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なんでジャーナリングに辿り着いたのか
2026-05-28 10:09

なんでジャーナリングに辿り着いたのか

「ジャーナリング」という言葉に出会って5年。
いろいろ続かない私ですが、これなら続けられているので、
なんでかなーと思って残してみたくなりました。

何かに書くとスッキリするというのは、大昔に夜中に書いた手紙でも感じていて(結局熱を帯びすぎていて出せない😂)
そのあたりから来てるのかなと思います。

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00:05
おはようございます。5月28日、木曜日です。 こちらはアウトプット雑談プログラムとして、書くことで穏やかに暮らしたい私が、ジャーナリングのように雑談をするラジオです。
今日は、なんか急に思い立ったんですけど、 なんでこのジャーナリングっていうのに辿り着いたのか、みたいなのが、
なんか自分で急にね、残しておきたくなったので、お話ししておきたいなと思います。
私がジャーナリングを始めたのは、今から5年前2021年の出来事でした。 それまでもブログという形で、何か自分が思ったこととかを残してはいたんですね。
ブログは遡れば、ミク氏から。 だから2005年ぐらいには始めてたんじゃないかなと思いますね。
会社であったこととか、仕事の前もやとか、
あとはなんだろうな、要するに日記みたいなもんなんで、その日自分が感じたこととか、どっかに行ったよとか、誰に会ったよみたいなことを
書いてた感じですね。 それをひたすら残してたなっていうのが2005年ぐらいから始まって、
ブログっていう意味では、媒体っていうんですか、 チャンネルっていうんですか、そういうのは変えながら、
ずっと細々とでも続けているんですけど、 それがミク氏がだから発信の原点みたいな感じになるのかもしれないですね。
これは読まれることを前提というか、一応公開はしているから、少ないですけど知り合いには見てもらう。
見る人は見るし、見ない人は見ないんですけど、そういう前提でやっていましたね。
だけど、やっぱり読まれるとなると、 何でもかんでも書いていいってわけでもないじゃないですか。
本当に書けないことは実は書けなかったりとか、 例えば上司の悪口とかね、会社の悪口とかみたいなのは
思ってても書けなかったりとか、 あとオブラートに包んでみたりとか、いうのはやっぱりあったなと思っていて、
でもそれでも書くことというか残すことで、 発散できてた部分はあったなと思っています。
これはもう昔からなんですけど、 何かこう悩んだりとか
困ったりとかした時に、よくこう友人とか先輩に 急に思い立って手紙を書いたりしてたわけですよ、夜中に。
だけど夜中の手紙ってものすごい暑いから、 翌朝見るとこれないなと思って送らないみたいなのが結構あったんで、
あれがジャーナリングの始まりっちゃ始まりだったかもしれないですね。
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だからこう何かこう、書くというか表に出すことで、
すっきりするっていうのを感じたことは、 昔、大昔にもあった気がします。学生時代とかにもあった気がしますね。
なんですけど、こうやってノートに 従めるみたいな感じなのが始まったのは2021年ですね。
ずっとやりたかったことをやりなさいという本を 紹介してくれた友人のおかげなんですけれども、
そこから誰にも発表しないノート、 ただ自分だけが書いて、自分だけが読む。
なんなら自分も読まないみたいなのが、 すごい心地いいなっていうのに気がついて。
当時、これはどこかで話していると思うんですけど、 私は離婚に向かうところで朝廷があったりとか、
いろいろね、夫とは別居してたりとか、 結構人生で言えばちょっと暗い時期。
表向きは明るくしてるけど、 内面は結構グズグズしてた時期だったので、
ちょうどそういう時期といい感じで バチッとはまったのかなと思いますけれども、
当時は言えないことというか、後悔できないこと。
これを言ってしまったら私がそういう目で見られちゃうとか、
あまり離婚とか別居とかも もちろんいいイメージがないから、自分がね。
だから、これを今こういう状況だって 世の中に言ってしまったら、
なんていうのかな、あまり良くないイメージというか、
結局ブログでは良い自分しか 見せてなかったんだと思うんですけど、
これは悪い私じゃないですけどね、
そういうのが出回ってしまったら ちょっと困るなと思っていたので、
多分書けなかったのかなと思うんですけど、
今となっては本を書けるんじゃないか ぐらいのネタになるなと思ってますけど、
当時はそういう思いがあったので、
どこかに残すというよりは自分の中で 粛々と受け止めていくという感じが
すごいこのジャーナリングと フィットしたのかなと思っています。
それがジャーナリングにたどり着いたところかな。
そこからはもちろん離婚もするし、 引っ越しもするし、
いろいろ人生的な転機はあるんですけど、
そこで辞めなかったのは、
誰にも発表しなくても自分が書けばいいやって いう気持ちになれたからかなと思いますね。
そうするといろんな更新頻度が ものすごいグッと減るので、
ブログは子育てが始まった段階で かなり減ってはいたんですけれども、
今までだったらワーッて書き出して、 そのまま出しちゃうみたいなことがあったことも、
ジャーナリングで一旦書くことによって、
06:00
書いたことを自分で見て、
こう思うんだね、ああ思うんだね、
消化はしないんですけど、 ちょっとスッキリはするわけですよね、そこで。
そうするとそこで一回納得というか、落ち着くから、
公表しようみたいなエネルギーが薄れるというか、
発表したいみたいな気持ちがすごい収まったので、
あんまり更新ができないような日が続くのかなとか、
でも反面で心の穏やかさを感じることができたりとか、
今までだったら何も考えずにワーッと言っちゃってたことを、
言わずにちょっと自分の中に留めておけるとか、
あとは言い方を変えてみるとか、
そういうことができるようになったのが、 ジャーナリングを始めてからかなと思います。
手帳も好きだし、ワークも好きなんですけど、
型にはまったことがやりやすくもあり、やりにくくもある。
最初はいいんですけど、それを続けるってことが多分私できないですね。
ジャーナリングはいい意味で型がない。
毎日これを書かなきゃいけないとか、テーマはこれじゃなきゃいけないとか、
今日はこれで書いてみようみたいなのは、
もちろん自分の中にはあるんですけど、
それを決められてないっていうのが多分自分には良かったんだと思います。
すごいわがままなんですけど、どこか決めてほしいんですけど、
決められ続けると嫌っていうか、ちょっと変なやつなんですよね。
だから毎日テーマがないと書けないとかいうのは私にはなくて、
それが意味があるかどうかわからないんですけど、
まず朝の状態を書いてみるとか、何でもいいからペンを走らせるみたいなのは、
多分すごい入ってきやすかったのかなと思います。
だから基本的に自分でジャーナリングするときはあんまりテーマがなかったりとか、
あとは昨日から思っていたことを引きずっているときはもちろん書いたりとか、
あとは今だったらスタイフでこういうことを話したいなって思ったときには、
前もってどういうことを言いたいのかなとか、
どういうふうに今感じているのかなみたいなのを書くことはあっても、
これが絶対テーマがないと書けないっていうのはあんまりないかなと思いますし、
昨日の続きでこういうことを書こうかなみたいなので書くことはやっぱりあるか。
自分の中で問いみたいなのはその時々で見つかったりとかするのがいいのかなと思っていますね。
ただ、パッと与えられるテーマによって自分が思いもよらなかった視点というか思いを発見できることもあるので、
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そういうのがエッセンス的にあってもとてもいいのかなと思っていますが、
型にはまらないのが逆に良かったという感じです。
ジャーナリングはあまり決まり事がないと私は思っていて、
こういうふうに書かなくちゃダメとか、こうであるべきみたいなのがない、
ふわっとしたものなんですけど、またそこがいいのかなと思います。
ただ、これをもっと深めていこうと見たくなった場合には、
やっぱりテクニック的なものが必要なのかなと最近感じているので、
私がそこが今ちょっとまだ欠けている部分なのかなと思ってはいます。
今日はなんでジャーナリングにたどり着いたかみたいな話をしています。
これはあまり誰とおく情報ですね。
ちょっと残しておきたいなと急に思ったので今お話ししました。
最後までお聞きくださった方がいたらありがとうございます。
今日も良き一日となりますように。ではまた。
10:09

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