かつて自分がやりたかったことを娘に達成させることで、
幸せになろうとするみたいなのがあったと思うんですよ。
それも達成されないっていう。
正直、あのお母さん相当嫌な人ですよ。間違いなく本当に。
一般的な倫理観で言ったら、
結構最悪なタイプの人間ではあるんですけど、
じゃあ、家族を愛せたら良かったけど、
そうなれなかったからしょうがないじゃんみたいなのって、
自分がなる可能性って全然あると思うんですよね。
結婚してみたけど、なんか幸せになれなかったなみたいな。
出産してみたけど幸せにならなかったなみたいなのって、
多分全然あり得ると思うし、
お母さんって普通に、
ティーヤの将来そうなるかもしれないぞ、
だとは思うんですよね。
そこで、お母さんをそこまで否定する話にはなってなかったように、
僕はちょっと感じて、
特に最終盤の展開でね、
そう思ったりはしたんですけど、
やっぱお母さんほんと最悪やなと思って、
自分の家族には家族としての役割をむちゃくちゃ求めるのに、
自分はいきなり母親の役割を放棄するじゃないですか。
いきなり他の男性連れ込んで仲良くしてるし、
もうお父さんも半ば婚姻みたいになってて、
しかも娘にも分かるよねって。
分かるよねって言うか、もう恋してるって言いますからね。
それは娘に吐くわって思ってあそこは。
確かにあそこ一番嫌でしたね。
なんか弟がちょっと微妙に、
弟もなんか変な感じなのもちょっと私よく分からなくて。
それはね、思いました。
まあ単なるクソガキってことかなって。
なんか結構、私兄弟で、
親って順番で言ったら上の子が先なんで、
上の子に先期待かけるじゃないですか。
だいたい上がダメやから、次下の子に期待かけると思うんですよ。
その順番で言ったら、下の子がまだ残ってるはずなんですよ。
そこがちょっとティーヤだけに全部の期待かけてるのはちょっと分からなくて、
そこもちょっと分からなかったんですけど、
なんか私、絶対違うと思うんですけど、監督の意図とは。
そのお母さん自体も、最後ティーヤがああなったみたいに、
そっちじゃない自分として成長してきたっていう話だったら、ちょっとおもろいなと思って。
それは可能性あるなと思って、
虐待の連鎖の話の可能性あるなと思ったんですよね、見てて。
だから、親に愛されなかった子供の連鎖の話の可能性あるなと思って見てたんですよ。
全く言いがかれてないですけどね、お母さんのそのあたりに関しては。
僕見てて思ったのが、イグアナの娘って漫画あるじゃないですか。
はい、灰岩本の。
あれって、お母さんにあんたドサイクだからみたいな言われてて、
自分で自分のことをイグアナに見えてる女の子の話で、
それで実はお母さんもみたいな話だったと思うんですけどね、
ちょっとだいぶ前なんであれですけど。
ビジュアル的にもね、生まれたヒナが女の子になっていくから、
というかもう一人の自分になっていくから、
結構あのね、途中段階のビジュアルが本当に、
イグアナの娘の、イグアナが服を着てる格好のビジュアルに見えて、
結構連想したんですよね。
で、だから結構愛されてないっていう思いが強い話なのかなって思って、
その全体的にね、それはあったのかなっていうのを思ったんですけど、
確かにね、そのお父さんと息子の扱い、非常に中途半端だった気もするんですよね。
そうなんですよ、お母さんと娘だけだったらなんかこう、
割とお母さんもすごい綺麗な方で、ティーヤもめっちゃ可愛いし、
そこにこう過去の自分、体操、スケートと体操の話もそうですけど、
そこを重ねるっていうのはすごい分かるんですけど、
まあちょっとあえて弟とかお父さんをちょっと何やろ、
登場させるんやったらもうちょっとなんか、
あの二人も絡んできてほしかったなと思うんですよね。
そうですね。
それに関してはもう完全に母と娘の話に割り切ったから存在感消されたっていうのがあるかなと見てて思ったんですよね。
だからその家族全員からなんか抑圧を受けてるみたいな話やと、
それはそれで話になったと思うんですよね。
でも逆にその父親とか、弟は結構嫌なやつでしたけど、
例えばそのお父さんは、途中でヘッドホンしながらギター弾いてるシーンあったじゃないですか、
あそこ例えばもっと掘り下げて、妻が浮気してるのに気づいてるけど、
それに気づいてないフリをする、
それの象徴としての趣味に没頭しようとしてるみたいな、
なんかそこをもっと強調して描いてたら、
もう家族に興味をなくしてる父親像みたいなのも描けたと思うし、
弟に関しては例えばね、
姉のことを性的な目で見てるみたいな描写入れたら、
すごい嫌な話にできたと思うんですよね。
確かに、そんな嫌の全部の手してくる。
でもそういうのなくって、
結構この話だから、
ティーンの少女が拾ってきた卵を孵化させて育てるみたいな話って、
もっとセクシャルなメタファー含んでてもおかしくない話だと思ってたけど、
そこが全然ないんですよね。
あくまで女性の親子、母と娘の関係性だけを煮詰めた話になってたなと思って、
逆にその男女の性的な要素、省かれてるなと思ったんですよ。
浮気してるっていう部分はありますけど、
ティーニャ自体が自分に何か性的な矢印を向けられてることに対する嫌悪感みたいな、
思春期を描くんだったら全然描かれてもおかしくない題材だと思うけど、
そこ全然触れないじゃないですか。
浮気相手の男性もめちゃくちゃ爽やかなんですよね。
あいつが何かしてくるんだなって思ったんですよ。
え、めっちゃいい人なんだけど、混乱するわと思いましたね。
そこから例えば浮気相手にティーニャ自身が恋愛感情を持ってしまうみたいなところから、
邪魔になる母親を殺そうみたいなところに向かってもおかしくない話だったと思うんですけど、
そういう風にもならないんですよね。
ヤマグチさん、邪悪ですね。
いや、だから、女性と女性の関係性の中に男の要素を入れて、
そこを憎悪のきっかけにしてない話だなって思ったんですよね。
確かに、どっちかというと、男性が全員鈍感っていうか、
お父さんも、息子はちょっと小さいからあれですけど、
見て見ぬふりとも言えるし、そこまで気にしてないとも言えるみたいな、
あんまり居心地の悪さとかを感じてるのがティーニャだけみたいな、
そういう意味で男の人が鈍感というか、あんま絡んでこない話でしたね。
そうですね、もっと絡んでもおかしくないと思うんですよ。
男と女の話になって、男と女の派生として、
母と娘の圧力みたいな話になってもおかしくないと思うんですけど、
そこが省かれてるなと思って、
ティーニャが母親の裏切りに嫌悪感を持ったのって、
要は、母親の役割を放棄してることが嫌だからだと思うんですよね。
男性が絡んでること、男性の性的な要素が絡んでること自体は、
そんなに重要な要素じゃないような気がして、
だからこの話、ティーニャから母親に対する矢印の話でしかないんですよ。
他のことが全然ないんですよね。
母親をどう思ってるか、母親にどう思われてるかだけがこの話の焦点で、
他の社会性って全然重要視されてないなと思ったんですよね。
母と娘の同じ男性に対する恋愛感情の奪い合いみたいな話、
女の敵は女みたいなことを語るための男性みたいな、
あると思うんですよ。そういうのにもなってないなと思って。
あの一家が浮気相手と娘の赤ちゃんが絡んできたときって、
結局、鳥モンスターが攻撃が向かうのって、
母親が自分の家族ではなくて、別の家族に愛情を向けてる。
家族というものをそっち側に持っていってるっていうのが分かったから、
それを奪うために赤ちゃんを殺しに行くじゃないですか。
だから基本的に母親を奪われたくないし、
母親を本当は大切に思ってるっていうことだけが焦点当たってるなと思うんですよね。
そうですね。
だからでも、そう考えたら、
奪い合いの赤ちゃんもそうですし、体操教師の友達、隣の家の女の子で、
そこの性別が女の子だっていうのは別にそんなに重要じゃないと思うんですけど、
でも母親の愛を独り占めしたいとか、
そういうポジションだったら、それこそ弟でも良かったと思うんですよね。
せっかく登場してるんやから。
でもそこで、なぜか弟は結構スルーされて、
それが意図的なのか、そこに話に巻き込んで被害に遭ったり、
何か起こっていくのが大体女性じゃないですか、全員。
男性3人出てくるけど、3人とも別にそんなに関わってはくるけど、
確信には入ってこないというか。
なんか舞外者なんですよね。
ティーヤの心の中に、心の近所に触れないというか、ティーヤの。
それはちょっと面白いですね。
それで言うと、母親の愛情が弟に向かってたとしたら、
本当はもっとその愛情を私に向けて欲しいっていう嫉妬の感情が生まれるかもしれないんですけど、
ただその期待されてることに応えなきゃいけないみたいな圧力が弱まるじゃないですか。
そもそも期待されてないって方向に話がずれると思うんですけど、
今だから母親からは、私がこうなりたかったという、
もう一人の私になってっていう思いをぶつけられてるって感じですよね。
それはもう家族の愛情ではないっていう状態。
もしその弟に対して愛情を向けてたら、
一応その家族の中で母親の役割は捨ててないってことにはなると思うんですけど、
そもそもその母親の役割、一家の中での母親の役割自体を捨てようとしてるから、
その絶望みたいなのがあるのかなと思ったんですよね。
だってもう家族っていう思いは別の男に持って行っちゃってるんで、
もう自分の家の中でやってる、あの人のやってることは、
いい家族ですよという動画を撮るっていうことだけなんですよね。
動画を撮るために家族であるだけっていう、
あの動画を撮らなくなったら、
あのお母さんはもう家族であることを完全にやめそうっていう感じじゃないですか。
そのギリギリの瀬戸際なストレスなのかなぁとか思ってたんですけど、
本当にその隣に越してきたのも、男の子やったらもっと恋愛の話で、
なんか別の話に行ってきたと思うんですけど、
あくまで隣に越してきたのは、自分がやろうとしてること、
だから娘がやろうとしてることのライバルでしかないじゃないですか。
その恋愛関係とか別の要素が入らずに、
なんか本当に恋愛とか性的な要素がすげー排除されてる話だなって思うんですよね。
もっとそのセックスの話になってもおかしくないのに。
確かに。珍しいですよね。逆に最近。
この程度の話、基本セックス絡めたがるじゃないですか、みんな。
そこが全然ないのが、本当に物足りなさも感じるなとは思うんですけどね。
もっとあるじゃんって、人間の関係性って複雑じゃんって思う部分もあって、
父親との関係もあるし、弟との関係性もあるし、
恋愛をする男の子もいてもおかしくないよねっていう。
そこであくまで友達というか同級生みたいなチームメイトとかも出てくるけど、
チームメイトと遊びたいというよりあくまで、
母親によって、そういう遊びとかが制限されてますよっていうことを見せるための要素でしかないっていう感じがあるなと思って。
なんかね、本当に母と娘だけみたいな、他のことは基本的にはもう背景です。
そこを主体的に描くつもりないですみたいな話やったなって、ちょっと思ったりはしたんですけど。
そうだね、なんかそれだったら、さっきちょっと言ったみたいに、
お母さんを見てるこっち側に対して、もうちょっと葛藤が欲しかったなと思って。
単純にお母さんのことをそのまま嫌いになる見せ方やったから、
こっちもそのまま受け取って、あの人のことを別に好きになる要素もなかったしっていう感じだったんですけど、
そこでもう少し見てるこっち、娘はお母さんという絶対的な存在なんで、何があってもそうだと思うんですけど、
見てるこっちにも、もう少しそういう葛藤させて、嫌いになりたいけど嫌いになれないみたいな葛藤させる部分を見せてほしかったなって思ったんですよ。
ほんまですわ、それいるわ。
なんかこの、今から映画作る会議みたいな。
いや、それはね、本当にそうで、見てる観客が母親を好きになる要素がないんですよね。
そういうもんかな。
ちょっと僕前に聞いた話で、よくこう愛さない親はいないっていう言い方があるじゃないですか。
でも実際はそうじゃなくて、親を愛さない子はいないけど、こう愛さない親はいるっていう言い回しを聞いたことがあって、
まったくその通りだなと思ったんですよ。
この話もちょっとそれの影があるなと思ったんですよ。
もう母親は娘を次の私にしようとしてるだけ、本当はこう生きたかった私を作ろうとしてるだけだけど、
やっぱり娘は母親のこと大事だと思ってるし、母親に愛されたいと思ってるっていうのがあると思うんですよね。
鳥モンスターが母親の寝室に行って、母親を愛しそうになれるシーンがあって、
あのシーンがすごい象徴的だなと思うし、僕結構あのシーン好きなんですけど、
醜いモンスターのようになってる内面でもやっぱり母親に愛されたいと思ってるっていうのがあそこに現れてる。
でも実際の母親は自分のことなんて別に愛してないんですよね。
私のなってほしいあなたになってしか言わないっていう、あそこのなんかアンビバレントさがすごい。
なんかこの話の結構言いたいことなのかなと思うんですけど、それはあんまり観客には伝わってこないんですよね。
母親嫌いやなーっていうことだけがちょっと見てて思うというか。
そこはちょっと娘の方に頑張って自分たちで感情を寄せていくしかないのかもしれないですけど、
そこがあったらもうちょっと深みというか、より嫌さが出ただろうなっていう。
感情移入はしてないですからね、娘に対しても。
頭で、母親のことって憎みきれないよねっていう言葉ではわかるけど、
この映画の中でその登場人物が憎みきれなさっていうのを描けてるかと言われるとそうじゃないというか、
でもそういうのってありますよね、なんか見たままの状態って自分用じゃないなって思うときあって。
なんかその自分にとってちょっと飲み込みづらいバリみたいなのが残っているのをちょっと削り取って、削り取ってみたいなした後、
ようやくこの絵が自分用になりました、ちゃんと大切に持っておこうみたいなのってあるじゃないですか。
語ったら好きになってたみたいな。
あと単純にそのなんか山口さんの反応がおもろいから。
あ、そうですか。
結構この絵が好きなんです、本当に。
勝手にこの映画の思い出に山口さんの反応が追加されていくっていう。
それだわーとか言って。めっちゃおもしろい。
結構ね、僕この映画本当好きで、すごい好きなシーンが、あの鳥モンスターが何か傷ついたときにめっちゃ愛しそうに寄り添って寝てるじゃないですか。
で、その後で浮気相手の家に行ったとき、もう母親は別室でセックスしているからめちゃくちゃ傷ついているときにあいつが来るんですよね。
で、寄り添って寝てくれるっていうのが、もう一人の自分であり大切に育てている娘っていうものがお互いにその傷を癒し合っているっていう方を寄り添ってこの人生を生きようとしているっていうのはむちゃくちゃ感動して、
これむちゃくちゃいいシーンやなって思いながら見てて、なんかね、すごいよかったんですよ。
あれだけで僕この映画のことを好きになろうって思って。
決めた。
そっから先は僕この映画好きになろうと努力しながら見てましたからね。
もういい方に解釈しようと思いながら見てたから。
でもなんかそれ聞くと、何やろ、そのもう一人の鳥モンスター、あれ鳥モンスターって呼ばれてるのか。
アンリ、アンリっていう名前。
鳥モンスターって言うんやとか思いながらさっきから聞いてたんですけど。
一応作品上はアンリっていう名前です。
そうでしたよね、名前ありましたよね。
一人になっていくことで結局二人ともあの子が演じてるんで。
なんかあいつって自分の中の黒い感情みたいなもんじゃないですか。
それを普通排除しようとするというか、それってネガティブな感情じゃないですか。
でも、それこそ自分が傷ついたり、孤独に感じたりしてる時に、そういうネガティブな感情で救われるような時もあるというか。
なんかね、私それがちょっと自分にとってのホラー映画に近いみたいなところもあって。
なんかね、私にとっては、そういう、なんていうのかな、黒いものをそばに置いておくことが、
自分にとってすごい落ち着く、癒されるものっていう感覚があるんで。
なんか今の話聞いてると、なんかちょっとそういうネガティブなものが全てダメっていうわけじゃなくて、
それに助けられることもあるようなっていう話としてもいいなと思いましたね。
そうですね。
あの、あの、アッリーのことはめちゃくちゃ言いにくいな、アッリーって。
言いにくいよな。
鳥モンスターって口が勝手に動いてしまうんですけどね。
はい、わかります。
あの、アッリーって、その、ダークサイドっていう描き方でしたけど、
ダークサイドの中でも、ひたすらに母親に愛されたいっていうことの現れなんですよね。
そのためだったら、他のことはなんでもいいっていう。
だから、母親。
この場合の母親って、ティーニアそのものとティーニアの母親の2つの意味があるんですよね、あいつにとって。
だから、ティーニアが犬の鳴き声に苦しんでたら犬を殺しに行くし、
で、ティーニアが自分の母親に愛されないってなりそうになったら、
大会に出るためにライバルを傷つけて入院させるし、
で、他の家族に母親を取られそうってなったら、その家の赤ん坊を殺しに行くっていう。
その、二重の意味でも母親に愛されたいって思いの象徴だと思うんですよね。
そこが、いじらしいというか、単に、なんていうか、ちょっと学校をサボりたいとか、男の子と付き合いたいとか、
そういう母親の束縛を逃げたいみたいな要素があってもおかしくないと思うんですよ。
だから、女の子の中の不良な側面みたいなものになってもおかしくない話だったと思うんですよね、ダークサイドっていう意味では。
でもその要素はなくて、本当に母親に愛されたいってことだけが残ってる存在として描かれてて、
そこは本当に、さっきまで話してたと思うんですけど、一長一短だと思って、これによって描かれてないことがむちゃくちゃあるんですよ、本当に。
窓を絞りすぎてて。でもやっぱそれによって、本当に母の娘として純化されたものになってたなと思って。
だから、母親の期待を裏切ることで、アンリーのことも止めることができるっていうのが、むちゃくちゃいいなと思ったんですよね。
すごい良いんですよ。
先の話ですけど、パンフレット上では監督は、アンリーは母親の愛を絶えず絶望している、荒れくる異形のTエンジャーなんですと。
監督ちょっと喋りすぎですね、それ。
監督喋りすぎですね。分かるよって思います、それは。
まあ、初監督なんでね、丁寧に説明しますね。
アンリー 確かに確かに。伝わるかなって。
心配やったんですけど、伝わるかなって。
アンリー ちょっと心配になっちゃった。
やってること伝わるかなーみたいな。
ちょっとそう考えたら可愛らしいですね、それ。
アンリー 確かに。
鳥モンスターとか呼ばれてないかなとか思ってましたけど。
初手読んじゃってるわ。
だから、少女漫画みたいなと思って、特にその母親との関係性だけ描いた短編の少女漫画みたいな感じやなと思って。
イグアンの娘もそうですけど、なんかね、徹底的に男の存在が排除されていることとか、他の社会的関係が背景になっているところとか含めて、本当になんか純度が高いなとは思ったんですよ。
イグアン 私なんか、親に期待されるっていうことがいいのか悪いのか、それ自体がいいとか悪いって話はないと思うんですけど、
なんか私も、うちの場合結構お父さんだったんですけど、すごい期待をされて育ってられてたんですよ、途中まで。
そうなんですね。
イグアン そう。
でも確かに、親の期待を裏切ろうって、最初はやっぱ答えようって頑張るし、勉強とか何にしても最初ってうまくいくから楽しいんですよね。
でも、どっかで絶対つまづくじゃないですか、その時に一気にやっぱり嫌になったりするんですよね。
で、できない自分のことも嫌やし、親の期待に応えられてないこともやっぱり嫌なんですよ。
で、それをもう期待、答えるのやめようって思った瞬間から確かに、まあ自由って言ったらあれですけど、になった感覚は確かにあるなと思って、ただそれが結果的にちょっと良かったか悪かったかはちょっと別なんですけど、
まあね、まあね、それは。
ある意味、努力するのを放棄したみたいな面もあるんで、自分自身のためにもっていう、まあ良し悪しはあるんですけど、その感覚は従来だったらあるなって思いますね。
イグアン それはそうですよね。
やっぱりなんか、見てて母親を嫌いなシーンがないんですよね。
だから母親が動画撮ってるのを見たりとか、一緒に写って母親が楽しそうに動画作りしてるシーンとかは基本的に、
ティンヤもむちゃくちゃ嬉しそうなんですよ。
わかる。
イグアン なんかね、あそこもまた悲しいんですよね。
あの、いっそ憎めたらいいのにっていうのがあって、でもやっぱ好きなんですよ、母親のこと。
この話、そこがすごい悲しいなと思うし、で、ラスト、ラストなんですけど、あれどう解釈しました?
結構解釈複雑なラストだと思ったんですけど、結構解釈むずいと思うんですけどね、あれ。
ティンヤが、え、なんかそんなに言われたらムズく思えてきました。
シンプルにどう?
イグアン 結局、アンリーがティキアの代わりの存在になろうとしてるのかな。
結局、二人で一心同体ではあって、かな。
私も近くて、うわ、でもそう考えたら逆かもしれへん。
ムズいですね、確かに。
なんか自分を押し殺して生きるエンドかなって思ったんですけど、
どっちかというと、自分を押し殺してる方が殺されちゃってるから、
自由になれたのかもしれない。ハッピーエンドなのかもしれない。
僕も、ちょっとハッピーエンド寄りの解釈をして、
今まで、母親をずっと、ティンヤ本人は母親を憎めなかったじゃないですか、
そこで、アンリーを殺そうとするわけですよね、母親は。
それでティンヤを止めてって言うけれども、止めずに母親はアンリーを殺そうとして、ティンヤを殺してしまうと。
だから、アンリーにとって、その自分の母親、ティンヤを傷つける、
ティンヤのその母親は憎むべき対象っていうことに、あそこで気づいた。
で、そこでアンリーはティンヤに、完全にティンヤになることで、
ようやくあそこでティンヤが母親を憎めるようになったってシーンだなって思ったんですよ、僕。
で、あそこで完全に母離れをした、ある種の母殺しをしたシーンだなと思って、
だから、すごい憎だしてるなと思ったんですよ、アンリー・ティンヤがね。
アンリー・ティンヤが、ティンヤの母親をめっちゃ憎んでるように見えたんで、
これはきっと憎む、憎めるようになった。
で、このアンリー・ティンヤは、自分の育ての親ができなかった母親を憎んで生きていくっていうことを、
できるティンヤとして生きていくのかなと思って、
そこが解放かなと思ったんですよね。
自分は母親のことを愛してたけども、母親は愛してくれなかった。
自分が望む愛し方をしてくれなかったっていうことに対して、
憎むという選択肢があるっていうことを示したラストかなってちょっと思ったんですよ。
それってものすごい救いだと思うんですよね。
例えば虐待サバイバーの方とかにとって、母親というか親に対する思いってすごい複雑だと思うんですよ。
でも親ってそんな憎めばいいってもんじゃないのよとか言ってくる知った顔の年寄りがいたりするわけじゃないですか。
でも私は酷い目にあったし、母親を憎んで生きていくって思っていいって言ってくれてるってすごい救いなんじゃないかなと思ったんですよね。
選べるっていうのがやっぱり大事というか、憎んで終わるっていうことでもなくて、憎むこともできるようになるっていうのはすごい良い表現ですよね。
でも憎むっていうほどじゃないけど、そうやって親の期待に応え続ける自分を殺すとかっていう意味では、私も鳥モンスターなのかもしれない。
鳥モンスターですよ、前田さん。
鳥モンスターだったのか。
そっか、そこのラスト逆にちょっと捉えてましたね、なんとなく雰囲気で。
見方によってね、普通に人生乗っ取られただけにも見えるし、結構ヒヤヒヤしたんですよ、あのシーン。
で、あれでね、結局ティンヤは死ななかったことになりました。
めでたしめでたしで終わったらどうしようかなと思ったんですよ。
とりあえず代わりが現れたから、バンジーOKですみたいな超ムナクソ悪いイラストになってもおかしくなかったなと思って。