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はい、みなさんおはようございます。こんにちは、こんばんは。常に挑戦する気持ちを忘れないように、挑戦者のだいきです。
今日は4月17日土曜日の夜の配信となっています。
今日もね、相変わらず仕事からさっき帰ってきて、もう今いろいろと下書きとかをしていたら日付が変わっちゃって、本当はね18日って書いてあるんですけどまぁ
17日の放送です。今はね、それでもコロナの影響でね、大抵の飲食店は9時までの営業だと思うんですが、明日から
マンボウ、マンボウが始まります。マンボウということで時短営業がまた再開。今もね、常に時短ではあるんですけども
何でしたっけ?まん延防止等重点措置の関係で、僕が今働いている川崎地域、渋谷からちょっと近いところの川崎地域なんですけども、そこも重点地域に入っているので、また8時までの時短営業になりそうです。
本当ね、この先どうなっていくのかなーってちょっといろいろ思いながらなんですけど、まぁね、そんなことはちょっと置いといて、今日はちょっと僕の昔の話をしてみようかなと思います。
僕はね、現在44歳で飲食業で正確に言うと26年か5年ぐらい働いているんですけども、
今は飲食業から離れて、ネット等で収入を得られるようになるように、収入を得ることができるように、今飲食業をしながら活動しています。
主にはブログとラジオ配信、あと動画編集をやっているんですけども、ちょっと最近動画編集の方は正直やれていないのが現状です。
そんな僕でもね、やっぱ若い頃ってあったんですよ。みんな思うんですよ。20代の頃っていつまでも20代のような気がする時あるんですけど、気がついたら僕は40代になってました。
そんな僕でも20代の頃っていうのは、正直言って容量は悪い方でしたね。かなり容量が悪い方で、あまり周りが見える性格ではなかったんですけども、
それでも毎日真剣に料理の道を勉強していました。 料理をやっている人なら、やっぱ一度は夢を見たりやってみたいなと思うと思うんですが、将来はお店を自分のお城を持ったり、
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それか一応二者卓一と思ってたのは、シェフになるっていうことを夢を見ながら料理をしていたんですけど、後々これが夢っていうのがちょっといろいろ問題もあったんですけど、まあいいや、その話はいいんですけども、そういうのを考えながら料理をしていました。
意外に僕イタリアまで行ってるんですよ。 19歳から料理を始めて20代半ばの頃かな、26歳ぐらいの頃にすでにイタリアの方に飛んでいた先輩のつてで、イタリアにも修行に行きました。
修行と言ってもね、潜りでビザもなく働いていたんで、毎月2本円で考えると2万円ぐらいの超発給で働いていました。
まあそれでもね、住むところはお店の上に寮があったし、賄いも毎日あるし、休みの日はね、シェフが、そこのお店のシェフが他のお店の視察を兼ねて、
僕は他の近隣のね、結構いいところのお店に連れてってくれていたので、それなりに楽しかったんです。
イタリアの期間中は、お店にいるイタリア人の子たちと、男女共にね、いろんな子たちと
休みの日に遊びに行ったりとか、あとは仕事終わった夜に呼び出されて、近くのバルに行って、結構夜遅くまでワインを飲みながら話なんかをしていて、
正直今思い出してもすごい楽しかった時間だなぁとは思います。 でね、よくイタリア語はできるんですか?って聞かれたんですけど、聞かれるんですけど、
まあなんとか、今でもギリギリなんとか生活はできるぐらいの会話はできると思います。
初めに渡った直後は3ヶ月ぐらいはね、 よくわかってなかったんですが、3ヶ月過ぎたぐらいの頃からなんとなく会話が聞き取れるようになって、
半年後にはね、イタリア語で喧嘩をするようにもなってました。 やっぱり行った方が言語って覚えるなと思います。
いっから、日本で勉強しても正直上達はしなかったですね。 でね、僕がいた地域は北イタリアのトリノっていう地域だったんですけども、
ピエモンテっていうのが、州で言うとピエモンテか。 働いてたお店は合計で3軒ぐらいあったんですけども、一番長く働いていたお店は結構地域でも有名なお店で、
ミシュランで星はとってなかったのかな、その当時。 星はとってなかったけど、一応ミシュランにも乗るようなお店で、かなり
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地域の料理っていう意味ではかなり勉強になるお店でした。 で、イタリアに渡ってから僕の場合は1年弱の頃、もともと1年の約束でイタリアに行っていたんですけども、
正直ね、その約束っていうのもその当時付き合ってた彼女と約束していたんですよ。 僕的には何年か行ってもいいなーって思ってたんですけど、その当時の彼女とね
約束していて、行って1年でってこう帰ってくるって言っていたんですけども
実はね、 イタリアから1年後に帰国して3日目に別れました。
バカですよね、本当。 向こうに行っている間、イタリアに行っている間に彼女が日本で別に男を作って
実はできれば帰ってきてほしくなかったみたいな話なんですけど、帰ってきちゃったんでね、話をしていたらなんかおかしいなーって思ったら
実はもう彼氏がいたみたいな、そんなバカな話だったら先に言ってくれればなーって結構イタリアでこの子と付き合いなよみたいなこと言われたこともあったんですけど
結構その辺真面目だったので、堅くなに僕は日本に帰るなんて言って帰ったんですけど、日本に帰ってから3日後に別れるっていう結末でしたね。
今思えば本当バカなことしたなぁとは思っているんですけども。
言って悪いことはないのか?今思えばね、やっぱりね僕の場合は
今はそうでもないんですけど、どっか芯がなかったのかもしれないですね。
というのも、高校卒業してからどうしてもやりたいこととかを考えたこともなかった。どうしてもやりたいことを見つけようとかって考えたこともなかったので、
それでもね、やっぱり高校卒業したら僕は大学に進むっていう道を考えたことがなかった高校生だったので、
高校生の時にバイトをしていた飲食店が結構楽しかったので飲食にしたっていう感じだったんですよね。
今のね、僕の周りにいる20代の子、大学生の子が多いんですけど、大学生のように4年間かけていろんなことをやったり、
若い時間を楽しむ余裕もなく過ぎ去ったというか、そんな感じの20代だったんですよ。
家も実家も結構感動されて出てきたような形なので、実家に帰るっていう選択肢もないまま過ごした20代だったんですよ。
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芯がないっていう意味で言うと、実はね、東京に出てくる時も僕、実は女のケスを追っかけて出てきてたんですよ。
今思えば本当に笑い話ですけど、高校の頃に付き合ってた彼女が先に看護学校かなんかで東京に出て行っていて、
1年先輩だったんですけど、正直それを追っかけるように東京に来ていたっていうそういう経緯もあって、
イタリアの時も結局彼女とのあれで日本に帰ってきたら、帰ってこなきゃよかったなみたいなそういう結末になっているっていう。
そういうのを考えると20代を振り返ってみたらね、馬鹿だったなーなんて思うんですよね。
人それぞれいろいろ考え方はあるんですが、その当時はいろいろ考えた上でって思ってたんですが、やっぱり40代になって振り返った時にね、
20代の僕は馬鹿だったわけではない、それなりに考えてはいたんですが、やっぱり考え方がね、子供だったなーっても思うし。
ただまあその当時の僕としては20代の僕はね、それでももう頑張ってやってたんだなっても同時に同じように思いますね。
だからまあ、今だからそうやって思えるんだってその当時はその当時で必死になって考えていた自分にね、別にダメ出しをするわけでもなくね、
そういうのをちょっと振り返ってみる放送にしてみました。
明日の放送ではね、その後の自分のお店を持つ経緯だったりね、飲食を一旦やめてパソコンを使って稼ぐことに挑戦してみたっていう話をしてみようと思います。
はい、ということで今日はね、こんな遅い時間に配信になってしまったんですが、よかったら明日の放送も併せて聞いてみていただけると嬉しいです。
はい、それじゃあ皆さん今日も一日お疲れ様でした。それじゃあおやすみなさい。じゃね!