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はぢめもの69ですね。ちょっとメモ書きです。
エディットと短歌。短歌をやって気づいたことがいくつかありまして。実は週刊ポッドキャスティングでエディティング、人間、ホモ・サピエンスの脳はエディットするんだという話をずっとしてきて、こだわって考えてきたんですけれども。
短歌のエディットっていうのは、実に本質的な何かを含んでるぞっていう気がすごくするんですね。やってみて、実践してみてね。
どういうことかというと、エディットっていうときに、一つは脳内編集と外部編集っていうのがあって、自分の脳みその中で言葉を思い浮かべて、いろんなイメージを作って編集していくわけですね、脳の中に。
それを書き出すと外部編集になるんですが、この外部編集と脳内編集の相互作用が一つ。もう一つが音声の編集と文字の編集ですね。
音声の編集と文字の編集って世界があって、ポッドキャスなんかは音声編集やるわけですけど、本を書いたり詩を書いたりっていうのは文字の編集をするんですが、短歌っていうのは歌なんですよね、音なんですよね。
これ音の編集もしてて、しかも文字の編集もしてると。視覚でどういう漢字を使うか、ひらがなにするか漢字にするかっていう文字の編集、視覚にも訴える。
さらに音ですね。単なる視覚に訴える文字じゃないんですね。音にこだわるわけですね。音の編集を、前後入れ替えてみたり順番変えてみたりして、それを非常に工夫して、音の編集もしてるというね。
音の編集と文字の編集をどちらもやっているという、一つの31音の中で、31音にこだわる必要ないんですが、そういった数少ない音の編集をするわけですね。
日本語で言えば50音しかないわけで、基本的に。50音を31音にエディットするわけですね。しかもそれを文字という、文字のエディットもして、音のエディットも重ねてやるというか、合わせてやるというか、一体としてやるというか。
行き来しながらやるというか。それで、完成された短歌を作るという。このエディットっていう、短歌に凝縮されたこのエディットというものは、このエディットですね。音声編集、文字編集、内部編集、外部編集のすべての要素を凝縮してんじゃないかっていうね。それぐらいの気になってきて。これはもう
ホモ・サピエンスの脳が喜ぶはずだというふうに思っているので、そういう意味では創作する喜びですね。まさに短歌っていうのは、いいなと思いました。もちろん俳句でも川柳でもいいんですけど、ただやっぱりある程度の定型ですね。
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57577にそんなに過度にこだわる必要ないですけども、やっぱりその音、リズムにこだわりながら文字、視覚にもこだわるっていうね。これを31音の中でやる世界っていうのは、もう日本が世界に誇る、日本人しかできない、わけじゃないですね。
日本語でしかできない、素晴らしい、なんだろう、ホモ・サピエンスにとってのエディット遊びというかね。もうエディットの粋が全部詰まってるというね。そんな気になったということで、これ恥ずかしいですけど、はぢめもです。ただの個人的なメモです。ということで、以上はぢめも69番でした。ではまた。