スピノザの神の哲学
今日も改めましてこんにちは。Baronです。 好き語る!好き語れの第3回を始めます。
今回のテーマは、スピノザ。 軽々な信仰がありながら、その明晰な頭脳は神様に牙を剥いた。
そんなイメージでお届けします。 簡単にスピノザを説明しますと、スピノザは17世紀の哲学者ですね。
スピノザの神様像と言いますか、神様論は素晴らしくて、 あのアインシュタインも共感を示したと言われています。
で、僕がスピノザをどれくらい大好きかというと、 実はスピノザへのラブレーターとして、そういうテーマで僕は小説を書きました。
いやー、頑張りましたね。 タイトルが、「おとなしさんは神様を知っている」っていうもので、
おとなしさんっていうヒロインがスピノザをモデルにして、 その完璧な論理でめちゃくちゃ仕事ができる。
で、無雑の上がらないサラリーマンである主人公との交流を描いたラブコメとなっています。
この小説は僕のサイトでノートや書く読むで読めます。 概要欄にリンクも貼っておきますので、興味のある方はよろしくお願いします。
では、本題に入るところで皆さんに質問があります。 皆さんは神様はいると思いますか?って投げかけたいんですけど、
すいません、怪しい勧誘とかではありません。 でも僕は真剣です。
だから結論から言いますと、宗教を持たない人はいても、宗教観を持たない人はいないと投げかけたいのです。
宗教観は倫理観や価値観とも言い換えられますが、そこにこだわりのない人はいない。
尊徳の良い悪いだけではなくて、善悪の良い悪いってものも人は持ってます。
人が共同して生活する上ですり合わせは必要だし、個人としてもどう行動するかを決めたり、後から反省したりするために善悪な判断、宗教観は必要です。
よくアンケートで日本人は自分に宗教はないって答えるけど、それをそのまま言うと外国人を驚く、
不気味に感じるって話を聞いたことがあります。 これって地域の違い、文化の違いで
宗教はないって言うと、そもそもの倫理観や善悪な判断ができないっていうことを告白してるって思われるからじゃないかと思われますね。
社会人として倫理観を何で担保しているかという問題なのではないかと思います。 ほとんどの人にとって神様がいるかいないかはわからないことです。
そもそも証明できないように思われる。 難しいのは個人的には個人の立場では信仰や倫理観、価値観は多種多様であり得るのに
社会的にはこれらを一致させなければならないってことです。 でも神様を倫理で、ロジックで証明できる、解明できるとしたらどうですか。
それぞれの主義主張がバラバラになることなく、倫理っていう頼りとするところができたらちょっとワクワクしませんか。
それではスピノザが描いた神様について語っていきます。 はい、
核心であるスピノザの神についてに行きます。 この語りにタイトルをつけるなら、神様を理として描く一つの実体、
倫理観とスピノザの論理
世界全体としての神です。 スピノザの神の倫理を僕なりに解説します。
まずスピノザは一つの実体を定義します。 実体というのは独立していて、
自らで成り立ち、並び立つものがないものです。 無限であり、
限りがない。 そうなると実体が二つあることはあり得ません。
なぜなら二つ目の実体の存在を許した瞬間に実体は制限されてしまい、 実体とは限りがないとは言えなくなるからです。
実体はその定義上、その性質上、世界を覆い尽くすものでなければなりません。 この世界全体を神そのものと呼ぶ。
これがスピノザの論理です。 僕という答えは神の内部、世界の内部にあり、
すべての個々のものも一つの実体、神の現れであって、すべては神の内にある。 どうでしょうか。
すんなり受け入れられる人もいれば、受け入れられない人もいると思います。 僕個人はこの考えを初めて聞いたとき、
なるほどなぁとポンと膝を打った記憶があります。
こんな手があったのか、 こんな道があったのかという発見がありました。
では次にこのスピノザの論理を もう少し身近に感じるために
事故、自分っていうところを出発点に考えてみたいと思います。 そういうやり方を考えてみます。
言うなれば、事故を論理でずっと延長していくとたどり着けるものとしての神です。 最低の人は
自分を 限りのあるもの、有限であると考えます。
そうなった時に自分の原因やそういうものを探すと思います。
これを広げていくというか、拡張していくということなんですけど、 自分の不完全さを認識して、そこから完全な世界
一つの実態を導き出していくという工程です。 これに成功するなら
何か安らぎのようなものを発見できると思います。 僕は一人じゃない。神がいるから。
こういう優しい考え方だと僕は思いました。 はい。
スピノザの神の論理について僕なりに解説しました。 興味が出てきた方は
スピノザのエチカ。カタカナでエ・チ・カですね。 これを読んでみてください。
ちなみにエチカは倫理学という意味です。 僕はエチカでの
その論章を美しいと感じました。 では本談に帰りまして、スピノザは神の理性的存在証明の集大成、
到達点である、に入ります。
はい。 僕が見る限りではスピノザの論章には隙がなくて完璧に思えてきます。
本当に理性で神を導き出すという方法の極地だと思います。
我を思う。故に我ありで。 自己の存在を確かめたデカルトに続いてスピノザは神様の存在証明に挑んだ。
このアプローチでのやり方、その強度はまさに完璧です。 もちろんこのアプローチが正しいのかという検証は必要です。
人間が頼るべきは本当に理性なのかという問題です。 そしてもう一つスピノザの神様は大きな問題を引き起こしました。
今までの神様が持っていた人格を否定してしまったのです。 つまり神様の持つ前世、
神様は良いことを行うという世界観を破壊し、 神様を世界法則に変えてしまった。
次はスピノザの人生に注目し、これについても考えていきます。 僕なりにスピノザのあるような人生を表現すると、
天才のそれ。能力がありすぎた家にその理論、思想は危険視され、 破壊された。
となります。 スピノザは敬虔な神徒でしたが、
自分が属した宗教的コミュニティから追い出され、 かなり危険な目に回っています。
これはスピノザの天才性、あり余る能力がそうさせたと僕は考えます。 つまりスピノザがやったこと、やろうとしていることが脅威になり得るから、
そうせざるを得なかった。 そうでなかったら単にスピノザを無視すればいいだけですから。
これって表裏で、この厳しい現実は裏面だと思うんですけど、 表の面もありまして、
スピノザにはスポンサーが支援者がいたと言われていて、 暮らしていけるだけのお金はその支援者からもらっていたと伝わってもいます。
でもこういうのを考えなくてもスピノザは幸福だったと思うんです。
スピノザにはかくたる神がいたのだから僕はそう信じます。 こうしたエピソードから次は能力のあるなしは人生にどう影響するかというテーマでお話しします。
感情型と実行型でいう僕のアイデアも語ります。 僕個人は能力は単なる推進力だと考えています。
例えばスピノザは信仰と理性ってものを、そういう性格を持っていたから、 その高い能力で神の非正的存在証明を成したと言えます。
スピノザの人生と愛情
でもこの能力は自分の矢印の力を決めますが、矢印の方向自体は決めませんよね。
つまり人間には力、能力ってレイヤーとともに愛、愛情ってレイヤーがあると僕は考えます。
この愛情が一人の人間の思考性、自分を方向づけるものとも言えるのではないか。 そこから能力によって進んでいく
っていう形なのではないかと考えています。 だからそれぞれの人の愛情、価値観によってはとてつもない逆方向を行っているように見えることもある。
そういうことではないかなとぼんやりと考えています。 それでは感情型と実行型について語ります。
これは人間の持っているタイプみたいなものですが、この2つで人間のタイプを完全に2分するとかは言えないですけど、
人間が持っているいくつもあるタイプの値で、僕が発見した2つを発表してみます。
感情型と実行型はさっき語った愛情と能力ってレイヤーがそれぞれに対応していて、感情型は愛情、実行型は能力に、そのレイヤーで物事を見る傾向があるのではないかと思います。
これの見分け方っていうのを考えていまして、 質問というか自分から投げかけた発売に対して求める答えが
感情型は共感、実行型は学問的な返答を求めているのではないかと、そんなふうに考えています。
例えば例を出すと、女性が男性に相談するときのすれ違いを挙げられると思います。
女性は共感を求めているのに、男性は解決法、学問的な返答を返してしまう。
そんな感じです。
はい、バラバラでしたが、僕が能力のあるなしは人生にどう影響するかというテーマでお話ししてみました。
最後に、僕らは誰に愛を注ぐのか、何に愛を注ぐべきかという問いを立ててみたいと思います。
もう一度スピノザを例に出すと、スピノザは神様を愛していた。 ずっと強い思いを、信仰を持ち続けた。
で、今の問いに対して正直僕には答えはわかりません。
でも少しだけわかることがあって、この問いを立てるということは、
僕らは、僕は愛情を注ぐべき対象を探している、求めているということです。
誰を愛するか、何を愛すべきか、それは自分で決めていい。
ただ、僕らは他者を必要とする。 それが今のところの僕の結論です。
というわけで今回はスピノザを語りました。 実はここからコラムの構想がありましたが、時間の都合で取りやめます。
コラムタイトルは、安堵するということ、人間が探求する安定、支え、
もし需要があったら、リクエストがあったら教えてください。作りますので。 はい、今回は第3回
スピノザ神様を断るをお送りしました。 最後になりましたが、この番組は特定の宗教を肯定したり否定したりするものではありません。
あくまで僕が挑む、そうですね、
思考の地の冒険だと思ってもらえたら幸いです。 聞いていただいてありがとうございました。
よかったらまた次回もお会いしましょう。