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2024-08-12 52:26

第177回(2)『インサイド・ヘッド2』君のシンパイはテンパっているか

『インサイド・ヘッド2』の話をしました。

今作で登場した新たな感情たちの働きってなんなんだろう?という話をしています。

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・山口 https://twitter.com/awajicinema ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke ・オーイシ https://twitter.com/pteryx_joe

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00:00
今日のテーマトークは、インサイド・ヘッド2です。
はい、ではマリオンさん、解説お願いできますか。
はい、映画ドットコンから解説読ませていただきます。
人間が抱く感情たちの世界を舞台に描き、
2016年第88回アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞した、
ディズニーピクスターのアニメーション映画、インサイド・ヘッドの続編。
少女ライリーを子供の頃から見守ってきた、
喜び、悲しみ、光、無感化、ビビリの感情たちは、
転校先の学校になれ、新しい友人もできたライリーが幸せに暮らせるよう、
奮闘する日々を過ごしていた。
そんなある日、高校入学を控え、人生の転機に直面したライリーの頭の中で、
謎の警報が鳴り響く、戸惑う喜びたちの前に現れたのは、
最悪の未来を想像してしまう心配、誰かを羨んでばかりいるいいなぁ、
常に退屈無気力なダリー、
いつももじもじして恥ずかしがっている恥ずかし、
という大人になるための新しい感情たちだった。
前作に続いて、メグ・レフォーブが脚本を手掛け、
モンスターズ・ユニバーシティのストーリー・スーパーヴァイザーを務めた、
ケルシー・マンガ監督を担当。
はい。
はい、ではここから内容に触れる話をやっていきますので、
ネタバレ気にされる方がいたら、ぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
はい、では最後の感想はマリオンさん、いかがでしたでしょうか。
そうですね、前作もすごい良かった。
もうめちゃくちゃ大傑作だなって思ったんですけど、
今作も大傑作ですねっていう感じでしたね。
いや、思春期を舞台に、この感情たちの冒険というか、
頭の中を描くって聞いても、絶対ヤバいじゃんって思いましたけど、
ヤバいですね、もうなんか、
自分の心配が多分、この時暴走してたんだろうなってエピソードを思い出して、
僕はすごい悶絶そうになりましたけどね、見ていて。
というぐらい、すごく思春期の時に訪れる感情の波っていうのを、
すごくしっかり物語に落とし込んだ物語になってて、
やっぱりそれはすごく見事な想像力によって描かれてるんだなっていうのはすごく思いましたね。
やっぱりその最後というか、ある意味クライマックスの奇経というか、
ところがもうすごく感動的で、もう素晴らしいなというふうに思いました。
一方でちょっと、この時これはどうなのかなとか、
っていうこともいろいろちょっと考えたくなるような映画、
それ前作もちょっとそういうとこはあったんですけど、
そういうのはちょっと、この場で皆さんとお話ししていく中で、
広がっていけばいいかなっていうふうにちょっと思ってますね。
はい、大地さんいかがでしょう?
そうですね、なんかインサイダーヘッド1は正直、めちゃくちゃ面白かったんですけど、
なんかあんまりシーンの中に座った感じが自分の中になくて、
で、まあなるほど、そういう実験的な作品なんだなって思ってたんですけど、
2は完全に自分ごとでしたね。
03:00
あの、インサイダーヘッドシリーズだと大人の脳の中にも基本的には5人、
1の頃にいた喜び悲しみムカムカ怒りビビリの5人が大体、
操縦席に座ってますけど、僕の頭の中全然まだ心配いるんですよね。
全然操縦席に座ってんなと思って。
はい、それは僕も同じような気持ちでしたけど、
心配まだいるぞって感じですね。
でもなんかやっぱすごい、このシリーズちょっと1個面白いなと思ってるのが、
主人公ライリーの中では主導権を握っているのが喜びですけど、
結構その大人の他の人の頭の中の時に、
誰が主導権握っているかって変わるんですよね。
たぶんお母さんだと悲しみが握っていたりとか、
お父さんだと怒りが握っていたりとかっていう感じで、
で、果たして自分は誰が握っているのかなっていうのもすごい気になりましたし、
お二人が誰が握っているのかなっていうのも、
ぜひぜひちょっと聞いてみたいななんて思います。
はい、以上です。
たぶん大人になるとね、
喜びが主導権握ることはなくなるんじゃないかなって気はしてるんですよね。
あー。
あー。
ちょっとわかるな。
まあちょっと今作ではそういう要素がありましたからね。
喜びって減っていくんだよ、大人になっていくとみたいな話が出てきましたからね。
はい、僕はですね、
いやもう本当にすごい作品だなとは思っています。
前作、インサイドヘッドからの続編として書くあるべしという作品だなと思いつつも、
ちょっとわかりにくいなっていう部分があって、
やっぱあの、ちょっとこの感情の数が増えたことで、
とっちらかってるというより、わかりにくさが増してるなっていうのがあって、
この行動ってこの感情に紐づいてるのかなみたいなのが、
直感的にピンとこないみたいなとこがもうあったんですよね。
それがすごく自分の中でのわかりにくさになってて、
なんかこの、まあ本作、心配がメインのテーマになると思うんですけど、
心配ってそこまで全体の牽引力がある感情なのかなっていうのが、僕あんまりピンとこなかったんですよね。
そこに対してのちょっと、なんていうか、自分としての飲み込めてなさっていうのがあって、
100パー楽しめなかったかなっていう感覚はあります。
あの前作の着地は非常に落とし所としてすごいわかりやすかったんで、
あとその心配っていう感情がただ暴走しただけの話にも見えかねないなっていうところもあるなとは思ってて、
ただそこは見た後いろいろ考えて風に落ちたところはあったんで、
そこは後の話、もしそういう流れになったら話できたらいいかなと思ってます。
はい、ではお便り紹介させていただきます。
06:01
イークラさんからいただいてます。
インサイドヘッド2最高でした。
前作ではライリーの言動が感情によって突き動かされており、
ライリー自身の自由意志が見えづらい側面がありました。
それが本作では感情の対極の概念である理性が花として開花するというアイデアに唸りました。
大人目線では本作の結末は全ての感情が共生するという展開になることは見えています。
その上で心配の行動を見て喜び自身もライリーをコントロールしようとしていたことに気づく場面では、
この作品は感情たちの小離れを描いているのかと驚きました。
中盤喜びの成長すると喜びを感じることは少なくなるという寂しそうなセリフに号泣しましたし、
ラスト、ライリーの方から喜びを呼び出すシーンは大人になって徐々に感情をコントロールする術を身につけていく描写であると同時に、
喜びを感じるという行為の尊さに感動しました。
あえて難点を挙げるとすると、前作とプロット自体はさほど変わりませんし、
笑いの要素と脳内の機能を愚症化することのフレッシュさが後退している点は少し残念でした。
とはいえ、感情はみんなで自分が幸せになれるよう応援してくれているのだというメッセージは、
頑張れ俺と最高のエイルになりました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
あのお花って理性っていうことでいいんですかね、あれって。
僕も結構そうやって解釈してました。
自分らしさの花ってやつ?
そうそうそう。
あー、あれ理性なのか。
名前が付けられてないから、多分見る人によってあれが何かって捉え方変わるのかなって気はしたんですけど、
僕はアイデンティティとして捉えました。
あー、なるほど。
僕もそう、アイデンティティ、自分らしさって書いてるので、なんかこう、
なんて言うんでしょうね、本当になんか、いろいろ人生とか生まれていろいろ環境とか変わっていっても、
なんかやっぱり変わらない部分みたいな、根幹みたいな部分みたいなのが、
まあそうですね、自我とかアイデンティティみたいなものなのかなっていうふうに思ってたんですけど、あれは。
なるほど、なんかその理性っぽいなって思ったところは、その感情の外側にあるところだなと思ってて、
要は感情がコントロールをするっていうのがある意味このシリーズの一個のアイデアだと思うんですけど、
理性の花っていうのは感情の外側にあると思うんですよね。
もちろん感情の積み重ねできるものなんですけど、なんかそれがその感情を抑制というか、
感情をより上位でコントロールするものってなるから理性なのかなって思って見てたんですよ。
なるほど、なるほど、確かに。
確かにお二人の解釈も結構わかる気がして、特にやっぱり終盤の展開を見ると、よりなんかそこは確かにはっきりと見えてくるような気もしますね。
そうですね。
もともと咲いてた花を捨てるじゃないですか。
もともとの友達と仲良くするのが自分だって思ってたのが、そうじゃなくて、
09:01
今までと違う世界に行こうとするのが自分だっていう花に作り変えていくじゃないですか、心配が。
なんていうか、自分とは何かっていうものの捉え方を自分の感情の働きによって変わってしまう、
あるいは自分で変えようとしてそうなるみたいなこともあるかなって気がして、
なんかそこに、これって自我とか自意識みたいなものなのかなみたいな感じにも見てた感じでしたね。
なんかそうなんですよね、お花咲くのちょっとわかりにくさって、やっぱりあの花が名前がないことが結構わかりにくさのポイントかなって気はしてて、
やっぱ感情たちって名前ついてるじゃないですか。
だから、ああ、あれのことだってわかるんですよね、見てて。
この行動はこの感情によって動かされたものなんだなっていうのが、もう紐づいて見やすいんですけど、
あの花に名前がないから、あれが何かっていうのを読み解こうとしながら見るっていうのがちょっと複雑な行為だなと思いながら見てはいたんですよね。
確かにそうか、でもあれ名前がないからいい、
そうなんですよ。
ああ、みたいなとこありますよね、あれって、あのラストって、っていうのはちょっとあれから難しいですけどね。
たぶん全部同じ花の名前の呼び方を変えてるだけの可能性ありますよね、理性かもしれないし、アイデンティティかもしれないし、自我とか自意識かもしれないしみたいな。
そうですね、いろいろいろんなものをすべて内包したものがあの花であるという感じなのかもしれないですね。
むしろ、それが言葉で定義できずに、一つの中に内包してるっていうのは結構真実っぽい気もして、
なんかうちのラジオでつい最近、自己肯定感っていう言葉は嫌いだって話をしたんですけど、
なるほど。
なんで肯定してなきゃダメみたいな言葉にしたんだよって言って、ちょっと呪ってますって話をしたんですけど。
だからあの花、最初は自己肯定感の花じゃないですか、間違いなく。
それがそうでもなくなっていくあたりがやっぱりいいなと思っていて。
そうですね、心配によって指導権握られた花ですからね、あれ。
その後に最後に出てくるものも含めて、やっぱりそうだよね、真ん中にある別に肯定感じゃなくていいよねってすごい思って。
いやー、ちょっと話ずれるんですけど、めっちゃ西洋的な考え方で成り立ってますよね。
子供時代は感情の生き物だけど、成長することで理性の生き物になるっていう、それによって人間になるみたいなことじゃないですか。
めちゃめちゃ西洋的な考え方ですよね。
確かに。
近代西洋的というか。
うん、なんかもう本当ルソーが唱えてそうなというかね。
12:01
確かにな、なんかちょっとそうですね、確かにちょっと僕も今作を見てちょっと疑問に思ってたのが、ラストの花っていうのが、いろんな花が最久じゃないですか、作というか。
で、それを全ての感情が抱きしめてくれるっていう感じでしたけど、僕はあれはちょっと自我というかいろんな捉えどころのないもの、自分の中にあるそういったもの、いろんな感情というか自分の構成するいろんな要素、側面みたいなものに捉えてたんですけど、
それって別に思春期じゃなくても子供の時からあるくね?とかちょっと思ったんですよ。
あー。
別にそれなんだろう、うん、なんか確かに年を取っていったら確かにそれをきちんとなんか言語化できるとか、いうふうにはなっていくと思うんですけど、別にそれ思春期じゃなくても小さい子たちもそういうもんじゃないみたいなふうにちょっと思ったんですよ。
なるほど。
もう複雑でしょ、もうなんならみたいな。
うんうんうん。
大人の我々よりも子供の方がもっといろいろ複雑な面あるくないかみたいなぐらいに思ったので、なんかまあああいうの僕の思春期的な映画としてあのラストめちゃくちゃもう大好きですけど、別にでもこれ思春期に限った話じゃなくね?みたいなふうにはちょっと思ってます。
うんうんうん。
なんかすごいこの感情っていうカオスをどんどん秩序立てて理性に押し進めていく話なわけじゃないですか。
うんうんうん。
その理性によってっていうのがめちゃめちゃ近代西洋的だなと思うし、そもそも感情が5人いてそこに後から4人追加されて成長するっていう、その実は感情自体もめちゃめちゃ秩序だったものとしてされてるから、なんてカオスがないんじゃない?
そうですよね。まあそんなこと言ったらこの映画に成り立たねえよとかそうなんですけど。
まあまあまあね。
なんですけどね、あえてカオスなものをめちゃくちゃこう一個一個のキャラクターにこう押し込めて無理やり、無理やりというかこうある程度綺麗にまとめて作り上げたのがこのシリーズっていうか、でそれがまあだいぶうまくいってるっていうのがやっぱすごい見事だなって思いますしね。
なんかだからそのちょっといまいち最初そろそろ一作みたいで、これはどういうことだって思ったことが一個あって、喜びがなくシーンってどういう意味なんだろうって思うんですよね。
確かにね。
わかるわかる。喜びという概念、キャラクターの中にも仲いるんじゃねえのかっていう感じですよね。
そうそうそうそう。
なんかだんだん的領主化みたいな話になってるじゃんみたいなことですよね。
あれはすごいなんか見ててどういうことなんだろうって思ったんですけど、今2見ててちょっと思ったのはその出たきゃいいけど出られないみたいなことなのかなっていうのはちょっと思ったりまして。
15:00
今ここで前に出るべきただ自分が地球儀を握りたいって思うんだけどそれを抑えてしまうから出れなくて悲しくなるみたいなことなのかなとかって思ったんですけど。
だからある意味5人のキャラクターをよりキャラクターとして複雑にしていくことによってそのカオスっていうのはなんとなく見えつつあるのかなっていうのもちょっと見ながら思ってはいたところではありますね。
ただそうするともう5人のアイデンティティって何なんだって話にもなってくるんですけど。
確かにね。喜びって悲しみとペアじゃないですか。
あの2人だけもう絶対的な背中合わせになってしまうというか。
他の感情ってその数直線で表せるものじゃないけど喜びと悲しみだけは完全にこの絶対に背中合わせのものにしかならざるを得ないっていうところでちょっと本質的につながってるとは思うんですよあの2人としても。
まあだからどうしたって。
だから喜びが悲しむっていうことはこの悲しみ側が喜びに寄り添うことでその感情が落ち着くというか言い方難しいんですけど。
お互いに埋め合わないといけないじゃないですか。
怒りとか嫌悪感とか恐怖ってもうそのゼロの上に絶対値が積み重なるかどうかだと思うんですけど喜びと悲しみはもう正負の関係。
正の数と負の数の関係だからどうしてもこの互いの関係性の中にあるものなのかなって聞かせて。
ちょっとごめんなさい成立されてないまま喋ってますけど。
かなってね。
だからもうある意味その2つがもうある意味1人のキャラクターでちょっと分かれてるぐらいの意味合いというか。
髪の毛の色一緒ですしねあの2人。
確かに。
そうですね。
だからなんかそういう意味でも表裏一体という意味ではなんかその自分の中にとってのその自分の嫌な一面と好きな一面の鏡合わせみたいな関係性っぽくも見えるからなんかそういう風にも見えそうですね。
はいじゃあ我々からトピック出していきましょうか。
どっからいきましょう。
ちょっと思ったのがその山口さんはあんまり心配がなかったというかいなかったみたいな感じだったんですけどなんかその辺の話を聞きたいなって思ったんですけど。
僕の中に心配がなかったって話ですか?
なんかあんまりそこピンときてなかったみたいな話が聞きたいなって思ったんですけど。
あんまりそれ掘らなくてもいいやつですか?
いやあの僕めっちゃ心配ある人。
そういう話ではなくて。
だからこう何かになろうとしてるわけでしょ。
あの心配の感情って。
でも心配ってそういう働きの感情じゃない気がして。
その心配ともう一つ別の感情がないとそのポジティブな働きにアクティブな作用じゃないんじゃないかなって気がしたんですよね。
18:12
だからこう私が頑張ってこのホッケチームで認められるんだっていう感情ってそれにブレーキをかける感情が心配なんじゃないかなと思って。
どっちかというとその失敗した時にどうなってしまうからそうならないようにするっていう感情なわけじゃないですか。
だからあのネガティブな部分を目指さないものの感情ですよね心配って。
それだけが主導権を握るのかなって気がして。
どっちかというとあのいいなが頑張らないとあんまりあの働きにならないんじゃないかなと思って。
なるほどね。
私はああなりたいんだああなりたいんだっていうそのポジティブな感情からどうこうしようとする感情と
ああなりたくないああなりたくないから頑張るんだっていうネガティブから来る感情とどっちも行動力に結びつくと思うんです。
いいなと心配は。
でもどっちもいるんじゃないかなと思って。
というかその若さってどっちもがめっちゃ暴走するんじゃないかなって思うんで。
なんか今回いいなが控えめだからいやむしろこのいいなが暴走してその後で心配がそれに対してカウンターを食らわして
なんというか感情が引き裂かれそうになるのが若さなんじゃないって思ったから
その心配だけが頑張るとそれって何もしないというか心配ばっかりして部屋に閉じこもる人になるんじゃないかなと思うんで。
初めて行ったホッケーチームで頑張って認められようとするって
もっと何個かの感情が働かないとそう行動しない気がしたんですよ。
なんかちょっと思ったのはその良くないことが起こらないようにするみたいなのって
それってよく考えたらビビリじゃんってなるんですけど。
でなんかいいなっていう感情も確かにちょっと今回のその騒動というか暴走の要因としても確かに一因あるんですけど
でもなんかいいなという感情だけでもやっぱちょっと足りないような感じがするので
なんか今回のその心配というキャラクターがもうちょっとなんか別のなんかとして
あの騒動を引き起こしてでいつもの感情たちのビビリといいなが結託しちゃうみたいな感じだとなんかちょっと話
山口さんの今言った話がこううまく噛み合いそうな感じが今しました。
そうですねちょっと心配だけがフィーチャーされるとちょっと分かりにくい話になるというかちょっとずれてる感覚は僕見ててずっとあったんですよね。
うんですね。
なんとなくそうまあある種これはオチっていうのが先に決まってるからなのかなって気もちょっとしちゃって
21:06
心配の花を咲かせた時の結論が私は全然ダメじゃないですか。
あの花を咲かせるのは心配だろうなって気はするんですよね。
まあそろそろいいなでもなく恥ずかしでもないだろうなっていう気はして
なんならビビリでもちょっとないだろうなっていう気はするから
そこに向かっていくためにあの感情を主導権に置かせるっていう手配にしたのかなって気もしなくもないというか
なんかもうちょっと多分心配っていう日本語のニュアンスと向こうのそんなに変わんないのかな
でもなんか多少違うのかなって気もちょっとして
もしかしたらちょっと違うのかも。
そうなんですそうなんですなんか悪い方に行くではなく未来を案じる心
全てのことを心配というふうに呼んでいるのではなかろうかなっていう気はして
もちろんそれが心配なのかっていうのは一個あるんですけど
そうだとするとちょっとわかる気はするというか飲み込みやすい気もしたんですけど
確かにちょっと今回の想像をなんかこうなりたい自分になるという原動力じゃなくて
自分の未来そのものに対する不安として原動力が動くとするのであれば
今回の心配が暴走していったら結構飲み込みやすいかも
あるかもしれない
そうですね今回出てきた感情のうちちょっとねダリーはあんまり話にならないんですよ
そうですね
ダリーはあんまり話にならないんですけど他の3人って思春期ものにめちゃめちゃ大事な感情じゃないですか
心配といいなと恥ずかしいはそれで一本Aが撮れるぐらいの感情なわけですよね
ただその1人の人間の中には全部働いて思春期もののドラマになるとは思うので
ちょっと一作目と同じ構造にしたかったと思うんですよ
ネガティブな感情を周囲が認めることで成長できるっていう話の構造にしたかったと思うんですけど
そうなった時にやっぱり心配になるんだとは思うんですよねそうなった時に
前回で言うと悲しみをどう周囲が受け入れるか今回やっと心配をどう受け入れるかっていうところで
ただ心機の複雑さがなくなっちゃってる感覚がしたんですよ
心配だけじゃないだろうっていう
確かにそもそも思春期をこんな単純化できるかというとできないっていう決意を達するっていうのがわかるんですけどね
それこそなぜならというか全然そこ整理ついてないからなって思いながら見てましたけど自分今何に
そうですよね確かに整理つけてないんですけど
24:00
全然今でもフレッシュにあいつら出てくるけどなって思いながら
僕は明確にこの時絶対僕の中の心配がめちゃめちゃ暴走してただろうみたいな瞬間ありますもん高校時代
めちゃくちゃある恥ずかしくてここで言えないもん
言えないもんっていうやつありますもん
好きなバンド否定するとこやばいですよねあのシーン
あれねーもう
もうねあそこでどんどん自分らしさなくしていくじゃないですかこういうとこって思いながら
かーやるーって思いながら
もうあと髪染めるとことかもちょっともう見てられなかったです僕
あーわかるわかるー
あのあたりは何だろう共感性周知込みで
まあゾワゾワしながら見てましたねゾワゾワワクワクしながら
そうですね本当にちょっと悲鳴上げそうになりました
いやーって思いながら
やっぱなんか思春期になって出てくる感情って多分違いがあるのかなっていうのを思って見てたんですけど
メタ視点が入ってくることなのかなって気がして
1作目までの5人っていうのはすごい主観的な感情じゃないですか
でも2で出てくるこの新たな4人の感情っていうのは客観性みたいなものを
習得して出てくる感情なってことなんだろうなっていうのは見てて思ったことであって
やっぱりその他者の目から自分がどう見えてるかっていうことが徐々に徐々に大事になっていくというか
そこをどうコントロールするかっていうかそれよりコントロールせざるを得なくなっていくっていうのが多分思春期な気はしていて
でそのためにあの4つの感情が出てくるのかなって思うと確かに成長の過程っぽさはあるっちゃあるなと思いつつ
なんかもうちょい出てきてもいいんじゃないかなぐらいに思いましたけど複雑性って意味で言うと
大石さんがさっきメタ視点を持った感情っていうふうにおっしゃられてて
なるほどなと思って僕は新しい4つの感情を社会性の感情だなと思ったんですね
なるほど
で一番初めの5つの感情ってすごいこう生物的というか原始的だらいいんですかね
喜び悲しみとかあと怒りとか嫌悪とか恐怖とかってもうその生物が生存するための感情じゃないですかそのあたりは
それで生きてきた生き物が成長することでその社会的な役割のための感情を身につけていくっていう感じだと思うんですよね
心配とかいいなとか恥ずかしとか社会性によってというかその社会性のバランスを保つために
それらの感情を働かせないといけない感情かなって思って
27:02
やっぱりそれが思春期に出てくるっていうのがすごくピンとくるなとは思うんですよね
だからまあある種その自分と社会のズレをこう合わせる
で合わすとしたらどこにどう合わすかっていうところで凡舌するっていうのは多分この話の
特にドラマパートというかライリーパートの主眼だとは思うんですけど
確かに当時自分の中でそういったこと結構あったなっていうのは
中学生の本当中2以降というかにめちゃくちゃあったなっていうのは
部活とかでよく見られたいとか思ったりとか
あるいはその部活選ぶときに何部に入ったらいいかみたいなのは
すごい自意識暴走しながら選んだなっていうのはちょっと思い出していまして
部活選ぶときに全然自意識働いてなかったなっていう
そうですか
働いてなかったです
ある意味ダディーが勝手だからかな
ああなるほどね
ある意味は部活めんどくせえって入らなかったんですけど中学校の頃結局ね
ダディーが支配してましたその時私
確かに
そうですね
さっき僕が言ってた部分なんですけど
本作って基本的に心配が暴走する話だと思うんですけど
前作だと悲しみって必要だよねっていう着地をして
その喜びと悲しみが寄り添って
この青と黄色が混じったボールができて
それでライリーの気持ちが落ち着いて成長したっていう感じになるんですけど
今回心配はただひたすら暴走して暴走して
それを周囲が主体としては喜びが受け止めて
そしたらそれぞれの感情がマダラに混ざった花ができて
でみんなでライリーを見守りましょうねってなるっていう感じだと思うんですけど
前回の悲しみみたいに役割がちゃんと持たせられてないように見えたんですよ僕には
ただ心配が暴走したけど
でもライリー思ってやったことだからしょうがないよねって言って
あんまりうまくやれなかったけど許してあげてねみたいな
無理矢理受け入れられたみたいな感じを僕はしたんですよ心配の
前作ほど前作の悲しみほど明確に感情としての役割が
正しく持っててなかったような感じを僕は覚えたんですけど
自分の中で一応そこもいろいろ考えてみて
がてんが入った部分なんですけど
初めの5つの感情っていうのは
それ自体が感情の働きを維持するためのものというか
30:01
悲しみがばっかり膨らんだときに喜びと合わさることでバランスとったりとか
そういう感情の中で収まるようにできているものかなと思うんですけど
いいなとか心配とか恥ずかしとかって感情って
もう自分の中でも収まらないものだと思うんですよ
だから何かを目指すとか
羨望あるいは嫉妬みたいなものから何かを目指したりとか
こうなりたくないっていう心配心からそれを避けるように行動したりとかっていうのは
もう自分の中の感情としては別にゴールないじゃないですか
そうじゃなくって自分の外
自分の内側にある感情じゃなくって
それこそ社会的な個人としての
どうあるかっていうものにしか結果が出力されないものかなって気がするんですよ
心配して何か行動しても感情の中では心配しただけ
だと思うんですよね
あるいは何かを羨んで行動して
その羨んだ感情自体は別にその中でどこかにたどり着くわけじゃなくって
結果何かに社会的に何かになれましたみたいなことは
感情の外側に結果を持ってるかもしれないんですけど
だから彼ら彼女ら感情の中では
心配とかいいなとか恥ずかしの行動は別に何か役割を持たないんじゃないかなって思ったんですよ
というかそういう捉え方が僕の中でも着地だったんですよね本作の
なるほど
確かに結局感情の指定党にいるのは結局いつもの5人だもんなみたいなことはありますよね
あくまでライディーが社会的に何であるかを維持するための
働きの感情だと思うんですよね新しい4人は
だからあの9人の感情の中での役割はなくてもいいというか
あくまでそれより大きな社会の中でのライディーのための感情だなと思って
感情のための感情じゃないと思うんですよあの4人って
っていう風に捉えたら心配がただ暴走しただけにも
感情たちにとって意味がなくてもライディーにとって意味があるなと思って
そうかだからこそラストそのある意味心配をあんなクイズに座らせるっていう
落ち着かせることしかできないっていう
まあそうですね
あとちょっと思ったのがライディーの頭なんかあんな大騒動でしたけど
親友2人の頭なんか大丈夫だったのかと思いましたけどね
向こうも絶対大騒動起こってますよねみたいな感じしませんか
いやもうやばいやばい
やばいでしょ
なんか僕らライディーしてる話をずっと見ていて
もうライディーのてんやわんやしか見てないのもありますけど
33:01
この感じの物語映画だけ見てると
あの2人は大人しく何か済んだのかなみたいな感じ見えますけど
絶対そんなことないですよねみたいな
もうてんやわんやしてたんじゃないかなとは思って
そっちのこともめちゃくちゃ頭が気になってしまうっていうのはめちゃくちゃありました
確かに
いや多分あの2人こそ心配が主役勝ってる感じ
ですよね
ますよね
あと怒りも活躍してただろうし
あとダリーも出てきてたと思うんですよ
もうこいつだるいわってなってると思うんですよね
絶対なんかもっと来年以上のカオス待ってたなとはちょっと思って
なんかそれも見たいなとはちょっと思いましたけど
他の人のシチュエーションになった時に
あの新しい4人のメタ的な感情たちがどういう働きしてたかっていうのも
見ることができたら多分もっと色々解釈が広がったと思うんですけど
今のところメインの5人の感情が他人の中にいたところぐらいしかあんまり見えてないじゃないですか
ちょっとだけ出てきてましたけどね心配とかの感情が
でもあくまでメインの司令とはあの5人っていうのが他の人の今のところの描写だから
新しい4人の感情が他の人たちにとってどういう働きとして行動にあられてたっていうのが見えてないっていうのは
ちょっと見たかったなって感じはありますよね
ライリー以外の人はさも当然かのごとく振る舞ってるけど絶対そんなことないでしょみたいな感じですごいしちゃったので
そんな穏やかな思春期で終わったやつこの世にいないだろうって勝手に僕は思っているので
そこはちょっと気になっちゃったなって思います
でもそれこそ本当人によって心配の方向性とか絶対変わりますもんね
ライリーは完全にいいなーとタッグ組んでやってましたけど
恥ずかしとタッグ組む心配もいると思うんですよ
いやもうめちゃくちゃいる
恥ずかしとタッグの心配マジでやばいと思う
ブーストかかりますねもうなんか悪い方向へのブーストがめちゃくちゃかかる
高校入った時とかもマジでそんな心配いましたもん自分の中に
マジで突然人と話せなくなるみたいな
細かく感情の感情としていろいろ変わっちゃってきちゃう気もしますけど
方向性というかみたいなものは人によって多分個性があるだろうし
なんかこのインターネットヘイトシリーズすごくいいなって思うのが
ある意味すごい西洋哲学的ではあるんですけど
自分の感情を仮にこの5つに分けるとしたら今どういう
36:00
その時どういう感情だったんだろうって分解して話すことができるというか
ある種キャラクターにして自分の中の感情を表現することができるようになるなーっていうのを
すごい見てて思ってることなんですよ
だから例えば自分はやっぱり怒りがすごく発動しやすいというか
怒りがすごい怒りやすい人だなって思ったりとか
怒りがすごい原動力になってるなとか
なんかそれってこの作品の要素だなって思っていて
なんかその語彙が増えた感じがすごい2見ててしたんですよね
なんかそこは単純に見てて楽しかったし
ほんとこれ見た人の間で自分のそのそれぞれの感情
自分が何の意味が主導権を握っていて
特にどの感情の時にどういうことを思ったとかっていうのを聞いてみたいな
話してみたいなっていうのはすごい思いました
そうですね
よく我々ここの番組内でも話してても
言語化ってよく言うじゃないですか
感想の言語化とか感情の言語化とかって言うと思うんですけど
本作で言うと擬人化ですよね
もちろんそもそも感情を擬人化したものだけど
言語化っていうものを読み換えたものとしての擬人化として捉えられるというか
この行動ってこういうことなんだなっていうのが
感情たちの擬人化された働きとして理解しやすくなるというか
本当に分解しやすくなってそれによって整理することで
自分がじゃあどうした方がいいかみたいなのを
イメージソースになるなって感覚があるんですよね
それは言語化するよりも擬人化の方が
イメージソースとしては使いやすいというか
このキャラクターが動くさまで今の自分を捉えられるっていうのは
言語化ほどロジカルじゃなくてもいいっていうのがちょっと楽でもあるし
ファジーな分しっくりきやすいんですよね
なんか今怒りが出ちゃってるなみたいな
心配が活躍してるなとかっていう
それぐらいの感覚で捉えられるから
あんまり厳密じゃない分使いやすいなって
かつちょっと思うのが
キャラクターの方がまだ愛しやすいなって思っていて
ある種の言葉で今怒りという感情が自分で出てるなとか
怒ってるなとかって考えるのはいいんですけど
あんまりそれで愛せない気がしていて
また怒っちまったよみたいな
すごいそっちの罪悪感とか絶望感の方がより強くなる気がするんですけど
言葉になると
まだキャラクターになってくれたら
あいつだしなってちょっと思えるというか
それで自分のマインドコントロールというか
ある程度自分の中の感情を制御できるような気はちょっとしていて
39:02
それこそインサイドヘッド見る前から
割と頭の中で合議制やってるってイメージ
僕すごい小さい頃からあったんですよ
複数の自分がその中で合議をして今の結論を出してるみたいな
イメージってずっとあって
多分古典的にずっと描かれてることでもあると思うんですけど
それこそ藤子悠夫夫嬢とかも確か書いてたはずですけど
そのイメージはすごい昔からあったので
なんとなくそれによりキャラクターというか色が付いたというか
そこは自分の中で結構うまく自己愛につなげやすいなって気はちょっとして
そうですね自分の感情を許しやすくなりますよね
そうそうそうそうまさにまさに
また怒ってしまったじゃなくて
また怒りがさあてめえさあしょうがねえやつだなみたいな方が
気楽な部分もありますしね
まだそこを恨まずに仲良く付き合っていけるなっていう気はするので
そう考えた方が
割とそれで使われてる人は僕もそうですけど多いんじゃないかなって気はしてます
だからそういう意味でも本当今作のラストめちゃくちゃ愛おしいですよね
いろんな側面をなんかギュッと抱きしめてくれるラストじゃないですかやっぱりもちろん
ああいうの日本ってすごくお便りもありましたけど
励まされてるような感じっていうのはすごくやっぱりありますよね
なんか本当にすごいいい絵だなとは本当に思いますね
ふと思ったんですけどね
さっきオイさん昔から自分の中の感情が合議性を取ってるっておっしゃってたじゃないですか
それってということはその合議性を取ってる感情たちの中に
それの主張としての理性がいるってことなんですかね
でもなんて言うんでしょうね
いつも脳内イメージだと合議性を取ってる人を見てるのが自分なんですよさらに上位で
だからインサイドヘッド側を眺めてる自分がいて
それが何を採用するかを選んでるって感じなんですよね
それがいわゆる自分らしさの花的なポジションなのか
あるいは上位の理性なのかもかもしれないんですけど
あんまりそれを言葉にして考えたことなかったですけどね
完全に自己の中で理性と感情が統一されてる人がいたとしたら
理性があそこにキャラクターとしているんじゃないかなと思って
そんな人たぶんブッダとかやと思うんですけど
でもそんな人いてもおかしくないというか
花としてあるかあるいは完全に上位存在ですよね
コミュニケーション不可で上位の次元にいるから
コミュニケーションを取れないものとしてだけど
42:00
完全に自己が統一された人間がいたとしたらあそこにたぶんいますよね
怒りがちょっと怒っているねでもここは抑えてねって
直で言える人ってもしかしたらいるんじゃないかなって思って
怒るほど冷静になるって意外とそういう人かもしれないですよ
確かに意外と悲しみとかは自分ながら強めな感情なので
飲み込まれることは多々あるんですけど
怒りとかは割と制御しやすい感情なんですよね自分とって
怒りはどうどうどうってできてる気がするし
それは感情によってというよりもやっぱり理性によってのイメージがあって
なるほどな
ちょっと今考えてみてたんですけど
本来的な感情の働きって言うと
リーダーとしての理性がいるもののような気がして
個々の感情を抑えきれないリーダーになるってことは多分多々あると思うんですよ
多分僕らがそうやと思うんですよね
感情の暴走を抑えられないリーダーとしての理性が
感情と合議性を取りながら物事を決めて進めてるって感じやと思うんですけど
本作その理性がキャラクターとしては存在してないっていうのが
逆にどこまで行っても人間を感情の生き物として捉えてるのかなって気もして
確かにな
だからなんかセレートになってる感情が
感情の中から何かが理性になっていくってことなんですね
そうですね
感情が理性に進化するとかあるのかどうかわからない
でもなんとなく例えばライリーこのままいったら喜びが理性になるじゃないですか
例えばですけど
でもきっとその後は喜びはなくなるんだろうなとかちょっと思ったり
そうですねリーダーシップを取るための喜びでしかなくなって
個人としての自由度が利く喜びじゃなくなるって感じかもしれないですよね
それは果たして3以降そうなるのかもしれないですけど
そうですね3やるとしてもっと複雑になると思いますけどね
なんか状況脳内の状況とかライリーの環境もですけど
どうなっちゃうのみたいな感じですよね
あるいはあの感情たちによる合議性の民主主義そのものを理性って呼んでるのかもしれないですね
なるほど
もちろん誰が主導権任一足部を握ってるかっていうのはありますけど
やっぱりその怒りっぽい人の理性はあるし
なんていうか恐怖心が強い人にとっての理性っていうのがあるし
みたいなのはあるんじゃないかなと思って心配症の人の理性とか
確かに確かに
っていうものなのかなって
45:02
最初の試合の時とかは結構喜びが司令塔となって
ここの時にこの感情を言ってみたいな感じにはなってた感じありましたよね
そういうことなのかもしれないです
どうしても別にそれいくつになっても関係ないと思いますけど
やっぱちょっと感情の暴走というか司令が効かなくなるみたいな時はやっぱあるから
まあっていうのを調理しとこうっていうのかな
確かに確かに面白いですね
試行実験として面白すぎる
そうですよね
この映画の話はしてるのかわからないですけど
これ設定を使ってどう思うみたいな話をしていたのかなって感じですよね
でもそうなるんじゃないですかやっぱりこの映画
ですよね
確かに人と話したくなる映画ってそういうところがある
そういう話になりますけど
そういう話ばっかりしすぎてて僕はあの話したかったんですけど
いかにもプレステだろお前みたいなやつのキャラクターが出てきた時めっちゃ笑いましたけどね
もうあのトリコン館の懐かしさに僕は大爆笑するようになりましたよ
なんだろうクラウドかなみたいな
しかもめちゃくちゃ雑魚い必殺技与えられててかわいそうなキャラクターでしたけど
あいつがちょっと楽しすぎてねっていうのが
だからちょっとあれ見てて僕スマブラのスネーク思い出しましたね
ちょっとあれ大爆笑ポイントでしたけど
思い出した本作で不二打ちのいいと思ってたところ
あの妙に重要キャラクターとして出てくる口がファスナーのやつ
あーあいつ
あれって何でしたっけ昔見てたアニメかな
アニメですね
そんな感情全体のキーパーソンになるようなもんじゃないだろうと思って
まあちょっとそうですね
何か働きかけを感情たちにするとしても
それに感情たちが気づくとかはあると思うけど
明らかにちょっと上位の存在として動いてたでしょあいつ
確かに明らかに第四の壁をね
それはなくない?
あれはチートキャラですよね
それだけデッドプールみたいな感じでしたからね
まあ確かにお前どこ見て喋ってるんだって言われてましたもんね
個人の感情より強く働くアニメキャラクターって何?と思ってた
確かにやばい存在ですね
ともすれば乗っ取られますよねあれね
昔見てたCMソングが頭に流れてくるとかはわかるんですよ
48:01
それはわかりました
頭が支配されるみたいのはわかるんですけど
決定権を握ってるっていうのがどうしてもフニョチンクで
確かにねあれは万能すぎたわ
僕らで言うとドラえもんが頭の中にいる感じなんですかね
そうですね確かにね
ちょっとなんかあそこは面白さ優先したなっていう感覚はありました
あと細かい描写ですけど車の中で
友達とお互いの顔色に似合うシーンはすごい好き
あそこわかりますめっちゃよかった
前の角度があっという間に
いいですよねあれ
やってるよな
あの描写見てるときにインサイダーやっと見てるって気持ちになりましたすごく
こういうの見たいなって思いましたね
だからやっぱり気になるのがあの現れた4人はやっぱり消えていくのかなってのはやっぱり気になるところですね
結構大人になっても生き続ける感情だと思うんですけどね
確かに最後の方親にもちょっと久しぶりって言いましたけど
そんなに後ろ下がるかなってすごい思ってしまって
全然いるけどなって感じしますよね
いるだろうみたいな
いまだに全然広かったし冷凍のまんま動いてるんですけどっていうのはすごい思って
そこになんなら今もはやあれもいるよ懐かしもいるよって感じ
懐かしいますね
懐かしも今出しゃばってるよみたいな感じじゃないですか
でもねあの歳とってずぶとくなるっていう感覚かなと思うんですけど
この程度で恥ずかしいとは思わないくなるとか
別にああいうのを羨ましがったりすることもなくなった
向こうがどういうふうな状況かっていうものを分かってるから
お互い大変だよねで羨ましがったりしないとか
あるいはどうせどうにもなんないから心配しないみたいなこともあるし
そういう意味ではなくなるというよりか出番が減る
出番が減るかなっていう感じがあって
でも30前後の私とマリオさんはまだだいぶ出番多いですよ
出番多いなー出番多いなー
これから減るのかな
減らしていきたいなー減らしていきたい
しんどいですからねあいつらが活躍すると
いやそうなんですよ本当に
さすがに今作みたいなあんなドタバタまではないですよもうさすがに
けどやっぱ出しゃばってきますよまだみたいな感じはしますよねやっぱり
大人になるってそういうことなのかなっていう感じで
終わっといていいですか
はいではそんな感じで
インサイトヘッド2の話を終わっておこうと思います
51:03
次回テーマは別で決めましょう
ではお知らせになります
映画なし出すぎれば次回は8月31日土曜日開催予定です
場所は大阪の南森町週刊曲がり19時オープン23時クローズです
また大阪震災橋で第2第4火曜日に山口が店長をする
映画なし出すぎる場震災橋も営業中です
場所は長堀橋駅徒歩2分カフェワンドバーDC内19時オープン23時クローズです
またこの番組ではお便りを募集しております
番組全体や次回お便り募集テーマトークテーマ作品に向けて
ご自由にお送りくださいませ
最新情報次回テーマはxにて告知しております
各コーナーには番組説明文をご確認くださいませ
それでは映画なし出すぎるラジオ第177回
インサイドヘッド2の回を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら
52:26

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