00:06
はい、始まりました、ケアラジです。 ケアラジは、仕事・家事・育児・勉強など、
日々忙しい現代社会のスピードを少し緩め、 ケアの視点から様々な論点を考察するラジオとなっております。
はい、ということで、今日は4月20日、土曜日ですね。
はい、ちょっと今日は何も仕事もなく、 仕事もなくというかね、あのー、
個人事業もやっていたりとか、 あとはフェルマート合同会社っていうIT企業であり、
タスク管理アプリのコンダクターを作ったりとかしつつ、 相談員業務もね、
週4なんですけど、実はこれをやっていて、 結構いろんなタスクが日々多くあるわけなので、
結構この土日とかも働いちゃう、働いちゃうというか、 働いてることが多かったんですけど、
はい、あのー、ちょっとこの4月からというかですね、
ちょっと土曜日はもう完全にオフにしてみようということで、 実験的にね、ちょっとやってみようということで、
今日なのでオフの日にケアラジオ撮ってるということですね。
ケアラジオは仕事ではないと思ってるんで、 はい、まあまあなんかダラダラ喋っていけたらと思うんですけど、
えっとですね、これは金曜日かな? あ、違う違う、木曜日、4月18日、木曜日の夜にですね、
えっと、青木さん、青木美也子さんですね。
が書いた不完全な思想という本の観光記念トークイベントということで、
東メダにある西風堂書店さん主催でトークイベントをされたということで、
はい、青木美也子さんと、あと僕もよくよくお世話になっている青木新平さんと、
なんと内田達郎先生がいらっしゃるということで、これはもう絶対に行かないといけない。
場所がね、なんと大阪でやってくださるということで、大阪市中央公会堂ですよね。
で、これはね、開始が19時からだったんで、この日は6時半までなんですね、勤務がね。
03:03
それでちょっと間に合わないし、間に合わないの途中から入るのも申し訳ないご迷惑かけるし、
あとはもうやっぱり最初からちゃんと聞きたいなというのもあったので、
ちょっと30分早出をして、早く退社できるようにし、参加させていただいた形ですね。
このタイトルがですね、不完全な思想の観光記念であるんですけど、
言葉のボイスはいかに形成されるのかということで、そういうテーマでね。
ボイスっていうね、このボイスの棒はあれですね、ヴァイオリンとかの唇を噛むタイプの棒なんですけど、
ボイス、多分内田さんが、宮子さんの文体というかを見て、そういうボイスが宮子さん独自のというか、
唯一のと言ってもいいような文体をご指摘されたというか、そういうものを確立できたんじゃないかみたいなことから多分こういうテーマをね、
選ばれたんじゃないかなと思うんですけど、この不完全な思想、僕もそれこそ外勤とかがあるので、
企業さん行ったりとか、就労以降に見学に行くとかね、そういうことも相談の業務の中でやってるんですけど、
結構梅田に行くことが多いんですよね。阪急沿線鳩天神というところに僕ら相談の拠点を構えているので、
梅田に行くことが多くて、東梅田もよく行くんですよ。行くたびに僕は西風図書店さんには必ずと言っていいほど足を運び、
一冊ぐらいはね、本を買ってしまうというか、割と面出しされてるような本がやっぱりちょっと気になって、
割と自分にタイムリーな本じゃないかなとか思って手に取ることが多いんですけど、こんな形でね、
不完全な詩書も西風図書店さんで購入したっていう感じなんですけど、実は僕何ページまでかな、全部読めてなくて、
42ページで一旦今止まってるっていう、なんかトークイベントを聞きながらね、パラパラパラーと読みながらお話聞いたりしてたんですけど、
06:09
なんか全部読めなかったっていうのがちょっと正式な言い方かもしれないですけどね。
なんかちょっとかなり質量のある本だなと思ったのが第一印象で、その質量って何なのかって僕もうまく表現はできないんですけど、
とてもすごい質量のある本というか、書籍ってこの本で言うと300ページ弱だと思うんですよ。
250ページぐらいなんですけど、文字の数であるとか、一緒なわけなんですけど、文体とかボイスっていうところに近いかもしれないですけど、
僕がこうパラパラパラーと、42ページまで結構読んでたんですけど、なんかすごい、なんだろうな、全部の言葉が真実と言うとあれですけど、
嘘がないというか、ある種性格とも言えるんですけど、無駄がないと言えばそうなんだけど、うまく言うというか表現が見つからないですが、
なんかそんな印象があって、ストレートに出力されてるみたいな、ちょっとなんかチープな表現なのかもしれないですけど、なんとなくそんな風に感じてて、
なんか割と宮子さんそのままが出てるような風に感じてて、なのでちょっとあまりスッスッとなんかパラパラッと読めないなっていう感じもあったりとか、
あと内容的にも、なんか僕個人的な、いろんなレイヤーがある本ですねっていうふうに、いろんなレイヤーで読める本だねっていうふうに千田先生もおっしゃってましたけど、
その一部のレイヤーが僕の経験とか自分の経験と、あとは相談業務の中でいろいろ経験したところにやっぱりすごい触れるものがあって、ちょっと一旦読めなくなったっていう実は感じなんですけど、
09:16
でもまたちょっと読んで読み進めようと思ってるんですけど、何の話やったっけっていうことなんですけど、そういうイベントに行ってきて、ちょっとダラダラ喋ろうと思うんですけど、
僕は大学生ぐらいの時に千田先生の下流社会っていう本を読んで、多分天賀茶屋のね、大阪の天賀茶屋の、今多分もうなくなったんちゃうかな、天宮書店っていうのがあったんですよ。
で、そこでよくこう、当時大学生だったんで、寛大まで行くのに天賀茶屋で乗り換えるっていうルートで、いつもその天賀茶屋にマクドがあったんで、
マクドで軽くね、ご飯なり食べながらとか、コーヒー飲みながらとか、本読むとか、電車もなんか文庫本1個買って読みながら通学するみたいなスタイルを送ってて、
で、その中で下流社会かな、まず読んだのが初めてで、そこからめちゃくちゃハマって内田さんの本を読み漁るみたいなことがあったりとか、
本当、実は当日も本にね、自分の文庫本持ってって内田先生にサインをいただいたんですけど、
疲れすぎて眠れぬ夜のためにっていう本があって、もしかしたらこの、何て言うんですかね、
全作品の中ではそんなにこうめちゃくちゃインパクトがあるとか、代表作とかそんなものではない本なのかもしれないんですけど、
僕がちょうどパニック障害になって、めちゃくちゃしんどい時ですよね。
その時は自分のしんどさの理由とかもわからないですし、とにかくパニックになっちゃうんでね、
しんどいなーとか、どうしようとか働けなくなっちゃったらどう生きていこうみたいな、どう暮らしていこう、
どうお金払っていこうとかね、いろんなこと考えてた中で、ふと手に取って読んでた本な気がしてて、
12:08
ちょっと元から買ってたのか、だいたい書籍が出たら買ったりとか、過去の本を文庫で買い揃えるまではいかないんですけど、
一冊一冊こう内田先生の本を買って読んでるみたいな感じだったんで、もともと持ってたのかもしれないんですけど、
やっぱ当時、このタイタルを見て、奥さんが最近寝られへんの?みたいな、そんな本読まんほうがいいんちゃう?みたいなことを言われたのが、
なんかちらっと記憶にあるんですけど、この疲れすぎて眠れぬ夜のためにっていう本が、なんかすごい自分を救ってくれた一冊だったので、
久々に読んでみたんですよ。
で、一番最初の章が、ワンランク下の自分にっていうお題目の文章があって、
そこで言うとですね、もう一ランク上の自分を思考する人間とかを、やっぱりメディアとか学校、家庭も望ましい人間と推奨していましたと。
どんどんどんどん上を目指していくみたいな、そういう不充足感みたいなのをバネにして生きるっていう生き方で、すごい社会に称賛されやすいと思いますし、
僕も未だにそういうところはあるし、パニック障害になって回復していく過程があり、
今もたまにやっぱりしんどくなったりとか発作が起きることも最近またある感じでなんですけど、
でもそれしかないと思ってた節があって、社会人になってSになってどんどんどんどん上を目指していくのが、そうしないといけないんだぐらいに思ってたと思うんですよね。
でもなんか、この本には向上心持たなくていいんじゃないとか、そうやって自分を磨いていくとか、ランクを上げていくみたいなのを完全に否定するわけではないんですけど、
15:05
でもそれって資源に限りがあって限界があるんだから、それをやっちゃうと人間壊れますよみたいなことが書いてあったんですよね。
ここにも書いてあるんですけど、ワンランク上の自分に取り憑かれた人は、体や精神が悲鳴を上げるまで痛んでもなかなか休みません。
疲れて立ち止まるとそういう弱い自分を責めます。
それは自分の体に対しても精神力に対しても酷くですよ。
向上心は確かにある方がいい。でもありすぎてはいけない。
人は夢と現実を同時に生きなければなりません。
この差事加減がとても難しいのです。
なのに若い人たちは答えを単純化したがります。みたいなことが。
と書いてあるんですけど。
なんかこの辺を読んだりとかね。
するとなんかうわぁみたいな。
ほんまにそうやなとか、自分のことを顧みずに。
僕もどんどんどんどんなんか、ワンランク上に上にみたいなことを目指してて。
長期的にはなんかそれってメリットないんじゃないかなとかね。
なんかそんなことを思わせてくれたりとか。
この本か忘れたんですけど、どこかに不義理をしてもいいんだみたいなのを
たぶん内田先生が鬱になられたときに精神科医の人になんか言われたっていうエピソードをどこかで読んで
この本だったのかもしれないですけど、それを読んで本当に僕不義理をしまくったんですよね。
申し訳なくてなんとなく入ってたLINEのグループとか、そういうのを抜けまくったりとか。
今までなんだろう、ちょっと仲良くあって、でもなんか心のどこかではあんまり会えへんなと思ってた友達とか。
もう全部切っていったわけじゃないんですけど、もうちょっと、
例えばブロックまで行かないですけど友達解除したりとか、なんかそういうことをやりまくって。
なんかすごい楽になったっていうのがあって、めっちゃ話長くなってしまいましたが、
その本を持ってサインをいただいたということで、命を助けて、当時は助けていただきましたみたいなことを言って
18:07
先生のサインをいただいたっていうことですね。
ちょっとなので思い入れのあるというか、青木さんにもお世話になっているし、その話聞きに行きたいというのはもちろんありつつ、
宮古さんも間接的には知っているということでなんですけど、お会いできましたし、
本当に青木さんのご行為で打ち上げ行くとかって聞いてくださったんで、
本当に迷ったんですけど、なんか僕みたいなもんが行ってもと思って、
帰りますとかもゆえだと思うんですけど、ずずしくもお邪魔して、
本当に何も僕もしゃべれないというかね、外風間のね、多分昔からのコミュニティというか、青木さん含めいらっしゃったんで、
でもなんか本当にテレビ見てるみたいな感覚で、お話も僕がわからない内容のことも多くて、
なんかこう話したいけど、腰を折るというよりかはちょっとこのラリーを聞いとこうとか、
なるほど、そうなんかみたいなことを思いながら、
なんか夢のようなというかね、夢見てんちゃうこれみたいな感じで打ち上げに行ってたみたいな感じの時間でしたね。
小島雄介さんとかもいらしてて、実際にあんまりお話はしてないんですけど、そんな回でした。
で、ボイスっていうことでお話はされてたんですけど、ボイスってね、何なんだろうと思いながら聞いてて、
僕のやっぱり自分のやってることにすごい引きつけて考えちゃうんですけど、
ボイスって自分にしかない固有の多分なんか身体的なも含め考えだったりとか、
21:02
なんかフィルターを通さない、通してない言葉だったりとか、身体的な感覚のことをボイスと言うんじゃないかなってちょっと思うんですけど、
そのボイスを感じたり、それが文体に落とし込めているのがこの不完全な詩書っていう本だと思うんですけど、
そのボイスを大事にするためには正直であることが第一だっていうふうに内田先生はおっしゃってて、
でもそれに何て言うんでしょうね、それが得意な人もいてると思うんですよね。
僕も相対的には自分のボイスを聞くとか、それをちゃんと外にアウトプットするとか、
相対的には得意な方に見えるかもしれないですけど、
でもなんかそれをより本当に、ある種トレーニングじゃないですけど、
うまく出力してるのが内田先生であり、大木さんもそうなのかなと思うし、
宮子さんのこの書籍もそうだなと思うんですけど、
この正直であるっていうことは本当に多分難しくって、
一つは自分固有のものってないよねっていうのが一つあると思うんですよね。
ボイスと言われても、自分の本当の声みたいなものって当てないようなものというか、
生まれてからじゃあ自分が考えた言語で喋ってる人なんていないわけで、
昔からの蓄積で、何時代かわかんないですけど日本語っていうものが生まれ、
引き継がれて変化してきた言語を喋ってるわけで、
なので全くゼロから自分で生み出したものっていうのはないと思うんですけど、
そういう神秘主義的な本当の自分みたいな意味ではなくて、ボイスって。
でもどっちかというと生物学的なというか、これまで生きてきた過程だったりとかも含めて、
24:11
でも世間体であるとか、こう言った方がいいなとかね、ここはこう言うべきだろうとか、
ではなく、今本当に自分が思っていることとか、今自分が感じていることみたいなのはボイスなのかなと思ったときに、
それをより分けてというかね、自分が走っている声が本当に100パー出力されているかっていう
勘どころとかより分けみたいなのって実はめちゃくちゃ難しいと思っているので、
一種のトレーニングが必要だと思うんですけど、
なんかボイスってそんなことなのかなと一つ思ったんですけど、
これって僕は若者支援でやっていることに非常に近いなと思って話を聞いてて、
そのボイスを見つけるって言うとあれなんですけど、
本来見つけているわけじゃないと思うんですよ。
ややこしい話なんですけど、これさすがだなと思って今思ったんですけど、
ボイスはいかにして形成されるのかなんですよね、タイトルがね。
僕もどっちかっていうと面談とかね、ある種カウンセリングに近いんですけど、
若者たちと対話をしていく中で、別に何か作ってるみたいなイメージなんですよね、一緒にね。
これが本当にA君の思っていることなんじゃないとかね。
これがしんどいもとやったんや、Bさんのとかね。
で、ほんまにそうなのかもしれないし、論理的に考えて、
ああ、そうだ、みたいな。これが苦しみの根源だったんだ、みたいな。
本当に私が思っていたことはこれだったんだ、とか気づくっていうのもあるんですけど、
なんか一緒にそれを作り上げてるみたいな、
僕の中での体感覚があって、それがボイスなのかなとは思うんですよね。
真なる自分というよりかは、何か他者との対話を通して形作られる、
27:00
自分固有のストーリーみたいなものがボイスなのかなと思って、
でもそれを一緒に作り出していく過程がたぶん若者支援だと思うんですよね。
定型化できない思いだったりとか、そういうものを一緒に探していく旅みたいなのが若者支援なのかなと思うんで、
そんなことを考えながら、お三人のお話を伺っていたっていうところですね。
で、もう一個だけ話しとくと、そのボイスっていうのをね、出していくことっていうのが、
自分はやっぱりストレートに過不足なく表現できる手法で、
やっぱりそういう考えている自分の体感覚と自分のやっている行動とか発言がほぼほぼニアリー・イコールであることっていうのは、
すごい大事なことで、それがずれちゃうとものすごい苦しみに変わっちゃうんで、
本当に思っていることと違うことであるってすごいストレスなので、
そういうボイスの話が大事だっていうことと、
この不完全な詩書を読むとですね、膨大なリファレンスがついてるんですよね。
書籍とか含め、書籍が多いんですけど、
宮子さんが持ってるその膨大なリファレンスっていうのも読みながら感じるわけですけど、
そのリファレンスの重要性みたいなものも一つ感じたなと思いますね。
リファレンスの文化っていうのはすごい弱くなってる気がしてて、
01とかよく言いますけど、01なんてないんですよね、さっき言ったみたいに。
借り物でしかない。
でもその借り物のストーリーであるとか、言説であるとか、詩述であるとか、
音楽であればね、ルーツミュージック、いろんなルーツミュージックがあって、
それを自分のストーリーの中に織り込んでいくっていうのがボイスだと思うんで、
なんかそのリファレンスがないとすごい貧相なボイスしか編み出せないんじゃないかなっていう気がしてて、
30:02
そこのリファレンスの貧困みたいなのが若者の苦しみの一つになってんじゃないかなみたいなことも考えましたね。
ケアラジンにも出ていただいたライターの甲さんとかもめちゃくちゃ本読んでて、
甲さんの本もめちゃくちゃリファレンスがついてるんですよね。
僕も断るたびに本、大学生の時から天宮書店で買い、
たぶん1日文庫1冊ぐらい買ってたんで、100円とかでね、古本のワゴンみたいなのがあって、
だから別に大学生でも買えるわけですよね、100円とかでね。
そうやって自分のリファレンスをどんどんどんどん増やしていって、
その中の重要な位置を占めてたのが内田先生の本だったんで、
そこから青木さんのことを知って、青木さんともお話しさせていただけるようになったりとか、
また青木さんの2つの原理みたいな考え方も自分の中に取り入れることで、
また1つ楽になったりとか、自分がやってることって別に間違ってなかったんだとか思えたりとかして、
さらに自分の人生が豊かになった感覚とかもあったんですけど、
だからそうするとオリジナリティがないみたいな風に言ってしまう風潮があるなと思って、
パクリ文化とか言われるのもそうだし、あとこれは多分新自由主義とかと近い話だと思うんですけど、
どうしても地罪というか、そっちが絡んできちゃうんですよね。
政策権みたいな話が絡んできたりとか、音楽でもちゃんとクレジットつけないといけないとか、
そういう話になってしまっていてて、それ故に非常にオリジナルではもちろんあるというか、
その人が考えたという意味でのオリジナルではあるんですけど、非常にオリジナルでというか、
自分のアイデンティティがめちゃくちゃ貧困化してるんじゃないかなっていうのが、
僕の見立てとしてはあって、今の若者たちに対して。
なのでその打ち上げの時も、学生って本当に今本読まないよねみたいなことをおっしゃってて、
そうなんだっていう。大学生、僕もあんまり実は若者支援とか言ってますけど、
33:06
20代以降の若者と話すことが多いんで、結構本読んでる子多かったりするんですよね。
僕たちの相談の場に来る人って、そんなこともあって、やっぱり大学生って本読まないんだとか、
思ったりもしたわけですけど、それは他の映像メディアとか、
そういうものに時間が取って変わってるっていうかね、
そっちの方がコスパがいいみたいなように感じると思うし、
どんどん新しい話題にちゃんとキャッチアップしていかないといけないみたいな、
そういう焦燥感みたいなものももしかしたら若者の中にあるかもしれないんですけど、
もうちょっと長い時間軸で見たときに、
それって結局、自分のボイスを形成するっていうことが結局はできなくって、
リファレンスが少ないと。
でも、個性的であるべきだみたいなとか、市場価値がどうこうとか、
なんかそういう話、すごいチグハグなんですよね。
すごいインスタントな情報を毎日摂取してて、
自分なんて形成できやしないんじゃんっていうふうに思うんですけど、
でも、僕は個性的なんだとか、私は個性があるとかって言っちゃってるみたいな、
それって自分がすごい介入しちゃうと思うんですよね。
そのボイスとは実は真逆というか、
それは決してボイスではなく、借り物の言葉だったり借り物の個性だと思うんですよね。
だから、こんなにあるべきとしてはやっぱりいろんなリファレンスをする。
で、どんどんどんどん世界を広げていくっていう一方で、
やっぱりリファレンスをするということを通じて、
これは内田先生が図書館の機能っていう話をしてて、それもめちゃくちゃ面白かったんですけど、
図書館の機能っていうのは、
決して自分の探したい情報を探すとか、そういったものではなく、
膨大なアーカイブを目の前にして自分の無知を思い知らされるっていう機能が、
要は謙虚であれるわけですよね、そういう図書館の機能があると。
それが図書館の機能なんだみたいなことをおっしゃってて、
36:02
これはすごい発想だなと思って、またそこで膝を打つというか、
めちゃくちゃ面白いなと思ったんですけど、
やっぱりその…
で、宮子さんも、書籍も読んでいくと、
たぶんご自身の中で、
すごい割り切れない気持ちとか、
なんとなくこう、たぶんね、
これまた宮子さんともお話ししてみたいんですけど、
なんかしっくりこないんじゃないかなと思ってて、
非常にこれは若者支援的分析に対人演じやってる癖みたいなもので、
なんかこう、自分が考えてることとか感じてる感情みたいなものが、
100%出力されてない感覚がずっとある方なんじゃないかなと思ってて、
それを探し当てるために膨大なリファレンスが必要となるっていうか、
そういう文献とかリファレンスする中で、
たどり着いた言葉たちがたぶん、
この本に詰まってるので、僕はたぶん質量を感じるんだろうなと思うんですよね。
だからサラッと読めないんですよね。
すっごい重たい。内容がね、本は一緒なんですよ。
たぶん何百グラムとかで、ページ数とか文字数とか一緒なんですけど、
やっぱりそこにある仮定っていうか、
これをたぶん10年以上のいろんな時に感じて、
そういう言葉を探し当てるために膨大なリファレンスがあって、
なので質量があるんだろうなっていうふうに考えたりもしましたし、
そうせざるを得ないご自身の特徴みたいなものもあるんだろうなっていう気がして、
話の中でも内田さんが弱いっていう表現をされて、
すごい心身が弱いからこそこんな文体になったんだねみたいなふうにおっしゃってて、
弱いかどうかはちょっとどうなんだろうとかってちょっと思ったところもあって、
強い弱いって相対的なものなんで、
弱くはないんじゃないかなってちょっと僕的には思ったんですけど、
やっぱり自分といかに自分の発してる言葉に同一性があるかっていうセンサーがめちゃくちゃ強いっていうのがたぶん根本にあって、
39:11
やっぱりそこがずれるとものすごいストレスを感じるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
だからこそ何かあったときにストレス反応が起きて寝込んでしまうとか体調が悪くなるっていうこともあるんですけど、
それは弱いというよりかはやっぱりある種強いんですよね。
そういうセンサーが強い。
なので事象としてはストレスが生まれやすいんで、
そういうところだけ取り出してみると弱いんですけど、実はめちゃくちゃ強いっていうことなのかなと思ってて。
なので宮子さんがより強いし、青木さんもきっとそういうところ、言語的な厳格さみたいなことはお二人ともあるんだろうなっていう気はしました。
なのでそんな質量の高い本を書けるのが宮子さんのボイスなんだなっていうふうには感じたところですかね。
だから言語的厳密性っていう意味だと僕はそんなないんですよね。
ちゃうねんけどなーとか思い流せるっていうか。
だから僕がやってることって、本書きたい本書きたいって言ってたんですよ。
今も思ってはいるんですけど、でもやっぱり僕って編集者の方がいいなって思ったんですよね。
僕が本を書くんじゃなくて、どっちかっていうと僕がやってることって、特性で言うとね、
これは医学用語っていうかなんであれなんですけど、ASDの特性なんですよね。
自己同一性をいかに担保するかっていうところが非常に敏感であるっていうのがASDの特徴だっていうふうに。
僕なりの定義ですけどそういうふうに思っているんで、宮子さんの言語的な厳格さっていうのは特性的にはそれに近いものがあって、
でも僕がやってるのって、それを一緒に探す作業をやってて、僕自身が言語的厳密さを持って何か言葉を運用してるってことはないし、
42:05
逆にいろんなことをリンクさせるのは僕は得意なので、それってこういうことなんじゃないとか、
ここにこんなこと書いてあったんだけど、これが言ってたことに近いんじゃないみたいな、リファレンスの媒介者みたいなことをやってるんですよね。
で、「あ、そうです。」みたいなとか、また僕の中にもいろんな相談者さんのリファレンスっていうかね、蓄積があるんで、
こういう人多いけどね、みたいな言うと、「あ、僕もそうです。」みたいなことが起きてるっていうだけの話なので、
なのでやっぱ編集者の方がいいんではないかっていう結論にたどり着いたので、
で、そう思ってみるといろいろ納得できて、この前若者居場所の調査レポート書いたんですけど、
それも若者支援団体10団体と学識者の方8名の話を聞いて、それをまとめ直しただけなので、
ある種僕のボイスっていうものが、それが僕のボイスなんだなって思うんですよ。
僕の文体なんじゃないかなっていうところに、今話しながらも気づきましたね。
僕的には短調を書くとかでは多分なくて、僕が、それもできなくはないんでしょうけど、
なんか編集者になるかもしれないですね。だからね。
そのうち来年か再来年、転職してて編集者になってるかもしれないですけど。
だから若者支援っていうのは、僕がやってる若者支援っていうのは、
その人の人生を編集してるっていうことなんですよ。めっちゃかっこいいですね。
こういうとめっちゃかっこいいんですけど、でもほんまにそうなんですよね。
こんなことあんなことあったんだねとか、そういう過去の整理もするし、
あとはやっぱこう、生物としてのその人ですよね。
これはちょっとこういう理由でこういうところ弱いからこういうの苦手だよみたいな。
だからこれからこういう人生を歩んだほうがいいよ。いいと思うんだとか。
そういうことで一緒に人生を編み直していくっていうことをやってるんですよね。
だからなんか支援、支援手法とかって全然なんか関係なくて、
それを聞き出す、言葉を聞き出すための手法であるとか、そういうのはもちろんあるんですけど、
根本的に多分こういう発想で若者を支援してる人ってあんまりいないんじゃないかなと思ってて。
まずは僕の師匠の影響も非常に大きいんですけど、
45:06
なんとか両方というよりかはね、ロゴセラピーって、
フランクルってね、夜と霧を描いたフランクルが、
あの人精神科医なんでロゴセラピーっていう手法を開発したわけですけど、
どっちかというとロゴセラピー的っていうかな。
人生の意味を見つけるみたいなことを僕なりの解釈で若者支援に応用してるんですけど、
それが僕のボイスなんだろうなと思うんですよね。
なので、本は書きたい。
なんでそんな書きたいって言ってたのかちょっと今はよくわかんないんですけど、
憧れみたいなところも非常にあるんですけど、
僕が書いてもいいし、書くとしたらそういう、
単調でも別にいいんですけど、
どっちかというと宮子さんみたいなスタイルのいろんなリファレンスがあって、
それを紡いでるような本になるんだろうなという気はしますね。
何を話してたんかもういまいちよくわかんないですけど、
そんなことをいろいろ考えられたし、
内田先生にも初めてお会いできたし、
とっても人生の中でもエポックメイキングな1日になったなというふうに思いました。
頑張ろうと思えた1日だし、改めて自分のやってきたことがクリアになったので、
大きかったなという僕の今後にも非常に影響のある1日になったなという気がしました。
あとはこの不完全な詩書も時間かけながらじっくり読み解きながら読んでいこうかなと。
はい、終わります。
また長くなっちゃいましたけど、これで終わろうと思います。
それでは。