00:00
6イベントの命令となりますので、よろしくお願いいたします。 I would like toinvite you to participate in the 6th event, whichwill be held on February 2nd.
このように、私は2のアクリル板を、ぜひ知らせてください、集まってきてください。 I wouldlike to invite you to look at the 2 acrylicplates.
では、今日の6イベントは、【ケアラジ公開収録】自分の言葉を発する〜新しい公共をつくる〜ということで、Today's 6th event is to make a new public recordof care-radio.
新しいペースをお届けして、いろいろ公共についてお話ししていこうと思っておりますので、 Firstof all, I would like to talk about the publicrecord of care-radio.
すみません、エンジンかかってないかもしれないですが、一応、こういうスライドを作ってきたので、This is a slide I made,
これは良いですね。これは良いですね。全般の人に伝わっていきたいと思います。 This isgood. This is good. This is for the generalpublic.
本日は、【ケアラジ公開収録】ということで、僕が【ケアラジ】というラジオをやっておりまして、Today's topic is the public record of care-radio.I am doing a radio called care-radio.
仕事、家事、出勤、勉強など、みなさん忙しい全体社会を過ごしていると思うんですが、 I am sureyou are all busy in the society,
スピードを少し緩めて、ケアの視点からいろんなことを語っていこうじゃないですか、というラジオを個人的にやっておりますので、 I would like to talk about variousthings from the point of view of care-radio.
去年の9月に放送を開始して、今、No.20まで、多いのか少ないのか、ちょっと分からないですが、続けております。 We started broadcasting in September lastyear, and now we are at No.20. I don't know if it's more or less, but we are continuing.
ラブさんがライブワークをして、オムラジという、これはラジオなのか、ちょっと何かを説明してください。
そうですね。2014年からインターネットで見て、ケアラジオはケアについてということで、定番、しっかりしていると思うんですけれど、 I think care-radio is a standardfor care-radio.
あんまりこういうことについて話そうというわけじゃなくて、近々、きっかけが、2011年、日本の原発事故があったときに、メディチンブンとかテレビが通じなかったということがあったんですよね。
そうしたお金を出して、東京電力がお金を出しているメディアが、工事に行くようになったときに、今まではメディアが言うことを言って、そのまま受け取っていた。
真実というか事実というか、あまり疑わずに受け取っていたんですけど、ただ、そのときに、これはもしかしたら、真実じゃないことか、重要なことがないのかもしれないというふうに、ちょっとそういえば、あれもわかんないな、これもわかんないなと。
03:18
いろいろわかんないことが出てきて、なんか不思議なことがあるな、いわゆるタグじゃないんですけど、あんまり言わないほうがいいよな、みたいなことがあるなと思って、
ちょっと自分が言いたいときとか、わかんないときとか、わかんないというふうに、自明力を作りながら、それで、2019年からずっと配信を続けているというのはここで、
多分580回くらいやっているんですけど、
僕まだ20です。
いやいやいや、回数が多かったらいいわけじゃないんですけど、なんかそういうことで、なんか続けているので、ライフワークをやっているときに言ってもらえるんですけど、続けていますね。
背景などは全然聞いたことがなかったので、そういうことがあったんですね。
でもなんか本当にいろんな人が出ていて、なんかそれこそ話題の面白いものですね。
全然気抜きリズムとして、面白いものを聞かせていただいていますが、
今日、ケアラジオもラジオもこれも企画で行われているということで、ご紹介させていただいております。
ありがとうございます。
ラジオもやっている2人が、今日集まっているんですが、ちょっと簡単に初めての方もいらっしゃると思うので、ご紹介から行こうと思います。
はい、一応用意しました。
ありがとうございます。
結構前の写真なんだよね、だいぶ。
はい、わかりました。
2016年より長谷の東吉野村に在住されたので、
今、27年前かな?
当時は西宮市に住んでいたんですけど、その前は神戸市に住んでいて、出身は埼玉県浦和市ということで、
いわゆる田舎に住んでいた人間ではないんですけれど、ちょっと体調を崩したりとかもあって、
2016年から長谷の東吉野村で人口1600人として、
なんで埼玉県出身の人間が大阪に来たかというと、大学院でそのようにヨーロッパの歴史を研究していたんですけど、
ヨーロッパの歴史を研究し、同じ大学ですけど、関西大学に来たということで、そこからもずっと関西です。
06:12
2016年に東吉野村に引っ越してから就労支援の仕事をずっとやってきまして、
7月末まで就労支援の仕事、途中で社会福祉支援が起こったり、
すごく就労支援の仕事もいろんな意味で面白いなと興味深いと思っているので、
イメージの研究だけじゃなくて、現代社会の特に社会的弱者にされてしまっているような、
僕も会長を崩して東吉野村に引っ越したので、
街で生きるのがしんどいなと思って村に越したというところがあるので、
この人をしんどくさせる街の原理は何なのかというと、
村に越して外から都市を眺めつつ、
これからの社会をどうやって生きていけるのかとか、
どういうふうに社会を変えるように働きかけたらいいのかとか、
そういうことを文章やラジオで発信している人間です。
新刊を作る人になるようにという本が出まして、
建築家の広島裕介さんとの往復書簡ということで、
お手紙のやりとりをしまして、そういう本が出ました。
ちょうど今日発売です。
ぜひ買えますので、気になったらおもいでいただいて。
なんか装着もかわいいですよね。
そうですね、いろいろ色があって。
これ何系ですか?
昔風のクーロー?
クーロー。
シールの色が4種類あって、中身は一緒ですけど。
いろいろ見ながらやっています。
復讐のやりとり、建築のこともそうですし、
美術のこともそうですし、絆さんのこともそうですし、
この社会のつの下みたいなこともそうですし、
いろいろなテーマについて研究しています。
09:01
この話の中からきっとお笑いに出てくるので、
お楽しみにしていただきます。
私は大阪大阪山市というところで生まれまして、
南の方で生まれました。
山散りとか南パーチって言って、
割と文化が濃い地域で育ったと思うんですね。
僕は大学生まで大阪でずっと生きていて、
大阪も大阪も大阪も大きい。
それこそ都市で東京に出て行って、
東京でシステムエンジニアをやって、
同じくしてくるか、同じように体を選ぶとしていて、
収容支援をしている。
サポートステーションで行って、
厚労省の事業なんですけど、
ここで収容支援をさせていただいていて、
こういうプライベートプレイの地域にもいろいろ活動しているので、
お知り合い。
本を読んでくれたんですよね?
そうです。本を読んで、
ツイッターで青木さんと収容支援について喋りたい。
喋りたいなーっていうのを何て言うんですかね。
エアリフで。
それをまさにつぶやいたんですね。
ぼそっと青木さんと喋りたいみたいなのをつぶやいて、
ずっと僕がエゴタをしてて、
喋りたいんだったら喋りましょうよって。
いきなりというか、僕がそんな反応あると思ってないので、
見つけてください。
それはいいんですけど、
それは初めての遭遇というか、
いいんだけど、
で、ティアラジとかオムラジとかにも出てもらったりして、
1年くらい経ったときに、
またエアリフで久しぶりに、
青木さんと喋りたいなーって。
言ってくれないようにつぶやいて、
今度は僕、エゴターチじゃなくて、
何かしないけどついていきなりとするように出てきちゃうんですよ。
つぶやいてね。
ちょうど時間帯も一緒の時間帯についていかないし、
12:02
アルゴリズムか何かで伝えられる。
じゃあしましょうっていうね、興味みたいな。
そうですね、その流れで。
でもとりながら来てください。
ずっと来ていただきたいと思ってたので。
Twitterが繋いでいくというか、
そうですね、今やらないといけないので、
ちょっとだせえなと思ってます。
イーロンラップXのやり方もちょっと違いますよね。
僕らの部分だからね。
一応テーマは東京について、
っていうのと、自分の言うところがすごい大事です。
4年っていう話に、
オムラジとかティアラジとか見えてない。
一応自分の声を発するということで、
長い人が書いてますが、一応読みます。
新自由主義によって裏切り者が承認され、
人々にとどめき者が同意され、
法律が主権問題になっていく。
こうした生きすぎる社会に対して、
奈良の東吉野村で、
鉄道職員が無茶苦労に描かれているのを
信頼する。
実の原理で生きていくことを実践されます。
日常生活に頼りすぎる場合で、
人々に影響する状況について、
全て考えている中、
漁業紙、文字にしてしまえば。
いろいろラジオを収録しているので、
見えない方がいると思うんですけど、
生きづらいっていうのがあるねと思って、
なんで生きづらいんだろうみたいな、
いろいろワードをちぎばめてみます。
スタッフ企業、働いててもしんどいとか、
僕ら就労支援をしているので、
ビッグドリーとかに、
差別の要因もあるし、
データギャップもなくない。
さっき言ってた、都市化による進歩、
自分社の学運の動向がうしんどい、
そういった障害があって、
積極的に考えかけていただいているので、
交流しながら今日のトークを進めたいなと思っています。
15:06
何かここにあるワードでもいいですし、
他のことでもいいですけど、
なんかこれがしんどいみたいな。
最近のことなんですけど、
あんまり社会問題とは違うかもしれないんですけど、
仕事を7月末で一旦終わりにする、
辞めるっていうことなんですけど、
1年前からちょっと辞めたいなっていうか、
ちょっとフェードアウトね。
ちょっと辞めるかどうかは別として、
働き方を変えるとか、
したいなというふうに考えていて、
当時は、
六本木の事業所の管理職をやってて、
管理職だともう一歩上の上司っていうと、
社会福祉法人で、
社会福祉法人で一番トップが上司という形になって、
働いていたときに、
いろいろと働きづらい、
あとは数字のこととか言われたりして、
そこまでの管理職と言われている人は多いと思うんですけど、
いろいろそれによって、
ちょっと僕も、
体がひどくなっちゃったんですよ。
いろんな出方があると思うんですけど、
人によって。
しんどいですが、
突っ込みになっちゃって、
いろんな人がいると思うし、
消えなくなっちゃって、
安いと思うんですけど、
僕も体が動かなくなっちゃって、
今やらなきゃいけないし、
仕事を、
これでね、
職で目をかけると、
一応は思うんですよ、少しはね。
それで少しは思ってて、
でも管理職だから、
現場の周りから、
まあいかんかと思ってたんですけど、
何日かでも痛い、体が痛い。
で、体力3日くらいでした。
動かなくなって、
3日活動するともう、
ダメだ、動けない、みたいな。
おそらく、
限界を超えたので、
体がストップする、
そうだと思うんですけど、
病院に行ったんですよ。
病院?
そう、病院に行って、
で、
内科的にね、
生理学的に、
原因が分からなくなったんですよ。
18:03
そしたら最初の、
内科の先生は、
ああ、そうなんです、痛いんです。
でもね、上がりにくくなって、
足も上がらなくなっちゃってて、
それが結構、結構ダメだったので、
で、聞いたんですよ。
ああ、ちょっと分かんない、分かんないというか、
内科で医療検査してみましょうって言って、
で、結果、検査というのが分かんなかった。
そう、そこで心理学科の
一番先生のところに、
入ります。
結局ね、
その過程で、医療検査する過程で、
気持ちが、
大変ですね、
結構、
9時に行って、2時くらいまで経ったので、
全員の検査にすごい時間がかかりなかった。
大変だった。
で、大変ですよねって声かけてくれて、
声かけてくれたときは、
嫌になったと言いつつも、
ちょっと癒やされるようになって、
すごく、ちょっとなんか、
体の痛みも増しになるような、
感じがしてて、
その総合診療科に、
先生に見てもらったときに、
ああ、痛いんですねと、
体が痛いんですね、じゃあエコーと言います。
これはちょっとよくわかんないけど、
痛みを注射しておきますわ。
痛みがあるということを、
筋肉、
その、
失業しているものから、
逆算して考えるということを、
その総合診療科の先生はして、
で、看護師さんとか、
最初の内科の先生とか、
痛い、痛感を持っている、
うち人間として扱ってくれたんだけど、
総合診療科って言ったら、
痛いという、
箇所、
箇所を運んできた。
すごく感じた。
じゃあその痛いという箇所を、
消しましょう。
じゃあ検査に行ってみましょう。
という感じだったんですよ。
で、心がね、
これは死人だからな、と言われて、
ひどいなと思ったんですよ。
うーん、とか言ってね。
じゃあそこをします。
なんか、
ケアラジオテーマでもあると思うんですけど、
最初の、
人間というか、
原稿として、
文卓される、
前の状態として、
実施してもらっていたときは、
なんていうの、ケアというか、
なんか受け入れてもらっている、
という感じがしたんだけど、
その痛みを持ってきた、
ものみたいに、
悪いものみたいなね、
それを消しましょう、と言った。
21:00
そっちになったときに、
なんかすごく、
なんか、
受け入れられていない感じが
してしまったので、
それがなんか僕、
その控除がね、
されちゃった、
自分みたいに。
それが今の社会の、
ケアを出す、
というのを、
今度は病院に行ってました。
いやー、それなんかすごいね。
腫瘍検査もしているので、
いろいろと
チェックをして、
次は、
検査を受けますよ。
で、検査を受けてもらって、
しんどいと思う。
これなんか、その人を、
その人として、僕は見ていないと
思っちゃった。
僕は何をするか、
よく分からなくなっちゃった。
息子さんと喋りくるか、
で、やはりどうしたっていう。
見ているの、思えない?
思った人、
思わないと、
何か行政にも相談できないし、
でもなんかどこで
こういう話をしたらいいんだろうな、
4人 困った人とか、病気の人とか。
そうですよね。
何か、
反抗を与えるんじゃないけど、されないと居場所がない、社会の中に居場所がない、なんとなくしんどいみたいなのを
なんとなく居心地がついているのかもしれないんですけど、そういうなんとなくみたいなのを受け入れてくれるような
そういう時、余裕があると予想している点、居場所がいらっしゃると分担されているし、自分が分担しているような気分になるし、最善です
僕の場合は、お二人よりも、今日でだけでは寝れないというのがずっとあって
25:05
ただ、そこから今の情報がすごい入ってくる中で、選択肢がめっちゃ与えられてしまっている上に、じゃあ僕はどこに行くのが良かったのかなという迷いの一つがしんどかったんですけど
迷うのが普通なやつだと思う分は、自分の中でずっとあった部分はあるかもしれない
選択肢とか、今までの自分がひっくり返るというのは、やはり大変やなと感じされていることもあります
選択肢が本当に与えられている、それはそれにしんどい
選択肢が読めないということよりも、読もうとしすぎちゃう
読もうとしすぎて、良かると思っていろいろやって、やりすぎて最悪になってしまう
それを繰り返すときは、直近の結果が悪くなる
例えば、自分の仕事だけやるって言うと、そうするともうちょっとこっちもやった方がいいなというのが見えちゃう
27:15
そうするとセーブができない、続いちゃうとオーバーワークになる
その前提は、選択肢がありすぎるというのがある
選択肢がありすぎるから、自分の体調を崩すまで働いちゃう
幸いにも体が弱いので、それを止めてもらっている
その意味で僕は生きづらいというのを感じるし、ちょうどよく働く、ちょうどよく生きる
どうなったらいいのか、常に考えているところで
東吉野村に越した、東吉野村に越していい子を焼くんだと
僕まで2時間かかる
飲み会とか、ちょっと来てよと言われたら、ごめんなさい
行くことができなくなった
物理的に距離を取ることで、選択肢を狭めたんですよね
不可能性を見つかりました
そういうところで
心理的に
接客業とかで、にこやかにみんなに対して
同じように振る舞えたらいいんだけど、できない
そこにどうやりつけるか
ずっと考えて、みんな向いてないからなとか言ってきちゃったらいいんですけど
それがよくわからないと言ってみると失敗して
いろんな人に迷いかけて、ちゃんとできませんでしたみたいなのを繰り返してもらって
できないことが増えているんですけど
できないことが増えたり
自分ができるのはこれぐらいかっていうのが見えてくるんで
僕はその選択肢が多すぎると、すごくわかるんです
30:04
出る出るって話を
東京の前に、東京、東京って
相手が自分を試したい
そういう気持ちがたぶんあったんだろうな
気分が
埋もれた才能があるから
俺、すごいパワー持ってるじゃん
ジャンプ的な感じ
結局、5年経って
このバーベルはもう受け入れられない
気になる
すごい大きい
だからそれを
可能性を見るっていう
天井に
キャリアアップを
し続けるしかない
僕、見えちゃいんでいいんで
言えたらよくなるんですけど
期待されてると
絶対にやりたいんじゃないかと言われちゃうと
終わりましたと言っちゃうと
どんどんいつの間にかキャリアアップしたりとか
いつの間にか
自分じゃどうしようもできないぐらい
流されているというか
運ばれていたみたいな
そういうのはやっぱりありますよね
その就労支援をやるのが自分以外の
利用者さんにも言うし
僕自身も
就労支援をやることで
自己理解が自分でも深まった
気がしますし
自己理解って
自分探しとかとちょっと違ってて
自分探しとかって
どっかに自分の埋もれた才能が
開花する場所があるんじゃないか
みたいなことなんだけど
自己理解とかって
自分のできることとできないことを
整備するみたいなところで
その手、今までは
できることばっかり
自分も求めてたし
世界もそれを求めてくる
気はしたんですけど
できないことも
自分が認めるし
その仕組まとって
33:02
普段に認めてくれる人がいる
それがちょっと苦手ですよね
って言って
やっぱりそうですよね
言えるっていうぐらい
一気に病院に
若干つながった気がしてて
できることでしか見られない
スキルがない
今ではこれにスキルを持っていて
スキルに市場価値が
そこでしか見られない
本当に一人の人間として
組織の中でもちゃんと
見るとしたらその人
これはできるけど
これができない
そういう目指しみたいなところで
そうですよね
そう、そう、そう
平気なフレーズして生きているのが
今の心配だった
そう思いますよね
書いてあるかな
市場価値っていうのが
すごく優先されている
社会だと思っていて
だから
一人の人間であることではなくて
市場の社会に
求められる人になる
みたいなのが
人間であることよりも優先
ただ自分の市場価値を
高めないといけない
商品価値を高める
っていうことぐらい優先してしまって
一人の人間として
体も壊すし
なんかしんどいなって思うし
あとは空気を読みすぎて
もっと読める
そういう生き物としての
人間であることっていうのも
どんどん優先領域が高く
むしろそれを見ないほうが
市場価値を追求できる
っていうのが社会になりますよね
自分を商品化しているっていう
いろいろスライド用意してきて
ここに自分の声が進む
というのが若干近づいてきた
そうですね
そういう自分の商品として
高めていったりとか
すごい自分も死んでもらえちゃう
自分の声が進むっていうのが
36:02
新潮の
そういう牛が出てるっていう
それを受けて
自分の声を発するってのは
どういうことなのか
自分の声を発するっていうのは
さっきの市場価値の話でいうと
番劇したことしか
言っちゃいけないんじゃないかとか
社会に求められていることしか
言っちゃいけないんじゃないかとか
そういうのを無意識に
そういうことになっているので
感じてしまうと思うんですけど
そうじゃなくて
自分の体が発してるっていうかね
管理職だから
頑張んなきゃいけないじゃなくて
死ぬ時は死ぬって言ったらいいじゃん
その社会的な声と
自分の肉体が発する声で言うと
自分の肉体が発する声を自分の声で言ってる
こういう声をちゃんと
どうしたらいいんですかね
自分でも
体がこういう声を発してるっていうのを
ちゃんとキャッチすることも
大事だと
それが大事だし
こういうしんどいよとか
ちょっと手伝ってほしいんですとか
っていう言葉を言ってもいい
っていうのがやっぱりそこであったり
一人でもいないと
なかなかね
本当に空虚に
だから僕も病院に行って
しんどいしんどいしんどい
一人で端っこで言ってても
あんまりそのしんどさって消えないんだけど
しんどいよねって言ってもらえただけで
ちょっと楽になる
なんか受け止めじゃないの
なんか応答性があるみたいな
ポイントとしては
相手の声も
受け取る
その中での関係が良さそうなことを
言ってたとしても
それにちょっと耳をそもらせる
読むとそれも
読む以外のことって
関係ないことって言われちゃうし
そういうのじゃなくて
ふざけないことを静かに思って
その人が何を思うか
読みたい読まない
本と関係ないことも思うかもしれない
その人の発してる声だから
そこには本と関係あろうがなかろうが
耳を傾けよう
修行支援のことですけど
働きたい人が来るんです
ってなった時に
その人は働きたくはない
39:00
でもなんかしたいんですよね
なんかしたいっていうのは
働くって意味だよみたいな
こともあるわけです
その人が働くっていうのは
賃金をもらうってことだけを言うこととして
働くってもっと広い理由があって
賃金をもらうこと
以外のことも
働くのうちに来るよねって言ったら
その人は実は
そういうのを読みたくなってくる
そうですね
それはちょっと
耳を傾けるという
耳を傾けないと
なかなか
自分もそうだし
相手もそうだし
そういうなんか
自分の声を発してもいい社会には
ならないんじゃないかなっていう
思考があるんですね
それと無理矢理公共を
つなげていきたいなと
思っているんですが
そういう場がほんとないんですよね
自分がしんどいとか
言えないとか
これは言えない
言っちゃダメになると思うので
話かなり
飛んじゃうかもしれないですけど
日本で結構
大抵の人が来てて
これは言っていいのかどうか
自分の考えで
おかしいんじゃないのかと思ったときに
受験生に救われてきて
ちょうど今日の季節で
むちゃくちゃしんどかったんです
ようやって来て
内川先生も打つのも経験があって
不義
義理を通すと逆です
不義理をしてもいいのかと思われたら
ラプリンに向かって
不義理すぎて
連絡を拒絶して
そもそもラプリンに付き合いたくないな
やらないといけないなと思って
外国のような
全国の経験を
日本に来て
体験とか
歴史の研究をしたりもするので
42:01
本が人生の中心だと思うんですけど
本の一番いいところは
文章
文が書いてある言葉
本に文が書いてある言葉が一番大事で
漢語が書いてある言葉
漢語が書いてある
それが大事なんですけど
本
僕が本のいいところは
文章
文脈です
さっきの叩くってことで聞いたら
自分の叩くっていう意味違います
文章を読むことによって
自分の叩く以外の
言葉は一緒でも
全然意味が違う
叩く
時代を越えれば越えるものとか
言語が違う
英語だったりドイツ語だったり
古代ギリシャ語だったり
翻訳すると働く
当時の古代ギリシャ語だったり
近代イギリス語だったり
働く
文と例文が違うだけじゃないですか
そういうように
文章を読む
文章を読むよりも
最近は
タイムタイム
早くエッセンスを得たい
本でもDVDでも映画でもそうですけど
エッセンスを得たいっていうので
ようやくしちゃいますけど
意味ないことはないんだけど
YouTubeのフォンドボール切り
文章がいい
文章の中で
文章を受け取ることが
自分を自由にしてくれるんだけど
ようやくしちゃって意味ないじゃん
文章を読む中で
いろんな意味が発見されたり
そういう方向性
そういう方向性
DVDって聞いたら
それはDVDはソースもあるでしょ
それだけど
DVDはソースもなくていいんだ
でもそれは
内田先生との状況が似てて
ぶっ潰すようになった
いきなり
急に市販商が来て
DVDはソースもなくていいよ
って言って
45:00
嘘で
あいつにシャラッとなるわけじゃん
そういうときに本の
新しい本
何ページくらいの本ですかね
240ページくらい
260ページくらい
その260ページを
僕も
全部1本1本
本の中で伝説する
最初に
読み始めたときの想定と
最後の考えは違うし
正確な読みっけんは
100%正確な読みっけんは
存在しないと思っていて
漢語の意味を間違えちゃったりすると
それはちょっと違うんだけど
言葉ってやっぱり
歌詞的なもんなんで
ちょっと自分
この文章から受けた感じが違う
全然いいわけですよね
だからあんまり
間違えないように文章を読もう
それもしなくていいと思うんですよ
後ろから読むとか
全然しても
文の本でも
うちの奥さんも
推理小説一番後ろから読む
安心するからね
確かに安心は
じっくり読む
そうそうじっくり読む
一つ例外はね
読み返されるといいんですよ
映画とかだと後ろから見るのはなかなかできない
できることはないけど
それは映画から
その辺は自由ですよ
絵とか読み返すと
全然違う感じ
自分が変わってるので
めっちゃおもろいじゃん
逆にどうもしたくない
でも
なぜよ
昔はサイミックのせいだと
今読んだら全然おもしろくない
車の髪
人間的成長しているのは
おかしくはない
そういう体験
でもそれでいいんだと思うんだよね
でもだって
今の小学生や中学生も
僕もこの前だって
西宮のモスバーガーに入って
ちょっと時間潰してた
中学生の声が聞こえてきて
パオパイパイだろうとか
え?
まだそんな話してるの?
すごいな
ドラえもんだってそうだし
アンパンマンだってそうだし
クラシックかクラシックというか
その年代の子たちが
好きなものってあるわけですよね
そこを
いつか卒業して
48:00
行くし
って言うので
やっぱり
何の話しちゃっても
全然おもしろくない
二股で筋肉もついて
友達もいますし
そうですね
それが本の
いいところだから
僕は図書館
大学でちょっと
書いたときに
大学図書館の本の要素って
その
人によって
受け取る価値が
違うことなんですよ
にもかかわらず
貸し出し点数が
少ないからという理由で
助成金をしてしまう
っていうのが
結局
点数が多いと
みんなが好きな本を
残させましょう
そうすると結局
なんでみんなが好きなの
大体みんな
似通っていく
違うものもあるんだけど
貸し出し点数が
多いものだけ残しましょうと
すごく意味の価値観に
合わせざるをえない
本の一番大事なことっていうのは
いろんな人が
自分自身の価値を
自分自身が
この本から価値を受け取れる
っていうことなので
できるだけ年代が
そういう本を送ることが
一番いいんだと思います
セイントセイヤ面白いって
言うわけです
だからほら
セイントセイヤから入って
原写神話に興味を持って
古代原写史を研究してます
っていう人もいるから
つまらなかった
悪い人もいれば
人それぞれ
いろんなテーマがあるし
難しいテーマもあるし
民主主義について
繋がる気があるので
知らないですけど
地域の情勢である
公共の場所で
きっとそういう場所なんだ
それをこういう公共の場所とかに
51:15
できます?
できます
伝わりました
自分の声を集団的な
人並みにつなげていく
っていう感じですか
多分民主主義じゃないのかな
僕が最近読んだ本
親父でも喋ったんですけど
文化人類学者の
ベイビート・グレーヴ
ブルシッド・ジョブ
ブルシッド・ジョブ
この人が
明確なタイトルが出ちゃったんですけど
民主主義の非西洋
起源について
非西洋
起源について
本を書いてみました
民主主義の源流ってどこで
古代ギリシャの話になるんですよね
古代ギリシャの
時代もそうだし
近代までずっと
民主主義って言うのは
ギリシャでもそうだし
民主主義ってそんなに良くないの
古代ギリシャの
民主主義がいいよっていう時代は
ちょっとだけあったんですけど
ペルシャ帝国っていう
共産党の敵をやっつけた時
それをみんなで一致団結して
やっつけた時に
民主主義っていいよね
一緒になったんですけど
その後結局強いリーダーを求めて
そのリーダーに
督促していくことになるので
みんなで決めましょう
みたいなのも
基本的に良いことはそれに決めて
でもその近代以前は
基本的には
民主主義ってのが良くない
民衆って
自ら
言ってくれる
大船とか
貴族
立人皇帝
っていう言い方もするんですけど
リーダーが
いくに頭がいい
リーダーがいかに
統制を取ることができる
っていうのが求められた
種類なんですよ
近代以前のね
近代になると
国民国家ってのが出てくるので
国民一人一人
ようになってくる
そうすると戦争で協力したんだから
俺にも権利をよこせって
普通選挙に
54:01
流れていって
それが民主主義のベース
って言われているんですけど
そのグレーブリーは何を言っているかというと
グレーバーが言う
民主主義っていうのは
アナティズム
アナティズムって
グレーバーの言い方が
一人一人が
自分の力を
出して
できるだけ水平的な社会を作る
権力関係がない
民主主義っていうのは
権力関係がない
みんなで何か作っていきましょう
みんなで決めていきましょう
みたいなのが本来の民主主義
ただ近代国家
それが選挙
議会があったり
大統領がいたり
総理大臣がいたり
既に権力関係があるじゃん
だから実は
近代国家と民主主義って
相性が悪いんだよねって話を
グレーバーがした
民主主義のイメージが見られましたね
選挙のイメージ
民主主義って
思わず言ってくれましたよね
そういうのが
民主主義だと思っている
選挙で
負けた
付けられる
勝ってみたら
選挙で勝ったんだから
有権者の
信任を得る
だから何やってもいいんだよ
今なんて言うんですけど
グレーバーが言う民主主義っていうのは
本当に民主主義やってるんだから
ちょっと意見が
違うんだけどなみたいな意見を入れて
勝ち負けが出ないはずじゃん
勝者も敗者も
出ないはずじゃん
のを
グレーバーが言うので
それって実はアナキズムだ
アナキズムって言うと
政府主義で
国家を転覆させるみたいな
大正時代の
大好きさから
そういうイメージになっちゃったんですけど
今の
アナキズムというのはそうじゃなくて
確かに本来の民主主義
一人一人の意見を
一人一人が
自分の持っている力を
持って社会を持ち寄って
良い社会を作っていきましょうみたいな
グレーバーが言うアナキズムだし
モニクスの言う
アソシエーション
一人一人の力を持ち寄って
運動ではないけど
社会を作っていく
ということで
民主主義というのが
57:00
選挙して
負けたんだから
仕方ない
何やってもいいでしょ
みたいなのが今の
国政もそうだし
自分の
地方自治体の政治も
そうだと思うんですけど
染めてしまってるっていうのは
ちょっと
それ自体
確かにそれが今の民主主義の
あり方ではあるんだけど
違う民主主義もあるんだよな
と思っておいてもいいなと
僕はそっちの民主主義の
好きです
そういう
運動をしていきたいな
と思いますね
そういうところを
水平的に
民主主義で
仕込ませていきたい
そんなところですけど
僕は民主主義
なんとか
青木さんの力を
そう考えたの
一応
イメージ的には行政が
やってるものイコール公共
イコール
さっきのイコール選挙制度
こともそうなんですけど
意外とそういう風に
肝づけられなきゃ
こういうのって本当にそういうことなのかな
っていう
いやそうですよね
だから
基本今って
自由ばっかりになっちゃってる
自分のもの
個人のもの
言われてることで
政治家も
二世、三世
二世が
言うでしょ
自慢を引き継ぐ
それって
公共なのに
ほぼほぼ私有じゃない
そこの議席は
私有されてる
ファミリー
っていうことは
国有とかっていうのも
ほぼほぼ
いくつかのファミリーによって
理事られてる状態じゃないの
ファミリーとかフレンズによって
家学園とかありましたけど
あんなのも
そうです
ロッジに集まって
数人の中で決まっちゃってたわけじゃない
写真がね
ありましたっけ
結局は独占状態で
そう考えると
1:00:00
なんか
本来の公共ってのは
誰のものでもないんだけど
誰のものでもあるみたいな
いわゆる
最近の言葉でいうと
コモンズ
例えて誰のものでもないんだけど
じゃあみんながみんな
放っておけば
放っておくとそこは崩壊してしまう
元々コモンズって
やむを得ない
共有林
うちの東吉野県にもいますけど
松茸が採れるやつ
そこをみんなで
共有してるんです
大体
採りすぎちゃダメだけど
一回いくら採っておいていいよねみたいな
松茸の山の
再生地
松茸が
速攻の山からなくなっちゃう
ぐらいは損なかったら
それをみんなで共有してる
そういうものが元々は公共
水平的な関係の
公共というものはみんなでやる
だけど日本の場合はやっぱり
神が与えたもの
そういうのが
特に
法ですよね
法ってそういうものだと考えられてしまったので
今は
転換期なのかなって気がしますけど
日本は今までやっぱり公共
というくらい
与えられたものなんですけど
そうじゃなくて
みんなで作っていくもの
だしみんながそこから
受益者にもなってるし
みんなで
義務
支える義務
し権利
そのほうが公共になってくるんじゃないかなと
思っていて
実は
図書館というのも
結構そういう側面があって
1960年代と70年代に
子ども文庫という
日本全国で
8000くらい
家を築いて
そこに誰でも来ていいよと
言って
自分の家の
文棚を公開して
その本をね
自由に読んでもらえるようにして
という活動があって
その活動から各自治体に
図書館を作りましょうという
動きになって
文棚のほうは私有なんだけど
それを開くことによって
公共が立ち上がっていく
という動きが
個人的な
ソロティがどんどんどんどん
広がっていって
それが公共の施策として
1:03:02
続けられていく
そういう
そういうことをした人たちが
声を上げていって
その
行政
言うのも大事なんですけど
まず自分からどんな小さな経験を
作っちゃう
そうすると
自由を超える
公共に触れるような
経験ができるから
そういう経験というのは
すごく
市民に大事なんだと
思います
市民活動って
本当にそういうものだと思うんです
気づいた
地域で暮らしていて
気づいたことを
気づく
そういうことを聞く
こういう問題があるのを
気づいて
活動していく
そういうものだと思うんですけど
なんか
行政に対しても
自分で
言わないといけないことも
すると思うんですけど
自分で力をはじめる
そうですよね
消費者的な
振り返りじゃないですか
自分が100%消費者になっちゃうと
やっぱりちょっとね
それは
これにしかならなきゃいけない
生産者的な側面も持つ
そういう感じですかね
100%
生産者になれば
地球で暮らせるみたいなことになるんですけど
消費者としての
側面もありつつ
市民生活も繰りつつ
自分自身
受け入れるように
なんとかプラントしたり
いいんですけど
その延長線上に僕は押し分けとして
保証官になりたい
うちに
どうせ僕で
消費者になっちゃうと
それをちょっと開いて
押し分けしてるっていう
そんな感覚で
施設図書館はやっているので
それから公共
ちょっとちゃんと繋がったなと思って
用意していたので
ここにも本を持ってきていただいていて
僕まだ読んでないんですけど
僕に近いことが書かれているので
実際に作る人に
それが書かれている
作る人っていうのは
1:06:11
今言った計算者っていうことで
自分の中に
こういう
何かを作る
この作るっていうのも
ニーズがあるという
それを作るんじゃなくて
自分が欲しい
ニーズがなくても
作る
僕もそうなんですけど
施設図書館もそうですけど
施設図書館作ってくださいって言われてないんですけど
勝手に
始めた
勝手に始めるっていうことも
大事なんです
勝手に作っちゃう
でも本当の
本当のイノベーション
iPhone
iPhone欲しいです
スティーブ・ジョブズっていう人がいたから
iPhoneを作ったわけじゃないんですけど
これめっちゃ良いよね
って言うのを
スティーブ・ジョブズが
ジョブズが思ったから
iPhoneができたんだと思うんですけど
それが本当の作る
自分が欲しいと思ったら
とりあえずそれを
作る形にする
もしくは活発する
言葉にする
それは大事な気がしますね
どうしても今の社会だと
さっき市場価値って言うのも
話しましたけど
意味が分からない
生まれることがない
それやっていくらなんだろう
余計なお世話だよ
好きでやってるんだよね
好きでやってるんだってことが
大事です
貴重さがある
改めて
言っていきたいな
というのが
僕の今の
思ってることですね
広島製の
広島ユースペクトの
広告書
そうですよね
そうなんです
広島さんは
言ってましたね
ちょっとせめてもらいましょう
カウント編集
カウント編集も
こちらどうぞ
ライブ君
広島さんは何を
広島さんは
建築家として
建築していく
どういう風に
ものづくりを
しない
ものを作る
広島さんは建築家なんです
1:09:01
僕ら達はものを作る
お互い全然違うフィールドで
ものづくりを
対応して
するという
広島さんの良さって
何かが
かなり
普通は
新平線の
文庫構築なんですけど
それぐらいの
これを書いて
これらの本に書いてないことを
やっぱり知ってた
それが何かなってなったら
やっぱりまずは
二人の経験
それと
広島さんが言ったことが
だんだん出てきて
広島さんの良さかなと思ったので
一応
そこが面白いところだなと
こういう
なんでしょうね
これ広島さんの
手書きの文字
表紙とか
手表紙
手表紙もそうなんですけどね
そういうのもないですからね
手書きのね
手書きの文字をそのまま
表紙に載せるということも
少ないでしょうし
こういうの
手紙に表紙
っていうので
商品
技術
基本に考えている
出版社の
関係
そこに押し込められている
という感じなんですけど
今回はそうじゃなくて
これ開いてもらうと分かるんですけど
1:12:00
横書きになっている
横書きだったり
少年ジャンプの
同じ紙ですね
近い少年ジャンプの
あの時の手触りが
蘇る
蘇る
一緒にやるんだけど
確かに
そういう早朝の
作り
手につかない
これに対しては
そうじゃなくて
デザイナーの人もだいぶ
飛んでいる方なので
飛べる
すごいのがいくんですよ
だからね
想像
想定外
こういう表紙になると
こういう
本の手触りになると
思わなかったし
それって電子書籍じゃできないわけですよね
そういう意味では
文章を書く
人間としては
想定外のことが起きた方が
嬉しいわけです
やっぱり
物として持っているのが楽しい
なので
そういうものができて
すごく嬉しい
嬉しいね
内容も
読んでいただいて
後日版
っていうので
往復書版をやって
読んで
最初から最後まで
読んでいくと
文章と違って
文章だったら
自分だったら
自分はこう思います
相手が
帰ってきて
自分は本当は
こっちに向かって
文章書いて
こういうパス公開したかったんだけど
そっちかい!みたいなのがあったのに
こっちの
プランもあったのよ
そういうことも書いてます
ここはこうだったんだけど
こうしとけばよかったのか
こうしたかったけど
また今度
とか
そういうのも書いてあって
二度おいしいみたいな感じ
嬉しかったよ
生まれなきゃいけない
あのページされてる
宣伝
でも本当に
偶然に生きて
1:15:00
そういう人たちに
生まれて
そうですね
本当に嘘感なんで
僕が具合悪くなくて
救急車とか話してたね
出てきるし
手触りもあるわ
そうですね
ぜひ
最後宣伝が
宣伝です
喫茶店で
事前に話してて
ノープランですけど
間に合わなくても
失敗みたいになる
どの世代しかわかんない
アート出し失敗
Bの時に
Bボタン押しとくと
成功すると
失敗するのだから
最終
1位です
1位ですね
はい
これで終わりです