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あの、ちょっと想像してみてください。はい。 地中にしっかりとした基礎すら持たない建物のてっぺんに、120トンもの重さがある、石の帽子をかぶせること。
120トンですか。それは、普通なら風が吹いただけで倒れそうですよね? ですよね。でも、そのめちゃくちゃアンバランスな建物が、戦火を守られて、解体命令もくぐり抜けて、さらには大地震で跡形もなく崩壊したのにもかかわらず、
再び立ち上がって何百年も生き延びているとしたら、これ信じられますか? いや、まさに事実は小説よりも気なりですね。それこそが今回私たちが向き合う歴史的建造物の真の姿なんですよ。
さあ、キュリオシティノーツリープレイへようこそ。秋の天使学特集の第2弾として、今回は福井県堺市にある丸岡城を取り上げます。はい。
今回のキュリオシティノーツリープレイのミッションは、この一見矛盾だらけの奇跡の建築メカニズムから、人々の心に深く刻まれた伝説、そして現代の絶品グルメに至るまで、この資料を徹底解剖することです。
なかなか盛りだくさんですね。
あなたが次に北陸へ予防する際、絶対に立ち寄りたくなるようなインサイトをお届けしますよ。さあ、このテーマを紐解いていきましょう。
よろしくお願いします。えっと、まず大前提としてお話ししておきたいんですが、日本に数万あったとも言われるお城の中で、江戸時代以前に建てられた天守が現代までそのまま残っている、いわゆる現存十二天守と呼ばれるものは、たった十二基しかないんです。
十二基だけなんですね。
はい。その中で丸岡城は、北陸地方に唯一残る極めて希少な現存天守なんですよ。
その唯一っていう響きだけでなんかワクワクしてきますね。
ええ。
でも、普通お城っていうと、当時の権力者が自分の富とか力を誇示するための巨大な看板みたいなイメージがあるじゃないですか。
ありますね。権力の象徴としての城ですね。
この丸岡城もそういう見栄の塊みたいな感じで建てられたんですか?
いやあ、そこが面白いところなんですが、丸岡城が誕生した理由は、もっとずっと実践的で切迫したものでした。
切迫していた?
はい。時は1576年。まさに下皇朝の戦国時代の真っ只中です。
織田信長の命令によって筆頭家老の柴田勝家が、自身の老いである柴田勝幸に命じて築城させたんです。
なるほど。織田信長が関わっているんですね。
ええ。目的は、当時この地域で猛威を振るって信長を大いに苦しめていた一皇一騎に対する軍事的な最前線基地を作ることだったんですよ。
ああ、じゃあ見栄を張る余裕なんて全然ない純粋な防衛要塞だったわけですね。
その通りです。
だからこそ私が資料を読んでいて一番驚いた、あの物理的な構造の得意性につながるんだと思うんですが、何と言っても屋根ですよ。
はい、屋根ですね。
現存天守の中で唯一石瓦で吹きかれているんですよね。
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ええ、まさにそこが丸岡城の最大の特徴の一つです。使われているのは福井県産の植谷石という石でして。
植谷石。
はい。これは約1500年前の古墳時代から使われてきた、歴史的価値の非常に高い越前青石なんです。これをですね、約6000枚も屋根に敷き詰めているんです。
6000枚。でもなんで普通の土の瓦じゃなくて、わざわざ重い石を使ったんですか?
それはですね、雪国ならではの過酷な環境が理由なんです。
と言いますと?
普通の粘土を焼いた土瓦って微細な穴があって水分を吸収しやすいんですよ。
ああ、なるほど。
北陸の厳しい冬にその水分が凍結すると、氷は体積が膨張しますよね。その膨張する力で瓦が内側からパキンと割れてしまう、いわゆる倒壊が起きてしまうんです。
ああ、水が凍って中から破壊されちゃうんですね。
そうなんです。一方でこの植谷石は火山灰が押し固められた緻密な石なので、寒さに強くて割れにくいんです。だからこそ防衛拠点としてこの石瓦が採用されたんですよ。
水が凍って膨張する物理的な破壊力から守るための、まさに科学的な選択だったんですね。
ええ、当時の知恵ですね。
いやでもそう代償が重すぎませんか?6000枚の石瓦って操縦量が約120トンにもなる計算ですよね。
そうなりますね。約120トンです。
それだけ重い帽子をかぶっているのに、建物を支える基礎の部分にはしっかりした石杖を使わないで、柱を70センチしか地中に埋めていない、掘り立て柱という構造だと資料にあります。
はい、掘り立て柱ですね。
これって例えるなら、頭の上にボーリングの玉を乗せながら足身とは浅い泥の中に立っているようなもので、構造的に破綻してないですか?
そのボーリングの玉という例えは、丸岡城の危うさを完璧に表現していますね。
本当ですか?
ええ、ここで非常に興味深いのは、そのアンバランスさこそが丸岡城の得意点であり、最大のミステリーだということです。実は建築様式にも大きな矛盾を抱えていまして。
矛盾ですか?
はい。外観は僧侶型に見えるのに、内部の骨組みは僧頭型の特徴を持っているという、全国的にも非常に珍しいハイブリッド構造になっているんですよ。
ちょっと待ってください。その僧侶型とか僧頭型って専門用語すぎて、私たちにはパッとイメージしづらいんですが、視覚的に言うとどういう違いなんですか?
失礼しました。わかりやすく例えるならですね、僧侶型というのは、大きな平屋の家の屋根の上に全く別の小さな監視小屋、つまり防老をポンと乗せたような作りです。
上下で構造が独立しているんですね。
一方で僧頭型というのは、現代の高層ビルのように、1階から最上階まで太い柱がまっすぐ貫いていて、全体が一つの骨組みとして統一されている作りなんです。
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ああ、なるほど。箱の上に小さな箱を乗せたのが僧侶型で、最初から本棚みたいに一つの枠組みで作るのが僧頭型ってことですね。
まさにそのイメージです。
で、丸岡城は外から見ると箱を乗せただけに見えるのに、中に入ると本棚みたいに柱が通っていると。
ええ、当時の最新技術と昔ながらの手法が過渡期で入り混じったような非常に興味深い構造なんです。
へえ、面白いですね。
さらに軍事要塞としての顔も色濃く残っています。
中に入ると、1階から2階への階段が65度、2階から3階へは67度という。
67度ですか。
はい、もはや階段というより崖みたいな休憩車が待ち受けているんです。
それ、見学者のためにロープが設置されているって資料に書いてありましたよ。
そうなんですよ、ロープ必須です。
甲冑を着て武器を持った敵兵があの急勾配を上るのは物理的に不可能に近いですよね。
まさに敵の侵入を遅らせるためのトラップですね。
そして、この城がどれほど不屈かを示す最大の出来事が近代に入ってから起こるんです。
なんですか。
1871年の廃藩地権で一度は廃場処分になり、店主だけが売却されて解体の危機に瀕しました。
そこを地元の有志が資材を投じて買い戻したんです。
うわー、地元の人たちの愛ですね。
ええ、ここまでは素晴らしい美談なんですが、その後1948年の福井大地震で、
あの120トンの重い屋根があたとなって石垣ごと完全に倒壊してしまったんです。
うわー、ボーリングの球が泥に沈むようにペシャンコになってしまったわけですね。
はい、無残な姿になってしまいました。
普通、歴史的建造物を守る時って建物をそのまま持ち上げて移動させる引き矢という技術を使ったりしますけど、
完全に倒壊したらもう終わりじゃないですか。どうやって現代に残ったんですか。
ここからが地元の人々の執念です。
彼らは絶望的な瓦礫の山の中から折れ曲がった柱や散らばった120トンの石藁を一つ一つ手作業で拾い集めたんです。
手作業で?
ええ、そしてどの部材がどこに使われていたのか、気の遠くなるような巨大な立体パズルを解くように組み直していったんですよ。
ちょっと信じられない労力ですね。
傷んだ木材には伝統的な大工の技術で新しい木を継ぎ足して、なんと元の部材を70%以上も再利用して1955年に元の姿へと修復させたんです。
70%もですか。戦後の困難とか震災の被害で自分たちの生活だってすごく苦しかったはずなのに、ただ石や木を組み立てたというより、地元の誇りそのものを再建したんですね。
まさにそうですね。では、なぜそこまでして人蔑は丸岡城を支えらせたのか。
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はい、そこが気になります。
それを紐解く鍵はこの城に数百年語り継がれてきた伝説という精神的な基盤にあるんです。
ああ、そこで繋がるんですね。実は私、資料の中で築城当時の悲しい物語を読みました。
押し図の伝説ですね。
はい、石垣が何度積んでも崩れてしまうため人柱を建てることになって、押し図という貧しく目の不自由な母親が選ばれたという伝説です。
ええ、彼女は自分の息子を侍に取り立ててもらうことを唯一の条件として、自らの命を差し出し、天書の中柱の下に埋められました。
母親としての究極の自己犠牲ですよね。でも残酷なことにその約束は守られなかったんですよね。
そうなんです。少主の柴田克代が別の城へ移ってしまって、息子は侍になれませんでした。
いたたまれないです。
その後、春のもがりの時期になると堀があふれるほどの激しい雨が降るようになって、人々はそれを押し図の涙雨、あるいは血の涙と呼び、小さな慰霊碑を建ててその霊を慰めたと言われています。
悲痛すぎますね。一方でこれとは全くスケールの違うヒロイックな伝説もありますよね。一行一騎の残党が攻めてきた時、天書の近くの井戸から巨大な大蛇が現れたという。
ええ、大蛇の伝説ですね。大蛇が口から真っ白な霞を吐き出して、城全体をすっぽりと包み隠して、敵の攻撃から守ったというダイナミックな逸話です。
霞を吐く大蛇、かっこいいですね。
はい、この伝説から丸岡城は別名霞ヶ城と呼ばれるようになったんです。
この2つの伝説、一見するとただのおとぎ話のように感じますけど、私は全く別のものではないと思うんです。
と言いますと?
当時の人々の心理状態を映し出す鏡のような気がして、過酷な築城工事という現実の犠牲と春の長雨や霧といったコントロールできない自然現象ですよね。
なるほど。
その一地を超えた出来事を人々はどうにかして自分たちの心の中で消化して、意味を見出そうとした結果なんじゃないでしょうか。
その視点もより大きな文脈につなげると非常に本質的ですね。
伝説というのは単なる作り話ではなくて、戦国時代における人々の犠牲への鎮魂であり、同時に自然や未知なるものへの祈りの象徴としての役割を強く持っていたんです。
祈りの象徴ですか?
ええ。大地寝の物語も大蛇の物語も、この城が地元の人々の心にどれほど深く根付いていたかを示す確たる証拠です。
だからこそ地震で崩壊しても人々はがらきの山を前にして立ち上がることができたんでしょう。
物理的な柱よりも心の中にある精神的な柱の方が強こったわけですね。
そういうことになります。
さて、大蛇が吐いた霞の伝説が出ましたが、ここからがリスナーのあなたの次の旅行計画にとって最高に面白いところですよ。
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旅行計画ですか?いいですね。
はい。現代の丸岡城では大蛇の霞の代わりに、春になると城を包み込む別の霞が現れるんです。
桜のことですね。丸岡城の敷地内には約400本のソメンヨシノが植えられていて、日本桜名所100選にも選ばれているんです。
400本!それは見事でしょうね。
ええ。例年4月上旬から中旬に見ごらを迎えるんですが、満開の桜が城を包み込む様子はまさに伝説の霞のように幻想的ですよ。
あなたがもしカメラ付きなら、絶対に抑えておきたい撮影スポットを教えちゃいますね。
はい、ぜひ教えてください。
まずは定番。石段の下から桜を額縁にようにして、その奥に天使を仰ぎ見る構図です。
これもプロの絵ハガキみたいに撮れますから。
それからお天姉妹公園からの前景撮影ですね。ここ広いのでゆっくり構図を決められますよ。
昼間も素晴らしいですが、夜魚をあいでるのも額別なんですよ。
夜間ライトアップですね。
はい。周辺には約300基のぼんぼりが飛ばされまして、さらに夜間には天使を巨大なスクリーンにしたプロジェクションマッピングが行われるんです。
お城にプロジェクションマッピングですか。すごい!
テーマは400年時代絵巻きで、午後8時と9時の2階、城の歴史と堺市の式が色鮮やかに映し出されます。
ただ、ここで一つリスナーのあなたに重要な注意喚起をしておきますよ。
何でしょうか。
桜祭り期間中の休日は、プロジェクションマッピング開始の10分前には、身動きが取れないほどの凄まじい人混みになります。
三脚を立ててじっくり撮影するなんて絶対に無理な状況になるので、写真は手持ちで、場所撮りは早めにお願いしますね。
確かに、安全第一で楽しんでいただきたいですね。あと、足元にもぜひ注目していただきたいんです。
足元ですか?
日没から夜の10時まで、120基の暗堂が飛ばされるんですよ。
ああ、暗堂。いい雰囲気でしょうね。
ええ、この暗堂には地元堺市の高校生たちが心を込めて描き写した一筆形状の作品が色鮮やかにいっていて、一つ一つ違う表情でとっても温かみのある光景を作り出しているんです。
出ましたね。一筆形状。
ご存知ですか?
もちろんです。四角で桜と歴史を満喫した後は、味覚と体験で丸岡の文化を深く味わっていただきたいんですが、この短い手紙のエピソードが最高の観光ルートにつながるんですよね。
その通りです。一筆形状、火の用心、汚染なかすな、馬穂やせ。これは徳川家康の歌詞人である本田徳次が人中から妻にあてた日本一短い手紙として有名ですよね。
日本一短い手紙。
はい。この手紙に出てくる汚染というのが、後の初代丸岡藩主となる本田成杉の妖妙なんです。
このエピソードにちなんで、城のすぐそばには一筆形状茶屋という施設があるんですよ。
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そう、そこなんです。城を見学して手紙の歴史に触れた後は、一筆形状茶屋でそば打ち体験をするか、あるいは絶品の越前卸しそばを食べる。これが完璧なプランですよ。
いいですね。
でも、福井県のそばって全国的にも有名ですけど、なぜこの丸岡のそばがそこまで評価されているんですか?
それはですね、丸岡産のそばの実の構造に秘密があるんです。
構造?
ちょっとフルーツのブドウを想像してみてください。ブドウって皮と実の間に一番甘くて美味しい成分が詰まっていますよね。
はいはい、わかります。皮の周りが一番味が濃いですし、美味しいですよね。
そばの実も全く同じで、美味しい成分や芳醇な香りは中心よりも外側の部分に多く含まれているんです。
ほうほう。
そして、丸岡産のそばは他の産地のものに比べて粒が小さいのが特徴なんですよ。
あ、なるほど。つまり、粒が小さい分、一杯のそばを作るために使う粒の数が多くなって、結果として美味しい外側の部分の比率が圧倒的に高くなるってことですか?
そういうことです。そのため、全国の有名そば店から引き合いが来るほど希少で、非常に高く評価されているんです。
ブドウの代わりルンですね。小粒だからこそ旨味がギュッと凝縮されていると、これ絶対食べたくなりますね。
間違いない美味しさですよ。
さらに最新情報として、2025年3月には城のすぐふもとに、丸岡城町寄りマーケットという新しい交流施設がオープンしたばかりなんです。
ああ、新しいスポットですね。
そこで美味しいカフェラテで休憩したり、コシヒカリ発祥の地ならでのお米をお土産に買ったり、VRシアターで城の歴史を体感したりできます。これで半日丸ごと楽しめる完璧な観光コースの完成です。
素晴らしいですね。歴史的遺産を見るだけじゃなくて、地元の食や新しい分解施設と組み合わせて楽しむことで、その土地への理解がより立体的になりますから。
本当にそうですね。さてここまで丸岡城の不思議な建築、悲しい伝説、そして現代の魅力についてたっぷりと語ってきましたが、結局のところこれは何を意味するのでしょうか。
これは重要な問いを投げかけていますね。私はこの丸岡城の歴史を振り返ったとき、テセウスの船という有名な哲学の問いを思い出したんです。
テセウスの船、ギリシャ神話の八地ですか。船の部品を少しずつ新しいものに交換していって、全ての部品が入れ替わったとき、それは元の船と同じと言えるのかというパラドックスですよね。
まさにそれです。丸岡城は1948年の地震で完全に倒壊し、瓦礫の山になりました。そこからパズルを解くように部材をかき集めて修復されたわけです。
はい。
もし仮に柱の一本一本、石柄の一枚一枚が新しいものに変わっていたとしたら、それはまだオリジナルの丸岡城と呼べるのでしょうか。
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うーん、物理的な物質だけを見れば違うものになってしまうかもしれませんね。
しかし真のオーセンティシティ、つまり本物であることの証明は、物質そのものにあるのではなくて、それを残そうとした人々の連続する意思の中にあるのだと私は思うんです。
意思ですか。
ええ。オスの伝説を語り継ぎ、廃墟霊で溝に起きて城を買い戻し、震災の瓦礫の中から泥だらけになって城をさすらせれた名もなき地元の人々。彼らの情熱の連続性こそが、丸岡城を400年間本物たらしているのではないでしょうか。
なんだか鳥肌が立ちました。私たちが城を支えていると考えるとき、それは物理的な柱や石柄だけを指すのではないんですね。
そう思います。
本当の意味での人々とは、悲劇の女性一人ではなくて、この城を愛し守り抜いてきた何世代にもわたる地元の人々全員のことだったんですね。
ええ。あなたが次にこの城を訪れて、あの9階段を登るとき、ぜひ足元を意識してみてください。そこにはただの古い木材があるのではなくて、生き世代にもわたる人々のこの城を残したいという祈りと情熱が、今も確実にその建物を支えているのを感じることができるはずですから。
うわあ、次にあの階段を登るときは、物理的な怖さとは違う意味で足が震えちゃいそうです。
深い感動で。そうかもしれませんね。
さて、秋の天使学特集いかがでしたでしょうか。この奇跡の城にあなたもぜひ足を運んでみてくださいね。
次回は舞台を長野県に移し、漆黒の美しさを誇る国宝、松本城の深淵へと迫ります。
また、キュウリオスティーノーツリプレイで、ともに新たな知識の扉を探究していきましょう。
それではまた。