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LLM時代の言語運用について
2026-08-26 25:47

LLM時代の言語運用について

AIによって言語活動は統計的臨界点へ/テクノロジーは人間の機能を代替していく/ラベリング的な運用/身体を通った言葉/2010年は総括すべき(2010年代の特殊性=エモ文体は感情ラベリング=ストレスコーピング/「ケア文学」の欺瞞/現実から感じたものや人生の連続性から言葉を紡ぐ=モデリング的言語運用が人間の生きる道

感想

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始まりました、care-radioです。ということで、今日も配信していきたいと思います。
今日はテーマトークというか、していこうかなと思うんですけど、シンプルに言葉の使い方みたいなところを結構考えていて、
それをちょっと整理がてら話しておこうかなという気がして、今朝コーヒーを入れながら配信しておるというところですが、
言葉の使い方ってすごく広いテーマなんですけど、これをなんで考えたかというとですね、こういうポッドキャスト自体も言葉を使ってやってるわけですけども、
先週の日曜日かな、日曜日に遠藤幸太さんって、もともとライターさんをされてて、本も出されてるんですけど、
僕は死なない子育てをするっていう、あった生涯と家族の物語、創言者さんから出てますんで、ぜひ興味ある方は読んでいただきたいなと思うんですけど、
で、幸さんと半年に1回とか四半期に1回ぐらい、意見交換っていうか、お互いの現状であるとか、今こういうふうに考えてて、こういうふうにしようと思ってるとか、
仕事のことであるのか、世の中で今気になってるトピックみたいなところを意見交換して、結構3、4時間ぐらい毎回お話ししてて、興味関心がすごく近いっていうのと、
世代も、幸さん僕の3つ下ぐらいなんで、もちろん内容を詳しくここでは言わないんですけど、やっぱりすごい毎回いいインスピレーションがあって、そのまま配信したらめっちゃおもろいんちゃうっていう感じの内容なんですよね。
ただやっぱりプライバシーのこともお互い喋ってるんで、ただそのエッセンスを僕も残しておきたいなと思って、ノートは書きながら話してるんですけど、それこそ言葉にしておきたいっていうので、
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ちょっと喋ってみるって感じなんですけど、あんま時間ないんでショートサイズで行くんですけど、どっちかっていうとAIですよね、LLM時代の言葉の使い方っていうタイトルがいいかなと思いつつも、
AIって何なのかっていう話ですよね。実際はいろんな統計的な計算がなされてると思うんですけど、要はデータとしては人間の言語情報をむちゃくちゃ集めてパターン化してるわけですよね。
こういう問いが来たときはこう回答するのが一番統計的に有意であるという結局はその確率論なんですよね。僕の理解が正しければ。そのためにデータをめちゃくちゃ集めているということですよね。
で、学習させて。一体もう人間の言語活動っていうのが、そういう意味でもうある種限界に達してるっていうか、もう飽和状態になってしまったみたいなところがあって。
なので、人々はAIを逆に使う側になってるわけですよね。過去の情報の人間の情報の蓄積なんで、LLMっていうのは。そこに聞けば、君たち人間はこう回答してきたよ、過去。これが一番確率高いよっていうような言葉が出てくるっていう。
統計的な言語の使い方で。それは人間の言語活動の中でもちろん、一個人としてもやってると思うんですよね。
あの時こうやったからこうしようみたいな。
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うん。
で、よく言われるのが、その身体制っていう部分ですよね。身体。もう人間には身体しかないみたいなことですけど。
とにかくやっぱりテクノロジーっていうのは、人間の何ていうか機能みたいなものを代替していくんで。
例えば移動みたいなものも、当たり前のように車、自転車、電車、新幹線ってね。そういう機能で代替してるわけですよね。
これはもうみんな歩いてたわけですからね。江戸時代とか多分ね。みんなでずっと歩いて旅行してたわけでしょ。
で、あとは何だろう、物書きもそうですよね。
転写、人間が人の手で転写してたのが、それがその自動印刷みたいな。
歴史を遡ればもうちょっとね、こうあるんでしょうけど、もうちょっとこうアナログな時代から。
もう今はもう印刷なんて一家に一台プリンターがあるわけですから。
そうやってテクノロジーっていうのは人間の機能を代替していくわけなんですけど。
で、通信っていうのが出てきて、通信はどっちかというとテクノロジーをさらに進化させたって感じですよね。
もう手紙みたいなものから、もうそれを超高速化するためにインターネットという技術が出てきて。
で、もう言語情報と動画も含めて、音声データも含めて、あらゆるものが一瞬で接続される時代になったと。
で、最終形みたいな感じでAIが出てきて、ワールドワイドウェブっていうぐらいなんです。
インターネットの登場もLLMの機能開発にもちろんのこと大きく寄与してるわけですよね。
そこから情報を集めてきたりしてるでしょうから。
ってなって、もう最終人間の言語活動までが代替されようとしているということです。
それを一方的に批判するっていうこともできるんですけど、この流れは止まらないんですよね。
それは資本の力っていうのもあると思うし、人間のやってることを代替させていった方が資本は大きくなるんで。
より作業とか仕事の効率が上がるわけですからね。
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ただそんな中でじゃあ僕たちはどう、奪われかねない言語活動、新体制もそうですよね。
あらゆる人間が生きていく上で必要な機能っていうのは最後の砦ですよね。
言語活動だったりクリエイティブなもの、生成AIも出てきてるんで、これどうするっていう話なんですよね。
やっぱりそこを向き合って考えておかないと、本当にアノミーですね。
無気力状態の人がたくさん出てきてしまうんじゃないかなって。
だって人間やることないやんってなったら、もう無気力ならざるを得ないですよね。
じゃあ何やっても一緒やんみたいな。
新体制みたいなこと言われてるわけですけど、どうなんでしょうねっていう。
確かに人間の身体っていうものは大事になってきそうですよね。
ただ何か突き詰めて考えてる人意外といないのかもなと思って、
新体制だよねっていうことは言ってるけど、
じゃあ具体に新体制を伴う言語活動って何なの?みたいな。
そこでちょっと甲さんと喋った後に、同じようなことを喋ってて、
僕はこういうことかなと思ったんですけど、
ラベリングする機能がありますよね、言語ってね。
こういうのは言語学を掘っていけば、もう実は答えなんて出てるのかもしれないんですけど、
あるものにラベルを貼ると、これは犬ですとか猫ですとかね。
ですけど、人間の言語活動っていうのは結構ラベリングに使われてるなと思うんですよね。
世の中のいろんなニュースとか概念が出てきますけど、
そういう時に、これはこれです、みたいな、暴論ですとかね。
いわゆる認知負荷を下げるためにラベリングをすると思うんですよね。
認識するために。
この認知負荷っていうのは結構キーワードかなと思って、認知的負荷っていうのは。
なんかわからないものが登場したときに、とりあえずわからないっていうラベルを貼る。
わからないだったらいいんですけど、なんかわからないって言えない空気感みたいなのがあるから、このSNSの時代。
もうちょっと攻撃的な言葉で相手をラベリングしたりとか。
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例えば左翼とか右翼とか、そういうものがほんまに最大のものですけど、
そういうラベリングを主とした荒い言語運用みたいなものが、SNS時代はもうめっちゃ増えてますよね。
これはストレスコーピングとして必要なんですけど、認知的負荷を下げるために。
ただ、やっぱりそれって現実を映してるわけじゃないので、
いずれしんどくなっていくだろうなと思うんですよね。
他方でラベリングじゃない言語運用って、何なんていうと、
そこで身体性が初めて出てきて、やっぱり自分の体を通しているっていうことですよね。
同じラベリングであっても、身体性を通しているっていうのは、
実際現場を見るとか、その人の話を聞くとか、
そういうことを通して出てきた言葉って、全然違うんですよね。
LLMでも同じ答えは出るかもしれないんですけど、
真実性っていうんですかね、を帯びるし、
それは自分の中で一番帯びると思うんですよ。
それが本とかで読んだ人も伝わるものがある気がしますよね。
その身体性とか体を通るみたいなキーワードで考えていった時に、
ライターの話をしてたわけですけど、
ライターの仕事って、
ライターって本当に、
例えば2010年代ってケイクスとかノートの兄弟文みたいな、
すごいエモ文体が流行ったんですよね。
エモい文章。
萌柄さんとかいますけど、
ああいうエモい文章が流行って2010年代って。
そういうエモ文体みたいなものが生まれていって、
あれ何やったんやと思うと、
やっぱり2010年代って本当に、
実はめちゃくちゃ不安定な時代で、
資金がなくなって、
日本も豊かじゃなくなっているなんとなくみんな空気感で感じてて、
っていう時に、
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すごく排斥的な人たちも出てきてとかね。
時代どうなっていくのよみたいな。
選挙もぐちゃぐちゃになって。
やっぱり大量に、
無気力状態の人が実は出てきてて、
どうしたらいいんだみたいな。
っていう時にエモ文体がすごく流行ったっていうのは、
接続しそうっていうか、
ああいう、
エモってエモーショナルですけど、
なんとなく高揚するけど、
真実は見なくていいみたいな。
ことでああいう界隈が、
すごく盛り上がったんだろうなみたいな。
いわゆるケア系の、
媒体っていうのが何個かあって、
僕が好きなやつ、
もあればめっちゃ嫌いなやつもあるんですけど、
なんか上積みだけすくってんなみたいな。
だから2010年代って結構総括されるべきだと思ってて、
すごく特殊な時代だったと思います。
大量のアノミーが発生して、
その人たちがいわゆるラベリング的活動をして、
そこに本来、
何言ってんねんみたいな、
ふわふわしたポエジーっぽいものを言ってたら、
そんなのやってないで働けってなるわけですよね。
時代によっちゃ。
それが商売として成り立ってためっちゃ特殊な時代が、
2010年代から2020年代前半やったんちゃうかなと思ってて、
AIでいろんなものが代替されるっていうので、
ライター業がしんどくなったっていうこともあるんですけど、
僕はどっちかっていうと、
そういうものに浮かれていたっていうか、
みんな干渉地帯として必要だったんですよね。
そういうエモーショナル分体が。
で、なんとなく感情というものに守られて、
福祉とかもすごくいいストーリーになったりして、
現実の日本を考えると、
そういう側面も絶対あるんです。
個々として見た時に、僕も福祉の仕事やってるから、
エモい部分ってあるわけです。
すごく感動的な場面になったり。
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それを言ったら、メディアとして、
それが上積みって僕は言ってるんですけど、
なんか不安とエモ分体で、
みんなに知らせて、
すごくいいことやってるみたいな。
でも、ほんまに真実というか現場にいる人は、
そういうふうに取り上げられたら嬉しいって分かるんですけど、
この先どうするみたいな。
介護現場とか今はめちゃくちゃしんどいんで、
そこまでみんな悲壮感持ってないかもしれないんですけど、
データを見たらしんどいですよね。
絶対もう人足りへんし、
介護が必要な方はむちゃくちゃ増えるしみたいな。
うん。
その時に、うわ、どうするどうする、
ちゃんと解決しようじゃなくて、
めっちゃ頑張ってますね、すごくいいですね、
みたいな干渉剤としてのエモ分体があったと思ってて、僕は。
で、それはまあ、言っちゃいいのかもしれないですよね。
一定の役割を果たしていたのか。
ただ、やっぱり10年続くと、
なんなんこれってなってくるわけですよね。
なんなんこれっていうか、もう現実のほうが悪化していくんで、
もうなんか、エモに浸ってられない時代が今来てて、
で、カウンター的に、
まあ、ちょっとマッチョなものは出てきてるわけですけど、
だから、ちょっと言語をどう使っていくか話に戻ると、
やっぱりそのラベリングっていうのはいいんですけど、
まあ、コーピングでしかないよねっていうことを、
もう一回ちょっと思い出さないといけなくて、
じゃなくて、やっぱり現実、
うん、だから、現実ですよね。
現実、身体性っていうよりかは、
ちゃんと現実を見るっていうことだと思うんですよ。
で、だからベンズを書くとしたら、
身体性vs言語じゃなくて、
もうちょっと広いというか、現実の中に身体性もあるし、
言語分野でも現実的なものってあると思うんですよね。
うん、やっぱ論理とか、
法、哲学とかもそうですよね。
穴は別にこう、法って概念ですから、
ただ、その概念も突き詰めて、
ほんまに現実的に使えるかみたいな検証は可能なわけで、
それは身体性を帯びてないからどうこうではない。
だからやっぱり真実とか現実性みたいなものを、
いかに取り戻すかっていうことだと思うんですよね。
で、そうなった時に、
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身体っていうのはどうしようもなく現実なんで、
いくら絵文句ね、絵文文体を書いてたとしても、
その人の身体を通じて発せられるものとか、
その人が本当に体験してるもの、
AVXの松浦社長が、
いろいろ話題の人物ですけど、
AIに書かせたノートがちょっとバズってましたけど、
あれは別に僕は面白いともなんとも思わなかったんですけど、
そういう人だよなと思ったし、
でもあれは紛れもなく多分現実に近いですよね。
それがライティングの部分が代替されてることに
批判してる人多いんですけど、
文字の流れをさっきみたいに見ていくと、
ライティングももう代替されるんですよ。
これはもうしゃあない。
そこじゃなくて、
結局それが現実に照らしたときに、
ちゃんと表現されてるかっていうところを
人間は見るっていう風になっていくと思うんですよね。
ここはもうちょっと多分価値観がどんどん変わっていくと思うんで、
今の価値観から見ると批判する気持ちも分かるんですけど、
多分10年20年後ぐらいって、
もうみんな普通にAIで文章っていうのは書かせる時代になってる。
ただやっぱりそれが本間なんかとか、
本間なんかっていうのは絶対人間にしかできないんですよね。
だってそれを体験してるのは自分なんで。
だから、
いかに現実に潜っていって体験して、
体験って広げると身体は関係ないわけですよね。
別に何かを見たことだって体験だし、
読んだことだって体験なわけですよね。
だから絶対運動するとか自然に行くだけが身体制を伴うものではない。
ここちょっとあんまり概念を狭めない方がいいかなと思ってて、
そう。
だから僕はラベリングじゃなくて、
モデリング的な言語運用っていうのをちょっと考えたんですよね。
自分が、
もちろんLLMっていうのもモデリングですよ、一種の。
人間ってこういうふうに言葉使ってるよっていう。
ただやっぱりモデリングされたLLMから出てくるのは、
ラベリングなわけです。
ややこしい話なんですけど。
なので、自分が現実から感じたものとか、
その人生の連続性の中で、
こういう時ってこうだよなーみたいなのを、
ちゃんと捉えて、
そう、
24:00
言葉にするっていうのが、
これからのLLM時代の言語運用で大事なことなのかなと思いましたね。
そう。
そうなんです。
ドモン・ランさんの本当のことを書く練習とかが、
それに近いですけど、
あれかなり大衆向けに書かれてるんで、
なんか僕としても、
なんかモノタランって感じで、
あんまり面白くはなかったんですけど、
逆に身体勢だって、
その体を通ってるものを読んだ方が、
本当のことを書くってどういうことかがすごく、
ぐって迫ってくると思うんで、
それで言うとやっぱり僕がよく出してるプシコナウティカとか、
あとは青木みや子さんの不完全な詩書とか、
図書館やまいわけよりもそうですけど、
ゴリゴリ身体通ってるっていう、
その人しか書けないし、
その人が体験したことを表現してる本っていうか、
やっぱり独自のコンセプトになるはずなんですよね。
そんなことで、
整理しきっているかどうか分からないですけど、
一旦残したかったので、
LLM時代の言語運用について話してみましたが、
皆さんはどう思いましたかというのを、
感想あれば教えていただけたらと思います。
それじゃあ。
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