1. 映画の話したすぎるラジオ
  2. 第122回(2)『スパイダーマン:..
2023-06-29 1:07:37

第122回(2)『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース 』他者(マルチバース)が押し付ける物語(カノンイベント)に抗え!

『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の話をしました。

映像面での本作の圧倒的到達度やスパイダーマンというコンテンツが持つ歴史を内包したメタフィクションとしてのつくりの巧みさに言及しつつ、どうしても気になる「カノンイベント」について話しています。

■メンバー

・山口 https://twitter.com/awajicinema ・まえだ ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke ・オーイシ https://twitter.com/pteryx_joe

■映画の話したすぎるBARのお知らせ

日時:2023年7月30日(日)

場所:『週間マガリ』大阪市北区 天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com

■当番組のグッズの販売を開始しました

https://suzuri.jp/virtualeigabar

■告知用Twitterアカウント

https://twitter.com/virtualeigabar

■お便り募集中

https://virtualeigabar.com/contact

The post 第122回(2)『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース 』他者(マルチバース)が押し付ける物語(カノンイベント)に抗え! first appeared on 映画の話したすぎるBAR&ラジオ.

Copyright © 2025 映画の話したすぎるBAR&ラジオ All Rights Reserved.

00:00
今日のテーマトークは、スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース です。はい、では解説お願いします。
はい、解説、映画ドットコムから読ませていただきます。ピーターパーカーの意思を継いだ少年、マイルス・モラリスを主人公に新たなスパイダーマンの誕生を描き、アカデミー長編アニメーション賞を受賞した2018年製作のアニメーション映画
スパイダーマン・スパイダーバースの続編。マルチバースを自由に移動できるようになった世界。
マイルスは久々に姿を現したグウェンに導かれ、あるユニバースを訪れる。そこにはスパイダーマン2099ことミゲルオハラやピータービーパーカーら様々なユニバースから選ばれたスパイダーマンたちが集結していた。
愛する人と世界を同時に救うことができないというスパイダーマンの悲しき運命を突きつけられるマイルスだったが、それでも両方を守り抜くことを誓う。
しかし運命を変えようとする彼の前に無数のスパイダーマンが立ちはだかり、スパイダーマン同士の戦いが幕を開ける。
オリジナル英語版ではシャメイク・ムーアが主人公マイルス、ヘイリー・スタインフェルドがグウェン、オスカー・アイザックがミゲルの声を担当。
はい、ではここから具体的な話を入っていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったらぜひ見てから聞いていただけたらと思います。
はい、では最後の感想、まいださんいかがでした?
いやー本当なんか、1000%完璧に面白くて、面白くて、ほんと見てる途中に思ったのが、イチ見とけばよかったなーって。
あ、見てないで言ったんですね。見てないで言ったんですね、あははは。
違うんですよ。っていうのが、言い訳なんですけど、なんていうんですかね、もう映像がめちゃくちゃいいんだろうなってことが分かってたから、
一発目は劇場にしたかったんですよ。配信でイチ見ちゃうのがもったいないかなと思って、
まあなんとなくわかるやろって思って、まあなんとなくはわかったんですけど、なんとなくはわかったんですけど、
あ、なんかおじさん診断やとか、たぶんイチを見てる人ならここでおおーってなるんやろうなみたいなポイントで、
全部こう、私エンドゲームもそれやっちゃってるんで、乗り切れましたけど、ぜひイチを見てから見ることおすすめします。
はい、マリオさんいかがでしたか?
そうですね、僕はちゃんと1作目から見て、今回ちゃんと望んでるんですけど、
1作目は僕、1作目もドルビーシネマで見てたので、今回もドルビーシネマでちゃんと目に行ったんですけど、
もちろん前作大好きだったので、もうこの作も絶対面白いだろうと思って面白かったんですけど、
それ以上にもう完全に僕向けの話やん。もうこれはもう、マイルス頑張れってなるじゃんかみたいな、
もう完全にもう天気のこの穂高くんとか、エヴァンゲリオンの刃の時のシンジくんみたいな時のあの感じですよねみたいな感じでやっぱ見ちゃいましたよねどうしても。
03:11
もう誰が決めたよこんな運命とやらみたいな、何が可能イベントじゃんみたいな感じでやっていくのが本当なんかもう泣けてくるんですよねもう。
ちょっとね涙なくして見れませんでした。
はい、大石さんいかがでした?
僕も前作劇場で見ていて、前作もうめちゃくちゃ好きなんですよ。
もうアニメーション表現もすごいし、まさに多分よく言われていることだと思いますけど、
初めてコミックが動いているアニメーションを見たというか、コミックを見たって感じだったんですよ。
で正直今作、まあキャラクター大好きだから、まあそれを超えてこないだろうなって思ってはいたんです。
だからあのキャラクターたちにもう一回会えるつもりで行こうと思って行ったんですよ。
そしたらまあ、超えてきましたね。
もうまず表現のレベルでちょっとヤバいことになってるし、もうなんて言うんでしょうね。
前作で期待値も上がってきたものを悠々と超えてきて、なおのこと物語もしっかり深いところまで行くし、
もちろん今作で終わらないっていうのはある意味ちょっとだからフックとして残ってるというか、まあ未初化感はどうしても残っちゃうんですけど、
それ抜きにしてもめちゃくちゃなんかすごいもの見ちゃったなっていう感じで、まあ大好きな映画になりましたね。
僕はですね、映像表現としては1億点ですね。
イカれてますよこれは、すごすぎる。
前作でもすごかったけど、前作は一つのコミックを映像化したって感じだったけど、
今回何種類のコミックを映像化してたんですかねぐらいになるし、もうアクションシーンの完成度もすごすぎるんですよ。
スパイダーマンってこういう動きしてほしいなっていう動きをしまくるんですよね。
ちょっとこれはね、すごすぎるなぁと思いました。
で、話に関してはちょっと現時点での評価が難しくって、次回作見ないとちゃんと評価できないかなと思って、
古流っていう感じではあって、正直僕本作の中で描かれてる、カノンイベントとか運命っていうものの描かれ方に疑問符を覚えすぎるんですよね。
運命ってそういうものなのかっていう、あとメタすぎるなぁと思って、あまりに運命ってものの捉え方が。
スパイダーマンっていうもののメタをやりすぎてて、なんか運命ってそういうことなのかなぁみたいなのをちょっと引っかかってしまって、そういう誰を助けるのかとか、誰かを選ぶのか世界を選ぶのかみたいな話の入り方を僕はあんまできなくて、
ん?なんかめっちゃ誰かの都合で動いとんぞこれみたいなのを強く覚えてしまったっていうのがありました。
そこは多分次回作で解決してくれるんじゃないかなとは期待してるんですけどね。
06:03
はい、そんな感じででは内容を深掘りしていきたいと思うんですけども、まず映像の話先にしちゃうのがいいと思うんですけど、
前作の時点でコミックの印刷の漢字の表現っていうのはだいぶやってたと思うんですけど、
今回もその方向性でのグレードアップっていうのは特にそのマイルスのバースの中でかなり強調して描かれてたと思うんですけど、
その印刷物の色のドットの表現ですよね。
だから印刷ってCMIKの色のドットの濃淡で色を表現してて、それのドットの存在っていうものが表現されてて、
特に今回その周り表現みたいなのがむちゃくちゃあったと思うんですよね。
なんかドットの粒がちょっとぼやけて見えるというか、なんかそのあたりがすごく見えてたなっていうところがすごく前にも増してコミックが動いてる感っていうのが強まってたかなっていうのを思ったのと、
あともう今回冒頭からも痺れっぱなしだったんですけど、
グウェンのバースの表現、おかしくないですかあれ。
あれはすごい。
あれ何なんですかね、結構そのどちらかというとマイルスとバースとも近いような世界観なはずなのに見え方が全然違うじゃないですか。
ちょっとなんかなんと言うんですかね、ちょっとシャボン玉とかのなんか膜がこう張ってあるのがそれが全面にベタ塗りされてるみたいな感じがちょっとするというか、
なんかもうちょっとなんかあの独特な映像感を表現する言葉が僕にはないんですけど、ただなんか独特な見え方しかしてなくてもうこれだけでもう一気に心掴まれちゃいますよね。
マイルスの方よりも絵の具でペイントされたっていうテクスチャー感が強く出てたと思うんですよね。
あとそのキャラクターの心情で世界自体の色味が変わるっていうのは、これすごいコミック的な表現だと思うんですけど、
それをもうこの世界ではそれをやりますっていう名言するような表現をとってて、なんかあれもねすごく良かったなぁとは思って、
だからまあ前作でそういう印刷のニュアンスを映像で表現するっていうのをやったんだったら、
じゃあそのコミックのジャンルが変わった時のそういう表現というものをバリエーションとして出していくっていう方向にパワーアップしてるっていうのは、
そのパワーアップの方向性としてむちゃくちゃ正当というか、やっぱ今回そのそれぞれのバースが別の表現形態をとってるというか、
別の画材で描いたんだなっていう感じをすごく表現されているのはすごく良かったなぁと思うし、
それぞれのバースに行くたびにコミックの表紙が出るじゃないですか、ここからこのコミックの話になりますってなって、
じゃあアーティストが変わるんだから当然画材も変わるし表現も変わるよねみたいな感じになってるから、
09:04
そのあたりすごく良いなというか、そんなことよく思いついて、よくやろうと思ってやれたなっていう。
5年ですか前作から約5年経ってますけど、5年でできるもんなんだみたいなのも怖いんですけど。
しかも本作確か結構、もともと前作から手描き的表現というか手描き的アニメーションにこだわっている作品ではあるんですけど、
話によると本作1000人以上のアニメーターを雇っていて、各バースだったり各キャラクターそれぞれに専属のアニメーターをつけて、
だから全員そのテクスチャが違うのはアニメーターが違うからでもあるんですよね。
そこまでこだわってやるかと思って。
うらやましいですよね。そんなに予算をかけられることがすごい。素晴らしい。
わかります。前作の成功あってようやくそれが実現できるんだろうなっていうのも思うんですけど、
まさにそれがマルチバースだよってことじゃないですか。
それぞれの表現が全員バラバラで、そのバラバラなものが1個の画面の中に収まっていることがマルチバースなんだっていう、
映画の本質を表現的にやってるっていう。
まあちょっと本当、多分これと近い作品がまた生まれることもないだろうなって思うぐらいすごいなとは思いますね。
これいきなりやってもちょっとどっちわけ感があるというか、やっぱりスパイダーマンっていう歴史を引用しているからこそ成立しているものでもありますよね。
これをいきなりやったとしてもそういうふうにしたっていうだけでしかないというか、やりたいことが前に先立ちすぎてて、観客側が受け取れないものになると思うんですけど、
やっぱりそこにこの映画作品自体がそのコミックのスパイダーマンの歴史を内包しているからこそ、そこをこっちが許容できるようになっているっていうところがすごいなと思うんですよね。
マルチバースっていう表現、ものすごい作品そのものを俯瞰するようなメタな作品になっちゃうものだと思うんですけど、メタだからこそこれをやってかみ合うというか、
いきなりオリジナルでこれが出てきてもあんまりすごいって思えないんじゃないかなっていう、なんか変だなっていうのが先立ちすぎてしまうんじゃないかなって気がして、
やりたいこととやれてることのかみ合い具合がすごいなと思うんですよね。
お客さん側の受けるキャパシティというかリテラシーというかっていうのも、我々もエブエブだとか、あるいはMCUのマルチバースオブマットネス、ドクターストレンジのとか、
要はマルチバースみたいなもの、今回のフラッシュもそうだと思いますけど、映画業界の中でこの一輪連で急激にマルチバースって普通だよねっていう価値観になってきていて、
お客さん側も特にヒーロー映画を見てる人は、まああるよねって思えるっていう、なんかそれがあって、もちろんそれを一番最初に始めたのじゃあ何だって言ったら、
12:06
前作のスパイダーマン、スパイダーバースなわけなんですけど、ただなんかそのお客さん側の受け皿みたいなものが成熟した上で、
2でこれをやるっていうのは、なんかすごい、やっぱ狙ってやったとしか僕思えないんですよね、制作者たちが。
そうですね。
マルチバース。いやマルチバースがまだちゃんと理解できてない。理解できてないけど、フラッシュの説明がめっちゃわかりやすかったから理解できた。
あのスパゲッティーのですか?
そうですね、ブルース・ウェインがね、スパゲッティーで例を説明するんですね、その辺のくだりね。
いやでも、なんやろ、それほんとに、あのフラッシュの話して申し訳ないんですけど、フラッシュとほんまにテーマがよく似てるんですよ、ていうかほぼ一緒なんですよ、テーマが。
そうですね。
ていうかこのマルチバース系の話、だいたいテーマ一緒な気がするんですけど。
うん、そうなんですよね、結構もともとないんですけどね。
で、でもなんかその、確かに今回なんでしたっけ、カノンイベント、私もさっき山口さんが言ったみたいに、カノンイベントの存在の捉え方が難しくて、
なんか、いやちょっとその辺はなんか、なんていうんやろ、みんな理解してるのかなって思いながら見てましたね。
正直マルチバースの概念ってご都合主義だと思うんですよ。
で、そのご都合主義で何を描きたいかっていうとこが大事だなとは思ってて、本作のご都合主義は僕ちょっと苦手なご都合主義だったんですけど、
例えば、エブエブとかのマルチバースってものすごい筋が通ってるんですよね。
ご覧になってます?前田さん。
見てないです。
あの、エブエブのマルチバースは非常に飲み込みやすいと思います。
一人の個人にそのマルチバースの分岐が紐づいてるってなってるので、この人がこのタイミングでこうしてたらっていうマルチバースっていう分かれ方してるんですよね。
だからまあその、もう繋がったマルチバースは、あの時ああなってたらこうなってた自分っていうその世界と繋がるから、なんとなくわかりやすいんですけど、
本作とかのマルチバースって、十往無尽というか、スパイダーマンがいるという条件だけが固定されてて、あとはもう何でもありっていう状態。
ああ、そうですよね。なんかちょっと一個わからなかったのが、マイルズ。
例えば他の、さっきから聞いてと思ったのに、バースっていうのが他の宇宙ってこと?
そのつもりで僕は言ってました。
そうですね、他と思ってます。
みんなが使いこなしてるんです、その言葉を。いつの間にかと思って。
他の宇宙で、本来はそのお互いの宇宙を干渉し合うことは絶対ないっていうものが、並行して世界には存在しているっていうことですよね。
なんかその、それぞれのバースにスパイダーマンがいて、それが各バースで違うスパイダーマンっていうのは理解できるんですけど、各バースにもマイルズはいるってことですか?
15:05
わかんないです。それはわからないです。
いるバースもあるし、いないバースもあるって感じじゃないですか、たぶん。
なんかそれが表現としては近い気がする。
必ずしもその宇宙に絶対自分の分身、なるものがいるかっていうとそれは違うっていう。
ただスパイダーマンだけは絶対にいるっていう、世界ってことですかね。
中のスパイダーマン、バース内のマルチバースの設定として。
今回最後、いきなり最後に話しちゃうんですけど、最後にえーって思って。
マイルズが2人になって出てくるというか。
しかも編み込みのマイルズかっこいいなと思って。
いいですよね。
いいですよね。
今回というか、このスパイダーマン、このシリーズのスパイダーマン、位置見てないんですけど、めっちゃストリート感強いからめっちゃかっこいいなと思って。
音楽も含め、大好きなんですけど。
いいですよ。ストリート感は1の時からむちゃくちゃいいです本当に。
いいですよね。1のストリート感いいんですよね。
絵描くの好きやから、カフェにめっちゃ落書きみたいな。
自分のアート作品を作ったりするとことかめっちゃ好きなんですけど。
そう、だからさ、私さ、位置見てないから、ピーターパーカーがトカゲというか、トカゲでしたっけ?鳴ってるやんと思って。
えーっと思って。
それはピーターパーカーを噛むはずだったクモがマイルズを噛んじゃったからってことですよね。
いやそれは違います。
一回整理しましょうかね。ピーターがトカゲになってたのはグウェンのバースの話なので、マイルズのバースの話ではないわけですよ。
あ、ほんまや。
あのバースではクモはピーターパーカーを噛まずにグウェンスティーシーに噛んだっていう世界線なわけなんですよ。
で、マイルズのいた世界にはちゃんとピーターパーカーがクモを噛まれちゃってスパイダーマンとして活躍していたんだけどっていうのが一作目で描かれるんですね。
そうや、お父さんになってた人。
あれはまた別の世界線ですよ。
混乱すると思いますけど、一作目見てください。わかるんで。
見てください。
わかるはずなので。
わかりました。
正直このあたりのことは、ワンを見てるこっちとしても混乱あるくらいややこしいんですよ。
いやややこしい。
このシリーズの大前提としてある条件として、一つのバースにスパイダーマンが一人いるっていうことだけが共通っていう風に捉えておくのが多分いいと思います。
で、ほとんどはスパイダーマンがいるという条件以外はもう何でもありなんですけど、
たまにどうもこれ分岐したタイプのマルチバースなどっていうのがたまにあるっていう。
18:00
なるほど。
だからマイルスがこっちにもいたりこっちにもいたりっていうのがあるから、何でもありすぎてよくわかんないっていうのは正直めっちゃあると思うんですよ。
そこはね、わかりにくいなっていうのを思います。そこは。
なんか今回スパイダーマンの中の一人の組織のボスみたいな人、リーダーみたいな人いたじゃないですか。
ミゲル・オハラ。
あの人がめっちゃ怒ってたじゃないですか。お前のせいだみたいな。
あの人がなんで怒ってるのかがもうわかんない。
いぼみしだっていうくだりがわかってない可能性があるってことですかね。
クモがどうたらこうたらとか言ってたから、間違ったバースの、違うバースのクモがたまたま追って噛まれちゃったってことですね。
そうですね。
だからスポットがね。
それがスポットのせいってこと?
スポットがバース42番のクモを読んじゃって、そのクモがマイルスを噛んだっていう。
それが1の時からすでにってこと?
そうです。
それが1の絵描かれる話なんですけど。
1の時にそれって明確に、匂わせ程度でしたよね。
正直僕全然気にしてなくて、マイルスのバースがバース1610でしたっけ?
なんかそんな番号ありますけど。
クモが42番って振られてるのは確かにめちゃめちゃ強調されてたんですよ。
でもそこあんまり深く考えてなくて、別にその実験雲に42番って番号振るのもおかしくないから。
ふーんぐらいに思ってたら、今回バース42から来たクモっていう話になって、
そうなんやーみたいになったんですけど。
一応前作チラッと見直したんですよ。
今回のアクロサスパイダーワースを見た後に、冒頭くらいまで見てたんですけど。
1作目の段階であのクモやっぱり42って書いてるクモでしたけど、
いわゆる他のバースにいるとバグっちゃうみたいな描写あるじゃないですか。
ジグジグですね。
ジガジガーって形が保てないみたいな。
ああいう感じの描写はあったので、
1作目の段階であいつは違うとこから来たクモであるというのは、
描かれてるってことでは一応あるんだなっていうのは、今回改めて見ておきました。
さらに前田さんに説明すると、もともとマイルスのバースにはスパイダーマンがいたんですよね。
ピーター・パーカーのスパイダーマンがいたんですよ。
実写の?
実写じゃない。
ピーター・パーカーという人物がいて、スパイダーマンとして活躍してたんです、元ユニバースの世界では。
だからあの世界のもともとのオリジナルのクモはピーター・パーカーを噛んでたんですけど、
42から来たクモがマイルスを噛んじゃって、スパイダーマンが2人いる世界になっちゃってたっていうので、
おそらくその世界の修正力的なものによってスパイダーマンが一人になるんですよね。
21:06
そういうことだと思うんですけど、その修正されたっていうこと自体が歪みで世界を不安定にしてるっていうのが今回の話、たぶんそういうこと。
ミゲル・オカラの主張としてはそういうことですね。
お前は本来はスパイダーマンになるやつじゃなかったんだっていうことですよね。
でもさ、本来とかあるって話なのが、そこにてめえふざけんなよって言うから僕は大好きなんですよね、今回。
何がそんな可能イベントじゃと。僕が僕の話を語って何が悪いんだみたいな話だと思うんですよ、今回。
決まったスパイダーマンというのはこういうお決まりがありますみたいなのを、
一種の可能イベントと呼んで時空が壊れちゃうみたいな話にしてるっていうのが、
いやもうわかりますけど、言ってることはわかるけど、
いやいやそれだけじゃないだろっていうところに持ってってるのが今回の映画のすごい僕の激アツポイントだなって思ってますね、そこはやっぱり。
そこは本作すごく意識的に情報が埋め込まれてるなと思ってて、
進路面談の時にあなたの物語を語るみたいな話があって、
それは進路用の書類を書く上でのストーリーがある方が書きやすいっていう意味って今あの時点では見えるんですけど、
そうじゃなくて、実はこの話全体に対する言及というか、スパイダーマンってこういう話ですよね、だからあなたもそういう話にしてくださいねっていうのに対して、
いや僕はこういう話なんでっていうのを自分側から語るっていうのの見合わせみたいになってるとは思うんですよね、あそこが。
で、あとグウェンとマイルスが話しする時に、どのバースデーもグウェンステイシーはスパイダーマンに恋してそれは報われないみたいなことを言って、
いやでも何でも初めてはあるよって。
あのセリフめっちゃいいっすよね。
めちゃくちゃいい。
あの人めちゃくちゃいい。
ていうか、あのスイングしながらのデートシーン信じられないくらい良かったんですけども。
良かったですよ。
しかも彼らしか見えない景色を見て喋るわけじゃないですか。
タワーの裏から見た摩天楼が空から生えてるような世界を見ているっていう、なんてエモい表現を使うんだ。
すごいぞって。
めちゃくちゃいいんですよあそこ本当に。
本作全体に対して決まりきったスパイダーマンっていうものの構造に対するカウンターをしていく話っていうのは明確に要素が散りばめられてるし、
もちろんそれが最終的なテーマになってくるから、そういう風に作ってるっていうのはあるんですけど、
ただねもうちょっと僕自分の話したい内容に含み込んじゃうんですけど、可能イベントって何?って。
24:05
正直僕が一番嫌だなと思ってるのはその部分なんですけど、スパイダーマンは不幸になることが決まってるから不幸なんですっていうのは正直僕ちょっと嫌だなと思ってて、
確かに今までのスパイダーマンって元の一番初めのアメージングスパイダーマンのコミックのシリーズがあって、
コミックも何回もリブートしてるし、映画も何回もなってるし、アニメもあるしっていう。あってそれぞれで身内が死ぬわけですよね。
でスパイダーマンって身内が死ぬものですよねっていうのはなってるっていうのは分かるんですけど、それって別に死ぬことが決まってるから死んだわけじゃないと思うんですよ。
それはスパイダーマンの力が及ばなかったりあるいは運が悪かったりでそうなってしまっただけで決まってたからそうしたわけじゃないと思うんです。
むしろそれが決まってるからそうなってるんだとしたらスパイダーマンのやってることあまりに虚しくないですかって僕は思ってしまって、
で今回もねあのインドのスパイダーマンのムーンバッタンのところで止めようとするじゃないですか。周りのスパイダーマンはねマイルスが所長を助けようとするの。
でもまずあの世界のメインであるインドのスパイダーマンは所長のことも助けようとしてたんですよ。でも多分彼一人だけであの事態になってたら多分助けれないんでしょうねきっとそれは。
でもそれは彼の力が及ばなかっただけでやろうとしてもしできたんだとしたら救われてたと思うんですよね。所長もみんなも。
そこに対して周りが救えないようにコントロールしていくってどうなのって思って、それはもうなんかちゃうくねっていうのがすごく感じてしまって、
死ぬことが決まってるから救わないようにするっていうのをなんだろうな、なんかそれはスパイダーマンがヒーロー活動をしてること自体の
歪症化に繋がっちゃうんじゃないかなと思って。スパイダーマンが救える人と救えない人は決まってるんですよっていうのってあまりに虚無というか、
スパイダーマン、あの世界だともうすごい僕これ引っかかるんですけど、一個の世界にスパイダーマンが一人いるっていうのが決まってる世界になってるじゃないですか。
そのスパイダーマンになる人がいることが決まっているって、じゃあそのスパイダーマンをやってるその本人の自由意志ってどこにあるんですかねと思って。
そのスパイダーマンをやらなくてもいい人間がスパイダーマンをやってるっていうことの価値を語る話だと僕は思ってるからスパイダーマンを。やることが決まってるし、助けれる人も助けれない人も決まってますっていう。
なんかあまりにその運命っていうものの捉え方が息苦しすぎて、やだわと思って。
しかもさ、なんかさ、肩書き縛りなんていう。なんか一番スパイダーマンとか諸董みたいな肩書きで縛られてるんやっていうのもちょっとよくわからへんなあと思ったり。
27:09
だって諸董っていう概念がない世界線とかあるんちゃんとか思ってしまうんですけど。
諸董がなくなったら死ななくていいとかっていう。
そうそうそう。
そうなんですよ。しかもね、どっかで諸董は死んでるわけじゃないですか。
もうそれに至ってはいいんやみたいな。
しかも運命を動かさずに決まった線をトレースしていくことが大事みたいな話聞こえちゃいますよね。
そうなんですよ。
あんだけ移動しといてね、いろんなバースに。
それをやっぱり、本当にカノンイベントのある運命というのを捉え方が本当に嫌なものに見えるなっていうのは思うことで。
それがまあ、いわゆるこれもうメタの映画なので言いますけど、これもう原作のお決まりみたいなやつってことじゃないですか、要は。
諸董ってそういうなくなるイベントがあるとかっていうのとか、ベンおじさんがなくなっちゃうとか、恋人の盗まれないだとか、
そういったののイベントごとが、本当になんかそれがもう当然のごとく、それが世界のルールみたいな感じに決められたのが本当に嫌みたいに見えるようになってるっていうのが、
本当にその通りだなっていうのがあるし、それがなんか僕は個人的には今回のリトルマーメイドの実写版で思ったことなんですけど、
原作となんか見た目がやれ違うとかさ、何なんだお前らって思うわけですよ。
いろんな解釈あっていいだろうっていうことだと思うんですよ、やっぱり。
スパイダーマンだっていろいろあるってこう世界で描いてるわけですけど、そこには縛られるのかって、いやいや勘弁してくれよって感じなわけなんですよ。
やっぱあれを見てて思うし、やれ原作となんか違うとかって言って、何原作に縛られてるんだみたいな話、僕はすごく見えちゃうんですよ。
それはなんか漫画実写化の話とかでも言いましたけど、違うんだから漫画と映画とかは、
違うんだから解釈いろいろあって当たり前だし、そこでどう解釈するかの方がとても有意義だし面白いはずなのに、
何そこで止まってるんだみたいな感じになるわけですよ、世界のお決まりとかどうとかみたいなのに、ルールとかに。
いやもうそんなもん、やめてくれよって感じなっていうのを、
この作が本当になんか爽快にぶっ飛ばしてくれてると思ったんですよね、個人的にはすごく。
だから本当にもう、でまぁマイルスっていうキャラクター自体も漫画が出た時って結構、
え?黒人のスパイダーマン?みたいな言われ方もしてたわけですよね、元の原作もとか。
なんかそういったの見るんですけど、なんか本当にもう嫌だった自分がいたので、
そういう原作なんか出た時とファンダムの反応みたいなのが嫌だった時があったので、
なんかそういうのに本当にカツを入れてくれてるような映画だなっていうふうに思って、
そういう意味ですごくやっぱり1個好きなポイントだなっていうふうには思ってますね。
あとスパイダーマンの身内が死ぬっていうのは原作のお決まりだからそうなるっていう、
それを運命として捉えた話っていうことだと思うんですけど、
30:02
例えばね、じゃあスパイダーマンの新作が新しくリブートして作られますってなったとして、
今回のスパイダーマン身内が死にませんとなったら、
僕は今回はそういう切り口で行くんだとしか思わないと思うんです、僕はね。
僕もそうですね。
だってそういう作り方もあるよねって思うし、それをマルチバースとして捉えるんだったら、
そういうマルチバースも当然あるよねって思うんですけど、
スパイダーマンの身内が死なない、マルチバースがない、
マルチバースってどういうことなんだろうって思っちゃう部分があるというか、
すごく意図的に繋がりを作られたマルチバースだなって思って、
スパイダーマンが不幸になるということを条件にマルチバースが繋がってるなって僕はちょっと思って、
だってそうじゃないマルチバースって絶対あるはずじゃないですか、それは。
なんかね、だんだんね、ミゲエルが不幸なスパイダーマンだけを集めようとしてるように見えてしまうって、
で、不幸じゃなくそうとするスパイダーマンが現れようとしたら、
お前も不幸になれって言って足を引っ張ってきてるようにちょっと僕は見えちゃったんですよね。
というかそういうふうに解釈できちゃうなって思って。
だってそのマルチバースって究極のところ本物の意味での無限があるわけじゃないですか。
マルチバースって要は繋がらなければないし、繋がったらあるものなわけですよね。
繋げようとしたからこそそのマルチバースは存在してるわけであって、
例えば僕らの世界にもマルチバースってあると思うんですよ。
でもそれはないです。なぜなら繋がらないから。
繋がらないからそのマルチバースっていうことを考えること自体に何の意味もないと思うので、
それはないってこととイコールだと思うんですけど、
そのスパイダーマンが不幸にならないマルチバースと繋がらないっていうことはないってのと同じ扱いできるし、
スパイダーマンが不幸になるマルチバースと繋がったら、
スパイダーマンは不幸になるマルチバースしかないっていう捉え方をできる状態になってるって、
もうなんか不幸なスパイダーマン集めの話になってるぞと思って。
なんかもうニゲルが不幸集団を作りたいように見えちゃうというか、
なんか僕はそうじゃないと納得できないんですよ。この話を。
なんでスパイダーマンの身内が死なないといけないのかっていう理由付けが、
彼がそうなるようにバースを繋げていってるからっていうふうに見えちゃって。
確かになんでその可能イベントを動かしたらあかんのかっていうのも、
具体的にどんな問題が発生するのかみたいなことがちょっとぼんやりしてたのと、
あとスポットの存在が、スポットは一体後半でどうなるかだと思うんですけど、
すでにスポットというやつが移動しているのですがみたいな。
その辺の問題に対する向き合い方のアンバランス感がちょっと、
33:03
どういうことだってなりましたね。
なんか正直ミケルに一つ物申したいのは、
要は異常分子があるとユニバース全体が壊れるって話があったじゃないですか。
実際ミケルが自分が亡くなったユニバースで自分がそいつの代わりに行ったら壊れたから、
これはもうやめようって思ったっていう話だと思うんですけど、
それとマイルスの話は俺違くない?って思って。
それで壊れたのは、君自身が異常分子で入ったからだとわかるんだけど、
でもミケルさんそれとマイルスは元々いた世界で偶然噛まれてしまってスパイダーマンになっただけであって、
それとこれとは何の因果もないのでは?ってすごい思ってしまって。
やっぱりあれは結構ミケル側がかなり猛獣に取り憑かれてるように僕も見えたんですよね。
確かに。それに対して止める人がいないのもさ、
あんだけスパイダーマンいるんやからちょっとは追われてくれよ評判って思いますよね。
そこに関して、それこそフラッシュにも繋がる話だなって思うんですけど、
あるピーター・ビッグパーカーかな?師匠側が言ったのが、
この不幸がなかったら僕らはヒーローになれなかったんだって言うじゃないですか。
で、不幸があるから僕らはヒーローになるっていう論理、因果だと思っていて、
実はこれ映画のザ・フラッシュでも同じことが語られるんですけど、
それは本当に因果なの?って話だと僕は思うんですよ。
しかもフラッシュでは使われ方がちょっとニュアンスが、
フラッシュの話とすごいこれほんま似てるんであれなんですけど、
起こってしまった物事に対して、それを受け入れていこうっていう話と、
これから起こることに対して受け入れろって話って全然違うと思うんですよ。
過去に起こったことがあるから自分があるっていうことはすごく理解できるんですよ。
でもそれを因果っていう呼び方はしないと思うんですよね。
いや、申し訳ないです。
だって過去に同じことが起こったとしても、
その自分が100%ヒーローになるかとか、100%改心するとか、
どうなるかっていうのは分からないわけであって、
それを糧にしてしてきたことっていうのを因果とは言わないと思うんですよね。
その使い方なんかすごい違和感があるなと思って、
フラッシュに関してはそこの言葉の重みっていうものを、
それを受け入れることで乗り越えていこうっていうメッセージはすごくよく理解できたんですけど、
それがスパイダーマンの逆な使い方が、
そこがね、これからどうなっていくのかなっていう面白さはありつつなんですけど。
いろいろ次どうなるのかなって話をめっちゃ考えてしまいたくなるんですよね。
今なんか、めっちゃチューブラリーな状態なわけじゃないですか、クリファンガーで。
これどうするのかなって思ってて、
1個は多分もうユニバース全体を切るしかないっていう考え方。
36:04
繋がってるのがあんま良くないみたいなのが切っていくのかっていうのか、
あーありそう。
それか、これちょっと僕が考えたやつはあれなんですけど、
哲学的すぎてあんまこれやると良くないかなって思うんですけど、
多分この各ユニバースにスパイダーマンが1人いるみたいなのを作ってる、
もう1個上の高次元な存在がいるんじゃないですかね、多分。
それって多分我々のバースのことだと思うんですけど。
え!?
でもでも、うんうんうん。
我々がスパイダーマン、いろんなユニバースの世界観を描いているわけじゃないですか。
っていうところに、さらにメタをかけてるみたいな話ですけど、
なんかそこにアプローチしてきそうな気がしたんですよね。
それはなんか、脚本がやっぱりフィル・ロードとクリス・フォア・ミラーっていう、
レゴムービーとかを作った人だからっていうのがあると思うんですけど、
本当にもうこっちの世界にハッキングを仕掛けてくるみたいな、
映画になるんじゃないかなって思ったんですよね、次の最終作が。
もうそれでなんか全てのスパイダーマンを解放するとかになったら、
もうそれシン・エヴァンゲリオンやんみたいになっちゃう。
やばい。
あー確かに。
もうさようなら、全てのスパイダーマンみたいになっちゃうんですけど、
それやっちゃうと。
けどなんかそういう、なんか想像とかもできるぐらい、
なんかちょっと今、この映画のこと考えるだけでちょっとワクワクしちゃうんですけど。
確かに。
だってさ、こんだけさ、前編後編に分けといて、
普通に助けられてもなんか、あそうですかって感じになるし、
助けられへんくてもええってなりますもんね。
普通になんかこう、マイルスがそういう運命なんて知るかみたいな感じで、
それでも俺の世界を語るんだみたいなので、
終わっても全然それはそれで僕はもう、なんかグッときて、
僕は多分大好きって言うと思うんですけど、
ただ多分そんなもんじゃないぞ多分、
このフィル・ロード・クリスマ・ミラーだったらみたいな感じがするなって。
いや、そういう話なんやったらなんか分けるほどのことじゃないですもんね。
そのオチやったらなんか。
多分もっとちょっと高次元なことをやってきそうだなっていうふうに思ってます。
もしかしたらなんですけど、いや、完全にそれに乗っける形ですけど、
今回の映画冒頭で咳の音が入るじゃないですか。
咳をしてコホっていうのが画面の右下に出る。
あれ、もうジョークかなって思ったんですけど、
あの咳っていうのは劇場のお客さんの咳が、
映画の中にコホっていう文字として入るっていう、
ジョークというかギャグですよね。
ただ、それって僕らの方がユニバースに干渉してるってことでもあるじゃないですか、ある意味。
え!?
だとすると、マリオさんの説割と有力かもしれない。
我々がこの仕組みを全部作っているのだとしたら、
もう壊すしかないみたいになるんじゃないの?みたいな。
だったら完全にさようならすべてのスパイダーマンみたいになっちゃうっていう。
妄想ですけどね、これは完全に。
それめちゃくちゃ面白いな。
それ似たようなこと多分コミックでもやってて、
39:01
俺たちがこうやって戦わさせられ続けるのは、
上の次元の奴がいるからだっていう話になって、
最終的にその上の次元の奴を殺しに行くっていう話になってたんですよ、確か。
それは多分こういう話を作っていると、どっかでたどり着く発想にはなってくるし、
ヒーローたちがこんなに苦しんでるの、
読者の俺たちのせいじゃねっていうのは、
わりとこの手のジャンルに付きまとう、
ある種の自家中毒としてあるとは思ってて。
ありますよね。
スターウォーズの世界から戦争がなくならないのは、
ディズニーがいるからだみたいな、
それはディズニーが儲かるからなんですけど、
それと近いものというか、
ガンダムの世界からも戦争がなくならないし、
マーメルの世界からも無限に悪役が湧いてくるわけじゃないですか、
それは僕らが望んでるからなんですよね。
じゃあうちらの世界も誰かが望んでるから、
悪い人とか戦争が起こったりするのかな。
純粋な小学生みたいな疑問をぶつけてしまった。
我々の世界にスーパーヒーローがいないから、
っていうのがまずありますよね。
それをああいう形で我々は作っていって、
信じるというか、
ある種の救いにもなったりもするわけじゃないですか、
みたいなところがあるので、
その無い世界の話って、
それが最後にスパイダーマンがいない世界が出てくるんですけど、
そういったのが一個、
僕らの世界っぽい感じになってるのはそういうところだな、
っていうふうにやっぱ思ったりはしますよね。
あとちょっとそれの解釈を変えた捉え方なんですけど、
ヒーローは無限に悪と戦い続けますよね。
かつ親しい人との私別とかっていう悲しみを
多く経験していくわけじゃないですか。
もちろんそれはスパイダーマンも一つ当てはまるんですけど、
それは彼らが不幸であるとか、
悪との戦いを宿命づけられてるからじゃなくて、
現実の僕らの世界には悲しみはあるし、
悪も存在しているから、
それと君たちも向かい合い続ける必要があるんだよっていうことを言うために、
やっぱりヒーローも戦い続けるし、
ヒーローも悲しみを体験するっていうのはあると思うんですよ。
だからスパイダーマンの身内の死っていうものが宿命っていうのは、
それはなんかちょっと僕はすごく物語の作為みたいなのを
強く感じてしまうんですけど、
それとは別にやっぱり僕らにとっても身内の死っていうものは
絶対的に生じるものじゃないですか。
あるいはその周りに嫌な人間がいるとか、
この社会に悪い構造があるとかっていうのも
どうしてもあってしまうものですよね。
それが解決しないからこそ、
それを物語が描き続けるっていうのもあると思うんですよ。
ただビジネスというわけじゃなくて。
だから君たちも戦い続けるし、
42:01
ヒーローも戦い続けるよっていうことを言うために
ヒーローの戦いが終わらないっていう側面もあるとは思うので、
なんか一概にちょっと茶化すだけのものでもないとは思うんですけど、
それに対してただヒーロー等には結構
畑迷惑な話でもあるっていう側面っていうのも同時にあって、
僕たちは勇気が欲しいから物語を求めているのに、
その物語側に不幸を押し続けてるんだとしたら
嫌だなって思っちゃうっていうのは
僕はあって、それは多分作り手もそうだし、
他にもそう感じてる人はいるかなと思うので、
それに対するある種の物語側からの落とし前みたいなことを
やって欲しいっていう思い結構あるんですよね。
それはもしかしたら
次回作でそれが期待できるんじゃないかなと思ってて。
どういう意味ですか?
ヒーロー、物語の登場人物を苦しめてるのは
それを見てる僕たちなんじゃないかっていうことに対する答えです。
それを示してくれたら嬉しいなっていう。
そっか、考えたことなかった。苦しめてないのに。
うちはピーター・パーカーを忘れたこともないしさ。
そうなんだけどっていうのは。
そうなんですかね。
ホラー映画の中で人が殺されまくるのは
前田さんがそれを楽しんでるからじゃないですか。
厄介すぎる。
でもさ、そう。そうなんや。
でもそれやったらそれでいいわ、じゃあ。
なるほど。
うちのために人が死んでもらいます。
死に続けてもらいますわ。
すごいヴィランみたいなこと言い始めましたね。
そういう割り切り方も一個答えだと思うんですよ。
物語と自分との距離っていう。
みんながみんな考えてるものではまずないし。
多分映画とかいっぱい見てるからこんなこと考えてることであって。
物語は物語だし、みたいな考え方も全然ありやし。
僕らみたいに、でもそれめっちゃ物語に背負わせてない?
みたいなところももちろんあるし、みたいなのがどっちもあるから。
でも背負わせてるんじゃない?みたいなところに
ガチで踏み込んでいくのであれば
3作目はマジでもっと大傑作だと思います、それは。
背負わせてるんじゃないっていう視点やばいですね。
そんなん言い出したらいい思いもさせてるけどな。
現実に送り得ないようないい思いもだいぶさせてるけどな。
ジャンルは縛りあるかもしれない。
ジャンル縛りはあるけど。
そこの住人は。
確かにジャンル縛りがありそうですけど。
逆に作り手が不幸な分、中のキャラクターが幸せであるみたいな。
ありますね。
そこの住人は幸せですね。
それも物語を一つのバースとして捉えるから
こんなにややこしい話になってるのであって。
あくまでフィクションはフィクションで捉えれば
何も恐れることはないし。
45:01
そもそもマルチバースって概念を意識するからそうなっちゃうんですよ。
バースとバースは切り離されてるものであって
そこがマルチに重なるなんてことはないっていう。
我々はどんだけ物語の中で人の不幸を楽しんでようが
それも関係ないよって。
だってこれはこの世界はこの世界しかないんだから
物語の中の世界とか考えること意味ないよねっていうのは
全くもって結論の一つだなと思います。
それで本作が解決を見ても僕はアリやなって思うぐらい。
マルチバースとか言うからややこしいんだよって。
もうみんなそれぞれの世界で生きようぜってなってしまえば
こんな話にならないから。
そうですね。
少し穿った見方をここから言いますけど
フィクションとしての物語として
今作を見ると確かにその見方ってアリだなって思うんですけど
あくまでマイルスを等身大のティーンとして見ると
っていう言い方をこれからしますけど
僕らも特に今回もう一個そのテーマとして
親子っていうのがあるなと思っていて
親って子供の成長にある程度のストーリーを見出すじゃないですか。
で、こうあってほしいだとかきっと幸せになってほしいだとか
もちろん願いも含めて物語を見ていくと思うんですよ。
で、本作を見てた時に
親あるいは大人から現実の子供たちだったりに
ストーリーというか物語を望むことってあるなって
その望みがあまりにもひどくなると
ミゲル・オハラみたいになるのかなってちょっと思ったところがあって
だとするとマイルス本人のあの叫びって結構切実なものだし
現実にもある程度それはあるものだなとも思うんですよね。
まさに大人が物語を見たいから子供たちに寄せてるような視線に対して
いや、そうじゃないんだ。
自分の物語を描きたいんだっていうことを言っていくこと自体は
なんか完全にそれをリアルでもやってることあるよなって思って
だから本作を見てて
それこそ僕らがドキュメンタリーとか
あるいは普通にその近しい人でも
そういうふうに物語的にその人を消費してることはないかっていうことを
すごいちょっと自問自答しちゃったんですよ。
そこは僕はもちろんマルチバースっていう
フィクションとして本作を見ると
でもどうせフィクションだから
読者と作品という関係性があるから
というふうにも捉えられるんですけど
一方で現実世界の中でそれをやろうとしてる時があるっていう
自分にもそういう時があるっていうのも
ちょっと自覚しなきゃなって思ったっていう
なるほど
そうですね。僕その視点あるなと思いました。今聞いて
本作大人の視点っていうものがだいぶ強調されてて
親の視点っていう見方がすごい強いですよね。
ミゲルもかつて親の役割をやったことがあるし
妊娠しているスパイダーウーマンが出てくるわけですし
それぞれが親っていう視点を持ってるっていうのは
多分これはもう意図的にやってるんでしょうね。
それはやっぱり親あるいは大人っていうものは
子供であるとか下の世代に物語を求めていくものであるっていうので
48:05
マイルスの親とかウェンの親とかっていうのは
自分が子供に求めている物語と
実際の子供が自分で描いている物語とのギャップに悩むっていう役割になってて
スパイダーマン側の大人っていうのは
完全に子供の物語を縛ろうとしている側っていう
ものすごい明確に役割が分かれてるなっていうのは今聞いてて思って
あるでしょうねそれは。やってるでしょうね。
かつこれはレゴムービーでもやってたことですね。
いやそうなんですよ。おっしゃる通り。
レゴムービーでもやってたなあ。やってたなあそれ。
やっぱレゴムービーやろうとしてるのかなあじゃあ。
いやほんとしてるんじゃないですか。
いやもう恐ろしいなフィルロードとクリス・フォア・ミラーって
ほんますごいなって思うんですけど。
確かに僕ねレゴムービーって
フィクションに対する向き合い方の結論の一つだなと思ってて
僕ほんまに死ぬほど泣いたんですよ映画館で。
目ん玉が取れるかなっていうぐらいもう
ドボドボドボドボって泣いて
本当にね僕あの映画見て救われたなって思ったんですよね。
フィクションとの向き合い方っていうものの解釈のあり方として
ものすごい素敵なんですよねあの話。
いいですねそれ。
だからその時に何とか思った時に
自分が大人として子供たちとか下の世代に関わっていくって考えた時に
やっぱりスパイダーパンク素敵なんだよなと思って。
スパイダーパンクめっちゃいい
いやもうあのアナーキズム最高やって思った。
いやほんとに。
良すぎますよねあれ。
あれはかっこよすぎます。
それはもう完全に天気の子でいう
お振りしゅんですよみたいなというか
世界系的な話で寄せますけど
世界か個人かの話で
僕はどっちかというと個人に寄りたいなみたいな人だなって改めて思ったというか
その個人の選択に寄りたいって感じですかね。
世界の方に向かうにしても個人のエゴトーストにしても
そっちの選択の方に僕はどっちにしても寄せたくなっちゃうので
もう完全にもう今回の話はもう
マイルスに僕はもう気持ちを乗せてあげたいって感じになっちゃうんですよね。
あんなこと言う大人に多分僕もいずれなってしまうんだろうけど
そうはなりたくないよみたいな気持ちはどっかあるっていう。
なんか世界ってあるのかなって思うときあって
世間とかもそうですけど
世界って一人一人じゃないですか。
でもなんか我々って無意識のうちに
なんか世界とか社会とか世間みたいなものを
敵みたいな仮想というか敵って認識したりするけど
具体的には誰かである何かであるはずなんだよなって思うんですよね。
すごいそれ会社とかでも思うんですけど。
しかも自分もその中の一つなんですよね。
51:02
なんかそれをなんていうのかな
世界って自分じゃないですか。
だからなんていうのかな
個人か世界かっていうのは
世界は個人の集合体やんって思うんですよね。
その選択を迫られるのが
ほんまに不思議でしょうがないです。
世界系は個別の世界だっていうのを
意図的にオミットしがちな話が多いんですけどそこはね。
だからその指摘はその通りなんですっていう感じがします。
そもそも世界系って頭でっかちな話であって
世界ってものを自分の中で仮定してしまってるからこそ
現れてくる話でもあると思うんですよね。
その頭でっかちさにやっぱり惹かれるっていう部分もあると思うんですけど
実体として世界なんてないよねっていうのも
めちゃめちゃ実感に基づいた感覚のご意見だなとは思います。
あとマリオさん本作
世界系の文脈で捉えてらっしゃったと思うんですけど
僕あんまり世界系的に見てなくって
ヒーローというか特にスパイダーマンって
スパイダーマンってすごい二者卓一がよく出てくる話だと思うんですけど
身内を助けるのかそれとも人々を助けるのかとか
あるいは自分を犠牲にするのか他者を助けるのかみたいな
そういうの描かれがちだと思うんですけど
なんかあんまり世界系じゃないと思ってて
悩みがすごく社会にあるなって僕はすごく感じてるんですよね
なんとなく言い方難しいんですけど
結構ピーター・パーカーの話になりますけど
それは結構苦学生として描かれること多いじゃないですか
そこってやっぱ社会的な背景とかが多いとかって
そういう話とかですかね?そういうことでもない?
それもあるんですけど
実は二者卓一じゃないって思っててスパイダーマンの話って
だから本当はみんな助けたいと思ってるけど
どうしてもこぼれ落ちてしまうものが出てくるっていうのは
運が悪かったりとか力が及ばなかったりっていう意味合いとしてはあると思うんですけど
別にそれって強制された二者卓一ではないとは思ってて
世界のルールとしてどっちを選ぶかっていうものが
組み込まれてるわけではないものと戦う話だなと思ってて
それは自分自身のリソースっていう意味も含んでると思うんですよ
どこまでやれるのかなっていう
自分がもっと頑張ったら人を救えるけど
でも自分も限界やしなみたいな
それのバランスの取り方って
そういう二元論ではないなとは思ってて
そのグレーの中でより白くなりたいって思うっていうのが
スパイダーマンって話かなと僕は思ってて
白か黒か誰かか世界かみたいな
54:02
そういう構造になってる話ではないなとは思ってたので
今回それがちょっと顕著だったと思うんですよ
二者卓一の話思いっきりなってたから
ただちょっと僕がスパイダーマンというか
ヒーローものの捉え方として
どっちを助けるかみたいなところで
どっちも助けようとして頑張るぞっていう話が
ヒーローだと思ってるので
それでこぼれ落ちるものがあることはあるんですけど
これはこぼれ落ちたのであって
選んだわけじゃないっていうところかなとは思ってて
っていう感じですかね
多分これは僕がヒーローものに求めてる要素として
そういう要素があるから
本作にもそれを求めがちだったかなっていうのがあって
そこがやっぱり本作で描かれる可能イベントというものの
飲み込みづらさになったなと思ってはいるんですけど
なるほど
可能イベントを無視したら
無視というか
その世界が壊れちゃうっていうのは
全員死ぬってことなんですかね
死ぬというか壊れるじゃないですか文字通り
消えてなくなる
それは困るね
だから防ぎたかったんでしょうけど
っていう話なんですけど
それがさ
説明されてました
壊れるみたいなの言ってましたけど
例えばそれめっちゃもっと具体的に説明してくれない
わからんやんってなりません
でもそれ本当に
本当にそうなのって思うんですよ
あの映画見てて
例えばおじさん
お父さんを助けることによって
最終結果的に
お父さんも含めて全員消えますってなった時に
それはちょっと困るかもってなるじゃないですか
だって助けられてないじゃん
どっちみちってなるじゃないですか
そのあたりが
もしほんまにそうなんやったら
ちゃんと具体的にそうやって説明して止めてくれよって思うんですけど
俺は試したけどダメだったんだよ
みたいなこと言われても知らんわってなるから
そのあたりが
可能イベントに止めるとか無視することの重要性が
マイルズに伝わってないのではと思うんです
私にも伝わってないし
私にも伝わってない
私にも伝わってない
いけるやろうみたいな
そうなのかな
そっか
なんなんでしょうね
なんかその世界が壊れるものだろうなっていう
僕も認識で見ていたんですけど
いつからそれは共通認識になっていたのかな
みたいなのは
それはもうスパイダーバース
この映画の問題じゃなくて
そのマルチバースを扱った
ボロボロを見ながら思っていることかな
って思うんですけど
それがなんか
いろいろ見てたぶん
それは壊れるだろうな
みたいな認識でやっぱ見ちゃうんですよ
今回のやつだと完全にあれは
まあそれがいつからそう思うようになったんだろうな
みたいな
いや本来だったら壊れるんじゃなくて
なんかくっついて
結局なんか一体化するみたいなので
いいじゃんみたいな
というか
ことだって
そういう解釈もあってもいいじゃない
みたいなのとかは
あってもいいはずなんだけど
何か別のユニバース同士がずれてしまうと
57:00
絶対その世界が壊れるみたいな認識
ってどっから来たんだっけ
みたいな
そっかはちょっと思いましたね
今話を聞いてて
いやこれちょっと楽しみやけど
めっちゃ後編が
なんか私
今日話したことを超えるというか
裏切ってくれるような話
なんのかなっていう
ちょっとでもまあ
期待値のハードルが
ほんとに爆上がりしている状態なので
ちょっとやっぱり怖いですよね
3作目
お前2作目広げたはいいけど
3作目もまとまってないぞ
みたいなのが最近多いじゃないですか
ありましたね
なになに
タイトル言いましょうかちゃんと
ジュラシックワールドとか
スターウォーズの789とか
みたいな話だと思うんですけど
789見なきゃ
広げて
よくやったぞってなった後に
お前それで終わらすんかい
みたいな話って結構多いじゃないですか
ちょっと多いので
あんま角に上げすぎるのは
よくないなと思いつつも
でもこれは
期待値上げちゃうやろ
みたいな
いやそうですね
なんか普通に面白い分
そう
完全に隙がなさすぎるぐらい
面白かったので今回ほんとに
面白かった
だからさ
見てるときに
そんな疑問とか
思い浮かぶ余地もなかったですもん
いやわかります
そうなの?みたいな
いやもう
字幕版で見たんですけど
いやもう
字幕見てる場合じゃない
って思い浮かってるわけですよ
本来は
あの僕
字幕と
吹き替えで2回見たんですけど
吹き替えむちゃくちゃいいですよ
ほんとに
吹き替えで見た私も
見え方全然変わりますよ
吹き替えで見たいし
でももう1回
ドルビーで見たいんですよね
発色がいいんですよ
やっぱりドルビーだと
いいですね
私も1見て
もう1回見に行こうかな
ありだと思います
それ
いや絶対ありです
やっぱりね
母国語で
言語が耳に入ってくると
映像自体の
シンクロも上がるんですよね
やっぱり
字幕やと
言語処理しながら
映像を見てるんで
あんまり
ガチって来てない感じが
するんですよね
しかも映像をね
今回ほんまに
余すところなく
目に焼き付けないと
もったいない
っていう感じだったから
字幕見てる余裕が
なさそうですね
いや
吹き替えマジで
おすすめです
ただ1点だけ
吹き替え
僕も字幕吹き替え
両方見てるんですけど
吹き替えで
1点だけ
お承知したいんですけど
いいですか
お願いします
妊娠してるスパイダーウーマンに
初めて出会った時に
子供の性別の話を
するじゃないですか
子供の性別は
多分
字幕というか
言語だと
まだ決めてない
ってか
別に私は決めない
っていうような
言い方をしてるんですよね
だけど
吹き替えだと
なんか旦那が
知りたがってない
みたいな
言い方になってるんですよ
それは違うぞ
と思って
そう言ってた
吹き替え確かに
いや
それはちょっと
意味が変わってくるぞ
ってなっちゃって
別に
1:00:00
言語というか
結構
あのセリフって
その
グウェンの
ジェンダーも含めて
かなり重要な
セリフだと思うんですよ
なので
なんかそこちょっと
なんか上手く
吹き替えは
なるほど
あとそうだな
あと
機械版って
日本語版の
エンドソングが入るんですよ
それは
ほんまに
凶詰めした
いや凶詰めってことでは
なかったですけど
なんやろ
いや多分
あの今回
日本語の版の
エンドソングの流れる
横編とか見てて
かっこいいなって
思ったんですけど
でも
元の
その
言語版やったら
ちゃんと
サントラの今回のね
曲って結構
ダウナーな感じの
曲ばっかりじゃないですか
いやそうなんすよ
あれが
今回
重要じゃん
なんかこの雰囲気
っていうのが
思うので
ちょっとなんかな
っていう風には
ちょっと思っちゃうんですけど
いやそれは正直
日本語の
日本限定の
歌とか
は全然
いいんですけど
なんか
そのテンションなのか
みたいな感じは
ちょっと確かに
あったかもしれない
なんか
絶対テンション
違うやろうなって思って
あのちょっと
ダウナーな感じの
エモい感じっていうのが
今の若い人の
なんか空気感
そのものっぽい感じが
すごいするんですよね
なんか
マイルスも含めて
なんかそれ大事だよなぁ
とは思っちゃいますよね
っていう
劇中の音楽使い
めちゃめちゃいいですからね
めっちゃいいっすよ
本当は
ちょっとなんか
まぁヒップホップ
そんな好きな方では
ないんですけど
ちょっと
これはいいって
思うようになりました
なんか
ヒップホップって
いいなって
まぁじゃあ
そんな感じで
終わっときましょうか
うん
はい
はい
はい
えーと
次回
神ハンキーベスト
いきますか
じゃあ
来ちゃいましたか
あー
ついに
そっか
そうですね
ついに
はい
えー
神ハンキーベスト
あの
神ハンキーベストって
あの
どんぐらい発表するんですか
あの
ベスト5とか
3とかあるじゃないですか
5じゃないですか
5
去年も5でやったんで
去年5でしたっけ
うん
神ハンキーベスト5で
5本か
決めときます
僕はもう
大体決まってるので
おー
いやでも
なんかちょっと
なんか
大石さんと
ベスト5めっちゃ
かぶりそうな
みたいな気持ちが
してて
勝手に
あちょっと
そこも
コールした上で
考えた方がいいですか
なんか
別にもう
自分の思う向くままに
考えて
いいと思うんですけど
なんかかぶりそうな
予感がしてるっていう
わかります
以前からちょこちょこ
かぶってましたからね
そうですね
じゃあ
次回神ハンキーベスト5で
いくとして
次回なんですけど
この前宮崎駿ベストって
言ってたんですけど
僕殺し合い1ありなんじゃないかな
って思ってるんですけど
無料で読めるんだ
確かに
うんうんうんうんうん
リスナーさんも読んでよ
殺し合い1っていう意味をも込めて
殺し合い1
ありじゃないかなって
殺し合い1かい
マンオジしてる
やべー
もう
マンオジ
マンオジ
マンオジ
マンオジ
マンオジ
1:03:00
マンオジ
マンオジ
マンオジ
マンオジ
やべー
いいと思います
もう
なんか収録
うん
いや
その次の週に
宮崎駿特集でも
はい
まあ
収録的には別にあの
うん
間に合うというか
あの
そうですね
新作公開前には
我々収録できるので
ってことですよね
いや
あのさ
うん
一個だけ言っていい
はい
はい
殺し合い1の中の
はい
登場人物は
はい
自らの意思で
なるほど
それを
作者が欠かされて
我々が呼ばされてるだけなの
つまり物語が
我々をハッキングしてるってこと
そう
あー楽しみだな
その解釈
面白いですね
あの
さっき
マルチバースは
繋がらないと
存在しないって
言ったじゃないですか
はいはいはい
漫画の世界は
読まれることで
その世界が存在してると
だから彼らは
読まれることで
その世界は
存在してる
だから
漫画の世界は
読まれることで
彼らは読まれることで
生きているんだ
っていう
解釈も
できるんじゃないですか
楽しみだ
じゃあ漫画怖え
殺し合い1という
漫画怖いな
ハッキングしてくんのか
みたいな
だからあれですよね
現実世界とは違う
新宿のバース
ってことですよね
そう
殺し合い1は
そうなの
彼らは
彼らの意思で
あの世界で
ああいう人生を
送ってるんですから
それを
見に
行こうぜ
じゃあ
やりたいな
うん
やりましょう
やりましょう
じゃあ次回
殺し合い1で
映画と漫画
どっちもでいきましょう
やったー
めっちゃ嬉しい
ようやくこう
前田さんのための回が
ようやく来たって感じですね
そうですね
ありがとうございます
僕はいっぱい
やってもらった回があるので
ということで
大変やっていただいたので
つーかね
こんだけね
いろんな人に
殺し合い1を見せるって
巻き込んどいて
やらなきゃいけない
って思って
やらなきゃいけない
って思って
やらなきゃいけない
って思って
巻き込んどいて
やらなきゃいけないですよ
本当に
本当に
大いなる力には
大いなる責任が
伴うんです
大いなる力やったねこれ
殺し合い1は
大いなる力でしょ
私の持ってる
大いなる力
しょぼないすか
いやいや
殺し合い1を下に見せるって
十分なパワーだから
確かに
来ましたね
だってその
そういうの
絶対見ない人とか
読まない人に
どんどん見せたし
読ませたでしょ
それはそう
読ませた
読ませた
読ませた
読ませた
それはそう
それはちょっと
後悔はさせてない
つもりはあるんですけど
そうですね
ハーズルが高かった方も
いると思うんで
いろんな人に
勧めてきた結果が
今分かるというか
お便りくれるとね
確かに確かに
嬉しいですよね
本当にね
お便り待ってます
はい
じゃあもう
テーマ告知の時に
無料配信やってます
っていうのも
お知らせします
お助けでね
もうそうですよ
ちゃんと
ええなだけじゃなくって
漫画も読んでる
漫画も読んでる
そう
漫画も読んでる
漫画も読んでる
という
1:06:00
殺し合い1
ということで
そう
何この
殺し合い一リテラシーの高さ
もうはい
ちゃんと
殺し合い1
っていう責任を取りに行きましょう
はい
行きましょう
じゃあ次回
神ハンキーデスト5で
次々回が
殺し合い1
漫画&映画で
行きましょう
やったー
はい
じゃあこんな感じで
テーマトークは終わっとこうと思います
はい
では
お知らせになります
この番組では
リスナーの皆様から
お便りを募集しています。番組の感想、次回テーマ作品の感想など、ご自由にお送りいただけると幸いです。
また、次回バー開催情報、ポッドキャスト、次回テーマ作品の告知も行っておりますので、Twitterのフォローもよろしくお願いいたします。
あと、この番組のイメージキャラクター、映画の話、スタッシュという猫、括弧、狩り合わせあったグッズを販売していますので、よろしければご購入くださいませ。
お便り受付先、Twitterアカウント、グッズ販売サイト、いずれも番組説明文に記載しております。
はい、それでは映画の話したすぎラジオ第122回、スパイダーマンアクロス・スパイダーバースの回を終わろうと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
01:07:37

コメント

スクロール