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今日のテーマトークは、敵です。はい、ではマリオンさん、解説をお願いできますでしょうか。
はい、映画ドットコムから解説を読ませていただきます。
篤井康隆の同名小説を、霧島部活やめるってよ、騙し絵の牙の吉田大八監督が映画化。
穏やかな生活を送っていた、独居老人の主人公の前に、ある日、敵が現れる物語を、モノクロの映像で描いた。
大学教授の職をリタイアし、妻には先立たれ、祖父の代から続く日本火山に、一人暮らす渡辺義介、77歳。
毎朝決まった時間に起床し、料理は自分で作り、衣類や使う文房具一つに至るまで丹念に扱う。
時には気のおけないわずかな友人と酒を飲み交わし、教え子を招いてディナーも振る舞う。
この生活スタイルで、預貯金があと何年もつかを計算しながら、日常は平和に過ぎていった。
そんな穏やかな時間を過ごす義介だったが、ある日、書斎のパソコンの画面に、敵がやってくると不穏なメッセージが流れてくる。
主人公の義介役を、12年ぶりの映画主演になる永塚強造が演じるほか、教え子役を滝内久美、亡くなった妻役を黒沢あすか、
バーで出会った大学生役を河合由美がそれぞれ演じ、松尾悟、松尾隆、加藤新介、中島亜佑村が脇を固める。
2024年、第37回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、東京グランプリ、東京都知事賞、最優秀監督賞、最優秀男優賞の3冠に輝いた。
はい、それでは内容に触れる話が入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいたら是非見てから聞いていただけたらと思います。
では沢里の感想、マリオンさんいかがでしたでしょうか。
そうですね、なんか予告編の感じが結構難解そうな映画なのかなと思ってたんですけど、
蓋開けてみたら、いつも僕らが話してることを言ってる映画でしたねっていう。
僕らこんな話をいつもやってますよね、みたいな映画だったですよね。
いわゆる中年の危機的なもののあとプラスその先ですよね。
おじさんからおじいさんになり、その待ち受ける死の話みたいなところまで言ってて、
そこの部分は確かにあんまり見たことがないというか、そしてして見てなかったような気がして、
そういった意味ではすごく面白かったなーってすごい思いましたし、
また映像面もすごいやっぱりモノクロの映像がすごくパキッとしてて綺麗で、なおかつ怖い。
やっぱちゃんと怪奇映画でもあるというか、本当に怖いシーンは怖くてみたいなのが、
本当にだんだん現実なのか虚実の世界なのかみたいなのが本当にわかんなくなってくるみたいな、
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好きなタイプの映画にどんどんなっていくので、そういう意味でも本当に素晴らしいなって思いましたし、
ちょっとなかなか冒頭の淡々とした丁寧な生活描写だけでも全然見てられる場所だけども、
なかなか恐ろしく、そして全然難解ではない映画として、でも全然すごい面白い映画だなというふうに思いました。
おじさんいかがでしたでしょうか。
僕もこの映画すごい好きというか、めちゃくちゃ自分ごととして見ていいのかわかんないですけど、
何て言うんでしょうね、多分これ皆さんおっしゃってますけど一言で言うと、
反パーフェクトデイズというかインパーフェクトデイズと言えばいいのか、
そのパーフェクトデイズに対する本当にアンチテーゼとして見事だなと思いましたし、
年を取ったからって欲がなくなると思うなよっていう、
ありとあらゆる欲望が死ぬまで残るからな人間っていうのをすげえ言われた気持ちになって、
いやーそっかー綺麗、この年ぐらいだとまだ自分は今年30になるぐらいの年なんですけど、
言っても死ぬぐらいには綺麗に死ねるというか、
いろいろ自分の身支度をしてみたいなことをぼんやり考えたりもするわけですよ、
それを親とかもよく言うんですよ、そうしかそんな派手にしなくていいとかね、
いやでもね多分そんな綺麗にはならないと思うよっていうのをこの映画にすごい言われた気がして、
一回だけそれこそお医者さんの話を聞いた時に、
人間死ぬ間際が一番欲望出るからねっていうのを聞いたことがあって、
そういう映画だなと思ってこの映画。
なんですごいこう、老人には老人寮の自意識が多分あって、
そこから逃れられないっていうことを覚悟しとかないといけないなっていうのをちょっと心に誓った作品でしたね。
もうみっともなく死ぬんだろうなっていうのを思いました。
僕はですね、見始めてすぐにまたかよって思ったんですけど、
最近ここの部分にめっちゃぶっこんだばっかじゃないですかって思って、
またかよと思って、
まあまあなんですけど、ただドリームシナリオは中年の危機の話だったと思うんですけど、
マリオンさんがおっしゃる通り、もっと先の老いてからの話ですよね。
老いてからの危機みたいな部分を描いている話だなと思って、
そこが違いとしてあるかなとは思うんですけど、
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本作原作が筒井康隆ってことで、
僕この敵の原作は読んではないんですけど、
昔結構筒井康隆自体は読んでたんで、
まあなんかこういう話書いてもおかしくないなっていう感覚はあったんですけど、
まずその主人公のギス系がすごい安高的な男性主人公造形なんじゃないかなと思ったんですけど、
皮肉屋のインテリで、かつムッツリスキペっていうとこかなとは思ってて、
潜力消えてないですよねっていうところ。
そこがすごい僕筒井康隆的に感じたんですけど、
あと筒井康隆っぽいなと思ったのが、
共感できない他者とのコミュニケーションが織りなすカオス描写なんですけど、
特に鍋を囲んでるシーンの会話の作装しっぷりはすっげー筒井康隆っぽいなと思って、
話通じてなさ、好き勝手喋ってる感じっていうのがすっげー筒井康隆っぽいなと思って、
今回吉田大八監督が脚本もされてるんで、原作からどこまでなぞってるかわかんないんですけど、
この世界観自体が筒井康隆っぽさを感じました。
あと置いて孤独になるっていう部分で、結構今日的なテーマも入っている部分あるなと思ったのが、
陰謀論ですね。
敵っていう、これ事実なのか幻なのか陰謀論なのかってすごいふわっとしたものとして描かれるんですけど、
置いて心が弱った時に、詐欺のスパウンレールであるとか、
あるいはそういう陰謀論みたいなものが心に入ってくるって結構今日的なものなんじゃないかなと思うんですよね。
なんでそこにはまっちゃうのかなって思ってたんですけど、
やっぱり置いて自分の話をしてくれる人がどんどん減るじゃないですか。
そうなった時に自分が関われる物語が欲しくなっちゃうんだろうなとは思うんですよね。
それが例えば、自分に言い寄ってくる女の人がいるとか、
あるいはどこかで自分に危機をもたらす何かが迫ってくるであるとか、
プラスだろうがマイナスだろうが、なんか自分に影響のある物語をしちゃうんじゃないかなって気がしたんですよ。
これって結構その特に男性的な部分もあるのかなと思ったのが、
男性って空から女の子が降ってくる妄想するじゃないですか。
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あるいは学校にテロリストが来てそれと対決する妄想するじゃないですか。
それって別に戦いたいとか女の子が欲しいとかじゃないんですよね。本心は。
自分に物語が降ってきて欲しいっていう欲望だと思うんですよ。
それなんじゃないかなっていうのを見てて感じました。
それが置いてもまだあるっていうね。地獄やなと思います本当に。
めちゃくちゃ今の鋭い。鋭利すぎる。
なるほど。
だからその、そういう女の子が降ってくるとか敵が湧いて出てくるとかじゃない、
置いてもなお自分の中でぶれない物語を手に入れないとこうなるんだぞっていうのをすっげえ見せられて、
まだ自分にはないなって思いましたね。
なるほどなー。
これは、やばい有識問題だなこれ。
絶存の危機を迎えてますね。
またかよ。
ドリームシナリオであんなに喋ったじゃないみたいな。
なんかもうだんだんクライシスが持ち気になってきてるなって思って。
そうですよね。
なんか我々本当クライシスで遊びすぎていると言いますか。
将来来るであろうクライシスに備えすぎているというかね。
そうですよね、多分ね。
備えすぎているのかなこれ。
はい、ではお便り一通いただいてますので紹介させていただきます。
大井さんお願いできましたでしょうか。
はい、今原さんからいただきました。
店長メンバーの皆様こんばんは。
新ツアー名古屋開催お疲れ様でした。
映画の話もさることながら、映画の話し手すぎりラジオが好きな方々とお話してきたことが非常に楽しかったです。
さて、テーマ映画ですが、おととし公開されたパーフェクト・デイズと通用だすような作品だと思いました。
パーフェクト・デイズがリアリティのあるファンタジー作品だったのに対し、本作的はその逆をやった作品という印象です。
本作の良かった点は何と言っても終焉の長塚氷造。
長塚氷造が本作の魅力の大半を占めていると言っても決して過言ではないでしょう。
かっこよさ、みっともなさ、ある種の可愛らしさを見事に体現されていたと思います。
料理をしているシーン、特に酒を焼いている場面はうっとりするほどかっこよかったし、
女性が絡むシーンも下品すぎない程度のみっともなさで絶妙だったと思います。
ラジオでもたびたび話題にあがる有害な男性性や中年の危機など、いろいろな切り口で語れる作品かと思います。
皆様の感想を楽しみにしております。
ありがとうございます。
名古屋にもお越しいただいて。
エマラさんってどちらを住まいでしたっけ?って僕はずっと思ってますよ。
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東京の方ですけどね。
我々にはそんなお金使いまくってて大丈夫ですか?みたいな感じがしてしまうんですが、嬉しいですけど。
お金と体力だけ僕らは心配してます。
でも僕とマリオンさん、エデンの名古屋行く前にジークワークスの話してて、
どうせエマラさんいるからジークワークスの話しようって言ってましたからね。
もういるだろって、だいぶ勝手な前提で話を進めるようになってしまいましたけどね。
ちなみに僕は始まる前に一旦時間があったんでカフェ入ってご飯というかちょっとケーキとか食べようかなって思ったら隣にエマラさんいましたからね。
1時間くらい早めに映画バージョンにしたから。
あって言って。
ご引きありがとうございますって感じで。
本作の名前はあがると思うんですけど、パーフェクトデイズのアンチテイゼンですよねっていうね。
やっぱり連想しますよね。
しましたね。
これわざとやってるんですかね。
当てに来てるのかなって。どうなんだろう。
公開タイミング的にどうなんですかね。
制作図を考えると確かに見てから作ってるところはあるのかもしれないですけど、
まあでも言ってしまえばパーフェクトデイズ的な作品って割とあるってあるじゃないですか。
そうですね。
まあまあね。
なのでまあその類作も含めてっていうアンチテイゼンなような気はしますけどね。
特に意識するようにはできてたかなとは思いました。結果的に。
特に食事関係のシーンやっぱり印象めっちゃ残りますよね。
わかります。
ちゃんと丁寧に自分で自炊するみたいな生活っていうか、
ああいうのが結構後々、しかも後輩になればなるほどだんだん自炊っぽいことをしなくなってくるっていうのが、
この人がだんだん自分を整えるということがどんどんできなくなっていくっていうことの象徴になっているのがすごい魅力だなって思って。
一つ一つのご飯も美味しそうなんですけど、絶妙に全部いけすかねえっていう。
これはちょっとナミビアの砂漠の時の僕の感じにも近いんですけど、丁寧な暮らしアンチみたいなところがちょっと出るんですけど。
自分家であんな焼き鳥なんて作らねえよみたいなところ。そういう意味でも大変いけすかねえって思って、大変よろしいって思いました。
すにぎりでやってますからねえ、だってねえ。
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します?そんなこと。
いや、しないしない。
しないでしょ。焼き鳥なんて。できあいのもんで十分ですよって。
あれ見ながらだから、たぶん朝すぐ煙臭いんだろうな、この部屋の中とか思いながら見てましたからね。
さっき焼くとかもさ、こんな焼き方しやがってって思いましたよ。なんてって思いましたよ。
僕、見ながら比べるわけですよ、パーフェクトデイズと。
で、たぶん主人公2人の自意識の置きどころはたぶんそんなに差はないなとは思ってたんですけど、ただやっぱりパーフェクトデイズの方が結果的に身の丈に合ってる暮らしをしてることでバランスが取れてたような気がしたんですよね。
で、まず要素として大きいのは、家のでかさだと思うんですけど、パーフェクトデイズはまあアパートの質なんですよね。
で、男の一人暮らしそんな畳きれいにならんぞっていうのは僕はずっと思ってたんですけど、ただコントロールしきれる規模感なんじゃないかなと思ったんですけど、やっぱり本作的は、
あの古くから一族に伝わってる結構なでかい家を一人で住んでるっていう、この男一人で住むには過ぎた家に見えるけど、そこに一人で住めてる俺みたいなのが見えてるところ。
で、あの家に住んだらやっぱり食べ物とかも手にいせざるを得なくなっちゃうんじゃないかなと思うんですよね。
で、その自分が住んでる生活の器みたいなものと、自分という人間の自意識とかバイタリティのバランスが取れてないんじゃないかなって思って。
だからやっぱり心が弱ってくると、そこで折れちゃって、どうしても雑なものを食べちゃうっていう。
まあ僕あれを雑とは思わないんですけど、フクロからちくわ出してかじるだろうって思ったから、なんかそれを雑な食事描写されると、じゃあこちらの立ちせがないのですがって。
するよ。お皿に盛らずにそのまま食べるよって思ってるよね。
こういうもんやる。
あとこれも差だと思ったのが、コーヒーなんですけど。
敵は丁寧にドリップするんですよ。豆から引いてね。
久しぶりに見ましたね。ガリガリ回すタイプのミル。
でもパーフェクトデイズはアパートの下にある自販機でコーヒー買って飲むんですよね。
だからやっぱ抜くとか抜けてるのが、パーフェクトデイズの飲み込める部分だと思うんですよね。
なんかこのバランス感、アパートの一室で缶コーヒー飲むぐらいの暮らしだったらできるんじゃないかっていう、その丁寧すぎない範疇でよく生きようとしてる感じのバランスの良さがあったと思うんですけど。
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やっぱ本作はね、やってること全部気張りすぎなんですよ。本当に。
いやーそうですよね。
だって誰も見てないし、誰も基本的にはそれを求める人がいないわけじゃないですか、自分以外。そんなにセルフクエできます?人間と思いながら見てはいて。
そうですよね。だからやっぱ丁寧な暮らしアンチになる。
ただ僕が丁寧な暮らしアンチって言ってる裏に何があるかっていうと、それは丁寧な暮らし憧れがあるからなんですけど。憧れがすげえからアンチなんですっていう感じなので。憧れはあるんです。
理想的ですよ。
けどあんなことできるわけねえって思ってるからアンチになってるっていう感じなんで。
やれたらやりたかったよっていう。
ああいうの見るとキケとしていろいろね、生活ビデオに対していろいろ言いたくなっちゃう。
でも、エマハラさんおっしゃってる通りって、長塚教僧がこれをやるっていうところの良さはめちゃくちゃあるなと思いながら見てて。
スラッとした身長、長身の長塚さんがこれをスラリスラリといろいろな作業を淡々とこなしていくのは普通に見れるって思って。
そうなんですよね。またね、この白黒の画面と調理シーンがめちゃくちゃ合ってて、美しいんですよね。料理シーンとかが。
やっぱその白黒になることで色彩っていう情報がなくなることで音も際立ってたなと思うんですよね。
その生活の音が響くんですけど、やっぱそれ美しいなって思うようにはなってたと思うんですよ。
なんかそういうところにこだわって白黒にしてそうだなって気はしましたかね。
しかもそのモノクロが優しい感じのモノクロじゃなくてだいぶビビットな感じのモノクロですよね。
パキッとしてますよね。
確かに。カモンカモンとはやっぱ違う感じがしますよね。モノクロとはいえ。
それが後の展開をある意味に合わせてもいるのかもしれないんですけど。
確かに。なんで今回の作品でモノクロにしたんだろうっていうのは全然知らないんですけど。
本来はカモンカモンのときも言ったと思うんですけど、情報量そぎ落とすからこそいいんだみたいな話。
やっぱそぎ落とさないといけないよね、人間も多い立ち向かっていくときに。
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っていうことができない人の話だった。あえてモノクロでやるんだっていうのが。
だいぶ意地悪いって思っちゃったりするんですけど、これはちょっとどういう見方していいのかわかんないですけど。
今日、マリオンさん刺すなぁ。
今日のマリオンさん刺すなぁ。
刺してます?刺してますか?
そうですね、やっぱ情報量そぎ落としておいが目指しているところ、わびさびの領域っていうものを表現しようとしてるし、
やっぱりこの調理とか生活描写が輪郭が立っている白黒なことで美しく見えるし、
後半の回帰の流れにも合ってくるっていうのもありますし、
結構白黒であることがバッチリ合ってる作品だなっていうのがあって。
あとめっちゃ細かいことをもう一回言っちゃうんですけど、
台所描写って多かったですけど、一番これすごいなと思ったのが、
食べ終わった後の食器を流しに置いてる絵なんですけど、
食べ終わった後の水回りが美しいっていうのが一番キーハランと不可能なことだと思うんですよね。
もうほんとその通り。
水回りマジでもうガサツタが一番よく出るみたいなんですけど、生活してて。
食卓の上だけは美しく、食べる時だけ食卓の上はすごい綺麗な汚染になってる。
でも流しはぐっちゃぐちゃみたいなことはあるじゃないですか。
それってもう見れたもんじゃないんですよ、水回りが汚れてるって。
でも本作ってお皿とお茶碗の中は綺麗に食べられてて、
そこにお箸が置かれて、そこに水が溜められてるっていうのが美しく描かれてるんですけど、
その水回りを美しくやるところまでに費やさないといけない労力と、
それを成り立たせる人識ってすごいんですよ、絶対に。
それはそこまでやれるってなかなかないと思うんです。
食べ終わった後の自分のことまで考えていろいろやれないと思うんで。
それはやっぱり、ギスケが自分は張り詰めて生きるんだぞってめちゃめちゃ気を張って生きてたんだろうなとは思うし、
あと、やっぱそれだけの労力をなさしめる動機って、僕はモテだと思うんですよ。
モテたい!だと思うんですよ。
もう絶対そうだと思う。
人はそうだしね。
今までの話って、それこそ実は僕の祖父も結構近いというか、
今一人で暮らしてて、おばちゃん亡くなっちゃってから、
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今まで全然自炊とかしなかったんですけど、自炊するようになって、
実家とか、地元帰った時とかに遊びに行ったりすると、
掃除とか水回りとかめちゃくちゃ綺麗で、すごいちゃんと生活が丁寧なんですよ。
若干、自分のおじいちゃんとか祖父のことを思い出したりしたんですけど、
ただ今作の主人公と違うのは、モテとかっていうのは別にとらわれてない。
ところはやっぱり明確に違うなって思いましたね。
さっきモテと言われてたのも。
モテっていう文脈で言った時に、主人公ギスケと対比になるのが隣のじいちゃんなんですけど、
ギスケは本当に整った服を毎日着てるんですけど、
隣のおじいちゃんは多分何日も同じスウェットを着てて、洗濯もしてないから汚れてるし、本人も何日も風呂入ってないし、
明らかに汚れてるし、体臭もきついんだろうなっていうのが何かわかる。
やっぱりギスケはこうはならないぞって思ってるんだろうなっていうのがすごくわかる。
やっぱり本作、臭いってすごい重要なファクターだと思うんですよね。
すごい丁寧に風呂入って体洗うシーンが必要に描かれるじゃないですか。
男性って女性に比べると、見た目そのものに対するこだわりは女性ほど強くないとは思ってるんですけど、
臭いに対するこだわりというか、嫌な臭い出してると思われたくないっていう欲求は、
もしかしたら僕女性より男性の方が強い可能性あるんじゃないかなってちょっと思ってて、
それは多分男性の方が比較的体臭が強くなりがちっていうのもあるし、
ある一定以上の年齢の男性に対する嫌悪をよく表す表現として、やっぱり可憐臭っていう表現があるじゃないですか。
あんまり女性に使うことはない表現だと思うんですよ。もちろん女性にもあるけれども、
基本的にその中年以上の男性にあてがわれる嫌悪を表現するための言葉としてあると思うんですよね。
だからやっぱりそういう男性って見た目よりもより臭いに敏感なところあるんじゃないかなと思ってて、
それはやっぱりそこにもモテの要素が入ってきてると思うんですよね。
本当に普通に風呂入ってるシーンもありましたけど、
やっぱり可愛いうみとあってからの風呂のシーンの必要な洗い方とかはもろに気にしてるなって思っちゃいましたよね。
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そうなんですよね。
あとはフロスで歯の間を掃除するのが必要になるのとか。
もうなんなんって思っちゃいますよね。なんなんそれって。どういうつもりって。
そこまでやる?みたいな感じと言いますか。
なんかちょっと丁寧っていう意気を超えますよね、そこから先ね。
なんか脅迫観念なんですよね。
でもたぶんギスケはずっとそう生きてきたんだろうなっていうか、
そこが全ての価値観の第一としてプライドを築いてきた人なんだろうなっていうのを思ってしまうんで。
そうですよね。たぶんずっと続けてきたことなんでしょうよ。
おっしゃってた通り。
急に大学も辞めて、妻がいなくなって、じゃあ丁寧な暮らしを!みたいな感じじゃ全然ないですよ。
なんなら妻の前でもずっとそういうことをしてきた人なんじゃないかなっていうのはすごい見てて思ったんですよね。
だって妻にも好かれたいっていうのを思ってますし、いまだに。
そうなんですよね。彼もしかしたらですけど、あんまり中年の危機減ってないんじゃないかなって気がしてて。
わかります。そんな感じしました。
で、たぶん彼ずっと大学辞めるぐらいまでは自分が成功者と思ってずっと生きてたんじゃないかなと思うんですよ。
フランス文学の教授として一線を走り続けてて、本も執筆してるし、
あと本人は教え子にモテてたと思っていた。
で、見なりにも気を使うし、匂いにも気を使ってる。
で、妻のことも一応大切にはしてるけど、それはそれとして別で女性とも仲良くできる俺っていうのがやっぱりにじみ出てるなと思って。
そのインテリマッチョ感ですね。がすごいあるし、彼は大学教授を辞めるまできっと周りからチヤホヤもされてきたから、そのクライシスを感じないままここまで来れたんじゃないかなってちょっと僕は見てて思ったんですね。
だからその高く上げた自意識のレベルを下げれないんだと思うんですよね。
そうですよね。
そこが厄介なんだよな。
ちゃんとそこを切り落として、そぎ落とせるのかみたいなところが自分にはできるんですかみたいなっていうのは結構見てて問われるよなって思いました。
ある意味その捨てられるというか降りられるというかっていうのは幸せなのかっていうところももちろんありますし、義付の最後というか生活はまあ言ってしまえば理想的ではあると思うんですよね。
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その前半部においては特に。多分男性は割とああなりたいってどこか根っこのところで思ってはいる人多いと思うんですよ。ある程度。
だからこそじゃあそれを降りられ、例えば隣のおじいちゃんみたいに生きているのが幸せかって言ったら、なんかそんな感じもそこまで割り切れない自分もいたりもして。
そうだよな。
じゃあ何が幸せなんだろうっていう。
めちゃめちゃ頑張って生きてきたと思いますよ、義付。
本当にそうだと思います。だからかっこいい人ではあるんですよ。
魅力的な人だと思います。
ただなんだろうな、そのかっこ悪さってどこまで残してもいいし、どこまでなくさないといけないのかなって正直僕もわかんないですよね。
そうっすね。
だからもうなんか、見ともなさの意味で言うと途中の夢の中の竹内くみから言われる。
やばいね、あれね。
あれに対してそんなこと言わないでよ、楽しい思い出だったんだよっていう。
マジいたたわれねえっていうか。
本作の名シーンだと思いますけど、あれ。
すごいですね。
あそこほんと痛いとか写真きますよねって思って、ほんと意地悪やなって思って、最高でしたけどね。
でも僕、あれ出されたらちょっとこの人可愛いって思ってしまうかもしれないな、少し。
だってもうバレバレなわけじゃないですか、ずーっとバレバレなわけですよ。
大学の時代からずーっとバレバレだったのに、気を張ってそうじゃないよって出し続けてるわけでしょ。
ちょっともうダサすぎて可愛いですよね。
そこにキュンとする人はいるのはわかる。
だからそれを本人が含めて魅力と捉えてたらきっとああはならなかったんですけど、
それも本人だけが自覚してなかったから、そこは可愛いところでもあるんですけどね。
もうあのそんなこと言わないでよって言われたところ、やばいですね。
楽しすぎて、あそこ。
なんとも言えない子犬のようなね、クーンみたいなね。
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このために20年ぐらい積み木を積み上げてきたわって思うぐらい楽しそうやなと思った、あの瞬間。
あれでも一応夢なんですよね。
だから自分の自意識の中でちょっとその危機感があるなって思ってたってことでもあるんだろうなと思って。
だから気づいてるけど気づかないふりをずっとしてきたものを、ある種の人生の生産間際で、そういえばそうだよなって思っちゃったというか、気づいちゃったというか。
そうそう。どんどんカオスになってくるじゃないですか。
一瞬これちゃんと言ってないけど認知症とかそういう感じになってきてるのかなみたいなふうにも見えるかなって思ったんですよ。
ファーザーみたいなところですね。
そうそうそうですね。ファーザーみたいなのかなって思ったんですけど。
でもだんだん竹内くん演じる教え子とか、あと亡くなった妻とかが、こう言って欲しかったんでしょうみたいなことを彼に言うっていうことは、
もう夢の中にコントロールしてるから、タガが外れてそういうのが出てきちゃうとかじゃなくて、自分でコントロールして言わせてるじゃんっていうことで、
しっかり意識持って言ってるなこれって思って。
それはそれで地獄やなって思いながら見てたんですけど。
認知症やと多分もっと家汚くなるんじゃないかなと思って。
多分ゴミとか片付けられなくなるんじゃないかなとかっていう。
そもそもあの家をある程度きれいな状態を維持するのが難しくなるんじゃないかなって気もして。
ちょっとごめんなさい、これ認知症っていうものに対する理解を僕がしてるわけじゃないから、適切じゃないかもしれないんですけど。
僕も結局認知症じゃないなという結論になったんですけど、その結局やっぱ。
でもちょっと一瞬そう見えるじゃないですか。
やっぱ虚実がぐるっと入り混じって、どういうことみたいになっていくから、
なのかなって思ったけど、だんだんやっぱ夢の中の人に自分のことを言わせてるっていう段階で、
こういう人、しっかり意識持って言い渡してるなっていうのがあって、
自分の発見した意識の中でやってることなんだなっていうふうに思って、
そこがまた何とも言えない感じになってくるのが面白いなっていうふうに思ったっていう。
だからさっき山口さんのその敵というところもあるし、
孤独になってて故に物語を求めていくって話をされてたと思うんですけど、
結局多分誰かに言ってほしかったし、誰か自分の敵になってくれる人がほしかったのかなっていうのをすごい見ながら思ったりもして。
たぶん生前、おそらく実際にああいうことを妻からも、あるいは教え子からも言われたことなんてたぶん彼ないわけですよね。
で、その権威に踏んぞり返ってるわけだけど、でもどっか自分の中ではそこがバレるんじゃないかというか、
その自分の浅はかさみたいなものはわかってもいて、
ずっとそれを指摘して攻めてくれる敵みたいなものを欲しがってたっていうことなのかなっていうのを見ながらすごい思ったりはして。
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だからその敵が襲ってくる、ある意味その死のメタファーみたいな感じでも捉えられると思うんですけど、
彼の根本的な願望なんじゃないかなというか、この自分をいつ壊してくれと。
本当はその完璧ではない自分自身のその状態を誰が壊しに来てくれ、それは家を含めてだと思うんですけどね。
っていうなんかその願望が表出したものが敵なのかなっていうのをちょっと見ながら思ったりもしてました。
そうですね。
あれが何なのかっていう。
だんだん無視できなくなっていくんですよね。
スパムメールが。
自分の中で存在が大きくなっていくんですよね。
はじめは開かずにゴミ箱に捨てられてたスパムメールを開いちゃう。
クリックを踏んじゃう。
読んじゃうっていうね。
素直に、素直にですよ。
たぶん敵ってそのもののメタファーかなんかだっていうことは前提でありますけど、
あれが本当に何かしらの陰謀論みたいなのだったらした時に、でも結構あるじゃないですか。
ありますあります。
ライブとして撮ってからYouTube見るようになって、めちゃくちゃネトウヨみたいなことを言い出すようになったみたいな父親がみたいな話とかっぽくもあるよなってちょっと思ったりはした。
何なんですかね、ああいう流れっていうのと、もちろん原作とかってそういうのが来る前から書いてるものだとおそらく思うんですけど、
今見てもそれがそういうことを思い出しちゃうっていうのはすごいありましたね。
誰かと枯れずに絡んでいくわけじゃなくて、ただただ怖がっていくっていうところはすごい陰謀論っぽくもないなと思いながら見てたところであって、
それを強高に主張していっていく感じでもないというか、ただただそれの存在を恐れていくというか、何ならちょっと望んでもいるというか。
確かにそういう破滅願望ってあるよなっていう。
それ確かにあるなぁと思って、だから敵を求めているってなったら攻撃対象が欲しいみたいなのが一義的な意味としてあるかなと思うんですよ。
ただどっちかというと優しくしようとしてる節があるというか、石鹸化してあるっていうね。
あれがなんかね、すごい不思議だなっていう。
パッと聞いて敵が来るっていう陰謀論を求めてる人が取る行動じゃないなとは思って。
難民が来る、よしそいつら殺してやろうっていう風な方が発想としてはありがちな気はするんですよ。
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ありがちですね。
でもそうじゃないっていうのが不思議だなと思って。
あの石鹸って結構不思議な存在だなって少し思ってるんですけど。
御中元御聖母で意味もなく送られてきてたまってる石鹸っていう言い方してましたけど。
もちろんあるって彼のその自分自身の華麗衆という大衆相撲に対する恐れみたいなものの現れでもあるし、
日常に対する欺瞞性みたいなものの表現でもあるのかなって思って。
欲しくもないけどなんか溜まってるみたいなものがなんかあるみたいなのってしょうもないみたいに思ってるのかなっていう。
ものすごい皮肉屋じゃないですか、彼。
日本人のなんか良くないとこだよみたいなこと言ってその石鹸を送る文化を皮肉ってたりとか、
なんか本質的なことがしたいっていう。
なんかそういうの、それ以外に繋がってるかって言われるとちょっと難しいんですけど。
一つ難民っていう意味でもそうなのかもしれないけど、
彼の恐れなのかなって思ったのは、話の通じない人に対する恐れなのかなっていうのもちょっと思ったりはして。
例えばさっき言った彼の中では、彼はモテっていうのをすごく第一義として動いてるわけじゃないですか。
で、隣のおじいちゃんとは要は話が通じないわけですよね。そこが、そもそもの価値観が違うから。
難民ってなったらもちろん言語が違うのもありますし、
たぶんそんなモテなんか意識できるほどの生活レベルにまずない状況の人たちが来るかもしれない。
その時に自分はその人たちと対等に渡り合えるのかっていう不安感というか。
これから来る人たちは何も話が通じない人たちなんじゃないか。
で、その人たちに自分が何かこれまで詰めかさなきゃいけないものっていうのが無意味になされるんじゃないかみたいな。
家を含めてだと思うんですけど。
なんかそういう恐怖感みたいなものなのかなって思って。
それこそ今日冒頭にトランプの話しましたけど、なんか世界中に広がってはいる価値観かなと思うんですよね。
話が通じなくなった人と渡り合わなきゃいけない世の中になった時に
それをどうやって受け入れていけばいいのかみたいなところって。
なんかそれが今年の間際に爆発しているのかなっていうふうにもちょっと見えたりはしました。
なるほどなるほど。
いやちょっとついつまってきた気がするな。
だから多分めちゃめちゃ孤独じゃないですか彼今。
もともとの自分を知っている人はもう周りには誰もいなくなっているし、
親戚ももうほとんどいなくなっている状態ですよね。
その孤独の中で何でもいいから人と繋がりたいみたいな欲求もあったのかなと思って。
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それに対して石鹸っていうのがそれ自体に意味はないけど、
ただコミュニケーションのためだけに送ったり送られたりする意味のない通貨として。
だからコミュニケーションの媒体としての石鹸みたいなもの。
だから話は通じないけどこれで体洗えますよって人にコミュニケーション取ることができるみたいな。
なんかその積み重なった孤独、もう何でもいいから人と繋がりたいっていう石鹸が家に残り続けてるみたいな。
で妻がいたらその石鹸はもっと減ってるはずだけど、妻がいないからその石鹸はどんどん増えていってるっていう。
で別にリアルにその石鹸をあげられる人ももう誰もいない。親戚もいないしご近所付き合いもろくにいない。
もう教え子も別にそんなに慕ってくれない。慕ってくれている教え子ももはや現実かどうかもわからない。
もう孤独だけが募っていって自分の方に近づいてくる人は難民しかいない。
じゃあせめて石鹸で触れ合いをみたいな。もしかしたらあるかもしれないなってちょっと思いましたね。
ちなみにあの教え子たちって僕途中から幻やと思ってるんですけど、どっから幻やと思いました?
2回目の滝内くみの訪問は絶対幻ですもんね。
多分ああいう服装してこないんですよ。
僕だから現実の人は、いわゆる季節で一応ある夏、秋、冬って感じになってますけど、
夏の最後で可愛い弓とすれ合うところまでが現実の人との触れ合いだなって思ってます。
で、可愛い弓に50万持ち逃げされてからは全部空想というか。
まあでも確かにそこの方が結構切れ目というか、タイミングとしては確かに一致するっていうか、
彼がどんどん老いていく流れとして、彼がどんどん孤独に打ちひしがれていく過程としてはすごい、
あのやっぱり騙されたっていうのは結構でかいと思うんで、
あの辺りなのかなーっていうのは確かにそうかも。
服装はすごいおかしいなと思いました。
やっぱり女性の教え以降から2回目来た時の服装おかしいなと思ったから、
これはこっからもだいぶ怪しいぞって思って。
あれって秋ぐらいの話でしたっけ?
秋だったか冬だったかどっちだったかなー。
冬の時期には全部妄想だろって思ってるんですけど。
冬はもうどう考えても妄想ですね。
もう全て妄想ですよねみたいな感じはしてたんですけど。
45:00
秋ぐらいから浸食し始めて、もう本当にただの季節の時間の流れかと思ったら、
あの人の気持ちというか、存在価値そのものというかの流れだったんだな。
もう冬よりも寒しい感じになっていくっていうことだったんだっていうのは見てて気づいて、
ああーなんていうことだって思いながら見てました。
僕ラストは結構本物なのかなって気はしてます。
ラストの中島歩夢が演じてる老いっ子が出てくるじゃないですか。
あそこは普通に今日は本当に遺産相続ってなってきてっていう話なのかなと思ってて。
僕そこすごい解釈難しいなと思ってて。
だって最後消えるじゃないですか。
あれ消えてるのかな。
僕消えたと思ってた。
僕はもう普通に呪縛霊とかした義助がいるわけじゃないですか。
呪縛霊とかした義助がいて。
その要はもう家というものとほぼ同一化した気づきを見て驚くっていう場面なのかなって思ったんですけど。
確かにでもちょっと不自然なカメラワークではありましたよね。
その引いた時のカメラは。
僕の解釈なんでしょ。
多分ちゃんとそこ描いてないからあれなんですけど。
いなかったのかなと思って。
じゃあ家も残らないってことなんですか。そうなると。
遺産相続の遺書を公表する時の回においに誰も絡まないんですよ。
確かに確かに。
おいだけが一人で家の中ずっと見回ってて。
ただその読み上げられてはいるんだけどその遺書が。
ただその等人相続される等人に誰も絡まないし。
おいの容姿が物置の中にあったおじいさんの若い時の写真と同じ顔なんで。
めちゃくちゃ同じでしたね。
だからおいの顔も実はギスケちゃんと覚えてなかったし。
おい自体がいないのかあるいはもう居ついてくれなくなっているのかわからないんですけど。
別にその親族のこともそんなに解像度高くなってないけど。
ただ食べれる親族はもうそいつしか残ってないから遺産相続はするって書いてるけど実はそのおいもいないみたいな。
もうそこまで含めて妄想でしたみたいなオチかなってちょっと思ったんですよね。
めちゃくちゃ悲しいやんっていう。
ああそうか。でも確かにその解釈もすごく理解ができる気がして。
それこそおいの名前を聞くシーンってあったと思うんですけど。
あれ奥さんの何ていうか、来ていたコートに向かって話しかけてたしか名前を聞いてたんじゃなかったかなと思うんですよね。
ああ知ってましたね。
だからそもそもその情報も信じていいのかっていう。
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そこにいるおいっこは本当にギスケの妄想上のおいっこで、
もう本当においっこはいるんだろうけど、
もう多分こんな家即効売り払おうぜっていうタイプの人間だったらするかもしれないみたいな。
なのかもなっていう。
確かに。
なんか遺書読み上げてる時、本人いないけどなーってみんな思ってたんじゃないかなってちょっと思って。
うわあああああ。うわあああ。
まぁまぁまぁ、一緒に読むときに、 相続当人がいないみたいなことあるでしょうけど、
なんかそういう感じだったのかもしれないですね。
あぁー。
こわっ。
で、あそこは徐々にこう、幽霊屋敷と化していくわけですね。
うーん。
まぁでも完全に、居ついてましたよね。
もう成仏できてないですからね、どう見ても。
ねー。
まぁ、そっか、だから、だから成仏できないって解釈もできますもんね、確かに。
相続できてたら、成仏できてたかもしれない。
あぁー。
本当に、もう誰も周りにいないですからね。
うーん。
まぁ、自分でそうしてたところももちろん、 あるっちゃあると思うんすけどね、あの人。
あぁー。
うーん。
いやだから、本当になんか僕らがこう、映画とか見て、 孤独かーとかっていう話してますけど、
本物の孤独は本当にやべぇぞ、 みたいな映画だったじゃないですか、みたいな。
うん。
で、本当、僕らクライシスでも遊んでますけど、 孤独でも遊んでんなって思いましたよ、なんかさ。
うん。
ある。
まぁ、なんとかそうやって言って、 自分の孤独感を誤魔化してるというか、
今後来るであろうもそれを、なんとかして、 手懐けようとしてるわけですけどね。
うん。
孤独って、ほんまにめちゃめちゃ怖いなとは思ってて、
あのー、大学時代の僕、結構孤独だったんですよね。
うんうんうんうん。
で、特に大学1回の時やばくて、
うん。
あのー、夜が来るたびに頭おかしくなりそうになってたんですよ、大学時代。
うん。
ただ、正気を溜まってたのは多分、 まだ自分が若くて未来があるから、
うん。
まだ変わる余地はあるっていうのを信じて、 まだ耐えてたと思うんですけど、夜を。
うんうんうん。
毎夜、それのわずかな希望に縋っていてたと思うんですけど、
歳とったらその希望ってないじゃないですか。
うんうんうん。
それって、どうやって抗ったらいいんですかね、 その孤独って。
いやー、どうしようってちょっと思いますよね。
うん。
だから、今のうちから同世代の友達を作っておくぐらいしか もう方法ないんじゃないですか。
でも、友達もさ、
まあね、そうなんですよね。
どんどん、あのー、亡くなって引っ越するんし、 もうあの歳ぐらいになるともう、
もう会うたび会うたび、もう会うタイミング全部 あの人の葬式でとかになるわけですよ。
まあ、そうですね。
いやー、だからあとは、あの義助は大学ってコミュニティにいたから ああなるわけじゃないですか。
要は、世間と確立したところで自分のコミュニティを作っていたから、
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そこが切れた瞬間に社会との断絶なんですよね、彼にとって。
うんうんうん。
だから、そういうところだけじゃなくて、 しっかり地域に絡もうよってことなのかもしれないですよ。
あー、そうですね。
あの、都内のおじいさんとかとも絡んでたら また違ったかもしれないですよね。
そうそうそうそうそうそう。
もしかしたら、都内のおじいさんと飲み交わすというか、
招待したりとかしてたら、もしかしたらもう少し、
その、孤独感紛れたかもしれないじゃないっていう。
うーん、そうですよねー。
いや、本当に、もう孤独って本当にやばいと思ってて、
あの、この世界で一番苦しいの孤独だとは思ってるんで、
うんうんうん。
なんかもう、陰謀論っていうおもちゃぐらい与えてあげても、
なんかしょうがないのではってちょっと思っちゃうぐらいには、
もう慰めとしての陰謀論ぐらいいいじゃんって、
ちょっと思わなくもないんですよね。
うーん、うんうんうん。
そうですねー。
いやー、まあでも、そうだなー。
とはいえ、それで世の中が動いちゃうからなー、難しい。
いや、認めたくないっすよ。
本当に認めたくないんだけど。
いや、そうなんです。
個人レベルだったらそれを認めてあげたいんだけど、
みんながそうなってくると話が変わってくるっていうのが
すごいむずいなと思って。
いきなり50歳下の女の子と結婚するとか言い出したら、
いや、さすがにそれだって飛べるじゃないですか。
うんうんうん。
いや、でもなんかもう、そんな幻みたいな話でも、
すがらざるを得ないほどの孤独がいつか来るのかなって考えると、
ちょっと、それって抗いようがない何かなんじゃないかって気がせんでもないんですよねー。
まあ、そうですねー。
しかもこの映画結構見に出て思ったんですよ。
お客さんがだいぶ結構高齢の生き方が多かったから、
そうなんですよね、そうなんです。
どんな気持ちで見てるんやろってずっと思ってましたけどね。
そう、あれ分かる分かるって思って見てらっしゃるのかなーって。
どういう気持ち?ってずっと思っちゃいましたけど。
そう、同世代の方多いなと思って。
うんうん、多かったですよね。
そうっすよね、だからどうすればねっていう。
いやー、先生きてくの怖いなー。
いやー、でもそんな引っ張り死ねるわけでもないわけじゃないですかっていうね。
そう、本当に大石さんが言ってたように、
本当に綺麗に人生の幕を下ろすことなんてできると思うなよっていう話でしたわ、本当に。
何が就活じゃい?みたいな映画でもあるというか。
見てて感じてたのは、自分が痩せ我慢できる線は見極めようっていうのはすごい見てて思って。
痩せ我慢って僕必要だと思ってるんですよ、生きるために。
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それが目的にもなるし、
自我なんて全部捨ててしまえば楽ですっていうのも違うとは思うんですよね。
それって今までの自分全否定じゃんとも思うから、
だんだんそういう自意識を支える体力も落ちていくと思うんですけど、
じゃあ、でもその衰えた体力の中で支えられる自意識はちゃんと守っていこうっていう線の見極めは多分大事なんじゃないかなと思ってて。
それもだんだんもしかしたら減っていくかもしれない。
荷物は少しずつ減らさないと維持できなくなるかもしれないけど、
死ぬ瞬間まで維持しようとできる量の痩せ我慢を持ち続けるっていうこと自体は大事なんじゃないかなと思って。
だからその痩せ我慢のために抱えなきゃいけない荷物の量っていうものは、
その人生のタイミングタイミングでちゃんと量を切り替えていかないといけないと思うんですよね。
その量を間違った時に何か必要以上に自分がまだ生きると思ったりとかして、
それが反動となって後でめっちゃ孤独になってるみたいなことが起こり得るのかなって気もして。
なんかその自分っていう自意識を保ちつつ人と関われるバランス。
あの人頑張ってますよねって思われながら死ぬ瞬間まで走り続けることのできる荷物の量の見極めみたいなのって、
ちょっとちゃんと意識的にしていかないといけないかなって気はしてるんですよね。
そうっすね。
今でさえちょっとそれうまくできてるから若干自分心配ですけどね。
でも結局それを自分の中で、ギツキがまさに夢の中で言ったように反復しながらどうかな大丈夫かなって思い続けるしかないんだろうなぁとは思いますね。
そうっすね。彼も自覚はあったから夢に見てたわけで。
そこは客観的に見れたっていうか。見ててなかったらもっといたずまれないこと確かになってたでしょうしね。
それができてるからまだ教え子が来てくれるぐらいなのと思うんですよ。
だから普通に言ったらすごく有害とまではいかないぐらいの男性性なんだろうけど比較的。
だけどやっぱり本人からしたらその下心みたいなところもしっかりあったしっていう。
本当にギスケとかわいい有名人の大学生とのやりとり、前編もムズがよくてたまらんかったですけどね。
もうみたいなおいおいおいみたいな感じでしたよ。
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すごいですよねあそこ。
すごかった。
タメ口話し出すの。
なんで今お前はこういう感じで話してもらえてるのか考えていますかみたいな。
できていませんよみたいな。
いやーって思いましたけどね。
40も50も下の女の子とこういうインテリの会話で通じて満足してるのってすごすぎてやばいなと思って。
本当にもうあそこの共感性周知って言うんですか。なんですかこれみたいなのがすごかったですよ本当に。
もう賢ぶりたくないなー。
手放していきたい。
もう映画の話してるときこんなマウント撮るような感じになるんだろうなーみたいなすげー嫌な気持ちになりましたけどね。
実際そういう構図にちょっとやっぱどうしてもなっちゃう。そうなりたくなくてもそういうふうに接近しちゃうみたいなことは本当にちょっとちゃんと認識しておかないといろいろまずいって思いましたね。
できる限りそういうことはないようにって思ってはいますけど、もし自分が少しでもそういう振る舞いをしてしまったなと思ったらもうその夜は反省して寝ろってことですよね。
構造上そうなりがなってしまうようなものなんだから本当に気をつけないと。
いやー本当コミュニケーションって難しい。
あともう一個お話したいシーンが鍋のシーンなんですけど。
本当に大事なシーンですね。
本作のハイライトだと思うんですよあそこ僕。
やっぱり一番なんか変なものが描かれているシーンだなと思うし。
まずあの僕編集者大好きなんですけど。
最高でしたね。
最高でした。
パラダラースみたいな感じで全部鍋食うとかで最高だなって思いましたからね本当に。
肉少ないですよねみたいな。
お前マジ失礼みたいな。
すっげー裸でジラギラ走ってるみたいな感じの振る舞いするのすごいですよね。
あの無礼すぎるブレイサーすっげー。
篤井康隆の小説にああいうやつ出てくる時あるなってちょっと思いながら見てたんですけど。
あの結構すごい際取りセリフ言ってるなっていうのが
現実と文革ってどっちの方が偉いんですかねみたいなこと言うじゃないですか。
言ってましたね言ってましたね。
切り込むねーと思ってあそこ。
そうっすね。
もうバカのフリして素人質問でみたいなそんな感じの。
でも結構その儀式みたいなインテリにとって割と死活問題であのテーマって。
その文学が現実より偉いとこにあるから彼は権威足りえてたわけじゃないですか。
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彼の中では。
そこを揺さぶりかけるって結構いいキャラしてるなって思って。
でもまあ本気で思ってるんだろうなって思って。
文学から何か読み取ってじゃあ世界何か変わりましたって言われたら変わんないねって僕思っちゃうから。
現実映画どっちが偉いんですかって言われたらそうだよねって現実の方が上だよねって僕は言わざるを得ないと思うんで。
やっぱなんかそのインテリ特にこの実務というか実業でやってるわけじゃない人に対するすごいパンチだなって思って。
なんかすごいあの話全体に一つまみのスパイスとして効いてるなって思って彼の一言が。
もちろん彼も一応妄想ではあるので結局ギスケ本人思ってたじゃんってことでもあると思うんですけど。
でもちょっと気持ちはわかりますよあの感じ。
文学ではないですけど基礎研究やってる時にずっと自分の心の中で思ってました。
そうなんですか。
いましたよあの編集者。何回か言われてたんじゃないかな多分。
何の役に立つのって言われる。
そう。何の役に立つんだいこれはってずっと言ってる自分がいましたし。
あれは多分大学教授あるあるなのかもしれないです。
基礎研究は特にありそうですよねそれは。
めちゃくちゃありますよ。
それを何とか数年後にはこういう可能性もありますとかって言って申請書を書くんですけど書きながら嘘っぱちだなって自分でも思ってるんですよ。
わかってるんですよ。
すごいな今日全員自分の腹かさばきまくってますねみんな。
もうほんと大腸の中見せた状態ですからね今ね。
こんなつもりはなかったんだが。
もうちょっとねなんかこう複雑で解釈が難しい話を見に行ったつもりだったけど
知ってる奴がお出しされたからまたですかって思った。
そうですよ。
訳のわからなかったねみたいな話できるかなって思ったら
めっちゃ得意ジャンルみたいなやつ。
なんならわかりすぎて痛いんだけどみたいな。
あとあの鍋のシーンでもう一個話したいのが
教え子と亡くなった妻を合わせてその話させるってところなんですけど。
最高。
あれを自分の中の妄想があれをやってるっていうのがすごいなって思うんですけど。
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教え子からもパーハラでしたよって言われてそうなのって言ってるけどいやうっすらそうやと思ってたんでしょパーハラだって。
思ってたしそのこと自体をずっと後ろめたいと思ってたから
罪悪感感じてたんでしょって思ってだから妻に言わせたんでしょそれってね思ったから。
しかもあれこう妻に言わせることで授与されてることにはなってるじゃないですか。
そうですよね。
でもズルいなって思うわけですよ。
あれズルかったですね。
自分の中でだけの罪悪感ってもうゴールがないから無限に苦しまないといけないけど
妻は知りました。それで私をとどめました。
一旦ゴールは見えたよねって安心するから結構なご命運ですなーと思いましたよあそこ。
そういうところで文学の力を彼は使うわけですよね。
あーやめてーって。やめてあげてーって。
最高でしたけどね。夢の中の死んだ妻にね私の知らないことまで話しやがってっていうし最高だなって思って。
何そのパストライブ生の嫌味みたいな。
最高って思ってましたね。
ズルいですよね。複数の言語を持ってる人間のズルさというか。
ズルいなって思いましたね。
言ってるズリーって感じですよ。
その複数のペルソナがある人間のズルさですよね。
家庭では良き夫の面をして外に出た時は良い男の面をするっていう使い分けてるっていうのをね。
この家庭での日本語と教え事のフランス語っていう使い分けとして表してるとこがね。
まあ男って本当ズルい生き物ですなーっていう。
なんだかんだ僕らちょっと義付けの見方してるとこも。
良くないなってちょっと思ってます今。
それも良くないんですよね多分ね。
あいつのことしっかり悪しき男性性だって言えないのは多分自分が一部そうだからだと思うんですけどね。
自分の中に義付けはいるんだよね。
認めたくないなー。
でも認めていかなきゃ多分ああなるんだもんなー。
何を捨てていいかをまず見極めないといけないですね。
そうですね。
それが映画の可能性ゼロじゃないからな。
そうなんですよ。
成り上がりが一個なくなるんだよなそうすると。
そうなんですよね。
マジでそれもしそうだったときは本当にどうしようって思います。
劇場版エヴァンギリオンみたいな。
映画じゃない現実を見ろって返してくる感じというか。
そんな話、アイライクムービーズでも見たよみたいな。
1:06:03
オタク君、映画ばっか見たいで現実見ろよっていう。
本当にもうやめてって。
アイライクムービーズのあいつはすごい良いタイミングで叱られてますね。
そうなんですよ。
本当に良いタイミングで叱られて。
本当に彼は僕らを平気で追い越して成長していくんで眩しいわけですけど。
そんなこと言ってる自分が本当にダメっていうか。
眩しいと思ってるんじゃダメだよっていう。
あいつ僕と同世代なんですよね。
なるほどなるほど。
2003年ぐらいに大学行かないぐらいの年だからほぼ僕と一緒ぐらいなんですけど。
いい大人になったんだろうなって思って。
今日は面白いですね。
まさか的にこんなに自分の腹から捌きますか。
ちょうどいい時間なんでここら辺で締めとこうかなと。
辛くですしね。
ではそんな感じで的な話を煽っておこうかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の話したスリルバー次回は2月22日土曜日開催予定です。
場所は大阪の南森町週刊回り19時オープン23時クローズです。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体やトークテーマ作品へ向けてご自由にお送りくださいませ。
番組最新情報を次回テーマはXOBインスタグラムにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したスリルラジオ第197回的の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。