Welcome to Deep Structure Radio. この番組は、言語学者のKeiと
アシスタントのもちこが
言語学の面白さを広めるべく、私たちが普段、何気なく使っている言葉について、
言語学という特殊なレンズを通じて、面白おかしく語っていく番組です。
本日はですね、以前、落語を聞きに行っていて、ちょっと面白いなと思った話があるので、
それを共有していこうかなと思っております。
それでは早速、今夜も言語の深層へ潜っていきましょう。
はい、それでは1015月の言語学のお時間です。
今日はですね、先日落語を聞きに行っていた時の話をしたいんですけども、
落語聞いたことあります?見たことあります?
はい、少しだけ。
あの、まあ結構落語好きで、昔は新宿の末広亭っていうすごい古い寄せがあって、
そこに行って聞いてたりしたんですけど、
その時にですね、商店で水色の着物を着ている山梨県の大月出身の三遊亭小ゆざさんが、
鳥で出てきて、その時はクモカゴだったかなっていう落語のお話をやったんですね。
で、途中で酔っ払いが出てくるんですよ。
酔っ払い、はい。
その酔っ払いを、そのカゴ屋さんが何とかして乗せて、お金を取りたいと。
なるほど。
という感じなんで、その酔っ払いに話しかけるんですけど、
まあその酔っ払いが当然酔っ払ってるんで、話がループしちゃうんですね。
話がいいところまで行くと、またもう1回頭に戻って、また戻ってっていうことになって、
で、これの時にお客さんが、こう1回目はまあなるほどなるほどって話を聞くわけじゃないですか。
で、2回目のループになった時に、あれ?っていう顔になるわけですね。
そして3回目のループに入ると爆笑が起きるっていう、
この3回っていうのが言語というか、話の構造としてすごい大事なんじゃないっていうことを思いまして、
今日はこれについてお話しようかなと思います。
で、コメディとか落語とかでも、やっぱり1回目で設定が提示されると、バックグラウンドを人間理解するわけじゃないですか。
前提が皆さんの中で共有される感覚はありますよね。
で、その共有された前提をある意味予測というか、固定させる2回目が存在し、
復習というかね。
で、3回目になると、期待を持ってというか、来るぞ来るぞみたいな。
確信ですもんね。
あって、そこで何かしら裏切りがあったりとか、面白いオチがあったりとかっていうのが、
やっぱり落語とかコメディの中で、1つ鉄則というか、みたいになってるらしいんですよ。
実際落語の世界では三段落ちって呼ばれたりするらしいんですね。
で、それはある意味脳の予測力っていうものに頼っているわけじゃないですか。
で、この3回ってすごい大事な回数なんだなっていうことがそこからわかるわけですよね。
で、この話って実は元を辿っていくとものすごい深いところまで行ってて、
1908年からアレックス・オルリックっていう人が、民族学のお話の人なんですけど、
エピック・ローズ・オブ・フォーク・ナラティブっていう論文で、
デンマークの民族学者の人なんですけど、その北欧神話とか昔話を分析して、
導き出した法則の中の1つにロー・オブ・スリーっていうのがあって、
物語において3は最大の数字であると。
3つの対象であったりとか、3つの試練であったりとか、3人の兄弟とかっていうのが1つの鉄則。
で、3回目に必ず何か解決が起きるっていうのが非常に大事なんだと。
お話の中で、お話を構成する上で非常に重要な構成のコアにあるんだっていう話をしてるんですね。
そう考えてみると昔話。
あれですよ。1人目が藁の家作ってのやつですよ。
3匹の子豚ね。藁の家作って、2人目が何だったっけ。忘れちゃった。
何でしたっけね。そこそこ藁以上だけど。
木の家だ木の家。で、3人目がレンガで家を作るみたいなのもそうだし。
あとは。
桃太郎のお友達も3人ですね。
犬、猿、騎士の3人ですよね。
あとは、マッチ売りの少女とかもあれマッチ3回するよね。3回目でなくなっちゃうみたいな感じがあったりとか。
そんな感じで結構3って言語の中で大事な数字なんじゃないっていうのがここからもわかると。
言語に限らず、我々人間にとってというか。
普遍的に大事なのかなとは思いましたね。
これって結構心理学とか認知科学の知見にもつながってて。
人間がね、物をパッて見たときに捉えられる。
視覚で捉えられる数のマックスが3から4って言われてるんですよ。
それだから車のナンバープレートが4桁だって聞いたことあるよね。
そうそう。サビタイジングって言うんですけど。
サビタイジングできる限界が3から4くらいなんじゃないっていうふうに言われていて。
さらに面白いことに、我々は数字を数えるときに12345678910と受信法で基本的にはカウントしてますよね。
そうですね。二振法で生きてる人とかいたら結構怖いですね。
確かに。コンピューターサイエンスとかでやってる人は二振法慣れてるって人いるかもしれませんけど。
受信法で基本的に生きてるじゃないですか。
でも世界の言語に目を向けると、これはバーナード・コムリーっていう人が2013年のNumeralSystemsっていう論文というか報告書で言ってるんですけど、
世界の言語体系を調べていくと、実は123いっぱいっていう言語って結構たくさんあるんですよね。
いいですね。潔くて。
潔いですよね。だから3以上、4以上はいっぱいの世界になっちゃうっていう言語っていうのは、
例えばオーストラリアのアボリジンの言語だったりだとか、あとはアマゾンのピダハン語っていう言語だったりとか結構たくさん見つかるんですよね。
それ以上あった時に、9も10も変わりないというか、いっぱいという情報があれば十分って言ったら変ですけど。
そうそう。だからこの3っていう数字が言語においても話の構造においてもすごく大事っていうのは、
ある意味人間のサビタイジング能力の限界とつながってるのかなーなんて思ったりして。
そうですね。4超えてくると多いなみたいな感覚は持ちやすいかもしれないです。
こういういろんな言語を調べて、どことどこが似てるよねとかっていうふうにタイプ分けしていく学問をタイポロジー、類型論なんて呼んだりするんですけど、
そういう側面から見ても、実は3って人間にとって言語だけじゃなくて、結構重要な数字なんじゃないって落語を聞きながら考えたりしてたんですね。
それでは今日の分析はこの辺で。
もちこの持ち込み。
このコーナーでは、もちことリスナーの皆さんが日常生活で発見した奇妙な言い回し、新しい若者言葉、謎のビジネス用語、そんな日常にあふれる不思議な言葉遣いをけいさんに分析してもらう、そんなコーナーです。
本日は私、もちこの持ち込みでいきたいと思います。
けいさん。
エモいって何ですか?
エモいって、今は結構ね、よく学生とかも使いますけど、なんかこう、心が揺さぶられるような、いいよねみたいな意味で使ってることが多いのかなという認識ですが。
何年か前まですごい特定の人が使う単語だったなと思うんですよね。
私の周りだと音楽が好きな方とかが、これは激エモすぎるみたいな感じで、なんかこう、一般の人がそんなに使ってる印象はなかったんです。
でもこの数年ですかね、なんかこう、結構いろんな方が、若い方が多いとは思うんですが、使っていて。
結構、どんなものにも使える。別に音楽だけではなく、このシーンがエモいとか、この描写はエモいとか、何だろう、その出来事はエモすぎるみたいな感じで、
一つ話を見たりとか話を聞いた時のリアクションとして、だいぶ使われているなと思っています。
これがすごく私、一昔前のヤバイに似てるかなと思ったんですよ。
最初はヤバイも、悪い方にヤバイ時にしか使えなかったと思うんですけど、最近すごいプラスにヤバイ時も使えるじゃないですか。
ポジティブな意味でね。
いや、程度がはなはなしい時には全般的に、もうそのすっごいおいしくてもヤバイだし、すっごいまずくてもヤバイだしっていう意味でも、
すっごいっていうことで使えるようになった動きとひょっとして似てるのかなと思っていて。
なるほど、なるほど。
使い始めた時よりもエモいが示す範囲が広がってるんじゃないのかなとか、
私別に実際に誰かに聞いたとかっていう、どういう意味で使ったとかって聞いてるわけではないのでわかんないんですけど、
なんかそういうのが広がってるからこそみんなが使うのか、みんなが使ってるからこそ広がっていくのか。
ちょっとニワトリ卵みたいなところあるかもしれないんですけど、
そういった新しい言葉の広がりについて、ケイさんがどういうふうに見てるのかお聞きしたいなと思って持ち込んでみました。
はい、また面白いトピックを持ち込みますね。
ありがとうございます。
まず、エモいっていう言葉なんですけど、たぶん僕が把握している限り、もともとは音楽の中でもエモーショナル、エモって呼ばれるジャンルがあるみたいで。
英語圏でもですか?
英語圏でもそれはEmo Kidsとかって言われてるらしいので。
じゃあPopsみたいな感じでジャンルエモがあったっていう。
そうですね。もうちょっと限定的、本当にロック、結構うるさい音楽と言ったらあるかもしれないですけど、音の大きいラウドな音楽なんですよね。
そういうジャンルの人たちのところから出てきたというか。
それが日本語に輸入されて、日本の中でそういういわゆるエモーショナルなエモの音楽が好きな人たちが、これってエモいよねって使い始めたという認識なんですが、
どこまで正しいかわからないです。
言語の使用が広がっていくっていう話と繋がってくる、そのヤバイとかねっていうところはすごくいいポイントをついてて、
言語が広がる中で一つ起きることとして、セマンティックブリーチング、意味の漂白、意味を選択していくってことが起きるんですね。
漂白って漂白剤の漂白ですか?
漂白剤の漂白。
ブリーチだから。
要はもともとヤバイもまずいこと、良くないことにしか使わなかったのが、だんだん良くないっていう意味が漂白されていく。
もともと確かヤバイってヤバっていう掛け言。弓矢の矢に場所の場ね。
そういうところにいる人たちが捕まりそうでまずい危ないみたいな意味から来てるって話を聞いたことがあるんですけど、
もともとそういうネガティブな意味があったのが、どんどんどんどん使われていく中で意味が漂白されていって、
ある意味単なる衝撃であるとかインパクトであるとか、そういう強い強調の意味だけが残った。
ある意味その悪い意味が漂白されてなくなってしまって、今度それが再解釈というか、ポジティブな意味にも広がっていったっていうことが起きてるのかなっていうふうに僕は捉えていて。
今、もち子さんが言ってくれたみたいにエモいももしかしたら同じことが起きている。
昔は特定の文脈で特定の人たちがこれってエモいよねっていう仲間内で使っていたのが、
だんだんだんだんたくさん使われることによってどんどんどんどんその特定の文脈で使わなきゃいけないみたいな意味であるとかっていうことがどんどん漂白されていって、
心が動かされるようなものだったらもう全般的に使ってもいいよねみたいな感じになって、
最近こういろんな人が使うようになってきてるっていう、そういう過程を経てるのかななんていうふうに思いながら聞いてました。
話してる時に今どういう意味でエモいって使ったなんて確認しないじゃないですか。
なるとやっぱりそういうふうに使うんだなっていうのを何でしょう。
みんながちょっとずつ学習をしていって、それが主に世代、まず世代で。
それがさらに広がると世代を超えて使われて、
だんだんもう普通の顔して、特定の人が使う専門用語じゃなくて、
割と市民権を得た表現として使われるように浸透していく、漂白されながら浸透していく、そんな感じのイメージであっていますでしょうか。
浸透していく過程に少なからず漂白のプロセスがあるっていうのは、多分どの言葉についても同じ。
だから以前やりましたけど、キモいと気持ち悪いも、ある種、あれは僕からは内部構造がなくなったことによる意味の変化だと思うんですけど、
でも一種、別の言い方をすれば意味が漂白されて、内面的に気持ち悪いっていうのがなくなっていったっていうふうにも考えられるんで、
広がっていく中では、もしかしたらそういうのが一つ、必要条件ではないんですけど、起き得るっていうことはあるのかなと思いますね。
なるほど。ありがとうございます。よくわかりました。