1. バンジー中毒
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2024-06-02 26:16

#17 実存主義哲学とバンジージャンプについて

ののさんが知人からバンジージャンプは実存主義的だと言われた/人間本来の根源的なまっすぐな欲望を呼び覚ましてくれるバンジージャンプ体験/運命愛/自己超越/創造性など

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この番組、バンジー中毒では、一度は空を飛んでみたいあなたへ、バンジージャンプの魅力をご紹介していきます。
はい、今週も松さんと野々村でお届けします。
一言だけ自己紹介すると、僕はどこでもバンジーVRを作っているほか、松子の知らない世界でバンジーのプレゼンテーターも務めたやつです。
こちらは野々さんと20年来の友人のバンジージャンプを飛んだことないけどバンジージャンプを紹介したい松村です。
はい、では今回17回目やっていきましょう。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はいはいはい。17回目にしてね、ちょっとね、入り方を変えてみるというね。
変えてみる。ようやく間違いに気づいた。
誤りに気づいたのかな。
でも。
そうでもないけど。
そう、なんかお互いもうここのテキスト書いた方がいいんじゃないかって思ってたけど、松さん的にはどんな感覚やったの?
いや、他のだから、ポッドキャストを聞いてて、他のパターンもあったから、だから書いても全然いいかなと思ってた。
なんか立場、俺の立場が中途半端だと思って、前から。
誰やねんと。
20年来の友人って。
バンジージャンプに対する意見を言うんだったら、ポジションが必要になる。
なるほどね、確かにね。
すごい、めっちゃロジカルや。
はい、では本日のトークテーマに移りたいと思います。
トークテーマは実存主義哲学とバンジージャンプについてです。
はい、ちょっと勘だけどね。
実存主義哲学とバンジージャンプっていうテーマはちょっと僕が前回収録したときに話したいっていうふうに伝えて。
で、あれやんね、松山は哲学の本もちょっと読んで。
どうさんにね、言われた史上最強の哲学入門っていう本を読んで。
ヤムチャさんっていう方が書かれたやつで。
で、僕もなんかね、その哲学の歴史とかって詳しいわけじゃないねんけども、
なんかその野々村がやってることって実存主義の考え方に近いよなっていうことを昔言われたことがあって。
で、なんか気になって哲学の歴史っていうのをその本で学んでいって深めていったら、
確かにその1900年代かなに出てきた実存主義哲学っていう考え方、
なんかもう本当なんだろうね、生き方みたいなことやねんけど、
なんかその自分がやってることもそういう思いはちゃんと含まれてるし、
バンジージャンプそのものが、なんか実存主義哲学をまさに体感するようなものなんじゃないかなっていうふうに思ってて。
で、まあ僕も結構知識的にはそんな深くないけど、この話をしてみるのが面白いんじゃないかなと思ってね。
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それは誰に言われたの?ちなみに。
これね、あの今渋谷で百番地ってところにいてて、そこで知り合った友達って感じかな。
映画監督してる人から。
映画監督してる人から。
どこが野野さんの考え方がその実存主義哲学と近いかっていうとどういう感じだったの?
えっとね、なんかその背景的な話になってしまってあれやけど、なんか説明すると、
なんかその哲学者の中でニーチェっていう人がいるのね、ドイツ。
今は今で言うドイツで生まれて。
今で言うドイツ。わかるわかる。
そう。で、なんか有名な名言で言うと神は死んだっていうことを言ってて。
で、これがどういうことかっていうとかなり自分の解釈で喋るけども、
当時これまでキリスト教で世の中はこうなってるって言われたことを科学がそうじゃないんだよと。
空が回ってるんじゃなくて地球が回ってるんだよみたいな。
転倒説。
転倒説。そうそう。とかあるいは産業革命が起きて、それまでの生き方とかが全て変わっていった時代だったと。
っていう時に今まで良しとしてきた生き方がそうじゃなかったんだっていうことで
ニヒリズムっていう考え方だったり社会現象につながっていって
結構みんな何のために生きてるんだろうと。
神様を信じてもそれは真理ではないということがわかってきたし
毎日同じ暮らしを続けていって何すればいいんだろうっていう時に
自己を超越して自分らしく生きていこうよみたいなことがニーチェの言ったことなんですよ。
超人になろうみたいな言葉もあるんだけど。
歴史の背景はめちゃくちゃざっくり言うと
もともとキリストとか神宗教をすごく信仰していた時代があって
そこから産業革命とか転倒説とか色んな科学的に証明できることがたくさん出てきて
世の中の一般の人はこれまで神様を信じてたのに
それが急になくなったみたいな
そういう前提がある中でどうやって生きていけばいいんだみたいな悩んでいると。
悩む中で毎日同じ繰り返しなんだと
なんならばもう来世もずっと同じことの繰り返しなんじゃないかっていうぐらい
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絶望的なニヒリズムっていう
世の中に諦めた感じがそういう気持ちに至ってしまうんだけども
そういうことをまず運命愛って言って受け入れていこうと
その上で自己を超越して超人になろうと
つまり自分の意思によってそういう変わらない事象っていうことを打ち破っていくことができないかみたいな
一歩踏み出していく感じを提唱したっていう
ちょっとバンジージャンプっぽいかもって思っていた?
まあちょっとねちょっとずつね
1900年代にニーチェって人がそういったようなことを論じていて
そういう人間哲学、人間って何のために生きてるんだみたいなことを
いろんな哲学者が考えていって
この実存主義哲学っていうものを完成させたって言われてる人がいて
サルトルっていう人なんだけど
この人の名言で言うと
存在は本質に先立つっていう考え方があるんだって
これわけわかんないじゃん
難しいね
世の中にあるもの例えば椅子とか机っていうのは
人間が必要として目的を持って作ったものであると
だけど人間っていうものは何か目的があって生まれてきたんじゃなくて
生まれてきてから目的を持ち得るものなんだっていうことが言われてるのね
人間っていうものは自由であり責任がある
その範囲の中でどういう価値が自分で芽生えるのかだったりとか
自分が生きている意味っていうものは
自分の自由と責任の下で見つけていけみたいな
スーパー松岡修造みたいなさ
熱血的な松岡修造ではないけど
すごいあなたが生きている意味はあなたで見出せみたいな
熱血的な自己啓発的なことを説いてるわけなんですね
それもバンジージャンプっていうところに照らし合わせると
ジャンプ台立った時に
自己決定感がすごく高いものなんですよね
飛び込んでいくっていうのが
そこで何があろうと自分の自己責任ですって同意書も書くわけで
自分の責任の中で自分の意思で自由に
飛び込んでいくっていうことを選び取るっていうようなことが
バンジージャンプ体験っていうものが
サルトルの実音主義哲学に通ずるものがあるんじゃないかな
っていうことを思ってるって話です
なるほどね
半分ぐらいわかったような気もするけど
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スーパー松岡修造的な
自分を超えていくみたいに
人間は自分を超越していくべきだっていう風になったところの間のところ
いろいろあったんやろうなと思うけど
そこを端折って
そういうベースであれば
上を目指していくっていう前提であれば
バンジージャンプは近いのかなと思ってるけど
自分の怖かったりとか恐怖だったりとか
そういうところを
ところまで踏み込んでいくみたいな話があるんやけど
自分の守られてるゾーンみたいなのがあるやんか
その中で別に自分を超えていったらいいんじゃないかなと思って
さらに快適ゾーンを抜け出すじゃないけど
さらに一歩先に踏み出すのが
バンジージャンプなんかなと思ってて
Googleのレコメンドエンジンの話を最近聞いたんやけど
Googleのレコメンドエンジンって
初め自分が気になったものからどんどん紹介していって
自分の安全ゾーンに近いものが来て
それは結局ヒット作品をさらにヒットさせる
助長させるみたいな効果があるんだけど
そこのレベルを次超えたら
それに付随したちょっと変わったもの
でも行き過ぎないものみたいな
第二段階みたいなところをお勧めしてくるんだって
時間経過とともにそういう風にレコメンドしてくるんや
そうレコメンドが賢くて
人間やっぱヒット作品ばっかり見たいわけじゃなくて
ちょっとずらしたものとか
ちょっとずらした情報みたいなのを次お勧めしてくるんやんか
心ようできてるなと思いながら見てるんだけどいつも
毎日心ようできてるなと思いながら見てて
次に第三段階で
自分が安全だと思っているところから
さらに抜けた全然違う情報をさらに差し込んでくるんだって
何パーセントか
そこでもしガッチ去ったら
Googleのレコメンドエンジンのおかげで
俺の人生変わったぜってなるらしい
ありがとうみたいな
だからAIとかに支配されて
ヒットが助長していくとかっていうのを
っていう話はAIが悪いように使われてるけど
そこまで到達したら
そのレコメンドエンジンのおかげで
俺の人生が変わったみたいな人もいて
そこまでいける人もいるらしくて
そういう自分を変えていくとか
自分を進化させていくみたいなところで
自分の安全地帯の中でやることと
それ以外にもっとさらに飛び出していく
みたいなところがまたあるのかなと思ってて
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1Gジャンプは割とその外に飛び出していくみたいな
快適ゾーンを飛び出すというところなんかなと
めっちゃおもろいな
そのGoogleの話の方が面白いかもしれないな
それこそさっき実存主義哲学とかって言ったけど
哲学の歴史からすると
実存主義哲学
人間とは核あるべきだっていうのを説いた後に
いやいやそもそも人間なんていうのは
自由意志なんてないんだよと
その環境にそのように考えたりさせられてるんだよ
っていう構造主義っていうのが出てきたのね
現代で言うとさらにその
ポスト構造主義みたいなことが言われたりするんだけども
一人一人の主観で言うと
人生生きてきたからには楽しく生きたい
生きる意味とか生きる目的とかを持って
それが成し遂げられたら
すごく生きている実感が得られる
みたいなのってあると思うけど
さっきのGoogleの話は
それをAIとか
キュレーションによってデザインしている
っていう話だったりするから
それはそれですごい
全然違う視点の方から
構造主義的な視点の方から
面白いな
それによって一人一人生きてる
生き甲斐とか楽しみとかが得られるんだったら
そういう世の中であるべきだけども
果たしてそれは本当に
一人一人にとって幸せなのかみたいな
そんな考えに導かされるよね
そのニーチェの実存主義の話だと
この史上最強の哲学入門を読んだけど
その中で時代背景的に
神はもういないみたいな
神は死んだっていう言葉があって
そこで神を信じた人はどうしたらいいんだみたいな
感じになって
さっき言って野野さんが言ってくれたニヒリズムみたいな
もう何を信じてもダメだったら
頑張らなくてもいいじゃないかみたいな
そんな感じになったと
けどそうやって
何も信じなくていい
私は弱い人間ですみたいなことではダメだって
すごく強く指摘したのがニーチェで
人間本来の根源的な欲望は
力への意思っていうところを書いてて
そういうふうの呼び起こせみたいなのを言ったので
そこが今の現代の日本と近いんじゃないかみたいな
ことが書いてて
サイゼリア行って
ローソン行ってご飯食べてとかね
それ全然楽しいねんけど
そういうふうな暮らしをしてて
そういうのじゃなくてさらに
飛び出そうみたいなのを
現代でも言えるんじゃないかみたいな解釈が書かれてて
現代で言ったら
そういうふうに言えるんやなと思って
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読んでたけど
バンジージャンプだけではもちろんないからね
サルトルで言うと
アンガージュマンっていうことを
キーワードとして提案されてて
英語にすると
エンゲージメントのことなんだよね
人は自由と責任を持っているんだから
社会にエンゲージメントしろと
ビジネスだろうと政治だろうと
コミュニティ社会だろうと
人っていうものは関わりがあって
自分の自由と責任があって
どんなことでもでき得ると
政治参加だったり
企業も多分そうなんだと思うんだけども
自我を持って社会に
アンガージュマンしてはどうだろう
みたいな提案をしてるってことなのね
アンガージュマンがエンゲージメント
よく企業の組織論で
どうすれば
一人一人の従業員だったり社員の
エンゲージメントを高められるか
っていうのがあるけども
ここで言われている言葉としては
組織に対してとかじゃなくて
世の中、社会に対して
自分という自己から外に一歩踏み出して
発信だったりとか
影響を与えていくのはどうだっていう
そういう意味で使われてて
今、企業ブームは
もう10年ぐらい続いてると思うんだけどさ
社会をこういう風にしたいとかって企業家が言って
それを事業として形にしてるのって
割とアンガージュマンなんじゃないかなって思ったりするね
社会を変えていきたいみたいなところは確かにね
スタートアップ企業ね
それの一番お手頃なところが
バンジージャンプなんじゃないかなっていうね
一番お手本なところ
アンガージュマン体験みたいな
そうやな
別にだから
社会を変える上でさ
自分の身の回りの生活のやつを
写真とか撮ってインスタグラムとかに上げて
それでお金儲けしてる人とかもいるわけじゃないか
それも社会への発信になってて
バンジージャンプは
やっぱりもうちょっと
自分のゾーンから抜け出すための
強制的な力をもっとあるような気がするけど
なるほどね
確かにね
一人一人が自由と責任な社会に対して
どんな活動でもしていいっていう時に
そのレベル度合いっていうのはあるやろうね
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けどやっぱ20代の子とかが
やっぱバンジージャンプやりたいって言ってて
特に社会人の
1年目から5,6年目くらいかな
社会人って飛びたい人多いよね
野野さんと話をしてたら
そういうデータが徐々に
溜まっていって
年齢上の人とかもやってるかもしれないけど
割と社会人になって
30歳になるくらいまで
20代の方が結構飛んでる感じがしてて
確かに働き始めたら
自分でお金稼げるようになって
生活もできるようになって
自分の稼いだ金で楽しみに行こうみたいなさ
そういう気持ちって湧いてくるよね
ちっちゃい頃は親に旅行を連れて行ってもらってたけど
大人になったら自分がどこに旅行に行こうとか
何しようとかって
それって確かにバンジージャンプだけじゃなくて
今までやってみたかったけどできなかったことに
お金出して参加しに行くっていうのは
小さい意味で
自己超越だったりアンガージュマンだったりするのかな
それで相手に対して影響を与えるんじゃなくて
自分の中でどんな変化が生まれるのかなとか
自分が今まで感覚したことない感覚って
どういう感覚があるんだろうなみたいな
そういう探求に対して
一歩踏み出していくっていうことなのかな
あると思います
雑な閉め方
でも出口なかったな確かに
実音主義・哲学とバンジージャンプっていうことを
話したいだけだった
だから実音主義とバンジージャンプは近いかもしれへん
って一番初めに映画監督
友達から言われたって話があって
それに対しては
考え方によっちゃ近いかなっていう感じ
自分が今までやったことに安全権を抜き出して
一歩進んでいこうみたいな時に
いろんなレベルがある中で
バンジージャンプっていうのは
レベル難易度で言うと中なのかもしれないね
レベルが低くはない
例えば
レベル低いところで言うと分かんないけど
どんなことがあるかな
一回
フジロックとかも結構レベル中なのかな
だいたいレベル中なんじゃないの
21:01
たしかに
それこそさ
歯の矯正手術やるとか
ベーシック手術やるとか
それもレベル中だと思う
レベル中ばっかりやん
会社辞めて起業するとかやったらレベル高くなると思うけど
あとは全て投げ打って
世界一周旅行するとか
むしろレベル高になるね
レベル高やろ
その辺はレベル高やと思うけど
だいたい中じゃない
じゃあなぜ僕はバンジージャンプだけ聞いとって
そうそう
それは反論したいな
そこで向き合うことが
本当に死んでしまうかもしれないっていう
ドキドキ度合いが高いからかな
だからレベル中ではなくてバンジージャンプもレベル高なのかな
レーシック手術も失明するリスクはゼロじゃない
高いわ無理やわ僕
レベル高やろ
レーシック手術は
実存主義哲学であるって話
コウホーとドーンを抜け出してやろうとしてるから
なんだろうな
それで言うと確かにそうかもしれんなと思ったけど
バンジージャンプは
体験っていう
一連の中に
すごくいい起承転結性があると思ってて
終わったら
終えた成功したやり切った
ある種気持ちよかったまたやりたい
みたいな感情って結構芽生えるんですけど
それが
なんだろうな
そういう高いレベルの
自己超越とかアンガージュマンを
するっていうことを
前向きなポジティブに
学習させてくれるみたいな感じがあるかもしれない
レーシック手術やったら
手術やったら終わりやけど
それ終わった後に回り始めたエンジンを使って
別のことができるかもしれないみたいな
その可能性は
分類に入っていると
スカイダイビングとかスキューバダイビング
僕やったことがあるんだけど
その時は感動はするけど
一回体験できてよかったなっていう感じだったけど
バンジージャンプは
やべえぞと死ぬぞと
でも俺一歩踏み出そうって言って
ワーッとやってやり切った
これはちょっと
24:02
一歩踏み出していくっていうことを
すると
コンフォートゾーン抜け出していくと
そういうのがあるのかもしれないなっていう風な
学びとしてストンと落ちるところがある
なるほどね
この番組を始めたきっかけが
ポッドキャストの音声配信講座っていうのを
俺受けた
その時に最後にペア2人になって
提出した時に
俺はバンジー中毒で提出して
もう一人の人は階段ジャンキーって言って
普通の階段ね
マンションの階段とか
あれを登るのが僕めちゃくちゃ好きなんですよっていう人と
話をして
めっちゃ面白かったけど
だから階段ジャンキーもいればバンジー中毒もいるっていう感じかなと
俺は思った
なるほどね
バンジーが好きな人はこのラジオ聴いてくれる
俺はレイシックで人生変わった
みんなレイシック中毒
やるべきやって
周りにも言いたくなるくらい強い衝動やったら
やっぱそれはあると思う
今回のこの配信失敗だったな
なんでよ
めっちゃ面悪かった子に
めっちゃ押されたから
これほんとめっちゃいいからって
そうですよ
ちょっともっと考えていきます
ありがとうございました
ということで今回は実存主義哲学と
バンジージャンプについて
お話ししました
この番組への感想は
中毒は漢字で
質問や要望も大歓迎です
それでは次回もよろしくお願いします
26:16

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