前回に引き続き今回も、現在発売中の前田尋之氏の著書である「懐かしのゲーム雑誌大集合」を観つつ、「ハード別ゲーム誌」に焦点をあてて、喋ってます。なお今回一回で喋り切れず、次回との前後編になっちゃってます。
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00:15
お疲れ様です、たくです。今回はですね、前回に引き続いて、あの、ゲーム雑誌について喋ってます。
で、えーっとですね、参考にさせて頂いているのもですね、あのー、今手元にありますけど、懐かしのゲーム雑誌大集合というね、
前田ひろゆきさんの本を使って紹介させてもらってます。
ちょっともうね、いろいろタドタドしくなっちゃってますけども、まあね、今回だけでは終わらないんですよね。
今回はね、ハード別ゲーム専門誌というか、ゲーム雑誌について喋ってるんですけれども、
いやこのね、ゲーム雑誌の中で最もね、あのー、多かったのが、発刊されてる種類が多かったのが、この、ハード別ゲーム誌だったんですよね。
僕もね、だからその、この前田ひろゆきさんの、このゲーム雑誌大集合をね、片手にペラペラと見ながら喋ろうかと思ったらですね、
まああの、ページをめくれでもめくれでも、適当にね、こう喋りつつやってるんですけど、
全然終わりが見えないなと思ってね、途中で一回止めてるんですよ、ここのね、あの収録中本編でね。
まだまだあるぞということでですね、今回はですね、ハード編のですね、前編と思ってください。
あのー、あまりに多すぎて収集がつかなくなってるんでね、今回とですね、次回に分けております。
しかもそれでもですね、だいぶカットしちゃってる雑誌も多いと思うんですよね、僕は。
まあ喋れないっていうね、僕自身がね、そんなに買ってなかったりもするしっていうね。
本当にタイトルぐらいしか知らないぞみたいな本も結構あるんですよね。
というかタイトルぐらいしか知らないのに喋ってる雑誌も結構あるんで、
まあね、もう本当に雑談を聞くぐらいでよろしくお願いします。
はい、というわけでですね、ゲーム雑誌の回2回目をやっていこうかと思うんですけども、
今回はですね、ハード別ゲーム史について喋っていこうかと思うんですけども、
まずはね、この何でしたっけ、懐かしのゲーム雑誌大集合っていうね、前回も参考にさせてもらった本でね、
03:09
これ第2章がパソコンのゲーム雑誌の方を扱ってるんですけど、パソコンゲーム史を扱ってるんですけど、
ここはちょっと飛ばさせてもらって、やっぱりね、メインどころの一つかなこれも、
前回もゲーム総合誌っていうところで紹介させてもらったんですけど、
今回はハード別ゲーム史ということで紹介、紹介というかね、
雑誌名を読んで知ってたらまあまあ喋っていくみたいな感じで進めていこうかと思うんですけども、
まずはね、このハード別ゲーム史っていうことで、
まあやっぱり最初はこいつになるのかなと思うのがですね、初のファミリーコンピューター専門誌ということで、
ファミリーコンピューターマガジンね、とくま書店。
これがですね、1985年7月からですね、1996年6月28日まで出てたみたいなんですね。
でまあ、いわゆるね、ファミコンが世間に認知されて広がっていった時に、
まあこの本も登場したって感じだったと思うんですよね。
だからまあ、コンシューマーゲーム史の先駆け、先駆者だとは思うんですよね。
ファミ通はこれよりも約1年ぐらい後に出てるんで、
やっぱり僕も当時やっぱり、やっぱりファミコンがブームになりつつある。
スーパーマリオが出る前なんですけども、それで僕がね、見たのはやっぱりテレビ東京、
当時僕はテレビ大阪っていうところになるんですけど、大阪だったんで、
でゲームの、なんていうんですかね、紹介番組みたいなのがたまたまあったんですよ。
これ特番でね、特番扱いなんですけれども、
いわゆる子どもたちにあまりにもゲームが人気だっていうので、
よくある1時間半とか2時間ぐらいの枠を毎週毎週ね、
いろんなスペシャル番組みたいなのをやると思うんですよね。
そういうのがあった時代で、その中でたまたまその週は、
ゲームのことについて喋ってるっていうか、
ゲームについて紹介しているっていう特番だったんですよね。
そこで僕初めてファミリーコンピュータマガジンっていう本が、
これから出るなのか、出てるなのかわかんないんですけども、
そういうメディアがあるっていうことを初めて僕もそこで知ったんですよね。
06:05
そこからですかね、僕の周りもそういうの知らなかったのかな、
そこから僕が買ったのか誰かが買ったのかを見せてもらったりして、
その後ね、僕も手を出すようになったんじゃないのかなとは思うんですけれどもね。
やっぱりファミマガを代表するっていうかね、
ファミマガって言えば語り草なのはウルテクだったと思うんですよね。
いわゆる裏技の紹介コーナーっていうかね。
しかも中に一つね、ウソテクが入ってるっていうやつでね。
これはいろいろとね、逸話がありますけれども、
それはね、あんまり今ここで喋らなくてもいいんですけど、
これね、今回この前田さんの本を見てて、
そうだそうだと読んでてね、思い出したのがですね、
ファミマガって結局85年から96年までずっと観光されてたんですけれども、
これね、すごいことに、月間だったりとかね、
月2回間とかいろいろちょっと観光スタイルは変わってるものの、
ずっとね、創刊以来ファミコンを扱ってたんですよ。
しかも96年まで扱ってるっていうね。
スーパーファミコンとかに変わってないの?って言うとね、
スーパーファミコンはですね、実はね、別のね、
ゲームボーイだったりとかね、スーパーファミコンは別の雑誌を出してたんですよね。
スーパーファミコンマガジンだったりとか、ゲームボーイマガジンとか出してたんですよね。
先にこっちで紹介しましょうかね、まとめてね。
ゲームボーイマガジンっていうのは89年の11月30日から93年の6月24日に出てるみたいなんですよね。
でですね、スーパーファミコンの方のスーパーファミコンマガジンっていうのが、
これが結構単名でね、93年8月号から94年12月っていうね、
どうしたかなーっていう感じではあるんですけどね、
意外とね、意外と短い。
そうですね、ゲームBGMを収録したCD付き情報誌だったみたいですね。
まあそういう感じでね、ファミリーコンピュータマガジンに多分スーパーファミコンが載ってたんじゃないのかな、
ちょこっとぐらいはって思ったりはするんですけども、
ちょっとね、僕もね、そこまでスーパーファミコンの頃って言うと、
ファミマガ買ってなくてですね。
やっぱりファミマガを買ってたのって当初やっぱりこれしかなかった時代からやっぱり、
そうですね、長らくトップランナーに走ってたと思うんですけど、
結局後追いでいろんな雑誌が出るようになってから他にも目移りしちゃって、
僕はその時に最終的にファミ通に、ファミコン通信に落ち着いたんですけども、
09:00
多分ね、そんな感じでファミマガから離れていった感じだったんですよね。
だからその後、9巻になるまでどういう風な感じで変化していったのかっていうのは、
詳しくはちょっとわかんないんですけども、
ただこれがなかったらやっぱりこの業界、ゲーム雑誌っていうものがなかったっていう意味では、
やっぱり歴史的な本だったと思いますね。
続いてが、1986年4月に送還されたファミコン必勝本ですね。
発売はJICC出版局って書いてあるんですけども、
これね、現在の宝島社ですね。
この頃はJICC出版局って習ってたんですよね。
この記事の中ですと、
ファミリーコンピューターマガジン、ファミコン通信、まるかつファミコンとともに、
80年代の4大ファミコン雑誌の一画を占める存在だったって書かれてるんですけども、
僕もこのファミコン必勝本っていうのはもちろん知ってました。
知ってたし、多分当時もね、自分では買ってたっていう、
あんまり記憶がすごい曖昧なんですけども、
多分買ってたこともあったのかもしれないですね。
ただ僕ね、ファミマガとかファミ通を買ってたので、
前回とかに言ってたのかな、
例えばファミ通がなかった、ファミマガがなかった、見たいゲームの記事が、
記事って攻略記事なんかがあるって時に、
ファミコン必勝本を、言い方は悪いですけど、
しゃーなしに買ってたとかがあったのかもしれないですしね。
ちょっとね、わかんないですけど、
あとね、友達が買ってた可能性はすごい高いような気がします。
学校とかにね、やっぱり持ってきちゃうんですよね、当時。
そうすると、誰かがファミマガ持ってくるとか、
誰かがファミ通持ってきてみたいな感じで、
被りたくないっていうのがいて、
そういう感じでファミコン必勝本持ってきてたとか、
友達の家で見たみたいな感じの記憶の方が多いのかなとは思うんですけどね、
ファミコン必勝本ね。
だから僕、実はね、後年になってこれ、
紙面が変わるんですよね。
雑誌の名前がね。
で、それがですね、
ヒッポンスーパーって言われる風になるんですよね。
雑誌名変えてね。
で、僕ね、このファミコン必勝本のことをね、
略してヒッポンっていう風にね、
言うっていう文化を実は知らなかったんですよ。
だから、ヒッポンスーパーっていうのが後に出た時も、
12:00
ヒッポンスーパーっていう何この意味不明のワードっていう風な感じで、
それがファミコン必勝本の後継詞だっていう風に、
全く当時も気づいてなかったんですよね。
ていうことは多分ね、僕もファミコン必勝本に参考としたら、
ファミコン通信をファミ通っていうみたいな、
ファミリーコンピュータマガジンをファミマガっていうみたいな感じで、
ただファミコン必勝本はね、
ヒッポンっていう風に略すっていう文化を僕ちょっと知らなくて、
これね、ヒッポンスーパーも配管した後ぐらいの話ですよ。
僕本当に、あの必勝本、このファミコン必勝本とかを略して
ヒッポンっていうっていうのがね、
あの知ったっていうのは、
だからずいぶん後までそれ知らなかったっていうね、感じなんですけどね。
まあね、こちらもどうなんでしょうね、
四大ファミコン雑誌って言われるっていうことは、
たぶん相当ファンがいた雑誌だとは思うんですよね。
僕が語れるのはこれぐらいしかないんですけどね。
ちなみにですね、86年4月からですね、
89年3月3日までですね、
その後ね、
なんでしたっけ、
89年にですね、
ヒッポンスーパーに変わっちゃってるんですよね。
で、その後も、
ヒッポンスーパーって最初はアルファベットだったんですけど、
それが後にね、
ヒッポンって必ず日本の感じで、
その後スーパーっていうのはね、
カタカナに紙面変更したり、
紙面っていうかタイトル変更したりはしてるみたいなんですけどね。
だからファミコン必勝本としては、
その3年、約3年で、
まあ、あのなんて言うんですかね、
紙面、あれでもよく考えたらそうですね、
89年だったら、
まだスーパーファミコン出る前だったような気がするけどな。
すいません、なんかね、ちょっと調べてわかったんですけども、
このヒッポンスーパーっていう名前に変えたっていうのが、
1989年の、
おそらく3月以降、4月号とかで変えてるような気がするんですけども、
まあ、この頃って、
スーパーファミコンが発売されたのはですね、
実は90年入ってからなんですよね、
スーパーファミコンが出たのは。
で、この1年前なんですけど、
この頃っていうのはね、
いわゆるね、スーパーファミコンがね、
出るぞ出るぞって言われてた時代みたいですね。
ちなみにですね、
当時のね、山内博史社長がですね、
京都新聞にてですね、
スーパーファミコンっていうね、
いわゆるファミコンの次世代機に関してポロリしちゃったのは、
15:02
これよりも2年も遡る、
87年の9月9日らしいですけどもね。
だからまあまあ、もうなんだかんだ言ったって出るだろう、
出るだろうっていうことで、
ファミコン必勝本から、
一本スーパーっていうのにね、
あとのスーパーファミコン見据えて、
紙面変更、
紙面変更ってことは紙面のね、
タイトルを変えたみたいな感じなんでしょうね。
で、次がですね、
秋田書店ですよ。
秋田書店もね、出してたんですよね。
これがね、ファミコンチャンピオンっていうね、
あの、おそらくなんですけれども、
先にね、ファミコンチャンピオンのね、
これ、発刊がですね、
1986年の8月号からですね、
1989年の8月号までというね、
きれいに丸3年でね、
3年しか出てないんですけども、
まあね、これもそうですね、
まあ僕も知ってます、ファミコンチャンピオンね。
で、この前田さんのね、この本ね、
なんかの解説、ちょっと見てると、
その、秋田書店っていうと、
チャンピオンっていうコミック雑誌を
未だに出してますもんね。
で、その、どちらかというと、
まあ、チャンピオンを読む読者層っていうのが、
まあどうなんでしょうね、
早くても小学校、高学年どっちかっていうと、
たぶん中高生以上をターゲットにしてるっていう風な
イメージでいいと思うんですけども、
それに対してですね、
このチャンピオンの名を冠したね、
このファミコンチャンピオンっていうのがですね、
もうちょっと、いわゆるファミコンのね、
ドストレートな、
ドストレートってかドストライクというか、
その世代が、まあ小学校、
中学年ぐらいかな、3、4年生ぐらいから、
みたいな感じのところだったと思うので、
やっぱりちょっとその、いわゆるね、
あのコミック雑誌のあの、
週刊チャンピオンとかね、
週刊少年チャンピオンか、
よりもちょっとさらにね、
こう低いんですよね、年齢層がね。
そうするとやっぱりその紙面構成が、
どうしてもその、
週刊少年チャンピオンよりも、
あの、
まあ幼いね、
あの読者、
キッズに向けて作られてるということで、
それってチャンピオンの名を冠するのはどうなんだみたいなね、
その、
まあ、
なんかそういうことがね、
言われてたらしいです。
僕はあんまり気にしたことないんですけどね。
秋田書店だからチャンピオンってついてんだ、
みたいな感じで、
ぐらいで思ってたんで、
まあ確かに当時ね、
そうですね、
そうか、
ファミコンジャンプはゲームソフトだし、
マガジンもね、
あのマガジンって高段車もね、
あの、
18:00
ゲーム雑誌、
この頃確か出してなかったと思うんですよね。
何々マガジンって言ってもね、
高段車は、
ゲームの雑誌に何々マガジンって、
ゲームマガジンみたいなことは言ってなかったですけど、
後にね、
覇王マガジンっていうのを出してますけどね、
それは前回喋ってますけど、
ただ、テレビマガジンっていうね、
あのマガジンのね、
姉妹誌って言っていいのかな、
でも姉妹誌になるんだろうな、
マガジンがついてるから、
子供向けのね、
幼児の、
小学校低学年ぐらいが見られる、
仙台ものとかね、
そういうのが載ってるテレビ雑誌みたいなのが、
ありましたけども、
だから別に、
ファミコンチャンピオンってついても、
別にそんなに違和感はなかったんですけど、
そういう風な、
なんか、クレームというかね、
あれが一部あったらしいですね。
まあでもよく考えたら、
秋田書店もこの業界に、
ゲーム雑誌にね、
参入したものの、
っていう感じだと思うんですけど、
たぶんね、
以後たぶん、
秋田書店二度と、
このゲーム雑誌出してなかったと思うんですよね。
いまだにそうですね、
35年、
創刊から4年後に休刊、
35年以上経った今でも、
いまだにゲーム地に、
再参入する気配がないって言われてますもんね、
書いてますけども、
秋田書店はね、
最初で最後の今のところ、
ゲーム雑誌が、
ファミコンチャンピオンですね。
これもね、
なんか見たかなーっていう、
なんか、
僕も買ってはないけど、
誰かが買ったの、
こんなんばっかりだなー。
そんな感じですね。
で、次がですね、
やっぱ86年の創刊は本当に多いですね。
86年ね、
5月20、
あ、5月9日と23日、
合併号ね、
からスタートしたね、
門川書店、
まるかつファミコンですよ。
後にまあいろいろとある、
まるかつですよね。
そうなんですよ。
まるかつファミコンね、
門川書店に参入してますね。
これが86年の5月から
91年の4月までやってますね。
で、
攻略制度に定評あり、
ゲームに勝つ雑誌らしいですよ。
って書いてますね。
まるかつね、
なんかね、
なんて言えばいいのかな。
この頃のゲーム雑誌のタイトルって、
ファミリーコンピューターマガジン
っていうのがあって、
その後に、
ファミコン通信っていうのも
あったわけですよね。
結構ね、
これ、すいませんね、
なんなんでしょう。
さっきね、読んだやつもそうなんですけど、
ファミコン必勝本とかね、
ファミコンチャンピオンでもいいんですけども、
こう、
ファミコンって付けるっていうことがまず
前提だったんですよね、
ほとんどがね。
21:01
そうすると、前か後かに
何かを付けるっていうことなんですけども、
ファミコン通信も、
ファミリーコンピューターマガジンっていうのも、
ファミリーコンピューターマガジンって
言っちゃうと、ファミコンマガジンっていうのは
もう言えないわけですよね。
どういう風にタイトル付けるかっていうので、
あの手この手感がすごいね。
僕、当時、子供の
心に、
記憶に残ってますね。
まるかつファミコンって、
いう感じの
気持ちだったとは思います。
ただまあね、
たぶん後に喋るとは思うんですけども、
いわゆる姉妹誌ですよね。
まるかつ何々みたいなんで、
これそうなんですよね。
大成功を収める
雑誌ですよね。
まあ、そうですか。
まるかつファミコン、
かつファミとも呼ばれてるらしいですね。
ここにはですね、
86年に創刊された
ということでですね、
ゲーム少年たちの間で、
ファミマがファミコン通信と並ぶ
三大ファミコン誌の一つとして
高い人気を得たって感じますね。
そうですか。
さっきは四大誌、
あ、四大誌はファミコン必勝本を入れたら
四大ファミコン誌なんですけども、
ファミコン必勝本を抜くと
まさにね、ファミマが
ファミ通、そしてこのまるかつファミコン
っていうのがやっぱり
トップ3ということだったんでしょうね。
で、まあ、僕もね、
まるかつファミコンって、
これすいませんね、
これもね、
多分すいませんでばっかりなんですよね、
このコーナーは。
というのも僕がね、
結局ファミマ側と
ファミ通信者だったところが
強くて、
他の雑誌
っていうのを
よく思ってないわけではないんですけど、
あんまりそんなに見ないわけですよ。
パラパラとめくるぐらいで、
で、
やっぱり他の
コーナー、他のコーナーっていうか、
ここの雑誌の
誌面独特のね、
誌面構成だったりとか、
多分ライターさんの
連載記事だったりとかって、
そういうのにたまにしか
見ない分、
あんまり
目を通してなかったりも
してたと思うんですよね。
だから、
ファミ通に比べてどうだとか、
ファミマ側に比べてどうだとか、
良かったのか悪かったのかっていう
判断がね、
当時も今もね、できないんですよね。
多分読んでなかったと思うんですよね。
たまたま見たっていう
ぐらいなんでね、そこをね、
僕結構意外と今になってこうやってしゃべると、
ちょっと見とけば良かったのかなぁ
とは思ったりはするんですけどもね。
ただこのマルカズファミコンはね、
確かに、
そうですね、周りで
持ってた
こっちをね、定期的に買う
ユーザーが多かったっていうのは
覚えてますし、
タキシュ版がすごい
24:00
結局、
タキシュ版というか、マルカズファミコン
以外のね、マルカズが
そうですね、
僕の周りでは
有名だったかなと、後々ね、
なんですけども、
まあこれもね、
これどうなんだろうな、
91年だったから、それでも
あ、
あれですね、
スーパーファミコンへね、
対応してからですね、
あの、この門川ね、
いわゆる門川お家騒動
っていうのがちょっとありまして、
これはもう
本当に調べてください。
もう話すとね、
ちょっと長くなるっていうかね、
それなんで、
これはね、
お家騒動が起きる前に、
あの、
なんていうんですかね、
マルカズファミコン自体は
旧館に入ったということでいいのかな。
うん。
そんな感じです。
そして次がですね、
あの、
ファミコン通信ですよ。
アスキーね。
ファミコン通信はアスキーのままなんですよ。
そうなんですよ。
これはね、86年の
6月20日からですね、
96年の1月っていうね、
まさにあの、
ファミコン通信時代だけでも
まさにね、
もうあの、
10年もってますよ。
で、この前回ね、
総合ゲーム誌のところで、
あの、
週刊ファミ通が確か30年だ
みたいなこと言ってたんで、
やっぱり40年。
まあね、40年
続いてるメディアですよね。
でね、その、
紙面というか雑誌のね、
名前こそ変わってますけども、
で、
内部の体制だったりとか、
その、あとなんだろう、
まあ内部の人もね、
で、あと会社自体も変わったりは
しましたけれども、ただ、
ねえ、そんなことを
言いながらも、いわゆるこう、
多分、ねえ、
20代とかの子だと
ちょっと分かんないのかなあ。
20代、30代は
分かんないのかもしれないですけど、
40代以上であればね、
ファミ通っていうのが
元々ファミコン通信だっていうこと
ぐらいは分かると思うんですよね。
で、そう考えると、
そうですよね、もう40年、
40年かな、
今年ね、2026年なんで、
まあ大したもんですよね。
本当に、
あの、いかに
俺がファミ通好きかっていう話だったり
はするんですけども、
ねえ、褒めすぎだろうって話はある。
いやでもね、褒めていいと思うんですよ。
やっぱりその、
後にね、
この業界のオピニオンリーダーになる
っていうところもあるんですけれども、
やっぱね、あの、登場当初は
確かにファミマガの後、
27:01
特務書店のファミリーコンピュータマガジンの
後追いからはスタート
してるんですけれども、
やっぱりそうですよね、
このファミコン通信時代っていうのが
この、
なんなんでしょうね、
当時は、
多分ね、
ファミマガとか、
マルカツファミコンとか、
必勝本とか、
多分、やっぱり
その、
いろんなゲーム雑誌が
出てきた中で、
どうしたら差別化できるか
っていうことを、多分他の紙面も
考えてたと思うんですよ、他の雑誌もね。
そんな中
だと思うんですけども、
ファミコン雑誌、
当時送還されてた、この
86年以降に送還された、
この1年以内、2年以内の間に、
僕が
すごい、今でも
記憶に残ってる
辞書としては、
まあ、いわゆるその四大ファミコン誌、
なんでしたっけ、
マルカツファミコン、
あと、
ファミコン必勝本、
そしてファミリーコンピューターマガジン、
ファミコン通信、
この4誌あって、
他にもファミコンチャンピオンとかね、
この後喋るやつもあるんですけれども、
そういう、
各ファミコン雑誌の中で、
まあ、
僕がね、
ファミコン誌の中で最初に目にしたものが
あったんですよ。
これは他がやってないなって思ったのが、
えーとね、
芸能人が出始めたんですよ。
出始めたっていうか、
一部のコーナーだけなんですけど、
確かね、
なんていうタイトルだったかな、
ゲーム出前一丁みたいな感じの名前で、
なんかね、おかもちってあるじゃないですか、
あの、中華料理とかのね、
出前とかに使う、
おかもちの中にコンパクトな
テレビを入れて、
そこにファミコンも入れて、
あの、
オールナイトニッポンで
収録している
小泉京子のところに行って、
ゲームをさせるっていうね、
インタビューをするとかっていうのでね、
まあ、だからその、
オールナイトニッポンのスタジオで、
ゲームを楽しくしている
小泉京子だ、
僕、小泉京子のイメージがすごいあって、
なんかそういうね、
芸能人にゲームをさせるっていう、
芸能人もゲームするんだっていうのを知ったのは、
どうでしょう、
あの、このファミ通が
初めてだったかな、
あとね、当時は、
Bとたけしさんがね、
いくつも番組を持っている中で、
そういうのを言ってたりとか、
86年になると、
86年かな、
たけしの小泉城って出してたんで、
結構ファミコン好きなんだなっていうのは
分かってたんですけども、
他にね、芸能人が
ファミコンやってるっていうのを、
結構早めに知らしめてくれたのは、
このファミ通だったような気がします。
30:01
で、まあそういうね、
ゲームの攻略でも情報でもない部分を、
少し乗せてたかなっていうのが、
僕のイメージとしては、
まあファミ通がね、
その、
なんていうのかな、
まあ楽しければいいんじゃないかぐらいの精神で
やってるのかなっていうのもね、
面白ければいいんじゃないか、
楽しければいいんじゃないかぐらいの精神で
やってるなっていうのがね、
いろんなところで、
結構見て取れたんで、
僕はね結構買い続けてたかな、
あと、
今ではちょっともう
ないのかな、
ファミ通になってからは、
昔は、
たまにね、
下敷きとか、
下敷きって言ったら言って、
あのセルロイドのね、プラスチックの、
ちゃんとした下敷きじゃないんですよ、
厚紙みたいな下敷きなんですけども、
ファミスタとかね、
ドラクエとかね、
ファミスタで言えば選手ですよね、
ドラクエで言えば、
なんか呪文とかなんか
一覧になってるやつとかね、
あとね、
あれだな、
ファミコンの、
ナムコのファミコンソフトだと、
自分でシール貼れるようになってるじゃないですか、
それと同じでよくね、
ファミコンってあのこう、
裸でね、
こうやるときはね、
本の、
本を立てて並べるみたいな感じじゃないんですけど、
そうすると上から見ると、
ナムコとかね、バンダイとか、
そうだな、コナミも分かったのかな、
一部のね、
あの、
メーカー独自の形状の
ファミコンカセットでもない限りは、
まあ任天堂とかと同じような形だと、
上から見たときに
何のカセットかが分かんないんですよね、
それを、
でそこにね、
あのなんていうんですかね、
シールを貼るっていう、
ラベルシールみたいなのをね、
付録で付けてくれてたりとかしてましたよね、
まあそういうね、
なんていうんですかね、
ちょっと面白い企画もやってて、
まあ僕もファミコン通信の
ラベルを貼った記憶は、
なかったな、
結局は。
貼るとね、
なんかもったいないっていう、
あれがあってね、
今でもたまにあんのかな、
中古ソフトで剥き出しのとかね、
名前が書かれた、
マジックで名前書かれた、
内裏っていうんですかね、
カセットがあるみたいに、
ファミ通の当時のラベルを
貼っちゃったまんまにしてる
中古カセットとかもあるのかもしれませんけどね、
まあそういうね、
当時は、
そういう付録みたいなのもちょっとついてたかなー
っていうのでね、
で、
これがですね、
ここちょっと今見てわかったんですけど、
これ86年6月20日から
スタートした本ではあるんですけれども、
やっぱ最初はやってなかったみたいで、
86年の10月、
31日号から、
クロスレビューをね、
33:01
スタートしたらしいですね。
で、
まあこれがね、
なんていうのかな、
他もやってたのかもしれないんですけども、
他もやってたかな、
でもどうだったんだろうな、
僕が、やっぱりいわゆるこの
ソフトに点数をつけるっていうこと、
しかもあの、
まあその点数をつけてる人が
誰かっていうのをね、
はっきりわかるような状態で、
まあ要は署名入りで、
何点何点って書いていくっていう、
このクロスレビュー方式をとって、
最初の本だったとは認識してますし、
これがね、
後々多分後続が、
真似してたっていうようなイメージかな、
と思うんですよね。
ファミ通はね、
ご存知の通り10点満点中、
最高得点が10点で、
これを整数でね、
まあ減点方式になるのかな、
で、
採点してたとは思うんですけれども、
まあこれがね、
いわゆる読者の僕らからすると、
非常に、
まあ信頼性あるね、
採点システムだったとは思います。
いろいろ言いたいことは多分あるとは思うんですけども、
でもやっぱりその、
ね、
多分前回のファミ通のね、
週刊ファミ通でも言ったとは思うんですけども、
やっぱり購入の指針にすごいしてました。
まああとは、
やっぱり、
これは後の週刊ファミ通にも
あったとは思うんですけれども、
まあでも今はどこまでやってるかなとは思うんですけども、
ただこの当時、
そうですね、
先ほどあの、
芸能人のインタビュー、
そのね、
なんか他文字持っていってっていうのもありましたけれども、
まあこのね、
ファミ通の時、
週刊ファミ通じゃなくて、
ファミコン通信時代はその、
グラビアまでは手付けてないですけども、
ただ漫画が載ってたりとか、
漫画はね、
結構早い段階で載ってた気がしますし、
あとやっぱりその、
時折ね、
ゲームとは一切関係ないだろうっていうのをね、
特集じゃないけど、
紙面割いてたりとか、
あとその、
ゲームの周辺、
後にね、後にというかあの、
いわゆる前回喋ってた
総合ゲーム紙かな、
なんかで取り扱うような
事柄も込みで、
ファミコンの情報だけに
特化したわけでもなく、
そのファミコンおよび
ファミコンの周辺の
文化ですよね。
っていうのも
紹介してたような気が
します。僕は見てて。
で、そうですね。
あの、
多分前回喋っちゃったと思うんですけど、
いわゆるね、
忍者増田さんがウィザードリーに
関して、ウィザードリー
好きすぎて、
記事書いてたっていうのもこの
ファミコン通信の頃だったりしますし、
そうですよね、それこそ漫画で言ったら
36:00
桜玉吉先生とか、
そうですよね、あと誰だろう、
鈴木みそさんとかも
この頃ぐらいからなのかな、確か。
結構、
だからそういう意味では、
うーん、まあ、
なんか、ゲーム雑誌
なのにゲームから一歩離れた
情報とか、あ、あとね、
僕そうだ、思い出した。あの、
まあ、緩末の方になるのかな、
新作ゲーム紹介
よりちょっと前ぐらいに、
あの、今では
あるのかな、他の雑誌
とかでも、あの、
例えばね、コンビニのね、
新作スイーツ
紹介してたり、インスタントラーメンの
今度出る新作の
紹介したり、
映画をね、紹介してたりとか、
そうですね、よく言う、
なんて言うんですかね、まあ、後にね、
他の雑誌なんかでも、
ファミコン雑誌以外でも
取り入れられるようになった、
その本が発売される頃に
封切られる映画、
リリースされる、
CDのうちから何作かピックアップして
紹介するとかね、
まあ、あの、あと流行りの、
流行りそうなアイテムっていうのかな、
そういうのを紹介するとかっていうね、
なんて言うのかな、
カルチャーニュース的なページも、
当時、
あの、
掲載してた雑誌っていうのは、
多分ファミ通が最初だったとは思います。
僕が見てる限りではね。
映画紹介なんかは、
結構珍しかったような気がしますね。
映画誌でもないし、
映画の情報を知りたきゃ、
やっぱり映画雑誌か、
あとどうなんだろうな、
新聞のね、
なんかそういう映画紹介欄みたいなのが
U缶とかに載ってたぐらいの
時代だったと思うんですけど、
あの、
今のね、40年後の今では
もうありえないでしょうけども、
今はね、テレビとか、
ネットとか、
情報がある時代なんで、
いくらでも情報を
収集できるわけですけども、
当日はテレビかラジオか、
あと雑誌、
新聞っていうね、
結構限られた中でしか
僕らは情報が収集できない
っていう中で、
その、
ファミコンの情報が欲しいから
ファミコン雑誌買うわけですよね。
その中にちょろっとでも乗っかってると、
やっぱりその、
なんていうんですかね、
ファミ通で紹介してた映画か、
ファミ通で紹介してたアーティストのCDか、
みたいなね、
先入観が入った中で、
音楽ショップだったり劇場でね、
見ちゃうから、
そこに手出しやすかったりしたのかな、
でもそういうことを、
なんか結構早い段階で、
このファミ通っていうのをやってた、
ファミコン通信か、やってたなっていうのも、
イメージとしてありますね。
で、このクロスレビューなんかはね、
後々、
いわゆる、
ゲームショップの
反則品として使われるようになったりとか、
39:03
まあ、
仕入れの参考にするほどまでにね、
影響を与えたっていうことでもね、
非常にやっぱり
このクロスレビューはね、
ちょっと話立ち替えると、
影響力が出たっていうことでも、
このね、
まあ後々、オピニオン誌になっちゃう
っていうところでもあるんですけども、
まあね、ファミ通、ファミコン通信、
ファミ通ってどうしても言っちゃいますね。
なんですけども、
最初はね、
総合ゲーム誌っていう、
ね、ファミ通になる前は、
やっぱりファミコン通信の頃っていうのは、
うーん、
まあ、
僕が、
マスターシステムマーク3とかを
持ってた時期でも、
多少1ページぐらいはね、
1ページ2ページぐらいは
紹介記事があるんですよ。
で、がっつり攻略っていうのは
この当時は載ってなかったんで、
だからこれはね、やっぱり
ハード別ゲーム誌と言っていいと思うんですよ。
アーケードの情報も載ってるし、
情報なんですよ、結局。
PCエンジンが出たら
PCエンジンの情報も載るけども、
そういう攻略だったり、
詳細なね、
2ページ見開きで
ワンタイトル紹介するとか、
そういうことまではなくて、
やっぱりあくまで、
どこまで行っても
ファミコン専門誌っていうのを、
ファミコン通信はある程度
貫いてたかなと、
いうところですね。
ちなみに結構喋ってますけど、
よく考えたらですね、
これハード別ゲーム誌なんですけれども、
ファミコン通信はまあいいとして、
後にね、
ファミ通になって、
ファミ通何々っていうね、
各ハードごとに、
多分、
なんていうんですかね、
水平展開していくんで、
この項目結構多いな、
それで考えたら、
ファミ通ブランドの
他の
ハード名のついた、
多分雑誌が結構
この後出てくると思うとちょっと、
今ファミコン通信
だいぶ喋りすぎてちょっと後悔してますね。
次がですね、
ハイスコアですね。
これ結構
どうなんですかね、
英知出版っていうところから
日本文化社っていうね、
日本文化の科はね、
文章の文に花って書く会社で、
僕はあんまり
この辺の出版社は知らないんですけども、
ハイスコアは当然知ってるっていうか、
あるキャンペーンがあまりにも有名で、
ハイスコアイコール
ゾンビハンター
っていうファミコンのソフトを
思い出すんですけどもね、
これは
アイスクリームのプレゼントで、
これどうやら
ハイスコアっていう、
ハイスコアメディアワーク
42:00
っていうところ自身が、
アイスクリームの顧客プレゼントという形で、
ファミコンソフトを
企画開発したらしくて、
この出版社、
出版社というか編集部
っていうんですかね、
が作ったみたいなゲームなんですけど、
当時ね、なんていうアイスクリームだったか忘れたんですけども、
それとタイアップした
っていうゲームで、
ゾンビハンターっていうゲームが、
あんまり
後に一般販売されたんですけれども、
僕もなんかやったんですけど、
いまいちパッとしなかったなー
っていう感じのゲームだったんですけどもね。
で、このハイスコア
っていうのがですね、
僕もね、なんかチラッと見たぐらいで、
そんなに買い漁ったというか、
っていうイメージもなくて、
紙面の記憶もほぼほぼ、
見た記憶はあるんですけど、
覚えてないんですけども、
前田さんの本によると、
タイトルがね、
ハイスコアって書いてあるだけにですね、
ハイスコア競争を書くとした
投稿文化もね、
あったらしいんですよね、
その紙面でね。
いわゆるアーケードだったりとか、
ファミコンとかの
コンシューマーだったりとかの
ハイスコアを、
読者のハイスコアを
投稿してくれたのを
載せたりっていうね、
まあ当時、
ゲイメストとかはそういうのを
やってましたけども、
それよりも前の
ハイスコアっていう本でも
やってたみたいですね。
これね、
でも4年間続いてるんですよね。
90年5月まで、
86年の2月から
1990年の5月までやってた
っていうことで、
まあなんかね、
紙面は覚えて、
紙面というか、
タイトル、
本の名前は知ってるし、
でもやっぱり、
どうしてもゾンビハンターのね、
そっちのイメージが
強くて、
それ以上でもないっていうね。
結構ファンが多いらしいですね。
そういう、
読者投稿でハイスコア文化を
すごいこの雑誌は
大切にしてたみたいなんで、
やっぱりゲーム情報
っていうの以外に
読者と編集部との
やりとりが結構盛んだった
本みたいで。
だから、
思い出深い人は
いたと思うんですよね。
こういう雑誌に関しても。
いわゆる
ゲーム情報とか攻略情報のみに
特化した本とは
またちょっと違った文化が
独自の読者層が
いたとは思うんでね。
僕はそこには入っていけて
なかったんで、
僕はあまり記憶がないんですけども、
それで思い出深いっていう人も
いるとは思うんですよね。
次がですね、
これはね、
2つ同時に
45:01
紹介しようかと思うんですけども、
なんとね、
学研が作ったファミコン雑誌で
ファミコントップ
っていうのが1986年の
4月から
1986年の
同じ年の
ボリューム4号で
多分毎月なんで4ヶ月くらいで
終わったのかな。
ファミコントップっていうの。
次がですね、
86年で
苔けたということでですね、
2年間を分けてですね、
1988年1月1日からですね、
翌、
4月25日で
6冊出てるみたいですね、
期間として
出してたみたいなんですけども、
これがファミコンベストっていうね。
全く知らないですね。
学研が作った
エンタメ系ファミコン雑誌
っていう感じらしいんですけども、
学研がね、
どうなのかな、
86年っていうと、
いわゆる科学と学習でしたっけ、
そっち方面は
よく分かってるんですけど、
雑誌っていうと
なかなかね、なじみが
僕もこの当時あんまりなかった記憶があるんで、
なんかね、
ファミコントップっていうのはね、
表紙に、僕が見てるやつは、
どうでしょう、
第2号になるのかな、
鶴太郎さんがね、
デフォルメされた鶴太郎さんがね、
表紙に書かれてるんですけども、
で、
ファミコンベストっていうのはですね、
もうあの、
なんていうんですかね、
ちょっと制服っぽい服を着た
ノリピーが写ってますね。
なんか、どうなんだろう、
中学生向けの本に変わったみたいな感じかな。
それ以上分からないっていう感じが出てる。
まあまあちょっと紙名、
紹介紙名も特に読んでないんで、
これぐらいですかね。
で、その次がですね、
えーと、特馬書店ね、
ゲームボーイマガジン、
1989年11月30日から、
1993年6月24日、
月刊誌として出てたっていうことで、
これはね、
ファミリーコンピューターマガジンの
雑刊として、
出た雑誌らしいんですけれども、
まあ、
89年11月30日、
11月30日号
っていうことで、
そうですね、
ゲームボーイ、
発売に合わせて
出したような感じなのかなぁ
と思うんですけども、
これをね、
ファミマガと別で
出すっていうところですよね。
で、そうか、
93年かぁ、
93年、
6月24日、
で、
この本が終わってるっていうことは、
いわゆる第一次ゲームボーイブームみたいなね、
いわゆるテトリス、
で、
いわゆる火の、
火がつくっていうかね、
48:00
ゲームボーイがね。
で、そこからいろいろと
やるんですけれども、
93年6月24日をもって、
まあ、休館してるっていうところでね、
もうあとちょっとがんばれば、
もうあとちょっとがんばれば、
ポケモンのね、
ブームに乗れた
ゲームボーイ専門誌、
でもあったとは思うんですよね。
一応ね、これ唯一のゲームボーイ専門誌
だったらしいですね。
本当にね、ゲームボーイは、
だからこの93年頃っていうと、
確かにもうあの、
なんていうんですかね、
ハードとしての役割は
終えてたというか、
寿命を全うしたというか、
そういう流れがやっぱり
若干ありましたし、
かといってね、他の
携帯ゲーム機って言っても、
まあないんですよ、ゲームギアぐらいしか。
で、ゲームギアもね、
ものすごい普及してたとか、
ゲームボーイを抜くほどの
こう、
ムーブメントになってなかった
っていうところがあったんで、
まあ携帯ゲームっていうのは、
ちょっとその、
技術革新かなんかがない限りは、
この93年頃だと、
まあちょっと、
一旦ちょっと、
収束するんじゃないのかなって思われてたと思うんですよね。
だからね、
徳間書店も、でもまあ89年から
93年ですか、
やっぱり4年ぐらいですね。
まあね、なんとか頑張った
っていう感じなんでしょうね。
この辺ぐらいだったら、
ファミマ画がね、
これもその、
ファミマ画のあんまり、
枝分かれしすぎたのと、
ファミ通はね、
全部一括で、
ファミコン通信の中に
持ち込んできたとか、
機関の別紙とか
作ってたのかな、まあそういうのの違いから、
ね、
勝敗が分かれたみたいな感じも
あったのかなと思ったりするんですけどね。
まあ、
ゲームボーイマガジンね、
ポケモンブームの前に
収束しちゃったって、
期間した、
唯一のゲームボーイ専門誌ということで、
次がですね、
ザ・スーパーファミコンね、
これはソフトバンク出版事業部が
出してまして、
1990年
11月16日と、
ということでですね、
どうなんでしょうね、
あ、
まさにね、
1990年11月16日
っていうことはですね、
スーパーファミコンが
発売される、
約5日前に
出てますね。
1996年
12月号と、
まで出てた本らしいですね。
僕もね、
これは知ってますよ。
知ってますよっていうか、
これあれじゃないかな、
ソフトバンクなんですけれども、
51:03
ビープメガドライブ的な
ことやってなかったかな、
同じね、ビープメガドライブと
同じ出版社なんで、
もしかしたらランキングとか
載せてたのかな、
スーパーファミコンの。
なんかね、ちょっと僕も
今ね、紙面読んでるんですけれども、
ちょっと、紙面っていうのは
このね、前田さんの
解説記事をちょろっと読んでるんですけれども、
まああの、
なんかそれらしいのは
書いてないですね。
なんかあってもおかしくないかなと
思うんですけどね、
ビープと同じ出版社だったりするんでね、
特にファミコン、スーパーファミコンの
ソフトって結構、
まあ、数多かったと思うんで、
ビープメガドライブとかで
ソフト全てのランキングを
読者参加型でやるっていう
企画はあっても
おかしくないなと思うんですけど、
ちょっとその、あったのかどうかまでのが
ちょっと
わかんないですね。
で、あとね、
音楽CDを
古くにつけてた。
たまにね、なんですけども、
あったみたいですね。
僕もね、
これね、たまたまこの
これ1994年
9月16日号
っていうのがこの
前田さんの本では
あの
紹介されてる、紹介というか
載ってるんですけど写真が
これ豪傑一族
数ファミ版の
パッケージアートなんですかね。
僕まさにこの号
買ったなぁと思ってね。
買った覚えがあるわと思って
今ね、見ててね。
そうですね。
で、こ、
次がですね、筆本スーパーですよ。
筆本スーパーね。
ファミコン必勝本から
あの
紙名をね、紙名違う
紙名、紙名というね、雑誌名をね
変えたっていうのでね。
これが91年
1月からですね、94年
6月までっていうね。
そうですか。
なんか意外と持たなかった
みたいな感じですね。
あ、そうか。
これはあの、その後多分
紙名をまた
筆本スーパーって今僕が言ってんのはね
全部アルファベット表記の
筆本スーパーなんですけど
一応あの紹介の
記事のキャッチコピーっていう
ライターの個性が滲み出る
尖った雑誌って書いてあって
もうね、僕は先ほど
スーパーファミコン、ファミコン必勝本の時に
喋ってましたけど
筆本って何?っていう
当時本当に
筆本って何さ?ってずっと思ってましたから
だからね
なんかよく分かってなかったんですよ
なんで筆本って言うんだろうって
あれ俺でも
当時これ専門学校の
連れとかに聞いたけど
なんか
教えてもらえなかったなぁ
54:01
あれ?
ファミコン必勝本のことを
筆本って言うっていう
あんまり
知られてなかったことなのかな
少なくとも僕の周りでは
それを教えてくれた人がいなかったかな
これもね
喋るだけっていう
喋るだけっていうか
あんまり
なんて言うんでしょうね
思い出がないっていう感じですかね
次がですね
91年4月からね
95年
12月22日まで出ていた
門川書店の
まるかつスーパーファミコンですよ
91年4月から
95年の12月22日
さあ
これは結構ね
もう多分
まあお分かりの方も
あると思うんですけども
ちなみにですね
門川のお家騒動と呼ばれるね
あれがですね
いわゆる編集部の大規模離脱
っていうのがですね
92年にあったんですよね
92年の編集部員たちの
大規模離脱の後
なんとか
95年12月22日までは続けたと
で
このね92年のね
大規模離脱
した人たちが
まあどこに行ったのか
っていうとですね
この次に紹介する
主婦の友者に
ある
これ主婦の友者が
出版してるだけであって多分開発
開発というか
編集はね当時
メディアワークスとかそんな名前だったのかな
確か
電撃スーパーファミコンね
これはもう
電撃っていうブランドを立ち上げるね
そうなんですよこれ
丸勝から電撃に
皆さん行ったっていうね
門川のねちょっとした
お家騒動みたいなのがありまして
僕は
これ
当時
丸勝から電撃にっていう
丸勝の編集部員たちが
こうやめた
っていうのはね
この当時僕高校生で
あの当時ね僕の
高校の
同級生にですね
名前出して
俺出したことあんな
なんかBBブロスさんか
なんかお便りで一回出しちゃってるのかな
あの僕の
友人でですね
あの
これついでだから紹介しようかな
だいぶ先のページあるのかな
ちょっとだいぶ
ちょっと今探してるんですけど
その
ないかな
ちょっとすいませんね
あったあった
僕はねこの
門川のお家騒動っていうのでね
ついでにやるとですね
これあの
57:01
僕の
高校の同級生でですね
この
大塚くんっていう
子がいるんですよ
今僕の地元
九州僕が中高育った
住んでた
地元の
市役所で働いてますけど
大塚くんっていうね
おーちゃんってよく呼ばれてたんですけど
あだ名で
おーちゃんがですね
ある時ですね
まるかつ
あのPCエンジン
ファミコンの次は
PCエンジンが来るって言ってね
僕もPCエンジン持ってたんですけど
次はPCエンジンの時代だって言って
もうPCエンジン一択だったんですよ
メガドライブも
その他の
スーパーファミコンも買わずにですね
PCエンジンだけに全勢力を注いでたんですね
彼はね
大塚くんがですね
非常に愛読してたの
情報源が
まるかつPCエンジン
まるかつPCエンジンっていうのは
門川でね
ちょっとだいぶ先のページにあるんですけど
ついでなんで紹介しちゃいますけど
門川書店が
1989年1月号
からスタートしてですね
94年3月まで
出してたみたいなんですけど
このね
まるかつPCエンジンも門川書店なんですけど
ご多分に漏れず
92年のね
いわゆる編集部
大量離脱門川のね
っていうところで
お家騒動で
なんて言うんですかね
まるかつPCエンジンもね
やっぱりそれまでの
紙面から
ガラッと変わるわけですよね
で当時ね
なんか僕覚えてんのは
昼休みの後に
うち掃除が
確か昼休みの後にね
あったんですよその高校は
そしたらあの
僕のことちゃんづけで呼んでたんですよね
たくちゃんって呼んでたんですけど
彼は本当に
たくちゃん大変なことが起きたぞ
って言って
まるかつPCエンジンの
編集部
が
なんかいろいろあって
辞めて
なんて言うんですかね
今までずっと紙面を作ってた編集の人たちが
全員辞めちゃったんだよ
って言われて
僕にはね
かなりな一大事
ある意味間違ってはないんですけど
空出たが起きたぐらいの
勢いで
だって言ったって僕
九州の片田川ですよ鹿児島ですよ
だけどこれ東京で起きてるよね
東京の一出版社の中で
起きたことじゃないですか
そんなね
どいなかの高校生には全くもって
変わんないんですよ
あーそう
ぐらいの感じで
何言ってんだよおーちゃんみたいな感じでね
1:00:00
と思ってたんですよ
それでね
彼にとってはね
PCエンジン一択の
彼にとっては
もうやっぱりその
どうなんでしょうね
あのーPCエンジンとしては
他にも雑誌は
あったんですけれども
やっぱり最も崇拝してたというか
信用してた丸勝
PCエンジンが
窮地に立たされたということだったんでしょうね
それで僕に何か言ってきてたんですけど
なんか僕は
あーそうみたいな感じで
聞き流しててですね
この門川
お家騒動っていうのは
結構すごいことだっていうのは
もうそれから何年か
それこそどうだろうな
それ多分
92年とかだとどうなんだろう
俺17,8歳ぐらいだから
多分ね
4,5年後ぐらいに知るんですよ
あれがいかにすごかったかっていう
すごい話だったのかっていうのは
僕がね編集の会社に
出版の会社に
入ってそういうのに
携わるようになってから
色々ねお付き合いさせてもらう
印刷会社だったり周りの人たちから
そういう話
あれは実は
すごかったんだと
我々
印刷業界にも
少なからずちょっとやっぱり
あったよみたいな話だったりとかね
やっぱり聞かされるって
すごいことだったんだなと
だいぶ後になってから僕は知るんですけど
そんなねだいぶ話飛びましたけど
この
ついでなんでこのマルカツPCエンジンも
当然のことながらね
これは後々ね
92年なんですけれども
頃に
大量に辞められて
まあやっぱり同じように
PCエンジンマルカツPCエンジンの
スタッフたちも
電撃PCエンジンっていうのをね
主婦の友者で1993年2月ぐらいから
やられてますね
この1993年の2月号から
96年の
5月号までやってますね
このPCエンジンの本としては
どうなんでしょうね
マルカツPCエンジンっていうのが
まあねその大量離脱した後も
なんとか
別のヘンプロかなんかに頼んだのかな
それで94年3月っていうね
まだ94年3月っていうと
PCFXが出る前ですしね
で
電撃PCエンジンに至ってはですね
96年5月というね
PCエンジンというより
FXが出て
FXの勝敗というのは
半年以内に決まったぐらいの
もっと言うと12月に
出てるけど翌年の3月まで
持たなかったようなイメージがあるんで
まあね
95年3月以降も
この電撃PCエンジンっていうのが
続いてた
ということを考えると
いかにこの
マルカツ時代からの編集の方が
この電撃に移られて
でまあ
言ったらね
1:03:01
おそらくなんですけどFX
のあの
なんていうんですかね
FXの当然扱ってたとは
思うんですけれども
それでもあの
よく持ったなここまでっていうのは
編集の方々の
センスじゃないかなと思う
PCエンジン自体が
96年当時になるとその
ソフト記憶は完全に
死んでたわけではないにしても
だいぶ少なくなってたとは思うんですけど
それでもね
PCエンジンとか
あとどうなんだろう96年頃だったら
でもFXの
あれも
情報も載せてたんじゃないのかなと思うんですよね
で
あれですね僕今見てるやつだと
もう
電撃PCエンジンのね
表紙になかなかの
タイトルが出てますね
天外魔鏡特報
天外魔鏡3
涙とかね
独占スクープ
銀河お嬢様伝説
ユナFXとかね
これ95年6月だな
6月の
号らしいんですけどね
んー
夢のままで終わってる
企画もいっぱいあるな
って言うね
んーなるほどね
でこの
電撃PCエンジン自体はですね
1996年5月でね
終わったんですけどその後にですね
電撃G's
エンジン
大文字のGの後
アポストロフィーでSでエンジンって書いて
そういう紙面に
変わったらしいですね
紙面というか雑誌に変わったということで
そうですか
まあね電撃と丸勝の
ファミコンとかスーパーファミコン
から
一気に喋っちゃいましたけどね
そうですねちょっとね
これね今思ったんですけど
なかなか
なかなかだなこれ
全部喋るとなると
映画ですね
ちょっとねなかなかだな
って言ってた後に
僕ちょっと考えたんですよ
でこの
前田さんのね
懐かしのゲーム雑誌
大集合っていうね
この本なんですけども
本の最初のところにね
目次みたいなのが
あるんですけどもそれもう一回見たんですよ
今ハードベツゲーム誌
第3章のところ見て
ちょっとね一番
一から全部紹介しちゃいけない
章だったっていうことに
今更ながらに気づきましてですね
最も多いんですよ
簡単に言うと
そうですね最も多いんですよ
雑誌の種類が
どれくらい多いかというと
僕そうですね
丸勝BCエンジンとか喋ってますけど
多分あのあれですよね
ファミコン
丸勝
丸勝スーパーファミコンとか電撃
1:06:01
スーパーファミコンぐらいまで
喋ったと思うんですけどね
ここから
紙面の
タイトル
本のタイトルだけをこれから一気に読み上げていきますね
スーパーファミコンマガジン
ヒッポンスーパー
月刊ファミコン通信攻略スペシャル
月刊サテラビュー通信
電撃任天堂64
スーパー64
ファミマガ64
ザ64ドリーム
任天堂スタジアム
ファミ264プラス
電撃GBアドバンス
任天堂ドリーム
ファミ264プラスアドバンス
ファミ2キューブプラスアドバンス
任天堂キッズ
電撃ゲームキューブ
電撃ゲーム
キューブ
ひらがなの
電撃ゲームキューブ
こちらも
電撃任天堂DS
電撃DSスタイル
ファミ2DSプラス
キューブ&アドバンス
ファミ2DSプラス
電撃DS&Wiiスタイル
電撃DS&Wii
電撃任天堂4キッズ
電撃任天堂
何回電撃言わせるんだよ
PCエンジンファン
月刊PCエンジン
まるかつPCエンジン
電撃PCエンジン
電撃ジーズエンジン
ビープメガドライブ
メガドライブファン
まるかつメガドライブ
電撃メガドライブ
サタンファン
セガサタンマガジン
ファミ2サタン
グレートサタンZ
セガマガジン
サタンスーパー
テックサターン通信
テックサターン
電撃セガEX
ハイパーサターン
電撃セガサターン
電撃ドリームキャスト
ドリームキャストファン
ドリームキャストプレス
ドリームキャストマガジン
ファミ2DC
ザプレイステーション
プレイステーションマガジン
ハイパープレイステーション
電撃プレイステーション
ハイパープレイステーションリミックス
ファミ2PS
テックプレイステーション
月刊ファミ2ウェーブ
ザプレイステーション2
ハイパープレイステーション2
ハイパープレイステーション2
メガミックス
電撃PS
ファミ通PS2
ザ・プレイ
電撃PSP
ファミ通PSP
ファミ通PSプレイステーションプラス
ファミ通PSPプラス
プレイスPS3
3D用マガジン
ワンダーアスワンファン
ファミ通ワンダーアスワン
ファミ通Xボックス
ファミ通Xボックス360
ちょっと疲れたな
いやーもうどうですかこれ
呪文のようでしたもんね
なんかの
なんなんでしょう
すごいな
目字見ただけで
目字読んだだけで
疲れちゃったもんな今
何回電撃とかファミ通とか読むんだよ
っていうぐらいやっぱありましたね
1:09:01
まぁね
ちょっとこれ全部喋るのはね
さすがに
ちょっとっていう感じなんで
しかもですね
ちょっとここでね
方針をさらに変更したいと思います
今回ね
ハード別ゲーム紙ね
やっぱちょっとね
これで一回撮れれば多分
ね、あのー
まぁ
一回でまとまるだろうと思ったんですけど
僕がね
結構最初から全部拾っちゃったっていうのも
悪かったと思うんでね
学研のファミコントップとかファミコンベースなんか
喋れること何一つないんですよね
喋れるものが一つもないくせに
拾おうとするからね
大火傷してるんですけども
ちょっとね
今回はここまでにしてですね
次回ですね
先ほどね
バーッと読んでいったと思うんですよね
なんか
ファミマが64とか
任天堂キッズとかね
なんかいろいろ
今も9時見て適当に喋ってますからね
メガドライブファンとかね
なんか
ファミ通サターンとか
グレートサターンZとか
この辺からね
ちょっとピックアップして
次後ちょっと喋っていければと思います
今回はね
ちょっとここまでで
いった
ハードベツゲーム紙ね
ハードベツゲーム紙
前編ぐらいで許してください
ちょっとね本編
今回はここで終わろうと思います
これ足すと
4
4回連続とかになりそうだな
僕ね
そうなんですよ
これでやって
次で
どうなんでしょうね
エロゲーとかもない
僕エロゲー関係ないんで
オンラインモバイルゲーム紙で
ちょこっと喋る部分があって
あとはその他のゲーム紙とかをね
喋れれば
それが3回目で
今回でハードベツゲーム紙
喋りきれるだろうと思ってたんですけど
多分4回ぐらいは
なりそうなんで
ちょっと今回はね
ハードベツゲーム紙
前編ということで
ちょっとご勘弁ください
すいませんでした
聞いていただいてありがとうございます
この後ちょっとエンディング
喋ると思います
はい
いかがだったでしょうか
えーとね
実はですね
このエンディング部分はですね
この次のですね
あの
ハードベツゲーム雑誌の紹介
後編を先ほど収録した後に撮ってます
だから
なんなんでしょうね
結構
アベコベの作りになっちゃってるんですよね
もうあの
今回のね
本編撮った後に
こう本当は
エンディングとか
1:12:00
作って
まあオープニング撮って
これはどっちでもいいんですけど
やって
かんぱけてから
次の回行けばいいんでしょうけども
ちょっとね
この
ゲーム雑誌の中でも
ハードベツのところっていうのが
やっぱり
僕の想像以上に
やっぱりボリュームが多かったりとかするんで
これだけはね
まずひとまず
ちょっと全部喋りきってから
ちょっと
ね
やっぱりエンディングって
こう
ちょっと
まあリラックスしてね
あの
まあ本編もリラックスしてるって知ってるんですけど
もうちょっとね
関係のない話とかも
入ったりもするんで
まあね
その
ちょっと
まずはね
ゲーム雑誌の中でも
そのハードベツっていうところに
まあね
第1回来て
第2回の今回
で
次の第3回までは
こう
走り切っとこうと思ってですね
あの
か
それもあって
ちょっとあの
エンディングは後回しにしたんですよね
で
先ほど本当に
数分前ですよ
数分前で
1分2分前ですね
やっと
この後のね
まあこのゲーム雑誌企画で言うと
あの
3回目の本編
まあ
ハードベツ
かな
ハードベツゲーム雑誌
で言うと
まあ2回目
ちょっとややこしいっすね
今回はまあ前編としといてください
で
次回で
なんとか完結させてます
あの
もう
花からしゃべるのをやめてね
あの
名前すらあげてない雑誌も結構あります
あの
その辺は
本編でちょこっと
最後の方にしゃべってるのかな
わかんないですけどもね
うーん
まあまあまあ
それはね
いいとして
でもね
なかなかやっぱ多いです
であの
ね
これ
この回でしゃべっていいのか
ちょっと
考えたりもしたんですけれども
まあ
いわゆるね
あの
このね
ハードベツゲーム雑誌
で言うのが
その
今1回閉じたのにな
あの
まあ結局
そうですね
86年の
それこそ
85年か
7月の
ファミマ画から
スタートしてですね
えーと
最終的にはね
ですね
次の号
次の号で
次の回で
しゃべる
やつ
ですと
現在観光中の本は置いといても
どうでしょうね
あの
2010年代とか
まで続いてる本とかも
結構あったりするんですよね
まあ
2012年かな
ファミ通XBOX360っていうのを
2012年で休館してますけど
まあこの頃ぐらいまでなんですよね
1:15:01
まあそれで考えるとやっぱり
結構な
期間だったと思うんですよね
で
まあ
ね
まあそれが
こう
ゲーム業界っていうのが
ファミコンから始まって
盛り上がって
ファミコンっていう
一大ムーブメントが
少しずつ
衰退というか
次のハードに
バトンタッチ
まあ競合他社のハードも
まあ
ファミコンを上回る性能で
やっぱりそれはそれで
市場を
築けてくれて
っていう中で
こう
いろんな
ムーブメントが
こう
ね
ずっと
続いてきたわけじゃないですか
で
その間にいろいろと
世の中の歴史とかも
ね
ゲーム以外にも動いてたよな
と思って
何に
持っていこうかな
っていう話なんですけど
喋りとしてはね
いやあの
本当に
何日前だろう
昨日一昨日とかかな
あの
久米博さんがね
亡くなられたんですよね
たぶんこの
番組聞かれてる方だったりすると
まあ
100%
ご存知かと思われる
久米博さん
僕も本当に
大好きな
方だったんですよね
まあ
僕
まあ僕だけじゃないですけど
たぶんこれ聞いてくれてる人なんかもね
あの
久米博さんとともに
の番組を
見続けて
成長してきたと思うんですよね
ザーベスト10だったり
ピッタシカンカンだったり
ね
他にもいろんな番組やられましたよね
で
えっと
久米博さんがやっぱり亡くなられて
やっぱりすごい振り返られるっていうのは
その
やっぱりどうしても
ニュースステーションね
あれに
始終しがちな雰囲気が
あるんですけれども
僕は
もちろんね
久米博さんが
あのニュースステーションっていう番組を
やったっていうことは
すごい意義があることだったと思うんですよね
あの
いわゆる
10時以降のね
時間帯を
プライムタイムって言うんですけれども
あの時間帯に
まあ1時間半から
2時間近くの枠を
報道で
もうあの
民放のね
テレビ朝日ですよね
が
民放が
ニュースの番組をやるっていうね
当時はあの
9時って言ったらまあ
NHKがニュースセンター
9時っていうのをやってて
で
日本テレビ
読売テレビね
日本テレビ系列が
11時とか11時半に
今日の出来事っていうね
本当にあの
その日あったニュースを
まとめて紹介する
っていうだけの
ニュースがあったっていうね
それだけの時代に
1:18:02
まあ
1時間半以上にわたって
あのその日あったニュース
ね
であったりとか
そのそれまでにも
時間をかけて取材してた
ね
あの
ニュースの話題というか
それを紹介するっていうところから
スポーツだったりとか
ね
だからその
物事によっては
深掘りしてニュースをね
わかりやすく広げてくれてたと思うんですよね
まあ
物事によってはというより
ほぼほぼ全てのニュースが
わかりやすく解説されてたかな
と思うんですよね
くめひろしさんがね
で
僕はそこもすごい
あの
あれのおかげで
やっぱり
いろいろと学びが多かった
人生も
ね
あれのおかげで
物を知ることができたかな
と思うんですよね
で
それ以外にも
そうですね
僕
多分皆さん覚えてる人が
どれぐらいいるのか
わかんないんですけども
あの
僕はね
くめひろしさんで思い出すのは
もう一つは
テレビスクランブルっていう番組が
すごい好きだったんですよね
えーとね
元気が出るテレビってね
たけしさんがやられてる
あの番組は
テレビスクランブルの後番組なんですよ
日曜8時からやってたね
番組で
日本テレビでやってた番組なんですけども
これは視聴率が悪いっていうわけではなくて
当時いっぱい番組を抱えてた
くめひろしさんが
あの突如ね
ちょっと
休養するっていうことで
全ての番組が一回降りちゃうんですよね
それで
まああの
テレビスクランブルっていう番組も
終了しちゃったんですけども
まあそれがね
ヤスさん
ね
横山ヤスシさんとね
一緒に
VTR見て
いろいろ喋るっていうね
うーん
まあ
番組なんですけども
横山ヤスシさんですよ
何が起きるかわからないっていうね
あの
そんな感じのところで
うまいこと
ヤスさんを制御しながらね
時に暴走もしてたんですけどね
でもそういうの
見せてもらってたなーっていうのに
思い出が深くてですね
で
まあそのくめひろしさんというと
その
やっぱりニュースステーションですよね
ちょうどね
ニュースステーションが
この
ファミコ雑誌
いわゆるゲーム誌が
台頭してきた頃ぐらいに
始まってる番組だったり
したんですよね
で
振り返る
なんかね
映像なんかを見てると
やっぱり先ほど
先ほどじゃないな
次の回で言うのかな
例えばベルリンの壁だったりとか
オウム心理教の事件だったりとか
日光記墜落だったりとかっていうね
激動の時代だったんですよね
実は80何年っていうのはね
それこそグリコ森永事件とかも
グリコ森永事件はそれより前か
なんですけれども
まあその間にね
こう
なんなんでしょう
いわゆるバブルって呼ばれた
バブル景気もあったし
そういう中でこう
1:21:00
大量消費っていう風になった頃に
なんなんだろう
すごい人的リソース
そして資金を投入して
テレビも盛り上がれば
ゲームも盛り上がり
そしてそれを盛り上げる役の一つが
ゲーム雑誌だったりしたわけですよね
だからなんかあの頃は良かったな
みたいなこと僕は言いたかったわけなんですけど
だって今じゃもう考えられないぐらいね
同じ時期に
いろんな本が出てるんですよ
プレイステーションにしても
サターンにしても
スーパーファミコンにしても
メガドライブPCエンジンにしてもね
4紙ぐらいずつ出てるんですよ
だいたい4紙5紙出てるんですよ
今どうですか
今ね
出てるゲーム紙ですよ
まずね
ファミ通とですね
これ次の回でも喋ってるんですけど
任天堂ドリームね
そしてあの電撃任天堂
これだけなんですよ
総合とハード別専門誌としては
ゲーム雑誌たった3紙なんですよね
プレイステーションに関しては
もう専門誌が一つもないんですよね
であとはですね
子供向けとか学習誌にね
例えば
テレビゲームマガジンっていう
これも門川が出してるんですよ
あとピコプリっていう
これも門川が出してるんですよね
小中学生の女の子向けゲーム雑誌とかね
あとはもうメディアミックスですよね
Vジャンとかね
そんなもんぐらいで
そのゲーム雑誌っていうのがもう
本当に社用って言ったら
あれですけど
社用だとは思うんですよね
その前回もたぶんまとめで
喋ってると思うんですけど
やっぱりいかにもネットにとって
変わられてるか
ね
いわゆるオウンドメディアって言うんですけども
要は
まあね
ゲームソフトを開発してるところ
ゲームソフトをリリースするところ
デベロッパーだったり
パブリッシャーが
自ら
ネット
ウェブサイトだったりとか
YouTubeだったりとかを通じて
こう
発信する場がね
もう今はあるから
その
メディアの力って言うんですかね
紙媒体
いわゆるプレスの力を借りたりとかする必要が
なくなってきたっていうのが
大きな
理由ではあるとは思うんですよね
だからしょうがないっちゃしょうがないとは思うんですけどもね
まあでもね
なんか
これからは
もうゲーム雑誌片手にっていうのはもうね
これからどころかもうとっくに
時代遅れな遊び方になっちゃってるんでしょうけどもね
まあ
なんかね
僕はその
これからの
人たちがそういう遊び方をしない
でもいい時代があるっていうのは
それはそれで便利だとは思うんですよ
いいなとは思うんですよ
それは僕も込みでね
1:24:00
ただ
なんか
ゲーム雑誌片手に
今度これ買おうかあれ買おうかって
こう
なんか
期待に胸膨らましながら読んでたとか
まあ僕は今はねもう一人なんですけれども
あの
当時ね学校
学生とかだったりするとね
休み時間に友達とかとね
俺これ買うからお前これ買えよみたいなね
話をしたりとかね
あの時代の思い出っていうのは別に
こう
おっさんだから
なんですけれども
別に悪いもんでもなかったんよなぁとは思うし
まあそういうことが
今の子供は
今の子はそれができない分
そのスマホ見せ合いっこして
俺これ買うよとか言うのかな
わかんないですけどね
僕は僕で
まああの頃のあれはいい思い出
経験だったかなって思いながらね
まあちょっとね
なんかこうノスタルジーに浸って
今こうやって喋ってるんですけどもね
無理くり久米博さんの
あの
不法をね
あのねじ込んで喋ってるんですけどもね
いや僕ね結構その
本当はね久米博さんの
回を一回撮っても
いいんじゃないかって思うぐらい
やっぱりこう
いろいろと
尊敬してたし
っていう人の一人だったんですよ
でテレビからね結構
距離を置かれて
なかなか見る機会が少なくて
でラジオをやられてるっていうのは
知ってたんですけども
なかなか聞く機会もなくて
でここに来てそういう
こういうね事態になっちゃったんで
非常にショックで
まだ年齢も81歳ということで
決してね
すごいお年を召したっていう
印象もなかったので
まあねなんかまた一人
なんか偉大なテレビマンが
消えたなーみたいな感じで
結構ショックだったりするんですよね
もうちょっと喋ってるところ
見たり聞いたりしていたかったかなー
とか思ってたんでね
まあそれをね
ちょっと喋る機会が
どっかあればなーと思ったんですけども
まあ僕はね
ファンだとかなんだとか言ったところで
さっさと1時間喋るほど
久目広しオタクでもないんで
なかなかねそこはあれなんですけれども
まあでもやっぱりその
今もね10時代11時代
今だと何なんだろう
ニュース2,3とかニュース0とか
多極で言えばありますし
まあね
まあ今は報道ステーションがちょっと
そうか古田氏さんの時に
バトンタッチしたから
また古田氏さんは古田氏さんで
面白かったんですけどね
ちょっと今のはね
今の悪く言うつもりはあんまりないんですけど
また古田氏さんの時とはちょっと違って
なんかこう
微妙にパンチ弱いような気もする時があるなー
1:27:00
って思いながらね
気はするんですけども
まあまあでも
まあちょっとショックだなー
みたいな感じのことをね
ただただショックだなっていうのを
ぼやきぶしで喋ってみました
まあね心からご冥福をお祈りしたいと思います
まあそんな感じでね
ゲーム雑誌のことを喋ってる回の
エンディングつけるネタでもないんですけどもね
まあいろいろとね
喋ってみました
この後ね僕は引き続きね
次の回のエンディングも
撮ろうかなーと思って
今考えているところです
次の回もだからそんなに
程なくして
公開できるかとは思うんですよ
まだね撮ったばっかりなので
チェックも何もしてないんですけどもね
なのでまたもうしばらくお待ちいただければと思います
本日もね
長々と聞いていただいてありがとうございます
またなんかあの
ご意見とか
なんかありましたら
あの
Xで
ハッシュタグしゃべろくとか
あと
メールフォームとか
あと概要欄に
メールアドも貼り付けてるんで
そこ踏んでいただければ
なんか開くんじゃないのかな
メールソフトとか思います
何かありましたら
あのいろいろ
ご意見いただければと思います
ご感想とかいただければと思います
よろしくお願いします
ということでね
長々と聞いていただいてありがとうございます
それではさよなら
おやすみなさい
01:28:41
コメント
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