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はい、始まりました。【ケアラジ】です。【ケアラジ】は、仕事・家事・育児・勉強など、日々忙しい現代社会のスピードを少し緩め、
ケアの視点から様々な論点を考察するラジオとなっております。
ということで、前回もですね、若者支援政策を外観しようみたいな、かなりマニアックなテーマで、
一人語りシリーズをお送りしました。
ちょっとね、祝日、今日は祝日らしいですが、時間があるので、20回が目前に見えてきたところもあるので、
20回に向けてね、しばらく更新止まっていましたが、【ケアラジ】撮っていこうと思っています。
あれですね、もうなんか、ケア関係ないじゃん、みたいなところも若干出てきましたが、
それはそれとして、撮っていけたらなと思っていますが、
今日もちょっと全く考えなく今話していて、どんなテーマにしようかと思うんですが、
やっぱりなんかね、図書館とか本が持つ意味、
いろんなこう、何でしょう、アートとか言論のプラットフォームでいっぱいいろんなものがあると思っていて、
アートで言うと、映画もそうだし、小説っていう形もあるし、
絵を描く人もいれば、音楽をやる人もいれば、いろんなフォーマットがあると思うんですね。
それは何というか、人間の得意不得意によって、多分いろんなアートフォームみたいなものが、
これまで人類史の中で発明されてきたんだろうなと思っているんですが、
多分僕自身本当に言語有意な人間というか、考えるのもやっぱり言葉使って考えるのが好きですし、
こうやってお話することも含め、お話したり書いたりね、
TwitterとかFacebookとか、今でいうとノートみたいなものもあるわけなので、
そういうものが得意ではありつつ、音楽とか、自分でもバンドやったりするぐらい好きですし、
あんまり絵画みたいなものは通ってない気がしますね。
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大学生ぐらいに時間あるときにやっぱり絵画展みたいなもの見に行ったことがあるんですけど、
あんまり刺さらないというか、多分興味持って入っていけばあるんでしょうけど、
なかなか今の自分の生活スタイルとか時間の使い方っていうもので言うと、
ちょっと合わない形のアートフォームなのかなと、
もうちょっと時間的余裕ができないとなかなか絵画っていうものを楽しむっていうのがちょっと難しいなと思いつつ、
そんなことも思ったりしつつ、
ちょっとなんで急にアートの話やねんみたいな話だと思うんですけど、
本もそうなんですけど、僕すごい本に救われてきた人間だなと思っていて、
それはケアラジにもゲストに出てくださったライターの甲さんですよね。
甲さんが出てくださった回もそういう話をしたりして、本っていいなーって思うわけですよね。
何がいいかというと、本っていうのは時代を越えてメッセージを伝えることができるものだと思うんですよね。
音楽もそういう側面はあるとは思うんですけど、
より何か具体性を持ってというかね、それだけ紙面を押さえて言葉の量っていうのはすごい多いですから、
古代にパピルスみたいな用話とか、その前は石板かとかっていうもので、
言語みたいなものが発明されて文字でそれを伝えていくっていうものが発明されて以来、
やっぱり言葉とか文学とかっていうものは、
メッセージを過去から未来へ伝えるという意味では非常に大きな意味を持ってきたのかなみたいなのを最近ぼんやり考えていて、
というのも宣伝も込みで、7月29日土曜日にルチャリブの青木真平さんを僕が住んでる大阪の豊中市にお招きして、
庄内コラボセンターっていうところで、図書館があったりとかね、市民公益活動センターっていって、
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市民活動される方が相談したりとか集うことのできる場所が何か合わさったようなそんな建物なんですけど、
そこのカフェスペースで青木さんと一緒に公共についてみたいなことを話す予定になっているので、
その前からテーマとしては思ってたんですけど、
改めて青木さんと話すということを前にして今いろいろ考えているところで、
やっぱ図書館というものが一つ、青木さんがね、ルチャリブロという施設図書館として自宅を開いてそういうものを運営されているということなので、
やっぱりこの図書館とか本っていうものは話していく中で外せない一個のキーワードかなと思っているので、
そのことを中心に今ぼんやり考えているというところです。
ちょっと取り留めもなく話すんですけど、今言ったように僕自身がすごい本に救われてきて、
大学生ぐらいの時にすごい本読み出したんですよね。
高校生ぐらいから小説みたいなものを結構読んでたんですけど、
僕、住んでいたのかというか出身が大阪の、生まれたのは川内永野市ってところで、
生後3ヶ月ぐらいして、それまでは社宅に住んでいたらしく、
大阪府の大阪狭山市というところに引っ越して、本当に大学卒業して上京するまでそこにずっと住んでいたんですが、
大阪の南のほうなんですよね。
堺市とかって割とメジャーだと思うんで、堺のあたりってイメージしてもらえるとわかりやすいんですけど、
大阪の南のほうなので、大学が堺市になるのかな、キャンパスが。
っていうと大体の人は、あ、そこね、みたいなあたりがつくと思うんですけど、
結構ね、通学に1時間半ぐらいかかってたんじゃないかなと思いますね。
結構、最寄りの駅までも割と距離があるのに、自転車でも15分、20分ぐらいかかるかな。
15分ぐらいかかるところで、そこから南海電車に乗って天賀茶屋まで行って、
天賀茶屋から乗り換えて南…何線だっけ?ちょっと忘れちゃったんですけど、
阪急に接続してる線に乗り換えて、某大学前で降りるっていうところで、
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別に隠す必要もないんですけど、寛大前まで行くっていう生活を、
4回戦のときほぼ行ってなかったので、それでも3年強ぐらいはそういった生活を続けていく中で、
その通学時間ってすごい時間あったんですよね。
電車に乗ってる間の時間があったので、すごい本というものを読むようになって、
天賀茶屋に本屋さんがあった記憶がありますね。
天賀茶屋に本屋さんがあって、確か天牛書店だったかなと思うんですけど、
そこにワゴンセールみたいな古本がいっぱい売ってるんですね。
100円とかなので、1冊100円とか200円とか、もっと安かったかもしれないですけど、
そういうものを買って、本当相当読みましたね。
文庫本ぐらいだったら行き帰りで読めちゃってたので、
なのでそういう本を読むっていうのが、かなり大学時代に自分の中で定着したっていうのが一つあるんですが、
これは青木さんと僕を結びつけてくれているものでもあるんですけど、
いろんな小説も含め新書とかも読んでいて、
内田達郎さんの下流社会とかっていうものも、多分そこで初めて読んだりして、
今の偏差値教育みたいなものを構造的に捉えたというか、そういう論説というかね、そういう本なんですけど、
興味あったら読んでいただけたらと思うんですけども、
そうそう、そういうものに出会いましたね。
で、あと僕が一番、そこで内田さんって面白いなって思ったんですよ。
で、僕大体その小説もそうなんですけど、
例えば当時で言うと、居坂幸太郎とか、誰だっけ、あの推理小説で有名な、あ、ちょっと出てこないな。
有名な人いますよね。の人とか、作者にハマって、その人の過去の作品をバーってこう、今風に言うとディグルというかね、
掘ってて、もう作品全部読むみたいなことをやってたんですね。
で、そうやっていく中で、
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限られはするんですけど、その中で出会った、
物書きというか本を書いてる方が内田達郎先生で、
結構ね、影響を受けましたね。
そうそう、さっきの東野圭吾さんだ。東野圭吾さんの小説とかね。
居坂幸太郎さんとか、宮部美雪とか、
まあ主に日本の方ですかね。
小説を読み漁ってて。で、ちょっと話飛びましたけど、
内田達郎さんと、
名映さんって呼んだらいいのかな。
名映さんっていう方が協調で書いた、
現代思想のパフォーマンスっていう、
これは公文写真書から出ている新書に出会って、
これがね、僕の中ですごい、
今でもね、たまに読み返したりしますけど、
ちょっとそういう現代思想みたいなものと接続した初めての本でしたし、
その中で、どんな本かというと、
現代思想というと、ソシュールとかって言われる人だったり、
ロランバルト、ミシェル・フーコー、レビィ・ストロース、ジャック・ラカンとかですね。
あとちょっと、あんまり記憶になかったんですけど、エドワード・サイドっていう方。
とかね、デリダ・ルルーズとかですかね。
そういった方の思想を、割とコンパクトにというか、
思想詩みたいな感じではないんですよ。
一人一人を掘り下げた新書みたいなものって結構ありますけど、
それをツールとして使おうみたいな発想の本で、
こういうのって今でも使えますよね、みたいな。
そういうフォーマット自体もすごい面白かったし、
そういう現代思想みたいなものと僕が繋がる理由にもなった本で、
これは非常に面白いので、
その帯の文言も面白くて、部品の勉強はいいからまず運転してごらんっていう。
で、具体的に今自分が考えている思想って、
例えば今裸感的だなとか、すごい風向的だなみたいなとこまで
普段意識下にあるかというとないんですけど、
多分こう、何か血肉になっているものはきっとあると思っていて、
さらに僕の中の読書活動みたいなものがさらにドライブしていった
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1個のきっかけを作ってくれた本がこの現代思想のパフォーマンスですね。
なので、読み方を学んだって感じですかね。
僕よくどうやってあんなたくさんの本読むんですかとか、
割と聞かれることがあって、
もうそう、すごい膨大に本を読んでるって見られているし、実際読んでるんですけど、
多分この本の影響が大きくて、一語一句読んでないんですよね。
もちろん一語一句読んだほうがいいなと思う本は、
それこそ小説とかはね、読み飛ばしてストーリーを何か知るっていうこと自体にあんま意味は見出せないので、
前から後ろまでしっかり読むんですけど、
例えばそういう新書みたいなものって、知りたいところは詳しく読むんですけど、
なんていうか、そのアイディアがもらえたらもうその1000円のもと取れたと思っているんですね。
僕が読みたいのって、
何だろう、その本の中にある全情報というよりかは、
フレームと言っていいのか、最近かっこいいから僕はパースペクティブっていう言葉をよく使うんですけど、
そこから見える景色みたいなものが得られたらOKと思ってて、
なのでそういう読み方をしているので、めちゃくちゃ多読化に見えているし、
僕がFacebookとかTwitterとかでそういうのを投稿バンバンしてるっていうのも、
その投稿内容を見てもらえたらわかると思うんです。
こういう視点があったんですねっていうところを、僕は体験として、
自分の中で言語化しておくっていうことは大事かなと思っているので、
そういう読み方をしているし、そのきっかけをくれたのがこの現代思想のパフォーマンス。
別に思想を知らなくてもいいじゃんっていうある種のスタンスだと思うんですよね。
大事じゃないって言ってるわけじゃないんですけどもちろん、
この本がそういうふうに原名をしているというわけではなく、
実際使い勝手いいものなんですよ、現代思想っていうものはっていう、
内田さんのそういう姿勢というか、これも一個のフレームだと思うんですけど、
パースペクティブが僕に衝撃を与え、さらに読書活動がどんどんドライブしていって、
っていうことですね。
僕の読書体験をつらつら今語っているだけなんですが、
それでさらに大人になってからもそうだと思いますが、
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内田さんの本はもうずっと読んでますし、
その中で青木さんが内田先生の本の中で論考を書かれていたので、
それをきっかけに僕も青木さんのことを知ったっていう経緯もあったりして、
本を読んで自分のフレームをぶっ壊してくれるわけですよね。
っていうところに非常に意味があるなと思ってます。
で、そこからやっと図書館というところにつながってくるんですけど、
最近淡井の日誌とよく話をしてて、
僕も日誌のラジオの発信に重ねるようにこうやってケアラジオを収録しているわけですが、
その中でもね、社会の中で息をするみたいな表現をしたりして、
日誌はその間みたいなものを作っていきたいんですっていう話をしてて、
そこに僕も深く共感するし、
それを実際こうローカルの中で、
Twitterとかを、例えばそういうソーシャルメディアをローカルというかグローバルなものと位置付けたとしたときに、
すごい自分のできる、日誌は肩のしっていうところで活動してますけど、
ローカルな運動にちゃんと展開して、
そこにたくさんの人が来てるんですよね。
そのこと自体僕は素晴らしいと思っていて、日誌のことも応援しているんですが、
ある種その、息ができるっていうのはどういうことかっていうのもちょっと考えたりして、
僕の読書体験となんか紐付けられるなと思ったんで今こうやって話してるんですが、
ツラツラなかなか接続しないんですが、
その中で1個思ったのが、
前回、前回というか今日配信されてるはずなんですけど、
17日に淡井のラジオの、
ちゃんと名前解いたほうがいいですよね。淡井のラジオじゃないんですよ。
ちょっと待ってくださいね。淡井のラジオではなくて、
間の生き方ラジオか。間の生き方ラジオっていう名前もいいですよね。
その中でも語ったんですけど、
そういういわゆる真っ直ぐなキャリアじゃなくて、
ちょっとそこから外れた人たちがロールモデルとしてたくさん登場してるメディアなんですけど、
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そういうリファレンス参照先が、
リファレンスがたくさんあることって僕すごい大事だと最近特に思っていて、
それが分断されている気がしています。
SNSがあるからみんなグローバルに開かれていて、
語られがちなんですけど、
自分がそういうソーシャルメディアを使っていてもそうなんですけど、
地理的には確かにグローバルなんですよ、ソーシャルメディアって。
でもエコーチェンバーとかって言われるように、
自分に近いものをグローバルなフィールドを使って、
自分の価値に近いコミュニティだったりを形成するっていうふうな使い方が、
今本当に主流というかドミナントなものとして使われているっていうのが実態なのかなと思うんですよね。
それはすごい意義があることだと思っていて、
いいですよね。これまで自分は一人だって思っていたのに、
そういうソーシャルメディアを通して、一人じゃなかったんだとかね、
そういうふうに思えることってめちゃくちゃ重要で、
この2010年代からのSNSの発展によって、
そういうところにみんながつながれたとか、
発信ができるようになったってことは社会にとって非常にいいことじゃないかなと思う一方で、
やっぱり開かれてるようで閉じてるっていうのが、
今のソーシャルメディアの特徴だと思うんですよね。
なったときに、やっぱりそれって一時的にはいいんですけど、
なかなか閉じていくとしんどくなっていくっていうのもあって、
村社会みたいなものもできているわけなので、
そういううねりの中で閉じたり開いたりを繰り返していくんですが、
やっぱり開かれていたほうがいいなっていうふうには思うんですよね。
っていうのもやっぱりそのコミュニティの中で、
こうあるべきだみたいなものがどうしても形作られていって、
最初は自由だった場所にヒエラルキーみたいなものはできていくし、
なんか言いづらくなってきたなとかもあるし、
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こういう場合こう言っといたほうがいいなみたいなものも出てきたりすると思うんですよね。
なったときにやっぱり悪い側面も出てくるっていう意味で、
ここでやっぱり何かパブリックな空間の中に、
SNSもほぼパブリックなもの、
Twitterとか最近ちょっと怪しくなってきましたけど、
誰もが使える、誰もがアクセスできる空間の中に置いて、
いろんな言説だったり、それは何て言うんでしょう、
過去のものも含め存在している、
自分のコミュニティ以外に何かリファレンスできるものがあるっていうのが、
図書館の持つ大きな機能の一つなのかなっていうふうにちょっとぼんやり考えていて、
青木さんとはそんな話をしたいなとは思ってるんですが、
僕が本によって助けられたっていうのは本当そういう部分なんですよね。
なんか本当しんどいな、どうしようとか、
今のこの資本主義の社会って、
ゲームとして見たら楽しい側面もあるわけですよね。
自分のステータスみたいなものを分析して可視化して、
レベル上げをして、スライムから倒していってみたいな、
ある種のゲーム性みたいなものがあって、
ゲームをクリアしていくと得られるお金が増えていったりとかいうこともあるんですけど、
常にやっぱレベルアップを求められちゃう社会でもあるわけですよね。
でも世の中ではそれがドミナントな言説になっていて、
そこから逃げられないわけですよね。
これはイデオロギーとかっていう話ともちょっと違って、
もう世の中のムードとか空気とか、特に日本においては、
なんか働いてて当たり前だよねとか、スキルアップして自分を高めるっていうのが当たり前だよねみたいなものが、
もう主流の空気感で支配されている中で、
いやでもなんか本当にそうなのかなみたいな風に思った時に、
やっぱりこう、誰もがアクセスできるところにいろんな本があって、
本っていうのは思想だったり過去の人の考え方が詰まっている、
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もの、メディアだと思うので、そういったものと繋がることで、
何か自分の考えみたいなものがガラガラと崩れて、
すごい楽になったりとかっていうことが非常に大事だなとすごい思いました。
で、さっきFacebookにもね、そういった趣旨のことを投稿したんですけど、
やっぱりリファレンスがあるということは、いざとなったらなんか自分の逃げ場があるっていうこともあるし、
それこそ自分の考えを、
アートっていうのは何かこう、物の見方を変えてくれるもの、
再定義するっていうことにアートの意義っていうのはあると思うので、
なんかね、変にこう、僕もパニック障害になった時に、
心臓病だと思ってた時はずっとしんどかったんですよね。
パニック発作のことを心臓病だと思ってたので、
でもそれは実は精神障害でしたっていう、こう一種のフレームが崩壊した時にすごい楽になったんですよね。
実際発作っていうのが止まったりしたし、
だから何かこう、再定義するためのツールでもあるなと思うんですよね。
なので、あまり僕たち支援者っていうのは支援っていうものに引きつけて人のことを考えちゃうんですよね。
関係性を作るのはしっかりラポール形成しましょうとかね。
じゃなくて、僕も普段意識してるのはやっぱりどうその人の捉えてるフレームをチェンジするかというか、
それで一気に好転する場合もあるので。
そんなことをちょっと考えていますよっていうことですね。
ちょっと皆さんも読書体験とかっていうことに対して、
多分一時一句読まないといけないのかなと思っているフレームがあればそんなことないんですよと。
何か一つでもそういうフレームを外したりとかできることにも意味があると思っていただけたらいいかなと。
では今日はこんなところでちょっと長々話しましたが、
図書館の持つ意味とか本の持つ意味というものに関して考えてみました。
最後まで聞いていただいた方はありがとうございました。