのを示した映画だったなと思って、僕はあのキャンディーマンはジョーダンピールのポケモンだなって思ったんですよ。
キャンディーマン君に決めたなんです。
キャンディーマン君に決めた。すごい勘違い来たな。
どういうことかはこの後しゃべっていきますけど、パンチライン用意してね。
すごい視点来たな。
じゃあ具体的な話入っていくと思うんですけども、新作のキャンディーマンのネタバレに加えておそらく92年版オリジナルの方のネタバレもすると思うので、もしその両作のネタバレ気にされる方がいらっしゃったら見てから聞いていただけたら嬉しいなと思います。
では入っていこうと思うんですけども、まず多分僕この後ジョーダンピールの話ばっかりするんで、先に監督であるニア・ダコスタの話をしておきたいなと思うんですけど、むっちゃ腕ある人じゃないですか。
いやほんと、やっぱこれどうしてもたぶんジョーダンピールの映画っていうか、ジョーダンピールの視点というかそういうので語られがちだと思うんですけど、いやニア・ダコスタのビジュアルセンスやばくないですか。
むちゃくちゃいい。 めっちゃいいっす。 結構溜めるというか、スラッシャーシーンは割と溜めに溜めて、で結構演出としても、なんか最近のホラーの見せ方って言ったらいいんですかね、うまくわかんないんですけど、
その直後にオリジナル版を見たので、やっぱりオリジナル版って80年代ぐらいのホラー映画の撮り方だなっていうふうに思うんですけど、新作の方のキャンディーマンは2020年代のホラーの撮り方だなって思って、なんかうまく言えないんですけどめっちゃ決まってるんですよね。で、このニア・ダコスタ監督の過去作、僕全然わからないんですけど、なんかいきなりすげーなーって。
いやほんとすごいというか、個人的に好きなのがやっぱキャンディーマンが基本的に鏡の中からなんか仕掛けてくるみたいな感じの描写が多いじゃないですか。あの感じがものすごく不気味というか、なんか本当になんか、え、キャンディーマンはいるの?いないの?幻なの?何?みたいなのがすごく端的にわかるというか。
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オリジナル版はなんか結構ガッツリキャンディーマンドーンって出てくるじゃないですか。まあしょうがないんですけど、なんかそれを完全に鏡の中の怪人みたいな感じで捉えてるのってすごく恐ろしいというか。鏡ってホラー映画でも何回も使われるアイテムですけど、なんか今回の鏡の使い方めちゃくちゃかっこいいというか、すげーなーって思いましたね。
いや、よかったですよ、本当に。
うん。
腕あんの?
なんかあの蜂が鏡の中にいて、コンコンしてくる。あれ、車乗ってたらよくないですか?あの現象。この虫、この虫どっち側にいるの?みたいな。あの感じも結構好きでしたね。蜂の使い方上手かったですね。
あとなんか、鏡の中から襲ってくるって言うとなんか僕、あれ思い出しましたね。仮面ライダーリュウキ。
なるほどね。
あの、鏡の中から怪人が出てきて、鏡の世界に飛び込まれて食べられちゃうみたいなのが描写としてあるじゃないですか。なんかあれっぽいなってちょっと思いました。今思えば。
で、あのちょっと旧版、オリジナル版の方のキャンディマンの話をしときたいなと思うんですけど、いいですか原口さん。ご覧になってて。
原口 どうぞ。はい。どうぞ。
オリジナル版の方のキャンディマンって、スラッシャーの殺人鬼が黒人男性なわけですよね。
で、原口さんがさっきおっしゃられてたのだと、スラッシャーのモンスターとしては初めての黒人男性、アフリカ系の人種の方であるとっていうので、やっぱりそこが割とセンセーショナルな題材だったなと思うんですよね。
で、あの舞台が低所得者層向けの住宅であるとっていうので、で、まあそこ自体がセンセーショナルな部分はあったと思うんですけど、
あんまりそっから先は掘り下げれてなかったなというか、まあそもそもどこまで掘り下げるつもりで作ってたかもよくわかんないっていうのはあるんですけど、
キャンディマンに殺されてるのが全員黒人なんですよね、途中までは。
そのまあ住宅の中に住んでる女性とか子供が殺されてて、それがキャンディマンっていう都市伝説化してるっていう話だったんですよね。
で、その今回の新しいキャンディマンってもう明確に強いてあげられてきた黒人の歴史っていうものが怨念が具現化したものがモンスターというか、まあその殺人者になってるっていう設定だったわけですけど、
そっから逆算してオリジナル版見ると、え、なんで身内を殺してるんでしょうかみたいになっちゃう部分は正直あったんですよね、遡ってみると。
ただやっぱりオリジナル版の方の段階では、そこまでのポリティカルな要素を持たせきってなかったのかなっていうのはあったのと、
あくまで都市伝説の話として因果関係みたいなのを何かその筋道立てたものに、あんまりするつもりがないものに見えたんですよ。
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あくまで不条理な回であると、その鏡の前で名前を誤解呼ぶと殺しに来るっていう、そこにあまり政治的な意図っていうものはなくって、
どちらかというとその都市伝説そのものが生存本能を持って忘れられたら自分がいなくなってしまうから、
なんとしてでもその都市伝説を残らせるために被害者を生み出そうとしてるっていう話だったんですよね。
なので殺人鬼が黒人男性であるっていうこと以外はあまりポリティカルな要素ってないんですよね、元の方のキャンディーマンって。
で、多分マリオンさんがそのあたりはそんなにだなって感じた部分だったんじゃないかなと思うんですよ。
そうですね、やっぱもういきなりやっぱ今回のキャンディーマンを見てポリティカルな面でめちゃくちゃ上手いことやってるのを見た後でやっぱオリジナルを見ると、
なんか片透かしだなというか、キャンディーマンの怨念が黒人に向かってるのはどうなんだっていうのもだし、
そもそもこの話の主軸に白人女性がいるのって、なんかちょっと焦点ぼけてるなって感じがして、
結局なんか虐げられた黒人の怨念と男に裏切られた女の怨念がごちゃ混ぜになったままっていう風な印象を受けてしまったんですよね、正直。
それはあったなぁと思ったんですけど、結構そのオリジナルキャンディーマン好きで、なんか普通に都市伝説の話として面白いなぁとは思ったんですよね。
まあなんて言ったらいいのかな、都市伝説って過去の悲劇が何らかの形で埋め込まれてて、それが現在に残ってると。
で、被害者になった人を害した人っていうものはもうこの世に存在してないのに恨みだけは存在してて、犠牲者を探してるって結構都市伝説としてリアルかなと思ったんですよね。
もはや意味なんて求めなくて、ただ血を流させたいっていう怨念だけが蠢いてるっていう、まああの都市伝説ものとしては結構オーソドックスかなと思うし、
なんか面白いなとは思ったんですよね。で、ただその新しいキャンディーマンから逆算して政治性を見出すと、ちぐはぐなんですよ本当に。
めっちゃちぐはぐなんですよね。 ただ、この新しいキャンディーマンを生み出すホップステップジャンプの前段階として、こういう作品があったからこそ今回ここまでいけたっていうのがあったのかなと思って、
いろんな意味で旧キャンディーマンは好きでした。
旧キャンディーマンはちょっと擁護するわけじゃないんですけど、そもそもホラー映画にそんな政治性求めていくんだっていうのは私の中であるんですけど、
これは完全にジョー・ダンピールが題材として本当に拾っただけだと思うんですよね。だからキャンディーマンは黒人で、だけど黒人を殺すっていうのも、なんていうんですかね、
黒人の街で生まれた都市伝説だから黒人なだけであって、
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椿女が日本人なのと同じなんですよね。っていう理解というか、その人たちが考えているものだからっていうだけの話だったものにこういう味付けをしたっていう、だからジョー・ダンピールがめっちゃすごいのであって、
元のキャンディーマンは緩いホラー映画。緩いホラー映画なんで。緩くていかつい人が出てくるホラー映画。
っていう、わかんないですけど、当時どういう考えでそれを作られたのかまだちょっとわかってないんですけど、順番先にオリジナルを見てると、本当にジョー・ダンピールはすごい上手いこと話をつけたなっていうのが感想ですかね、私の。
なんか自分のものにしちゃってますよね。そう、しちゃってる。それはちょっと上手に横からぶんどりすぎだろうみたいな部分はちょっと思うとこあるんですけど。
なるほど。で、新しいキャンディーマンなわけですけど、もう見事ですよね。見事。
元々、オリジナルのキャンディーマンって具体的な一人の人間なんですよね、出自が。今回はこれまで強いてあげられてきたあらゆる黒人の記憶というか、怨念が凝り固まって現れた、集合意識みたいなものから出てきた都市伝説っていう感じにはなってましたよね。
元のキャンディーマンだと、蜂っていうモチーフは単に養蜂場の蜂で拷問を受けたからってだけだったわけで、その要は死んだ時に使われたものが死後のイメージとして定着しちゃってるだけみたいな感じだったと思うんですよね。
で、ただ今回は要はキャンディーマンは蜂の巣であるという意味付けがされてたと。だからそういう集合意識を入れるための箱っていう扱いでしたよね。
で、その箱の中に入ってくる蜂っていうものは具体的に生きてて弾圧を受けたりであるとか虐殺を受けたりであるとかってした黒人たちの怨念であるとか記憶がキャンディーマンっていう箱の中に入って形を成しているという扱いだったと。
という意味付け。なんか上手に風呂敷を畳みますなーっていう。
そうですよね。で、またキャンディーマンを蜂の巣箱というか、いわゆる住処ってことですよね。場所とかそういうイメージがつくと思うんですけど、で今回も諸にジェントリフィケーションがテーマとして入ってくるじゃないですか。
その辺の意味付けもまた上手いですよね。本当に。場所がどんなにかつての古い屋敷が取り除かれても、そこにあった怨念はずっとそこにあるし、拭いされないっていうのとかの意味付けもやっぱそこはちょっとあるんだろうなって思いましたよね。
あと、オリジナルキャンディーマンってキャンディーの意味あんななかったんですよね。
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なかった気がする。
だから都市伝説っぽく怖さを表現するのに、子供向けのものが怖いって嫌だよねっていうために、表面上はキャンディーが使われてるだけで、そのイットとかでペニー・ワイズがピエロの格好してるのと同じ扱いじゃないですか。
そのためだけのキャンディーだったんですけど、今回は、かつて犠牲になった一人が子供にキャンディーを配って歩く人だったと。だからそいつの生前のモチーフとしてキャンディーを配る人っていう、というか、都市伝説としてキャンディーの部分が残ったってことですよね。
で、元のオリジナルのキャンディーマンだと、低所得者向け住宅に住んでる黒人の住人たちが被害者だったわけですけど、今回はもう明確に白人、殺す相手は白人っていうなってて、そこが明確だったなっていうのがあって、途中でティーンエイジャーがトイレでキャンディーマンに襲われるシーンがあったんですけど、あそこで一人アジア系の女の子混ざってたんですよね。
で、これどうすんの?って思ったんですよ。そこで、要は黒人たちの怨念で白人を殺す殺人鬼としてのキャンディーマンを取り入れるんだったら、アジア系の人殺したら息づけずれるんじゃないかっていうのがあったんですけど、先に帰らせるっていう。
おじけつくっていうね。
あー、確かに確かにそうなんですね。
もう、あそこでジョーダンピールの悪意というか、もう何だろうな、敵みたいなのが明確になったと思うんですよね。アジア系は今回は違うんですよって。俺が殺したいのは白人なんですよねっていうのが明確になったなと思って。
あそこでわざわざアジア系の女の子を同じシーンに入れて、かつ場面から外させるっていうのは明確にターゲットは白人なんですっていう宣言なわけですよね、あそこって。
そうですね。アジア人に対するヘイトも、今、黒人以上にひどいところはあったりもしますからね。そういうのもあるとやっぱり外すよな、そこはっていう。
いや、そうなると私たちもキャンディーマン作らないといけないんじゃないですかね。
まあ、それがまあ何でしょうね。サダコなのか口先女なのか。また別か。
もし我々が非差別的な立場にいたとして、何かに怨念を預けたいってなって、例えばテケテケとか口先女とかに怨念を預けたいってなったら、多分日本版キャンディーマンみたいな口先女がめっちゃ政治的になってみたいな映画を撮ったかもしれないですね。
いや、でもなんか全然そのアプローチで描けることは全然できそうですけどね、日本でも全然。
そうですね、まあ口先女も例えばルッキーズも絡めた話にもできるわけですからね。
全然できると。
誰かこれを聞いてる映画企画される方。
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っていうかまああるんじゃないですか、その口先女物の中でも。
多分あるような気は。
本人の悲しみに焦点当てた作品って絶対ありそうですよね。
まあそうですね、それほどそのルッキーズムっていう言葉が浸透してるかしてないかっていうだけで、その意味付けっていうのはあったかもしれないですね。
意外とそうって、ゆき女系でありそうな気がするね、基本。
ゆき女系。
ゆき女ホラーでなんかそういうのがあったような気がしないでもない。
なるほど。
あとなんかやっぱ日本のそういうホラーアイコンってだいたい女性じゃないですか。
なんかそういうのからするとまあなんかミソジニーとか絡めた話とかでは全然できそうな話しますけどね、とは思いますけど。
ちなみに女性云々で、いわゆる鏡の前で名前を呼ぶと現れるっていうのが、なんかブラッティ・メアリーっていう女性の幽霊の話が結構アメリカではポピュラーらしいんだけど。
その辺分かるまいださん?ブラッティ・メアリーとか。
めっちゃ詳しいわけじゃないですけど、はい、確かに。
その辺がちょっとあのパンフのジョーダンピールのインタビュー部にちょっと出てきたりします。
で、今回アート業界が舞台になってたわけですけど、
そのまあ主人公のアンソニーが展示会みたいなとこで、自分の作品キャンディーマンにインスピレーションを受けた展示物を展示しているところに、
白人の評論家がやってきて結構いやみったらしいことを言うわけですよね。
そういう政治的な批評とか、まあありきたりだよね、みたいなことを言うわけじゃないですか。
あれすごい視察的というか、明確にジョーダンピールが言ったことを言ってるシーンだなとは思ったんですけど、
やられてる本人たちからしたら、そのテーマありきたりだよねとか、もう言語同談なわけじゃないですか。
何を言っとるんだと。
今、現在とここに存在している差別とかっていう問題をありきたりなテーマだよね、みたいなことを言うのはなんだ、みたいな思いもあるでしょうし、
アート作品に限らずですけど、ゴラック作品とかあらゆる創作物に政治性を持ち込むことがどうか、みたいなことも言われるわけですよね。
でもそれに対してのメッセージというか、最近だったらポリコレっていう言葉でやゆされがちですよね、その創作物に政治的なメッセージを持ち込むのって。
でもやっぱりジョーダン・ピールは元々ホラー好きな人だったわけで、きっとキャンディーマンとかも好きだったんですけど、
元のキャンディーマンもっとやれるやろって思いめちゃくちゃあったと思うんですよ。
なんかもっとこのテーマやれるやろって思いがあって、ただそれをやったら、
いちいち政治性入れてきて、ゴラクに政治性とかいらないんですよ、とか言ってくる人がいるわけじゃないですか。
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それも言いたいことはわかるんですけど、ただゴラクに入れないと耳傾けてくれないじゃないですか、みたいな思いがあると思うんですよね。
例えばその街でデムしてたりとか、シュプレヒコール上げてたって、なんかやっとるわみたいな感じで見過ごすわけじゃないですか、みんな。
当事者じゃない人たちは。
あるいはメッセージ性を込めた作品を作ったって、作中で言われてたようにありきたりだよねとか言われたりとか、
お説教臭い作品みたいなことも評価されたりするわけですよね。
じゃあゴラク作品にそれを入れたら、番人が見てくれるから番人に届けられるよねってなっても、ポリコレとか言って排除しようとしてくるわけですよ。
どうやったって強いてあげられてた側の声は何らかの形で握りつぶされるんですよね。
それに対する当てつけやなと思ってあそこのシーン。
作中でも描かれてましたけど、やられてる側からしたらあんな不条理なことないわけですよ、本当に。
適当な理由つけられてリンチで殺されたりしてるわけですよね。
それに対してメッセージがありきたりだよねとか、ゴラクにポリコレはいらないとかって言われても、
こっちは命陰でやっとんねんとっていう思いはあると思うし、
もっと言うなら、完全に政治性を排除した創作物なんてありえないと思ってるので、
やっぱそこにただ嫌味だけを言うのでは全然意味ないなと思うんですよね。
ゴラクに政治性を入れることがあかんとは思わないですけど、創作物とかゴラク、特にそういうゴラクのものって、
要するに面白かったらいいっていう話なんで、
それは、はい、もちろん。
メッセージ入れててクソ思んないものは思んないっていうだけで、
ジョー・ダンピールは今回それを面白くしたからこそ評価ができるわけで、
もしこれ、全然この作品面白くなかったら、
このメッセージ性が本当に真逆の鬱陶しいものにしかならなかったと思うんですよね。
もちろん、もちろん、そうですね。
だからね、アンソニーの鏡の作品がどうこうとか思わないですけど、
アンソニー自身アーティストとして低迷してたじゃないですか、明らかに。
そこで彼もあの鏡の作品出した段階ではまだそこまでちょっと題材見つけた。
しかもめちゃめちゃ直接的に表現するやんって私も思ったんですけど。
アンソニーが聞い狂って過去のキャンディーマンになった人たちの顔を描きまくった、
あの作品こそ売れるものであって、あれこそ世に出すべきものやろっていうのはあったんですけど、
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だからそこの感じも実際の現実の部分とさっきの話、すごいリンクするなというか、
面白いもの作らないと耳を傾けてもらえないんだよっていうことは、
アンソニー自身も多分痛感してた部分なのかなっていうのは思いますね。
あと個人的に…
ごめんなさい、後でいいです。
私の話めちゃここからしょうもないこと言うけど、
個人的にあの女性の評論家がマンソンで死ぬシーンあるじゃないですか、
あそこをめっちゃ活かしてましたよね。
いいですよね、あそこ。
あんなオシャレな、あんなスタイリッシュな見せ方あると思って。
あれ良かった。
怖って思ったし、かっこいいって思った。
ごめんなさい、ちょっと僕結構さっきの流れ過激な言い方になっちゃったなって、
ちょっと今反省はしてるんですけどね。
私たちから過激さを取ってしまったら何が残るか。
そんなラジカルな番組じゃないっすよ、この番組。
そんななんか色々あそこ敵作っていくスタイルみたいな。
やっぱり面白くないといけないっていうのが娯楽の大前提と、
ただ面白さにメッセージを含ませることはやっていいっていうのが僕のサンスだし、
そういう人がいてもいいと。
単に人が死んで楽しいよねっていうホラーももちろんあっていいし、
結構僕も好きですけど、
少なくともジョーダン・ピールは俺はそうじゃないっていうのを自分で明言してるし、
そういう人としてみんなからも受け入れられてるし、
そういう作品を作る人がいていいし、
そういう作品があってもいいっていうぐらいの感じですね、僕が言いたいことは。
だいぶちょっとバチバチな言い方になっちゃいましたけど。
バチバチ。
アンソニー自身がジョーダン・ピールなわけですよね、あれって。
作り手、表現者っていう。
表現者で、ジョーダン・ピール自体比較的裕福な家庭に生まれて、
素朴って言ったらあれですけど、普通にホラー好きで楽しくホラー見てて、
でもなんか俺黒人ってことで特別で見られてるよねみたいな体験がゲットアウトを生んだりとか、
俺運良く恵まれた家に生まれたけど、
俺と同じ立場で貧しい家に生まれてたらどうなったのだろうみたいな想像力が圧になったりしてたわけだと思うんですよね。
それがだんだんジョーダン・ピール自身が当事者になっていく過程みたいなものがこれまでだったのかなと思って、
今回キャンディーマンで、今までは自分の感覚的な部分、過去の体験の感覚の部分を掘り下げて作ったホラー映画に
政治的な要素を持たせてたって感じだったかなとは思ってて、
僕特にゲットアウトめちゃくちゃ好きで、最終的にめっちゃただのジャンル映画な感じになるのがすごい好きなんですよね。
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途中までヒリヒリしてたのになんかすごい大雑把な感じのクライマックスに進むなみたいな感じがすごい好きで、
ちょっと逆にアスは少し分かりにくくなったなっていう感じがあったんですよね、僕としては。
ただ今回そのあたり含めて消化させ切ったなとは思って、
これまでジョーダン・ピールが感じてきてた比較的恵まれた黒人であるっていうアイデンティティから、
自分が当事者になって強くメッセージを込めて戦うっていう宣言をしたのがキャンディーマンだったなと思って、
だから最終的に殺人鬼を肯定して終わるっていう、肯定してというか受け入れて終わるってことですよね、あれ。
そうですね。
だから怒りを代弁すると、自分の体験から生まれた違和感とかを娯楽作として仕上げてるとかじゃなくて、
自分の内側にある怒り、あるいは黒人のコミュニティであるとか黒人の歴史が背負ってきた怒りを、
俺が代弁して奴らを殺してやるっていう意味を込めた映画になってたなと思って、
その殺してやるっていうのは映画内では具体的に被害者の命を奪うことでしたけど、
この映画の意味合いとしてはメッセージを明確に込めて世の中に突き出してやるっていうことだなと思ったんですよね。
そうですね。だってもう完全にあの終わり方はキャンディーマンが復活したっていう祝福で終わったと思う。
僕はやっぱり捉えたので。
なぜやっぱりキャンディーマンが復活するこの世界っていうのがまずおかしいんだっていうことですよね、本当に。
それを忘れてしまってはいけないし、そのキャンディーマンにすがらないと生きていけない人がまだこの世界にはたくさんいるんだっていう。
そこはまだ悲しくもあり、ただそのある種の、そこはちょっと何というか都市伝説というか物語論にもちょっと通じるような部分ですよね。
そういうところも含めてすごく僕は好きだなと思いました。
なんかこうホラー映画でリメイクとか作るときにすごくありがちなのが殺人鬼に悲しい過去を背負わせるっていうのはすごいあるあるなんでしょう。
オリジナルでは殺人の動機というか、それがわからないから怖い部分もあるのに、リメイクしたときにその理由絶対つけたがっちゃうっていうのが結構個人的にはすごい嫌なんですけど、
今回のキャンディーマンは、キャンディーマンは元々都市伝説だったものを、あれは俺たちなんだっていうところに持ってきたことで、
なんかあんまりそういうかわいそうな過去とかっていうものじゃない昇華のさせ方だったなと思って、それがすごいうまいなと思いました。
だから今回のキャンディーマン見てからオリジナルに遡るとめちゃくちゃスケールダウンして見えちゃったんですよね。
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かからのぼらないで。
見る順番が間違ってるぞっていう。
そういう意味では、オリジナルの方はキャンディーマン2続編があるじゃないですか。
今回も次ありそうな感じだよなぁと思いながら。
オリジナルの続編はどれなのかって聞いても、ここでそれはどうなるの?キャンディーマン2を。
ジョーダン・ピールのあれだけ主盤があったら、たぶんもう次のテーマ、次の一つのことに執着しなそうな気がしますけどね。
なんか監督とか制作代わって作る可能性はあるかもしれないですけど、なんかあれは綺麗な終わり方だったから。
なんかジョーダン・ピール自身がもうええかってなってそうですよね。
キャンディーマンはまだ生き続けてしまうんだぞっていう、キャンディーマン最短のところでジョーダン・ピールのメッセージは終わってるなと思うんですよね。
具体的にいっぱい人が死んでいくことを撮りたいわけじゃなくて、キャンディーマンは消えてくれないんだ。
なぜなら世の中が腐ってるからだっていうことが言いたいから、実際に人を殺してるシーンは次の映画で撮りたいなって思ってたなって僕はちょっと思ったりはしました。
本当そうですよね。
なんか座作をどんどん名作に昇華していくみたいな。
すごいですねそれ。
活動をされているのかもしれないですね。
世の中にたくさん落ちている普通のB級ホラー映画をジョーダン・ピールが拾っては、名作ポリティカルホラーに作り直していくっていう。
ジョーダン・ピールが通った後には、そのB級ホラーはペンペングさんも残らないっていう。
全部ポリティカルな名作になってるんですけどって。
いやもう、それ全然ありですけどね。
可能性ありますね。
全然ありっていうね。
俺たちの居心地の良かったB級ホラーはもうこの世には残ってないんだって。
名作ポリティカルになってるんだって。
ある意味ホラーですわ、それが一番。
ホラーですよ。
すごいですよ。ジェントリフィケーションですよ。
これぞか。
俺たち安いところに気ままに住んでたのに、ジョーダン・ピールが一気に家賃を上げてきたんですけど。
俺たちもここ住めねーなーって。
いやー、やばいな。
でもそれを受けて、多分そのカウンターみたいな人がどんどん出てきてくれると思いますよ。
そうですね。
そういうどっちに触れたりの歴史だと思うので、その辺は映画はホラー。
あとそうだ、僕ちょっと批評家の人が死んじゃうみたいな話ちょっと思ったのが、
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やっぱ批評家って基本的に映画内で出てきたらろくな目に合わないというか、
だいたい殺されるかボロクソに文句言われてるかみたいな感じしません?
まあみんな嫌いでしょうからね。
そういうちょっと、まあ結構僕は単純にその辺のちょっと悪意みたいなのか、
単純な悪意としてちょっとそこは受け取ってて、そこはなんかちょっとクソッとするというか。
ちょっとちらっと、アートが舞台のホラー映画で好きなやつがあるってちょっと言ったと思うんですけど、
ネットフリックスで配信されてるベルベットバス像っていうホラー映画があって、
それがもろにアート業界の話で、でまあだいたいアート業界に出てくるその画賞とかキュレーターとか、
あとそういうこと批評家とかがどいつもこいつもうさんくさい。
でまあそういったやつらが変なアートに取り込まれて死ぬっていう。
もう完全に悪意しかないなっていう。
しかもだいたい死に方も変なのでちょっと変な映画で大好きなやつがあるんですけど、
完全になんか監督がナイトクローラーのダンギルロイなんですけど。
面白そう。
でナイトクローラーの次に作った映画がそんなに評価伸びなかったんですよ。
面白い映画だったと思ったんですけど、どう考えたらそれの当て付けにしか思えないっていう感じだったんで。
なんか今回のキャンディーマンで死ぬ白人ってまず批評家とか、
あと場所化してた人ですよね。
あれも完全にアート業界の誰かみたいな感じで。
ちょっとそういう悪意みたいなのがあるのかなとかちょっと思ったっていう。
そうですね。ただ冗談ピールの作品って批評家がいないとちゃんと伝わらない気がするんですけどね。
まあそうですね。だし冗談ピール自体は批評家にめっちゃ愛されてる人だと思うので。
批評家好みのタイプですよね。
そうそうそうそう。
まあこれは勝手に僕が連想したことっていう感じです本当に。
確かに確かに。
今回キャンディーマンの上映情報とか調べるのに映画.comとか見たらその下の方に口コミが載ってるんですよね。
で見てたら意味わからなかったとかどういうことみたいなのもやっぱりあって、
そこはねやっぱりそこまでスマートなスラッシャーホラーにはなってなかったなと思ってやっぱり最後の方複雑だったなと思うんですよ。
どういう意味かわかんないって人が出てきてもおかしくなかったと思うし、
やっぱりその都市伝説に人が殺されるって何も考えずに怖い思いしたいっていうお客さんが見に来るタイプの映画だし、
そういうことが期待されてたとは思うんですよね。
でそういう人たちってやっぱりそういう感想になっちゃうと思うんですよ。
だからまあそこではやっぱりその批評はいるとは思って、
まあもちろんそういう部分拾うジョーダンピール自身のファンの客層っていうのはもちろんいますけど、
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その映画自体の評価をどう位置づけて後世に残すかっていう意味ではやっぱり批評家って立場はいるとは思うから、
やっぱり本作で言うと適当な批評家は死ねと。
ちゃんと拾えよと。
メッセージを入れたらちゃんと拾えということですよね。
こっちは本気でやっとんねんっていう。
確かに私見に行った時にこれってPG12とかでしたっけ?
どうだったかな。
なんかもう本当に見た感じ小学生、中学生ぐらいなのかもしれないですけど、
もうなんかちっちゃい男の子5人ぐらいで見に来てて、
で映画終わってポップコーンとか片付けながら、
全然意味わからんかったって言ってて、
めっちゃ可愛いって思いました。
いいですね、いいですね。
ホラーの一番の客層ですもんね。
いやそうなんですよ、そうなんですよ。
でもなんか昔国語の先生が、
ちょっと何の話したねんって感じなんですけど、
今読んで意味わからん作品でも、
大人になってもう一回読んだ時に絶対違う景色が見えるから、
今できるだけ多くの作品を読んどけって言ってて、
同じことをその年男の子たちに思いました。
今わからなくてもいいからっていう。
そう。
ちょっとだけ僕よくわからなかったのが、
クリーニング屋の店主の人って、
何やりたかったのか僕いまいち飲み込めてないんですよね。
だからキャンディーマンを復活させるために、
主人公を生贄にしようとしてたわけですよね。
で、あのクリーニング屋の店主の過去って、
キャンディーマンのうちの中にいるキャンディーを配ってた男の人、
で、白人警官の暴行で死んじゃった人に会ったっていう過去があるわけですけど、
その後、姉か誰かがキャンディーマンに殺されてた記憶を見てたと思うんですけど、
あそこのシーン飲み込めてなくて、
今回のキャンディーマンっていうのは、
白人しか殺さない人だったと思うんですけど、
あのシーンがあんまり飲み込めてないっていうのと、
今回のキャンディーマンって、
生贄を捧げなくても生まれてきてしまうものなんじゃないかなとはちょっと思って、
その要は、黒人社会の中から生贄に捧げる存在を見つけなくても、
まだ世の中は抑圧とか弾圧の犠牲になってる黒人が出てきてるわけだから、
それ主体的に生み出さなくてもいるじゃんって話になるのかなって思ったんですよね。
だからあいつが何をやろうとしてたかが、僕あんまり飲み込めなかったんですよ。
むしろその主体的にキャンディーマンを生み出そうとしなくても、
残念ながらキャンディーマンのうちの一人となってしまう犠牲者は、
42:04
社会が生み出してしまうんだみたいな話の方が飲み込みやすかったかなと思ったんですよね。
あいつのやりたいことをどう受け取ってたのかなと思ってみなさん。
お姉さんのシーンは確かにちょっと私も、
あそこだけあれ入っちゃうとちょっと、
他のとこでの一貫性がちょっと崩れちゃうなとは思いつつ見てて。
クリーニングさんの人がしたかったことに関しては、
これバックリした議会なんですけど、
悪魔とかも、よくわかんないですけど、人間いっぱいいるけど、
なんか一人、強力なその一人の恨みとか悪意とか、
なんかそういうものを欲するから、
まんべんなくあるんだけど、
生きてる人間でどうしてもむちゃくちゃ強い、
なんかこの負のパワーを命と引き換えにするぐらいのものが、
必要だったのかなと思ってました。
それはわかるんですよね。わかるけど、
だからあの人ってものすごいキャンディーマンっていうものに
共心をしてたって感じだったと思うんですよね。
あのクリーニング屋の人って。
だからもう次のキャンディーマンを生み出してやるんだと。
キャンディーマンを継ぐものを生み出してやるんだっていう思いに駆られてた人。
で、そういう人を現実の何かに当てはめるとしたら、
次の世代に憎悪を伝承させようとする人って感じかなと思うんですよね。
だから何て言ったらいいのかな。
テロリストを育成しようとするというか、
憎悪を煽って既存の権威に対する反抗心、
攻撃的な反抗心を育てようとする人みたいなかなと思うんですけど、
そういう人が存在しちゃうと微妙にブレる気がするんですよ。
だからあの人が悪いから主人公はキャンディーマンになっちゃいましたってなったら、
いやいや、そういう狂った人がいるからキャンディーマンが生まれるんじゃなくて、
そもそも社会が、世の中が狂ってるからキャンディーマンは生まれてしまうんだっていう話になってなると、
微妙に冗談ピールの言いたいことからずれてないかなって思ったんですよ。
で、多分それを回避するために彼女があそこにいたんじゃないですかね。
生き生人がいるわけじゃないですかねって思ったんですよね。
確かにキャンディーマンが原因で死んだ事件はテレビで放映されてましたけど、
それがキャンディーマンであるというのは誰もまだ分かってないわけですよ。
だからこそやっぱりあそこの場で彼女が呼ばれ、
彼女がそれこそ白人の暴力みたいなのをまさに目撃し、
それをあだなすキャンディーマンという存在を垣間見、それを伝えようというふうにしたかったんじゃないかなって思うんですよね。
クリーニング屋の彼自身が生み出し、それを伝承するという側になりたかったのかもしれないけれども、
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それは多分あくまで生み出すだけじゃなくて、
それを伝え歩く誰かがいないと広まらないのでっていうところなんじゃないかなって思いましたけどね。
あと多分クリーニング屋さんの人の目論みってたまたま結果的にうまくいっただけで、
多分ずれてたとは思うんですよ。
で、アンソニーがオリジナル版の時の赤ちゃんやったっていうくだやったじゃないですか。
びっくりですよね。
そう、しかもお母さん役の人が若すぎて、お母さんに見えへんぞってめっちゃ思ったんですけど。
そうなんですよ。さかのぼってみたら、歳とってないなーってなる。
30年ぐらい経ってるのに、全然歳とってないんですよ、あの人。
いやー、だから私オールドで言ってた、黒人は歳とらへんってほんまやったんやって思いました。
そうそう、それは思いました、それは思いました。本当に思いました。
わからんわな、見た目。
だから、そこの地区、あのキャンディマン都市伝説ってそこで生まれたものなんで、あの場所で。
そこ出身の人が絡まなあかんかったっていうのはあるんちゃいますかね。
うん、カブリーニグリーン地区。
まあ、細部になると相変わらずふわふわしてきますね、私たち。
あのー、冷静に考えて、蜂の毒でそんだけ腕って餌すんのって正直思ったけど。
あれは呪い。
ちょっと理解感が出てきちゃう。
あ、でもそういえば、蜂で思い出しましたけど、オリジナル版の蜂描写めちゃくちゃ気持ち悪くて最高やったなって思ったんですよ。
口の中から蜂がドバーってどうやって撮ってんだろうって思って。
確かに。
あれは今回のキャンディマンよりもオリジナルめっちゃすげーやって思いましたけど。
怖って思ったし。
オリジナルはやっぱりね、白人の女性がそういう低所得者層住宅のところに行くこと自体の怖さがすごいあったんですよね。
そうですね。
しかもめちゃくちゃ不潔なんですよ、あの建物の中。
わかります。
普通にどっか触っただけで破晶風とかになりそうやなって思うぐらいだし、トイレとかも汚いと思って。
あの汚いね、トイレ。もうトレインスポッティング以来の汚さやな。
やばかったですよね。しかもあの後あそこで倒れて気絶しますからね。絶対破晶風になるやろって思いました。
アメリカ主要都市の下町やとそんなもんかなってダウンタウンは。
シカゴってそんなところもあるんだって思いました。
48:01
なんかあのオリジナルの女性が主人公やってっていうのってなんかちょっとこう羊たちの沈黙っぽい感じにしたかったんかなとはちょっと思いますけど。
そうかタイミング的にはそうです。
なんかちょっと雰囲気が似てるというか。
確かに。
オリジナル方って都市伝説ものなのにティーンエイジャーが死ぬ描写がないんですよ。
オリジナル方はその都市伝説で死ぬならやっぱティーンエイジャーでしょって感じでティーンエイジャーが死ぬから僕あそこオリジナルのオマージュだと思ってたんです。
そしたらオリジナルがティーンエイジャーが死ぬシーンがなくてびっくりして都市伝説ものなのに若者死なないのって。
オリジナルはあれなんですよね大学の研究なんですよね大学院の研究で調査していくっていうので都市伝説というよりはその民族学的な雰囲気の掘り下げ方になってるんですよね。
都市伝説とは何ぞやみたいな感じになってて都市伝説に由来する殺人鬼っていうものから連想するちょっとカジュアルなホラーみたいなものとはちょっと毛色が違ったなぁと思って。
そこの違和感も楽しかったところではあったんですけどね。
その意味では今回も都市伝説を掘り下げて創作意欲にするだから想像されるものとは少しずれた方向性ではありましたね。
あ、キャンディーマン君に決めたのパンチライン絡めるの忘れてた。
入れ替えますか今から。
冗談ピールがキャンディーマンっていうものを使って世の中に戦いを挑むっていうことが言いたかったんですよっていう宣言の映画だったなと思って。
キャンディーマンを自分のもののように扱ってってことですよね。
キャンディーマンの私物化です。
ぶつかって。
いやほんまオリジナルのキャンディーマンもそれなりにちょっとクラシックな感じの90年代のホラーみたいな位置づけだったのに今回のキャンディーマンのせいでもうボロカスですからね。
え、ひどい。ひどくない?
なんかお二人のように逆で見る人がいるから。
いやーちょっともう見方が間違ってるぞと。
でもちゃんとオリジナル版のヒロインの音声の録音テープを聞くとか、それこそオリジナル版の登場シーンもそのまま出てくるとか。
あとオープニング反転してますもんね。
オリジナル版は空から高速道路を撮ってましたけど、今回のオープニングって下から雲に向かってビルが伸びてるみたいな風に撮ってるので、完全に石合わせっていう風な流れになってるし。
51:02
すごいリスペクトがあるんだなって思って、そこも見ててなるほどなぁと思いながら見てました。
監督のニア・ダコスさんも元のキャンディーマンがすごい思い入れがあって、ジョーダン・ピールがキャンディーマン作ろうって言ってるので、直談判したか何かの記事は読みましたね。
鏡がやっぱ重要なテーマだから、あのロゴも鏡になってたじゃないですか。
あれとかも、ああいう気の利いたところとかも好きだし。
あと謎にあのキャンディーマンの歌流れますけど、なんかめっちゃテンション高くてあの曲めっちゃ楽しかったなっていう。
あとやっぱ何より前作の振り返りを、なんて言うんですかあれ、影?
影で、はい。
あれがオシャレすぎて。
そうですね、影オシャレっすよね。
古い映像を差し込むとか、そんなアホなことせんねんなって。
それもやっぱり物語るということだからですよね。
過去の記録じゃなくて、誰かが語り直すから別の表現方法になってるってことですよね。
でも影だからすごい抽象性が上がってて、なんか怖い感じも出てるし、影っていうことはあれは子供に伝えるっていうことでもありますよね、あれは。
もうあのエンドロールの影悲しすぎて、僕ちょっとめっちゃ辛かったんですよね、あれ。
でもなんかその様々な何らかの形で殺された黒人たちのエピソードが影で表されるんですけど、
特に僕自転車に乗ってる子供の、多分あれどうせあの自転車盗んだんだっていう感じでイチャモンつけられて最終的に電気椅子で死刑になってるんですよね。
もう悲しすぎては、いやそれはもうキャンディーマンって、早く来てキャンディーマンってなりましたよね。
なりましたよ。
こういうの求めてはいけないんだろうけど、求めてしまわないと生きていけないよっていう、この世界の問題っていうのはもうめっちゃ出てましたからね。
あれ実際の事件だったんですかね、なんか私あのキャンディーマン、歴代キャンディーマンの過去かと思い浴びてしまってました。
そういうことでしょうし、多分現実にあったものから引っ張ってきてるんじゃないですかね。
ちょいちょいなんかセリフで、なんか聞いたことないワード出てくるなっていうのは、パンフレット見た感じ、実際にあった事件の名称みたいなのが出てるんだなって。
字幕上はね、そんな感じではなかったですけど。
そう、なんかガールXとかD・デイビスとかっていう字幕が出てて、多分そういう事件が何かしらあったんだろうなっていうのとかはちゃんと示されてたので、実月ですよこの話っていうのはちゃんと出てますね。
いやーあのめちゃくちゃ良かったですよ本当に。めちゃくちゃ良かった。そんな感じですかね。
54:04
はい。
キャンディーマンおすすめです。
本当に良いです本当に。
はい。
でも私その後ね、ちょっとすいません、その後美容院行ったんですよ。
でね、今日、朝キャンディーマン見て美容院挟んで夜暗い森だったんですけど、美容院で、今日なんかどっか行ってきたんですかって言われて、
あ、映画見てきましたって言ったら、え、何見たんですかって話になるじゃないですか。
で、あ、キャンディーマンって映画見て、え、それどんな話なんですかってなるじゃないですか。
で、いやそのキャンディーマンって5回唱えたらどうのこうのって言ってる前にめっちゃでかい鏡あるわけですよ私の。
ね。
やばい。次で5回目になってしまうどうしようとか思いながら。
もう一番それの話が面白いんだけど。
大の展開だってくれた。
何最後にめちゃくちゃ面白い話ぶっ込んでくるんですか今。めっちゃ面白い話。
良い話だな。
一人で震えてました。
キャンディーマンの話をする時に鏡の前に言ってめっちゃ面白いわ。
そう、しかもめちゃめちゃでかい鏡言ってる。
ちなみに今我々リモートで収録してて。
そう、我々そのまま出てる。
画面に自分。
やめてくださいよ。
これもカウントされる。
一瞬の鏡やな思いながら見てたら思ってた。
何回言ったかなもう今日。
多分50回ぐらい言ってるんですよね。
言ってますよね。
大丈夫。アジア人は大丈夫。
分かった。
危ない。
危ないな。
あれ?原口さんのとこ、蜂飛んでません?
まだそんないる?
恐いな。
あれ?
俺を犠牲者にしたいのか。
来週はGIジョーですね。
イェーイ!
めちゃくちゃ楽しみ。
めっちゃテロだぜ。
なんかね、多分吹き替えしかないっぽいんだわ。
まあいいと思いますよ、吹き替えで。
あのね、死者も吹き替えだけやって。
ちょっとイケらんかったんやけども。
そんなシャチホコバって役者の声がとかっていう感じの映画じゃないんですよ。
日本人役者が結構出てたかな。
岸和田城がロケです。
キャンディーマンの時予告してませんでした?
ありましたありました。
なんか日本語版の主題歌なのか、全然私知らないですけど
シ・ノ・ビっていうアホな歌がテンションを爆上げしてくるっていう。
なんかいわゆる日本のアニメのオープニング主題歌みたいな感じの横剣が流れますよね。
あれめっちゃテンション上がりますよね。
もうずっとシ・ノ・ビってやってましたもん。
今年ね、モータルコンバットを見て思ったんですけど、
僕が見たかったのは忍者だなって気づきました本当に。
忍者だったんですよ。
見たかったのは。
57:00
ミゾウの忍者テロですよ。
そりゃミゾウやわ、見たことないわ。
その字やったっけ?
楽しみで楽しみで。
では次回はモータルコンバットじゃないわ。
慈愛女王です。
ではお知らせになります。
これまでも月1ペースで開催しておりました、
映画の話したシルバーですが、
11月も開催の予定です。
冒頭でも申し上げたんですけれども、
日にちが11月の27日土曜日で、
オープン時間がさらに前回よりも後ろにずれまして、
18時オープンの22時クローズとなる予定です。
前回よりも遅めの時間になりますので、
ちょっとよりバーっていう感じで、
お話とかしていただけるかなと思います。
もちろん今回話したキャンディーマンであるとか、
来週話しする慈愛女王もそうですし、
他にもこのメンバーが見てる映画、
もちろん見てない映画もいろいろお話しいただけるような場に
できたらなと思っておりますので、
よろしければお越しいただけたらと思います。
詳細とまだ見ての部分ありますので、
時報をお待ちいただけたらなと思います。
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それでは、
映画の話したすぎるラジオリニューアル第31回、
キャンディーマンの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
さよなら。
さよなら。