現存12天守の謎:なぜ12城しか残らなかったのか
あなたにちょっと質問なんですけど、かつて日本全国に3,000以上もあった巨大な建造物が、今ではたったの12にまで激減してしまったとしたら。
3,000から12ですからね。
そうなんですよ。その生き残った12には、一体どんなとんでもない秘密があると思いますか。
まあ本当に奇跡的な確率ですよね。激変する歴史という過酷な環境を生き抜いた、まさに究極のサバイバーと言えますね。
というわけで、あなたにお届けするキュリオシティノーツリプライ。今回はですね、秋の天守閣特集の第1回目をお送りします。
はい、よろしくお願いします。
今日私たちが読み解いていく資料は、日本の城郭弁化における究極のサバイバー、現存12天守についてです。
そもそも3,000もあったお城がなんで12まで減ってしまったのか、その異常事態の謎からアンパックしていきたいんですけど、どうしてそんなに消えちゃったんですか。
これにはですね、理由は大きく2つの歴史的危機に集約されるんですよ。
まず第1の危機が1873年、明治6年に出された廃城令ですね。
明治政府による取り壊しですね。でも歴史的建造物をわざわざ壊すなんて、今考えると信じられないくらいもったいないですよね。なんでそんな命令を出したんですか。
えーとですね、当時の明治政府が近代的な中央集権国家を目指していたからなんです。
ふむふむ。
お城っていうのは旧時代の象徴であると同時に、あの旧大名たちが反乱を起こした際にそのまま軍事拠点になりうるっていう。
あ、なるほど。
極めて危険な実戦施設だったんですね。なので多くが取り壊されたり、民間へただ同然で払い下げられて、ただの木材とか資材として解体されてしまったんです。
なるほど。巨大な武器を取り上げるようなものだったんですね。それが第1の危機。
ええ、そうです。そして第2の危機が第2次世界大戦における空襲ですね。
あー、戦争ですか。
はい。明治を生き延びた明城も当時なだ軍の施設として使われることが多くてですね、当然ながら標的になりやすかったわけです。
確かに目立ちますしね。
ええ、この時に当時国宝に指定されていた名古屋城とか岡山城などが消失してしまいました。
うわー悲しい。つまり明治の政治的な大改革と近代の戦争っていう2つの巨大なフィルターをすり抜けたのが今の十二条なんですね。
復元天守と現存天守の違い:本物の魅力
まさにその通りです。ここでリスナーのあなたにもイメージしてほしいんですけど、よく観光地にある現代の技術で建て直された復元天守ってありますよね。
ありますね、はい。
あれが最新の高画質な歴史ゲームの世界だとしたら、今日お話しする現存天守っていうのはなんていうか400年前のタイムマシンに直接乗り込むようなものですよね。
いやーまさにその例えの通りです。復元天守は博物館としては非常に優れているんですよ。
空調も効いてますしね。
エレベーターもあって歴史を安全に学べます。でも現存天守は歴史の一商人そのものですから。
その決定的な違いってどこにあるんでしょう。
やっぱり当時の建築技術とか木材の質感がそのまま残っている点ですね。歩くたびに響く床の軋みとか。
ギシギシなるやつですね。
そうです。あとは異常なまでに急な階段とか、敵を迎え撃つための実践的な仕掛けとか、そういうのを直接肌で感じて400年前の武士と同じ空間の緊張感を共有できる。それが最大の魅力なんですよ。
国宝5城と重要文化財7城の境界線:大阪夏の陣
なるほど。本物にしか出せないオーラですね。さてここからが資料のさらに面白いところなんですけど、その奇跡的に残った12条の中でもですね、国宝に指定されている5条と重要文化財に指定されている7条に分かれているんです。
そうなんですよね。これちょっと素朴な疑問なんですけど、12個しかないなら全部めちゃくちゃレアじゃないですか。
そうなりますね。
なんで全員BIP待遇の国宝じゃないんですか。
非常に鋭い視点です。実はですね、国宝の5条と重要文化財の7条を分かつ明確な時代の境界線というのがあるんですよ。
境界線ですか。
はい。それが1615年の大阪夏之陣なんです。
豊臣家が滅亡して徳川の天下が決定付けられた戦いですね。そこがどう関係するんですか。
えーとですね、国宝に指定されている5条はいずれもこの1615年より前、つまり戦国時代の余韻が色の濃く残る時期に立てられているんです。
いつ戦争が起きてもおかしくない時代なので、実戦を想定した巨大な規模を持っていて、複雑な防御構造を備えて権力を誇示するような圧倒的な存在感を持っているんですよね。
なるほど。ガチの戦闘用要塞だからすごい作りになっていると。じゃあ重要文化財の7条の方は。
こちらの多くはですね、1615年以降の平和な時代に立てられたものなんですよ。
平和な時代ですね。
はい。徳川幕府が武家諸宝庫とを制定して、大名が勝手にお城を修理することすら厳しく監視するようになった時代です。
あーなるほど。目をつけられないように。
そうなんです。幕府を刺激しないように規模が縮小されて、実戦向けというよりは、提携化された地域のシンボルっていう意味合いが強くなっていったんですね。
はー、つまり1615年という境界線を境に、明日死ぬかもしれないから要塞を作れっていう時代から、幕府に睨まれないように大人しいシンボルを作ろうっていう時代へ変わったわけですね。
えー、まさに。
建築そのものが時代の変化をそのまま体現していると。
はい。これは本日のインサイトの一つ目として、リスナーのあなたにもぜひ覚えておいてほしいポイントですね。建築は時代を映す鏡なんです。
建築は時代を映す鏡。いい言葉ですね。
建築工学の進化:屋根の様式と防御構造
ではですね、時代背景が分かったところで、今度は具体的な建築工学の違いにズームインしてみましょうか。屋根の構造によって天守は大きく2つの様式に分けられるんです。
あ、専門用語が出そうですね。
ええ。一つが僧老型、もう一つが僧頭型です。
僧老型と僧頭型、どう違うんですか?
まず僧老型はですね、大きなどっしりとした家の屋根の上に物見野郎をポンと載せたような初期の形です。
ほうほう。
下層と上層の構造が独立していて、とても豪華で消色的な見た目になるんですよ。
私は今資料の図解を見ているんですけど、素人目に見るとこの僧老型の方が消色も多くて豪華で、いかにもお城って感じで強そうじゃないですか?
何でわざわざもう一つの僧頭型へ進化していったんですか?
理由はまさに建築工学の合理性にあるんですよ。
合理性?
はい。僧老型は、例えるなら一般的なオフィスビルの屋上に巨大で重たい特殊のペントハウスを無理やり載せるようなものなんです。
うわ、それはちょっとバランス悪そうですね。
そうなんです。重心が一致しないため、内部に複雑な柱を何本も通す必要があって、極めて高度な職人技が必要だったんですよ。
なるほど。完全にオーダーメイドの力技だったわけだ。
一方の僧頭型は、五重塔のように下から上へ向かって一定の比率で少しずつ小さく積み上がっていく形なんです。
ああ、すっきりしてますね。
これは例えるなら、レゴブロックでピラミッドを作るようなものです。
下から上へまっすぐ柱を通せるため、構造的に非常に安定していて、しかも施工がマニュアル化できてコストも抑えられるんですよ。
なるほど。デザイン重視の安定な特殊品から構造計算された自信にも強い合理的な大量生産モデルに進化したんですね。これすごく納得しました。
さらにですね、実践のデータに基づいた工学っていうのも素晴らしいんですよ。
例えば、はべみと呼ばれる壁に開けられた射撃用の穴。
ええ、鉄砲を撃つところですね。
ええ、ただ壁に穴を開けているのではなくて、壁の厚みを利用して内側を広く、外側を極端に狭く設計しているんです。
あ、ドアについている覗き穴を逆から見るような感じですか。
その通りです。中にいる人間は広い角度で外を狙えますけど、外の敵からは小さな点にしか見えなくて、反撃の弾がほとんど入らないんです。
幾何学的に計算された視覚のコントロールですね。
いや、恐ろしいほど合理的ですね。
そして、現存天使を訪れた人が必ず驚いて、そして息を切らすのが階段なんです。
ああ、階段。きついってよく聞きます。
ええ、現代の住宅では考えられない50度から65度という異常な急勾配に設計されているんです。
ちょっと待ってください、私今手元の分度器で65度を想像しているんですけど、それ階段じゃなくてはしごじゃないですか。
なんでそんな人間工学を無視した作りにしたんですか。
いやいや、これも立派な人間工学なんですよ。
え?
つまり、敵に対する人間工学ですね。
20キロ近い重い鎧吐きを着た敵が簡単に上へ駆け上がれないようにするための防衛システムなんです。
ああ、なるほど。
資料によると福井県の丸岡城に至ってはなんと67度もあるそうです。
67度。そこまで行くと上にいる兵士がちょっとつっつくだけで敵は後ろに真っ赤かさまですね。
ええ、本当に命賭けの構造です。
現存12天守のサバイバル戦略:戦術・物理・環境適応
さてさて、こういった工学とか歴史の面白さが見えてきたところで、いよいよお待ちかね。
原則十二天守、全国ツアーに出発しましょう。
はい、行きましょうか。
ただ地図をなぞるだけじゃなくて、彼らがどう生き延びたのか、3つのサバイバルテーマに分けてあなたにご紹介していきます。
まずは第一のテーマ、戦術と物理の天才たちです。
では、愛媛県の宇和島城から行きましょうか。
築城の名手、東道高虎にある設計なんですけど、この城は外側の輪郭が不等辺五角形になっているんです。
五角形ですか。四角形の方が作りやすいはずですよね。どういう戦術なんですか?
これがですね、敵の心理と方向感覚を狂わせるんですよ。
へえ。
当時の常識として、お城は四角形だと思い込んで攻めてくる敵に対して、絶妙な角度の五番目の壁があることで、
敵はまっすぐ進んでいるつもりでも、いつの間にか四角となる迎撃ポイントへ誘導されてしまうんです。
わあ、恐ろしい。騙し討ちのレイアウト、心理戦ですね。
騙し討ちといれば、世界遺産である兵庫県の姫路城も外せませんよ。
白白と呼ばれる白打ちくわの優美な姿とは裏腹に、内部は敵を迷わせて背後から一斉射撃を浴びせる巨大な迷路になっています。
綺麗な顔してえげつないですね。
さらに香川県の丸亀城は物理の力で敵を妨げます。高さ日本一約60メートルの石垣です。
60メートル?でもただ高いだけじゃなくて、大根の勾配と呼ばれるカーブを描いているんですよね。なんでまっすぐ積まないんですか?
まっすぐな壁ならはしごをかけられますけど、上に行くほど垂直に反反り返るカーブの場合、
登ろうとする人間は重力に負けて後ろに反反り返って落下してしまうからなんです。
はあ、芸術的な曲線美に見えて実は冷酷な防衛物理学なんですね。
いや、美しい顔をして敵を仕留める白たちですね。
では第2のテーマに行きましょう。極限環境のアダプタたちです。
自然環境を味方につけたり災害を乗り越えたお城ですね。
代表的なのは岡山県の別中松山城ですね。
十二城の中で唯一の山城で標高約430メートルの岩盤の上に建っているんです。
430メートル?
ええ。秋から春の早朝には雲がかに浮かぶ天空の城という幻想的な絶景を見ることができますよ。
絶景は見たいですけど、敵からすれば登るだけで息が切れて戦いになりませんね。
そうですよね。そして北に目を向けると青森県の弘前城があります。
桜が有名なところですね。
はい。春にはお堀の水面が桜の花びらで埋め尽くされる花びら田が世界的名所ですけど、建築的な秘密は屋根にあるんです。
寒冷地対策として重い土の瓦ではなくて銅瓦吹きを採用しているんですよ。
なんで銅なんですか?
土の瓦だと水分を含んで冬場に凍結して膨張して割れてしまうからなんです。厳しい冬を生き抜くための知恵ですね。
なるほどな。
さらに災害を乗り越えたといえば、先ほど階段が67度だとお話しした福井県の丸若城ですね。
へえ。
屋根が全国でも珍しい石の瓦でふすかれているんですが、実は1948年の福井地震で一度完全に倒壊しているんです。
え?倒壊したのに現存天守なんですか?
そうなんですよ。倒壊した後、元々の部材をなんと67%も拾い集めて再利用して元の姿に組み直したんです。まさに不屈のサバイバーです。
すごい。パズルをもう一度組み直したようなものですね。執念を感じます。
さあ、そして最後のテーマがまさにそれです。
人の情熱が生んだ奇跡:城を救った人々
人の情熱が生んだ奇跡。いくら頑丈でも人間の手で壊されそうになった城を救ったドラマです。
滋賀県の彦根城がその筆頭ですね。多彩な装飾が美しい白瓦の城なんですけど、実は廃城令で解体寸前だったんです。
危なかったんですね。
ええ。でもたまたま通りがかった明治天皇がその美しさに感動して、保存を命じる一言を発したことで取り壊しを免れたんですよ。
天皇の鶴の一声。一方で市民の力で奇跡を起こしたのが島根県の松江城ですよね。
はい。松江城は長年建築年を証明する決定的な資料がなかったために国宝になれなかったんです。
はいはい。
しかし市民が懸賞金をかけて探し回った結果、2015年に神社で鬼刀皿が発見されて見事国宝に昇格したんです。
市民がクラウドソーシングで国宝の証拠を見つけ出したってことですよね。熱すぎます。
長野県の松本城も市民の力で買い戻された歴史がありますよね。
松本城は北アルプスに生える植穀の天守ですが建築的にも面白いんです。
と言いますと。
戦国期の金箔した天守に後から平和な時代の象徴である月見野郎という室塗りの部屋が増築されているんです。
戦争と平和が一つの建物に同居する奇遇な例ですね。
戦闘機にリラックスルームをくっつけたような面白さがありますね。他にはどうですか。
愛知県の犬山城は現存最古の可能性があって木曽川を見下ろす絶景が楽しめます。
逆に一番新しいのが愛媛県の松山城です。
一番新しいって言うといつ頃ですか。
1852年の再建で徳川の葵の門が復帰されています。
1852年ってペリー来航の前年じゃないですか。近代の足音がすぐそこまで聞こえているのにまだ武士の要塞を作っていたんですね。
徳川の権威を最後まで示そうとしたのかもしれませんね。
そして最後が高知県の高知城です。
ここは天守と藩守の住まいである本丸御殿が両方とも現存している唯一の城なんですよ。
へー両方とも。
ええ。周辺では有名な日曜市が開かれていてカツオなどご当地グルメも充実しています。
歴史を満喫してカツオのたたきを食べる最高ですね。
現代への問い:バリアフリー化と歴史的価値の両立
ちょっと駆け足でしたけどこれで十二条すべてを網羅しました。
いやただの古いたとめのっていうだけじゃなくて一つ一つに強烈な個性とサバイバルの理由があることがよくわかりました。
本当にそうですね。
私が今日の資料からメモを取るなら三つのインサイトにまとめられますね。
ぜひ聞かせてください。
まず一つ目は建築は時代を移す鏡であること。
国宝と重要文化財の違いに見られるように、戦争から平和への移り変わりが建物の規模に刻まれているってことですね。
はい完璧です。
二つ目は構造の進化。
僧老型から僧頭型への変遷は見た目の豪華さから重力を計算した合理的な工学への進化だったこと。
そして三つ目が城を救ったのは人の情熱であること。天皇の一言や証拠を探し出した市民の熱意ですね。
いやー完璧な要約ですね。
リスナーのあなたも次に現存十二天使を訪れるときはたまんぜんと見るのではなく屋根の形が僧老型か僧頭型かチェックしてみてください。
確かにそれだけで見方が変わりますね。
そして67座の異常な階段を這い上がりながらその狭間から外を覗き込んで400年前の武士の息遣いを感じてみてください。
絶対にお城巡りが100倍楽しくなりますよね。
ええ間違いないです。ただですね今日の議論からもう一歩踏み込んで現代を言い切る私たちに突きつけられているあるジレンマについてあなたにも考えていただきたいんですよ。
ジレンマ?
はい。これらの400年前の木造建築を未来に残す上で現代のバリアフリー化と歴史的価値の現状維持をどう両立させるかという極めて難しい問題です。
ああなるほど。
先ほどお話しした67座の急な階段や薄暗く不便な内部構造それこそが実践を想定した歴史の証明なんです。
しかし現代においては高齢者や車椅子の方を含め誰もが安全に楽しめる公共性が求められますよね。
うーん、なるほど。頭の中で想像してみてください。
あの丸岡城の67座の木造の階段の横に、もし現代的なガラス張りのエレベーターを設置したらどうなるか?
ええ。
確かに誰もがアクセスできるようにはなりますけど、同時に私たちが感じたかった400年前のタイムマシンとしての価値は完全に死んでしまいますよね。
そうなんですよ。
歴史の証明である危険さと現代の安全性はトレードオフになってしまうと。
その通りです。当時の不便さこそが価値なんですけど、それを誰でも体験できるようにするにはどうすべきか?
あなたならこの究極の選択にどう答えますか?
うーん、これは簡単に答えが出ない深く考えさせられる問いですね。
リスナーのあなたはどう思いますか?
安全性を取るかタイムマシンを守るか、ぜひ自分なりの歴史の視点を探求し続けてみてください。
はい。
次回予告
さて、秋の天使学特集。
次回以降はこの12章の中からさらにお城一つ一つにフォーカスしてディープに掘り下げていく様態です。
そちらもどうぞお楽しみに。
それではまた次回。
キュリオシティノーツリプライでお会いしましょう。
タイムマシンに乗る心の準備をしておいてくださいね。