みなさん、こんにちは。作業料本誌の石神まなです。
利用研修とメンタルコーチをしている鶴田と申します。よろしくお願いします。
今日はどんな話をするんでしたっけ?
はい、今日は好きの言語化ということで、恋愛感情の好きとか、推しがいるとか、いろんな好きっていう感情って世の中にいっぱいあると思うんですけど、
じゃあ好きって何なんだろうって具体的に考えたことないなと思いまして。
それについて話していきましょう。
すごーよく使える言葉でもあると思う。
そうそう。すごーよくね。
この辺を言語化して、定量的にこういう場合は好きだったらこういう場合は、それぞれ持てるぐらいまでいけたらいいかも。
なんか好きなものってあります?
別に有力部屋でもいいんですけど。
私はね、今日語りたい話があるんです。
チーカって洋さんはあります?
でも僕はぬいぐるみあるよねぐらいのと、意外としゃべらないとかと、アニメがあるらしいとかと、意外となんかメンタルの話らしいよみたいなぐらいしか知らないです。
あと最近映画やってるとか。
そうそうそうなんですよ。
映画をね、見に行ったんです私。
おー、あれもあれじゃないの?
でも幼児が見に行くやつじゃないの?
それがなんですよ。
なんですか?
私ね、映画を見るにあたって、せっかくなので雑誌とかもね、いろいろインタビューが載ってるやつとかも買って、
その監督さんがどういう思いでこの映画を作成したのかとかも拝見したんですけど、
大人向けなんです、ちいかはって。
大人向け映画なんですよ、ちいかは。
どういうこと?
今、巷ではですね、港カナエの小説かなって言われてるぐらい、ミステリー、サスペンスな要素強めの映画構成になってて、
監督さんも時期として夏休みに上映するから、夏っぽさとか、夏のお出かけ、旅行、キラキラ感、はっちゃけみたいな温度感は大事にしつつ、
でもそもそもちいかの作者のイラストレーター永野先生は、かなり人間のドロドロした部分を4コマ漫画に載せるっていうのが得意な方なので、
そこの作風はちゃんと残したまま映画っぽくしたいなっていうので、そういう監督の思いで作られたのが今回の映画ちいかはなんですね。
だから実際見てみても、正直見終わった後にすっきりしない?胸の奥にもやもやが残って、考えさせられる映画だったんですよ。
誰が見てるんですか?幼児が見てるんじゃないですか?
なんかね、ツイッターとか見てると、子供たちがちいかはの映画見たいって言って出てった親たちが、え、ちいかはってこんな作品だったの?って衝撃を受けてる感じ。
え、子供は子供で楽しめるの?
子供は普通にキャラが可愛いので、
動いてれば楽しいと。
そうそう、見て可愛いキャラがわきわきしてて楽しいなと思うんですけど、
ある程度話の内容を理解できる年齢になってくると、ちょっと思うところ出てくる感じになってて。
何があっていうとですね、まず今回の事件の敵役がいるんですよ。
敵。
ビランというかね。
で、タイトルが人魚の島の秘密なんですけど、その島に敵がやってくるからそいつを倒してくれっていう依頼で、ちいかはたちはその島に遊びに行くんですね。
ただ、話をどんどん聞いていくと、どうやら敵にも敵なりの島を遊ぶ理由があって、
その発端になったのが実はちょっとした事故がきっかけで、
その事故に対して島の住民がちょっとやり返したみたいな。
それに対して敵も今、そっちがその気ならこっちだってやり返してやるみたいな温度感があって、
戦争や。
そうなんです。発端はちょっとした、ごめん領土踏み入っちゃったみたいなね。
一歩越えちゃってごめんみたいなところからの、どんどん戦いが破裂になっていくっていう、
その人間性が描かれている感じがね、すごく苦しくなりましたね。
結果、どっちも悪くないみたいな話をしたんですか?
いや、結果どっちも悪いなって。
でも両性がいる第三者がいないから、もうなんか引っ込みつかないなって感じがする。
まあ、正義と正義とのぶつかり合いみたいなことですよね。
どっちも自分が正しいと思ってる。
正しいっていうよりも、どっちも怒りっていう感情のままに攻撃し合ってる方が強いかな。
だから、ごめんなさいしなさいって言ってくれる人がいたら、ごめんなさいで終わるんだけど、
それがないからお互い、あの時お前はこうだったって言ってずっと喧嘩してる感じ。
いやー、それでも大人でも普通にありますもんね。大人の方があるのかも。
そうそうそう。だから大人にはそこらへんがぐさっとくるし、
子供たちからすれば自分の好きなキャラたちが戦っててかわいい、かっこいいみたいな。
かわいいんだ。
キャラはかわいいんですよ。
普通のアニメもそういう感じの話なんですか?
そう、普通のアニメも短編がいっぱいあるんですけど、短編の連載みたいな。
でもそれぞれがつなげていくと奥深いお話が多くて、そこが中間の魅力ですね。
なんて言うんだろうな。子供が言ったらええ?ってならないの?
でも普通にキャラはかわいいから、そのドロドロ感ってストーリーではドロドロしてるんですけど、
理解してないから大丈夫ってことか。
映像作品としては常にかわいくて美しい世界観。
なるほどね。
なんかでもアニメとかでも結構あるやつですよね、そういう学位。
でもちい川みたいな領域ではあんまないのか。
そうですね。
でもなんか鬼滅の刃とかもそれに近いなっていうのを一緒に見に行ったことを話してて、
あれも鬼と人間の戦いで、かつ鬼の言い分と人間の言い分と戦いにもちょっと残酷さがありみたいなストーリー構成なんですけど、
ただ小学生たちが炭治郎かっこいい、禰豆子かわいいみたいなすごい盛り上がりをしていて、
なんか最近のこの大人が読んで深みがあるストーリーのものが小学生に受けてるって不思議だねっていう話はしてました。
メイドインアビスとか知ってます?
見たことある。でもあれ完全大人向けですもんね、もともと。
そうなんですよね。キャラがかわいいだけで大人向けで、もともとターゲットが大人っていう感じですか。
じゃあ鬼滅の刃とかシーカーはターゲットはそもそもたぶん子供向けなんですね、シーカーは。
この辺が違いなんでしょうね。
そうね。
おもろいな。
おもろいですね。ここら辺もまだまだ話したいところではありますが、そろそろ本編にいきたいと思います。
次の言語化。
シーカーの熱を語りたいところではあるんですが。
確かにいいですね。
では今日もやっていきたいと思います。ちょっと立ち止まって考えてみたら。
今日は好きの言語化ですね。
前提めちゃめちゃ低量的になってない言葉だと思うんですよね。しにくいというか。そこ詰めちゃダメだよねっていう言葉になってて。
恋愛でも好きだから許されるみたいなありません?いろんなことが。
じゃあなんで許されてるの?みたいなのが理屈がなくて。
だって好きなんだもんみたいな。
意味がわかんない。マガママでしかない。
っていうのと、若い人とか、うまく相手を動かすために好きっていう言葉を使うみたいなのも結構感じるところがあって。
男性女性も特に関係なく。
別になんとも思ってないけど、その言葉が定義付けされてないから使いやすいみたいな。
なるほどなるほど。
これが、なんていうんだろうな。めっちゃ僕社員にしますってなかなか言えないじゃないですか。
定量的だから。
責任もしょうがないから。
でもあなたのこと好きですよは結構軽いじゃないですか。
軽い。
この差って定量的な仕組みだとか責任の生じるところがかなり薄いなと。
確かにね。
これって日本語の好きっていう言葉ならではだなって思ってて。
英語のloveとlikeって違うじゃないですか。
でも日本語って両方とも好きって訳すんですよね。
そこがすごい好きっていう言葉のaboutさだなって思ってて。
え、なんだろう。愛は英語で言うとなんですか。
愛?
愛してる。
愛してる、I love youじゃないですか。
文章になっちゃう?
私はあなたのことを愛してるだからlove。
じゃあloveは愛に近い。
でも実はlikeの方が重いみたいな話も聞いたことある。
どういう。
でもやっぱloveが愛ですね。
でlikeはもうちょっとラフに友人とか食べ物とか趣味とかそういうものに広く使うと。
でloveは重くて家族愛とか恋愛感情とかそういう時に使う。
これが分かれてないんですよね。
この好きの領域の中の分かってきた気がする。
言語化できそうな気がするみたいなイメージですけど。
likeとloveが50点50点だとしてトータル100のパワーがありますと。
50likeで50loveだとしてが英語圏だとしたら日本は多分70くらい好きなんですよ。
80くらい好きで20くらいが愛なんですよ。
だからlikeとloveがごちゃってなってるこの78秒くらいがあるから。
人によってこの重みがlikeなのかloveなのかがむちゃくちゃになってるみたいなのがあるんじゃないかなと。
そう思います。
そもそも日本の日本男児って呼ばれるような方々って愛してるも好きも言わないみたいな。
装飾系的なやつですね。
でも海外の人めちゃめちゃ言いますからね。
振る舞いで示せばそれでよしみたいな。
察しろよみたいな文化が日本にはあるじゃないですか。
振る舞わないでしょ。
どういうこと?
昭和の親父みたいなのが自分のお父さんとお母さんに好きとか愛してるっていうところはなかなか想像ができない。
確かに。
言うとしてもプロポーズの場面か、なんならプロポーズでもその言葉は使ってないかもしれないとすら思うぐらい。
確かにな。奥行かしいと言えばいいけど。
そうそうそうそう。
なんかそういう中で好きっていう言葉の定義っていうのが日本の中で曖昧なまま歴史は過ぎていき、
今SNSとかが流行って言葉に対する重みがどんな言葉もカジュアルになってきてるじゃないですか。
炎上問題とかもまさにそうだと思ってて、ネガティブな言葉だって使いやすくなる。
軽い。
そういった表現の中での好きも軽さがあって、
でももともとはすごく重みがある、言えないぐらいのものだったからっていうのが今のこの曖昧さな気がしてるんですよね。
そうした時にさっきの7割好きみたいな、そういう漠然とした感じになっちゃったんかなって。
海外の人、東京とか行くと今海外の人めちゃめちゃ多いじゃないですか。
言葉もちゃんと言うし、行動もちゃんとするんですよね。
何て言うんだろうな、いいか悪いかとりあえず置いておいて、本当に交差点で待ってる時にハグしてるとか。
普通にあるんですよね。
行動で示せと言いながら、日本人はそれすら知ってないから、達する力を相当持つというか、信じる力みたいなのがありながら、
ありながらそれを言葉にしてる人もいるわけじゃないですか、好きだからしかないとか、
このズレみたいなのがすごく感じる。
言わないからめちゃめちゃ価値があるはずなんですよね。
昔の感覚からしたら、言わないから一言言うことがめちゃくちゃ価値がある。
でもこの価値があると思われてるものを平気で使う人がいることによって、この価値のズレみたいなのが生じてきて、
どっちなの?みたいなのが重みの違いがめちゃくちゃある気がする人によって。
確かに確かに。それわかるな。
言われます?パートナーから。
毎日のように言われるとか。
私のところは、むしろ彼は海外的というか、
常に言語とボディランゲージで表現できる人なんですよ。
すごいね。
私はそれが恥ずかしい。
古き良き人なんですね。
なんかあれだな、面白いな。
でもやっぱり伝えてもらえると嬉しいなとは思いますよね。
確かにね。
でもなんだろうな。
なんかモヤッとするところは、度合いが薄いのに言ってるみたいなのがやっぱりめっちゃモヤッとする。
さっきの地域化の話も若干つながるんですけど、結局重い情報が正確に伝わらないことがトラブルになると思うんですよ。
期待と実際のズレが生じてくるからトラブルになると。
期待と実際のズレを生みやすい言葉なんじゃないかなと思う。
そうですね。
何なんでしょうか、好きって。
何なんでしょうか。
でも、これも紹介したことあるかもしれないですけど、恋愛で悩んでる人は大体この本で解決できるなって思える本があって。
名前忘れたな。
結構長いタイトルの本で、どうして好きじゃない人を好きになってしまうのかみたいな。
前に教えてもらった気がする。
その本は結構言語化きっちりされてるんですよね。
心理学的な要素でそれを書いていて。
なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか。
そう。
これめちゃくちゃ僕いい本だなと思って。
なんでいい本かなって言ったら好きの言語化をされてるんですよね。
正確には恋愛と愛の違いを言語化してるんですけど。
この人が言ってることはもうめっちゃ国落ちるなと思うんですけど、好きとか恋って自分がないものを埋めに行く行為なんですね。
なるほど。
だから、自分が何かがなくてそれを埋めてくれる人。
自己肯定感を埋めてくれるとか。
元も子もないこと言ってる気がするけど。
そういうところ。
自分がすごくこういうキラキラした憧れの人がいて、そういうところと一緒にいたいみたいなのを埋めてくれるとか。
逆に落ち着きとか安定とか安心を埋めてくれるとか。
で、愛はどんな状態だとしてもその人と一緒にいるっていう内容。
だから、これ結論というか対策みたいなの書いてあったかわからないですけど。
結論、自分が自分のことを、例えば孤独感があるとしたら、孤独感を埋めれてないんで他人で埋めようとしてるっていうのが好きって思いますよね。
結構僕らの領域に入ってきてるんですけど、この話。
自己肯定感が低い。僕とかは結構学歴コンプレックス結構大きいんで。
逆に高学歴の人と付き合うとかになると、高学歴の人でも僕と一緒にいてくれるっていう、自分がないものを埋めてくれる状態になるんですよね。
この要素があって好きっていう言葉が生まれてくるみたいなことを言ってて、これ滅茶苦茶に落ちると。
どっちは思ってましたね。
すごいわかるなーって思っていて、例えばアイドルに対しての好きっていうのも、現実にそんなにかっこいい人かわいい人は存在しない。
自分はそんなにお化粧したところで可愛くはなれない。イケメンにはなれない。
だから、そういう彼氏がいたらいいのに、自分がそうやって可愛くなれたらいいのにっていう理想の中で、その人のこと好きだなってなってると思うんですよね。
わかりますわかります。
極端な話、アイドルより可愛い状態でアイドルがめっちゃ好きってなるのかどうかみたいな話もちょっとあると思うんですけど、自分持ってない何かを持ってる人に対して好きになるっていう概念がやっぱり結構大きい気がしてて。
それはいいと思うんですよ。
そうですね。歌が上手とか。
歌が上手とかね。
逆にすごく見た目とかじゃなくて落ち着いてるとか、好きが豊富とか、そういうのももちろんだと思うんですよね。
今日の好きの言語化っていう好きという言葉、日本語自体がそういう対人への好きは今の理屈ですごく通るなって思ってて、自分の満たされなさをその人のことへの憧れとして消化していく中で好きっていう言葉に置き換えられていると。
でも、日本人は好きを人以外にも適用するじゃないですか。
今回の私のちいかわとかもそうだし、この曲好きとか、このご飯好きとか、でも物に対しても。
ちいかわは好きですか?
私は好きです、ちいかわ。
なんで好きなんですか?
え、かわいいから?かわいいけど奥深いのが。
かわいいだけはないんですか?なんか変な言葉になった。
かわいいだけのキャラクターはあんまりないんですか?
何を求めるかですけど、例えばサンリオの私はシナモロール好きなんですけど、あれに関してはもう純粋にゆるさって言ったらいいんですか?
キャラが持つ雰囲気とか、キャラクターの世界観が好きなんですよ。
ちいかわの場合は、話のストーリーとかそういうのも好き。
小説、この作品好きとか、この映画好きとか、そっちに近いかな、ちいかわは。
その中の好きなキャラがいて、それは何が好きかって言ったら、そのキャラクターが持つ個性とか、その子の振る舞いとか、性格とか、そういうものが好きだな、この子。
そこのキャラクターに対する好きは、どっちかというと、自分の満たされなさを埋めるとか、自分が尊敬できるとか、そっちに近いと思うんですよね。
すごい、分析されてる。
今、喋りながら分析してるんですけど、その作品が好きとかは、面白いとか、興味惹かれる、楽しめるとかも好きになるのかな。
食べ物は?
美味しい。
何が好きですか?
1個だけ、よく言うやつ。
1個だけ?
これ好きですと、これだけしか、一生これしか食べなくていいとしたら。
それは、私はスパイスカレーですね。
こうなってくる。でも、そうだよな。
カレーとか、なんでカレーが好きなんだろうな。カレーは僕も結構好きで、うなぎも結構好きなんですけど。
うなぎは、完全に憧れ要素があるんですよね。
いいもの。お金持ちが食べてる。成功したら食べれる、みたいな要素が、今でも抜け入れてない。
っていうのは、間違いなくあると思ってます。
カレーに関しては、あんまないけど、なんでなんだろう。
単純に刺激物だから。
あるかもしれないな。
あれかな、アドレナリンかな。
刺激物とかっていう話とかさ、ジェットコースタースキーとかさ、そこら辺の面白い、楽しい、ワクワクするって。
脳内のアドレナリンとかドーパミンとか、そう言われる。
チャレンジとかそういうやつ。
そういうものが出ていると、快不快でいくと快の刺激になるじゃないですか。
それに対して自分が好きという言葉を当てはめると。
でも快にならない人もいますよ。安定したほうがいい。
アドレナリン出ないほうがいい。
落ち着いていたい。部屋でゆっくりしていたい。
ジェットコースター嫌いなタイプ。
そういうタイプ。
カレー嫌いはあんま聞かないですけど、ご飯が好きとか。
逆に、タネゴの好きとかは、人が好きも多分価値観が混ざっていると思うんですけど。
今の話、めっちゃあれだなと思うんですけど、分かりやすいなと思ったんですけど。
ジェットコースターと逆にオフトフスキーって真逆じゃないですか。
ちょっと完全真逆じゃないかもしれないですけど。
ジェットコースター嫌いな人もいるじゃないですか。
ちょっと無理ですと。絶対死ぬから嫌ですみたいな人もいるけど。
好きな人、何週でも同じと回るみたいな。
これって刺激が好きな人とそうじゃない人の違いみたいなのと、
逆に言うと、オフトにぬくぬくするのが好きみたいな人は、
安定とかそっちが好きなのかも。家が好きとか。
何もしないのがいいとか、寝てるのが好きとかって人結構いますよね。
いますね。
かもしれないな。これなんかちょっと価値観的な違い。
やっぱりその価値観に付随する不快の感情により、好き嫌いが発生すると。
人間の好きにちょっと話を戻したいんですけど、
好き嫌いって、僕さっきの定義からして、経験上もそうなんですけど、
食べ物もそうですし、他のもそうなんですけど、埋まるんですよ。
自分の枯渇してる丸があってどっか欠けてる。
クッキー食べられたみたいなイメージしてもらってますけど、
その食べられたクッキーの欠けてる部分が埋まってくるんですよね、他の人の力で。
で、この埋めるのって、埋まるとそれが当たり前になるんで、
ちょっと悪い言い方ですけど、満足してしまうというか、いらなくなるというか。
小さな魚に餌をあげない的な感じになってる。
それもすごく近いんじゃないかなと思ったりするところ。
なるほどね。
自分がそれ無くて、そこ埋めてくれてるんだなっていう感謝みたいなのを持って続けないと、
結構恋愛とかって3年とかで結構、長くても3年って言われるのってそこなのかなって思ったりする。
なるほどね。
か、さっきの愛ですよね。
存在そのものが、自分のこの枯渇してるのはとりあえず置いといて、
相手の存在そのものがもう自分と一緒になるっていうか、
一体自分の責任とかと全部一緒になるみたいなところまでいくと、
あれですよね、いいなと思っちゃいますけど、
言いそう通りに近い気がする。
思考整理されてる。
今だいぶ深い好きについて話していったじゃないですか、
ギャップが生まれる思いとか情報とかに含まれることが、
軽く好きという言葉で解決することによってそれが生まれるっていう話でいくと、
じゃあ本質的には好きっていうのは、
そういった満たされ感とか、心地よさとか、
快刺激とか、そういうものに定義されるはずなんだけど、
今それがもっともっと表面的な言葉として使われてるのかなって思ったんですよ。
そこの表面的な好きは何に対してみんな軽く使ってるんでしょうか。
でもどっちかっていうと、さっきの愛に近いような好きを、
自分を満たすための好きで使ってる人が軽く使ってるようなイメージがすごくある。
存在そのものを認めてるし、好きだよっていう。
何をしてても存在そのものが好きだよっていう状態っていうのもあると思う。
これも多分愛に近いようなことだと思うんですけど、
これと単純に自分がこれが欠けてるからそういう人がいいよねっていう好きのずれな気がするなと。
分かったよ、洋さん。私ちょっと分かったよ。
ひらめきがすごい。
私が好きな、いつも言ってる三宅嘉穂さんがアイドルが好きなんですよ。
でね、推し活について本で触れてたことがあるんですけど、
推し活文化でちょっと前、平成の時代は推しじゃなくて萌えだったんですよ。
メイドさんとかの萌え萌え君のあの萌えです。
だから好きになる対象に対しては一方的に自分が好きという感情をぶつけて萌えだったんです。
それが最近は推しってなると、例えば握手ができる握手権があるとか、
自分がそのアイドルを育て上げることによって推しが東京ドームに立てるとか、
自分が何か応援することによりそのアイドルが成果を達するところを推し文化として推奨していると。
相互的に良くなるんだ。
だから最近この好きが乱用されるようになったっていうところに、
一方通行のもともとは、これ好きだな、自分はそこ満たされるなとかっていう感情だったものが、
満たされて心地いいとか、美味しくて心地いいとか、それに触れられるだけでっていうちょっと愛に近いような感情が好きだったものが、
今は自分の足りないところを相手が達成してくれるっていう成果が生まれるところに、
好きっていう言葉を使い始めてるから、どんどん軽くなってるんじゃないかっていう私の。
めっちゃわかる、めっちゃわかる。
これがこの言葉その辺の言葉が全部、例えば推しとか萌えとかだったら、
全然違和感全くない。
でしょでしょ。
でもここがずれな気がする。
そうだと思う。
いやまあ結構好きかもしれない。
それは好きって言っちゃダメだよ、これはそれただの推しだからって言った方がいいと思うんですよ。
そうそうそう、そうなの、そういうことなの。
そういうことでしょ、要は。
そう、そういうこと。
いやでもそれはめっちゃわかるわ。
アイドルとかじゃないと推しっていう言葉使っちゃいけないっていう感じもちょっと薄れてたんじゃないですか。
学校の先輩の誰々さん推しなんですよみたいなのが全然あり得る。
そうそうそうそう。
それはめっちゃいいかもしれないですね。
そんな気がするな。
それを軽く、めっちゃそれですね。
キャバクラとかコスとかもう推しなんですよ、好きではなく。
そう、そうなの。
いや、わかるわ。
わかるわ。
それはわかるな。
でもそれでいくとアニメとかもう推しなのかもしれないな。
キャラクターとか推しなんでしょうね。
だってグッズ買いますもん。
グッズ買ってそのキャラクターを身にまとって自分が広報活動をするじゃないですけど広めたいみたいな。
別に自分の旦那に対する愛を自慢したいとはならないじゃないですか。