AIとの付き合い方:肯定ではなく批判を求める
ウィークエンドの黄昏時、CAFEBAR いってらっしゃいへようこそ。マスターの一佐です。
ここは、仕事のこと、人間関係のこと、子育てのこと、恋愛関係のことなどで疲れた方が、一休みしていくラジオ上のCAFEBARです。
今日もこの店を出る頃には、少しでも元気になってくだされば幸いです。
今日はですね、またAIのことについて、少しお話ししてみたいかと思います。
前回2回ほど、AI関係のお話をしたときに、だいぶ皆様から高評価をいただきましたので、今回はその第3弾ということになります。
今回、僕の方でお話しさせていただきたいのは、皆さん、僕自身もそうですけれど、AIを肯定する相手と思って、
AIに肯定してほしくて、自分の考えですとか、アイディアとかを肯定してほしくて使っているという方は、結構いらっしゃるんじゃないかと思います。
そこに、ちょっと落とし穴というか、その使い方についてどうなんだろうかというのが今日のお話です。
結論から言えば、AIは肯定してもらうために使うのではなく、検証ですとか改善のためにですね、否定の意見をもらうために使う方がベストだと、適任だというですね、
そういうことについてちょっとお話ししてみたいです。
AIが肯定してくれる理由と落とし穴
誰しもですね、僕自身もそうですけれども、やっぱりAIにいろいろ相談します。
AIはやっぱり様々な情報ですとか、データから自分自身、僕相談した僕自身の意見を肯定してくれるような、
それは素晴らしいアイディアですねとか、素晴らしい考え方ですねとか、肯定してくれるような、そういった形でまず入ってくれるかと思います。
それで、自分の気持ちを良くしてくれるわけじゃないんですけど、自分の考えとか意見とかで良かったのかなという、そういうふうな考えになるんですけれども、
実際、僕自身、2案あって迷っているときに、じゃあもう1個の対案とかぶつけてみたりとか、
AIの考え方、それちょっとおかしくない、肯定してくれてるんだけど、おかしくないですかねっていうふうに聞き返すと、
確かにおっしゃる通りですねとか、またそこも肯定で入ってくるんですけれども、そっちの案のほうがいいですねとかいう形で、
やっぱり必ずしも自分が提案したのを実は最適と思っていてはくれなかったなと。
実はAIなりにもしかしたらもっといいアイディアとか、そういうのを秘めてるのかなとか思わせるようなやり取りがあったりもします。
そういった形で、AIも実は自分が相談したことを最適解と思ってないんじゃないか。
もっとうちに最適解を秘めてるんじゃないかっていうのがまず1点ありますし、
現実世界での人間関係とAIへの依存
あとやっぱり現実世界で、やっぱり否定的な人、特にやっぱりこのSNS社会になってからですね、
やっぱり僕の周りもそうですけれども、まず相手の否定から入る、相手のダメ出しから入るような、
否定的な意見から入る人っていうのが割と増えてきたような気がして、
そういった中で自分の癒しですとか、やっぱり自分も誰かに肯定されないと心が折れてしまいますので、
そういった意味でも自分の意見を肯定的に評価してくれる人を求めて、
AIに流れていくっていうのは割と結構あるんじゃないかと思います。
けどそれって本当に合ってるのかな、現実世界の人に意見を求めないで、
AIにばかり意見を求めていくようになるような、そういう風潮というか、
流れ自身どうなのかなっていうのはやっぱり義義があるところで、
やはりですね、肯定してくれる人というのは、やはり現実に求めるっていうのが健全なんじゃないかなと、
それが自分の人生を豊かにする、どんなにAIが進化しても、
やっぱり現実世界の人付き合い、そんなに昔ほど多くはないかもしれないんですけれども、
やはり現実世界の人付き合いっていうのは必ず残っていくものなので、
やはり肯定してくれる人、自分に対して肯定的である人っていうのは、
AIに求めるのではなくて、やはり現実でそれを求める、そういう人を探す、そういう人を残していく。
もしそういうね、現実的にそういう友達がいるのであれば、
そういう人のパイプを太くして残していくっていうのが大事なんじゃないかと思います。
やはり肯定してくれる相手っていうのはAIにはなく、現実で探しましょう、
そういう人たちのパイプを太くして残していきましょうっていうのがまずいいんじゃないかなと思います。
AIの最適な活用法:否定意見を求める
じゃあAIはどういうふうに使ったらいいのかといえば、否定を求めるために使うべきだと思います。
AIはですね、実はさっきお話ししたように、
自分が相談してくれたのを常に最適解とは実は思っていない節はあるので、
どちらかというと、否定とか検証とかその改善点を求めるのに使うっていうのが一番だと思っています。
AIはやっぱりこれとこれとこれどっちがいいとか、
今こういうふうに自分の中でこういうプランを考えているんだけども、
このプランでどこか悪いところあるとか、改善点はありますかとか、
そういった形で要はAIに否定してもらう。
AIに否定意見をもらうっていうのはものすごい適任じゃないかと思っています。
そういう部分にあっては、AIは言い方は非常に優しく、
上手に自分の考えとか自分の今行動してきたことを上手に否定してくれる。
しかも納得の否定の仕方をしてくれるっていうのがものすごい優れているところでありますので、
AIは現実でいう否定する人間、否定意見をもらうっていうために使うといいんじゃないかと思います。
さらにメリットがあるとすれば、AIに否定されてもそんなに皆さんへこまないじゃないですか。
それで人間関係が悪くなるわけでもなく、その人に否定されたっていうふうになるわけでもないので、
AIに否定されてもそんなにへこまないので、そういった部分にあってもAIっていうのは本当に適任かと思います。
歴史に学ぶ「良き否定者」の重要性
必ず人生において否定する人っていうのは必要で、有名な話があるのが豊臣秀吉が一番良かったときに、
その否定する相手っていうのは佐藤の階層である千利休。千利休はやっぱり秀吉の良き否定者であった。
裏を返せば良きアドバイザーであった。やっぱり常に秀吉の意見をいい意味で否定してくれてたっていう話があるんですけれども、
ただその千利休も、だんだん秀吉も年を取ってきて懐の深さがなくなっていったのか、
だんだん千利休との関係が悪くなって、最終的には千利休を処刑してしまうというか、謝めてしまうことになるんですけれども、
秀吉の政治がだんだん方向性がおかしくなったのはそれからと言われていて、
やっぱり千利休のような良き否定者がいなくなってから、秀吉もおかしくなったんじゃないかというふうに言う方もいらっしゃいます。
僕自身もそうじゃないかなというふうな目で歴史を見ているんですけれども、
そういった形で必ず人生において良き否定者というのは必ず必要だと思っていればいいますので、
現実世界でそういう人がいれば一番いいんですけれども、
正直そういった人が現実社会にいたとしても常に良い否定者であるか、良い関係であるかというのはわからないので、
そういった部分をAIに役割分担する、否定者になってもらうというのはものすごい適任だし、
いいんじゃないかというようなことで今日はお話ししてみました。
まとめとリスナーへのメッセージ
すみません、ちょっと取り留めもなくて長いお話になってしまって申し訳なかったんですけれども、
今日はAIは肯定してもらうという役割じゃなくて、否定してもらう、改善してもらうというふうな役割で使うのがいいんじゃないかということについてお話ししてみました。
今日もお話ししたことが皆さんの何かの一条になれば幸いです。
今日もお聞きいただきましてありがとうございました。
それでは皆さん気をつけていってらっしゃい。