うんうん、確かに。なんかさ、人間とはものさしであるってすごい面白いなと思ってさ、なんかやっぱり結構ものさしってさ、いろんなものを測るためにあったりとかさ、その基準みたいな形の考え方だったりするじゃん。
で、ちょっと記憶がおぼろげなんだけどさ、なんかものさしってさ、まっすぐなイメージあるじゃん。
だからまっすぐなものを測るみたいなものに使うものなのかなと思ったけど、子供の頃さ、うちにひん曲がったものさしがあったの。
へー。
斜めになってるみたいな。
それはなんか、もともとそういう形状ってこと?
そう、もともとそういう形状だったんだけど、でも俺の中のものさしはさ、まっすぐなものってイメージがあったから、これ何に使うんだろうなみたいなのをずっと思ってたのよ。
で、なんかうちの母親が服を作るのが結構好きだから、なんかその服のパターン作りみたいなものにどうやら使うものさしだったと思って、
ちゃんとそのものさしにはそのものさしの使い方みたいのがあるみたいなのを知ったのを今の話を聞いてちょっと思い出した。
なんかそういうのを、人それぞれの自分のものさしっていうのを時にこういう風に曲げたりとか伸ばしたりとか、なんかそういう感じで点検したりとか修理するみたいな、そういうことなんだろうなーっていうのをちょっと感じました。
そうだと思います。
っていう感じで、そういうことを意図した本でもある中で、中身としてはその哲学ってどういうところから始まったんだったっけみたいなことからまず本としては書かれていて、そこから哲学とは揺らぎであるみたいなね、章が前半に出てくる。
哲学っぽいね。
今んとこ分かんない、何もどういうことみたいな感じなんだけど、でもなんかこのあたり最初の方で哲学についていろいろ話をしている中では、結構私として印象的だったのは、なんか結構その哲学って異文化交流の中で立ち上がってきたものだよみたいな話があるんだけど、
なんかその中でやっぱ異文化の人たちが集まっていると、それこそ物差しも文化ごとにあるからこそ全てが唯一絶対ではないっていう環境があると。
ってなった時に結構元々例えば神話とか宗教とか、なんかあの山にはこういう神様がいてねみたいな、この村はあの神様に守られてるんだよみたいなことを言われてずっとそれが世界だっていうふうに信じていたけど、どうやらその他の文化では海の神様がいるらしいとか、
うちの村ではこういう魔物がいるらしいとか、それぞれのその文化の中で、そもそもそういった言い伝えられていることが違うからこそみんなカルチャーショックが起きて、じゃあ本当ってどうなんだろうねみたいな、本当の男はどうなんだろうかみたいなことが立ち上がってきた中で、ある種その理屈で勝負するゲームだよっていうふうに言っていて、
例えば宗教とかだったら、もうこれが世界はこうなってるんですよっていう説明をもうその宗教がしてくれてるものをそうなんだ、それを信じるっていうことが大事だったりとか、あとはなんか権威とか権力とかが強いなんか世界観、王族の世界観とかだとその王様が言っていることが正解であって、それにどれだけ従うかっていうのが大事だったりする中で、
哲学っていうのはそういうものを全部横に置いて理屈だけで勝負するっていうことを哲学だっていうふうに言っていて、なのである意味どんな立場の人にもどんな人にも開かれているものが哲学だよっていうのをこの最初の章では言っていて、なんかそれがすごく印象的だったなっていう
ロジックってことね
そうそうそうそう、だからロジックが通っていてなるほどねってなればその理屈はなんか評価される
なんかそれが異文化交流であってもみんながなるほどねってなるものが哲学だよって
そうそうそうそう
だからなんかこの文化だとそうだけどこっちはそうじゃないよねっていうものは文化特有のものであって、でもみんなに共通することの真理としては何なんだろうかみたいなことを問うようなことができるのがその哲学でもあるし
でも同時にその絶対的な正解がある、その真理があるっていうふうに考える人もいれば
全ては相対的だよねっていうふうに考える、みんな人それぞれだよねって考える人たちもいたり、そういうのも哲学の歴史の中でいろんな考えとか思想が立ち上がってきて
その中でいろんな自然科学の方に行ったりだとか文化人類学の方に行ったりとかいろんな方向性に探求というか研究が進んでいっている中で
でももともとはそういうみんなに開かれている理屈で勝負するゲームなんだよっていうふうに最初導入があるような感じです
めっちゃおもろい導入だね
おもしろい?
なるほどなーってすごい引き込まれる感じがして、でもその中で同時に本当にそうなんだろうかみたいなちょっとした問いみたいのも生まれるみたいなそんな気分です
いいですね、本当に歴史上いろんな人たちがそれって本当にそうなのっていうことを言い続けて積み重ねてきた歴史が苦悶の歴史なのかなって私は感じていて
そう思うと例えば今本の中で全て紹介できないからどういう問いだったりテーマが主にヨーロッパの哲学史の中で出てきたのかみたいなことを結構本の中盤では紹介されているんだけれども
例えば科学ってどういうものなんだろうかみたいな問いだったりとか、絶対に正しい知識ってあるんだろうかとか、あとは科学によって世界のことを説明できるか
例えば宇宙の始まりってなんだったのかみたいなものって、例えばビッグバンみたいなのかみんなのなんとなくね、なんかこうギュッてしてバンってして始まったみたいな
なんかそういう感じあるじゃん、すっげー雑だけど。もうじゃあそのビッグバンを起こったのは何なんだっけみたいなことをやるともう永遠に問えちゃうよね
永遠に行けちゃう
そうすると次究極の問いってどういうとこに行き着くんだろうかみたいな、その究極の問いって始まりの始まりの始まりの始まりのってなるから
もう永遠に果てしなく行っちゃうっていうのが、なんか人間の思考としてあるよねっていう
確かにね
なんかこう問うてみたりとか、なんかそういうふうに考えていく中で、なんか例えばそのこういうことを考えちゃう人間について考えた人とかもいて
なんか人間に自由な意思ってあるんだろうか、いや存在しないんじゃないかみたいなことを問うた人もいるし
あとはなんかこう人それぞれだよねみたいな、なんかこの相対的な観念に行き着いた時に
なんかこの主観は客観に到達できないみたいな、ちょっと哲学っぽい難しいことでもあるけど
なんか主観って結局自分の認知から外に出れないから、なんか客観視って本当の意味ではできないんじゃないかとか
そういうことだったりとか、あとはなんか物と心どちらが根本か、何が大元なんだっけみたいな、根本にあるんだっけみたいな問いだったり
あとはなんか夢と現実は違うって、これもすごい面白い問いだったんだけどさ、なんかどこまでが夢で、どこまでが現実で、なんか夢の条件と現実の条件って何なんだろうかみたいなことを考える人がいたりとか
みたいな感じで、なんかさ、今聞いた中でもさ、絶対これだよねみたいな、なんか1たす1、絶対2だよねみたいなものってなんか問いとしてあんまりないと思うよね
だからこそ、なんかそれを説明するためにいろんな大人たちが一生懸命詞を振り絞って、これはこうだからこうなんですっていうのを積み重ねた歴史がその哲学史だよっていう
いやなんかそれめっちゃおもろいよね、なんかさ、ぶっちゃけさ、こんな言い方するのもあれだけどどうでもいいなって思うから、今言って書いたこととかさ、なんか生きるにあたって何が必要なのかって思うと正直どうでもいいなとは思うんだけど
でもなんかそういうテーマに対してめちゃくちゃ本気でさ、1人の人が人生かけてさ、勉強してたりするわけじゃない、なんかめちゃくちゃおもろいなって思う
本当にね、なんかやっぱさっきの異文化交流の中で立ち上がってきたっていうところと、やっぱりその哲学がその没効したりとか反映するのってやっぱりある程度その生きるのに困らない時代だったりとか
明日食べるものを考えなくていい時代、やっぱ戦争とかすごく情勢が不安定な時って、不安定というかそのとにかく生きるために必死だっていう時代においてはやっぱ哲学ってそんなことよりさ、今日の飯みたいな
確かにね、戦争しながら夢と現実みたいなさ、考えないもんね
考えない考えない、だからこそ哲学ができるっていうのはある種すごく豊かであるっていう証拠でもあるのかなとも思う中で、そういうことを考えちゃうのが人間なんだなっていう
そうね、でもアリストテレスの時代から哲学みたいなところの概念って生まれたのかなって勝手に思ってて、あの時代はすごく平和だったじゃない、やることないからみんな哲学士らしくみたいなそういうイメージがあって、逆に言うと今とかもそういう時代に差し掛かってるのかなって思うんだよね
なんかちょこちょこその紛争地域みたいなところもあったり、戦争してるところとかもあったりはするけどさ、なんかそれこそ今こう物にはあふれかえっててさ、生きるのにはそんな困ってる人もいるかもしれないけど、全体的に見るとやっぱり困ってる人の方が少ないのかなって思うと、なんかこういう哲学みたいなところのこの土壌がふかふかしやすい環境なのかなみたいな、そんな感じはするよね
なんかまあその観点で言うと、その何だろうな、その豊かになってきているっていうところと同じくらい不安定であるっていうのも今の時代の特徴だなっていうのはすごい思っていて、そう思わない、だってなんかさAIでさ、どうなるか分からない、なんか来年自分の仕事があるか本当に分かんないじゃん
だったりとかさ、二次関数的にAIが発達しすぎてとか、で本当にそのいつ戦争起こるかも分かんないじゃん正直、とかあと地震もさ、常に起きる起きるって言われてたりさ、なんかその自然災害もそうだし、戦争とかもそうだし、その技術の発達とか、そもそもその環境的にさ、なんかその地球って持つんだっけみたいなさ、なんかそういう観点もあったりするじゃない
安定はしてないよね、そう言われると
そういう中で、この本の後半の方でも、今の時代って、価値のある生き方、こういうふうに生きるととても良いですよっていう生き方が、外から与えられなくなった傾向があるよねっていうので
例えば、元々キリスト教とか宗教の世界観が信じられてた、それが世界だって思われてた時代って、勤勉に働いて節制して臨時に優しくするみたいなことが良い生き方っていうふうにされていたから、それに習って生きていくっていうことこそが正義なんだっていうふうに思われていたりとか
また日本のバブルの成長経済の中だったら、良い学歴を持って、良い大学に行って、良い就職先について、前方向かって結婚して子供作ってみたいな、そういうことこそが良い生き方っていうふうにある種、外からそういう指標みたいなものを与えられていた時代とか時期っていうものがある一方で
今そういうものが、それこそ問われて、それって本当にそうなんだっけっていうふうに問われて、人のその幸せとか価値ある生き方って人の数だけいるんじゃないっていうふうな考え方の方がどっちかっていうと、今の時代においては優勢な感じするんじゃない?
だったりとか、就寝雇用が破綻してから、一つの会社に勤め上げるっていうことだけが人生じゃないかもしれないとか、そういうことを考える人が増えていくと、次じゃあ何に従って生きていったらいいんだっていうことが分かんなくなっちゃう
から、とにかく危険がないようにとかリスクがないようにっていう方向性にやっぱ思考として生きやすいんだけど、それも別に悪いことじゃないんだけど、自分自身がにとって何が価値ある生き方なのかっていうことがはっきりしていて、かつ自分がそこにめがけて生きているっていうふうに感じられている時に人間っていうのは生きてるって感覚が持ちやすいってことを書いてるのね
だからそれがなく生きているとぼやけるみたいなことを言ってて、なんかこう自分自身が薄い、薄味になっていくみたいな
これめっちゃだってそうだったもん。薄味だった。今めっちゃ濃いなって思うもん。濃い醤油味になった
自分自身が何が価値ある生き方なのかっていうものがはっきりしないまま、そこに自分にとって価値ある生き方を体現できているとか、そこに向かって生きてるっていう実感がない時にやっぱりそういうものって起こりやすくて、そうなると少しドヨンとするというかさ
明るい感じではないというかさ。なんか社会に活気があるというよりはどっちかってみんな自分を守っていく方向性だったり、なんか社会の中でみんなで力を合わせて生きていくっていうことは少し難しくなってしまうじゃないかっていうことも
そういう書き方をしてたわけではないんだけども、そういうことも本の中で話されていて、その中でこのフラットコミュニケーションっていうものとのつながりで言うと、人間って何かの対象を通じて何かを獲得しようとしているみたいな話があって
その中に2つ、2つの方向性があって、1つが自分を広げて拡大していくっていう甲斐が人間にはあるっていう。例えばできなかったことができるようになっていくっていうのがすごいスキル獲得みたいなのってさ、嬉しいじゃん。昨日まで逆上がりできなかったのにさ、今日逆上がりできたってなったらさ、嬉しいってなるじゃん
みたいな感じで、できなかったことができるようになるっていうのは自分自身が拡大していくっていう感覚があって、それはある種、何かをマスターするっていうことは別にこれ人っていうことじゃないんだけど、自分の支配下に入っていくようなことでもある。いろんなことを自分がマスターしていくから操れるようになっていくみたいなものが自分を拡大していくっていう甲斐が人間にはあるよねっていう
甲斐っていうのは快感の甲斐みたいな感じのことってこと?
例えばなんか一つ例をとって、英語みたいなのが対象があったとしたら、英語を一生懸命勉強するのって、それを通じて何を得ようとしているのかみたいなことを考えると、一つの方向性としては自分自身を広げていくっていうことを得ようとしているっていうのがあったりとか、でも全く逆で自分を委ねるっていう甲斐もあるよねみたいな。
例えば、疲れたら母親に寄り添って甘えるみたいなことが書かれてたんだけど、自分のことを誰かに委ねるっていうことも人はその甲斐を感じるっていうふうに言ってて、これは安心したりとかほっとするみたいなことを言ってたんだけど、人間はこの二つの方向性にその甲斐を得ようとしていろんなことをやったりしてるんじゃないかっていうことをしてて。
だからここを自分にとって何を通じて何を得ようとしているのかみたいなことを掘り下げていくと、結構深いとこまでいけるのでおすすめですよみたいな、やってみてくださいみたいなことを言ってたんだけど、これってフラットコミュニケーションで言ってることとすごく重なる部分があるなっていうふうに思って。
で、なんか究極これって何かっていうと、自分のことを理解していくっていうことだと思うのよ。
なるほどね。自分はどういった時に甲斐を得られるかみたいな。
何を通じてどういう甲斐を得ようとしてるかとか何を得ようとしてるのかっていうことを自分で理解していくことで自分自身を深く理解できるよねっていう。
それをここでは別に対話とかは書いてなかったんだけど、フラットコミュニケーションってそれを対話を通じてやろうっていうことをやっていこうっていうことを言っているものだなと思うから、すごく通ずるものがあるなっていうふうに感じてたよっていう。
そっか。できなかったことができるようになるみたいなところってさ、すっごい浅いところで言うとさ、今までメラミしか使えなかったのにメラゾーマが使えるようになりましたみたいなものをイメージした。
ドラクエを知ってる人じゃないと通じないわ。
ドラクエって言ってもらわないと。
ごめんね。
メラに何それみたいな。
なんだろうな。要はレベルアップみたいなものなんだろうなっていうふうなのをちょっと捉えると、確かにここに快感みたいなのを得られるなみたいなところもあるし、委ねてしまう回みたいなところはさ、やっぱりずっと頑張ってるとだいぶしんどくなってっちゃうわけよ。
ずっとレベルアップするために戦ってるとさ、どんどんHPとか削れていくわけよ。
そういうときは宿屋に泊まると回復するわけよ。
そうだね。
俺もゲーム脳だからさ、そういうのを思ったんだけど、確かにこれを繰り返していくことによってすごく得られるものがあるんだろうなみたいなところの感覚はあるかな。
それが自分にとって何かみたいなところは、フラットコミュニケーションとかを通じてさ、そういう自分を知ろうみたいなことをやるから、確かに繋がってるなっていうのを改めて自分ごととして解釈しました。
素晴らしい。そういうフラットコミュニケーションでやっていくプロセスと、この本で取り上げられていることってすごく繋がるなと思う中で、最後この本の構図としては自分の物差しっていうものを自分で作っていこうっていう。
すごくこの本の表現で好きだったのが、自分を作り直す作業だみたいなことを後書きで書いてて、めちゃくちゃ共感するなというかさ、私も大学の時にこの哲学を知って、ここから自分を作り続けてる感覚結構あって。
それを自分一人でやっている部分はもちろんあるんだけど、それを人と分かち合いながらやることの楽しさみたいなのもすごいあるなって思っているから、こういうコミュニティとかもやってるなと思うし。
でもコミュニティとかって結構動質化しやすいというかさ、近しい考えを持ってなきゃいけないとか、近しい考えに共感しなきゃいけないとか、そういう風になるとすごく自分がくっきりしなくなるというかさ、ぼやけてくるというかさ。
なんとなくそんな感じみたいな風になると、すごい輪郭がぼやけるからこそ人との違いみたいな、私はそうだけどあなたはそうなんだねみたいな違いみたいなものも対話していくっていうことがすごく私は大事だと思ってて。
それって他者と開催することによってよりできるようになる部分でもあると思うから、そういうものは哲学で物差しで語られていることと、フラットコミュニケーションでよりやっていきたいこととすごい重なるなって思って。
たしかにね。なんかそもそもさ、今聞いてて思ったのはコミュニティって異文化交流じゃん。まさに。いろんな考え方だったりとか経験してきた人たちが集まってさ、でもなんかいいなって思ってるものだったりとか共通のテーマだったりとか気になるテーマは一緒だからそこに異文化交流してるみたいなものを考えると、なんかやっぱりいろんな自分の物差しをさ、さっき言葉でいうとこの修理し直すみたいなさ。
転検したりね。
転検したり修理し直すみたいな場所なんだなって。
そうそうそうそう。だからなんか、でそれが自分がそうやってやってると、なんか他の人にとってもそれがやりやすくなるみたいなものが、なんかそのコミュニティの力だなっていうふうに思うから、でなんかそれで最後その自分の物差しをね、作っていきましょうみたいな話なんだけど、なんかすごい印象的な表現が、なんか自分の感受性をまずは受け入れましょうっていうことを言ってて。
なんだろう、自分自身がどういう感受性を持ってるのか、何をどう感じるのかみたいなことを、なんか受け入れるのがすごく大事なんだけど、でもそれって結構難しいんだよねみたいなことも言ってて、いやこれもめちゃくちゃ共感するなと思って。
まさにまさに。
まさにまさになんだけど、なんかその中で私がねちょっと黒字で書いたところが、他者が自分の存在を受け入れてるという感覚が得られて初めて人は自分の感受性を肯定できるようになるっていうことを書いててさ。
だから感受性を受け入れるところからまずは自分の物差しって作れるんだよ、作っていくんだよっていうことを言っていて、でもそれって結構難しいことでもあるんだよねとも言っていて。
でもじゃあそれを受け入れていくため、自分の感受性を受け入れていくためには何が必要かってなったときに、他者が自分という存在を受け入れてるっていう感覚があると、自分はこういう感覚だったりとかこういうふうな人間として存在してていいんだっていうふうに思えることが自分の感受性を受け入れるために一つのステップになる。
でなんか私がまさにそのコミュニティで体現したいことを書いてると思って。
これはマジでそうだと思う。俺もすごくここは、ここはでももちろん感じるし、自分の生き方もすごい感じるからね。
ちょっと話すとここから20分くらいかかっちゃうからさ。
ちょっと控えていただいて。またねじゃあシェアカッツのとき。
そうだね。でもめちゃくちゃこれはマジでそうだなと思うわ。
なのでそういうところから、ただみんなで共感し合って仲良くしようということだけじゃない、自分自身の物差しを人間は物差しだってなったときに、それを自分で点検したり修理したりしていく力っていうのを育んでいくのに哲学っていうのはすごく役立つ。
それは本当にそうだなっていう風に感じる中で、このフラットコミュニケーションっていうある種の対話技術みたいなもの、対話スタンスみたいなものもすごく役立つんじゃないかなと思っていて、個人的にはすごくフィーリングがあって、この西賢先生と。
次回からはシェア活という形で、ココメイトにこの本をお勧めして読んできてもらって、3人で話をしていくような形になるので、誰がゲストに来るのかっていうところも含めて楽しみにしてもらえればなと思います。
ということで本編はこんな感じで終わりたいと思います。
ありがとうございました。
今日はココアトピックスの時間です。今週のトピックスは8月のシェアリングディナーを開催します。
シェアリングディナーはいつも基本的にはオフラインでやることが多いんですけど、8月は暑すぎて外に出たくないということで、オンラインで開催しようかなと思ってます。
時間は19時からみたいなところなので、ぜひご飯を食べながら、子供のお寝かしをしながら、耳だけでも参加してもらえたらなと思うんだけど、
例えば、ちょっと内容は企画中なんだけど、いろんなシェア活動を組み合わせていきたいなと思って、プチ遊びのシェア活動とか、プチコミュニティトークとか、そんな集大成?
普通に集まって好きに喋りましょうというよりは、こんなことをしようと思ってるよっていう中にみんなでゲームしたりとか、こういうお題についてみんなで話そうみたいなものがあるよってことだよね。
そういうこと。
集大成じゃないと思います。
そういう企画もいろいろ考えているので、ぜひあの子参加いただけると嬉しいなと思います。
日程はお盆期間になるんですが、8月の11日、これは海の日?
海の日。
土曜日はいつだったっけ?
火曜日だったかな、確か。
火曜日ですね。
大事なところを伝えてなかったね。
一番大事なところなので、ぜひカレンダーを見ていただけたらなと思います。
Zoomで開催する予定なので、お気軽にご参加いただけたらと思っています。
また今週のココアイベントのお知らせです。
8月6日、21時からはココアのシェア活を開催します。
今月はですね、ココアのシェア活はこのポッドキャストのコミュニティバージョンみたいなイメージで、ちょっとお題を決めてゆるゆると話していくような時間で、私たち夫婦とおしゃべりをしていくような時間になりますというところで。
毎月テーマがあるんですけど、今月はフラコミラボについて話していきたいと思います。
フラコミラボ?
初めてだもんね、出すのね。
以前からフラコミ研究所っていうのをスタートしてきますみたいなことを一部の方はご存知かなと思うんですけど、研究所っていうよりはラボだね。
英語で言っただけなんです。
ちょっと肩苦しさをどうやったら取り除けるかと検討した結果、ラボや。みたいな感じになってフラコミラボが爆誕しました。
あとはこのフラコミ研究所のキックオフっていうのを以前7月の後半に開催をした時に、結構その時はまだ内容をどういうことしていこうかっていうのがすごく抽象的だったんですけど、その後いろいろミーティングをする中で、結構具体的にこういうことをやろうっていうところが決まった時に、
これって研究所って感じでもないかもねっていうところもある中で、でもみんなでブラッシュアップしていくっていうところはやりたいから、ちょうどいいかわかんないけどラボがいいんじゃないみたいな。
そんな中身の話からつながってこの名前になったみたいなところもあったりするので、このフラコミラボではフラットコミュニケーションをCocoaでみんなが実践していく上で必要な環境として作っていきたいと思っているので、
ぜひみんなで作っていきたいなと思っている中で、どんなことをやるのかとか、どんなことが逆にと体験できるのかとかそういうことも話していきたいなと思っているので、ぜひ8月6日の21時はCocoaの視野活に参加してもらえたらなと思っています。
よろしくお願いします。