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城の強さって聞くと、普通は石垣の角度とか、使われている木の材質みたいな、物理的な頑丈さを期待しますよね?
はい、そうですよね。どうしても建物のスペックに目が行きがちです。
でも今回の資料の束をめくっていくと、全然違うんです。落雷による大爆発とか、実のこの毒殺、あとは幕府を欺く見事な建築カモフラージュなんかが出てきまして。
なんというか、人間の執念とか、ドロドロとした生存戦略が、まざまざと見えてくるんですよね?
まったくその通りです。単なる美しい歴史的建造物っていう枠には、まあ到底収まりきりません。
はい。
骨幹の地と、あの激動の時代を生き抜くために、当時の人々がいかにシステムを作り変えてきたか、そして時には冷酷な決断を下してきたか。
ええ。
そういう生々しい記録が、今回の資料には深く刻まれているんです。
というわけで、いつも聞いてくださっている好奇心旺盛なあなたに向けて、2026年の秋を迎えまして、学びの秋にふさわしい特別企画をお届けします。
はい。秋の天守閣特集の第一弾ですね。
そうなんです。今回のキュリオシティのおつりプライ、探究の舞台は、東北地方で唯一現存する天守を持つ、弘前城です。
弘前城、いいですね。非常に奥深いお城です。
今回は用意された膨大な資料を求みですね、初心者のあなたにも分かりやすく、この城が持つ、あの、したたかな生存戦略を紐解く探究の旅へと出発したいと思います。
よろしくお願いします。
早速なんですが、この弘前城、最初の成り立ちの資料を見た段階で、初心者の私にはものすごく大きな矛盾を感じたんですよ。
ほう、と言いますと。
当時の弘前藩って、わずか4万5千石ですよね。大名の中ではかなり小規模なはずじゃないですか。
ええ、そうですね。決して大藩ではありません。
それなのに東京ドーム約10個分、49.2ヘクタールものの広大な敷地に、当初は5層ものの巨大な天守を建てているんです。
はい、事実です。
これ明らかに身の高にあっていないというか、経済的に破綻するリスクを負ってまで、なんでそんな巨大なものを建てたんでしょうか。
その矛盾に気づくのは素晴らしい視点ですよ。実はこれ、二大藩主の津軽新米が抱えていた焦りと不安の裏返しなんです。
焦りですか。
はい。当時、初来である父の為信と有能だった兄が相次いで亡くなりまして。
ええ。
新米が後を継いだ直後に、大熊騒動と呼ばれる大一騒動が勃発したんですよ。
なんだか不穏な響きですね。
兄より維持を擁立する勢力がですね、新米の家徳相続の正当性を幕府に訴え出たんです。
ああ、なるほど。自分の足元が完全にぐらついている状態だったわけですね。
ええ。幕府からは一応の承認を得たんですけど、寮内での権力基盤は非常に脆弱でした。
はいはい。
だからこそ、彼は自分の正当性と権威を内外に強烈に示す必要があったんです。
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だからこその五相の巨大天主ということですか。
そうなんです。城郭の造営だけじゃなくて、数々の自社建築も行いましたし、
さらには徳川家康の幼女である満天姫を聖室に迎えるなど、もうなりふり構わず権威の確立に走ったわけです。
なるほどなあ。例えるなら、まだ何の実績もないスタートアップ企業が周囲からの信用も無理やり得るために都心の一等地に超高層ビルを丸ごと借り切っちゃうみたいな。
ははは。面白い例えですね。
で、超有名企業の役員をヘッドハンティングしてくるようなものですよね。
俺たちはすごいんだぞって見せつけるための命がけのハッタリというか。
その例え構造をよく捉えていると思います。
ただ、現代のビジネスと決定的に違うのは、江戸時代における信用失墜は倒産ではなく買益を意味していたという点です。
ああ、おうち取り潰しですね。
はい。一族の破滅です。彼らにとってその巨大なハッタリは文字通り命구나だったわけですよ。
なのにですよ、その命ぐなであったはずの自慢の5層の天主が、完成からたった16年でとんでもない大爆発を起こして消え去ってしまうんですよね。
ええ、本当に悲劇的な出来事です。
ここ、資料を読んでいてなんかパニック映画でも見てるのかなって思いましたよ。
1627年の出来事ですね。天主の社地方向に落雷がありまして。
落雷が落ちたんですね。
はい。その熱で真っ赤に焼け焦げたツルガネが落下して、地下に貯蔵されていた火薬に引火したんです。
あの、そもそもなんで天主の真下なんかに火薬みたいな危険なものを大量に置いていたんですか?
それも彼らの不安の現れでしょうね。
不安ですか?
敵に攻め込まれた時の最後の取り出として、いつでも好戦できるように弾薬を最も重要な場所に保管していたんです。
なるほど。皮肉なことにその防衛本能があったとなって、一瞬で城を吹き飛ばしてしまったと。
ええ。この爆発の物理的な威力は凄ましくてですね。頭は約20キロメートル離れた場所からも見えたそうです。
20キロも?
さらに、火の粉は周囲8キロにまで飛び散ったと記録されています。
しかも当時の人々はこれを単なる雷っていう自然現象とは受け取らなかったんですよね。
ここに城に伝わる悲しい女性の伝説の一つが絡んでくるという。
はい。当時この落雷は初代のタカノブに恨みを抱いて死んだオバのたたりだって恐れられたんですよ。
オバのたたり?
ええ。このオバというのはタカノブが敵対した南武士の一族に嫁いでいた女性なんです。
タカノブのせいで離縁されてしまって、恨みを抱いたまま亡くなっていたんですね。
その延年が30年以上の時を経て城を吹き飛ばしたんだと、そう噂されたんです。
現代の感覚だとあなたも私も、たたりなんて非科学的だって笑い飛ばせますけど、当時の彼らは本気で恐れたわけですよね。
はい。本気でした。
翌年には地名と城名を高岡から守る家の意味を込めて広げに変えてしまうくらいですからね。
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そしてこの城にはもう一つ背筋が凍るような悲劇の女性のストーリーがありますよね。
ええ。家康の養女として嫁いてきた満天姫のエピソードですね。
はい。彼女の連れ子である直秀が自分の父の家の最高のために幕府へ訴え出ようとした事件があったんです。
でもそんなことすれば、津軽家が法犯を企てているって幕府から疑われちゃいますよね。
おっしゃる通りです。非常に危険が高位でした。何度説得しても直秀が考えを変えなかったため、満天姫は江戸へ向かおうとする彼に別れの境を与えます。
そのお酒に毒が入っていた?
はい。なお秀は絶命しました。幕府から津軽家を守るために自らの手で愛する我が子を暗殺するという、あまりにも痛ましい決断だったんです。
これ御霊への恐怖といい、実の子の毒殺といい、本当にドロドロしていますよね。
そうですね。
でも少し視点を変えると、この呪いへの恐怖があったからこそ反省はより慎重になって、さらに満天姫の非常なまでの覚悟があったからこそ、津軽家は生き残るための究極の危機管理体制を構築できたんじゃないかとも思えるんですよ。
いや、そこが歴史の奥深いところですね。
はい。
たたりへの恐怖も、血を流す決断も、全ては何としても家を存続させるという一点に収束していくんです。
ええ。
この異常なまでの防衛本能と執念がですね、幕府から約200年後の天守再建の際に驚くべき建築トリックとして現れてくるんですよ。
そう、そこなんです。幕府の厳しい建築制限の資料を読んだ時、私は絶対に再建なんか無理だと思ったんです。
普通はそう思いますよね。
でも実際には立っている、この矛盾がどうしても腑に落ちなくて、一体どうやって幕府の目を盗んだんですか?
旧大藩士の成明はですね、ロシア戦が津軽海峡に絶没し始めたことを理由にしたんです。
ほう。
北東警備のためという名目で、幕府から許可を引き出しました。ただあくまで表向きは、天守ではなく、ただの未参戒野郎を改築するという深刻なったんです。
出ましたね、得意のはったり戦略。でも今回は前回と逆ですよね。前回は小さくても大きく見せる。今回は大きいのに小さく見せる。
その通りです。再建されたのは総塔型の山荘工場なんですが。
はい、総塔型ですね。
ここに二方正面という見事なカモフラージュが施されています。
二方正面。
ええ、外側、つまり城下町や二の丸から見える東面と南面には立派な破風や出窓、ヤシロ浜を設けて威厳ある天守のように見せました。
はいはい。
でも本丸の内側である北面と西面には装飾が一切ないんです。しっそな蓮子窓が単調に並んでいるだけなんですよ。
なるほど。幕府の役人がガゴに乗って視察に来た際、彼らの通るルートからはその装飾のないしっそな内側だけが見えるようにして。
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そうです。
いやいや、ご覧の通りこれはただのしっそな夜ですからってごまかしたんですよね。
これって現代で言えば、オンライン会議でカメラに映る半身だけはビシッとタクシードを着て、カメラに映らない下半身はスウェットを履いてごまかしているみたいな。
ははは、見事なハックですよね。まさにその感覚に近かったと思いますよ。
すごい執念ですよね。
ただ、ごまかすだけじゃないんです。この設計には国間の地を生き抜くための雪国特有の知恵も詰め込まれているんですよ。
例えば、あの青緑色に変色した美しい屋根瓦です。
あの色にも何か科学的な理由があるんですか?
もちろんです。寒さが厳しい地域では、土の瓦は水分を含んで凍って割れてしまうんです。
ああ、なるほど。
そこで木製の瓦の上に銅板を張った銅瓦を採用しました。これにより体感性を高めつつ屋根の軽量化にも成功して雪が滑り落ちやすくなっているんです。
確かに、理にかなってますね。
そして、現存する5つの門も他の城に比べてやたらと間口が高いですよね。あれも雪対策なんですか?
ええ、その通りです。深い雪が積もるとどうしても地面の高さが上がってしまいますよね。
そうですね。
それでも冬の雄児の際に兵士たちが砂利を高く掲げたまま門を通過できるように、あらかじめ空間を高く設計しているんです。
常に最悪の事態を想定した軍事的な適応ですね。
いやー、雪国の藩ですらも生存戦略に組み込んでしまうなんて、その疲る藩の下高さって幕末まで受け継がれてますよね。母親戦争の時なんてまさにその新骨頂じゃないですか?
はい、おっしゃる通りです。母親戦争の時、本家である南部藩は最後まで幕府側について、戦火で多くの建築物を失ってしまいました。
それと対照的に、弘沢藩は早くし新政府側に寝返ったんです。この時代を読む素早い政治的判断のおかげで、城は戦火を免れました。
だからこそ、全国に何万とあった城の中で、江戸時代からそのまま姿を残している天守は日本全体でたった十二しかないのに、その一つとして生き残れたわけですね。
そして東北地方では唯一の存在になったと。
その通りです。そしてですね、その貴重な天守が、現代になってなんと物理的に動いているのをご存知ですか?
はい、資料を読んでいて一番驚いたのがそこです。
2015年から始まった巨大プロジェクトですね。
そうです。本丸の石垣が外側に膨らんじゃって降落の危険があったから、天守を解体せずに約70メートル内側の仮天守台へ移動させたと。
やや木と土と石でできた数百トンの城をどうやって解体せずに動かすんですか?
まさに引き矢という工法ですね。ジャッキを使って天守を数ミリ単位で持ち上げて、その下にレールとローラーを敷き詰めるんです。
そしてワイヤーで引っ張りながら少しずつ少しずつ移動させるんですよ。
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実はこの引き矢、1897年の明治時代にも大工頭領の堀江佐吉の手によって一度行われているんです。
え、明治時代にすでに城を丸ごと引っ張って動かしていたんですか?信じられない技術力ですね。
そうなんですよ。
でもその基礎となっている400年前の築城当時の矢の隅々という自然石の石垣の方が、実は現代の技術よりも地震に強かったっていうのは本当ですか?
ええ、そこが物理学の面白いところでして、一見すると隙間だらけで乱雑に見えるのめそみですが、
自然石同士の摩擦によって地震の揺れに対して柔軟に動いてエネルギーを逃がすんです。
ああ、なるほど。
さらに隙間があることで水はけもよくて内部の圧力がかかりにくいんですよ。
コンクリートでガチガチに固めた硬構造よりも実は環境に適応していたんです。
最新技術が必ずしも最良とは限らないんですね。
自然に逆らわず柔軟にいなす、これもまた一つの生存戦略と言えますね。
ええ、歴史からの強烈なメッセージだと思います。
そして、そうやって400年の間、生きたの危機を乗り越えて守り抜かれた弘前城周辺では、
今、あなたのような訪問者が四季折々の素晴らしい絶景を楽しめるようになっていますよね。
はい。弘前公園といえば日本三大桜名所の一つですが、ここでも地元ならではの農業技術が活用されているんです。
地元ならではの技術ですか?
ええ。リンゴの剪定技術を桜に応用していまして、枝を上に伸ばすのではなくて、目線の高さで横に広がるように育てているんです。
だから花のボリュームが圧倒的で。
おお。おほうの水面を散った花びらがピンク色に埋め尽くす花居さばりは、世界中から注目されていますもんね。
そうですね。
あと、枝の重なれがハート型に見えるSNSで話題の隠れスポットもありますし、秋は千本以上の楓とか菊のモニュメント、冬はネプタ絵をはめ込んだ雪灯籠祭りとか見どころが尽きないですよね。
本当に四季に通じて素晴らしい体験ができますよ。
でもですね、私が資料の点と点を繋いでハッとしたのは、城の周辺にある旧弘前市立図書館とか青森銀行記念館といった明治期のはいからな8日の存在なんです。これってつまり。
お、お気づきになりましたか。
はい。弘前藩が母親戦争で素早く新政府側に寝返ったから、町が戦火でやけの腹にならなかったんですよね。
その通りです。
だからこそ、復興に資金を燃やす必要がなくて、いち早く外国から教師を招き入れたり、西洋の近代建築とか教育に投資できた。今の美しい観光スポットは彼らのあの時の政治的なしたたかさの直接的な結果なんですね。
そのつながりを見抜くとは流作です。まさに歴史の因果関係ですね。現在、天守は引屋によって仮天守台にありまして、元の位置に戻るのは早くても2025年度以降とされています。
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そうなんですね。
いわき山を背景に天守と桜が並ぶ現在のアングルは、逆に彼らの知恵の歴史を象徴する、今しか見られない光景といえますね。
さて、ここまで弘前城について深く探究してきました。身の丈に合わない巨大波絵から始まり、落雷の大爆発、呪いの恐怖と我が子の毒殺、そして幕府を技むく建築トリックに、時代を読み切る冷徹な政治的判断。
これはただ美しいだけでなく、危機に直面した時に人間がいかに柔軟に、そして時には非常にシステムを作り変えていくかという組織論や生存戦略の究極のケーススタディでしたね。
はい。物理的な城壁よりも逆境を生き抜く人間の精神こそが最も強化な要塞なのだと教えてくれます。
最後に、今回の資料の奥底に眠っていたもう一つの強烈な事実をあなたにお伝えしたいと思います。
はい。
それは初代津軽忍の妻、阿保梁のエピソードです。彼女、ただ二郎の奥でじっと待っていたわけじゃないんですよね?
え、違います。戦の際、ならずもの83人に花染めの手ぬぐいを与えて震い立たせまして、
ならずものを。
はい。さらには、自ら次女たちを指揮して火薬を調合し、最前線の戦場へ届けたという記録が残っているんです。
広めの真の強さは、殿様たちの計略だけではなくて、極限状態で火薬すら自作して前線に飛び出ていくような、名もなき、あるいは歴史に埋もれがちな女性たちの凄まじい行動力にあったのかもしれません。
本当にそうですね。
さて、あなたなら、この逆境を跳ね返す先人たちの歴史から、どんな教訓を日々の生活に生かしますか?
考えさせられますね。
次回の秋の天主学特集では、日本最古級の天主の形を誇る丸岡城へと、この資料の探求に向かいます。
次回も楽しみです。
それでは、また次回お会いしましょう。