はじめに:教科書制度編からの続き
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティのKasaharaです。 この番組では、Google for Education認定イノベーター・コーチトレーナーの資格を持つ、私Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
先週、Google認定イノベーターになるための、イノベーターアカデミーを3日間受講してきて、無事に今週から自分の肩書きをイノベーター・コーチトレーナーとしています。
3つ名乗るのは長いですね。
イノベーター・アカデミーでも言われたのですが、あなた本当に国語科の先生なんですか?みたいなことはよく言われるんですが、ICTやテクノロジーができない国語科のイメージというのは早めに払拭したいですね。
プロのようにゴリゴリとプログラミングしたりして使うことはできなくても、授業の中でICTを使うことは言語生活の実態を考えても普通のことなので、普通に日常的な使い方を国語科が当たり前にできたらいいなぁなんてことを思いますね。
さて、今日の放送は前回の続きです。
前回の第93回で、先生しか知らない高校国語教科書制度編というテーマで、教科書の種類や採択の仕組みの話をしました。
制度の話は抽象的で伝わりにくいところも多かったと思いますけど、今回はその後編にあたる中身編です。
今回の方が具体的になってわかりやすいかもしれないですね。
前回は教科書って同じ科目に何種類もあるんですよという話をしたんですけど、じゃあ教科書の中身自体は最近どう変わっているのか、実はこの10年ぐらいでかなり進化してるんですよという話をしていきます。
変わっていないところも多いのは事実なんですが、大きく変わっているものはガラッと工夫して変えているものもあるので、そういうなかなか気づかれないお話をできたらいいなぁなんてことを思っています。
それでは本編をお聞きください。
教科書の変化:3つのポイント
さて、ここからが本題です。
今回は3つのポイントでお話をします。
1つ目が学習課題と教材の変化について。
定番教材はあるのですが、新しいものも少しずつ増えているということを紹介したいなと思います。
2つ目が教科書の射程が広がっているという話ですね。
多分今の大人たちがイメージしている国語の教科書に比べると、細かいところで教材の数が増えたりしてますね。
そういうようなところを紹介できればと思っています。
3つ目が古典のことを現代日本語との関係で捉えようとするものが増えているという話ですね。
言語文化は古典という科目ではないよっていう話が結構大切なんですね。
今回はこんな感じでお話ししていこうというふうに思います。
ポイント1:学習課題と教材の変化
1つだけちょっとお断りしておくと、具体的な教科書会社名であるとか教材の名前出してしまうとさしさわりがある可能性があるので、
今回は複数の教科書会社のものをぼんやりとふわっとまとめて話すみたいな形でお話しますので、
概要欄の方に各教科書会社のリンクを貼っておきますので、興味がある方、具体的に見てみたい方はぜひ一つ一つの教科書会社のページに飛んでいってもらえるといいかなと思います。
さて、1つ目のポイントは教科書に載っている学習課題と本文の教材選定がこの10年間でどう変わってきたかみたいなお話です。
まず学習課題の方からですね。教科書って本文を読み終わった後に学習の手引きとか学習課題みたいなページがありますよね。
あのページが旧課程の教科書と比べると明らかに変化しているんですね。
おそらく一昔前、今の大人が学生だった頃は筆者の主張を200字でまとめなさいとか、この比喩表現の効果を述べなさいみたいな、いわゆる読解確認型の課題が中心だったと思います。
もちろん今の教科書もそういう課題問いは残ってるんですけど、それに加えてグループで話し合って自分たちの意見をまとめなさいとか、
800字の意見文を書いてみようみたいなパフォーマンス課題と呼ばれるような学習課題が割と当たり前にどの会社も出すようになってきてますね。
これは当然、学習指導要領が打ち出している主体的対話的で深い学びと連動しているところです。
教科書会社もその方針をきちんと反映しようとしているわけです。
というか、反映しないと教科書検定通らないですからね。
ただここでちょっと気をつけなきゃいけないのが、教科書というのは全国の不特定多数の学校で使われることを前提に作られているっていうことなんですよ。
だから学習課題の設計がどうしてもふわっと抽象的になりやすいんですね。
話し合いましょうと書いてあっても、具体的にどういう手順でどこまで足場をかけるかみたいな話は教科書だけでは当然わからないですし、
教科書に具体的なことを書いてもしょうがないところがありますよね。
教科書をこんな課題じゃできないよって言われる方いるんですけど、
いやいやそこはちょっと自分で工夫して自分の教室に合わせて考えてくださいねというものではあります。
で、そこを補っているのが何かっていうと指導書と呼ばれるものです。
教科書に対応して先生だけが使うことになる、あの分厚い教科用の指導書ですね。
あの中に支援の具体例であるとか、閉読すると良い教材としてこういうものがありますよという文章リストが載っていたりだとかするわけですね。
教科書本体だけ見て課題が曖昧だなと思ったとしても、指導書とセットで見ると実は結構手厚いフォローがされていたりするんですね。
このあたりの充実度は各教科書会社の編集員の仕事に対する熱量というようなところなので、
まあまあまあいろいろ見ていただくといいかなという気はします。
さて話を教科書に戻します。
実際今年の春に切り替わった令和7年検定の改訂版の教科書をパラパラとめくってみると、各社学習課題周りの作り方がやっぱり変わってきてるんですね。
現代の国語という科目も言語文化という科目も結構変わっていて、
例えばある会社の現代の国語だと各教材のページがウォームアップワークチェックという3段階に区切られていて、何をなぜどんな風に学べのかが見えるような設計になってますね。
別の会社だと本文の後ろに手引きがあって、その先に言語活動の実践とか比べ読み補充資料みたいな新しいコーナーが置かれていたりしますね。
で、多分この辺りはOECDのPISAの問題を意識してるんだろうなぁとは思います。
PISAについてはまたどこかでお話ししようと思いますが、国際的な学力調査で2000年にスコアがガタって落ちて大変に大騒ぎになったアレです。
それまで国語の授業で複数資料や非連続テキストの扱いとかに慣れていなかったということが点数の落下としては大きかったんですけど。
でもユトリ教育の開始の時期と運悪く重なって大荒れに荒れたみたいなことが今からもう30年ぐらい前になりますね。
まあニーズがあればどこかでこういうお話もしてみようかなというふうには思います。
話を教科書に戻すと、さらに別の会社では学びを広げる学習活動、活動の手引きみたいな見出しで言語活動を細かく切り分けて並べていたりもしますね。
教科書本体に話し合いましょうとポンと置いてあるだけではなくて、その活動を段階別にどう運んでいくのかみたいな、本文と活動をどうつなぐのかみたいなところで各社の作り込みがはっきりと出てきている感じなんですよね。
で、教材、つまり本文そのものの方も少し触れておきます。
国語の教科書って何十年も乗り続けている定番教材ありますよね。羅小門とか心とか、評論であると水の東西とかミロのビーナスとかが有名ですね。
前にどこかの放送でもお話ししましたけど、こういう定番教材が長く残っているのはやっぱり授業として実績があるからなんですよね。
扱いやすいですし、専攻研究も豊富ですし、先生同士の知見の共有もやっぱりやりやすいんですよ。
一方で教科書が改訂されるたびに新しい教材も入ってきています。
で、多分ここが外からあまり見えづらいところではあるんですけれども、新しい教材ってたまたま入ったみたいなものでは当然ないですね。
編集者がかなり慎重に明確な編集糸を持って選んでるんです。
定番教材の安定感と新しい教材で時代の言語生活をうまーく映し取ろうとしてるんだなというふうに思っています。
定番教材と新しい教材のバランスというのが割とその教科書会社の個性につながっているなというような印象はありますね。
ただやっぱりこれはボイシーの本日の放送の方でもお話しするんですが、小中の教科書に比べるとなかなか評論高校の教科書って変化は小さいかなというのも事実ですね。
この辺りも結構問題あるところかなっていう気はしていますね。
ポイント2:教科書の射程の広がり
2つ目のポイントは教科書が扱う領域そのものが広がってきているという話ですね。
最近の教科書はパラパラめくってみるとまずやっぱり図表や写真がかなり積極的に使われているのがはっきりとこれわかりますね。
一昔前の教科書と比べてみるとグラフだとか図表だとかの視覚的な情報が明らかに教科書の本文の中に増えてるんですよ。
これは先ほども少し触れました非連続テキストの扱いが意識されているからなんですよね。
連続テキストつまり普通の文章だけではなくてグラフとか表とか図だとかを組み合わせて読む能力そういう力が求められるようになっているので教科書もそれに対応しようとしているわけです。
ただここはやっぱり出版社によって温度差があるのも事実ですね。
実用的な文章をがっつり特集して扱おうとしている教科書もあれば正直まああんまり積極的じゃないなと感じる教科書もあります。
このあたりに関しては量的に今回はちゃんとカウントしているわけではないのであくまで自分の主観の話ではあるんですけどね。
前回の話ともつながりますけど入手で出やすいのはやっぱり評論と文学的文章小説なので実用的な文章の扱いに力を入れても最多に直結しづらいという判断は出版社側にも働いている可能性はあるかもしれないですね。
もちろん教科書検定あるからゼロというわけにはいかないですからバランスを取りながらうまく作ってるっていう感じです。
そこから地味なんですけどいい仕事をしているなぁと思うのが教科書の中の読書案内のページです。
いわゆるこんな本を読んでみませんかと高校生に案内するブックガイドのコーナーですね。
これが一昔前に比べるとかなりいい感じになってますよ。
一昔前はどうしても名作古典定番というものが中心だったイメージがありますが最近のものは新書から読みやすいエッセイノンフィクションまでかなりバランスを取った選書になっていますね。
教科書本編かなり難しいもの多いですからそこに対してのフォローになるものだとか逆に教科書よりもさらに難しい文章だとかも紹介してるんですよ。
だから生徒がちょっと読んでみようかなと思えるようなラインナップが上手に並んでますね。
これやっぱり選書が非常にいいのでビジネスパーソン向けに高校教科書が推薦する名著みたいな売り方をしたらなんかとっても売れそうな気がしますね。
書店だとかやらないかな。
教科書本文は授業のための教材として意識された文章が多くなってしまいがちなんですけど、
読書案内のページの選書に関しては高校生が自分の興味で選んで読書を楽しむっていうような差し渡しになるようなものがうまく選ばれてるなっていう印象がありますね。
あともう一つ変化として大きなところが何かっていうと、言語受講と呼ばれる分野の学習課題であるとかページの広がりに関しても触れておきたいところです。
文法だとか漢字だとか言葉に関する知識を扱う場所のところなんですけど、
ここも最近は従来の知識受講を超えて現代の国語や国語表現の教科書だと、
例えば相手や場面に応じて言葉遣いはどう選ぶのが適切かみたいなところまで踏み込んでいる教科書なんかもあったりします。
今回の放送だと具体的に教科書を言及しないようにしているので、ちょっとふわっとした伝え方になってしまって申し訳ないんですけれども、
要するに言語を運用する場面を意識した課題設定などもされているなーっていう感じです。
正しいか間違いかだけでは判定できないような、この場面ではこの相手にこういう言い方が適切かどうかみたいな知識の領域ですね。
答えが一つに定まらないので授業難しくなってしまう面はあるんですけど、方向としてはすごい面白い試みだなーなんてことを思っていたりはしますね。
ポイント3:古典と現代日本語の関係
3つ目のポイントは、今回一番話したかった、紹介したかった話かもしれませんね。
現代の日本語と古典の関係が新しい教科書ではかなり意識して作られているって話です。
まあその象徴なのが言語文化の教科書です。
言語文化って名前だけを聞くと古典の科目だと思う方が多いと思うんですけど、
実は今の言語文化の教科書には現代の日本語の教材がかなり入ってるんですよ。
例えばある会社の言語文化を開いてみると目次が古文編、漢文編、近代以降の文章編の3部構成になっていたりします。
古文と漢文と型を並べる形で近代以降の文章、要するに現代の日本語の方も独立した一編としてそれなりのボリュームでがっつりと扱われてるんですね。
古典を過去の遺産として切り離すのではなくて、現代の言語生活と実績のものとして位置付けて捉え直そうというような、
そういうような学習指導要領の設計思想を反映したものになってるわけです。
これは理念としてはすごくいいんですよ。
ただ現実としては授業数が2単位しかなくてすごい授業数厳しいということと、
入試志向の教科書になればなるほどやっぱり古文、漢文の方が手厚くなってるんですよね。
それに古典と近代以降の文学的文章を基本的にあんまり関係させないような形で扱っていることが入試向けの教科書だと、
なんか意図としては透けて見える感じがします。
入試に出るから古文の文量は減らせない、従来の枠組みを動かせないみたいなことはちょっと感じますね。
この辺りは前回の制度編でお話しした力学と全く同じ構造ですね。
で、ここからは自分自身の話なんですけど、古典を文化の総体として扱う授業って実はめっちゃ難しいんですよ。
これまでの古典の授業って、どうしても文法の習得とか知識の詰め込み型の授業になりやすかったんですよ。
助動詞の活用表を覚えて品種分解をして現代語訳をしてって、
それはそれで必要な技術なんですけど、文化として古典を味わうみたいなことを授業でやろうとすると、
そのやり方だとまあうまくいかないことも多いわけです。
ただ最近もSNS上で品種分解をめちゃくちゃ細かくやっているノートがある先生によって紹介されて、
それがものすごく良いことだみたいな賞賛を集めていた様子を見たんですけど、
個人的にああいうことはどうなんだろうなってあんまり意的に見てないですね。
受験などで品種分解をしながら読めるようになっていくということは受験考えると確かに大切なんですけど、
ただあれを繰り返していって、あれが古典の勉強だという風になってしまうのはどうなんだろうな、困るなって思ってます。
現代の日本語と少し文法的に異なるところがあるので、
意図的に文法を取り出してトレーニングをしないと読めないというのも事実なんですが、
でも高校段階の文法の品種分解だとかに関して言うと、
厳密に言うとやっぱり日本語学で扱う文法と説明変わってくるところありますし、
その意味だと正解だと思い込まれてしまうとちょっとまずいかなという思うところがあります。
あとそもそも自分が今古典を読む時には品種分解は使いながら読みますけど、
そもそも注釈書だとか他の文献を渡りながら細かく読んでいくので、
古文の原文単体を品種分解と古典辞書だけで読むみたいなこと自体が、
割と大学入試だとかだけのかなり限定的な文脈だよなーなんてことは思ったりしますね。
話がそれたので言語文化という科目の考え方の捉え方に話を戻しますね。
じゃあ品種分解だとか注釈的な授業でなくて、
現代との繋がりを考えた言語文化の授業をどうするかって話なんですけど、
これが自分にもさっぱり難しくて分からん。お手上げっていう感じなんです。
例えば日本人が最も好きなものの一つである桜というテーマ一つをとっても、
古典の中の桜と現代の花見文化とそれを結びつけて、
日本語の中にある文化として考えさせる授業を作ろうとしたら、
これまでの教材研究全部やり直す労力かけないと結構難しいなって思うんですね。
だから正直に言いますね。自分でも妙案がやっぱりなかなか出てきていないイメージ分けてないんですよ。
古典を文化として扱う授業の具体像、こうすればうまくいくっていうモデルが自分の中でもはっきりしてないです。
授業となったら何かしらアイデアを出してやるんですけど、まあ手応えないですね。
一つだけぼんやりと構想しているものがあるとすれば、
漢文漢語と現代日本語の接続みたいなところなんかはやりやすいかななんてことは思ってますね。
日本語の学問的な語彙って、元をたどると明治期の漢文漢語で翻訳したっていうところにたどり着くわけなので、
まああの哲学社会経済みたいな言葉のことです。
そういうような言葉がどこから来たのかみたいな切り口から考えていくと、
もしかしたら生徒にとっても現代とのつながりっていうのはわかりやすいかもしれないなぁなんてことは思ったりします。
まあ不自然な感じはしますね。
自分がそもそも大学、大学院と日本語学、語用論だとかポライトネスを中心に勉強してきて、文法教育の研究をしてきたので、
コンテンツよりも言語の減少に意識がいきやすいんですよ。
だからこういう発想の授業になるんですけど、でもそうなると古典のコンテンツの良さを活かせている気がしないので悩ましいですね。
自分の尊敬する先生は古典の和歌を取り上げて、日本文化のインデックスに和歌がなれんだというようなお話をされていましたけど、
そういう価値を大切にできていないのはいかんなあっていうふうに思いますね。
うーん困ったものです。何かいいアイデアありませんかね。
まとめと今後の展望
ということで教科書の中身の進化の話を3つのポイントでお話ししてみました。
学習課題と教材の進化、教科書の射程の広がり、そして古典と現代の関係の変化。
この10年間で教科書は結構変わってます。
でも教科書って一般には販売されてないんですよね。書店に行っても基本的には買えないわけです。
だからどんな変化をしていても教員以外にはほとんど見えないわけです。
しかも教科書って著作物の塊ですからね。
この教材が面白いんですよと言って中身をそのまんま紹介するわけにもいかないんです。
紹介の仕方自体にも工夫が要りのは厄介ですね。
あと余談ですけど、教科書ガイドと呼ばれるものは売ってますけど、あまり大きな声では言えないですけど、
教科書ガイドの学習課題の回答例が教科書編集の意図に当たってるかというと、
あれな感じはします。何も言うまいっていう感じですね。
だからこのポッドキャストでは少しずつテーマの切り口考えて、
教科書の世界を分解して何かしら紹介できたらいいなぁなんてことは思っています。
今回と前回で制度と中身の概論の話をやったので、
今後どこかでもう少し個別のテーマに踏み込んだ話ができたらいいなぁなんてことを思っています。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
今回の中身編まで前編後編を通して振り返ると、
自分の中では一旦こうして教科書を眺めてみると勉強になることは多かったですね。
自分は仕事の都合で多分普通の先生よりもかなり教科書は読む頻度多いのですが、
それでも高校の国語の教科書って知っているつもりでも、
こうして意識して見取り図を作ってみると、
授業でやってみようかなと思うアイデアが次々出てきますね。
一方で、もちろんそれでもうまく説明できなかった部分もあるなぁっていう自覚はあります。
特にポイント3で触れた古典と現代の関係をどう考えるかみたいなところは、
正直まだ自分の中でうまく説明できないんですよ。
古典を昔の文章として閉じるんじゃなくて、
現代の言葉や感覚とをどう往復させるのがいいかみたいな話なんですけど、
その説明がうまくいかない。
面白さを損なわす、でも無理やりに現代に寄せすぎない形ってどう作るのがいいのかなぁなんてことが迷うところですね。
なのでもし良い授業の工夫があったらぜひアイデアを教えていただければというふうに思います。
こういう導入が良かったとか、こういう課題にしたら反応が良かったとか、
ちょっとしたことでいいのでコメントだとかで共有していただけたら嬉しいです。
逆に全然高校の国語、古典教育の関係じゃない立場からの意見も聞いてみたいですね。
小中の先生とか多教科の先生だとか、全然学校関係ない方とかコメント待ちしています。
今後またどこかで教科書シリーズをやろうかなぁなんてことは考えています。
本日のポッドキャストの裏話は私のボイスイで朝6時半に配信しています。
ボイスイでは毎日の教育実践の話やちょっとした雑談もしていますのでぜひそちらもお聞きください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
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