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第120波⚡お笑い・シネフィル・第三批評(ゲスト:沼次郎)
2026-05-10 37:28

第120波⚡お笑い・シネフィル・第三批評(ゲスト:沼次郎)

第三批評より、沼次郎さんが来てくれました。

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感想

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サマリー

今回のゲストは「第三批評」の沼次郎さん。お笑い、特に漫才の批評について熱く語ります。沼次郎さんは、お笑いプレイヤーが望まないような評価の仕方をする批評家は必要だとしつつも、批評家自身が卑下しすぎる傾向や、インスタント批評の蔓延に警鐘を鳴らします。批評に興味を持ったきっかけは映画サークルでの経験で、当初は映画批評を書いていましたが、オリジナリティのなさに悩み、漫才批評へとシフトしました。特に令和ロマンの漫才を分析する中で、落語の「語りの位置」という視点から構造主義批評に応用できることに気づき、独自の批評スタイルを確立しました。この視点は、中川家や麒麟、ヘンダーソンといった芸人の分析にも応用され、お笑い界の閉鎖性を危惧し、より多くの人に批評が届くことを願っています。また、バラエティの「平場」における芸人の生感や、アドリブと決められたセリフの境界線の曖昧さにも魅力を感じていると語りました。

ゲスト紹介と批評への入り口
はい、今日も始まりました、電波惹句ということで、ゲストが来てくれています。自己紹介をお願いします。
どうも、沼次郎と申します。第三批評という批評動人で、批評を主に書いております。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
初めまして。
初めまして。
声はお聞きしています、スペースでちょくちょく。
すみません、ありがとうございます。いつも来ていただきまして。
いえいえ。
自分は、視力さんきっかけで、たぶん、第三批評と沼次郎さんのことを知った。
ああ、そうなんですね。
いや、違うか。なんか、でもフォローしてくれましたよね、たぶん。
あ、たぶん、そうですね、ある程度のなんか、お笑い、一回お笑いの方、お笑いとかをすべってる方をフォローしようと思った時期があって。
ほうほうほう。
でも、そんなに結局増やすことなく、まあ僕はこれぐらいでいいかなって思って、全然僕いないんで、フォロワーというか、はい、という感じですね。
よかった、じゃあ、そのタイミングで引っかかれて嬉しいな。
ああ、いえいえ、全然、はい、よかったです。
え、ちなみに知ったきっかけ、この電波ジャックという媒体を知ったきっかけとか、覚えてます?
ああ、でも僕も逆にたぶんしるくさんだと思いますよ。
ああ、じゃあハブになってくれてね、しるくさんが。
そうですね、やっぱなんか、前回それこそ、一気に本題入るかもしれないですけど、批評の話されてたじゃないですか。
はい。
しるくさんがやられてることって全然批評だと思う。
いや、あの人ね、なんか照れ隠しで言うんですよ、すぐ。自分は批評じゃなくてみたいな。
本人は、まあでもただ本人のスタンスがね、本人のスタンスがそうなのであれば、まあ違うのかなと思っておりますが。
でもまあ、すごい面白い文章書かれるので。
そうですよね。
はい。
なんかだから、こういうと、なんかシャクじゃないですか。なんか、こっちが、いやいやしるくさん批評じゃないですかみたいなのって、お前それ待ちちゃうんかみたいな。
ああ、そうですね。
まあでも面白いですもんね、文章。
そうですね、本当文章面白いですよね。なんか、すごく丁寧に調べられてる文章を書かれるので、またちょっと、まあなんというか、結構、参考になる文章ですね。何かを書くにあたって非常に参考になる文章。
へー。
という感じじゃないですかね。僕の印象としてはそんな感じ。
第三批評と映画美学校
何かを、例えば語る上で、前回もなんていうんですか、ウエストランドの話をスペースでする時とかも。
はい。
いったん僕もしるくさんのやつ読んで、ああまあそういう、なんていうんですかね、配置になるよなっていうのをなんとなく、はい。
そう、なんかしるくさんとスペースされてましたよね。
あれ聞きたかったんですけど、タイミングで。
録音してないんかいと思って。
え、そうなんですよ、あの回、そう、録音されてなくて。僕はすごいいい話ができたので、嬉しかったんですけど。
その時ウエストランドがテーマやったんですか。
いや、その時はまた別で、そのウエストランドの話が出てるのは、第3秘境でやったやつですね。
はあはあはあはあ。
思った光とか、いわゆるなんていうんですかね、ジジネタ、ジジ漫才みたいな、ジジネタってどうなんですかみたいな話をしてた時があって、スタンドアップコメディとかそういう時に、
ウエストランドはもちろんやっぱ出てくるので、そういうのを考える上で、あのしるくさんの文章を参考にさせていただいたという感じです。
へえ。
はい。
喜びますよ、あのしるくの野郎は。
いえいえいえいえ。
全然全然。僕なんか本当に駆け出しというか。
いやいやでも、それこそ今紹介、自分で紹介していただきましたけど、その第3秘境っていう、あれは文芸誌になるのかな。
まあなんか文芸誌だとは思います。ジャンルとしては文芸誌なんですけど。
はい。
佐々木篤さんという批評家の方がおられまして、その方が、映画美学校っていう東京のユーロスペース、いわゆる渋谷の映画館があるんですが。
はいはい、ユーロスペースよく行きますね。
そうですね。地下で、ユーロライブとかもあるからそうですね、お笑い好きでも確かに馴染み深いんですけど、その地下で映画美学校というものをやってまして、その中の一つの講座として言葉の学校というものがありまして、
はい、それの第3期の批評コース修了生の同人ですね。第3秘境というのは。
ふーん。
はい。
じゃあ沼尊さんもそこに通ってたんですか?
そうですそうです。
へー。で、スペースされてる方たちはその同期の人たちが集まってるって感じですか?
そうですね、もちろん同期の方もいますし、別の期の方もいらっしゃいます。別の言葉の学校の第2期とか1期とかで参加されてた方もいらっしゃいますね。
え、あのミルクボーイで笑えないでお馴染み、近藤さんは?
近藤さんは確か別の期じゃなかったかな?
あ、そうなんですね。
近藤さんをそんな、そんな風に覚えて、なんか、前に、いやこんなにその内容の話しちゃってもあれです。前にしるきさんとお話させていただいたときも、すごく第3秘境のスペースを聞いてくださっていることがわかるというか。
なんかすごい、あ、ほんと知っていただいてありがとうございますっていう感じになってたんですけど。
いや聞いてますよ、楽しく。
ありがとうございます、本当に非常に嬉しいです。
素人によるお笑い語りの意義
なんかあんまりその素人、まあ素人って言っちゃいますけど、お笑いに関しては多分素人ですよね。秘境についてはちょっと皆さんがどういう経歴の持ち主かとかは知らないんですけど。
はいはいはい。
芸人じゃない側がお笑いのことを語っているコンテンツってあんまりないから、やっぱあったら聞きたくなっちゃいますね。
あーそうですよね。やっぱりお笑いを語ることって結構そのプレイヤーにとって性域化されてるというか。そうなんですよ。かなり外側の人間が踏み込めない状態になっているので、それにはいろいろな理由があると思うんですけど。
まあでも語ってもいいんじゃないっていう、僕は。というか語ってもいいんじゃないというか、本当すいませんけどちょっと語りたいんですよねって感じ。
楽しいですよね、喋るの。
そうなんですよ、本当。いやだからなんでじゃあ結局その令和ロマンのネタってすごいんだっけみたいな話させてくださいよみたいな。
なんですよね。
そうなんか芸人って結構、そう考えるとかいいから笑うだけ笑っとけよみたいなことよく言うじゃないですか。
はいはい。
いやでも楽しいからだって思っちゃいません。
いやそうなんですよね。で、なんかその、いやこれ笑うだけ笑っとけよっていう基準って笑えない笑えるが発生するじゃないですか。
はいはいはい。
このなんていうか、なんでネタがすごいかとかいう発想を持ち込むと全部のネタが結構面白くなるんですよ。
はいはいはい。その面白いっていうのは何かホッケーっていうよりも芸術的というかその構造的にみたいなことですよね。
はい。すごいことやってるじゃんみたいなことがかなりあって、その楽しみ方、まあ確かにその望まれてない楽しみ方なんで嫌がられるんですけど。
はいはいはい。プレイヤー側に望まれてないってことですよね。
そうですそうです。はい。プレイヤー側にもちろん望まれてないので。
でもまあ、映画にせよ、それはもう映画にせよ文学にせよ、芸術作品にせよ、そのプレイヤー側が望んだ受け取り方なんてしてたら批評家って多分いらなくなっちゃうんで。
うん。いや批評家の人それ結構言いますよね。
はい。そうなんですよ。
批評家っぽい今の。
そう思うんで、なのでまあちょっと自由に。だから別になんか芸人に褒めてほしいとか全くなくて。
うんうんうんうん。
まあただもう本当に、ファンの人とかが読んでくれたら嬉しいかなっていうぐらいな感じではいますね。
批評のスタンスとインスタント批評
やっぱりあの前回の、あの前回矢野さんとスペースさせていただいたんですが第三批評の方で。
まあそこのお話にも出てたんですけどやっぱり批評ってすごい、本当批評させていただいてますみたいなスタンスではいないといけないなとは本当に思ってて。
ああそうだんや。
はい。いやまあだって言っても二次創作なんで。
はいはいはいはい。
はい。一時的なものがあってこそ僕らのやっぱり批評というのはありがたいことに成立しているし、そこのなんていうんですかね、精神性なんか批評、私が批評してあげているみたいなスタンスになると、やっぱり健康ではないというか。
はいはいはい。確かにその批評させてあげているはちょっと傲慢すぎるかなと思うんですけど、なんか自分は本当に批評素人、批評に興味がある批評素人の適当な意見と思って聞いてほしいんですけど。
はい。
そんなに賢まるというか、卑下せんでもという気もするんですよね。
あー。
なんか別に評も評として一つの、なんか芸術っていうのかな文芸の一ジャンルなのではみたいな。
あーはいはい。
そうですね。
難しいですね。なんかそれは結構今の時代だからこそのスタンスな気もしていて。
はい。
というのもその、まあXでかなり批評的なもの、いわゆる批評的な言説っていうものがかなり溢れていて。
はいはい。それはその考察とか感想とかそういうのもひっくるめてってことですか。
そうですね。なのでまあインスタント批評がすごくしやすい140人の状態になっているので。
うんうん。
やっぱりなんていうんですかね、そこのラッパーみたいなこと言うと言葉の重みを理解してないと体重が乗ってこないじゃないですか。
で、やっぱその重みを理解しているぞという姿勢として。
なるほど。
はい、あるかなという気はしますけどねちょっと。
え、でもあればなおさらそのすいませんって言うスタンスよりもその覚悟を持って出してますってみたいな態度の方が潔くてかっこよくないみたいな気がするんですけどね。
いやーなんかどうので、僕はなんかそのこれどうなんですかね。他の第三批評の方とか多分すごい批評の界隈の人ってめちゃくちゃ批評とは何かっていうのを考えてるんですよ。
はいはいはいはいはい。
常に批評の批評みたいなことがかなり発生しやすい領域ではあるんで。
で、対して僕は結構その批評に対するスタンス、まあなんかある程度のスペースをお聞きいただいてるんでもしかしたらお察しかもしれないんですけど、
僕その批評っていうものに対するスタンスみたいなものあまり明確に持っているわけではないんですよね。
うんうんうん。
なんかむしろもういろん…というか批評がやっぱり批評に対する批評っていう状態になっちゃってるんで、広く届かないものになっている。
はいはいはい。
だから多くの人にもし届けるのであれば、すみませんちょっとこれもしよければ読んでいただきたいんだよねっていう感じの方が。
そっちか。その謙遜っていうのは読む人に対してってことですか?その作者に対してじゃなくて。
まあプレイヤーの方もそうですよ。僕はプレイヤーの方が一番偉いし、やっぱ一番リスペクトがあるんです。劇場にもよく行くんで、
板の上に立っている、まあ僕は落語も好きですし漫才も好きですけど板の上に立っている方がやっぱり一番かっこいいとは思っているので、
もちろんそこのリスペクトもありますし、その好きでいる人たちっていうものもすごくリスペクトはしてます。
なんか本当、なんか面白いものをちゃんと書かなきゃなとずっと思ってます。
批評への興味と映画批評の悩み
僕はそれのプレッシャーにずっと囚われていて、遅いんですよ。書くのが本当に。全然書けてなくて申し訳ないなって。
何申し訳ないんですかそれは。
やっぱなんか第三批評の方って、批評家皆さんなんですけど本当に筆早いんですよ。
三宅加護とかエグいですよね。どんだけ本出してねみたいな。
あんなのマジすごくて。あれすごいですよ本当に。
本出してノート書いてどういう意味みたいな。
もちろんあれってある程度の地位が確立されたがゆえに、言葉にもう既に重みが乗ってる状態なんで届きやすくあるんですよ。
詳細な説明を加えなくても三宅加護ってバックグラウンドがあるんで、ある程度の体重が乗った状態で、コンテクストが乗った状態で言葉が相手にデリバリーされるんで、
すごい届きやすいんですよね。たぶん三宅加護が書いた文章であるっていう理解があるんで。
それはもちろんあるんですけど、でもすごいし、第三批評の方でもなんか読んですぐ出しみたいな。
なんでできるんだろうって僕は思っちゃってますね。
それでは今日は沼次郎さんの経歴というか、どういう人かみたいなのを聞きたくて。
そもそも批評に興味を持ち出したのっていつなんですか?
多分もう何回か読んでいただいてると思うんですけど、もともと僕映画が好きで。
ノートは映画批評みたいなのがほとんどですよね。
僕個人のノートは映画批評で、あれが初期作みたいな感じですよね。大学時代から書いてたやつって感じで。
映画サークルから批評へ
もともとは映画サークルにいまして、お笑いは同時並行して見入ってたんですけど、
分析をがっつりするほどではないって感じですね。立場としては。
スタンス的に言うと、テンダラーと笑い飯の単独には行くかなみたいな感じ。
結構だと思いますけどね。単独に行く人って結構だと思いますけど、お笑い好きの中にいると単独ぐらい普通に行くやろっていう感じはありますもんね、確かに。
そうですね。なのでそれぐらいのスタンスで。今ももしかしたらそこは変わってないかもしれないですね。
あんまり入りすぎないようにしてる気もするんで。見にはいきますけど。
もともとそういう映画サークルにいまして、すごい映画のことを教えてくれる先輩が二高への方にいたんですけど、その先輩がやっぱり卒業しちゃったんですよね。
で、次の下の台に映画を語ることをしなきゃいけないっていう要請が発生したんですよ。
こういう映画ってみたいな話をする。一番多分、哲学と映画って一番批評と密接になってるというか、界隈だと思うんですけど。
シネフィルとか言いますもんね。
そうですそうですそうです。いろいろ先輩にシネフィルが言ったんですけど、シネフィルって言葉もすごく難しいんですけど。
触りづらいところがある。
そうなんですよ。面倒くさくて本当に。
でも外野なんで僕はずけずけ言いますけど。
あんまこういうこと言えないから。って思っちゃいますけど。気にしすぎなんですけど、別に気にしなくていいんですけど。
で、あの批評みたいなことをちょっと書いてみようかなと思って書き始めたっていう感じですかね。
だから一番最初にちゃんと批評として書いてみたのは、ラショウモンですかね。
へーこれ初なんですね。
そうですね。ラショウモンが多分しっかり書いたやつだと思いますね。
すごい一発目でこんなん書けんだよ。
いやそんなもう全然なんか本当にいろんな映画批評の方がいらっしゃるんで、文章なんかは全然と謙遜させてもらいますけど。
そうですね。いやなんかその感じで書いてたのが批評の始まりではありますね。
オリジナリティと漫才批評への転換
へー。めっちゃちゃんと知ってると思いますけどね。素人目には。
いやでもなんかその映画批評ってすごい常になんかあった嫌な感情があって僕の中には。
もう誰か言ってんじゃねこれみたいなものをすごく思ってしまってて。
で、やっぱ映画って世界で見られてるじゃないですか。
もう世界で映画を好きな人がいて、世界中に映画が好きな人がいて、その世界で研究されているから。
これは別に僕が言わなくても誰か言うよみたいなことを書いちゃうと、なんかあんまり価値がないなとは思ってて。
まあそうですね。
はい。で、その僕の後輩とかも先輩の批評は確かに面白いんだけども、そのオリジナリティがあんまないんですよね。
わーつらい。
はい。文体も含めなんですけど。文体も含め、確かにその二番煎じ感が否めない。
いやでもほんとそうだなと思ってて。
で、なんかその第三批評の相関語もあるんで、そこを僕映画で書いてるんですけど、全然なんか納得がいかなくて。
へー。
いやこれはなんかほんとありきたりなものを書いちゃったなっていう。
うーん、なんかそうだよな。第三評なんか多分僕が一番最年少だと思うんですけどおそらく。
ほうほうほう。
なんかいやでも、なんかこう、さすがに周りのがある程度経験がある方とはいえ、これはダメだろっていう。
へー。
自分の中でも全然合格点が出せなくて。
なるほど。
で、っていう状態の中で、M1があったんですよね。
はいはいはい。
で、あれレオラマンの漫才ってすごくないっていう話というかに至りまして。
うんうんうん。
で、多分前回の、前回ではないのか。僕の名前を出していただいた電波ジャックの回があると思うんですけど、
あそこで、どうやってこれに至ってるみたいな話をしていただいたのかなと思って。
はいはいはい。
どうやって書いてるんですかねみたいな話をされてたんですけど。
はいはいはい。
あれは文章にもある通り、もともとは僕卒論があって。
うんうんうん。
いわゆる語りの位置みたいな。
うん。
はい。
なんか落語をベースにしてるって書いてましたね。
そうですそうです。落語をベースにして考えてる。
どの地点、どの時間軸、どの場所から物事を語るかみたいな。
批評で言うとおそらく構造主義にあたると思うんですけど。
うん。ぽいぽいぽい。
はい。なんですけど、構造主義批評をもともと卒論で作ってて。
へー。
で、僕が師匠の指示している先生が一人いらっしゃるんですけど。
その先生がもともとそういう語りの位置、落語の語りの位置みたいなものを研究されてる人で。
はい。
で、そのままの発想があったんで、これ多分漫才に応用できるのよなってずっと思ってたんで。
わー面白い。はいはいはい。
で、令和ロマンの漫才すごい好きだったんで、これはおそらくなんかあるぞと思ってあれを書き始めたっていう感じですかね。
漫才批評の独自性と楽しさ
はーん。じゃあなんかその、なんか書きたいなーが割と先行してたっていう感じなんですかね。
あ、そうですね。なんか書きたいなーもあるし、自分が思って、やっぱあの文法というか、いわゆる語りの位置、漫才における語りの位置って
おそらく誰も言ってなくて、これだったら完全に独自性があるというか、国立できるはずだぞって思って。
なるほど。
これだったら勝ち筋が見えるなと思って。
はいはいはい。
で、おそらくお笑い批評ってされてないので、ポジションとしても悪くない。
しだいさん批評の中でも、多分僕がしか書けないなと思ったんですよ。すごく僕にしかこれは書けないものだっていう確信があって。
おえー。
あの時は。
はいはいはい。
恥ずかしながら。で、書いたらすごい読んでいただいたっていう感じですね。
面白かったあれ。
で、それもさっき話に出した後輩も、いやあれは本当にすごいみたいな。
分厚い。
ようやくですね。ようやく。
生意気。
面白いのが出ましたね。
いや、彼は彼でやっぱり自分がその映画を撮ったりもしてるんで、お互いにもそういうの言い合える。
分かりますよ。
もちろんないんですけど。
はい。
いや、なんか僕も書いててすごい楽しくて。
へー。
映画の時ってさっき言った通り、誰か書いてんじゃねーかみたいなの書いて。
はいはいはい。
しかも誰かの真似みたいな文体になっちゃって。
こんなオリジナリティないの書いても意味ないよなみたいな。
その精神の中で書いてるのが辛くて、あんまり楽しくなかったんですけど。
へー。
漫才はもう、すごい楽しいと思って。
なるほどね。じゃあやっぱオリジナリティがあるかどうかで、やる気とか自分の書くテンションとかがだいぶ左右されてたってことなんですね。
そうですね。ほんとで。
漫才を語ることへの抵抗と覚悟
当時なんか、つやちゃんさんっていう。
はいはいはい。
スピードワイブスパンチラインっていう本があって。
はいはいはい。
これがいわゆるラップと漫才の話をした本なんですけど。
へー。
これがちょうど確かM-1の2024の時期に出たんですよね。ちょっと12月の頭ぐらいに確か出たはずで。
うん。
で、漫才ってやっぱり批評できるんだっていうのがすごく大きくて僕の中では。
はいはいはい。
漫才は全然、いやもちろんこれはラップって結構音楽批評って今でもかなり盛んじゃないですか。
そうですね。
今結構盛んだと思う、盛んなんですけど。
そういう目線と掛け合わせて、まあもちろん出版されてる本ではあるんですけど、でも漫才も全然批評に値するような。
で、外側の人がやったってここまで面白いものが書けるんだったら。
うん。
まあ、書けるかっていう。
うんうんうん。
っていうのはありましたね、すごい。
へえ、じゃあなんかそのお笑い語り手って思ってたっていうよりは、やっぱ勝ち筋というか独自で自分のポジションを探してたら、お笑いいけんじゃねみたいなので書き出したっていう感じなんですね。
ああまあ、そうですね。なんか漫才に対してすごく語りたい欲があったかと言われると、むしろだから、もともと語っちゃいけないものっていう印象がすごくあって。
へえ。
まあ多分いまだにこれはみんな、みなさんの中では共通、結構共通なんじゃないかなと思いますけど、なんか語りがちょっとダサいみたいなのはある気がする。
自分はあんまり考えたことも感じたことはない。
ああそうですか、いやなんか、なんていうんですか、いや多分これはプレイヤーの方が言説として多いから、プレイヤーの方が漫才を語ることが多いからだと思います。
はいはいはいはい。
外側のやつが、漫才わかってないでしょみたいなことだろうとは思いますけど、
でもやっぱりなんかそれがあるし、なんか漫才はやっぱり語っちゃいけないよなっていう。
いや普通に面白いアハハで笑ってるだけでいいよなっていう気持ちもすごくあったんで。
まあまあまあ美学みたいなことですよね。
語るってどうなのかなと思ったんですけど、ただでもこれは僕にしか語れないだろうという。
熱い。
熱いやつで書いたって感じですかね。
語りの位置と芸人分析
いやもう恥ずかしこんで自分の話をツラツラと。
いやいやいやいやいや面白いです。
それで言うとじゃあその令和ロマンの語りの位置の話でちょっと派生させると、前しりおくさんと喋ってて、
あの語りの位置前傾か後傾かと時間軸のやつ面白いみたいな話をしてて。
でヒゲ断食がえげつなくないかみたいな話出たんですよ。
あーヒゲ断食はいはいはい。
あれってコントで後傾化してることになりますよね。
自分が出てないわけじゃないですか。
あ、そうですね。
でもその状態でメタをやるじゃないですか。
はいはいはい。
あのちょっと降りるみたいな滑ってるやないかいみたいな。
はい。
めっちゃ複雑じゃないこれっていう。
コント内の折りみたいな。
これ結構難しいんですけど、
多分コント内の折りはコント内で実画を出す状態なので。
はい。ていうかそれであれか。
もっとその前にキャラに入った状態でさらにコントインしてるから二重に入り込んでるなっていう。
あーえっとちょっとちょっと待ってください。
えっと難しいのがそのヒゲ断食はおそらく僕の解釈で言うとスタートからコントに入ってるんで、
現実の時間軸上でコントインしてるはずなんですよね。
はいはいはい。
で、えっとーあってるかな。ちょっと僕も今図が手元にすぐ出るわけじゃないですか。
ちょっとややこしいですよね。
だから自分も間違ったことを言ってるかもしれない。
いやでもただ僕の理論というか、あれって本当はあの文章ではやらなかったんですけど、
本当は一言一句一フレーズごとに振り分けるものなんですよ。本質的に。
もっと複雑に説明しなきゃいけないんですけど、
そんなことやっても誰も読んでくれないので、やってないっていうものにはなるんです。
なるほど。
えっと多分ラパルフェの漫才に近いと思うんですけどね、どっちかっていうと。
ニューヨークとして出てきて。
あ、そうですそうです。
ってことですね。
で、折り、彼ら折りないですけどね。
折りるっていうか、なんか安倍博史とかやりますよね、そこから。
あ、そうですね。
漫才史、コントには入ってないから、自身を後継化させてる、後継化させてるのと前継化させてるのを、
現実の時間軸上で繰り返してるっていう解釈になりますかね。僕の中では。
なるほど。
はい。だから多分、時間的地形に関しては現在の位置にいて、語り手が後継化してる状態かなと思ってて、
で、向上してて、で、たまにその時間軸の中で前継化させてるっていうのを。
前継化っていうのはラパルフェの自我を出すみたいなイメージですかね。
あ、そうです。だからヒゲ断釈では元々のコントに入る前のヒゲ断釈という、
喋り、語りの状態に移動してコントの方を見るみたいな話になるのかとは思いますけどね。
ちょっと今すぐにバッて出てくる。
M-1と芸人の評価
すみません、ちょっとややこしい例を出しちゃいました。
申し訳なく。
でもその、あの見方を見たことで、確かにじゃああれはこうやって見れるなみたいな、
その見方が広がったというか。
はい、はいはいはい。
じゃあこれはどうなんだとか、いろいろその妄想というか、考えることができて、
いや読んでよかったなって思いましたね。
いやー嬉しい。ありがとうございます。
そうなんですよね。だから結構M-1の漫才って、あの基準に当てはめるとかなり、
中川家の時からもかなり新しいことをやってる人が評価されているので、
中川家もあの時代の中だと相当設定として攻めているというか。
何年前やねんって感じですもんね、中川家とか。
そうなんですよ。そうなんですけど、やっぱあの時って入ってくんなよみたいな話をしてるんですけど。
コントの世界に、つよし、つよしの方が、
侵入してくることを嫌がるんですよね、すごく。
はいはいはい。
っていうのが含まれていて、通常のコントゲームの中に。
すごい先進的なことやってて、他絶対やってないんですよ。普通にコントに入るだけなんで。
普通そうですもんね。
そうなんですよ。だからあの中で、一番最初の部分で新しいことをやってるのは中川家とキリンですよね。
あそこの2組だったと思うんですよ。
キリンもそんなんでしたっけ?
キリンは、えっと、伏線回収のネタなんですよ。
あ、へー。
前半にあの、ちょっと笑えない部分というか、何やってんだみたいなの作って後半で全部回収するみたいなネタをやってて、
それこそ松本ひとしがすごい評価してた。
はいはいはい。
一番面白かったっつって、っていう気はします。だからなんかこう、まあこの見方さえあればまあ、ある程度の漫才説明がつくだろうとは思っているので。
いやでもそうですよね。なんかそう、喋ってて、今ちょパッと言ったんですけど、いや名前で忘れちゃうな。中村風のコンビ何でしたっけ?
あ、ヘンダーソンですか?
あ、ヘンダーソン。そうそうそう。ヘンダーソンとかもう、その視点でいくとコントに入ろうとして入らないみたいな。あれかなり斬新ですよね。
あーそうですね。そうですね。そうなんですよ。多分図式化するとすごい単純になっちゃうんですけど、僕のやつで。ただやっぱそれをどう扱うかみたいなのもすごい大事で。
すごい料理の仕方ですよね、あれ。
そうですね。あれも新しかったけど、でもなんかやっぱ、もどかしさがあって多分評価されてた気がしますよね。
ほうほうほうほう。
結局入らないんだみたいな感じになっちゃって、やっぱ卓郎とかの方がそうしたら評価されるのかなという。評価されたんだなという気はしますけどね。
はいはいはいはい。やっぱ楽しいですよね。じゃああれはどうとかこういう話をするみたいな。楽しいですよね。
いやいや本当にそうなんですよね。だからまああれは描いてよかったなと思います。そういう見方をしていただける方が増えるだけで。
まあ本当は望ましいのかどうかわかんないんですけど。
まあ何が正しいかなってわかんないですからね。
お笑いの閉鎖性と流行
まあそうですね。芸人さん側にとったらちょっと望ましくないかもねっていう気がします。
そうですね。まあそれはでもないとは言い切れないですよね。ほんまにやがってる人も多分いるやろうし、まあ流行れば何でもいいって思ってる人もいるやろうし。
はいはいはい。まあでもなんかお笑い芸人にだけ解説させてるとやっぱり閉鎖的になっていくんでどんどん。そこの危険性みたいなものは、まあ芸人がどれだけ感じてるか置いといて、なんか閉鎖的になってほしくはないよなっていう使命感は勝手にありますよね。
お笑い流行ってないですからね今。
そうなんですよ。お笑い流行ってないって言っても、いやーあれまた大変な発言をされたなと思いますけども。
お笑いっていう範囲がむずすぎるんですよあれ。
そうですね。
本当によくやっても、いやだからお笑い、だから僕もあえて多分あれすごい何ですかね、前回僕の名前出してくださった時に、
はい。
しらくさんはすごい気を使っていただいたなと思って、漫才批評って僕をちゃんと紹介してくださったじゃないですか。
あ、ちょっと覚えてないです。自分はズボラなので。
あの時、しらくさん漫才批評って言ってくださって僕の中ですごい嬉しかったんですけど、
へー。
僕はお笑い批評はあくまで距離感としてはしてないスタンスなんですよね、どっちかっていうと。あくまで漫才のことを話している。
そうそうそう、それもちょっと喋ると思ってました。ちょっともうあとこの時間が3分しかないんで。
平場と生感への興味
あーそうなんですか。
そうなんですよ、実はもう40分くらい喋ってて。
あ、そんな。
はい。なんですけど、その平場とかはどう思っているんだろうみたいなのがすごい気になりました。
あの、書かれているの漫才ばっかりですもんね。
そうですね、はい。僕は漫才で基本的に。
で、自分は漫才ももちろん好きなんですけど、よりもバラエティの平場とか、その特強性。
何も用意してないとか、何も知らない状態でその芸人がどう振る舞うかとか、
アクシデントにどう対処するかみたいなところにすごい心引かれるんですよね。
なんか漫才ってもう出来上がってるじゃないですか。
そうですね。
完成品を演じているみたいな。それはそれで面白いんですけど、
なんかもっと生感のある、ライブ感のある展開にすごいワクワクするんですよね。
あー、ただなんかそこで発生する疑問が、その生感って一体何なんですかみたいな。
はいはいはいはい。
僕は結構気になって。
そのアドリブと即興と、いわゆる用意したものの境目って本当に存在するのかって。
はいはいはい。
やっぱ思っちゃうんですよね。
それは即興と言いつつ、いくつか球を用意してて、それを瞬時に出しているだけみたいなことですか。
っていうのもありますし、トレーニング的な部分もありますし、
アドリブと決め台詞の境界線
あとなんか、こっちにそれって本当に見分けついてるのっていう。
はいはいはいはい。
だから例えばなんか、これ大丈夫ですかね、時間。
演劇とか僕見てるんですけど、安倍晒さんの演技ってアドリブかどうかわかんないんですよ。
はいはいはいはいはい。
全ての言葉が、台詞が、アドリブのようにも取れるし、台詞のようにも聞こえる。決められた台詞としても聞こえる。
はいはいはい。
っていうのが、安倍晒さんの役者としてのすごさだと僕は思ってるんですけど。
はいはいはいはい。
そういうのを見てると、やっぱりどこまでがアドリブで、どこまでが決められた言葉なのかって、区別はつかないんじゃないのっていう。
いやそれで言うと、自分はその揺らぎにも結構魅力を感じてて、これどっちだろうっていうのもワクワクするタイプではあるんですけど。
あーはいはい。
エンディング
ちょっと時間が来てしまったので、一旦この回はこれで終わりにしたいと思います。
わかりました。
はい、ありがとうございました。
ありがとうございました。
電波ジャックではお便りを募集しています。
宛先は、
みんなも一緒に、
黒ポチはいりません。
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