はい、ラジオネームそぼくがおさんからお便りいただいております。
Keiさん、もちこさん、こんばんは。
いつも楽しく拝聴しています。
毎回なるほどと思うことが多く、とても勉強になりますし、取り上げられるテーマがどれも好奇心をくすぐるものばかりで、配信を楽しみにしています。
普段生活していて気になったことがあるのでメールしました。
何々できかねますってありますよね。
お店や会社の案内なんかでよく見かけますが、意味としては結局できませんだと思っています。
ただ、できないという代わりにできかねると表現するのって、一度だけできるという可能性を経由してから否定しているようにも見えて不思議だなと思いました。
最初からできないといえば済みそうなのになぜわざわざするのが難しいという形を取るのでしょうか。
これは単なる遠距離表現なのか、それとも言語学的に何か面白い背景があるのか気になっています。
お二人の見解をぜひ聞いてみたいです。
これから暑い季節になりますので、お二人ともどうぞご自愛ください。
今後の配信も楽しみにしています。とお便りをいただきました。
僕川尾さんお便りありがとうございます。
これすごくいい観察ですよね。
これ私も思っていた。
もち子の持ち込み候補でした。
幼なもち子の悩みでしたね。
駐車場に書いてあるんですよ。よくスーパーの。
駐車場内で起きた事故の責任は追いかねます。
追ってくれるんだと思ってて。
分かります分かります。小さい時って追ってくれるんだって思いますよね。
だいぶ優しいなって思ってたんですよ。優しいなって思ってたら、
母親にそれは追わないって意味だよ。
起きたって知らないからねっていう意味だよっていう風に、小学生ぐらいの時ですかね。
追ってくれるだと真逆の解釈をしていたのがあったので、
このお便りを読みながら、めちゃくちゃ分かると思いながら読んでおりました。
そうですね。まずそもそもこの補助動詞としてのかねるって、
あんまり普段使わないから、
なんかその習得感があって、
習得プロセス的にもちょっと難しいのかなと思ってて、
私も追いかねますって追ってくれるの?追ってくれないの?どっち?って思ってたんですけど、
ちょっと一応調べてはみたんですけど、
このできかねますに関して直接に書いてるのもちょっとパッと探した限りでは見つからなくて、
いくつか言語学的にこうなんじゃないかっていう仮説を提示するに留めたいと思ってるんですけど、
せっかくここに新名会があるのでちょっと引いてみると、
これかねるってね、補助動詞として使う時はあれですね、
動詞の連用形に接続する形で、
設備語的に使いますと、
そうしたくてもそうすることができない事情にあるという、
だからかねるってその状況的にできないの方なんですよね。
だからもしかしたらできかねるってそのできるを経由してからっていうふうにおっしゃってるので、
その話者の気持ちとしては能力的にはできるけど、
お店のルールとか状況の問題として我々にはそれはできませんっていう意思。
やってあげたいのは山々だけどみたいな意味が入るってことですかね。
としてできかねるって言いたがっているっていうのが仮説1かなと思っていて、
その英語でもあるじゃないですか、
canで言ったら可能性があるの意味にもなるけど、
be able toで言ったら能力があるみたいな話になるよっていうの聞いたことありません?
いわゆる法助同士のできるっていう場合と、
代用表現の時でちょっとニュアンスが違うっていうので、
それをなんとか組み合わせたいっていう意思があったのかなっていうのが1つの推察なんですよね。
もう1つは単純にさっきももち子さんが言っててくれたみたいに、
かねるが難しくて、できるんだができないんだが、
もうよくわかんなくなってるっていうことは普段使わないあれなので、
そういうある種の語用じゃないんですけど、
かねるっていうのがある意味ただの否定語みたいな感じで解釈されてて、
できませんっていう意味でかねるって、
ませんのところにかねるを使って丁寧にしようとしているみたいな、
ある意味その異分析というか、誤分析というか、
みたいなことが発生してるのかなっていう可能性が推論②。
やっぱり最後がマスなのって、
なんでしょう、ぱっと見肯定文っぽいんですよね。
肯定文ですからね。
内容は否定なんだけれども、できませんっていうよりも、
言語道断、絶対責任は負えませんみたいなよりも、
ちょっとまろいんですよね。
っていうニュアンスの伝え方としても、
これがフォーマルっていうふうに市民権を得てるっていうのも、
もちろんあるとは思うんですけれども、
意図があると思いますよ、この案内とか表示で使うのは。
でも本当はたぶんかねるの中に、
状況的にそれができないっていう意味は入ってるので、
本当はいたしかねますでいいんですよね。
いたしかねますか、できませんで十分なんですけど、
キャン2回入ってるぜみたいなことが起きてるってこと?
そうです。
キャンノットが2回入ってるぜみたいになっちゃってる?
いやキャンが2回入ってる。
キャン、キャンノットみたいになってるっていう感じかな、
になってると思うんですけど、
僕直感的に最初思ったのは、
意味が実はかねるとできるで、
ちょっと意味が違うというか、
言及している場面というか側面が違うので、
そういうことをしているのかなっていうのはちょっと思ったりはしました。
あとは曽木川さんも書いてくださってますけど、
できないって直接的に言うのは嫌なので、
長くしたいっていう欲求だったりとかっていうのは、
やっぱ長くするっていうのはポライトネス理論の観点から見ても、
全体的に柔らげるっていう側面があるので、
長くすることによって、
なんとか柔らかくしたいっていう側面はあるのかなっていうふうに思ったりしましたね。
なんか結構お店の看板とかで見ると不思議だなとは思いますけど、
不思議ですよね。
なんでこうなっちゃうのかっていうのは、
ちょっと明確な理由はパッとわからなかったんですけど、
可能性としてはそういうポライトネスの部分であったりとか、
あるいはそのニュアンスの違いだったりとかっていう、
複数要素の組み合わせなのかなっていうような気はします。
こんな感じでお答えになってるかどうかわからませんけど、
曽木川さんとても素晴らしい観察をありがとうございました。
続いてのお便り読ませていただきます。
ラジオネームエビカツさんからのお便りです。
方言というと個別の単語の言い方や語尾の地域差について、
よく取り上げられると思います。
他の観点で語順や動詞の活用のような文法の地域差はあるのでしょうか。
お便りいただいております。
エビカツさんお便りありがとうございます。
とても良い質問で、確かにそうですね。
私、先に前置きしておくと方言研究が専門ではないので、
ちょっと知識が足りないところがあったら申し訳ないんですけれども、
もしご存じの方いたら訂正していただきたいんですけど、
私が知る限り語順レベルでの地域差というのは聞いたことがないなという感じですかね。
そうですね。語順はやっぱり根幹みたいなところがありますもんね。
そこが変わったら日本語じゃなくなっちゃうみたいになりますもんね。
やっぱり標準的な語順というのがどの言語にもあって、
英語だったらいわゆるSVO主語動詞目的語という順で並べますし、
日本語の場合は基本的なのはSOV主語目的語動詞。
場合によっては目的語が書き混ぜって言って前に出ていって、
目的語主語動詞っていう順番になったりすることもありますけど、
基本的にはSOVの形の言語だよっていうふうに言われているので、
例えば日本語の方言を考えたときに、
日本語だけどSVOとかVSOとかは聞いたことないなっていうのが正直なところです。
これ実はちょっと根が深い問題とつながっているなっていうふうに個人的には考えていて、
そもそも標準語って何?っていうか、
そもそもどうやって言語を定義しているの?っていう疑問とつながっていると思うんですね。
ちょっと政治絡んでしまったら申し訳ないんですけど、
文化と政治と歴史考えたら沖縄って日本じゃなくない?みたいな話になっちゃいますね。
実際に国立国語研究所とかでも沖縄の消滅危機言語を研究保存されている先生。
日本語じゃないやんみたいなね。
たくさんいらっしゃって、同じ大学出身の私の先輩にあたる先生。
直接の認識はないんですけど、そういう活動されてたりする先生もいらっしゃるんですけれども、
例えば今言ってくれた琉球言語であるとか、
あるいはアイヌ言語なんていうのは日本語と同じカテゴリーでくくるのにはかなり無理のある言語たちなので、
そういうものをまず方言として扱うのは違うよというところがあると思います。
言語ってどこからどこまでで区切りをつけるかってめちゃくちゃ難しい問題なんですよ。
スパッと線引きにくいところありますもんね。
そうなんですよね。
一つの線の引き方として、互いに言ってることが分かるかどうかっていう線の引き方があるんですよね。
相互理解性、ミューチュアルインテリジャビリティなんて言うんですけど。
昔トリビア、これ世代バレするんですけど、
トリビアで津軽弁と鹿児島、さつま弁か何かで喧嘩ができるかみたいな検証があったような気がします。
それでお互いの言ってることが理解できるんだったら、
それは一つの言語のグループとして扱いましょうっていうような発想があるんですよね。
だからそういう発想でいくと、実は例えばスペイン語とイタリア語ってめちゃくちゃ似てるから、
言語体系としてはほとんど筆行だよねみたいな。
なんか通じるみたいな言いますもんね。
そうそうそう。語形変化もかなり似ていたりとか、違うところはあるんですけど、
でも例えば本当に近い地域に住んでる人の方言同士でしゃべったら、
ほとんど同じみたいなこともあったりするらしいんですよね。
そういう観点で見たときに、どの言語、どこで切るかってとっても難しい問題なんですよ。
なので一部の言語学者なんかが言うには、標準語とか言語として知られている名前っていうのは、
軍隊を持った方言だっていう表現をする人なんかがいるぐらい、
実は標準語と方言ってどこで切るかっていうすごく難しい問題だなっていうふうに思っていて、
ちょっとこの辺りで出たんで、ポイントとは外れちゃうと思うんですけど、
ちょっとその辺の話もしても面白いかなと思って今話したんですけど、
語順っていう点でいくとかなり厳しい。
Mutual intelligibility、相互理解性がなくなってしまうので、
もう方言として扱うことが多分できないっていう形になってしまうと思います。
で、動詞の活用についても、少なくとも日本語の中で私が知ってる限りではないと思います。
違う活用形を持ってるみたいなことが多分ほとんどないので、難しいかなと思います。
文部ではね、この前やったしよるしとるしとるのところ。
今全く同じことを言おうと思いました。
どうぞ続けてください。
私関東のバックグラウンドなので、自分にネイティブのあれはないんですけど、
関西の方とか九州の方の話を聞くと、そこの官僚系の要素でよるとるとるは違うっていうので、
文部があるというふうなのは、これは一種文法的な地域化なのかなと思っていました。
全く同じことを言おうと思っていましたけれども、その辺も難しくて、
関東の人が官僚系・進行系であるとか、未官僚・官僚を区別してないかというと、そんなことはないわけですよね。
区別できない区民だというわけではないですからね。
あくまでそこにその形態的な区別がないというだけであって、
文法形態的にそれを関西、特に福岡とかの方ですよね、では区別してるんじゃないみたいな話がこの間の話だったわけですけど、
そういう意味では、ある種文法的な差っていうことは言えるかなっていうふうに思いますけど、
どうしてもやっぱり地域差ってなってくると、その発音の差であったりだとか語彙の差。
単語レベルの差と、あとはイントネーションとか、あとはそのなんとかジャンとかの語尾ですよね。
この指勝さんがおっしゃっていたが、分かりやすいっていう方がいいんですかね。
そうですね。だから統合的、文法的、あるいはその構造的に大きく違うものが方言の中に存在するっていうことは、
一般的な認識の中では少ないのかなと。
構造変わりすぎちゃったら、それは言語が違うだろうというところにもなってくると思うので。
ただ私自身も方言研究が専門じゃないので、もしこの辺実はこういうのがあるんですよっていう研究者の方が聞いてたら、
ぜひコメント欄とかお便りで教えていただけたらありがたいなと思います。
このDeep Structure Radio自体もこんな形で、この言語学に触れる場をいろんな方に持っていただけたらなっていうふうに思っているので、
一つの一緒に勉強するコミュニティみたいな感じにしていけたらいいかなと思っているので、
ぜひぜひ、えびきかつさんのようなご質問とか、何か間違ってたらぜひご指摘とか遠慮なくいただければなというふうに思っております。
そうですね。やっぱり方言のネイティブスピーカーっていうのは、私的には憧れがございまして。
でも、もち子さんも一応方言ありますよね。
もっと欲しいんですよ。博多の方とか関西の方とか。
やっぱりそこにはそこにしかないエセ関西弁みたいなのがあったりするじゃないですか。
ありますね。
ネイティブにしかない感覚だったりとか、この単語でしか表現できない何かみたいなのって、やっぱりそこのご出身の方じゃないとわからないので、
そういう方いたらぜひ、例えばこの表現は、いわゆる標準語。
今、標準語を話せる人が増えてると思うんですよ、このメディアとかの影響も。
方言しか話せない人は減ってますよね。
方言が薄れてるというか。
っていう方でも、実はふるさと帰ったらそっちの方言めっちゃ出るんだみたいな人だと、
実はこの言い回しはこの東京方言だと、いわゆる標準語だと表せないんだみたいな、そういう葛藤って私になかなかないので。
なるほど。
そういうのを持ってる人がいたら、コメント欄とかでもし教えてくれたらすごい嬉しいなって。
そうですね、そういうのいただきたいですね。
私はありますよ。
そのうちいろいろお話したら面白いかなと思いますけれども、私は私の一応方言があるので、
あまりこういう収録とかしてるときは基本的に標準語で喋ってると思うんですけど、実家に帰ると出てくる方言がありますので、
そのうち私の方言についてもいつかお話できたらいいかなと思います。
はい、では恵比勝さんお便りありがとうございました。
2通目のお便りはこんなところで、次のお便りに行ってみたいと思います。
はい、それでは3通目のお便り来ています。
もち子さんお便り読みをお願いします。
はい、ラジオネームチーさん。
Kさんの思う上手な日本語英語、きれいな日本語英語の定義を教えてください。
自分は上品な言葉遣いではあるように気をつけているものの、上手かと言われると適切な言葉を使えている自信がありません。
とお便りをいただきました。
はい、お便りありがとうございます。チーさん。
そうですね、これ私的には結構難しい質問だなと思っていて、
というのはまず一つ、これも前置きとしてお話ししておきたいんですけど、
言語学者は基本的にどの言語とかどういう方言とかも含めてですよね。
言語についても価値判断もしないっていうのはすごく大きなところとしてあるんですよ。
もうちょっと具体的な話をすると、我々言語学者っていうのはディスクリプティブグラマー、記述文法ですね。
っていうスタンスに立っていて、どういう言語であれその人が喋ってる通りのものを記述するところから
正しい科学が始まるっていう風に考えているので、
これは良いとかこれはいけないとかって言わないんですよ、あんまり。
よしよしのジャッジをしないってことですね。
はい、もう全くしないです。
なので例えば英語とかだと、有名なのだとダブルネガティブ。
例えばNobody don't like meみたいなのは良くないとかっていう風に言われたりするんですけど、
そういうのを使う方言があれば、この方言はそういう風に表現するんだっていうので、もう終わり。
だからもう事実だけなんですよね。それが綺麗かとか汚いとかダサいとか品があるとかっていうのはジャッジしないっていうのがスタンスですし、
例えば日本語でも全然っていうのは基本的に否定と一緒に使われなきゃいけないんだみたいなのってあるじゃないですか、教科書とかだと。
あとはら抜きは良くないんだみたいなのがあったりするんですけど、そうじゃなくてあくまでこういう状況だったらら抜きを使う人がいるとか、
こういう状況だったら全然OKも許容されてるよねみたいな本当に事実描写。
だからそういう現象が起きてる、言語現象が起きてるっていう風に焦点当ててらっしゃるってことですよね。
なのでこれが良いとか悪いとかっていうことを言語学者として評価するってことはないっていうことをまず前提としてお話はしておきたいなと思います。
その上で個人として上手な日本語とか綺麗な日本語、あるいは綺麗な英語、上手な英語っていうのは何かなっていうことを考えたときに、
英語に関して言うと非母語話者でも聞きやすい英語がありがたいです。
それでやっぱ苦労してる経験が前回でしたっけ、いつだったか忘れましたけど、アメリカの生活で大変だったことみたいなことをお話したことありますけど、
やっぱ現地の英語でその地域に根付いて生きてる方の英語っていうのはやっぱりノンネイティブにはすごく難しいなっていうことを感じているので、
英語に関して言えばわかりやすく喋ってくれたら綺麗でありがたいなとは思いますね。
やっぱ勉強し慣れた英語が聞こえる方が自分としては理解の速度が遅くならずに済む、そっちにリソースを割かずに済むので、ありがたいな、綺麗だなっていうふうには思ったりします。
日本語についてはどうだろうね、あんまり自分で価値判断したことがないなっていうのが正直なところなんですけど、
やっぱりひば語が少ない方が人を恨むような言葉であったりとか汚い言葉は少ない方がいいだろうなっていうことは思いますけど、
これだから上手だとか、これだから綺麗だみたいなのは、こんなに自分の中にはないかなっていうのが正直なところではありますが、
もち子さんはどうですか?
そうですね、私も実はこのチーさんと同じように結構これ考えて生きてる方の人間かなとは思ってるんですよね。
同じ言葉を話すなら品が良い風に聞こえた方がいいですし、綺麗な日本語、英語を使って生きていたいなとは常々思ってるんです。
そうなった時に何が私もこのお便りを受けて上手な言葉遣い、上品な言葉遣いってなんだろうって考えてはいたんですけれども、
ちょっと上品というよりも上手っていうところでまずお話しすると、正しくそのスコープの中で使えてるっていうところが一つと、
あと相手と前提を共有し合える言葉を使えるっていうところ、これは上手な言語ユーザーかなと思っていて、
例えば相手がまだ使ったことないソフトを教えなきゃいけないとか、ツールを伝えなきゃいけないという時に、
例えばこれって相手が仮にポケモンが好きなんだったらポケモンで例えてあげるとか、
相手が活かしやすい、相手の前提の中にあるものを使ってあげて説明できるっていうのは、
これは別にどの言語問わずかもしれないですけれども、上手に言語を使っている人だなっていう風な印象を持っています。
なるほど。
結局、どんなに自分が麗しくて滑らかで素晴らしい日本語を使ったとしても、相手に箸にも棒にも触れてないと、実は言語の機能としては疑問符が残ってしまうわけですよね。
そうなった時に伝わるを重視する瞬間があるかなと思っていて、
じゃあ何があると伝わるのかなというのを考えると、相手が描けるもので説明してあげるっていうのが大事で、
これ結構学習塾の先生が、結構年配の方でもすごい最新のアイドルとかしてたりするんですよ。
それって説明しやすいようになるんですよ。
その時の学生に、今時の言い方すれば刺さるようにってことですよね。
だからその子が好きなものだったら興味持ってくれる。
英語を説明する時に、富士山は日本で一番高い山ですよりも、誰々はこのアイドルの中で一番人気ですって言った方が、その子は興味持ってくれるじゃないですか。
であれば富士山で一生懸命最上級を説明するよりも、アイドルで説明する方が上手な日本語だと思うんですよ。英語かもしれないですけど。
ってなると、相手が描けるものに合わせてその言語をカスタマイズできる。
それが上手なっていうところには入ってくるのかなと、私はそう解釈をしております。
なるほど。面白いですね。これはかなり言語そのもの、個別言語ではなくて、言語でコミュニケーションする能力っていう立場に立った時に。
それは実社会で生きてる人間のイケな感じがすごくして、アカデミアに生きてる人間にはちょっと。
それこそね、単純に綺麗な日本語とかって言ったら、それこそ歌会始めとか、和歌とかで使われてる日本語の方が綺麗かなとか、思ったりしちゃいますけど。
なんかちょっと不思議だなと思うのは、その書くところですよ。さみだれとかしぐれとか雨の語彙が多い日本語みたいな話とかって、すごい綺麗だし面白いと思うんだけど。
綺麗とクラシカルって結構結びつきがちじゃない?
別にそれってややちょっと規範文法的。さっき言った技術文法の対比が規範文法って呼ばれたりするんですけど、
古いものが美しいっていう感覚って全人類やや共通的にあると思ってて、英語の規範文法も結構ラテン語の文法を参照してたりするんです。
なので、そういうのは確かに私も感覚としては綺麗だなと思いますけど。
そうですね。綺麗な日本語、私は英語のところはケイさんに補足していただきたいんですけど、やっぱり綺麗な日本語って和語なんですよ。
モダンでテクニカルでバーチャルでとか言われたら、別に綺麗な日本語じゃなくて、やはりしぐれとか。
さっきから雨ばっかで。
季節が、梅雨が迫ってますからね。
和語らしいと言いましょうか。
同じ形容的な表現であっても、しとやかの方が品があるじゃないですか。
カタカナとか外来語ベース、漢語ベースよりも、やはり和語に由来する単語の方が綺麗なという点では、私はやはり綺麗に感じてしまう自分がいるんですよね。
だからそういった言葉のバリエーションは増やしたいなって私自身は感じますし、結構面白い言い回ししますねって私も職場で言われることあって。
結構言い回し次第なところってあるじゃないですか。
物は言いようとはその通りだなとは思うんですけども。
すごい人が少なくて、もうペンテコ前でやっててみたいに言ってる方がいたときに、少数生でやられていらっしゃるんですねって言われたら、綺麗な日本語じゃないですか。
ちょっとね、こういい感じに聞こえますよね。
いい感じじゃないですか。
そういうポジティブに言い換えられるっていうのは、時としてそれは一つ綺麗な日本語、綺麗な英語、綺麗な言語っていうふうには解釈できるのかなと思ってて。
なるほどなるほど、確かにそうですね。
冒頭にお話したみたいに、私自身があんまり綺麗な日本語英語を区別しないというか、そういうふうにもうここ10年ぐらい育てられてきてるんで、あんまりこう自分の中に感覚がないなと思いつつ、
まあやっぱり日本語母語話者として和語由来。
そう、だからこうしっそにとかっていうよりもつつましくって言われた方が綺麗なんですよ。
なんか柔らかくて美しい感じがしますよね。
なんかその感覚自体は別にその。
これって英語でもあるんですか。
あると思います。
これちょっとネタつぶしになっちゃう。台本これでいつか書こうかなって思ってたネタが一個潰れちゃうんですけど。
まあちょっと頭出しということで。
実は日本語の言語の階層構造と英語の言語の社会的な階層構造って似てるんですよ。
というのは日本語って和語、漢語、外来語っていう区別ありますよね。
和語っていうのはやっぱり土着の言葉なんですよ。
だから日常生活にすごく根付いている。
その中で母語っていうのはかなりオシャレというか柔らかく聞こえるっていうのが日本語の特徴で。
漢語っていうのはもうちょっとフォーマルな場で使われる。
そうですね。
やっぱり会社の文脈とかフォーマルなコンテクストになるとすごく漢語が増えていく。
さらにもっと新しさであるとかビジネスみたいな。
もっと商談によった場面になるとカタカナ語が増えるんですよ。
外来語が。っていうのが日本語の階層構造。
アジェンダをアタッチしてみたいな。
アジャイルでとかみたいなそういうやつですね。
増えていくっていうのがあるんです。
これが英語の場合は実は英語ってもともとはゲルマン語系っていうドイツ語と近いファミリーなんですけど。
そこにラテン語がソフィスティケイティというのは聖書の言語として入ってくる系ですね。
その後にフランスの有名な1966年のノルマンコンキュストですよ。
が支配者階級の単語として入ってくる言語として入ってくるっていうそのイギリスの歴史があるので。
英語の中でもドイツ語系のゲルマン語系の単語っていうのはすごく土着のある意味汚い言語として使われるし。
フランス語とかラテン語から来ているものっていうのはもっとハイソな。
だからフォーマルなコンテクストだとすごくフランス語由来の単語が増えるんですよね。
もっとその聖書とか宗教的な場面によればよるほどラテン語由来の単語が増えるんです。
だから例えばわかりやすい例で言うと上る上がるみたいな意味でも土着のゲルマン語系だったらこれはライズなんですよ。
なんだけどこれがフランス語系になるとマウンツになるわけですね。
マウンテンのマウンツですよ。
でそれがラテン語系になるとアッシェンジになるわけですよ。
だからこういう社会階層と歴史っていうところで何が美しいかってされるのは実はちょっと近いようなところがあったりするっていうのはあるかなっていうふうに思うんですけど、ネタを潰しました。
逆に言えばそういう品がいいっていうふうに感じる部分には何か言語を超えた共通項がありそうな感じもありますね。
そうですねやっぱり歴史的な側面っていうのはすごく大きいんじゃないかなというふうには思います。
その歴史の中でどれだけその文学作品に使われてきたかであるとかあるいはプレステージがあったかその歴史の中でね。
例えばその今の英語の話で言ったらラテン語ってのものすごくプレスティージャスな特権的な位置にあった言語なわけで。
そういうところから見るとやっぱりその土着の我々が手垢をつけて喋る言語とはやっぱり違う。
まあそうですよね結構これ綺麗な日本語とか品の良い日本語っていう点ではやっぱりその誰が喋ってるかっていうのでわかりやすいところだと日本とか英語だってやっぱりロイヤルファミリーの方が喋っている日本語と政治家の方が話している日本語とそれこそ地下アイドルが喋っている日本語って多分違うじゃないですか。
だからそこでこういわゆる上流階級だと思われている人というかそこにいらっしゃる人が喋っている日本語英語ってやっぱり綺麗なっていうところはありそうだなとも思います。
そうですね今ロイヤルファミリーすごい良い例だなと思いましたあの天皇皇后両陛下ねあのがお話になっている言葉とやっぱりイギリスだったらねまあ今エリザベス女王から変わりましたけども女王のそのポシュな上品な上流階級の英語ってやっぱりちょっとこう土着のねあの一般市民の我々のような一般市民が話すものとは違う。
そういう先もやっぱり大きくあると思います。
だからそういうちょっと社会背景というかね立場というか誰が言ってるかみたいなところはもしかすると綺麗だとか品がある品がないっていうところにはなんかこう要素としてはあるんじゃないかなと思いました。
そうですねそれはすごくいい視点かなというふうに思います。
やっぱりこの何が綺麗かっていうのは人によってはもちろん違うと思うんですけど結構社会背景歴史背景というところが各言語の中で大きく影響はしているのかなというふうに思いますね。
まあちょっと大きい着地点になっちゃったんですけど。
あとKさんのねこう専門のど真ん中とは少し離れてくるかなとは思うんですけど。
位置解釈としてはそんなところですかね。
そうですね。
はいGさんもお便りありがとうございました。