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2023-02-14 1:05:58

第102回(2) デイミアン・チャゼル監督作『セッション』『ラ・ラ・ランド』『ファースト・マン』夢追い人は視野狭窄の夢を見るか?

新作『バビロン』に備えて、デイミアン・チャゼル監督作3作「セッション」「ラ・ラ・ランド」「ファースト・マン」の話をしました。

まえださんが当面不在につき、ゲストのオーイシさんをお呼びして、デイミアン・チャゼル監督作に共通した要素「妄執」を中心に、彼の作家性について話しています。

■メンバー

・山口 https://twitter.com/awajicinema ・マリオン https://twitter.com/marion_eigazuke

■ゲスト

・オーイシさん

■映画の話したすぎるBARのお知らせ

日時:2023年2月25日(土)

場所:大阪市北区 天神橋1丁目11-13 2階『週間マガリ』 https://magari.amebaownd.com

詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar_2023-2

■「なんばパークスシネマ映画祭≪ライブ音響上映≫」ペア鑑賞券プレゼントのお知らせ

映画を“音”で楽しむ!というコンセプトをもとに、大迫力&ライブ感覚で楽む映画祭“音”で楽しむ!「なんばパークスシネマ映画祭≪ライブ音響上映≫」が2023年2月23日(木祝)~3月2日(木)の期間中、大阪・難波のなんばパークスシネマにて開催されます。

このイベント内の以下の上映のペア鑑賞券をプレゼントいたします。

・2/27(月)「ラ・ラ・ランド」12:45の回 1組2名様 ペア鑑賞券1枚

下記のお便りフォームより「鑑賞券希望」と書き添えてご応募ください。複数ご応募があった際は抽選にて当選者を決定いたします。当選された方にはご一報差し上げますので、送付先の宛先をお教えくださいませ。

応募はこちらから:https://forms.gle/BR9iLcpykHLAPnCM9

・締め切り:2/21(火)

イベント詳細:https://www.parkscinema.com/campaign/liveonkyo_namba_202302

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今日のテーマトークは、デイミアン・チャゼル監督作品について話したいと思います。
まず、どういう経緯でこの作品テーマになったんですかね?
次どうしようかなっていうのを話し合ってたんですけど、
収録が終わって、前回の収録が終わった後に話してたんですけど、
ちょっとなんかあまりちょっと作品単体でこう上げるのなんかちょっと、なかなか難しいかなっていう、時間とかの関係でとかで会った時に、
ちょうど、バビロンが公開されますけど、今度新作のデイミアン・チャゼルの。
それはやりたいよねって話になってた時に、ちょうど、今一部の映画館でセッションとラ・ラ・ランドの最上映画やってるんですよね。
ちょうど前田さんがデイミアン・チャゼルの映画見たことないという話になって、
で、ちょうど映画館でもやってるし、じゃあそれ見て話しましょうよみたいな感じになったので、
バビロンに向けてとしてもまあいいかなと思ったので、じゃあこれで行きましょうっていう風に決めたんですけど、
肝心の前田さんは今回ちょっとお休みなんですけどね。
そうなんですよね。
なんか新海誠の時とデジャブが。
そうですね。
あの時も前田さんが初見って言うのでテーマに選んだら前田さんいなかったですからね。
そうそうそう、そんな感じですけど。
そういう経緯で今回デイミアン・チャゼルでやろうよっていう風になりました。
なるほど、まあちょっと本来メインになるはずの前田さんは置いといて、3人で話ししていけたらと思うんですけど、
じゃあ順番にデイミアン・チャゼル監督作品に関する印象みたいなのを触りに触れときましょうか。
はい、マリオさんデイミアン・チャゼル作品ってどういう風にご覧になってます?
まあそうですね、一応監督作は全部見てますけど、あのセッション以降は見てますし、
あと脚本だけ担当してるやつとかもあって、グランドピアの狙われた国権ってやつとか、
あとテンクローバーフィールドレーンとかも脚本実際やってたりとかしてるので、まあそういうのも一応見てたんで。
でまあ今回に合わせてちょっと見返したいなと思って、セッションとララランドとファーストマンと、
あとグランドピアのはちょっと見直して今日来たんですけど、僕はもうめちゃくちゃデイミアン・チャゼル大好きなんですけど、
これはハリウッドで最も深海誠に近い男だと思っていますけど、個人的には。
そう見るんですね、なるほど。
いやもうなんというか、なんか話したことあるのかな、たぶん。
ものすごいロマンチストで、ものすごいエゴたっぷりやなみたいなところ。
あと本当になんか、なんというか、描いてる視野が極端に狭くて、
ものすごい何かの脅迫観念に囚われているあたりの、なんかこのこじれ感が大変好きっていうのがありますかね。
僕としてはそんな感じですかね。
はい、大石さんいかがですか。
えっとそうですね、僕もデイミアン・チャゼル監督の作品はセッション、ララランド、ファーストマンの3作品を劇場で、
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セッションだけ多分DVDかな、で3作品見てるんですけど、
えっとなんせ2017年劇場公開当時にララランドへ命を救われたことがあるので、
自分としてはなんていうか大好きというか、もう命の恩人だなって思ってるんですよ。
でなんていうか、本当に初めて映画を自分ごととして自覚してみた映画がララランドだなって思ってて、
なので本当にそこから劇場に通って映画を見に行くようになりましたし、
なんていうか、それこそ前回イニシェリントの時に20代の前半ちょっと心病んでたってことを言ったと思うんですけど僕が、
その心病んでた時に救いの手を差し伸べてくれたのはララランドだったなっていうふうに思ってて。
へー、おー。
なので、まあなんか好きとか嫌いとかじゃなくてもう裏切れないって感じですね。
はい、そんな感じです。
はい、えーと僕はですね、セッション、ララランド、ファーストマンそれぞれ劇場で見てて、
でセッションが好きで、ララランドはまあそんなにかなっていう感じで、ファーストマンはテーマは好きだけどそんなにっていう感じなんですよ。
で正直作家としてはそんなに好きな監督ではないんですけど、作品としてはマチマチなんですよね。
セッションは好きだしララランドはそんなにみたいな感じで、じゃあ何かちょっとうまく合わないんだろうって思って考えてたんですけど、
正直彼の才気走ってる感じが苦手っていうのがあって、俺才能ありますよっていうのをバシバシに出してるから、もうそこがちょっと苦手っていう感じなんですよ正直。
作品というかもうあなたがちょっと苦手っていう感じになってて。
僕その他人の才能にそこまで寛容になれるほど、自分の凡庸さをまた受け止めきれてないので、正直ああいう感じのクリエイターは苦手なんですよね正直。
なるほどね。
山口さんらしくていいですねその感じ。
ただやっぱあの、描くことしてることは方向性としては好きで、彼の描くことって基本的に盲集というか視野の狭さだと思うんですよ、彼の描いてることって。
で結構そこに自分自身は視野狭いというよりは割と自覚的にやってるなっていうのがあって、そこはねシャマランとかとちょっと違うなって思うんですよ。
なるほど。
僕はちなみに同列で並べてますけどね。
シャマランは自覚してないというか、本人もこうだけど、デミアンチャゼルは俺は視野の狭いことを広い視野から描いてるよっていうのを分かりながらやってるように僕は感じてます。
あーそうなんですね。
っていう印象ですね。
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なるほどな。でもめっちゃわかりますその感じ。
僕のデミアンチャゼル監督の捉え方はそんな感じですかね。
じゃあ作品順番にちょっと触れていってみますか。
そうですね。
やっぱり監督作、3作を触れるのが一番手っ取り早いと思うので、まずセッション。
セッションどうですか。僕はめっちゃ好きなんですけど。
もう僕も大好きですけど、多分僕はテーマ別ベスト3とかの発表の時に僕確かセッションあげたことがあったと思うんですけど、その時にも話したかなと思うんですけど、
今回改めて思ったんですけど、本当に視野が狭いというか、主人公が今そんな視野広げたくないよって言ってるセリフがあるじゃないかと思って、本当にそういう映画だったんだなって改めて今回見直して気づいたんですけど、
なんなんですかね、あの視野の狭さというか、本当に名のある芸術家になるためにはこれぐらいしなきゃいけないという脅迫観念。そういうわけではないのに。
優れた芸術のためだったら恋も諦めるって当然だみたいなのとか。何もかも間違ってるんだけど、でも最後すごい握手して終わってるなこいつらみたいな。
お互い毛をとつことしか考えてないのに最後握手して終わるのが本当に謎なんだけどすごすぎるっていう。圧倒的すぎるみたいな感じで。
もうあれで最後フィニッシュ迎えるのは本当になんかなんだこれって感じで、ちょっと未だにあの興奮はちょっと見た当時の興奮を思い出せるぐらいなんですけど。
ほうしさんどうですか?
セッションなんですけど、なんていうか、自分今ちょうど大学院の方に行っていて、その同じ大学院生の先輩とかとセッションの話をしたことがあるんですけど、
この話もそのまんま理系とか理系文系かもかかわらず、大学院生と教授との関係性にそのまま置き換えられるんでめちゃくちゃ刺さるよねって話で盛り上がったことがあって。
要はあのセッションって一言で言ってしまえば父親を選ぶ話だなって思うんですよ。
その生みの親から自分をもっと上げてくれるというか、自分をもっと叩き上げてくれるような厳しい父親、可烈な父親の下で、そこに行けば自分が変われる、変身できるんじゃないかっていう、そういうまさに盲求というか執念とらわれている話だなと思っていて。
やっぱりそういうところって、全員とは言いませんけど、自分と自分の知り合いの大学院生の先輩はめちゃくちゃ会ったねっていう、その感覚で教授を選んだりした時期あったよねっていうので、めちゃくちゃ話があってしまって、なのでもう大学院生に刺さる映画だなっていう風にこの映画を見てるんですけど。
いや、全くそんな気持ちもなく教授を選んでたなって。僕も大学院まで出てますけど、なんかもう楽そうなとこ狙ってたなっていう、ただ本当に。そんな父親を選ぶみたいな感覚でいたことがなかったので、そういう視点はちょっとなるほどなって思いましたけど。
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なんかまぁ、教授に限らずおそらくその職場の上司とか、あとは職場を選ぶとかってことでも多分似てる程あると思うんですけど、何て言うんでしょうね。可烈なことをすれば、そうすれば自分、そういう風に魂を売れば、きっと自分は今の嫌な自分、自分の中ではなりきれてない自分から変われるっていう変身願望を若い時期って持つよなぁと思って。
なんかその、なんていうか欲求、愚かしくて愛おしい欲求にすごい刺さってしまったっていう感覚ですね。セッションは。
確かにね。僕もだいたい同じ感想で、僕は極端な人の話がすごい好きなんですよ。で、極端かつその人が間違ってるって作品内言及されてる作品が好きで。
で、やっぱセッションってちゃんとその、こいつら視野狭いっすよってわかってる作品だなって思って。そこがやっぱ冷静だなって思うとこがあるんですよね。で、この作品公開当時に菊地成明さんと町山さんで論争があったんってご存知ですかね。
はい、覚えてます。菊地成明さんの文章はマジで読みにくかったんで、まともに読めてないんですけど、とにかくこのセッションという映画、そしてデイミーワンチャンネルのジャズ感に対してめちゃくちゃ怒ってんだなっていうことだけはよく伝わるっていう文章でしたけど。
結構僕2人ともいい文通ってるよなって思ってて、音楽映画として正しいかどうかっていうのと、そういう盲集を描いた映画として正しいかって別次元だと思うんですよね。
で、例えば何かひとつ作品、映画っていうものを評価するときに、こんなことならんでしょ、こんな話おかしいでしょ、こんなことならんでしょっていうふうに感じるときもあれば、こんなことならんでしょっていうことをする人たちの話っていうふうに捉えられるときもあると思うんですけど、そこの違いだなと思って、話としておかしいっていうのはやっぱり音楽映画として音楽ってそういうもんじゃないからっていうふうに見えるっていう側面はあると思うんですよね。
でも音楽っていうものを間違って突っ走る人たちの話として見たら、むちゃくちゃ妥当というか筋が通ってる話だと思うんですよ。僕はそっち側として見てそういう話が好きなんですよね。
で、僕たまに巨人の星が好きって話してるんですけど、この番組内でも。巨人の星って間違ってるんですよ。野球ってそういうもんじゃないからっていう。真球を打たれたから俺の選手生命は終わりだとか、野球ってそういうもんじゃねえからっていうことをする人たちの話なんですよね、巨人の星って。
そういう間違ったモーションに取り憑かれて、もう手段と目的がちぐはぐになっちゃってる、愚かしい人の話なんですよ、巨人の星も。で、セッションもそうなんですけど、その愚かしい感じが好きで、なんでかって言うと僕たちも間違ってるからなんですよ。僕たちも人生の正解選べてないからなんですよね。
言いたいこと分かりますね。
間違ってるなって思っちゃったとして、じゃあその瞬間正解選び直しましょうってなるわけでもないし、一旦とりあえず最後まで走らんとしゃーないなってなる時ってあると思うんですけど、その最後まで走るっていうものを破滅までやってくれるっていう代わりに死んでくれる作品やなって思って、そこが好きなんですよね。
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お前間違ってるよって指差してるのは、ちょっとだけ自分に向けても指差してるんですよ。お前も間違ってんぞって、お前も今やってることちょっと間違ってんぞって手段と目的入れ替わってんぞっていうのをシビチェンコーとあいつに指差しながら自分にもちょっと言ってるっていうその痛気持ちいい感じがやっぱこの作品好きで。
ちょっと微妙なニュアンスというか、その辺のこじれた感じっていうのが、これから語るララランドにしろファーストマンにしてもそれずっと通廷してるなというか、そのホロ苦さというか、ずっと一緒だなというか、何故かねじれるんですよね、終わり方というか、作品が。そのねじれ感がやっぱり愛おしいんだなというのは思ってて。
セッションってレイミアンチャゼル自身がジャズドラマを目指してた体験がベースというかモチーフになってますけど、なんか多分実際どういう経歴というか、ドラマーとして挫折を味わったのかというのはわかりませんけど、
なんかそういうトラウマとか怨念がやっぱセッションという作品にはこもってると思うんですけど、なんかあんだけこもっといて結局なんか最後がああなるっていうのって、どういうことなんかなみたいなこじれてるなっていうようになるというか、なんか自分だけは絶対こうならないぞって思ったら結局自分も同じことやってたみたいな感じ。
あのなんかこじれた感じがやっぱすごいなぁと思って、微妙なニュアンスっていうんですかね。そこが本当にセッションってすごいなっていうふうに思いますね。
あのこじれ感めちゃくちゃリアルだなって思ってて、なんか抱えたことあるこじれだなって思ってて。なんていうか、さっき言った教授とか過劣な上司とか、あるいは過劣な職場とかって話を例えとしてらしましたけど、まさにマイクロシモンズみたいな人に憧れて、憧れてるんだけど憎んでもいるみたいな状況。
愛憎を両方その人に向けられてるみたいな感情ってめちゃくちゃわかるなぁと思って。そこがどうしても共感というか、もうなんかあんまりそういう自分作品の登場人物に感情移入あんまりしないんですけど、ゴリゴリにその主人公に感情移入しちゃうんですよね、どうしてもこの作品って。
なんかそのぐらいの引力があるというか、多分自分の中にそういう部分があるからだと思うんですけど。
また本作のすごい飲み込みづらい、一番飲み込みづらいとこだと思ってるんですけど、その共感が自分で自分の舞台を壊しにかかるじゃないですか。
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最後のことですよね、最後の。
なるほどなるほど、確かに確かに。
そこでマインズ・テラーに恥かかしたら、一番恥かいてるのはお前やからなぁみたいなことをするじゃないですか。
多分あそこが一番飲み込みづらいとこだと思うんですよ。おかしいじゃんってなると思うんですけど、いやおかしい人の話やからっていう。
人を貶めることが目的化してるけど、結果的にお前も落ちてますけどみたいなことをする人っているじゃないですか。
なんかそこって僕あんまり不自然に思わなくて、ああまあするよなって。
で、人間ってそういうことをするし、だからお前そこどまりなんやぞとも思うんですよ。
そうですね、本当に。
あそこが確かに一番、いやそれお前のキャリアもぶち壊しですけどみたいな感じになるし、
あと本当にやっぱ音楽ってこういうことじゃないからっていうのは改めて思ったというか、
本当に観客の存在感がマジで気迫じゃないですか、セッションって本当に。
びっくりするぐらいなんかロクに移らない。
そういうとこからしてもやっぱ音楽とは違う、音楽に対する何かではないなっていう感じはしちゃうよねっていうのは改めて思って、
それでも僕は音楽映画の中でベスト入れてますけど、
それはなんか自分もやっぱ音楽、吹奏楽部やってた時にああいうそういう応酬があったわけじゃないけど、
めちゃくちゃなんかいっぱい練習して、僕も楽器でしたけど指にちょっと豆ができるぐらいまで練習したりとかっていうことをして、
頑張った思い出とかあるのでやっぱそこで繋がってる部分っていうのがあるので、
どうしても音楽映画で僕はセッション入れますけど、
やっぱ本当に違う、音楽映画では確かにないんだろうなっていう気はちょっとしてますね最近。
僕は一応音楽映画かなと思って、
やっぱり音楽には人を操作させる側面があるからっていうことかなと思って、
突き詰めると音楽映画というよりはもう道映画だと思うんですよ。
俺たちはこの道を歩み始めたから歩いていくぜみたいな、
いやそれもうそれ自体が目的化してますよねみたいな感じあると思うんですけど、
でもそれないと無理じゃね?ともちょっと思ってて、
だからその成功が目的って言われた時に、
でも成功できる人って人握りじゃないですかってなった時に、
やっぱり道化しないとその道を歩けないってことあると思うんですよ。
さっきのお客さんほったらかししてますよねみたいな、
オーディエンス無視してますよねとか、
お前らだけの世界行ってますよねとかってあると思うんですけど、
彼らは本質的にはオーディエンスに響かせられきれてはないというか、
あの瞬間は究極の演奏できたかもしれないけど、
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多分あの瞬間で彼らの名前はもう消えるんですよね。
後世には残せないんですよ。あんなことをしてたら。
でも多分みんなそうかなと思って、
後世に残せるみんなに喜んでもらえるものになれなくても
これをやるってなったらもう道化するしかないと思うんですよね。
でもその何かをやるって道化する側面ってあると思うんですよ。
さっき言ってた巨人の星も野球という未知映画なんですよ。
他にも多分そういう話ってあるし、
もうそれ自罰することが目的化してますよねみたいな話って
結構漫画でもよくあるし映画でもあると思うんですけど、
それって例えば仕事でも現実の仕事でもあると思うんですよね。
もうビジネスというかあなたそのしんどいことすること自体を目的にしてますよねみたいなのってあると思うんですけど、
でもそうじゃないとこれ以上自分は大きい何かを残せないから道にするしかないみたいなのって
僕は理解できると思って、
むしろ自分もちょっとそうかなと思って、
自分はそんなに大したものにならないから、
でも俺はこの道歩くよって自分に言い聞かせないと足を止めてしまうから
とりあえず歩くしかないみたいなことにしたいみたいなのちょっと心当たりがあって、
それの一つとして音楽が選ばれている話かなって思うんですよね。
そこがやっぱり刺さっちゃうというか、
だってそんなみんなが正しいことを選べたら全員成功するじゃんって思っちゃうし、
全員が成功できないんだったら成功者以外は道しか残されてないよねっていう風には見ちゃうかなっていう風に僕は思ってます。
なんかその道って話でまさに自分の大学との関係繋がったなって思ったんですけど、
学問分野もまさに道なんですよね。
その分野ごとに分かれて、場合によっては教授が立ち上げた分野だったりもするんですけど、
結局その道の礎に自分がなりたいってなって結局その教授のもとについたりすることって結構大学院生だとある話だなと思ってて、
なのでなんかまさに自分のその道を決めるというか、
もう正しいかどうかは別として、ある種の正しさはあるんだけどでも間違いもあって、
でもその間違いにある程度目をつぶりながら教授と同じ方向にベクトルを進めざるを得ないところっていうのは、
まさに仕事でもそうだし、学問でもそうだなってすごい思いながら聞いてました。
あと前回のイニシャリン島の話もつながるかなと思って。
あれも音楽は永遠って言ってたじゃないですか。
でもあんな田舎でパブで演奏してるだけのやつの音楽が、
そういうエヴァグリーンなものになることはありえないと思うんですよ。
じゃあ彼が縋ってるものって何かっていうと、音楽は道であって、
そこを自分に厳しく歩いた俺は音楽が持ってる永遠性の欠片をもらえると思うからやるっていう感じだと思うんですよ。
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そこを履き違えたから指を切り落としたみたいな感じもあると思うんですけど、
人間、道にしがち問題っていう。
なるほど。
何か一つのものに道を突き進むって、やっぱりそれって幅広い中から一本だけ選ぶっていう狭い道を選ばなきゃいけないわけですけど誰もが。
そこに向かうときの、そこにいろいろな言葉に出るのは難しいな。
またそれがその道を行った先に叶うかどうかが分からないものとしての、やっぱり芸術とか音楽っていうのはそれが顕著に出やすいなっていうスポーツとか、
なんか才能みたいなのとか関わってきそうなやつはやっぱりそういうのに物語としてその道を歩むみたいなところがめちゃくちゃ多くの凡人たちにも刺さってしまうみたいな。
過度にある意味理想化されているものみたいな形でそれが描かれることで。
何かそういうのはあるかなっていうのがあって。
で、あとやっぱりその道を歩んでいることに酔ってしまう自分もあるわけですよね。
なんかそういうのが、それはどちらかというとララランドの方が顕著なのかなって気はするんですけど。
どれもあるけど。
そうですね。
そういったのも含めて、やっぱりその何か下向きに成功するかわからないものに対するエールみたいなのは、やっぱり多分デイミア・チャザルという、
自分の挫折を味わって今映画の道に進んでいるけどっていう人がやっぱり描くっていうのはすごく大きいというか、
その監督自身の人生が反映されているなっていうのはすごく思いますね。
ちょっと今ララランドに触れたので、このままララランド入っていこうかなってちょっと思うんですけど、
マリオンさん的にララランドってもうちょっと深く出会えますか?
そうですね。
まず何て言うんですかね。
あの終わり方はどう考えても秒速5センチメートルとほぼ一緒ですよねっていうところがあるんですけど。
あれはどう考えても一緒ですよね。
なるほど。
わかりますよ。
最後、あり得たかもしれないイフの世界を見るっていう。
秒速5は過去、あれもイフは入っているか。
イフというか知らないところも入ってますけど、確かにね。
もうあれもう山崎前総裁が描いてても一緒でしょあんなものみたいな感じの描き方しているところが、
ここであ、深海誠とめっちゃ親和性強いなというふうに思ったんですけど。
でまぁだし、あと何というのかな。
これもさっきも言いましたけど、夢追い人に対する厚いエールというか、
間違っててもいいから行くみたいなところに猛伝も含めて入っているっていうのを、
綺麗にそれは恋と一緒に描かれるっていうのがまあまあまあらしいなという感じがするというか。
そこに自分の映画愛とかも入っているわけですよね。ミュージカルとか。
確かデビュー作も確かなんか白黒でミュージカル映画だったらしいので、
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確か長編デビュー作も。なんかそういったところからもなんか自分らしさが滲み出てて、
確かになんかこう本当になんか作家性込みで、もう俺映画って感じがするところもなんかすごいなんかエゴイスティックで、
でもすごいロマンチストで、またほろ苦いラストまで持ってきてっていうあたりで、
なんかすごいなって思っちゃうっていう感じはめちゃくちゃそこであって。
やっぱチャジル好きやなっていうふうになるところですかね個人的に。
大井さんいかがですか?
さっき命を救われたとまで言ったんですけど、ちょうどだから今週日曜日再上映されている関係で、
ナンバーパークズシネマにちょっとまあ当時は21歳で初めて見たんですけど、
27歳の自分が見てどう思うのかなと思って見に行ってきたんですよ。
で、当時は本当にだから劇場で見た時にもうオープニング冒頭からそのミヤが歌うところまでえひんと泣いてたんですけど、
なぜ泣いているのか、これがなぜ伝わってるのか本当に自分の中でわかんなくて、
まだ映画の感想とかこんな喋ったりツイートしたりっていう自分ではなかったから、
なんかなぜ自分がこんなにこの映画に惹かれちゃってるんだろうっていうのがわかんなかったんですよ。
ただ今になって改めて見てみると、
当時の自分がその夢っていう熱病に浮かされた状態で、
その幼稚なその叫びみたいなものが彼らのセリフの中にあったことが多分僕にとってすごく大事なことだったんだろうなと思って。
今になってみると彼らめちゃくちゃやっぱ幼稚なんですよ。
なんか夢見てるからってお前そんなこと許されると思うんだよってことばっかしてるんですよ彼ら。
冷静になって見てみると。
そうですね、それはありましたね。
ただなんか本当に彼ら幼稚だし、自分のことをなぜ世界が認めてくれないかって永遠の叫び続けてるんですけど、
本当におぎゃおぎゃと泣いてるような状態なんですけど、
多分当時の自分って気づかないうちにこうなってたなと思って。
割とちっちゃい頃から科学者になりたいみたいな夢を持ってて、
それで大学に入って、研究室に入ってからそこを挫折するっていう経験をしてるんですけど、
多分まさにその時の挫折のきっかけっていうのは、セブとかミヤみたいな態度を取ってたからなんだなって今見て改めて気づいて。
だからそこが自分とってはこの映画のなんか刺さるところだし、
要はエヴェン・オイビダの愚かしさみたいなのもしっかりこの映画描いてるんですよね、改めて見てみると。
でもその上で、とはいえ今自分がここにいることはその熱病、夢という熱病に浮かされてたからこそここにいるわけで、
それ自体は許してあげたいっていう気持ちはこの映画の最後になると出てくるところで、
なんかその感覚はすごく今の自分の方がわかるなと思ったんですね。
なのでなんていうか、自分は本当に20代の前半は夢という熱病に浮かされてた20代前半までを過ごしてきたからこそ、
この映画は自分の映画だなって思って見てるっていうところがあります。
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重い。熱量が高い。
やっぱそれだけの熱量があるというか、やっぱそれだけやっぱなんかこう熱中して一つの道に進もうって決めて、
挫折もあって、でも今なんとかようやくその道を歩けてるっていうやっぱ大石さん自身の人生があるからこそやっぱその強い思いっていうのがやっぱあるんだなって思って、
いやいい話だなって。
だからなんか本当に夢イコール呪いってことをこの映画はしっかり描いてくれてるなっていうのは27歳で見てやっぱ思いましたね。
なるほどね。
僕はですね、ちょっとあんまり得意じゃない映画なんですよ。
なんでかなって思ってたんですけど、デイビアンチャーゼル監督作品の中で一番視野の狭さっていうものをあんまり自覚的じゃない描き方してるからかなっていうふうに思ってて、
セッションは明らかこいつは間違ってるぞって思いながら見られるんですよ。
ファーストマンもこの人結局自分の物語紡いでただけだぞっていうのに気付く構造になってるからそこも相対化されてるというか客観視されてると思うんですけど、
ララランドってちょっと距離置いて見ようとしないとあんまりその視野の狭さを感じないと思うんですよ。
むしろ若者のひたむきさみたいな感じに見れる作品になってるような気がしてて、僕はちょっとそこが苦手だなって思ってたところがあったんですよね。
一番その視野の狭さを自覚的じゃないし、ある意味一番意地悪な作りの作品なんじゃないかなとも思ってて、
いやこれこの人たち幼稚なんですよっていうことを作品内言及あまりしないまま美しい物語としてぶつけてくるって結構甘い毒だなって僕はちょっと感じててあの作品のことは。
でもそれが何か作品として間違ってるとかって思ってるわけじゃないんですけど、ラストであり得たかもしれない人生を見ますよね彼らは。
彼らは職業として成功した中で、でもその2人の関係が続いた威風を無双するっていうことで、あーあーなってたかもねーでもあーはならなかったよねっていう風な人生の結論に至るっていうの。
でもそれってなんかよくよく考えるとそこはすごい大人というか、成功はしてますけど、でもやっぱり威風を想像してしまうっていう。
でも僕たちもそうだと思うんですよ。僕たちは元々なりたかったものになったわけではないのかもしれないです。彼らのようにね。
彼らはピアニストと俳優っていう明確な夢があってそれになりましたけど、我々はだってそういう思い描いて夢じゃないけども、何かにはなろうとはできてるかなって思うんですよ。
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この世界を生きているという時点で何かにはなれてるかなと思って、その中であーでもあーなったかもなーって思っちゃうのって、それが思い描いて夢が実現してようがそこそこの人生を歩んでようがやっぱり威風って想像してしまうっていう。
何かそこに何というか普遍性があるというか、一気にあのこの作品がずっとなかった客観性をラストで一気に与えてくるような感じがしてて、彼らでさえやっぱり威風を思い描くんですよと、それはみんな一緒ですよねっていう風に語りかけてくるような感じはあるかなって思って、
なんかある意味一番3作の中で複雑な作品なんじゃないかなっていう風に思いながら見てましたかね。
そうですね。やっぱあのラストがやっぱりすごく甘美なすれ違いというか別れというか感じがするというか、夢のためにだったら恋を諦めるみたいなのってセッションでもやってたなって思うんですけどよく考えたら。
それをまあなんかああいう複雑な形で消化してみせるっていうのはなんかすごいなっていうふうにやっぱ思うところで、あの甘美さとはやっぱりなんかその秒速5センチメートルにおけるノスタルジーとほぼ一緒のように僕はやっぱ思えたっていうのがすごくあるんですよね。
結末のやり方も似てるじゃんっていうのもあるし、そのなんか別れることへの甘美さみたいなところがすごく似てるっていう風には思ってて。
ただなんかあのラストに関してその今回改めて見て思ったんですけど、あれめちゃくちゃミヤの方に都合よく描かれてないかって思って。
そのセブが結局あのイフルートってお店開かないんですよね。
で、そのミヤと一緒にフランスに行ってフランスでちょこちょこピアノは弾くけど多分あれ趣味程度で、仕事としては体制してないなって思ったんですよ。
そういうことなの?
だからあれ改めて見て初めて聞いたんですけど、これミヤの夢なんだって思って。
そうですね、確かにね。
なんかそうすると、やったとしたらなんていうか、結局イフルートでも夢を捨てて恋を選んでるだけではっていう。
セブンとってはですけどね。
だからなんかそういう意味で、なんていうんですかね。
なんかすごくミヤのその幼稚さが、幼稚さというか、なんか両方多分セブはセブンの夢をきっと見たんだろうなと思うんですけど。
でも多分どちらかを犠牲にしてるんですよ、それって。
おそらく。
お互いの夢の中で。
っていう意味では、まあじゃあ結局これの方が良かったんだろうなっていう。
現実の方が一番いいんだなっていう、なんか簡潔に彼らが至ったのかなってところまでちょっと思いを外しちゃったんですけど。
なるほどね。
そもそも彼らが惹かれたのって結局彼らが似た者同士だからじゃないですか。
そうですね。
もう全然分野は違うけど。
同じ夢恋人だったっていうことでしょうね。
33:02
そうそうそう。
まさに自分見てるから自己愛に惹かれてお互いが好きになるわけじゃないですか、あれって、あの二人って。
だからどちらか夢を叶えないってことは、それって多分もう好きじゃなくなるってことだと思うんですよ、相手のこと。
で、だからあのifルートは本当に幸せかって思って。
なるほど。
まあだから本当にあれがifで良かったねっていう話には結構なると思うんですよ、僕もあれを見て。
お互い夢を叶えた、それが良かったっていう。
っていうのがやっぱビターだね、ビターエンドだねぐらいな感じというか。
なんか結構前とかにララランドはハッピーエンドかバッドエンドかみたいな盛り上がりをしてたのをなんか目撃したことがあって、
Twitterでいや、え?みたいな感じがちょっとするというか。
そういうニュアンスの話してないみたいな。
すっごい思ったことがある。
わかりますわかります。
そういうもので分けないで欲しいなみたいなっていうのが。
過激派やなあ。
なんか盛り上がったのがだいぶ前にあったなって思って、絶対そこに入らないぞ俺はって思った思いがあるんですけど。
結局そうですよね。
同じ夢追い人だったというか、ある意味同じ夢を見ていた人たち2人っていう話ですけど。
ララランドではすれ違うというか別れることになるけど、セッションはある意味結ばれるっていうことになるわけですけど。
それがしかもセッションってよりによって本当に怨念こもっている映画でそれをやるっていうあたりが、やっぱこじれてるっていう部分なんだなっていう風になりますよね。
そうですね。セッションって盲集の話だし、ファーストマンって盲信の話だと思うんですよ。
偏ってますっていう話だと思うんですけど、ラランドってその偏りがあんまり見えないというかカジュアルなものになってるというか、
この方よりは若さによるものです程度の感じに見えるようになっているとこがすごい意地悪だなって思ってて。
僕が一番苦手なシーンが、一番初めの仕事2人あんまり熱心じゃないんですよね。
コーヒーショップで働いているところとか、本当に馬声のバーで弾いている。
あくまでも雇われピアニストとして弾いているときやる気ないんですよ。
僕、ああいう話すっごい苦手で、本当にやりたいことをできてなくてやりたくないことをしているっていうときに、
フテクされている人の話ってすごい苦手なんですよ。
自分の居場所はここじゃないぞって思っているのを表に出すのってめちゃくちゃ苦手で、
成功する人って今自分がいる場所を自分の色に染めるんですよ。
そうなんですよ。
そのバイタリティを表現しないというか、そういう人じゃない人たちの成功の話って、
さっきも用語として出てた、やっぱり幼稚な話だなって思っちゃうところがあって、
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彼らの偏りがカジュアルなものになっているからこそ、狂気ではなくやっぱり幼稚さとして見えちゃうところがあって、
その作品タイトルもやっぱりララランドじゃないですか。
そうなんですよ。
浮かれた土地なんですよね。
浮かれた土地ロサンゼルスの話だから、結構怖いなって思っちゃうんですよ。
なんか彼らは成功したけど、同じような人たちのクブクリンは成功してないですよみたいな、
すごい毒含みだなって思っちゃうんですよ。
そうですね。
いっそセッションみたいに道化してたら、彼らが成功してよがしてまいが、道を歩いてるからそこには人生があるんですけど、
カジュアルな段階だからこそ成功するかしないかになっちゃうなっていう。
成功しなかったら惨めになってしまう。
でも作品内では成功してますっていう、結構見てる側を白標の上に立たせる映画だなっていう。
ちょっと僕さっきから意地悪なことばっか言ってしまってると思うんですけど、
だからこそある意味一番エクストリームだなと思うんですよね。
チャゼル作品の中で。
頭がおかしい人たちの話とかじゃなくて、若さの範囲でこの偏りを描くからこそ一番エッジが尖ってるというか、
飲み込んでから喉に刺さる感じがするんですよね。
だからララランドの二人とかをちょっと見てると、結構花束みたいな恋をしたの二人とかも結構思い出すんですよね。
そうなんです。
なるほど、確かに。
すごい似てるでしょ。
めちゃくちゃ似てます。
めちゃくちゃ似てるんですよね。
花束みたいな恋をしたら本当に普通に染まっていきますけど、あの場合はね。
ララランドは本当にそれがおとぎ話のように上手くいっちゃうっていうところ。
なんかそこにやっぱなんか、確かにさっき山口さんが言ったように白標の上に立たされるというか、
なんかこれよく思うとちょっとすごいよねみたいな話になるっていうのは、
それやっぱやりきっちゃいわたりがチャゼルすごいなって思うなっていう。
なんでもすごいなってなっちゃうんですけど、好きだから。
だからララランドの中で唯一その自己言及的なシーンがあるとすれば、
ミヤが面接のシーンで歌うじゃないですか。
あそこだけが唯一自己言及的だなって思っていて。
確かにね。
歌の歌詞の中で、愚かしい夢追い人に微笑みよっていう風に叫ぶんですよ。
私たちはどう考えたって幼稚だし、愚かしいってことは分かってます。
そんなことは分かった上で、そんな私たちでも許してください。
それに支えられて生きているんですっていうのを切実に歌うシーンがあって。
なんかそこだけが多分、もちろん酔ってはいるんですよ。
あくまでめちゃくちゃ自分に酔ってるんですけど、
39:02
でも愚かしさは分かってますってそこだけミヤが言ったところが、
今になってみると唯一の自己言及的なシーンなんだろうなって。
自覚はあるっていう。
そうなんですよ。ならもっと真面目に働けようと思いましたけど。
まあでもそれがやっぱ若さですよねっていうところ。
なんですよね多分。
本当に今の話聞いて、あれ天気の効果とかちょっと思っちゃいましたけど今一瞬ね。
あれ一緒じゃねっていう感じになっちゃうんですけど。
なるほどね。確かにあそこ急にドライブかかるというか、
温度感違うシーンでしたよね確かに。
なるほど。
あとさっき聞いてて、ミヤのイフの中でセブは成功してないっておっしゃってたじゃないですか。
アンダー・ザ・シルバー・レイクやんけと。
アンダー・ザ・シルバー・レイクというか、エマストーンと、
パッと名前出なかった。
ダイアン・ゴズリングですか?
じゃなくてアメイジングスパイダーマンのアンドリュー・ガーフィルド。
エマストーンとアンドリュー・ガーフィルドであり、ララランドとアンダー・ザ・シルバー・レイクじゃないですか。
確かに。
アンダー・ザ・シルバー・レイクの中で元カノは成功して、
看板とかに描かれてて、俺はいつまで経ってもうだつの上がらないプータローダーみたいなの。
もう本当裏返しやなと思って、あらゆる意味で。
同じ土地の話ですもんね、しかも。
いやだって、アンダー・ザ・シルバー・レイクの日本版の横切ってこれはなんかダーク版ララランドだみたいな。
どっかの媒体のなんかこうね、あるじゃないですか。
媒体がこんなの言ってたみたいなの出るじゃないですか。
そんなの書いてましたもんね。
表裏一体というかって感じ、ほんとスルーで。
だから本当にそのイフルートのその後みたいな感じですよね。
そうですね。
またアンダー・ザ・シルバー・レイクとララランドを見比べてて、
当然僕はアンダー・ザ・シルバー・レイクの方が好きなんですけど、
世界はお前を甘やかさないぞっていうことだなと思ってて。
で、アンダー・ザ・シルバー・レイクにおいて、
主人公を世界が甘やかしてくるのは幻想なんですよ。
というかね、頭がおかしくなってるからなんですよね。
あれって。
あれははい、あれはそうですね。
僕の価値観がそうだからっていう、世界はお前を甘やかさないぞっていうのがあるから、
やっぱちょっとララランドは違うかなっていうのはあるんですけど、
でもよくよく見るとララランドが一番エグいなっていうふうには見えちゃうかなっていうふうには思ってますかね。
なんかね、甘美だからこそ、その甘美なもののベールの奥にあるものが怖いねっていうことですよね。
42:01
セットで見なきゃいけないやつにララランドとアンダー・ザ・シルバー・レイクは。
セットですよこれは。
僕はね、どっちもその年のベスト10とかに入れたことありますけどね。
アンダー・ザ・シルバー・レイクもララランドもその年のベスト10入れてますけど。
そこがまた特殊ですよね。
僕、その2つは両立しないですもん。
僕の中で。
どっちかしか選べないもん、その件。
どっちも信じたいんですよね。
どっちも信じてるというか、どっちも真理だなって思っちゃうんですよね、僕はね。
うん、なるほど。
欲張りという感とかあるんですけど。
二律背反な。
どっちも信じたいし、どっちも信じたくないしみたいなところがあるかなっていう。
めんどくさいですね。
じゃあ、ファーストマンちょっと行きましょうか。
はい。
マリオンさん、ファーストマンどうですか?
そうですね、なんかあんまりデイビアン・チャゼルを語るときにファーストマンってあんまり出ないですよね。
やっぱりどうしても彼のジャズのところ部分とかだと、紐づいた映画。
バビロンも含めてですけど、今度の。
とかが語られるイメージがあると思うんですけど。
でもちゃんとこれも、この人らしい映画だなーみたいなふうに思うなーっていうのはちょっとあるというか。
やっぱりちゃんと視野も狭いし。
あとなんかこう、喪失が大きなテーマですけど、
娘さんの喪失ですよね。
同じ同志たち、仲間が事故で死んだりとかってのもありますけど。
奥さんとニール、ニール・アームストロングかニールですよね。
の関係で言うんだったら、娘さんの死があって。
娘さんの死の向き合い方がやっぱり二人とも決定的に違うっていうところがあって、
そっからすれ違っていくっていうところがあって。
でも最終的にはなんか、ようやく理解し合えるみたいなところ。
喪失を。ようやく何もない月面という、本当に黒という、
あの世界でようやく彼は一人で泣くことができるみたいなあたりの、
こじれてるなーみたいな感じというか。
理解最後しあえたねって感じするところも、ガラス越しだったりするわけじゃないですか。
そうですよー。
パリ・テキサスみたいなことをやってるわけじゃないですか。しゃべらないけど。
ってことをやってるあたりからしても、
本当にこの人は、僕ドンピシャすぎるなっていうふうに思っちゃうんですよね。やっぱり。
私もなんかこう、宇宙に行く話が好き。
これこじつけですけど、星の声とかあったしなーみたいなね。
深海マフトでこじつけるんだったら。
ロマンチストはやっぱ宇宙に何かを求めるところがあるんじゃないかなっていうのは思うというか、
ロマンチストという意味ではクリストファー・ノーランも一緒だなと思ってるので、
やっぱりインターステラーという作品を作ってくるわけで、
やっぱりロマンチストと宇宙っていうところに何か大きなものがあるよねっていうのは、
45:02
3つ並べたくなるなっていうのはありますかね。
オイさんいかがですか?
ララランドに命を救われたって言ったんですけど、
実は現時点で、映画的に一番好きな映画っていうのはファーストマンなんですよ。
で、なんでかっていうのはすごい難しいんですけど、
理由を敷いてあげるとしたら、多分共感できない人を主人公に置いた映画だなと思って。
観客というか見てる側に、その人のことわかんないでしょって前提で描かれてるなと思って。
なかなか日常生活において、この人感情わかんないなとかって人多分近寄りづらいと思うんですよ、普通。
で、なかなかそういう人が何考えてるんだろうみたいなことに思いを馳せることって当時は全然なかったので、
このファーストマンで、割と近くにそういう人がいて、
もしかしたら、もちろんそこまでではないにしても、何かその人なりの葛藤があったりするのかなっていうことを、
この映画で初めて自分ごと化できたというか、そんな感じがしていて。
で、やっぱりそのファーストマン特に好きなシーンはやっぱりラストシーンで、
まさにファーストマンで描かれているニール・アームストロングさんは本当に言葉が足りないんですよね、全体的に。
全てにおいて表情も言葉もほとんど足りないんだけど、
言葉で分かり合うんじゃなくて、表情だけで分かり合うというか、
表情だけで少し私とあなた違ったのねってことをようやく妻と分かり合えたシーンみたいなものに、
ずっと本当に抑制された2時間近くの映画の中で最後にそれが来るので、
そこがもうグッサグサ刺さってしまって、
映画として大好きっていうのが実はファーストマンです。
なるほど。
僕はですね、正直映画としてはそこまで面白いとは思わなかったんですけど、
テーマとしてはすごい好きだなとは思ってます。
見た時に感じた印象が、
この人自覚的にこういう話作ってたんやなっていうのをファーストマンを見て気づいたっていう。
盲集を描くっていうところで、
ファーストマンが一番盲集がきつい話だなと思うんですよ。
自己完結しちゃってる。他者を求めてないところっていう。
やっぱりセッションは指定っていう関係性だけはあるし、
ララランドも恋人同士っていう関係性だけはあるんですよね、あの世界に。
でもファーストマンはもうないんですよ、関係性が。
全部自分の中の物語で完結してて、それをなぞっていく、追い求める。
その過程の中で、例えば家族とか同僚との絆っていうものは描かれるんですけど、
その絆が心の内側にあんまり入ってきてないような感じがするというか、
あくまで外部なんですよね、絆が。内側に入り込んできてない。
内側にあるものはもう完全に完結していて、
48:03
それを目的に行動しているっていうことをやりきってて、
セッションもララランドも分かってああいうことしてたんやなっていうふうに思って。
それを突き詰めてるからこそ、すごい自己言及的な作品だなって思って見てました、ファーストマンは。
っていう感じですかね。
確かに、あの劇中での、実際のニール・アームストロングがどういう人なのか分かりませんけど、
電気映画って手ですけど本当かって感じがしてくるというか、
実際どういう人なのか分からないんですけど。
ただ、割と電気を読む限りは本当にそういう人だったらしい。
もちろんエピソードがあそこまで猛進的なキャラとかは別ですけど、
本当に動じないというか、感情をもて出さないタイプの人だったっていうのが記録に残っていて、
だからこそ船長に選ばれるんですけど。
その冷静沈着、どういうところにも動じないみたいなところがってことですよね。
それがなんかこう、冷静沈着とかいうのは特性としてはいいと思うんですけど、
それがもう完全に人との交流が自分の本音からは完全に確実してるみたいな描き方というか、
もうなんか本当に星の声と重ねますけど、
本当に別れていくことに対して、
僕は心を強く固くして生きていかなければならないんだみたいなことをモノローグで言いますけど、
それにちょっと近いというか、感じてしまうというか、
誰も僕の悲しみをわかるわけがないだろうみたいな感じっていうのがずっとあるというか。
その意味では僕、ファーストマンが一番秒速5センチメートルに近いような気がしますかね。
その意味では。
もう他の人の声届かなくなってますよね、あなたっていう。
アームストロング船長が唯一つながりを感じているものは、
亡くした娘なわけじゃないですか。
もう取り憑かれすぎですよね、本当に。
なんなら月に行くってことは彼自身のある意味、
黄泉の国に娘を探しに行くようなものですもんね、あの描き方だと。
そうそうそう、もう完全にそういう感じなんですよね、あれ。
月は本当に黄泉の国みたいな描き方してますもんね、本当に。
そうですね。
あそこまで孤独というか、もはや孤立みたいな状況まで行っている人の話として、
なんでよく2時間も描けたなっていうのがまずある。
もっとエモーションじゃないと結構映画として見るのってきついと思うんですよ。
しかも劇映画でこれだけブロックバスターで描くんだったら相当きついだろうに、
それを盲集という1個のタームでやってのけるのがやっぱデミア・チャゼルなんだなって思って。
今回ファーストマンだけ脚本が別で、ある意味職業監督的にデミア・チャゼルが初めて撮った作品がファーストマンだと思うんですけど、
51:04
この企画が彼に振られた理由がめちゃくちゃわかるというか。
またちょっと個人的なところから外れた感じの話になっているところが、前作2作に比べて味かなって気もしてて。
やっぱ前作2作は有名お役人の話として捉えられるけど、ファーストマンはやっぱもうちょっと超人になってしまってるというか。
詩述っていうところで、そういう預け方をしにくいというか、実際の人物にあんまり自分を預けれないっていうのもある気もするし、
揺らぎみたいなものがないじゃないですか。
自分がやってることって正しいのかなとかっていうそういう揺らぎがなく、完全に完成している存在になってるから、
ちょっとそういう内側から出てきたものというよりも、
頭の中で描いた完全に孤立したパーソナリティっていうものを描いた話になっているような感じがして、
やっぱちょっとなんか経路の違いを感じるんですよね。
なんかそこがちょっと面白いとこだなとは思いつつ。
そうですね。ちょっと本当に経路は違うけど、でもこの人らしい映画だなってやっぱなるってあたりがやっぱなんか、
まだだってすごい若い人ですよね、レイミアさんとして年齢的にも。
うん、若いです。
こんなにもなんか作家性バキバキな人みたいな感じっていうのはなんかすごいなというか、
別に同世代じゃないですけど、同時代的に追いかけてるという意味では、すごくやっぱ大好きにならざるを得ない監督なんですよね、そういう意味では。
あとちょっとさっきも触れたんですけど、シャマランとの違いみたいなところをマリオンさんの話も聞いてみたくって、
やっぱシャマランは人と違うことを恐れてないじゃないですか。
そうですね。
むしろ、だがそれがいいみたいな感じじゃないですか。だからこそ価値があるみたいな感じだけど、
チャンネル監督はちょっとそこは疑ってるとこがあるというか、
マイノリティだから価値があるとか別にそこ才能とあんま関係ないよって分かってるような気がして、彼は。
まあまあまあまあ、確かにシャマランは全てがナチュラルすぎるんですよ。
ナチュラルに全てをこなす人なので、ナチュラルにそれやっちゃうんだみたいなところがあるので、
あれは確かに誰も真似できないんですけど、
なんかね、ノープがたとえどんなに変な映画でも、ノープはシャマランっぽくはないよなみたいなところがあったりすると同じように、
っていうのはあるんですけど、あそこまでロマンチストという意味では強すぎるんですよね、どっちも僕の中では。
ロマンチストの方向性としては違うと思うんですけど、
その強固なロマンチスト性を絶対に排除してこないあたりが、僕の中で一緒に並べたくなる理由なんですよね、僕の中ではやっぱり。
54:04
それがやっぱりすごくロマンチストゆえのエゴさ、もう絶対曲げないよねみたいなところ。
それが意図的であれ、無自覚であれですけど、やっぱりやれる人っていうのは、僕はこの二人を並べるし、
新海誠を僕はそこに並べてるし、近いという意味では本当にチャゼルと新海誠っていうのは僕はすごい似てる人だと思っちゃうし。
なるほどね。
だから、それで言うと、さっき山口さんはレイミアン・チャゼルのことを再起走ってる感じが苦手みたいなことを言ってたと思うんですけど、
僕逆にそれ、そんなめっちゃ嫌だとか苦手だって言ってるわけじゃないというか、思ってるわけじゃないんですけど、
この三人は一緒に並べるのにノーランを僕そこに並べたくないんですよ、なぜか。
なんかあいつだけカッコつけてるなみたいな感じがしちゃうんですよ。
似たような理由というか。
僕の中ではノーランとチャゼルは同じくらいカッコつけてると思ってるんですけど。
多分そういうふうに山口さん見えてるんだろうなと思うんですけど。
一番カッコつけてないのがシャマランで、そこが一番可愛いし、ある意味一番怖いんですよね。
そうですね。
そうですね、確かに。
本当に本気でやってきてそれ出してくるんだみたいなのが、誰もそんな考えても出せないよみたいなことをやってくれるので。
そういう意味では本当にすごいし、確かになんかカッコつけてるんだけど、なんだろうな。
カッコつけてるんだけど、やっぱりそこでデミアン・チャゼルの場合は、やっぱり深海誠とのシンクロニシティを僕は感じてるのでやっぱり一緒に重ねてるっていうのがあって、
なるほど。
それで言うと、インターステラーと星の声がシンクロニシティあるじゃないかって言われるとそうなんですけど、なんかね、カッコつけてるなみたいになるんですよね。
意識してでもいいから、もっとロマンチックにというか、恥ずかしくないのかぐらいのやってくれよっていうのがあんまノーランからは感じないというか、カッコよさベースだなっていう感じが僕の中ではちょっと印象論ですけどね。
なんか並べたくない。
わかりますよ。ロマンはあるけどロマンチックじゃないって感じで感じてます。ノーラン作品は。
そうですね、確かに。ロマンはあるけどロマンチックじゃない。すごいまとえてると思う。
なんかちょっとだけ作為性があるって感じですよね。ちょっとというか割と作為性強めかな。
なんかノーランのロマンはやっぱなんか象徴とかカッコよさに結びついていくので、なんかどうしてもなんかシンボリックなもの。正義とはとかになるので、なんかねちょっとね、カッコいいし好きなんですけど。
けどなんか僕はこの3人の中では並べないなっていう風になっちゃうんですけどね、それはね。
さっきのマリオンさんの話を聞いてちょっとそれこそ思ったのが、その新海誠監督との類似性って意味ではそのお互い、チャゼルも新海誠監督もそのある程度なんていうかロマンチストでありながら、
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でもそのロマンチストは社会というか世間で一般的に受けられるものじゃないことはわかっている感じが2人ともするなと思っていて。
で、それを自覚した上でとはいえ抗えないロマン、自分の中のロマンを作品に出しているというか、それを映画を作品を描く以上はそのロマンには抗えないって感じがある気がしていて。
そこが作為はあるんだけど、なんか愛してしまうというか、共通点というか類似点なのかなちょっと聞いてて思いました。
確かにノーラン作品の精神性になんか偏愛みたいなものはあんまり感じないですもんね。
やっぱりその全員で共有している正しさに向かっていくような感じはあるじゃないですか。
そこに疑う余地がないというか、正義とか愛とかっていう具体性にはちょっと欠けるけど、みんな絶対それって言うねと思ってるものが物語の最終目標になってるから。
そこが全員乗っかれるし、その精神性自体には見てる側の偏愛はぶつからないというか、作品自体のルックの良さとかに対しての偏愛はありますよもちろん。
ノーランはそこ圧倒的だから。精神性みたいなとこはそこまで自分自身あんまり預けてない感じはするっちゃするんですよね。
あくまでみんながいいと思っているものを作品のテーマに掲げてるっていう感じで。
ちょっと残り時間少ないんで、次回作バビロンなんですけど、どう見てますか?どう期待してますか?
期待か。
予告だけで全然わかんないですよね。
まず3時間あるらしいじゃないですか。
長い。
長いなっていうのと、やりたい放題やってそうだなっていう意味で期待してますけど、どうなんだろうねっていう。
題材だけ見ると一番全然チャゼルっぽくないような気がしてて、いわゆる1920年代のハリウッド黄金時代であり、アメリカ経済の黄金時代。
違うな、世界恐怖入る前だから、アメリカ黄金時代、競争の1920年代じゃないですか。
内面性みたいなのがないというか、外部が煮詰まりきった時代というか、自分とかじゃなくていかにこのビッグウェイブに乗るかみたいな時代だと思うんですよ。
そうですね。
なんかその内面性がある意味一番ないというか、捉え方によってはそんなことないんですけど、
グレートギャッツリーとか、シミンケーンとか、その時代の内面性を描いた話ではあるから、裏返しかもしれないですけど、そういう話するってこと?
1:00:10
なるほど。
結局意地悪な話するよなっていうのは思うんですよね。
やっぱり結局乗し上がろうとする人たちが出てくるわけですけど、今回も。
それも言っちゃ夢追い人ですよねっていうところから。
っぽさはあるんだけど、ただあの時代の狂乱の時代でそれを描いていくことで、ものすごいどすぐろいことになりそうな気はするというか、
やばいことになるんじゃないかなっていう気がしてて、どうなっちゃうんでしょうね。
これを3時間耐えられるのかっていうところも含めて、ちょっと期待してますね。
チャンネル作品ってある意味、ラストまでの前振りというか、すべてが振りってところあるんで、
ラストに何持ってくるんだろうっていうのがやっぱり一番楽しみではあるっていうのが本音かもしれないですね。
最後のニュアンスがね、どういう複雑なものを持ってくるかっていうところですかね。
そう。なので3時間の前振りかって思って見に行きます。
あとちょっと最近あんまり見てないなというのが、レイミアンチャンネルって結構サイコスリラー描写が結構えぐい人だなって思うんですけど、
セッションの追い詰められ方とかってもう一種のサイコスリラーみたいなもんじゃないですか。
ブラックスワンとか思い出してもああいうのとか、パーフェクトブルーとかと近いような、
ああいう精神的にヒリヒリ狂うタイプのやつとかが最近ないな、あんまり見られないかなっていうのがちょっとあって、
なんかバビロンという訳のわからない狂乱の世界で、やろうと思えば入れられるんじゃね?みたいなところはちょっとあるというか、
ちょっと神経質でサイコスリラー、サイコロジカルなところが入ってきてもおかしくないような気はちょっとしてるというか、
結構ずっとサイコロジカルな描写好きなんですよね。
最初にちょっと言ったんですけど、脚本作品で手掛けてたグランドピアノとか、
あとテンクローバーフィールドレイもある意味サイコロジカルし、そういったのって結構手掛けてるので、
またそういうのが入ってくるとまた面白いのかもしれないですよね。
確かに単にそういう狂乱描写だけされてもウルフォーウォールストレート超えられるのかな?みたいな感じでも見ちゃうかもしれないし。
確かにそうですね。ウルフォーウォールストレートとかあるからな。
狂乱っぷりではあの映画ってちょっと究極系な気がしてて、
やっぱり世界は狂乱してるけど俺の肝心の内面はさみたいな話、見たいとこありますよね。
チャンネルやったらっていう。
そんな感じでじゃあバビロン楽しみですねっていう感じで終わっときましょうか。
1:03:01
じゃあ次回バビロンでいいんですかねこれは。
いいと思うんですけどね。一応前田さんにも聞いてみないとわからないですけど大丈夫じゃないかなと思うんですけど。
じゃあそんな感じでデミアンチャンネル作品の話は終わっておこうかなと思います。
はいではお知らせになります。2月も映画南下すぎる場を開催する予定です。
場所は大阪の南森町にある日刈りイベント型会場週刊回り。
日曜日は2月25日土曜日オープンが19時クローズが23時となっております。
今回ですね前田さんがちょっと仕様で不参加となりまして山口マリオンの二人店長でお迎えさせていただきます。
ちょっと手が足りないかもしれないですがその分我々二人で頑張らせてもらいますのでよかったら遊びに来てください。
はいまたこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想次回テーマ作品の感想などご自由にお送りいただけると幸いです。
また次回場開催情報ポッドキャスト次回テーマ作品の告知も行っておりますのでツイッターのフォローもよろしくお願い致します。
あとこの番組のイメージキャラクター映画の話し出すぎる猫かっこ狩りを知られたグッズを販売していますのでよろしければご購入くださいませ。
はいあと番組冒頭でもお伝えしましたナンバーパックスシネマ映画祭ライブ音響上映2月23日から3月2日の期間開催する予定でその中の2月27日月曜日12時45分ララランドの回お二人一組の感想券のプレゼントも行っておりますのでお便りフォームからプレゼント希望の旨書き添えていただいてぜひご応募ください。
はい当選した方にはちょっとご連絡差し上げますので感想券の送り先などその際にお伺いできればと思います。
はいお便り受付先ツイッター監督販売サイト前も番組説明文に記載しておりますと。
はいそれでは映画の話し出すぎるラジオ第102回デミアンチャゼル作品会の話を終わりたいと思います。
大石さんありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
2週連続で。
また何かあったらお送りさせてください。
ぜひぜひ何か機会があれば。
はいまたよろしくお願いします。
はいそれではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
01:05:58

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