でも他の人からしたら、いや石拾いは価値あるとなる人もいるかもしれないし、
それはなんかその人の結局価値観や主観、上に最初の、何だろう、
ノリが石拾いよかったですよって言った時に、最初の自分の表情とかもきっと石拾いみたいな、
多分そんな感じ、いやいいですねって多分なってなかった。
し、多分コーチングで言われても、ああそうなんですね、ぐらいの多分反応を考えなかったらしてしまう。
でもその人からしたら、石拾いがもう人生の意義ぐらいかもしれないし、めちゃくちゃ楽しいかもしれないし。
確かに。
そう、だからその、そこにやっぱ出るよねっていうところで無理やりつなげてみました。
はい、ということでですね、ということで、ちょっとなんかその、
まず大学院でどんなディスカッションしたか、どんなティーチングがあったかみたいなところからお話を簡単にできればと思うんですが、
改めて、イギリスの大学院なので、イギリスはヨーロッパ圏の人が多かったり、
あとは中東の人であったりとか、またアジアの人もちらほらいて少ないんですけど、
あとはアメリカ大陸の方ですね、南米はあんまりいないかな。
そんな人たちがクラスに一応会しててみたいな、そんなところでのトピックあったんですけど、
まず前提として、すべての人、人はバイアスと偏見なくして生きてはいけない。
人は生きる中でバイアス偏見を作り続けているっていう、生きるためにって言っても過言ではないみたいなところから入っていきますと。
なので、バイアスと偏見、違う表現するのであれば価値観や固定観念みたいなことも言えるかなっていうふうには思うんですけれども、
なので脳が情報を処理していくためにも、何かの情報を自分なりに処理して、
これってこういうものだよね、みたいなふうに概念化したりとか、認識をまとめ上げていくことで、
いろんな情報を日々人は得ていったりする中で、それをフィルターのようにして仕分けして、
コスパ欲というか、エネルギーは欠けずに物事の情報処理をして解釈している。
なので、そういうふうに物事の自分なりの解釈や概念が前提としてないと、脳が情報型になってパンクしちゃうので、
それをそういうフィルターを通してパターンを作ってというか、
Aはこういうものだよね、これはこういうことね、みたいな感じで無意識化で処理していくみたいな。
そんな機能が元々ある、それがなきゃ生きていけないので、それが人のバイアスと偏見を作っていきますよねっていう、
元々大事なことであっても人のベースの機能に、無意識化レベルの機能にありますっていう話から入りつつ、
同時にそれを持っていることをコーチがしっかりと認識していくことが大事であって、
なので改めてバイアスと偏見ってどういうふうに人の中で作用したり構築されていくかを一緒に対話していきましょうみたいな、
そんな前提から入っていきましたと。
いくつかの事例を話しながら対話していったんですけど、
分かりやすいとこから話すと、さっきのりとも喋ってたんですけど、
これは違う回でですけれども、ある生徒が最近のコーチングをやっている中で、
起こった出来事の中で質問したいこととかちょっと持ってきましょうみたいな、そんな会があって、
その生徒がコーチとして活動している中で、クライアントの人がコーチングの対話の結論として、
その方が向き合っている他のAさんという人がいた時に、そのAさんにシンプルに嘘をつけばいいんだって、
これから嘘つく形でこの課題を解決していけばいいんだ、人間関係系の悩みだったんでしょうね。
それも本人の中で、すごくこれでいいじゃんって腹落ちして嘘をつけばいいんだ、腹落ちしたらしいんですけど、
コーチ側としてはすごくもやもやしたみたいな、相手が出した結論にいいのか、そもそも人として嘘つくっていうことを正当化して、
それを応援というか、公認というかしてしまっていいのか、みたいなところすごくもやもやしたらしくて、
それを教授に質問したところ、教授が最初に返した質問というか、言葉に質問で返したんですけど、
嘘ってついちゃいけないんですか?っていう質問で返していったんですね。
で、それ聞かれて、生徒の方はなんか、え?みたいなふうに、
あ、いや、でも、あ、うん、みたいな、いや、よくないって私は思いますけどね、みたいな、だって嘘をね、みたいな、
なんかそんなところになりつつ、
で、別にここでの論点は嘘がいいか悪いかの話じゃなくて、
あなたの中で嘘ってよくないよね、嘘つかない形で人と対峙できる、対話できることってより良いことだよね、
っていう概念、いわゆるバイアスがある。
嘘つく人、嘘ついていくことを正当化している状態はよくないよね、という偏見が存在していますね、
それが良くないと思うこと自体はバイアスであったり、
自分の価値観、生きてきた環境とか、
触れてきた視点であったりとか、
関わってきたコミュニティや価値観によって形成されているものでしかなくて、
その外の人たちからすれば同じなのかっていうのは全然わからない。
もしかしたら同じかもしれないし、そうじゃないかもしれないし。
自分もその相手の状況にいれば、全然違う考え方を持っていたかもしれないし、
これがダメでしょと思っていることもそっちから見たら、
いや、でもこれは良いことでしょっていうふうにもしかしたらなるかもしれないし。
なので、その研究を聞きつつ、もう一つちょっと加えていくと、
その対話の中で一つの考え方として重要なのが、
私たちと彼ら、usとtheyの違いですね。
theyとかthem、彼らみたいなところですけれども、
us、自分たちの私たちみたいなところの中では、
人はその私たちの中でも違いがあることを認識できる。
なので、このCAMの中でとかCAMの考え方とか、
中でも上のメンバーの中でもみんな違う考え方があったりとか、
スタンスがあって、なのでこんな感じだよねっていうふうに。
同時にtheyとかthem、彼らっていうふうに思ってしまった時点で、
彼らの中で個々違うもの、考え方があること自体が、
受け入れられなくなったり想像できなくなっていく。
そこにマインドブロックがかかっていくみたいなことですね。
なのでCAMの中の違いは認識で、
他のスクールってこうだよねとか、
あの人たちってこうだよねみたいな感じで、
その中でも全然グラデーション違いがあるはずなのに、
見えなくなってしまったり、会社のコンテキストでいうのであれば、
上層部ってこうだよね、あの人たちっていつもこうだよね、
管理職ってこうだよね、役員ってこうだよね、
いつもこういうことしてくる、現場はそれで大変なんだ、
そんなふうになっていくし、逆からすると、
現場っていつもこういうこと言ってくるよね、
役員の方からすると彼らは、みたいな。
でも役員の中には違う考え方があって、
現場の中にも違う考え方があって、みたいな。
なのでそういうマインドブロックやマインドセットが生まれていく、
みたいなことがやっぱりベースとしてあると思った時に、
私たちにとってのアス、自分が思っているアスって誰なんだろう。
彼らって思った時点でそう見えなくなってしまうと思った時に、
そこに自分はどうなんだろう、それを認識して、
うん。
なので、なんか、結論は最初と変わらなくて、
結局みんな偏見とバイアスを持たなければいけないから、みんな持ってる。
でもコーチングの中では、なるべくそれを薄めていきたいというか、
フラットな形で、好奇心とかオープンな心で、みたいなことを大切にしたい。
それを、まあ、偏見バイアスがあるっていうことを認識しておくことが大事である。
もうそれ以上でも以下でもない。
でも、なんかそれを、こういういろんな、何ですかね、自分たちの、
自分たちって言っても何ですかね、それぞれだと思うんですけれども、
私たちの、また皆さんの環境が作った、なんとなくの枠組みの認識の全然違うところに、
全然違う正解や正義や考え方が存在している。
自分がこれは絶対にダメでしょとか、これは大事なことでしょって強く感じている。
これは全員そうでしょって思っていることほどというか、
なんか、なんですかね、軽く握るというか、
自分はそれを大切にしているは全然いいんですけれども、
自分のシステムというか、内的システム、考え方、思考回論で、
人をジャッジしたりとかしないようにっていうところは、
こういうもう少しワイドな、マクロな視点や全然違うところにある人の話を聞くと、
あー意識しないとなーとか、なんかそんなことも思わされる。
なんかその解像度がオープンさや好奇心っていうところの、
大きさや重たさや深さやみたいなところを思わされるみたいな感じですかね。
ねー、確かに。
なんかそういった意味でやっぱコーチとしてそこにどうあり続けるかって、
すごくやっぱ重要だなって思いました。
なんか、クライアントさんの世界の話ではそういうことが起きてる。
けども、コーチとしてそこにあったときに、全然違う視点からあれると思うんですよ。
その時に、何気づきや、なんだろうな、あ、そっち側で生きれるんだとか、
なんすかね、なんだろう、初めてバイアスが解かれるというか、
まあなんていうんですかね、共存というかなんていうかな。
はい、でもそんなきっかけになっていくのも、
コーチとしてすごく影響力があるなとか、今思いましたね。
そうですね。なので相手もクライアントもある意味偏見バイアスを持っている中で、
こちらの視点がそこのブロックを越えていく視点となるかもしれないときに、
オープンに対話しながら、コーチ自身の視点みたいなところを共有や、
チャレンジを通しても、人の変化を、またその偏見やバイアスを超えた変化を生み出していくっていう役割にもつながって、
共同作業としてみたいな感じですかね。
そうですね、そうですね。
なのでなんか、まあ結構、なんていうんですかね、考えさせられるというか、
ちょっとなんか、私の中では背筋が伸びるというか、
なんかちょっと、なんだろうな、いい意味でハッとさせられる、そんな内容であったんですけれども、
違う表現をするのであれば、なんかちょっとポジティブな感じで終えるとすると、
同時に、なんか私たち全員胃の中の蛙であるときに、
その外にはもっと違う価値観があって、私たちはいろんな人たちと対話し、
また、皆さんがどんな視点で物音を見ているかとか、どんな世界観で、
そっちの視点から見るとどう見えてくるのかっていうところに、
なんか、まあ、コーチが最初なんですかね、こんな感じなのかな、こういうもんでしょう、みたいな風に、
なんとなく思考を巡らしてバイアスをかけちゃうんじゃなくて、
相手の視点に立ってそこに探求をしていったりとか、もっと広い視点で私たちも自分のバイアスに気づく機会として使っていくときに、
なんか私たちの世界ってどんどんどんどん広がっていくかなっていう風に思うので、
そうすると私たち自身のコーチとしての可能性もどんどんどんどん広がっていって、
っていう風に繋がっていくと思うので、なんかその辺の部分は、なんていうんですかね、
私たちの成長や発展っていう意味でも、またクライアントさんの成長や発展という意味でも、
なんか共にそこを広げ続けていくことができる可能性が、
自分たちが思っている以上に全然無限大にあるみたいな風に、
自分たちがあんま得意じゃないと思っている、苦手だと思っているとか、
なんかあんまこれ得意だけどあんまこの文脈では使えないと思っていることも、
違う文脈にいったら全然すごく求められていることかもしれないしとか、
なんかそんなのも含めてですね、なんか自分自身の探求、バイアス偏見にちょっと視点を向けていきながら、
それの自分のバイアス偏見に気づいていくときにもっと広がっていく、広げていく視点や方向性が見えてくるんじゃないかという意味で、
なんかその辺も皆さんと一緒に探求し続けながらやっていけるといいんじゃないかなという風に思いながら、
最後終えていければと思いますが、いかがでしょう、なんか今日話してみて、
ノリの中での感想、コメントっていう感じでは。
いやーそうですよね。
でも今やっぱ自分自身に今目線は向いてるんですけど、
自分自身のその可能性もバイアスで多分欠けてしまってると思うので、
そこがね、取れたらある意味ね、いろんなことできるんだろうなーとか、