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【ケアラジVol.21】現代社会での「休む」ということは
2023-09-03 30:03

【ケアラジVol.21】現代社会での「休む」ということは

休むって難しい。

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はい、始まりました。【ケアラジ】です。【ケアラジ】は、仕事・家事・育児・勉強など、日々忙しい現代社会のスピードを少し緩め、
ケアの視点から様々な論点を考察するラジオとなっております。
今日はですね、また一人語りシリーズということで、
前回、青木しんぺいさんをお招きして、
ショコラという庄内コラボセンターという施設で、
公共について語るみたいなイベントをさせていただきました。
それが結構前の話にもなっちゃってて、
7月29日に開催したので、もう約1ヶ月近くが経ったということになりまして、
久々に収録していこうかなと思っておりますが、
今日何話そうかなと思っていたんですが、
淡井の日誌がやっている間の生き方ラジオというのがあるんですが、
僕も出させていただいて、過去回とかも聞きながら、
割と最近は新しいエピソードが出ると聞かせていただいているという感じなんですが、
やっぱり非常に面白くてですね。
前回、いつもこの間の生き方ラジオは、
1ヶ月、リスナーじゃなくて走りデートする人が変わって、
日誌のほかに森本さんという方と、
あと篠さんという方と、
多分3人MCみたいな感じでやっていて、
最後1回は振り返りの回みたいな形で、
各エピソード振り返るみたいな縦告げでラジオをやっておられてですね。
是非、間の生き方ラジオ聞いてほしいなと思うんですが、
そのエピソードの中で、
休むことについてみたいな話が出てきててですね。
何でしょうね、休むって何だろうっていうのは、
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確か僕にもちょっとそれで考えてみようと思って、
今全く何の考えもなしに話し始めてるんですけど、
淡いの中でも休む人のためのカフェみたいなことをやっていたりされていて、
給食中の方であるとか、一時的に仕事をしていない状況の方とかが、
何かフラッと訪れられるようなカフェっていうのがコンセプトだと思うんですけど、
確かに休むって何だろうってすごい、
よくよく考えるとよくわからんっていうこともあるなと思って、
西井がそういう活動を始めたっていうこともそうですし、
今の社会で昔だと、
昔ってどこまで遡ればいいかわかんないですけど、
その休むっていうこと自体がここまで前傾化してくるってことはあんまなかったのかなと思っていて、
あえて休むっていうこと言っていかないと休めないみたいな、
そんな社会なのかなというふうにまず聞きながら思ったっていうところが第一の感想ですかね。
20代の方々があえて休むっていうことを掲げて活動するっていうのが今の時代性というか、
としてあるなというのがちょっと第一に思ったことですね。
一応今僕が思っている休むの、
休むって概念的に結構捉えて話していたなっていう気がしていて、
例えば仕事してない日のことですよね、たぶんね。
例えば労働してる時間、週5日8時間、週40時間働くと。
それ以外の時間だったりとか休日だったりっていうのを休むというふうに、
なんか概念的に定義していることが多いのかなとすごい思います。
その中で僕もパニック障害になって休職して何もしてない時期もあったんですけど、
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森本さんっていう方もおっしゃってましたけど、
一応概念的にというか社会的には休んでますよねっていうことになるんですけど、
休職中じゃずっとだらだらしてるかというとそうではなく、
逆に休めないというか何かしないといけないんじゃないかっていう焦燥感に駆られていたりとか、
なんかほんと休むってそういう簡単ではないなというか、
休職してたんでしょうとかゆっくり休んでたんでしょうっていうことではないなというのも思いますね。
一般的に休むっていうのはそういう労働してない時間であり、
例えばそこから離脱して休職してたりとか、
そういうふうに今語られることが多いのかなと思います。
ちょっと台本がないのでだらだら喋っておりますが、
じゃあ何でそんなに休んでもいいんだよというかね、
そういうのがあるしメッセージ性を持つのかというと、
やっぱりそこは時代性というかがあるのかなと思っていてですね、
ちょっと前に読んだ本でドイツの哲学者のですね、
ヴィンチョルハンさんっていう方がいらっしゃって、
韓国ルーツの方だと思いますが、
その方がですね、今ほんとに何でしょう、
アテンションエコノミーとかって言い方もしますけど、
とにかくいろんな情報があふれているんですが、
もしかしたらこういうポッドキャストとかもそうなのかもしれないですけど、
とにかく人のアテンションをいかに集めるかっていうところが大事に置かれているので、
情報量がすごいですよね。
仕事をしているときもは仕事に集中しないといけないというところはありつつ、
休んでいるときも常にこう何か情報にさらされているというか、
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視覚だったり、思考だったり、耳だったりというところですよね。
それをめちゃくちゃ刺激されるような社会で、
そのヴィンチョルハンはそのことを疲労社会というふうに表現していて、
とにかくこう何かに借り立てる、借り立てられる世の中になっている。
その中でやっぱり若者は結構疲弊していてっていう部分が、
今こうして休むっていうことが前傾化してくる背景にはあるのかなと。
何かそういうふうに考えますね。
僕も若者支援をしていて、やっぱり同じように働けてない方が来られたりするんですけど、
例えばいわゆる引きこもりっていう方も、
でも何とかしないといけないと思ってもちろん相談に来てくださるんですけど、
とにかく毎日焦っているっていう気がしますね。
じゃあどうしていったらいいんだっていうことなんですけど、
まずこう休めてないわけなんですよね。
そういう意味で言うと、本当にみんな何かに駆られてしまっていて、
そういう社会ではあるので、こうあるべきだとか、
いろんな広告も流れてきますよね。
例えば僕ら年代だと、本当にAGAの髪の毛が生えましたみたいなやつとか、
あと転職のハイクラス転職サービスみたいな、
この前も青木さんとそういう話もしましたけど、
そういう可能性の話だったり、
社会的にこういうのってダメだよねとか、
本当にそれで欲望を換気して何か物を売りつけるという社会で本当に休めないので、
だから今話してて思いましたけど、
休むって結構相対的な概念で、
じゃあ今そういう本当にいろんな情報が溢れていて、
とにかく自分はアクティブにどんどんどんどん改変していくっていう社会にあって、
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じゃあ休むって何なのかなというふうに考えないと、
一般的な休むでは済まなくなっているっていうところだと思うので、
それを考えたときに、
最近その心理学の分野だと、
ソマティックアプローチとかって言って、
なんだろう、身体感覚に非常にちょっとそういう心理療法も寄ってきてるというか、
っていう気がするので、
身体というものにより着目していくっていうことがもう必要な時代なんだろうなというふうにはすごい思います。
ソマティックアプローチですよね。
難しいんですけど、
なのでどっちかというと今本当に心理療法とか、
心の問題としてその休むということをどうしても整理しようとしがちなんですけど、
身体にアプローチすることでしっかり休むっていうことが必要なんだろうなと何となく僕は思っています。
で、その代表格があれですよね。
やっぱりマインドフルネスみたいな、
ここにあることみたいな、
瞑想であるとかね、
そういったこともあると思いますね。
僕、この前ケアラジにも出ていただいた臨床心理師の木村さんっていう、
僕の若者支援の師匠的な存在でもあり、
心理師として更新の育成もされつつ、
そういうご自身でカウンセリングもされているんですけど、
その方のところに行って、
何をしたかというと、
瞑想も教えていただいたんですけど、
京都の伏見稲荷に行って、
伏見稲荷って千本鳥居とか出て、
めちゃくちゃ鳥居が、
イメージとしては朱色の鳥居が、
本当に階段をずっと周りを囲っているみたいなとこなんですけど、
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これをね、大体多分40分ぐらいで頂上まで登ったのかな。
結構時間かかったんですけど、
ひたすら何もあまりしゃべることなく、
登り続けるみたいなことをやったりとか、
早朝に5時ぐらいにみんなで起きてですね、
そこを登って、
やっぱりその登っている時っていうのが色々雑念もあるんですけど、
純粋に運動不足でめっちゃしんどかったっていうのもありつつ、
やっぱりそういう風に体を動かすとか、
何かに没頭するみたいなことは大事だなと思ったのと、
そういうことをたまにやるというか、
頂上に登ってですね、
一応神社というか、
なので神様にお参りするっていうところで、
何かそういう祈りみたいなものっていうのも、
神様が本当にいるかどうかって僕はわかんないですけど、
何かそういう祈りみたいなものも非常にこう、
感謝をするって感じだと思うんですけどね。
そういう神社のマナー的に言うと、
何かお願いするっていうことも、
何て言うんですかね、
磁力的に働くというか、
こうなりますようにとか、
これを叶えてくださいみたいなことを言うと、
もう一回来ないといけないっていうのがちょっとあって、
なので本当に今回は頂上まで行けたので、
ここまで来させてもらってありがとうございますみたいな感じで、
ちょっとみんなでお祈りして帰ろうみたいな感じで、
それで終えて帰っていったっていう感じなんですけど、
そういう何かに体を動かして、
何か目的を持ってね、
無心になって、
そういうことに身を預ける、思考を預けるっていうことも、
ある種休むっていうことなのかなとちょっと思ったり、
その後帰ってからですね、
ちょっと瞑想を一緒にやったという感じなんですけど、
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ある種ちょっと催眠療法的に、
ちょっとナビゲートしていただいて、
普通に座って、楽な姿勢で座って、
なるべく背筋を伸ばして、
ゆっくり深呼吸をしながらナビゲートをしていただいて、
今心地いい時間というか時のことを思い出してくださいみたいな形で、
どんどんどんどん時間を遡っていくことをナビゲートしていただいたりとか、
今それはどんな感覚ですかみたいな、
それが耳から入ってくるものなのか、何か温かいものなのか、
どんな感じですかみたいな形でいろいろ聞いていってくださって、
僕の場合、落ち着く場所というか、
どこに行き着いたかというと、
その時は伊勢神宮のことがすごい頭に浮かんできて、
砂利の音、
砂利を足で踏みしめてる音が、
ザッザッザっていうんですかね、がちょっと聞こえてきて、
何か伊勢神宮に今いますみたいなことを言いながら、
実際2回ぐらい行ったことがあって、
1回友達と行ったのと、
2回目は奥さんと長女まだベビーカーに乗ってるぐらいの時かな、
伊勢神宮に行ったんですが、何かその時の情景が浮かんできて、
その時の音声情報みたいなのが耳から聞こえてますみたいなことを言って、
伊勢神宮なのですごい森林がきれいですよね、
緑の感じとか、
で、何かこの砂利の音が心地いいのは何でだろうと思ったんですけど、
おそらくおばあちゃんの家、
そこからちょっとおばあちゃんの家に意識が飛んでって、
うちのおばあちゃん家の島根県なんですけど、
島根県のおばあちゃん家の家の前っていうのが、
すごい砂利で敷き詰められてて、
多分草生えないようにみたいなのをおじいちゃんが撒いたと思うんですけど、
そこの車で帰るんですよ、毎年お盆にね。
その時に、もちろん自分で歩いた時の砂利の音もあるんですけど、
車で砂利を踏みしめて、
毎年恒例のお盆に帰ってきたなーみたいな感覚とかもちょっと思い出したりして、
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すごい落ち着くっていうか、
いい思い出と一緒にそういう自分の体感覚っていうのが保存されているので、
そういうところにちょっと行き着いて、
ボディースキャンみたいな感じで、
その耳から入ってきた気持ちいい音とか、
その緑の感覚っていうのが体に入ってくるようなイメージをして、
面白かったのがその緑のオーラ的なものがどこまで、
体の今どこまで広がってますかーみたいなことを言って、
僕なんか手先まで広がって、
そこで止まっちゃったんですよね。
後から聞いた感じだと、
ちょっと活性化気味の人って手までしか行かないんだよねーみたいな話も教えていただいて、
ちょっと過活動的な、もともと体質というかスタイルではあるので、
そうかなーとか思いながら、
そしたらそうじゃないオーラが行かない部分に関しても何かこう、
じゃあ上から光に包まれているようなところをイメージして、
今またどんな感じですかーみたいな、
それに名前をつけてみましょうかみたいな誘導もあって、
僕なんかこう、光合しい緑って感じですかねーみたいなことを言って、
そういう一種の体感覚とイメージをインプットしてくれたというんですかね。
じゃあその光合しい緑というものを一旦ちょっと箱にしまって、
また必要なときに開けるようにしましょうみたいなので、
一旦ちょっと瞑想が終わったという感じなんですけど、
今の僕の課題の中でも、そうそう今話しながら、
なんか休めないんですよねーみたいなのをそのときにも相談して、
今なんか困っていることあるのーって言われて、
まさに僕が思ってたのがその休めないんだったんですよね。
なので、どうしたらいいですかねーみたいな感じで、
で結構心強かったのが、
自分の多動性みたいなものって、これはすごい僕のパーソナルな特性の一つだと思うんですけど、
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それはいいんじゃないのーみたいなことを言ってくださって、
なんか別になんか、
僕のその多動な部分って別に周りから見てそんなに嫌に感じないし、
別にいいんじゃんみたいな感じでおっしゃっていただいて、
ああまあそうかーって思えたし、
まあこのスタンスでいいやと思ったんですよ。
とはいえなんか気がせいてしまったりとかやっぱり休んだりできないっていう方に対しては、
まあやっぱりそういうマインドフルネス的なものだったり、
瞑想取り入れてみたらいいんじゃないみたいなので、
僕は今自分の中にさっき言った広々しい緑っていうものを一回インプットしているので、
とはいえ家族がいる中でなかなか時間も取れなかったりするので、
今お風呂に入っているときとかね、
にその箱をパカッと開けるようなイメージを持ちながら、
それ自分の中にある記憶と、
あと体感覚ですね。
僕の場合はその砂利の踏みしめる音ではあったんですけど、
そういうものを思い出しながらちょっと数分ですね、
そこの体感覚に身を委ねてみるみたいなことをやって、
休むっていう形をとってるって感じですかね。
めちゃくちゃ話がいろんなところに行って、
よく何を話してたのかわかんないんですけど、
まあ今あえてこう寝るだけとかだとなかなか開放感がないっていうか、
気がせいてしまうのでやっぱりそういう何か、
まあ何でもいいと思うんですけどね、
それこそヨガとかそういうアクティビティに参加するとかでもいいと思うんですけど、
かなり思考とか概念的なものにどうしても偏っちゃうんですよね。
自分の使ってる感覚がむっちゃ限定されちゃって、
現代社会って思考に偏っちゃうので、
あと視覚かな。
視覚だったり文字情報だったりっていうの偏っちゃうので、
もっと匂いとか体感覚だったりとか、
音だったりとかっていう普段使ってない感覚をしっかり動かしてあげて、
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体のほうを活性化させてあげるっていうのが、
現代風の休むっていうことなのかなとちょっと思います。
なかなか人間の体の構造上、
何かそういう普段動いてる視覚とかをカットするっていうのもちょっと難しいので、
違う感覚を活性化させることで、
普段使いすぎてる視覚みたいなものをある程度沈静化させるみたいな形で休むっていうのが、
現代風の休むなのかなとちょっと考えたりしました。
今話しながらそういうことなんじゃないかなとかっていうのを思いました。
そういうことで今日は休むということをテーマにお話ししてみましたが、
あとね、でもちょっと次回もう一回話そうと思ってて、
今日は日曜日の朝で、
それこそ仕事がいっぱいあって、
とはいえちょっとケアラジも久々に撮ってみようっていう感じでね、
今お話ししてますが、
とにかく現代社会の課題というものは、
今の話もそうですけど、やっぱり社会というものと人間の生物学的なもの、
生物学的な人間というものと社会との乖離みたいなものが、
人間の生きづらさを生んでるんだなっていうところに、
今ちょっと僕は注目していて、
まあそりゃそうだろうって言われてみたらそうなんですけど、
ナンシー・フレイザーさんが書いた、
法題だと、なんだっけな、
法題だと、現代はともぐい資本主義っていう名前らしいんですけど、
法題は資本主義は私たちはなぜ幸せにしないのか、
いうちょっとマイルド化されてるんですけど、
現代はともぐい資本主義っていうところで、
ナンシー・フレイザーがかなり、
僕の考えてることは非常に近いんですけど、
とにかく整理力が素晴らしくて、
今の資本主義社会というものはこういうものなんだっていうのを、
再整理したような内容になってるので、
そこからの着想もありつつ今日の話をしたんですが、
次回はこのナンシー・フレイザーの資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか、
についてお話できたらいいかなと思っております。
では今日はこんなところで終わりたいと思います。
最後まで聞いてくださった方はありがとうございました。
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