はい、ということで2回にわたって富江と大塚くんがどうやってマガジントップまでたどり着いたのかっていう話をしてきたんですけど、
その後に入社してきた野口くんがどうやってたどり着いたのかっていうのを今回は聞いていきたいと思うんですけど、
野口くんも子供の時の話からっていう感じかね。
そうですね。やっぱりなんでかなって考えると、そこまで戻らないと理由らしきものが探れなかったんですよね。
逆に言うと、なんでって理由がないと言えばないというか、偶然なんですけど最終的には。
その中でも手がかりっていうか、そこにつながっていくのはこういうことなのかなっていうのをいくつか、
ちょっと過去の記憶から紐解いていったみたいな感じなんですけど。
一番昔というか、本に関わる記憶で思い出したのが、たぶん小学校上がる前ぐらいだと思うんですけど、
おじさんからもらった本の全集みたいなのがあったんですよね。
それが一個の30冊ぐらいで、本の段ボールというか厚紙のケースに入っていて、
薄い本なんだけどハードカバーで、それがグリム童話とかそういうのが入ってたんだよね、いろんなのがね。
海外のやつと日本の2冊ぐらいのシリーズがあって、それを子供の時にもらった記憶があるんですよね。
そのおじさんはたぶん出版営業とか、そういう出版関係の仕事をしてたんですよ。
早くなくなっちゃうんですけど、子供の中でもそういう仕事があるんだなっていうのはおぼろげながら、
なんとなくそこにちょっと覚えているっていう、そのおじさんの記憶とも絡みながら、
それが覚えているって感じなんですよね。
とはいえ、だからって別に編集者になりたかったとか、本を作る仕事を志したかとか、
そういうことは全くなかったんですよね。
むしろ小学生くらいの時は、ものすごい劣等生だったと思うんですよね。
ほぼ勉強してない。
学校遊びって授業を聞いてないで、帰ってきてから外遊びに行って、ひたすら遊びしかしてない感じだったんですよね。
親にも特に勉強してるとかも言われなかったので、自由気ままにやってました。
自由なんだけど、別にいろんな能力が高かったわけではなかったんです、小学生の頃は。
運動神経がすごい優れてたとか、体もちっちゃかったし、
特に勉強はしてなかったから別にできなかったんだけど、
自分に対しては才能もないなっていうのをずっと感じてたんですよね、小学生くらいの時に。
周りは結構優秀な人たちがいっぱいいるわけじゃないですか、頭が良くてね。
学級員とか勤めたりする人はうまく、特にうまく喋るのができなかったんですね。
特に大人に対して恐怖心があって、大人と喋るとなると言葉が出てこないぐらいな感じだったんですよ。
どっちかというと劣等感があって、自分自身に。
あんまり大人にもなりたくないし、将来大人になって働くのとか絶対嫌だなとかっていうのを、
子供の時からずっと思い続けてた感じだったんですよね。
中学になってちょっとずつ変わってはきて、
中学になって少しずつ成長して、体もちょっと大きくなってきて、脳もちょっと成長してきたのかな。
成績的には普通中ぐらいの上ぐらいな感じになって、
でも結構中1ぐらいが一番性格的に明るかった気がするんです、自分自身が。
漫画とか書いたりとか、結構ふざけたことを言って笑かしたりとか、
そういうキャラクターで一番人生の中で明るかったのがその時期じゃないかなと思うんだけど、
そっから転校するんですよね。転校して埼玉から山口県に行くんですけど、
そこで結構友達とかがらっと変わるわけですよね。
東京から来た人みたいに見られるし、方言だし、全然自分のポジションが気づけないわけですよ。
真逆の感じになるわけですね。
しかもそこのギャップがあり、さらに1年間結構アウェーな環境で育ちつつ、
また埼玉の同じ中学に戻ってくるっていう現象をするわけですよ。
ここでこうなると、同じ中1の頃の自分ではもはや存在できないというか、
明るいのと底辺ですごい暗い自分との、そこのギャップの中で攻め合いが起こるわけですよね。
だからあんまりうまく自分自身の、それでも面白かったんですけど、中学の時はね、まだね、中3の時。
ただ、受験勉強とかもその時は勉強の気持ちが一切なかったんですよね。
だから周りに、ほんと周りの人が勉強してないっていうのは嘘だからなっていう。
僕は本当に勉強してなかったんで、それをみんなに言われたんだけど、
それでもゼロではなかったんですよね、勉強時間がね。
だからそれで普通に高校には上がります。
高校ぐらいになってくるとようやく自分の脳と体が一致してくるっていうか、
運動神経もそこそこ良くなってきたし、
頭の回転とかもようやく追いついてきた感じがするんですよ、イメージにというか。
そうするとね、今度ちょっとすごいだんだん生意気な感じになってくるんですよね。
先生とかに、先生とかはちょっと馬鹿なことばっか言ってるなみたいな感じで、
大人がもともと嫌いだったのもあるんだけど、ちょっと反抗的な感じになるわけですよ。
高3の時とかも先生を論破して、高則をなくすみたいなことをしたりとか、
でも結局それは後で後悔するんだけど、
結局それをやって喜んでたのは何にもしなかったクラスの子たちがワーって喜んでて、
自分は結構先生に脅されたりとかするわけですよね。
お前の愛心どうなってもいいのかとか、いろいろ結構マイナス面もありつつ戦ったのに、
なんか俺何のために戦ったんだろうみたいな感覚になってくるわけですよ。
そういうなんかちょっとね、いろいろ心のバランスがいろいろ保てない感じがあったり、
ナイフみたいにすごい尖ってる部分が一方でありつつも、
なんかちょっと結構繊細で、SNSの中にいるような生活な感じはしてたわね。
周りのちょっとした噂話とかが聞こえてくるとなんかちょっと嫌な感じになるとか、
あんまり高校の環境自体がすごい、ああいう集団のところはダメだなっていう感覚が非常にあったんですよ。
でもそれさ、野口くんが先生論破したりみたいなのってさ、
クラスの中で言うと野口くんの立ち位置ってのは中心的な立場な感じなとこにいたの?
なんかね、非常に難しいんですけど、だからまあ、
なんだろ、クラスでいうすごい明るくなんか目立つグループがあるじゃないですか。
一軍ね。
そこではない、一軍ではない、そのちょっと二軍ぐらいなんだけど、
だけどちょっとアンダーグラウンドな仲間たちがいるわけだよ、そこにね。
だけど別に俺らは一軍には負けてないぜみたいな感じの、
ふつふつとそれなりにこうなんか思ってる感じの。
ちょっとエイジが聞いた感じの。
そうそう、感じのグループだったけど。
で、ちょっとすねてるというか、学校をサボったりとか、
学校これつまんないから土地で帰ろうぜみたいなことを言ったりとか、
そういうグループだったんですよね。
そんな中で、いろいろそういう状況もあってね、
僕なんかその時に思ったのが心理学の勉強をしたいなと思ったんですね、自分のなんか地盤の。
大学で心理学の勉強をしたいと思って、
日々本を読むことと映画を見るっていうことを、
ひたすらおぜんふり状態でやっていたっていう感じですね。
この時点では映画を見るの方なんだ。
そう、この時点はね、まだ見るなんですよね。
なんで映画を見始めたかはちょっとはっきりわかんないんだけど、
なんか多分、その時の借り方としてはゲオとかに行って、
もう10本パッと適当に選んできて見ると。
その中で、大体ダサくなんですよね。
ダサくって言い方失礼なんだけど。
面白くない、自分の感性では面白くない映画を。
ほぼそうなんだけど、その中に、
5、6本見ると1本ぐらいグッとくるものがあったりするわけで、
そこの出会いを求めてたりとか。
そういうんで、結構それを見まくってたり。
古本屋に行って、もう100冊近く買ってきたりするわけですよ。
すごいな。
図書館ももちろん行くしね。
しかもその借りて買ってくる本も、
哲学の本もあれば、小説もあれば、
全然関係ないジャンルのものを結構買い漁って、
とにかく乱読するみたいなやり方の読み方をしてましたね。
それは何かから逃げたかったの。
単純にこういうコンテンツを読んだり見たりするのが面白いなと思ってたのか、
なんかちょっとフォッチ方面に逃げたかったのかみたいなのって、
あるじゃん、よくそのコンテンツにのめり込む人って。
そういう意味でいうとどういう感じでのめり込んでた?
これね、非常に難しいんですけど、
でもね、今回ちょっとね、自分が乱読している傾向を見ると、
すごい知識よくな気がしたんですよね。
あらゆるジャンルについて、
薄く広く知りたいみたいな、世界を知りたいみたいな感覚があったのかなっていう気がしてますね。
結構政治の本とかね、
どういう世界で紛争が起こっているのか、
そういう本とかも読んだりしてるんで、
もうなんだろうね、テーマ性がないんですよね。
小説だけひたすら読んでるとかではなかったんで、
多分全然美術誌とかを読んだりとか、
僕音楽結構苦手なんだけど、
音楽の本を読むんですよ。
音楽のね、ジャンル、いろんなさ、
現代のロックのいろんな呼び方があるじゃないですか。
その違いみたいなのを文章で読むっていう。
でも全然なんか分かんないんだけど、難しくて。
感覚で多分音楽ってね、聞かないと分かんないと思って、
文章で入れようと思ってもなかなか厳しいんだけど、
でもなんかそういうことを試みてたっていう。
いろんなものに触れようとしてたってことかな。
多分スポンジのごとく吸収してたんだろうな。
その頃はね、その頃は多分なんか、
可能性ありますよね。
特になんかちょっとね、環境が特殊だったというか、
僕なんか家の実家なんだけど、
親が結構海外で働いてて、
ほぼ一人暮らしの状態だったんですよ。
だからなんか、家にいて、車使えて、家賃なくて、
米は置いてあるみたいな感じ。
食べ物はなんとかなるんですよね。
しかも特に、そんなになんか高いもの食べたいとかっていうオッケーもなかったんで、
その実家にいながら、本読んで映画見て、
たまに大学に行くみたいな生活をしてた。
大学の単位はね、落としたことは一切ないんですよね。
すごい。
たぶん授業は出てなかったから、どうやって取ってたかというと、
おそらくノードを借りたりしながら、
たぶんそこに器用だったのかわかんないんだけど、
それで取ってました。
しかもなぜか教職課程も取ってたんですよ。
すごいね。
一応だから英語の教師の資格持ってて、
高校にも教育実習で行っていると。
一応、英語の教師としての能力は全然ないと思いますけど、
資格だけは取ってたっていうところですよね。
英米文学科っていうのは、英米の小説とかを読むってこと?
そうですね。
例えばシェイクスピアとか、読んでた気がしますよ。
あんまり記憶はないんですけどね。
なんだっけな。
英米って言っても、ほとんどイギリスの小説がほとんどだった気がしますけどね。
古典ってだいたいそうですよね。
アメリカってそんなに昔のない気がするけど。
英語で書いてあるやつを読む?
英語で書いてあるやつも読むけど、
でも卒業論文のときとかは、日本語で書いてあるのを見て、論文を書きましたね。
でも授業はそんなに真面目には受けてないんで、
あんまり英米文的な知識とか教養とかっていうのは全然身にはなってないと思いますね。
卒業のとき、卒業論文を書かないといけない。
書かないと、僕が言ってたところは卒業できなかったですよね。
みんなが誰も書かないやつを書こうと思って、
ブラジミール・ナボコフっていう人のロリータっていうアメリカ文学なんですけど、
ロリータの語源になってるね、小児性愛みたいなのをテーマにしてるものなんだけど、
それを卒業論文として書きました。
でも論文の書き方もあんまりよくわかってなかったけど、
とりあえず書いて提出したら先生にすごい褒められたんでしょうね。
なぜかわかんないけど。
別にゼミもそんなに出てなかったけど、
ほぼゼミの先生と話すの初めてぐらいな感じで評価を伝えられるときに話した気がするんだけど、
たぶん将来どうするのとかそういう話になって、
いや、特に別に何も考えてないですって話したときに、
なぜかその論文を読んでくれた後に、
そっか、でもライターとかはなかなか筆一本で食べていくのは大変だからなみたいな。
その文章、別にライターになりたいなんて一言も言ってないんだけど、
なぜかその教授がそういうことを言って、
文章が面白かったってことだと思うんだけど、
初めてそこで褒められて、
そうなんだな、ちょっと誰にもそういう才能があるのかなって少し思ったっていうのが、
ちょっと残ってるんですよね、印象としてね。
よっぽど良くないとフォーは言われないんじゃないの?
そうですよね。
ちょっとプロの文章だったんだろうね。
どうなんですかね。
この辺はね、ちょっと正直僕もよくわからないです。
思いのままに書いた、自分がすごい面白いなこの小説って思うものを、
なんか結構、特書感想文ではなかったと思うんだけど、
自分なりに論文っぽい形で書いたっていうところだと思いますね。
別にその学年の中で何か表彰されてるとかはなかったから、
論文としては別に評価されたとかっていうわけじゃなかったけど、
先生のツボにはまったみたいな感じで、
絶賛の仕方が個人的な絶賛だったんですよ。
いやーこれ面白かった、すげー面白かったみたいな感じの言い方だったから、
論文というよりは文章として書いてあることが面白かったみたいな感じの褒め方だった気がしますね。
こんなでですね、就職しないといけなくなるわけですよね。
4年生になってきたら就職活動。
ほんとやりたくなかったけど、なんとなくやらないとダメだよなって感じで、
いろいろな企業を探すんだけど、別にどの企業を見ても眠たくなるんですよね。
企業のあれを見ててもね。
非常に見てる間に暗くなってくるわけですよ。
将来の自分が会社で働いてる姿とか思い浮かべると。
全くやる気はしなかったんだけど、それでもまあ、とりあえず何社か多分、仕組みを忘れちゃったけど、多分何社か送って、
そこから選ばれたところだけ多分一時面接を受けるって感じですよね、おそらくね。
そうそう。
そうなんだ。
そうすると多分何社か送ってんだけど、その中で多分3社ぐらいの面接を僕は受けたんですよね。
で、そこを何かね、でも1社は多分教科書関連の出版社みたいなところで、
1個がね、パチンコ屋があったんですよね。
多分ね、給料が高かったっていう、多分そのだけで送ったと思うんだけど、
しかも僕パチンコほぼ1回目やったことなかったんだけど、それでよく送れるなと思ったけど。
あとはちょっと何か運送系の何か、おもちゃの運送系の会社だったかな、何かそういうところ受けてやってたけど、
ほぼほぼ何か自分に動機もないし、やりたい動機もないから、面接行ってもあんまりテンション上がらず、
喋りたいことも喋りたいことはそもそもないから、何か喋れないわけですよね。
で、これなんか面白くないなと思って、とにかくもう辞めたって辞めちゃったんですよ、そこで。
何個か面接受けた、でも受けるとこまでやったんですよ、一応やったけど、これはつまらんと思って辞めて、
で、そこからちょっとタイミング忘れたけど、まあ卒業して、で、映画作りを始めたりするわけですよね、友達とね。
で、ずっとやってたフットサルとかをやって、映画作ってフットサルやって、
まあ何か本読んでみたいな、また何かその大学の延長みたいな日々が始まるわけですよ、完全にね。
そこでさ、就職が卒業までに決まんないわけじゃん、決まんないっていうか、もう就職する気はなかったってことなのか。
そう、途中で、その時点で就職は、そうしないっていう、しないというか、将来的にはするのかもしれない。
とりあえず今の段階では、しないっていう決断をしたんですよね。
まあそこ、俺と同じような感じかなと思うけど、俺は焦んなかったけど野口くんも焦んなかったって感じ。
うーん、まあその瞬間は多分なんか、まあ焦んなかったって言ったらそんなにかもしれないけど、そこまでの焦りはなかったと思うんですよね。
だんだんちょっと時間が経つにつれて、むしろ少し焦りが出てくるっていう感覚が。
まあね、フロアあるよね。
出てくる、うん、だと思います。
なんもそう。
そうですね。で、そんなこんなでその、映画作ったりしつつ、そうすると僕が一応現役で大学入ってたんだけど、
その頃って結構浪人するのが当たり前だったんですよね。
だから周りの友達浪人生が多くて、今度その浪人してた子たちの就職活動が始まるわけですよ。
そうするとその子たちがまあ僕の上に結構入り浸ってきてたから、そうすると就職雑誌とか持って家にやってくるわけですよね。
うん。
そうするとまあその雑誌とか僕もパラパラめくるっていう、そうだから一順めぐってなんかまた就職の時期がやってきて、
まあしかも映画とかも終わってたから、そろそろあれだよな、あ、働き始めないといけないよなみたいなところで、っていう感じですよね。
その時の就職雑誌はBインクだったんですよ、僕はね。
あー、へー。
トメサアン、アンだったんですけど。
そうだね。
旅をしてたんですよね。
うん。
最初なんか、なんか親の知り合いの繋がりでなんかアメリカに留学したんだけど、そこちょっとあまりにもなんか窮屈で、やっぱ留学はもうダメだと思って。
まあ3週間ぐらい行ったのかな。
ダメだと思って、その後はもうバックパッカーになったんですけど、まあそこで結構ずっと行ってたのもあって、
基本的にはね、僕何やってもそんなに楽しいと思わない方なんですよね。
旅やってる時の旅がすごい楽しかったかって言われると、確かに楽しくはなかったですよ。
なんか結構辛かったんですよね、むしろね。
そうだった。
だけど帰ってくるとなんかじんわりとなんか達成感があったりとか、なんか面白いもの見たなとか景色を見たなとか、いろんな人の出会いがあったなっていうので、
そう、だからその旅をしながら、日記もその時書いてたんですけど、すごい楽しくはないけど、なんか生きてる実感はあるみたいな感覚で、旅は嫌いではなかったですね。
だから何回も繰り返し行ってたんですけど。
で、そういう例があって、そういうなんかいろんな、働きたくないとか、旅は楽しいなとか、文章書くの好きだとか、いろんなこう思いがあって、本当にたまたま開けた雑誌の中で、マガジントップの旧人が出てきたんですよね。
なるほど。
で、その旧人の、僕ね、これがね、どうしても覚え出せないんですけど、キャッチコピーがついてたんですよ。
多分おそらくその社長の、コピーライターだった社長の渾身の作品になったんじゃないかと思うんですけど、多分そのコピーが、なんか良かった記憶がなんとなくあるんですよ。
それ多分おそらく、若者に対してなんかこう、意識を上げるような、鼓舞するような、何かメッセージだった気がするんですよね。
で、僕なんか、それはもう後なんだけど、入社した後に、僕なんかあのキャッチコピー良くて、あの記事に惹かれたんですよねっていうのを、誰か先輩に話した時に、
あ、それ分かる、俺もだよ、俺もだよって言った先輩がいたんですよ。
へー。
で、あ、やっぱ自分だけじゃないんだと思って。
だけどね、どうしてもそのね、キャッチコピーが思い出せなくて、誰か覚えてないかなと思うんだけど。
うーん、悪く見ればあった気がする。
で、だからそこにあるんですよね。だからそういうのがあって、そこにたどり着いたっていう感じなので、本当になんか偶然だったんだけど、
だけど自分の今までのなんかいろんなこう生き方とかがないとそこにはたどり着かないし、そこのにも反応もしなかったと思うんですよ、マガジントップのね、なんか。
だからなんかこう、一言でこう、編集者になるの、編集者になりたいなんてことは一回も思ってないんだけど、
ただなんかそこに、ここに吸い寄せられるようにその基地に行き着いたみたいな感覚なんで。
だからまあ3月に卒業して、なんかその後うだうだして、たぶん10月ぐらいに入社してるんで、
他の人が4月入社としては半年ぐらい遅れてたんですよね。
だから一応新卒になるのかな、わかんないんだけど、新卒になる扱いなのかな、それは。
だからその年内にはいったい、たぶん3年間とかは空けてないんだけど。
空けてはないんだけど、半年ですら、半年ですらそれなりにこう、なんか焦りは出てくるわけですよね。
3年ってなんか逆にすごいなと思っちゃったんだけど。
確かに。
そうね、まあ自分の場合は一応3年間空いたとはいえ、ここ一年、一応収入はまあまああったからね。
それで生活できてね、と思っちゃってる。
まあでもあれだね、そのキャッチコピーで、心を動かして人を行動させたやつじゃん、こういうキャッチコピーってね。
そうそう、だからあのキャッチコピーにみんなね、引っかかってというか、言い方はあれだけど、
人生変えられた人は、良くも悪くもいっぱいいるんじゃないかなと思いますよね。
いやなんだったかちょっとね、思い出したいね。
そうなんですよね。