あのいろんな広さのですね、かなり広い面積、いろんなところを管理しているもので、
これからは草刈り機をですね、使って草刈り をどんどんやっていかなくちゃいけないなぁと
ちょっとそれはね、うんざりするようなことでもあったりするんですけど、まあこれはもう田舎暮らしの宿命でもあるかなと思っています。
そんなまあ4月突入してすごい忙しい時期なんですけども、実はちょっと収録を遅くしてしまうようなトラブルがありまして、それは何かというと自分のメインパソコンがですね、
ちょっと致命的なトラブルが発生しまして、一時もう完全に終わったなっていう、詰んだなっていうような状況になってしまったんですが、何とかそれは回避して、今何とか動かしているというところなんですけども、
めちゃくちゃ困りましたね。 やはりこういろんな設定ですとか、もう新しいパソコンも買ったんですけども、
移行作業だとかですね、いろんなことをやらなくちゃいけないっていうのが、気が重くなるようなことがいっぱいありまして、
あっちこっち、データが入っている場所とかがまだ移行できていなかったりすると、古いパソコンの方も動かさなくてはいけないので、
ちょっと今ですね、そんな環境を整える作業に次回を費やしてたりします。
第22話 追悼告げ吉原
励まされたかった杉吉原と、励ましたかった白人三平が、時を重ねた大滝町の宿の話。
はい、というわけで今回は、2026年3月の3日に亡くなりになられた杉吉原さんという漫画家さんを取り上げて話をしてみたいと思っています。
まずは、個人のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、
杉吉原さんの功績を称えるという意味で、今回追悼企画をやってみたいなというふうに思った次第です。
この杉吉原さんという漫画家は、非常に暴走と縁の深い漫画家でもあり、
さらには、その作品の中でも暴走と思わしきシーンですとか風景というのが数多く出てくる漫画家さんになっています。
そういった意味でも取り上げたいなと思ってましたし、そしてこの杉吉原さんを語る上では
欠かすことのできない漫画家さんとして、一人、白人三平さんという漫画家がいるんですね。
神威伝だとかで有名な漫画家さんなんですけども、こちらの方も白人さんも本当に暴走に縁の深い漫画家で、
いつかその白人三平、杉吉原というこの2人をテーマにしたシリーズをやってみたいななんて考えていたんですね。
ちょっとずつそういった調べ物をしてたりもしてたんですけども、今回、杉吉原さんがお亡くなりになられたということで、
追悼の意味も含めて、ちょっと切り出してですね、話をしてみようと思っています。
それでは本編の方に行ってみましょう。はい、ここからが本編になります。
まず、杉吉原さんという漫画家さんのことなんですけども、
杉吉原の漫画を読んだことがあるっていう人は必ずしも多くはないかなと思うんですよね。
すごいメジャーな漫画家かっていうと、そうではないんですけども、ただ一方で、杉吉原の漫画に影響を受けたっていう人は少なからずいる。
そういう意味ではですね、この杉吉原という漫画家は、本当に非常に得意な存在として日本の漫画市場にいるなと僕なんかは考えていたりします。
ちょっと前の話になるんですけども、実はご縁をいただいて、あるプロのミュージシャンの方とですね、お酒を飲む機会があったんですけども、
その時に好きな漫画の話になって、そのプロミュージシャンの方が、杉吉原がすごい好きだっていうふうなことをおっしゃってたんですよね。
僕も杉吉原の作品は結構読んでましたんで、いろんな作品のことに関しての話をしたんですけども、
そういった形で芸術家の方、音楽の分野の方にも影響を与えているっていうところを感心した思い出があったんですよね。
一方で、例えば好きな漫画家と聞かれると、これがかなり答えに急するというか、
いろんなジャンルの漫画家がいて、不条理系と呼ばれるような漫画家さんでも、
例えば、僕が好きな漫画家で言うと吉田千社だとか、後は松本太陽だとか、諸星大二郎だとか、
他にいろんな漫画家さんを思い浮かぶ方がいて、その方々は作品を心から好きだというふうに言うことができるんですけども、
杉吉原の作品に関しては、好きっていう感覚とまたこれもまた違うんですよね。
ここが本当に説明するのが難しいところなんですけど。
一方で、杉吉原の作品が印象に残っていないかっていうと、そんなことは全くなくて、
めちゃくちゃ印象に残っている。心にすごい残り続けているっていう作品を書く漫画家さんであったなと思っています。
独特なタッチでもありますし、書かれている内容っていうのがまたすごいんですよね。
そんな感じで紹介する、評価するっていうのが極めて難しい漫画家として杉吉原がいるんじゃないかなと思っています。
今回紹介する上でどういう風に構成をしようかなって結構実は悩んだことがありまして、正直そんなことも伝えていこうと思ってるんですけども。
ちょうどいいタイミングで僕がフォローしているポッドキャスト番組がありまして、その番組っていうのができれば話したいことがあっていうポッドキャスト番組なんですね。
2人のメインパーソナリティ、男性の方がいろんなテーマについて話し合う番組なんですけども、実はその中で杉吉原のことを取り上げてた番組がありました。
番組のことは概要欄に貼っておこうと思うので、気になる方はぜひ聞いていただければいいなと思うんですけども、
これが面白くてですね、そのできれば話したいことがあって番組のテーマのタイトルが、杉吉原、無能の人を読む、無能であることっていう番組だったんですね。
聞いている内容を僕もすごい共感することがあって、お二人の言っていることがめちゃくちゃわかるなぁと思ったんですね。
杉吉原の作品がビル番に並んでいるっていうのも本当にそうだったなと思ったんですけども、
そういうサブカルチャー的な中では熱狂的な支持というか、杉吉原は読まないとダメだよね、みたいなことって昔は結構あったなと思うんですよね。
ただ、杉吉原の作品群っていうのは、主にこの後でも紹介しますけども、ガロっていうマンガ雑誌の中で発表された作品が多かったっていうことがあります。
代表作ネジ式だとか、赤い花だとか、いろんな作品群があるんですけども、これは主にガロっていう雑誌のところで発表されたんですよね。
杉吉原も前期中期後期っていう感じで、大別することができるかなと思うんですけども、主にこの中期に書かれたマンガ群が結構評価されて、杉吉原の代表作だって言われることがあると思うんですけども、
実は僕はこの後期の無能の人が一番衝撃を受けた作品かなと思ってたりします。もちろん僕はリアルタイムでガロとか読んでた世代ではないので、その受け取り方みたいなのは時系列的には後から自分が読んでみてっていうことにはどうしてもなってしまうんですけども、
先ほどのできれば話したいことがある中でもこの無能の人について取り上げてくれていて、お二人が話し合ってたそのまんまなんですけども、杉吉原のこの無能の人の中で出てくる行き止まり感。
本当に無能な人を描くのが上手いというか、実際その作中の人物が完全なその無能っていうわけでもないっていうところがまた本当に上手く描けてるなという感じなんですけども、行きづらさ。
行きづらい世の中に対して自分が行きづらくしているっていうこのどん詰まり感というか、そういったものを非常に酷明にリアルに描いてるっていうところがこの杉吉原の漫画家のすごいところかなと僕も思っています。
ちょっと気になる方はですね、ぜひこのできれば話したいことがあって番組の杉吉原回聞いてみていただければなと思います。
簡単になんですけども、杉吉原の生い立ちから、それから白田三平との絡みが出てくるところまでざっくりと、今日はざっくりとですけども紹介してみたいと思っています。
まず杉吉原が生まれたところからなんですけども、1937年戦前ですね、東京に杉吉原は生まれました。
伊豆大島だとか千葉県泉市大原町で育ったという境遇にありました。
これは板前をしていた父親が、実は杉吉原が小さい時に早くに死んでしまったため、母子家庭でいろんな環境の中、貧困の中育っていったということが影響しています。
小学校卒業して、中学校の時には家出してメッキ工場で働く、いろんな職を転々としているんですけども、メッキ工場などで働いていたということですね。
この杉吉原のいろんな人格形成の中で、いろんな大きな出来事があるんですけども、貧困の中父親が早く亡くなって、いろんな要素が強かったんだろうなというふうに考えられています。
メッキ工場で働いていた時に手塚治虫の漫画に感化されて、メッキ工場で働きながら漫画を書いてはいろんなところに持ち込むというようなことをやっていたそうです。
このメッキ工場も本当にすんごいブラックな環境で、そういうのを辞めたりだとか、食い詰めて他のところで働いてという職業を転々としながら漫画を書き続けていて、
ある時に永井克一っていう人が作った三葉社っていう会社に見出されて、そこで漫画を書くことになりました。
実はその三葉社で漫画を発表していた漫画家の一人に白人三平がいたという話になっています。
ただその後三葉社は倒産してしまったため、漫画を発表する場がなくなり、お金に困って職と住処を転々とする日々を津吉原は過ごしていました。
一方で白人三平さんはですね、永井克一が新たに創設した青林堂にて、メインの漫画家として月刊ガロっていう漫画誌の中でカムイ伝を発表することになります。
そしてこれが大ヒットすることになったんですね。
ガロっていう雑誌も生まれて、このガロの漫画誌を進めていく上で、実はこの白人三平さんは津吉原の才能を気にかけていたらしくてですね、
ガロの史上で津吉原どこにいるのかなっていうのを探させるっていうことをやったんですよね。面白いなと思うんですけど、そういったことがあったということです。
今回本編を構成するにあたって、一番のネタ本とさせていただいた本がありまして、それは津吉原が自分で自浄伝として書いた本。
津吉原と僕という小文者から出ている本を元にして話をさせてもらっています。
津吉原は漫画も面白いというか、非常にユニークなものを発表しているんですけど、文章も本当に津吉原さんの文章ってユニークで面白くて、これはこれでぜひお勧めしたいところがあるんですけども、その自浄伝を今回元にして話を構成しています。
ちょっと前に津吉原の無能の人のことをちょっと話をしましたけども、この無能の人に出てくる主人公というか、津吉原の人格の転写みたいなところがありまして、
この津吉原自身も非常にややこしくて気難しくて、人生をなかなかうまく生きられないっていうようなタイプの人だったようです。
その津吉原の人生を難しくした原因の一つに、赤面症という人と話していると、どうしてもドギマギしてしまって顔が真っ赤になってしまうっていう悩みというか、症状に苦しんでいたそうで。
他にも脳炎症になってしまったりだとか、精神的にちょっとおかしくなってしまったりだとかっていうことがいろいろあったようなんですけども、
特にこの赤面症っていうのは、津吉原を苦しめていたというふうに自分でも書いているんですね。
で、先ほど出てきた三葉舎っていう、津吉原を漫画家として見出してくれた長井克一が起こした会社の中で、
知立三平と出会うシーンが書かれているんですけども、実はこの三葉舎で出会うといったとしても、津吉原は実は知立三平と話をしていないんです。
で、三葉舎で知立三平が自分の漫画を見ているっていうシーンに出会わせたっていうふうに本の中では出てきます。
知立三平が自分の漫画を見ている。知立三平はこの当時からも有名な漫画家でしたから、自分の漫画を見ているっていうことがまず一つ印象に残ったインパクトのことだったと思うんですけども、
あと実はですね、この津吉原さん、知立三平に影響を受けて自分の漫画を知立三平に似せて書いていたそうなんですね。
で、なのでその自分が知立三平の影響を受けて真似て書いているっていうことが非常に恥ずかしかったらしくて、
そういったこともあって、知立三平に声をかけられずにいたというふうに書かれています。
面白いですよね。なんかこう、どんな気持ちで読んでるんだろうっていうのを深読みしてしまって、逆に声がかけられなくなってしまったというような話でした。
なので知立三平の方は津吉原の漫画を通してこの津吉原という人物を見出していたということになるのかなと思っています。
その津吉原の人柄に惹かれてというよりかは、漫画作品を通して何かしら思うところがあったのかなというところですね。
で、津吉原がある意味失踪に近い形でいなくなってしまって、ガロっていう雑誌ができたときに津吉原に漫画を書かせたらどうかっていうふうなことを知立三平の方から提案していくと。
で、津吉原を探させて、で、漫画を書くように進めていくっていうのが、この二人の関係性になっていくわけですね。
まあ本当に知立三平もすごいなというところなんですけども、この津吉原のわかりづらい、本当に一般的ではない才能に気づいてたっていうところではすごいなと思っていたりします。
で、津吉原と知立三平は再会することになるんですけども、実はここからがちょっと漫画チェックで逆に面白いなと思うことがありまして、昭和40年に知立三平と津吉原は千葉県の大滝町に旅することになります。
で、そして大滝町にその当時あった末広旅館というところで半月ほど共同生活をするというようなことをやっていたんですね。
で、この末広っていう旅館はちょっと漢字で当てられてるんですけど、ことぶきにめぐむにくらべるに、あとはろうがくとかのろうで末広という旅館なんですけども、残念ながらこの旅館はすでに、今はもう取り壊されてしまっていないんですけども、
そこで大滝町で暮らしていたというような記録が残っているんです。
で、この末広旅館は本の中でも書かれてるんですけども、知立三平の隠れ家みたいなもので、知立三平自身がちょくちょく利用する城宿だったそうです。
そこに知立三平は杉義春を呼び込んで、半月ほど一緒に生活をするというようなことをしていたということなんですね。
自助伝杉義春と僕の中には大滝でのことというふうに章が立てられていて、この辺りのことが記録されています。
ちょっとそれを読んでみたいと思いますね。
大滝の末広旅館は昭和40年の秋、知立三平さんと一緒に半月ほど滞在して仕事をしたことのある承認宿。
この宿は知立さんの隠れ家のようなもので、当時しばしば利用していたらしい。滞在中に不思議な絵を一本書き上げた。知立さんは渡りの小回りをしておられた。渡りという作品の名前ですね。
この宿におかみさんの妹で、和ちゃんという美しい娘さんがいて、千葉県の方言を丸出しの喋り方をしていた。千葉県の方言は汚いとか乱暴とか言われているが、美人の口から漏れると妙にエロチックで不思議なリアリティが感じられ、面白いと思った。それがヒントになって沼を書いた作品名です。
知立さんと滞在中は半日をずり、半日を仕事で過ごし楽しかった。末広旅館は家族的な雰囲気で私はすっかり気に入ってしまい。
っていうふうなことが書かれています。知立さんぺーと杉押春。千葉県の大滝町で共同生活していたのは本当にわずかな半月ほどの時間だったんですけども、この半月ほどの時間が杉押春に与えた影響っていうのは非常に深く大きくて、その後の作品にかなり大きく影響していったんだろうなと。
思っています。ガロの史上でいろんな作品を発表していくことになるわけですけども、杉押春が漫画の中で描きたかったことの部分的なことがこの大滝での共同生活の中で培われていったことだったんじゃないかなと。
杉押春の授与伝を読むにしてもそういうことを感じられるわけですね。で、この大滝でのことの章の最後に杉押春は次のようなことを書き記しています。ちょっと読み上げますね。
白人さんが私を大滝に誘ってくれたのは、杉を励ましてやろうということであったらしい。後で赤目プロの人がそっと教えてくれた。宿題も全額負担していただいた。
その頃の私は金もなく仕事も思うようにならず励まされたい気持ちでいたので嬉しかった。そういう状態の時、大滝での印象は心の現れる思いだった。
空、山、川、雨、宿、釣り、それら自然のもののすべてが新鮮に輝き、確かな手応えで経験されたように思えた。
小鳥も虫も道ですれ違う犬も石ころも、昨日まで見過ごしていた何でもない存在には思えなくなった。
大滝での思い出は、その後の私の漫画に大きな影響を及ぼしている。
残念ながら、大滝町にあった水浦旅館はその旅館としての役割を終えて建物は取り壊されてしまった。
大滝町に今もある確かなものとして、大滝町は山も川もすごい綺麗な美しい場所で、そういったものはしっかりと残っているので、
そういったことが、杉尾シャールという漫画家を作り上げた一つの一条になっているということが記憶されてもいいのかなと思って、
今日こんな企画を取り上げてみました。
本当に白津三平もすごい漫画家で、杉尾シャールもすごい漫画家で、それがもっと評価されるようになったらいいなと思うので、
そういったこともちょっとずつやっていけたらなぁって僕も思っていたりします。
実は大滝町はこれからも僕自身にとっても深い縁ができそうだなと思っていまして、
というのは、きっと白津三平も杉尾シャールもそこを通り過ぎたなと思っているんですけども、