1. 映画の話したすぎるラジオ
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2020-10-01 1:00:42

旧第3回『ここがスゴいよ/ここがヘンだよ「TENET」』

Podcast第三回は「TENET」の話をしました。面白いけどちょっと苦手意識のあるノーラン監督に対するもにょもにょとした気持ちを話しています。

整理できてないまましゃべり始めたので途中言葉に詰まりまくりまくりました。90分しゃべったうち30分ぐらいは無言なので編集して60分を切りました。どんだけしゃべれてないんだ…

中盤は話がどんどん横滑りします。

音声の補足

・冒頭でなんばパークスの映写について話をしていますが、映像が鮮明であることに、具体的な数字的根拠を持つ「解像度」という言葉を選んだのは不適切だったと思います。普通に語弊のある表現です。すいません。

・ノーラン監督の暴力描写のたんぱくさの話をしていますが、最大の目的としてはまずレーティングをクリアして全年齢に広く観てもらうのがまずありきだと思うので、そこに触れてないのはまずかったですね。映画を老若男女の娯楽足らんとするノーラン監督の志の表れだと思います。

・というか暴力描写がたんぱくな娯楽映画なんてこの世にいくらでもあるのでノーラン監督の作品にだけその理屈が適用されるような言い方になったのはずるかったかなと思います。

・でもノーラン作品の緊迫感の巨大さと暴力のたんぱくさはアンバランスに感じちゃうんだよな~。

過去エピソードはこちらから

利用しているPodcastサービスの都合で、10エピソードより前の回が公開されなくなります。過去エピソードはこちらからお聞きください。

http://virtualeigabar.com/category/podcast/

00:12
はい、始まりました。ポッドキャスト、よしの映画酒場第3回です。
今日はですね、TENETの話をしたいと思うんですけども、正直めっちゃくちゃ面白かったんですけど、
ただ飲み込みきれないとこもいっぱいあったりして、その点、それぞれ語っていきたいなと思います。
前半は一般的な話をしてから、ちょっとネタバレ気味の話に後半入っていくっていう感じで話をできたらなと思います。
まず、映画館なんですけども、大阪在住なので、初回が109シテマズエキスポシティのレザイマックスで見ました。
これが18日の初回、8時45分の回なので、一般的なレベルでは一番早い回ですよね。
午前0時とかを省けば一番早いタイムで見たかと思うんですけど。
えーと、2回目がナンバパークスで見たんです。
ナンバパークス、あんまり話題にはならないんですけども、めちゃくちゃいい映画館なんですよ。
映写もいいし、音もいいしで、ちょっとスペック的な部分詳しくないんで比較はできないんですけども、
どっちもすごい優れていると思います。
見てて解像度が高いって言ったらいいんですかね。
あの、映像の解像度が高いし、音の解像度も高いっていう感じなんですよ。
決め細かいと言いますか、なんかいろんな映画あそこで見たのが一番良かったっていう、
何度か見た映画がナンバパークスで見たのが一番良かったなって思う作品がいくつかあって、
たまに関西の他の映画ファンの方と話した時とかだと、
同じようにナンバパークスはいいっておっしゃってる方いるんですね。
隠れた名映画館だと思います。
初回エキスポシティのレザーアイマックスで、
2回目がナンバパークスで密定の意見なんですけども、
率直な感想としては、あんまりスクリーンのタイプは選ばない映画なのかなと思いました。
エキスポシティのレザーアイマックス、さすがにめちゃめちゃでかくって、
体験として圧倒的っていうのはあるんですけど、
テネットっていう作品自体が、映像の一枚絵としての縦と横の広がりで見せる作品というよりは、
時間軸方向、広がりというか、時間軸方向の出し引きって感じですかね。
奥行きというか、そういった部分がすごい魅力的な映画なので、
意外とスクリーンのサイズ、特に縦方向のサイズ感、そこまで影響ないのかなと思ったんですね。
03:00
特に1回目は私エキスポで見てからのナンバーパークスだったので、
要はより大きい方を先に見ての意見なので、
割と逆の順番だとやっぱりアイマックスいいよねってなってたと思うんですけど、
後から見たナンバーパークスの2回目が12分に魅力的だったので、
意外とスクリーン選ばずに見れる映画なのかなと思います。
クリストワン・ノーラー監督の作品の中でも、
インターステラーとかアイマックスが絶対的にいいんだろうなっていう作品ではありますし、
ダークナイトとかもきっとアイマックスいいんだろうなって。
時間の使い方が面白い作品なので、
まずはとりあえず見る。
近場の映画館でスクリーンがどうこうっていうのは、
あんまりこだわらずにさっさと見るっていうのが、
私としてはアリなのかなと思っている映画ですね。
作品詳細を語らずにガンガン自分の体験の話しちゃいましたね。
はい、テネットの詳細今更いるのかみたいな感じはありますけど、
ダークナイト3部作やインセプション、インターステラーなど、
数々の話題作を送り出してきた記載、
クリストワン・ノーラー監督によるオリジナル脚本のアクションサスペンス超大作。
この記載、鬼の才能って書くの、
まさにノーラー監督にぴったりって感じですよね。
すごいビッグバジェットで万人向けの作品を作ってるっていうには、
めちゃめちゃ悪が強い作家性を持ってて、
まさに鬼って感じですよね。
なんでこんな尖ってる人がフロントランナーなんだろうって、
大衆向けのフロントランナーも走ってるんだろう、
ちょっと不思議に思っちゃうぐらい、
悪が強い、癖が強い作家ですよね。
戻ります。
現在から未来に進む、時間のルールから脱出するというミッションを課せられた主人公が、
第3次世界大戦に伴う人類滅亡の危機に立ち向かう姿を描く。
主演は、名誉デイゼル・ワシントンの息子で、
スパイク・リー監督がアカデミー却職賞を受賞したブラック・クランズマンで、
映画発出主演を務めたジョン・デビッド・ワシントン。
共演は、ロバード・パティンソン、エリーヴァ・ザベス・デビッキ、アーロン・テイラー・ジョンソンの他、
ランキルクに続いて、ノーラン作品に参加となったケネス・ブラナー、
そしてノーラン作品に欠かせないマイケル・ケイン・ラ、
撮影のホイテ・バン・ホイテマ、美術のネイサン・クローリーなど、
スタッフも過去にノーラン作品に参加してきた実力派が集い、
音楽はブラック・パンサーでアカデミー賞を受賞したルドビッグ・ゴランソンがノーラン作品に初参加。
映画.goも読ませていただきました。
150分か。
あー、なんかもっとあってもおかしくないかなって思ったんですけど。
えーと、主役のジョン・デビッド・ワシントン。
いいっすよね。
ブラック・クランズマンの時も思ったんですけど、
なんかあまり自我を感じないキャラクターというか、
無垢というか、
世の中全体のシステマティックな代弁者って言ったらいいのかな。
06:02
この世界のシステムの一部みたいな感じがする、
独特の雰囲気を持っている役者さんだなっていうのが、
今まで2作見てきた中での私の感想ですね。
なんかあまり我を感じない、
どこか自動的でさえあるような印象を覚えるような。
まぁちょっと作品自体がそういう特性だったっていうのもあるのかな。
っていうのは思いましたね。
ブラック・クランズマンもなんかすごい怒りを伴った物語なのに、
個人としての怒りというよりは、
アフリカン・アメリカン全体の怒りを代弁しているシステムって言ったらいいのかな。
そういう雰囲気を僕は覚えたのをちょっと今記憶してましたね。
えーと、役者さんの話で言うと、
ロバート・パティンソン。
私は多分初めてなんじゃないかな。
今までハリーポッターシリーズとかも見たことないので、
映画内で初めて見た役者さんだと思います。
ハリーポッターシリーズにトワイライト。
見てないなぁやっぱり。
なんかちょっと影のある男前って感じですね。
ロックスに関しては私そこまで好みじゃないですけど、
本作の役回りはとても良かったです。
エリザベス・デヴィッキー。
あのね、キャット。
すごいですよねこの人の雰囲気。
身長190cmだったかな。
身長がまあ平均の遥かに上回っていることによる、
ちょっと浮世話なりした雰囲気。
まあその美貌もそうだし、体型もそうです。
あと演技めちゃめちゃ上手かったですよね。
あの表情の演技すごかったなぁと思って。
ケネス・ブラーナーね。
本作悪役ですけど、
なんか超邪悪な感じで良かったですね。
中身ねえな。
役者さんの話これぐらいにしとこうかな。
じゃあテネット全般の話入っていこうかなと思うんですけども、
まず良かったところ。
良かったところ超面白かったですよね。
あんまり語彙が浮かばない面白さというか、
やっぱり映像的な面白さ。
特に今回は時間軸を上手く活かした、
動かし方の面白さがすごい映画だなと思って。
一枚目で見るより動いている方が面白いタイプの映画だったかなとは思いましたね。
僕が今までで見た範囲での、
ノーラン監督の作風の印象とはちょっと違ったかなっていう。
あ、これだけ言っとこう。
私がクリストファー・ノーラン監督の過去作見てる分なんですけども、
最初がダークナイトかな。
ダークナイトから入って、
バットマン・ビギンズ、ダークナイト・ライジング、
インセプション、インターステラ、ダンケルク、
で、テネットですね。
ダークナイトとバットマン・ビギンズ以前は見てないんですよね。
プレステージとかインソムニアとかフォローイングとかメイメントは見てないんですよ。
メイメント見てないのは多分本作を語るのに、
09:00
ちょっと片手落ち感はあるのかなっていう部分はありますね。
多分他の作品も見とかないとノーラン語ると怒られますよね、絶対。
お前ノーラン作品全部見てないのにノーラン語るのかって言われちゃうので、
ちょっとごめんなさいって感じなんですけど、
あくまでダークナイト以降のノーランを見てる立場として話していけたらなと思います。
正直、ノーランファンではないんですよね。
これはね、後々お話できればなと思うんですけど、
ノーラン監督の作家性が微妙に肌に合わない部分はある、正直。
ですけども、やっぱりね、面白いんですよ、圧倒的に。
面白いものはやっぱり見たいし、後に残るんですよね。
やっぱりね、クリストファー・ノーラン映画公開っていうのはお祭りなので、
映画ファンにとってのこれを逃す手はないって感じですよね。
はい、また話しとれちゃったな。
良かったところなんですけど、あんまり整備できてないんだよな。
考えながら配信するなって感じですよね。
えっとね、映像が面白いっていうタイプの作品で、
ここがすごいっていうのは一番初めに出ないんですよね。
でね、びっくりした。
あんなに面白かったのに。
時間逆行を活かしたストーリーとアクションですよね。
やっぱりめちゃくちゃ面白いですね。
どうなっているのっていう、すごい見せ物を見るって意味合いでの面白さもあるし、
物語のSF的構造を辿っていくっていう、本当にSFとしての面白さっていうのもいっぱいありますし、
アクションとしても、正直よく言われてることかと思うんですけど、
ノーラン監督のアクションって見にくいっていうふうによく言われると思うんですけど、
僕も正直今までそうは思ってたんですけど、
本作はアクションすごい見やすくて良かったですよね。
逆回しを活かしたっていうのを見せる上で、
アクションがちゃんと見せれないと、逆回しが上手いこと生きてこないっていうのも絶対的にあったのかなとは思います。
必要に求められてるっていうのもあるし、
単純に普通にアクションとして良かったっていうのがありましたね。
あと、時間を使ったサスペンスとしての面白さが本作の大きな魅力ですね。
なんか語れば語るほど足りない部分が出てきちゃうというか、
やっぱりその映像を見ての結構言語化しがたい感動が本作の圧倒的にメインの魅力なので、
正直これ良くないと思うんですけど、
良いところは言語化できないけど、好きじゃないところはめっちゃ言語化できるんですよ、ノーラン作品。
良くないですよね、これ。
結果的に語れば語るほど嫌いなんじゃないの?ってなっていくんですよ、これが。
不思議なんですけど、ノーランすごい好きなわけじゃないけど、嫌いでもないんですよ。
12:01
悪が強くて飲み込みにくいなっていう部分があって、苦手っていう気持ちは正直あるんですけど、嫌いではない、間違っても。
で、好きな気持ちも当然ある。
やっぱりこれだけすげえ映画を見せてくれるっていうのは、英語ファンとして見逃せないっていうのはありますし、
これはね、語るの難しいなぁ。
すごい、すごいんですよ。
アクションがすごい、映像がすごい、時間を生かした映像がすごい。
何言ってんだって感じですよね。
もう語れねえわ。
やっぱりそこがね、ノーラン監督の一番尊敬すべきところかなと思ってて、
変に語られる感じよりは、まずその感覚に直撃してくる映画を撮ろうってしている心出しがめっちゃある監督ですよね。
ここだけは本当に認めざるを得ない。
それをちゃんと今回も見せてくれたっていう。
今までずっとここまでその期待値上げ続けて、ちゃんと上回ってくるのって本当にすげえなと思って。
テネットに関しても、思いついたってこんなもん撮ろうと思わねえよバカってことを実際撮ってるんですよね。
これはね、やっぱすごい。
ダメだな。
多分これネタバレに踏み込まないとちょっと語れないわ。
ネタバレ入っていきます。
もう無理なんで。
要はですね、時間が逆回しになるっていう要素は予告の段階からちょこちょこ見えてたと思うんですよ。
オープニング段階でも時間を逆行する弾丸っていうのを使った見せ場があるんですよね。
それが本作のSF的ギミックの説明シーンにもなってるんですけど、空の銃を撃とうと思って、正確には撃とうと思うというより引き寄せようと思ったら、壁に打ち込まれている銃弾が銃に戻ってくるっていう展開があるわけですよ。
ここでの範囲にだけ想像されるのは、時間を逆行するアイテムを使ったアクションがあるのかなっていうのが想像されますよね。
予告の段階ではここぐらいまでしか語られてなかったのかな。
違うわ、予告ってそもそもあれだわ。
オペラハウスのとこしか見せるのってないわ。
オペラハウスの中で銃弾が戻るから、多分銃弾が戻る時間逆行のギミックを使った話だんだなっていうのが想像をつくとは思うんですけど、
実際は時間逆行のギミックは、一個一個のアイテムじゃなくて、物語全体を包括するというか内包するギミックなわけですよ。
要は時間を逆行する世界自体に行っちゃうで、巡行している世界と逆行している世界とが交わった中で物語が進んでいくっていうのが後半になるわけですよね。
そこのね、まず驚きですよね。銃弾が戻ってくるのがわかる。
途中で逆回しになっている人間と格闘するシーンがあるので、その人だけが逆行しているっていうのは理解できるんですけど、
15:04
ここから自分自身が逆行の側の世界に行って、世界全体が逆行する中で、せっかくには世界全体が巡行している中で自分だけが逆行している高様の世界を冒険するっていう、
そんなものを映像化できるのかっていうのをやるっていうのがすごいですよね。
ちゃんとそれを巡行側の人間と逆行側の人間のアクションを見せたりするって言って、格闘アクションでだったり、カーアクションだったりっていう。
そこに物語自体のプロットの逆行っていうのが交わってくるわけですよね。
要は既に逆回しに見えていたものは今度は順方向として見えるわけですよ。
これ説明めちゃめちゃむずいな。
このポッドキャストを聞いてくれる人がどこまでこのテネ見てない状態で聞いているかっていうのはあれですけど、一応見てない人が存在している体で話すと、
要は普通の世界の流れがあるわけですよね。
それに対して回転ドアっていう逆方向に行く道具があるわけですよ。
本当に見た目としては回転ドアというか、こうぐるっと回ってくるドアになってくるわけですよね。
回転ドアなので、そこで向きが変えれるっていうイメージを持たせたネーミングであり、ビジュアル的なデザインであるわけですが、
そこで向きが逆になると。
そうなると、これまで起きてた物語が逆方向に回り出して、自分は時間を遡っていくわけですよね。
そうなった時に起こることが、まず酸素が肺に入ってこない。
だから吸おうとしても入ってこないことですよね。
吹こうとしたら入ってくるのか。
わかんないんですけど、多分その肺に酸素を取り込めないし、取り込んだとしても多分その肺包が酸素を取り入れないのかなって感じですね、きっと。
だから息ができないから、要は回転ドアで一緒に戻ってきた酸素ボンベをつけて呼吸をするわけですよ。
逆方向から来た空気は吸えるんですよね。肺に入って呼吸ができるから、それは呼吸できるって。
逆方向から来た銃弾は違う。
逆方向へ来た銃と銃弾は、元の世界からは既に撃たれてて戻ってくる銃になると。
よくわからないですよね。
よくわからない。
どうなるんだ?
逆方向に来た銃が入ってても、元の世界の人間は撃てないですよね。
だから元の世界の人間にできる銃は、そうか。
逆方向へ運ばれてきた銃は、順方向の人間には撃てないんだ。
既に撃たれてる銃弾を引き寄せることしかできないから、逆方向へ来た銃を撃てるのは逆方向の人間だけなんだってことですよね。
で、えーと、わけわかんなくなってきたな。
18:00
要はね、こんなにややこしいことを映像化してて、細かいところは一旦置いといて、少なくともなんとなく飲み込める映像になってる。
奇跡みたいなことですよ、本当に。
それを情報整理していった脚本がすごいし、それを実際のアクションに落とし込んでいったアクションコーディネーターもすごいし、全員すごいですよね。
頭おかしくならなかったのかなっていうくらい。
信じがたいですよ、本当にこんなもの見せられて。
で、最終決戦がハサミ打ちって言って、これね、ぷりっと説明しだすと話終わんないからな。
幕画品があるわけですよ。
要は話を進めるためのアイテムがあるわけですよ。
中身は世界が滅びる何かなわけですよね。
アルゴリズムっていう、個々集めると世界が終わっちゃうっていう、なんかよくわかんないおでんみたいなマシンがあるわけですよ。
それを集めていって、最後集まっちゃったのをばらさないといけないと。
で、それを使われちゃうと世界が滅んじゃうので、それを止めに行くわけですよ。
で、ある時点からの10分前から順方向から、そのアルゴリズムがある場所を攻めていく舞台と、
そのある時点から10分後から逆方向にアルゴリズムがある地点を目指す逆方向の舞台とで、時間的なハサミ打ちをするわけですよ。
で、ここはね、もう何起こってるかわけわかんないんですよ。
ここでノーラン監督もさすがにわかりにくすぎるので、親切にも順方向の舞台には赤いワッペンをつけて、逆方向の舞台には青いワッペンをつけるわけですよね。
で、見てる方としては、あ、この人は順方向だ、この人は逆方向だってわかるようになってるんですけども、
ただそれがわかったって、実際にその赤たわがいじまちって起こってることはわけわかんないわけですよ。
要は、戻ったり進んだりがぐちゃぐちゃになってるので、そもそも最終的にどうなるかっていうのはないわけですよね。
常に何かが起こるってことと、何かが起こってたことが戻るっていうことが同時並行して起き続けるので、始まりと終わりがないわけですよ。
よくわかんなかったのが、1個ビルがあって、順方向でスムーガルからロケットランチャーを撃ってそのビルを壊すのと、それとほぼ同時タイミングで逆方向からロケットランチャーを撃って銃を壊すっていうのをやるんですけど、
実際そのビルがどうなるかっていうと、半分壊れてたビルが撃たれて治るわけですよ。
逆方向から撃たれたってことは、順方向から見たら治るわけですよね。
治ると同時に、順方向から撃たれたロケットランチャーでそのもう半分が壊れるわけですよ。
あれ、何のためにやったんだろうって思いますよね。何のためにやったんだろう、あれ。わかんないんですよ。
で、壊れる壁に吸い込まれていくフェイスとか、本当にね、これ映像で見ないと意味がわからない。意味がわからない、本当に。
21:07
ただ、何かすごいことが起こっていて、これを作った奴らは頭がおかしいってことだけはわかるっていう、あのね、最終決戦があるんですよ。
で、またこれ、他の人に聞いたあれなんですけど、ある時点に向けて前10分から進むのと、ある時点に向けて後10分から戻っていく、10分10分のが最終決戦なわけで、点、点なわけですよね。
で、点と逆向きの点だから、合わさったらテネットなわけなんですよ。
お前ノーラン、あざといことすんなーって感じですよね。
それ聞いた時ね、お前って正直ちょっとこだわりが気持ち悪いなって思いましたね、ちょっと。
すごい、本当に。
全てを作り込んでいくっていう、なんか病的なこだわり、ここまでやるから作れたんだなっていう異常な世界ですよ。
これを映像で見ている自分、もう普通に追っかけたらもう混乱しかしないので、
ただ、混乱しかしないんですけど、ノーラン監督作品が、僕が今まで見てきた中で、すごい親切だなと思っているのは、
キャラクター、特に主人公ですよね。主人公の主観だけ追い続ければ、何とか話は終えるようになっている。
ここが親切なところだなと思うわけですよ。
で、本作でも、その主人公の主観がかければ、話は何とか終えるようになっている。
あと、実際、主人公自体も常にその事態に対して混乱し続けているわけなので、主人公も我々と同じ立場なわけですよね。
だから、主人公がとにかく分からないなりに物語に、事態に追い付こうとしているっていうのは、観客と同じなので、それと同じ目線で見れば何とか話は終えるわけですよ。
なわけで、それ、何とか主人公目線で話をギリギリ追い付きながら、良い目の分からない映像を見せられて、ラストへ向かっていくっていうのは、本当に急な体験。すごいですよ、これは。
で、ここまでが1回目の主張なわけなんですけど、1回目のラストでね、ニールっていう、まあその主人公のパートナーにキャラクターがですね、要は最後死ぬわけですよ。
で、最後死ぬっていうのも、逆方向の世界で主人公を助けて、生きてたところから、最初死んでたのが、生き返って主人公を助けるっていうふうな逆方向の向きで現れて、主人公を助けていくわけなんですけど、で、もう1回その後でニールは順方向として、もう1回主人公を助けるわけですよね。
で、主人公を最後、順方向で、最後の最後に助けて、で、この後まだやることがあるって残って、どっか行っちゃうわけなんですけど、要はこの後ニールが何をするかって言ったら、逆方向の世界に行って、今度は主人公を助けて死ぬっていう役割が残ってるわけですよ。
24:07
で、それはもうどうしようもないわけですよね。この時間を逆方向に進む動向っていうのは、最後死ぬ地点だけはどうしようもなく動かないわけですよ。だからニールは何度か順方向に行くことと逆方向に行くことを繰り返しているキャラクターなんですけど、死ぬ地点だけはもう絶対なわけですよね。そこだけ動かないと。
そこに向けてニールのキャラクターは行動してたっていうのはわかっていくと。それが雑な言葉ですけど、エモいんですよね。自分が死ぬことをわかっていてそこに行くっていう。そこに向けてずっと積み重ねていくわけですよ。
結局ニールは主人公が本編の後で未来で出会うキャラクターだと。主人公が世界を救うためにニールを誘って、ニールはそれに伴って逆方向で本編の時間帯まで戻ってきて、もう一度順方向として主人公と一緒に行動して、逆方向に行って、もう一回順方向に行って、
最後逆方向に行ってかっていう。何度かそこを繰り返すんですけど、要は死ぬってわかってるキャラクターがそこに向かって未来からやってきてると。そこで主人公とニールがどういう関係を紡いでいくかっていうのは空白なわけですよね。絶対的な空白ですよ。未来だから。
この物語は本編の終わるタイミングが最後の時点なので、主人公目線ではそこから先には進まないわけですよ。ただニールだけはその先に存在していて、主人公が本編の先に進んだ後で物語があるっていうことがわかるというのが推察されるわけですよ。それが関係性模様文脈で見るとすごい良いわけですよね。
ロバート・パティンソンの美貌も良さみがあるわけですよ。
2回目はこのニール目線で見ると、物語全体の1回目では理解しきれなかったSFギミックの理解とその関係性模様文脈っていうのがより煮詰められるわけですよね。
初めに会った時のダイエット効果を勧めるところで、ソーダしか飲まないんだって知ってるぜみたいな顔するわけですよね。それを返されたらニールが。
そこがね、自分だけわかっている何かを確かめる仕草みたいなのがね、2回目を見るとグッとくるわけですよ。
あとは主人公と初めて会った時の握手。ちょっとね、名残惜しい感じというか、これこれみたいな感じがあるわけですよ。そこが良いですよね。
あとは、そこから先進んでいく物語。どういう思いで主人公のことを聞いたんだなっていう。そこを想像させる奥行きがあるというか、もう完全に余白ですよね、そこ。
27:01
もう描いてないからこっちが勝手に想像するしかないわけですけど、そこの余白は本当に味わい深い絵だなというのを思いましたね。
あと、主人公が名もなき男なわけです。1回目を見ている間気づかないんですよね、最後のエンドクレジットで名前がなかった男だっていうクレジットが出るまで気づかないわけなんですけど、
優れた滑撃映画って主人公の名前を必要としないものなのかなっていう風に思ってるんです、僕は。
主人公が常に主観で走り続けるので、名前を必要としないわけですよ。名前っていうのはその結果のために存在しているわけじゃないですか。
第三者目線で他の何かと条件を区別するためのものなので、物語が常に主観でアクションし続ければ、名前は必要としないっていうのがよくわかるわけですよ。
本作は、そういえば本当に最後になって思うんですけど、主人公の名前なかったわって最後に思うんですよね。これがいいなって本当に思うわけです。
で、同時にそれは名もなき男っていうのは、主人公と一緒にこの物語全体の不可思議すぎるギミックに混乱し続ける観客、私たちの視点とも重なるわけですよね。
そこの味がすごくある。誰かではないって感じ。主人公は私たちの目線であると。
そうなるとニールはもうどうしようもない他者っていうのもまた、我々ではない、どうしようもない、絶対的な他者であるっていうのがまた関係性的に美味しくなるわけですよね。
なんかね、ノーラン監督、今までこういう作品の作り方知ってなかったイメージだったんですよ。
なんか哲学的な善悪とか親具合とかは描いてきてたイメージなんですけど、なんか関係性萌えってやってなかった?
あ、でもダンケルクはそうなのかな。ダンケルクは結構関係性萌えで見れちゃ見れるか。
見てて誰かが関係性萌えの何かを埋め込んどくといいっすよって誰かがリエイジしたのかなとか思って。
ノーラン監督本人だけだとそういうのあんまりそこまでやらなそうかなっていうイメージがあって、もう勝手なイメージですよ。ごめんなさいね。
って感じっすね。本当に圧倒的な体験をさせられる。
特に2回目見た時が、要は既に結果がわかっていることを遡って見てるっていう、まさにそのテネットの体験に重なるわけですよね、2回目見るっていうのが。
この2回目見ることで完成しているっていうものが、まずにテネット的な構造を内包しているものとして作られているっていうのがすげーなって。
ここまで計算してやってたら化け物ですよね、本当に。
あ、1個関係性萌えで思い出した。暗号っすよ、暗号。
なんだっけ、黄昏に…黄昏に…黄昏に生きる良い…良いに伴したっけ。
30:02
あ、黄昏に生きる良いに伴した。
これ、この暗号って過去から戻ってきて、要は世界を救うための組織を作るための黒幕になる主人公が決めた暗号っすよね、多分。
で、ここで黄昏に生きる良いに伴しっていう暗号、なんかの詩だったかなっていうふうに人に聞いたんですけど、
黄昏何かって言ったら、要は本編以降の世界っすよね。本編は日が昇っている間の世界で、本編外の世界は要は黄昏っすよ、日がない世界っすよ。
で、要はここで太陽とは何か、友とは何かってズバリニールのことっすよね。
だから本編の間はニールはいたけども、本編の最後の境にニールはいなくなってしまうから、黄昏であり良い友はいないってことっすよね。
エモくないっすか?やばいでしょ。ちょっと微伝たらたらすぎるでしょ。どんだけ思い焦がれてんだよって感じっすよね。
これ気づいたときやべえなこれってなりましたよね。よくこんなものを埋め込んだなって。はかどりますよね、何かが。
生死ニールで何かがはかどりますよね。すごい、どこまで話してたっけ。すごいっすよ。
でですよ、好きになれないところ、気になるところの話をしたいなと思うんですけど、
まず時間逆行に対する飲み込めなさというか、そこ矛盾じゃないかなっていうところなんですけど、
正直結構ノーラン監督って見せたいものを撮るために、ある程度その根本の物理法則をファジーに設定してるのかなって思うところがあって、
インターステラーの時もそうだったかなと思うんですけど、なんか面白いものが撮れれば、根本観はある程度その時々で臨機応変に使っていい?
ちょっとあれの言い方すれば、ご都合主義に使っていいっていうところがあるかなと思ってて、
時間逆行と時間人口の人間として格闘する時なんですけど、正直どういう原理でその格闘が成り立っているのかよくわかんないわけですよ。
例えば相手を投げようとしたら、投げ飛ばそうとしたら、でも向こうからしたら引き上げられてるわけですよね、倒されてるところから。
じゃあ投げようとしてる意味あるのかなというか、そもそも投げようとする力を加えて、相手の主観としては引き上がってきてるわけだから、
力ってどうかがってるのかなって、そもそも力なんてかかってないんじゃないかなって思っちゃうんですよね。
パンチしたとしても、当たったとしても意味ないというか、それ自体は当たったんじゃなくて、すでに引いてきてる順番だから、
相手に当たった時の衝撃もどっちかというと、弾かれるというよりもすごい力で引き寄せられるような衝撃が加わってる。
33:05
なんか引き寄せられるって感じ。まあそれ自体はダメージにはなりそうなんだけど、衝撃はいいんですよ。
衝撃は多分すごい衝撃で引き寄せられるんだろうなって思うんですけど、投げるとかっていう力を加え続けるような動作をした時にどうなるかわかんないんですよ。
投げるでしょ?投げたとしても、そもそも相手は倒れてたとこから引き上げられてるわけだし、力の加わり方って軸で考えると意味がわからないわけでしょ。
あと、カーチェイスのシーンで火をつけるところなんですけど、あれって表現としては要は逆方向から来たガソリンに逆方向から来たライターで火をつけて、
逆方向から来た車に引火して爆発すると。ただ、爆発したとしてもその元の方向の世界の空気はその逆方向から来たガソリンによる爆発によって冷やされるから、
車全体としては冷却されていくわけですよね。だから主人公は低体温症になったってことなのかなと思うんですよ。
要は逆方向から来たガソリンに火をつくるためには逆方向から来たライターじゃないと火はつかないってことなのかなと思って、
だってあのライターは間違いなく逆方向から来てますよね。敵役の名前忘れちゃった。セイターが持ってたライターが火をつけたわけだから、あのライターは間違いなく逆方向なわけです。
ということはあのライターは冷却してるわけですよね、周りの空気を。熱を吸い取ってるわけですよ。ということは元々の世界のガソリンには火がつかないわけですよね。
だからあのガソリンは間違いなく逆方向から来たガソリンだと思うんですけど、ただ、そもそもライターに火がつかないんじゃないかなと思って。
だって燃焼なわけでしょ。燃焼するためには酸素を吸わないといけないわけですよ。でもそもそも逆方向の酸素は吸えないって言ってたじゃないですか。
それは逆方向の世界に来たら順方向の酸素は吸えないわけです。だから呼吸ができないっていうことは燃焼もできないはずなんですよね、きっと。
ですよね、この理屈多分合ってるはずなんですけど、でも火はつくんですよ。ついてしまえばガソリンにリンクもするし、車に火がついて爆発するわけですよね。
ただその炎が冷却するのは、いや違うのか、でも冷却されるって言ってるから。だからそもそも燃焼するためには酸素を吸うわけだから、逆方向の酸素だと冷えるってことなのか。
え、違う、だから逆方向から来たライターで使って順方向の酸素の中でライターをつけると冷却されるわけか。そうっすよね、そうっすよね、きっと。
だから、いや、それでいいのか?それでいいのか?わからん。うん。なんかとにかくアクション周りがいろいろ誤魔化されている気がするっていうのがある。
36:09
このあたりはね、本当にね、ドラえもんみたいなものだと思っていないといけないかなと思って。要は回転ドアっていうのは時間逆方向入り込みドアなわけですよね、ドラえもんっていうところの。
で、ドラえもんで細かいところを気にしないというか、ドラえもんは面白おかしい話を描くためにSFギミックを使ってるわけなので、クリスタファー・ノーラン監督もかっこよくてワクワクする絵を撮るためにSFギミックっていうのは存在してるわけですよ。
だからかっこよくてワクワクできるものを撮れないのであれば、そのSFギミックは嘘をついた方がいいわけですよね、ノーラン監督の哲学に則った映画を撮るのであれば。
だから本当にドラえもんぐらいのノリで見といたらいいのかなと。多少の無人とかはある程度ファジーに捉えていくべきもの。
もっと言うならドラえもんというよりジョジョンですよね。ジョジョンの時間経つる系のスタンドのなんだかよくわからなさってめっちゃあると思うんですけど、とにかくなんとなく面白くなるのであれば面白くなる方向で解釈すればいいので使ってるのかなっていう感じ。それは正しいと思います。そっちの方が面白くなるから。
だからノーラン監督の作品はドラえもんというよりフジコFフジオの少し不思議世界かつジョジョぐらいの感じで見たらいいのかなっていう。今回のテネットもそうっていうのが覚えたことですね。
あとすごい気になっているのが最後の対決なんですけど、前10分と後ろ10分から2分間のサンドイッチにして破局の時間というものを追い詰めていくわけなんですけど、あの10分っていうのはあれか、大爆発があったっていう情報が入ってきてて、その大爆発のタイミングには何かが起こっているはずだから、その10分前と10分後からハサミ撃ちしようとしてるっていうわけか。
ただ、逆方向から来た味方は頑張りますよ。成功してるわけだから。成功してるって確信があるわけだから頑張れると思うんですけど、敵はやろうとしてたことが主人公側によって阻止されてるってわかるわけですよね。逆方向に進んでる敵からしたら。やる気なくさないのかなと思って。
主人公チームは、その要は運命みたいなものにすごい誠実であろうとしてるし、おそらくあの部隊が全員そう教育されてるわけですよね。どうなろうがとりあえずやり遂げると。起きたことは仕方ない、やり遂げるっていう哲学を教育されてるわけだから、
順方向の奴らはわからない未来に対して頑張るけど、逆方向の奴らはわかりきってる過去に対して遡っていくわけですよ。それはできますと、主人公の部隊は。そう教育されてるから。敵チームは正直ただのマフィアなわけですよね。わかりきってる過去に対して頑張る動機あるのかなって思うわけですよ。
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しかもその敵チームのマフィアの奴らっていうのはどういう命令を受けてあれをやってるかっていうのはよくわかんないわけですよ。セイターがやろうとしてることは結局自分が死んだ後に世界が存在しないようにっていう超でっかい自殺をしようとしてるわけですよね。
で、それに対して俺が死んだら世界滅ぼすからお前らやれって言ってるわけないじゃないですか。ただのマフィアなわけだから、ロシアンマフィアなわけだから、あくまで利益のためにボスの命令を聞いてるはずですよね。ということは世界の破滅に付き合ってるわけじゃないんですよ。とにかくやれと言われてるわけですよね。
未来に対する運命に対する誠実さとかも絶対教育されてないわけですよ。敵を殺したらいい、目的を遂げたらいいだけしか与えられてないわけだから、そんな奴らが逆方からすでに自分たちが失敗してる過去に対して遡っていくやる気って湧くのかなと思って。
なんかお前ら真面目だなと思って。俺たちボスの命令失敗してるけど、これが運命だから頑張ろうぜってやってるとしたらすげえ真面目ですよね。僕がマフィアだったらそこにやる気は湧かないなとは思いました。
むしろどうやって逃げるって考えるかな。ボスの命令失敗してるわけだから、逆方向で失敗した時間より後に行って、そこから遡ってるわけだから、そもそも誰も成功してるかどうかって分かってないのか。
成功してるかどうか、失敗してるかどうかを分かっているのは、主人公とニールと、あともう一人あいつ、アイビスの3人だけじゃないといけないわけですよね。
要は最終的に未来にある結果ではなくて、順方向にとっての未来と逆方向から過去にとっての挟み打ちにされた、ある時点に起きた事象に関して知られてしまったらみんなやる気はなくなっちゃうわけだから、
とにかくそこで何かが起きたっていう状態だけは客観できるようにして、その事態を分かっているのは、主人公とニールとアイビスだけじゃないといけないのかな。そうじゃないと誰もおかないですよね。そもそもセイターも何かが起きた、あの時点で何かが起きてるってことだけは確認するように作っておかないといけないはずですよね。
そうだな。バレない。何かがある時点で時間全体の運命を消すようなことを起こしたこと、要は逆方向から来た人間が関わった事象で起きたことっていうのは広く知られてはいけないはずなんですよね。
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それは物語の都合でもあるわけですよ。それを知られてたら矛盾が大きすぎるから、知られないようにするしかないんですよね、プロット。だから、あの時点で何かが起きたと。それを知ってるのは主人公とニールとアイビスだけであると。
だからとにかくみんな、他のみんなは何が起きてるかわからないがその時点に向けてやるしかないっていう状態ってことですよね。それはセイターの最後にとってもそうなわけですよね。
あのセイターは最後、自分の死期がある程度近いタイミングでクルーザー船に来て最後を過ごそうとしている時間であると。で、そこでセイターが最後キャットに殺されるっていう状態を他の人間に知られたらセイターがあそこで死ぬっていうことがわかってしまうから、それに対してアクションせざるをしないといけなくなるから、世界が分岐しちゃうわけです。
それを起こさないためにはセイターが死んだっていうことを知っているのはキャットとボートで待ってたヤツ、マヒアだけじゃないといけないわけですよね。もちろんそのセイターであるとか過去のキャットがそのセイターの一番最後のセイターの死っていうものを知ってしまってはいけないわけですよね。
で、この辺りは何て言ったらいいのかな。物語上の都合でもあるし、セイターの死が広く知られないっていうのはあるし、時間の流れがそうなるように修正されそうなってるっていうふうにも見えますよね。要は時間は変に分岐を作らないように、知るべき人間だけが知るように結果を残しているっていうふうな見え方もすると。
だから結局全てが決まったようなのかなっていうふうにも見えるんですよね。そこは本作で語られている運命論そのものですよね。起きてしまったことは仕方ない、ただやるべきことはやるっていう。結局その時間、過去に影響を与えるようなことを逆方向の中で行ったとして、それで時間が分岐するのか、それとも未来が全て書き換わってしまうのかっていうのはわからないと。
ただやるんだっていう。めちゃめちゃ個人的な話ですよね、本当に。めっちゃ世界系だなと思います。ごくごく一部の人間たちの認識が世界全体に影響を与えていると。で、世界っていうものはあくまで背景であるっていうふうな描き方だなと思って。すごい世界系の話だなと思ったんですよ。我々の認識で世界は決まるのだなっていう。
それは結構ね、わりとノーラン監督全般に共通している部分なのかなと思ってて。インターステラーとかもそうだなと思ったし、ダグナイトトレオジーもそうだなと思うんですよ。バットマンが持っている倫理観とバットマンの周囲にいる人間、そのバットマンの仲間もそうだしバットマンの敵もそうなんですけど、その非常に限られた人間たちの善悪感をもとに世界が作られていると。
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で、その世界の善悪感はその限られた人間たちの決断によってなされていくっていう感じがあるなと思って。めっちゃ世界系だなって思うんですよね、そのあたりは。世界系の定義の話とかは、いいっすよね。
よく言われてた言い方だと、君と僕の関係性と世界とが直結していて、その間の社会であるとか、間の関係性っていうものがあまり描かれないというものが世界系って言われ方。ちょっとそのあくまで僕が見聞きした中での言い方でしかないので、一般的に言われている表現とは違うかもしれないし、定義でもないですし、そもそも定義がされていない言葉だと思うんですけど、よくそう言われ方がしますと。
結構オラン監督、世界系だなと思うわけですよ。すごくね、テネットに関してはすごい良かったです。世界系はね、ちょっと飲み込みづらいなって思うときは結構あるんですけど、やっぱり時間、テーマと世界系ってすごい相性いいっすよね。世界系の基本みたいな感じですよね。
おかしなところとか苦手なところの話をしようとしてたのに、なんか本当に話が横滑りしまくるっていうね。要はSF義務区的には整合性は取れてるようで取れてないのかなっていう気はしないでもない。取れてるのかもしれない。正直自信がないです。ただまぁそこも本当に面白さを優先で描いてるっていう心意気はやっぱり非常に買いたいし飲み込める部分ですね。
あとここはね、ノーラン監督の正直好きになれないところなんですけど、暴力を描かないっすよね。なんかかっこいいアクションとか哲学的な善学を描きたいっていうのはよくわかるんですけど、非禁な暴力っていうものはあまり描かないなと思って。
あとそのプロテクスクで生々しい暴力、こういうもの描かないなっていう。あんま血が出ないっていうのもありますよね。バットマンのアクションとかもそうだったかなと思うんですけど。ランケットとかもそうっすよね。戦争状態っていうもの、緊迫感のアクションを描こうとはしてるけど、戦争が持ってる汚さとかえげつなさみたいなものはあまり描かないなっていうのがあったりとか。
本作でも一番初めのオペラハウスのシーンで、テロリストが撃った銃が観客に当たらないわけですよ。銃弾が観客と観客の間の座席に当たってるわけなんですよね。で、あのシーンって絶対観客に弾が当たってた方が面白いわけですよ。
観客に弾が当たって死んでるってわかる方が、弾が当たったら死ぬっていう弾から逃げてるっていう緊迫感が出るシーンだけど、描かないんですよね。あくまで弾丸が飛び交って中を避けてるっていう描き方をしてる。
この辺りの暴力の描き方っていうのは、結構古いタイプのリブット映画とかにあったアクション映画の描き方なのかなっていうふうにちょっと感じて。
本当に50年代60年代の映画、アメリカニューシネマイネンスよね。血を描かないとかっていうのはあったと思うんですよ。主人公のアクションを描きたいから生々しい暴力を描かないっていうのはあったと思うんですけど、そういう描き方のバランスになってるのかなと思って。
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あの辺りの不自然さっていうのは正直目にはつきましたよね。あとはその後主人公がテレビストに捕まって拷問されるシーンも隠しますよね。
ダークナイトトリロジーでもそうだったんですけど、弾が当たって人間の体に穴が開くシーンとか、ジョーカーが鉛筆を人に突き刺すシーンとかもなんか上手いことを動かして見せないってやってたなと思って。
やっぱね、かっこいいアクションを描きたいのであって、暴力を描きたいんじゃないんだなっていうのは思うわけですよ。テネットの中でもキャットがセイターに暴力を受けるシーンでも、脅しとかはあるけど腹を蹴られるシーンとかは上手いこと葛藤を割って直接腹を蹴るシーンは描かないわけですよね。
で、その後キャットが悶絶してるシーンになるけど、男が女に暴力を振るエグさみたいなのの一番直接な部分は描かないんですよね。
動滑してるシーンとかあるんですけどね、あくまで動滑レベルというか、本当に直接的な意味での暴力っていうものは描かないんですよね。
あと血が出た状態っていうのも、弾が当たったりとか殴られたりした瞬間に飛び散る血っていうものはあまり描かないのかなっていうふうに見えて、要はダメージ表現として既に流れている血であるとか、床についている血とかはあるわけですよ。
ただその人間の体から血が出るっていうものはあまり描かないなと思って、テントの中でもすごい血の使い方として上手かったんですよ。
逆方向の弾でセイターがキャットに銃を向けて脅してるシーンで、既に順方向の側から主人公が逆方向の世界でセイターがキャットを脅してる様子を見てて、
既に撃たれた弾の弾痕が防弾ガラスについていて、そこに血がついているっていうのがわかるわけですよね。
ということは、撃ち抜かれているっていうことがわかる。そこからこのままでは撃たれちゃう、やばいやばいっていうのがわかるわけなんですよね。
撃たれていることは間違いないと。ただ、頭に向けていた銃が腹に向かって撃たれるってことで、即死は免れるけど撃たれたっていうことだけは間違いないっていう描き方がされてて、
そういうギミックとして血は使うんですよ。ただその暴力そのものの暴力性を描くものとして血は使わないんですよね。
なんでかっていうと血は内臓だからだと思うんです。つまり人間の肉体性みたいなものは描くつもりはないのかなっていうふうには思うんですよ、ノーラン監督は。
精神性の部分、例えばそのバットマンとジョーカーの対決における哲学的な善悪であるとか、ダンケルクにおける緊張感ですよね。
死が迫ってくるっていう緊張感は描くけど、その生きている状態と死んでいる状態の間にある生々しい暴力っていう仮定はないんですよね。
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ダンケルクの中における銃弾とかの兵器っていうのは死そのものって感じなんですよ。
当たったら死ぬ、喰らったら死ぬ。その間に人間が血を、血は内臓を体からこぼして死んでいくっていう仮定はないっていうふうに見えるっていう感じなんですよね、僕の受け方としては。
テネットにおいてもそういうふうに見えたという感じがしました。
このあたりはね、やっぱり僕は暴力に対する生々しい描き方っていうものはアクション映画にやってほしいところなんですよ、個人的な好みとして。
やっぱり暴力の暴力性っていうものは描いた方がいいんじゃないかなっていうものが僕の意見としてあるし、
やっぱりその漂白されたかっこいいアクションとしての暴力っていうものはちょっとその欺瞞性を僕は覚えてしまうところではあります、正直のところ。
好みではないなっていうところですね。
ノーラン監督は基本的に精神性と画面とアクション、アクションじゃないな、人間の精神性と構築された画面のかっこよさ、美しさを描きたい人だなと思ってて、
基本的に醜さは描かないですよね。ドロドロした醜さは描かないですよね。
なんか悪って感じは、絶対悪みたいな、ちょっと抽象的なものは好んで描くなと思ってるんですけど、
実際なんか非禁な生々しい感情であるとか、そういうものは基本的に描かない監督かなと。
基本的に抽象性であるとか象徴性に人間の内面も世界の描き方も着地していくような描き方をしている作家なのかなっていうふうに思ってますね。
これダークナイト以降しか見てない人間のここまで語って、
てめー的外れなこと言ってんじゃねーよって思われそうで怖いな。
ダークナイトトリロジー以降ノーラン監督作品を見ている人間から見たノーラン監督への印象として聞いてもらえたらありがたいかなと思います。
その生々しさの無さはね、やっぱりね、ちょっとね、欠落だなって思っちゃうんですよ僕としては。
完成された構築された画面、人間の肉体性を離れた機械的なまでの人間のちょっと違うな、構造的に人間を描こうとしてるって言ったらいいのかな。
構造的に人間と世界を描こうとしてるって言ったらいいのかな。
で、間にあるその生々しくて不確かな人間性であるとか世界というものは描く日がないのかなというふうに思ってます。
で、物語、フィクションに触れると生々しい不確かさを求めてるところあるんですよ。
なんかそこを接触することで自分たちの世界における知っていくヒントとか力みたいなものをもらえるのかなっていうふうに思ってるところがあって、
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そこはね、ノーラン監督の作品からは得られないところだなとは思ってます。
その分、圧倒的なまでの構築されたエンターテイメントを見せられるんですよね。
そこは本当にすごい。
ただ、僕の本当の好みのど真ん中からは常に外れてる作家だなって思ってるんですよね。
語るのすげえ難しいな。
伝わってたらいいんですけどね、この感じが。
てな感じですね。
ノーラン監督、いろんな複雑な気持ちで楽しんでる監督ではありますね。
すごい、本当にすごい。
ただ、僕が本当に欲しいものはこの料理の中には入ってない。
あと、悪が強いっていうね。
あ、そうだ、これ、ノーラン監督の作品の癖の部分としてちょっと言いたいかなっていうのは、
とにかく、画が出てますよね。
料理食べに来たら、ノーラン印の何とかっていう常に料理に書いてあるみたいな。
ここまで画の強さは、そこを期待してる客もいれば、そこがちょっと一歩引いちゃう客もいるってところで、
僕はちょっと一歩引いちゃう側の客かなって思ってます。
全部の料理にノーラン印って書いてあるっていう。
味付け濃いなっていうのは、いつも思うところではありますね。
ただ、もちろんそこはね、やっぱり強烈な魅力でもあるわけですよね。
そこまでね、過剰な何かと欠落した何かを同時に併せ持っている作家、
しかもそれがね、やっぱりビッグバジェットのトップランナーだっていうところがやっぱりね、異常自体ですよ。
超カルトな作家だと思うんですけど。
そんな人間が本当に世界のトップを走って、この奇跡を現在真空系で見てるっていうのはやっぱり幸せなことですよ。
またやっぱりその映画館で映画を見るっていうことの価値っていうものを世界に対して提供してる。
本人がそれを自覚的にやってるっていうのがまた素晴らしいですよね。
このコロナウイルス禍の中で映画館っていうものがちょっと忌避された状況の中で、
やっぱり映画館で映画を見ることの価値って自覚的にやってる作家の今世代の第一人者だと思うんですけど、
そこは本当にノーラン監督がいてくれたおかげで、今この時点での映画館の最高はあり得てるなとは正直思ってますね。
偉大すぎて語りようがないぐらいだと思います。
難しいっすね、本当に。
もっとね、わかりやすい作家だったら、へへへって感じで、面白いって感じで、何も考えずに楽しむっていうのもできるんですけど、
ノーラン監督の作品はやっぱり考え続けさせると同時に言語化できない感覚を植え付けるっていうね、
すごいアンビバレントなんですよね。
やっぱり本当に稀有な東大ドイツの映画館だなと思います。
はい、てな感じでテネットの話でした。
本当にね、一つのことを喋ってるとこれが思いついてどっかに行っちゃうって感じで、
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めちゃめちゃ尻滅裂な話だったなと思います。
ごめんなさい、これに関しては全然まとめきれてなかったです。
正直テネットは難しい。
ノーラン監督はやっぱり難しいっすわ、語るの。
自分で話ブレブレだなって思いました。
反省です。
はい、以降気を付けます。
はい、てな感じで、ポッドキャストよしの映画酒場第3回を終わりたいと思います。
次回なんですけども、何の話しようかなと思ってるんですけど、
今見ようと思ってる映画は、アリス・スイートアリス。
スラッシャー映画の、結構伝説的なスラッシャー映画ですよね。
が、塚口さんさん劇場でリバイバルすることになって、
これめちゃめちゃ気になってて、これは絶対に見ようと思ってます。
あと、バイオレット・エバーガーデンの映画は見ようかなと思ってて、
今テレビシリーズを7話まで見ました。
で、この絵に関してはいつも私結構、
テレビシリーズを見てない映画の劇場版をいきなり見るみたいなことをよくするんですけど、
本作に関しては多分テレビシリーズを知らないと、
映画自体に全く入れない可能性があるかなと思って、
ちょっと見てから見ようかなと思ってるんですけど、
間に合えばこれも見たいかなと思ってますね。
あとね、クレヨン・シンちゃんも見たいかなとは思ってるんですが、
そんなところかな。
草薙剛さんのミッドナイトスマンって結構話題になってますよね。
気になるな。
あ、ガチョウコの夜。
ガチョウコの夜。
ディアオ・イーナン監督。
あの、白標の殺人の監督ですよね。
のガチョウコの夜。
めっちゃ気になってるんですけど、
おそらくタイミングが合わないんですよね、上映時間。
マティア・サンダ・マッキシム。
ヌサビエ・ドラン監督。
これはどっかのタイミングでは見たいですね。
今気になってるのはそこぐらいかな。
マティア・サンダ・マッキシム。
ガチョウコの夜。
ミッドナイトスマン。
バイオレット・エヴァーガーデン。
アリス・スイートアリス。
ぐらいを見たいと思っている映画としてありますね。
ガチョウコの夜は多分時間的な問題で見れないかなとは思うんですが、
どれかを話せたらなとは思います。
で、ポッドキャスト収録をツイッター配信しながらやってるんですけども、
基本ツイッター配信の時間はもう決めてしまおうかなと思ってます。
木曜日の午後8時からやろうかなと思ってますので、
もしツイッチで私のこのポッドキャスト収録の配信を見ていただけてる方がいらっしゃるようであれば、
木曜日の8時から見ていただけると嬉しいです。
はい。
ツイッチはですね、
ヨシアンダーバー映画っていう名前でやってるんですけど、
ひらがなでヨシ映画語り漢字っていうアカウント名でツイッチ配信してます。
1:00:02
もしよかったら見ていただければ嬉しいです。
はい。
てな感じですね。
では来週ちょっとまたこれから見る映画でポッドキャスト収録配信できればと思ってますので、
よろしくお願いします。
はい。本日はご視聴いただきありがとうございました。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
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