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はい、始まりました、ケアラジですということで、 今日も配信していきたいと思いますが、
ちょっと連日の配信ラッシュっていう感じで、 今日は11月11日ですね。
ポッキーの日ですね、いわゆるね。
で、まあそれはいいんですけども、 今日はですね、ちょっと相談員はお休みの日にしていて、
午前中は某大学というかね、に行ってきまして、 そこでフィルマータでアプリを作っているんですが、
大阪大学のクライアントさんなので、 ちょっと新機能を作ったんでね、その打ち合わせ等々に行ってきて、
森本さんと京都代表と学生さんでね、 アルバイトしてくれている方がいるので、
いい経験になるかなということで、 アルバイトの子も一緒に3人で大阪大学に行ってきたというところです。
あとはもうちょっと銀行に行ったりとか、 もろもろありまして。
で、さっき今年もこれ7回目に、 7年目ということですね、だからね、になるんですけど、
ソネビート、ハットリビートという 2DAYSのイベントがありまして、
これのライブ配信みたいなのをね、 主催の実行委員長のお経さんと一緒にやってきたというところです。
で、ちょっと時間があるので、 今日はちょっとゆっくりしようかなと思ってたので、
早めに、次女が今小学校なんですけど、 早めに帰ってくると思うんですけど、
ちょっと時間がソネまであるので、 配信していこうじゃないかというところでやっております。
はい、若干の疲れが見えておりますが。
まあいろいろ落ち着いてきたかなという気はしますね。
ちょっとやること日々コマゴマあるんですけども、 まあまあ落ち着いてるかなという気もしつつ、
ここからですね、ちょっとデザインの仕事は落ち着いたので、 僕はまた若者支援系というかね、
今参画者さんと一緒に居住支援ですね、 のレポートを書いていくところですので、
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アンケートとかはね、終わりそうなので、 前回はちょっとナラティブでインタビューをまとめていって、
そこから見えてきたものを導出していくみたいな感じだったんですけど、
今回はしっかり団体さんにアンケートを取っていって、 今、居住支援というとね、
そこに住んでもらう住居を用意して、住んでもらいつつ、 その携帯がシェアハウスであるとか、
独居型とかいろいろあると思うんですけど、 そういう支援が必要になってきてると、
僕も現場ではすごい感じるんですけど、 そういう背景であるとか、どういう支援をしてるのかとか、
現行の制度でカバーできてるとこはどこで、 できてないのはどこかみたいなことを、
ギャップ分析じゃないですけど、明らかにして、 何で居住支援がいるのかみたいなこと、
効果的な居住支援ってどういうポイントを 押さえておけばいいのかみたいなのを書けたらいいかなと思ってます。
なので、それが今月は一番大きなタスクに なってくるかなと思います。
今週末ですね、もう早いですけども、 日曜日に栃木のヒルネさんに、宇都宮のキチヒルネさんに伺って、
ルチャリブルの青木真平さんと一緒に トークイベントをしますということで。
これも僕自身がすごい楽しみにしているので、 まだ参加の枠があるようですので、
ケアライジングリスナーの方で、 もし栃木の方がいらっしゃったら来てくださいという感じですね。
ちょっとユースセンターがテーマではあるんですけど、 僕自身がそうであるように、
もちろんユースセンターというものとか ユースワークというものは大事だと思うんですけど、
そこはあんまり多分フォーカスして話さないと思うんで、 安心っていうことをちょっとキーワードに話していくときに、
社会全体のことを話していくと思うんですよね。
で、そこに青木さんがいてくれるので、 社会全般とか、
この資本主義社会の中での生きづらさであるとか、 構造的にね、なんでしんどくなってんのかとか、
その中で若者はどういう立場にいるのか みたいな話にきっと力点を置かれていくと思うので、
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ユースセンター、ちょっとよくわかんないなっていう方でも 全然たぶん楽しめるお話になるかなと思います。
トークイベントってどうなるかわかんないんですけど、 僕もそんなにね、
広くみんなに向かってしゃべるみたいなのは あんまり得意じゃないんですけど、
そこは昼寝の池田さん、藤田さんもいるし、 っていう感じですかね。
青木さんもいるっていうことで、 楽しく話したらそれが来場してくれる方にも
楽しめる内容になるんじゃないかと 勝手に思っているので、
近くの方は来ていただけたらいいですし、 もし栃木に知り合いの方がいらっしゃるんであれば
お勧めいただけたらいいかなと思ってます。
前段はそんなところで、
今日はね、ちょっとぼんやり考えてることがあったので 話していこうと思ってて、
今、アサイ・リョウさんの イン・ザ・メガ・チャーチっていう新作の小説がありますけど、
これまだちょっと読んでるところです。 まだまだ序盤なんですけど。
タイトルだけ先に言っちゃいますね。
なんかリンクしそうなので、 タイトルだけ先に決めちゃったんですけど、
評価と権力っていうことです。
で、アサイ・リョウ、今話しに出した アサイ・リョウも話すんですけど、
もう一回いきます。タイトル評価と権力。 松本ひとしとアサイ・リョウということで、
話していきたいと思います。
まっちゃんがね、ダウンタウンプラスっていうので 復帰しましたよね。
テレビではなく、ちょっとクローズドの、 いわゆるペイウォールってやつですよね。
誰もが見れるんじゃなくて、 お金を払って会員になってる人だけが見れる。
で、一部まっちゃんが戻ってきたということで、 盛り上がってる界隈もあると思うんですけど、
松本ひとしに関して言うと、 僕ら世代、80年代生まれ、90年代生まれっていうのは、
多分諸に影響を受けた人だと思います。
ごっつい感じとかは、そうですし、 ガキの使いですよね。
僕も初期の頃は、すごい見てたなとか 笑ってたなっていう記憶があるんですけど、
自分は大人になってから、映画しかり、 何本かな、4本ぐらい松本ひとしは撮ってますけど、
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何かこう、自分が10代の頃に受け取ったような 刺激があったかというと、正直微妙なところだなと思ってて、
で、いつの間にか気づけば、 かつて見てたまっちゃんっていうのは、
いてなくて、新しいことみたいなのも、 やらなくなったなという印象もあり、
僕はそんなに熱心にウォッチしてなかったんですけど、
大人になってから見るとしても、 昔の写真で一言みたいなね、
ひとりごっつっていうのがあったりとか、 そういうのは見たりします。
20代の頃、掘り返して見てたような 記憶もあるんですけど、
年末の笑ってはいけないとかも、 いつの間にか見なくなってたしっていうような距離感ですかね。
そんな感じで、でもやっぱり僕ら世代は 大きな影響を受けた一人ではあると思うんですけど、
いろいろ問題を起こしたというか、 それはこの配信の中では取り上げないと思うんですけど、
それはもうわかんないんで、正直な話。
ある種キャンセルカルチャーみたいなこと言われてて、 そこの是非っていうのもあると思うんですけど、
そこは別に問わなくて、 一旦僕と松本ひとしというのはそういう感じです。
でもどっちかというと、僕は見てはいたんですけど、
99の方が世代としては一番近いんですかねという気もします。
めちゃ池の方が影響を受けてたんだろうなっていうふうに思いますね。
で、一旦置いといて。
で、浅井涼ですよね。
でも本当に現代作家って言われるような、 現代作家って言われたら誰ですかと聞かれたら、
僕は間違いなく浅井涼と答えるんですけど、
直近のイン・ザ・メガチャーチも結構衝撃作というか、
洞察眼というか、この社会の実相を捉えるという意味で、
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直近の青植期とかもかなりインパクトを持って受け止められてたと思うんですけど、
で、浅井涼さんって言ったら89年生まれで、 僕より3つ下の世代の方で、
とはいえ僕は出てきた頃からめちゃくちゃ、
だから霧島部活辞めるって言うが、
これはデビューになるのかちょっとわかんないですけど、
ちょっとね、Wikipediaを見つつ。
早稲田大学に行かれてるときに霧島部活辞めるって言うので、
第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。
だから霧島部活辞めるっていうのがデビュー作だったんですね。
で、映画化されたっていうのもあって、
この映画もね、僕めちゃくちゃ、どっちかというと映画で入ったっていう感じなんですけど、
この映画本当に、いまだにベスト10ぐらいには入る映画だなと思ってます。
吉田大八なんですよね、監督が。
吉田大八という監督が撮ったっていうことも含めて、
僕は衝撃を持って受け止めたっていう感じなんですけど。
で、もう一回ちょっとタイトルに戻ると、
評価と権力、松本人氏と浅井涼なので、
この両者に共通するものは何かというと、僕は評価だと思ってるんですよね。
評価というものを持って世の中を通っているという二人だと思ってて、
そこに共通項を見出す人はあまり少ないと思うんですけど。
で、材料を書いてきたのは霧島部活辞めるっていう、あと何者ですよね。
就活の時期の若者、描いた何者。
あとは性欲も話題になりましたね。
これはネタバラになるので言わないでおこうと思うんですけど、
正しい欲と書いて性欲なんです。
これはもう本当に人の欲って何が正しいんだろうかと。
正しい欲なんてあるのかっていうのを突きつけたような作品ですけど、
これも映画化されてて、僕は小説の方で読んだ映画をします。
で、生殖費は正直読んでないんで、ちょっと分かんないんですけど。
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で、in the megachurchということですね。
で、アサイリョウを現代作家っていう言い方をしたんですけど、
僕は一貫してその評価っていうものに関して取り組んできた作家じゃないかなと思ってて。
だから霧島部活辞めるっていうと、今ちょっと序盤ですけどin the megachurchの主題っていうのを
ちょっとは違えた評価ということに、性欲も含めて評価っていうことになるんじゃないかなと思ってて。
霧島部活辞めるってよって、プロットがあるようでない映画っていうんですかね。
何かめちゃくちゃ出来事が起こるわけじゃないんですよ。
で、簡単に言うと霧島っていうのはバレー部の、高校が舞台になってるんですけど、バレーボール部のエース的存在なんですね。
で、その学校内で本当にみんなの中心、クラスの中心みたいな感じで。
霧島っていうのは、映画の話だけ言うと、小説は僕も記憶がかなりなくて。
でも映画に関しては、霧島は結局一度も登場しないんですね。
っていう映画なんです。
で、上木隆之くんが演じる役の名前はね、なんていうかちょっと忘れちゃったんですけど、一旦上木くんとしましょう。
上木くんは何かというと、映画研究部的なとこに入ってるんですね。
で、物語の筋は僕もちょっと忘れちゃったんで。
そうそう、なんかね、ゾンビ映画を。
あ、そうそう、前田や。前田くん。上木くん演じる前田くんは映画監督で、ゾンビ映画を頑張って撮ろうとしてるんですね。
で、まあまあストーリーの筋はあるようでない感じなんですけど。
で、インザメガチャーチも、おしかつみたいなものを扱った物語なんですよね。
で、霧島に関しては、霧島自身がすごい深刻化されている存在として描かれてて。
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で、霧島は映画には登場しないんだけど、みんな霧島の引力によって動いてる。
まさに押しに近い状態で。で、霧島が不在になる。霧島の不在によってみんな慌てふためくんですよね、その周りの人たちは。
で、かたやその前田の周りにいる人たちっていうのは、当然そういう妖怪的な人たちからは距離をとっていて、
もうほんまに自分の興味のあるゾンビ映画を撮ろうとしてるという感じなんですね。
で、それが何て言うんですかね、すごい対比されてるっていうのが特徴の映画というかなんです。
要は霧島っていう、ある種、本当に半径20メートルって言ったらいいんですか、10メートル、20メートルの中で影響力を持ってる人間を中心にしてるグループと、
で、前田たちは何をしてるかというと、なんていうか、自分たちは別に特別ではないっていうスタンスなんですよね。
で、映画を撮るのがとにかく楽しいと。
で、あとはその過去の映画監督とか、自分たちは別にそんなに大それた存在ではないけど、
そういう映画史の系譜があって、そういうふうに思考して、なんか映画とはみたいな絶対的な価値に彼らは軸足を置いていて、
自分たちがすごいとは言わないけど、とにかく映画を撮ることが楽しんだっていうようなスタンスの人たちなんですよね。
なんかこう、過去からの系譜を引き継いでいるある種のナードなオタクチックな前田たちと、そうじゃなくて、
ヨウキャで、特に過去の系譜とかそういうことではなくて、学内コミュニティの中で、そこを評価の絶対軸として置いている、
キリシマの周りの人たちという感じです。そこがすごい対比的に描かれている作品だなと思うので、これは考えたときに、やっぱり評価の話だなっていうのを思って、
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当時も思ったし今もそう思うというか、つまり評価っていうのは何かどっか軸足がいるわけですよね。
半径20メートルの人たちを軸に置いている、キリシマの周りの人たちと繰り返しになるんですけどね。
本当に過去からの系譜で、自分たちがとにかく楽しいことをやるんだという前田たちっていう、これはもう明らかに評価の軸っていうのは違いますよね。
いろんな筋は、物語の筋があるので、ぜひどっかで見れるんじゃないかな、サブスクとかで。この映画、キリシマ部活やめるってよって、ぜひ面白い作品なんで見てもらえたらと思うんですけど、
最後にキリシマ一派の、これは東でマサヒロが演じる野球部のね、キリシマの親友とその前田が最後交錯するんですね。
で、そこがもう本当にこの映画のハイライトなんですよ。で、どっちかというと自分で何かに価値を見出すということができないその野球部の東出くんと、
周りと比べてどうこうということじゃなく、自分たちが楽しかったり、過去からの系譜を引き継いでいる前田くんが交錯するっていうところで、映画の幕は閉じるんですけども。
そもそも東で演じる木口っていうのは、本当にキリシマが部活やめてしまったバレーブなんですけどね。バレーブをやめてしまったことで、すごいショックを受けてて。で、野球部もなんか練習には行ってないんですよね。
どうかこれは何に軸を置くのかっていうやっぱり話かなぁと思いますね。そういう評価というものを描き続けている作家が浅井涼だと思うんですよね。
で、かたや性欲に見移してみてもそうですよね。これは普通に性欲ってポッドキャストでこういうふうに出して言ったときに、いわゆる性の、男女の性みたいなものを想像する方が多いと思うんですけど、
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この正しい欲っていうふうに字を当ててるんですけど、浅井涼は。ただなんか本当に特殊な性対象、性欲の対象を持っている人々を描いたのが性欲なんですけど、
これもそういう見方をするとしたら評価に関わる話。その人が何に価値を感じているかということなのかなと思います。
で、イン・ザ・メガ・チャーチム。お仕葛というものですけど、その仕葛を描いた何者もそうですよね。就職というものを通して評価されるわけですよね、若者たちっていうのはね。
その評価を問い続けている浅井涼で、どちらかというとやっぱり、キリシマの話でいうと、浅井涼っていうのはおそらくはなんていうか、前田たちのようなちょっとナードな少年だったんじゃないかなと。
めちゃくちゃおしゃべりな方ですよね。ラジオとかに出てはるところ、話を聞くと。なんかカラッと明るくてよくしゃべる方。で、僕は結構、こんな人なんだと思って割と衝撃を受けたんですけど。
でも世の中にある評価みたいなものを問い続けてるんですけど。で、うまく全然まとまってないんですけど、片谷松本ひとしっていうのも、実は評価というものにお笑いっていうのは、すごい関係性が意外と濃いっていうか、評価とお笑いっていうものは、
で、例えば滑るっていう言葉を発明したのは松本と言われてますよね。あ、滑るじゃない。滑るとか、あと寒いっていうね。あれはもう誰もが、何か誰かがね、つまんないこと言ったときに、寒い寒いとかっていうのはあれは松本が作ったと言われてるんですけど。
僕は関西で育ったのでわかるんですけど、松本ひとしの作ってきたお笑い文化っていうのはすごい、なんか関西ローカルの男子のホモソーシャルな集団の文化そのものなんですよね。
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で、これが面白いものであるっていう評価ですよね。これが面白いものなんだっていう。それが実際面白いかどうかを置いといて、僕もかつての松本の作ったもので笑ったりはしてたと思うんですよね。
でもどちらかというと、もちろん面白いっていう側面もあるんですけど、僕らの関西ローカルだとこのガキツカとか、どっちかというとゴッツよりはガキツカの方を見ててそれを面白いと思えるやつが面白いみたいな、なんかそういう文化があったように思うんですよね。
それがほんまに自分が笑えるかとか面白いかを置いといて、ダウンタウンおもろいって言えるやつおもろいみたいな、なんかそんな文化が、というか価値観があったような気がしてて。
で、結局そういう関西ローカルの漫才の系譜って、M-1とかの系譜見てわかるように島田信介からの系譜ですよね。で、松本がいててっていうところで言うと、M-1がまさに象徴してますけどとか、あれはまさに評価するシステムですよね。
ショーレース化していったっていう。もともとショーレースはあるんですけど、ああいう全国から上がっていくみたいなスタイルにしたのはM-1が初めてであって。で、漫才みたいなものに批評文化みたいなものを持ち込んだのは多分信介からで。
はい。で、松本の作ってるコンテンツを見ても、僕が思うのは、滑らない話とかはまさにそういう感じだなと思ってて。
で、まあまあ滑らない話をサイコロで名前、和謝を決めて、その人が喋って。で、なんかこうね、そのオチまで終わったときにヒューンって豚さんが飛んできて、滑らない話みたいなスタンプを押して。
で、あれは認定みたいなことですよね。で、まあまあそれはいいんですけど、まあそれもちょっとどっちかというと評価みたいなことにひも付いてるようにも思うんですけど、僕が思ったのは、その話してる人を、
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まあなんかこうね、ビリヤード台みたいなとこでみんな話してるじゃないですか、滑らない話ね。で、あれを芸能人の人たちが別会場で清掃して、で、なんか笑ってるわけですよね。
で、あれがまさに評価機能だなーって思ってて、そういうお笑いっていうものを芸能人含めて、すごい権威づけしてる図ですよね、あれはまさに。で、そういうお笑いの評価みたいなのを作り上げていった。
だから、本質的に面白いかどうかっていうよりかは、これが面白いものだっていう権威づけ、サブイとかまさにそうですけど、松本がそうジャッジするっていうか、もともと執事がそうなんですよね。
出てきた頃からなんかやっぱりそういう関西ローカルお笑い文化みたいなものをそのまま拡大していって、拡大生産していって、それがある種、何でしょうね。
当時のお笑いの中でもカウンター的に働いた時期っていうのはあって、あんなもんは思わないっていう感じで、カウンターカルチャーとして機能してて、で、自分たちにその価値基準っていうのを持ってくるっていうふうにしたのが成功したっていう感じですよね。
なんか今のファンダムカルチャーに近いっていうんですかね。みんなが批評性を持ったりとか分析するようになっていって、で、そういうショーレースができて、お笑いが本当に分かってても分かってなくても、いろんな人がそのショーレースを見ながらお笑いそのコンビを批評したりとか、応援したりとか、そういう文化が生まれていって。
あらゆるカルチャーがそういう構造を持っているとも言えるんですけど、自分が評価者になるっていうことを、そういう構造が松本ひとしのお笑いにはあるなとは思いますね。
で、タイトルに何度も戻るんですけど、その評価と権力っていうことをすごい考えてて。
あさゆりょうはその評価っていうもののあやふやさだったり怪しさだったりとか、あとはその評価に振り回される人間の愚かさだったりとか、
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そういう評価に、どちらかというとやっぱり怖さみたいなものをあさゆりょうは感じてるんじゃないかなって勝手に思ってるんですけど、僕もそういうところがあって。
それで今はこう、イン・ザ・メガチャーチっていうものを上司して、それ自体が、イン・ザ・メガチャーチっていう作品自体がどう評価されてるかわかんないんですけど、
やっぱりその評価っていうものの怖さ、人間の愚かさみたいなことをずっと発射し続けてるんですけど、松本ひとしはその評価という軸を、特にお笑いっていうものの評価の軸を自分たちが評価する側に回るっていうことでコントロールしてたんですよね。
で、ビッグスリーとか言われますけど、お笑いの世界ってタモリとサンマとタケシカ。
で、志村けんがいたりするんですけど、この世界っていうのは、芸能の世界って言ってもいいかもしれないですけど、
ジャニーズジュニアのジャニー・北川の問題がありましたけど、最近でこそ普通に言われますけど、男性グループの歌って踊ってみたいな人たちは、ジャニー・北川がなくなるまでは潰されてたみたいですね。
そういう形式で出られない。で、この前ウェンツ・エイジがテレビに出て言ってて、本当は歌って踊るようなことをやりたかったけど、某グループがいるのでできなかったみたいな話を関西ローカルの番組でしてて、それはまさに権力的な話だなと思うんですけど。
なので小池てっぺい君と一緒にWattっていうグループ組んで、ギターを手に持って、別にギターなんか多分やったことなかったのに、ああいうちょっとデュオとしてデビューして、それだったらジャニーズは何も言わないっていうことを話して、それはそれでなんかちょっと面白いなと思って話し聞いてたんですけど。
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全然話変わるんですけど、ちなみに小池てっぺい君は僕同じマンションに住んでて、高校時代ぐらいからジノンボーイズでグランプリ取ってどっか行っちゃったんですけど、それはどうでもいいというか、そういう人なんですけど、小池てっぺい君。
まあまあまあ言っといて、ジャニーズもそうですけど、お笑いビッグスリーとかダウンタウンみたいなものってすごいホモソーシャルでヒエラルキーがある世界でしたよね、結局。
ジャニーズも本当先輩後輩関係とか、あとジャニー・キタガーによる支配みたいなものですよね。もともとその芸人の世界っていうのはそういう感じだったかもしれないんですけど、果たしてそれが本当になんていうか、芸術としてどうなんとか、芸術ではないですけど、
そういう、次の世代を生み出していくっていう意味で、果たしてその松本ひとしっていうのがお笑い界みたいなものに貢献してたのかっていうのは多分、
芸人の業界の人たちは考えてると思うんですけど、いよいよ本当に考えた方がいいんじゃないかなって思いますよね。
なんかお笑いってもんはなんか進化したんかいなっていう気もしますよね。
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で、なんかさんまさんの番組もあれですよね。なんか深夜にやってるやつありますよね。なんかなんとか委員会みたいなやつ。あれめっちゃ気持ち悪くないですか。
僕はすごい気持ち悪いなと思って、あんま見たこともないですけど、気持ち悪いなと思ってるんですけど、そういうヒエラルキーでまっちゃんが言ったことはやっぱ面白いみたいな。
松本ひとしのなんちゃらかんちゃらっていうコンセプトで番組が作られていくんですけど、で、時間と経過とともに松本ひとしが面白いというよりかは、
そのかつて松本が作り上げた評価みたいな、新しい評価軸みたいなものになんか群がってる人間がたくさん出てきて、で、進化されてヒエラルキーができて。
で、その中で起きたのがああいう女性への成果がいい。これがぜひはわかんないですよ、やっぱり。僕らが論じれるようなことでは実はなくて、それはそれでまた別の問題があるっていうか、ちょっとキャンセルカルチャーの問題が出てくるっていうか。
そこはまたキャンセルカルチャーにもなんか人間の業みたいなものがあるなぁと思って、何でもかんでもキャンセルするっていう時代もね、直近続いているんで、そこの是非も問われるべきだと思いつつも、なんか問題としてやっぱりそういうヒエラルキーができて、それを進化化してしまうことによって、
なんかキリシマの中で前田がやってたような、じゃあ本当に大事なことって何なんだったっけっていう、自分たちが楽しいと思うこととか、絶対死するというわけではなく評価するっていうような行為、ちゃんとした批評機能みたいなものを持ててるのかみたいな。
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それがインザメガチャーチでも描かれるように、推し勝つみたいなね、ものになっていってるというか、現代社会では。
推し勝つのはなんか宗教行為に近いっていうか、松本を深刻化したようななんか構造と同じっていうかね、やっぱり何かこう、何かによって立ちたいっていう人間の業みたいなものがあるでしょうね。
でもまあ西梁はそれを描写し続けてる、あらゆる側面から。で、別にこの話に何かオチがあるわけではなく、まあ強いて言うなら、もう松本ひとしの賞味期限はだいぶ前に切れてたんじゃないかなっていうのが正直なところあって、
まあ全く僕は多分見たいとは思わないし、新しいものというか進化したものが見たいですよね、と思います。
そこにはなんか、桐島部活辞めるってようの前だみたいなキャラクターとか、まあ西梁の作品が何かヒントをくれるんじゃないかと思うんですけど。
はい、まあそんな何か特にオチも何もない話をしてしまいましたが、まあ西梁はやっぱり追いかけていきたいなと思う作家の一人ですよね。
インザメガチャーチこれからちょっと読もうと思いますけど、まあやっぱりスクールカーストって呼ばれるようなヒエラルキとそうではない評価軸みたいなものをずっと描き続けていくんだろうなって思うんですよね。
まあどちらがいいのか悪いのかっていうのはわかんないですけど、僕はどっちかっていうとヒエラルキみたいなものがとにかくアレルギーが出てしまうような人間だと思うんで、
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まあそういう人が増えたらいいとも思えないし、いや俺はこう思うけどなーみたいなことずっと言ってるわけですよ、こうやってつらつらとね、喋ったりして。
まあでもやっぱりその進化化してヒエラルキができるっていうことの何か危険性みたいなものはちょっと顕在化してきた社会ではありますよね。
ある種それがポピュリズムにつながってると思うんですよね。何かを絶対的なものにしたいっていう人間の不安から出てくる何ていうか欲求みたいなもの。
だから僕はこれから結構人間っていうのを二極化していっちゃうんじゃないかなと思うんですけど、
まあそういう推しカルチャーみたいなとかファンダムカルチャーにぐーっと触れていく人と、そこにあんまり振り回されずに淡々と自分のやるべきことをやっていくような人と、何か本当に二極化していくんだろうなと思うんですよね。
で、松本ひとしがキャンセルされたときに、周りの芸人もいろんな反応がありましたけどね。
何かやっぱりそこに、もちろん本当に近い人はいろんな信頼関係があったりとかするっていうのはあると思うんですよ。
それを否定するわけでもないし。ただ、やっぱり桐島がいなくなったときのように、そういう何か権威の傘みたいなものの中にいた人は慌て太めくでしょうし。
そういう、何て言うんですかね。個々の人間を見たときに、自分の…結局寄って立つのって自分自身が積み上げてきたものしかないはずなんですよね、本来は。
もちろん何かにすがりたくなる気持ちはわかるし、人を頼らず生きていくっていう意味ではないんですけど、やっぱなんか自分が積み重ねていくっていうもの、本当に何もない人生なんですけど。
大概の人間は日々生活をしていろんな人と関わって生きて死んでいくっていう人生なんですけど、本当に実はドラマチックなことなんて本当に一瞬しかないし、ただただ人生が続いていくっていうことを少しでもほがらかに生きていくことしかないんですけど。
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それをちょっとそういう生きることの実質的な意味だったり、自分に対する評価みたいなことを見て見ぬふりをしようと思うと、やっぱり何かそういう絶対心みたいなものにすがっちゃうんだろうなっていう、これは人間の差がだと思うんですけど。
でもそういう権力構造ができてくるとやっぱり人が傷ついてしまうっていうこともあると思うんで。
なんか答えはないんですけど、なんかコウジうるさいですね。
答えはないけど、評価っていうものは、浅井亮が描いているように消えられる気化してしまうものと、過去からの経負だったり、自分が楽しいと思っているからやってるんだっていうものと。
あなたはどっちでしょうっていう感じですかね。
ちょっと考えてみるといいかもしれないですね。
僕はなんか校舎の方を増やしたいなっていう気がしてますけど、それがいいのか悪いのかはわかんないんですけどね。
そんなことで、あんまりまとまりのない話でしたが、とりあえず話してみたというところで。
ちょっとin the megacharge読み進めようかなと思いますので。
またin the megacharge 会を配信できたらいいかなと思ってますけど、今日はこれで終わりたいと思います。
それでは。