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今日のテーマトークは、鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎です。
はい、じゃあ解説読んでいただいていいですか?
はい、映画.comより拝借します。
漫画家水木しげるの生誕100周年記念作品で、2018年から2020年に放送されたテレビアニメ
ゲゲゲの鬼太郎第6期をベースに、シリーズの原点である目玉親父の過去と
鬼太郎誕生にまつわる物語を描いた長編アニメーション。
昭和31年、鬼太郎の父であるかつての目玉親父は、
行方不明の妻を探して名倉村へやってくる。
その村は日本の財政界を裏で牛耳る竜害一族が支配していた。
血液銀行に勤める水木は、一族の当初の死の弔いを立て前に
密迷を背負って村を訪れ、鬼太郎の父と出会う。
当初の光景をめぐって醜い争いが繰り広げられる中、
村の神社で一族の者が斬殺される事件が発生。
それは恐ろしい怪奇の連鎖の始まりであった。
声優陣には沢城美幸、野沢雅子、古川俊夫などテレビアニメ第6期のキャプトンのほか、
鬼太郎の父には関俊彦、水木を木内秀信が演じる。
劇場版ゲゲゲの鬼太郎日本爆裂の小川豪が監督。
テレビアニメマクロスエフロンティアの吉野秀幸が脚本。
シン・エヴァンゲリオン劇場版の副監督矢田部透子がキャラクターデザインを担当。
はい、それでは内容を触れる話に入っていきたいと思いますので、
ネタバレ禁される方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただきたいと思います。
はい、ではあさわりの感想、大石さんいかがでした?
多分先週の感想、オープニングの方でも言ったんですけど、
とにかく戦後の空気感というか、
あるいは昭和っていうものの最低限を結構エンタメの作品の中でやっていて、
そこがとにかく僕はすごい興味深いなと思いました。
例えばその冒頭の水木がタバコを吸うシーン。
電車の中でタバコを吸っているっていうところ。
その細かいそこだけでも昭和的なものっていうのが果たして良かったのかなっていう問いかけにもすごい繋がってるし、
そういったものの延長線上にまさに竜街一族が行っていたことっていうのが繋がっていく。
そういうその時代性であったりとか、
その行動自体がまさに水木しげるがずっと描いてきた戦争であったりとか昭和感みたいなものにも紐づけられていて、
これは上手い劇場版の作り方だなっていうふうに感じました。
なおかたあとキャラクターがすごく良かったっていうのがやっぱりあって、
やっぱり鬼太郎のお父さん、目玉親父ですよね。
彼のひょうひょうとした感じというか、ひょうひょうとしてるんだけどでも正義は貫くっていうところがまさに鬼太郎の父そのものというか、
これがあって鬼太郎があるんだっていう納得感もすごいありましたし、
あとエンディングのラストで、そこからしっかり墓場の鬼太郎の話、誕生の話にもしっかりつなげているっていうところ。
そこにエモーションもしっかり重ねているというところも含めて、
まあすごい上手い映画だなっていうのが正直な感想って感じですね。
僕はですね、僕も前回ちょっと触れたんですけれども、
03:02
やっぱりあの郷国夏彦感と横水静止感が僕はやっぱり好きっていうのがあって、
あと鬼太郎っていうキャラクター自体は好きではあったんですけれども、
別に詳しいわけではなくて、
僕は世代的にテレビアニメの第3期って呼ばれる1985年のアニメシリーズを送れてた世代なんですけど、
どっちかというと、その第3期を使ったファミコンのゲームをやってたんですよね。
ああ、ありますね、有名なの。
有名な鬼太郎の。めちゃめちゃ有名な、めちゃくちゃ難しいものなんですけど、
あれをやってて、それもあって鬼太郎は好きだったんですけど、
ただまあその後もアニメは繰り返しやってたし、
あと僕がちっちゃい時ってギリギリコミック、ボンボンとかで水木先生の漫画、たまに載ってたような記憶があるんですよね。
これもうる覚えなんですけど、鬼太郎はまだギリギリ載ってた気がしてるんですけど。
ちょっと羨ましいですね。
で、まあちょっとだけかじってるっていう感じです。
だから、かしほん時代の鬼太郎とか、ある程度ヒロイックになってからの鬼太郎とかも、
なんとなく周辺情報として知ってるっていう感じはあって、
特にそのアニメの第3期は鬼太郎がかなりヒロイックだった時代なんですけど、
最近ってむしろ初期の墓場の鬼太郎感もちょっと戻ってきてて、
完全な人間の見方じゃない感もありつつっていう感じ、
だからダークヒーロー感ですよね。
ああ、なるほど。
まあ多分今の鬼太郎のちょうど4度感なのかなっていうのを見てて、
それはこの映画にもなんとなく感じましたし、
この映画を見た後、ちょっと今日お話しするにあたって、
墓場の鬼太郎と劇院の鬼太郎、第6期をちょっとだけ予習してきたので、
まあそのあたり、やっぱり人間社会をふてぶてしく生きようとする、
俗っぽい鬼太郎とダークヒーロー鬼太郎っていう、
それぞれなんかいろんな鬼太郎が見れて、
今回面白かったなとは思ったっていう、
ちょっと取り留めない話になっちゃいましたけど、そんな感じでした。
お便りなんですけども、ちょっと今回お便り多くてですね、
順番に紹介させていただけたらと思います。
まず1つ目、M原さんからいただいております。
店長メンバーの皆様こんばんは。
ラジオとバーの関東解散がいよいよ今週末となり、
一日千重の思い出、日々を過ごしています。
そしてそれと同時に今回のTMIが待ち焦がれていました。
ゲゲロ、水木のバディ感が素晴らしいとか、
声優のキャスティングが素晴らしいとか、
横水を制して驚愕のナツヒコ作品的な設定が素晴らしいとか、
本映画について語りたいことはたくさんありますが、
何といってもナグラ村の村民たちが最悪すぎて最高でした。
決して善人ではないであろう流河誠薬の社長、勝則氏が、
06:00
相対的にマシな人間に見えるほど、
村ぐるみで邪悪な連中ばかりなのがたまりません。
例えば終盤の地下工場の場面で、
死人の中に咳をしている子と、
それを心配そうに見守る死人が描かれています。
その2体の死人は、道中で打ち捨てられている人形から、
映画序盤の夜行列車で咳をしていた少女と、
その母がと思われます。
夜行列車で母娘が描かれた際、
横に邪悪な顔をした裏起動の男がいますから、
親子はあの後、地下工場に拉致され、
死人にされたことが伺えます。
村のトップトキサダが死んだ直後でも、
拉致を行っているのですから、
映画内で言及されているように、
村民たちが日常的に拉致などの犯罪を行っていたことは、
疑いようがありません。
最終的には村民丸ごと映画を放送という結果を迎えますが、
最後も含めてのグラムランの村民たちが大好きです。
絶対に近寄りたくないし、関わりたくはありませんが、
県庁メンバーやリスナーの皆様の
お映画に対するご意見をお聞かせを楽しみにしています。
長文談文、失礼致しました。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
僕と同じことをおっしゃってますね。
ひろこみ土生死、驚愕、夏彦漢というところ。
多分そう感じる方多いんじゃないかなと思うんですけども、
咳をしている子供のところ、気づきました?
僕実は気づいてなかった。
僕も言われて初めてそうなんだと思って。
あ、なるほどなって。
人形の口とかそういう意味だったのかなと思って。
結構注意深く見てないと気づかないのかなっていう。
丁寧なアクセントも言えると思うんですけども。
僕は夜行列車の中の咳のシーンって、
その後々犠牲者になるという意味というよりも、
昭和っていう時代の空気感の描写としてあったのかなっていう。
ああいう咳をしている子供がいても、
大人がタバコ吸うのはやめないっていう時代だったっていうことですよね。
まさにまさに。
だから、俺たちがタバコ吸うのだから、
子供がどっか行ったらいいじゃんっていう。
それさえ言及しない。
当然そうだからっていう、
その時代感っていうのの表現としてあったのかなと思って。
僕その表現むちくちゃいいなと思って。
わかります。
これこそ昭和だよっていう。
声がちっちゃい人のことなんて全く無視して動いてきた時代だよっていうところがね、
本当に素晴らしいなと思いました。
それをすごくわかりやすくも描いているし、
多分見た人みんながこれおかしいよねって思えるバランスになってるというか。
だけどそれを映画の中で言及するかって言ったら言及しないし、
まさに水木自身がそもそも全員じゃないっていうところの描き方。
もちろん昭和という価値観の中で生きている人だってことを描くってことですけど、
そこに本当にスマートに成功しているので、
やっぱサラッとしてますけど、
すごい上手い映画的シーンだなっていう感覚ですよね。
そうですね。
僕本作カタラにあたってゴジラ-1と比較したいなと思ってたんですけど、
前回大石さんとマリオさんも少し触れられてましたけど、
やっぱりゴジラ-1って時代の悪しき面で漂白されている作品だなと思ってて、
09:05
その悪しき面っていうのは別に大変な時代、苦労がある時代っていうのは別にあれも描かれてたんですけど、
やっぱり加害者性っていう部分なんですよね。
うん、そうなんですね。
だからゴジラ-1って加害者性が描かれてない映画だと思ってて、
例えば戦争っていうものはみんなが大変な思いをした時代っていう描かれ方で、
じゃあそれをやった側って誰なんでしょうかっていうのはぼかされている作品ではあって、
だからこそヒットしている作品でもあるとは思うんですよ。
エンタメ映画で加害者性指摘されるのってめちゃめちゃ嫌な人多いから、
で、それは初代ゴジラがアメリカで公開される時に、
怪獣王ゴジラっていう映画に再編集されて公開されてたっていうのがあるんですけど、
怪獣王ゴジラって原爆の悲惨さとかはちょっとぼかした作品になってたんですよ。
例えばゴジラ-1でもそうですけど、東京が夜景の花になってたのって、
やったのアメリカの方たちじゃないでしょうかってところで、
でもそのゴジラ-1はアメリカで大ヒットしてるわけなんですけど、
それはやっぱりゴジラ-1が加害者性を漂白してるからだと思うんです。
僕はそれを悪いって言いたいわけじゃないんですけど、
見事にやり遂げた怪獣王ゴジラを今作ったっていうところで偉大だなと思うし、
やっぱりまず映画が売れることが第一目標なので、
特に今グローバルに売れる映画を作ったってことは本当に素晴らしいことだと思うんですけど、
やっぱり僕は戦争っていうものを描いた時、加害者性に目を向けてほしいっていう思いが強い人なので、
そこがやっぱり今回の鬼太郎誕生なんですけど、
あれは戦後ですけど、戦争中もそうですし、
やっぱり戦後も時代そのものの加害者性というか、
やっぱり広い時代だったっていう側面を広げてるところが僕はすごく好きなんですよね。
そういう時代の描き方もあるっていう、
ゴジラ-1の描き方もあるし鬼太郎誕生の描き方もあるよっていうのは、
やっぱり両輪として言っておきたいなと思って触れたかったところだったんですけど、
後々あの親子が犠牲になったっていうのはお便りで気づきました。
本当に。
そうですね、本当にひでえ奴らで見事に全滅するんですけど、あの村は。
なんだろう、あそこまで村民全員悪ってなかなかない描き方だと思うんですけど。
そうですね、ちょっとびっくりするぐらい強烈でしたね。
だからある意味そこも分かってあってるのかなというか、
誰しもが加害者たり得るっていうのはやっぱり戦争というか、
時代の中において加害者にならないことなんてないっていうのの誇張された表現としても捉えられるかなと思って、
12:01
あの村にいる以上それに加担してるってそこにはあるっていうのを、
全員当事者っていうとこまで振り切ってるのはありだなと思いました。
確かにそうですね。
なるほど、加害者性。
しかもある種水木自身も戦争から帰還した人っていうところもあって、
そこもなんかある種の戦争というか加害者性っていうものを抱えた人。
それに対してあえて水木があの中でイワであるというか違うものであるというところを言うなら、
自身の加害性に気づいている人であるっていうことなのかもなと思って、
それ以外よりヒーローであれるっていう。
そうですね。
自分が善であるとは言わないところがやっぱり彼がまたこっち側に戻ってこれるところでもあるというか、
あっち側に行かない理由足りえてるっていうところが上手いなと思いました。
彼がどっちに来るかって結構見ててドキドキしながら見てたんですけど、
わかりますわかります。
なんかすごく試されてるなって思いながら。
なんかそこが最初そのタバコの病床から徐々に徐々にこう変わっていくというか、
っていうところも含めて成長端にもしっかりなっているところもすごいいいところだなと思います。
そうですね。
次のお便り行きましょうか。
ではフリッパーさんからいただきました。
店長皆さんこんにちは。
フリッパーです。
北郎誕生激ゲーな謎を見てきました。
ひかわ感想過剰書き。
一応時系列です。
猫娘かわいいなぁ。
犬神家の一族やなぁ。
さよさんやっぱりそうか。
疲れた時、疲労回復で栄養ドリンク飲んでるけど実はあれが入ってたりして、
今も大事に言ってるけどもっと妻のこと大切にしよう。
北郎父親にやなぁ。
やばい、目玉の親父がイケメンに見える。
みるき先生の反戦メッセージとかの感想を書き出すと長くなるので、
語るのはバーに伺うときにでも。
ねますねんし、忙しさと寒さに体調崩さないよう気をつけてください。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
時系列順に言うと猫娘かわいいですよね。
かわいい本当に。
特に6期というか最近の猫娘って感じもしますけどね。
3期の頃とかわかめちゃんみたいな見た目だったんだけど、
もう頭身も明らかに浮いているぐらいに手足長いし。
かわいいとか美人ですよね。
そうですね。
方向性的には。
犬ガメ家の一族ですよねっていう。
北郎の父親はね、今回本当にね、
本作の一番キャッチーな見どころだと思うんですけど、
あのおじさんが若い頃はこんななんていうのの、
ある種究極系というか。
今では目玉となっているあの人が若い頃はっていう感じで、
ちょっとキュンってなります、本当に。
今回僕、ゲゲゲの北郎第6期ちょっとだけ予習してきて、
詳しい友人からおすすめの話を教えてもらったのでそれを見たんですけど、
15:02
北郎の父親が若返る回があって、
ズバリじゃないですか、今回。
ただちょっとキャラ違うんですよ。
今回の映画と。
まずゲゲゲの北郎第6期の目玉の親父の子絵って野沢雅子さんなんですけど、
若返っても野沢雅子さんなんですよね。
そうなんですね。
関俊彦さんになるのかなと思ったら野沢雅子さんなんですけど、
あと、瞳の表現。
映画の方は点だったと思うんですけど、
テレビシリーズの方は、
あの目玉の親父の赤い瞳がそのまま瞳として、
ちゃんと瞳が大きいキャラクターになってるんですよ。
確かに無理はない気がしますね。
そうなんです。普通に考えたらそうなんですよね。
で、声が野沢雅子さんじゃないですか。
映画の方のヒョウヒョウとした感じというより、
ちょっと熱血感があるというか、
ズバリ孫悟空みたいな雰囲気が出てる。
だから結構雰囲気違うんですけど、
少年向けアニメのヒーロー的な野沢雅子版から、
今回関俊彦版になってるんですけど、
めちゃくちゃ色っぽいですよね。
めちゃくちゃ色っぽいですよね。
ちょっとすらりと背が伸びていて、
ちょっと裸けてるんですよね、その着物が。
そう。そうなんですよ。
あの着流す感じがもうセクシーとすら言えるというか。
そうなんですよ。
めちゃくちゃいいなと思って関俊彦さんの声。
僕は関俊彦さん、
そういうハンサムキャラ方向の人気で元々ある声優さんっていうのは、
皆さんご存知だと思うんですけど、
例えば忍多摩ランタロウの土居先生であるとか、
ナルトのイルカ先生とかのどっちも忍者先生ですけど。
確かに。
ですけど僕が一番グッときたのは、
ジブリの作品の海が聞こえる。
で、主人公の親友をやってて、
で、主人公が飛び太の坊さん。
で、それの親友が関俊彦さんなんですけどね。
この二人の関係が良すぎるんですよ。
で、海が聞こえるはヒロインがいる作品なんですけど、
もうね、あの、何て言ったらいいのかな。
百合の間に挟まる男の逆バージョンなんですよ。
ヒロインどうこういう、僕まずその、
男子二人の関係性にむちゃくちゃグググってきてたので、
しかも声がね、
飛び太の坊関俊彦じゃないですか。
もうよだれた。
むちゃくちゃいいんですよ、海が聞こえるの。
ほんとに。
18:00
それだけで一回見てほしいなって思うぐらいなんですけど、
今回もね、むちゃくちゃ良かったですよね。
いやー、良かったですね。
水木との関係もね、
ちょっと水木の露悪的な態度というか、
それに対してひょうひょうとしてるので、
一瞬ちょっとやり返されそうみたいな、
不穏な空気出しつつ、
最終的に侵入みたいな感じになってるから、
もうむちゃくちゃいいなと思って。
むちゃくちゃいいんですよ。
その文脈で全然美味しい作品じゃないですか、これ。
そうなんですよ。
もちろんおそらくファンダム的に盛り上がってるんで、
その部分だと思うんですけど。
間違いなく。
そこだけで全然語れるというか。
墓場の鬼太郎の方でも水木って出てくるけど、
墓場の鬼太郎って、
歌詞本時代の漫画が原作っていうのがあって、
絵が濃いんですよね。
やっぱり劇画調って言ったらいいのかな。
確かに確かに。
水木先生の中でも一番濃い絵柄の感じがあって、
墓場の鬼太郎は水木も顔が怖いんですけど、
やっぱり本作、
劇劇の鬼太郎からの作画文脈だから、
爽やかなキャラクターになってるし、
そこでね、
バディモンとして見れるっていうところですよ。
これですよこれ。
お互いの背中を預け合うというか、
お互い最後に信じるのは
お前だけだとなっていくじゃないですか、段々。
その預け方とかも
伊藤さんの仕方がないし、
やっぱそこがあっての、
あのラストの切磋琢磨っていう。
そんなん盛り上がっちゃうよっていう。
本当エンドロールの最後の最後まで、
もうググってなるような。
あれ、僕、墓場の鬼太郎を後で見たんですよね。
映画見てからで。
鬼太郎誕生の漫画自体はある程度概要は知ってて、
目玉の親父がミイラ男みたいで、
幽霊みたいなお母さんがいてみたいな。
そういえばそうなんやったなと思いつつ、
そっからどうやって、
あの映画からどう繋がるのみたいな思ってたら、
そんな繋ぎ方するんですかって。
映画見てから墓場の鬼太郎1話見たら、
目玉の親父側の感情がわからんすぎるんですよ。
あれだけのイベントを経た中だったのに、
何そのドライなっていう。
確かに。
まあそれは墓場の鬼太郎の作品の温度感が、
まあそうじゃないかってなるんですけど、
あと水木さんが、
鬼太郎が墓から這い出てきたところで、
墓場の鬼太郎は投げ捨てるんですよね。
鬼太郎を。
でもあの、
鬼太郎誕生下儀の謎のラストは、
鬼太郎を抱きしめて終わるっていうのがあって、
やっぱりそこで分岐してるっていうのを、
人から教えてもらいました。
なるほどと。
だから、
21:00
やさぐれ方向の墓場の鬼太郎と、
ダークヒーローの墓場の鬼太郎、
やさぐれ方向の墓場の鬼太郎と、
ダークヒーロー方向の墓場の鬼太郎に、
分岐するんだなっていう。
オリジンは一緒でも、
そこで分かれるっていう。
なるほどと思って。
すごい納得でくるマルチバースの説明ですね。
そうなんです。
人間を根本的に信じない鬼太郎になるか、
人間を端に構えて見てる鬼太郎になるか、
完全に味方じゃないにしても、
人間に対して良き存在にはなるっていう、
鬼太郎になるかっていうのは、
そこで分岐してるんだなっていう。
めちゃめちゃエモいですよね。
めちゃくちゃエモい。
その文脈で見ると、
鬼太郎って目玉のオヤジと水木の結晶でもあるんですよ。
そう。
そうなんですよ。
だから今作、
鬼太郎誕生ってタイトルにもある通りで、
鬼太郎のヒロイック性ってところを、
すごく言い得てるんですよね。
二人の、
鬼太郎の本人の話をしていないのに、
それが割とできるようで結構難しくない?
とかっていうのはすごい思ったんですけど、
逆によくこれをすられとできてるのがすごいなというか、
なんていうか、
鬼太郎がなぜヒロイックかっていうところって、
やっぱり、
祈りを捧げるというか、
犠牲者に対する祈りの感情というか、
とにかくそこに
集中していくじゃないですか。
だから、
それ故に彼はヒーローであり得るのだっていう、
ヒーロー誕生談として、
すごく良くできた説明だし、
納得度がすごく高い。
そうなんですよ。
だからこそ、
鬼太郎を我々が
好きでいられるというか、
しかも、
鬼太郎って結構キャラあると思うんですよね。
3つぐらいあると僕は思ってて、
墓場の鬼太郎のやさぐれ方向と、
最近の鬼太郎のダークヒーロー方向と、
昭和終盤の
完全なヒーロー方向
っていう3つある。
完全な人類の味方方向。
3つあると思ってるんですけど、
あのオリジンだったらどこにいても分岐できるんですよ。
確かに確かに。
オリジンとして完璧、
しかもメタ視点でも完璧というか、
いろんな鬼太郎があり得ることを
内包できてるっていうところで、
上手いなとは思いますね。
ちょっと長くなりそうなので、
次行きたいなと思います。
光小太郎さんから
頂きました。
店長メンバーの皆さんこんにちは。
私だけは好きと思っていたエイアンバーストプレデターのことを、
前田さんとマリオンさんもお好きだったとは、
本日見返しましたが、全く色褪せないワクワク映画でした。
さて今回のテーマトークが
激減の謎ということで、
いてもたってもいられずメールいたしました。
最近流行りのインシュウムラ話ではあるものの、
救いの無さをロアク的に描いて、
ペシミズムに終わるのではなく、
絶望の中でも必ず隣にある
未来への希望を力強く
示しているのが素晴らしかったなと。
子供から大人までを広く射程に捉えた
作品になっていると思います。
戦争をどう描くか、現代へどう伝えるか
についても誠実でした。
だからこそフィクションとして
消費させることを許さない。
知ったなら、見えたなら、
その責任を果たさないといけないと
24:00
観客へ突きつけてきます。
最後水木は生まれてきた鬼太郎を
突き飛ばさずに抱きしめますが、
あれは怪奇丹の墓場鬼太郎ではなく、
ダークヒーロー物語のげげげの鬼太郎第6期
ユーネクストで配信中へと続くことを
示しているのかなと解釈しています。
パンフ読んでないので自信ないですが、
複雑してほしいですね。
聞きすぎる作品の思い入れなどがあれば
ぜひとも聞いてみたいです。
長文乱文失礼いたしました。
ありがとうございます。
僕が人から教えてもらったのと
同じことをおっしゃってますね。
そこで鬼太郎が分岐してるっていうのは。
やっぱりちゃんと
鬼太郎を見てる人はそこを気づくってことなんですね。
確かに確かに。
なるほどな。
一周村の
予約的にだけ
終わってないところもいいっていう
描き方。
そうですね。
そもそもがゲゲゲの鬼太郎は
子供向けであるっていうことを
前提として。
にしてはなかなか悲惨な
とこまで踏み込んでると思うんですけど。
そうですね。
子供が助からないっていうところは
やっぱり
映画ならではなんじゃないかなとは思うんですけどね。
やっぱり
もう取り返せないっていうことを
前提にしてるっていうところは
いいなと思って。
やっぱり過去の犠牲者は
振り返せない。ただ弔うことはできるけど。
未来に対しては
より良くしていこうと思うしかない
っていうところは
作中でも度々言及されてる
テーマだったかなとは思うんですけど
そのあたりも非常に
さわやかに見れるとこでもあるかなとは
思いましたね。
確かにこの作品
確かPG-12で
子供向けの作品の
劇場版とは言いつつも
割と作り手側は
結構年齢高めに作ってる
っていう印象的だし
明らかに
子供には若干きつめのシーンというか
きつめの事実が分かるところとかもあるじゃないですか。
そういうところも含めて
すごく大人向けのもの
おとぎ話と言っていいのかな
としても作ってるのかなっていうのも
印象的ではありましたね。
そうですね。
ゲゲゲの来太郎っていう
とこから派生して
大人向けに踏み込んだ
ちょうどいいバランスなのかな
っていう気はしました。
そんな感じで
次行きましょうか。
レッドジャケットさんから
いただきました。
こんにちは。いつも楽しいお話ありがとうございます。
ネット等で話題になっていた本作
派手どんなものかと思って鑑賞して
まいりました。劇場は若い観客が
多く特に女性同士の姿が
多くて作り間違ったかと思うぐらいでした。
さらに見終わった後に
若い女性が来太郎って初めて見たけど
面白かったねと話していて
これが初来太郎の観客もいるのか
と本作の集客力の凄さに感心しました。
ストーリーに関しては
多くの方のコメントがあるので
はしょりますが、私が一番思ったのは
来太郎の誕生と言えば
ゲゲゲの来太郎以前に
水木茂先生が描いた来太郎の原点
27:00
墓場来太郎という漫画と
それを原作にしたアニメがあり
まさかあれを無視することはないでしょうから
どうやって繋げていくのか
また墓場来太郎の絵やキャラクターデザイン
水木色の濃い独特の作画
タッチを予告で見た現代風のキャラレザーや
絵にどう合わせるのか
ということでした。
最終的に来太郎の両親は色々あって
墓場来太郎に出てきた両親の姿になり
水木もこの頃の記憶を失い
墓場来太郎に繋がっていったのだろう
という塩梅で着地させたようで
エンドロールでサラッとその辺りが描かれていましたね。
少し腑に落ちない点もあるのだけど
あれで良かったのかな?
また水木先生が一貫してテーマにされていた
戦争に対する思いも外さずに
今の若者にとって
押し付けがましくない程度に盛り込んでいたのは良かったです。
個人的にはもっと驚々しい
水木テイストあふれる来太郎の方が好みですが
現代風に可愛くアレンジされた
猫娘のように来太郎アニメ自体が
時代に合わせてうまく進化していくことで
長く作られ続け
水木先生の築き上げた妖怪文化を
これからも残してほしいと思いました。
ということでありがとうございます。
ありがとうございます。
本当に僕
先週かな
行きましたけど
劇場いっぱいでしたからね
僕もそんな感じでしたね
すごい一番でかい劇場で
やってたんですけど
もちろん大人の女性が多い
印象はあったんですけど
本当に埋まってるって感じですね
なかなかこんな光景
見ないぞっていう感じ
僕が見た感じ
女性半々っていう感じ
でしたかね
本当に幅広く
キャッチされてるっていう
感じなのかなっていう
風な印象なんですけども
戦争の描き方
そうですねやっぱり
水木先生ご自身を
元にした戦記ものも描かれてたり
とかやっぱり戦争に
関してはいろいろあったと思うんですけど
ちょっと僕水木先生の
漫画自体はそこまで
詳しくないのであれなんですけど
水木先生の漫画って結構
ノリが淡々としてるというか
ドライなとこあるイメージ
なんですよね
漫画の北郎とかもノリが軽いとこが
あるというか
ちょっと生き死にとかも他人ごとなとこが
あるなっていうのは見てて思うんですけど
やっぱ本作ちょっと
それよりは常年こもってる感じが
あって
それがいい塩梅だったなっていうのは
僕も思いました
ちょっと表々としすぎてないというか
ちゃんと重いとこは重いぞって
言い切るところは
本当に北郎ってベースの上に
いろんな表現ができるってことの
詳細なんじゃないかなっていう風には感じましたね
そうですね
でも確かに時代に合わせて
北郎のデザイン自体が変わっていっている
っていうのは割と他の
IPとかではなかなか珍しいこと
なのかなと思って
そうですね
僕ロッキー見てましたけど
スマホとか出てくるんですよね
だから
スマートフォンから生まれる
怪異みたいなのも
30:00
見かけるから
そもそも時代性を
内包しているのが妖怪っていう
題材なんだと思うんですよ
妖怪って過去にいたもので
それであらゆるものが
固定されてますとかじゃなくて
人間の行動とか
あらゆるところから
それに合わせた妖怪が出てくるっていう
それは
本当に新しい妖怪が生まれるのかもしれないし
かつていった妖怪が
現代風の何かになるってこともあるだろうし
っていうので
ものすごい
いろんなことができる題材なんだなと思うんですよね
確かに
それこそ
最近ちょっと好きで聞いている
ポッドキャスターで
ゆる民族学ラジオさんってラジオがあるんですけど
その中でも妖怪だとか
あるいは民族学的な習慣みたいなもの
っていうところが
人々の世界モデルの理解に
どう関わってきたのか
あるいは僕らのそもそも根源にある世界の認識ってどうなのか
ってことを表してるんだ
っていうお話が結構あるんですけど
実際おそらく
鬼太郎が生まれる
元になったような民族的な
民話というか伝承みたいなものも
実際にあって
子供を宿した状態で亡くなった方を
そのまま埋めてしまうと
子供が化けて出ると
だから必ず
福島の藍津の村で
事件になったらしいんですけど
鬼太郎から
子供を取り出してあげて
二人として埋葬しなきゃいけないっていう印象がある
現代の法律では
死体損壊罪で訴えられてしまって
それで一度裁判になったっていうことだったらしいんですけど
後にそれで
民族学者がいやいやこれには実は
全国的にこういう風習があってこの村だけのものじゃない
っていうことが分かって
その件が無罪というか
無罪じゃないって話になったっていうこと
エピソードがあってすごい面白いなって思ったんですけど
興味深いですね
なんていうか
妖怪とかあるいは伝承みたいなものっていうのが
たぶんかつて僕らの
科学とかあるいは
観測技術が発達する前には
保管するためのものだったと思うんですけど
現代においても
たとえそれが科学が発達した現代であっても
全然なんていうかな
そこの間に埋めることで
心が静まることはきっとあるんだろうなと思って
なるほど
そうですね
さっきオープニングでも言ったんですけど
最近自分が死ぬときってどうなんだろう
ってことばっかりずっと考えてるんですけど
そうなったときに
死って唯物論だと
キャッチしきれないなと思ってて
分かりますそれはそうですね
絶対に
何らかの文脈での処理がいるというか
文脈での処理というか
儀式がいるなと思ってるんですよ
それは
ボルテックスでも描かれてたんですけど
ボルテックスって
死に対する言及が
めちゃめちゃされてて
主役の夫婦が生活してる背景で
流れてるっていう意味で
死に関する哲学を
語る番組がずっと流れてるんですよ
流れてましたねそういえば
葬儀をすることで我々は人の死を
33:00
授与することができるみたいな
話をずっとしてて
でもそれが多分いるんだとは思うんですよね
なんていうか
それがないと
耐えれないんですよ
世界に意味がないことに耐えれないんですよね
それの一つの
もうちょっと
死とかそこまで根源的な
ところまでいかないにしても
身近なところの意味を保管してくれる
ものとしての妖怪がいるっていう
感覚はあるんですよね
それって
具体的な例が
パッと浮かばないな
パッと出せたらよかったんでしょうけど
なんでこうなってるんだろう
っていうところを擬人化
するというか
擬人化された意味を世界に与える
みたいなそれが妖怪
っていう感覚が
あってそれ
弊害もあると思います
世界に擬人化された意味を与えるのって
しばしば悪用されるのは
これもあるので
ただそれがないと
世界をキャッチできない我々は
っていうのもあるとは思うん
ですよね
それが民族学さっきの
妊娠した女性が亡くなったときに
お腹の甲を出して二人として
埋葬してあげるっていうのはまさに
それだと思うんですけど
現代の法律とかでは
拾いきれない死っていうものの意味を
そこに持たせてたからこそ
それが行われてたわけだと思うんで
そもそも北朗自体がそういうものを
内包してるからこそ
どんだけ変わろうともずれない
そもそも変わり続けるものが
妖怪だからっていうのが
すごいなっていうところというか
例えばゴジラもめちゃめちゃ
懐深いIPだと思うんですけど
ゴジラは懐深いじゃなくて
なんだろうな
いろんなものをゴテゴテつけすぎて
何やってもまあいいかってなってる
吹き出しで喋ったり
シェイしたりしてるから
だから外付け
ゴジラは外付けされた
懐の深さで
北朗というか妖怪はそもそも
内側が圧倒的に広い
内側の許容量がでかい
そもそも変容し続けるもの
っていうところで
比べてみて面白いなと思いました
次のお便りいきたいなと思います
8さんから頂きました
いつもお世話になってます
北朗を見ました
作品の主だった意図や印象
これは自分なんかより厚く話せる人が
話すべきだと思います
その作品なのは進撃の巨人です
胸骨のフォルムが
子祖の巨人に見えたところで
あっとなったのです
自然広角のキャラが食われて
なお体内で生きているところとかも
さらに竜眼のトシが器としての子を産ませるのは
もろにフリッツ王の修行
そこに愛があったと言わないのはさすが
盆一丁長瀧の立ち位置は
アッカーマン家みたいだし
Mは使われ方が違いの存在感は
脊髄液のそれです
というようになんやかんや繋がるのですが
だからダメではないです
むしろ大元となる水木しげるの漫画文や
36:00
横溝的な世界観に
東大随一のコンテンツからの
フレーズが忍ばされているのは
とても好意的に受け取りました
そもそもアニメの鬼太郎自体が
シーズンごとにその時々の風俗を
貪欲に取り入れる節がありますし
原点・古典と今風が
メッセージ性だけなくフォームにも
混ざり合っているところに
この作最大の興奮がありましたと
ありがとうございます
その時々に合わせた作風になっている
というのはちょっとさっきまで
話してたのと近い部分かなと思うんですけども
進撃の巨人を
思い出されたということで
なんでしょうね
進撃の巨人が
やっぱすごいんじゃないですかね
ちょっと僕
進撃の巨人最後まで見切ってないですけど
ちょっとここまでの作品は
そうそうないですよやっぱり
結構見られてます?
見てたっていうか
中身はそうなんですけど
テーマ的な部分もそうですし
やっぱりそれを売れたっていうところが
すごいなと思うんですけど
そういう本当にいろんなものを
真似したというより
多分結果的に縫い方したっていう
ところだと思うんですよね
だからなんか重複して見えるというか
それはやっぱり煮詰めたら
そうなるっていうエッセンスだからなのかな
って気はしてて
それを現代に刺さるように
作った久山先生がやっぱすごいんだろうな
っていうのもあるなとは
思いますね
あるいはその進撃の巨人の中にあるのって
ある種その
現代における不安感みたいなものだと
思うんですよ
日本特有のものかもしれないし
あるいは世界的なものかもしれないんですけど
その不安感に共鳴した
っていうのはすごいあるのかなっていうのは
ちょっと思っていて
まさにそのこの中で描かれている
その一つ一つの要素自体も
ある種何かに現実の何かに
連想されるものでもあるわけですし
すごくそれは
時代性に伴ったものなのかな
っていう気もちょっとするなと思って
もちろんそれを物語として
形にする時に要素としては似てるけど
でもそれを物語として
筋を通すっていうのはやっぱり
作家さんの腕なので
そこは本当に尊敬すべきというか本当にすごいな
って思うんですけど
やっぱり僕らが抱えているその社会とか
あるいは現代という
時代性への不安みたいなものを
本当にうまく救い取れたからこそ
鬼太郎とか巨神がヒットしてる
っていうのはなんかあるんじゃないかな
ってちょっと思ったりはしてます
それはあると思います
だからファンタジーを
借りなくても
現代のメタファーはできるというか
むしろ
昭和30年から続いてるんだっていう
感覚だからより
リアリティはあると思うんですよね
進撃の巨人はやっぱりちょっと
メタファー的にはなってるから
ファンタジーになってるので
そこはやっぱり
鬼太郎だからできてることがあるのかな
っていうふうには思いましたかね
はい、じゃあそんな感じで
お便りは終わったんですけども
結構喋ったんですけども
39:00
そうですね
おおよそ喋るべきことは喋ってきましてて
確かに
じゃあちょっと
我々からも
テーマ出してみたいかなと思うんですけど
やっぱり横溝精神的な
イズムの部分で
いわゆる
印集に問われた村自体の
横溝感
っていうところではないんですよね
横溝精神の軸というのは
これ
かすがたいちさんが
ラジオか何かで
近代一耕介シリーズの
悪魔の手まり歌っていう作品について
語ってたときに言ってたんですけど
近代一耕介は
呪いを解くことで
命を助けないんですよね
殺される予定だった人は
基本的に全員死ぬんですよ
なるほど
じゃあ彼は何かっていうと
そこに呪われた人々の呪いが解けるのを
見届ける役割
っていうことをおっしゃってて
これはごめんなさいかすがたいちさん
本人そのものの言葉にはなってないと思うんですけど
そういったことをおっしゃってて
例えば悪魔の手まり歌もそうだし
本作に
近い世界観だったら
いねがいまけの一族とか
極門島とかも
これらって兄弟が死ぬ話
なんですよ
兄弟とか姉妹が死ぬ話
で大元になった
一族の長は基本的に
死んでるんですよ
だから諸悪の根源は死んでるけど
でも人が死んでいく
っていう話になってて
じゃあ彼ら
彼女たちが死ななければ
どうなったのかっていうと
そうでもないというか
綿々と続いてきた
一族とかあるいは馬に
残ってる呪いのような
ものを解くためには
もう死ぬしかない
この言い方よくない
あくまでフィクションとしての
ってことですけど
それこそゴーストワールドの
上映会の時にジェイソンさんがおっしゃってて
すごい印象的な言葉があって
ゴーストワールドもある意味死と捉える人もいる
っていう話があったと思うんですけど
ラストのイニードの展開に関して
死っていうのが
物語においては解放を意味することも
あると思うんですよね
物語っていうところの上で
置かれている状況だったり
あるいは現実世界にある
ものっていうのがしっかりあって
物語の登場人物があくまでフィクションとして
なくなることで
その似たような境遇を持ってる人たちが
ある種解放されるっていうところは
あると思うんですよ
ある種解放という描き方っていうのは
ある種の表現の一つとして
ある種横溝さっき笠谷さんがおっしゃってた
横溝誠史の中にある
呪いの解放っていうところ
はすごく
納得できるところはあるなと思って
全員が
なくなるっていうのは
普通こういうのって終わらないのが
嫌なんですよ
なくならずにどんどんどんどん続いていくから
ずっと終わらずに残り続けるから呪い
なんですけどその呪いを断ち切るためには
42:00
一旦さらに
するしかないじゃないですか
それをある種表現してるんだとしたら
それこそまさに
シン・ゴジラの内閣総辞職ビームみたいなもんですけど
そういう解放感って多分
あるんだろうなと思うし
それを感じること自体は何も罪じゃないなと思います
そうですね物語
だからこそできるというか
物語ならやっていい
解放としての死をやっていい
呪いを解くという行為としての
死を描いていいというところで
だからもうそれによって
その後には残らない
というところですよね
それはやっぱり
ゲゲゲの謎はそれをやってるんですよ
確かにそうですね
一族もそうだしやっぱり
村民丸ごと死ぬ
っていうところでやっぱりあの
村自体が呪われたものである
っていうところで
全員死ぬっていう解放を
するしかなかったっていう
結果的に
そこにこそ横溝イズムを
僕は感じるなとは思ったんですけど
ただ
ちょっと横溝イズムと違うな
っていう部分があって
横溝イズムは
主役の根源はもう死んでて
いないんですよね
でそれがめちゃくちゃムカつくんですよ
なるほど
むっちゃムカつくんですよ
そこが
でも本作は主役の根源に
一撃かませるから
そうですね
ファンタジーだから
怪奇譚だからこそ
ミステリーじゃないからこそ
死んだ人間が生きてたってことにできるからこそ
それを
一撃かますってことかな
一撃かますための媒介になったのが
子供っていうのがむちゃくちゃムナクソ悪いんですけど
そうですね
なんですけど
めちゃくちゃムナクソ悪いんですよね
本当に
なかなかここまでの悪って
最近なかったなと思って
ちょっとね
描かれ方によって
吐き気を覚えてもらうしかなかった
本当にそう思います
本当に本作で描かれてる悪って
吐き気を模様する
ものばっかりなんですよね
それは置いといて
としてやっぱりその
主役の根源に一撃かませる
っていうところがやっぱり
横溝イズムとは違うところ
というか
犠牲者は犠牲者の終わるっていうのとは
ちょっと違うところだな
とは思うんですけど
なんだろうなやっぱり
過去に対してどうしようもないっていうのとは
置いといてやっぱり
過去の悪も裁かれるべきっていうのは
めちゃめちゃ
その発想はあるなと思って
むしろ現代的だなと思って
そこもね
いいなと思いました
単にスッキリもするし
もちろんすごくドライで
回端として終わったとしても
多分あの映画はあの映画で独特な味わいがあったんですけど
やっぱり最後のカタルシス
もちろんそこにやっぱ
主人公2人のバディとしての
45:00
結実としての
ラストバトルがあるっていう
ところも含めて
やっぱりすごくキャッチーになってるというか
この雰囲気で
途中生まれてでも最後の最後はすごく
キャッチーに終わるっていう
そこがとにかく映画として上手い
現代の大衆に見られる
大衆娯楽としてすごい上手いバランス
な気がします
そうですね
非常に楽しめるっていうところとあと
過去を生産するときに
払わなきゃいけないものって
いくつかあるな
っていう感覚があって
それはまず呪いは払わないといけないもの
それは本作も
払ってたし
金田一光介シリーズも払うものなんですけど
あとやっぱり
過去の咎も払わないといけない
罪は裁かれないといけない
っていうのも
だから犠牲が続くのも
良くないし
その発端となったものを
悪いって言うっていうのも
いるっていうところ
その両輪
って言ったらいいのかな
悪いものは悪いって言おうよっていうのは
やっぱいるというか
関係者全員死んで
これ以上続かないからもういいよね
っていうところ
ちゃんと大本は
罰かますぞっていうのは
いるんじゃないかなと思った
それがある種時代の
必然だったとしても
その留外一族の
クソジジイみたいなやつは
時代が要請したものかもしれないです
それは
そういう存在は歴史上もよくいます
でも
じゃあ必然だったからって
裁かれなくていいのかって言われると
そうじゃないというか
今の時代から見て
裁かれないといけないものは裁く
必要があるっていう感じ
って言ったらいいんですかね
それを過去は過去ですね
受け止めきらないっていう
感じは
いいんじゃないかなと思って
だからああいう昭和的な
価値観って
あいつも言ってましたけど
戦争はまだ続いてるんだっていう
それは経済の勝負になるっていうこと
日本人みんな猛烈社員化すれば
経済の力で
世界を制するぞみたいな
発想を言ってたわけですが
あれって戦後も終わってない
っていう話
ですよね
おかげとかでも
いや引っ張んなやっていう
引っ張んなやっていうのを
ちゃんとその呪いを解くし
それを言い出したやつにも
コツンといくよっていうのは
例えばそれが
時代の流れだったとしても
過去のその時点のことを
別に許しはしないっていうのは
なんか結構
いいんじゃないかなって僕は思ってたんですけど
そうですね
なかなか
その時はその時で仕方ないっていう歴史認識
というか
その歴史の中で生きてた人が
愚かだったっていうのはまず違うのは確かだな
と思う一方で
48:00
やっぱり今現代
過去そういうことが起こったことを知ってる我々が
同じことを繰り返していいのかって言ったら
それ良くないよねって話だと思うんです
だから学んだ上でまさに呪いを解くって
一つやっぱ大事なのは
知ることだと思うんですよ
その時のことを
知った上でその呪いを
どう自分で払っていくかっていうことを
自分ごととして考えれるかどうか
っていうことを思っていて
あの作品の中に描かれて
特に水木がそうかなって思うんですけど
自分自身にある呪い
あるいは加害者性みたいなものを
身につけていくかってことを
徐々に徐々にあの映画の中で
もちろんそれがメインのお話ではないにしろ
彼自身が変わっていくっていう
そこの成長端になっていって
それと重ねるように
自分を重ねるように
そのことを反数できるような映画にもなっている
気がするので
やっぱり今すごく大事なメッセージを掲げてるし
これがヒットしてるのはすごい良い
ちょっと嬉しくなっちゃうというか
っていう気持ちにすごくなりました
ファンダム的に盛り上がってるとしても
そうですね
特にゴジラマイナスワンが
ヒットしてるからこそ
ゴジラマイナスワンに当てこすりしたいんじゃなくて
じゃなくて
両輪なんです
そうそうそうまさにまさにそうなんですよ
だからそういう側面もあるよって
別にそれを
ゴジラマイナスワンに全部をやってとは
言わないです
言ったけどね
前言ったけど
ゴジラマイナスワンに全部が詰まってる必要ないので
じゃあゴジラマイナスワンがやれなかったことを
ゲゲゲの謎がやれてるかもねっていう
そういう視点を持つことで
ちょっと心穏やかになれるというか
良かったなって思えるところもあるなとは思って
本当に良かった
本当に良かった
この作品が当たってて
僕すごく分かります
はい
そんな感じで
キタロウ誕生ゲゲゲの謎の話は終わっていこうかなと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
はい
次回ちょっと
お二人いないんで
決めきれないんですけれども
コウホー
イチコあれなんじゃないかな
ありですけど
大変ですよ
やめとくかな
なんか
疲れてるから最近
ちょっと
しんどいのが多くて
うんうん
楽屋と思ってた
飛んで埼玉さえ
しんどかったんですよ
確かにそうですね
本当にね
純粋な娯楽なんて本当にない
特にどう語っても大丈夫でしょ
と思ってた
飛んで埼玉でさえ
地方在住者アイデンティティって
非常に厄介な題材だったから
うわーっていうのがあって
ちょっともう
何喋ってもしんどいなって
なんか
どうですかね
僕なりに候補は2つぐらいあるかな
って思ってるんですけど来週公開って意味で言うなら
51:00
一つは前ちょっと
戦後女優界で見たカレハ
これは僕結構
好きですし
割とこうサラッと見られる
気もするんですよ
重たいように見えてすごく軽い映画なので
僕は結構カレハは
惜しいかなって思っている
っていうのとこれはまだ僕見てないんですけど
ロマコメって
あんまりこの映画
ラジオで特集しないじゃないですか
実際公開自体がそもそも
かなり減ってきてるんですけど
久しぶりにロマコメが劇場で
やるんですよきっとそれは愛じゃない
あーはいはい
僕結構
ロマコメ実は好きで
ロマコメの中にある
現代性とかメッセージ性
正直すぎるほどのメッセージ性に
割としっかりいいなって思うタイプなので
なるほど
ロマコメって割と時代を移すのできっとそれは愛じゃないが
どういうメッセージ性を
送るのかっていうのも結構
実は楽しみだったりする
なるほどねちょっとじゃあ
DMあげましょう
決めましょう
じゃあそんな感じで
決めたいなと思います
ではお知らせになります
映画の話したすぎれば
次回は1月27日
土曜日開催予定です
場所は大阪の南森町
週間曲がり19時オープン
23時クローズです
個人的なお知らせとして
12月28日に
週間曲がりで
映画忘年会23年
っていう映画バイベントをやります
これは映画の話したすぎるば
じゃなくて僕だけ店長でやりますので
よかったら来てください
またこの番組ではお便りを募集しております
番組全体や次回テーマに向けて
ご自由にお送りくださいませ
最新情報
番組次回テーマは
X日で告知しております
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ
それでは
映画の話したすぎるラジオ第146回
北朗誕生ゲゲゲの
謎の回を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら