今日のテーマトークは、デイミアン・チャゼル監督作品について話したいと思います。
まず、どういう経緯でこの作品テーマになったんですかね?
次どうしようかなっていうのを話し合ってたんですけど、
収録が終わって、前回の収録が終わった後に話してたんですけど、
ちょっとなんかあまりちょっと作品単体でこう上げるのなんかちょっと、なかなか難しいかなっていう、時間とかの関係でとかで会った時に、
ちょうど、バビロンが公開されますけど、今度新作のデイミアン・チャゼルの。
それはやりたいよねって話になってた時に、ちょうど、今一部の映画館でセッションとラ・ラ・ランドの最上映画やってるんですよね。
ちょうど前田さんがデイミアン・チャゼルの映画見たことないという話になって、
で、ちょうど映画館でもやってるし、じゃあそれ見て話しましょうよみたいな感じになったので、
バビロンに向けてとしてもまあいいかなと思ったので、じゃあこれで行きましょうっていう風に決めたんですけど、
肝心の前田さんは今回ちょっとお休みなんですけどね。
そうなんですよね。
なんか新海誠の時とデジャブが。
そうですね。
あの時も前田さんが初見って言うのでテーマに選んだら前田さんいなかったですからね。
そうそうそう、そんな感じですけど。
そういう経緯で今回デイミアン・チャゼルでやろうよっていう風になりました。
なるほど、まあちょっと本来メインになるはずの前田さんは置いといて、3人で話ししていけたらと思うんですけど、
じゃあ順番にデイミアン・チャゼル監督作品に関する印象みたいなのを触りに触れときましょうか。
はい、マリオさんデイミアン・チャゼル作品ってどういう風にご覧になってます?
まあそうですね、一応監督作は全部見てますけど、あのセッション以降は見てますし、
あと脚本だけ担当してるやつとかもあって、グランドピアの狙われた国権ってやつとか、
あとテンクローバーフィールドレーンとかも脚本実際やってたりとかしてるので、まあそういうのも一応見てたんで。
でまあ今回に合わせてちょっと見返したいなと思って、セッションとララランドとファーストマンと、
あとグランドピアのはちょっと見直して今日来たんですけど、僕はもうめちゃくちゃデイミアン・チャゼル大好きなんですけど、
これはハリウッドで最も深海誠に近い男だと思っていますけど、個人的には。
そう見るんですね、なるほど。
いやもうなんというか、なんか話したことあるのかな、たぶん。
ものすごいロマンチストで、ものすごいエゴたっぷりやなみたいなところ。
あと本当になんか、なんというか、描いてる視野が極端に狭くて、
ものすごい何かの脅迫観念に囚われているあたりの、なんかこのこじれ感が大変好きっていうのがありますかね。
僕としてはそんな感じですかね。
はい、大石さんいかがですか。
えっとそうですね、僕もデイミアン・チャゼル監督の作品はセッション、ララランド、ファーストマンの3作品を劇場で、
最後のことですよね、最後の。
なるほどなるほど、確かに確かに。
そこでマインズ・テラーに恥かかしたら、一番恥かいてるのはお前やからなぁみたいなことをするじゃないですか。
多分あそこが一番飲み込みづらいとこだと思うんですよ。おかしいじゃんってなると思うんですけど、いやおかしい人の話やからっていう。
人を貶めることが目的化してるけど、結果的にお前も落ちてますけどみたいなことをする人っているじゃないですか。
なんかそこって僕あんまり不自然に思わなくて、ああまあするよなって。
で、人間ってそういうことをするし、だからお前そこどまりなんやぞとも思うんですよ。
そうですね、本当に。
あそこが確かに一番、いやそれお前のキャリアもぶち壊しですけどみたいな感じになるし、
あと本当にやっぱ音楽ってこういうことじゃないからっていうのは改めて思ったというか、
本当に観客の存在感がマジで気迫じゃないですか、セッションって本当に。
びっくりするぐらいなんかロクに移らない。
そういうとこからしてもやっぱ音楽とは違う、音楽に対する何かではないなっていう感じはしちゃうよねっていうのは改めて思って、
それでも僕は音楽映画の中でベスト入れてますけど、
それはなんか自分もやっぱ音楽、吹奏楽部やってた時にああいうそういう応酬があったわけじゃないけど、
めちゃくちゃなんかいっぱい練習して、僕も楽器でしたけど指にちょっと豆ができるぐらいまで練習したりとかっていうことをして、
頑張った思い出とかあるのでやっぱそこで繋がってる部分っていうのがあるので、
どうしても音楽映画で僕はセッション入れますけど、
やっぱ本当に違う、音楽映画では確かにないんだろうなっていう気はちょっとしてますね最近。
僕は一応音楽映画かなと思って、
やっぱり音楽には人を操作させる側面があるからっていうことかなと思って、
突き詰めると音楽映画というよりはもう道映画だと思うんですよ。
俺たちはこの道を歩み始めたから歩いていくぜみたいな、
いやそれもうそれ自体が目的化してますよねみたいな感じあると思うんですけど、
でもそれないと無理じゃね?ともちょっと思ってて、
だからその成功が目的って言われた時に、
でも成功できる人って人握りじゃないですかってなった時に、
やっぱり道化しないとその道を歩けないってことあると思うんですよ。
さっきのお客さんほったらかししてますよねみたいな、
オーディエンス無視してますよねとか、
お前らだけの世界行ってますよねとかってあると思うんですけど、
彼らは本質的にはオーディエンスに響かせられきれてはないというか、
あの瞬間は究極の演奏できたかもしれないけど、
多分あの瞬間で彼らの名前はもう消えるんですよね。
後世には残せないんですよ。あんなことをしてたら。
でも多分みんなそうかなと思って、
後世に残せるみんなに喜んでもらえるものになれなくても
これをやるってなったらもう道化するしかないと思うんですよね。
でもその何かをやるって道化する側面ってあると思うんですよ。
さっき言ってた巨人の星も野球という未知映画なんですよ。
他にも多分そういう話ってあるし、
もうそれ自罰することが目的化してますよねみたいな話って
結構漫画でもよくあるし映画でもあると思うんですけど、
それって例えば仕事でも現実の仕事でもあると思うんですよね。
もうビジネスというかあなたそのしんどいことすること自体を目的にしてますよねみたいなのってあると思うんですけど、
でもそうじゃないとこれ以上自分は大きい何かを残せないから道にするしかないみたいなのって
僕は理解できると思って、
むしろ自分もちょっとそうかなと思って、
自分はそんなに大したものにならないから、
でも俺はこの道歩くよって自分に言い聞かせないと足を止めてしまうから
とりあえず歩くしかないみたいなことにしたいみたいなのちょっと心当たりがあって、
それの一つとして音楽が選ばれている話かなって思うんですよね。
そこがやっぱり刺さっちゃうというか、
だってそんなみんなが正しいことを選べたら全員成功するじゃんって思っちゃうし、
全員が成功できないんだったら成功者以外は道しか残されてないよねっていう風には見ちゃうかなっていう風に僕は思ってます。
なんかその道って話でまさに自分の大学との関係繋がったなって思ったんですけど、
学問分野もまさに道なんですよね。
その分野ごとに分かれて、場合によっては教授が立ち上げた分野だったりもするんですけど、
結局その道の礎に自分がなりたいってなって結局その教授のもとについたりすることって結構大学院生だとある話だなと思ってて、
なのでなんかまさに自分のその道を決めるというか、
もう正しいかどうかは別として、ある種の正しさはあるんだけどでも間違いもあって、
でもその間違いにある程度目をつぶりながら教授と同じ方向にベクトルを進めざるを得ないところっていうのは、
まさに仕事でもそうだし、学問でもそうだなってすごい思いながら聞いてました。
あと前回のイニシャリン島の話もつながるかなと思って。
あれも音楽は永遠って言ってたじゃないですか。
でもあんな田舎でパブで演奏してるだけのやつの音楽が、
そういうエヴァグリーンなものになることはありえないと思うんですよ。
じゃあ彼が縋ってるものって何かっていうと、音楽は道であって、
そこを自分に厳しく歩いた俺は音楽が持ってる永遠性の欠片をもらえると思うからやるっていう感じだと思うんですよ。
そこを履き違えたから指を切り落としたみたいな感じもあると思うんですけど、
人間、道にしがち問題っていう。
なるほど。
何か一つのものに道を突き進むって、やっぱりそれって幅広い中から一本だけ選ぶっていう狭い道を選ばなきゃいけないわけですけど誰もが。
そこに向かうときの、そこにいろいろな言葉に出るのは難しいな。
またそれがその道を行った先に叶うかどうかが分からないものとしての、やっぱり芸術とか音楽っていうのはそれが顕著に出やすいなっていうスポーツとか、
なんか才能みたいなのとか関わってきそうなやつはやっぱりそういうのに物語としてその道を歩むみたいなところがめちゃくちゃ多くの凡人たちにも刺さってしまうみたいな。
過度にある意味理想化されているものみたいな形でそれが描かれることで。
何かそういうのはあるかなっていうのがあって。
で、あとやっぱりその道を歩んでいることに酔ってしまう自分もあるわけですよね。
なんかそういうのが、それはどちらかというとララランドの方が顕著なのかなって気はするんですけど。
どれもあるけど。
そうですね。
そういったのも含めて、やっぱりその何か下向きに成功するかわからないものに対するエールみたいなのは、やっぱり多分デイミア・チャザルという、
自分の挫折を味わって今映画の道に進んでいるけどっていう人がやっぱり描くっていうのはすごく大きいというか、
その監督自身の人生が反映されているなっていうのはすごく思いますね。
ちょっと今ララランドに触れたので、このままララランド入っていこうかなってちょっと思うんですけど、
マリオンさん的にララランドってもうちょっと深く出会えますか?
そうですね。
まず何て言うんですかね。
あの終わり方はどう考えても秒速5センチメートルとほぼ一緒ですよねっていうところがあるんですけど。
あれはどう考えても一緒ですよね。
なるほど。
わかりますよ。
最後、あり得たかもしれないイフの世界を見るっていう。
秒速5は過去、あれもイフは入っているか。
イフというか知らないところも入ってますけど、確かにね。
もうあれもう山崎前総裁が描いてても一緒でしょあんなものみたいな感じの描き方しているところが、
ここであ、深海誠とめっちゃ親和性強いなというふうに思ったんですけど。
でまぁだし、あと何というのかな。
これもさっきも言いましたけど、夢追い人に対する厚いエールというか、
間違っててもいいから行くみたいなところに猛伝も含めて入っているっていうのを、
綺麗にそれは恋と一緒に描かれるっていうのがまあまあまあらしいなという感じがするというか。
そこに自分の映画愛とかも入っているわけですよね。ミュージカルとか。
確かデビュー作も確かなんか白黒でミュージカル映画だったらしいので、
確か長編デビュー作も。なんかそういったところからもなんか自分らしさが滲み出てて、
確かになんかこう本当になんか作家性込みで、もう俺映画って感じがするところもなんかすごいなんかエゴイスティックで、
でもすごいロマンチストで、またほろ苦いラストまで持ってきてっていうあたりで、
なんかすごいなって思っちゃうっていう感じはめちゃくちゃそこであって。
やっぱチャジル好きやなっていうふうになるところですかね個人的に。
大井さんいかがですか?
さっき命を救われたとまで言ったんですけど、ちょうどだから今週日曜日再上映されている関係で、
ナンバーパークズシネマにちょっとまあ当時は21歳で初めて見たんですけど、
27歳の自分が見てどう思うのかなと思って見に行ってきたんですよ。
で、当時は本当にだから劇場で見た時にもうオープニング冒頭からそのミヤが歌うところまでえひんと泣いてたんですけど、
なぜ泣いているのか、これがなぜ伝わってるのか本当に自分の中でわかんなくて、
まだ映画の感想とかこんな喋ったりツイートしたりっていう自分ではなかったから、
なんかなぜ自分がこんなにこの映画に惹かれちゃってるんだろうっていうのがわかんなかったんですよ。
ただ今になって改めて見てみると、
当時の自分がその夢っていう熱病に浮かされた状態で、
その幼稚なその叫びみたいなものが彼らのセリフの中にあったことが多分僕にとってすごく大事なことだったんだろうなと思って。
今になってみると彼らめちゃくちゃやっぱ幼稚なんですよ。
なんか夢見てるからってお前そんなこと許されると思うんだよってことばっかしてるんですよ彼ら。
冷静になって見てみると。
そうですね、それはありましたね。
ただなんか本当に彼ら幼稚だし、自分のことをなぜ世界が認めてくれないかって永遠の叫び続けてるんですけど、
本当におぎゃおぎゃと泣いてるような状態なんですけど、
多分当時の自分って気づかないうちにこうなってたなと思って。
割とちっちゃい頃から科学者になりたいみたいな夢を持ってて、
それで大学に入って、研究室に入ってからそこを挫折するっていう経験をしてるんですけど、
多分まさにその時の挫折のきっかけっていうのは、セブとかミヤみたいな態度を取ってたからなんだなって今見て改めて気づいて。
だからそこが自分とってはこの映画のなんか刺さるところだし、
要はエヴェン・オイビダの愚かしさみたいなのもしっかりこの映画描いてるんですよね、改めて見てみると。
でもその上で、とはいえ今自分がここにいることはその熱病、夢という熱病に浮かされてたからこそここにいるわけで、
それ自体は許してあげたいっていう気持ちはこの映画の最後になると出てくるところで、
なんかその感覚はすごく今の自分の方がわかるなと思ったんですね。
なのでなんていうか、自分は本当に20代の前半は夢という熱病に浮かされてた20代前半までを過ごしてきたからこそ、
この映画は自分の映画だなって思って見てるっていうところがあります。
そうそうそう。
まさに自分見てるから自己愛に惹かれてお互いが好きになるわけじゃないですか、あれって、あの二人って。
だからどちらか夢を叶えないってことは、それって多分もう好きじゃなくなるってことだと思うんですよ、相手のこと。
で、だからあのifルートは本当に幸せかって思って。
なるほど。
まあだから本当にあれがifで良かったねっていう話には結構なると思うんですよ、僕もあれを見て。
お互い夢を叶えた、それが良かったっていう。
っていうのがやっぱビターだね、ビターエンドだねぐらいな感じというか。
なんか結構前とかにララランドはハッピーエンドかバッドエンドかみたいな盛り上がりをしてたのをなんか目撃したことがあって、
Twitterでいや、え?みたいな感じがちょっとするというか。
そういうニュアンスの話してないみたいな。
すっごい思ったことがある。
わかりますわかります。
そういうもので分けないで欲しいなみたいなっていうのが。
過激派やなあ。
なんか盛り上がったのがだいぶ前にあったなって思って、絶対そこに入らないぞ俺はって思った思いがあるんですけど。
結局そうですよね。
同じ夢追い人だったというか、ある意味同じ夢を見ていた人たち2人っていう話ですけど。
ララランドではすれ違うというか別れることになるけど、セッションはある意味結ばれるっていうことになるわけですけど。
それがしかもセッションってよりによって本当に怨念こもっている映画でそれをやるっていうあたりが、やっぱこじれてるっていう部分なんだなっていう風になりますよね。
そうですね。セッションって盲集の話だし、ファーストマンって盲信の話だと思うんですよ。
偏ってますっていう話だと思うんですけど、ラランドってその偏りがあんまり見えないというかカジュアルなものになってるというか、
この方よりは若さによるものです程度の感じに見えるようになっているとこがすごい意地悪だなって思ってて。
僕が一番苦手なシーンが、一番初めの仕事2人あんまり熱心じゃないんですよね。
コーヒーショップで働いているところとか、本当に馬声のバーで弾いている。
あくまでも雇われピアニストとして弾いているときやる気ないんですよ。
僕、ああいう話すっごい苦手で、本当にやりたいことをできてなくてやりたくないことをしているっていうときに、
フテクされている人の話ってすごい苦手なんですよ。
自分の居場所はここじゃないぞって思っているのを表に出すのってめちゃくちゃ苦手で、
成功する人って今自分がいる場所を自分の色に染めるんですよ。
そうなんですよ。
そのバイタリティを表現しないというか、そういう人じゃない人たちの成功の話って、
さっきも用語として出てた、やっぱり幼稚な話だなって思っちゃうところがあって、
彼らの偏りがカジュアルなものになっているからこそ、狂気ではなくやっぱり幼稚さとして見えちゃうところがあって、
その作品タイトルもやっぱりララランドじゃないですか。
そうなんですよ。
浮かれた土地なんですよね。
浮かれた土地ロサンゼルスの話だから、結構怖いなって思っちゃうんですよ。
なんか彼らは成功したけど、同じような人たちのクブクリンは成功してないですよみたいな、
すごい毒含みだなって思っちゃうんですよ。
そうですね。
いっそセッションみたいに道化してたら、彼らが成功してよがしてまいが、道を歩いてるからそこには人生があるんですけど、
カジュアルな段階だからこそ成功するかしないかになっちゃうなっていう。
成功しなかったら惨めになってしまう。
でも作品内では成功してますっていう、結構見てる側を白標の上に立たせる映画だなっていう。
ちょっと僕さっきから意地悪なことばっか言ってしまってると思うんですけど、
だからこそある意味一番エクストリームだなと思うんですよね。
チャゼル作品の中で。
頭がおかしい人たちの話とかじゃなくて、若さの範囲でこの偏りを描くからこそ一番エッジが尖ってるというか、
飲み込んでから喉に刺さる感じがするんですよね。
だからララランドの二人とかをちょっと見てると、結構花束みたいな恋をしたの二人とかも結構思い出すんですよね。
そうなんです。
なるほど、確かに。
すごい似てるでしょ。
めちゃくちゃ似てます。
めちゃくちゃ似てるんですよね。
花束みたいな恋をしたら本当に普通に染まっていきますけど、あの場合はね。
ララランドは本当にそれがおとぎ話のように上手くいっちゃうっていうところ。
なんかそこにやっぱなんか、確かにさっき山口さんが言ったように白標の上に立たされるというか、
なんかこれよく思うとちょっとすごいよねみたいな話になるっていうのは、
それやっぱやりきっちゃいわたりがチャゼルすごいなって思うなっていう。
なんでもすごいなってなっちゃうんですけど、好きだから。
だからララランドの中で唯一その自己言及的なシーンがあるとすれば、
ミヤが面接のシーンで歌うじゃないですか。
あそこだけが唯一自己言及的だなって思っていて。
確かにね。
歌の歌詞の中で、愚かしい夢追い人に微笑みよっていう風に叫ぶんですよ。
私たちはどう考えたって幼稚だし、愚かしいってことは分かってます。
そんなことは分かった上で、そんな私たちでも許してください。
それに支えられて生きているんですっていうのを切実に歌うシーンがあって。
なんかそこだけが多分、もちろん酔ってはいるんですよ。
あくまでめちゃくちゃ自分に酔ってるんですけど、
でも愚かしさは分かってますってそこだけミヤが言ったところが、
今になってみると唯一の自己言及的なシーンなんだろうなって。
自覚はあるっていう。
そうなんですよ。ならもっと真面目に働けようと思いましたけど。
まあでもそれがやっぱ若さですよねっていうところ。
なんですよね多分。
本当に今の話聞いて、あれ天気の効果とかちょっと思っちゃいましたけど今一瞬ね。
あれ一緒じゃねっていう感じになっちゃうんですけど。
なるほどね。確かにあそこ急にドライブかかるというか、
温度感違うシーンでしたよね確かに。
なるほど。
あとさっき聞いてて、ミヤのイフの中でセブは成功してないっておっしゃってたじゃないですか。
アンダー・ザ・シルバー・レイクやんけと。
アンダー・ザ・シルバー・レイクというか、エマストーンと、
パッと名前出なかった。
ダイアン・ゴズリングですか?
じゃなくてアメイジングスパイダーマンのアンドリュー・ガーフィルド。
エマストーンとアンドリュー・ガーフィルドであり、ララランドとアンダー・ザ・シルバー・レイクじゃないですか。
確かに。
アンダー・ザ・シルバー・レイクの中で元カノは成功して、
看板とかに描かれてて、俺はいつまで経ってもうだつの上がらないプータローダーみたいなの。
もう本当裏返しやなと思って、あらゆる意味で。
同じ土地の話ですもんね、しかも。
いやだって、アンダー・ザ・シルバー・レイクの日本版の横切ってこれはなんかダーク版ララランドだみたいな。
どっかの媒体のなんかこうね、あるじゃないですか。
媒体がこんなの言ってたみたいなの出るじゃないですか。
そんなの書いてましたもんね。
表裏一体というかって感じ、ほんとスルーで。
だから本当にそのイフルートのその後みたいな感じですよね。
そうですね。
またアンダー・ザ・シルバー・レイクとララランドを見比べてて、
当然僕はアンダー・ザ・シルバー・レイクの方が好きなんですけど、
世界はお前を甘やかさないぞっていうことだなと思ってて。
で、アンダー・ザ・シルバー・レイクにおいて、
主人公を世界が甘やかしてくるのは幻想なんですよ。
というかね、頭がおかしくなってるからなんですよね。
あれって。
あれははい、あれはそうですね。
僕の価値観がそうだからっていう、世界はお前を甘やかさないぞっていうのがあるから、
やっぱちょっとララランドは違うかなっていうのはあるんですけど、
でもよくよく見るとララランドが一番エグいなっていうふうには見えちゃうかなっていうふうには思ってますかね。
なんかね、甘美だからこそ、その甘美なもののベールの奥にあるものが怖いねっていうことですよね。
セットで見なきゃいけないやつにララランドとアンダー・ザ・シルバー・レイクは。
セットですよこれは。
僕はね、どっちもその年のベスト10とかに入れたことありますけどね。
アンダー・ザ・シルバー・レイクもララランドもその年のベスト10入れてますけど。
そこがまた特殊ですよね。
僕、その2つは両立しないですもん。
僕の中で。
どっちかしか選べないもん、その件。
どっちも信じたいんですよね。
どっちも信じてるというか、どっちも真理だなって思っちゃうんですよね、僕はね。
うん、なるほど。
欲張りという感とかあるんですけど。
二律背反な。
どっちも信じたいし、どっちも信じたくないしみたいなところがあるかなっていう。
めんどくさいですね。
じゃあ、ファーストマンちょっと行きましょうか。
はい。
マリオンさん、ファーストマンどうですか?
そうですね、なんかあんまりデイビアン・チャゼルを語るときにファーストマンってあんまり出ないですよね。
やっぱりどうしても彼のジャズのところ部分とかだと、紐づいた映画。
バビロンも含めてですけど、今度の。
とかが語られるイメージがあると思うんですけど。
でもちゃんとこれも、この人らしい映画だなーみたいなふうに思うなーっていうのはちょっとあるというか。
やっぱりちゃんと視野も狭いし。
あとなんかこう、喪失が大きなテーマですけど、
娘さんの喪失ですよね。
同じ同志たち、仲間が事故で死んだりとかってのもありますけど。
奥さんとニール、ニール・アームストロングかニールですよね。
の関係で言うんだったら、娘さんの死があって。
娘さんの死の向き合い方がやっぱり二人とも決定的に違うっていうところがあって、
そっからすれ違っていくっていうところがあって。
でも最終的にはなんか、ようやく理解し合えるみたいなところ。
喪失を。ようやく何もない月面という、本当に黒という、
あの世界でようやく彼は一人で泣くことができるみたいなあたりの、
こじれてるなーみたいな感じというか。
理解最後しあえたねって感じするところも、ガラス越しだったりするわけじゃないですか。
そうですよー。
パリ・テキサスみたいなことをやってるわけじゃないですか。しゃべらないけど。
ってことをやってるあたりからしても、
本当にこの人は、僕ドンピシャすぎるなっていうふうに思っちゃうんですよね。やっぱり。
私もなんかこう、宇宙に行く話が好き。
これこじつけですけど、星の声とかあったしなーみたいなね。
深海マフトでこじつけるんだったら。
ロマンチストはやっぱ宇宙に何かを求めるところがあるんじゃないかなっていうのは思うというか、
ロマンチストという意味ではクリストファー・ノーランも一緒だなと思ってるので、
やっぱりインターステラーという作品を作ってくるわけで、
やっぱりロマンチストと宇宙っていうところに何か大きなものがあるよねっていうのは、
3つ並べたくなるなっていうのはありますかね。
オイさんいかがですか?
ララランドに命を救われたって言ったんですけど、
実は現時点で、映画的に一番好きな映画っていうのはファーストマンなんですよ。
で、なんでかっていうのはすごい難しいんですけど、
理由を敷いてあげるとしたら、多分共感できない人を主人公に置いた映画だなと思って。
観客というか見てる側に、その人のことわかんないでしょって前提で描かれてるなと思って。
なかなか日常生活において、この人感情わかんないなとかって人多分近寄りづらいと思うんですよ、普通。
で、なかなかそういう人が何考えてるんだろうみたいなことに思いを馳せることって当時は全然なかったので、
このファーストマンで、割と近くにそういう人がいて、
もしかしたら、もちろんそこまでではないにしても、何かその人なりの葛藤があったりするのかなっていうことを、
この映画で初めて自分ごと化できたというか、そんな感じがしていて。
で、やっぱりそのファーストマン特に好きなシーンはやっぱりラストシーンで、
まさにファーストマンで描かれているニール・アームストロングさんは本当に言葉が足りないんですよね、全体的に。
全てにおいて表情も言葉もほとんど足りないんだけど、
言葉で分かり合うんじゃなくて、表情だけで分かり合うというか、
表情だけで少し私とあなた違ったのねってことをようやく妻と分かり合えたシーンみたいなものに、
ずっと本当に抑制された2時間近くの映画の中で最後にそれが来るので、
そこがもうグッサグサ刺さってしまって、
映画として大好きっていうのが実はファーストマンです。
なるほど。
僕はですね、正直映画としてはそこまで面白いとは思わなかったんですけど、
テーマとしてはすごい好きだなとは思ってます。
見た時に感じた印象が、
この人自覚的にこういう話作ってたんやなっていうのをファーストマンを見て気づいたっていう。
盲集を描くっていうところで、
ファーストマンが一番盲集がきつい話だなと思うんですよ。
自己完結しちゃってる。他者を求めてないところっていう。
やっぱりセッションは指定っていう関係性だけはあるし、
ララランドも恋人同士っていう関係性だけはあるんですよね、あの世界に。
でもファーストマンはもうないんですよ、関係性が。
全部自分の中の物語で完結してて、それをなぞっていく、追い求める。
その過程の中で、例えば家族とか同僚との絆っていうものは描かれるんですけど、
その絆が心の内側にあんまり入ってきてないような感じがするというか、
あくまで外部なんですよね、絆が。内側に入り込んできてない。
内側にあるものはもう完全に完結していて、
それを目的に行動しているっていうことをやりきってて、
セッションもララランドも分かってああいうことしてたんやなっていうふうに思って。
それを突き詰めてるからこそ、すごい自己言及的な作品だなって思って見てました、ファーストマンは。
っていう感じですかね。
確かに、あの劇中での、実際のニール・アームストロングがどういう人なのか分かりませんけど、
電気映画って手ですけど本当かって感じがしてくるというか、
実際どういう人なのか分からないんですけど。
ただ、割と電気を読む限りは本当にそういう人だったらしい。
もちろんエピソードがあそこまで猛進的なキャラとかは別ですけど、
本当に動じないというか、感情をもて出さないタイプの人だったっていうのが記録に残っていて、
だからこそ船長に選ばれるんですけど。
その冷静沈着、どういうところにも動じないみたいなところがってことですよね。
それがなんかこう、冷静沈着とかいうのは特性としてはいいと思うんですけど、
それがもう完全に人との交流が自分の本音からは完全に確実してるみたいな描き方というか、
もうなんか本当に星の声と重ねますけど、
本当に別れていくことに対して、
僕は心を強く固くして生きていかなければならないんだみたいなことをモノローグで言いますけど、
それにちょっと近いというか、感じてしまうというか、
誰も僕の悲しみをわかるわけがないだろうみたいな感じっていうのがずっとあるというか。
その意味では僕、ファーストマンが一番秒速5センチメートルに近いような気がしますかね。
その意味では。
もう他の人の声届かなくなってますよね、あなたっていう。
アームストロング船長が唯一つながりを感じているものは、
亡くした娘なわけじゃないですか。
もう取り憑かれすぎですよね、本当に。
なんなら月に行くってことは彼自身のある意味、
黄泉の国に娘を探しに行くようなものですもんね、あの描き方だと。
そうそうそう、もう完全にそういう感じなんですよね、あれ。
月は本当に黄泉の国みたいな描き方してますもんね、本当に。
そうですね。
あそこまで孤独というか、もはや孤立みたいな状況まで行っている人の話として、
なんでよく2時間も描けたなっていうのがまずある。
もっとエモーションじゃないと結構映画として見るのってきついと思うんですよ。
しかも劇映画でこれだけブロックバスターで描くんだったら相当きついだろうに、
それを盲集という1個のタームでやってのけるのがやっぱデミア・チャゼルなんだなって思って。
今回ファーストマンだけ脚本が別で、ある意味職業監督的にデミア・チャゼルが初めて撮った作品がファーストマンだと思うんですけど、
この企画が彼に振られた理由がめちゃくちゃわかるというか。
またちょっと個人的なところから外れた感じの話になっているところが、前作2作に比べて味かなって気もしてて。
やっぱ前作2作は有名お役人の話として捉えられるけど、ファーストマンはやっぱもうちょっと超人になってしまってるというか。
詩述っていうところで、そういう預け方をしにくいというか、実際の人物にあんまり自分を預けれないっていうのもある気もするし、
揺らぎみたいなものがないじゃないですか。
自分がやってることって正しいのかなとかっていうそういう揺らぎがなく、完全に完成している存在になってるから、
ちょっとそういう内側から出てきたものというよりも、
頭の中で描いた完全に孤立したパーソナリティっていうものを描いた話になっているような感じがして、
やっぱちょっとなんか経路の違いを感じるんですよね。
なんかそこがちょっと面白いとこだなとは思いつつ。
そうですね。ちょっと本当に経路は違うけど、でもこの人らしい映画だなってやっぱなるってあたりがやっぱなんか、
まだだってすごい若い人ですよね、レイミアさんとして年齢的にも。
うん、若いです。
こんなにもなんか作家性バキバキな人みたいな感じっていうのはなんかすごいなというか、
別に同世代じゃないですけど、同時代的に追いかけてるという意味では、すごくやっぱ大好きにならざるを得ない監督なんですよね、そういう意味では。
あとちょっとさっきも触れたんですけど、シャマランとの違いみたいなところをマリオンさんの話も聞いてみたくって、
やっぱシャマランは人と違うことを恐れてないじゃないですか。
そうですね。
むしろ、だがそれがいいみたいな感じじゃないですか。だからこそ価値があるみたいな感じだけど、
チャンネル監督はちょっとそこは疑ってるとこがあるというか、
マイノリティだから価値があるとか別にそこ才能とあんま関係ないよって分かってるような気がして、彼は。
まあまあまあまあ、確かにシャマランは全てがナチュラルすぎるんですよ。
ナチュラルに全てをこなす人なので、ナチュラルにそれやっちゃうんだみたいなところがあるので、
あれは確かに誰も真似できないんですけど、
なんかね、ノープがたとえどんなに変な映画でも、ノープはシャマランっぽくはないよなみたいなところがあったりすると同じように、
っていうのはあるんですけど、あそこまでロマンチストという意味では強すぎるんですよね、どっちも僕の中では。
ロマンチストの方向性としては違うと思うんですけど、
その強固なロマンチスト性を絶対に排除してこないあたりが、僕の中で一緒に並べたくなる理由なんですよね、僕の中ではやっぱり。
それがやっぱりすごくロマンチストゆえのエゴさ、もう絶対曲げないよねみたいなところ。
それが意図的であれ、無自覚であれですけど、やっぱりやれる人っていうのは、僕はこの二人を並べるし、
新海誠を僕はそこに並べてるし、近いという意味では本当にチャゼルと新海誠っていうのは僕はすごい似てる人だと思っちゃうし。
なるほどね。
だから、それで言うと、さっき山口さんはレイミアン・チャゼルのことを再起走ってる感じが苦手みたいなことを言ってたと思うんですけど、
僕逆にそれ、そんなめっちゃ嫌だとか苦手だって言ってるわけじゃないというか、思ってるわけじゃないんですけど、
この三人は一緒に並べるのにノーランを僕そこに並べたくないんですよ、なぜか。
なんかあいつだけカッコつけてるなみたいな感じがしちゃうんですよ。
似たような理由というか。
僕の中ではノーランとチャゼルは同じくらいカッコつけてると思ってるんですけど。
多分そういうふうに山口さん見えてるんだろうなと思うんですけど。
一番カッコつけてないのがシャマランで、そこが一番可愛いし、ある意味一番怖いんですよね。
そうですね。
そうですね、確かに。
本当に本気でやってきてそれ出してくるんだみたいなのが、誰もそんな考えても出せないよみたいなことをやってくれるので。
そういう意味では本当にすごいし、確かになんかカッコつけてるんだけど、なんだろうな。
カッコつけてるんだけど、やっぱりそこでデミアン・チャゼルの場合は、やっぱり深海誠とのシンクロニシティを僕は感じてるのでやっぱり一緒に重ねてるっていうのがあって、
なるほど。
それで言うと、インターステラーと星の声がシンクロニシティあるじゃないかって言われるとそうなんですけど、なんかね、カッコつけてるなみたいになるんですよね。
意識してでもいいから、もっとロマンチックにというか、恥ずかしくないのかぐらいのやってくれよっていうのがあんまノーランからは感じないというか、カッコよさベースだなっていう感じが僕の中ではちょっと印象論ですけどね。
なんか並べたくない。
わかりますよ。ロマンはあるけどロマンチックじゃないって感じで感じてます。ノーラン作品は。
そうですね、確かに。ロマンはあるけどロマンチックじゃない。すごいまとえてると思う。
なんかちょっとだけ作為性があるって感じですよね。ちょっとというか割と作為性強めかな。
なんかノーランのロマンはやっぱなんか象徴とかカッコよさに結びついていくので、なんかどうしてもなんかシンボリックなもの。正義とはとかになるので、なんかねちょっとね、カッコいいし好きなんですけど。
けどなんか僕はこの3人の中では並べないなっていう風になっちゃうんですけどね、それはね。
さっきのマリオンさんの話を聞いてちょっとそれこそ思ったのが、その新海誠監督との類似性って意味ではそのお互い、チャゼルも新海誠監督もそのある程度なんていうかロマンチストでありながら、
なるほど。
結局意地悪な話するよなっていうのは思うんですよね。
やっぱり結局乗し上がろうとする人たちが出てくるわけですけど、今回も。
それも言っちゃ夢追い人ですよねっていうところから。
っぽさはあるんだけど、ただあの時代の狂乱の時代でそれを描いていくことで、ものすごいどすぐろいことになりそうな気はするというか、
やばいことになるんじゃないかなっていう気がしてて、どうなっちゃうんでしょうね。
これを3時間耐えられるのかっていうところも含めて、ちょっと期待してますね。
チャンネル作品ってある意味、ラストまでの前振りというか、すべてが振りってところあるんで、
ラストに何持ってくるんだろうっていうのがやっぱり一番楽しみではあるっていうのが本音かもしれないですね。
最後のニュアンスがね、どういう複雑なものを持ってくるかっていうところですかね。
そう。なので3時間の前振りかって思って見に行きます。
あとちょっと最近あんまり見てないなというのが、レイミアンチャンネルって結構サイコスリラー描写が結構えぐい人だなって思うんですけど、
セッションの追い詰められ方とかってもう一種のサイコスリラーみたいなもんじゃないですか。
ブラックスワンとか思い出してもああいうのとか、パーフェクトブルーとかと近いような、
ああいう精神的にヒリヒリ狂うタイプのやつとかが最近ないな、あんまり見られないかなっていうのがちょっとあって、
なんかバビロンという訳のわからない狂乱の世界で、やろうと思えば入れられるんじゃね?みたいなところはちょっとあるというか、
ちょっと神経質でサイコスリラー、サイコロジカルなところが入ってきてもおかしくないような気はちょっとしてるというか、
結構ずっとサイコロジカルな描写好きなんですよね。
最初にちょっと言ったんですけど、脚本作品で手掛けてたグランドピアノとか、
あとテンクローバーフィールドレイもある意味サイコロジカルし、そういったのって結構手掛けてるので、
またそういうのが入ってくるとまた面白いのかもしれないですよね。
確かに単にそういう狂乱描写だけされてもウルフォーウォールストレート超えられるのかな?みたいな感じでも見ちゃうかもしれないし。
確かにそうですね。ウルフォーウォールストレートとかあるからな。
狂乱っぷりではあの映画ってちょっと究極系な気がしてて、
やっぱり世界は狂乱してるけど俺の肝心の内面はさみたいな話、見たいとこありますよね。
チャンネルやったらっていう。
そんな感じでじゃあバビロン楽しみですねっていう感じで終わっときましょうか。