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Chikaraチャージ レイディオ💪
おはようございます、Chikaraです。
今日もスタイフを撮らせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
今日は、先ほど、先ほどというか、お昼に、
みやけんさんとの毎週のコラボライブの中でも少しね、お話出ましたけど、その話についてちょっと触れようかなと思います。
ちなみに、今、毎週これまでやってきたみやけんさんとのライブの名前が、
これまでは、マイクールヒーローズ戦略会議というね、名前でやってきましたが、
ついに、名前を変えていこうというね、話が出ております。
で、まだ最終決定ではないんですが、
仮の名前として、僕とみやけんさんのそれぞれの名前を一部使いつつ、
どういうライブなのかが分かりやすいような名前がいいんじゃないかということで、
とりあえず決まったのは、僕の名前のChikaraではなくて、
僕の今、代名詞にもなりつつあるチャージの方のチャーを取って、
みやけんさんのけんを取って合わせて、
チャーけんのほにゃらら、ほにゃららみたいなね、
そういう感じになるんじゃないかということで、
今の候補としては、チャーけんのMCエイジ界隈談議だったかな、
というのが今の候補になっておりますが、
チャーけんね、僕とみやけんさんをこれからは2人セットで呼ぶときには是非、
チャーけんさんとチャーけんのライブみたいなね、
あのチャーけんのライブでちょっと言ってたけど、みたいな使い方をしていただけると嬉しいなと思いますが、
そのチャーけんのライブで、今日のライブでちょっとお話ししたことを、
改めてね、僕のスタイフでもちょっと取りたいと思ったんですが、
包丁の悪用
包丁、知ってますよね、包丁ね、料理に使う包丁。
包丁ってクソ包丁になり得るのかどうかというお話をちょっとしたいなと思うんですけど、
どういうことかというと、
要は包丁って本来はお料理するために使うものですけど、
悪い使い方をするっていう人がもし出てきたとしたら、
例えば事件にニュースになるような殺傷事件みたいなね、
そういう凶器にもなり得るものだと思います。
もちろんこの人を刺してしまったり傷つけてしまったりね、
殺傷してしまうということは良くないことですよね。
なのでニュースになったりその犯人が捕まったりすると思いますけど、
この時に悪いのは誰でしょうか。
誰でしょうか、どれでしょうか、どう思いますかというお話になると思います。
要は人を殺傷してしまった場合、
その凶器にたまたま包丁を使ったとしたケースで考えましょうよ。
この場合誰が悪いのか、考えられるところで言うと大きく2つあるんじゃないかと思います。
1つはその実際の事件を起こしてしまって殺傷してしまったその本人が悪いのかどうか。
もう1つはそんな殺傷能力がある包丁という道具を作った本人、作った人が悪いんじゃないかというね、
大きく2つ見方が分けるとしたらあるんじゃないかなと思いますが、
皆さん、この悪い人というのはどっちが悪いと思うでしょうか。
そうですよね。もう普通に殺傷事件を起こした本人が悪い。
この辺は皆さん異論はないんじゃないかなと思います。
なので殺傷事件を起こした本人が悪く、包丁自体を作った人が悪いわけではない。
だから逮捕されるのはもちろん、事件を起こして殺傷した本人が逮捕されるわけですね。
だからその批判を受ける対象としたら包丁を作った人が悪いわけでもなく、
包丁自体の道具が悪いわけでもなく、もう一度言いますけど、
殺傷事件を起こした包丁の使い方を悪い使い方をした人が逮捕されますよね。
ただ、こういう分かりやすいケースだと皆さんの同意が取れると思うんですけど、
中にはね、やっぱり手段が悪い。ルールを作った人が悪いみたいなね。
そういう大元の人が悪いんじゃないかっていう逆転現象が起こることがあるんじゃないかなと思います。
これは結構ね、感情が入った場合とか特にそうだと思うんですけど、
僕が話す内容は感情の視点からじゃなくて、ちょっと論理的な視点というのかなというふうに思って聞いてください。
なので僕の論理は先ほどのケースです。
簡単に包丁が作った人が悪いのか、包丁で傷つけた人が悪いのかというと、
傷つけた人が悪いですよねっていうケースを当てはめるとしたらという論理の進め方をすると、
マーケティングの道徳性
例えばですけど、僕はマーケターなので本業がね、
マーケティングの話をすると、
マーケティングの手法を使って会社の宣伝をしたり、
何かの製品のね、いい部分をきちんとお伝えしていくっていう宣伝をしたりは、
もちろん僕も普段してますけど、
やっぱり一部ね、どこかマーケティングというもの自体が悪いものだっていうふうに
捉えてしまっている方もいるような気がしておりますね。
それはもちろんね、感情的には僕もよくわかるんです。
中には、だから人を騙すためにマーケティングのような手法を使っていたり、
嘘を塗り固めて発信していって、
人の関心を引いて、
自分のコミュニティを大きくしたり、
自分の製品を売りつけようとしたりする人たちも中にはいなくはないね。
それでもちろん本当に事件になるような騙されたっていう方もいらっしゃるでしょうし、
被害に本当にあったという方もいるかもしれませんし、
そういう姿を見ていてすごく嫌な気持ちになった方も中にはね、
まあ、もういると思います。
だってもうずっとこのマーケティングという手法は何十年も使われている手法なので、
で、その中でいろいろ進化したりっていうね、
新しいマーケティングの手法が生み出されたりということもありますけど、
まあ、おしなべてマーケティングという言葉自体やその手法っていうね、
あの手段みたいな言い方をするとすごくなんかテクニック的な嫌な気持ちになる方もいるかもしれませんが、
これを先ほどの包丁の話でもう一度考えてみたいと思いますね。
このマーケティングの話は包丁の話というと、
マーケティング自体はどこに当たりはまると思いますか?
これはまさに包丁を作った人の部分がマーケティングを作った人、
もしくはマーケティングの手段という意味では包丁自体がマーケティング、
マーケティング自体が包丁だとしましょう。
そうすると先ほどの例だと包丁自体は悪くはないですよね。
ただ誰が悪かったかというと包丁を使った人、包丁を使って悪いことをした人が悪いんですよね。
そうするとこのマーケティングの話だとどうなるかというと、
もちろんこのマーケティングという手法を使って悪いことをした人が悪いんですよね。
情報を広く広めていって、自分の目指したいゴールに向かって、
誰かを誘導して何かのアクションをしてもらうというのがマーケティングですよ。
だから広く宣伝して知ってもらって、その中で信頼を積み重ねていって、
最終的に何かのサービスを使ってもらうか、物を買っていただくか、
そういうのがマーケティングの手法ですよね。
その後にまた関係をずっと続けていくというのが最近のマーケティングの手法ですけど、
その手法自体が悪いかというと先ほどの言った通り、
包丁自体は悪くないのと一緒で、その手法自体は悪くないし、
その手法をもちろん編み出した人、考え出した人たちもいますけど、
その人たちも悪いわけではないですよね。
ただその手法に乗せて、嘘で塗り固めた情報を発信して、
嘘で人々を煽っていって、嘘で人々を扇動していって何かのアクションを起こさせるという
悪意を持ってこのマーケティングという手法を使っている人たちが悪いということでね。
ここまで言うとわかるんじゃないかと思いますけど。
マーケティングもう一度ですけど、マーケティング自体はとてもどんな会社でも使ってますし、
皆さん個人も無意識なりに含めて使っている手法です。
手法自体は悪くないですし、この考え出した人たちも悪くないです。
ただ悪いのは悪意を持って、もしくは無意識に悪い方向に使ってしまっている人たちも含めて、
結果嘘で塗り固めたり悪いアクションを起こさせていっている方たちが悪いという結論でね。
なのでマーケティング自体はクソではない。
クソなのはそのマーケティングを悪意を持って、もしくは無意識に悪いことに使ってしまっている人たちがクソだということで。
包丁はクソではない。
クソなのは包丁を悪く使った殺傷事件を起こすような人たちが悪いということで、
結論とメッセージ
今日のお話は以上とさせていただきます。
どうですか、こういう話は全部僕は今、理屈的に言っていて感情は度外しているとは思うんですけど。
まあね、理屈で固めすぎてはいないですけど、
こういう考え方も視点も一つあるんじゃないかと思って、今日の話を撮らせていただきました。
また、こんな周りくどい話をね、チャー研では細かくはしてないんですけど、
一応僕がチャー研の中で言ったお話の意図を丁寧に説明するとしたら、こういう話になりましたということになります。
ということで、ぜひ皆さん、手法が悪いわけではないということで、切り離して考えていただけると嬉しいなと思います。
以上です。
悪いように使った人が悪いです。
ということで気をつけていきたいと思います。
それでは行きます。
チカラチャンジ!
今日も力あふれる一日を!