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2024-11-13 1:01:28

第188回(2)『グラディエーター』英雄の器に注がれるのは誰の物語か

『グラディエーター』の話をしました。

本作の高い完成度にふれつつ、敵・コモドゥスのイヤ~な感じや、主人公・マキシマスの主体性のなさが何に由来しているかなどについて話しています。

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00:00
今日のテーマトークは、グラディエーターです。
はい、ではマリオさん、解説お願いできますか。
はい、映画.comより解説読ませていただきます。
ブレードランナーの巨匠リドリー・スコットが、古代ローマを舞台に復讐に燃える剣刀士の壮絶な戦いを描き、第73回アカデミー賞で作品賞、主演団優勝など五分音に輝いた歴史スペクタク。
古代ローマの皇帝アウデリウスは、信頼を寄せる将軍マキシマスに、次期皇帝の座を譲ろうと考えていた。
それを知った野心家の王子コモドゥスは、父を殺して王座を奪い、マキシマスに死刑を宣告。
マキシマスは故郷へ逃れるが、コモドゥスの手下に妻子を殺されてしまう。
絶望の中奴隷に見ようとしたマキシマスは、やがて剣刀士として名を挙げ、道義上で死闘を繰り返しながらコモドゥスへの復讐の機会を狙う。
主人公マキシマスをラッセル・クロウ、宿敵コモドゥスをフォアキン・フェニックスがそれぞれ演じた。
マリオさんの感想はいかがでしたでしょうか?
そうですね、まずリバイバルの時、映画館で見に行けばよかったなってめっちゃ思いました。
えー、本当にね。
パソコンを家で見たんですけど、家で見ててもめちゃくちゃこんな迫力あって、壮大な音楽がガンガン鳴ってて、
空映画館の音響で見たかったなってめちゃくちゃ思いました。
それぐらいの圧倒的スケールというか、スペクタクルが展開されてて、
それは勇ましい英雄の物語と言いますか、胸を打つ物語もそこに展開されてて、すごく見てて面白かったです。
さすがというか、リドリー・スコットのこの、確かリドリー・スコットのその合戦っていうね、
最後の決闘裁判の冒頭みたいな感じの学校がグラディエーターもついてましたけど、いやすごいなってやっぱ思いましたね。
一方でちょっと、なんというか、ただ英雄の話的なところじゃないところも結構色々目が行くなっては思って、
特にコモドゥスですか、ボアキン・フェニックス演じるコモドゥスのなんというか、いやーお前なーっていうところとか、
父親の肯定ですよね、お前なーって感じのとか、
コロセウムに群がる民衆どものあのアホっぽい感じとか色々なんか政治の策略めいた話とか、
いやーなんか世知辛いって感じの風に見ながら、だんだん英雄の話かと思ってたら、
だんだんこれなんか会社の中間管理職のレクルシブ主人公の話みたいな感じにもちょっと見えてきて、リモーションしちゃったっていう感じでしたね、はい。
03:07
はい、大井さんいかがでしょうか。
なんていうかもう勝手に見る前は、なんか300みたいなこう、マッチョみたいな感じの映画なのかなって勝手に思ってたんですけど、
見始めて、あ、これしっかり奇襲流利団なんだって思って、なんか堂々のお話なんだなってことに見始めてから気づいて、
で、なんかそこから、そうですね、なんかお話がしっかりあるし、なんかめちゃくちゃわかりやすい話だなって思いながら見てました。
一方で、あのマリアさんもおっしゃってましたけど、なんていうか、リドリー・スコットはコモドゥス的な人をホワキンフェニックスに演じてほしかったのかなっていうか、
演じさせるのうまいな、最近なんかこれナポレオンで見たぞみたいな、なんかそんな感じもして、
この、なんていうかな、君主になりきれない君主というか、大人になりきれない大人としてのコモドゥスであるホワイキンフェニックスがすごいナポレオンにも通じるし、
なんならちょっとジョーカーにも通じるところもあったりもして、
なんかこの人のキャラクターって結構もうグラディーターの頃からこういう感じだったんだなって思いながら、ちょっと面白く見てたりもしましたね。
でもなんかラッセル・クロウもなんか最後までちょっとかわいそうだなって思いながら見ちゃいましたし、結局この後グラディーター2がやるわけですけど、
あの後、まあローマってどんどん崩壊の一途をたどるわけですよね。
そうなんですよねー。
それをじゃあどう描くのかなっていうのはちょっと楽しみにはなりました。
僕はですね、マリオさんと同じ感想なんですけど、本当に映画館で見ておいたら良かったなと思いました。
リバイバルいいよと思ったら見れたんですよね、正直。別の映画優先しちゃったんですよ。
ジョーカー・ホリアードゥって言うんですけど、同じホワキンフェニックス出てるんだったらこっち映画館で先に優先して見とけば、別にジョーカー・ホリアードゥも見るタイミングいくらでもあったし、
グラディーターはもう見れないんですよね、映画館で。見れるでしょうけど、少なくとも今日映画館で見て喋りたかったなって思いがむちゃくちゃあります。
それくらい僕、完璧な映画の一つだなと思ってます。特に神話を描いた映画としての完璧さがあるなと思ってて、
やっぱり主人公マキシマスと宿敵タル・コモデスの造形の英雄と悪の完璧な対比だと思うんですよね。
そこにすごい神話性を感じたし、結局全員家族に対する情面を元に動いているっていう、そこの対比ですよね。
だから非常にわかりやすい善と悪の鏡合わせになってて、そこがわかりやすくていいなっていう。わかりやすいからこそその対決は盛り上がるなっていうのはありましたね。
06:13
ちょっと完璧な映画すぎて、僕がこの映画好きである必要ないなって思うくらい完璧な映画で、あんまり愛着は感じないんですよね。なぜか。
変顔を感じないというか、いい映画見たなっていう、別に自分の中に特に残ってないけどっていう感触なんですよ。僕のにとっては。あんまりいびつさがないというか、っていう感じの映画でしたね。
じゃあ、内容を掘り下げて話に入っていきたいと思います。どっからいきますかね。まず本作、つかみが完璧だと思うんですけど、冒頭のゲルマン人との戦争シーン、すごすぎて。すごすぎませんか、あれ。
すごかった。すごかったっすね。まずいきなりゲルマンに送った死者が、首ない状態で埋まりこなせられてやってくるとこから、やべえ、連中と戦ってるぞみたいな。俺も戦うしかねえぞみたいな感じになってるところがつかみから、あと泥だらけですよね。すごかったですね。編集とかカメラも含めてすごかったですよね。
ほんと、何本やとんでくんだみたいな。
なんかすっげえ見てて、やっぱワクワクしちゃうんですよね、ああいうの見てたら。泥臭い戦争を描いてるのが良かったなあと思って。何でしょうね、あの泥々のとこでの戦っててもまたあんま見たことないなと僕は思ったんですけど。
なんかかっこいい勇ましい戦いのシーンではあるけど、やっぱめちゃくちゃ綺麗じゃないっていうところがやっぱりリドリー・スコットらしいリアリズムなのかなあっていう気がするんですよね。
ただマキシマスがかっこいいっていうよりは結構必死な感じの方がより強いというか、切実にこう生き残るためにみたいな感じがすごいしますよね。なんか英雄然とあんましてないなあって思います。
それ確かに思いましたね。あんま余裕ないなって思って見ながらマキシマスに、そこまで状況を圧倒できるような瞬間ってほぼないし、常に必死らしい。あと本人が割と主体的に状況を動かしているってことはあんまないんですよね。
09:01
結構なりゆきで行動してるって言うとちょっとなんか言い方あれですけど、あえてちょっとこった言い方にするんだったら運命に導かれるままに行動してるだけやなって思って。だから家族殺された後、拾われて検討士になるまでもそういう流れの中でそうなっていくし、そこで勝ち上がって名を上げていくのも流れの中でだし、
最終ローマに帰ってきて皇帝を倒すってところまでもあれもまあなりゆきじゃないですか。しかも本人ギリギリまであんまやる気なかったし。
むしろね、家族を失った時点で一旦彼の人生も終わってるから、死んでるから一旦。死人になった存在の器にみんながいろんな事情を流し込んでそれを動かしていく存在になってて、まさにその器としての英雄みたいな感じだと思うんですよね。
彼自身の自我がどこまでどうあったかっていうのはそんな重要じゃないというか、その状況下で何を成したかっていう周りの人たちからどう見られて、周りの人たちがマキシマスに何を求めたかっていうのが状況を動かしていくから、歴史やなって思って。歴史というか神話やなって思って見てたんですよね。
僕はそれをすごい企業選手っぽい、中間管理職っぽい感じで見ちゃったんですけど、今のその大きな流れに身を任せているだけみたいな感じも含めて、これは一会社のただのサラリーマンですがみたいな感じのちょっと重ねてしまって、若干途中これハンサワナオキかみたいな気持ちでちょっと見てたんですけど。
いや、ある。構造的にありますよ、それ。
ありますよね。
ほんとだ。
そう、彼なりのサラリーマンとして教授の中で、でもそれでも抗いつつもみたいな、少し信頼できる、そんな彼を慕う部下もできてみたいな感じっていうのは、すごい何か企業選手感が強いなってちょっと思っちゃったっていう感じでしたね。
いや、ハンサワナオキって結構わかるなと思うんですけど、特に波風が起こらない、だから彼を誰かが裏切らない範囲であれば、もう純粋な愛車精神で行動して状況に適切に対応していくだけの有能な人だけど、一旦裏切られたらもう絶対殺すマシーンになるじゃないですか。
倍返しマシーンになるみたいな。
で、実際僕たちはそれを面白がって見てるわけで、なんかその見てる側の欲望の構造をハンサワナオキと似てますね。
だからこそ現代の神話になったんじゃないですかね、ハンサワナオキは。
12:03
それはそう、ハンサワナオキ現代の神話だと思う。
いや俺も倍返しって言いたいみたいなのを預けてるわけだから彼に。
確かにな。
現代の神話ですよ、ハンサワナオキは。
実際このグラディエーターの話も企業の話として見れるっちゃ見れるというか、ローマ自体がめちゃくちゃシステマティックな構造があるというか。
だから本当に支部長みたいな人が、お前が次期社長になってくれって言われてたけど、その社長の息子がブチ切れて、どう考えても俺が次の社長だろうって言って、
陰謀で左遷して、奥さんと子供が良くない感じになって、絶対あいつぶっ殺してやるってなって、地方で業績上げて本社乗り込んで、役員会議みたいなところで追い出すわけですよね、社長を。
旧経営児をね、みたいなね。
で、実際その役員たちは全員マキシマス、ハンサワナオキことマキシマス全員味方するわけじゃないですか。
俺以外全員的なの?みたいな。万丈一で俺辞めるしかないの?みたいになってるから。
そうなんですね。勇ましい昔の英雄の話は、今はサラリーマンの企業選手の話っていう感じですよね。
どうなんですかね、ちょっと不思議だなって思うのが、ハンサワナオキもそうってそうなんですけど、この国を離れないのはやっぱりそうなんだなと思う。
ローマという土地から出てくる話にはならないっていうところがすごい時代的なのかもしれないですけど。
そうですね、ハンサワナオキも資本主義っていう仕組みの中からは出ていかないですからね。
あの銀行グループから出ていかないですからね。
そこも含めてっぽいんでしょうね。
最上位にある守るべき理念っていうものだけは絶対に裏切らないっていうのが結構ヒーローの条件の際しますね、そこは。
何に仕えているかというかそこなんですかね。
何に仕え、何のために生きるのかみたいなところですね。
それにおいてローマってめちゃめちゃしっくりくるというか、やっぱりローマの人たちって愛国心とも違うんだよな、概念として。
今言う愛国心と全然違うものだと思うんですけど、やっぱり我々はローマの公のために生きるっていう感じがすごい強いっていう認識があるから、
そこでマキシマスが半ばやけっぱちになりつつもローマに抗うというか、ローマそのものを否定することがないっていうのはやっぱりしっくりくるし、
15:00
見ててなんかすごい安心感がある部分でもあるなとも思って、そこ自体が否定していかないからこそ神話的だなっていう。
何を一番外の枠組みとしてるかっていう部分がやっぱりしっかりしてるからこその神話性でありエンタメ性なのかなっていう気は見ながらしてましたかね。
なんかもうみんな結構やっぱローマには中性違うよなと思ってて、もちろん多分共和性って映画の中でもちょこっと出てきましたけど言葉が。
ある種の民主主義の走りというか、ギリシャ制ではないんですけどちょっとだけそういう、王政とほぼほぼ同格の市民権みたいなものがあったローマなので、
多分ローマ人であること自体がアイデンティティになっているっていう人たちの話なんだろうなと思って。
それもその不思議なのがどれも含めてローマ人である誇りみたいなのをちょっと明確にする気がするのが結構見てて面白いなと思ったんですよね。
そうっすよね。
なんかそこに反旗を翻すって発想はあまりないというか。
やっぱちょっと最後に触れるというか別に多分ネタバレとか関係ないと思うんですけど、マキシマスがコモドゥス殺すって結構普通に考えたら反逆罪なのでは?って思ったりもするんですよ。
もちろん全然血統だからいいんだとは思うんですけど、でもなんかそこで市民側もなんだかんだちょっと盛り上がったりしちゃってるわけじゃないですか。
なんかその王に対しての対等感って結構ローマ特有だなって気がしながら見てて。
ちょっと一応映画見た後、自分が古代ローマに関してあんまりしゃべれる気がしなかったんでちょっとだけ調べてたんですけど、その本作で初めに殺されるアウレリウスっていわゆる後天帝って呼ばれてるローマの最盛期を支えた5人の皇帝の最後の人ですよね。
そこでアウレリウスが殺されて、子供のコモドゥスが皇帝になるわけですけど、コモドゥスは某君だったっていうふうに言われてるらしいと。
その後天帝の終わりの時代を描いてる話っていうことはこの後ローマ良くない時代になっていくわけなんですよね。
まだこの頃の皇帝って絶対権力みたいな感じじゃなかったみたいなんですけど、この後に先制君主みたいなのが現れて、どんどんローマは落ちていくわけなんですけど、
まだ立ち位置として絶対的権力者じゃない頃の皇帝の話っていうのが、だからめちゃめちゃ顔色浮かがってるじゃないですか、ローマ市民の。
18:12
そうですね、なんかすごいでもちょっとそれ考えるとすげえ今にも通じる話だなっていうか、民衆の盛り上がりだけを気にしててすごいポピュリズム的な感じってすげえ今っぽいなっていうか、特に今っぽいっていう感じがすごいして、
その先の行く末の未来っていうのも本当にある種の権力の集中みたいなのが起きて、それなんかあれですかね、シビルウォーみたいな世界観になるんですかみたいなのがちょっと容易に想像できちゃうみたいな、今の感じでいくのならみたいなのが、ローマのその歴史の流れを今ちょっと振り戻くとちょっとそれっぽさあるよなってちょっと思いますよね。
だからなんかゆえにコモドゥスが哀れなんですよね、悪役ながら。
コモドゥスが、いやちょっとね、コモドゥスがいいキャラすぎて、マキシマスよりなんか好きな印象残っちゃってるんだよな、僕の中でみたいなのはすごいありますね。
コモドゥスね、マジでねえ悪役やと思うんですけど、僕がコモドゥスのすごいいいなと思っているところは、僕もコモドゥスのこと好きになれなかったんですよ。
愛嬌がない悪役だなと思って、でもなんか悪役ってそれで良くないって思ったんですよね。
悪役ってたまに愛嬌ある悪役として愛される時あると思うんですけど、コモドゥス僕愛せないわと思って、キャラクターとして魅力的だけど、なんか愛着持てないぐらいにやっぱ清潔感ないなって思って精神的に。
やっぱ見ててきつくて、なんかコンプレックスのこじらせ方尋常じゃなさすぎるし、その発露の仕方がネバネバなんですよね。
すごいねちっこくって、やっぱパワー系じゃなくてナイブな嫌な感じっていうのがホワキンフェニックスのちょっと蛇っぽいというか、しっとりくる感じが本当にハマっていて、
本当にあのジョーカーともやっぱそこ通じる部分だなって思いましたし、ナポレオンの時のホワキンフェニックスともやっぱそう繋がるよねっていう感じは本当に大石さんが言っていた感じと僕も同じような印象を受けましたね。
単純にまずあのめっちゃ若いなと思ってホワキンフェニックス。 まあまあまあ、そうっすよね。
なんかやっぱ今よりももうちょっとこうイケメンとしてのなんかイケメン枠俳優って感じの最初登場の仕方するじゃないですか。
実際色白でこう目もキリッとしていて、目鼻たちもすごくはっきりしていて、ちょっと最初かっこいい人かなって、なんかかっこいい役なのかなってふと思ってたんですけど。
21:09
なんか話が進んでいけば進んでいくほどその彼の顔とか整ってるのにゆえにその中身のない感じが、こうかわいそうというかもう一番最初父親になんで俺に得を与えなかったんだっていう。
父親に与えられるもんでもなかろうにとも思いつつも、でも多分すごく求めていたんだろうなっていうその殺し方ですよね特にアフレニウスの。
いやもうちょっとあのシーン名シーンだなっていうか、完全に愛を買う人だったなっていうか。
父親のその返しもやっぱなんか良かったというか、我が至らぬばかりにみたいな感じのいい感じするじゃないですか。
あそこのなんかそのちょっとあの辺の言い回しがすごいやっぱちょっと時代劇的って言ったらいいのかな。
シンワチック的でもあるというか、美しいセリフ回しみたいなところを含めて、それゆえにあの殺し方みたいなところも含めていいシーンだなって思いました。
いやあそこいいシーンだし、その父親として誠実な言葉を選んでるとは思うんですよ。
だからいい息子になれなかったみたいなのに対して、いや自分がいい父じゃなかったんだみたいなことを言ってたじゃないですか。
わかるんですよ。その相手を否定しないためにその、いやそうじゃなくてこっちが悪いんだよって言ってるんですけど、それを言っちゃおしめようじゃないですかあれ。
まあそうなんですよね。だからじゃあ今までの人生返してくれよみたいな感じですよ。時間をみたいな。
やっぱなるし、それはやっぱお前に後目はつかせねえぞっていうことの重みですよね。
彼はやっぱり絶対そこに、たぶんアグラは書いていた部分はあると思うんですよ。まあ息子だしいけるだろうみたいな。絶対あったと思うんですけど、全くその努力をしていなかったかっていうとそうでもないはずなんですよ。
努力がたぶん足らない方だと思うんですけど、全くなかったかというとそうでもないっていう。
たぶん彼なりには頑張ってたんだろうなっていうのも。
ゆえにねっていうのは、それはやっぱちょっと成果が得られないみたいなというか、目的のものが得られない。それはちょっとわかっちゃうところありますよ。
だからこそ本当、向いてない仕事について腐ってる人感が。ちょっとね、ちょっとだけ一言じゃないなって思ってね。
それもわかるんですよね。僕ももしかしたらコモドゥスになっていたかもしれないっていうか、そういうのはめちゃくちゃありますね。
よくないなーって思いました。
父さんが愛してくれたら、世界的にマーセットなのにみたいなこと言ってたと思うんですよ。
ちょっと正確な言い回しだったかわかんないですけど、いやーもうこう知れてんなーって思いながら見てて。
24:07
そこはやっぱマキシマスの次いでもあると思うんですよ。
だからもうその家族を失った、だから愛してた人、あるいは愛されたかった人を失った時点で、もうその世界の価値が失われてますっていうことじゃないですか、2人とも。
確かにそうですね。
自分の中にもう世界に対する価値とか目標がなくなった状態でどう振る舞うかっていうところに、彼らの神話性みたいなのがある気はしてて。
だからその個人の目的とか意味が剥奪された状態でどうなるかっていう。片方は英雄となり、片方は暴君となりましたって。
個人を剥奪した先にある神聖みたいなものがそれぞれにとって何なのかみたいなのがすごい試されてたように見えたんですよね。
それでも英雄たりえる人がいるし、そうなった時に世界を滅ぼそうとする人もいるみたいなのが神話だなと思うし。
あと僕、神話って世界系なんだなって思いました。
確かに。そうです。
そうですって言ってられますけど。
まあそうですよね。世界かお前かみたいなところはやっぱりありますよね。
ちょっと言い方を変えると、世界系が自分が神話の中に入っていくことなんだなと思って。
神話の側がこっちに来てくれることなんだなっていう。なんだなってちょっと思ったんですよね。
なるほどなるほど。
あと見てて思い出したのは、マキシマスとコムディスの関係を見てて思い出したのは、バーフバリを思い出したんですけど。
なるほど。
バーフバリとバララデーバですよね。やっぱりバララデーバのコンプレックス、僕めちゃくちゃ大好きなんですよね。
本当に。
僕ちょっとツイッターでつぶやいて、少し批判されたことで、バーフバリはユリっていう話をしてたことがあったんですけど、
バララデーバの感情はユリだなって思いながら見てて、さすがにユリって言いたいだけやろお前みたいな引用率とおっしゃれたことがあったんですけどね。
やっぱり感情が世界を支配してるじゃないですか。それが神話になっていると思うんですけど、ちょっとそこを連想して見てはいたんですけど、
ただですね、グランディーダはやっぱりユリじゃないんですよね。マキシマスとコモドゥスの間に感情的な関係性があるようにはあんまり見えないんですよ。
そうですね、あんまり因縁がしつこくないなって感じはしました。2人の間に。
27:06
因縁が全くないわけじゃないですよ。けど、なんかそれがベタついてない、カラッとしてるなっていう感じは受けましたね。
そうですね、ほぼ半分ぐらいまでコモドゥスはマキシマス死んだと思ってるし、生きてるやんってなってからも何とでもなるしなって思ってる感じちょっとありますしね。
そうですよね。ユリっぽさというかじゃないですけど、関係の密度的な意味ではやっぱり相手が俺を殺すかもしれないみたいな、食ってかかるかもしれないぐらいの危機感、強さみたいなのがないとそれはちょっと成立しにくいのかなみたいな風にはちょっと思ったかなっていう。
ラストの決闘シーンで初めてちょっとそれの方がは感じるぐらい。
そうですね。そこをめちゃめちゃ頑張って折り下げたら二次創作作れんこともないかなぐらいの方がみたいなところはあそこにわずかにあると思うんですけど、そこに至るまでは2人の関係って構造による対立やと思うので、感情による対立じゃなくて。
だからコムデスもその向けてるコンプレックスの対象ってやっぱマキシマスじゃなくて父親だと思うんですよね。
でマキシマスからコムデスを見たときはあくまで家族を殺した因縁の敵でしかないというか、そこになんかこうそれそのものに因縁はあんまないように見えるというか。
なんかそのドライさみたいなのは僕は好きっちゃ好きで、バフバリアは別の意味で好きなんですけど、だからやっぱりバフマリアの盛り上がり方って萌えはあったと思うんですよ。
バフバリとかバララデーバに対する萌えはバフバリのムーブメントの根っこにあったと思うんですけど、グラディエーターに萌えはないと思うんですよね。
さっき言ってたことにもちょっとつながるんですけど、コムデスに愛嬌はないと思うんです。愛しやすいキャラクター性はないとは思ってて、あくまで彼の悪役性っていうものは物語の中でだけ成立する悪役性というか、
彼のキャラクターだけを抜き出した時に別にそのキャラだけが一人歩きするような愛嬌みたいなものは全然ないなって気がするんですよね。なんかキャラとして抜き出せない、あくまであの構造、あの歴史の物語の中にいることでだけ人物として存在できる登場人物たちになってる感じがあって、
なんかその背景と個人が不可分な感じはするんですよね、見てて。なんかその感じがなんでしょうね、リドリー・スコットの質感なのか、あるいは歴史を描いた時そうなるもんなのか、本来は。ちょっとよくわかんないですけど。
30:06
そうですね、確かになんかちょっとその一種のドライさみたいなのって、リドリー・スコットといえばちょっとドライなとこあるよねみたいなとことも通じそうな気はするけど、なんかでもそういうわけでもないかもしれないしな、なんかちゃんと見てないですけど、デュエリストって映画とか撮ってたりとかするけど、あれもどうなんでしょうね。
ちょっとその辺り、リドリー・スコット文脈がまだそんなに見れてないかもしれないですね。
そうですね。
でも確かにブレードランナーで思い浮かべても、そんなに2人の関係ってなかった気もするしなっていう。デッカートと彼が追うレプリカンとの関係って、最後に少しだけあるぐらいなバランス感。
でも基本的には追われるの関係のままずっといるので、あんまり向き合って、お互いに感情ぶつけ合うってことはあんまりなくて、むしろなんか社会の構造の中で2人がぶつからざるを得ない状況になっていくところはすごいグラデータに似てるところはあるかもしれないですよ。
そうですね。なんかその切り口はちょっとわかるな。やっぱ世界を描く作家な気はするんですよね。リドリー・スコット自体が。
だからこそ、さっき山口さんが言ってた運命感がより出るのはそうなのかなって気はして。
そうですね。
もうこの流れに身を任せたがゆえになくせるしかなく、そこにたどり着いてしまった2人みたいなというか。
なんかあんまり確かにリドリー・スコットの作品って自主的に何か動いて物事を達成する人よりも、結果としてそこに行ってしまった人を描きたい人なのかなっていうのが時々思う。
なるほどな。世界系的に言うと世界に負ける側の世界系作りがちな人かっていうか。
確かに確かに。そういう表現するとなんかわかる気がしますよね。
多分それが時に人間をすごく意地悪に見てるようにも見えるのかなっていうか。明るいのオデッセイぐらいかなっていう。
そうですね。オデッセイはあいつのキャラクターがちょっとはみ出してる感ありましたよね。
そうですね。それは確かに。
あとあれね、プロメテウスとエイリアン・コヴェナントのマイケル・ファース・ベンダーはだいぶはみ出してました。
そうですね。たまにはみ出してくるっていう感じですね。たまにというか。
あれはでもあるでしょ。人間の枠超える人だからな。
そうなんだよな。
だからその世界を描くっていう作家性に対して、もうマイケル・ファース・ベンダーが世界の側をつかされてるから、あの話。
あれはそうそう。
世界が人格持ち喋ってるだけな感じはちょっとありますけどね。
そのせいで妙な変愛の片鱗が見えちゃってますけどね、あの絵が。
33:03
マイケル・ファース・ベンダー好きすぎやろみたいな感じしちゃってますけどね。
そこがね、魅力なんでぜひ3作目作っていただきたいなと思っているんですけど。
でもそういう意味で言うとグラディエーターはそのキャラクターを描きたいというよりも、やっぱローマの時代を描きたいって感じは。
もちろん時代交渉結構いろいろ難はあるっていうのは、リドリー・スコットの歴史ものあるあるだと思うんですけど。
とはいえやっぱり世界観を構築するっていう意味ではやっぱすごいじゃないですか。
なんか特にローマ市街はもちろんそうだし、あの最初の冒頭で言った戦いもそうなんですけど、僕スペインのところを描いたの結構すげえなと思ってて。
この時代のスペインこうなんだというか。
ヒスパニアって呼ばれてた頃ですかね。
ローマの産科の地方みたいな感じですよね。
あんまりCGっぽいなみたいなシーンがほぼなかったじゃないですか。
なかったってかわかんなかったですね。
それもやっぱすげえなって思ってて。
時代的に考えると結構ね、わかりそうな気はするし。
ものすごい大規模なローマの市街地やら、このセブンのシーンとかってめちゃくちゃ大規模な映像になっちゃうのを、
なんか全くめちゃくちゃそういうのが本当に目の前にあるみたいな感じで受け取れるっていうのはやっぱすごいよなっていう感じですよね。
その世界観の構築という意味で。
だからこそやっぱデカいスクリーンで見たかったな。
それはそうなんですよね。
ていうかこの手の映画って、映画館で見てなんぼなのではあるんですかね。
そうなんですよね。
だから普通は時代的に見れるから楽しみではあるんですけど。
そうですね。
なんだろうな。
やっぱ時代劇みたいなのを見るモチベーションがあんまりなさすぎて、こういうの言葉どこ見逃してきたな自分って思ってて。
やっぱグラディエーターが公開されてからそういう映画が結構多発していっぱい作られてたわけですよね。
トロイとかアレキサンダーとか。
ああいう時まだ子供だったから、ああいうの見てもピンとこなくて、興味もわからなかったなって思って。
アレキサンダーとか家族で見に行った覚えあるんですけど、めっちゃネタ記憶しかない時代に覚えてなくて。
なんかもうちょっとこういうのをお越し、この良さに気づいていればなっていう感じが、それを映画館で見れていたらなっていうのはすごいやっぱりありますね。
結構ね、もともと映画の一ジャンルとして名を馳せた題材というか、もともとこの手の映画の源流にソード&サンダルっていうジャンルがあるらしくて。
36:00
だからヨーロッパにおける古代を描いたものですね。だからギリシャローマあるいはオリエントの方とかあるいはエジプトの方とかのあの頃を描いてたジャンルっていうのはもともとその映画の黎明期ぐらいにはあって、
そっから二次大戦後に映画の黄金期が、黄金期移ってするのはちょっと議論あると思うんですけど、その頃になるとベンハーとかクレオパトラとかマジモンの超大作が作られて、めちゃくちゃでかいスクリーンで見るっていうこの映画が一番ゴージャスだった頃のなんかパワーみたいなのがある題材というか。
グラディエーターもやっぱりそのオーラを引き継いでる感じあると思うんですよね。映画が一番すげかった時代のパワーのやつですみたいな。それを2000年にもっかい作ったみたいなものには見えるかなとは思って。
見てて思ったのが、音響とかもすごいゴージャスじゃないですか。音響というかずっと劇盤がオーケストラで盛大に流れ続けてるんですけどこの映画、絶え間なく。
油が乗ってた時期のハンス・ジマーとクラウス・バテルトっていう、パイレス・オブ・カリビアンですよね。ここからパイレス・オブ・カリビアンのあの曲に繋がるんだ感がビンビン出るというか、あとリサ・フィッツ・ジェラルドとかもいますけど一緒にね。
リサ・ジェラルドでしたすみません、ちょっと名前間違えてました。いやー油乗ってて最高だなーって思いながら曲聴いてましたね。なんか昨今あそこまで絶えず流れ続ける劇盤って想像ないよなと思って。確かにあんまりないですね。
なんかこうちょっとオペラかってぐらいまでには流れてて、なんかそれはすごいなんていうか逆に良かったなというか。
さっきまで歴史を描いてる話だっていう話をちょっとしてたんですけど、なんで題材がこの時代なのかっていうのは少し不思議にも思えたんですよね。
僕もそんな詳しくないから、ちょっと調べた程度の知識ですけど、だからローマの五堅定っていうローマの最盛期の時代が終わるタイミングの話なわけじゃないですか。そこでコモドゥスっていう暴君を倒して、もう一回ローマを良くしていこうみたいな話をしてるわけですけど、それは叶わないわけですよね。
少し時代を遡れば、カリグラとかネロとか有名な暴君っていって、そいつらを倒すって話にもできることはないと思うんです。ちょっと有名すぎてアレなのかな、そんな詳しくないですけど、ネロとか悪役にしすぎてもうええわみたいになってたんですかね。
39:10
だからその時代を題材にしてたら、まだローマ上がっていくっていう風に見えたと思うんですけど、そうじゃないわけじゃないですか。
そうなんですよね、そうなんですよ。
どういうチョイスなんだろうって思って。
むしろこれから2やりますけど、こっちやりたかったのではぐらいなというか。
なんかちょっとそれっぽさはありますよね。今回のグラディエーターすごいシンプルに英雄譚的な話ではあったけど、2の予告編とか話のストーリーみたいなプロダクト読むと全然そんな感じに見えないなって思って、そんな感じにならなくないみたいな。
そもそもね、だって主人公がルシアス?
男の子ですよね。
男の子ですよね、イーター。
コモズスの老いっ子っていうか、お姉さんの子の子ってなってますよ。
王族っていうかね、みたいな感じの人がなんでそういうことになってんのみたいなというか、どういうことみたいなというか。
そこに乗っかるようなレンゼルワシントンはいかにも悪そうな感じの、いい人でもないし悪い人でもないみたいな感じの絶妙なニュアンスでいる感じとかも含めて、どうなるのこれみたいな。
だからあれだけマキシマスを応援してたあの子が、逆にあのことによってっていうことなのかっていう。
あのことによってあのローマの座を追われてしまうという、なんとも皮肉な始まりだなと思って。
ああまあそうか、追われてしまったってことなのか。
まあ、ろくなことになんなそうですからね、あの子。
実際、歴史がろくなことになってないわけですけど。
必然なのかもしれないですね。
またそれもちょっと運命的、といえば運命的ですけど。
だからそうなんですよね。
本当なんか、2のことを思うと、これ全然序章に過ぎないがっていう。
なんか、1、2でようやく完成する感じがありそうですよね。
なんかちょっとね、あれですね、ちょっとジョーカーとジョーカー・フォリアドゥンみたいな、また考えちゃいますけど。
この日本で完成だったね、みたいな感じな味わいになるのかもしれないなっていうのはちょっと思いますね。
少なくともマキシマスが果たして英雄だったのかって話にもちょっとなってきそうな気もするし。
予告でちょっと出てましたけど、彼めちゃくちゃローマのこと恨んでますからね。
ローマの全軍を倒したいって言い切ってますから。
そこもちょっと世界形っぽいんですけど。
そうですね。僕は見てないんですけど、ナポレオンでホワキンフェニックスが、本作でコムズスをやったホワキンフェニックスがヒーロー側をやったわけじゃないですか。
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マリオさんはオープニングでちょっと感想をおっしゃってましたけど、多分そんなにヒロイックな感じじゃない話だったんだと認識してるんですけど、
なんかその英雄像の解体というか相対化をやってそうな気がする。
今度グラディエーター2でもやろうとしてそうな気がするみたいなのはあって。
マキシマス英雄じゃなかったんじゃねみたいな、そもそもローマろくなもんじゃないんじゃねみたいな、ワンの時点で結構ローマろくなもんじゃねーなって今言えてましたけどね。
本当にコロセウムにいる観客たちみんなアホそうっていうか、ろくでもねーって感じでしたけど。
ローマが悪くなって言ってるのは間違いなくこいつらのせいだぞみたいな感じしてましたからね。
全てポピュレイズムのせいですみたいな感じの描き方してるから。
それは本当そうですよね。
なんかそういうことをやろうとしてるのかなっていうのは見ててなんとなく感じるかなっていう。
実際このグラディエーター1の方でもマキシマスいなくてもいつかはこうなったんじゃないかなっていう。
あくまでマキシマスはその時代が変わる節目にそこにいただけの人っていう感じで。
もちろんそこにいたら英雄なんですけど、それはもう時代に選ばれた英雄でしかないというか、
自分自身の何か志によって成した英雄って感じあんまないなーとは思ったし、
あの時マキシマスが使い道があったからああなってたけど、別にいつかそのタイミングは来そうじゃないですか。
なんかその個人にあんまり寄ってない話になってそうな感じはそもそもしてたっていうのはあったかなとは思ったんですけど。
そうですね。まあだって彼普通に王になる気もなければただ家族を愛してる1人の雇われ戦士というかですからね。
主観管理職ですか。
主観管理職です。
主観管理職なんで、本当ちょっと時代にある意味流されてしまったというかある意味でですけどね。
だからラステルクローめっちゃかっこいいんですけどもちろん、ただなんかあんまり彼の印象残んないんだよなっていう。
ちょっとそれはあるんですよね。いやめちゃくちゃかっこよかった。
めっちゃかっこよかったですからね。
最近のラステルクローってもうなんかずんぐりむっくりで怖い人っていうイメージがちょっとしてもあって。
バチカンのエクソシストみたいな。
あのバチカンのエクソシストとか特に煽られっていう映画の時のラステルクローマジでこの体格でタックルされたら絶対死ぬなみたいなマジ熊みたいな体格で出てくるんですけど。
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ちょっとその印象が最近強いせいで。
いやそうだよねラステルクローこういう時期もあってめちゃくちゃかっこよくてシュッとしてて。
もうそれでパワフルみたいな時期あったよねっていうことをちょっと改めて思い出させてくれましたね。
その器としての英雄みたいな感じがまあいいなとは思うんですけど、同時にこの無情さもすごい感じるんですよね。だからやっぱり。
そうですね。
まあそれのかっこよさもあるんですけどね。
なんかあんまり自我が強くなくってやるべきことをやり続けてるだけの人みたいなかっこよさはあって。
なんですけどね、なんかそのマキシマス自体を紐解いていくと実はそんなにヒーローじゃないんじゃないかみたいなのは感じないこともないなとは思いますかね。
ただ技術として戦いが強い人というか。
そうですよね。
そして指揮権を取れるというかリーダーシップもあるっていう。
本当にね、人としてめちゃくちゃ慕われる人なんだというところはめちゃくちゃやっぱあるんだろうなと思いましたけどね。
だからそう本当にプレイヤーとして優秀な中間管理職官すごいんですよね。
そうなんですよ。
そうなんだよな。
だからといってプレイヤーがそのままいい経営者になれるかっていうのにそれが合うみたいなところとちょっと通じるじゃないですか。
そうですね。
まあアウレリウスはそれを信じて彼に託そうってしちゃうわけですけど最初。
あるから。
彼がもし皇帝になったとしてもいかなかったかもしれないですね。
それはね、絶対そうだなって思うんですよね。
そうなんだよな。
だから皇帝、アウレリウスもアウレリウスだよなっていう感じとしてあるんですよね。
何お前ずっと哲学書見て何その中年の危機的なことなんですかみたいなというか、物足りぬみたいなこと言い出して。
たくさん相手間違えてるよみたいな感じはめちゃくちゃしましたけどね正直。
結構ね、アウレリウスの大はローマの繁栄の時代でもあるけど結構地方への遠征とかで荒れてた時代、荒れ始めてた時代でもあったらしくて。
実際にめちゃくちゃ遠征してて大変やったみたいなこと言ってたじゃないですか。
だから結構没落の気配みたいなのは既に匂ってきてるというか、それへの悩みみたいなのもあったんでしょうね。
周りの人は褒めてくれてるけど、俺そんなちゃんとやりきれてるのかなみたいな黄昏を迎えてた感じ。
アウレリウスって今でも残ってるんですけど、自生録って本を残していて、彼の日記らしいんですけど、
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多分ローマの当時の皇帝の中で自分の実質で自分自身の気持ちみたいなのを残してる記録って相当貴重らしいんですよ。
なので彼の結構そういう内政的な部分みたいなのって割と今でも残ったりしてて、
それゆえに何かそれがわかるから少し検定的な見方をおのしにされたりもする。
もちろん当時の知性があったっていうのもあると思うんですけど、のかなってのを思っていて。
確かにこの作でのアウレリウスの描き方はすごいどちらかというと内向的な人というか、
賢人であろうとする人っていう、だからわざわざ現場まで赴こうとはするんだけど、
とはいえやっぱり今の方向性でローマがどんどん拡張成長していくこと自身の憂いもあるけど、
それを止められるほどの意思もないみたいな、そこ絶妙な描き方はしてるようにも見えましたね。
その滅びもわかった上でもう見届けようとしてるような人というか。
だいぶメランコリックでしたからね。
あと今話してて思ったんですけど、マキシマスってマッドマックスのマックスっぽくないですか?
わかります。
見た目がっていう話もあるんですけど、見た目がもそうなんですけど、
キャラクター性というか精神性が、死体性はないけど偶然そこにいたら一応善をなす人みたいな感じが、
マッドマックスっぽくないかなって思って。
確かに。
なんなんですかね、やっぱり型なんですかね、ある種の。
まあまあそう思いますね。
そうなんでしょうね。
マッドマックスももろ、神話として作ってるじゃないですか。
間違いなく、そうですね。
マックス自身の自我の弱さというか、
ワンはね、復讐の話だからぶっ殺してやるって感じ強いんだけど、
グラディエーターも一応復讐たんだけど、あんまりそこの自我強くないんだよな。
そうなんですよね。
ドでも良くなってますからね。
ただ流れで復讐できそうってなったからやってるけど、
でも無理やったらまあいっかぐらいの感じじゃないですか。
初めにコマドゥスと再会して、闘技場の中で再会した時も、
一瞬矢尻持ってぶっ殺そうとしてたけど、無理だってなってやめて、
その後普通にいつ死ぬか分かんないグラディエーターを続けるみたいな復讐になってたから、
別にそれで元老院に会わせてあげるっていう話になっても乗らないし、
だから復讐自体にあんまり積極的じゃないんですよね。
流れでできたらやるけどみたいな。
なんなら一回逃げようとしてますね。
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なんかアマックスっぽいなって今話してて思いましたね。
確かにそうですね。
実は神話のヒーローって字が弱いものなんですかね。
実は字が強いのがヒーローだと思ってたけど。
でも言われてみれば例えばですけど、
デューンとかもSFで神話を描こうとしてる話だと思うんですけど、
あれもすごい字が、むしろ負ける話として使う。
パート2は特にそうだなと思ってるんですけど。
そうですね。
そうですね。だから歴史の最適解を選んでいく人みたいな存在というか。
でも最適解を選べるのってもはや人間じゃないみたいなものなのかもしれないなと思って。
確かに。
それこそゴッドファーザーとかもそれゆえに神話っぽく見えるみたいなとこありますしね。
ある種の時代に何か大きなものに流されていくそのなんて言うんでしょうね。
なんて言うんだろう。その感じか。
受け皿になっていく感じなんですかね。
まさに私に山口さんがおっしゃってた通り。
そこにいろんな人の思いだったり理由だったりロジックだったりがどんどん流し込まされていって、
ある意味その人ではない何かになっていくというか、
その人のキャラクターというかアイデンティティみたいなものに複数のものが乗っかっていって、
もはや個人ではなくなっていく様ってある意味神様っぽいとも言えると思うんですよ。
なんかそれをその様を見ている、というか見たい、
要はなりたいわけでは多分誰もないと思うんですけど、
ただその瞬間を目撃したいっていう欲求が人間にはあるのかなと思って。
それがコロセウムの人たちであり、映画を見ている我々であり的なね。
そうなそうな。
だからコロセウムであんなにバカだなって描いてますけど、あれ僕らでもありますからね。
そうですよね。
それはほんまにそうですよね。
確かにな。
たまにやっぱこの話あったと思うんですけど、
自分じゃない誰かに苦しんでいただきたいみたいな映画みたいなのに近いなっていう感じですよね。
だから誰も英雄にはなりたくないんですよ、本心で。
でも時代には英雄が必要な瞬間があるじゃないですか。
そうですね、自分を代入する器が欲しいっていうのはありますね。
ある意味マジでその真逆やったのがジョーカーかもしれないわけですよね。
ジョーカーフォリアドゥとかまさに。
そうしちゃったのをそうじゃないよねっていう話だったりもする。
預けんなよっていうか、大したことないけどいいのかみたいな話でしたよね。
ジョーカーは英雄じゃないって言い切るというか。
確かにな。
そこで英雄にはなれない自分たちが英雄という器に自分を預けられる理由というか、
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一番外枠みたいなものだけは多分そのキャラクターに残ってると思うんです。
例えば本作のマキシマスで言うと、多分ローマへの忠誠っていうのが一番外の器だと思うんですよ。
そこだけは絶対にぶれない。
ただその中は結構空虚で、実はその状況を流し込んでいっているだけの存在みたいなとこはあるかなと思いますね。
だからそれこそ時代劇でも英雄として描かれる人は最後まで名乗らないというか、
それが美徳とされるあたりとかもすごいそこに通じるとこがあるのかもしれない。
そうですね、そういうのめちゃくちゃありますよね。
いや僕、現代の日本のおいてそれが大谷翔平だなってちょっと思いました。
彼は野球がめちゃくちゃ好きっていうすっごい器を持ってて、
それにみんながものすごいたくさんのものを預けてる気はするんですよね。
スポーツってすごい密接関わってるよなっていうか、
そもそもグラディエーターってある意味スポーツ選手と同儀って同儀じゃないですか。
そうですね、実際スターにもなりますしね、グラディエーターは。
確かにだからちょっとそれこそ大谷さんが犬飼ってるとかっていうのが見えた瞬間ちょっとドキッとした自分が言ったんですよ。
人間的生活を送ってるっていうところになんかハッとしたというか当たり前なんですけど、
自分が大谷さんにそこの部分を見てなかったなというか、
やっぱり英雄として見てるから器として見てたんだなって思って。
いやそれに関しては僕逆にまだ犬飼ってても器として見れますね。
そうですか。
そこでカエルとか飼ってたら人間だったって言われるけど、
なるほど。
トカゲとかヘビとか飼ってたら人間だってなるんですけど、犬だとまだ僕の中では器ですね。
なるほどな。
本当に小兵に関してはすごいなって思いますけど、
正直あんまり英雄的な見方もしなくてただの綺麗な彫刻だなみたいな感じしか見てないというか、
すごすぎて英雄としても見れないというかって感じがしますね逆に。
それはあれですよ、マリオンさんが殺すようにいかない人だからですよ。
それはありますね。
確かに。
野球あんま興味ない人間なんでそうですね。
あいつみたいな感じですね。
元老院の?
元老院の。
どっちかというとそっちが違いでね。
僕野球興味ない人なんで。
僕もガンガン盛り上がっちゃう人なんで。
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大谷翔平がいかにすごい記録を打ち立てようとすごかったネストしか何もならない人なんで。
僕断然殺せよ言って、殺せって言っちゃう人なんですか。
それ言うなら僕は一番最後のコモドゥスとマキシマスが戦うよっていうとこだけ見に行きますね。
いいとこだけ見に。
いいとこだけ見に。
そのくらいがいいなとか言って。
WBCだけ見てへーって言ってみたいなそういうタイプ。
バランスって大事ですよね。
殺せよ行くその矢島根性プラスちょっとシャニ構えた感じってやっぱり行きすぎてもどっちも良くないっていうか。
そんなとこですかね。
何の話してたんでしょうね。
いやでもグラディエーターめちゃくちゃそれはもう名作だと言われる理由がよくわかりましたしっていうか。
いろんなところに考察が飛ばせてというか解釈が飛ばせてすごい今日面白かったです。
正直ねグラディエーターだけでそんな話することないやろって僕思ってたんですよ。
すごいグラディエーターすごいで終わるなと思ってて。
だから実際僕サワリの感想でもグラディエーターそのものになんか変愛みたいなのは感じないって言ったんですけど。
ただすごいんだもん。ただすごいからもう僕いらんやんみたいな気持ちになってたけど。
やっぱこう引き寄せると話せますね。
自分たちのところに引き寄せると話せるというか。
確かにこんなにちゃんと話し広がると思ってなかったですね。
むしろそのね歴史知識の無さが無理矢理つけ役場で調べてから来たぐらいなんで。
間違ってたらすいませんほんとなんかぶしぶし。
いや怖いっすよね。
めっちゃ怖い。
古代の知識間違ってるとか。
そうまあでもリドリー・スコットを間違えてるんで許していただきたいっていうのダメですかね。
てか彼間違えてると分かって無理やってますからね。
僕らもあえてちょっと間違えてこっちに声つけて喋ってるとかあるじゃないですかみたいな人かな。
ダメかあんまり。
あんまりそれ言うとダメか。
逆にね自分たちのフィールドで話せてよかった気はします。
じゃあそんな感じでグラディエーターの話を終わっていこうかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の話しさすぎるバー次回は11月30日開催予定です。
場所は大阪南森町週刊曲がり19時オープン23時クローズです。
さらに大阪震災橋で第3木曜日に山口が店長をする映画の話しさすぎるバー震災橋も営業中です。
1:00:01
場所は震災橋駅特報6分バー雨村シェルター内19時オープン23時クローズです。
加えて映画の話しさすぎるバー名古屋開催を予定しております。
日時が来年の1月18日土曜日場所がイベントバーエデン名古屋18時オープン22時クローズの予定です。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体やお便り募集テーマは終わったんですけれども
映画紹介屋さんこういう映画紹介してみたいならがもしあればお便りいただけたと思います。
あとトークテーマ作品へ向けてご自由にお送りくださいませ。
バーの最新情報を次回テーマはXおよびインスタグラムにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話しさすぎるラジオ第188回グラディエーターの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
01:01:28

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