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皆さんのひとときにお邪魔します。 CAM ラジオの次男です。 CAM ラジオは、コーチングを軸にリーダーシップや組織開発、人間関係や生き方まで、様々なことについて考えていくラジオです。
本日は、CAM JAPAN ディレクターの浅井もときがお送りいたします。
イントロから入るの久しぶりで、緊張しないですけれども、楽しいなと思っております。
本日はですね、紹介させていただきたい方がいらっしゃって、お招きして一緒に考えていきたいと思っているトピックがあるんですけれども、
本日はですね、最近、石をいろいろ博物館に行ったりしながら探究、研究をしつつ、様々な知識を深めている、そんな方をお招きしています。
石って言われて、皆さん何かなという風に思われる方もいらっしゃると思うんですけど、すごく奥深い、またコーチングにも関連のある内容だったりもするので、
その方をちょっとお招きしながら一緒に考えていきたいと思っております。
ノリエルさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
皆さんが持っている石は何色ですか?っていうところですかね。
ロックの石と、石のウィルのところと、そんな広がらないですね。
はい。すごく大きく話していただいたんですけども、全然違くてですね。
っていうのは、最近娘とですね、旅行に行ったんですけども、そこでなんか洞窟探検みたいながあってですね、そこで石を発掘するっていう言い方でいいのかな。
そこの砂場とか水辺があるんですけど、そこにはいろんな石、アメジストとか、なんだ、ルビーとかサファイアみたいな。
鉱石みたいなね。
鉱石みたいなのがいっぱいあってですね。
はい、それを一緒に楽しんで撮っていて、この石ってこういう名前なんだねっていうのをやっていた娘との時間のお話です。
娘さんがハマって楽しかった。
元々石。
この間、ミーティングでチームのスタッフミーティングにチェックインとしてみんな、近況というか最近のハイライトっていうのは喋るんですけど、
そのノリ家族が行った旅行先、私たちの家族も結構好きで、前からちょこちょこ行くことがあるところで、今回初めて行ったところがあって、石拾いをしたんですよ。
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めちゃくちゃ楽しかったです。
だから、ぜひオススメですって言われて、何その石拾いって。
旅行先で、いろんな自然綺麗で温泉たくさんあって、おいしいご飯もいっぱいあって、動物とかもいっぱいいるようなところだったりするから、石拾いって言ってるんで、行ったところ、調べたところ、鉱石のいろんな綺麗なとか探しながらこういうことを楽しめるみたいな。
ちょっと説明、グレーのネズミ色の石、丸いねこれとか、すべすべしてるねみたいな、そんな話かなと思ったら、ちゃんとしたそういう鉱石の話で。
昔ね、ノリ営業もしてたと思うんですけど、ちょっと営業というかその説明が足りなかったなと思って。
いやいや、ちょっと反論させてください。長くなっちゃうんですけど、娘は公園の石ですら楽しんで拾ってたんですよ。
それがもう残っちゃってて、石拾いが僕の中で。
その延長だからね。
延長なんですよ。
という言い訳をさせてください。
そんな風にちょっと広げてしまいましたけれど。
そんな石拾いにも関わりつつ、今日探求したいというか一緒に考えたい内容があるんですけれども。
私が今、イギリスの大学院、オンラインですけれども行きながら、グローバルな場でですね、いろんな内容に関してディスカッションをするんですけど、
その中で最近結構自分の中で、皆さんも多分知っているトピックだけども、改めて考えるとすごい深いなと思ったトピックがあったので、
それをちょっと一緒にお話をしていきたいと思って、今日私がファシリテーターという形でやらせていただいております。
そのトピックは、バイアスと偏見についてですね。
最近いくつかのクラスでも話す機会があるんですけれども、バイアスと偏見ってどういうものか、またコーチとして、
そのバイアスと偏見に関してどう考え向き合っていく必要があるんだろうか、みたいな。
そんなところを今日一緒に考えられればなというふうに思っておりました。
お願いします。
そう、だからね、私も石、私は石あんまり、今別にそんなホットトピックではないので、
だから私のバイアスと偏見で、いや石拾いってなってしまったけれども、
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でも他の人からしたら、いや石拾いは価値あるとなる人もいるかもしれないし、
それはなんかその人の結局価値観や主観、上に最初の、何だろう、
ノリが石拾いよかったですよって言った時に、最初の自分の表情とかもきっと石拾いみたいな、
多分そんな感じ、いやいいですねって多分なってなかった。
し、多分コーチングで言われても、ああそうなんですね、ぐらいの多分反応を考えなかったらしてしまう。
でもその人からしたら、石拾いがもう人生の意義ぐらいかもしれないし、めちゃくちゃ楽しいかもしれないし。
確かに。
そう、だからその、そこにやっぱ出るよねっていうところで無理やりつなげてみました。
はい、ということでですね、ということで、ちょっとなんかその、
まず大学院でどんなディスカッションしたか、どんなティーチングがあったかみたいなところからお話を簡単にできればと思うんですが、
改めて、イギリスの大学院なので、イギリスはヨーロッパ圏の人が多かったり、
あとは中東の人であったりとか、またアジアの人もちらほらいて少ないんですけど、
あとはアメリカ大陸の方ですね、南米はあんまりいないかな。
そんな人たちがクラスに一応会しててみたいな、そんなところでのトピックあったんですけど、
まず前提として、すべての人、人はバイアスと偏見なくして生きてはいけない。
人は生きる中でバイアス偏見を作り続けているっていう、生きるためにって言っても過言ではないみたいなところから入っていきますと。
なので、バイアスと偏見、違う表現するのであれば価値観や固定観念みたいなことも言えるかなっていうふうには思うんですけれども、
なので脳が情報を処理していくためにも、何かの情報を自分なりに処理して、
これってこういうものだよね、みたいなふうに概念化したりとか、認識をまとめ上げていくことで、
いろんな情報を日々人は得ていったりする中で、それをフィルターのようにして仕分けして、
コスパ欲というか、エネルギーは欠けずに物事の情報処理をして解釈している。
なので、そういうふうに物事の自分なりの解釈や概念が前提としてないと、脳が情報型になってパンクしちゃうので、
それをそういうフィルターを通してパターンを作ってというか、
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Aはこういうものだよね、これはこういうことね、みたいな感じで無意識化で処理していくみたいな。
そんな機能が元々ある、それがなきゃ生きていけないので、それが人のバイアスと偏見を作っていきますよねっていう、
元々大事なことであっても人のベースの機能に、無意識化レベルの機能にありますっていう話から入りつつ、
同時にそれを持っていることをコーチがしっかりと認識していくことが大事であって、
なので改めてバイアスと偏見ってどういうふうに人の中で作用したり構築されていくかを一緒に対話していきましょうみたいな、
そんな前提から入っていきましたと。
いくつかの事例を話しながら対話していったんですけど、
分かりやすいとこから話すと、さっきのりとも喋ってたんですけど、
これは違う回でですけれども、ある生徒が最近のコーチングをやっている中で、
起こった出来事の中で質問したいこととかちょっと持ってきましょうみたいな、そんな会があって、
その生徒がコーチとして活動している中で、クライアントの人がコーチングの対話の結論として、
その方が向き合っている他のAさんという人がいた時に、そのAさんにシンプルに嘘をつけばいいんだって、
これから嘘つく形でこの課題を解決していけばいいんだ、人間関係系の悩みだったんでしょうね。
それも本人の中で、すごくこれでいいじゃんって腹落ちして嘘をつけばいいんだ、腹落ちしたらしいんですけど、
コーチ側としてはすごくもやもやしたみたいな、相手が出した結論にいいのか、そもそも人として嘘つくっていうことを正当化して、
それを応援というか、公認というかしてしまっていいのか、みたいなところすごくもやもやしたらしくて、
それを教授に質問したところ、教授が最初に返した質問というか、言葉に質問で返したんですけど、
嘘ってついちゃいけないんですか?っていう質問で返していったんですね。
で、それ聞かれて、生徒の方はなんか、え?みたいなふうに、
あ、いや、でも、あ、うん、みたいな、いや、よくないって私は思いますけどね、みたいな、だって嘘をね、みたいな、
なんかそんなところになりつつ、
で、別にここでの論点は嘘がいいか悪いかの話じゃなくて、
あなたの中で嘘ってよくないよね、嘘つかない形で人と対峙できる、対話できることってより良いことだよね、
っていう概念、いわゆるバイアスがある。
嘘つく人、嘘ついていくことを正当化している状態はよくないよね、という偏見が存在していますね、
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っていうところで話をつなげていくんですけど、
なんかそれも一例でありながら、
なので、それがバイアスがあることを認識していないと無意識のうちに誘導してしまったり、
先ほどの話じゃないけど、石拾いめっちゃいいんですよ、みたいになったときに、
うぇーっていう反応を無意識のうちにしてしまう、
でもそれは相手に誘導してしまったりとか、
信頼関係っていうところにおいて、相手に本当に寄り添った傾聴の姿勢じゃなくなってしまっていたりとか、
していきますよね、みたいな。
まずそんなとこから入りつつ、
もうちょっと話が発展していって、また後ほど事例も話したいんですけど、
とりあえずここまで、俺一人でバーッと喋ってるので、乗り切りつつ巡ること、感じることいかがです?
ありがとうございます。
いや、そうですよね。
なんか、基礎クラスでもお伝えするときに、
最近その好奇心を持ってオープンにその人の話を聞いていきましょう、みたいなのを伝えるんですけども、
あ、これだなって今、もうちょっと違う角度で説明するとしたら、
今のもときさんが話してくれたことだなーっていうのは今繋がりました。
うんうんうん。
ここをオープンにしていくって、でも、
最初言われても確かに分かんないよねって思いますし、
でもそれは練習していけばできるんだよねーっていうのはずっと思ってたんですけど、
このプロセスを成せば、お、いけそうだなーっていうのを勝手に。
はい、学びとして。
その辺の部分はね、私たちもすごく伝えていたりともに考える機会が多いので、
よく考えることあるなっていうふうに思いつつ、
こうやって改めて深く考えてみるときに、
そのオープンさえ好奇心をどれくらいの幅で考えるかみたいな、
自分の価値観やちょっとの違いぐらいなら受け入れられるけれども、
ちょっと後ほど事例出すけれども、
もっと人として良くないよねって自分で構成してしまっている領域まで行って、
そこにオープン好奇心を持てるかっていうと、
そこまで求めてる話なんだ、そこまで偏見バイアスって入ってくるんだみたいなところ、
自分の中で結構ハッとさせられた内容でもありました。
間違いない。
なのでちょっと続けて、研究の視点でも一緒にこの辺考えていければと思うんですけれども、
いくつかの研究を紹介すると、
これ社会心理学の研究なんですけれども、
心理学にもいろいろな分野があって、
その中の社会心理学、なので人との関わりや社会とか文化とか、
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そういうところで事故が形成されていったりとか、
そこの影響で人がどう変化していくか、その心理を探求していくような内容でもあったりするんですが、
そこのすごく有名な、めちゃくちゃオーソドックスな研究の一つでスタンフォードの研究ですね。
結構昔のやつなんですけど、
その研究の参加者を2つに分けて、
牢獄をモチーフとした、牢獄の環境を整えて、
半分を監守にしての役割を与えて、半分を獄中の牢屋にいる人の役割を与えて、
それで生活をさせたみたいですね。
最初は、例えば監守の人に強く言うとか、叩くとか、罰を与えるとかすごく躊躇しながら、
いいのかなみたいな。
でもこれをやりなさいとは別に言われてない。
その役割を与えられただけ、その場だけ与えられただけ。
そんな感じなんですけど、
でもだんだんと監守の方はすごく乱暴になっていったり、
王兵になっていったりとか、躊躇なく人を傷つける、痛めつけるようになっていって、
その獄中にいる役割の人たちはどんどん萎縮していって、ビクビクしていってとか、
逆にそこに反発する人も出てきたりしてとか、
そんな感じでどんどん獄中にいる人たち、受刑者みたいなところにだんだんなっていった。
それが収集つかなくなっていって、それで外部からそれをやめなさいと言われて、
それもおかしいみたいな風に言われて、
本当ドクターストップじゃないですけど、そんな感じで急に辞めることになった。
そういう研究があって、それはすごくよく事例として取り上げられるんですけれども、
なのでその環境が人を作るとか、役割が人を作るみたいな、そんなところにもつながると思うんですが、
そういうふうに、自分の中でのもともと持っていた人を叩くのは良くないよね、
意味なく罰を与えるとか、乱暴なことをすることは良くないよねって思ってた普通の一般の人たち、
人を殴ったこともないような人たちが平気でそのようなことができるようになっていく。
それは環境があれば、いくらでも人はそうなっていくっていう研究結果にもなると。
同時に、同じ研究領域の中でもう一つ、これはインタビューで発表されていた内容ですけれども、
ある戦時下の人たちのお話で、同じ町で育っていた一つの町があって、
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近所の人たちも知っててみたいなところで、そこは戦時下に入ってというか、戦争が起きてみたいなところで、
結果的にそこのあるお母さんが、近所の子供の命を取らなきゃいけない状況になって、
その命を取っていったっていうケースがあって、そのお母さんの方に後でインタビューをしていったところ、
お母さんはそれに罪悪感を1ミリも感じていなかった。
子供とかもともと知っていたとか、そういう文脈で私たちが近所の子供の命を取るとか、
そういうところはもう考えることもできない。普通にないでしょっていうふうに思う状況であった。
そういう一般の人だったのに、そういう環境やそういう状況になっていった時に、
それが大義名分があって、その人の中では正義、正しいこととして、
そのような行動をとっていって、繰り返しになりますけれども、その後に話を聞いていっても、
別にそこは罪悪感がなくやることをやっていた、みたいなふうな状況になっていた。
他の人にもインタビューしながら同じような状況ですね。
なので、それはさっきの獄中の監修の人を殴っちゃいけない、そんな話よりもっと飛躍して、
普通に人の命を奪うことって良くないよねっていうふうな世の中の考え方がベースである倫理感がある中で、
その正当性みたいなところはいくらでも揺らぐっていうことであったり、
また、どんなに良い人、一般的にめちゃくちゃ良い人っていうふうに思われていたとしても、
そういう生き方をしていたとしても、状況が変わればどんな良い人も、
一般的に悪いことをいくらでもすることができるのが人であるっていうのが、
その研究を通して出されている一つの結果ですね。
なので、それを色々聞きながら考える中で、
自分の中で思っている、これは良いよね、これは良くないよね。
ここは許容範囲で、人の違いだよね、みたいな。
石拾いが楽しいかどうかの許容範囲ぐらいなら、
好奇心持って聞くみたいなことを意識することができるかもしれないけど、
でも、人の命を取るとか、人に手を挙げるとか、
その部分も極端に言うのであれば、
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それが良くないと思うこと自体はバイアスであったり、
自分の価値観、生きてきた環境とか、
触れてきた視点であったりとか、
関わってきたコミュニティや価値観によって形成されているものでしかなくて、
その外の人たちからすれば同じなのかっていうのは全然わからない。
もしかしたら同じかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。
自分もその相手の状況にいれば、全然違う考え方を持っていたかもしれないし、
これがダメでしょと思っていることもそっちから見たら、
いや、でもこれは良いことでしょっていうふうにもしかしたらなるかもしれないし。
なので、その研究を聞きつつ、もう一つちょっと加えていくと、
その対話の中で一つの考え方として重要なのが、
私たちと彼ら、usとtheyの違いですね。
theyとかthem、彼らみたいなところですけれども、
us、自分たちの私たちみたいなところの中では、
人はその私たちの中でも違いがあることを認識できる。
なので、このCAMの中でとかCAMの考え方とか、
中でも上のメンバーの中でもみんな違う考え方があったりとか、
スタンスがあって、なのでこんな感じだよねっていうふうに。
同時にtheyとかthem、彼らっていうふうに思ってしまった時点で、
彼らの中で個々違うもの、考え方があること自体が、
受け入れられなくなったり想像できなくなっていく。
そこにマインドブロックがかかっていくみたいなことですね。
なのでCAMの中の違いは認識で、
他のスクールってこうだよねとか、
あの人たちってこうだよねみたいな感じで、
その中でも全然グラデーション違いがあるはずなのに、
見えなくなってしまったり、会社のコンテキストでいうのであれば、
上層部ってこうだよね、あの人たちっていつもこうだよね、
管理職ってこうだよね、役員ってこうだよね、
いつもこういうことしてくる、現場はそれで大変なんだ、
そんなふうになっていくし、逆からすると、
現場っていつもこういうこと言ってくるよね、
役員の方からすると彼らは、みたいな。
でも役員の中には違う考え方があって、
現場の中にも違う考え方があって、みたいな。
なのでそういうマインドブロックやマインドセットが生まれていく、
みたいなことがやっぱりベースとしてあると思った時に、
私たちにとってのアス、自分が思っているアスって誰なんだろう。
彼らって思った時点でそう見えなくなってしまうと思った時に、
そこに自分はどうなんだろう、それを認識して、
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それを知ろうとすることが大事。
なので先ほどの監視と極中もそうですし、
また政治家の人たちと私たちの価値観の違いみたいなところも、
彼らはとか、また西洋の人たちはこう、みたいな。
何々人はこう、とか。
こういう領域の人はこう、とか。
そういうふうにくくってしまった時点で、
考えることはやめてしまっているというか、
バイアス偏見でくくってしまっている、みたいな。
そこにもうすでに理解をしようとする橋、架け橋みたいなところが、
橋が落ちている状態になる。
そんな話をいろいろディスカッションして、
永遠にいろんな文化背景がいる人たちと対応していく中で、
頭がよくわからなくなってきて、わけわからなくなってきて、
自分のこの価値観、考え方、固定観念、バイアス偏見、
大切にしたいこと、正しいこと、正しいと思っていること、
正しくないと思っていること、
自分が自分で選択していると思っていること、
こういう考え方を大切にしたいって思っていること、
それも結局自分の過去や環境の産物であって、
違う環境に行ったら全然違う、みたいな。
ってなっていくと、自分ってそもそも何なのか、みたいな。
アイデンティティに関しても自分で、
自分のアイデンティティを言語化していると思っているけれども、
もうちょっとマクロの視点で見たら、環境や時代の中で、
そういうふうにデムになっているだけであるかもしれないとか、
外から見たらね、あの年代の人たちは、みたいな。
なので偏見、バイアス、むちゃくちゃ深いなって思いながら、
今バーッとちょっと話してきましたけれども、
聞きつつノリをどんなこと巡ってます?
ねえ、そういう生き物なんですもんね、人間ってね、っていう感じですね。
なんか、そうやって、
そう、なんかさっきも話してくれてましたけど、
ね、認識しておけたらいいんですけどね、一回ね、とかね。
でもそれね、大きいトピックだと、やっぱそれできないよね、とか。
はい、同じことですが、そんなのも巡ってますね。
うん。
うん。
コーチって大変だなって、改めて。
そう…に、なんか意識も向けながら、はい、対話をしていくって、
やはりプロフェッショナルなことはやっているなっていうのは、はい、思いますね。
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うん。
なので、なんか、結論は最初と変わらなくて、
結局みんな偏見とバイアスを持たなければいけないから、みんな持ってる。
でもコーチングの中では、なるべくそれを薄めていきたいというか、
フラットな形で、好奇心とかオープンな心で、みたいなことを大切にしたい。
それを、まあ、偏見バイアスがあるっていうことを認識しておくことが大事である。
もうそれ以上でも以下でもない。
でも、なんかそれを、こういういろんな、何ですかね、自分たちの、
自分たちって言っても何ですかね、それぞれだと思うんですけれども、
私たちの、また皆さんの環境が作った、なんとなくの枠組みの認識の全然違うところに、
全然違う正解や正義や考え方が存在している。
自分がこれは絶対にダメでしょとか、これは大事なことでしょって強く感じている。
これは全員そうでしょって思っていることほどというか、
なんか、なんですかね、軽く握るというか、
自分はそれを大切にしているは全然いいんですけれども、
自分のシステムというか、内的システム、考え方、思考回論で、
人をジャッジしたりとかしないようにっていうところは、
こういうもう少しワイドな、マクロな視点や全然違うところにある人の話を聞くと、
あー意識しないとなーとか、なんかそんなことも思わされる。
なんかその解像度がオープンさや好奇心っていうところの、
大きさや重たさや深さやみたいなところを思わされるみたいな感じですかね。
ねー、確かに。
なんかそういった意味でやっぱコーチとしてそこにどうあり続けるかって、
すごくやっぱ重要だなって思いました。
なんか、クライアントさんの世界の話ではそういうことが起きてる。
けども、コーチとしてそこにあったときに、全然違う視点からあれると思うんですよ。
その時に、何気づきや、なんだろうな、あ、そっち側で生きれるんだとか、
なんすかね、なんだろう、初めてバイアスが解かれるというか、
まあなんていうんですかね、共存というかなんていうかな。
はい、でもそんなきっかけになっていくのも、
コーチとしてすごく影響力があるなとか、今思いましたね。
そうですね。なので相手もクライアントもある意味偏見バイアスを持っている中で、
こちらの視点がそこのブロックを越えていく視点となるかもしれないときに、
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オープンに対話しながら、コーチ自身の視点みたいなところを共有や、
チャレンジを通しても、人の変化を、またその偏見やバイアスを超えた変化を生み出していくっていう役割にもつながって、
共同作業としてみたいな感じですかね。
そうですね、そうですね。
なのでなんか、まあ結構、なんていうんですかね、考えさせられるというか、
ちょっとなんか、私の中では背筋が伸びるというか、
なんかちょっと、なんだろうな、いい意味でハッとさせられる、そんな内容であったんですけれども、
違う表現をするのであれば、なんかちょっとポジティブな感じで終えるとすると、
同時に、なんか私たち全員胃の中の蛙であるときに、
その外にはもっと違う価値観があって、私たちはいろんな人たちと対話し、
また、皆さんがどんな視点で物音を見ているかとか、どんな世界観で、
そっちの視点から見るとどう見えてくるのかっていうところに、
なんか、まあ、コーチが最初なんですかね、こんな感じなのかな、こういうもんでしょう、みたいな風に、
なんとなく思考を巡らしてバイアスをかけちゃうんじゃなくて、
相手の視点に立ってそこに探求をしていったりとか、もっと広い視点で私たちも自分のバイアスに気づく機会として使っていくときに、
なんか私たちの世界ってどんどんどんどん広がっていくかなっていう風に思うので、
そうすると私たち自身のコーチとしての可能性もどんどんどんどん広がっていって、
っていう風に繋がっていくと思うので、なんかその辺の部分は、なんていうんですかね、
私たちの成長や発展っていう意味でも、またクライアントさんの成長や発展という意味でも、
なんか共にそこを広げ続けていくことができる可能性が、
自分たちが思っている以上に全然無限大にあるみたいな風に、
自分たちがあんま得意じゃないと思っている、苦手だと思っているとか、
なんかあんまこれ得意だけどあんまこの文脈では使えないと思っていることも、
違う文脈にいったら全然すごく求められていることかもしれないしとか、
なんかそんなのも含めてですね、なんか自分自身の探求、バイアス偏見にちょっと視点を向けていきながら、
それの自分のバイアス偏見に気づいていくときにもっと広がっていく、広げていく視点や方向性が見えてくるんじゃないかという意味で、
なんかその辺も皆さんと一緒に探求し続けながらやっていけるといいんじゃないかなという風に思いながら、
最後終えていければと思いますが、いかがでしょう、なんか今日話してみて、
ノリの中での感想、コメントっていう感じでは。
いやーそうですよね。
でも今やっぱ自分自身に今目線は向いてるんですけど、
自分自身のその可能性もバイアスで多分欠けてしまってると思うので、
そこがね、取れたらある意味ね、いろんなことできるんだろうなーとか、
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他にもいろいろ自分が見えてない自分がいるんだろうなーとかも今聞いてて思いました。
ですね。
はい、なんかぜひ皆さんの中でも思考が巡ってくださっているといいなという風に思いつつ、
ぜひ感想とか感じたこと、これを皆さん聞いてくださった後に、
CAM生は特にですね、スラックとかでいろいろコメントいただきたいなという風に思うので、
続けてこの辺は考えていきながら、
共にそれを真ん中に置き続けることがコーチとして大事な関わり方かなという風に思うので、
関わりまた対話していければなという風に思っております。
はい、ではでは今日はこんな感じで終えていきたいと思います。
皆さん聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございました。
CAMは2005年にアメリカにて設立され、3000人以上のプロコーチを輩出してきたICFにてコーチングスクールです。
CAMやその日本支部であるCAM JAPANについて知りたい方は、camjapan.jpで検索ください。
それではまた次回お会いしましょう。