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「バジルとじゃがりこ」的な人生を生きる
2025-06-07 27:32

「バジルとじゃがりこ」的な人生を生きる

人間(生物)は本来、ランダムでファジーなもので、自然環境の中で何かに導かれるように(アフォーダンス)、生きてきたはず

「都市的な生活」が不要とは言わないですが、世界は本来ランダムで、人間はそのダイナミズムの中で生きている、ということを忘れない方がいいのでは

感想

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始まりました、ケアラジです。ということで、今日も配信していきたいと思いますが、
今日は6月6日、金曜日です。今は12時なんですけど、
今日はもう、ちょっと午前中は、休みを取って、
もともと、
なんか予定が入る予定だったんで、
はい、何を笑ってんねんって感じですけど、
開けてて、有給取るかも、みたいな風にしてたんですけど、
まあ予定入らなかったんですけど、ちょっとそのまま休もうと思って、
はい、まあなかなか疲れが溜まってきた感じもしたりとかしてますね。
いやー、という感じで、
まあなんで疲れてるのかって色々あるんですけど、
まあやっぱりタスクが終わってないっていうのは結構ね、僕は結構疲れの要因になってて、
まあ複数プロジェクトがずっと進んでいくので、
もうちょっとでクロージングできるものも増えてきたりとか、
今週も終わりましたっていうものもあったりとかするんですけど、
まあプロジェクトが終わったらまた新しいプロジェクトが始まるもんで、
まあなかなか、まあ一回リフレッシュして、またガッとやろうかなっていう気もしつつ、
5月気づいたら全然休んでなくて、UQも取ってないし、全然休んでないやんって思って、
ちょっと休んでいこうかなと思ってる6月なんですけど、
まあ1年ね、半分が終わろうとしてるっていうところではあって、
うーん、まあ全く何を話そうかはあれなんです、考えてはないんですけども、
そうですね、まあ昨日一昨日と、
あ、昨日今日か、
昨日今日と、まあこの前、
任意団体淡井の皆さんとルチャリブロに行ってきたので、
その感想みたいなのを森本さんとマナさんとケアラジで話して配信してますので、
ぜひ聞いていただけたら嬉しいなと思います。
なんかね、すごい面白い回になってると思います。毎回そうなんですけど、
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やっぱり2人がいることで引き出されるっていうんですかね。
3人がうまくバランスして面白い話になってるなと思うので、
ぜひぜひ聞いてみてくださいっていう感じですかね。
で、なんか話したいことあるかなと。
考えてから喋り出せよという感じであるんですけど、
うーんとね、
まあその3人で喋った時のことをちょっと振り返ってみようかなと思うんですけど、
前編が一人一人がメガトンパンチっていうタイトルと、
後編がバジルとじゃがりこっていうタイトルにしてますので、
まあなんていうか、特に意味はない。
放送内でめっちゃインパクトあるキーワードを選んだっていうだけでなんですけども。
いいですね、バジルとじゃがりこ。
割れながらタイトル。
まあなんか森本さんが、
僕はバジル育てたいんだっていう話をしたら、
森本さんがすでにバジル育ててて、
50g必要で、50g取ったら半分ぐらい葉っぱなくなったみたいな話もちょっと面白かったんですけど、
なんか他のものを入れないといけないけど、それがなくて、松の実か。
じゃがりこ入れてみたっていうのが、
なんかすごい僕的には面白いなと思ったんですよね。
なんか人生なんてそんなもんっていうか、
すごい思ったんで、このバジルとじゃがりこっていうのをタイトルにしたんですけど、
決められたレシピみたいなのもあって、
急に料理みたいな話になるんですけど、
決められたレシピがあって、
なんていうんですか、ちゃんと、
サイズだったりとか、分量だったりとか、
そういうのを測って、毎回同じ味を提供するっていうことは、
この資本主義社会によってはすごい求められていることで、
なんですけど、でもなんか人生ってそういうことでは面白くならないっていうか、
ちょっとジェノメイゼソースにじゃがりこ入れてみたみたいなことがよっぽど大事やんって思うんですよね。
これ僕の感性としては。
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全然レシピ通りの料理を提供することももちろん大事っていうか、
自分の自己同一性を担保するためっていうんですかね。
マクドいったらマクドはマクドだしっていうことも、
それそっちが不必要だって言っているわけではなく、
そういう整備されたものっていうのはもちろん必要なんですけど、
これは配信の中でも言っていることなんですけど、
人間は実は整備されていないっていうことなんです。
肉体も含めて精神も含めて。
同じものを安定する、提供して利益を得るというのはどっちかというと提供側の実は、
提供側の論理な気がしてて、倫理って言ってもいいんですけど。
ほんまかっていう感じなんですね。
家電とかはやっぱり企画通り作ってみんなが平等に同じクオリティの商品を買えるようにするとかね。
だからすごい同じクオリティで同じ品質で同じ企画で届けるっていうのは、
すごい工業化社会のフレームワークだと思ってて、
それが良いものっていうのは大きなボタンの掛け違いの一つだなっていうふうに思って、
ほんまかいなっていう。
それがほんまかいなじゃないので、
おかしなことになっててこんだけみんな苦しい人が増えてるんだと思うんですよね。
だからやっぱり人間っていうのはあくまでも生物なんで、生き物なんで、
すごい四角四面の整った部屋にいて、
なんか差もあるかのようなルートを敷かれて、
っていうことでやっぱり人間の生物としての機能がかなり衰えるわけですよ。
で、なんか純粋にやっぱり生物として弱くなっちゃってるっていうのがあって、
これはだから、なんかメンタルヘルスとかって言って、
その一領域だけフォーカスして考えるのはすごい危険で、
だから僕はちょっと広くやっぱり社会を捉えたいんですけど、
鈴木悠さんの、鈴木悠さんって方の最高の隊長やったかなっていう本があって、
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ある種めっちゃビジネス本っぽい本なんですけど、
僕の考えにすごい近くて、すごい論文とか引用してて、
反学術的、反ビジネス本なんですけど、
もしかしたら嫌いする人もいるかもしれないんですけど、
僕結構面白い本だなと思ってて、
その鈴木さんが言ってるのは、
現代病っていうのは、やっぱり原始から変わってない人間の体と、
その社会との乖離がかなりあると。
それがそもそも健康問題の原因なんですよね。
なのでそこを乖離見ないと、なんかメンタルヘルスとか、
ケアとか、ケアはもっと広い概念なんで、
広い概念で捉えないと、ずっとその絆創膏をあてがうようなことになっちゃうと思うんですね。
で、もちろん絆創膏がめっちゃ売れるわけなので、そういう社会って、
みんな絆創膏を求めて、とにかく血を止血しないと。
でも構造を見ないことで根本原因は変わらないんじゃないかなっていう思いが僕にはありまして。
で、考えてることを発信したりとか、自分の生理のためが大きいですけど、
そういうことをやってると。
で、生物としてやっぱり自分の身体を発達させていくっていうことは必要で、
やっぱり子供がいるんですけど、二人。
次女とかと学校、学童を迎えに行くわけですよ。
で、地上の動きとか見てるとやっぱり面白くて、決められたルートは歩かないんですよね。
うーん、なんか舗装されたコンクリートの道はもちろんあるわけですけど、
そうじゃない道の方を行くっていうか、
まあ、飛び石みたいになってたら、その飛び石みたいなところをジャンプしながら渡っていくとか、
道路と歩道を枝立ててるブロックベイみたいな、ブロックベイって言うかな、ブロックがあると思うんですけど、
そこの上を平均台みたいに歩いていったりとか、
あとは学校の敷地内、端っこ結構木が生えてたりしますけど、
その木の根っこの上を歩いてジャンプしたりとか、
アフォーダンスって言って、自然の中にいると結構ここはこういう風に動こうみたいな、
自然とこう導かれるように体が動くっていうんですかね。
アフォーダンスみたいなものが自然と発生して、いろんな体の使い方をしたりとか、
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することで人間の体って多分発達していったり、いろんな機能が統合されていったりとか、
っていうことがあると思うんですけど、もうとにかくそのアフォーダンスが起きる要素がもう都市的な空間にはないんですよね。
部屋は四角いし、道は道だし、道をはみ出したら怒られるし、ウォールは蹴ってはいけないし、
策を乗り越えてはいけないし、なんかそんな社会で人間が生物としては育たないんですよね。
今ODとか、起立性調整障害の方のODですけど、やっぱりめちゃくちゃ増えてて、運動能力もみんな減っていってますよね。
ご多分にもおれずというか、僕も大人になって働く生活をしているととにかく身体能力が衰えていくんですよね。
よっぽど意識して、自分で仕事外でトレーニングしたりとかケアをしていかないと、どんどんどんどん太っていって、剥げていってみたいなことになるので、
食事気をつけたりとか、僕も若いときはよかったんですけど、38なんで、すぐなんかなりますかね、バーンみたいな。太ったりとか。
ちょっとなんか、生え際やばくね?みたいなことで、あーやばいやばいやばいみたいになってるんですけど、その老いも変化として楽しんでいけたらと思いつつも。
まあやっぱり老いるとね、焦りますよね。でもやっぱりその老いを加速しているのが結構年型の生活だったりすると思うんで。
ほんま電車乗って、あんま乗らないんですけど、サラリーマンのおっちゃんとかかわいそうですよね。
なんかね、何のためにね、あんな風になっちゃうっていうか、うちの親父とかもタバコ吸いまくったりとか、不器用な人だったなと思うんですけど、
なんか文化的な趣味がないから、急に父親ディスを始めるんですけど。
現場の職人の世界って、まあそうなのかもしれないですけど、パチンコいったりとか、そんなのばっかりしてたんですけど、
なんか、そういう年型の生活設計だったり、こう、エビデンスベースドな子育て論とか、いろいろあるんですけど、
まあそれに全く意味がないとは思わなくて、一応統計的にそうなんだっていうことなんですけど、
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統計も、なんかやっぱり研究とかって、ある過程があってやっぱり、こういう見立てとか過程があって、データ取っていったりするんで。
まあもちろん査定があったりとか、いろいろあるんですけど、なんか、今の情報社会になっていろいろ見てると、
もう全くこう、なんていうの、そういうの、論文データを全く気にしない、こう、なんていうんですか、肉だけ食べる人とか、あの、なんだろう、コモユとかってね、なんか、
まあまあ、詳しい説明は避けましょう。
まあそういう、なんか、
そういう人たちがいるわけですよ。
で、他方も論文ベースドな人たちみたいな、論文にこう書いてるからこだ、みたいな、なんか極端すぎるやろ、みたいな。
で、別に論文にももちろん意味があるし、でも、なんていうか、やっぱり統計データであるっていうのは、
まあ統計は最強の学問であるみたいな本めっちゃ入りましたけど、統計はあくまでも統計であるので、トレンドは見れるけど、じゃあほんまにその一人一人見ていったら絶対差異があるわけですよね。
うん。だからそれが100%真実だとも言えないし、その詩的なデータ集めだったりとか、ある程度家庭によって。
で、資金提供団体によっても、こういう研究をやってくれって言って、もしかしたら反対の研究をやったらエビデンスが出てくる可能性もあるけど、
それは資金源によってまた変わってきたりする。これはもうなんていうか、普通に社会人やってれば実情として分かってくる話で。
だから論文が全てだ、っていうのもちょっとアンバランスな気がしてて僕としては。
この両方を見つつ自分の身体を通して、なんかこれ言って実際違くない?みたいなこう思いながら。
両方バランスとるのが自分の身体っていうものだと思うんですけど、なんか両極端だなと思うんですけど。
まあまあとにかくその、人間はすごいノイジーなものだし、ファジーだし、よくわからないものだっていう前提に、
もうちょっと経った方がいいっていうか、軽量して側量してっていうものよりかは、
まあ本当にあの、なんていうかキャリアの理論の中でもね、プランドハップンスタンスみたいな、こう計画的具発性みたいな話もある通り、
ある理論は僕はもう好きなんですけど、好きっていうだけです。
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それが正しいっていうよりかは、僕はそういうスタンスが好きなんですけど。
まあ本当にあれもバジルとじゃがりこなんですよ。
なんかじゃがりこ混ぜてみたらめっちゃうまかったみたいなことがきっかけでキャリアだったり人生って進んでいくと思ってて、
それってすごい偶然だったり、分かんないですよ。
大きな意味で見たら、そういうスピリチュアルな世界観もあると思うし、
なんかそう思うときもあるじゃないですか。
こんなこと続く?ほんまに?みたいなね。
やっぱりそういうタイミングってあるもんで、
そういうときは神様ありがとうみたいな思ったり、
片や封を続きになった神様なんかいるかい?って思ったりとか、
人間って身勝手だなと思うんですけど、
でもなんかもっと人生ってランダムだし、
いかにそのランダムでいられるかっていう方が前提ですかね。
ランダムなんだっていうことをちゃんと前提に据えるってことができると、
もうちょっと心が楽なのかなっていうか、
そのエントロピーって増大するって言われてて、
ほっとくとこうバーって複雑性が増していくので、
人間ってそれをシューッと整えたり、
お坊さんがこうね、さっさっさと毎日掃除してるような感じで、
複雑性を整えていくのが毎日の生活とか、
人間が生きるっていうことだと思うんですけど、
死んだら、それは人間の体っていうのは分解されて、
それは土葬した場合ですけど、
焼かれて自然に変えていったりするわけですよね。
だから、デフォランダムっていう、
なんかガンダムの名前みたいになりましたけど、
ランダムがデフォなんだっていうことです。
もうちょっとやっぱり考えといた方がいいなっていうのを最近思ってることで、
ランダムだからこそ毎日同じことをするわけです。
だから、なんで自分ってこんなに不安定なんだとか、
なんでテンションが上がり下がりするんだっていうのはあんまり、
そっちをなんとかしようと、
元をなんとかしようと思うとすごい苦しくなるんですけど、
そっちが普通なんですよ、多分。
で、そうじゃない定常的なことを正常だとする考えのフレームの方が僕はおかしいと思うので、
これが平均ですって言われるときに、
なんでそこに私は当てはまらないんだとか、
もっとなんてまっすぐ平成に自分を保てないんだと思うとしんどいので、
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とにかくランダムに自分っていうのはダイナミックに、
バイオリズムもあるし、天候もあるし、
いろんなものがやってくるわけですよね。
誰かが大事な人に何かがあったりなくなったり、
活躍してたり、いろんな変数がいっぱいある中で自分は揺れ動くんですけど、
その中でもその波を抑えていく。
時にはダウンしたっていいじゃないですかっていう。
そんな風に揺れ動くのがデフォルトで、
で、時にバジルにじゃがりこ入れてみて、
うわ、めっちゃおいしいっていうね。
僕だったらキャリアチェンジしてみて、
うわ、この仕事めっちゃ面白いみたいなとか。
このスキルを生かしてこの仕事やってみた。
めっちゃ上手くいったとか。
なんかそういうことでいいやんって思うんですよね。
で、もちろん今は資本主義の社会なので、
どっちかというとランダムではなくて、
何かにギューってフォーカスして、すごい成果を出して豊かになったりとか、
任意差をしてお金をちゃんと貯蓄してっていうことは否定はしないんですけど、
どっちかというと僕自身はランダム性が人よりは大きいと思ってて、
そうは見られてこなかったし、
自分でもそういうふうに自分のことを捉えてなかったんですけど、
もう結構バッと飛びついたりとか、バッとエネルギーを出したりとか、
そういうタイプの人間なんで、よりはまりづらい社会とは思ってるんですけど、
とはいえ何かしら自分にカセをはめていくのは必要で、
雇われることであったり、僕にとっては家族がいることですよね。
ここはめっちゃ大きくて、家族のためにちょっとここは抑えるとかセーブするとか、
休みを取るとか、逆にカセをはめていくことで僕は楽になっている側面がありまして、
なんかね、本当に何の話だったっけな、
そのランダムさっていうのも人によって結構個人差はあると思うんですけど、
年齢を重ねていって変わることもあるし、生活習慣を変えたらランダム性が収まっていくということもあると思うんですけど、
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ランダムであることにあんまり必要はないかなっていうところですかね。
むしろそのランダムさっていうのをこの世の中、世界はとってもランダムなんで、
エビデンスで言ってるからこうとかっていうのも、
まあそういう確率、自分が成功するとか確率を高めたいっていう人は、
論文ベースのエビデンスベースのことをやってみてももちろんいいし、
でもそこと絶対差異が生まれてくるはずなんで、その差異は楽しめばいいし、
逆に僕みたいに論文と全然逆のことをやったりみたいなことでもいいわけです。
そういう世界で起こることを自分の目で見てみたりとか肌で感じたり味わったり、
そういうことのために人間って生きてるはずなので、
なんかエビデンス学校でこの道を行けば成功して平穏に経済的にも安定して、
豊かな世界、人生を生きられました。終わり。
っていう人生おもろいかっていうね。
まあそれでいいんですっていう人は全然いいんですけど、
もっと人生をせっかくこうやって生きてるんで、
僕は75歳までは生きたいなと思ってて、
これは僕のおじいちゃんが死んだ年で、
僕の両親は結構早く死んじゃったんで、
自分の親よりは長生きしたいなと思ってるんですけど、
75歳くらいまでは生きたいと思ってます。
孫がね、生まれるかはちょっとわかんないですけど、
孫が大きくなったな、いやーよかったな、パタっていう感じの人生だったらいいなと思うんですけど、
その中でやっぱりいろんなことを味わいたいし、
自分だからこそ何か見れるものだったり味わえるものをしっかり味わうっていうことを考えたいなと思っているので、
人生をバジルとじゃがりこみたいにね、
組み立てていくのがいいんじゃないかなと思って、
ケアラジの前回のタイトルをバジルとじゃがりこにしたという長い説明でございました。
ということで、もう行かないといけないんで行っていますが、
皆さんもしかしたらこの気候、なんか気温あんま上がってこないですよね、なんですけど、
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健康に気をつけて、健康は土台でございますので、
もしよかったら鈴木悠さんの最高の体調とか呼んでもらえるといいかなと思います。
あとお酒はやめたほうがいいです。
お酒やめてから非常に僕は健康になりましたので、当たり前やろって話なんですけど。
ということで終わります。
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